「ママは原発いりません」福岡 mama need no nukes - fukuoka

ママ原メンバーが、日々の報告をします。過去の記事一覧は、「ママは原発いりません」福岡のブログ

6月16日 次は6・28だ!

昨日は、6月28日の九電株主総会に向けてのMTGがあるということで、出かけてきました。

MTGに参加するだけでいいのかな、なんて思ってたら、

今度の6・28には、デモやイベントも企画されているようで、

その若者たちの連絡係がほしい、と。

 

若者軍団、みんなシーンとなってしまい。

 

みんな、ほんっっと疲れてるんだよね。

あんな大きなデモやって、財力も体力も時間も、使い果たしてしまっている。

なんか見るに見かねて、手を上げてしまったトニーネ。

 

あああ。でも、私もけっこういっぱいいっぱいなんだけどな。

 

これを読んでくださったみなさん。

よかったらご協力お願いします。

 

6月28日(火)の午前中ですから、ほとんど会社勤めの人は集まりません。

頼りは、フリーターとママです。

子育て中のママ、どうか!!!お願いします。来てね♡

ジャグリングとか歌とか、いろんな楽しいイベント満載ですけん。

 

さあ帰ろうか、とみんなが解散し始めたとき、

福島から避難中のアメリがこんな話をしていました。

 

「昨日さ、テレビ見てたら、酪農家が自殺したって。

そしたらテレビの人が、『自殺よりほかにいい方法なかったんでしょうかねえ』って。

でもさ、誰だって自殺したくなると思うよ、

ずっと大切に築き上げて来たもの取り上げられて。

すべて失って。

私だって、家族とも離れて、建てたばかりの家も住めなくなって。

もう自殺したほうがいいかもしれんって、夫と話したりするもん。

私たちはさ、ただ、今まで築き上げてきた場所に、帰りたいだけなんよ。

帰りたいだけなのに、もうそこは帰れない場所なんよ」

 

話してるうちにアメリは泣き始めて、私はちょっと呆然となって。

いつもアメリは明るくて、元気で。

私も、東京から離れてつらかったけど、

私より大変なはずのアメリがいつも明るいから、

がんばらなきゃーって思ってたけど、そうだよね、

アメリ、やっぱりつらかったんだって、

自殺したいほどつらかったんだって、

そんな当たり前のことを思い、ショックでした。

 

福島の人たちに、自殺させておけばいいのかな。

ほんとは、こんなことになった今、

私たち一人一人が、もっと、死ななきゃいけないんじゃないかな。

私は、そんなことを思いました。

 

もっともっと、自分のことじゃなくても、もっともっと、

私たちは福島の人たちの痛みを、シェアしなきゃいけない。

もっと、福島の人たちの怒りを、悲しみを、感じなきゃいけない。

 

福島の人たちが自殺したほうがいいと思うとしたら、

それは私たちの責任。

彼らと一緒に、悲しみ、怒り、死ななかった、

私たちの責任。

 

ママ原は、アメリ一人に死なせないね!

 

(トニーネ)

6月14日 ちょっとジーンときた話

51年目のスイッチ」弁護士 高山俊吉 

 

 611日の新宿中央公園からのデモは長丁場でしたね。午後3時過ぎに公園を出発してアルタ前は6時近く。主催者はさっさと解散っていう雰囲気。私たち6人は近くで食事をしてまたアルタ前に戻った。現場は完全な飽和状態。青い制服の警察官でいっぱい。ゲリラ的なリレートークが続いているが、警察官がどんどん増えて解散を迫っている。司会者の後ろの生け垣の上にも警察官たちがいる。

「俺たちには表現の自由がある」と絶叫する青年。

 

 「表現の自由」

 

 この言葉を聞いて私にはかちっとスイッチが入ってしまいましたね。何かがおりてきてしまった「しゃべらせろ」「何でもしゃべらせろ」とどなった。予定の進行から外れることで困ったような顔の司会者が「どうぞ」と私にマイク。

 

「何だこのざまは。ふざけるんじゃない。

警察官の君たちも被曝しているんだぞ、君たちの家族も被曝しているんだぞ。

原発反対を言っているみんなは君たちの命を含めてみんなが死なないようにがんばっているんだ。

東電の味方をして自分がもっと被曝したいのか。恥を知れだ。君たちは今何をしているのかわかっているのか。

 

私は弁護士だ、法律家だ。いま表現の自由という言葉を聞いた。

法律家として私は断言する。そのとおり、みんなに正義がある、彼らには絶対に正義がない。

生きるか死ぬかの話の時に、何の規制か、何のルールか。

 

私は弁護士として言う。みんなにはいうべきことを言う権利がある。そしてみんなに言いたい。

政府も財界も司法権力も御用学者もみんな全然信用できない。政治家はもちろん信用できない。このとんでもない社会を根本から変えてゆくのは若いみんなだ。皆さんがこの社会を根本から変えてゆく。

 

法律家が言うべきを言わないでいることを私は詫びる。でも、力の限りがんばろうとしている弁護士も少なくない。力をあわせてこの状況を根本から変えていこう。彼らに暴走させてはいけない。彼らが暴走すれば、ここはチュニジアやエジプトに必ずなるぞ。一緒に闘おう。以上です」


と、こんなことを話した(ような気がする)。いい爺さんの絶叫。しゃべった時間は5~6分かな。話が終わったら完全なもみくちゃ状態。握手をしようというみんなにどっと囲まれました。

 

若い夫婦と子どもさんが寄ってきて、これも握手。「お嬢さんもご一緒なんですね」と言ったら、「マスクをさせていてわからないでしょうがこれは男の子です」と。そりゃごめんなさい。

 

「名前を教えて下さい、逮捕されたら頼みます」という青年。外の何人もが「名前を教えて下さい」口々に。タハリール広場とまではとても言えないけれど、アルタハ広場くらいの感じはしましたね。後で一緒にいたS弁護士が「おおぜいいた警察官がいつの間にかすっと消えてしまった」と。

 

私は大学1年の時に樺美智子さんが警察官に殺された翌日の学内集会を思い起こしました。あのときも私の頭に一瞬にスイッチがはいってしまい、おとなしい俊吉青年が学友に「彼女の死を自分の問題として考えきろう」と思わず口走ってしまった。

 

しゃべる内容よりも、まずしゃべってしまったですね。

51年ぶりです。

タハリール広場にも51年ぶりのお爺さんがいたんだろうなぁ。

 

