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[4380] 戦神の配下に魔狼は嗤う(改題:旧戦神の配下) 本編投下
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2010/11/06 19:50
 初めまして、はたまたこんにちは。5,45㎜の顎とでも呼んでください。
 では本SSを読むに当たっての注意事項なぞ。



 更新が滅茶苦茶開いたことをまずお詫びします。申し訳ありませんでした。
 で、謝っといてなんですが、大学の方が鬼のように忙しいので今後も更新は超絶不定期になります。次回更新もいつになるか見通しは全く立っていません。
 重ねてお詫びいたします。
 



 本SSはMuv-Luv Alternative 二次創作となります。

 オリ主人公です。大分強設定なのでこの時点で駄目だ、って人は回れ右。あとオリヒロインがガッツリ出てきます。注意。
 次いで幾度かご指摘いただいたので追記しておきますが、作者はキャラクター、特に主人公に対してハードボイルド的要素は一切求めていません。"話"としてそういう方向性を持たせていきたいとは思っています。

 一部独自解釈によって物語を構成しています。コレどうなのよ? って思うことがあればコメントにてお知らせください。回答いたします。

 本筋は基本的にテンプレに沿います。が、A-01部隊を話の中心においているため中盤まで武達は殆ど出てきません。

 原作劇中では影も出てこないような設計思想の兵器がポンポン出てきます。一応世界観や運用上違和感が出ない様に設定を立てていますが、何か気付いた所、思うところがある場合は遠慮無く突っ込んでください。

 最新兵器が最強だと思ったら大間違いだぜ!!

 作者には原作登場キャラの性格を把握し切れている自信はありません。こんなの俺の誰某じゃない、とか思うこともあるかと思いますが、出来ればそこには突っ込まない方向で一つ……。

 Muv-Luv Alternative公式設定資料集が発売予定ですが、本SSはそれ以前に執筆されているため、それと見比べると矛盾する点が出て来る可能性があります。指摘があった場合、可能な範囲で修正いたします。あまりに大規模な修正になる場合は出来ないかも知れませんが……。



 以上が注意事項となります。
 これでもまだ「本編を読むぜ!!」という剛の者がいらっしゃるのであれば、どうぞ本編を読んでください。



[4380] プロローグ
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/12/02 21:57
 記録―――ユーラシア大陸ヨーロッパ地方BETA西進に於ける事態の推移


1987年6月下旬
 BETAドイツ東部国境に到達。

同28日
 ドイツ政府は国家非常事態宣言を発令。第一級戦時体制に移行。

7月4日
 師団規模のBETA19個、東部国境要塞線オーデルラインに到達。
 第一次オーデルライン防衛戦。ドイツ政府、東部居住民間人に対し、西部、フランクフルト、デュセルドルフ、ブレーメン、ケルン、ダルムシュタット方面への避難勧告を発令。

同5日
 EU各国は国家非常事態宣言を発令。オランダ、ルクセンブルグ、フランスは一部民間人の国外脱出を開始。

同6日
 ドイツ国境守備隊、BETA撃退に成功。

同12日
 師団規模のBETA27個、再度オーデルラインに侵攻。第二次オーデルライン防衛戦。

同16日
 ドイツ国境守備隊、BETAの撃退に成功するも防衛戦力の4割を損耗。ドイツ国境守備隊、一時防衛線の守備を断念。二次防衛線まで後退を開始。

同23日
 師団規模のBETA21個、二次防衛戦に到達。第三次オーデルライン防衛戦。地中より迂回突破してきたBETA郡により南部防衛隊が分断、半包囲される。南部防衛隊は後退し、コトプス市街にて篭城。
 南部防衛隊救出のためドイツ陸軍第一装甲師団、他4個師団出撃。



 7/23 1102    コトプス近郊

 整備車両の座席にあって、話そうとする者は皆無だった。皆一様に押し黙り、ある者は忙しなく爪先で床を打ち、ある者は爪を齧り、ある者は苛立たしげに煙草を吹かした。
 BETAの大群と向こうを張る事の意味を知らない者は誰一人として居ない。しかし、その大半は知識でのみの、実感を伴わない情報ではあったが。
 ―――実感の伴わない知識は無価値だ、と言ったのは誰だったろうか。
 尤もタッツェンクロイツを肩に戴く第一装甲師団の多くは実感を伴う知識としてそれを認識していた。
 精強と鳴らすドイツ陸軍においても精鋭中の精鋭を集めた装甲師団だ。BETAの中国侵攻に際しても援護に駆けつけるなどしており、その折にBETAと相対する恐怖を骨身に刻んだ者は多く居る。
 『各員戦術機に搭乗、所定の行動へ移れ!!』
 衛士をその腹に収めた戦術機を載せた整備用のトレーが持ち上がる。
 「Bis bald(また会おう)!!」
 CPのオペレーターが叫び、巨人達は各々焔を吐いて地を駆ける。
 彼方には、砂煙が上がっていた。

 第一装甲師団の一部衛士が使うF-5Gは特殊な改修を施されたモデルで、T型と呼ばれている。
 軽装甲化し、あまつさえ対レーザー蒸散装甲面積さえも削減して機動力を上昇させていた。そのため余程の腕前の持ち主でなければ即座にレーザーに焼き切られる。
 故に、この機体は実機搭乗時間が800時間を超える衛士にのみ与えられた、言わばエースの証だった。その機影は先の世で言う所の第二世代機に準ずる所がある。
だが、所詮はF-5だ。圧し潰される者も少なくない。
 ルイタウラの戦列が地面を揺るがす音に混じり、35㎜機関砲のドドド、ともガガガ、ともつかない砲声が鳴り響く。
 劣化ウランを核とした砲弾がルイタウラの甲殻を穿ち、赤味の強い紫色の体液を撒き散らしながらそれは倒れた。
 しかしその残骸を踏み拉き、磨り潰しながら更なるBETAが押し寄せる。
 「クソッ、キリがねぇ!!」
 「グチャグチャ抜かすな!! コトプスは近いぞ!!」
 「言うのは簡単だよクソッタレ!!」
 真、である。何より数が圧倒的だ。これもまた何時ものことだ。BETAの基本的な戦術―――そんなものがあるのかは兎も角―――は数に任せた物量戦だ。
 だが今はまだレーザー族種が確認されていないだけ、マシな方だろう。まだしも空という優位を確保できるだけ幾らかはマシな戦争が出来ていた。
 徐々に、BETAがその数を減らしてゆく。じりじりと、むず痒くなる様な速度で減ってゆく。

 同24 2138

 「もう少しだ!! もう少しだぞ、兄弟!!」
 コトプス市街も折り重なる肉の向こうに顔を覗かせ始めた。
 見れば戦地応急築城の簡易バリケードから南部防衛隊の放つ砲火が、闇夜に瞬いている。
 優位といえば優位だ。
 現に展開した第一装甲師団は徐々にではあるがBETAを押し戻している。他の師団も押し戻すには至らずとも均衡を保っていた。
 ガンスイーパー分隊がミサイルコンテナを展開し、垂直方向へと無数の誘導弾を打ち上げた。
 通常対レーザー弾頭が装填されるミサイルコンテナには現在、高性能炸薬弾頭が装填されている。レーザー族種が存在しない以上わざわざ高価な対レーザー弾頭を使うこともない。
 煙を吐きながら異形の群れに殺到したそれらは、その身に秘めた破壊力を一気に解放する。木っ端と散る異形の群れ。
 「開いた!! 第3から第6中隊突撃前衛、突撃アングリフ!!」
 このままいけば、明朝にはコトプスに到達する。



同25日
 第一装甲師団、南部防衛隊解囲に成功するも戦線を押し戻すに至らずコトプス陥落。BETAの突出を許す形で戦線は膠着。
 同日、第一装甲師団補給のため後方に移動。



 同25 0527

 結果を言うならば、コトプスに篭城した南部防衛部隊の解囲は成功した。
 しかしそこまで辿り着いたのは第一装甲師団のみで、他の師団は到達出来ていない。囲いを破るには足りたが、BETAを押し戻すには足らず、結局コトプスは落ちた。
 7月24日2311、第一装甲師団第3大隊第1中隊がBETA群を突破、コトプスに篭城した部隊と合流。
 その時点で篭城部隊の損耗率は50%を超過。以後翌0209までの間に第一装甲師団各隊続々とコトプスまで進展。篭城部隊と連携して戦線を押し戻そうとするもBETAの圧力に耐えかね、0513、現場指揮官はコトプスの放棄を決定。
 現在は後退戦闘を展開し、戦線を下げているが。
 「こちらケルシャー!! 敵圧力増大、これ以上は持たない!! 支援を……!!」
 「こちらアイリス、こちらも手一杯だ!! 現状戦力で対処してくれ!!」
 根本的に、BETA相手に後退戦闘は危ない。
 前述のようにBETAは圧倒的な物量で押し寄せる。まるで黒波の如く。
 人がそうする様に損害に慄いて勢いを殺ぐようなことも無く只管に押し寄せてくる。
 防衛は兎も角、後退は危うかった。
 しかしせざるを得ない。防衛が出来ないのにそれに拘泥すればそれこそ磨り潰される。
 だから、彼らは退いた。

 同1920

 砲火が遠くに聞こえる。
 「歯痒い、って言うのかしらね」
 「かも、知れないですね」
 絹糸を梳ったような銀髪を長く腰まで垂らした長身の、強化服に身を包んだ流麗な女とやはり強化服に身を包んだ大柄でやや人を寄せ付け難い目を持った青年がトレーラーの上で並び立ち、言葉を洩らした。
 敬語を使った青年に対して女はこつん、と軽く拳で頭を叩いた。沈んだ空気を払拭する様でもあった。
 「こぉら。二人きりの時に敬語は使わないで、って言ってあるでしょう」
 「そんなこと言っても貴女は中隊長です。誰かに聞き咎められないとも……」
 その言葉を聞いた女は「んふふ」と鼻を鳴らし、自分より頭一つ分高い位置にある青年の頭を抱え込んだ。
 それに、青年は慌てる。
 「ちょ、中尉!!」
 「なによ。聞き咎められても別に伯父さんに頼んで黙らせるからいいのよ!!」
 「それ横暴ですよ!!」
 「また敬語!! ほらもっと砕けた口調でいいのよ!! 次敬語使ったらキスするわよ!!」
 「う、わ!! 解った、解ったから迫るな!!」
 「そ。それでいいのよ」
 男を解放すると、彼女は眼鏡の奥の瞳を細め、にんまりと笑った。



7月28日
 プラハ陥落。チェコ政府はイギリスに亡命。

8月2日
 ドイツ、デンマーク、スイス、オーストリア、イタリア、ルクセンブルグは民間人の大陸脱出を全面的に開始。フランス、イタリア、スペインは第一級戦時体制に移行。

11月18日
 ドイツ陸軍、ドイツ海軍はオーストリア陸軍とともに戦線膠着状態の打開のためEU各国および国連軍支援のもとに部隊をA、Bの2軍にわけBETA支配地域に侵攻。作戦名ヨルムンガンド開始。



 11/17 1105    第一装甲師団ブリーフィングルーム

 「これより作戦名ヨルムンガンドのブリーフィングを行う」
 師団長がモニターの前に立ち、指示棒を伸ばした。地図の旧ポーランドはコロブシェク付近をパシリと叩き、声を上げる。
 「我々第一装甲師団はA軍集団に投入され、18日にEU、国連軍と校合してコロブシェクに上陸。この後ゴジュフペルコボルトキへと南下する。平行して国境警備隊は全域で戦線を突破、B集団はオーストリア軍の援護を受けてボヘミア盆地へと突入し、翌日リベレツよりコトプスへと北上する」
 かつ、かつと堅い皮がコンクリートを叩く。
 師団長はそこで一旦言葉を切り、自らの言葉が全員に染み渡るのを待つように視線を巡らせた。
 パシリ、と指示棒で自らの手を打ち、ブリーフィングを再開した。
 「同日中にA軍団はゴジュフペルコボルトキに到達予定だ。その後我々はゴジュフペルコボルトキ東部に展開し、BETA対する反攻を行う。以上が作戦の概要だ。質問は? ……無い様だな。では以上で解散とする。1830時までに全ての準備を整え、出撃に備えろ!!」
 ヤー、との声と共に幾多の将兵が敬礼で答えた。



11月18日
 A軍集団、ドイツ海軍、EU、国連軍の連合部隊は旧ポーランド、コロブシェク付近に上陸、ゴジュフペルコボルトキを目指し南下を開始。第一装甲師団、EU連合軍とともに南下を開始。
 国境守備隊、南部以外の全域にわたり戦線を強行突破。
 B軍集団、オーストリア軍の援護のもとボヘミア盆地に突入。

同19日
 B軍集団、リベレツ付近よりコトプスを目指し北上を開始。
 深夜、A軍集団ゴジュフペルコボルトキに到達。第一装甲師団、ゴジュフペルコボルトキ東部方面に展開。

同20日
 明朝、第一装甲師団BETAと接敵。

同21日
 B軍集団側面援護のオーストリア軍がBETAの圧力に耐え切れず戦線が瓦解。コトプス包囲中のB軍集団の撤退路が断たれる。

同22日
 コトプス包囲中のB軍集団は包囲を恐れ、コトプスを迂回し国境守備隊と合流。
ゴジュフペルコボルトキにて戦闘中のA軍集団は北、南の両翼からの圧力に耐え切れずコストシンまで撤退。
 第一装甲師団、A軍集団の殿を務めBETA包囲網から脱出。



 同22 1126    ゴジュフペルコボルトキ

 怒号のような地鳴り。それを押し留めようと足掻く鉄の防波堤。
 「アモ切れだ、カバー!!」
 そう言って、後方車両に弾薬を取りに戻る男がいた。
 「VLS行くよ、下がりなヤドロク共!!」
 そう言って、ミサイルコンテナを展開する女がいた。
 一方で、押し寄せる地鳴りに抗い切れず、押し潰される者も多くいた。
 ただ、同胞を逃すために。

 その日の内に、A軍集団及び第一装甲師団はコストシンまでの撤退を完了する。
 しかしその殿を務めた第一装甲師団は、再編を要するほどの損害を被ったのである。



同23日
 ドイツ政府は攻勢の失敗を発表。作戦の終了と現状の維持を伝達

同25日
 第一装甲師団、補給と再編成のためブレーメンへ後退。

12月8日
 ドイツ政府は首脳部をベルリンからデュッセルドルフへの移転を決定

1988年1月2日
 BETAの大規模侵攻により防衛線全面にわたり圧力増加。

同4日
 圧力に耐え切れず戦線中央部が瓦解、ベルリン市街へのBETA侵入を許す。

同5日
 BETAの急速な増援により戦線各所で突破を許す。特に南部防衛線の瓦解がひどく、同日ドレスデン、マイセン、ライプツィヒ陥落。
 南部防衛隊はワイマールまで撤退。北部防衛隊はベルリン市街にて戦闘を継続

同8日
 ベルリン救援のため第一装甲師団出撃。

同9日
 救援の遅れからベルリン陥落。残存する北部防衛隊はハンブルグ方面に撤退。ロストック、シュヴェリンの各都市では脱出の遅れから民間人が犠牲となる。東部ドイツ陥落。

同10日
 残存部隊はフランクフルト、ブレーメン、ケルン、デュッセルドルフ、ミュンヘンなどの西部および南部の主要都市へ分散、集結。各地でS-11、気化爆弾、熱核兵器などの大量破壊兵器による遅滞戦闘及び焦土作戦を展開。
 第一装甲師団、中部ドイツ地域で焦土作戦を展開。



 1/10 0716    中部ドイツ

 青年は臍を咬んだ。
 彼らが設置したS-11限定核弾頭の炸裂がBETAと、ヨーロッパの大地を焼き払った。BETAと、"ヨーロッパの大地"を。
 祖国の豊かな森が膨大な熱量と苛烈極まる衝撃波で薙ぎ倒されてゆく。
 爆発の衝撃波が収まったところで再び前進してもう一発、S-11地雷を敷設する。他のF-5Gも同様に背部パイロンに装着したマインレイヤーでS-11地雷を国土へと埋め込んだ。
 今一度、青年は臍を咬んだ。
 俺は何をやっているのだ。俺たちは何をやっているのだ!!
 ドイツ最精鋭の我ら第一装甲師団が焦土作戦とは笑わせる。国土の放棄。軍人として無能の証明に他ならない。
 相手が異形の化物だろうと何だろうと、そんなものは言い訳にはならない。戯言だ。
 「こちらザフィーラ01。05、どうしたの?」
 中隊長からの通信。青年は伏せた顔を上げ、それに答えた。
 「いえ……何でもありません」
 「…………」
 その顔を見たモニターの中の想い人が難しい顔をした、と思うと、通信が秘匿回線になった。ルート権限である。
 「大丈夫に見えないから言ってるのよ。何を考えてるのかは解るけど、割り切りなさい。私だって不本意よ。それにきっと、伯父さんだって。他の隊員だっていい気持ちでやってる人はいないわよ」
 「それは―――――」
 当然だろ、という言葉を辛うじて飲み込む。これだけは口にしてはいけないことだった。
 「……後暗示催眠、いる?」
 「いらないよ。大丈夫、もう大丈夫だ」
 彼女の気遣いも、今は重い。
 彼の背に、雲を吹き散らされ、皮肉に晴れ渡った晴天が圧し掛かっていた。



同14日
 ドイツ政府はブレーメン、デュッセルドルフ、フランクフルト、ミュンヘンを結ぶラインを最終防衛ラインと決定。一部部隊のフランス軍指揮下への編入。全国民の国外退去命令を発令。

同18日
 第一装甲師団、補給のためフランクフルトへ移動。

同23日
 第一装甲師団他2個師団がドイツ・フランス国境要塞線マジノ線ロレーヌ地方に展開

同27日
 フランクフルト付近にBETA出現。他にも防衛ライン全域にわたりBETA出現。ドイツ国内において約1か月続く防衛戦闘開始。

同25日
 フランクフルト防衛ドイツ陸軍は激しい抵抗をみせるも市内に多数のBETAの突入を許しフランクフルト陥落

同28日
 ドイツ政府はドイツ本土からの全軍の国外退避令を発令

3月初旬
 BETA、ドイツ・フランス国境要塞線、通称マジノ線に到達

同16日
 南ドイツに展開するドイツ軍はミュンヘンを放棄。民間人の脱出のためドイツ・スイス国境にて玉砕。

同19日
 オーストリア政府はオーストリア本土の防衛を断念。オーストリア陥落

同25日
 北ドイツに展開するドイツ陸軍、BETAの圧力に耐え切れず戦線が瓦解。ブレーメン陥落。この際20万人あまりの民間人が犠牲になる。残存部隊はオランダへ撤退。ドイツ陥落

4月1日
 ベルギー、ルクセンブルグ、フランスの東部国境全域にわたりBETAが大規模侵攻を開始。オランダ、ベルギー政府は初動の遅れからなんら有効な遅滞戦闘を行えぬまま一気に首都ブリュッセル、アムステルダムまで侵攻を許す。オランダ、ベルギー陥落。第一装甲師団、ロレーヌ地方にて防衛戦闘開始。

同11日
 フランス政府はベルギー国境を越えフランス軍を展開。

同27日
 マジノ線の一部が瓦解。混戦状態となる。

同28日
 増援による混戦状態の打開をはかるも混戦状態はさらに拡大

同29日
 事態打開のためフランス政府は独断で熱核兵器の使用を決定。

5月1日
 味方戦力との引き離しに失敗。友軍が多数展開する中、熱核兵器を使用。およそ3万人の兵員が犠牲になるも予備部隊の投入によりなんとか戦線の維持に成功。第一装甲師団、戦線の穴埋めのため移動。

8月15日
 BETA、マジノ線を地中より迂回突破。ソアソン付近に出現。同日夕刻、パリ市街に突入。大半のパリ市民が避難しておらず多くのパリ市民が犠牲となる。援軍も間に合わず同日パリ陥落。別名「パリの悲劇」。全フランス残存部隊及び全旧ドイツ陸軍は北フランスへの撤退を開始。

9月2日
 BETA、北フランス方面への急速な圧力増加。

11月30日
 第一装甲師団、ダンケルク付近に展開。

12月8日
 フランスより最後の難民脱出船団がフランス主要港より出港。しかし約1000万人の難民が取り残される。難民はスペインを目指し移動を開始。

同12日
 EU軍は中部ヨーロッパ防衛を放棄、ピレネー山脈を越えマドリードに司令部を移設、イタリアより同方面軍および難民が脱出。イタリア陥落。

同13日
 BETAにより撤退中のフランス、旧ドイツ及びEU軍が包囲され兵員27万人、民間人58万人が北フランス、ブローニュ、カレー、ダンケルクに追い込まれる。第一装甲師団、防衛戦闘開始。レーザー属種の出現により航空機による脱出が困難になる。

同14日
 イギリス政府、EU軍は救出船団の組織を決定。

同16日
 BETAの圧力増加によりブローニュ陥落。ブローニュ方面の脱出作戦失敗。

同17日
 第一次救出船団がダンケルク、カレーに入港。以後ピストン輸送にて脱出を続行。

同24日
 カレーからの完全撤退を完了。

1989年1月12日
 ドイツ陸軍第一装甲師団他、7個師団が友軍部隊撤退支援のために出撃。



 1989 1/16 0606

 ズタ襤褸だった。
 焦土作戦から丸1年。その後ロレーヌ地方での4月から1ヶ月に渡る防衛戦に始まり、パリの悲劇を越えてのダンケルク防衛戦。そのあたりからレーザー族種が現れ、戦況はさらに悪くなった。
 それ以後も延々と防衛戦闘に終始し、最早第一装甲師団にかつての最精鋭部隊の面影はない。各方面の残存を部隊に組み込んでどうにか部隊を維持しているといった有様だ。師団と名打たれてはいるものの、実質的には旅団程度の規模。士気などを考えればもっと少ないかも知れなった。
 見れば衛士も戦車兵も他の部隊員も覇気がなく、どこか沈んだ空気を纏っていた。
 それは青年も、女も例外ではなかった。
 「ねぇ。お風呂、入ってないね」
 「ああ。彼是2ヶ月近くになるね」
 騎士階級とはいえ貴族の彼女にとって、耐え難いことだろう。彼も伸び放題の髭や髪をうっとおしく思っていた。
 風呂―――ドイツにおいてはサウナが主だったが―――に入る時間はおろか睡眠時間に髭や髪を整える時間、もっと言えば用を足すために機を降りる時間すら碌々なかった。戦車兵から貰った120㎜砲の薬莢に用を足し、頃合を見てハッチを空けて中身を外に捨てるような生活を既に半年以上続けていた。衛生状態は最悪と言っていい。
 食事も定期的に届けられるレーションのみだった。空腹は極限に達している。
 戦術機も限界を迎えて久しい。F-5G/Tの中にはG型の部品を付けている機もあった。規格が同じだから、と現地応急処置で取り付けられた物だった。
 メンテナンスもきっちりやるような暇は与えてもらえず、適当に可動に支障のないレベルでメンテナンスをしたら即戦場に送り返されるような日々。
 青年にも女にも、他の者も一様に目の下には濃い隈を拵えていた。
 だから、本来発してはいけない言葉も、零れてしまう。
 「ねぇ……。疲れたね」
 「ああ……。疲れたね」
 彼女お得意のにんまりという笑顔も絶えて久しい。僅かに与えられた整備のために開いた時間。彼らは寄り添うことでそれを消費していた。



同19日
 撤退支援部隊、戦力の5割を損耗。特に右翼戦区のドイツ陸軍第一装甲師団の損害は特にひどく、戦力の7割を損耗。

同21日
 EU軍は遅滞戦闘中の撤退支援残存部隊もろとも再突入殻に搭載した燃料気化爆弾の集中運用によりBETAを掃討。この攻撃は撤退支援残存部隊に通達なしで行われたため撤退支援残存部隊は退避できず壊滅。第一装甲師団残存部隊、気化爆弾の爆心地付近に展開していたためほぼ全滅。



 1/21 1304

 「再突入殻リエントリーシェルだ!!」
 誰かが叫ぶ。増援だ、補給だ、と皆が叫び、士気が回復する。
 その時。
 「え……?」
 誰の、声だったろうか。助かる、生き永らえる事が出来る、と思った矢先、リエントリーシェルの内幾つかから真黒な煙が四方に向けて猛然と吐き出された。
 レーザーによる撃墜ではない。その黒煙は見る見るうちに戦域上空を覆い、そして―――――
 光が、音が、熱が。彼らを蹂躙した。



 動く物のなくなった荒野。焼けた大地を、焼けた風が"猛烈な枯葉の香りに血錆を混ぜたような"、奇妙な香りを乗せて駆け抜ける。
 ばごん!!
 焼け爛れたF-5G/Tの残骸の一つがその胸部を開いた。
 顔面を朱色に染めた男がコックピットからまろび出る。焼けた装甲板に手が触れ、じゅう、と肉の焦げる音を立てた。
 「うあっ……!!」
 思わず手を離すと、当然のように男の体は灼熱の装甲板の上を転げ落ちる。強化服のラバーが熱に耐えかねて破れ、焼けた鉄板が露出した部分を容赦なく焼き付けてゆく。
 地面に叩きつけられた痛みと火傷の両方に苛まれ、男はのた打ち回った。
 ぐぅ、と一つ呻いた後、男は跳ね起きた。空を仰ぎ、次いで陽炎に揺らめく地平を見渡す。
 「誰か……居ないのか!!」
 応える者は、ない。熱せられた空気が舞い上がる、唸るような音と、自らの顔面から滴った真紅が地面に落ち、瞬く間に蒸発する音だけが男の耳朶を打つ。
 「シェーラー!! ミットラー!! ムート!! 居ないのか!!!」
 ごうごう、ごうごう。
 「マッセンバッハ少佐!! ボルクレイ!! ヘリンチ中尉!! ネスラー!!」
 ぽた、じゅっ。
 「ノイマン中尉!! ナティヴィダッド!! ケッペラー!! ヤウアー!!」
 血を吐くように、戦友の名を呼ぶ。
 「ゲーデル大尉!! サリヴァン中尉!! ジーゴ!! ハイネン少佐!!」
 吹き荒ぶ風が応えた。誰も居ないよ、と。
 「シェルテル大尉!! ルーデンドルフ!! レーガー中佐!! シューマッハ!!」
 陽炎が嘲笑った。皆死んだよ、と。
 「ダイル大尉!! テューンケ中尉!! ツィンマー!! ケラーネ!!」
 顔の右を苛む激痛と。左に狭くなった視界と。枯葉の、血錆の饐えた香りだけが。彼に与えられた総てだった。
 「シュウァルツ大佐!! レティ!!!!」
 他は、奪い尽された。
 「誰か―――――居ないのか!!!?」
 燃え尽きた約束の地。叫ぶ咽喉から、血が噴いた。

 この日、ヨーロッパの荒野に。歪んだ男が生まれた。彼に圧し掛かる蒼天は、皮肉なほどに晴れ渡っていた。



同22日
 明朝、フランス及びEU軍、ダンケルクより脱出。フランス陥落。以後ヨーロッパでの主戦場はピレネー山脈方面、シチリア島、ノルマンディー・カレー方面に移行。



 同22 ????

 脱出船団を待つ人々の中に、力なく座り込む一人の青年がいた。
 破れた強化服を纏い、顔と全身到る所を包帯で覆う異様な風体。はらはらと雪の舞う波止場で、それだけが爛々と、不気味に輝く左目で。ヨーロッパの陸地を睨めつけていた。
 その異様な風体の青年に、声を掛けるものがあった。
 手に持ったバインダーと青年の顔を交互に覗き、ふむ、と一つ頷くと、声を掛けた。
 「ヴ――シ……ウレ―ベッ―少尉、でいいかな?」
 名を呼ばれた青年はその将兵の襟元の徽章が少佐のものであることを確認すると、敬礼しようとした。
 それを制して男は言う。
 「ああ、別にそのままで構わないよ。君に伝えることがあってね」
 腰を落ち着けた青年を見ると、男は再びバインダーに目を落とした。
 「君の原隊、旧ドイツ陸軍第一装甲師団だが……生存者はいないそうだよ。退却のドサクサで混乱してはいるが、今のところ生存者名簿に第一装甲師団所属の者は確認されていないねぇ」
 「そう……ですか」
 彼はそれきり押し黙る。
 そんな彼をどう見たか、少佐官の男は軽い口調で言った。
 「で……君の今後の処遇だが。まぁ―――――このままEU軍に参加するのが一番適当だろうねぇ」
 その口角が歪む。
 厭らしい嗤いだ、と彼は思った。同時に、これなら。こうすれば耐えられる、とも。
 その嗤い方を憶える為に、彼は少佐をじっと見詰めた。
 どうやって嗤う。どういう風に筋を動かせばそういう嗤いになる。
 目付き、首の傾げ方、視線。
 纏う雰囲気。

 ―――なるほど、こうか。

 「だが……ボクとしてはこちらの方が面白いと思うがねぇ」
 「……?」
 「ノースロック・グラナン社が第三世代戦術機トライアルの為にアメリカ人以外のテストパイロットを探しているそうだよ。実機搭乗時間1000時間を超える熟練衛士に限ると言ってるねぇ。どうかな、ボクにはこっちの方が数段面白いと思えるんだけど?」
 そう言ってその少佐は書類とペンを差し出した。

 彼は、それを受け取った。
 その口元にはまだぎこちない嗤みが、張り付いていた。





登場機体設定


高機動型F-5G F-5G/T

 ドイツが精鋭部隊向けに開発した高機動型F-5G。少数が生産され、その一部がドイツ軍第一装甲師団に配備されたのが確認されている。
 機動力を向上させる目的で軽装甲化を行ったF-5Gで、被攻撃率の低い両脛、両前腕装甲を簡略化し、全体の装甲量も約20%減じていた。そのため外観は第2世代戦術機に通ずる所があり、いわば準第2世代戦術機といえる。
 一方で主要関節部を守るために両肩側面と大腿部前面に着脱式対レーザー蒸散装甲板を装備し、機体重量をあまり増加させずに防御力を上昇させていた。なおこの装甲板は衛士の任意でパージが可能だった模様。事実映像ファイル内にはこの装甲板を外している機体も多く確認されている。
 頭部に対小型種掃討用7,62㎜バルカンを4門搭載。左腕短刀ラックの代わりに小型シールドを搭載し、平時の防御力を補っていた。しかし当時の制式火器はエリコンKBD35㎜機関砲と120㎜滑空砲のコンポジットウェポンで、火力、威力、携行弾数、精度のどれを取っても現用の36㎜・120㎜コンポジットとは比べるべくもなく性能は低かった。
 本機はヨーロッパ崩壊の混乱の中でそれに関わる情報と共に全て失われており、唯一アメリカに保存されていた当時の映像ファイルから上記の外的改修点が解るのみで、主機やその他内部装備にどの程度の改修が施されていたのか、或いは施されていなかったのか、改修によって通常型とどれ程スペックに差異があるのか等、一切の詳細が不明。



[4380] 第一部
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/12/02 21:58
 12/6 0342    冷川料金所

 『殿下が速度をお上げになられた。貴殿らも遅れぬようにせよ』
 「了解」
 応えた女は、此度帝都守備隊大尉の沙霧が起こしたクーデターに賛同し、それに協力した一部隊の指揮官であった。
 「速度を上げるぞ。跳躍のタイミングは私に合わせろ!!」
 「02了解」
 それに続いて続々と部下からの応答がある。全員からの応答を確認すると、彼女はブーストペダルを蹴った。
 そうして5kmも進んだだろうか、前触れなく、彼女の首筋が粟立った。
 殺気。
 咄嗟の回避行動。一瞬の前まで彼女の不知火が在った場所を砲弾が通り過ぎた。外れた砲弾は橋脚に突き刺さり、それを粉砕する。
 「!!?」
 女は驚愕に一瞬動きを止める。が、鍛え上げられた思考が、砲弾が飛来した方向を認識した。4時方向。
 「4時方向だ!! 射点確認!!」
 全員が散開し、4時方向にメインカメラを向ける。砲声。着弾から20秒。凡そ6000m強。
 (馬鹿を言え!!)
 6000m超級の射撃が可能な砲を携行する戦術機は存在しない。87式36㎜支援突撃砲でも有効射程は精々3000mだ。それに36㎜弾に橋脚を粉砕するような破壊力はない。
 思考の暇もなく、砲炎を捉えた。
 「ッ!!」
 全員が弾かれたように散り、砲弾を回避する。
 しかし、不知火が方向修正の利かない空中にあるとき、再び砲炎が瞬いた。
 着地の瞬間、04のマーキングをした不知火に砲弾が突き刺さり、それを吹き飛ばした。
 「04!! 04直撃弾、大破!! 敵影レーダーに感なし!!」
 「ッ……!! 全機突貫!! 跳躍は禁止する、匍匐飛行で接敵しろ!!」
 6000mならば6~7分もあれば接敵出来る。彼女は自機のジャンプユニットに限界出力を要求した。
 再び砲炎。全機乱数挙動、砲弾を回避する。5000m離れた、高速で運動する目標に対して、如何に高速の砲弾であろうと早々当たるものではない。
 2度3度と砲声が轟く。そして合計で7つ目の砲炎を確認した時。彼女は見知らぬ機体をその視界に収めた。
 該当データ一切なし。
 灰色。灰色としか言い様のない色彩の機体が手に持った物干し竿のような得物を投げ捨て、身を隠したビルの陰から姿を顕した。
 「兵装使用自由、各機に攻撃開始!!」
 36㎜劣化ウラン弾芯の砲弾が灰色の機体に殺到する。必殺の攻撃はしかし、相手の桁外れな機動に惑わされ、廃墟を削り取るに終わった。
 速い、と言う間もなくビルの合間から射撃が加えられる。今度は普通の36㎜チェインガンによる攻撃だ。しかしその精度が尋常でない。
 如何に行動が多少なり制限される空中とは言えど、正確極まる射撃で着地までの僅か数秒の間に1機撃墜された。
 着地し、敵を求めてカメラを巡らすが、聳えるビルで視界は悪い。レーダーで探そうにも映るのは味方を示す緑のビーコンのみ。
 ち、と舌打ちしたその瞬間、彼女は視界の端に霞を纏って駆ける灰色を見付けた。
 「居た……ッ」
 それを追って駆けるが、それより先に彼女の耳は部下の悲鳴を聞く。
 そして悲鳴に追いついた彼女の目に入ったのは、コックピットを貫かれて屑折れる不知火だった。
 灰色の機体は影も無い。
 次の悲鳴もやはり、驚く暇すら与えてくれなかった。
 まるで見当違いの場所から36㎜特有のじゃりじゃりと砂を咬むような射撃音が聞こえてくる。
 『隊長、助け……ア゛ッ!!』
 「仲原!! おい、仲原!! どうした!?」
 思わずコールナンバーではなく、名前で呼んでしまう。それも無理からぬことかも知れなかった。
 ビーコンが消えた場所へと急ぐが、今度も敵は居ない。
 そして、次も。
 『え? がッ』
 「窪田!?」
 また次も。
 『な、何でこっちに!! きゃあアァア!!』
 「鎌足!!」
 神出鬼没と言うのもおこがましい程に何処に現れるかの予測が付かない。
 次々に、次々に部下のビーコンが消えて行き、遂に最後の一つ、彼女が残るのみとなった。
 自分の吐く荒い息がやたらと大きく響く。ビルに背を預け、少なくとも背後から刺されるという状況はなくしたが、それでも何処から来るかは解らない。
 相対したモノの余りの不明性が、彼女を半ば恐慌状態に陥れた。
 「ハッ、ハァッ……」
 何で。どうしてだ。どうして見えないのだ。これではまるで―――――
 「亡霊……ッ」
 そう震える歯の根で零した時、前方でずしゃ、という瓦礫を踏む音。
 そちらに銃口を向ければ、そこには。
 蒼い単眼を爛々と耀かせ、右手に見慣れたライフルを、左腕に奇怪な盾―――のようなもの―――を取り付けた灰色の亡霊が、正しく幽鬼のように立っていた。
 「ひっ」
 反射的にトリガーを引き絞る。
 曳光弾が闇夜を斬り裂き、亡霊に牙を剥く。それをぶれる様にして難なく避けると、亡霊は圧倒的な加速で彼女に迫る。
 彼女の永きに渡る軍人としての生活の果てに染み付いた操縦技術が咄嗟に36㎜を投棄し、背面ラックに装備された長刀を抜き打たせる。が。
 ジャァッ!!
 削過音と迸る紫電が亡霊の左腕に据えられた盾から刃を奔らせた。その刃に彼女の不知火の右腕が斬り飛ばされる。
 握り締めた長刀とともに鋼鉄の右腕が地面を滑るのを、彼女は何か遠い風景でも見るような心境で見送った。
 それが、彼女が見得た最後の風景となった。

 灰色の亡霊が巨砲を担ぎなおし、二本の脚で戦場を後にする。一顧だにしないその背後には、等しく胸部を串刺しにされた不知火が累々と転がっていた。
 ずしゃ、ずしゃ。
 数歩進んだ所で、徐に跳躍ユニットが火を噴いた。
 亡霊が宙を舞う。向かう先は、砲火の元。
 甲高い噴射音が、夜を斬り刻んだ。



 「沙霧大尉」
 沙霧がオペレーターから声を掛けられたのは、彼自身が不知火へと乗り込もうとしている、丁度そのときだった。
 「何だ」
 その時狭霧は、オペレーターの頬に汗が一筋流れているのを認めた。
 「ひ、冷川料金所跡手前で、転進阻止部隊第2中隊との通信が途絶しました。以降も応答がありません……」
 「なに……!?」
 確かに。確かに、転進阻止部隊には精鋭と呼べるような部隊を配置しては居なかった。
 が、仮にも帝都守備隊。そこらの雑兵とは比較にならない技量がある。
それが通信を断った。
 もう一人、ヘッドホンを頸から掛けたままの通信士が駆け寄る。
 そして、唇の色を悪くして言った。
 「第1中隊から武御雷2機を含む国連カラーの不知火一個中隊と交戦中との通信が入りました」
 状況は、と問う沙霧に、通信士は圧倒的な状況を報告した。
 「彼我の撃墜比は1:8、既に8機が撃墜されているとの報告です」
 「……追撃部隊を急がせてくれ。最悪、その部隊に追いつかれてしまう」
 「了解」
 急け。急いてくれ。
 急かねば我が思いは遂げられぬ。
 自らが傀儡であることなど百も承知。それでもなお、譲れぬ思いがある。

 沙霧は自機を見上げ、拳を握り締めた。



 結局の所、彼の思いは遂げられることとなった。
 彼らが首脳陣を誅殺したことが結果的に膿み出しとなり、将軍家はその態度を改め、「本来在るべき日本の姿」を取り戻した。
 しかし、或いはやはり。
 沙霧は咎人として、その生を終えた。
 或いは望んだ死に様だったのやも知れぬ。
 或いは斯くあるべき終焉だったのやも知れぬ。
 しかし、或いはやはり。
 彼は予期していなかったのだ。



 自ら以上に愚かしく、自ら以上に頑なで、自ら以上に純粋な者共の存在を。



 薄汚れた廃港に日が昇る。整備車両が寂れた街を行く。後引くコンテナ輸送車にはありったけの武器弾薬。
 集まったのは僅かに38名。僅かに一個大隊、国によっては三個中隊。再び起てば、速やかに討たれるは必定。
 「沙霧大尉、いや……今は中佐、か。彼の意思は遂げられた。俺達が集う意味は最早ない」
 彼らは一人の男を番に扇状に広がっていた。その男の言葉に、皆は静かに頷く。言われずとも解っている。

 ここで我等が起ったとて、これ以上なにが変わるでもない。
 左様なことは先刻承知。
 耳を貸すにも値しない。
 我等が愚かであるなど火を見るより明らかだ。 
 左様なことは先刻承知。
 敢えて確認するようなことではない。

