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創価学会内部改革派 蘇生の選択 (2)


「政治が少し良くなっても宿命に喘いでいる一人一人は救われない。宿命に喘いでいる一人一人を救うためには折伏して日蓮大聖人様の信仰を信じさせないことには不可能である。」
 これは30年以上前、聖教新聞か大白蓮華(おそらく聖教新聞)に書かれていたことです。誰が書かれたかは記憶にありません。しかし池田大作は選挙一辺倒で折伏を軽視し「宿命に喘ぐ人を救うこと」を三の次、四の次にしている。これがおかしいと思うのは自分だけだろうか? 選挙にこれほど力を入れるのは権力を手中にしようという(名聞名利の虜になっている)池田大作の醜い野望にしか過ぎないと思うのは自分だけだろうか? つまり池田大作は宿命に喘ぐ可哀想な人を救うことはどうでも良いと考えているとしか考えられない。「天下を取れ」たならば「総理大臣に成れたならば」それで良いと考えている(あくなき権力欲)。不幸に喘ぐ人たちのことはどうでも良いと考えている。これは織田信長に似ている。

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 何しろ、銀座で働く女性の一割以上が学会員だから、隠しようがない。
 昭和五十二年六月ごろ、学会本部近くの料亭で会食したあと、何を思ったか池田大作は、山崎正友に五百万円の札束を渡して、
「好きに使え」
と言った。
 そして、同席していた首脳たちを見やりながら、
「仕事のできる男は、女の一人や二人いたってどうということはなかろう。要は仕事ができるかどうかだ」
と言って、山崎正友を振りかえり、意味ありげにニヤリと笑った。
(「月刊ペン」事件 埋もれていた真実:山崎正友:第三書館:2001:p224)
    私はここに池田大作の非人間性を垣間見てならない。
 もう一度書く。
    私はここに池田大作の非人間性を垣間見てならない。

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 今でも鳴り響いている 学会歌の歌声が……。
 ……自分はそれを消そうと妙観講のサイトから妙観講員の歌のCDを送ってくれるように頼んだ。自分は焦った。
 しかし、妙観講員の歌のCDは未だ来ない。もう一ヶ月以上経過しているのに未だ来ない。お金を振り込んでいない。
 メールが届いているのか、おそらく届いていないのであろう。
 インターネットのyoutube から法華講や妙観講の歌をダウンロードしてテープに吹き込んだ。
 しかし、CDでないと聞けない。テープのプレイヤーは巨大なデッキが家に1台あるだけだ。
 今、当直中。CDでないと聞けない。
 家ではテープをあまり聴けない。そういう時間的余裕がない。
 鳴り響く学会歌の歌声は以前は自分を鼓舞していた。しかし、今は悪魔の歌声にしか聞こえない。
 去れ! 学会歌の歌声よ! 去れ!
 去れ! 学会歌の歌声よ! 去れ!

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   同時放送に出て池田大作の姿、声、話す内容から、池田大作が極めて傲慢な人間であることが解るはずと思う

 人間の正常な感性を持っているなら、同時放送に出て池田大作の姿、声、話す内容から、池田大作が極めて傲慢な人間であることが解るはずと思う。
 それが解らないのは、必至に“疑い”を押し殺している盲信者か、疑いの心を起こさない文化遺産的お人好しか、そのいずれかになると思う。
 自分の親は、同時放送に参加したことはない。
 現在、年齢が七十を越えているし、母は同時放送に参加する暇無く働いていた。
 父は自分から入信したものの信仰をしたのは初めの2年ほどでずっと退転状態であった。
 母が座談会に行くのも厭がっていた。
 酒の晩酌をしろという考えであった。
 自分は十九のとき、文化会館で婦人部の会合から漏れてくる池田大作のスピーチを聞いた。
 その声は傲慢の極みの声であった。
 自分が想像していた誠実な声ではなかった。
 自分は「人間革命」の本から、池田大作の声はとても誠実な声をしていると想像していた。
 その頃、狂信的に信仰していた自分は必死に疑いを押し殺した。
 考えるまい、考えるまい、と押し殺した。

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   選挙はただ、池田大作が総理大臣、そして国王と成ることを狙ってのことだったことを忘れてはならない