      *      *      *      *      *

 

いやあ、その場にいたら、ものすごい感動だったでしょうね。「何かがおりてくる」とき、ですね。大事、大事。

 

(トニーネ)

 

6月12日 うのさえこさんのスピーチ

ママ原メンバーで、福島から避難中のママ、うのさえこさんが、広島のデモで訴えました。

 

          *         *      

 

福島原発震災が起きて3ヶ月が経ちました。

この3ヶ月、全ての人が、ひとりひとり、懸命に生きてきました。

 

目を凝らしましょう。見えない放射能に。45日までに放出された放射性物質は63万テラベクレル。チェルノブイリ事故の3分の1、広島原爆約200個分の放射性物質が環境中に解き放たれてしまいました。そして毎日、空へ、海へ、大地へ、大量の放射能が流れ出ています。それは生き物に入り込み、蓄積しています。

 

目を凝らしましょう。今、生命を削りながら必死の作業を続けている人たちがいます。年間被曝限度はこれまでの5倍に引き上げられました。線量計も足りず、内部被曝の検査もされず、大量の被曝を強いられ、恐怖と疲労の中で、私たち社会の命運を賭けて働く人たち。愛する息子が今日も原発復旧作業のために家を出て行くのを、たまらない気持ちで見送る母親がいます。

 

目を凝らしましょう。今、たくさんの人々が、被曝を強いられて生活しています。 チェルノブイリ事故後、強制避難区域となった地域と同じレベルの汚染地域で、人々が普通の暮らしをするようにと求められています。赤ん坊も、子どもたちも、放射線を浴び、放射性物質を吸い、飲み込み、暮らしています。学校に子どもを送り出した後、罪の意識にさいなまれ、涙を流す母親がいます。大人たちは、子どもたちを守るための方法を必死に探しています。年間20ミリシーベルトという途方もない値。親達は教育委員会にも行き、県にも市町村にも、そして厚労省にも行き、不安を訴え、子ども達が被曝から守られることを求めました。自ら放射線量を測り、校庭や園庭を除染しました。防護のための勉強会を開きました。給食は安全なのか、プール掃除は、夏の暑さ対策は、これまでの内部被曝量は・・・考え付く限りのことをやっています。子どもを疎開させた親もいます。情報が錯綜する中、家族の中に、地域の中に、衝突や不和が生じています。

 

耳を澄ましましょう。赤ん坊の寝息、こどもたちの笑い声に。この世界を信頼し、裸で産まれてくる赤ちゃん、世界の全てを吸収して日々成長する子どもたち。私たち大人はそれにどう応えるのでしょうか。

 

耳を澄ましましょう。木々のざわめき、かぐわしい花に集まる虫たち、海を泳ぐ魚たち、山や森に暮らす動物たち・・・生きとし生けるもの全ての声に。

 

耳を澄ましましょう。まだ生まれぬ生命たちのささやきに。私たちの生命が希望を託すこの小さな声たちがなんと言っているのか、聞き取れるでしょうか。

 

耳を澄ましましょう。生きている地球の鼓動に。私たちは、動く大地のうえに街を建て、一瞬の生命をつないで生きてきました。次の巨大地震はいつ、どこに来るのでしょうか。

 

耳を澄ましましょう。自分の心の声に。

 

私たちの故郷は汚されました。

もう二度と、3月11日以前に戻ることはありません。

海にも空にも大地にも、放射能は降り注ぎました。

 

私たちは涙を止めることはありません。

こんなに悲しいことが起きたのですから。

心から泣き、嘆き、悔やみ、悼みます。

私たちは涙を恐れません。

私たちが恐れるのは、嘘です。幻想の上に街を再建することです。人々が被曝し続けることです。そして声なき無実の生命たちの未来が、失われていくことです。

 

私たちは変化を恐れません。

恐れるのは、悲劇を直視せず、悲劇を生み出した社会に固執し続けることです。

大きなもの、効率、競争、経済的利益、便利さ・・・そうしたものを、私たちは問い直します。科学も数字も全て、私たちの生命のために奉仕するべきであって、逆ではありません。

 

私たちは、別のあり方を求めます。無数のいのちの網目の中で生きる、私たち人間のいのちを守る、別の価値観と社会を求めます。

私たちの中の「原発」に、私たちは気づいています。

私たちはそれを、乗り越えていきます。

私たちは声をあげ続けます。

私たちは、行動し続けます。

人間性への深い信頼を抱き、限界なく、つながり続けます。

 

再び、目を凝らしましょう。未来の世界に。人々が放射能におびえることなく、被曝を強いられることもなく、地球という自然に調和しつつましく豊かに暮らす世界の姿に。

 

今日皆さんと歩む一歩一歩の先に、そうした未来があると信じています。

 

広島市 原爆ドーム前にて

2011611日 うのさえこ

 

6月12日 埼玉県への署名を集めることにしました

ティナ@2人の子どもと共に、福岡に避難中です。

来月には育休が終わるので、埼玉に帰らないといけません。

 

赤ちゃんである次女を母親が引き離すのは可哀想なので、やっぱり連れて帰りたい

でもTwitterで、埼玉県内の保育園の土壌を自主計測したママから、規制値を越える値が出ていたことを聞きました。そのママは現在、お子さんと沖縄に避難しているそうです。

家ではいくら気をつけても、保育園が対策をとってくれないと、子どもと一緒に埼玉で暮らすことはできない。

そう思って在福岡のまま、埼玉県への署名を集めることを計画しました。

 

降ってくるものは止められないけど、本来なら避けられる被曝をさせたくない。 

将来、子ども達に「なんでお母さんたちは、その時に何も言わなかったの?」と聞かれて答えに窮したくない。 

 

ちょうど来月は県知事選があるので、タイミング的にもチャンスとみました。 

子どもへの被曝対策を争点に浮上させられたら、他県の首長も多少は意識すると思うのです。

 

自分が行動を始めると、県内で協力して下さる方も次々に出て来てくださいました。

署名を集めることと並行しながら、埼玉県議会への要望、選挙前の公開質問状、被曝に関する学習会など、やれることは何でもやっていこうと思っています。

 

自治体を動かしたいのももちろんですが、署名活動を広げることで埼玉県内で、子どもの被曝対策への関心を高めたい、という狙いもあります。 被曝慣れ(?)や、諦めの風潮を変えたい!