 「それでも尚……俺と来るのだな?」
 今度は誰も頷かなかった。
 ただ凝と、爛々と輝く瞳で、彼を見詰めていた。
 厳かに、男が頷いた。腰に差した一振りの打刀を抜き放ち、朝日に翳す。ギラリと光を反す刃を眼前に掲げ、叫んだ。
 皆の声が重なる。
 『なれば!! 我ら彼の宣誓の元―――――散るべし!!!!』

 彼らは多分、酷く純粋だっただけなのだ。童の様に愚かしく、童のように頑なで、童のように純粋。
 だからこそ。その日、そう遠くない未来に38名が死に逝く事が、日本の片隅で密やかに―――確定した。



[4380] 第二部 第一話
Name: 5,45㎜の顎◆66dac29e ID:1b33726a
Date: 2008/11/29 16:02
 それは時間を遡り、南方の島で国連軍横浜基地所属207b分隊の総合戦術技能演習が行われている最中のことだった。

 横浜の港で長門を待つ間、着崩した国連軍の第一装に身を包んだ男、ヴァッシ・ウレンベックは日本に来てから吸い始め、今ではすっかり吸い慣れた煙草を咥え、波止場で風と向かい合っていた。
 愛用のジッポライターで火を点けると、紫煙を肺腑の奥深くまで招き入れる。
 灯りのない横浜港に灯る赤い灯火。
 僅かな酩酊感と咽喉を焼く煙の味に奇妙な満足感を覚えると、少しずつ煙を吐き出した。
 夜に煙が棚引く。
 煙草を指で挟んで口から離すと、その火が闇に軌跡を残す。それがなんとなく面白くなって、ヴァッシはタクトを振る様にそれを振った。
 段々興が乗り、鼻歌まで口ずさみ始めた頃、彼の背後でざり、と足音が鳴った。
 ヴァッシの右手が閃き、腰にベルトで吊り下げられたホルスターから拳銃を抜き放った。
 斜に構え、後方に突きつけられたその右手には黒い磨き上げの本体に、真紅の豪奢なエングレーブが施された―――――罷り間違っても一兵士が持つようなものではない―――――細身の長銃身を備えたモーゼル社製のマシンピストル、C96が握られている。
 あからさまに旧式なその拳銃は無論、国連が制式とするものとは違う。彼の私物である。
 祖父から、父親から。受け継いだ呪物。勿論何らかの術式が組まれているなどということはない。そんな神話や物語の上の呪物ではないが、彼にとってそれは確かに忌むべき財産であった。
 ならば何故それを持ち続けているのかと問われれば、解らないとしか彼に応える術はないのだが。
 「銃を下ろしてください、ヴァッシ中尉」
 それを突き付けられた人影が両の手を上げ、静かに乞うた。
 「ああ、月詠の推薦で来た……誰だっけ?」
 突きつけた銃口を上へと逸らし、ヴァッシは人影に問うた。
 その人影は二つ。一方は小柄な女、もう一方は標準的な体躯を持った年嵩の男だった。
 女は僅かに嘆息すると、既に何度も名告った名をもう一度告げた。
 「霧耶澪少尉であります。彼は堂本英嗣少尉」
 「ああ、そうだったっけ。まあいいさ」
 そう、軽く応えたヴァッシの態度は余りに軽薄で、次の瞬間には彼女達の名前はおろか、顔すらも忘れているような、そんな雰囲気を漂わせていた。
 その癖仕草はいちいち大仰で大袈裟で。それが彼の酷薄な印象を更に補強する。
 霧耶は、そんな彼の態度が大嫌いだった。出来の悪い道化芝居を見ているようで、酷くいらつくのだ。
 ヴァッシは拳銃をホルスターに戻すと、また波間に目をやった。紫煙がくゆる。
 「あとそうだ、俺に敬語は使わなくていいって言わなかったか? 背中が痒くなっちまうんだよ」
 そんなことをいわれた覚えはない、と訝しげな顔をした霧耶と堂本が身に纏うのは国連軍が採用する制服とは懸け離れたデザインのそれだ。
 見れば、彼らの背後には幾人か、やはり国連軍の第一装を纏った女性がいた。
 思い思いに談笑を交わすその背後には巨人が整備支援車両に縫い付けられていた。国連制式のライトブルーに塗装され、肩にA-01のマーキングがされた不知火が6機。
 そして流麗なフォルムを惜し気もなく曝す白の機体と黄色の機体は、その名も高き武御雷。
 超絶な性能を備えた、斯衛軍専用の戦術機である。

 じゅっ、と海が悲鳴を上げた。ヴァッシが短くなった煙草を海面へと放り込んだ音だった。
 肺腑に溜め込んだ、吐き出す紫煙とともに振り返った彼の顔には、醜い傷が刻まれていた。

 霧耶は彼を初めて見たときの感情を、忘れることはできないだろうと思う。
 ブリーフィングルームでヴァッシと引き合わされた彼女はまずその顔を裂く傷に目を奪われた。こめかみから右の顎までを真っ直ぐに切り裂いたその傷で引き攣れた彼の顔は、皮肉気で厭味ッたらしいものとして霧耶に認識された。
 よくよく見れば精悍な顔付きと、言えなくもない。
 しかし僅かに、頬の肉を捩るようにして吊り上がった口角が、その造形をぶち壊していた。
 目も輝きがなく、俗な表現をすれば死んだ魚のような目だった。右目は義眼であるという。尤も今様の義眼といえば本来持ち得ない機能や強靭さを持った人工生体だ。
 そちらはまだいい。ガラスの如き無機な目ではあるが、まだ人間らしい。
 腐っているのは、左目だった。ドイツ人然としたヴァッシの碧眼はまったく光を返さず、それを霧耶は澱み、濁った泥水のようだ、と思った。
 そしてそれらちぐはぐな両の目の、夢見るような眼差しが、彼女の背筋を寒くさせる。
 まずその時点で余り印象は良くなかった。そこに止めを刺したのがヴァッシの第一声だった。
 自己紹介をした彼女らに対し、A-01の他の面々は丁寧な、若しくは人当たりのよい等、人と成りを感じさせる返礼で応えた。そこに来てヴァッシの反応はこうだ。
 「んー、ヴァッシ・ウレンベック。中尉だ。フェンリル中隊―――まぁ小隊規模もないが―――の隊長やってる。お前らの上司ってわけだ。まぁ適当にやろうぜ。お堅いのは苦手でね」

 尤も。
 尤も、中隊長と名告ったこの中尉に関して、悪し様に断ずることが出来るほど霧耶は知っているわけではなかった。
 事前に渡されていた書類に依れば、彼はドイツから亡命した後にノースロックにテストパイロットとして招かれ、NASAのテストチームを遍歴し、現在A-01中隊に属している、ということらしかった。
 その彼の乗機は。
 霧耶は背後を振り返った。
 他の機体と同じく整備支援車両に固定されたその戦術機は、彼女の見たことのない機体だった。
 濃密な灰色。刺々しい、攻撃的なデザイン。奇妙に肥大した両肩。見れば頭部メインカメラもバイザーのようなもので覆われていた。
 YF-23ブラックウィドウⅡPAV2グレイゴースト。
 米国兵器製造会社のノースロック・グラナン社で試作され、YF-22との次期主力戦術機競争に破れた後はNASAで試験を続けていたという第三世代ステルス戦術機。
 その戦術機を、機密の塊のような機体を任されているのだ。生半可な腕でないことは解る。
 逆に言えば、その程度のことしか解らない。
 「で、なんか用?」
 ヴァッシの気だるげな声に溜息を付きそうになるのを苦心して堪えると、霧耶は時間を示した。
 「移動開始時間が迫っております。準備を整えてください」
 「あいよ」
 そう言って傍らを通り過ぎた男からは煙草の臭いと、何故か。

 何故か。幽かに、枯葉と血錆の香りがした。



 水。
 夢を見ている、と彼女は思った。
 水面を底から仰向けに眺めるような風景。
 その水面の向こうは暗く、夜と見えた。
 そして夢の中に横たわる彼女の真正面に、赤い月が彼女を見下ろしている。

 声がする。
 私を呼ぶ、声、が。
 水面、空、夜。
 月。


 「……長、艦長。朱祇艦長!!」
 そして彼女は、目を開けた。
 真っ先にその視界に飛び込んできたのは、見慣れた顔。細面に野暮ったい眼鏡をかけた男。
 あの赤い月でない事に少しだけ不満を憶えた。
 「ふくなが、くん……?」
 今だ服う眠気に目を擦る。
 彼女の些か小さな体躯に見合わぬサイズの寝巻き。
 袖が余り、それで顔を拭く様な形になっていた。
 「ん……にゅ……」
 むにゃむにゃ、と再び落ち始めた瞼を見て、副長は朱祇を揺り動かした。
 「艦長、寝ないで下さい!! 艦長!!」
 「うん、わかった、わかったから……」
 頭から寝巻きと同じ意匠のキャップを外し、枕元に置く。
 くぁ、と欠伸と共に猫のように体を伸ばし、もう一度眦を擦って、彼女は覚醒した。
 「うん……おはよう、副長ふくながくん」
 誤字にあらず、彼の名前は”副長“だ。それでこの船の副艦長なのだから、もう笑うしかない。
 「ハイ、おはようございます。そろそろ横浜港に到着です、着替えて準備してください」
 うん、と頷き、彼女、朱祇飛柚乃はロッカーに近付いた。
 ロッカーの扉にその小さな手を掛けたとき。
 「時に、艦長」
 「うん? なんだい」
 副長は言いにくい、とでも言いたげに頭髪を撫で付けた。
 「その……、クマのプリントの寝巻きはどうにかなりませんか? 年齢的に言って、流石につらいのでは……」
 朱祇はその言葉に、微かに頬を動かすことで答えた。笑ったようだった。
 くまさんぱじゃま。確かに、29にも成ろうという女性の着る寝巻きではなかろう。
 しかし彼女の容姿、身体つきは中学生―――ともすれば小学生―――と言っても通じるほどに幼い。その人形のような容姿から、この長門艦内には彼女の親衛隊を自称する船員もかなりいる。
 彼らの朱祇の一挙一動に対する反応を見るにつけ、この船は大丈夫なんだろうか、と副長は不安になるのだった。
 「別にいいじゃないか。年齢相応ではなくとも外見相応だよ。それに今の所君以外に見せる予定もないのだからね」
 見慣れてるだろう? と続けた朱祇にハァ、と嘆息した副長は、朱祇が徐に寝巻きを脱ぎ始めたので慌てて部屋を飛び出したのだった。



 整備支援車両に積載された戦術機が実験艦長門に積み込まれる。
 それを艦橋の窓から眺めていると、ヴァッシらA-01中隊の面々の前に酷く小さな影が現れた。
 150cmにも満たない小さな体躯と、専用にあつらえたのであろう小さな軍服。しかし襟元の階級章は中佐を示し、背後に控えるひょろりとした将校は少佐だった。
 「君達がA-01部隊だね。私が長門艦長の朱祇飛柚乃だ。後ろのは副長の副長ふくなが雄二。ほんの数日の間になるが、よろしく頼むよ」
 中隊メンバーは皆が驚愕に包まれた。
 こんなにも若くして一城の主、しかも女性。この矮躯では先入観による不当な評価を受けることも往々にしてあったであろうに。
 如何な努力であろうか。
 気を取り直すように伊隅は一つ咳払いをすると、乗艦に当たっての挨拶をする。
 「我々はオルタネイティヴ4直下、A-01部隊であります。私は伊隅みちる大尉。どうぞよろしくお願い致します」
 伊隅に続いて続々と中隊メンバーが挨拶を済ませる。そしてフェンリル部隊に挨拶が促された。
 「霧耶澪斯衛少尉であります。11月7日を以ましてA-01部隊へ出向となりました」
 「ほう、斯衛軍かい。成程、随分と鋭い目をしていると思ったらそういうことか。それにその第一装、道理で……」
 斯衛という言葉に軽く目を見開いた朱祇はまじまじと霧耶の顔を見た。
 その視線に若干の嫌悪感を憶えた霧耶はそれを遮るようにして始まった堂本の声に感謝した。
 「堂本英嗣斯衛軍少尉であります。霧耶少尉と同じく、11月7日付けでA-01部隊へ出向した次第であります」
 ふぅん、と気のない応え。
 「で、君は?」
 そのとき朱祇の興味は既に、あからさまに日本人ではない隣の男、ヴァッシへと注がれていた。
 「ヴァッシ・ウレンベック中尉。ま、よろしく頼んます」
 「ヴァッシ!!! 言葉に気を付けんか!!」
 ヴァッシのだらけた挨拶を伊隅は叱責する。
 叱責が続く中、朱祇は見惚れていた。
 伊隅の声も、波の音も、A-01隊員のまたか、という呆れたような溜息も、長門の唸るようなエンジン音も、一切耳に入らなかった。
 ただはいはい、わーってますよ、などというヴァッシのだらけた声しか、耳に入らなかった。
 ヴァッシのその目が、淀んだ泥沼のような眼が。朱祇を呑み込んだ。
 底無し沼とはよく言ったものだ。踏み込んだが最後、ずぶずぶと呑まれて行く。
 傷の男に詰め寄る伊隅をみて、朱祇は思った。
 離れろ。
 それは。
 駄目だ。
 私が欲しい。
 それは。
 私のものだ。
 あの赤い月を幻視する。
 初めての独占欲。
 醜い、下賤だ、と今まで鼻で笑ってきたそのものが、彼女の脳裏を埋め尽くした。
 「私は好きだよ、ヴァッシ君、君の様な人は。でもまぁ……出世には向かない性格だね」
 「そりゃどうも。昔っからよく言われましたわ」
 「ヴァッシ・ウレンベック!!!」
 この期に及んでもなお軽薄なヴァッシの態度に、遂に伊隅が爆発した。
 だがヴァッシは動じない。
 更に詰め寄る伊隅を朱祇の声が遮った。
 「ふふふ。本当に興味深いな、君は。どうだい、私の元へ来ないか」
 ぴしり、と場の空気が凍る。
 艦橋員もヴァッシを殺さんばかりの強烈な視線を送り、副長は「艦長、それは……」と言いながら力なく天を仰ぎ、伊隅を始めとする隊員は呆然と朱祇を見た。
 ヴァッシは皮肉気に嗤ってそれに答える。
 「俺の一存じゃ決められないんでね。その辺はうちらの責任者と交渉して下さいな」
 口元だけを撓ませて、朱祇が笑う。
 「そうだね、そうさせてもらうとしよう」
 片や皮肉気に、片や僅かに。互いに彼らは笑いあった。
 その言葉と彼ら以外の乾いた笑いを最後に、顔合わせは終わった。

 長門の廊下をA-01衛士と副長の副長、艦橋要員の士官一人が足音を立てて歩いている。
 先頭に副長と伊隅が歩き、ほかが後につき、最後に案内役に艦橋要員が、といった形だ。
 「ああ、そうだ。ヴァッシさん」
 少し歩いた時に、副長が振り返り、ヴァッシを呼んだ。
 中隊メンバーも足を止める。
 それを見ると副長は着いて来ていた士官に中隊メンバーを部屋に案内するように言うと、ヴァッシに少しいいですか、と断り、ヴァッシに謝罪した。
 「先程はすいませんでした。我々の艦長は何と言うか、その……素直な人でしてね。不愉快に思われたかもしれません。ああ、煙草は御遠慮願えますか」
 煙草を咥えたヴァッシにそう断る副長。佐官とは思えない口調の柔らかさだ。
 煙草をシガーケースに戻しながら性格だろうな、と断ずると、ヴァッシは別に謝られる様な事でもない、と嗤いながら返した。
 「いや、別に悪い気分もしないですし、俺は構いませんよ。ま、ウチの部隊長殿は俺のこういうところが気に喰わないらしいですがね」
 「ハハハ、そうでしょうなぁ。確かにその、貴方の口調で好印象を持つ人は少ないでしょうから。それこそ我々の艦長ぐらいでしょう。ああ、私も嫌いじゃありませんよ」
 一頻り笑い声が廊下に響くと、ヴァッシが先程艦橋で見つけたある物について聞いた。気になって仕方がなかったのだ。
 「ちょいと聞いていいですかね」
 「どうぞ? 答えられる範囲でお答えします」
 「あー、あのやたら背の高い艦長席、ありゃ一体なんです?」
 それを聞いた副長は僅かに苦笑した。
 「あれはですね……」

 朱祇が初めて長門に乗り込んだ時のことだ。
 先ず彼女の小ささに驚かされた艦橋要員は、次に艦橋で艦長席に座り、精一杯背伸びしながらこれでは外が見えないな、と言った朱祇を見た瞬間、総出で鼻血を噴出した。副長以外。
 その後艦橋は「衛生兵、衛生兵!! 艦橋が血の海だ!!」「計器の隙間に血が!!」「ああ……空が見える……」などの一部意味不明な言葉が交錯する混沌と化したのである。
 朱祇を除けば唯一赤い噴水となるのを免れた副長は下を向いて鼻を抓み、首の後ろをトントンと叩いていた。
 そして数日後、ダメージコントロール班と機関課が彼女専用に背の高い艦長席を造った。
 勿論、すんなりと事が進むはずも無く。新たに拵えられた専用の艦長席に意気揚々と―――僅かにスキップさえしながら―――着いた朱祇の姿に、再び艦橋が朱色に染まった。
 やはり副長は下を向き、鼻を抓んで首の後ろを叩いていた。

 「と、いう事があったのですよ」
 「……成、程?」
 ヴァッシの顔がヒクついている。
 「……大丈夫っすか、この船」
 「……言わないで下さい……」

 そのあとどうにか気持ちを持ち直した副長はヴァッシを彼に割り当てられた部屋に送り届け、艦橋へと戻る道すがら、最後まで言わずにおいた言葉を口の中で揉み消した。
 口調は兎に角、貴方の笑い方は好きになれそうにありません、という、言葉を。





登場人物設定



ヴァッシ・ウレンベック
身長:189㎝ 体重:104㎏ 頭髪:黒 肌:白 年齢:29 国籍:(亡命ドイツ人) 搭乗機:YF-23 階級:中尉 原隊:ノースロックテストチーム→NASAテストチーム 現所属部隊:A-01

 実機搭乗時間2050時間、うち戦闘時間が1220時間を越える元NASA所属のテストパイロット。右目が過去の戦闘で潰れており、視力は人工生体で補っている。その傷自体は自らへの戒めの意味も込めて修復していない。こめかみから顎まで抜ける大きな傷の為に客観的に言って二枚目と言っておかしくない顔付きが皮肉気な、厭味ったらしい貌になり、黒く艶のない頭髪は適当に短く整えられ、大雑把に撫で付けられている。非常に筋肉質で、身長に比しても大柄だが、余分な筋肉や贅肉は付いておらず、比較的理想的な体格をしている。
 A-01所属以前はノースロック社にテストパイロットとして所属しており、YF-23ブラックウィドウⅡのテストパイロットを務めていた。YF-23が次期主力機競争に敗れた後は機体と共にアメリカ航空宇宙局に移籍し、以後のテストも彼が継続して行っていた。その後、オルタネイティヴ4最高責任者の香月夕呼博士に見い出され、A-01部隊に引き抜かれた。
 実機搭乗時間が示すように腕前は凄まじいの一言。地上戦をメインとした戦闘方法をとる。独特の地上機動を行うため、時間当たりの脚部消耗、プロペラント使用量は非常に少なく、戦闘継続可能時間は長い。本人が白兵戦を得意とすることもそれの一助となっている(弾薬による物的制限を受けにくい)。2050時間という実機搭乗時間は彼の戦闘スタイルによる所も大きく、全体的な機体消耗も低い。
(イメージカラー:土留色 ※注 土留色とは水彩絵の具などで色々な色を混ぜすぎると出来る黒のような灰色のような、あんな色です)



霧耶 澪 (きりや みお)
身長:165㎝ 体重:51㎏ 頭髪:青味がかった黒 年齢:18 国籍:日本 搭乗機:武御雷 階級:少尉 原隊:帝国斯衛軍 現所属部隊:A-01

 随伴機のパイロットとして帝国斯衛軍から出向しているパイロット。斯衛軍所属の月詠麻耶中尉の指名で引き抜かれた衛士で、技量は斯衛軍中で中の上。黄色の武御雷に搭乗。斯衛の部隊特性上、BETAとの戦闘経験は浅い。
 実直で、真っ直ぐな人と成り。腰元まで長く伸ばした青味がかった黒の髪を中頃で結い、顔立ちは非常に見目麗しい。が、士族としての矜持からもたらされる眼光の鋭さから人を寄せ付け難い。細身で、捻れば折れてしまいそうだと評されたこともあるが、斯衛として鍛え上げられており、引き締まった肢体をしている。
 長刀の扱いに長け、近接戦闘を得意とする。機体操縦は斯衛軍衛士の象徴的な機動方法。教科書通りと言ってもいいが経験の浅さが災いし、機体性能で乗る傾向にあるため機体の消耗は激しい帰来がある。しかしそれは単に経験不足から来るものであり、抜群のセンスを持っている。
(イメージカラー:藤色)



堂本 英嗣 (どうもと えいじ)
身長:177㎝ 体重:76㎏ 頭髪:白髪混じりの色素の薄い黒 年齢:45 国籍:日本 搭乗機:武御雷 階級:少尉 原隊:佐渡島第一次防衛線防衛隊→帝都守備隊→帝国斯衛軍 現所属部隊:A-01

 前線から帝都守備隊、そこから斯衛に引き抜かれた叩き上げの軍人。随伴機のパイロットとして横浜基地に出向した。白の武御雷に搭乗。寡黙な軍人で、霧耶澪とは彼女が斯衛に入隊した当時からセルを組んでおり、近接戦闘を得意とする霧耶に合わせ、援護を行う。
 白髪混じりの黒髪を伸ばし、それを首元で結っている。軍人としては標準的な体格で、そこまで筋肉質というわけではないが、それでもかなり締まった体をしている。軍人としてはかなりの高齢で、能力に若干の衰えは見えるものの、それでも佐渡島HIVE第一次防衛線で10年以上勤務していた経験と勘に衰えはない。
 一撃離脱を旨とし、ブーストジャンプを多用する。そのためフルイド消耗は激しいが、機体消耗率、弾薬消費量は少ない。激震、陽炎、不知火と帝国陸軍の採用する戦術機総て、瑞鶴、武御雷と斯衛軍が過去に正式採用した両方に搭乗した経験があり、それら総合しての経験値は膨大。
(イメージカラー:濃紺色)



朱祇 飛柚乃 (あけぎ ひゆの)
身長:148㎝ 体重:39㎏ 頭髪:黒 年齢:28 国籍:日本 搭乗艦:長門 階級:中佐 所属:大日本帝国海軍

 大日本帝国海軍に属する数少ない女性艦長。濡れ羽色の黒髪を短く、ざっくばらんに切っている。その容姿は余りに無表情であることや無口なことから口さがない者からは人形の様だと揶揄される。尤もそれは人形の如くに整った容姿、と言うことでもあるので単純に蔑称かといえばそうとも言えない。冷淡な人間というわけではなく、いい意味でクール、クレバー。この若さで一隻の艦長に就任していることから解る通り、操船指揮、戦略眼、人心掌握などの才覚に優れ、強いカリスマ性を持つ。しかしその能力ゆえに親しい人物は同艦の副官以外に存在しない。
(イメージカラー:白色)



登場メカ設定



YF-23ブラックウィドウⅡ グレイゴースト改

 YF-23ブッラックウィドウⅡは1980年代初頭に着手された米軍の先進戦術歩行戦闘機配備計画において次期主力機トライアルに選出され、YF-22ラプターと争った第3世代戦術機である。
 それまでの他の米軍機と違い、本機は長刀を標準装備、専用の突撃砲の砲身下部に小型銃剣が装備されている、S-11が標準装備されている等、対BETA戦闘において接近戦闘を重視し、戦術機を用いたHIVE直接侵攻も視野に入れた比較的日本的な設計思想になっており、諸外国への輸出も念頭に置かれていた。YF-22と比較してステルス性と積載量、巡航速度と最大戦速で分があり、近接戦闘能力が高いことから模擬戦でも優位に立っていたが、生産性と整備性、操作性と機動力で劣り、最も大きな要因としてその設計思想が米軍戦術機運用戦略ドクトリンからずれていたため、結局米軍はYF-22を次期制式機として採用、YF-22はF-22Aとして量産が開始された。YF-23は試作機としてスパイダー、グレイゴーストの2機製作がされ、次期主力機トライアルに敗れた後もNASAがテストベッド機として運用していた。その後テストベッドとしての役割を終え1996年にスパイダーはモスボール凍結処理を施されたがグレイゴーストは同年、N・G社がオルタネイティヴ第四計画への支援、参加を決定するに伴い、実働戦力として当時同機の運用衛士であったヴァッシ・ウレンベックと共に同計画へと派遣されている。これは次期主力戦術機にステルス性能が付与されることを見越し、ステルス機の運用データを収集したかった国連軍と自社製品がL・M社のF-22Aよりも優れた性能を持つことを実戦証明したかったN・G社双方の思惑が一致したためである。また運用衛士ごと派遣したことについては機体の持つ機密が他者に漏洩することを同社が嫌ったためであり、事実グレイゴーストはその維持運用など機体にまつわる一切に関し、完全なスタンドアローンで行われている。また、同衛士がYF-22との比較試験中に行われた対YF-22、F-15Eとの評価演習において一度も撃墜判定を受けていないこともその要因の一つとなっている。後にA-01部隊が発足すると同機、同衛士は正式に国連軍に編入され、A-01フェンリル中隊に配備された。なお同機は編入後も引き続き日米双方の試製装備のテストベッドとして各種装備の追加を行っている。
 以下に追加装備の概要を記載する。
 機動力面では肩装甲に元機よりも大口径の、アメリカが日本のXFJ計画に協力した際に製作された高機動バーニアにステルス能を持たせ、エンジンを推力の高いものに乗せ換えた試作型を搭載し、その外側に試製着脱式蒸散装甲板を追加し、防御性能、機動性能の両方を強化している。更に、機動力でF-22に劣った要因の一つは推力偏向能がないことであるとして、概念実証段階の3パドル方式推力偏向装置を搭載した。主機や主跳躍ユニットのエンジンにも試験検討段階のものが搭載されており、最大戦速、加速性能、最大出力が向上している。しかし主機は出力係数の振れ幅が大きく、状態管理プログラムの設定を誤るともともと搭載されていた主機の出力を下回るという事態も想定されるため改良の余地を残す他、ジェットエンジンも燃料供給量の調節が非常に難しく、オーバーロードの可能性が否定しきれないとして正式開発は見送られた。また衛士強化服も変則的な機動性に対応するために、と開発された試作品が運用衛士、ヴァッシ・ウレンベックに支給されている。
 コンフォーマル・アレイ・アンテナ(所謂スマートスキン)と超小型光学センサーを併用した、試製頭部複合センサー群とそこに内蔵された同じく試製の展開式遠深度モノセンサーアイ(複合センサー群と遠深度モノセンサーアイの二つを併せて一つのセンサーシステムで、両方を併せての非公式な呼称は”トンボ眼”である)、更に量産試作段階の新型フェイズド・アレイ・レーダーを搭載することによってセンサー性能は第3世代機の中でも図抜けている。そのため遠近両方で高い戦闘能力を発揮することが可能である。
 この機においては反応限界をテストするために操作系の遊びは限界まで減らしてあり、操作幹に僅かに触っただけでも機体が反応するほどである。元々ピーキーだった操作性がタイトな操作設定によって常識外なまでにラジカルになり、並の衛士では直立させることも難しい。しかし専任衛士のヴァッシ・ウレンベックはその機体を難なく制御していたとあり、その技量の一端を窺わせる。
 もとより高い機体性能に加えてテストベッドとして種々の改修を受けた結果、基本性能で現行最強とも言われる戦術機、武御雷(F型まで。R型以上には劣っていた)をも凌駕し、総合性能では将軍専用の紫色の武御雷に迫る。しかしただでさえ試作機、加えてテストベッド機であり、予備パーツの絶対数が圧倒的に少ないため整備性は劣悪。更に内装パーツの殆どが試作パーツに換装されていることもありその信頼性は極々低い。機体の性能バランスもお世辞にも良好とは言えず、戦闘可能領域が広がったことにより衛士に要求される状況判断能力も高くなっており、非常に扱いにくく、事実ヴァッシ・ウレンベック以外の衛士が試験的に搭乗した際にはベテラン衛士であっても持て余したという。武御雷とは別の意味で”人を選ぶ”機体と言える。



実験艦 長門

 基準排水量56500t、41㎝砲装備の旧戦艦長門を改造した実験艦。
 BETA大戦史において戦艦から輸送艦、実験艦へと3度衣装を変えた船。実験艦とはいいつつ実際には新装備のテストベッド的な艦である。もとは42000tクラスの戦艦であったが4度にわたる大改装の末に最終的には大和級の基準排水量近くの満載排水量65000tにまで膨れ上がった。
 艦政本部主導による大型特殊装備及び試作艦載兵器実験艦の建造計画が持ち上がったが、BETA大陸侵攻による艦隊戦力および上陸戦力拡充のため大型艦建造ドックに空きがなかったこと、新規に建造する時間的及び資金的余裕がない、艦隊司令部らの横やりにより新型艦建造を断念、モスボール保管されている艦船およびその他艦艇の中から比較的状態もよく艦体のサイズに余裕のある長門が大型特殊装備及び試作艦載兵器実験艦として再就役、改装を受けることとなった
 特殊装備を搭載するため主砲塔1,2,3番の撤去、ケースメント式副砲の全撤去、艦橋の低姿勢化、機関のガスタービン化、発電用超高出力ガスタービン機関の搭載、ALMランチャーの増備、試験設備導入のための大型格納庫の設置、軽量76㎜速射砲を代表とする自動砲の装備、舷側装甲の拡大、一部装甲のモジュラー化、対レーザー装甲の増備を行った。特殊装備は艦首、1番砲塔跡に装備された。その結果、艦様は一変しとても長門級とは思えないずんぐりとした艦となった。ただ機関の高出力化によって32ノットの高速を発揮することができたが、装甲及び各種の増備により喫水が深くなったため艦首が波に被りやすくなり航洋性は低下した。その後に艤装のすんだ長門を連合艦隊司令長官小沢提督は視察した際に「かつては国の誉れと謳われた長門を、帝国一の老女を今一度戦場に送り出さねばならないとは。寒い時代だ」と語ったという。実験艦でありながら装甲を施され、各種装備を追加している点から見て改装当初から実戦に投入する前提であったということが見て取れる。逆に当時の帝国海軍は実験艦といえども遊ばせておく余裕がなかったということが窺える。

基準排水量 56500t
全長 251m
最大幅長 33,1m
喫水 11,6m
機関出力 220000hp
最大速力 32ノット
兵装  特殊装備×1
    46㎝連装砲×1
    76㎜速射砲×8
    127㎜連装速射砲×4
    20㎜CWIS×4
    40㎜汎用機関砲×8
    4連装対艦ミサイル発射基×4
    ALMランチャー×144基



[4380] 第二部 第二話
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/08/29 00:47
 カキン、カチャン、カキン、カチャン、カキン、カチャン。
 ヴァッシは長門艦内を彷徨っていた。それというのも。
 (ヤニが喰える所は……)
 要するに、煙草が吸いたいのだ。
 甲板で吸う手もあるが、それはなるべく避けたい、というのが正直な所である。なにが悲しくて11月も中頃の寒空の下、ガタガタと震えながら煙草を吸わねばならないのか。
 先程から「艦内禁煙。喫煙は所定の場所で」の看板や張り紙を見るたびに、だから所定の場所は何処だ!! と内心で地団駄を踏んでいた。
 苛々しながら艦内を歩き回るくらいなら自室で吸えばいいようなものの、彼はこういうところは妙に律儀な男である。
 吸殻は平気でポイ捨てするくせに。
 喫煙所を見つけた瞬間に火を点けてやる、と咥えたままの煙草が苛立たしげに上下する。
 先程からカチャンカチャンと音を立て続けているのはジッポライターである。これもやはり苛立たしげに開閉を繰り返していた。
 そして、遂に。
 「あった……!!」
 彼是30分近く艦内を歩き回り、漸く見つかった喫煙所。
 一瞬でも早く其処に辿り着こうと、ヴァッシの脚は自然、早くなる。
 彼の足は西洋人の常というか、日本人のそれよりも長い。そして彼も190cm近い長身だ。
 それが走らない限界の速度、競歩と言って差し支えのない歩調で喫煙室へと突進していた。
 故に、死角となった通路から出てきた小さな影を思い切り跳ね飛ばしたのも、無理からぬことかも知れなかった。
 「きゃんっ」
 ぶつかった速度の割に酷く軽い衝撃がヴァッシの腹部にあった。
 ぶつかった人物を見る。と。
 「!?」
 小さな影、それは。
 「いたた……ヴァッシ君、何をそんなに急いでいるんだい? 急ぐのは構わないが、もう少し前に気をつけて歩きたまえよ」
 朱祇だった。
 尻餅をついた彼女にヴァッシはスンマセン、とだらけた敬礼を送り、直ぐに姿勢を崩して手を差し出す。
 「いや、ちょいと喫煙所探してました」
 差し伸べられた手を取り、身を起こして制服に付いた埃を払った朱祇は喫煙所? と首を傾げた後、後ろを振り返ってああ、と得心したように頷いた。
 「そういえば君は煙草を嗜むんだったね………。ふむ、どうだろう。お詫びというわけじゃないが、君が煙草を吸っているのを眺めてもいいかな?」
 何故そんな要求をするのかは解らなかったが、勿論ヴァッシに異論はない。
 「まあ、別にいいですけど。面白いモンでもねっすよ」
 「構わないさ。私は君が煙草を吸っているのが見たいのさ」
 「はぁ」
 やはりよく解らん、と首を傾げるヴァッシを措いて朱祇は喫煙所へと入っていった。
 その足取りはうきうき―――スキップしていたのはヴァッシの見間違いではない―――していた。

 ジジジ、と煙草の先端に火が灯る。
 数時間ぶりのニコチンの味にヴァッシは目を細めた。
 肺腑から細く煙を吐き出すと、椅子に座ってだらしなく姿勢を崩したヴァッシの隣にちょこんと座る朱祇の可憐な声が昇ってきた。
 手を膝にぐーで置き、地面に届かない足をプラプラさせる子供っぽい仕草が妙に似合っている。
 「ヴァッシ君、ヴァッシ君。君、アレは出来ないのかい? ほら、煙をわっかにして吐くアレだよ。ねぇ、やってみてくれないか」
 妙にうきうきしながらそう言う朱祇に、またこのちんちくりんは子供っぽいことを、と思いながらもいいですよ、と言ってヴァッシは煙を口腔に溜め込んだ。
 そして3回連続して空中に煙の輪を作り、最後にその中心に煙を吹きつけた。3つの輪は最後に吹き付けられた紫煙に巻き込まれ、一つの筋となって室内に融ける。
 「おおっ!!」
 凄いじゃないか、と朱祇は手を叩く。その目と仕草はますます彼女を子供っぽく見せた。
 ていうか目ぇ輝かせんなよ、とヴァッシは思った。これじゃあその筋の人は大喜びだろうよ、とも。
 それからも鼻から吐いてみてくれだの幾つわっかは作れるんだだのと朱祇にせっつかれたヴァッシは、この後更に2本の煙草を消費することとなった。



 「それでは名残惜しいが。また会えるといいね」
 そう言って朱祇は仙台塩釜港でA-01を見送った。が、その視線はヴァッシ一人へと注がれており、目は熱に浮かされていた。
 フルフルとA-01部隊に―――もといヴァッシに―――手を振りながら、朱祇は喫煙所の前で握ったヴァッシの掌の感触を思い出していた。
 ぼこぼこした、なのにやたらと滑らかな掌。
 さてはて、と朱祇は目を細めた。
 一体彼に、何があったのやら?