 池田大作の「天下取り」の野望のためであったことを忘れてはならない。
 池田大作には広宣流布はどうでも良かったのである。
 人々が幸せになることはどうでも良かったのである。
 自分が日本で一番偉くなれれば、それで良かったのである。
 池田大作は国王になるという野望を抱いていた。
 それは自己愛性パーソナリティ障害に罹患していたからである。
 自己愛性パーソナリティ障害に罹患していれば、その野望達成のための執念は凄まじい。
 その執念は狂気と言っても良い。
 ヒットラー並みの凄まじい権力への執念があった。
 それを神様と考えていた創価学会員は自分もであるが馬鹿と言っても過言ではない。
 文化遺産的お人好しだったのである。
 池田大作は本来は精神病院にぶち込まれるべき人間だったのである。
 狂気に走ってきた人間だった。
 昭和二十五年頃に罹患したと思われる自己愛性パーソナリティ障害の狂人だったのである。
 それに我々は騙されてきたのである。
 何百万もの人が池田大作の野望に騙されてきた。
 現在も騙されているものは多い。
 騙されて幸せなのだろう。
 文化遺産的お人好しである。
 池田大作は八十二歳になった。
 もはや「天下取り」は不可能と自分自身でも解っているに違いない。
 選挙、選挙、と走らされてきた学会員は自分もだが池田大作を恨まなければならない。
 選挙、選挙、と走っても功徳はなかったことを知らなければならない。
 功徳ではなく罰が来ていたはずである。
 罰を功徳と誤解してきたケースが非常に多かったことに気付かなければならない。
 公明党が教科書無償化を行ったと信じている人が非常に多いが、それは嘘である。
 自民党が教科書無償化を行ったのである。
 騙されてはいけない。
 良く調べてみると良い。
 公明党は結局、何も日本国民に貢献することなく、無くなってゆく。
 池田大作が日本を乗っ取る野望のために造られた公明党は何をすることもなく消えてゆく。
 池田大作の野望のために走らされてきた創価学会員は自分もだが哀れである。

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     “魔”の御本尊(日寛上人の御本尊)について詳しくお教えください

“魔”の御本尊(日寛上人の御本尊)についてーーー題目三唱もしてはいけない、完全に無視すること
 平成5年から配布された創価学会製である御本尊は“魔”の御本尊である。しかし、長く創価学会に属していた家庭の御本尊は日達上人の御本尊であっても創価学会の魔性が色濃く住み着き、“魔”の御本尊とあまり変わりなくなっている(このときは住職より“お清め”を受ける)。早く日蓮正宗寺院へ行って勧誡式(御授戒のようなもの)を受け、そして正しい御本尊を受けるべきである。
 しかし、脱会および退会届を提出することは家人および親族が熱心な創価学会である場合は非常に困難である(退会届を出すことイクオール離婚、家庭崩壊の処は多い)。そのため現在では退会届を出さなくとも住職の判断で入講(勧誡式を受けること)することができるように成っている。また、退会せずに入講する場合はある書類にサインする寺院もあると聞く。離婚・家庭崩壊を避けるため、家族に内緒で法華講に移っている元・創価学会員は多い(その人は未だに創価学会に籍がある。大部分が壮年部と男子部で、婦人部は少ないようである。創価学会の名簿は幽霊会員が大部分である極めて適当な名簿である。聖教新聞を取っている会員の十倍近くの会員がいることになっている)。
 私は上記のことを知らずに三年間余り、家人などには内緒にインターネット上で創価学会内部改革派憂創同盟と名乗り、極めて批判的な創価学会員のままで過ごした。創価学会を退会しないと法華講に入れないものとばかり思っていた。私にとって創価学会を退会することは離婚を意味する故にできないことだった。幼い子供が二人いる。
 三年半前、三時間の唱題を熱烈に行うとうつ病性障害が再燃した(私のうつ病性障害は再燃と寛解を繰り返していた)。以来、創価学会(池田大作)に批判的になるとともに勤行唱題を全くしなくなるとうつ病性障害は僅か二週間で寛解した。以来、再燃はない。私は十年間、うつ病性障害に苦しんだ。現在は法華講員として五座三座を大石寺の方角へ向かって行っている。唱題も一日平均五十分ぐらい行っている。週に一回、お寺に行って勤行唱題を二時間ぐらいしている。これだけ行っているがうつ病性障害の再燃は全く気配さえない。御本尊授与も勧められたが、家人が御不敬する確率が非常に高いため辞退している。法華講にうつ病性障害など精神障害の人は自分が知っている範囲では一人もいない。法華講は現在、折伏に燃えている。創価学会の昭和48年ぐらいに相当すると思われる。
“魔”の御本尊に祈り、うつ病性障害になった人は非常に多い(私もその一人である。何故、自分がうつ病性障害にならなければならないのかと非常に訝しんだ。その頃、私は熱心に創価学会の信仰活動をしていた。御本尊は“魔”の御本尊であった。まだ五座三座の勤行の時代だった。唱題も一日二時間近くしていた)。その他にも、ガンなどの病気に冒され亡くなった人、不虞者になった人は多い。会社を解雇になった人も多い。出来心で犯罪を犯してしまった人もいる。なお、自分は精神科医です。精神科医なのにうつ病性障害で苦しんでいました。自分の勤める病院の院長は精神科医ですが、うつ病性障害を理解せず、遅刻を繰り返したりすることに対し、給料を減額されました。朝の起床困難のことを理解してくれなかったのです。
“魔”の御本尊に向かって毎日、勤行(方便品・自我解だけであるが。ブロック長)するため十六年間、うつ病性障害のままの人が近くに住んでいる。生活保護になっている。
“魔”の御本尊に向かって勤行をする度にリストカットする男子部幹部がいる。勤行するとリストカットしたくてたまらなくなるそうだ。そのため創価学会員の精神科医より勤行は厳禁されているが熱心なあまり勤行をしてしまうそうである。
 また、“魔”の御本尊の半径二メートル以内では『死ね、死ね』という幻聴が聞こえる婦人部が居る。二メートルを超えると声は聞こえなくなるそうだ。