あと、不安を抱えてる親が孤立してる現状がよく分かったので、「1人じゃないよ!」と伝えたいのです。

 

どれだけの広がりを作れるのかは分かりませんが、とにかくやってみます!

 

署名フォームなど完成しましたらこちらにもまたメールいたします。ご協力いただけると嬉しいです。

 

(ティナ)

 

6月11日 子どもが鼻血を出した

太宰府市に住むミツノンです。

ここ最近、家事の合間を縫って、少しづつですが放射線の勉強を進めています。

 

ネットで検索して、調べるのが主ですが、

読むだけでは、なかなか頭に入っていかないみたい。

それで、これはと思った記事や文章は、

日付つきで、ノートに書き写しておりました。

 

 

5月19日

ー原発情報ー

 チェルノビルでは、最高で1平方メートル当たり380万ベクレル。

(148万ベクレルで強制避難)

原発から北西40キロの飯館村で、2000万ベクレル。

 

148万ベクレル以上 → 強制避難

~55万5000   → 強制移住

~18万5000   → 希望者は移住を認める

~3万7000    → 放射能管理が必要なエリア

 

*メモ*

 日本の表面積は、地球の表面積の0.07%

 全世界の原発の約13%が、この国土に密集している。

 

 

五月の終わりごろ、週末、

夜、長男(5年生)が、鼻血を出した。

なかなか止まらず、

「鼻糞でもほじったの?」

と、訊くと

「いいや、ほじってない。

いきなり出てきた」

と、答えた。

翌朝、再び鼻血。

耳が痛いという。

見ると、右耳の下が赤くプッくリと膨れている。

長男は時たま鼻血を出す子だけど、

耳の下が腫れているのは、初めて見た。

 

六月の頭ごろ、

長女(3年生)が、学校から帰ってきた後、鼻血を出した。

突然出てきたという。

 

今週の中頃、

次女(6歳)が、近所のスーパー近くで、小学生のともだちとたたずんでいた。

雨にぬれていた。

翌日朝、耳が痛いと言った。

見ると、左耳の下が硬く盛り上がり、うっすら赤く腫れている。

数日後、腫れはひいた。

 

三女は今のところ、何もない。

 

思えば、小学生二人は、家では長年牛乳を飲ませていない。

学校給食では毎日飲んでいる。

家での食事の違いと言えば、これくらい。

肉類も、鳥肉なら調理して夕食に出す。

牛肉豚肉は、調理の際、臭いアクがたくさん出るので、

自分からは買わない。(でも、ときたまひき肉を買うことは、ある)

 

(ミツノン)

 

6月10日 福島を助けてください

 

福島県福島市から福岡に避難し、今、私事で生まれ故郷の宮城県に一時的に帰ってきているアメリです。今、現在の福島市の状況ですが、ママ達の悲痛の叫びが「子どもたちを放射能から守る 福島ネットワーク」のホームページのコメント欄から知ることができます。福島を応援する温かい方々からの応援メッセージも読むことができます。

 

ぜひ皆さんにも読んでいただき、福島のママ達の苦しみ、悲しみ、怒りを知り、そして皆さんの活力へと変えて訴えてください。玄海を止めることもとってもとっても重要です。並行して、今現在、放射能に苦しめられている福島を助けてください。福島のママ達は自分のことでいっぱいいっぱいです。

 

私も福島の自宅に子どもを連れて戻った日は、外で遊びたがる子どもをなだめ、暑いと勝手に窓を開ける子どもを叱り、測定器とにらめっこしながら家の中の除洗をし、たった一日だけだったのに精神的にも体力的にも苦痛でした。福島のママ達にこれ以上の負担を与えないように他県の皆さんが代わりに声をあげてください。特に今のところ地震も放射能も心配のない九州の皆さんの力が本当に必要です。宜しくお願いします。

 

福島の自宅を出る時に4歳の娘が急いで私に庭に咲いていたシロツメクサを「ママにプレゼントだよ!」ってとってくれました。いつも部屋の片隅に飾っていた草花、嬉しいはずの想いが、放射能が手についたかもしれない、早く車に乗せなきゃと焦りでしかありませんでした。小さな子のこんなほんわか優しい想いをも放射能はかき消します。放射能が本当に憎くてたまらない。

 

皆さん、とにかくとにかく、福島を守ってくださいね。本当に本当に本気で宜しくお願いします。

 

もう少しで福岡に戻ります。そしたら皆さんで顔合わせ、意見交換の集会を開きたいですね。

 

これからもどうぞよろしくお願いします。

皆さんに会える日を楽しみにしています。

 

読んでくださって、ありがとう!!感謝します。

 

(アメリ)

6月9日 東京のお母さんからのお便り

トニーネが東京にいたころのママ友、ヒギーから、こんなメールが来ました。

 

      *      *      *      *      *

 

東京では危機意識の高いママを探しながら輪を広げようと頑張ってます。

 

先日友人に『子供の居場所の放射能値測定に関する署名』を

頼まれたので私も協力することにしました。

 

幼稚園の庭の数値も気になってたので園のママの協力を得ようと

園に許可を取って署名をもらえるように園長に掛け合ってみました。

 

園内でなく、お母さん達のネットワークで行い園の外で署名するなら大丈夫と許可を得ました。

 

署名をやると中には積極的に活動を協力してくれるママも居たのでやって良かったなと

安堵してたのも束の間、次の朝に園長から指導が入りました。

 

『いろいろな意見のお母さんが居ますので、園から見えない場所で行ってください。』と・・。

 

もう秩序とか組織にとらわれている場合じゃないのに。

3.11以前と変わらない常識に縛られている親の意見に逆に驚きを隠せません。

そういう人達は今、何を優先して生きているんだろうって・・・。

 

安全かどうか確認もされてない園の庭で遊ぶ子供を見て悲しいし落胆してしまった。

 

他の園でも、署名活動をしたママに対して他のママから注意があったと聞きました。

 

園での活動の中で不安になる行事もいくつもあるけど、

声に出してるママが居るのか居ないのか・・・。

放射能の話は公の場では全くされてない状態。

まるで原発事故すら無かったかのような状態で行事も進んでいる。

 

疑問を持っても声を上げないと意味ないのに、周りの目を気にしてか、無関心なんだか、

みんな生きながら眠っているように見えて怖い・・。

ママの間ですら戸惑うほどの温度差があり余計な部分でエネルギーを削られてしまう状態。

 