 港を離れる長門。朱祇と副長はその胎の中に納まった巨大なコンテナを眺めていた。
 「彼らには悪いことをしましたね」
 「うん、そうだね。だがそれも致し方ないだろう。それこそ我らオルタネイティヴ4の明暗を分ける代物だからね」
 コレの横浜基地への搬入は万全を期さなければならない。付随品とは言えどオルタネイティヴ4の根幹に関わる物だからだ。
 仙台港に置いてあるコンテナの中には何も入っていない。所謂ダミーである。

 そして彼らの見上げるその荷物の中身はバラバラに分解された巨大な戦術機と、同じく分解された、それよりも更に巨大な―――組み上げた際の全高は並の戦術機に数倍するだろうか―――戦術機だった。



 早朝、直立した戦術機と、幾つものコンテナを積み込んだ輸送車を前に、A-01中隊は整列していた。
 周囲には機械化歩兵部隊一個中隊が展開しており、歩哨は彼等の預かりである。
A-01は皆、衛士強化服に身を包んでいる。伊隅らは国連軍制式の99式衛士強化服、霧耶と堂本は斯衛軍制式の00式衛士強化服。
 異彩を放つのはヴァッシの強化服だ。他の者が纏う強化服はラバーが多用されているのに対し、ヴァッシのそれはアーマー部分がやたらと多い。
 両肩、首周り、両手首足首は言うに及ばず、両足も全体がアーマーに覆われ、股間は勿論のこと、胴体も。ほぼ全身がスーパーカーボン製の、ダークグレーに塗装された甲冑に覆われている。僅かに両脇と前腕にラバーが用いられている程度だ。肩、首、手首足首も他と比べて随分重厚な物だった。
 ヴァッシの衛士強化服はグレイゴーストの変則的な機動に対応するための試作品である。
 両肩の大口径スラスターにトリプルパドルの推力偏向装置。これら二つの方式がもたらす苛烈な左右方向からのGに対応しうるものを、ということで些か行き過ぎなまでの増幅率と強度を持たされている。
 既に何度か目にしているが、その強化服は相も変わらず異様なものに、霧耶の眼には映った。
 「では」
 伊隅の声にはっとして、霧耶は前を向いた。
 「これより最終確認だ。我々はこのコンテナの中に分解して封入されたXG-70とXF-108をここから横浜基地に搬入する。仙台塩釜港出発の後泉インターチェンジから東北自動車道跡、国見インターチェンジ跡で国道349号線跡に、水戸インターチェンジ跡で常磐自動車道跡に入り、国連軍横浜基地まで護送する。本作戦においては反オルタネイティヴ4組織やオルタネイティヴ5推進派による妨害行動が予想される。道中では十分、周囲に警戒を払え。よし、各員搭乗!!」
 その声に従い、皆が各々の機体に搭乗した。

 歩哨部隊に手を振り、A-01中隊は仙台港から出発した。
 市街地を抜け、山間部へと入る。
 その日は何事もなく、仙台塩窯港を発ち、阿武隈高知まで到達した。

 "日付が変わるまで"は、何事もなく。



 山間部でのテントの設営を終え、A-01と輸送部隊は交代で仮眠を取っていた。
時刻は0030を僅かに回ったばかり。現在の歩哨はフェンリル分隊。ヴァッシと霧耶、堂本の三人だ。
 ヴァッシがライフルをその肩にかけ、煙草を吹かしながら周囲の警戒をしていると、暗視にしていた右目の視界、その端に何か動くものを認めた。
霧耶も堂本もあそこには居ない筈だ。暗視からサーモ、赤外へと右目のモードを切り替えると、そこに映ったのは―――――
 「敵襲!!」
 ライフルを構えた人影だった。
 叫ぶと同時、銃火が地面に伏せたヴァッシを掠めた。すかさず応射。
 「!?」
 その声と銃声に、皆がライフルを手にテントからまろび出た。
 襲撃か。
 各々戦術機や輸送車の陰に隠れ、ライフルを構える。
 伊隅は戦術機の暗視に接続するが、死角を選んで侵攻してきたのだろう。襲撃者は影も映らなかった。
 「ヴァッシ、状況は!?」
 伊隅が匍匐でずり下がってきたヴァッシに問うた。
 当然ながら彼女はヴァッシの右目が人工生体である事を知っている。
 そしてその目は赤外、熱源探知、ノクトヴィジョン他の機能を備えた多機能型だ。現状最も正確に状況の把握が出来る。
 問われたヴァッシは咥えた煙草を吐き出すと、輸送車の陰から首を出し、林の中を注視した。
 「敵人数……確認可能な範囲で5名、アサルトライフルと……SMGで武装。サーモプロテクトが無いってことはネェだろうから恐らく分隊規模の歩兵でしょうね。射撃規模も大凡そんなもんかと。サーモで見えてる奴は囮っすかね」
 「早速か……!!」
 A-01中隊はオルタネイティヴ5との直接戦闘も念頭に置き、ある程度とはいえ対人戦闘の訓練も受けている。
 それを今の今まで欠片も悟らせずにここまで接近する部隊だ。専門の訓練を受け、相応の錬度を持つことは間違いない。
 ここまで訓練をつむのには相応の時間が掛かる。
 そんな部隊が今このタイミングで投入されるということは、この輸送計画は”ざる”のように筒抜けだったのだろう。もしか、内通者があるかもしれない。
 まあ、とヴァッシは思った。
 香月サンのことだから敢えてリークした可能性もあるな、と。
 同様に彼は自分たちが護送する予定のコンテナ群はダミーである可能性にも考えが至っていた。というより、その可能性は高いと思った。
 それこそ海路で運べばいいようなものをわざわざ襲撃を受けやすい陸路で、しかもそれを運用する部隊に護送させるというリスクを敢えて犯す意味は余りない。
 しかし、確かに真実味は出る。ということは長門にXG-70とXF-108が積んであったのだろう。
 瞬時の思考。そしてそれは、的を射ていた。
 夕呼がヴァッシをNASAから引き抜いたのは―――些かアイロニカルではあるが―――彼の思考回路の優秀さもあってのことだった。
 迅く、そして的確。明晰と言い換えてもいい。A-01に腕前だけのパイロットは不要だ。
 それはそうと。
 「チッ、俺のカワイこちゃん傷モンにしやがって」
 フルオートで応射しながら、ヴァッシはどろりとした憤怒と共に呟いた。
 そこに喜悦が見えるのは、気のせいだろうか。
 チュンチュンと高い音を立てて跳弾するライフル弾に不知火に武御雷、そしてグレイゴーストの塗装が僅かながら削られていた。
 彼にはそれが気に喰わないらしい。
 みちり、とその口角が吊り上がる。
 邪悪。
 見る者にその印象を与えずには置かない笑みだった。
 ヴァッシは弾かれるように左手で腰の後ろからカーボンナイフを引き抜くと、徐に立ち上がった。
 「おい、フェンリルリーダー!!」
 制止の声を上げる伊隅は、彼の表情を見て即座に説得を諦めた。
 もう無駄だ。
 あの貌をしたときのヴァッシには何を言っても意味がない。それを悟る程度には、伊隅とヴァッシは長い付き合いである。
 酷く愉しげに、舌なめずりしながら嗤っていた。
 伊隅にその理由は解らないが、ヴァッシは闘争をこよなく愛する。執着していると言い換えてもいいだろう。それこそ"闘争"という手段を採る為ならば、如何なる目的をも躊躇しないほどに。
 今回のそれはグレイゴーストを傷付けられたからなのだろう。
 闘争に繋がりうることならば、彼はどんな些細なことでもその火種としてしまう。まるで薬物中毒者がそれに没入するように、彼は闘争に身を投げる。
 当然敵がそんな行動を見逃すはずも無く。弾丸がヴァッシの傍らを通過する。
 「―――ッは!!」
 喜悦を含んだ声。弾丸に応ずるようにヴァッシはライフルのトリガーを引き絞った。
 無論、特筆するような―――勿論国連軍の平均的なそれよりは遥かに優れるものの―――射撃の腕があるわけでもなし、弾丸は取り敢えずの方向にしか飛んでいかないが、それこそ取り敢えず林の中に入るまでの目晦ましになればいい。
 30発のバナナマガジンは直ぐに空になる。適当な木の陰に滑り込むとライフルからマガジンを落とし、タクティカルジャケットからマガジンを一本引き抜いて口を開けたライフルのマガジンホルダーにそれを叩き込んだ。
 ローディングレバーを引き、初弾を装填するとヴァッシは右目を暗視に切り替え、周囲を見回した。
 2時方向に2人、8時方向に3人。
 8時方向の3人は本隊の方に銃口を向けており、これは後回しでいいだろう、とヴァッシは2時方向の2人に向け、極力体勢を低くして駆け寄る。
 その姿はまるで獣のようであった。

 気付かれるのが想定よりも随分早い。
 襲撃者の頭目は訝しく思った。
 しかもこちらが発砲し、それで仕損じた相手がどうこうするならまだしも、発砲の直前に、歩哨でありながら煙草を吹かしながら歩いていた迂闊な兵士はこちらに反応した。
 夜闇に紛れる黒色迷彩に身を包んだ彼らに。
 暗視スコープを付けているような様子も無いのに何故、と思うが、既に気付かれてしまった以上そんな考察は無意味だ。
 予定が狂ってしまったが、こうなれば正面切ってのゴリ押しで制圧するしかなかった。
 「セイバーリーダー!! 来たわよ!!」
 「ッ!!」
 見れば、濃灰色の奇怪な強化服を纏った、先程彼らの奇襲を看破した兵士が獣の動きで彼ら2人に迫っていた。
 二人は迫り来る獣に射撃を加える。
 消音機で減殺された発射音。ともすればオルタネイティヴ4の兵士が使うアサルトライフルの発射音に掻き消されそうになる。
 「ひっ……ハァッ!!」
 間近に迫った兵士の鳴き声。
 それは明らかに、愉しんでいた。


 そして彼らは再会を果たした。喜ばしい再会では、決してなかったが。


 多分な幸運もあろうが、ヴァッシは一発の直撃弾ももらわぬまま、接敵に成功した。
 相手の振るうナイフを掻い潜り、自らは逆手に持った大振りなナイフを下から掬う様に斬り上げる。
 ひゃん、という空気を切る音と共に襲撃者のフェイスガードが割れた。
 その素顔が冬の空気に曝される。
 そしてその顔を認めたヴァッシと、至近でヴァッシの顔をしっかと認識した男と女は。
 「シュウァルツ大佐……!?」
 「ウレンベック少尉!!」
 至近で惚けたように見詰め合うヴァッシとカール・リヒャルト・シュウァルツ。
死したとばかり思っていた部下と上官の再会。
 あの状況で生き残った人間が自分以外に―――カールの場合は姪も生き残っていたが―――いるとは思いもよらない。
 カールは困惑した表情を浮かべ、ヴァッシは始め胡乱気な顔をしていたが、カールの襟元にALTERNATIVE Vの徽章を認めた途端、その貌が死んだ。
 と、それを突き崩すようにがしゃん、とライフルが地面に落ちる音が、彼ら二人の間近から聞こえた。
 見れば、サーモプロテクトの戦闘服に身を包む長身の女がフェイスガードの上から両手を口元に当て、僅かに震えていた。
 「ヴァッシ……!!」
 ヴァッシはその声に、聞き覚えがあった。
 「……レティか」
 それに答えるように、女はフェイスガードを外した。
 果たして現れたのは、10年前に死んだと思っていた女が歳経た姿であった。
 「ヴァッシ……」
 レティ―――レティシエ・フォン・シュッツガルド―――は歓喜に打ち震えていた。
 死んだものとして記憶に封じていた嘗ての恋人が、顔に傷をこさえていたとしても五体満足で再び自らの目の前に現れたのだ。
 はらはらと落涙し、感極まったように覚束ない足取りでヴァッシに近付くレティシエだったが。その歩みは一発の弾丸で遮られた。
 嘗ての想い人、ヴァッシ・ウレンベックその人が放った弾丸によって。
 すんでのところでカールがバレルを押し、銃口を逸らしたことで凶弾はレティを捉える事はなかった。そしてヴァッシはカールにナイフを振るい、距離を置いた。
 レティシエは地面にへたり込み、呆然とヴァッシに視線を送っていた。
 ヴァッシが彼女を視る目は、冷たい。単に敵としてのみ、彼女達を認識している眼だった。
 「ヴァッシ……な、何で……!?」
 「俺はオルタ4、貴様等はオルタ5。嘗ての女だろうと上官だろうと、銃口を向けあったんだ。殺し合う以外に―――――何がある?」
 その声音は、カールの記憶にあるものとも、レティシエの記憶に仕舞われていた物ともまったく違った。
 10年前の厭世的な、しかしどこか若々しい声音では勿論なく、それが成長したものでもない。
 錆びた鋼鉄が軋むような声音だった。
 そして殺し合うしかないというその言葉の通り、ヴァッシは木の陰に隠れた二人に射撃を加えた。
 数発毎のバースト射撃を続けながら輸送車両まで下がる。
 「フェンリルリーダー!! 何をやっている!! 死にたいのか馬鹿者!!」
 伊隅の叱責に耳も貸さず、ヴァッシは残弾の僅かなアサルトライフルを放り投げ、遠隔操作でグレイゴーストのコックピットを解放し、昇降用ワイヤーを下ろした。
 「おい、何を……」
 「AHML (Anti-Human-Mine-Launcher 対人機雷発射筒)と50口径で薙ぎ払う。搭乗までの間援護しろ」
 その声音に、伊隅を始めとして車両の陰に隠れていた者はぞくり、と首筋を粟立てた。
 これまでもヴァッシがこうなったことは幾度かあった。
巫山戯たような、皮肉気で厭味ったらしい男という仮面も剥がれ落ち、酷薄なヴァッシの貌が露わになることは。
 そうしたとき、彼は嗤うこともなく、ただ全てを倦んだような貌で何処を見ているとも知れない、焦点の合わない瞳をしている。
 戦争狂と憤怒の化身。
 掴みどころのない二面性。
 そして憤怒の化身としてのヴァッシは今この時がそうであるように、猛烈に怒っていた。
 先の粘液質な、そうと見せかけただけの憤怒ではなく。酸の様に肌を焼く、静かで、しかし激しい怒り。
 「……解った」
 そう応じるしか、彼女達に術はなかった。
 
 このときヴァッシは、自分でも理由の解らない憤怒に沈んでいた。
 ただアレを殺すことしか頭になかった。
 闘争を愉しむことも忘れ、ただ、怒っていたのである。
 
 仲間の援護もあり、弾丸が昇降ワイヤーを伝う彼を掠めることはあっても直撃は一発もなし。
 コックピットに納まったヴァッシはすぐさま機体を起動させる。暖機していないため動きが若干悪いのは致し方ない。
 グレイゴーストは元々大戦後の国家間戦争をも念頭において設計された戦術機だ。対人火器も幾つか装備されている。
 その内二つが肩部装甲に内蔵されたAHMLと左右のマニュピレーター人差し指の付け根、その装甲板の内側に装備された12,7㎜4連砲身のガトリングガンである。
 グレイゴーストが敵に振り向き、兵装選択、AHML。
 「死ねよ」
 肩部装甲板がカコン、と軽く音を立てて解放され、10㎝弱の穴が現れた。
 トリガーを引くとポム、と些か間の抜けた発射音と共に片側16発、計32発の空中炸裂型機雷が上方に向け、広範囲に散布される。
 地上から1m程の位置まで柘榴が落ちたところで、それは弾けた。
 バチュン!!
 5㎜大の鋼鉄製のベアリングが広範囲に撒き散らされた。
 成果を確認しようとグレイゴーストのメインカメラをサーモグラフに変更するが、オルタネイティヴ5の人間は減っていなかった。
 ち、と舌打ち一つ、兵装選択、12,7㎜ガトリング。
 「死ねよ……!!」
 小さく開口し、束ねられた4つの銃口が覗いた右腕を差し出し、ヴァッシはトリガーを引き絞った。
 コンマ数秒の予備加速の後、分間1500発の高速で12,7㎜弾が湯水のように発射される。
 森林を薙ぎ払う横薙ぎの鋼鉄の嵐。しかし相当な訓練を積んだのだろう、これだけの無遠慮な暴力に曝されても、カールたちに死者はいなかった。
 そのカールたちが丘陵の影に消える。
 来るな、とヴァッシは直感的に思った。
 「フェンリルリーダーよりヴァルキリーリーダー、敵勢力が戦術機に搭乗するぞ。輸送車両を退避の後、戦術機に搭乗した方がいい。コイツのレーダーにも反応ないところ見ると、恐らくラプターだ」
 「ラプター……オルタネイティヴ5か」
 だろうな、とヴァッシは答えた。それを視認したとは言わなかった。
 事態は楽観できるものでは決してない。
 分隊規模、10人前後がラプターに搭乗する。そして10人などという中途半端な数ではなく、恐らく戦術機一個中隊、12名を揃えているだろう。
 ラプター一個中隊に対して武御雷2機とグレイゴースト1機を含むとはいえ、不知火が主力の一個中隊の定数にも満たない数で相対するという現実。
 伊隅が掴んだ昇降用ワイヤーが上がりきり、彼女は機の虚に体を滑り込ませた。がごん、と鈍い音と共に棺が閉じられる。
 輸送車両はノーパンクタイヤが空転するほどにエンジンを吹かし、急速に状況から離れていった。
  (やはり危うい……)
 静かに、一見静かに聳えるグレイゴースト。
 その中に座るヴァッシの姿を幻視し、伊隅は思った。
 それは闘いに指向する事のみを指した感情ではなかった。
 常ず伊隅はヴァッシの纏う雰囲気を、こう評する。
 曰く、薄刃と。
 薄く、故にその切れ味は凄まじい。が、脆い。
 肉を切るには十二分な切れ味を示すが、僅かでも硬い物にその刃を当てれば、途端に刃は欠け、鎌鼬の鋭さは失われる。
 そんな危うさを。
 左腕に96式特殊長刀を装着し、右手にLBT120㎜L88を持ち、左肩に長刀、右肩に突撃砲を装備したグレイゴーストは、複数の、ラプターに搭載された高出力主機が立てる甲高い駆動音が輪唱を奏でる森林へとその単眼を向ける。
 そんな危うさを、伊隅は灰色の亡霊を駆る男に見出していた。




登場人物設定




カール・リヒャルト・シュウァルツ
身長:191㎝ 体重:95㎏ 頭髪:金 年齢:39 国籍:(亡命ドイツ人) 搭乗機:F-22A 階級:大佐 原隊:ドイツ陸軍第一装甲師団 所属部隊:アメリカ軍機甲師団

 旧ドイツ第一装甲師団師団長で、現アメリカ軍機甲師団師団長にして大佐。第一装甲師団において戦術機に搭乗して最後の遅滞戦闘を繰り広げ、ヴァッシとは別ルートでアメリカに亡命し、米軍機甲師団へと入隊した。リヒャルトの名が示すとおり貴族であり、騎士階級。同様に姪のレティシエ・フォン・シュッツガルドも騎士階級の貴族である。
 親オルタネイティヴ5派で、人類は負けつつあるという諦念にも似た感情に支配されている。
(イメージカラー:錆赤色)



レティシエ・フォン・シュッツガルド
身長:170㎝ 体重:58㎏ 頭髪:銀 年齢33 国籍:(亡命ドイツ人) 搭乗機:F-22A 階級:中尉 原隊:ドイツ陸軍第一装甲師団 所属部隊:アメリカ機甲師団

 旧ドイツ第一装甲師団団長カール・リヒャルト・シュウァルツの姪。第一装甲師団時代の階級は中尉で、ヴァッシ・ウレンベックの属する中隊の隊長を務めていた。ドイツ崩壊から奇跡的に生還した彼女はアメリカに亡命し、機甲師団に入隊した後、オルタネイティヴ5実行部隊としてA-01中隊と相対することになる。
 戦術機運用の基本に則った操縦をするが、若くして中隊長を任されていただけはありその習熟度は生半可ではない。
 なお彼女は第一装甲師団時代にヴァッシ・ウレンベックとの恋仲にあった。
(イメージカラー:朱色)



登場メカ設定



LBT(Long Barrell Type)120㎜L88滑空砲

 口径120㎜、砲身長10560㎜の長大な砲身を持つ滑空砲。長距離から要塞級BETAグラヴィスを制圧するための兵装として試作された。
 長砲身と炸薬量の増加により現用の戦車砲と比較して60%程度初速が上昇している。APFSDS弾使用時にはデストロイヤー級の正面装甲を貫通する破壊力を持ち、第三世代戦術機であれば距離8000でも撃破が可能。反面戦術機に搭載するには余りに大型であり、重く、反動が大きいなどの欠点を持つ。その反動ゆえに連射した場合の信頼性が低く、砲弾は8発クリップに装着した120㎜弾を1発毎にレバーをコックし、薬室に装填する。広域制圧弾頭も試作されたが、120㎜では威力不足であるとして採用は見送られた。しかしAPFSDSを使用しても大型種に対してはその甲殻を貫通することは出来てもその効果は限定的であり、一撃で仕留めるには威力不足であるため、量産の予定はない。
 通称はロビタ。

口径 120㎜
砲身長 88口径
初速 2600m/s
最大有効射程 9000m
発射速度 ―
即応準備弾 8発



試製96式特殊長刀

 楯状の本体に長刀を内蔵した、前腕部に装着される攻防両用のシステムで、近接白兵時には長刀を瞬時に展開、使用する。これは緊急時に火器を手放し、そこから長刀や短刀を抜いていたのでは間に合わない、ということで試作された兵装で、火器を手に持ったまま行使できる格闘兵装として設計された。類似の兵装としてソ連のモーターブレードがあるが、それと本システムは趣を異にする物である。
 刀身を内蔵する本体は対レーザー蒸散装甲板で覆われており、裏面には多目的ラッチが装備されている。刀身は通常のハイパーカーボン製ではなく、ルネ41鋼やニッケルクロムモリブデン鋼などの複合金属素材でできているため弾性、通電性に優れている。そのため対戦術機戦において刀身に通電させることで電子装備の破壊、もしくは誤作動を引き起こすこともできるが、消費電力の問題で常時帯電させることは出来ない。また刀身が金属製であることからハイパーカーボン製の物と比べて歪曲しやすいため、予備の刀身を保持するための”鞘”が製作され、システム本体と平行して試験が行われている。
 なお本システムには実験的に武器保持用のサブアームが装備されている。これは緊急時に武器を投棄するのは武器弾薬の無駄使いだとする発想から来るもので、試験結果は上々。しかし消耗品となる本システムに搭載するにはコストが嵩むうえ、使用者に高い操作技術を要求するため、仮に制式採用されたとしてもオミットされる予定である。
 余談ではあるが伸縮機構は電磁式であり、ブレーキを解除することで刀身を射出することも可能。が、あくまでこれは緊急時に於ける強制排除機構であり、実戦で使用することは想定されていない。



[4380] 第二部 第三話
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/08/29 00:49
 無謀な特攻から無傷で還って来たヴァッシを見て、霧耶は困惑した。
 誰だ、これは。知らない。こんな男は知らない。こんな―――こんな冷たい殺気を放つ男を、霧耶は知らなかった。
 そしてその声音もへらへらとした、無条件に人の神経を逆撫でするそれではなく、世に倦み、生きることに倦んだ老人のような声だった。
 武御雷のカメラをグレイゴーストに向ける。
 幽鬼が、立っていた。

 森林迷彩に塗装されたラプターが12機、稜線の陰から這いずり出た。4-1セルで編隊を組み、舐めるように木々の間をすり抜ける。無駄のない機動からも部隊の錬度が知れた。
 「チッ……!! B小隊、左翼の小隊に当たれ!! A小隊は正面右、C小隊は……」
 伊隅の指示が飛ぶ中、ヴァッシはそれに耳を貸すこともなく、正面右の小隊に―――内一機の肩には白線が二本。指揮官機だ―――ロビタの砲口を差し向け、トリガーを引いた。
 狙うはカールの搭乗しているであろう指揮官機。
 先程の邂逅でレティシエがカールのことを”セイバーリーダー”と呼んだのを、ヴァッシは聞いていた。
 通常の戦車砲とは比較にもならない激しい砲声と閃光、衝撃波が木々を揺らす。
 「ち、中尉!?」
 独断専行に霧耶が抗議の声を上げる。が、そんなものに耳を貸せる精神状態に今のヴァッシはなかった。
 照準した敵、カール機が砲口初速2600m/sの超高速を誇るAPFSDSを難なく回避するのを見たヴァッシは即座にロビタを投棄した。
 当たらない、当てられない鈍重な得物をいつまでも抱えていてはアレ・・を殺せない。
 突撃砲を左のマニュピレーターに掴ませ、逆のマニュピレーターで長刀を握る。
 特殊長刀は虎の子だ。必殺のタイミングまで隠し持っているつもりだった。
 「……シュウァルツ……!!」
 鈍く掠れた声で呟き、バーニアペダルを強く踏み込むヴァッシ。
 圧倒的な加速で自らから遠ざかるグレイゴーストを見霧耶は、苛立ちと共に堂本とそれに追従した。
 「フェンリルリーダー!! これ以上の命令違反は―――」
 「黙れ」
 霧耶の静止も一蹴し、ヴァッシは白線二本、カールに斬りかかった。
 その目前に一機のラプターが立ちはだかる。
 邪魔だ、と切り伏せようとした瞬間に、指向性レーザー回線で声が放たれた。
 「ヴァッシ……!!」
 その声で、目の前の機体に乗るのがレティシエと知れた。
 銃口はこちらを向いている。が、マズルフラッシュは焚かれない。
 邪魔なそれを長刀で切り上げ、一刀の元に右腕、右肩、そして首を切り飛ばし、完全に無力化する。
 それを捨て置き、再びカールに向け、戦端を開いた。
 このときヴァッシは胸部を切らなかった自分を不気味に思っていた。
 手心でも加えたのか、と。

 ヴァッシの独断専行、それに伴うフェンリル隊の突出により、状況は敵味方の入り乱れる混戦状態へと陥った。
 この独断専行はA-01にとっては寧ろ行幸。
 乱戦状態ならばある程度、戦力差を潰す事が出来る。

 フェンリル隊ブラスト・ガードの堂本の援護の下、霧耶はラプターを一機、長刀で両断した。
 「は、は、はぁ……ッ」
 初めての対人戦に霧耶の息が上がる。
 ちらり、と彼方を見やればグレイゴーストと白線のラプターがドッグファイトを繰り広げていた。
 それを見て、霧耶は愕然とした。
 両機の立ち位置が目まぐるしく変わり、36㎜の火線が交錯する。
 時折飛び散る火花は刃が合わさる時のものだろうか。
 圧倒的な技量同士の格闘戦。斯衛軍にもあれ程の手練はそういない。
 惚けた霧耶に、猛禽が爪を閃かせる。ナイフ白兵だ。
 弛緩し切っていた霧耶は反応できない。息を飲む。
 「澪!!」
 「ッ!!」
 堂本の叱責。
 彼の白い武御雷が霧耶の機体を蹴り飛ばし、敵弾の矛先から退けた。
 自らもそれで敵の間合いから外れた堂本は36㎜で相手を牽制し、僅かに敵機が動きを止めた一瞬で近付き、抜き放った短刀を腰部の継ぎ目に突き立て、それを仕留める。
 相変わらずの錬度であった。
 「何をしている。この状況で惚けている暇があるとでも思うのか?」
 尻餅をついた霧耶の武御雷に手を差し伸べながら堂本は彼女の迂闊な行動を窘めた。
 家柄重視の斯衛に措いては疎まれていたが、霧耶本人としては堂本のこの言葉遣いは好きだった。
 「早く立て。斯衛の誇り、武御雷に何時までその情けない格好をさせるつもりだ?」
 一見冷たい言葉だが、霧耶はその言動が自らを思ってのことと知っている。
 1年前、霧耶が斯衛軍に入隊してからこちら、ずっとのパートナーだ。
 それが証拠に。
 「お前に対人戦闘の経験はないんだ。いいか、いつも通りでいいんだ。後ろは私が固める。お前は前にだけ注意を払え。行くぞ」
 父が娘にそうするような気遣い。一つ息を吐き、額に浮かんだ脂汗を拭うと、霧耶は差し出された鋼鉄の剛腕を握った。
 一瞬だけ、ヴァッシの方に視線をやる。
 碌々彼のことを知らない彼女にさえ、声なき慟哭が聞こえるようだった。

 グレイゴーストの振るった長刀がラプターの短刀に流される。速度を殺さぬままに両機は離れ、36㎜で火線を張った。
 再びカール機と接触。今度は唸りを上げて叩き込まれる長刀を流せなかったのか、その刀身は短刀と噛み合った。
 高純度の炭素繊維が擦れあい、耳障りな音を立てる。そしてその度に火花が虚空に舞い、夜が死んだ。
 通信回線オープン、接触回線。
 「シュウァルツ、何故だ」
 気持ちくぐもった声がカールに伝わる。
 目的語を欠いた言葉。
 「何故オルタネイティヴ5なんだ?」
 ぎちぎちとラプターのフレームが軋む音が先程からグレイゴーストの長刀をいなす度にコックピットに木魂していた。
 そして今鍔迫り合いの状態に陥って理解した。
 主機出力が段違いだ、と。
 跳躍ユニットの推力もラプターが劣る。今まで対等に戦闘を演じることが出来たのは運の割合も大きかろう、とカールは思った。
 腕で勝るならば兎に角、この10年でヴァッシは恐ろしいまでにその錬度を上げていた。
 もとより独特だった機動にも磨きがかかり、細身のサーベルの如きだ。影が残るほどの機動などそうそうお目にかかれるものではない。
 身体能力に衰えの見え始めた自分では、そろそろ捌き切れなくなるのは明白だった。
 「答えろ―――――シュウァルツ」

 ヴァッシはただ、確認したかっただけだ。
 殺す前に、何故そうなってしまったのか、と。
 嘗て蠍の異名を取った衛士に。
 ドイツ陸軍第一装甲師団でも随一の腕前と謳われた衛士に。
 「何故あんたはオルタネイティヴ5に参加した」
 辺りに聞こえる砲火が遠い。
 フレームが軋む。
 「何故オルタネイティヴ4じゃ駄目だったんだ」
 その声は詰問ではなかった。
 寧ろ、懇願のようですらあった。
 カールからの、待ちに待った答えが聞こえる。くぐもった声。
 「人類が負ける。そこに―――疑問を抱けないからだ」
 何処かで、その答えは予期していたように思う。
 ああ、とヴァッシは自らの内から湧き上がる怒りの理由に思い至った。
 尊敬してたのに。
 うつ伏せに倒れた、レティシエを胎に収めた猛禽を見る。
 愛してたのに。
 だからこそ、許せなかった。
 「―――――そう、か」
 じゃあ、サヨナラだ。
 左腕に装着された特殊長刀の刀身射出孔をラプターの胸部に押し当てる。
 36㎜は既に弾切れ、リロードする暇もない。
 だから。
 トリガー。
 盾の中に隠された鋼の刀身が、電磁式カタパルトで射出された。

 ごしゃっ

 戦場に鈍い音が響き渡った。
 戦場で響くにはあまりに異質な音。
 皆が一瞬動きを止め、音源に向き直った。
 霧耶は、そこで異様なものを見つけた。
 左腕を大きく引き、数mノックバックしたグレイゴーストと、胸部を砕かれ、右腕を落とし、背面から長大な刀身を覗かせるラプターを。
 大きく仰け反ったラプターは姿勢制御サーボの応力で姿勢を何とか保ち、よろけるようにして2,3歩後ろに下がり、そこで力尽きたように膝を付く。
 グレイゴーストはその場で着降姿勢を取り、ハッチを開いた。
 そこからヴァッシが地面に降り立った。その手には拳銃が、黒光りする本体に真紅の豪奢なエングレーブが施されたモーゼルが握られていた。
 ラプターとグレイゴーストの間、10数mをゆっくりと歩く。
 誰も彼も、ヴァッシを除いて、動けずにいた。

 ぱきりと音を立て、足元の枝が折れる。ざしざしと枯葉を踏み越え、ラプターの残骸に近付いた。
 加熱したその装甲の上をよじ登り―――あの日のドイツを思い出し、少し嫌な気分になった―――ラプターのコックピットを解放する。
 シートには当然カールが、刀身が貫いたときに撒き散らされた破片で血塗れになったカールが座っていた。
 「やあ……また、会った、な……」
 「ああ、久しぶりだな」
 煙草を咥えて火を点ける。
 凪いだ風にしがみついて、穢れた吐息が逃げていった。
 「煙草を……吸う、ように……なったのか……」
 途切れ途切れの言葉。
 放っておいても永くはないであろうことは容易に知れた。
 「ああ。アメリカに渡ってからな。吸うか? アンタも葉巻をやってた筈だが」
 細く煙が棚引き、風がそれを攫ってゆく。
 ヴァッシはシガーケースから縒れた煙草を一本抜き出すと、吸い口をカールへと差し出した。
 「葉、巻は、やめた、よ。あの日を、境、に……。だが、こんな折、だ。吸って、も……天罰は、当たる、まい」
 そう力なく言って、カールは右手を差し出し、煙草を受け取った。
 「安煙草で悪いな」
 「構わん、さ。可愛い、部下、からの……贈り、物だ」
 そうか、と言ってヴァッシは火を渡した。じじ、と葉に火が灯る。
 カールはゆっくりと息を吐いた。
 目を細め、懐かしむように煙草の先に灯った火を眺める。
 「……悪く、ない」
 「ありがとよ」
 カチャン、とジッポの蓋を閉じ、懐に仕舞うと、ヴァッシはモーゼルのハンマーをコックした。
 銃口をカールの額に突きつけたその表情は、煩悶する哲学者のようでもあった。
 「最後、に……ひと、つだけ、謝らせて、く、れ」
 「聞こう」
 突き放すような口振りに、カールは寧ろ救われた。
 これで贖罪になるとは微塵も思わないが、それでも少しは救われる。
 「すまなか、った」
 殴り倒してでも、お前を前線に送るべきではなかった。
 自分の所為で崩れてしまった嘗ての青年に、カールは詫びた。

 それを聞いて、ヴァッシはただ目を細めた。
 言いたいことは解った。だが、今更だ。
 それを見て、カールが自嘲気味に笑う。
 どうやら、許してはもらえなかったらしい。それもいい。

 10秒、20秒と時が過ぎ、1分を数えた。小揺るぎもしない、冷たい銃口がカールを見詰めている。
 ―――――もういい。終わらせてくれ。
 ―――――ああ、終わらせてやるとも。
 風が吹く。互いに咥えたままの煙草からくゆる煙が風で洗い流された。





―――――――――――――――――――――銃声。





 銃口を下ろしたヴァッシは視界の端に、溢れた血溜りでその命を終えた紙巻を見ていた。
 いつか自分もあんな風に潰えるのだろうか。血溜りの中で、塵の様に、無価値なままで。
 しかしそのヴィジョンはこれっぽっちも浮かばなかった。
 さりとて自分はどういう風に生きるべきか、そのヴィジョンも見えなくなって久しい。
 それ以前に自分がどういう風に生きているのかさえよく解らない。

 ―――――いつからだろう。自分の死が迂遠なものに思えるようになったのは。
 死ねない理由は無論なく、死なない理由もない。が、敢えて死ぬ理由もないように思う。

 ―――――いつからだろう。自分の生を遥かなものと思うようになったのは。
 生きるという実感のない日々。たった今トリガーを引いた指先でさえ、その感覚は曖昧だ。
 
 どちらも曇りガラスを挟んだように不明瞭で、輪郭すら定かでなく、何処に落としたかは遥として知れない。
 欠けたパズルのワンピース。決して完成しない一枚絵。

 何処へ―――――?

 それを思う度、何処とも知れぬ場所が痛んだ。そしてその度に大した痛みだ、とヴァッシは自嘲するのだ。
 他人の痛みも理解出来ない欠陥品が、一体何をほざくのか、と。
 同様に、そんな欠陥品に生きる価値はあるのだろうか、とも思うのであった。

 どんどん希薄になってゆく死なない理由。
 どんどん濃密になってゆく死ぬべき理由。

 ヴァッシは頭を振ってその考えを振り払った。死にたくなんかない、と。
 だが。



 死にたくなんかない。死にたくなんかない。死にたくなんかないけれど。

 ―――――果たして自分に、その価値はあるのだろうか?



 落し物と自分の価値。その答えを闘争の中に求めても、果たしてそれは自らの望む物なのかどうか。しかし他の解法を知っているわけでもない。
 だからこそ、彼は闘争に執着する。
 そして血に酔う自らを認めるたび、自答など在りはしない自問を繰り返すのだ。

 俺は人間か? 俺は人間か? "俺"は、人間か?

 口元まで跳ねたカールの血を舌先で洗う。
 寒空の下で熱を失ったそれは、鉄の味がした。





 それから直ぐに、指揮官の喪失と作戦の失敗を悟ったオルタネイティヴ5実行部隊は撤退した。流石の状況判断といえるだろう。
 レティシエは捕虜として捕縛され、戻ってきた輸送車に収監している。

 ヴァッシはグレイゴーストの足元で、何本目かの煙草を吹かしていた。
 そこに、霧耶は近付いていった。
 「中尉……」
 「階級はいらん。敬語も使うな」
 その口調と声音は何時も通りの皮肉気な、厭味ったらしいもので。
 しかしその表情は倦んだそれのままであった。
 「ならばヴァッシ、その……」
 言い難い。
 聞き辛い。
 あの女はなんなんだ、あの男は誰なんだ。
 そして―――――大丈夫なのか。
 そしてヴァッシは霧耶が思うよりも遥かに聡明で、また聡かった。
 「………レティはドイツ時代の女。シュウァルツは師団長だ。それに、心配されるようなことじゃねぇ。捕縛して、殺しただけさ。敵を、な。いつもの事だ。そうだろ?」
 嗤うように言ったその言葉は何故か、子供が泣くにも似ていた。





 砂漠にビーズを落としたと少女は泣いた。少女は百年掛けて砂漠を探す。砂漠ではなく海かもしれないと少女は泣いた。少女は百年掛けて海底を探す。海ではなく山かもしれないと少女は泣いた。本当に落としたのか、疑うのにあと何年?
―――――フレデリカ 



[4380] 第三部 第一話
Name: 5,45の㎜顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/12/02 22:00
 11/17 2051    ヴァッシ自室

 ヴァッシはメンテナンスを終えたモーゼルの各パーツを組み上げ、一挺の拳銃に戻した。
 動作を確認し、クリップに10発の9㎜パラベラム弾を取り付けると、モーゼルのボルトを引き、そこにクリップをかませて下がりきった状態にする。
 弾薬を押し込み、クリップを引き抜くとボルトが戻り、発射可能な状態になった。
 それを確かめると、ヴァッシはハンマーを押しやりデコックし、セーフティーをかけた。
 それを皮のホルスターに差し込み、席を立つ。
 どうやらやはり、このモーゼルは呪われているらしい、とヴァッシは思った。
 モーゼルを収めたホルスターの側面には金板が乳鋲で貼られ、そこにはPeiper Urembecと彫ってある。

 爺さんよ、クソ親父よ。所詮は俺もウレンベック家の男ってことらしいぜ。

 自らがやろうとしている事を思い、ヴァッシは自らの血を呪った。



 武御雷の整備について整備班長と一頻り確認した後、格納庫から出た霧耶は、酷く思いつめた様子のヴァッシと廊下で擦れ違った。
 「ヴァッシ、どうした。何処へ行く?」
 声を掛けたられたことで漸く霧耶に気付いたとでも言うように、ヴァッシは振り向くと、力なく嗤った。
 「いや、何。野暮用だ。ちょいと、な」
 「そう、か」
 霧耶はそう答えると、ヴァッシを見送った。そのまま自室に戻り、手記を付け始めたが、少しして思い至った。
 ヴァッシが歩いていった方向は地下スペースだ。夕呼は今総戦技演習に行っており、不在。
 後用があるとすれば。
 「捕虜か……!?」
 そういえばヴァッシの腰のベルトには例の皮製のホルスター―――当然空身などということはないだろう―――が取り付けられていた。
 霧耶はデスクの引き出しからUSP-9の納まったホルスターを引っ張り出すと椅子を蹴り、走り出した。



 横浜基地の地下、その営倉にガツン、ガツンとヴァッシの履いた重い軍靴の足音が木魂する。
 そして足音は最奥の扉の前で止まった。
 「よう、レティ」
 ヴァッシが足を止めたのはレティシエが収監されている営倉。小さな覗き窓から中を窺う。
 そこには声に反応し、花咲くような笑みを浮かべたレティシエがいた。
 「あら、貴方から会いに来てくれるなんて。嬉しいわ」
 「別に会いに来た訳じゃねぇ」
 その笑みを見たヴァッシは貌を歪める。
 彼女の笑顔を見て喜ばしいと思う自分を認めたのである。
 そんな自分を歯軋りと共に磨り潰すと、ヴァッシは煙草を吸おうとして懐のシガーケースに手を伸ばしたが、ここが禁煙であることを思い出して、やめた。
 きちっ
 堅い金属音。
 ヴァッシがモーゼルのセーフティーを外した音だった。
 次いでハンマーを上げる硬質な音が静かな廊下に木魂する。
 「殺すの?」
 「ああ、殺すさ」
 目的語を書いた会話。が、無論そこに当てはまるのはレティシエ以外にはいない。
 憎しみ以外の何かで凄絶に顔をゆがめたヴァッシが覗き窓に寄り付いて離れないレティシエの少し広めの額に銃口をポイントする。
 ぴちぴちとスプリングが撓む。後数㎜、というところで小さく、レティシエは溢した。
 それは命乞いではなかった。
 「今死ぬのは少し寂しいけれど。貴方に殺されるのなら―――――それもいいわ」
 ヴァッシは勤めてその言葉を認識しなかった。
 認識してしまえばこれ以上トリガーが進まないことは自明だった。
 後数㎜が動く―――直前。
 「ヴァッシ!! 銃を下ろせ!!」
 声の主は霧耶。手にはUSP-9が握られ、銃口はヴァッシをポイントしている。
 「ああ―――霧耶。来ちまったの、か」
 何で後5秒遅れてくれなかった。
 そうすれば終わっていたのに。
 安堵とも嘆息とも取れない息を漏らし、ヴァッシはモーゼルをホルスターに戻す。
 拳銃を仕舞い、大股で近付く霧耶の目には明らかな憤怒が刻まれていた。
 頭2つ分の身長差にも物怖じせず、霧耶はヴァッシの胸倉を掴んだ。
 「何をするつもりだった!! 言ってみろ、ヴァッシ・ウレンベック!!」
 霧耶の詰問に、ヴァッシは答えない。その両の眼は、夢見るような眼は。
 今もどこか遠くに焦点を結んでいる。
 「私を殺すつもりだったわ」
 答えないヴァッシに代わり、レティシエが口を開いた。
 やはりな、と霧耶はヴァッシを睨む。しかしその眼光は柳に風と流された。
 「何故か言ってみろ」
 「……俺のちっぽけな自尊心のために。取るに足らない矮小なプライドのために」
 その言葉とヴァッシの纏う空気は、これが刹那的な行動ではないと霧耶に知らしめる。
 これ以上は何を言っても無駄と悟ると、霧耶は踵を返した。
 「……私は何も見なかった。とりあえずここから出るぞ」
 「……あいよ」
 出口へと向かう霧耶に続き、ヴァッシもレティの独房に背を向ける。ごん、と扉が音を立てた。
 見れば、覗き窓からはレティシエの後頭部が大写しになっていた。
 その扉越しの背中を見て、ヴァッシは一つ思い出す。
 「……レティ、お前には聞いてなかったな」
 その言葉に霧耶はヴァッシを振り返ったが、雰囲気を察してそのまま扉を閉めた。
 それを確かめると、ヴァッシはレティシエと背中を合わせた。
 「何故、オルタネイティヴ5だったんだ? 何故、オルタネイティヴ4じゃなかったんだ?」
 「ヴァッシがいなかったからよ」
 迷いのない即答に、その言葉にヴァッシは僅かに身動ぎする。
 「ヴァッシがいないのなら、こんな世界はいらないと思ったのよ。伯父様は真面目な人だったからああなってしまったけれど。私の理由は極個人的なものよ。ただの女の我侭」
 レティシエの声は喜びを孕んでいた。
 扉を挟んで背中合わせの男と語り合うのが、彼女には堪らない。
 花咲くような声音。溢れる歓喜。
 「でも今は貴方がいるわ。私が誰よりも愛した私の唯一、ヴァッシ・ウレンベックが」
 「俺は、もうお前の知ってる俺じゃない」
 唾棄するように言い放ち、ヴァッシは貌の傷を撫でた。撫でたその手を見る。
 火傷の痕でケロイド状に撓んだそれは、酷く歪だった。
 訳もなく哀しくなる。
 否、訳なら認識していた。
 扉を挟んで背中合わせの女の認識とずれてしまったであろう自分が無性に汚らしく思える。
 そこに佇むであろう下衆な男をヴァッシは八つ裂きにして、塵溜めに投げ込んだ。
 「ヴァッシはヴァッシよ」
 自己嫌悪という名の自傷行為に没頭するヴァッシを、レティシエの声が止めた。
 「貴方がどんなに変わったと思っていても、ヴァッシはヴァッシだわ。頑張り屋で、捻くれ者で、少し寂しい目をした、可愛い可愛い―――――私の恋人」
 その時のヴァッシの表情を、何と表現しよう。
 痛々しいまでの哀切に咲き誇る歓喜を上塗りし、それを行き場のない憤怒で握り潰そうとしてそれに失敗したような、そんな複雑極まる貌。
 思わず泣きそうになって、ヴァッシは拳を堅く握り締め、強く唇を咬んでそれを押し殺した。ぶつ、と音がして唇の端から血が滴る。
 「……おめでたい女だよ、お前は」
 咬み切った唇から搾り出すようにして、何とかそうとだけ零すと、ヴァッシは営倉を出た。
 閉じた扉に背を預けると、そのままずるずると腰を下ろす。
 畜生め、畜生め。畜生め!!
 何とも知れない何かを罵ると、ヴァッシは俯いた。俯いた、ままだった。



