『わたし』には前世の記憶があったりします。
誰にも愛されず、なのに一人では生きられない弱い自分の記憶が。
前世の両親は、『私』なんて見てくれませんでした。
父は仕事と愛人の相手に忙しく、母は母でお金と若いツバメが大切で。
いつしか、当然のように2人は離婚をし、『私』はそのどちらからも必要とはされませんでした。
厄介者の『私』は、父方の祖父に預けられたけども、そこでも居ない者として扱われ、いつしか『私』は全てを諦めた。
2次元の世界に逃避し、ネットの海に溺れたのです。
学校にも殆ど行かず、いわば不登校児の見本みたいな存在でした。
愛してくれる両親もいなく、一緒に笑い合う友達もいない『私』。
そうして『私』は、いつしか夢想するのです。
『私』を愛してくれる親。『私』と笑い合ってくれる友達の存在。
……少し頑張れば、両親は無理でも、友達は出来たかもしれなかったなぁ、って今になっては思いますが。
当時の『私』にはそれは無理で。衝動的なのか、気づけばカッターナイフを手首に当てていました。
震える手で躊躇い傷をいくつも作り、それでも最後は思いッきり深い傷を作れた……んだと思う。
だって、止まらない血。遠のく意識。身体の芯から冷えていく感覚。そして、全てが闇の中へ……たぶん、死んだんでしょうね。
そう思えるのは、『わたし』が『産まれた』から。
母と思しき人に抱かれて泣く『わたし』。
父と思しき人に優しい瞳で笑いかけられる『わたし』。
父の優しい手。父の暖かい声色。父の……父の……父の……
『私』が望んだ世界。『私』が、心より欲したもの。
パパ。わたしは、パパが大好きだよ。
誰よりも、誰よりも……
そう、母さんよりも。
母さんはダメだよ、パパ。
だって、『私』のおかげで『わたし』わかるもん。
母さんは、浮気してる。
パパを裏切って、浮気してるよ?
前世の母さんと同じで、あの人は、誠実な人じゃないから。
だからパパ。母さんと別れて『わたし』と2人きりになろうよ。
『わたし』はパパを裏切らない。
『わたし』はパパのためなら、なぁんでもできる。
『わたし』がパパを幸せにしてあげる。
パパが幸せなら、『わたし』はどうなっても構わないから。
だから、ねぇ、パパ。
母さんと別れよ?
母さんと一緒じゃ、パパは傷つくだけだよ?
性欲を晴らしたいなら、『私』が他の女を捜してあげる。
本当にパパを愛して幸せにしてくれる女の人を。
そうでないなら……そう、『私』。『私』と『わたし』がパパのお嫁さんになってもいい!
パパのお嫁さんになるよっ!
そうすれば、ずっとパパといっしょ。
ずっと、ずぅっと、パパといっしょだね♪
最近、身体がとても重い。
理由は分かっている。
妻だ。俺の妻は、浮気をしている。
そう考えるだけで、心がもやもやする。
ため息が止まらない。
妻の浮気を知った切欠は、今年で小学2年生になる娘の美伊だ。
そう、美伊が教えてくれた。
妻が、見知らぬ男と抱き合い、キスをしていたと。
最初は勘違いだと思っていた。
でも、美伊は証拠を揃えてきた。
家にあったデジカメを使い証拠写真を撮り、ホームカメラで情事の最中を明確に撮った。
……ショックだった。
家族ですごす家に、他の男を連れ込んでセックスに耽る妻の姿が。
相手は、よく言えば恰幅のいい男だ。
そして、いかにも金のありそうな男でもある。
名は、月村安次郎。
某大企業の創業者の孫。現トップの従兄弟でもある。
はは……すっげぇ金持ちじゃねーか。
どこで知り合ったんだよ、おまえ。
それに、なんだよこのおっさんは。どう見ても俺の方がいいじゃねぇか。
金か? それともあっちか?
確かにこのおっさんは、ねちっこいエロが得意そうだしな。
そう心内で吐き捨て、俺は娘が持ってきてくれた水をグイッと呷った。
喉を通る、冷たい水の感触。ササクレだった心が、少しだけ落ちついた気がした。
「パパ、泣かないで、パパ……」
「大丈夫、泣いてないよ、美伊」
「ううん、泣いてるよ、パパ。わたし、わかるもん。パパが大好きだから。
ねぇパパ。わたしが、みぃがぎゅってしてあげる。パパをぎゅって。だから、もう泣かないで」
どしんと体当たりみたいに俺の胸に飛び込んでくる娘の体温は、とても暖かく。
俺は、衝動のまま娘をギュッと抱きしめ。
「パパ、大好き。大好きだよ、パパ」
「ああ、俺も、美伊が大好きだ」
「嬉しい! パパ! みぃはパパを愛してるよ!!」
「俺も、美伊を愛してるよ」
まるで幼い恋人同士のように。
そして思う。
俺は、ひとりじゃない。
俺には娘がいる。
俺を心から慕ってくれる、大切な、何よりも、誰よりも大切な娘が。
だから、妻と別れよう。
娘の心を傷つけた妻と。
そんな妻の所業に気づけなかった自分と決別する為にも。
年に似合わずパソコンを弄り、ネットを使いこなす娘の提案に従い、弁護士を雇い、調査会社に依頼する。
弁護士は離婚がスムーズにいくように。調査会社は更なる浮気の証拠集めのために。
結果、俺は妻の浮気の証拠を眼前に叩きつけられることになる。
レストランで間男と食事する妻。路上で間男とキスする妻。ラブホテルに間男と手を繋いで入る妻。
そして、俺達の家で、間男とセックスに興じる妻。
めまいがする。吐き気がした。訳も分からず叫びたくなった。
でも、しっかと手を握って離さない娘の手の暖かさに、辛うじて正気を保てた。
「大丈夫だよパパ。わたしがいるから。みぃがいるから。みぃが、きっとパパを幸せにしてあげるから」
「幸せに? それなら、もう幸せだよ。美伊がいてくれるから、パパはとっくの間に幸せなんだ」
「違う。違うよパパ! もっとだよ! もっともっと幸せになるの!」
「美伊が居てくれるだけで幸せなのに、もっとかぁ」
「うんっ!」
俺は娘を抱きしめる。
小さい娘の身体を、しっかり、ぎゅっと。
かしこく、やさしく、あたたかい。
そんな、宝物のような娘の身体を、いつまでも、いつまでも……
私とわたしはパパが大好き。
だからぱぱ! 抱きしめて、みぃをっ!!
PaPa! Hold Me!!