東京に居るからには少しでも子供に被曝させない努力をしたいと思うけど、その対策に関しても

やってる、やってない、どの程度してるかで結局最後は対立的になり放射能の話は、

更にものすごく気を遣うのが現状。

 

放射能という人間の五感では感じないものに対して個人的に長期的な対策をするのは

とてつもなくストレス。

『目に見えない→目の前に無いもの』に変わってしまう。

大半の人は心身共に疲れてしまい、覚悟を決めて向き合うより『どうせ全部防げないから』と

全てのスイッチを切って普段と変わりない生活に戻っている人が多い。

 

     *     *     *     *     *

 

東京を離れ、残してきた人たちに申し訳ない気持ちのトニーネでしたが、

ヒギーからは「がんばってくれてると思うと元気出る」って、逆に励まされました。

彼女が今参加してる活動は、おひさま会http://ohisamakids3.jugem.jp/だそうです。

一緒に、がんばっていきたいね。ありがとう。

 

(トニーネ)

 

6月2日 放射性物質を除去するイメージビデオ

久留米市の医師西村靖子さんのお話会で

放射能対策のビデオを教えてもらいました。

見たり音や振動で体内に含まれた放射性物質を除去できるそうです。

その映像はアメリカのミネラル社が医療用に開発したものです。

不思議な映像と超音波の様な音に振動を感じれます。

 

子供と一緒にかけ流すと良いそうです。

でも子供には「これは、放射能が・・」って説明はしないでね!と言われていました。

そういうイメージが残っちゃうそうです。

 

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=WS_7kjj3X6A

 

(チキチータ)

5月30日 トミナガマイさん、米原幹太くんのお話会に出席して

今日、お昼に開かれたトミナガマイさんのスライドショー&米原幹太くんのお話会に

エリーとトニーネも出席してきました。

 

音楽や詩や写真を見たりする中で、

「てんごくのおきゃくさま」という絵本の朗読がありました。

原発問題をテーマにした、30年前の絵本でした。

あらすじを軽く説明しますと・・・

 

         *      *      *      

 

天使たちがお空で遊んでいると、変わった天使たちがお空に上ってきました。

それは、原発の事故によって、お母さんたちのおなかにいられなくなってしまった、

人間や動物たちの天使でした。

 

そして、原発によってどんな悲惨なことが起きているか、

変わった天使たちが説明をするのです。

 

「この状態をどうしたらいいだろう?」

 

天使たちは考えて、子どもたちに、

「原発をつくらないように」という、手紙を届けることにしたのでした。

大人たちが、子どもたちを通して、そのメッセージを受け取れることを願いながら。

 

PCからはhttp://plaza.rakuten.co.jp/hatenaisya/diary/201103140001/

携帯からはhttp://blogs.mobile.yahoo.co.jp/p/blog/myblog/content?bid=monwingaji&id=35282799

 

         *      *      *      

 

トミナガマイさんの写真を見ながら、

その絵本の朗読を聞いていると、本当に胸が詰まる思いでした。

 

放射能の影響を一番受けるのは、子どもたちだと言われています。

チェルノブイリでも、胎児や6歳までの子どもたちに、

10年、20年後、奇形や白血病、甲状腺がんなどが多発しました。

 

危険区域にいる子どもたちを避難させることなく、

2000ベクレルという高い基準の食べ物を流通させている、

今の日本政府の対応を見ていると、

日本でこうした天使たちが生まれてしまうことは、

時間の問題ではないでしょうか。

 

チェルノブイリを超える汚染を受けながら、

日本だけは、チェルノブイリのようなことが起こらないと思っているかのような対応。

その異常さに、正直、震撼します。

 

私たち大人は、何ていう社会を作り上げてしまったんでしょう。

今、お母さんたちのおなかの中で苦しんでいるかもしれない子どもたち、

もう生まれることをあきらめてしまった子どもたちに、

何と謝ったらいいんでしょう。

 

そのあとのお話の中で、

20歳の米原幹太くんが言った言葉も、胸に突き刺さりました。

 

「子どもたちの未来を考えない、どんな行動も大人のエゴだと僕は思う」

 

何で原発があるの? そんな危険なもの、いらないじゃん。

子どもの視線から見たら、とても当たり前の公式が、

大人たちの世界では、主張するのがなぜだかとても難しいことになっています。

 

絵本では、天使が子どもたちに手紙を託しました。

でも、それは本当のことで、子どもたちは一人一人が、

存在している、そのことだけで、天使からの手紙を日々、

私たちに届けてくれている、と思いました。

 

大人中心の世界では、子どもは力がなく、半人前だと思われているけれど、

子どもから見て、当たり前のことが、

当たり前になっている社会のほうがきっといい。

なぜって子どもは、天使からの手紙を託されている存在だからです。

 

そんな子どもに、被爆を強要し、

学校や園に通わせるような国なんか。

そんな国に、未来があってたまりますか。

 

ちょっと過激だけど、そんなふうに思えます。

 

東京でも、低線量被曝が始まっていると、

ジャーナリストの木下黄太さんがブログで書いておられました。

福島から200キロ離れた場所でさえ、そんな状態なのです。

 

何ていう世界を、私たちは子どもたちに残してしまったのでしょうか。

言葉になりません。

 

(トニーネ)

5月27日 金が命を上回ってる

ママ原の立ち上げにも関わり、30日にはトミナガマイさんのスライドショーでもお話をする、米原幹太くんのmixi日記

 

      *      *      *      *      

 

「若者が動こうとしている。」 

コミュニティをつくりました。 

 

after311 

どうすんだよ?若者は

 

同世代として、 

みんなにanswerを求める。 

 

若者が若者へ発信していく。 

この行為に、 

とことんこだわろうと思う。 

 

すでに 

生まれてしまった 

これから 

生まれてくる 

次の世代に、 

本当に申し訳ない。 

 

黙って 

黙って 

静かに 

静かに 

死んでいく 

この島 

 

子供が死んで 

未来は無くなり 

金が無くなり 

未来は拓ける 

 

この関係性 

みえる人が何人いる

 

資本主義という 

病はもはや病ではなく 

 

生きるために 

息をする 

食べる 

飲む 

 

これら 

生きるための事象 

 

資本主義はその中に 

金を稼ぐ 

を生み出した 

 

金があったら生きていける 

Why? 