 同日 2302    霧耶自室

 改めて自室で手記を付けていた霧耶は、どうにも思考が纏まらない、と筆を置いた。
 輸送作戦から戻ってきてからこちら、ヴァッシの様子がおかしいとは思っていた。
 ふと見れば苦悶するように歪めた顔が目に入り、こちらの視線に気付くと取り繕うように唇の端を歪めてみせる。
 調子が狂う。
 霧耶は酷く不機嫌そうな様子でノートを閉じた。
 霧耶にとって、あの男は何処までも不遜な存在でなければならなかった。
 鬼の如くに傲慢で、亡霊の如くに冷淡で、修羅の如くに強くなければならなかった。
 あんな腑抜けた男はヴァッシ・ウレンベックではない、と霧耶は思う。自分でも理由の解らない苛立ちに霧耶は爪を咬んだ。
 その苛立ちはあの男の弱さに限りなく近いものを見せ付けられたからかも知れなかった。
 「……ええい!!」
 考えた所で埒が明かない。
 こんな時は湯でも浴びるに限る、と霧耶は風呂道具をロッカーから取り出すと、シャワールームへと足を向けた。

 霧耶は気付かない。
 既に彼の男への嫌悪はなく、既に自らはヴァッシ・ウレンベックという男を認めていることに気付かない。
 斯衛の誇りを疵付けた、と勤めて彼を嫌おうとしていたからかも知れなかった。



 同日 2313    横浜基地シャワールーム

 気分転換に、とヴァッシはシャワールームを訪れた。
 エントランスには湿気た空気が満ちており、少し前まで誰かが使っていたことを容易に推測させる。
 シャワールームのエントランスから更衣室までは喫煙可。ヴァッシは遠慮なく煙草に火を点ける。
 吐き出した紫煙と共に鬱屈した胸の内も吐き出したかったが、そんなに都合よく行くわけもなく、蟠りは相変わらずヴァッシの腹の奥に胡坐を掻いたまま。
 ち、と舌打ち一つ、ヴァッシは更衣室の扉を開けた。

 このときヴァッシは気を付けるべきだった。
 原則として使用後は消灯の更衣室の明かりが灯っていることと、篭もった湿気は使用後直ぐと知れたのに、シャワールームまでの一本道で誰とも擦れ違わなかったことを。

 がちゃり、と扉を開けると。
 「な……ッ!!」
 「…………おおぅ……」
 ヴァッシは顎に手をやり、更衣室で今正に体を拭こうとしている人物を頭から爪先まで審らかに眺めた。
 青味がかった黒髪は水に濡れて濡れ羽色に輝き、滴る水気がえも言われぬ色気を醸し出している。
 しなやかな肢体は僅かに上気し、ほんのりと赤らんでいた。
 形のいい大振りな胸の先端にはつんと立った桜色。
 腰は程よく括れ、その下のきゅっと締まった、しかしふくよかな臀部へとなだらかな曲線を描く。
 足も程よく肉付き、かといって太くは決してなく、どこか雌豹を思わせる。
 驚愕に目を見開き、見る見るうちに顔を赤くしたその人物は勿論、霧耶澪である。
 ヴァッシはうんうんと頷くと、何も言わずに扉を閉め、ホルスターからモーゼルを引き抜いた。
 ドアの向こうでは霧耶が脇差を抜く音がする。確か代々家に伝わる家宝だとか。
そんなものをこんなことに使うなという突っ込みは兎も角。
 「ヴァァァァァァアッシ!!!!」
 「いや悪かった!! ホント悪かったから!! ゴメン!! すまん!! ああでもDくらいか!? ボトムもなかなかってぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!!」

 その日、横浜基地ではモーゼルを撃ちまくりながら逃げ回る大男と、脇差を振り回し、バスタオルを体に巻いただけの格好でそれを追い掛け回す少女の姿が確認された。



 処罰
 霧耶澪少尉、ヴァッシ・ウレンベック中尉の両名に減俸30%3ヶ月と反省文100ページの提出を命ずる。

 追記 営倉にぶち込まれないだけでも有り難く思いたまえ。
パウル・ラダビノッド






人物設定

パイパー・ウレンベック

 ヴァッシ・ウレンベック中尉の祖父で、ナチスSSのSS第一機甲師団の将校であった人物。ヴァッシが受け継いだC96の表面が磨き上げられ、その上に真紅の豪奢なエングレーブが施されていることから、それが許されるほどの地位にいたことが推測できる。
 なおこのC96は銃身に歪みがない。現存するC96はその殆どの銃身が曲がっており、これは非常に貴重である(注:実話です)。
現在の生死はヨーロッパ崩壊の混乱によって住民情報が散逸していることもあり、不明となっている。



[4380] 第三部 第二話
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/12/02 22:02
 俺は何をしているのだ。
 ヴァッシは自分の行動が理性的でないことを自覚した。夕呼が戻ってきて、執務室に入ったと知るやすぐさまそこを訪れ、ある提案をした。
 「今地下で収容してるオルタ5の捕虜、アイツA-01に引っこ抜けませんか?」
 その唐突な言葉に、夕呼は珍しく虚を突かれた様な顔をした。
 「何でまた? 出来なくはないけど、到底割に合う行動じゃないわね」
 「フェンリル中隊は定員に届いてねぇ。"アレ"はまだどっちも不完全なんでしょ? 出来れば小隊人数くらいは揃えときたい。それにアイツの衛士としての技量は一級品すっよ。俺が保証しやす。それに―――――アイツは"例"の素質もある。A-01に入れる条件としては、悪かない」
 夕呼は吟味するようにヴァッシの顔をまじまじと眺めた。そして何時ものように人の悪い、にやりという笑いを浮かべる。
 「解ったけど、それアンタ個人的に含むところ、あるでしょ」
 その言葉にヴァッシは苦い顔をした。
 これだから敏い女は面倒だ。頭の弱い女よりは余程いいが、こういうときに実に厄介。
 「……ええ、否定はしませんよ。調べりゃ解ることだからさっさと言っちまいますけど、アイツは元ドイツ陸軍第一装甲師団第一旅団第二連隊第五大隊第二中隊中隊長、レティシエ・フォン・シュッツガルド。俺はその部下。因みに、元恋人」
 元、を強調し、ヴァッシはレティシエとの関係を明らかにした。
 「で、どうなんです。やってくれんのか、やってくれないのか、どっちなんです」
 「……とりあえず、目で見て確かめてからね。アンタ、今自分がどんだけ感情的か解ってる?」
 その言葉に、ヴァッシの顔に苦味が奔る。
 そんなことは解ってる。だが他にどうしろというのだ!!
 そんなヴァッシをどう見たか、夕呼はデスクを立った。
 「……じゃあ今から行くわ。来る?」
 「ええ、行きますとも」

 「レティ」
 再び地下牢を訪れたヴァッシは、レティシエに呼びかけた。
 「ハァイ、今日はどうしたの?」
 「ウチのボスがお前に話だとよ」
 きょとんとしたレティに対して、ヴァッシは覗き窓の正面を夕呼に譲る。
 「こんにちは。ちょっとお話しましょうか―――――」

 「で、どうです」
 30分も話しただろうか。夕呼はレティシエとの会話を終え、執務室に戻ってきた。椅子に深く腰掛けると背凭れに体を預け、ヴァッシに向き直る。
 「いいでしょ。何とかしてあげる」
 「ッ……!! 有難う、ございマス」
 飛び上がりそうになるのを、ヴァッシは何とか堪えた。
 「で……いつ頃入れそうっすか」
 「そうねぇ……手続き自体は今日中に終わるわ。不知火の搬入に4~5日懸かるけど、例の演習には間に合うでしょ」
 そう言う夕呼は既にキーボードを叩き始めていた。手続きを進めているのだろう。ここから先は自分が関われることではない、とヴァッシは踵を返し、執務室を後にした。



 11/26 0907    横浜基地A滑走路

 明朝、突然A-01中隊に輸送機を出迎えろとの指令が下った。
 不知火を1機搬入するとのことだった。
 予備機だろうか、ともヴァッシを除いた隊員は思ったが、1997年からの4年間で予備機が準備された例はない。
 兵員補充にしても207はまだ任官しておらず、仮に207だとしても1機というのはどうもおかしい。
 それに、と霧耶は思う。
 ここ4日間ほど、ヴァッシの様子が戻っていた。以前の不遜な男に。
 不可思議な安心感を憶えると共に、何があったのかと訝しくも思う。
 そんな霧耶を他所に、輸送機が空にその姿を顕した。
 「来たぞ。全機周辺警戒を厳に」
 「フェンリル02了解」
 伊隅のその言葉に霧耶は答え、上空を見上げた。
 気にはなる。が、そのうち解るだろう。
 とりあえず、霧耶はそう納得することにしたのであった。



 同日 1100    ブリーフィングルーム

 「集まったわね」
 不知火の搬入が終わるのを待ち、A-01はブリーフィングルームへと集合していた。
 壇上に立つ夕呼の目は悪戯な光を湛えていた。
 「今日は新入隊員を紹介するわね。アンタ、入ってらっしゃい」
 それを受け、ピアティフ中尉に伴われて室内に入ってきた人物は。
 「な……!?」
 「えぇ~!?」
 「レティシエ・フォン・シュッツガルド"少尉"よ。本日付でA-01に編入されたから。アンタ達、仲良くしてやんなさい」
 「よろしくお願いしますね」
 開いた口が塞がらないとはこういうことを言うのか、と霧耶は思った。
 何故囚虜がこの部隊に編入されるのか。しかも彼女の階級は中尉の筈だ。
 その疑問に答えたのは伊隅でも夕呼でもピアティフでもなく、ヴァッシだった。
 その顔は数日前までの物憂げなそれではなく、それ以前のニヤニヤとした厭らしいものだった。
 「俺が夕呼サンに頼んだんだよ。フェンリルが定数に届いてねぇからどうせあるモンは有効利用したらどうだ、ってな。アメリカの方には軍籍抹消でどうにか話を付けたんだっけ? 今は国連預かりのオルタ4所属ってことになってる」
 ええ、とレティシエは頷くと、眼鏡の奥の瞳を細め、にんまりと笑った。
 「と、言うわけでフェンリル小隊に入隊した新規国連軍衛士、という扱いになります。ヴァッシー、宜しくねー♪」
 嫌に弾んだ声でそう宣誓した。
 その直後にヴァッシに飛び掛り、擦り寄る。
 「だぁ!! やめんかこのアマ!!」
 ヴァッシはレティシエの広めな額を押し、彼女を押しやった。それにレティシエは不満げな様子で口を尖らせる。
 「ヴァッシのいぢわる。ちょっとぐらいいいじゃない」
 「なにが”いぢわる”だってんだよ。三十路過ぎた女がやっても可愛くねぇ!! 20年前から出直して―――」
 「へぇ―――――?」
 レティシエの目が殺気を帯びる。表情が変わらないだけに、尚更恐ろしい。
 「いえ、可愛いかと存じます」
 「よろしい」
 思わずヴァッシは謝った。二人のやり取りに他の皆は目を丸くする。
 視線が集まる中、ヴァッシは放って置いてくれとばかりに首を振った。
 レティシエ・フォン・シュッツガルドのA-01への入隊は、概ねそんな感じだった。



 同日1330    格納庫

 霧耶達フェンリル中隊は格納庫に集められていた。招集をかけたのは中隊長であるところのヴァッシ。
 強化装備で集合と伝達されているのみで、何をするのかまでは知らされていない。
 強化装備である以上、某かの演習なり模擬戦なりなのだろう。シミュレーター訓練かも知れない。
 と、少し遅れてヴァッシが格納庫に現れた。
 その強化服は、やはり目に慣れない。
 「よう、集まってるな」
 「集まってるけど、集合の目的を聞いてないわよ。何をするの?」
 レティシエの言葉に、言ってなかったっけ、とヴァッシは悪びれもせずに頭を掻いた。
 「レティの不知火への慣熟訓練と霧耶の評価演習。堂本、お前はレティに付き合って―――――」
 「ちょ、一寸待て!!」
 霧耶は思わず声を上げた。
 レティシエの慣熟訓練、これは解る。米軍機と帝国軍機ではその機体特性が大きく異なる。事実米軍衛士に吹雪や不知火を使わせても乗りこなせない者は多い。
しかし、と霧耶は憤慨した。
 「私の評価演習とはどういうことだ!!」
 「どういうこともクソもあるかよ。字面のまんまだぜ」
 「だから何故だ!!」
 頭ワリィな、とでも言いたげにヴァッシは肩を竦めた。そして聞き分けのない童にするように霧耶に言って聞かせる。
 「お前の成績は確かに悪かねぇさ。だがそれはシミュレーターや実機演習での話だろ? 実戦じゃお荷物だったじゃねぇか。この前だって堂本がいなきゃどうなってたか。解ンだろ? お前は徹底的に場馴れしてねぇんだよ。経験が足りねぇの」
 「ッ……!!」
 否定は、出来ない。霧耶は完全無欠に斯衛軍だ。
 月詠のようにそこに年季が入っているならまだしも、斯衛に入って2年足らず。実戦経験は殆どなく、経験不足の感は否めない。
 「だからお前がどれ程使い物になるかを俺が確かめる。解ったか?」
 莫迦にした様に霧耶を見下ろすと、ヴァッシはグレイゴーストへと向かう。
 「兵装は通常装備に固定。試製兵装とかは禁止。まあ俺にしか関係ねぇけどな。レティはガン・インターセプター装備で行け。霧耶と堂本は好きにしろ。15分後にレティ、堂本はB演習場、俺と霧耶はD演習場に集合だ」
 「はーい」
 「了解」
 ヴァッシの正論に、霧耶は押し黙った。
 返答は、絞り出すような声であった。



 「ストーム・バンガード装備か。ま、そんなトコだろ」
 ヴァッシの言葉通り、霧耶の装備は帝国軍、帝国斯衛軍の典型的なストーム・バンガード装備だった。
 手持ちとして右手に87式突撃砲、左腕に92式多目的追加装甲をラッチングし、背面74式武装担架には74式長刀を二本マウント。
 対するヴァッシは、よく解らない組み合わせだった。
 手持ちは87式支援突撃砲2門、武装担架には長刀が二本。
 インパクト・ガード装備かと思えば長刀を装備し、ストーム・バンガード装備かと思えば追加装甲がない。ラッシュ・ガードやガン・スイーパー装備にしては火力が足らない。
 敢えて言うならストライク・バンガードだが、それにしては手にした得物は87式"支援"突撃砲だ。
 「さて、指定座標に移動しろ。到着したらコールしな。両方が到着したら始めるぜ」
 「り、了解」
 指定座標、と言ってもD演習場は広く開けた空間だ。
 真っ直ぐ離れ、相対距離が500m程の位置が指定座標となる。
 「着いたな。じゃ、始めよか」
 ヴァッシが軽くそう言った瞬間、グレイゴーストの手に持った87式支援突撃砲の銃口が瞬いた。
 霧耶は咄嗟に跳躍ユニットを吹かし、それを回避する。
 しかし回避した先へと向け、正確極まる36㎜のペイント弾が殺到した。
 「うわっ」
 辛くもその大部分を回避、又は防御する。
 しかし数発が左の肩に直撃。鮮やかな黄色が下品なピンクで穢された。
 『霧耶機、左肩損傷!!』
 演習に協力しているヴァルキリー・マムが霧耶機の損傷を計上した。
 「はン、やっぱり箱入りお嬢さんはこんなもんか。早く来いよ。近接が得意なんだろ?」
 指向性レーザー通信でヴァッシからの挑発。
 思わず激昂しかけるが、この程度で頭に血を上げては斯衛の名折れ、と霧耶は理性を保った。
 が、その努力は次の言葉で敢え無く突き崩される。
 「カモン、フロイライン。デートのお相手は俺じゃ不足かな? それともパパ―――堂本―――が一緒じゃないとお出かけ出来ない? とんだ箱入り娘さんだねぇ」
 レーザー回線で放たれた更なる挑発の言葉。
 斯衛の矜持を甚く貶された霧耶は遂に爆発する。
 長刀を装備し、ジャンプユニットを噴かしてグレイゴーストへと踊りかかった。
 「貴、様ぁ!!」
 「そうそう、偶にはお外で遊ばなきゃな。さぁて何処に行く? お洒落な喫茶店? 海辺の公園? 夜景の綺麗なレストラン? 可愛い服の売ってるショッピングモール? エスコートはお任せあれ、リサーチはバッチリだぜ?」
 それを受けてグレイゴーストは右手の支援突撃砲を長刀と持ち替える。
 怒りに身を任せてなお絶技と言って差し支えのない刀を受け、或いは避けながらもヴァッシの口上は絶好調だ。
 「タキシードも着ようか。それともお前さんに合わせて袴の方がいいかな? それともフロイライン、お前さんが併せてくれるかい?」
 「黙れ!!」
 いよいよ激昂した霧耶は大上段から長刀を袈裟に振り下ろす。
 「それなら普段着でお洒落しようか。髪をちゃんとセットして、コロンも軽く振って。ワンポイントでアクセサリを着けてもいいな。何なら俺が見繕ってもいいぜ?」
 が、ヴァッシはそれを難なくいなすと、踊るようにステップを踏み、武御雷の武装担架を斬り裂き、破壊した。
 「こりゃあ御転婆なフロイラインだ。エスコートも一苦労かもな?」
 取って返し、再び振り下ろされた長刀と打ち合うことはせず、これは撃ち落す。
 切り上げる刀で右肩装甲に破壊判定を与え、距離を取った。
 「さぁて、俺が用意したデートコースはお気に召さなかったらしい。じゃあどんなコースがお望みだ? 言ってみな」
 「黙らんか!!」
 激情のままに突貫する霧耶。腰溜めの長刀は突く、そのために。
 「しょうがない、投げキッスで勘弁してくれよ」
 それに対して、ヴァッシは長刀を手放すと膝装甲内マウントの短刀を抜き放ち―――――投擲した。
 「!?」
 常識の埒外の攻撃に、霧耶は反応出来ない。
 模擬短刀が迫り、迫り、そして。
 ガつンッ
 『霧耶機、コックピット破壊!!』
 状況、終了。



 「ほぅ、物覚えがいいな。お前は」
 「どうも。これでも実働部隊ナンバー2ですから」
 ヴァッシは堂本にレティシエの手伝いをしろ、と言ったが、その必要は余りなかった。
 米軍機と帝国軍機の特徴とその差異、不知火の機動と挙動の特徴、頭部ブレードアンテナの高機動戦闘における空力的な意味合いなどを伝えただけで、あれよあれよと言う間にレティは不知火を乗りこなして見せた。
 「やっぱりラプターの方が機体性能はいいわね。それにブレードアンテナの使い方がまだ掴みきれないわ。今日一回じゃ流石に無理ね」
 その言葉に堂本は苦笑した。
 たった数十分の慣熟訓練でそこらの帝国軍衛士を叩き伏せられるだけの錬度を顕しておいて何が、と。
 正直言って羨ましかった。
 堂本の衛士としての才覚は特筆するほど優れたものではなかった。
 無論多少なりの素質はあったが、彼がここまで生き残れたのは優れた教官に師事を請い、優秀な指揮官に巡り合え、そこに彼の生来の趣味―――そう言って差し支えのない―――である努力が加わっての事だ。偶然の要素は大きい。多分な幸運に恵まれてのこと、と堂本本人は認識している。
 実際には1年を過ごした頃には既に古参――― 一人前などという称号は一月もすれば嫌でも手に入る―――に数えられる程に苛烈な佐渡島第一次防衛線は運や偶然だけで16年間もの長きに渡り生き延びられるほど甘くはない。
 堂本に優れた才覚はなくとも、経験を素早く活用できるだけの応用力の高さがある。
 堂本のその能力が最前線から帝都守備隊に引き抜かれ、更に斯衛軍に拾い上げられ、あまつさえ何の家柄もない彼が白い武御雷に搭乗できる要因となったことは間違いなかった。
 「流石にウレンベック中尉もたった1日で慣熟しろなどとは言わんだろう。ああ見えて気遣いの出来る方だ」
 ヴァッシとは短い付き合いだが、彼の45年の人生はヴァッシの本性を目聡く見い出していた。
 「あら、ヴァッシのことよく解ってくれてるのね。でもこんなじゃまだまだよ。ヴァッシの隣に立つには足りないわ。それに貴方も凄いと思うわよ? 正直ラプターでも勝てるかどうか」
 その言葉に堂本はふん、と鼻を鳴らす。
 当然だ。
 伊達や酔狂で22年間も衛士として食い扶持を稼いではいない。それこそこれで抜かれてしまっては彼の立つ瀬がなくなってしまう。
 「当然だ。それこそ経験が違う。お前が初等学校に通っている時分から私は戦術機に乗っているのだからな。それにしたってお前の技量も大したものだ。今まで米軍衛士でここまで早く帝国純国産機に慣れた者はいなかったぞ。流石にオルタネイティヴ5実働部隊に選ばれるだけはある」
 「誉めても何も出さないわよ、堂本のオジサマ」
 出ない、ではなく出さないという辺りが彼女らしい、のだろうな、と堂本は溜息と共に思った。
 その溜息は決して不快なものではなく、寧ろ愛娘の悪戯に零すものと同じだった。
 「さて、では帝国軍衛士の基本的な挙動を見せてやろうか。何と言っても、やはりお前の動きからはアメリカの臭いがするのでな」
 堂本はレティシエの慣熟訓練ということで、彼女と同じガン・インターセプター装備で演習場に出ていた。
 ヴァッシの選択は正しい。
 ガン・インターセプター装備は突撃砲に追加装甲、長刀と帝国軍の主な装備を全て網羅している。
 不知火への慣熟と共にどの装備がレティシエに向き、また向かないのかを判断するための訓練でもあるのだろう。
 そして案の定というか、レティシエは長刀の扱いには向かないようだった。
 「お前にはやはり長刀は向いていない。基本が射撃だから仕方がないと言えばそうだが、ガン・スイーパーやラッシュ・ガード、ブラスト・ガード向きだな。依ってまぁ、今回は突撃砲を使う」
 そう言って堂本は跳躍ユニットを吹かした。
 彼の得意とする戦法は極低空の跳躍からの一撃離脱。
 帝国軍衛士が主とする戦法とは若干異なるが、無論その戦法を確立する以前は極普通の戦闘機動を取っていた。それを思い出し―――思い出すも何も体に染み付いた機動ではあったが―――、堂本は何時もより気持ち高めに跳躍した。
 何時もより短めに跳躍ユニットを吹かし、何時もより高い視点から仮想目標のターゲットを狙い撃つ。
 その際に僅かながら武御雷の頭部を傾げた。刃のように薄く鋭いブレードアンテナが時速数百km/hの風を受け、機体をほんの僅かに滑らせる。
 ターゲットは桃色に染め上げられ、白い武御雷はその傍らに着地した。
 「お見事」
 レティシエの賞賛。
 だが堂本にとってみればどうということはない、不知火、瑞鶴、武御雷と慣れ親しんだ挙動だ。
 「本来的には近接格闘で最も威力を発揮するものだがな。微妙に機体をずらす事で相手の間合いを狂わせ、自らに有利な間合いで斬りかかる。まあ、帝国軍戦術機運用の真骨頂といった所か」
 「へぇ……。でも残念だけど私に長刀は使いこなせそうにないわ。大人しく後衛に就きます」
 この娘の良い所は自らの能力を確実に把握できる所だろう。敵を知り、己を知れば百戦危うからず。
 良い衛士だ。堂本は思った。



 「おーう、そっちも終わったか」
 ハンガーへと戻ったレティシエと堂本をいつもの調子のヴァッシと沈み込んだ霧耶が出迎えた。
 見れば霧耶の武御雷はペイント弾と模擬刀によって付けられた汚れを整備員が洗い流している所だった。
 相当に揉まれたであろうことは想像に難くない。
 「ヴァッシ、あんまり苛めちゃだめよ? 女の子には優しくって教えたでしょ?」
 うるせ、と短く返したヴァッシは次に小隊長として声を上げる。
 「今日の訓練及び演習は以上で終了。レティと霧耶は今日のデータをちゃんと見直しとくように。霧耶、1520にブリーフィングルームに出頭しろ。話がある」
 「了解……」
 霧耶に出来たのは、搾り出すようにそう言うだけだった。



 演習を終えたレティシエは演習内容を確認しながら、喜びを噛みしめていた。
 レティシエは今の自分の在り処を純粋に喜ばしく思っている。
 敵味方分かれてとはいえヴァッシとの再会を果たし、そして突然押し込められた牢から出されたと思えばヴァッシと同じ部隊に、しかもヴァッシの部下として配属されたという奇跡。
 聞けばそれを部隊責任者である香月夕呼に打診したのはヴァッシ本人だという。それを聞いたとき、レティシエは狂喜した。
 11年。11年間である。
 他の誰に忘れろと言われ、新しい出会いを、と男を紹介されても、彼女はその尽くを蹴散らしてきた。
 レティシエにとってヴァッシが原初であり、また唯一だったのだ。
 当時16歳のヴァッシが第一装甲師団に入隊するまでの20余年、少しばかり気になる男性はあっても、身を捧げるに足るほどではなかった。
 そして過去最年少で第一装甲師団に入隊したという彼の少年を興味本位で見に行った時、その第一印象はなんか陰気な奴が来たな、と言う程度だった。
 良く鍛えられているし、背筋も伸びていたが、目付きが悪く、纏う雰囲気も暗いものだったからだ。
 直前の戦闘で欠員が出ていた彼女の中隊へと編入されたヴァッシを率いて幾度か敵と―――人・BETA問わず―――矛を交えるうち、始めはその才覚に嫉妬を覚えた。
 それが信頼に変わり、友愛へと進化を遂げ、思慕の情に昇華するまではそうかからなかった。
 そしてそれが実り、天上の歓喜と共に自らの純潔を捧げて以来、彼女は他の誰にも体を許していない。
 ある時期、レティシエにとあるしつこい男が寄り付いていたことがあったが、その時にはアメリカで作った友人に頼んで自分が女色であるように見せかけたこともある。宗像が風間と"とっても"仲良くしているのは自分と理由を同じくすると聞いて以来、二人とは仲良く、"普通の意味で"仲良くしている。
 もとよりヴァッシがいないならば、と参加したオルタネイティヴ5。
 その理由が彼方へと失せた今、オルタネイティヴ4に参加しない理由はそれこそ微塵もない。
 故に今、彼女は幸福であった。



[4380] 第三部 第三話
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/12/02 22:03
 11/26 1525    ブリーフィングルーム

 「解ってるとは思うが……」
 ブリーフィングルームで、霧耶は煙草を吹かすヴァッシと向き合っていた。
 「今回の演習結果じゃ到底お前を使うこたぁ出来ねぇ」
 ヴァッシは、簡潔に言った。こういうことでグダグダと理由を付けて厭味に言うのを、彼は好まない。
 徒に人を傷つける類のことは言いたくなかった。
 普段はそれはもう遠慮なく、凄く愉しそうに弄り倒すくせに、こういう堅い話になると途端に真面目になるのだった。
 なんというツンデレ(亜種?)。
 「伊隅大尉と夕呼サンには3日後にもう一回お前の評価演習の許可を貰ってる。それまでになにかしがの対策なり何なり考えてこい。それでも駄目なら―――――お前にゃ斯衛にお帰り願うことになる」
 使えないヤツをわざわざ使ってやるほどお人よしじゃない、と言うヴァッシに、霧耶は俯いた。
 「何なら今から帰ってもいいぜ。後任は月詠がやるってことで話がついてる」
 それは要するに、霧耶の尻拭いだ。自ら推薦したものの不始末は自らで付けろ、ということなのだろう。
 とどのつまり、3日後の再度の演習で霧耶は何としてでも結果を残さねばならなくなった、ということだ。
 ここで再度移送などということになれば月詠の顔に泥を塗るばかりか斯衛軍の誇りを甚く傷つけることになってしまう。
 「以上だ。さっさと戻って試験対策でもやるんだな」
 軍靴が床を叩く硬質な音が、霧耶を打ちのめしていた。



 11/27 0926    レティシエ自室

 「……で、私に助言を請いに来たと。そういう解釈でいいかしら?」
 「うん……」
 翌日、どうにも煮詰まってしまった霧耶はレティシエの元を訪れていた。
 自分で考えてもどうしようもないのなら、最も彼をよく知る者に尋ねようというわけだ。
 「データは見たけど……そうね、やっぱり熱くなり過ぎかしら。昔からそうだったけど、ヴァッシはそういう相手を煙に巻くのは大得意だったから」
 それにしてもSっぽくなったわねーとレティシエは笑う。
 「それで、その……」
 どうすればいいのか、ということだ。レティシエは眼鏡を治すと顎に手をやり、暫し考え込む。
 「辛辣な言葉になるけれど……いいかしら?」
 霧耶は頷く。寧ろ望む所だった。
 しかし、レティシエの言葉は霧耶の予想よりも遥かに厳しいものだった。
 「貴女は自分に自信を持ちすぎてるわ。自意識過剰とも言うけれど。だから自分を馬鹿にされると直ぐに激昂する」
 「ッ!! で、ではヴァッシはどうなんだ!? 貴女は!! 貴女はどうだ!!」
 レティシエは片目を瞑り、それを窘める。
 「ほら、直ぐ怒る。私は自分の実力に自信を持ったことなんか一度もないわ。ただどれほどのことなら出来るか、どれほどのことは出来ないか。それを認識しているだけよ。ヴァッシの場合は―――少なくとも11年前は―――ちょっと違う、わね」
 そこまで言って、レティシエは寂しげに微笑んだ。
 その様子に霧耶の怒りは熱を奪われる。
 「ヴァッシは自分を信じているんじゃない。他人を信頼していないのよ。唯の一欠けらも、ね。私も信頼されていなかったし、伯父様だってそう。信用、信じて用いはするけれど、信じて頼ることは決してなかった。そして彼はそうあるべく努力したわ。私が知っているのは第一装甲師団に入ってからのことだけど、彼、16歳で入隊したのよ? もう第一装甲師団はなくなっちゃったから更新されようが無いけれど、最年少記録は彼が保有し続けている」
 旧ドイツ陸軍の第一装甲師団。座学の歴史分野で小耳に挟んだ程度だが、霧耶はその名に聞き覚えがあった。
 当時精強を誇ったドイツ陸軍において、その最精鋭と謳われた部隊。
 BETA東欧侵攻に於いてはその殿を勤め上げたという。
 その部隊に、16歳。その年の頃、霧耶は衛士養成校に通っていた。
 「16、歳? あの、ドイツ陸軍第一装甲師団に?」
 「ええ。腕前もかなりのものだったわ。死の8分なんか余裕でパス。正直言って、その当時でも彼に敵うのは両手で数えられるくらいしかいなかったわね」
 レティシエは眼鏡の弦を弄った。その当時を思い出そうとしているのか。
 「でも、寂しい目をしていた。きっと彼は人間が好きだったのよ。でも何かがあって、信頼できなくなっちゃった。何があったのかは教えてくれなかったけど…………」
 そういうレティシエの目こそ、霧耶には寂しげに映った。
 恋人に信頼されていないという事実は、どれ程彼女の心を締め上げたのか。霧耶には想像もできない。
 「話を戻しましょうか。何故勝てなかったか、よね。先ず自分が優れた衛士だという考えは捨てなさい。彼はこの基地にいる誰より優れた衛士よ。堂本さんだって敵わないわ。だからといって奇策に走るようじゃそれこそ御終い。言うでしょう? 敵を知り、己を知れば……えぇと……」
 「百戦危うからず?」
 「そう、それ。自分が何を出来るのか、なにができないのか。ヴァッシがなにを出来るのか、何を出来ないのか。考えなさい。よく、よく考えなさい」



 ヴァッシは自室でモーゼルを整備していた。
 いつも、このモーゼルを弄るたびに彼は思い出す。
 ―――ノルベルト!! 貴様はそれでも私の息子か!? このパイパー・ウレンベックの息子なのか、このウレンベック家の面汚しが!!
 ナチスという旧世代の名に縛られる祖父。
 ―――畜生、俺は頑張ってるんだ!! あの糞親父!! 何故それが解らないんだ!!
 結果の伴わない的外れな努力を続ける無能な父親。
 ―――ヴァッシ。貴方はお父様のようになってはいけませんよ。ウレンベック家の男として恥じることのない行いをなさい。解りましたね?
 家名でヴァッシを縛ろうとする時代遅れな祖母。
 ―――お母さんは……何があってもお父さんを見捨てないわ。ヴァッシ、貴方もあの人を見捨てないであげて―――――
 優しすぎたが故に死んだ莫迦な母親。
 ―――どいつもコイツも、ウチの家は屑ばっかりだ。僕は違うぞ。
 そしてそれらに連なる血を引いている自分を。
 組み上げた忌まわしき拳銃を見る。
 ―――リーゼリット!! おぉ……リーゼリット、目を開けてくれ!!
 整備中の暴発で祖母を殺し。
 ―――お前らはいつもそうだ!! 俺の努力なんか認めやしない!! 畜生、畜生!!
 父親の激昂で母親を殺し。
 ―――お前は、お前は……!!
 直後に父親を殺した拳銃を。
 手放そうと思ったことは、一度や二度ではない。
 最早旧式も旧式。これより優れた拳銃はゴマンとある。それらに持ち換えることを考えたことは幾度となくある。
 しかし、結局ヴァッシはこれを手放せずにいる。
 細長い銃身に絡んだ真紅の紋様が―――銃身に滴る血にも見える―――それを許さない。

 黒光りするレシーバーを覗くと、そこにはいつも一人の男が映る。
 その男は、酷く下衆な目をしていた。



 11/29 1000    ハンガー

 再びフェンリル小隊は格納庫に集合していた。
 やはりヴァッシは遅れてやってくる。
 「おう、お前ら早いな」
 「貴方が遅いだけよ」
 これにもヴァッシはわりぃわりぃ、と頭を掻いた。
 「じゃあさっさと始めようか。演習場は前回と同じ。レティ、堂本はB、俺と霧耶はDだ。今回も通常兵装に固定。レティの装備は好きにしていい。前回で向き不向きは解ったろ。1015に各演習場に集合、以上。別れ!!」

 霧耶は今回ストライク・バンガード装備で行くことにしていた。
 87式突撃砲2門、74式長刀2本。
 自分に出来ることは近い間合いでのゴリ押しに近い格闘戦。幸いにして相手の銃口を見れる程度の動体視力は持っていた。
 自分に出来ないことは後方からの攻撃。性に合わないのかそれとも単に向かないのかは兎も角、それは彼女の苦手とするところだった。
 ヴァッシに出来ることは遠近両方からの掴み所のない攻撃。影が残るほどの機動を制御すること。
 ヴァッシに出来ないことは、霧耶には見つけられなかった。
 彼我の戦力差は圧倒的。
 前回を思い出せ。彼は跳躍ユニットを使ってすらいなかった。
 突っ込んだ霧耶を問答無用で蜂の巣にだって出来ただろう。
 手加減されてあの様だ。芳しい芳しくないのレベルではない。
 だがせめて、一矢くらいは報いてやる。

 「ストライク・バンガードか」
 それでいい。
 お前に盾なんかいらない。盾の後ろで縮こまるなんざ、お前の性には合わんだろう。
 掛かってこい。一矢くらいは―――――喰らってやる。



 ヴァッシの装備は前と同じ。遠近両用。87式支援突撃砲2門に74式長刀2本。
 「じゃ、始めようか」
 そう言うと同時、ヴァッシはバーニアペダルを踏み抜いた。
 きゅゴッ
 1近い推力重量比がグレイゴーストの大きな体を蹴り飛ばす。
 応える様に霧耶もペダルを蹴り込んだ。当代量産機では最大の推力が武御雷を加速させる。
 行け、との思いと共に霧耶は36㎜のトリガーを引き絞った。2門の銃口から放たれた弾幕はしかし、グレイゴーストを掠りもしない。
 高機動スラスターを不規則に吹かし、3枚のパドルをのた打たせる。
 曲線的に、直線的に。
 グレイゴーストが踊り、両機の間合いはあっという間に縮まった。
 霧耶は突撃砲を2門とも投棄し、担架から一本を引き抜き、両の手でしっかと掴み、斬りかかった。
 「In Ordnung」
 ヴァッシは支援突撃砲を"投擲"し、霧耶を怯ませるとその隙に背後に回りこみ、長刀を抜き打った。
 それに霧耶は反応した。
 振り向き様に切り上げた模擬長刀のワックス同士がかみ合い、火花の代わりに塗料を撒き散らす。
 やはりな。
 ヴァッシはほくそ笑んだ。
 霧耶は近接なら俺より巧い。
 まだまだ拙いし、荒削りだが錬度が上がれば強くなる。
 リバースペダルを踏み込んで間合いを離すと、ヴァッシもまた支援突撃砲を投棄した。
 これで互いに長刀のみ。
 霧耶は正眼に構え、ヴァッシは両の手で柄を掴み、刀身を肩に乗せた。
 御褒美をやるよ。
 踏み込みは同時。振り下ろすも同時。
 「両機胸部破壊!!」
 相手の胴にラインが引かれたのも、同時だった。

 慣熟訓練を終え、ハンガーに戻ってきたレティシエと堂本を迎えたのは、今度はニヤニヤ嗤いのヴァッシと、顔を真っ赤にしてぶすくれる霧耶だった。
 「どうしたの? 今度は苛めてたわけじゃないみたいだけど」
 「なぁに、ちょいとご褒美あげただけさ。上手に出来ました、ってな」
 その言葉に、霧耶は赤い顔を更に赤くして叫ぶ。
 「て、手加減しての引き分けでなにがご褒美だ!!」
 「バァカ。お前の成長を湛えてだぜ。前と同じなら今度は射撃でボッコボコだっつぅの。それに近接なら俺より強くなれんよ、お前」
 「な、え、うぇ!?」
 その余りの必死さにレティシエはくすくすと笑った。
 誉められるのに慣れていないのだな、と苦笑するのと同時に喜ばしく思う。
 ヴァッシのことを好きになってくれる人が、ここにもいた、と。



 同日同刻    実験艦長門

 自室で朱祇と福長が飲み物―――福長はコーヒーモドキ、朱祇は温めた合成ミルクに合成糖蜜を混ぜたもの―――を飲みながら世話話などしていると、朱祇がふぁ、と息を吸い込み、可愛らしくくしゃみをした。
 「ぇぷしっ」
 「おや、どうなさいました、艦長」
 むずむずと鼻を擦り、ずれた制帽を直しながら朱祇は福長に応える。
 「うーん、誰か噂でもしてるのかな?」
 「馬鹿なことを仰らないで下さい。大方おなかでも冷やされたんでしょう? 今日は温かくしてお休みくださいね」
 そうしようかな、と朱祇は応えた。



 11/30 0023    第2ハンガー

 「コイツか?」
 「おうよ」
 ヴァッシは彼専属の整備班班長のディークと共に、一機の巨大な戦術機を前にしていた。
 ブラックウィドウもイーグルなどと比べれば頭一つ分は大きな機体だったが、これは頭がどうとかそういうレベルの大きさではなかった。
 「デカイな」
 「おうよ。頭頂高23m、最大幅長9,8m。化物だよ、コイツは」
 ヴァッシは溜息を零した。
 呆れ果てる大きさだ。部隊運用に支障をきたすだろうに。
 「どうやってハンガーに納めんだよ。アレって確か最大20mじゃなかったか? 明らかに入んねぇじゃん」
 ディークはモンキーレンチで肩を叩くと、これまた呆れたように言った。
 「心の広いノースロック・グラナン社様が専用ハンガーを送ってくれたよ。ついでに各種消耗品の限定生産もやるってよ。至れり尽くせりだ」
 「成程、いい古巣を持ったな、俺ぁ。試験はいつやるんだ? 今度のXM-3評価試験に合わせるのか?」
 「いや、それより後になるだろうな。専用兵装も一つ届いてないし、機体の組み上げが終わっただけで調整はまだだ」
 ヴァッシは懐のシガーケースから煙草を取り出すとそれを咥えた。
 「珍しく掛かってるじゃねぇか」
 それを聞いたディークは頭を掻いた。
 「元の仕様書とえらく違うんだよ、こいつ。準第三世代化どころの弄り方じゃねぇ。まったく、弄り倒してくれやがって……。お陰で3日ですむ筈がこんなに掛かっちまった。おい、格納庫は禁煙だぞ。フルイドに引火したらどうする積りだ」
 「おお、わりぃ」
 言われ、火を点けようとしていたヴァッシは懐に煙草とライターを戻す。
 ディークは気をつけろと言った後、だが、と気を取り直すとその戦術機を見上げた。
 「間違いなく高性能だぜ、コイツは」
 その言葉にヴァッシは苦笑とも嘆息とも取れる息を吐く。
 随分と低いところにあるディークの頭を見下ろしながらヴァッシはおどけた。
 「敢えていい機体といわない辺りにお前の内心が透けてるぜ」
 「言ってろクソガキ」
 彼らを見下ろす灰色の巨人。銘を、叢雲といった。





登場人物設定


ディーク・ヒラサワ・ストレイン
身長:166㎝ 体重:58㎏ 頭髪:白髪混じりの黒 年齢:51 国籍:アメリカ 階級:技術曹長 所属:国連軍横浜基地

 YF-23整備班班長としてNASAから移動してきた日系米国人の整備兵。そのため国連軍横浜基地所属となっているが、実際にはヴァッシ・ウレンベック専属整備兵である。
 口は悪いが腕は確かで、彼でなければYF-23及びXF-108の高い稼働率は維持出来ないと言われている。
(イメージカラー:燻銀)



[4380] 第四部
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/12/02 22:04
 12/10 0556    ヴァッシ自室

 自室の堅いベッドで、ヴァッシは何かやたらと柔らかいものを感じて目を覚ました。
 「あ゛ぁ……?」
 唸るような声を上げ、ばしばしと寝癖の着いた髪の毛を掻く。
 と、ヴァッシは枕元になにやら真鍮色の眼鏡が置いてあるのを見つけた。そして自分の隣には人一人分の盛り上がり。
 「あ、ヴァッシ。起きた?」
 「起きた? じゃねえっつうの。何朝っぱらからトばしてんだよ」
 想像通りといえば想像通り、レティシエである。
 薄い肌着に身を包み、にんまりと悪戯な笑みを浮かべている。
 「トばしてるって言うか、人肌恋しい時期ってヤツかしら」
 「人肌恋しいなら宗像のトコに行け。気持ちいいなら何でもいいらしいぞ」
 「やぁよ。ヴァッシじゃなきゃ」
 基地の男性陣に呪い殺されそうな会話と環境。そこに。
 「ヴァッシ、今日のトライラルのスケジュールで確認―――――」
 がちゃり、とドアを開けたのは、霧耶だ。
 因みにヴァッシは寝るとき、上半身は肌着だ。そしてレティシエの体も霧耶の見える範囲では肌着のみ。
 では霧耶にこれがどういう状況に見えるか?

