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江戸城 第三回

江戸城 第三回・・・

【遺構】
江戸城清水門付近図
江戸城清水門付近の図です。この図を見て頂くとわかりますが、典型的な枡形門となっており、構造としては内枡形の形式を採用しています。江戸城は比較的外枡形の門が多い中、前回アップした田安門もこの清水門も内枡形を採用しており、特にこの清水門の枡形の作りは秀逸です。
江戸城清水門付近図2
上記の図に手を入れたもう一枚の図ですが、緑の折れ矢印のが攻城側の侵入経路となり、赤と青の部分が籠城側の攻撃ポイントとなります。まず、攻城側としてはやはりこの北の丸の周囲ぐるりには石垣や土塁で築かれた手掛りのない急斜面な切岸と深い水堀とで守られており、中世の装備でその堀を渡り石垣や土塁を登って攻撃する事はかなり難しいと思われます。そうなると当然、城の虎口へ人数が集中し、一気に攻め寄せてくるものと思いますが、その攻城側の敵を籠城側ではまず、土橋と高麗門までの間で殲滅を謀ります。高麗門の手前は箱堀となっており、有事の際には恐らく、掛けられている木橋を落とし渡れないようにするつもりであったものと思われます。何とか、その高麗門を超え、城内に侵入しても次に控えている枡形内で攻城側は3方向からの攻撃に晒される形となります。更に攻め込むにはその3方向からの攻撃に耐えながら、頑強な櫓門を通らなければならず、ここでも相当の犠牲がでるのは必至です。更にその櫓門を通り、中に侵入したとしても第2の枡形によって又しても、3方向からの攻撃に晒されるわけです。枡形内へ侵入し、奥へ行こうとするも割と高く作られた石段と直線ではない通路に遮られ、また、上からの攻撃にも晒され、瀕死の状態で白兵戦に持ち込めば、石段上から攻め寄せる籠城側の兵により位置の優位性もあり殲滅する事も可能になると思われます。その間に城門を固く閉ざし、再度立て直しを図る事も可能であろうとも思います。江戸城の縄張りを担当したのは当時、築城の名手として有名な藤堂高虎ですが、この辺のところにも、この高虎の意見が取り入れられているものと思われます。因みにあまり知られていない話ですが、家康からこの江戸城のプロデュースを命じられた高虎は流石に荷が重く、誰か別の者にと一度は固辞したようです。天下の主の居城その縄張りと言えば、軍事上の最高機密であり、誰でも荷が重すぎると感じるのは当然ですね。しかし、家康は辞退を許さず、自分も見るから2人で相談して決めようと説得したようです。実際に出来あがった図に朱や墨を入れ訂正をしながら共同作業の様に進められたようです。この話を見ても、この藤堂高虎と言う人は抜群の築城センスとデザイン能力を持ち、また、家康に対する忠義心の厚さを高く買われていたのだと思います。
江戸城清水門高麗門
江戸城清水門櫓門
江戸城清水門櫓門2
田安門と同じくこの江戸城の清水門も国の重要文化財に指定されております。この清水門も江戸城に現存する門の一つで徳川家康の信任も厚かった安芸広島藩主・浅野長晟によって寛永元年(1624)に建てられものであり、万治元年(1658)に一度修築されたようです。名前の由来としては、中世代、この辺りに清水寺と言うお寺があったからとも、この辺りから清水が湧き出していたからとも言われているようです。櫓門の上にある鯱には葵の御紋も見られます。枡形内もコンクリートなどで整備される事もなく、江戸城内の門の中で一番往時の雰囲気を残している門だと思います。池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」では、この門外の土橋を渡った先に火付盗賊改方、長谷川平蔵の役宅があったと言う設定になっており、小説の世界を想像しながら見て回るのも面白いかも知れませんね。実際の史実ではこの場所に長谷川平蔵の屋敷はなく、東京、墨田区菊川にあったようです。
江戸城清水門枡形
江戸城清水門枡形2
先程も記載した江戸城清水門の枡形です。上が高麗門を入ってすぐの最初の枡形、下が櫓門を通ったところにある枡形です。どちらも高い土塁と石垣に囲まれ、身を隠す場所もなく、絶好の殺戮ポイントと化しております。
江戸城清水濠
江戸城清水門石垣上から水堀
江戸城清水門石垣上から水堀2
江戸城清水門箱堀
江戸城清水門の水堀です。写真ですと少々わかり辛いですが、相当な高さの石垣であり、水堀も広大でかなりの幅があります。縄張りを担当した藤堂高虎の築城の特徴として高い石垣があげられ、この江戸城にも例外なく高石垣が見られます。それとは対照的に同年代に活躍したもう一人の築城の名手 加藤清正は石垣の反りを重視していたようです。確かに熊本城などを見てみると、武者返しと呼ばれる美しい反りの石垣が見られ、そう言った特徴の差から高虎流築城術と清正流築城術は良く対比して扱われています。また、高虎は堀の設計にも特徴があるようで、自身の居城として築いた、今治城などには石垣の下に犬走りと言う、空間を作ってありますが、この江戸城にはそうした作りは見られません。犬走りの特徴としては、弱い地盤の強度を補う効果があるようですが、特にそのようなものを用いなくても、江戸城の地盤は重い石垣にも十分耐えられる強度があったのでしょう。

江戸城 第四回へ続く・・・

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