 

金があっても食べ物無い 

はい。死んだ 

 

日本人この民族は 

金がない世界を 

全く想像できない 

頭の片隅にもない 

 

だから 

滅びると思う 

 

311 

起こった 

はっきり 

わかった 

 

日本人 

この民族 

金が命を上回ってる 

 

前々から感じてた 

違和感は正しかった 

残念 

 

アジアの片隅 

「資本主義」の 

完璧なモデルケースが完成 

 

それが、日本州です。 

 

武力で支配 

もう古い 

金という概念で支配 

回りくどく 

ねちっこく 

静かに 

静かに 

手を回されて 

吸収された 

しかし 

誰も気づかず 

気づいた人は 

爪弾き 

口にだせば 

首が飛び 

タブー恐れて 

何もいわず 

面倒くさいから 

無関心 

結果は 

原発爆発 

起きても 

無関心 

相変わらず 

疑問を抱けど 

かみ殺し 

不安を煽ると 

真実見ずに 

TVを見て 

笑ってな 

ここに、 

小中高、大学 

管理教育の成立をみました。 

 

意図的なシステムが、 

日本の風俗、 

人格までに密接に絡み込んでいる。 

 

金を稼いで使うことが染み着いて、この性から死ぬまで離れられない。 

 

なぜなら、息をするのと全く同じこと。 

息をしなかったら死ぬ。 

これと同じ。 

 

自分自身を、否定したり、問いつめたり、ある一定の自分を越えたり。 

 

してきて無いと、この日記は解読不可能なのかもしれない。 

 

そして、 

そんな人が 

一般常識者的視点の異常な人。 

 

ぼくからみたら 

当たり前の人。 

 

言い訳ばかりして 

良いわけがないと 

自分に言い聞かせて 

戦うやつが少ない 

 

そんな気がするよ

 

とか、思うから

正直に言うわけよ。

過激と言われてもね~(笑)

 

      *      *      *      *      

 

最近「幸せの経済学」っていう映画を見ました。 
私も、最近まで、金がないと、って思ってた人間の一人。

 

幸せでしたか?って自分に聞いてみた。 
いつも誰かと争って、 
蹴落とさなきゃ落とされるっていう、恐怖ばかりで。 
何の肩書きもなくなった今のほうが、よっぽど幸せだ、と思う。 

今の私の使命は、子どもを守る、それだけ。 

今も、多くの人が、やっぱり「命よりお金」って思ってる。 
原発が必要だって思ってる。 
この日本で、彼らもきっと、 
私がやってた戦いを、今も繰り広げているのかなって思う。

聞きたくないことに耳をふさぎ、 
見たくないことに目を閉じている人に、 
真実を伝えようとする人は、 
いつの世だって、煙たがられてきた。 
ソクラテスだって殺された。 

煙たがられてもいい、 
そういう人たちの戦いが、早く終結するように、 
応援する自分でありたいと思う。 
もちろん、自分の戦いも、まだまだ続くわけだけれども。

 

(トニーネ)

5月25日 本当にどうしたらいいかわからないよ

ママ原勉強会の講師にも来ていただいた、平和学の専門家、足立力也(通称リッキー)さんの日記

 

      *      *      *      *      

 

 行ってきたよ、見てきたよ、フクシマ。 

 マジヤバいよ、フクシマ。 

 まず、マイミクsaikomsさんからガイガーカウンターを借りる。 
 もともと、このガイガーカウンター、アラームがなるデフォルト値が0.3μSv/h。 
 福島駅でその値をあっさり超えた。 
 駅前東口の空間線量率で1μSv/h。 
 いきなりピーピーなりだす。 
 周りには、普通に駅の利用者がいる。 
 慌てて、早速アラームの閾値を2μSv/hに設定し直す。 
 んで、同じ東口で、側溝の上に近づけてみると、一気に3μSv/h超え! 
 またもピーピーピーピー、アラームが鳴りだす。 
 ひええ! 

 

 ※参考までに。 
 1μSv/h=年間8.76ミリシーベルト。 
 3μSv/h=年間26.28ミリシーベルト。 
 いわゆる「20ミリシーベルト問題」を軽く突破のヤバすぎる値! 
 福島市もこりゃアウトだよ。 

 海岸線。 
 新知町~相馬市~南相馬市まで走破。 
 海岸から内陸数キロにわたって、マジで真っ平ら。 
 もうそれは見事なほどに、真っ平ら。 
 2カ月たってんのに、復旧どころか、片付けすら終わる気配がない。 

 街中、田んぼ、屋根の上。 
 船があちこちに転がってる。 
 小舟なんかはもちろん、結構なトン数ある船も陸の上。 
 普通の重機なんかじゃ絶対持ち上がらん。 
 どーすんだコレって感じ。 
 相馬市松川浦の漁港付近は、まだ信号も復旧してない。 

 イラク支援ボランティアの高遠菜穂子さんが瓦礫撤去のボランティアをしている

 南相馬市の現場もお邪魔した。 
 おばあちゃんの一人暮らしのお宅。 
 線量計を持って行ってたので、あちこちはかってくれと頼まれる。 
 家の中、側溝、蔵の中、そして畑。 
 特に、畑で作っている野菜を食べてもいいかどうか、心配していた。 
 畑の地表は0.6μSv/h。 
 ちゃんとベクレル値で測ってないから正確には分からんが、 
 そんだけ出てたらやっぱやめたほうがいいよな、ってんで、 
 食べないことにした、と後から連絡を受けた。 

 そして、件の飯舘村へ。 
 南相馬市・原町区は平均して0.22μSv/hくらいだった。 
 それが、八木沢峠を越えて飯舘村に入ると、突然線量率が上がる。 
 一気に1→2→3μSv/hへ。 
 アラームがけたたましく鳴りだす。 
 上述したように、いわゆる「20ミリシーベルト」で考えてもアウト。 
 めんどくさいので、アラームの設定値を6μSv/hに設定し直す。 
 役場前も3μSv/hくらい。 

 我々が役場に着いた時、幼児を乗せた幼稚園の送迎バスが 
 ちょうど出て行くところだった。 
 早く逃がせ、アホたれ!!! 