 合☆体 ←後

 しゃきーん。
 「ヴァァァァァァァァァァァアァァッシ!!」
 「だぁぁぁぁ!! やめろ!! 今度は減俸じゃすまねぇぞオイ!! やめろ!! やめてー!!」
 正にカオス。
 そこに歯止めをかけたのはレティの声。その顔は、にんまりと笑っていた。
 「あらあら、霧耶ちゃんてば随分必死じゃない。そんなに羨ましい?」
 ぴしり、と凍りついたように霧耶が止まった。
 ギリギリと音が立つほどぎこちなくレティシエに目をやる。
 「なんだったら混ざる? 私は構わないわよ。ヴァッシさえ良ければ」
 「バッ、ちがっ!! こ、これはだな、その、そうだ!! ふ、風紀の乱れをだな!!」
 その様子にレティシエはますます笑みを深くする。
 「あら、前線じゃこんなことはざらよ? 風紀の乱れって言っても、ねぇ?」
 「そこで俺に振るなよ」
 そう言うヴァッシは既に第2装をだらしなく着込み、煙草を吹かしていた。我関せずだ。寧ろ関したくないといったところか。
 「こ、ここは前線ではないだろう!!」
 「あら、明日も知れない命に変わりはないじゃない。だったら刹那的に快楽に走っちゃっても別にいいと思うけど? もう、素直になりなさいよ。羨ましいんでしょ?」
 「いや、だからこれは!! あ、ヴァッシ!!」
 ヴァッシはやってられるかとばかり、霧耶の傍らを通り過ぎ、廊下に出て行くところだった。
 「便所。後は二人でやってくれ」
 そう言い残し、ヴァッシは扉を閉めた。
 後には脇差を手に弄り倒される霧耶と、凄くいい笑顔で霧耶をいぢめる(いじめるではない。解る人には解る拘り)レティシエが残された。



 同日 1536 ハンガー内

 「コード991―――BETAが!?」
 演習場にBETAが現れたと聞き、伊隅達は急いで機体に搭乗する中、ヴァッシだけは落ち着き払っていた。
 それを見咎める余裕のある者はない。
 (ありゃやっぱりそういうことか)
 佐渡島からBETAが現れ、ここ横浜基地へと向けて侵攻してきた時のことである。
 彼らA-01はBETAを捕獲しろ、との命令を受けて出撃していた。
 屍骸サンプルではなく、生体を。
 (研究に使うにしちゃ妙だと思ったんだよなぁ)
 「ヴァッシ!! 早くせんか!!」
 「あいよー」
 武御雷のコックピットから叫ぶ霧耶にそう応え、ヴァッシはグレイゴーストへのタラップを上った。煙草を咥える。
 (この演習も大分ゴリ押ししたみてぇだし)
 「クソガキ!! 装備はどうすんだ!!」
 ディークの声に、丁度いい、とヴァッシはまだ行っていなかった試験運用もやってしまう事に決めた。
 「96式を左右両腕、87突撃を兵装担架に2門、手持ちはロビタで頼む!!」
 「今やるのか!?」
 96式特殊長刀の左右同時運用はまだ行っていない試験内容だった。それを今この場で行うのか、という問い。
 ヴァッシはにやりと嗤った。
 「叢雲の前にやっとかねぇと、なぁ!?」
 「解った!! 120㎜の弾種は!?」
 「ロビタはAPFSDSのみ、突撃は榴弾とキャニスターを等分に!!」
 ディークはおう、と応う。他の中隊メンバーは既にハンガーを出ていた。
 はぁ、とヴァッシは嘆息した。
 これだから試験運用はかったるい。前後の手間が掛かりすぎる。
 早く殺らせろよ。
 ハッチを閉め、ヴァッシは煙草に火を点けた。



 同日 1538    演習場

 (ちぃと重いか)
 今回は実戦試験という名目で、ヴァッシは単独行動だった。
 クーデターの時も新型レーダーの試験で単独行動。彼としては周りに気を使う必要がないため、単独行動のほうが好みだった。
 機体を存分に振り回しながら、ヴァッシは装備を評価する。
 96式2基装備はLBT120㎜L88と合わせるには些か重い。
 このグレイゴーストの主機出力と推力だからこそこの運動性が確保されているのであって、並みの戦術機、特に第一世代機などではまともな機動戦闘も出来ないかも知れない。仮に正式採用されても両方同時に装備することはないだろうが、そういう装備がスタンダードになった際には第3世代機限定になりそうだった。
 (ま、ロビタがなきゃ何とかなりそうだな)
 ヴァッシの視界の端に、国連カラーの激震がルイタウラに迫られるのが見えた。
ついでに新規のFCSモードの試験もやってしまえ、と、ヴァッシはFCSをクイックドローモード―――便宜上そう名付けられている。制式の後には変わるだろう―――に切り替え、ルイタウラをメインカメラの視野に納め、見詰めた。するとFCSが対象をロックしたことを伝え、それに伴って両肩の武装担架に装着された突撃砲が前を向き、オートで弾をばら撒いた。
 無数の弾丸が甲殻を穿つ。周りのBETAに視線をやれば、FCSが勝手にロックオンし、システムが勝手にトリガーを引いた。
 便利は便利だ。しかし、弾薬を使いすぎる。
 堅固なルイタウラを数体含むとはいえ、僅か10数体のBETAを潰すのに2000発の大容量を持つマガジンが1/3近く減ってしまっていた。
 衛士の能動的照準調節も出来ないから細かな射点の変更も出来ない。しかもセンサーが目標の沈黙を確認するまで弾を撃ち続けていた。それが無駄弾に繋がったのであろう。
 (改良の余地あり、か。フィードバックが生きてねぇな)
 「あ、有難う!!」
 無邪気な感謝の言葉。
 体よく試験に使っただけであり、ヴァッシとしては感謝される謂れはない。つっけんどんに返すだけだ。
 「さっさと下がって得物を取りに行けウスノロ!!」
 「あ、ハイ!! 了解!!」
 やはりツンデレ(亜種)。
 ふぅ、と紫煙を吐き出せば、コックピットの中に煙が溢れる。
 一瞬の後にはエアクリーナーに吸引され、瞬く間に浄化された。
 「さぁて。お友達は何処かな?」
 それを愉しむでもなく、ヴァッシは次の獲物を求め、視線を巡らせた。
と、少しばかり離れた所でBETAの起こす砂煙が見えた。そしてその先では一機の吹雪が殴られている。
 ニィ、と口角を吊り上げると、ヴァッシはペダルを踏み込んだ。
 一月前から運用している新OSも相変わらず快調だ。
 白銀の考案したXM-3の原型は、彼らも試験運用していた。前OS搭載のグレイゴーストとは大違い。
 これほど思い通りに機体が動いたことがそれまであったろうか? 実に愉快、実に愉快。
 機能を停止した吹雪に纏わり着いていたメデュームを蹴り飛ばす。
 くつくつとヴァッシは嗤う。
 とヴァッシは視界に入ったBETAに向けてLBT120㎜L88の砲口を差し向け、トリガーを引いた。
 FSCをクイックドローへ。非甲殻目標のメデュームを見詰めてそれを潰す。
 カタカタと音を立て、36㎜の弾薬が底を着いた。まともにロビタで対応するのも限界の距離だ。
 OK。遊ぼうじゃないか。
 ロビタのローディングレバーを引き、砲弾を装填。それを右腕一本で保持させ、左腕に装着した96式特殊長刀から刀身を露出させる。
 異形の群れへと臆することなく飛び込む。
 ルイタウラを甲殻ごと斬り裂き、間近のメデュームにロビタの砲口を押し付け、トリガー。
 リコイルで右腕フレームが軋む。その反動を利用し、それにハイマニューバブースターの噴射も加えて回れ右、瞬時に左腕式特殊長刀の刀身を引っ込め、反対側で衝角を振り上げるメデュームを殴りつけ、弾き飛ばした上で刀身射出。重量のある鋼の刀身はその胴体を貫通し、向かいのビルに突き刺さった。
 再びそのリコイルとハイマニューバブースターで左回転。
 特殊長刀の裏に隠されたサブアームでロビタをリロードし、前面より迫るルイタウラに狙いをつけ、トリガー。
 またそのリコイルとハイマニューバブースターを併せ、大きく後退し、左腕特殊長刀の刀身を交換。
 同時にサブアームを用いてロビタをリロード、射線上に重なったメデューム2体に向けてトリガー。
 全てが死んだ。
 短時間で鏖殺を完了。上々だ。
 ヴァッシは吹雪を見やり、ロビタを傍らに置くとコックピットに手を掛けた。ゴキゴキと音を立て、鋼鉄が割れてゆく。
 『ぎゃああああああああぁっっ!!!』
 中に乗る衛士の悲鳴。聞くに堪えない。
 「おい!! 大丈夫か!?」
 『はぅ……あぁ…………ああぁぁぁぁ…………?』
 死んでいない。ならばよし。
 状況が始まって既に10分以上。コイツは生き残った。
 「よーし、生きてるな!! ソイツはもうオシャカだ。使いモンにならねぇ。とっとと破棄して近くのハンガーに駆け込みな!!」
 『うぅ……あぁ……』
 呻き声。ヴァッシはイラつく自分を認識した。
 いつまで呆けてやがる。
 「チッ、テメェそれでも男か!? タマ付いてんだろ!? 股座のソイツは飾りモンか!?」
 『―――――ぅひッ!!』
 まあ、と僅かに嘆息する。
 初陣ならばこんなものだろう。斯く言うヴァッシも初陣ではパニック状態に陥りかけた。
 陥りかけただけで、陥りはしなかったが。
 「安心しな、この辺一帯のクソ共は片付けた。お前のお友達も元気だよ」
 『は……ぃ……』
 「残りモンを片付けてくる。解ったか!? とっととハンガーに行くんだよ!!」
 それきりヴァッシはその衛士を意識の外に締め出し、別の砂煙に向けてグレイゴーストを飛ばした。



 同日 1826    手術室

 「死んだ、か」
 神宮寺まりもが、死んだ。
 無残な死に様だったという。兵士級に頭を喰われて死んだ。
 「で、アイツが?」
 キャスターに寝かし付けられ、様々な薬剤の多重投与を受けた若い衛士。鼻水と涎で顔はグチャグチャ、目も焦点を結んでいない。
 ああ、とヴァッシはそれが誰であるかに気が付いた。あの吹雪に乗った玉無しか、と。
 「ああ、教官の最後に立ち会った、唯一の人間だ」
 それに応えたのは、宗像。彼女もまた神宮寺の教え子の一人だ。いつもはクールな横顔も、今は悲しみに揺れている。
 「ヒデぇツラしてやがる。なんてザマだ」
 「確かに、な。しかしそれも止むをえ―――」
 「テメェ等だよ」
 空気が、凍った。長門艦橋での時とは比べ物にならないほどのそれ。
 「なん、だと……!?」
 理解できない。何を言っているのだ? この、男は。
 「テメェ等のツラの方がよっぽどヒデェ。あの坊主のほうがナンボかマシだ」
 「ヴァッシ!! 何てことを……!!」
 咎める霧耶に、ヴァッシは冷徹に言い放つ。その声音は唾棄するようであった。
 だがそこに、いつもの嘲笑うような色はない。
 「所詮は一兵士。どれだけ優れたヤツだろうと、どれだけいいヤツだろうと、死ぬときゃ死ぬ。それが戦場だろうが」
 「貴様ァ!!」
 宗像がその襟首を締め上げる。その目には怒り。
 他の、神宮寺に師事を受けた者も一様に怒っている。
 「それに、神宮寺は跡形が残ってるんだろ? 顎から下だけとはいえ」
 「ヴァッシ!! やめろ!!」
 「いーや、やめないね。遺品もあるんだろ? ドックタグは? 遺書は? 残ってるんだろ!? それで十分じゃねぇか!! それだけ残っててなにが不満だ!!?」
 その声に、彼女達の激情は吹き飛ばされる。
 今までの6年間で、彼がこのように怒ったことはなかった。あるときは粘液質に、あるときは酸の様に怒った。
 しかし、この吹き上がるような怒りはなんだ?
 「シェーラーは!! ミットラーは!! ムートは!! マッセンバッハ少佐は!! アイゲン中尉は!! ボルクレイは!! ヘリンチ中尉!! ネスラー!! ノイマン中尉!! ナティヴィダッド!! ケッペラー!! ルーベンス大尉!! ヤウアー!! ゲーデル大尉!! ギュンスター!! サリヴァン中尉!! ジーゴ、ハイネン少佐、シェルテル大尉、ガイスマイヤー少佐、ルーデンドルフ、ハーバー中尉、ヘンメル、レーガー中佐、デリンガー、シューマッハ、ダイル大尉、テューンケ中尉 ケラーネ ファインハルス アードラー ボルネフェルト ツィンマー ブラウアー大尉クルマン少佐バウアーブロッホ中尉ハリエルエルプフドナート中佐!! あいつらは何一つ残せやしなかった!!! 哀しい!? 虚しい!!? それだけ残してもらっといて―――――何をほざきやがる!!!!!」
 一息にそこまで言い切ったヴァッシは、自らの感情を吐露したことを恥じているようであった。
 チッと舌打ち一つ、宗像の手を払い、ヴァッシは背を向けた。
 煙草を咥え、火を点ける。
 「ヴァッシ!!」
 「ルセェ、俺は失せる。いねぇ方がいいだろうよ」
 霧耶の静止をその大きな背中で跳ね飛ばし、ヴァッシは部屋を出ていった。
 がつがつという苛立たしげな足音が聞こえなくなると、皆の視線がレティシエに集まる。ヴァッシと彼女の関係は皆が知る所だし、あの状態を説明するには一番適当であろう。
 レティシエは寂しげに微笑むと、床を見詰めた。
 真っ直ぐを向いて話すことは出来そうになかった。
 「……ヴァッシが、今叫んでたのは……最後まで残ってた師団のメンバーよ。東欧脱出最初期から一緒に戦ってきた、第一装甲師団の仲間……」
 第一装甲師団の名は、座学をまともに受けたものならば誰もが一度は耳にする。
東欧で最後まで戦い抜き、最後には味方の裏切りで全滅した悲運の師団。
 「皆、死んじゃった。燃料気化爆弾の集中運用で。遺品なんか残らない。ドックタグも融けちゃった。遺書も燃え尽きた。住民情報もないし、彼らがいたことを証明できるのは、もうヴァッシと私だけ」
 黙が満ちる。
 ただ計器が唸る音と、ガラスの向こうからラダビノッド、夕呼達の声が僅かに零れてくるだけ。
 「神宮司さんのことを貶めたわけじゃないと思う。ただ―――――思い出しちゃったんじゃぁ、ないかな……。それに私には伯父様がいたけど、彼には……」
 誰も、何も言わない。
 神宮寺の死と、ヴァッシの仲間の死。その二つが、重く圧し掛かる。
 「探してくるわね」
 「わ、私も行く」
 レティシエはヴァッシの後を追い、霧耶もそれに続く。
 「………………」
 黙が、満ちた。



 莫迦が。
 莫迦が。
 莫迦が。
 莫迦が莫迦が莫迦が莫迦が!!!!
 アレでなんになる!! 八つ当たりもいい所だ。
 グラウンド奥のシューティングレンジで、ヴァッシはヤケクソのように撃ちまくっていた。否、ようにではなく、それは正しくヤケクソなのだろう。
 あれからどれほどもたたないというのにヴァッシの足元には夥しい量の薬莢が転がり、モーゼルの銃身からは陽炎が漂っていた。
 感情のままに振舞うのは嫌いではないが、感情に振り回されるのは御免だった。
何たるザマだ。
 今度は自らを罵る。
 ヒデェツラはお前だヴァッシ・ウレンベック。
 何を偉そうに。御高説垂れられるような人間じゃないくせに、貴様こそ何をほざく。
 10発クリップを差し込んで、再びヴァッシは射撃を始める。モーゼル独特の堅い発射音が誰もいないシューティングレンジに虚しく響き渡った。
 莫迦莫迦しい一人遊び。
 カンッ
 最後の一発。ボルトが下がりきり、重いリコイルをヴァッシの手首に与える。弾薬がなくなったのを確認すると、ヴァッシは舌打ちし、咥えた煙草を吐き出した。
ボルトを戻し、デコックしてホルスターに戻す。
 薬莢を片付けるために箒を取ろうと振り返ると、走って来たのか、息を弾ませた霧耶がレンジに入ってくるところだった。
 探しにでも来たのか、とヴァッシは思う。
 余計なお世話だ。そのおせっかいを伊隅達でもやってやれ、と鼻を鳴らすと、霧耶を無視するように箒を手に取り、薬莢を収集孔へと流し込んだ。
 「あの……ヴァッシ……?」
 おずおずといった調子で霧耶はヴァッシに声を掛けた。が、何を言えばいいのか解らない。
 口篭る霧耶に何を思ったか、ヴァッシはその傍らを無言で通り過ぎる。
 「あ、ヴ、ヴァッシ……その、仲間のことは、残念だった」
 次の瞬間、霧耶の頬にヴァッシの拳が炸裂した。
 どさ、という音が自らが地面に尻餅をついた音だと気付くのに時間を要した。  呆然として頬を押さえる。熱い。
 震えながらヴァッシを見上げると、鬼の如き形相で、大きな拳を握り締めていた。
 「解ったような口を利くな。理解できないことを理解したように喋るんじゃねぇ。あの時の俺の気持ちが解るのか? 解るわけねぇさ、お前は俺じゃない。なら想像はできるか? どういうことか想像できるか!? ヨーロッパの荒野!! 見渡しても生きてるのは俺一人!! どうだ、想像できるか!? どうなんだ!? どうなんだ霧耶澪!!!」
 「う……あ……」
 ヴァッシの剣幕に圧倒されて、霧耶は涙を零した。
 だがそれは恐怖ではない。
 悲しみだ。
 悲哀だった。
 誰にも理解されない彼のことが哀れで、涙が零れた。
 彼を理解できない自分の愚かしくて、涙が零れた。

 霧耶は夜が好きだ。
 夜ほど優しい時間はないと思っていた。なのに、なぜ彼のことを包んでやらないのか。
 だからほら、あんな風な。

 泣き叫ぶ童のような顔を、しなければならなくなっているではないか。



[4380] 第五部 第一話
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/12/02 22:05
 12/11 1008    横浜基地廊下

 207小隊b分隊の面目は、隊がそのままA-01という部隊に編入されると聞き、些か拍子抜け、といった空気だった。
 入隊に当たっての挨拶とその後の座学のためにブリーフィングルームに向かう彼女達が通路を進んでいると、大分大柄な男が壁に寄りかかり、煙草を燻らせているのが目に入った。
 国連軍第一装をだらしなく―――Yシャツの裾はズボンから出ており、ブレザーの前も全開。全体に皺が寄っている―――着込んだその男の顔には大きな傷が走っている。
 その男が、彼女達を見据えた。
 ぞくり、と怖気が彼女達を襲った。
 引き攣った顔を捩るように嗤うその表情。腐った魚のような眼。男の方から空調に流されてくる空気は煙草と、何故か濃い枯葉と血錆の香り。
 「中尉殿、何か、御用ですか?」
 襟元の徽章を中尉と認めた榊が―――僅かに震えた声で―――その上官に問いかける。
 その問いに、男は答えない。ただニヤニヤと彼女達を見詰めるばかりだ。
 薄く開いた唇から紫煙が零れた。
 「ようこそ、A-01へ」
 この男が。
 彼女達は目の前の上官とこれから先やっていくことに驚愕し、次にその声音に困惑した。
 錆び付き、朽ちつつある鋼鉄が軋むようなざらざらとした声音。
 「クーデターの時の話は聞いてるぜ。帝都守備隊相手に死者ゼロだって? 大したモンだ。期待してるぜ、お嬢さん方」
 言葉の内容は彼女等を賞賛している。が、口調が違った。
 どこか嘲笑のような響きを含む口調。訳もなく不快感を掻き立てる声音。
 「自己紹介はどうせ後でやらぁな。じゃ、また後でな」
 彼女達はそう言って背を向ける男を、呆然と見送るしかなかった。そうする以外に、何をすることも思いつかなかった。
 


 同日 1030    ブリーフィングルーム

 ヴァッシは何時も通り少し遅れて現れた。
 「ヴァッシ、いつもそうだがお前は時間前に行動するという思考回路がないのか?」
 半ば諦めの入った声の伊隅。それに応えるヴァッシはやはり皮肉気だ。
 「スンマセンね。ここんとこ歳なのか便所が近くて」
 隊員の嘆息。矯正のしようもないということだろう。
 「では気を取り直して、だ。A-01へようこそ。貴様ら207小隊は丸ごとA-01連隊―――今は中隊規模しかないが―――に編入される。先ずはヴァルキリー中隊から紹介しよう」
 「悪いけど紹介は後にして頂戴」
 紹介を始めようと伊隅が隊員の方に目をやったその時、入り口のドアを余り面白い顔をしていない夕呼が開いた。
 「馬鹿なクーデター残党のお出ましよ。伊隅、これ読んで」
 ぽい、と投げ渡された余り厚くはない資料。伊隅が目を通すそれは余程慌ててタイプされたのだろう、やたらと誤字脱字が多い。
 「なッ……!!」
 そこには、帝国の恥部が画かれていた。
 「昨日城代省宛に書簡が届いたわ。通信じゃなくて書簡、って辺りがらしいといえばらしいけどね。送り主は12・4事件残党。総勢は精々40人」
 「それなら軍を投入すれば直ぐじゃないですか。何でウチ等に話が来るんですか?」
 僅か40人と聞いて、速瀬が疑問を述べた。夕呼はそれに向き直る。
 「それはね、連中が核を持ち出してるからよ」
 その言葉に、場の人間は―――やはりヴァッシはニヤニヤと嗤っていた―――息を飲む。
 公式には日本は核とそれに類する兵器を一切保有していない、ことになっている。
 S-11保有量は世界でも有数だし、燃料気化爆弾も相当数を保有しているが、核は持っていない。
 だが実際には違う。幾らS-11や燃料気化爆弾が優秀な破壊兵器とは言えど核には当然劣る。故に自決用として城代省は戦略級の核弾頭を幾つか保有していた。
 「今回蜂起した連中は戦略核弾頭搭載の巡航ミサイルを保有していると言ってる。で、公式には熱核兵器を保有していないことになってる帝国軍としてはそれが公になるのは困る。12・4事件はなかったことにしたいしっていうのが本当のところでしょうし。それで帝国軍とは関わりがなくて戦死者が出ても訓練中の事故で話が済むあんたらA-01にお鉢が回ってきた、って寸法ね」
 「声明は?」
 堅い声でそう聞くのは宗像。
 「アメリカとの同盟完全破棄と真の自由独立。期限は今日中だそうよ。明日の零時丁度までに実現されない場合、核を発射すると言ってるわ」
 「無理だな」
 応えた夕呼の言葉を即座に切り捨てたのはヴァッシだ。視線が集まる中、口元を捻りあげるような笑みは変わらず。
 「そんなモンは建前だろ。政府にそんなことやる積りはねぇし、やるにしたって時間が足りん。ホントのところはどうなんです、夕呼サン?」
 「建前も何も連中はそうとしか―――――」
 「アンタはどう思ってるんだ、って聞いてんすよ、俺ぁ」
 夕呼は舌打ちする。彼女は話の途中で腰を折られるのが嫌いな性質だ。
 「人の話を途中で遮るのはやめなさいっていつも言ってるでしょう。まあそうね。死にたいんでしょう」
 そんなトコでしょうね、とヴァッシは煙草に火を点けた。紫煙を吐き出し、それと共に言葉を垂らす。
 「で? 香月副指令としてはどうするんで? やっぱり出撃ですか? これを解決すりゃ城代省に出来る借りはデカイでしょうしなぁ。つぅよりここに持ってきた時点で出撃か」
 こりゃ楽しみだ、とヴァッシは嗤った。闘争に酔えるシチュエーションを愉しんでいるのだろう。
 嘆息と共に、夕呼は通達する。
 「そういうこと」
 「首謀者は?」
 くつくつと嗤いながら、ヴァッシは聞いた。その莫迦共を率いる奴の名前を知っておきたいと思った。
 「帝国陸軍富士教導団戦術機教導隊第二中隊指揮官、浦城朱鷺重大尉だそうよ。一応教導団のトップエース―――――」
 「浦木……朱鷺重!?」
 その名を聞いて、呆然とした声を出したのは霧耶。その名前には聞き覚えが、十分すぎるほどにあった。
 「なに、アンタの知り合い?」
 「私の……伯父です……」
 霧耶と浦城は本家と分家筋の間柄で、霧耶が幼少の頃は彼女の面倒をよく見ていた人物だ。
 霧耶も浦城に懐いていたし、浦城も霧耶を可愛がっていた。
 「何故……そんなことに……」
 自失した霧耶。
 頭痛が酷い。視界が揺らぐ。気持ち悪い。
 そこに、ヴァッシが声を堕とす。その声は、流れる硬水のように冷やかだ。
 「テメェのA-01で初めての仕事の時に俺が言った台詞だが」
 霧耶がそちらを向けば、そこには刺すような視線を送るヴァッシが見えた。心なしかチリチリとした殺気を感じる。
 「"嘗ての女だろうと上官だろうと、銃口を向けあったんだ。殺しあう以外に何がある"」
 その言葉にレティシエは哀しげに俯いた。
 霧耶は絶句する。そんな霧耶を見てどう思ったか、ヴァッシはもう一つ、堕とした。
 「……"殺すときは殺せ。容赦なく、残酷に"。これはA-01設立当時からフェンリル中隊隊長として俺が掲げてる隊則だ。テメェもフェンリルな以上、従ってもらうぜ」
 「………」
 霧耶は応えない。応えられない。
 しかし、ヴァッシは許さなかった。
 「フェンリル隊復唱!! "殺すときは殺せ"!!」 
 『"殺すときは殺せ"!!』
 「"容赦なく、残酷に"!!」
 『"容赦なく、残酷に"!!』
 「霧耶、忘れんなよ。"殺すときは殺せ。容赦なく、残酷に"、だ……返事はどうした!!」
 「り、了解……!!」
 霧耶の顔は今にも泣き出さんばかり。なればこそ、ヴァッシは容赦しない。
 フェンリル隊隊則にヴァッシの趣向が入っていることを彼は否定しないが、これはある意味真だ。
 殺すときに殺さなければ、殺されるのは自分だと、ヴァッシは理解していた。
そうなれば答えは見つからない。
 何を、何処に無くしたのか。その答えは永久に見つけられなくなってしまう。
 死んでしまえば、そこから先は無い。
 「聞こえねぇ!!」
 「了解!!!」
 くしゃくしゃの顔でそう言った霧耶から視線を外すとそれきりヴァッシは腕を組み、目を瞑って壁に体重を預けた。
 夕呼が気を取り直すように息を吐き、やはり少し表情を堅くした伊隅に言った。
 「伊隅、出撃のスケジュールとかはアンタに任せるけど、今日中に片がつくようにしてね」
 「了解」



 同日 1222    ブリーフィングルーム

 中隊は再びブリーフィングルームに集った。最終ブリーフィングだ。
 戦略地図がモニターに表示され、本州の真ん中より若干佐渡島寄りの、そこそこの規模を持つ基地が明るく表示されていた。
 「クーデター残党は群馬県、北群馬郡の帝国陸軍基地を急襲、制圧し、そこに陣取っている。我々は可及的速やかにこれを鎮圧する必要がある。ではルートの説明に移る」
 伊隅がそう言うとピアティフがキーボードを操作。画面が切り替わる。
 「とは言っても殆ど一本道だ。当基地を出発後、整備車両に搭乗して首都高湾岸線跡に入り、大井町ジャンクションで首都高速一号羽田線に乗り換え。その後板橋ジャンクションまで首都高を通過し、首都高速五号池袋線を北上する。美女木ジャンクションを抜け、戸田西インターチェンジで東京外環自動車道に乗り換えた後大泉インターチェンジ、大泉ジャンクションと通過し、延々と関越自動車道跡を突き進む。高崎ジャンクション跡で全機起動、前橋ジャンクション跡まで進展する。その後フェンリル01以外は警戒待機。フェンリル01には奇襲を仕掛けてもらう」
 「ちょ、大尉。聞いてませんけど。ていうかグレイゴーストじゃ無理っすよ」
 そこまでブリーフィングが進んだところで、ヴァッシが声を上げた。幾らなんでもグレイゴーストで単機駆けは無謀だ。
 僅かに口元を引き攣らせたヴァッシに対し、伊隅はしれっと言い放った。
 「ああ。だから貴様にはこの作戦から叢雲に搭乗してもらうぞ」
 「……あのー、正気っすか。慣熟訓練もしてねんすけど」
 それに対しても伊隅は然も在らん、と頷くだけだ。
 「そこは貴様のキャリアに期待しているぞ。何とかしろ。さて、続きだが」
 「大尉!! 大尉!?」
 更に言い募るヴァッシを完全に無視し、伊隅はブリーフィングに戻った。哀れ。
 「フェンリル01の奇襲と同時に各機戦闘領域までNOEで接近。それから先はゴリ押しだ。気を引き締めておけ!!」
 『了解!!』
 「俺は了解してねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
 全員の敬礼に、ヴァッシの悲痛な叫びは揉み消された。



 同日 1250 ハンガー

 他の隊員が慌しく出撃準備を整えている時、ヴァッシは既に強化服を着込み、叢雲の最終調整を行っていた。
 「なに、結局ARDASは間に合わなかったわけ? で、代わりにロビタの改良型、と」
 例の届いていなかった専用兵装の一つは結局組み上げには間に合わなかった。それの代替としてロビタを改良したものが叢雲に搭載されることになる。
 「ああ、結局軽量化と強度確保の折り合いが付かなかったらしくてな。LWRSSはもう積載してある。LBTはお前の確認待ちだ」
 どれ、とヴァッシは布を被ったそれを見に行った。シートが外されると、そこには随分とごつくなったLBTが鎮座していた。
 「LBTを中折れ式フォールディングにして、給弾をベルトリンクに改良したもんだ。即応準備弾は48。砲身をぶった切ってるから強度的な問題でマックスでも分間50発くらいに抑えとけ」
 スペック表に目を通すとOK、と言ってヴァッシはそれの確認を終え、書類に規定事項を書き込んだ。それを受け取り、ディークが搭載しろ、と指示を出す。
 それはそうと、とヴァッシはディークに胡乱気な目を向けた。
 「叢雲のスペック読んだけどよ、あれホントかよ? あのスペックじゃ部隊運用に支障が出るだろ。ていうか今のA-01の装備じゃ追従できねぇぞ?」
 「さぁな。俺たちにゃ関係ねぇ」
 然もあらん。仮に追従できないとしてもてんやわんやするのは彼らではなく、恐らく基地所属の整備兵だろう。
 ディークらはヴァッシのA-01転属と共にNASAから送られた整備兵たちだ。
 アメリカ最大のブラックボックス、ステルス技術を漏洩させるわけにはいかない。そのため所属は横浜基地となっているが、事実上はヴァッシ専属だ。
 「OK。慣熟もなしに実戦運用って辺りでやっちまった感は否めねぇけどしゃあねぇか。今度ばっかりは数が違いすぎる」
 「40対1だって? ギャグだな」
 「まったくだ。それを騎兵隊の到着まで10分以上保たせろってんだから、ウィットの利いたジョークだぜ。お陰でこんなゲテモノに乗らなきゃならねぇ」
 慣熟もなしに、と加えると、ヴァッシは叢雲のコックピットへと繋がるタラップを上り始めた。着座調整をしなければならない。
 シートに座るとその違和感のなさに奇妙な覚えを得た。
 「ディーク、なんか弄ったのか? なかなかナイスなソファが置いてあるぜ」
 「ケツに馴染むだろ。グレイゴーストのデータをそのまま移植したからな」
 なるほど、流石、とヴァッシは息を吐いた。
 「で? 整備支援車両はどうなってんだ? 通常規格じゃ載せられねぇだろ」
 叢雲は頭頂高23m、最大幅長9,8mの巨体だ。通常規格の整備支援車両では載せられない。
 ハンガーはノースロック・グラナン社が専用のものを用意していたが、車両はどうだ、ということだ。
 「そっちはN・Gからも来てねぇ。輸送車両に膝立ちで乗っけてもらえ」
 「それ本気で言ってんのか? 冗談じゃねぇ……」
 邪魔な機体だ。ヴァッシは思わず頭を抱えた。






LAHA構想

 戦術機開発黎明期の米国において、戦術機にどの程度の武装を施すかという問題が生じていた。戦術機という全く新しい兵器に対し、どのような武装が適しているのかなど解る筈もなく、戦車などと同じ様な重装甲重武装の道をとるか、それとも航空機のように軽装甲高機動をとるかで武装開発は難航していた。
 そこで当時、戦術機のフレーム規格に合わせて装備分担を行うことで軽攻撃、重攻撃と役割を分けるという考え方が生まれた。これがLAHA構想である。
 LAHA構想においては軽戦術機規格であるLフレームと重戦術機規格であるNフレームが存在するが、Nフレームを採用した戦術機は現在に至るまでYF-12A、XF-108、F-111系列機の3機種に過ぎず、うち量産機はわずか1機種しかないため一般に見ることは難しい。広く見かけるのは軽戦術機規格フレームのLフレーム戦術機である。
 N規格フレームとは、Lフレームよりも積載量が大きい、大型のフレームを指す。このためL規格フレームを採用した戦術機の装備では撃破し辛い対象もN規格フレームの戦術機であれば、その積載量により強力な火器を搭載できるのでこれに対応することができる、というわけである。
 逆にL規格フレームはNフレームよりも小型軽量の、高機動型フレームを指す。このL規格フレームは第二世代戦術機以降でその方針が明確化されていった。第一世代機はまだLフレームとして完成していたとは言い切れず、主機出力係数に都合がつけば第三世代戦術機よりも大きな積載量を得ることが可能であった。
 しかし先にも述べたとおり、Nフレーム機はたった3機種と、LAHA構想は成功したとは言い難い。3機種の内最も小さいYF-12Aであっても頭頂高19m、最大となるXF-108に至っては23mと、Lフレーム機の標準となる頭頂高17m前後から大きく逸脱していた。このことは整備環境維持が困難である、空母からの発艦が出来ないなど運用に多くの制約を付け足すことになった。またNフレーム機はその大きさゆえに操作性の悪化が著しく、また単価が嵩み、軍用機としてはかなり高価になった為、より安価で操作性の良いL規格準拠戦術機が主に生産されることとなったのである。




登場メカ設定


XF-108レイピア改 叢雲 (ノースロック・グラナン社社内呼称エクスカリバー)