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  学会製の“魔”の御本尊とうつ病性障害

 学会製の“魔”の御本尊がうつ病性障害などの精神障害を多発させると言われるようになって久しい。筆者も3年半前まで10年間、うつ病性障害で苦しんだ。御本尊は学会製の“魔”の御本尊であった。発病したときも学会製の“魔”の御本尊、10年間苦しんだときもずっと学会製の“魔”の御本尊であった。
 寛解(うつ病性障害の場合は治癒とは言わない、寛解と言う)したのは学会製の“魔”の御本尊のことをインターネットで知り、その“魔”の御本尊に向かって祈らなくなってからである。
 大石寺の方角に向かっての遙拝勤行が始まった。劇的にうつ病性障害は寛解した。それからはうつ病性障害再燃(うつ病性障害の場合は再発とは言わず、再燃と言う)の気配も感じられない。
 インターネットは非常に良く嗜んでいたが、“魔”の御本尊のことは知らなかった。創価学会本部主催の掲示板であるVOICE には“魔”の御本尊のことは載ってなかった。VOICE はやがて創価学会員のうつ病性障害やパニック障害などの精神障害の人が非常にたくさん発言するため、そのことで創価学会の信仰に疑いを持つ人が続出したためだろう、実質上廃止になった。「やりました。できました」という発言しか載らなくなった。
 うつ病性障害で勤行唱題することは非常に難しい。うつ病性障害が重度の時は題目三唱も唱えることが非常に難しい。自分は重症化しているときは題目一唱も唱えることができなかった。
 うつ病性障害で勤行唱題ができるのは極軽症の時のみである。それも長時間はできない。方便品自我解を一回唱えるのみで精一杯である。創価学会の勤行が方便品自我解一回のみになったのは、創価学会にうつ病性障害があまりにも蔓延したからではないかとも推測される。他に、池田大作が勤行唱題が大嫌いであるからとも言われている。インターナショナル勤行とは言い訳に過ぎないとも推測される。
 そして不思議なことに、“魔”の御本尊に対しては題目一唱を唱えることさえ難しいのに、日達上人の御本尊に向かっては全く不便なく勤行唱題ができることである。とても不思議であった。実家は日達上人の御本尊である。

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【研究と報告】
       池田大作に信仰心はない
                      創価学会内部改革派憂創同盟残党**