 菅野村長とも面談。 
 やつれた表情、うつろな目。 
 ダメだ、こりゃもう精神的に疲労しすぎだ。 
 対応能力を失っている。 
 ちょうど長野県中川村の曽我村長からケータイに電話が入る。 
 どうも、俺のツイートを見て、俺が飯舘村にいることをつかみ、 
 連絡してきたようだ。 
 「こっちにも村営住宅で受け入れるよって菅野村長に連絡してるんだが、 
 返事がないんだ。聞いといてくれないか?」 
 早速菅野村長に聞いてみると… 
 「申し出はありがたいが、そういう話をたくさんいただいている。 
 ひとつひとつに返事を出せる状況じゃない」 
 「今電話があったばかりなので、コールバックしますけど」 
 というと、おおきくかぶりを振って 
 「いや、いい、いい」。 
 ダメだ、行政単位では村人を救えない。 
 同日夜、中川村・曽我村長に電話、事情を説明。 
 曽我さん「一本釣りしかないか…」 
 行政という枠にとらわれない曽我さんの行動力に期待。 
 そして菅野さん、責任感は分かるが、1日でも休んだほうがいい。 
 今の状態では村民が犠牲になる。 

 役場を後にした我々は、村の方の案内で、飯舘村一番の「ホットスポット」へ。 
 長泥(ながとろ)地区というそうだ。 
 そこに行くには、役場から峠をひとつ越えるのだが、 
 そこを越えた途端、ガイガーカウンターのアラームがピーピーなりだす。 
 外に比べて車の中の線量率は4割減と言われている。 
 それでも6μSv/hを超えたってことは…外は10μSv/hくらい!? 
 やってられん、アラーム閾値を10μSv/hに設定しなおしじゃ! 
 長泥地区に到着。 
 車外に出ると、あにはからんや、またもアラームが… 
 数値を見ると、12μSv/h。 
 ここまでいくと、もう殺人的。 
 年間で換算すると、100ミリシーベルトを超えてる。 
 原発の現場労働者が通常認められている「5年間の積算線量」が 
 100ミリシーベルト。 
 そして恐ろしいことに、まだそこに人が住んでる!!! 
 9割は逃げたが、逆に言うと1割まだ残ってる。 
 実際、焚火をしている女の人を見かけた。 
 マスクはつけてたが、ここまで高いと、マスクなんかもう意味がない… 
 いや、内部被ばくを考えると、せんよりマシだが、そんなことを 
 議論するような値じゃない。 
 人生諦めないで欲しい…。 

 しかしいろいろあるのだ、特に飯舘村の避難問題は。 
 なだけにもどかしい。モヤーっとする!!! 

 で、その長泥地区でもとびきりのホットスポットへ。 
 案内役のAさんが「ここ測ってみましょうか」 
 ある雨どいの下にガイガーカウンターを置くと… 
 あっという間に値が上昇、軽く500μSv/hを超える!!! 
 年間になおしてみてみそ。 
 500(μSv/h)×24(時間)×365(日)=43800000μSv。 
 =4380ミリシーベルト。 
 =4.38シーベルト。 
 2時間いれば、普通の人が浴びていい年間の限度を超える。 
 本当はガイガーカウンターをじっくり置いて計測しないといけないのだが、 
 とてもそんな悠長なことをしてられる現場じゃない。 
 実際は500を軽く超えてるようだ(写真参照)。 

 ひとつ確認しておきたい。 
 「放射線管理区域」というのがある。 
 簡単に言うと、「普通の人は入っちゃいけませんよ」という場所。 
 一番身近なのが、病院のレントゲン室。 
 この区域では、いろんな規則がある。 
 例えば、モノを食べちゃいけない、飲んじゃいけない、液体や塵を 
 床に落としてはいけない(ちょっとでも落とそうもんなら必死こいて除染して 
 始末書書いて上司に「すんませんでしたー!!!」と頭を下げまくらねばならない)、 
 そして決定的なのが「子どもを入れてはいけない」。 
 その「放射線管理区域」に指定される基準の値が、 

 0.6μSv/h 

 なのだ。 
 600μSv/hってことは、その1000倍!!! 
 どんだけめちゃくちゃな値か、これで分かると思う。 

 ついでに(?)ベータ線も測ってみた。 
 普通、そこらへんではベータ線はほとんど検出されない。 
 これまたぐんぐん値が上昇、ヤバい、ここに高濃度の放射性物質がある! 
 いや、そんなもんはガンマ線の線量率から分かっちゃいたけど、 
 ベータ線の収束量を見て寒気が走った。 
 とっとと尻尾巻いて逃げたさ。 
 それが普通の心理ってもんです。 
 それに慣れてしまった、慣らされてしまった飯舘村民… 
 マジでヤバいよ。 
 どうやって逃げてもらうか…なんという難題。 

 ちなみに、その村民たちが要求しているのが、「ホールボディカウンタによる 
 被曝測定」。 
 全身の被曝量を検査するもの。 
 原発の作業員たちが、作業後毎日測定するヤツです。 
 これによって、どんだけ被曝したか、あらかじめデータをとって、 
 本人がそのデータを持っていることが、今後非常に重要になってくる。 
 後でガンなどを発症した際に、被曝が原因だと証明するためです。 
 それを政府に要望しているのだがあっさり蹴られたそうだ。 

 それはもうヒトゴロシだよ。 
 どうにかこの要望を飲まさないと、飯舘村民が放射線被害症例の 
 モルモットにされてしまう。 

 実際、ある意味手遅れな部分がある。 
 一番被曝量が大きかったのは、おそらく例の「水素爆発」の後。 
 その時に大量に出たヨウ素は、もう検出できなくなってしまった。 
 放射性ヨウ素自体は検出できないくらい放射能が小さくなっても、 
 その時にくらった影響は後々まで続く。 
 その「証拠」がもう分からなくなってしまったのだ。 
 しかし、できるだけ早くホールボディカウンタによる被曝量検査をすることで、 
 少しでも後の補償などで正当な権利を得られる。 

 どうにかせにゃ!!! 

