浅尾慶一郎
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生年月日 | 1964年2月11日(47歳) |
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出身地 | 東京都 |
出身校 | 東京大学 スタンフォード大学経営大学院 |
学位・資格 | 法学士 MBA |
前職 | 銀行員(興銀副調査役) |
所属委員会 | 予算委員会 外交防衛委員会 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 |
世襲 | 曽祖父・浅尾長慶(衆議院議員)、樋口秀雄(衆議院議員)ただし地盤の継承はないため俗に言う世襲議員ではない |
選出選挙区 | 比例南関東ブロック |
当選回数 | 1回(参2回) |
所属党派 | (民主党→) みんなの党 |
党役職 | 政策調査会長 |
会館部屋番号 | 衆・第1議員会館521号室 |
ウェブサイト | あさお慶一郎 |
浅尾 慶一郎(あさお けいいちろう、1964年2月11日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、元参議院議員(2期)。みんなの党所属。
目次 |
[編集] 概要
- 栄光学園高等学校を経て、1987年東京大学法学部卒業後、日本興業銀行に入行。興銀から留学資金を得てアメリカに派遣され、1992年スタンフォード大学大学院を修了。MBAの学位を取得。帰国後3年間、プロジェクトファイナンスを担当した後、1995年、新進党の候補者公募に応募して興銀を退職。
- 1996年10月20日、第41回衆議院議員総選挙に、神奈川4区から新進党公認で立候補し、現職中島章夫(民主党)の29,967票を超える38,725票を得るも、自民党の飯島忠義46,389票に対し次点で落選(重複立候補していなかった)。 新進党神奈川県連常任幹事に就任するが、1997年12月31日に新進党分党で自身は(民社協会を母体とした)新党友愛に参加。
- 1998年7月12日の第18回参議院議員通常選挙に、民主党公認・公明党推薦で神奈川県選挙区から立候補し当選。参議院財政金融委員長や初代民主党青年局長を歴任した。
- 2002年6月 ワットマン監査役に就任。
- 2005年2月、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの1人に選出された。
- 2005年9月、前原誠司が代表に選出されたことに伴い、「次の内閣」の外務大臣に就任。2006年9月の第2期小沢体制では、党政調会長代理及び「次の内閣」の官房副長官に就任した。
- 2004年7月11日 第20回参議院議員通常選挙に民主党公認で神奈川県選挙区から出馬し再選。「次の内閣」防衛大臣に就任する。
- 2007年5月20日、日本青年会館大ホールで開催されたギャラクシーエンジェルIIルーンエンジェル隊サードコンサートにおける株式会社ブロッコリー木谷高明元会長退任挨拶にゲストとして登場。
- 2009年第45回衆議院議員総選挙では、神奈川4区で長島一由を公認する党本部の意向に反対し、神奈川8区からの立候補を提案されるも、7月24日民主党に離党届を提出。再び神奈川4区から無所属で立候補すると表明した。同日、離党届非受理の上、除籍処分を受ける。同年8月8日、自民党を離党した渡辺喜美らが結党したみんなの党に参加。8月18日の総選挙公示に伴い参議院議員を自動失職。小選挙区では長島一由に敗れたものの、比例南関東ブロックで復活当選した。
[編集] 政策
[編集] 外交・防衛
- 北朝鮮問題では、1999年に日本から北朝鮮への輸出規制強化と関連法の整備を主張し[1]、外為送金を停止する法律の改正の必要性を、国会議員としていち早く主張。また、「2012年までに北朝鮮が核放棄を行わない場合、日本は敵基地攻撃能力を持つということを国際社会に理解してもらうべき」と主張している[2]。
- 大塚耕平、細野豪志、古川元久、松井孝治、松本剛明らと共に、『Voice』2003年9月号で「1000万人移民受け入れ構想[3]」を共同提案。