【はじめに】
 宗教はビジネスだーーーこれは池田大作の持論です。池田大作が勤行唱題をしないことは月刊ペン事件の裁判の内容をよく読むと分かることです。また、かね婦人が戸田先生に「主人が勤行をしないんです」と訴えたことも有名である。
 鋭い大幹部はこのことに気付いている。しかし反旗を翻せば年間3千万ほどの高収入が無くなる。気付いている大幹部も信仰心が欠如しているのであろう。もしくは反乱の時期を待っているのか?
 ここで大きな疑問があるが、何故、戸田先生は勤行唱題をしない池田大作を重く用いたのか? 戸田先生の事業の崩壊を食い止めたのは池田大作であった。それを恩に着ていたのか? 戸田先生はアルコール中毒のなれの果てで亡くなった。正しい判断が昭和27年頃からはできなくなっていたのか? 
 創価学会が昭和20年の後半および昭和30年の前半、急速度で発展したのは日蓮正宗の信仰に凄い力があったからである。他の宗教とは比べものにならないもの凄い力があったからである。それは日蓮正宗の御本尊の前に座ってみると分かるものだ。霊感の強い人は強く分かる。霊感の鈍い人はあまり分からない。
 戸田先生の功績でも、池田大作の功績でも全くない。創価学会の大発展は日蓮正宗がもの凄く力のある宗教団体だったからである。もう一度書く。創価学会の大発展は日蓮正宗がもの凄く力のある宗教団体だったからである。
 戸田先生は地方の講演のときもアルコールを飲みながら講演していたという証言が余りにも多い。
 池田大作が王宮貴族以上の女遊びに耽っていたのは仏法を信じていなかったからである。仏法を信じていたならば、そういうことを行っていたならば、死後、地獄に堕ちる故に、そんなことは行わない。
 御本尊を幹部会の時、不潔に扱ったことも、御本尊を敬っていなかったからだ。御本尊を勝手に八体(原島嵩氏はその2倍の数はあったと言っている)彫刻させたのも信仰心がなかったからだ。
 池田大作は入信当初は肺結核を治したい一心で真面目に信仰していたようであるが、昭和26年頃には信仰心を失ったらしい。そして創価学会はこれから大きく発展する、その会長になろう、と考えたらしい。それは、かね婦人が「夫が勤行をしないんです」と戸田先生に話したことから考えられる。そして勤行しないのは「自分は特別だから」と答えたのは、自分が大聖人の生まれ変わり、または、それ以上の存在という妄想を持っていたからであろう。池田大作の退転は肺結核が小康状態になった時と推定される。軽症の妄想型統合失調症に罹患したのも、その頃と推定される。
 池田大作の口癖だった「天下を取ろう!」と言っていた時はすでに軽症の妄想型統合失調症に罹患していた。未だ研究されていない領域であるが、軽症の妄想型統合失調症は多い。彼らは薬を飲まなくとも老年期までは何とか社会生活を送れている。しかし老年期になると高頻度で統合失調症様状態を起こし、精神科を受診せざるを得なくなっているようだ。池田大作が最近、同時放送に出席しないのは統合失調症様状態を起こしているためである可能性は高いと筆者は見ている。これは分裂病型人格障害、分裂病質人格障害のような人格障害とは関係ないと考えている。

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   魔神:池田大作
 池田大作が戸田城聖氏の金融事業に於いて超人的な働きをし、給料が歩合制なため当時の平均給与の百倍近くを得ており、その金で女子部員の肉体を貪り、大幹部を高級料亭でもてなし自分の味方につけたと山崎正友氏(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994)は書かれている。
 借金の取り立てが暴力団仕込みで非情極まりなかったとも言われているが、お金のある学会員の家を当てるのが神憑り的であったことは複数の証言がある。これは霊能力で間違いないと思われる。それにより戸田城聖氏の事業を倒産直前から奇跡的に復興させ、それらが第三代会長になる大きな布石に繋がったと言われる。
 心霊手術を行うことの出来る霊能力者は不幸な人のために自らの命を投げ打って献身的に奉仕しないといけないこと、そのため心霊手術を行うことのできる霊能力を授かった人は極めて厳しい信念を持って生きなければならないこと、霊能力を私利私欲のために使って酒池肉林の生活をすると狂い死にすること、そしてフィリピンやブラジルなどの心霊手術を行う霊能力者は最後は煩悩に負け私利私欲に走ってしまい狂い死にする人がほとんどであると言われる。
 これは心霊手術ではないが心霊治療が非常に盛んで現代医学にも組み込まれているイギリスでも同様なことが言われている。イギリスの心霊治療家は報酬を全く取らないことで有名である。
 日本では心霊手術ではないが異言を唱えることが出来た、また多数の心霊的著書を書かれた高橋信次氏は非常に清廉潔白な人格者であったことで間違いないが、最後はエボラ出血熱に極めて似た現代医学的に説明不可能な病態で悲惨な最期を遂げた。非常に清廉潔白な人格者であった高橋信次氏でさえ悲惨な最期を遂げた。高橋信次氏は信仰活動に必要なお金は全て自己負担であった。信者からお布施をもらうことは決してなかった。
 池田大作は現在(11月6日2010年)5ヶ月間、同時放送に出席していなく安否が気遣われているが、重度の統合失調症様状態に陥り普通の病院では管理不可能で、精神科閉鎖病棟の保護室にいる可能性は高い。霊能力者が私利私欲に走り酒池肉林の生活を行うと、その罪で狂い死にすることは歴史的に証明されているからだ。
 伊勢白山道の教祖は「池田大作にはすでに地獄から赤い山車が迎えに来ている」と言われている。

