7.02.2011

末井昭
第3回 世間サマと自殺

白夜書房の編集者・末井昭さんが、自殺について、ぐるぐる考えながら書いていきます。
「息苦しさ」を感じたり、世間が怖いと思うことはありますか?
ご感想・お悩みなどなど、何でもお寄せいただけますと嬉しいです。

僕が住んでいるのは、世田谷の住宅街にある築30年ぐらいのプレハブみたいな一軒家ですが、周りには立派な家が建ち並んでいます。家の前には割と広い道路が通っているのですが、一方通行ということもあって車があまり通らないので、猫たちが外で遊んでいてもそれほど心配にはなりません。

夜はほとんど車が通らないので静かなものです。近くに大きな公園もあり、住むには申し分ない環境ですが、夜散歩などしていると、SECOMのカメラに監視されているような気がして、空き巣の下見に間違えられるといけないので、キョロキョロしないように歩いています。

いつだったか、家の前に長い間路上駐車している車があったのですが、誰かが110番通報したとかで、パトカーが来て車の持ち主を探しているようでした。車はほとんど通らないので、路駐していても誰にも迷惑にならないと思うのですが、110番通報した人は、近くに無人の車が置かれていることを不審に思い、すごく不安になったのでしょう。

なんでもないことですが、僕はこういうことがすごく気持ち悪くて、この場所に住む息苦しさのようなものを感じます。路上に長時間車を止めることは道路交通法違反だから、警察に電話することは、正しいか正しくないかということで言えば正しいのでしょうが、そんなことでわざわざ110番しなくてもいいのではないかと思います。しかも110番した人は自分の名前も所在も言わなかったようで、それがなんだか不気味です。なんとなく僕ら夫婦の行動も、誰かがジッと監視しているのではないかという気になったりします。

こういう自分の手は汚さないで、自分たちに都合の悪いもの、不安になるものを排除しようとする意思を、僕は世間サマと呼んでいるのですが、近年頓に息苦しさが増している原因は、世間サマが増長しているからではないでしょうか。

僕が『写真時代』という雑誌を編集していた頃の話です。『写真時代』は1981年に創刊になって、1988年に廃刊になった雑誌で、荒木経惟さんや森山大道さんの連載をメインとする写真雑誌でしたが、エロの要素も強く、そのため毎月警視庁に呼ばれて始末書を書かされていました。
警視庁の風紀係は、主に猥褻図画、猥褻映像、猥褻文書を取り締まる部署で、係官たちはその仕事を毎日やっているわけです。僕が呼ばれることは彼らの仕事の一環ですから、「お役目ご苦労さん」という気持ちで毎月警視庁に通っていました。僕の役目は、係官の言う猥褻の基準スレスレに雑誌を作ることで、その基準線を越えないよう充分注意していました。警視庁の猥褻基準さえ守っていればいいと思っていたのです。

ところが『写真時代』の発行部数が30万部を越えたあたりから、青少年の健全な育成を守る会みたいなところから、お宅の会社はどういう主旨でああいう雑誌を出しているのか意見を聞きたい、というような電話が頻繁に入るようになりました。今後も続けるなら、条例で販売できないようにするという脅し付きです。

警視庁の猥褻基準は毎月呼ばれているので解るのですが、その人たちの基準というものは皆目解りません。何がダメかは言わなくて、こういう内容のものを出されると困ると言っているだけなのです。不買運動や県条例に引っかからないようにするには、ただただ闇雲に自主規制するしかないわけです。そういう基準のよく解らない、世間サマの基準のようなものを意識しないといけないと思うようになったとき、なんだかやる気がなくなってしまいました。

『写真時代』は警視庁の違う部署から摘発されて廃刊になってしまったのですが、そのあとロリコン雑誌の創刊号を作った切りで、エロに関する雑誌は一切出していません。ひたすら自主規制するエロ雑誌なんて、面白くもなんともないものです。

警視庁は国家権力の出先機関です。国家権力の背景には、軍隊という暴力が控えています。ですから、徹底的に国家権力に逆らえば、最後は殺されることになります。そういう権力構造は解りやすいし、それに対するやり方もいろいろ考えられます。しかし、世間サマの抑圧に対してどう対処すればいいのか、僕にはさっぱり解りません。世間サマは、青少年をどう健全に、どう育成しようとしているのでしょうか。

