バスケ青春の詩

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自分の想いの言葉を綴っています。

自業自得とは…

2011-07-02 00:02:03 | 記事一覧
平成23年7月2日 土曜日
 
「自業自得とは…」

自業自得とは、仏教の言葉で…


『自らつくった善悪の業(行い)によって、自分の身にその報いを受けること』


自らつくった善悪の行いへの報い…


善い行いであれば、
善い報いを受けて、

悪い行いであれば、
悪い報いを受けるのでしょう。


善い行いと悪い行いでいえば、


法的に、してはならないことを…

悪い行いと言うのではないと思うのです。


その善悪の行いは、
人としての善悪…


善は人を幸せにする行いであり

悪は人を傷付ける行いだと思います。


たとえば、
嘘をつくこと、
人のものを盗むこと、
我が身を守るためでもなく人の命を奪うこと

これらのいわゆる
人の道から外れたことをいうものと思います。


例えば、
その報いが命を奪われるものとするなら…


命を奪われるほどの悪いこととは、

人の道で言えばなんでしょうか?


善い行いでなかったとして報いを受けたとしても


それが自分の欲求を満たすための行いで、

それが社会的に批難される行いであったとしても


その報いが命を奪われることではないと思うのです。

ですから、自業自得とは違うと思うのです。


ある原因の結果としての運命であったとは思いますが、


報いを受けることはあるとしても、


その行いに応じた報いを受けるならばわかります。


それは『因果応報』と
も言うとも思いますが…


その結果は原因の程度
に応じた報いであるということです。


『自業自得』も同じだと思うのです。


人に嘘をついて傷付ければ、嘘をつかれて報いを受けるし

人のものを盗んで、
人を傷付ければ、
自分は大事なものを
盗られて傷付き

人の命を奪えば、
命を奪われて報いを受ける

そのような報いであれば、それを自業自得というのでしょう。


確かに人の道として、
善い悪いとして言えば…

善い行いではなかったでしょう。

しかしそれは、
命を奪われる報いを受けるものではないのです…

だから自業自得ではないと思っています。


『どっちでもいいだろう、そんなこと…』と言われるかもしれない。

しかし、自業自得であるならば受けるべき報いとして命を亡くすことは…


報いとして避けることが出来なかったことです。


一方で結果として命を
奪われたことであったとしても、

それが報いとしての結果でないならば、

その結果を変えることは出来たのです。


そこで命を亡くす運命であったならば、

その運命は報いでないのだから避けることは出来たのです。


それを避けることが
出来なかったことは


親としてのあり方に
原因があったのです。

それが悔やみようもない事実です。


報いとして命を奪われたのではないのです。

決して絶対に、
自業自得であったとは違うのです。


その運命を避けることが出来た行動を、
親として為さなかったことは事実です。


だから悔やみを抱えながら生きて行くしかないのです。
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