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 創価学会で一番、弁が立つと言われていた広報室長の西口浩副会長は五十三歳で舌ガンで亡くなった。自分はここにも創価学会の魔性を見るような気がしてならない。創価学会は早く辞め法華講に入るべきである。
 宗門攻撃の総指揮者だった野崎勲氏は六十一歳で胃ガンでなくなった。
 この野崎勲氏は「五十二年路線」では池田大作から直々に指示を受け、青年部の先頭に立って創価学会に批判的な僧侶を学会本部などに呼び出して、大声で罵詈讒謗を加えて恫喝し創価学会への「詫び状」を書かせていた。

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“魔”の御本尊に祈って、あなたは本当に以前、感じていた歓喜・生命の躍動、南無__は歓喜の中の大歓喜なり、となりますか?
 自分は以前の日達上人の御本尊に祈ったときと、平成五年から配布始めた日寛上人の“魔”の御本尊に祈ったときとでは全然違います。
“魔”の御本尊に祈っているときは勤行唱題をしたという自己満足感しか得られません。
 日達上人の御本尊に祈ったときは大歓喜が湧きます。
 自分の実家は日達上人の御本尊なのです。
“魔”の御本尊に祈るより、大石寺の方角へ向かって勤行唱題した方がずっと歓喜が湧きます。
“魔”の御本尊に祈っても紙に祈っているようで歓喜は湧きません。そして運命は下降線を辿ることにも気がつきました。
 これが自分が創価学会を疑い始めた一つの大きな理由です。
 これは自分だけでしょうか??