 平和学という学問=科学をつかさどる立場として、 
 これだけは断言しておかねばならない。 
 これはマジで戦争だ。 
 原発の作業員は、前線に送られる兵士と一緒。 
 放射線という弾丸がびゅんびゅん飛び交う中に突撃させられる。 
 その弾丸がびゅんびゅん飛び交う戦地を逃げなければならない避難民。 
 統制された情報。 
 抑制された行政。 
 何もかもが、戦争と全く同じ構図なのだ! 
 違うのは、普通の戦争は、戦ってるヤツら同士が話し合って和平すれば、 
 人が死ぬのもモノが壊れるのも終わるが、原発はそうはいかないってこと。 
 原発は話し合いになんか応じてくれない。 
 決して和平することのない相手と戦わねばならない、 
 戦争以上にタチが悪い究極の戦い、それが原発震災、原発事故なのだ。 

 ありとあらゆる危機感てんこ盛りの被災地訪問だった。 

 

      *      *      *      *

 

こんにちは、アメリです。

リッキーさんの日記、読みました。一応補足しておくね。

 

飯館村は今は計画的避難地域に指定されていて、早かれ遅かれみんな避難できます。

でも残っている人は自分の都合で残っている人も多いようです。

子どもや妊婦はいち早く逃がしているよ。

 

村長さんは一生懸命やっています。

村長が動けないのは、勝手にやれば保証をしてもらえないからだよ。

国が悪いのです。

村長も組織にいる以上、国には逆らえない、国が早くここへ行けと言うべきなのです。

そして私たちもヒドイと見ているだけではダメ。

知った情報をもとに国や福島県に訴えてください。

 

私からして見れば、計画的避難地域に指定された飯館村はうらやましい。

福島市や郡山市や二本松市なんかはそれこそほんとに逃げたくても逃げれないのです。

子どもたちがたくさん残っているの。

もう本当にどうしたらいいかわからないよ。

 

とにかく訴えるしかない。

デモも玄海を止めてっていう前に

福島県をもっともっと応援するデモにすれば良かったって後悔してる。

 

6.11のデモでは福島県の20ミリシーベルト撤回を強く強く訴えてほしいなと思います。

みんなー、よろしくね。

提案してください。

 

私は口だけで何もお手伝いできなくてごめんね。

早く自宅をなんとかします。

 

今日も頑張りましょう。

ありがとう。

 

(アメリ)

5月23日 仕事に復帰しようか迷っています

4月の第1回のパレードに参加したティナです。

 

私自身は、4月末にさいたまの自宅に帰ってみたのですが、やはり子どもの被ばくが避けられないと思い、福岡に戻ってきました。

 

一番、危険だと思ったのは保育園です。「さいたまは値が高くないから」という理由で、外遊びも通常通りだし、給食の食材も牛乳も、近隣の県のものが出されています。

 

職場の永田町にも行ってみましたが議員会館の地下2F室内でも、0.14マイクロシーベルトもあり、ショックでした。測定器を持ち歩いている先輩に聞いたら、都内のオフィスで仕事して帰るだけでも、1日の累積は3マイクロシーベルトに達することもあると言っていました。

 

子どもたちは、さいたまに戻さない方がいいとは思っていますが、私自身はどうするべきか。永田町で仕事に復帰した方が、多くの子どもたちを守るために何がしかの役にたてるのではないか?と迷っています。次女にもっと母乳もあげたかったし、3人目もほしかったのですが…

 

(ティナ)

5月22日 昨日のパレードのご報告

今回は、道路申請もしない、ほとんど告知もしない、

こじんまりしたパレードをしようということで、

ふたを開ければ、集まったのは約十数名(うち子ども3人)でした。

 

いつもの、緑マントにひまわりの造花を頭につけた10人組。

最初は公園の人たちに、署名を集めたり、お話をしていました。

そのうち、某団体と重なりそうになったこともあり、

急いで公園をおいとまし、歩き始めると、

中央署の方々がやって来られて、

「プラカードはだめ」、「垂れ幕もだめ」・・・。

 

今回のパレードでは、全国でもママパレードが広がることを願い、

「いかに手間のいらない、効果的なパレードが組めるか」

というところに焦点を絞ってみたのですが、

「道路申請」は欠かせないようだ、ということは一つわかって良かったです。

(当たり前だろ!笑)

 

道では、ラジカセで音楽をつけながら、

「原発いらない」

「子どもを守ろう」

「電気は足りてる」

「今こそ変わろう」

「日本を変えよう」

というコールや、メッセージをしながら歩きました。

 

道の途中では「がんばれよ!」という声も何回か聞こえて、

初めての経験だったので、とてもうれしかったです。

確実に、脱原発の賛同者は増えているんじゃないか!と思いました。

 

ミーティングは、いつもならドタバタなのですが、

久々に心行くまで語り合うことができ、

本当によかったです。

これから、ママ原として何をしていったらいいのか。

いろんな青写真が描けました。

 

・もっと地域のママたちと交流を深めること

・東北、関東からの避難者の受け入れ先を議員に訴えること

・このHPを充実させていき、原発の問題を初心者でもわかりやすいものにしていくこと

・全国の脱原発ママ団体の活動をまとめたHPを作成すること

・ママ原の活動内容を、映像として配信していくこと

等々。

一つ一つ、具体化させていこうと思います。

 

そうそう、ミーティングが終わった後、カレーを食べに行ったのですが、

その道すがら、3歳のうちの子Tが拡声器を持って、

「Tちゃんは、東京から避難してきました。お願いします」と言いました。

それだけでもびっくりだったのですが、

すると、今度は少しお姉ちゃんのSちゃんが、

「Sちゃんは、原発いりません。お願いします」。

それを聞いたうちの子が、

「Tちゃんは、東京いりません。お願いします」。

 

かわいい演説に、道行く人たちも笑っていました。

 

(トニーネ)

5月21日 母乳から放射性物質

 市民団体「母乳調査・母子支援ネットワーク」は518日、厚生労働省で記者会見をし、独自に母乳を民間放射線測定会社に送り分析した結果、福島、茨城、千葉在住の5人の母乳からヨウ素が、また、福島、茨城、東京在住の4人からセシウムが検出されたと、データを公表。国や自治体に対し、全数調査を行うように訴えた。

 

 母乳の検査は、前回4月21日に公表した9人に加え、新たに福島県、茨城県、千葉県、栃木県、東京都在住の母親計40名から母乳の提供を受け検査をした。検査の結果、茨城県土浦市在住の母親からは、1キログラムあたり、セシウム1378ベクレル。福島県福島市の母親の母乳からは、セシウム134 5.1ベクレル、福島県西白河郡の母親からは、セシウム1344.8ベクレル、セシウム1375.7ベクレル。福島県いわき市の母親からは、ヨウ素131 5.5ベクレル。東京都三鷹の母親から、セシウム1374.8ベクレル検出した。

 