 XF-108レイピアはLHA構想に基づいて設計された重装甲重武装型戦術機である。中隊規模でHIVEの攻略が可能なAAA(Aggression-Area-Annihilation 敵対領域殲滅)級戦術機として設計され、後にHI-MAERF計画において開発、製造された戦略航空機動要塞XG-70ヴァルキリー(国連登録名称スサノオ)の護衛機に方針を転換した戦術機で、世代的には第2世代機の走りとなる機体。そのため第1世代機と第2世代機両方の特徴が混在して見受けられる。凡そ戦術機として求めうるすべての性能を詰め込んだ意欲的な機体。
 本機はその設計段階において衛星軌道からのHIVE領空侵入から最深部まで無補給で侵攻可能な航続距離と光線級のレーザー照射にある程度耐えうる防御性能、超長距離からマグヌス・ルクスに対して先制攻撃を加え、且つ一撃で制圧できるだけの長射程と打撃力、そしてBETAの大群を強行突破することが可能な加速性能と速度性能、面制圧火力を有していることが求められた。
 この様な無茶苦茶な要求スペックを一定値満たし、量産計画機としては破格の性能を持つに至ったXF-108だが、G弾の開発に伴う米軍の戦略転換によってAAA級戦術機が不要とされたことで方針を転じ、XG-70護衛機としての開発が進んだが、XG-70がHIBEへの単独侵攻を目的とした戦術機であることからその設計思想に矛盾が生じていた。また、LAHA構想中のN規格準拠機としてもその機体コンセプトが余りに先鋭的であったことと、操作性が余りにラジカルであったことから操縦可能な衛士が限られる、単機性能を突き詰めすぎた為に開発コストが高沸、さらに大型化に歯止めがかからなかった等の要因もあり、開発は中止された。
 しかし開発中止を不服としたノースロック社技術陣は自社開発を続行、1980年に完成させていた。採用の見込みのない戦術機を何故自社資金で開発したのかについては不明だが、ノースロック社は時期主力戦術機開発競争に打ち勝つための技術開発と、フラッグシップ的な意味を含めて開発を続行したと思われる(狂信的なドイツ系技術者集団として知られるノースロック・グラナン社開発第13課が当時の社長を脅迫し、開発を続行したとも言われるが詳細は不明)。このため本機はHI-MAERF計画の中で計画されたXF-108とは異なり、どちらかといえば当初のAAA級戦術機に近い設計思想を持つ。
 その後XG-70と共にオルタネイティヴ4へ移譲されることが決定すると同時にノースロック・グラナン社開発第13課がレイピアPAV1、PAV2両機のモスボール凍結を解除、叢雲へと現用改修しており、区分としては準第3世代機となる。改修後、XG-70護衛随伴機としてA-01部隊に配備された。
 機体フレームはチタニウム合金の削り出し及びスーパーカーボンを導入した通常フレームとモノコックフレームを併用することにより驚異的なフレーム強度を確保している。しかしこれに加えて下記のような性能を付加しようとした結果機体は大型化し、頭頂高23m、最大幅長9,8m(叢雲改修後)の威容を誇ることとなった。また大型であることから歩行性能は現用改修後もF-15程度に留まっている。
 現用改修の際にアビオニクス系も大幅に改新され、OBLの導入、超長距離射撃用FCSの搭載、ルックビハインド機能の付加、高性能CPUの導入、新OSの搭載、多目標追跡能力の強化、IRST(Infra-Red Search and Track 赤外線走査追尾)システムの追加など多岐に渡る装備品の更新が行われている。加えてYF-23ブラックウィドウⅡPAV2グレイゴースト改より頭部複合センサー群と遠深度モノセンサーアイ併用のセンサーシステム、通称”トンボ眼”並びにフェイズド・アレイ・レーダーを受け継いだ(“トンボ眼”に関しては叢雲が受け継いだというのは正確ではない。というのもグレイゴースト改にて試験が実施されていたセンサーシステムは元機レイピア設計段階で既に計画されていたが、当時の技術では小型化できなかったためオミットされた物の小型化版で、そのテストがグレイゴーストで行われていたのである。ここに技術の進歩を見ることが出来る)ため、電子戦用戦術機並のアビオニクス性能を備えている。
 主要部の装甲は間隙に熱蒸散ゲルを充填した超硬セラミック、劣化ウラン、スーパーカーボン、チタニウム、アルミニウム、防弾鋼板のモジュラー式複合装甲板で、更にそれを表面硬化高炭化鉄鋼板で覆い、そこに積層対レーザー蒸散装甲、積層対レーザー蒸散塗装を配した。最大装甲厚は550㎜、化学エネルギー弾頭に対して3200~3050㎜(RHA換算)、運動エネルギー弾頭に対して2510~2380㎜(RHA換算)の性能を持つ装甲強度は戦術機として必要な強度を遥かに超越しており、戦艦並の装甲性能をもつ。帝国軍の採用する87式突撃砲に使用されるのを始めとする36㎜劣化ウラン芯徹鋼弾は勿論のこと現用戦車の主砲、120㎜L44滑空砲による劣化ウラン弾芯APFSDSのゼロ距離射撃を防御し得る。
 さらに積層対レーザー蒸散装甲板と間充足熱蒸散ゲルの採用によって光線級ルクスのレーザー照射に対して最大で約45秒、重光線級マグヌス・ルクスのレーザー照射に対して最大約25秒間の耐久力(いずれも単体からの照射に対して)を持つに至り、積層という特徴から同一箇所への複数回のレーザー照射を防御することも可能である。
 通常このような超重装甲化の弊害として機体重量の肥大という問題が生じるが、本機においては速度調整とARDAS203㎜滑空砲システムの反動制御のためのカウンターウェイトとしても意味合いもある。なお叢雲に改修されるに当たって本機には装甲形状によるステルス性能が付加されたため、その装甲形状は元機レイピアとは懸け離れたものとなっており、非常に鋭角的で攻撃的なデザインとなっている。
 主機は機体設計段階から機体重量が膨大なものになることが想定されていたため、極めて高出力のものが装備されていた。その後設計段階が進むにつれ、想定以上に機体重量が肥大化したため、胸部フレームを拡張して主機を2基搭載することとなり、これによって本機は他の機体とは桁違いの主機出力係数を得ることとなった。更に現用改修を受けるに当たりYF-23改に搭載、試験運用されていたものを最大出力はそのままにスウィートスポットを広げた改良型高性能主機(無論コスト度外視の超高級品)が導入され、更にその出力を増すこととなった。
 本機の特徴の一つに速力と加速性能があるが、これは主跳躍ユニットに現行最高出力を誇るターボ・ラム・ジェットエンジンJ-58-K3が片側2基、計4基(推力1基辺り15422㎏、計61688㎏)用いられ、更に加速器として酸化剤に液体酸素、燃料にケロシン系燃料を使用する液体燃料ロケットエンジンを跳躍ユニット基部に1基ずつ搭載することに起因し、アフターバーナーと併用した際には完全装備であっても9,5G以上という驚異的な加速度を記録する。結果瞬間最高速度は900km/h以上となっており、現用のあらゆる戦術機を凌駕する。推力重量比も代表的な現用戦術機が激震が約0,48、ストライクイーグルが約0,6、不知火が約0,7、ラプターが約0,85、武御雷であっても約0,9と、1を上回る戦術機が存在しない中で2,5以上という圧倒的な推力重量比を誇る。その上で航続距離、活動限界も他の戦術機よりも遥かに長く、極めて広大な無補給行動範囲を持つ。しかし最高速度900km/hはAB使用のJ-58-K3とロケットエンジンを併用した場合に観測される速度で、巡航速度は820km/hとなっている(それでも十二分に速いが)。
 なお本機のジャンプユニットはP&W114wbターボ・ファン・ジェットエンジンとJ-58-K3の複合エンジンとなっている。これは通常静止状態からは作動できないというラム・ジェットエンジンの欠点を克服する為に取られた措置で、114wbの超音速の排気をJ-58-K3のエア・インテークに取り込むことで通常通りのジャンプユニット運用を可能にする設計であった。これにより本機はいつ如何なる状況下においても安定した推力を確保できたのである。
 本来的にJ-58シリーズのラム・ジェットエンジンはターボ・ファン・ラムジェットエンジンと呼ばれる内部にターボジェットと同等の機構を取り付け、ラムジェットが作動する高速に達するまではターボジェットとして機能する、ターボジェットの外周部にラムジェットの機能を付加する形式を取るエンジンで、高バイパス比ターボジェット(high-bypass-ratio-turbojet)とも呼ばれるエンジンである。そのシステムの概要は流入空気をターボジェットへ回すか、完全にバイパスしてラムジェットとして機能させるかを飛行速度に応じてバイパスフラップで制御するというものだ。しかし戦術機においては空気力学的に超音速まで機体を加速することは事実上不可能であり、それを解消し、ラムジェットエンジンを駆動させうるシステムとして上記のような特異なエンジン配置がなされたのである。本機においては駆動域まで加速されたエンジン排気よるラムジェットとターボジェット双方による推力が齎されており、スペックデータ以上の推力があったことは想像に難くない。なおJ-58-K3は本機に搭載すべく小型・軽量化し、上記のようにラムジェット・ターボジェット複合エンジンとして運用できるように改良されたもので、事実上J-58シリーズとは別物と言って差し支えのない代物であった。
 機動力を確保するために頭部脇の胴体と腰部に二対四基の逆噴射高機動ジェットノズルが装備されており、急停止、急速旋回に使用する。その推力は4基合計で推力重量比1,2にものぼる高出力を誇り、それはメインジェットエンジンがそれだけの推力を以ってしなければ停止することもままならない推力を持つ、ということに直結する。それでもテスト段階で最高速力に到達した叢雲が、停止のために高機動ノズルを最大出力で吹かしたにも拘らず完全停止までに500m以上を要したというデータもある。当然衛士にかかる負担は尋常なものではなく、パイロットシートには事故防止用の装置が取り付けられた。
 なお叢雲に改修する際にそれに依らないでの機動性能を確保するために、ジェットノズルにはそれぞれ3枚の推力偏向パドルを搭載し、グレイゴースト改より肩部高機動スラスターを受け継ぎ、膝部装甲ブロックに二次元推力偏向ノズルを採用したサブスラスターを装備したことでその機動力は更に強化されていた。これにより本機は圧倒的な突進力と並の衛士では御し得ない超高機動性を同時に手にすることとなったのである。
 背部に装着するための専用装備も考案、設計されている。物としてはフォールディングタイプのLWRSS40㎜3連装回転砲身機関砲と、同じくフォールディングタイプのARDAS203㎜滑空砲の2つで、これら二種の兵装は速度調整用のウェイトも兼ねており、弾薬が尽きてもパージしないことが推奨されていた。両システムの基部には武装パイロンが装備され、両肩武装パイロンとは別に装着されるため通常通り各種兵装をパイロンに装着することも可能。これにより本機は計4基の武装パイロンを備えることとなり、手持ちも含めると最大で203㎜滑空砲1門、40㎜3連回転砲身1門、突撃砲6門を装備でき、他の戦術機とは桁違いの火力を得た。
 なお本機の過剰なまでのフレーム強度はこのような超重装備を施した状態で高速・高機動戦闘を行った場合、通常フレームのみでは負荷に耐え切れずにフレームが歪曲してしまうためではないかという意見もある。しかしA-01部隊に配備された当初、ARDAS203㎜滑空砲システムは諸事情により間に合わなかった。なお通常の兵装担架は両肩装甲ブロックに装備されている。これは後に同社が開発するYF-23と同様の方式であり、同社はXF-108製造において技術蓄積したものと思われる。
 以上がXF-108の解説となり、速力、機動力、火力、攻撃能力及び防御力(つまりは単機性能)が特に重視された機体であると言える。また極めて大型であることから拡張性も高い。そのため単機性能であればあらゆる戦術機を上回る能力を持っているが、コスト対効率や部隊運用を考えた際には優秀な機体とは言いがたい。
 整備性も悪く、整備員泣かせの機体である。機体開発にYF-22ラプター以上の資金が注ぎ込まれ、機体製造コストもF-22A数機分、F-15Aに換算すれば一個中隊が装備品込みで組めるほどのコストがかかり、仮に量産化されていても余りの高額故に頭数を揃えることは難しく、整備性の悪さからしてその稼働率はあまり高いものではなかっただろうというのが大方の予想であり、性能が突出しすぎているため、トータルバランスを見た場合F-15Eにすら劣る戦術機となってしまう。
 また操作性も極めて悪い機体で、このことも本機が量産に向かないと評される要因の一つとなっている。ただA-01での運用に際しては特殊任務部隊としての性格上一騎当千の戦術機が求められており、非常に有用な戦術機であると目されている。また整備に当たっても専用ハンガーが用意され、ノースロック社からの各種パーツの限定生産も予定されていることから、不知火同様の高い稼働率を維持できるものとされている。


LWRSS(Limit Wide Range Suppression System)40㎜3連装回転砲身機関砲システム

 自動脅威判定機能付き口径40㎜3連装回転砲身機関砲。
 現用戦術機の主兵装となる36㎜チェインガンは携行弾数、発射速度は申し分ない反面、面制圧能力に欠け、また脅威判定は衛士自身が行うため無駄に弾丸を消費しやすいという欠点がある。本システムはこれを解決するために艦艇搭載用ボフォース40㎜対空機関砲を改良、軽量化、3連装回転砲化し、脅威判定機能を付加したFCSを搭載した兵装システムである。
 弾種は劣化ウラン芯徹鋼弾と劣化ウランペレット弾の二種。劣化ウラン芯徹鋼弾は36㎜弾より大口径になった分威力は増大し、弾頭重量が約50%増大したため弾頭の遠心性も向上した。劣化ウランペレット弾はFCSの脅威判定によりプログラムされ、目標至近で1000個の劣化ウランペレットを最大到達半径100m、有効到達範囲20mに渡りまき散らすというものである。
 本システムは対BETA用の限定広域制圧システムであるが対戦術機戦においてもかなりの威力を発揮する。戦術機同士の戦いは基本的に遭遇戦が多く、比較的近距離で行われるためその驚異的な面制圧能力の前では高い機動力を持つ第三世代戦術機に対しても脅威とであるとされている。
 通称はラブレス

口径 40mm
銃身長 75口径
初速 1060m/s
発射速度 870発/分
最大射程 6800m
即応準備弾数 950発



[4380] 第五部 第二話
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/12/02 22:06
 12/11 1732 前橋ジャンクション跡北北西800m

 ずん、と非常な重量物がアスファルトを抉る音が廃墟に木魂した。叢雲だ。
 並みの戦術機よりも5割は大きい、最大厚の複合装甲で覆われた胸部ブロック、そこと腰部に搭載された2対4基の馬鹿げた大きさのリバーススラスター。
 肩部ハイマニューバスラスターと複合装甲板で妙に肥大した両肩。その装甲背面にはグレイゴースト同様に武装担架が据え付けられ、そこに87式突撃砲が食い込んでいた。
 やはり並の戦術機よりも5割は長い下脚部と450㎜を超える厚さの複合装甲板で覆われた巨大な膝装甲ブロック。
 同様に長い前腕部、そこに着いた異様に大きな―――ソ連のスーパーカーボンマシェットが悠々入る―――短刀ラック。それを覆う96式特殊長刀。手には一挺ずつの突撃砲。
 背中には中折れ式フォールディングのLWRSS40㎜3連装回転砲身機関砲とLBT120㎜L88滑空砲Mk-2。基部にはそれぞれ突撃砲が1門ずつ。
 通常規格のマニュピレーター以外のあらゆるパーツが巨大だ。しかし大味な造りではない。
 23mの威容は後方、前橋ジャンクション跡で立ち尽くす不知火や武御雷、吹雪が可愛く見えてくるような代物だ。
 そのコックピットの中で、ヴァッシは悪態をついた。
 「クソッタレ、これちゃんと重心計算してあんのか?」
 重心が高すぎてバランスが悪い。グレイゴーストの機体バランスもお世辞にもいいものとは言えなかったが、叢雲のそれはグレイゴーストを遥かに凌ぐ。
 通常第3、準第3世代戦術機の多くはコックピット直下かコックピット辺りに重心がある。高速機動戦闘においては重心がコックピットから遠い位置にあるとパイロットが振り回されてしまうからだ。
 しかし叢雲のそれは非常識なまでに高い位置にあった。
 ヴァッシはコンソールを叩き、機体の詳細画面を呼び出した。重心を見れば。
 「Scheisse……!!」
 在ろうことか叢雲の機体重心は頭部真下、咽喉元にあった。
 ありえねぇ。
 ヴァッシはコックピットの中で空を仰いだ。
 衛士の脳味噌をプディングにでもするつもりだろうか、コイツの設計者どもは、と内心で悪態をつくと、ヴァッシは機体の頭部バイザーを展開し、蒼い単眼を露出させる。
 そして腰部の跳躍ユニット―――驚くべきことに双発のユニットが両側に一基づつ装着されている―――を軽く吹かし、手近なビルの上に飛び乗る。
 と、片足がビルの屋上を踏み抜いた。
 重すぎる。
 再び心中で悪態をつくとその足を抜き、ビルの上で膝立ちになり、基地を見据えた。
 きゅぃ、とモノアイがフォーカスし、基地を眺める。
 基地所属のものと思われる不知火や陽炎、激震の残骸が幾つも転がっている。
 直立している戦術機の多くは露軍迷彩の―――富士教導団所属の―――不知火壱型丙。
 更にモノアイを巡らせる。そしてヴァッシは基地施設の屋上に設置されたレーダーサイトを認めた。
 「こちらフェンリル01。これより敵レーダーアンテナを狙撃の後大回りして前面を迂回、演習場方向から叩く。ドンパチが始まったら突入してくれ」
 応えも聞かず、ヴァッシは背面に装備されたロビタMk-2を展開し、叢雲に搭載された超長距離射撃管制用FCSとそれを同期させた。
 本来は100km以上の距離において航空衛星とリンクして射撃を行うためのFCS。8000mなど目と鼻の先に等しい。
 トリガーを、引いた。



 同日同刻 帝国軍相馬基地滑走路上

 基地襲撃の際に38機の内7機が先に逝った。残り31機。核という札がある以上、軍は何らかの形で動くだろう。
 彼らはそれを待っていた。
 「朱鷺重大尉」
 朱鷺重は副官からの通信で浅い眠りから揺り起こされた。
 「ん……ああ、どうした、繭李?」
 頭を振って眠気を飛ばすと、朱鷺重の不知火壱型丙が振り向く―――瞬間。
 バンッ、と鋭い音と共に、基地施設上のレーダーアンテナが弾け飛んだ。
 来た。
 待ち望んだ敵が来た。
 「全機起動!! 来たぞ!!!」
 教導団所属の不知火壱型丙を始め、この再起に着いて来た衛士の陽炎や激震が立ち上がる。
 が、着弾から25~24後に砲声を聞いたきり、何も起こらなかった。
 それから10分ほど、皆がいい加減痺れを切らし始めた頃。
 『ぉごっ』
 「仲原!!」
 また一人、先に逝った。彼は演習場側にいた。迂回してきたのだろう。
 「9時から11時方向、演習場側だ!! 探れ!!」
 朱鷺重は全隊に通達し、自らもレーダーコンソールを覗くが、そこには何も映らなかった。
 皆が動けずにいる。そして。
 ばがんっ
 鋭い砲声。また一人、陽炎に乗った衛士が逝く。
 そこか。
 砲声がした方を見る。そこには、見たこともない、巨大な灰色の戦術機が泰然として立っていた。



 「これで29機か……」
 想定よりは少ないが、それでも圧倒的な戦力差に変わりはない。
 コイツに乗り換えてよかった、とヴァッシは思った。
 多対一の状況が今までなかったではない。不知火一個中隊を単機で相手にしたこともあるが、アレは闇討ちに近いやり方だったし、はっきり言って相手の錬度もさほど高いものではなかった。
 だが今回の相手は本物だ、とヴァッシは思った。
 一機を特殊長刀で仕留め、その後ステルス性能を利用していいポジションを探してもう一機狙撃した途端、叢雲の巨体は捕捉された。
 (せめて20機くらいまでは減らしときたかったが……うだうだ言っても始まらねぇか)
 さぁ死ね、とヴァッシはFCSをクイックドローへ。
 多目標同時捕捉機能が強化されたCPUとフェイズド・アレイ・レーダーが一度に10機の戦術機をロックする。
 その時には既にクーデターの残党は叢雲へと向かってきていた。
 そして、システムがトリガーを引いた。
 4門の突撃砲とラブレスが自動で砲弾をばら撒く。それに併せて手持ちの突撃砲のトリガーも引き絞った。
 分間数千発の36㎜劣化ウラン芯徹鋼弾が敵機を穿ち、40㎜ペレット弾は敵機の目前で炸裂し、小粒の劣化ウランペレットを撒き散らし、蜂の巣とする。
 「ヒュゥ」
 阿呆みたいな火力だ。分間ウン万発の36㎜弾と分間870発の40㎜劣化ウランペレット弾。
 10機の戦術機が瞬く間に粉砕され、千切れ飛ぶ。流れ弾で散ったのを合わせると、17機喰った。
 システムのロックが切れる端から別の機体に目をや―――ろうとしたとき、ヴァッシはあり得ないものをその視界に捕らえた。
 40㎜劣化ウランペレット弾の最大100mにもなる殺傷範囲と湯水のように垂れ流される36㎜弾の弾幕を掻い潜る1機の不知火壱型丙。
 それを認識した瞬間、ヴァッシはクイックドローをキャンセルし、ロビタを含めた全火力をその機体に収束した。
 しかし。
 「避けんのかよ……!!」
 その不知火壱型丙に、一発たりとも命中しない。
 一方でその不知火壱型丙のパイロット、朱鷺重も頬に一筋の汗を滴らせていた。
 (なんだあの火力は!?)
 「全機不明機の射線から外れろ!!」
 指示を出し、朱鷺重は叢雲に突進する。距離が近付くにつれて濃密になってゆく弾幕も、朱鷺重には当たらない。
 ヴァッシのコックピットでアラートが鳴る。砲身加熱。
 これ以上のバーストは危険だと断ずると、ヴァッシは突撃砲上部の120㎜砲を自分と朱鷺重の中間に撃ち込んだ。
 「ぬッ」
 爆炎と飛散したコンクリートの破片でお互いの視界が塞がった。その隙にヴァッシはリバーススラスターを吹かして遮蔽物に隠れる。
 「あり得ねぇ……!!」
 36㎜のマガジンを交換し、レーダーに注意を払いながらヴァッシは毒づいた。自問する。
 俺が不知火壱型丙に乗ったとして、この弾幕を回避できるか? 否。確実に蜂の巣だ。グレイゴーストでも不可能だろう。
 ヴァッシの口角が歪んだ三日月を形作る。
 これほど純粋に闘争を愉しく思ったのは随分久しぶりな気がする。
 クーデターの時は相手が脆くて愉しめず、輸送作戦はシュウァルツとレティシエがいたために愉しむどころではない。
 11/11のBETA捕獲作戦では詰まらない仕事の所為で意気が削がれ、演習場でのBETA奇襲は少し愉しかったが、その後のことでその気分はすっかり吹き飛ばされた。
 そこへ来て。
 あの不知火は愉しい。莫迦みたいに強い。
 ヴァッシは自分より優れる衛士を見るのは随分久しぶりだった。
 ドイツからアメリカに渡って入隊したノースロック・グラナンのテストチームにはおらず、CIAに一人とオルタネイティヴ3に協力した時に共に行動したロシア人の一人に化物染みた衛士がいたが、その二人だけだ。
 そのどちらよりもあの衛士は強い。遥かに強い。
 ヴァッシは煙草を咥え、火を点けた。酷く、昂ぶっていた。
 一方の朱鷺重は舌打ちしたい気分だった。
 朱鷺重は射線をかわしながら36㎜を叢雲に撃ち込んでいたが、その悉くがその強固な装甲に阻まれていた。異常な重装甲。120㎜APFSDSでも抜けるかどうか。
 「繭李!! 応答しろ、繭李!!」
 『朱鷺重大尉、御無事で!?』
 副官の応答を聞き、朱鷺重は安堵の溜息を零した。
 「お前に隊の指揮を任せる。正直言って、コイツの対応で精一杯だ。それに幾らあの性能とはいっても単機駆けとは考え難い。仲間がいるはずだ。そいつ等はお前らの方でどうにかしてくれ」
 『了解』
 さぁ出て来い、と朱鷺重は身構える。朱鷺重は相手にしている戦術機、叢雲がステルス性能を持つことを先ほど了解した。
 後手になる。
 120㎜の弾倉を榴弾からAPFSDSに付け替える。手持ちの火器であの装甲に抗することが出来るのはこれと、後は長刀だけだろうとの判断だ。36㎜など牽制の役にも立つまい。
 ヴァッシが施設の影から飛び出し、火線を張ったのはそんなときだった。
 それを朱鷺重は機体性能を最大限以上に発揮した機動で回避し、回避し、回避し―――叢雲の懐に飛び込んだ。
 「ッ!!!」
 ヴァッシは息を飲む。そして胸部に突きつけられた120㎜の砲口から、APFSDSが発射された。
 ごがんっ!!
 凄まじい轟音と衝撃がヴァッシの体を揺さ振り、叢雲はノックバックした。
 しかし、それだけだ。
 零距離から放たれたAPFSDSはしかし、叢雲の胸部装甲にめり込んだだけで完全に防がれている。
 「なにっ!?」
 これでも抜けないのか、と朱鷺重は驚愕し、一瞬動きが止まる。それを逃すヴァッシではない。
 右腕特殊長刀の刀身を展開し、朱鷺重の不知火壱型丙に斬り付けるが、これも難なくかわされる。
 距離を取った朱鷺重は手持ちと担架に装備した突撃砲2門を投棄した。
 36㎜は欠片も効果を発揮しない。120㎜APFSDSも防がれる。ならばこれはデッドウエイトにしかならない。
 不知火壱型丙が長刀に手を掛ける。爆裂ボルトが弾け、長刀を解放した。
 右腕一本でそれを保持させ、左手には短刀を握らせた。
 それは彼の最も得意とする戦闘スタイルだ。
 長刀と短刀の両方を用いた変則的な近接格闘。長刀の威力は高いが、短刀の方が迅い。そしてその両方を同時に扱うだけの技量が、朱鷺重にはあった。
 それを見てヴァッシは僅かに困惑したが、朱鷺重同様に突撃砲6門を全て投棄した。
 36㎜は当たらない。120㎜も当てられないだろう。ならば機体重量を1kgでも、1gでも、1mgでも軽くした方がいい。
 そして右腕の特殊長刀を収納し、両方の手にカーボンマシェットをしっかと握り締める。
 特殊長刀が最大の威力を発揮するのは収納状態からの刺突だ。電磁カタパルトで加速された重い刀身が、突き出す腕の速度を上乗せして突き出されるためである。

 対峙は一瞬。
 踏み込んだのはヴァッシが先だ。4基のジェットエンジンと2基のロケットエンジンが齎す9,5Gの圧倒的な加速度。胸が押し潰されるような感覚がヴァッシを襲った。
 一瞬で間合いを詰め、マシェットを振り下ろす。
 朱鷺重はそれを難なく避けると叢雲の腕の中に潜り込み、短刀で切り上げる。が、当然のように弾かれた。
 ヴァッシはこのとき既に、目の前の機体とやりあうには特攻染みた攻撃を続けるしかないと理解していた。
 叢雲の正面装甲性能は不知火壱型丙の長刀以外の装備では貫けない代物だ。その上で機動性能は叢雲の方が上。ならば間合いは自らが押さえればいい。
 相手の長刀が届かない間合いか、長刀を振れない間合い。幾ら疵付いても構わない。致命傷でなければ関係ない。
 そして振れない間合いに不知火をおびき寄せたヴァッシは、更にバーニアペダルを踏み込んだ。
 叢雲の圧倒的な質量が不知火を弾き飛ばす。
 ヴァッシはそれに追い縋ると、右腕の長刀を振り抜いた。当然のようにかわされる。が、これはブラフだ。
 朱鷺重が回避した方向に向けて、左腕の長刀を突き出し、刀身を展開する。
 これも朱鷺重は一足で間合いを離し、これを避けた。たった二回その刀身を見たのみで、朱鷺重は特殊長刀の間合いを掴んでいた。
 が、そこから先があることまでは、知らなかった。
 ブレーキが解放され、刀身が射出される。迫り来る鋼の塊を、朱鷺重はこれまた回避する。
 そのまま長刀を振り下ろす朱鷺重に対して、ヴァッシは再びペダルを踏み込んだ。
 初動の枕にある長刀の根元が叢雲の左肩に食い込む。が、破壊には当然至らない。
 長刀が最も威力を発揮する状況は刀身が振り下ろされ、十分に加速された時だ。そしてその切先が最も高い破壊力を持つ。
 そのいずれもを満たさない長刀は然したる破壊力も示さぬまま弾き返された。
 ヴァッシは僅かに体勢を崩した朱鷺重の不知火壱型丙を左腕の特殊長刀担架で殴り飛ばし、突進する。
 と、その時だ。
 叢雲のコックピットの中でアラートが点灯した。ロケットエンジンが過熱し、セーフティーが作動して自動で焔の噴出を止めていた。
 ガクリ、と叢雲の速度が落ちる。
 拙い、とヴァッシが思ったときには既に、朱鷺重の不知火壱型丙は長刀を頭上高く振りかぶり、振り下ろしていた。
 その白刃を反射的に左の長刀担架で受け止める。その表面を覆う蒸散装甲板が砕け散った。
 それほどの衝撃を受けてなお軋みもしない叢雲のフレームに感心するよりも早く、ヴァッシはそれを受けた長刀担架を不知火に向けて放り投げた。
 ロケットブースターは使えなくとも、それ抜きでも叢雲は8,5Gを越える加速度を発揮する。
 その加速度と腕の突き出しを併せ、左手のマシェットを突き出す。が、不知火の短刀がそれを横から突き刺した。
 叢雲の手からマシェットが奪われ、再び不知火の長刀が振るわれる。
 ヴァッシはこれを右腕特殊長刀で受け、膝部短刀ラックから短刀を抜き打った。
 これもかわし、朱鷺重は間合いを開けた。そこに向けて、ヴァッシは短刀を投擲する。
 叢雲へと突撃の構えを見せていた不知火はこれで初動を潰された。
 ヴァッシは右手のマシェットを左手に持ち替えると、再度突撃を敢行。特殊長刀を納刀し、マシェットを振り回して間合いを抉じ開けると、特殊長刀を展開しつつ突き出した。
 朱鷺重は腰溜めに長刀を構えてそれに向かった。突き出される刀身を掻い潜り、長刀を突き立てる。その切先は咄嗟にハイマニューバスラスターで左に回避行動を取った叢雲の腰、その左側に装備された特殊長刀の刀身ラックを吹き飛ばした。
 両機が交錯する。
 間合いが大きく開き、両者はその動きを止めた。
 ヴァッシは嗤っていた。
 愉しい。美味し過ぎる。
 ぺっ、とヴァッシは煙草を吐き捨てた。コックピットに吸殻が転がるが、ヴァッシは気にしなかった。
 朱鷺重は冷汗をかいていた。
 無茶苦茶だ。異常に過ぎる。
 あの戦術機の衛士は自機とこの不知火壱型丙の性能差を最大限に活用し、自らに迫ってくる。さながら獣のように。
 数瞬の対峙。両機は再び激突した。
 ヴァッシの繰り出したマシェットを朱鷺重の短刀が逸らし、朱鷺重の長刀は懐に潜り込んだ叢雲の肩部装甲ブロック外側に装備された着脱式装甲板を叩き割るに終わる。
 突き出した特殊長刀は不知火壱型丙の左腕に抱え込まれ、返すように振り下ろされた長刀をヴァッシは左手のマシェットを放り投げ、腕を掴むことで防いだ。
 機体の頭部が触れ合うほどの至近距離で、2機の戦術機は硬直した。
 ヴァッシはバーニアペダルを踏み込んだ。不知火壱型丙のそれを遥かに上回る推力が、抗うことを許さずに朱鷺重の機体を基地構造物へと押し付けた。
 その拍子に、特殊長刀の刀身が跳ね上がり、不知火壱型丙の左腕に触れた。
 貰った、とヴァッシはトリガーを引き絞る。
 刀身から紫電が迸り、不知火壱型丙の電子回路をかき回す。
 しかし、朱鷺重はやはり朱鷺重だ。咄嗟に回路から左腕を切り離し、ショートを左腕のみに留めたのだ。
 が、叢雲はそうはいかなかった。不知火壱型丙が触れていた腕から感電し、自らの電子回路を混乱させていた。
 脱力する叢雲を邪魔そうに押しのけ、不知火壱型丙が立ち上がる。
 その巨体を見下ろした朱鷺重は、止めを刺すべく長刀を振り上げた。
 振り下ろす、直前。
 朱鷺重の耳は後方での爆発音を捉えた。
 振り返れば、再起した同胞が国連色の不知火と吹雪合わせて12機と、二色の武御雷に攻め立てられている所だった。
 恐らくは朱鷺重とヴァッシの一騎打ちに目を奪われていたのだろう、背後からの奇襲を受けていた。
 為す術もなく6機が逝き、後の5機も数で押し包まれ、次々に倒れていった。
 「騎兵隊の到着だ」
 ヴァッシは、嗤った。





登場人物設定



浦城(うらき) 朱鷺重(ときしげ)

身長:180㎝ 体重:72㎏ 頭髪:黒 年齢:40 国籍:日本 搭乗機:不知火・一型丙 階級:大尉 原隊:帝国陸軍富士教導団戦術機教導隊第2中隊 所属部隊(組織):クーデター軍

 霧耶家の分家頭首で、澪の伯父に当たる。武人と言える人柄で、義を重んじる傾向にある。長刀と短刀の両方を用いた変則的な近接白兵戦闘を得意としている。
 沙霧のクーデターに賛同し、教導団ぐるみで参加したが結局クーデター本隊は沙霧の死亡を以って鎮圧され、浦城達残存兵力は地下に潜り、それから間を置かずに再びクーデターを起こした。
(イメージカラー:黒鉄色)



[4380] 第五部 第三話
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/08/29 01:10
 残党軍を全て打ち倒したと見るや、霧耶とレティシエはヴァッシの駆る叢雲の姿を探した。
 そして、目に入ったのは。
 基地施設にその身をうつ伏せにめり込ませ、ピクリとも動かない叢雲の巨体と、そのすぐ傍に立つ、左腕をだらりと下げ、全身の装甲に凹みが目立つ露軍迷彩の不知火。
 「ヴァッ……シ?」
 霧耶がフェンリル01にコールするが、応答はない。
 まさか。そんな馬鹿な。あの男が死ぬわけがない。
 ありえない。ヴァッシは死なない。ヨーロッパでだって死ななかったのに。
 「フェンリル01!! 応答して!! フェンリル01、応答を……返事をしてぇっ!!!!」
 レティシエがコール。やはり、応答はない。
 「ツッ……!!」
 霧耶の口から声にならない叫びが溢れ出た。
 悠然と彼女達を見る―――霧耶にはそう見えた―――不知火壱型丙を睨んだ。
 お前が、ヴァッシを。
 霧耶は、レティシエに先んじて飛び出した。
 「貴様ァァァァァァァァァ!!!!」



 ヴァッシはコックピットから這い出した。
 そして視線を巡らせ、叢雲と、次いで不知火壱型丙を見た黄色い武御雷がその不知火壱型丙に飛び掛るのを見たヴァッシは、思わず身を乗り出した。
 「あンの莫迦……!!」
 そして武御雷が不知火壱型丙に切り捨てられる未来を予測した。が、それは起こらなかった。
 「……?」
 不知火壱型丙の動きが妙だ。厭に鈍い。
 しかし垂れ下がった左腕に振り回される様子も無いし、スタンで回路が麻痺しているような様子も無い。
 そういえば、とヴァッシは夕呼の言葉を思い出した。
 "帝国陸軍富士教導団戦術機教導隊第二中隊指揮官、浦城朱鷺重大尉だそうよ"
 "なに、アンタの知り合い?"
 "まぁそうね。死にたいんでしょう"
 チッと舌打ちすると、煙草を咥えて火を点けた。
 「興醒めだ」
 もう一つ舌打ちし、さっさと殺されろ、とヴァッシは呟いた。
 煙を吐き出す。
 吸い慣れた筈のその煙草は、酷く不味かった。



 レティシエは霧耶の暴走を止めようとしたが、2機の演ずる格闘戦に自らは手を出せないことを理解して、留まった。
 その視線の先で、霧耶は怒りに任せて長刀を繰り出す。
 「貴様が、貴様がヴァッシを!!!」
 自らにも理由の解らぬ激情に、霧耶は翻弄された。
 「貴様が!!!!」
 朱鷺重は自分に飛び掛ってきた武御雷のパイロットが自らの姪、霧耶澪であることに直ぐ気付いた。
 可愛い姪っ子が斯衛に入隊したことは知っていたし、家の位からして黄色ないしは赤であることは想像がついた。
 それ以上に朱鷺重がその衛士を霧耶であると断じた最も大きな理由。
 太刀筋が、自らが霧耶に教えたそのままだった。
 接触回線から聞こえる声が更にその確信を補強する。
 再び、武御雷と不知火壱型丙の長刀が噛み合った。
 朱鷺重は接触回線を開く。
 「久しぶりだな、澪」
 「伯父、上?」
 ああ、とその声に応じ、朱鷺重は長刀をいなした。
 体勢を崩した霧耶は振るわれる長刀を辛うじて受け止め、距離を取った。
 対峙。霧耶が飛び出し、朱鷺重は動かず、待ち受ける。
 霧耶の駆る武御雷が振り下ろした長刀を、朱鷺重の不知火壱型丙が難なく受け止める。
 「叔父上!! 何故なのですか!! 将軍家が態度を改めた以上、貴方方の目的は達せられたはずです!!」
 そこにはその上で何故ヴァッシを、あの皮肉気な男を殺したのか、という詰問にも似た響きを含んでいた。
 「……」
 朱鷺重は応えない。唯、二機の戦術機のフレームが軋む音が互いのコックピットの中に響いていた。
 その中で、遂に朱鷺重が口を開いた。
 「…………帝国軍人として……」
 不知火壱型丙と武御雷の合わせる長刀が音を立てて擦れあい、火花を散らした。操作幹を押し込みながら、なお朱鷺重は続ける。
 「沙霧中佐に賛同した者の一人として」
 霧耶は刀身を傾け、長刀を流す。反す刃を不知火壱型丙の肩に落とすが、朱鷺重の切り替えしの方が早く、その斬撃は呆気なく弾かれた。そして朱鷺重はそのまま大上段から長刀を振り下ろし、叫ぶ。
 「一人の武人として!!」
 霧耶は頭上に掲げた長刀でそれを受けるが、朱鷺重の加重が巧い。武御雷はその脚を徐々に滑らせて行く。
 「如何に将軍家がその態度を改めようとも……!!」
 霧耶は再びそれを流し、逆噴射によって間合いを開け、体勢を整える。長刀を正眼に構え、再びと朱鷺重と相対した。
 「一度刻んだ信念を―――――違える訳にはいかんのだ!!!」
 「貴方は……ッ!! どうしてそんなに頑ななのですか!! それだから……ッ!! ヴァッシは!!」
 朱鷺重は長刀を構えなおし、身構えた。 
 「切先を向け合っての問答など埒もない。言葉は無粋!! 押し通れ!!!」

 そこから先は一瞬だった。
 武御雷の長刀が、長刀を振りかぶった"だけ"の不知火壱型丙を袈裟に斬り捨てた。
 「え……?」
 霧耶は思わず惚けた声を出した。莫迦な。何故。
 「これで……いい……」
 掠れた朱鷺重の声が、霧耶を打ちのめす。
 何故だ。貴方ならば。
 「な、何故ですか!? 私を―――――斬れたでしょう!?」
 「確かに、斬れる。だが……既に俺の、俺たちの目的は達せられた。将軍家がどうのなど最早どうでもいい。それは既に済んだ話だ」
 朱鷺重のコックピットはレッドアラートで埋め尽くされている。袈裟に斬られた際に飛び散った破片で額が割れていた。
 霧耶は伯父の、理解できない告白に耳を傾ける。それ以外に術を知らない。
 「俺たちは投降を拒否した時点で、この再起が無意味なことなど重々承知していた。それこそ……徒に国を騒がせるだけだと、承知していたのだ」
 朱鷺重はシートにもたれかかった。その表情は、いやに満足げだ。
 「俺たちが再起した目的はただ一つ。称号が欲しかったのだ。理想に殉じた兵士、と。死にたかったのだよ。あのまま投降しても逆賊としての生が待つのみ。そんなものは到底了解出来ん。ならばせめて理想に殉じて逝きたかったのだ。信念を違える事がなかったと証明して、な」
 朱鷺重はそう言って、コックピットを解放してそこから一振りの、抜身の打刀を投げ出した。
 回転し、ひゅんひゅんと風を斬りながら飛んだその刀は、硬い音を立てて地面に突き立つ。
 未練だな、と朱鷺重は自嘲した。
 直後、不知火壱型丙は木っ端に散った。



 霧耶が不知火壱型丙の残骸と、打刀を前に膝を付いた。
 「叔父上…………」
 その霧耶を、A-01の皆は遠巻きに眺めるばかり。その中から、ヴァッシが歩み出た。
 その脚音に霧耶は振り返る。その目が見開かれた。
 「ぁ……」
 ヴァッシが生きていたことへの安堵と歓喜は、直後に恨み言へと変貌した。
 見る見るうちに霧耶の眼に涙が溜り、瞬く間に零れ落ちる。
 「お前が……お前が私に殺させた!!! お前が……ッ、お前がぁっ!!!!!」
 行き場のない悲しみと慟哭。そして怒りに、霧耶は啼いた。ぶつける先を目の前の男に求める以外になかった。
 ヴァッシはそれを、哀しげな瞳で眺めていた。その表情は何処までも物憂げだ。そこには、ふりではない絶望が透いて見える。
 行き場のない悲しみ。
 燃え尽きた約束の地。
 行き場のない慟哭。
 焼け付いた掌の痕。
 よく解る。が、よく解るが故に慰めることは出来なかった。それは他人がおいそれと足を踏み入れていい領域ではない。
 だからせめて、と言葉を投げる。
 敢えて、冷たく聞こえる言葉を。
 「そうだ。俺が、お前に。そうするように命令した。殺せ、と。容赦なく残酷に、と。俺が、命令した」
 その言葉に、霧耶は立ち上がるとヴァッシの胸を叩いた。何度も何度も、叩いた。
 「お前が……ッ」
 弱弱しい拳。ヴァッシはそれに叩かれるに任せた。
 「養成校で習ったろ。軍隊では命令を下した者がその全ての責を負う。決して、命令を遂行した者では、ない」
 だからお前に責はない、とヴァッシは言った。他人であるヴァッシには、それくらいしか出来なかった。
 「お前が!! 叔父上を!!! 私に!!!! お前があぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 泣いてお前の気が晴れるなら幾らでも泣けばいい。俺を責めてお前が救われるなら幾らでも俺を責めろ。
 せめて悼め。せめて忘れるな。他の誰が悼まずとも、他の誰が忘れても。せめて、お前だけは。

 残された者には、それくらいしか出来ないのだから。



[4380] 第五部 第四話
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/12/02 22:06
 レティシエはヴァッシを責める霧耶を少し哀しげで、また僅かばかり羨ましげな目で眺めていた。
 羨ましい。
 彼女には責めさせてくれる誰かが存在する。そして、彼女は情に任せてそれが出来るほどには愚かで、また綺麗なままだった。
 それは幸福なことだ。それがその人の悲劇を終わらせる。その人の悲劇に区切りを付ける。
 だが、とレティシエは思う。
 彼が責めることの出来る人は何処にいる?
 賢しい彼が、誰を責められる?
 薄汚れた彼の、隠された悲劇には誰が終止符を打ってくれる?
 少なくとも、私では―――――ない。
 レティシエは、流れることのないヴァッシの涙の行方を思った。



 12/11 2027 国連軍横浜基地ハンガー

 「ったく、派手にぶっ壊しやがってあのクソガキ。あーあー、電子回路丸々オジャンかよ。全交換だな、こりゃ……。ぁん?」
 ディークが叢雲の外装交換作業と回線交換、諸々の指示を出していると、黄色い武御雷の前で項垂れる霧耶が目に入った。その手には、抜身の刀が握られている。
 ふむ、と鼻を鳴らす。
 「ミック、後任せるぞ」
 「え、ちょ。班長!!」
 なにやら叫ぶ副班長を端から無視し、ディークは霧耶に近寄った。
 「よう。凹んでるな」
 声をかけられた霧耶は顔を上げ、班長の顔を見た。霧耶の目は真っ赤に充血し、顔もなんだか腫れぼったい。涙の跡もありありと見て取れた。
 「貴方は確か……」
 「おう、あのデカブツの専属整備班班長のディークだ。で? 何があった。俺でよけりゃ言ってみな」
 そう言われて、霧耶は事の顛末を彼に話し始めた。
 誰でもいいから話を聞いて欲しかった。
 「成程ね。ったくあの馬鹿、読まなくていいところで空気読みすぎなんだよ。そのくせ普段は全然読みゃしねぇ」
 嫌われ役のなにが楽しいのか、とディークは思った。
 「お前さん、アイツの昔の話は知ってるか? ドイツの第一装甲師団でどうのってヤツ」
 霧耶は小さく頷く。つい先日聞いたばかりだ。
 「ん。じゃあ解ると思うが、アイツは一回―――それ以前はしらねぇが―――とんでもなく大きな挫折を味わってるわけだ。それになんだ、シュッツガルドのお嬢ちゃんとあともう一人か。そのもう一人の方、自分で殺してるんだぜ。自分以外でたった二人の生き残りの内、一人を。どんな気持ちだったろうなぁ」
 その言葉を聞いて、ヴァッシを慮ることのなかった自らを、霧耶は恥じた。
 自分にはまだ帰る家がある。彼にはどうだ?

