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もろ式: 読書日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-06-27

[][]ステロイド合衆国―スポーツ大国の副作用

観た。なかなかおもしろかった。

この作品を知ったのは、町山智浩氏の下の本で紹介されていたからである(この本については、以前、このブログで書いたことがある)。

アメリカは今日もステロイドを打つ USAスポーツ狂騒曲 (SHUEISHA PB SERIES)

アメリカは今日もステロイドを打つ USAスポーツ狂騒曲 (SHUEISHA PB SERIES)

このDVDは「スポーツ大国の副作用」という副題からもわかるように、勝利至上主義のアメリカという国全体が抱える病というテーマで作られている。アメリカでは、スポーツのドーピングだけでなく、戦闘機のパイロットからクラシック音楽の演奏家、受験生までが集中力を高めたりするドラッグに頼っている(ようにこの作品では言われているが、実際はどれくらい普及しているのかは分かりにくい)。

しかし、このドキュメンタリー作品は、主役である監督とその家族が、プロレスあるいはプロレス的な世界から足を洗えない様を、ドラッグ依存に託して描いているようにも見える。監督はWWEのシナリオライターだそうだが、まさに中の人による『ビヨンド・ザ・マット』あるいは『レスラー』とも言えるのではないか。

ビヨンド・ザ・マット [DVD]

ビヨンド・ザ・マット [DVD]

レスラー スペシャル・エディション [Blu-ray]

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2011-06-07

[][]ユニコード戦記─文字符号の国際標準化バトル

著者の小林龍生さんよりご恵贈いただきました。ありがとうございます。

ユニコード戦記 ─文字符号の国際標準化バトル

ユニコード戦記 ─文字符号の国際標準化バトル

内容も、語り口も、すばらしくおもしろかった、と言いたい。内容の一部は著者本人から直接聞いたことがあるものもあるし、すでに読んだことがある原稿の再録もあったりするのだが、それらも含めておもしろかった。

もっとも、文字コード関連の知識を多少なりとも持っていないと、「ISO/IEC JTC1/SC2/WG2/IRG」のようなメダパニ系呪文にやられてしまうかもしれない。逆に文字コードに詳しい人のなかでも、Unicodeの現状に不満を持っている人にとっては、規格制定側からの言い訳にしか読めないかもしれない。私の場合、文字コード技術についてはそこそこ知っている方だと思うし、Unicodeに対してもどちらかというと親しみを持っている(変な言い方だな。一応、Unicode ConsortiumのIndivisual Member)ので、本書の読者としては幸福なポジションにあったのかもしれない。

本書で一番考えさせられたのは、実はまえがきの「符号化文字集合のみならず、情報標準は、一般ユーザにとっては、通常は意識に上ることすらない所与のものであろう」という一文(p. 3)であった。(情報標準はとりあえず脇に置いておくとして)「所与のものであ」る、というのは、符号化文字集合、というより文字あるいは言語一般の本質の一つではないかと思われるからである。ここで言われている符号化文字集合の「所与」性は、自然言語に関する柄谷行人の議論を想起させる。すなわち柄谷は、日本語や英語などの言語が人工物であるにもかかわらず自然言語と呼ばれるのはなぜか、という問いに対して、「われわれが「自然」と呼ぶものは、人工でないという意味ではない。人間が作ったものでありながら、なおその作り方が究極的に不透明であり、むしろ、「人間」を作ってしまうような何かなのである」と述べている(『定本 柄谷行人集〈2〉隠喩としての建築』)。符号化文字集合の標準化のプロセスはきわめて明確なものであるし、本書を読めば、各国、企業、個人などの利害が錯綜した生々しいやりとりがリアルなものとして伝わってくる。しかし、ネイティブ(これも「自然」に近いニュアンスがあるかもしれない)スピーカーが自国の文化と文字とを結びつけ、理性的なはずの標準化の場を翻弄するさまは、まさに文字というものが持つ「所与」性が引き起こしているようにも見える。

国民国家や言語などの結びつきを相対化しようとするディアスポラ的視点を持った著者の「戦地報告」は、「戦記」というタイトルからも連想されるマッチョな感じのものではなく、文化人類学者による参与観察と構造分析の報告書のような印象がある。一方で、好奇心の赴くままに?自らすすんで標準化の坩堝に巻き込まれていく中で、英語能力を高め、国際標準の議論の方法を(そのパクス・アメリカーナ的あり方を自問自答しつつも)身につけ、実績(評価が分かれるところもあるかもしれないけど)を上げていった部分には、敬意を評するとともに、本書の読み物としての魅力を高めているように思う。