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 現代の御書と言われる小説『人間革命』は池田大作を神格化させるための嘘の塊である。しかしこのことを知らない創価学会員は極めて多い。学会への批判書、批判記事を読むな、と徹底した指導が行われている。学会への批判書、批判記事は“魔”の書とされている。
 小説『人間革命』は、若い頃、小説家志望だった篠原善太郎氏が書いていた。篠原善太郎氏は東大卒であり創価学会の外郭企業の最大手の一つ東西哲学書院社長となっていた。同社は、東京・信濃町近辺や全国の会館近くにレストラン、寿司屋、書店のチェーン店を展開している学会外郭の最大手の一つ。氏は戦前、河田清のペンネームで小説を書いたことがある。学会総務。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p110)
 すでに死亡している故、小説『人間革命』は現在、書かれていないはずである。教学上の難しいところは原島嵩氏が書いていたという。
「大百蓮華」に乗っていた池田大作の万年筆や原稿用紙の写真は池田大作の指図で「大百蓮華」の編集者が創作しただけである。また原稿用紙数枚だけ池田大作夫人がゴーストライターの原稿をそのままに書き移しただけである。学会本部勤務の人で長年勤務の人はほとんど全員ゴーストライターのことを知っていた。
 池田大作が書いたとされる書物や講演内容は全て原島嵩氏などゴーストライターが書いている。ゴーストライター専用の部屋が会長室の上に有り、常時五人ほどが執筆活動に専念していた。池田大作は勤行唱題もほとんどしていなかった。側近に「俺の代わりに勤行唱題しておけ!」と言って自分は将棋や卓球などをしていた。今は原島嵩氏が抜け、ゴーストライターの顔ぶれは変わっている。最近、新・人間革命の連載が再開したと聞くが誰が書いているのであろう。以前は、篠原善太郎氏であった。
 文体が篠原善太郎氏に似ていなければならないため、新・人間革命のゴーストライター選択にはかなり困難があったと思われる。
 三十五年ほど前(昭和四十八年前後)は「池田大作は一日二、三時間しか寝ないで寸間も惜しんで広宣流布のために戦っている」と日本国中に内部通達されていた。その話を信じて自身も睡眠時間を限界まで削っていた男子部の人がいた。私も中学二年の頃、睡眠時間を一日五時間に切り詰めて一年間を過ごした。しかし、その内部通達は全くの嘘であった。池田大作は昔も今も一日十時間は寝ていると言われる。創価学会本部への出勤はいつも12時頃ということである。
 そして最近、すでに少なくとも十年以上も前から、とくに月刊誌「大百蓮華」に於いて、あからさまに池田大作を神格化する動きがある。それらは嘘と本当を入れ混ぜた話で埋まっている。「大百蓮華」は座談会でよく使用されるものである。純真な会員はこれで教化されてゆく。
 池田大作は特別書籍と呼ばれるゴーストライター軍団を会長室の上の階に設置し、自らの著作および講演原稿を作らせるようになった。責任者は原島嵩氏で、その下に、上田雅一(慶大卒、副会長)、桐村泰次(東大卒、副会長)、野崎勲(京大卒、副会長)、石黒東洋(東工大卒)、細谷昭(一橋大卒、副会長)らで編成されていた。このゴーストライター軍団は原島嵩氏が抜けたりメンバーこそ多少替わったものの現在(平成二十二年)も健在である。
“潮”や“第三文明”などに掲載する文化人、学者との対談も、すべてゴーストライター軍団に依るものである。トインビー博士との対談も、同様にして作られた。池田大作は相手と会って食事したり雑談し、写真を撮るだけである。

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 池田大作が権力の魅惑に囚われてしまって広宣流布と民衆救済を見失ってしまっただけです。池田大作が間違ってしまって創価学会員に不幸が立て続けに起こるようになって広宣流布が頓挫したのです。
 創価学会を立て直せば良いのです。創価学会は権力志向を捨てなければなりません。政治は戸田先生の仰られていた通り参議院に限定するべきです。総体革命は捨てなければなりません。戸田先生の純粋だった創価学会に戻すべきです。戸田先生の講演集を御書のようにして行けば良いと思います。公明党、民音、博文堂など存在価値が全く理解できない余計な物は解散するべきです。それらの存在意義は無いと思います。しかし、宗門にも腐敗は存在すると思います。
 創価学会は独立して世界広布に向かっていっても良いと思います。しかし、このことは世界広布を考えると確かに一考しなければいけないと思います。難しい問題です。ただ、池田大作はたしかに完全に間違っていたと思います。
 今の創価学会には選挙と財務だけで広宣流布、民衆救済の情熱が薄れています。創価学会は折伏をしなくなっています。これは改めるべきことです。
(完)

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――――「水滸会記録」を国会で追及し、創価学会会長または池田大作の国会喚問を行うのです。創価学会男子部は池田大作の命令があれば平気でクーデターを起こします。池田大作を止めること(諫めること)のできる人物は現在の創価学会には存在しません。完全に池田大作の言いなりが公明党と創価学会です。創価学会男子部は池田大作の狂信者が多い。男性および青年は純情で熱情家である。本気でクーデターの危険性を考慮するべきと思われます。
 日本共産党さん、国会で「水滸会記録」を追求してみてください。クーデターの危険性は高いのです。狂信的な信者である危険因子は一般的な布教では広宣流布が不可能なことを悟り武力により広宣流布を行うことを考えています。彼ら一部の狂信者(青年部および壮年部)はインターネットで連絡を取り合っている可能性が考えられます。