この前、都内の3番館で『トゥルー・グリット』という映画を観ました。14歳の少女が2人の保安官と、父親を殺した犯人を追跡するという西部劇ですが、4人の犯罪者が公衆の面前で縛り首になるシーンがあって、当時はこういう残酷な処刑が行われていたんだなぁと思って観ていましたが、考えてみればいまも同じことをやっているわけです。違うのはそれが秘密裏に行われているということだけです。

殺人事件の犯人が裁判で無期懲役の判決を受けたとき、その被害者の家族がテレビのインタビューで「残念です。極刑にして欲しかった」と言っているのを見てゾッとしますが、それは被害者の家族の発言もさることながら、それをさも正義のように放送するテレビ局と、それを見て被害者の家族と同じ気持ちになって「殺せ!」と思っている世間サマにゾッとするわけです。いかなることがあっても人が人を殺してはいけない、というようなことを決してテレビで言わないのは、そんなことを言うと世間サマから抗議の電話があるからです。世間サマは、自分の手を汚さず平気で人を殺すこともあるのです。

自殺者に対して、世間サマは見て見ぬふりをします。自殺ということは、世間サマにとってあって欲しくないことだからです。より良い学校を出て、より良い会社に入り、より良い行いをし、より良い暮らしをすることが善という世間サマの物差しに、自殺ということは当てはまりません。世間サマの目から見れば、自殺者は単なる脱落者です。そうなりたくないから、みんな見て見ぬふりをします。だから、自殺した人の葬式では、世間サマの目を気にして、死因はたいてい心不全ということになっています。


僕は工場というものに憧れていて、高校を卒業したあと大阪にあるステンレスの線を作る工場に就職しました。僕は研究室みたいなところで働くのではないかと勝手に思っていたのですが、配属されたのは工場の現場で、ステンレスの太い線をダイヤモンドの穴に通し、それをウィンチで巻き取って細くする仕事でした。24時間操業で、1週間おきに勤務時間がズレる3交替性で、夜勤のときは工場の騒音がだんだん気持ち良くなってきて眠くなります。ついウトウトしていると、ステンレスの線がパチンと切れて「おー、危ない危ない」という危険な職場でもあったのです。

夜勤明けのときはいつも、工場の煙突に登って早朝の空を眺めていました。田舎にいたとき、山に登って遠くを眺め、この山の向こうにあるどこかの工場で、早く働きたいと思っていました。そして、希望に胸を膨らませ、入った工場は、地獄でした。

その工場から脱出する決心をしたのは、入社3カ月目、新入社員全員が自衛隊に体験入隊させられるということが解ったときです。会社に言うと止められるので、寮の友達だけに言って、布団袋を担いで、無賃乗車で父親が出稼ぎで働いている川崎へ逃げました。

父親と狭いアパートに住み、今度は自動車工場で働くことになったのですが、もう工場で働くということに希望が持てなくなっていました。同僚は、僕が定年退職を迎えたとき、中途採用だからみんなより退職金が少なくなるとか、聞きたくもないことを親切に教えてくれたりするのですが、「えっ、みんないつもそんなことを考えているの。それ何十年も先の話でしょ」と、心の中で思ったりしました。

週末、渋谷や新宿に遊びに行ったとき、デザイン学校のポスターを見かけ、グラフィック・デザインという仕事があることを知り、工場で働きながらデザイン学校の夜間部に通うようになります。僕は漫画を描くのが好きで、漫画家になるのが夢でしたが、漫画では喰っていけないと思って諦めていました。しかし、デザインなら喰っていけるのではないかと思ったのです。これが表現ということに目覚めるきっかけでした。そして、世間サマの束縛から逃れるきっかけでもあったと思います。

それまで母親の心中のことは誰にも言いませんでした。学校の友達や会社の同僚にそういう話をしても、雰囲気が暗くなるだけで、誰も聞きたくないだろうと思っていたからです。僕自身も、母親のことを肯定できてなくて、人に言いたくないと思っていたかもしれません。

しかし、グラフィック・デザイナーの横尾忠則さんや粟津潔さんに憧れるようになって、表現ということに目覚めると、考え方が逆になりました。母親が心中するという特殊な家庭環境で育ったことは、自分が表現者として選ばれたということではないか、と思うようになったのです。つまり、自意識が膨らんでしまったということです。

デザイン学校を半年で辞めて看板会社に入った頃は、人間の中にあるドロドロした情念を表現するということに凝り固まっていたので、看板やディスプレイのデザインをしてもおどろおどろしいものばかりで、周りからはたぶん「あいつ何を考えているんだ」と思われていたはずです。もちろん、僕がデザインするものはほとんど採用されませんでした。