 あるわけが、ない。

 黙りこくった霧耶を見て、ディークはこれは根が深いな、と理解した。時計を見る。2030を少し回ったところ。
 「……裏の丘があるだろ。行ってみろ。今の時間ならクソガキが夜歩きに出てる時間だ。腹ぁ割って話して来い。グジグジ悩んでてもどうにもならねぇだろ」



 ヴァッシは何時も通り基地裏の丘の木の下で、煙草を吹かしていた。12月の冷たい風が煙を攫う。
 灰を落とし、短くなった煙草を投げ捨てようとしたが、下は枯葉が敷き詰められている。このまま投げて火でも付いたらことだ、とヴァッシは木の幹で火を消し、吸殻を投げた。
 その軌跡を目で追うと、その先から霧耶が歩いてくるのが見えた。
 「……よう。訓練か?」
 敢えて軽い口調で言ったヴァッシに対して、霧耶は気まずそうに視線を逸らした。
 ああ言われて丘に来てはみたものの、何を話したものか解らない。
 沈黙が続き、漸く霧耶は口を開いた。
 「その……さっきはすまなかった。当たってしまって」
 「……別に気にしちゃいねぇよ。当たるように仕向けたのは俺だ」
 だが、と霧耶は言い募る。ヴァッシはそれを遮った。
 その目は、巫山戯た物ではなく、酷く疲れたような目だった。
 「こういう物言いになっちまうのは勘弁してくれ。一つ、お前はまだマシな方だ」
 その言葉に、霧耶は再び頭に血を上らせかけたが、こういう言い方をするときは、ヴァッシは某かの言葉を与えようとしているときだと理解して、堪えた。
 「お前は伯父貴を殺したな。戦術機戦で。あるドイツ人は顔を見ながら殺した。銃でな」
 霧耶は"あるドイツ人"は目の前の男で、"顔を見ながら殺した"のは一月前のシュウァルツのことを言っているのかと思ったが、ヴァッシの言葉は更に凄絶だった。
 「ソイツは10幾つでドイツ第一装甲師団に入隊した、まぁエリートだったんだが……ソイツの家族はソイツも含めて呪われてる。どうしようもないクソばっかりだった」
 ヴァッシは言って煙草を咥え、火を点けた。
 吸い過ぎだ、と何処かで思うが、こんなことは素面じゃ話せないな、とそのまま紫煙を味わった。
 「ナチの亡霊に憑かれた爺さん。決して戻らねぇ過去の栄光の中をたゆたう婆さん。見当違いの努力を続ける無能でろくでなしな、呑んだくれの父親。優しい優しい、優しすぎたから死んだ莫迦な母親。その中で自分はコイツ等とは違う、と暗示し続けた本人」
 言葉と共に吐き出した紫煙は速やかに融け、空を汚した。
 その煙はやはり、不味い。
 「先ずはソイツの爺さん。ナチの将校で、SS第一装甲師団の戦闘団を一つ預かってたお偉いさんなんだが、ソイツの銃は」
 言って、ヴァッシはホルスターに入ったモーゼルを抜いた。
 「爺さんがメーカーに発注して造らせたモンだそうだ。で、大戦終結してその爺さんは退役したそうだが、ソイツがガキの時分に部屋で勉強してた時、その銃の整備中の事故でソイツの婆さんが死んだ」
 「……え?」
 「銃声に驚いて居間に降りてみれば血の海。で、次は父親。食後に居間でテレビ見てたら母親がべろべろに酔っ払って外から帰ってきた父親を咎めた。で、それに逆上した父親が母親を撃ち殺した」
 霧耶はもう言葉もない。ヴァッシは彼女が想像していたよりも遥に凄惨な人生を歩んでいたことが、容易に知れた。
 「最後にソイツ本人」
 虚空に銃口を向け、遠い何かを狙う。
 「父親が母親を撃ち殺した時、その場で父親の手からその銃を奪って父親を撃ち殺した。マガジンに残ってた弾全弾撃ち込んで、な」
 頭に2発、咽喉に2発、心臓に2発、腹に3発、とヴァッシは小さく呟いた。厭に冷静にトリガーを引いていたあの日の自分を思い出す。
 「それと最近になって昔同じ部隊だった、敵対組織に入った男を撃ち殺した」
 ヴァッシの口調は、この期に及んで軽い。表情とのちぐはぐさが、霧耶の胸に蟠りを生んだ。
 ふっ、とヴァッシの鼻から息が洩れる。自嘲の嗤みだった。
 「ソイツだって別に、悲劇的な人生を歩みたかったわけじゃねぇ。ガキの頃の夢がなんだったか教えてやろうか。笑うなよ? なんと学者様だ。まぁ子供らしいっちゃァ、らしいやな」
 歳が一桁だった頃の純真な自分を思い出し、本当に餓鬼だった、と嗤った。
 「だがソイツも初等学校の中頃を過ぎると、現実ってモンが見えてきた。能力云々じゃねぇ、家のほうだ。周りからの目にも気付き始める歳だからな、どうやら自分の家はおかしいらしい、ってことが解ってきたのさ。そこでソイツは家族、特に男衆に対して強烈なコンプレックスを抱いたわけだ。時代の見えてねぇ耄碌しかけの爺さんに穀潰しだからな。相当だ」
 煙を吐く。その息で、灰が落ちた。僅かにこびり付いた燃え差しが、地に落ちる前に燃え尽きる。
 「そんな頃だ。さっき言った暴発事故が起きたのはな」
 ヴァッシは木の幹に背中を預けた。上を向けば、満天の星空。なんとも不似合いだ、とヴァッシは思った。
 「そのときは単に不幸な事故で話は済んだ。問題は次さ」
 霧耶は膝が震えるのを、どうにか堪えていた。ヴァッシの言葉、それを聞けば自らがどれ程幸せな人生を歩んできたかが、容易に知れる。
 「それから2年ばかりして、お袋が殺されたのは俺の目の前だった。何時も通り親父が酒の臭いをプンプンさせながら外から帰ってきて、これまた何時も通りお袋がそれを咎めた。何時も通りじゃなかったのは親父の蟲の居所が悪かったことさ。大方博打で負けでもしたんだろうよ。そのままばぁん、だ」
 霧耶はヴァッシは気付いているのだろうか、と思った。彼の話は既に"あるドイツ人"の物語ではなくなっているということに。
 「俺は切れた」
 ヴァッシは短くなった煙草をやはり木の幹で揉み消し、放り投げた。
 「親父に飛び掛り、モーゼルを奪い取ってトリガーを引いた。頭に二発、首に二発、心臓に二発、腹に三発。頭の時点で即死だったがね」
 そこまで言ったヴァッシはもう一本の煙草を咥えようとして、やめた。もうストックが少なくなっていることを思い出した。
 「親父の腰からホルスターを毟り取ってそのまま家を―――空っぽのモーゼルを持ったまま―――出て、軍の募集所に飛び込んだよ。当然一悶着あったがね。爺さんの名前―――パイパー・ウレンベック―――の名前を出したらお偉方がサクッと通してくれたよ。で、まだ10ナンボの餓鬼を士官学校に入れてくれた」
 あれだけ嫌っていても、結局家族の名前を体よく使った自分の小賢しさを嗤う。確かにあれはいい手だった、と自嘲した。
 幾らナチスの亡霊とは言えど、名のある軍人に違いは無い。それにあの爺さんは結構な額を軍に寄付していたはずだ、とヴァッシは思い返した。
 「2年で卒業して第一装甲師団に配備されて、最前線に出た。努力だけはしたからな、そのときから腕だけはイッチョ前でよ。最初の実戦は中国への派兵だったんだが、そこで死の8分はパスした。その後の任務は対人戦だ」
 ヴァッシは霧耶を見なかった。何故こんな話を目の前にいるであろう少女にしているのか、解らなかった。
 「特に疑問は無かった。俺が軍に入ったのは意地と見栄でだからな。人類がどうとか国がどうとか、そんなのはなかったよ。ま、家族へのコンプレックスの所為でエリート意識だけは人一倍だったがね。どうだ、俺は凄いんだぞ、ってな。でもな、そのときに、だ。一つ気付いたことがあった」
 何故、とヴァッシはいつも思う。何故自分は"ヴァッシ・ウレンベック"として生まれてきたのか、と。
 そしてそう問うたびに、なんとも深い問いだ、と嗤う。そしてそんなパラノイアックなことを語りたいのならば哲学者―――皮肉にも幼い頃の夢に酷く近い―――にでも成ればよかったのに、と思うのだった。
 「顔の無い兵士を殺すのと、顔のある"誰か"を殺すのは全く以て違う。同じ様に"誰か"の顔を見ながら殺すのと、他の"ノーフェイス"と同じように殺すのとは訳が違う」
 逆も然り、とヴァッシは言う。霧耶にはなんとなくしか解らない。そんな霧耶の顔を見て、ヴァッシは嗤った。酷く遠い眼差しだった。
 「…………それが解らないなら。お前はまだ幸せだよ、霧耶。お前はまだ綺麗なままだ」
 そう言って、ヴァッシはモーゼルを掲げる。
 「俺はな。コイツを握ってる感覚も、トリガーを引く感覚も。メシの味も、煙草の味も、顔洗う時の水の冷たさも、ベッドの感触も、何もかも。全部が全部―――あやふやなんだよ」
 そして最後に、ヴァッシは酷く奇怪な表情を浮かべた。泣き笑いのような顔だった。そしてそれに気付いていない顔だった。
 「汚れろ、霧耶。本当に綺麗な物は―――――失ってからじゃなきゃ、気付かないんだよ」



 ヴァッシの去った丘の上で、霧耶はヴァッシの言葉を反芻した。
 "汚れろ、霧耶"
 私は、と小さく呟く。
 私は、汚れていないのだろうか。
 "本当に綺麗な物は―――――失ってからじゃなきゃ、気付かないんだよ"
 彼は、と。
 彼は、失って、そして気付いたのだろうか。
 "お前はまだマシな方だ"
 確かに、そうだ。起こった事柄もそうだが、霧耶は恥も外聞も無く泣き喚き、ヴァッシを責め立てた。それが出来た。それで幾分気が晴れたことは間違いない。
 しかし。
 ヴァッシに、それが出来たのか?
 霧耶には解らなかった。
 彼の持っていた綺麗な物はなんだ。私が持っている―――持っていた?―――綺麗な物とはなんだ。
 ヴァッシの表情。それにそぐわぬ気味が悪いほどに何時も通りの口調。
 霧耶には、解らなかった。
 だが、と彼女は一つ心に決めた。
 忘れない。忘れてはならない、と。

 頬を撫でる冬の風は、冷たかった。



 12/12 0654 霧耶澪自室

 自室に戻った霧耶は、朱鷺重の遺した刀の為に白鞘を拵えていた。
 忘れてはならない、と。朱鷺重のことを決して忘れてはならないと、霧耶は思う。
 きっとこの打刀は彼の遺言なのだ。だから決して、忘れない。
 削り出した鞘を組み合わせ、接着する。同じく削り出した柄と刀身を組み合わせるとき、茎(なかご)に刻まれた文字を見い出した。
 『浦城家拝刀 御神楽 傳田膳衛門芳影』
 それは刀匠が刻んだ文字だ。そして、その後にやや不恰好な文字が刻まれていた。
 『弐〇〇壱年壱拾弐月壱拾日 第八代浦城家当主浦城朱鷺重 志違フ事無キニテ候』
 霧耶はそれをじっと見詰め、目を瞑って黙祷を捧げた。
 目を開けた霧耶は柄に茎を差し入れ、目釘を打つ。それを鞘に収め、霧耶家拝刀の脇差、神威と共にベルトに通した。
 外の空気を吸おう、と立ち上がった霧耶はふと立ち止まり、御神楽の鯉口を切った。
 鈍い輝きを放つ鋼のハバキと飾り気のない刀身が覗く。別に朱鷺重が造らせた物ではないが、霧耶にはそれが朱鷺重の人と成りに相応しい物のように思えた。
 パチン、と音を立て、刀を納める。
 歩き出したその瞳は、前を向いていた。



[4380] Interlude
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/08/29 01:24
※本インタールードは本筋とは余り関わりがなく、故に別に読まなくてもストーリー進行上は全く問題ありません。

※滅茶苦茶に長いです。まぁ、スクロールバーを見れば解るとは思いますが。

※ヴァッシが弩Sです。正直ここまで(作者が)ノリノリでいいのかと思います。

※ここらでヒロイン人気投票でもしてみたいところ。対象は霧耶、朱祇、レティ、ヴァッシ(!?)の4名。さぁて勝利は誰の手に!?

※ていうか皆さん誰がメインヒロインだと思ってるのかしらん?

※因みに今回、ロリ艦長が大活躍です。





Interlude/1

 207b小隊は午前中の座学を終え、午後は不知火への慣熟訓練を行った。
 冥夜を始めとしたメンバーは先のクーデター残党蜂起の際は不知火への搭乗はせずに吹雪だったため、初の不知火搭乗となる。
 「や~、やっぱり不知火は凄いね~!!」
 確かに、と冥夜は思った。
 吹雪も決して悪い機体ではない。否、練習機としてみるならば破格と言って差し支えないだろう。が、幾ら高等の名が付こうとも所詮は練習機。実戦に耐える、というだけで衛士からしてみれば不足な部分も多くある。
 が、そこへ来て不知火は優秀―――少なくとも帝国軍衛士にしてみれば―――な機体だった。
 操作感覚も吹雪に近く、慣熟にもそれほどの時間を要さないだろう、と冥夜は満足げに思う。
 そして皆がフィッティングルームへと下がる中、冥夜は視界の端に大きな人影を認めた。
 振り返れば、そこには昨日大立ち回りを演じた先任中尉の―――名を確か―――ヴァッシ・ウレンベック。
 よれよれの第一装のままハンガーで何を、と思えば、ヴァッシはディークと話していた。
 冥夜は耳を欹てる。

―――言ったろ? 電子回路が全部焼き切れてんだよ。全交換だから今日一杯は動かせねぇ。"スタンガン"の対戦術機実戦運用は初めてだから仕方ねぇが、応急的に回路にセーフティーを噛ませる。そうすりゃ今回みたいな使い方しても胴体部に電気伝導物が触れた状態で使わなきゃ末端がイカレるだけで済む筈だ。
―――OK、その辺は任せるわ。で、チューニングなんだけどよ。やっぱりラブレスがちと重いんだわ。右脚のアクチュエーターのテンション0,3上げといてくんね? あれじゃ全力で振り回したらこける。
―――そりゃまた微妙な調整だな、おい。やってもやらなくても変わらねぇんじゃねぇのか?
―――並のセッティングならな。遊びを一杯一杯まで減らしたのは何処の誰だ?
―――そりゃここの俺だわ。しかもどっかの誰かさんが趣味でオートバランサー切るとか言う馬鹿なことやってるからな。確かに並のセッティングじゃねぇわ。
―――へ。使えてるからいいんだよ。あと"鷹の眼"の解像度が微妙に落ちてる。ソフトとのマッチング悪くねぇか?

 機体の調整に関することのようだった。興味を失った冥夜は彼らを見下ろす巨大な戦術機に目をやる。
 叢雲。
 異様な機体だ、と冥夜は思った。
 30機の戦術機部隊を一瞬にして半数以下にまでその数を減じさせた化物。
 先ず以て装備が異常だ、と思う。
 LBT120㎜L88滑空砲、LWRSS40㎜三連装回転砲身機関砲、96式特殊長刀が2基、そして6門の突撃砲。聞けばその正面装甲も120㎜滑空砲のAPFSDS零距離射撃を受け止めたという。
 その上で武御雷、不知火、吹雪と三種の帝国国産戦術機が巡航速度での匍匐飛行で10分以上掛かった道のりを、大きく迂回してなお10分に満たない時間で到達して見せた速力。
 無茶苦茶だ、と呆れを些かに含んだ溜息を零した丁度その時、タラップを上る重い軍靴の音が冥夜の耳朶を叩いた。
 はっとしてそちらに眼をやれば、ひょいと覗く後ろに撫で付けられたヴァッシの艶の無い黒髪。
 ヴァッシは冥夜に気付いた。
 ニタリと嗤い、気さくに―――あくまでも外面上は―――手を上げて近付く。
 「よォ、えぇと……御剣か。新入りは不知火への慣熟だっけか。吹雪からなら楽だったろ」
 操作感覚殆ど一緒だしな、というヴァッシの言葉に冥夜は違和感を覚えた。
 彼はアレに乗る以前はグレイゴーストという戦術機に乗っていたはずだ。何故不知火や吹雪の操作感覚を知っているのか、と。
 その様子に気付いたか、ヴァッシの口角が吊り上がった。
 「お前さんらが純国産純国産言ってるあの三機な。確かにハードは全部帝国産さね。だけどな。ソフトはNASAが一部協力してんだよ」
 「えっ!?」
 くつくつとヴァッシは嗤う。冥夜の無知を嘲笑っていた。
 「まだまだ日本はアメリカの負んぶに抱っこから抜け出せてねぇってこったな。で、当時はまだNASA所属だった俺はそれに駆り出されてるって訳だ。吹雪って基本不知火のモンキーモデルだろ? だったら大差ねぇ筈だ」
 ヴァッシは勿論、冥夜の出自を知っている。その上での挑発だ。反応を見て愉しむ腹積りだった。
 「それとちょいと前にXFJ計画で造ってた不知火弐型。アレなんか4割方アメリカだぜ。フェニックス計画の片手間で済まされちまった奴、ってな」
 冥夜の表情を見て、ヴァッシは声を上げて嗤い転げたいという衝動を堪えていた。
 悔しそうに唇を咬み、堅く握られた拳も震えている。
 「それともう一つ。悔しい御剣君に朗報だ。ここの将軍家の飼犬、斯衛軍御自慢の武御雷。アレの主機とジャンプユニットのエンジンな。あれ、俺がテストしたんだよ。とは言っても富嶽重工からコイツのテストしてくれって渡されただけで武御雷に積まれるとは知らなかったがね。出力は莫迦みてぇに高ぇくせしてパワーベルト狭すぎ。使い難いッたら無かったぜ。アレならグレイゴーストに積んであったポンコツの方がナンボかマシだったね。まぁ何とか使い物になるようには調整したがね」
 俯いた冥夜に構わず、ヴァッシはハンガー入り口に眼をやった。そこには不安げな表情でヴァッシと冥夜を見る207の面々。
 「ほれ、お友達が待ってるぜ。早く行きな」
 「は……失礼します」
 「ああ、敬礼はいらねぇよ。敬語も使うな。くすぐったくて仕方ねぇ」
 敬礼しようとした冥夜は、その言葉に敬礼をやめ、ヴァッシに背を向けた。
 心持ち俯いて歩く冥夜の後姿を、ヴァッシは嘲り嗤うのであった。

 「御剣、中尉と何を話したの?」
 尋常ならざる冥夜の様子に、榊が不安げな声を掛けた。
 「うむ……」
 冥夜は言い淀む。話していい事なのだろうか、と悩んだのである。
 結局、冥夜は口を噤むことを選んだ。
―――理解できないものを悪し様に言うでない―――
 つい先日、クーデターの折に彼女が今は特殊任務で前線へと赴いている白銀へと投げた言葉である。
 なれば、理解できない者を悪し様に言うことはすべきでないと、彼女は判断した。

 そう。冥夜にとってまだ、ヴァッシは理解せざる者であった。

 何せちぐはぐだ。矛盾が多すぎる。
 すわテロリストか、というような風貌に皮肉気な態度、厭味ったらしく吊り上がった口角に長身も相まって相手を見下すような視線。
 しかし時としてこの世の全てに絶望し、絶望し、絶望して。絶望することにすら飽いてしまった、枯れた老人のような表情を浮かべる。
 翻っては今しがたの冥夜に対する言動。恐らくは、冥夜の立場や諸々を全て知っての上だろう。そう想像させる酷く嗜虐的な笑みを、彼は浮かべていた。
 かと思えば斯衛軍から出向しているという先任少尉、霧耶へのあの態度。突き放すようでいて、その実明らかに慰めていたあれ。
 それらが冥夜のヴァッシ・ウレンベックという男への認識を混乱させるのだ。

 「いや、なんでもないのだ。少し、な」
 そう、冥夜は茶を濁す言葉で―――――逃げた。





Interlude/2

 霧耶が熱いコーヒーモドキを一口含んだ。彼女のコーヒーモドキには多量の砂糖と合成ミルクが投入されて、かなり色合いが白い。
 その対面のベッドに座るレティシエはブラック。
 よく飲めるな、と霧耶は思った。

 その席は、なんと言うことはないパジャマパーティーとでも言うべきものだった。
 その中でどんな話の流れか、互いがどうして衛士となったのか、という話になった。

 「霧耶は何で衛士になろうと思ったの?」
 「私は……、そうだな、叔父上に憧れて、だな」
 「そう……」
 レティシエはごめんなさい、と霧耶に詫びた。今の彼女にそれを語らせた自らを恥じた。
 霧耶はそれを振り払うように、レティシエに聞く。
 「貴女はどうして衛士に?」
 「うん、私が元は騎士級の貴族だって、知ってたっけ?」
 いや、と霧耶は首を横に振る。初耳だった。
 「古い考え方かも知れないけれど……、騎士って言うのは身を挺して民を守ってこその騎士よね。剣を銃に持ち替えて、鎧を強化服に着替えても、それだけは変わらないと思うの」
 貴族などという呼称が形骸となって久しい現在。その信念を失えば、騎士は騎士足り得なくなる。
 「伯父様の受け売りだけどね」
 そういう意味で、シュウァルツは、騎士ではなかったのかもしれない。
 民を守ることを放棄した時点で。
 だがレティシエは信じている。シュウァルツは、自らの伯父は。
 「私は騎士として戦ってきたし、これからもその積り。時代遅れって言われても、ね」
 騎士として、誇りを持って戦い、死んだ、と。
 「そうか……強いな、貴女は」
 「ふふ、アナタが言うならそうなのかもね」
 レティシエはコーヒーを一口含み、話を区切る。これ以上は重い話になってしまうだろう、と思った。
 「ところで……ヴァッシのこと、どう思ってるの? 実際の所」
 「ッ……!!」
 げほげほと霧耶は咽た。その初々しい反応を、レティシエは悪戯な瞳で眺めていた。
 「な、何を急に……!! わ、私は別にあんな男、好きでも何でも……!!」
 「あら、私は別に好きか嫌いかなんて聞いてないけど?」
 「なッ……!!」
 レティシエのちょっとしたからかいにも、霧耶は全力で引っ掛かった。
 くすくす笑いと、必死になって否定する声。

 夜は、更けていった。





Interlude/3

 新人達の慣熟が終わった翌日。それに併せて、実機演習が組み込まれた。新人の技量を測る為という意味合いも含んだ演習である。

 「……ついでに叢雲の部隊運用試験、ってか」
 ヴァッシはコックピットの中で煙草をふかした。
 午前中は基地所属の他の部隊が演習場を使ったため、A-01が演習を行うのは午後となった。
 訓練内容はフェンリル小隊全力と武を除いた新入り5人での市外遭遇戦。4対4で向こうを張るにはフェンリルの装備は重装に過ぎ、午後の一回では小隊ごとの演習は行えない、ということでこのような変則的な編成での演習となったのである。



 演習開始。珠瀬は定石どおり、狙撃に優位となる他より高い位置に陣取った。
 「珠瀬、敵部隊を捕捉出来る?」
 榊のコール。珠瀬はレーダーコンソールとモニターに目をやるが、機影は影も映らない。
 「今のところ敵影なしです」
 「解った、警戒を続けて」
 その声に返答しようとしたその瞬間―――――超音速で迫るワックス弾体の120㎜APFSDSが、珠瀬の不知火を緋色に染め上げた。
 「珠瀬機撃墜!! 榊さん!?」
 「ッ……!!」
 榊は息を呑んだ。
 彼女にフェンリル小隊を―――特に小隊長であるヴァッシを―――舐めていた積りはない。だが、それすらも過小評価だったのかも知れない。
 彼方より放たれた砲弾は、狙いを違わず不知火の小さな頭を染め上げていた。
 砲声は着弾から5秒以上。開始直後にそのままの位置から発射し、一発で撃ち抜いたとしか思えない。狙撃ポイント特定までのタイムラグ、照準誤差調整時間、射撃の正確性。どれをとっても超一級。
 「敵の長距離砲撃は極めて正確よ。決して遮蔽物から頭を出さないように、いいわね!?」
 榊からの指令を受け、各機警戒しながら、慎重に歩を進める。
 「鎧衣より榊、D5付近に戦術機歩行音を確認。どうする?」
 鎧衣の機器の扱いに関する技術は皆が知る所だ。信頼性は高い。
 「……迂闊に近付くべきではなかろう。彼等の錬度は先の残党蜂起の際に解っておる」
 「そうね、G10まで後退の後、彩峰、鎧衣はF8で……ッ!?」
 榊の言葉は、そこで断ち切られた。見開いた目の先には、凄まじい速度で迫る叢雲の威容。
 6門の突撃砲と40㎜ガトリング砲が同時に火を噴き、咄嗟の回避行動を取った彼女達の影を緋色に塗り潰した。
 「ぜ、全機散開!! 急いで!!!」
 「くそっ……!!」
 回避行動を取りながら冥夜は突撃砲のトリガーを引き、一発でも当てようと砲口を縋らせる。しかし、その砲弾は徒にアスファルトを汚すのみだ。
 「FCSに頼りすぎだボンクラ!!」
 そう言って、ヴァッシは目に付いた不知火―――榊機―――に突進する。踏み込んだ脚にアスファルトが抗議の声を上げながら砕け、エンジンの焔は一瞬にしてそれを沸騰させた。
 「榊さん!!」
 「おっとぅ」
 鎧衣が短刀を振りかざして叢雲に突進するが、通常よりも5割方長い叢雲の主脚に蹴り飛ばされた。
 「見え透いた突撃だな、程度が知れるぜ!? お前さんも、だッ!!」
 鎧衣に続いた彩峰の白兵を、見え透いた突撃と評するのは難しかろう。短刀を用いた白兵には抜群のセンスを発揮する彼女のこと、その攻撃は凡そ万全と言えるタイミングで行われたのだから。それに瞬く間で反応したヴァッシこそが異常と言える。
 「出直しな!!」
 叢雲の巨体が逆噴射スラスターとジャンプユニットの噴射を併せて独楽のように回り、回し蹴りの要領で彩峰機を蹴り飛ばした。
 「つッ……!!」
 が、咄嗟に追加装甲板で防御した彩峰機に然したるダメージはない。
 その反応速度に、ヴァッシはヒュウ、と口笛を以て賞賛とした。
 「意外とやるねぇ」
 「くっ……!! 各個に状況を離脱、指定座標で再度集結!!」
 榊のコールに応える間も惜しみ、全員が散った。

 ビルの谷間をすり抜ける跳躍音に耳を傾けながら、ヴァッシは紫煙と共に息を吐いた。
 (多対一のお相手は出来ても分身出来る訳じゃなし、何方向にも同時には追撃は出来ねェからな)
 コキコキと首を鳴らしたところで、後方から噴射音が近付いた。ビーコンは緑、フェンリルである。
 「遅かったな。もう追い散らしちまったぜ」
 「もう? 全く……私たちにも仕事させてよ」
 「行脚が違いすぎるなァ……。その辺は夕呼サンに要相談か」
 レティシエの抗議に、ヴァッシは頭を掻いた。これでも最大戦速は出していないのだ。巡航速度にも不知火はおろか武御雷ですら追従できない。これでは部隊運用がどうのと言うレベルの話ではない。
 「中尉、敵部隊は分散したようですが、再集結地点は捕捉出来ますか?」
 「だーから敬語は使うなっつってんだろうが。いつまでたっても治らねぇな。まぁいい、あー……、G6だな。巧く隠しちゃいるが、叢雲のアビオニクスを舐めんなよ、ってところか。まぁ今の段階じゃ俺は突出するしかネェから、先行して……ん?」
 「どうした?」
 ヴァッシが言葉を途中で切った。訝しく思った霧耶が何事かと尋ねると、ヴァッシはふふん、と鼻を鳴らした。
 「焦った……訳じゃねぇな。二機がF4に突出してきてる。後はG5……。F4の二機はデコイか?」
 「どうするの?」
 「そうさな……。んー、俺はG5に行く。お前らはF4を喰っちまえ」
 「02了解だ」
 「03了解」
 「04りょうかーい」

 正直な所を言えば、これは賭けだ。
 榊は操縦桿を握り締め、成功を祈った。
 一つ目の賭けはヴァッシがG5に配した冥夜、彩峰の突撃前衛二人の方へ向かうこと。
 「榊さん、熱源移動、一機が高速でG5に向かってる。旨くいったみたいだ」
 榊は安堵の溜息をついた。一つ目の賭けには勝った。ぎゅ、と操縦桿を握り直す。
 「さぁ鎧衣、覚悟はいい? 私たちは囮なんだからね。旨く立ち回るのよ!?」
 「うん……!!」
 後の賭けは自分たち二人で後の三機を引き付けられるか、そしてもう一つ、ヴァッシを撃破―――出来るかどうかは、これもまた賭けだが―――した二人が駆けつけるまで撃墜されずにいられるかであった。

 夥しい量の砲弾が彩峰と冥夜の不知火を脅かす。迫り来る23mの巨体は唯それだけで二人の恐怖心を煽った。
 真っ向から遣り合っては倒す倒さないの話ではない。あの火力の前にはほんの数瞬で撃墜されてしまうだろう。
 「彩峰!!」
 「解ってる!!」
 合図と共に、二人は予定の交差点で二手に分かれる。ヴァッシは一瞬悩むと、右に折れた不知火―――彩峰機―――の後を追うことにした。勿論馬鹿正直に道を曲がって背中を追うなどということはせず、叢雲の重量と装甲強度と推力を最大限活用し―――――
 「なっ!?」
 ビルの壁面をぶち抜いて、彩峰の直ぐ目の前に飛び出した。
 「何を驚く!?」
 言葉と共に、ヴァッシは彩峰に対して特殊長刀を突き出した。辛くも避け、彩峰は短刀を抜き放つ。
 「BETAは普通にやってくるぞ!!」
 もう片方を更に突き出して間合いを取らせないように彩峰を牽制し、スラスターを吹かして一回転、斬り付ける。
 それを避けた彩峰は踏み込んだ。当然、ヴァッシがそこで回転の制動をかけると踏んだのである。しかし、機体も異常ならばパイロットも異常だった。
 「!?」
 叢雲の機体が独楽のようにもう一回転。刀身が不知火の胴体に緋色のラインを引いた。
 「流石だね、中尉……!!」
 彩峰はヴァッシの手練を素直に賞賛した。そして、ほくそ笑む。
 「ハアァァァァァッ!!!」
 その背後から彩峰機を飛び越え、冥夜機が飛び掛った。彼女の剣術が容赦なくヴァッシに叩き付けられる。
 ヴァッシはそれを、特殊長刀で受け止めた。桁違いの主機出力が不知火を押し返し、押し潰す。
 「どっちか一人がデコイになってもう片方が真打ってか。悪かねぇな」
 だが甘い、とヴァッシは特殊長刀担架のサブアームを展開、不知火の長刀を掴み上げた。
 「所詮は餓鬼の浅知恵だ」
 そのまま腕を振りぬき、掴んだ長刀を不知火ごと放り投げた。圧力に耐えかね、不知火の手から長刀がパージされる。
 空中で体勢を立て直し、もう一本の長刀を保持し、冥夜は再度切り込んだ。
それに対し、ヴァッシは鼻を鳴らした。
 「付き合うのは吝かじゃねぇけどよ」
 言って、特殊長刀を収納する。
 全火砲展開、前面収束。ターゲットロック。
 「突撃砲を手放すな猪武者が」
 トリガー。
 全身を緋色に染められ、冥夜の不知火は機能停止信号の発振を受ける。
 それに歩み寄り、頭部を踏みつけてヴァッシは嘲り笑った。
 「長刀で攻撃したいってのがミエミエなんだよ。戦術機もBETAも片手で十分斬れンだ。テメェで選択肢を狭めてんじゃねぇよ、ド阿呆。突撃砲を手放すのは弾がなくなった時だけにしときな。オーケィ? 一つ賢くなったなぁ、御剣チャン?」
 そうして冥夜の自尊心を甚く傷つけた後、ヴァッシは不知火から脚を離した。
 「じゃーな。暇なお前さんらと違って俺はまだ仕事があるんでね」
 そう言ってヴァッシは倒れ伏す2機の不知火から離れると、ジャンプユニットを吹かし、飛んだ。

 「鎧衣、右翼に……きゃあ!!」
 「無理だよ、頭を出したらやられちゃう!!」
 榊は状況をどうにかしようと鎧衣に指示を出すも、どちらもが堂本とレティシエの的確極まる制圧射撃に身動きが取れずにいた。かと言って一箇所に留まっていればたちまち霧耶の長刀が牙を剥く。と言うよりも霧耶の長刀を避けた先に弾幕が待っている、と言った状況。
 進退窮まるとはこのことか、と榊は臍を咬んだ。
 「02、そこから左に燻り出せ。04はA2の頭を押さえろ」
 そのどうしようもない状況を作り上げているのは堂本の指示である。
 堂本は迎撃後衛としての立ち回りの仕方から部隊ではあまり目立たないが、実力そのものはフェンリルのナンバー2だ。加えて経験値から言えばヴァッシをも上回る。その経験値が視野に広さを与えていた。
 突撃砲をラックに戻し、燻り出された榊に対して長刀を抜き打つ。寸でのところで榊はそれを回避したが、突撃砲を一門失った。
 堂本は長刀と持ち替える間も惜しみ、担架を展開して突撃砲のトリガーを引く。その砲弾は不知火のジャンプユニットを直撃し、榊機は事実上機動力を失った。
 後回しでいいと堂本は断じ、長刀と突撃砲を持ち替える。
 「A1は後回しだ。02、2ブロック後方の三叉路を左、04はそのまま進展。3方向からの艦砲射撃で戦意を殺ぐ。全機フォックス2」
 レティシエ4門、堂本1門、霧耶1門の計6門の120㎜滑空砲が火を噴く。山形に放たれたペイント弾は、鎧衣の周辺に5発は正確に、1発は若干逸れて着弾。
 撒き散らされた塗料は鎧衣機の全身を斑に塗り上げた。
 『鎧衣機機能停止、榊機機能停止!!』
 「?」
 堂本は首を傾げた。そちらは放置していたはずだが。
 その疑問には、ビルの陰から現れた巨体が答えてくれた。
 「なんだよ、結局お前らだけで片付けちまったようなモンじゃねぇか。もうチョイ遊んどけよ」
 現れた叢雲の手に握られた突撃砲の銃口からは、硝煙が棚引いていた。