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 池田大作の月刊ペン事件は本当のことです。池田大作は日本中に20名あまりの愛人を持っていました(オットセイ池田とも言われていました)。
 そのため各研修道場などに池田大作の超豪華な私室を造らせていたのです。その20人あまりは正式な愛人ではなく、副会長の嫁さんだったりしています。結婚したあとも、池田大作とその愛人の関係は続くのです。夫は黙認を強いられます。池田大作のお気に入りの女性と無理矢理に結婚させられた気の毒な夫はトントン拍子で副会長まで出世してゆきます。
 例えば渡部道子は月刊ペン事件で有名な人物ですが、渡部道子と無理矢理に結婚させられた渡部一郎は国会議員になりました。おまけに渡部道子も国会議員になりました。この夫婦関係は池田大作のため完全に冷え切っていました。
 もう一人、池田大作の愛人が国会議員になりました。つまり池田大作は2人の愛人を国会議員にしたのです。これは国民を愚弄していることであり、許されることではありません。
――――これらは国会で取り上げるべきことと思います。

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「財務」に強制はないと主張する意見が多いが、それは学会活動の非活発な地区の話であろう。自分は毎年百万円の財務を行ってきたが、初めこそ自分の意志で百万円財務してきたのであるが、ある地区に引っ越したところ、男子部のある幹部から、あからさまに「百万円は財務しろよ!」と脅迫まがいに言われてきた。「車なんか買うな! 車は動けば良いんだ!」との指導をそのままに実践してきた。そして百万円の財務を十三年間続けてきたのである(自分は比較的高額所得者なのである)。
 運命は確実に下降線を描いていた。もう下降できないというところで、創価学会(池田大作)の矛盾に気付いた。遅かった。もう少し早く気付いていたらと悔やまれてならない。十年間、“うつ病”に苦しんだ果てのことであった。間違った結婚もしてしまった。
 自分はその頃、財務は会館の維持などに大部分が使われていると思っていた。池田大作の海外のお城の購入やノーベル賞取りなどに使われているとは全く知らなかった。
 金返せ!!

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 池田大作が同時中継の時、秋谷会長に「踊れ!」と命じ、踊らせたのは平成三年のことであるらしい。あれを見て約五万人ほどが疑いの心を起こし退転した。五万人でなく三十万人が退転したかもしれない。
 その数年後から、創価班、牙城会は希望者はほとんど全員成ることが出来るようになった(それまでは面接が非常に厳しかった)。
 また、その数年後から男子部の班長も勤行唱題さえ行っていれば、ほとんど全員成ることが出来るようになった。
 学会離れがその「踊れ!」に連動しているように思えてならない。今では勤行唱題を行ってなくても男子部の班長になれる。
 その「踊れ!」を見て疑いの心を起こさなかった人は何かが抜けているか狂信的な池田大作教信者であることになる。自分は仕事で出られず、見ることができなかったし、このことを自分に言う人はいなかった。自分がこれを知ったのは十七年後のことであった。
 同時放送は雲の上の人とされていた池田大作を引き下ろし、その実在を一般の創価学会員に見せつけた。良識のある創価学会員はそのあまりもの傲慢な姿を見て宗門に寝返ったりなど退転していった。
 誰が同時放送を始めることを命じたのかは不明であるが、同時放送は狂信的または無感覚な創価学会員を創価学会に残す結果と成った。大きな画面に映し出されたあまりにも傲慢な姿は良識のあるものならば疑いを起こさずには居られなかったであろう。
 同時放送はこのように創価学会潰滅への一つの試金石となった。池田大作に反感を持っていた副会長の一部が動いて全国への同時放送を推し進めたのかもしれない。
          (完)

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 自分が創価学会の謗法を知り、家の“魔”の御本尊に祈らなくなって変わったことは「今まで起こっていた余りにも悪過ぎる偶然が起こらなくなったこと」です。
 一回、気が変わって“魔”の御本尊に祈ったときがありました。
するとその夜、ムカデが腕を這っていたのです。
びっくりして窓を開け、外に捨てて刺されませんでしたが、こんな経験はもちろん初めてでした。
“魔”の御本尊に祈った罰と思い、それ以来、怖ろしくて“魔”の御本尊には祈っていません。
 実家のことですけど、実家は日達上人の御本尊様ですけど、何故か実家で勤行唱題すると歓喜は大いに湧くのですが悪いことが同時に起こっていました。
 しかし、ある日、仏壇の部屋に飾っていた「池田大作の額縁」を取り除いてからは悪いことが起こらなくなりました。
「池田大作の額縁」が元凶だったのです。
 創価学会の矛盾、池田大作の悪行には早くから気付いていましたが、“魔”の御本尊のことにはインターネットを詳しく読むまで気付いていませんでした。
 実家の日達上人の御本尊様に勤行唱題するともの凄く歓喜が湧くのに家の新しい日寛上人の御本尊に祈っても歓喜が湧かないことを不思議に思っていた頃でした。
 そしてこのことを幹部に相談していました。
 幹部の答えは適当でした。
 狂信者の答えに過ぎませんでした。
 池田大作の悪行を知らない創価学会員は非常に多い。
 インターネットをしている創価学会員にも池田大作の悪行を認識している人はごく僅かです。
 洗脳の強さ、理解力の無さなどが原因していると思います。
 どうしようもないお人好しが創価学会を支えているのだと思います。
 普通では創価学会の矛盾に気付くはずです。
 選挙、選挙ばかりです。
 そして池田大作を神様にしています。
 同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい
           創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎!!