いま、私が酒井直樹氏の著作などに興味を持って読んでいた2000年頃に、小林さんと「知的ディアスポラ」についての議論をメールでしていたのを懐かしく読み直している。議論、といっても私が一方的に教わっている感じで、私からの貢献?といえばスチュアート・ホールへのインタビュー「あるディアスポラ的知識人の形成」のコピーを図書館でコピーして送ったぐらいのことなのだが、今思えば、現在私がやっている文字コード研究、あるいは人文情報学研究などは、小林さんの影響を強く受けているのかもなぁと思ったりもしている。

2011-05-17

[][]ループ

以前最近読んでいる(いた)本というエントリで書いた『ループ』を、ようやく読み終わった。

ループ (角川ホラー文庫)

ループ (角川ホラー文庫)

設定としては仮想世界モノ。SFとしては詰めが甘いかな~という気もするが*1『リング』の物語がこのような形で終りを迎えるというのはなかなか感慨深い。

穴からこちらを伺っているような文庫本の表紙の絵は、顕微鏡でウイルスを観察しているのか、あるいは最後のシーンをもとにしたものだと思うが、井戸の底から空を見上げながら死んだ(といっていいのかわからないが)貞子の悲劇?の始まりと、なんとなく繋がっているような気もしないでもない。

*1:一番違和感があるのが、シミュレーションではなく、現実世界とまったく同じ物理法則などを再現しているらしい〈ループ界〉の方が、現実世界よりも早く時間が進行するという点。地球の誕生から1990年代ぐらいまでをわずか20年ぐらいで再現できたのであれば、1000万年先の未来を数年で先取りすることができることになってしまう。この点、『順列都市〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)』『順列都市〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)』はよく考えられていたように思う。

2011-05-10

[]電子雑誌『論集文字』第1号

出ました。

http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ogwata/20110509/20110509234818.png

私も「[資料紹介]漢字出現頻度数調査」という題で寄稿しています。手にとって(ダウンロードして)いただければ幸いです。EPUB2が読めるリーダーが必要です。

また、研究会の雑誌をダウンロードサイトからEPUB2で発行というのも新しい試みだと思います。うまくいくとは限りませんが(もちろんうまくいって欲しいですが)、電子書籍時代におけるマイナー学術雑誌の出版形態についての一つの試行錯誤として、興味深いと思います。

ということで、どうぞよろしく!

2011-05-08

[][]最後の遣唐使

ざっと読んだ。

最後の遣唐使 (講談社学術文庫)

最後の遣唐使 (講談社学術文庫)

全体的には『続日本後紀』と『入唐求法巡礼行記』の「最後の遣唐使」の箇所を時間順に読んでいく、といったスタイルの本である。言ってみれば、唐に苦労して行って、帰ってきたというだけのことなので、大部分はさして劇的でもない活動記録である。そんなものであっても、古代人のそれであるというだけで楽しめるタイプの人にはたぶんむちゃくちゃおもしろいだろう(残念ながら、私は部分的にしか楽しめなかったが)。

なんでこの本を手にとったかと言えば、「最後の遣唐使」の中に戒明という名前の薬師寺のお坊さんがいるからである。富貴原章信『日本唯識思想史』などによれば、戒明は護命の弟子の仲継の弟子とのことで、音石の明詮とほぼ同年輩の791~849年の人と推定されている。奈良時代に大安寺に同名のお坊さんがいて、『大仏頂経』や『釈摩訶衍論』の将来にからんで、法相宗 vs. 三論宗の所謂“空有の論争”における三論宗側のキーマンの一人だったりするのであるが、『唯識論同学鈔』などでは奈良時代/平安時代と時代が隔たっている両者を混同するような記述が見られる。

平安時代の戒明が空有の論争にコミットしていたのかどうかはわからないが、同じ「最後の遣唐使」で入唐していた三論宗の常暁が、唐から『大仏頂経』の注釈書を将来しており、『常暁和尚請来目録』を見るとこれが空有の論争にからんだものであることがわかる*1。したがって、平安時代の法相宗の戒明も、立場は違えどこの論争に関心を持っていた可能性は否定出来ない。

本書『最後の遣唐使』においては、そういった仏教系のネタはほとんど触れられていない(最後の遣唐使が強行されたのは、真言宗側からの陰の圧力があった、というような指摘は興味深いが、天長の頃の仏教界の状況についてはほとんど説明がない)ので、上の戒明についてもほとんど名前が紹介される程度である。そういった部分ではあまり得るところはなかったのであるが、それは期待のしすぎというか、ないものねだりというものであろう。遣唐使派遣のプロセスや周辺的な情報については(上に書いたとおり、あまり楽しめたわけではないけど (^_^;;)たいへん勉強になったのであった。

次は『仁明朝史の研究』を読まないとな。

仁明朝史の研究―承和転換期とその周辺

仁明朝史の研究―承和転換期とその周辺