収束しない東京電力福島第1原発事故。放射線の子どもへの影響について専門家の見解が分かれ情報が氾濫する中で、母親たちの不安は広がるばかりだ。福島県では、精神的負担が日々の暮らしや家族の形までも変えている。
第1原発から60キロ以上離れた福島市。事故直後は放射線量が高く、今も「ホットスポット」と呼ばれる地域があることから、子どもを県外に疎開させる動きが止まらない。
夫と薬局店で働く原垣内(はらがきうち)眞実さん(37)のメモにはびっしりと、毎日報道される市内の放射線量が書き込まれている。一人息子の悠叶(ゆうと)君(3)が浴びた線量を積算するためだ。
事故直後、避難しようと訴える眞実さんに、夫の大地さん(37)は「患者さんを置いていけない」といい、悠叶君だけを広島県の夫の実家に預けることにした。原発事故は日々深刻さを増し、眞実さんは「もう会えないかも」と、息子の好きな食べ物や服を書いたメモに「やさしい大人になって」と添えて送り出した。だが悠叶君は祖母に「福島がいい」とせがむようになり、5月に連れ戻した。
以来、夫婦は悠叶君が浴びる放射線を少しでも減らそうと、店が休みの日には早朝から車のハンドルを握り、山形や新潟へ出る。安心できる所で息子を思い切り遊ばせ、深夜に戻る。休日だけ県外に出る「週末疎開」だ。毎週の遠出で経済的負担は増えたが、眞実さんは「やむを得ない」と言い聞かせる。
悠叶君が通う南福島保育園の丹治洋子園長(56)によると、最近は事故の長期化で疎開先から福島に戻る家族もおり、「せめても」と週末疎開する例が目立ってきたという。
一方で、放射線リスクへの考えがくい違い、夫婦間に溝を作ってしまった例もある。
5歳の一人息子がいる母親(36)は事故直後のニュースを見て不安になり、ほとんど使ったことのないインターネットで調べ始めた。放出された放射線の量、後手後手の政府の対応、チェルノブイリ原発事故のその後……。「すぐ子どもを県外に出さなければ」
自営業の夫(43)に移住を持ちかけた。意外な反応だった。「国は大丈夫と言っているじゃないか。仕事も家もある。おまえはネット情報の見過ぎでおかしくなっている」。母子2人で家を出るというと「経済的余裕がないから二重生活は無理だ」と拒まれた。他の話でもけんかが絶えなくなり、5月中旬、離婚届を出した。
女性は息子と2人で市内のアパートに仮住まいし、移住先を探し始めた。「何でここにいるの? パパに会いたい」。気が付くと息子の食欲がない。
「今振り返ればパニックに陥っていた。息子が病気になったら取り返しがつかないという一心で、逆にストレスを与えてしまった」と女性。夫も「夫婦げんかが続くと子どもに悪いと離婚を選んだが、お互い感情的だった」と振り返る。
女性は、せめて父と子が会いやすいよう、福島県の近くに移住することにした。
*
政府が子どもに立ち入らないよう求めている緊急時避難準備区域(第1原発20~30キロ圏内)の南相馬市原町区には、私立の認可保育園が三つある。原発事故後は閉鎖していたが、周辺の放射線量が比較的低くなってきたこともあり、4月になると保護者らが仕事のために子連れで戻ってきた。そこで園は合同で区域外の公民館を借り、5月初めから臨時園を開いている。
園では出入り口に線量計を置き、窓もほとんど開けない。外遊びはできないが、子どもたちが飽きないよう、保育士らが室内での遊び方に知恵を絞る。給食も限られた食材で各園の調理師が協力して出している。
園には先月6日現在で52人の子が通っている。親のほとんどは緊急時避難準備区域内で働いており、医療、行政、運輸など市民生活を支える職業の人が多いという。3園の一つ「よつば保育園」南町分園長の近藤真紀子さん(70)は「子どもは避難すべきだとも思ったが、仕事を持つ親はそうはいかない。悩んだ末、お預かりすることにした」と話す。
親たちも、苦悩しながら働き、園を利用する日々が続く。
会社員の紺野愛さん(33)は5歳と2歳の娘を預けている。事故直後は山形市の実家に戻り、そのまま山形に住むことも考えた。しかし自宅には夫(39)が残り、トラック運転手の仕事を続けていた。「夫の給料だけでは二重生活する余裕はない」と戻り、職場にも復帰。小学4年の長男が転校を嫌がったことも、大きな理由だったという。
5歳の長女を通わせるクリーニング店勤務の佐藤美貴さん(24)も山形県に避難したが、やはり地元のガソリンスタンドに勤める夫(26)が職場復帰し、自宅よりは原発から遠い相馬市にアパートを借りた。長女を近くの保育園に転園させることも考えたが、「前のお友だちと遊びたい」と切々と訴えられ、臨時園に預けることにした。悩んだ末の結論だが、「この子がいつか病気になったら」との不安は消えない。
放射線の影響をどこまで心配するかは人によって温度差があり、気にしすぎると母親仲間からも「過剰反応」と批判されることがある。原発事故は地域の人間関係を複雑にし、悩みを抱え込む親も少なくない。
広瀬弘忠・東京女子大名誉教授(災害心理学)は「長期間の低量放射線被ばくの影響には定説がなく、安全を強調する方が非科学的だ」と、まずは理解を示すことの大切さを指摘。「親の心情を社会が理解し、好意的にサポートすることが大切。自治体やボランティアも不安を取り除く具体的な方策を考えてはどうか」と提案する。【青島顕、渡辺諒】=次回は6日
毎日新聞 2011年7月4日 東京朝刊