俳優インタビュー 最高の『ジーザス』を求めて

異なる二つの演出パターン<エルサレム・バージョン><ジャポネスク・バージョン>を持ち、1973年の四季初演以来、長きにわたり人々を魅了し続ける『ジーザス・クライスト=スーパースター』。劇団四季の芸術性・創作力のひとつの到達点といわれるこの舞台にかける俳優たちの情熱も、並々ならぬものがあります。役作りの苦悩、そして導き出した自分なりの『ジーザス・クライスト=スーパースター』とは?メインキャストの4人の熱い思いをお伝えいたします。

第四回 『生きていることの奇跡を噛み締めて舞台に上がり続けたい』 イスカリオテのユダ役 金森勝

金森さんは2007年から『ジーザス・クライスト=スーパースター』(以下『JCS』)に出演され、最初からイスカリオテのユダという重要な役を演じてきましたね。

金森
正直に告白すると、このユダという役はすごく重く、自分にとって人生観を変えてしまうほどの役になりました。実際に舞台を踏む前は聖書を題材としたミュージカルということで、高踏な印象を持っていたんです。それがユダとして舞台に立ってみると、魔力的とでもいうべき深みに支配されてしまいました。
金森 勝

ユダは、命を掛けてジーザスを愛した結果、ジーザスを「裏切る」という行為をはかった、裏切り者の代名詞ともいえる存在です。いくらジーザスを愛してもその愛が届くことのなかったユダ。
民衆もまた同じです。皆が苦しみ、ジーザスに救いを求める中で、娼婦マリアに心を開き、キスを許すジーザス。この光景はユダにとって衝撃的なものです。
その時ユダはジーザスに対し、こんな大事な時になぜマリアを許すのかと問うと、ジーザスは「かまうな 私のこの人に 罪のない者がいれば 石をもて この人を打て」と発します。

舞台写真

確かに罪を犯したことのない者はいないのかもしれない。しかしそう返されたユダの気持ちがわかりますか。同じ理念を共有し歩んできた唯一の存在であるジーザスに受け入れられなかった今、自分は一体何のために生きてきたのだろう…。
そう考えたとき、ふと自身のこれまでの人生を見つめ直さずにはいられなくなりました。
「愛が届くことはあるのか?」「孤独の中でしか、生きる術はないのではないか?」「愛するがゆえに裏切るなら、愛とは何なのか?」。

答えは見つからず、自分の魂とユダの魂がだんだんと混濁してきて、『JCS』京都公演では、24時間悩み続ける日々でした。舞台の上でも、そして舞台を降りても、「早く天に召してくれ!この苦しみから解放してくれ!」と願うほど。周りの方々にも心配をかけてしまいました(笑)

舞台写真

ユダが憑依してしまったのですね。

金森
当時ユダを演じることは、辛く苦しいことでした。今となっては、それは俳優として自分が未熟であったからなのだと思います。
今回の上演にあたって稽古場では、演出の浅利先生から「もっと肩の力を抜け」「俳優は脚本を伝えるための器である」と改めて多くのこと学びました。感情で胸を満たしていては、役が腹に落ちない。役を腹に落としてこそ、観る人に伝わり腑に落ちるのだと。
それまでは一生懸命演じ過ぎてしまうことで、自分を苦しめていたのかも知れません。
でも自分がユダになるわけではない、自分を通して観る人の心にユダが生きなくてはいけない。そこに気がついたんです。

その頃と比べて、ご自身の中では何が大きく変わりましたか?

金森
当時は悩みすぎて、孤独から逃げたい一心で、すべてを否定したい気持ちに駆られていました。この世の何もかもを捨て去り、ジーザスをただひたすらに愛し、想いを届かせたいとだけ願っていたんです。演技も、ジーザスにタックルして自爆するように激しかった。

今回の稽古中、太宰治の『駈込み訴え』というユダを扱った作品を読んで気づいたことがありました。描かれているユダに対して「なんて女々しく、独りよがりな男なんだろう」と嫌悪感を覚えたんですね。でも、それが自分が演じていたユダと重なり、恥ずかしさをおぼえました。

本来、ユダが抱くジーザスに対する「愛」は、群衆一人ひとりに対する想いや愛につながっているのではないかと思います。群衆一人ひとりもまた、孤独の中でもがいているんです。だから、自分を見つめて、この瞬間を必死に生きることこそが大切。
否定ではなく、孤独を受け入れること。例え届かなくても、生きることは愛することであり、そこに意味があるのだと思います。生きていることは当たり前のことではない。本当は生きていることは奇跡なんですね。
一瞬一瞬を感謝しながら、出来ることをやる。それが自分の生きていく道だと、今は思っています。

金森 勝

それが、仰った「人生観をも変えてしまった」ということの意味ですね。
では最後に、7月5日(火)から始まる<エルサレム・バージョン>アンコール公演への意気込みをお聞かせください。

金森
舞台は生ものです。中でも特にこの作品は、演じる者にとっても観る者にとってもその時その時の感じ方というのがあります。
内面性がより浮き彫りになるジャポネスク・バージョンを経て、自分の中のユダがどうなったか、とても楽しみです。前回のエルサレム・バージョンをご覧になったお客様にも、きっと新鮮な驚きと感動を届けられると思います。
そして、皆さんにはユダという人間を感じてもらえると幸いです。今、“生きていること”を噛み締めながら自分の心と向き合って強く生きて欲しい。少しでも多くの人に、今だからこそ見て頂きたいと、心から思っています。ぜひ劇場で共に瞬間を生きてください。
舞台写真
作品紹介サイトへ