ディック東郷選手の国内引退の記事を見た。
私が知る最近の日本人レスラーで最も巧いレスラーの一人だった。
日本のプロレス界きっての職人レスラーである外道をして
「外道に「オレの中で過去、現在、未来において、ベストなレスラーだった」
と言わしめたこの男。
彼が「凄いレスラー」であることを実感したのは海援隊の一員として活躍していたWWE、
アメリカでのこと。どこの会場で誰と誰の試合だったかは憶えていないが、
リングサイドにセコンドとしてついていた。
リングサイドで撮影していた私だが、隣にいたディック東郷は
とてもソフトな声で「ジミーさん、危ないですよ」と言った。
私は即座に1メートルぐらい離れたのだが、
次の瞬間に彼は「乱入」したのである。
通常このような局面、選手はてんぱってるので
「ソフトな声で冷静に」などとはならない。
私に「キュー」を出すタイミングとボイストーン…
その時彼の卓越した技量を思い知った。
オレのカメラマン暦の中、過去、現在、未来において最も衝撃的だった話のひとつ。
そのインパクトから、2006年2月にソウル郊外で行なわれた新韓国プロレスの大会、
私が初めてブッカーを任せられた大会にはいの一番に声をかけた。
国際電話で
「例の件で俺は佐藤選手が凄いレスラーだと思い知った。凄いレスラーに最高の試合を
やってもらいたいから、対戦相手はベストの試合が出来ると思う相手を自分で選んで
連れてきてほしい」と言った。
その時に彼が連れてきた選手は、いまをときめく飯伏選手だった。
まだ芽が出る随分前の話だが、その時既にディック東郷は飯伏選手を見込んでいたのである。
当然東郷選手には可能な限りのベストなギャラを提示し
私が呼んだ全選手の滞在はインターコンチネンタルホテルにしたわけだけど
「朝食代が4000円って…」と絶句していたことも忘れられない。確かに高かった。
なにはともあれディック東郷選手、お疲れ様でした。
それにしてもこれから海外20カ国を周って、最後はボリビアって
凄い発想ですな。
私が知る最近の日本人レスラーで最も巧いレスラーの一人だった。
日本のプロレス界きっての職人レスラーである外道をして
「外道に「オレの中で過去、現在、未来において、ベストなレスラーだった」
と言わしめたこの男。
彼が「凄いレスラー」であることを実感したのは海援隊の一員として活躍していたWWE、
アメリカでのこと。どこの会場で誰と誰の試合だったかは憶えていないが、
リングサイドにセコンドとしてついていた。
リングサイドで撮影していた私だが、隣にいたディック東郷は
とてもソフトな声で「ジミーさん、危ないですよ」と言った。
私は即座に1メートルぐらい離れたのだが、
次の瞬間に彼は「乱入」したのである。
通常このような局面、選手はてんぱってるので
「ソフトな声で冷静に」などとはならない。
私に「キュー」を出すタイミングとボイストーン…
その時彼の卓越した技量を思い知った。
オレのカメラマン暦の中、過去、現在、未来において最も衝撃的だった話のひとつ。
そのインパクトから、2006年2月にソウル郊外で行なわれた新韓国プロレスの大会、
私が初めてブッカーを任せられた大会にはいの一番に声をかけた。
国際電話で
「例の件で俺は佐藤選手が凄いレスラーだと思い知った。凄いレスラーに最高の試合を
やってもらいたいから、対戦相手はベストの試合が出来ると思う相手を自分で選んで
連れてきてほしい」と言った。
その時に彼が連れてきた選手は、いまをときめく飯伏選手だった。
まだ芽が出る随分前の話だが、その時既にディック東郷は飯伏選手を見込んでいたのである。
当然東郷選手には可能な限りのベストなギャラを提示し
私が呼んだ全選手の滞在はインターコンチネンタルホテルにしたわけだけど
「朝食代が4000円って…」と絶句していたことも忘れられない。確かに高かった。
なにはともあれディック東郷選手、お疲れ様でした。
それにしてもこれから海外20カ国を周って、最後はボリビアって
凄い発想ですな。