支那の史書 台湾は化外の地
いわき抜粋
支那の史書には台湾を日本の領土と記すものがある。 清政府が大成した「明史・土司列伝」は、鶏龍国(台湾)は日本に属すとしている。 「乾隆府庁州県図志・台湾府」も、台湾を日本の領土と記している。 中華思想を持つ支那人からすれば、海を隔てた台湾は化外の地であり、倭人の土地に相応しいと考えたのだろう。 実際、清の康熙帝は鄭氏を滅ぼしたが、台湾を清の版図に入れることを拒んだという。 1680年代、台湾は清の版図とされたが、海禁策などで大陸とは区別していた。 台湾は支那の領土ではないと書かれている史書は他にもある。 魏源の「聖武記」、 藍鼎元の「平台記略」、黄宗義の「易姓始末」、連横の「台湾通史」、 高拱乾の「台湾府志」、施琅の「靖海記事」、郁永河の「裨海遊記」、 周元文の「重修台湾府志」など。 これ以外にも多くの史書が台湾を支那の領土ではないとしている。 さらに呉子光の「台湾記事」は、台湾を毘舎耶国(フィリピン)の領土としているのだ。 支那が史書を用いて台湾の領有を主張することは滑稽である。 |