- 2004年の参議院選では、公約として「イラクにおける人道復興支援活動の廃止」を掲げ、当選後イラク復興支援特別措置法廃止法案の参議院審議に尽力。2007年11月に参院外交防衛委員会、参議院本会議で可決された。
- 「次の内閣」の防衛担当として新テロ対策特別措置法案の対案の作成に尽力。2008年1月8日の参院外交防衛委員会の質疑では、「現状のアフガンでは、(対案で自衛隊派遣の条件としている)抗争停止は合意していない」と述べ、テロ活動がなくなるまで自衛隊は派遣できないとの認識を提示。
[編集] 実績
- 北朝鮮の拉致問題や核開発問題の解決を目指し、1999年に北朝鮮への送金停止法の制定を国会で提唱。同法は、政府部内の検討に5年を要したものの、2004年の国会で廃止。
- 公務員に休憩時間とは別に与えられていた有給の休み時間である「休息時間」制度の問題点を指摘し、2006年に廃止させた。これによって、人件費約1兆7000億円のムダを排除。この影響で、昼休み時間を削減する自治体が続出し、官庁街の飲食店に打撃を与えた[4]。
- 公的年金の官民格差の実態を明らかにし、恵まれた公務員の年金の原資となっている共済年金への巨額の税投入追加費用の停止を提言。政府は、これにより、2006年に追加費用の減額を閣議決定。
- 2007年参議院外交防衛委員会の守屋前防衛事務次官の証人喚問で質問し、防衛商社山田洋行の宮崎元専務が設けた宴席に同席した政治家の名前を明らかにするよう求めた。これまで終始発言を拒んでいた証人を「包み隠さず」という宣誓と異なると述べたところ、守屋は久間と額賀の名を挙げる。2008年11月の参議院外交防衛委員会では、参考人の田母神俊雄前航空幕僚長に対し、アパグループと防衛省・自衛隊との関係を追及した。
[編集] その他
- 地球温暖化対策として「人工光合成」の研究を、国の政策として進めることを主張している。浅尾の考える人工光合成とは、植物による光合成の10倍から100倍の効率を実現するものである[5]。
- 自民党参議院議員若林正俊が偽装投票を行った責任を取り議員辞職した問題について、浅尾は自身のツイッターで「会派で賛否が決まっている事案で他の議員のボタンを押すのと、親やゼネコンから不明朗なお金をもらうのと、どちらが有権者に対する裏切り行為なのだろうか?」と語った[6]。
- Ustreamでの放送にて田原総一郎が献金をしている事が明らかになる[7]。
- 「国籍選択制度の廃止に関する請願」「成人の重国籍容認に関する請願」「外国人住民基本法の制定に関する請願」(参議院「請願」177国会)
[編集] 親族
駐イタリア大使、国際交流基金理事長を歴任した浅尾新一郎は父親。駐仏大使、侍従長等を歴任した三谷隆信は母方の祖父。日本郵船社長をつとめた浅尾新甫は祖父。衆議院議員をつとめた浅尾長慶や同じく衆議院議員をつとめた樋口秀雄は曽祖父。
[編集] 脚注
- ^ 山本一太、浅尾慶一郎「「北朝鮮兵器」日本企業リスト」、『文藝春秋』第77巻第8号、文藝春秋、1999年8月、2011年6月27日閲覧。
- ^ 『毎日新聞』2009年6月1日
- ^ 【2003年9月号 月刊Voice掲載】 1000万人移民受け入れ構想 日本を「憧れの国」にしたい。~民主党若手の共同提案~ 松井孝治公式サイト
- ^ 『朝日新聞』2007年6月10日
- ^ 「人工光合成、夢のプロジェクト」 湘南の風 あさお慶一郎のブログ 2007年04月13日 (金)
- ^ 4:24 PM Apr 1st あさお慶一郎のtwitter 2010年4月1日 4:24 PMt
- ^ “田原総一郎のタブーに挑戦!(10.07.06)”. JFN. (2010年7月6日)
[編集] 関連項目
「高谷スキャンダルの真相を追って」として、地元ブロガーや同じく浅尾秘書出身の地元市議から追及を受けている。
[編集] 外部リンク
- 衆議院議員 あさお慶一郎のホームページ(公式サイト)
- 浅尾慶一郎 公式ブログ
- 浅尾慶一郎 (asao_keiichiro) - Twitter
- あさお慶一郎のtumblr
- あさお慶一郎のfriendfeed
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