そんな中で、唯一わけの解らない僕のデザイン論を真面目に聞いてくれる人がいて、やっと本当の気持ちを話せる人ができたと思って、喫茶店でモダニズム・デザイン批判をまくしたてていました。母親の心中の話をしたのはその人が最初です。でも、何回かその話をすると「それが末井くんの売り物なんだね」と言われて、それがかなりショックで、それからは母親のことを話すのはやめました。

母親の心中のことを平気で話せるようになったのは、編集者になってからで、ゴールデン街の飲み屋で、クマさんこと篠原勝之さんにその話をしたら、「おー、すごいじゃないか」とウケたときからです。拒絶されるのでも、同情されるのでもなく、それも良しと受け止めてくれる人がいたのです。それからは「それが売り物」と言われても、「売り物にしてなぜ悪い」と思えるようになったのでした。


人身事故、つまり電車に人が飛び込むのが一番多いのは、月曜日だそうです。

学校でいじめられたり、会社で孤立したり、業績が上がらず上司から嫌味ばかり言われたりしている人には、休み明けの月曜日は辛いかもしれません。しかし、早まって電車に飛び込まないでください。そういうときは反対側のホームに行き、逆方向の電車に乗ってみてください。

僕も会社に行きたくないとき、逆方向の電車に乗ることがたまにありますが、行き先が決まっているわけではないので、適当な駅で降りて、駅の周りをブラブラ歩き回ったりして、最終的にはパチンコ店に入るぐらいなのですが、それでも気分は少しは変わります。

会社や学校やアルバイト先に行く電車が世間に向かっているとすれば、逆方向の電車に乗ることは、世間に背を向けることです。世間の尺度から離れて、できれば一生世間から離れて生きていけば、世間の煩わしさに悩むこともありません。

そんなことを考えているとき、ふと入った本屋さんで『生きづらさの正体 世間という見えない敵』という本のタイトルが目に入りました。まさに自分が考えていることと同じだと思って、即購入して読みました。

この、ひろさちや氏の本は、夏目漱石の「三四郎」「それから」「門」の3部作、カフカの「変身」、旧約聖書の「ヨブ記」を題材に、世間から外れた者が、世間からどういう扱いをされるかが書かれていました。世間というものは幽霊のようなもので、幽霊にびくびくしている人に幽霊が出るように、世間を怖がる人に世間圧がかかってくる。しかし、革命運動家やアウトロー、世間に反抗する若者たちには、世間のほうが恐れて世間圧はかからないと書かれています。そして、

いいですか。あなたは世間から、良き夫、良き父、良き会社員であることを期待されている。あなたは良き夫、良き父、良き会社員であらねばならないのだ。

しかし、あなたは、絶対に、

―真の人間

であってはならない。あなたは良き人間であらねばならないが、あなたが真の人間であってはいけないのだ。もしもあなたが真の人間であろうとすれば、それは世間の禁忌に触れたのであって、あなたは「深海魚」に変身させられてしまう。
(『生きづらさの正体 世間という見えない敵』ひろさちや著・日本文芸社)

という箇所に、なるほどと思いました。「深海魚」とは、世間という海の底で静かに暮らすことを指しています。

世間サマは良識のある善良な人を歓迎しますが、真の人間を嫌うのです。真の人間とは、人としてどう生きたらいいのかを問い直し、その答えを求めようとする人です。

では、なぜ世間サマは真の人間を忌み嫌うのか。それは、真の人間になれば、世間サマが良しとしているものすべてが、脆くも崩れ去るからです。

世間になんの疑いもなく順応し、生きていくことになんの苦痛も感じない人は、自殺なんて考えないでしょう。そういう人は、自殺者を見て見ぬふりをする側にいるのかもしれません。そういう人に対して、僕は何も言うことがありません。

しかし、世間にどうしても収まることができず、その軋轢で自殺を考えている人は、世間に背を向けて生きていくしかありません。それが自由ということだと思います。自由とは輝かしいものではなく、孤独で厳しいものですが、真の人間として生きる喜びがあるはずです。真の人間から見れば、世間なんて映画のセットの描き割りかハリボテのようなもので、見せかけだけのものかもしれません。

僕は真の人間になったのかどうかは解りませんが、世間サマの束縛から逃れられたことによって、少なくとも何十年か先の退職金のことを考える人よりは自由になり、母親の心中のことも平気で話せるようになりました。そして、無念な思いで自殺した人たちに対して、少しは悼む心を持てるようになったのではないかと思っています。


(続く)
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