 17日発表された政府の調査では、母乳から放射性物質が検出されなかったとされているが、5月になってもヨウ素が検出されていることから、福島第一原発の 放射性 物質の流出が止まらない限り、母親が新たに放射性物質を摂取する可能性は否めない。東京在住の母親からもセシウムが検出されていることから、母乳調査・母子支援 ネットワークの発起人で四日市大非常勤講師の河田昌東さんは「特定はできないが、食べ物、飲み物が原因と考えられる。今後広い範囲で母乳の放射線汚染が出てくる可能性もある。さらに多くの調査を国や地方自治体が実施する必要がある」と訴えた。河田さんによると、母親が摂取した放射性物質の20%が母乳に入るのだという。

 

 日本の食品の暫定基準は、飲料水/牛乳・乳製品が、ヨウ素で1リットル300ベクレル以下、セシウムでは1リットル200ベクレル以下と定められているが、1リットル、ヨウ素、セシウムともに1リットル10ベクレル以下としているWHOの基準より、20倍から30倍緩い基準となっている。また野菜に関しても、日本では1キロあたりヨウ素は2000ベクレル以下、セシウムが500ベクレル以下とされているが、欧米の基準は1キロあたりセシウムは370ベクレル以下とされている。日本が食品を輸入する際の基準値も同じ370ベクレルとなっている。

 

記者会見の動画はこちら→Our Planet-TV http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1055 

 

 ドイツ放射線防護協会・日本における放射線リスク最小化のための提言、によると乳児・子ども・青少年は、1kgあたり4ベクレル以上で、成人は、1kgあたり8ベ クレル以上のセシウム137を 含む飲食物を摂取しないことが推奨されている。【転載終了】

 

   *   *   *   *   *   *

 

とても重いニュースだよね。

私も本当に心が痛い。

私は19日に福島で行われた記者会見に応援にかけつけ、

そのまま参加させてもらって発言させていただきました。

質疑の中で、人数や数値は低いと見解する方もおられると思うがどうお考えか?と、、

私、耳を疑いました。そんなバカなこと言う人がいるの?悲しい現実だよね。

 

母乳ネットの方は淡々と答えていました。

確かに低い数値かと思う方がいるかもしれない、

けれど今その位出ていればもともとはもっと高かった可能性もある、

出ているという事実を受け止め対応していただきたい等々、、

 

私は気持ちを押さえきれずにマイクをお借りして、

私も現在まだ母乳をあげてる身としてこの事実は大変苦しいものであること、

5人も出ていることのどこが少ないのか、

一人でも大切な命、たった一人が出たとしても国は大きな問題として取り上げるべきだ、

と訴えました。

 

母乳から出た5人の方、未来を担う赤ちゃん達、その方達はどうなってもいいの?

少なかったら問題ないことなの?当事者じゃなかったら関係ないの?

悔しくて悲しくて怒ってます。

 

これからも私達はそのようなママ達も含め、苦しんでいるママ達を応援していこうね。

 

今日もありがとう。

 

(アメリ)

5月20日 福島に帰省して

お久しぶりです。
皆さん、お元気ですか?

祖父の初七日も無事に終わりました。

私がいる宮城県名取市は、仙台市のすぐ南、空間線量は高い所で0.6マイクロシーべルト毎時ありました。
私が滞在中の兄のマンションは11階のため0.1マイクロシーべルト毎時です。
私は場所によっては仙台市もとても危険だと感じています。

私達は料理にミネラルウォーターを使っています。歯磨きのうがいもミネラルウォーターです。
短期間の滞在のため頑張れますが、長期間いる方にとっては難しいですね。
私達でさえ、もうミネラルウォーター30本は使っています。

野菜は産地を選んで購入。
佐賀県産たまねぎにはずいぶんお世話になっています。
あとは海外産(なるべく有機)を選んで買っていますが、限りがありとても疲れる、、、。
福島や宮城にもスーパー0べクレルのお店がほしいです。

昨日は福島市入りしました。
福島と宮城の県境ですでに0.8マイクロシーべルト毎時はありました。
福島市街は1.5マイクロシーべルト毎時、、、これでもだいぶ低くなったんだよ、と主人に言われました。
現実を目の当たりにし愕然とすると共に怒りさえ覚え、悲しみの涙さえこぼれました。
美しかった福島は今はありません。

久々に自宅に戻りました。
壊れた窓の隙間からたくさんの虫が入り住みかになっていました。
クモの巣もはっているし、なぜか鳥の糞まで、、。
でもやっぱりホッとする。
マスクを外して思い切り空気を吸い込んで伸びをしたかった。
たくさんの思い出がよみがえり、被爆してもいいからここで暮らしたいとも思いました。
避難地域のお年寄りの気持ちが痛いほどわかりました。

でも私は大切な子ども達を守らなければいけない。福島市にはサヨウナラしなきゃね!
私の家からは福島市の夜景が一望できます。
この景色を二人一緒に見れるのは次はいつなんだろうね、、と主人と話し帰路につきました。

福島市民の様子は、話に聞いていた通り、みんな普通に生活しています。
0.7を越える場所で小さな赤ちゃんと2歳位の子どもを連れた若いお母さんが
マスクなしでお散歩をしていました、とても楽しそうに。
福島がいかに安全神話を作っているか、危険を知らせていないのかがわかりました。悔しいです。

福島でいつもお世話になっていた、天然酵母パン屋さんに
福岡から持って行った資料や冊子を届けに行きました。
ここのパン屋さんは原発事故前から脱原発を訴えていた仲間でもあり
県庁前にての座り込みにも一緒に参加したことのあるとても意識の高い方です。
福島の現状や避難したい方がいるかお聞きしたところ、
アトピーやアレルギーを持つお子さんがいるお母さんが避難したがってるとのこと、
福島では布団も洗濯物も外に干せない状況、窓を開けて掃除もできない、
アレルギーを持つ子はつらいですよね。

集団疎開ができる場所がないかと聞かれました。
福岡には廃校になった学校がたくさんあります。
そういった場所を利用できないでしょうか?

私達ができること、、
福島の方々にまず現実を知ってもらいたい。どうしたらいいのかな?
ガイガーカウンターを送るプロジェクトはとてもいいよね!
それからニーズに合った場所の提供。

それから、フクシマの事故を忘れず、
私達も長いスパンで活動していく必要があります。
ずっと訴え続けましょう。

また、報告しますね!
明日のパレード、楽しんでね!
たった一人でも原発の危険性や福島のことを知ってもらえたら
パレードをやった意味があると思います。
私はこちらで私にできることを頑張ります。

では、また会える日まで!
みんないつもありがとう。

 

(アメリ)


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