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〒160−8583
東京都新宿区信濃町32番地
宗教法人・創価学会
会長・原田稔 宛

             原田会長へ

 自分は数年前まで創価学会の信仰をしていた者です。小さい頃から創価学会員でした。僕が3つの頃に父が間違って入ったのです。苦労しました。
 保田妙本寺を新しい本山とするべきです。富士大石寺の大御本尊は昔から後世の偽作という噂が絶えなかったですが、最近、S氏がデジタルアナライザーで後世の偽作であることを証明しました。大御本尊どころか富士大石寺の他の重要な板御本尊も後世の偽作であることをデジタルアナライザーで証明されています。また、重要文献もデジタルアナライザーで捏造であることを証明されています。富士大石寺は昔から捏造教団であることが証明されたのです。
 創価学会は富士大石寺から破門されて却って良かったのです。
 創価学会は新しく保田妙本寺を本山にすると生き返るどころか、広宣流布をやり遂げることができると思われます。
 保田妙本寺には何処も難癖をつけることのできない日蓮大聖人御真筆の末法万年救護の大本尊があります。
 富士大石寺の偽造大御本尊ではなく、正真正銘の本物の大御本尊です。
 学術的にも証明されています。我々は間違っていたのです。
 日蓮大聖人の正統は富士大石寺ではなく保田妙本寺だったのです。このことは原田会長も薄々は気付かれていたことと思います。
 日寛上人の御本尊は富士大石寺の大御本尊を真似したものなので偽物のコピーになるのです。このままでは創価学会は壊滅状態に陥ります。日寛上人の御本尊は“魔”の御本尊とも呼ばれています。“うつ病”など精神疾患を多発させることで有名なことはご存知だと思いま
す。
 このままでは創価学会員に不幸なことが立て続けに起こり、創価学会は疲弊して行くばかりです。そして一弱小新興宗教教団に陥ることは目に見えています。
 早く保田妙本寺を新しい本山にするべきです。幸せの青い鳥はすぐ近くにあるのです。
 日蓮大聖人御遺名の広宣流布は夢物語ではなかったのです。現実に達成できることだったのです。
 一度、保田妙本寺へ行って勤行唱題してみると分かると思います。
 富士大石寺へ行って勤行唱題しても生命の満足感は少ないです。
 現在、創価学会が配布している日寛上人の御本尊には幾ら祈っても生命の満足感を覚えることはありません。ただ、勤行唱題をしたという満足感そして焦燥感です。
 かつて松本氏が保田妙本寺の末法万年救護の大本尊こそ正しい大御本尊だとして正本堂御供養金返還運動を起こしましたが、松本氏の主張は先見の明のある正しい主張だったのです。自分も気付くのが遅れて悔やんでいます。これは自分だけでなく、多くの創価学会員にも当てはまることになります。
 多くの創価学会員の幸せのためです。英断をお願いします。一日も早い英断をお願いします。多くの創価学会員の幸せのためです。
 それだけでなく、これで広宣流布は達成可能となり、広宣流布は達成されます。
 日本中から不幸の文字が消えます。日本中から不幸な人はいなくなります。
 みんなが幸せな日本になります。日本中のみんなが人生を幸せに送れるようになります。
 日本だけでなく、世界中から不幸の文字が消えます。世界中のみんなが人生を幸せに送れるようになります。
 日蓮大聖人は民衆救済のために一人立たれました。激しい苦闘の人生が待っていることを覚悟して立たれました。原田会長も周囲から激しく叩かれると思います。でも民衆救済のため死ぬ覚悟で立たれてください。
               (完)

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