「気持ちはよくわかるがなぁ・・・」というお話。
「創価学会をやめたい」と思っている人は、脱会した人の話を聞くと、実に多いことが分かります。
無意味な内容の新聞を取らされた挙句、販拡すなわちセールスして来いと言われる。
選挙のときの票も同様です。
普通の感覚の人なら、嫌な仕事以外の何物でもないでしょう。
しかし、強引にやめると、創価輩が家に押しかける、非難罵倒される、陰口を言われ、地域で暮らしづらくなる、下手をすればストーカーなどの嫌がらせ行為をされるというわけですから、本当に、特に一人でやめるのは困難であると考えている人が多いようです。
まして、かつて脱会の意思を表した人を非難したり、いじめたりした経験のある人なら、余計に気は重くなるでしょう。
この話は、ある脱会希望者の話なのですが、例の「創価学会脱会者を支援する会」に相談を持ちかけたわけです。
ただこの人は、「創価をやめたいし、宗教はもうやりたくない、馬鹿馬鹿しいだけだ、時間の無駄だ」と思っていたのです。
ところが、「創価学会脱会者を支援する会」は法華講です。
当然に、「ではニセ本尊をきちんと処分して、正しい御本尊様をお迎えし、今までの謗法罪障を消滅して命を清浄(しょうじょう)にし、真に幸福な竟界を開いていきましょう」と助言するに決まっています。
そうした上で、すなわち正法(しょうぼう)を保つ決心をした上で、初めて創価邪宗に立ち向かうことができるのです。
日蓮正宗の信徒になれば、「創価の教義は仏様がおっしゃったことと違う!」という明確な脱会の”根拠”を持つことができ、相手に示すことができるのです。
ところが、この人は、「日蓮正宗にも入らない!ただ創価をやめるのを支援してもらいたいだけだ!」と言ったわけです。
確かにそれが本人の希望なら、日蓮正宗に入ることを強要はできませんし、そもそもする人もいないでしょう。
が、そうなると、日蓮正宗法華講としては、支援のしようがないわけですね。
その人の親兄弟ならともかく、赤の他人が、「この人が辞めたいと言っているのだから素直にやめさせてあげなさい」なんて、創価に対して言える筋合いではないからです。
ところがこの人は、「脱会を支援する」と謳っているのに、別の宗教の勧誘が目的じゃないかと、憤慨してしまったのです。
冒頭に書いたように気持ちは分かるのですが、やはり道理の分からぬオコチャマですね、失礼ですけど。
たしかに、「創価も間違っているが日蓮正宗もおかしい」なんて考えている人もいるみたいですけどね。
まあね、「カルト宗教による人権侵害から脱退希望者を援護するNPO」かなにかと思ったのでしょうから、しかたがないですね。
宗教嫌いの人は多いのですし、こうも伝統宗教が無力で、新興宗教がインチキという現状では、好きになるほうがおかしいのかもしれませんね。
もちろん、日蓮正宗が唯一正しい、力のある宗教です。
宗教の目的は、命の成長と真の幸福です。
宗教なかんずく日蓮正宗(現在の呼称はたまたまこれですが、日蓮大聖人の教えが唯一の「宗教」です)を信仰することによって、人間がいちばん幸せな竟界を得ることができるのですから、嫌うことはまさしく魔の思い以外の何物でもありません。
たとえそれが邪教と混同しての思いであったとしても、その人の罪障(魔)がそう思わせているのです。
成仏してみれば分かることなのでしょうが、そこに至るまでに、疑惑や不信不解(ふげ)が生じるから、厄介なのですね。
今生で救われる人は、やはり少ないのです。
あ〜あ俺も大丈夫かな・・・。
2010年11月26日
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日蓮正宗日記
罪障重くして正法は耳に逆らうか
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大丈夫だと確信して、生きて行きましょう。ねねッ(⌒0⌒)/~~みんな一緒ですから…!!!!!!
http://gogen-allguide.com/su/subekaraku.html
「当然(にあるべき姿として)」に置き換えても、さほど不自然ではないと思います。
「サイコロはすべからく6面を具す」とか、「人間はすべからく穢れている」とか書いた場合、それらが例外なく「すべて」の意味で誤用されていると断定するのは早計だと思います。