 演習終了―――――



 「そうさね、榊の指揮能力は低かねぇが、経験が足りねぇな。パニクりすぎだ。珠瀬、だったか。お前さん、高台こそ最良って考え自体が大間違いなんだよ。確かに敵を発見しやすいが、逆もそうなんだぜ? 況してや光線級は高台になんか上ったら速攻で仕留めに掛かる。高台はギロチン台と同義だぜ。次は、あー……堂本、鎧衣はどんなだ?」
 演習後、フェンリルと207B分隊はブリーフィングルームでデブリーフィングを行っていた。
 その中でヴァッシの情け容赦ない品評が行われたが、彼は鎧衣とは直接戦っていない。
 「そうですね。鎧衣は状況判断は悪くないし、恐らくレーダーコンソールに対しても注意は払えていたのでしょうからそういう意味では優秀です。まあ、可もなく不可もなく、と言った感じでしょうか。尤も装備運用に定評があるようなのでHIVE侵攻やS-11設置などでは優秀な働きが期待できるかと」
 「成程ね。だとよ、よかったな鎧衣。斯衛衛士から誉められたぜ」
 無論、皮肉だ。事実上特定のシュチュエーションでしか目立った働きは出来ないぞ、と言われたようなものなのだから。
 「彩峰、お前はいい反射神経してるな。だがな、それが白兵だけじゃなく射撃にも生きてこねぇと戦場じゃ役に立たねぇぞ。流石だね、じゃねぇよ。自信過剰は程々に。解った?」
 「はい……」
 彩峰は不快に眉を顰めた。それを見て、ヴァッシは嗤う。
 そういうところが自信過剰だってんだ。
 「御剣。お前、馬鹿だろ。正直に真っ向から長刀振りかぶってんじゃねぇよ。御丁寧に突撃砲仕舞って。撃って下さいって言ってるようなもんだぜ」
 「は……」
 それに、とヴァッシは更に言葉を重ねる。
 「草々空中に飛び上がるもんじゃねぇ。制動が利き難いんだ、いい的だぜ? はっきり言っとこうか。あのときの一合目、別にリバースして距離開けてから撃ちまくってもよかったんだぜ? わざわざ打ち合う理由なんかこれっぽっちもねぇっつーの」
 は? と冥夜は首を傾げた。奇襲に成功していた以上、ヴァッシには受ける以外の手段はなかったはずだ、と。
 「しかし、あの場ではあれ以上の手は……」
 なかったではないか、と続けようとして、その言はヴァッシの嘲笑に遮られた。
 「おいおい、御剣に彩峰。テメェ等奇襲に成功したなんて勘違いしちゃいねぇだろうな? ンなまさか!! 御剣、テメェが接近してるのなんざレーダーコンソールで確認済みだっつぅの。戦場で死ぬ順番を教えてやろうか? 同時並行していろんなことを出来ない奴がまず死んで、次に運のない奴が死んで、最後に実力のねぇ奴が死ぬんだよ。お前らそんなじゃ真っ先に死にそうだなぁ」
 くつくつとヴァッシは嗤った。その態度に、207の視線が突き刺さる。それを物ともせず、ヴァッシは数度ライターを擦り、煙草に火を点けた。
 「さ、て……これで新入りの品評会はお仕舞いか。OK、これで解散だ。各自演習結果を見直しとけよー」
 そう軽薄に言って席を立つと、ヴァッシは後ろ手に手をひらひらと振りながらブリーフィングルームを出て行った。フェンリル小隊メンバーもそれに続く。
 ぎしり、と冥夜は歯を噛みしめた。
 あの中尉の口振りには思うところもある。しかし言っていることは悉く正しい。それが更に悔しさを助長する。
 冥夜は苛立たしげに、椅子を蹴って立ち上がった。



 あの後、ヴァッシは夕呼のいる副指令室に直行していた。手には演習結果が打ち出されたレポート。
 「入りますよー」
 ノックもそこそこに扉の開閉スイッチを押し、扉を開ける。
 「アンタねぇ、返事くらい待ちなさいよ。で? 何の用?」
 呆れた表情の夕呼には構わず、ヴァッシは執務机に歩み寄り、レポートを投げ出した。
 「これ、演習結果っす。まぁ折込済みだとは思いますけど武御雷、不知火じゃ叢雲には追従できませんでしたよ」
 レポートにざっと目を通すと、夕呼は溜息をついた。
 「やっぱりね……。まったく、カタログデータってのは当てにならないわ」
 「まったくだ。ドイツの技術力は世界一だかなんだか知らねぇけど元のスペックが役に立たなくなるほど弄るなって話っすよ。どんな高性能も周りがついてこれなきゃ意味がねぇってのに。これじゃ武御雷のタイプRでも追従できねぇ……。で、どうします、随伴は」
 夕呼はレポートを投げ出すと、机を指で叩いた。
 「そうね……。別に造るしか、ないわね」
 「でしょうねぇ……」
 ヴァッシは忌々しげに頭を掻いた。本当に邪魔な機体だ。
 「でもどうすんです? あのスペックから考えて、改修次第でどうにかなるっつうとラプターか、それこそ武御雷位しかないでしょ。まぁ武御雷は欄外か。この前の一件で仮に城代省が武御雷を寄越したとしてもそれ以前にアレを弄るわけにはいかねぇし」
 「かと言ってアメリカがラプターを寄越すってことも考え辛いわね」
 「お国柄もそうだしありゃあ機密の塊ですからねぇ……。そうすると不知火くらいしか残ってねぇっすけど」
 「不知火でどうにかするしかないでしょう。アンタ、なんかいいアイデアない?」
 「ん~……」
 言われて、ヴァッシは頭を捻った。ないことはないが。
 「ないこたないですが、堂本は兎も角レティと霧耶は乗れるかどうか、って機体になりますよ」
 「しょうがないでしょう。何? 早く言いなさい」
 「解りました。えぇとですね―――――」





Inetrlude/4

 意気揚々と。
 「~♪」
 意気揚々と、横浜基地のゲートを潜る少女と、その保護者らしき男がいた。
 門兵は訝しげな顔をするが、提示された入場許可証は正規の物だし、少女は帝国軍の軍服を着ていた。
 その小さな背中とひょろ長い背中を見送ると、門兵は合方と顔を合わせ、首を捻った。
 「なんじゃありゃ?」
 「俺が知るかよ。どうせ上のほうの話だろ」
 だろうな、と応えると、男は正面に向き直った。
 お偉方が何をしようと、所詮1歩兵の自分には関係ない。今日はいい天気だ。



 「~♪」
 足取り軽く、鼻歌を口ずさみながら歩く少女の後ろに続く長身痩躯、初老の男が溜息をついた。
 「どうしたんだい、福長くん。溜息などついて。ふふ、溜息はね、一つ付くたびに幸せが一つ逃げていくんだよ?」
 「まさか冷静沈着、頭脳明晰で鳴らした朱祇飛柚乃艦長とも在ろう者があんな言葉を真に受けるとは思っていなかったのですよ」
 要約すると、だ。
 少女こと朱祇飛柚乃はヴァッシと始めて会った時の彼の言葉、『その辺はうちらの責任者と交渉して下さいな』を真に受けてA-01部隊責任者である香月夕呼にヴァッシ・ウレンベック国連軍中尉を帝国海軍所属実験艦長門の直衛衛士として転属、要するにヴァッシを私に寄越せと交渉に来、初老の男こと福長雄二はそれに同伴している、というわけだ。
 「何を言っているんだい。夕呼殿もいらしてくださいと仰られたじゃないか」
 はぁ、と福長はもう一つ溜息をつく。
 恋は盲目とはよく言ったものだ。社交辞令も解らないとは。
 意気揚々と地下の指令所に向かう朱祇。それを追う福長の背中には、哀愁が漂っていた。
 合掌。





Interlude/5

 PXで自分宛の手紙を受け取ると、ヴァッシは自室に戻った。手には検閲済みの印が押された封筒。
 どっかと安いスチール製の椅子に座ると、ヴァッシは封筒を机の上に投げ出した。灰皿を引き寄せ、煙草に火を点けてから、改めて封筒を手に取る。
 かさり、と細やかな音を立てて、封筒から一通の手紙が取り出された。
 宛名は勿論ヴァッシ・ウレンベック。差出人はジノーヴィ・ゼーファ・ゾブロジョブカ。
 ヴァッシがオルタネイティヴ3のHIVE突入作戦に参加した際、同行したソ連の―――件のヴァッシを上回る手練の―――衛士だ。
 手紙には意外なほど綺麗な筆跡の英語で近状が綴られている。
 自分と部下達はよろしくやっている。最近送られてくる新兵は腑抜けばかりで、お前のほうが数段役に立つ、と。最後にそのうち3人で呑もう、と書かれていた。
 その簡潔な、僅か数行の文面を見て、ヴァッシは自分よりも20㎝も小さい、難しい顔をした衛士を思い出し、咽喉の奥で嗤った。
 3人とは。まったく、あの堅物が一人の女に豪く入れ込んだものだ、と。
 一人の女、とはジノーヴィが突入作戦の折に自機であるSu-37UBに乗せたオルタネイティヴ3第四期産生体である。名を確か、ジナイーダ・ウフツィノワといったか。籍を入れているならジナイーダ・ウフツィノヴィチ・ゾブロジョブカとでもなるのだろう。
 ジナイーダはジノーヴィのことをおつきさまみたいできれいだね、とどこか舌足らずな声で表したものだった。
 「ロリコンめ」
 斯く言うヴァッシも同作戦の折にキノルフカ・イリエンコワという名のオルタネイティヴ3第四期産生体を乗せ、F-15EストライクイーグルでHIVEに潜っている。イリエンコワはヴァッシにやたらと懐いていたが、何で俺に懐いたんだろう、とヴァッシは思っている。明らかに人選ミスだろう、と。
 紫煙を吐き出し、灰を灰皿に落とすと、ヴァッシは返事を書く為にペンと便箋を机の中から取り出した。





Inerlude/6

 霧耶がレティシエと共にPXに入ったとき、その一角で見た顔を見つけた。
 「朱祇中佐……?」
 対面に座るひょろ長い老齢の男性は恐らく副長少佐であろう。相も変わらず小さな艦長は机に肘を付き、床に着かない足を不満げにプラプラさせていた。
 ポツリと呟いた霧耶に、レティシエはどうしたの、と声を掛ける。
 「いや、以前我々を輸送した船の艦長と副長があそこに居られるのだ」
 「へぇ? ……随分可愛らしい人ね」
 「それは……」
 霧耶は苦笑するだけで、それ以上は何も言わなかった。それに関しては同感だったからである。少なくとも、外見に関しては。
 「どうせだし、挨拶してったら?」
 「そうだな、挨拶だけでもしていくか」
 そうして近付く霧耶とレティシエを、先に副長が気付いた。糸の様な目を更に細めて霧耶に会釈する。相も変わらず奇妙に礼儀正しい人物である。
 「お久しぶりですね。えぇと……霧耶、少尉?」
 「は、霧耶少尉であります」
 「む? 霧耶君かい?」
 霧耶に気付いた朱祇が顔を上げた。その顔はやはり、不満げだ。が、その視線がレティシエを捉えた時、その瞳が好奇心に光った。
 その目を見た霧耶は、この中佐は表情は余り動かない割には感情が読み易いな、と思った。表情の代わりにその瞳や雰囲気、所作が雄弁に彼女の感情を表現するのだ。
 「君は確か初見だったね。私は帝国海軍長門艦長、朱祇飛柚乃だ。階級は中佐。畏まる必要はないよ。で、君の名前は?」
 「私は国連軍極東方面軍横浜基地所属、レティシエ・フォン・シュッツガルド少尉です。これも何かの縁ですし、よろしくお願いしますね」
 「レティシエ君だね。うん、よろしく。まぁ座りたまえよ。立ち話もなんだろう?」
 「それじゃ失礼しますね」
 朱祇の言葉に、先ずレティシエが席に着き、霧耶がそれに続く。
 少し歓談を続けていると、ふと霧耶達から外された朱祇の目がPXの一角に止まる。何かあったのか、と三人がその顔を見れば、相変わらず表情に変化は余り無いものの、喜色が溢れていた。
 朱祇は嬉しげな様子で椅子から飛び降り、駆け出す。
 その先にはしたためた手紙を出しに来たヴァッシの姿があった。
 「なんて言うか……」
 「うむ……」
 自らに近付く朱祇に気付いたヴァッシは、手紙をPX職員に渡すと朱祇に手を引かれ、つんのめりながら霧耶達の席に近付いてきた。その姿はまるで、妹に振り回される兄のようにも見える。
 というか寧ろ。
 (子犬と……それに振り回される飼い主?)
 (犬と飼い主だな……しかも仔柴)
 「っとと……ったく、引っ張らんで下さいよ。こけますって……ってなんだ。お前らいたのか」
 「ああ。お前は? なにやら手紙を出していたようだが」
 「手紙を出しに来てたんだよ。見てたんじゃねぇか」
 「へぇ。だれだれ? 友達でも出来たの?」
 「五月蝿ぇ、人の個人的なことに首突っ込むんじゃねぇよ。大体な……ん?」
 そこまで言って、ヴァッシは袖口を強く引かれたことで言葉を途切れさせた。引かれた腕を見れば、そこにはあからさまに不満げな表情の朱祇が頬を膨らませていた。
 「……なんすか?」
 「酷いじゃないか、ヴァッシ君。君をここまで連れてきた私は放置かい? それともこれはそういう趣向の行為なのかね?」
 いや、とヴァッシは頭を掻いた。
 「連れて来た、っていうかこっちとしちゃ引っ張られただけなんすけど。アレ出したらメシ喰おうと思ってたのに……」
 その言葉に、朱祇は猫のように悪戯に笑った。とは言ってもほんの僅かな表情の変化ではあったが。
 「おや、なんだ。ご飯を食べに来てたのかい? それなら話は早いじゃないか。霧耶君にレティシエ君もそうなんだろう?」
 「ええ、そうです」
 「私もです」
 そうかそうか、と朱祇は頷き、三人に取ってくるといい、と促した。

 そして再び会する霧耶、朱祇、レティシエ、ヴァッシ(と副長)。席位置で言えばヴァッシが机の中ほどの椅子に座り、その正面に朱祇、朱祇の左右にそれぞれ霧耶とレティシエが座った。ついでに副長はヴァッシの右側だ。
 食事を取ろうにもしかし、ヴァッシの目の前にトレーはない。
 「で……中佐さん、なんの積りッすか」
 そしてヴァッシが持ってきた合成サンマ定食は朱祇の前に置かれていた。ヴァッシが持ってきたそれを、席に着いた途端に朱祇が取り上げたのだった。
腹は減っていないが、なんとなく口元が寂しい。
 子供か俺は、と嘆息すると、ヴァッシはトレーを取り返すべく手を伸ばした。が。
 「こらこら、オイタはいけないよ。そんなことしなくてもほら……あ~ん♪」
 瞬間、世界が凍て付いた。
 朱祇の手には箸が握られており、その箸は合成サンマ定食の品、サンマの切り身が摘まれていた。その箸の先は当然、ヴァッシへと差し出されている。
 「……」
 ヴァッシは沈黙し、頭を掻いた。
 喰えと? 俺に? それを?
 「どうしたんだい? ほら、あーん♪」
 助けを求めるように視線を巡らせれば、レティシエは珍しいことに目を丸くし、霧耶は口をパクパクと魚のように開けては閉じている。
 「あのー、中佐?」
 「あ~ん♪」
 「えー、ここは衆人環視のど真ん中でしてね?」
 「あ~ん♪」
 「一応ほら、士官としての行いとか……」
 「あ~ん♪」
 「いや、俺が言えた義理じゃねぇのは解ってますがね?」
 「あ~ん♪」
 「人の目とかありますよね?」
 「あ~ん♪」
 「聞いてます? 聞いてませんね?」
 「あ~ん♪」
 「王様の耳はロバの耳ー」
 「あ~ん♪」
 馬の耳に念仏とはよく言ったものだ。何を言っても返事はあ~ん♪
 喰うしか、ないのか?
 「……あー」
 「はい♪」
 ぱくりと。ヴァッシがそれを口に入れた瞬間、霧耶はカッと目を見開き、レティシエは数瞬驚いた後、チェシャネコの様な笑みを浮かべた。
 そしてレティシエがまだ慣れてないんだけどねーと嘯きながら箸を取る。
 「ねぇヴァッシ、野菜炒めも食べたくない? 食べたいわよね。じゃあ、あーん」
 レティシエは自らが持ってきた合成野菜炒め定食の野菜炒めを慣れない様子で掴み、ヴァッシに差し出した。
 「……それも、喰うのか?」
 「食べたいんでしょ?」
 言ってねぇよ、とヴァッシは再び溜息を付いた。しかしそう言ったところで大人しく引き下がるレティシエではないことくらい、ヴァッシも心得ている。
 「ったく……あー」
 「はーい♪」
 そしてそれを食べれば、霧耶は更に表情の険を深いものにし、朱祇といえば微かながら、面白そうに笑っている。口の中で野菜炒めを噛み潰し、嚥下した。
 「で、中佐さん。そろそろ返してもらえません? テメェのペースで喰いたいんですけど」
 「勿論駄目だよ。私が食べさせてあげよう。ほら、あ~ん♪」
 ヴァッシは額を手で打つと、この場で自らを除けば唯一の男性、副長に無言の助けを求めた。
 目が合う。そして副長は、力なく首を振った。諦めてください、と。
 「それとヴァッシ君、中佐、というのは些か他人行儀ではないかね? 朱祇と呼んでくれたまえよ。それと敬語は禁止だ」
 「いやまたなんでっすか。他人行儀もクソも実際他人……」
 「何でもいいだろう? 上官命令だよ。それとも飛柚乃と呼んでくれるかい?」
 ヴァッシが言葉を終える前に、朱祇がそれに言葉を被せた。どうやら、拒否権は与えられていないらしい。
 「解り……解ったよ。朱祇。コレでいいんだろ? 飛柚乃は勘弁してくれ」
 「うん!! じゃあお互い納得した所で、あ~ん♪」
 「……………………」
 「……………………」
 無言で睨みあうこと暫し、やはりヴァッシは折れた。
 「……あー」
 「はい♪」
 このヘタレめ。
 そしてヴァッシは居心地悪そうに身動ぎし、先ほどから聞こう聞こうと思いながら期を逸していたことを聞いた。
 「で、中佐……朱祇よ。今日は何でここに? 暫らく帝国がらみの任務はねぇ筈だが」
 それに朱祇はうん、と新たなサンマの切り身を箸で抓みながら応える。
 「私の個人的な用事だよ。君も大いに関係あった話だがね。あ~ん♪」
 「はいはい……んむ。何だよその俺にも大いに関係アリって」
 「憶えていないかい? ほら、長門で君たちを送った時だよ。君が自分の転属云々に関しては責任者と直接交渉してくれと言っただろう? それで交渉しに来たんだが……」
 そこまで言って、朱祇の表情が曇った。
 「駄目だった、と」
 「そうなんだ!! 聞いてくれヴァッシ君!! 夕呼副指令と来たら酷いんだぞ!? 電話でその旨伝えたときはどうぞいらして下さいと仰られたくせに実際に来てみればけんもほろろ!! 全く取り合ってもらえなかったんだぞ!! 無理なら無理と電話口で言うべきじゃないかね!!?」
 そこにレティシエが口を挟む。
 「ねぇねぇ、転属って一体何? あ、私も敬語使わないでいいわよね?」
 「ああ、構わないが……、ヴァッシ君を長門直衛に転属させられないかと夕呼副指令にお願いしたんだが、本気にするとは思わなかったと仰られてね……」
 「A-01の特殊性を考えろよ。終身雇用に等しいぜ、ここに配属ってことは」
 「だったら君も思わせぶりなことは言わないでくれたまえ!! まったく……。まぁここで君に昼食を食べさせてあげることが出来たから、良しとしよう。ほら、あ~……」
 「あーん♪」
 ヴァッシの目の前には、箸が二膳。片方にはサンマの切り身が、片方には野菜炒めが。
 「……レティシエ君、何の真似だい?」
 ジト目で見詰める朱祇に対して、レティシエはしれっとした様子で応える。
 「なにって、ヴァッシが野菜炒めが食べたいって雰囲気だから食べさせてあげようかなーって」
 「話をややこしくするんじゃねぇよ……」
 「えー、だってこれヴァッシ争奪戦でしょ? だったら私が参加しない手はないじゃない。で……霧耶、貴女は参加しないの?」
 「え、へぁ!?」
 変な音出た、と朱祇はその猫科の動物にも似た目を丸くした。朱祇が目にした霧耶の慌てぶりは、彼女をして目を見開かせるのに十全だったのである。
 「な、何故私ガッ!?」
 がり、と嫌な音を立て、霧耶が舌を噛む。それをヴァッシは呆れた様子で馬鹿にした。
 「バァカ、焦りすぎだ。そんなんじゃレティの思う壺だぞ」
 状況の中心に居ながらこそりともその態度を崩さないヴァッシを霧耶は涙目になり、口元を押さえて下から睨め上げた。
 おのれ。何で私だけ。
 そして次に霧耶が取った行動はある意味でレティシエの思惑通りであり、ある意味で朱祇の目を丸くするに足り、ある意味でヴァッシの意表を突く事に成功していた。
 ある意味で。
 「あ、あーん……」
 殺気を孕んだ眼。震える手には箸。掴むは合成鯨の竜田揚げ。
 「……」
 「……」
 「……」
 「……」
 ヴァッシはどうしたモンか、と頭を掻いた。
 「「あ~ん♪」」
 それに追加して、朱祇とレティシエも再び箸を伸ばす。
 俺にどうしろってんだ、と顔を覆ったとき、PX入り口から救世主が―――新たな犠牲者ともいうが―――現れた。





Interlude/7

 昼食を食べるべくPXを訪れた霞は、その一角からなにやら様々な感情が渦巻いているのを知覚し、そちらを向いた。
 
 思えば、それが間違いだったんでしょう、と社霞は後日夕呼に語ったそうである。

 「おー、霞じゃねぇか。こっち来い。この状況どうにかしてくれ」
 そう言ってヴァッシは霞を手招きした。
 「あ……どうしたんですか、ヴァッシさん?」
 「見りゃ解んだろ? ごたごたしてんだよ。Оно помогает(助けてくれ)、ってな」
 霞の性格を知る者があれば、彼との間に如何様な繋がりがあるのかと訝しんだかも知れない。少なくともヴァッシは、霞に親しげな声をかけられる様な人となりには見えない。
 実のところを言えば、ヴァッシと霞の付き合いは彼是1996年からこちら、既に5年以上になる。霞は勿論オルタネイティヴ4発足当時からの中核メンバーであるし、ヴァッシも1997年のA-01部隊発足以前から実働戦力として秘密裏に―――戦術機を動かすだけではない。所謂、裏の仕事も含まれていた―――行動することもあった人物だ。夕呼との個人的な親交も厚く、霞が心を許す数少ない人物の一人でもある。
 「はい、じゃあ……ちょっと待っててください……」
 「なるべく早くな。出来れば俺の胃に穴が開く前に」
 割と切実な声音を聞き、霞は急ぎ足で―――本人からしてみれば、の話だ―――おばちゃんの元へ向かった。

 そして霞が合成サバミソ定食をよたよたふらつきながら運び、席に着いた。彼女とヴァッシの間にあっては恒例の、ヴァッシの隣に。
 途端、霞に三つの強烈な思念が叩き付けられた。ピン、と髪飾りが跳ねる。
 「………」
 恐る恐る思念の方向を見る。そこには。
 空々しいほどに無表情な、自らと同じくらいかそれよりも背の小さい少女と、獲物を見つけた猫のような表情を浮かべる長身の女性。そしてやたらと殺気立った、斯衛軍の制服を着た女性。
 「……?」
 なんだろう、と霞は先ず斯衛軍の女性を読んだ。
 (何だこの少女は? 何故当たり前のようにヴァッシの隣に……妬まし、いや、虎口に飛び込むような真似を……)
 内心とは裏腹に、彼女はどうも自らがヴァッシの隣に居ることが気に入らないようだ、と霞は理解した。
 次いでその隣、小さな人に目をやり、それを読もうとして、なにやら不穏なものを感じて慌ててその隣に視線を移した。
 (あらあら……私の目の前でヴァッシの隣に。しかもこうまで普通に座るなんて、何時も通り、ってことかしら。ヴァッシも趣味が変わったわねぇ……。私も混ぜてもらおうかしら。そうなるとやっぱり■■■■は外せないわよね。それと■■■■■と■■■もいるし、■■■■■■も入用かしら? うふふふふふふふ…………)
 一部閲覧に問題のある部分は伏せてあります。なんというピンク脳。
 びくん、と再び霞の髪飾りが跳ねる。ふるふると頭を振って読み取った思念を振り払おうとするが、無論そんなことは出来るわけもなく。
 傍らで、くつくつと忍び笑いが洩れた。そちらを見ればヴァッシが然も面白い、といった風に嗤っていた。
 その様子に、霞は僅かに不満げな表情を浮かべた。きっとこの人は私が困っているのを解っている。だったら助けてくれてもいいのに、と。
 それを見てヴァッシは悪い悪い、と彼女に思念を飛ばした。
 ああ、と霞は今日もまた思った。
 やっぱりこの人は、読めない。
 バッフワイト素子を使っているわけでもないのに、彼の思考は堅く閉ざされている。それを敢えて例えるとするならば、鎧とでも言うのだろうか。鋼の人型で内側に隠した柔らかな肉体を守る、怯えの象徴。
 唯一。唯一、ヴァッシが覗いてもいい、と僅かに開いた仮面の隙間。それを閉じるまでのほんの僅かな間だけ、霞はヴァッシに触れられる。
 と、霞の右前方から、やたらと禍々しい思考が吹き付けた。
 ぴ、と霞がそちらを向けば、相も代わらず空々しいまでの無表情を湛えた小柄な女性。
 恐る恐る、彼女を見る。
 では、不穏当な部分にフィルターをかけたものを御覧あれ。
 (■■■■■■……。■■、■■■■■■■!! ■■■■■■■■、■■。■■■■■■■■■……。■■■■■、■■■■。■■■■■■■■……!!)
 おや、全部黒い。
 どんな思考だったのかは、霞の表情を見れば凡そ解る。
 おろおろと視線を彷徨わせ、辺りを見回した後、その視線はヴァッシに落ち着いた。
 「あの……」
 助けを求める霞の視線に、ヴァッシは酷く愉しげ笑みを浮かべていた。
 前三方向から向けられる殺気立っていたりピンクだったり黒かったりする思念と隣でくつくつと嗤うヴァッシに、霞は只管におろおろとするのだった。





Interlude/

 彼は目を覚ました。
 寝汗で肌に張り付く服が憂鬱な気分を助長する。

 酷く―――――厭な夢を、見た。

 今でも時々見る夢。
 必ず守る、と仲間と誓った大地を自ら焼き払ったあの日の夢。
 必ず守る、と仲間と誓った民に焼き払われたあの日の夢。
 とても、耐えられなかった。あのままでは幼い―――今現在が幼くないのかと言われれば、首を傾げる外無いが―――"僕"は壊れてしまっただろう。



 そうして"僕"は擬装した。

 けれど、その擬装は思いの外楽しくて。

 いつの間にか、何処からが芝居で何処からが本音か解らなくなって。

 いつの間にか―――――"俺"という自分が、ここにいる。

 

 ちっ、と彼は舌打ちした。
 らしくない。こんな思考を、"俺"はしない。してはならない。
 してはならない、と自分でもよく解らぬ結論を無自覚に下すと、彼は頭を掻いた。
 嘆息し、彼は煙草を咥えて火を点ける。
 ライターの点きが悪い。そろそろオイルを足さなければいけないだろう。
 その一本が燃え尽きるころ、彼は"俺"を取り戻す。
 「ったく……」
 あいつらの所為だ。あいつらが無闇矢鱈に幸せな空気を撒き散らすものだから、"俺"もそれに当てられてしまった。
 既に満員御礼の、勝手に持ち込んだ灰皿に吸殻を押し込むと、彼はベッドから腰を上げた。
 今日も色々やることはある。ほんの気の迷いに拘泥しているような暇はない。

 そうして"僕"は、擬装した。



[4380] 第六部 第一話
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/08/29 01:28
12/18 1136    ハンガー

 新たな機体と試製装備、導入検討装備が搬入されたのが丁度1100。同様に日本製のインターフェースとの互換性を見る為に送られてきた欧州軍の女性用衛士強化服が予備含めて4着。
 フェンリル隊の整備を一手に仕切るディークと小隊長であるヴァッシがそれらの確認を行うべくハンガーで顔を突き合わせていた。
 「あー……特型不知火"草薙"3機、Mk-57中隊支援砲が6門、試製制圧支援モジュール搭載型87式突撃砲が16門。それと欧州軍女性用衛士強化服が4着……。あい、確かに」
 二人で受領表を確認し、順にサインする。それを受け取った経理課の局員は輸送機の方へ引き返していった。
 それを見送ると、二人は荷物に向き直った。
 「で、叢雲にMk-57を2門と制圧支援突撃砲を4門、レティシエお嬢ちゃんの草薙にMk-57を1門に制圧支援を2門でいいんだよな」
 EU軍が97年に制式採用したMk-57中隊支援砲。その製圧力から、帝国陸軍はその導入とラインセンス生産を検討していた。その為に一部部隊で既に実機運用が開始されていた同砲を横合いからかっぱらったものが、今彼等の眼前にある巨砲であった。
 試製87式制圧支援突撃砲もまた、少し毛色は異なるが帝国陸軍の導入検討装備である。これはいわば戦術機版SAWであろう。

 貸しってのは作っとくもんだ、と嘯く。
 導入検討装備を二つも同じ部隊、しかも小隊に配備するという我儘はそう易々と通るものでは無論なく、先日のクーデター残党の件がなければもう少しもめたであろうことは想像に難くない。
 第一、斯衛軍から衛士二人を出向させるという無茶も、以前から城代省に作っておいた貸しを返してもらおう、と夕呼とヴァッシの二人でケラケラと笑いながらゴリ押した結果である。
 尤もその結果送られてきたのは嘴の黄色い雛と、腕は確かでも煙たがられている元前線兵。鼻抓み者が二人であったが。

 「ああ。それで頼む。午後から慣熟訓練があるから1300までにはセットアップ終えといてくれ」
 あいよ、とディークは応え、それから呆れるように言った。
 「にしても随分と火力が偏ってるなァ。下手すりゃF小隊だけで中隊規模じゃねぇか?」
 「そうさな。まァ元々フェンリルはアレ・・があがったら直衛に特化する予定だったし、火力が高いことに越したこたァねぇんだが……なぁ」
 頭が膿んでるとしか思えん、とヴァッシは苦笑した。
 「で、衛士強化服はどうするんだ? 二人に着せるのか?」
 この強化服は、先の二つとは若干様相を異にする。これはA-01が試験部隊としての役割もあることが関係していた。
 実際に有るかどうかは兎に角、例えばEU軍と帝国軍が共同で行う作戦の際、EU軍の衛士がベイルアウトしたとしよう。更に、帝国軍側にだぶ付いている戦術機が一機あるとしよう。
 そうしたとき、インターフェースの互換性がなければ誤作動を起こしかねない。それがあるかないかを確かめる為の実機運用試験であった。
 そうしたことを考えれば、選択肢はないも同然であった。
 「いや、霧耶は万一のことがあった場合に対処し切れねェ。レティだけだ」
 然も在らん、とディークは頷く。
 「妥当な線だな」
 「まァな。じゃ、セットアップの方頼んだぜ。俺は演習開始まで適当に時間潰すわ」
 あいよー、とのディークの気の無い返事を背中に受け、ヴァッシは格納庫を後にした。
 煙草を吹かしながら自室に戻る。ドアノブに手を掛けると、丁度霧耶が自室から出てきた。身を包むのは斯衛の第一装ではなく、国連軍のそれである。
 「お、届いたのか」
 そう声を駆けられたことでヴァッシに気付いた霧耶が彼に向き直り、お披露目するように腕を少し広げる。その顔には、若干の恥じらいが浮かんでいた。
 「ああ、今日草薙と一緒にな。しかしなんというか、少し窮屈だな。まぁ斯衛軍の物はゆったりした造りだったからそれと比べればだが。それで、その……」
 似合っているか、と霧耶が口にする前にヴァッシの口撃が炸裂する。ビバニブチン。
 「なんだ、似合ってんじゃねェか。斯衛の第一装もよかったが、これはこれで」
 その台詞に、霧耶は絶句した。
 開いた口が塞がらないとはこのことか、と千路に乱れた脳髄が思う。
 (こ、この昼行灯はあぁぁぁぁぁぁぁ……!!)
 と、急に首元まで赤くして俯いた霧耶の顔を、ヴァッシが覗きこんだ。
 「おい、急にどうした? 熱でもあんのか? だったら午後の慣熟は延期して……」
 「いや!! なんでもない!! 大丈夫だ!!! 私はこれ以上ないほど健康だぞ!!?」
 その剣幕に若干引き気味になりながら、ヴァッシは引き攣った笑みを浮かべてそうか、と応えた。
 「ならいいんだが。ま、なんだ。体調管理はしっかりな。あァあとアレだ、今日から99式衛士強化服にしてくれって話、聞いてるよな?」
 「あ、ああ……もうロッカーには入っている筈、だ」
 空気が読めないのか、空気を読まないのか。兎に角仕事の話に戻してくれたヴァッシに霧耶は感謝した。
 「なら午後の演習からそれにしてくれ。じゃな」
 霧耶はそう言って部屋の扉を閉めるヴァッシを見送るでもなく見送ると、「何をやっているのだ、私は……!!」と呻き、その場でしゃがみ込むのだった。




同日 1311    D演習場
 ヴァッシがMk.57 2門でターゲットを滅茶撃ちにする傍ら、他の3人は草薙への慣熟訓練を行っていたが、ヴァッシの予想通り堂本以外は劣悪な機体バランスに完全に振り回されている。

 草薙はヴァッシが夕呼に働きかけ、それを受けて夕呼が戦術技研に発注した不知火改修機である。要求スペックは叢雲に追従可能な速力・加速力と並程度の火力を同時に満たすこと。
 原案はヴァッシとその専属整備班が提出し、それに沿う形で製作が行われたが、発注から完成まで一週間と間がない急造品。碌々テストも行われていない、欠陥兵器と言っても差し支えの無い代物であった。

 それが証拠に、見れば堂本すらも若干持て余している気配が窺える。しかし彼らとて斯衛軍衛士であり、元オルタネイティヴ5実働部隊のメンバー。当初ヴァッシが予想していたよりはその欠陥兵器を乗りこなしていた。
 「巧く乗ってるじゃねぇか。もうチョイ難儀するかと思ってたんだがな」
 ヴァッシの誉め言葉―――それすらも嘲り笑うような響きを含んでいた―――にレティシエは唇を尖らせ、文句を言った。
 「それはどうも。それにしてももう少しマトモな機体に出来なかったの? 今だってやっとこさよ」
 「まァそこはお前らへの信頼の証とでも思ってくれや」
 何時も通りの応酬、のように見えた。が、彼のことを最もよく知るレティシエは違和感を覚える。
 第一らしくも無いじゃない、と思った。
 第一ヴァッシがこんな不完全極まる機体を寄越すとは考え辛い。昔と比べればひねた所はあれど、完璧主義一歩手前の行動は変わっていない。
 またぞろ機密がらみだろうが、と思いながらも疑問を口にする。
 「それにしても……なんでこんな滅茶苦茶な機体を持ってきたのよ? 碌にテストもしてないでしょ、これ」
 御明察、とヴァッシは軽く嗤うが、リードオンリークラスの機密でね、と明言しなかった。レティシエも想像通りの答えであったからか、でしょうね、と返すだけで慣熟訓練に戻っていった。

 その後演習終了時間が終わる頃には、3人とも完全にとは言わないまでもかなりの錬度を発揮できるようになっていた。



同日 1923    隊員食堂
 「そういえば、ヴァッシ」
 そう言って霧耶がヴァッシに声を掛けたのは、食堂でのことだった。
 空のトレーを手に席を立とうとしていたヴァッシはその声に振り返る。
 「ぁんだ?」
 「ヴァルキリー中隊に来た新人の話を聞いているか? 何でも男だそうだが」
 ああそのこと、と呟くとヴァッシは席に戻った。
 「アイツだよ、あー、XM-3評価試験の時に……」
 「ああ……あの訓練兵か……」
 若干言葉に詰まった霧耶に構わず、ヴァッシは口を開いた。
 「そ。何でもあの後脳味噌が月の裏側から帰ってきたら直ぐに最前線に送られたらしいがね。あのザマで生きて帰ってきたんだから、ちったぁ見れるようになってんじゃねェの?」
 さして興味もなさそうにヴァッシは言う。
 それに対して霧耶が一言物申そうとすると、それを遮るようにヴァッシが口を開いた。
 「ま、明日の午前はソイツを伊隅サンと一緒に扱く仕事が入ってるからな。ウチで使えるレベルまでは鍛えてやるさ」
 最後の一瞬だけ浮かんだヴァッシの表情を見て、霧耶は目を瞬かせた。が、その直後、頭を振ってその表情を脳髄から追い出した。
 「さて、話は終わったか? 今日の分のトレーニングとかあるし、もう帰っても?」
 「ああ。すまんな、時間を取らせた」
 構わんよ、と言って席を立つヴァッシを見送る。その視線の先で、トレーを返している様を見て、まさかな、と改めて先程の映像を振り払った。
 「まったく……」
 意図せず。
 霧耶の体がふるり、と震えた。一瞬でも先のヴァッシが浮かべた表情を思い出したのがいけなかったのかも知れなかった。

 酷く冷たい、冷め切った表情。何時ものヴァッシには在らざる、澄み切った、純粋な無関心。
 酷く無機質な、酷く昆虫染みた表情だ、と霧耶は思った。

 馬鹿なことを。私が奴に怯える理由など、あるものか。



12/19 1232    食堂

 ヴァッシは伊隅と共に白銀に対する午前の座学教習―――表向きは―――を終え、食堂に来ていた。注文の品+αが乗ったトレーを机に運びながら、白銀の出来について軽く話し合う。
 ヴァッシが口に乗せるのは、高評価だった。
 「意外と悪く無ぇな。チョイとアマチャンな帰来はあるが、頭がやわらけぇしモノ覚えんのも早ぇ」
 「そうだな。あれならば正規軍でも十分通用する」
 その言葉を不敬という無かれ。ヴァッシは他人の目が無い時、殊香月以外には敬語を一切使わない。無論、伊隅はそれを了解していた。余談となるが過去A-01に所属していたあらゆる上官に対し、彼は一対一である場合は敬語を使わなかった。
 伊隅の言葉に相槌を打ち、ヴァッシはニヤリと嗤った。
 「後は実戦で使い物になるかどうかだな。頭でっかちなようならCP行きだ」
 それを見るためもあり、明日明後日とシミュレーターによるHIVE突入訓練、フェンリル小隊とヴァルキリー中隊B小隊による実機演習が組まれている。
 「そうだな。尤も奴等は帝都守備隊相手に死者を出していない。実力的には問題ないだろう」
 ソイツはどうかね、とは口にせずに席に着くと、ヴァッシは食器トレーに目を落とした。
 そして眼に映るのはトレーの端に乗る、忌まわしき発酵食品。
 「はァ……」
 決して彼が頼んだわけではない。何が悲しくて嫌いなものをわざわざ頼まなければならんのか。
 「ていうか合成ラーメンに合成納豆って食い合わせどうなのよ……」
 納豆が余っていると、京塚が時たまヴァッシに食わせようとするのである。
 伊隅はその様子に苦笑した。
 ヴァッシは納豆が嫌いだ。臭いも駄目だし、ぐにゃりとした独特の食感も好きになれない。
 目の前の不良中尉のそんな子供っぽい面を、伊隅は微笑ましくさえ思っていた。
 「相変わらずなんだな。口直しにどうだ?」
 そう言って伊隅が取り出したのは茶褐色とでも言うべき、あからさまに不味そうな色調のパック飲料だった。
 「あー、それか……。いや、遠慮しとく。それ不味いし。口直しにならん」
 「不味いか? 結構美味いと思うんだが」
 「毎度思うがお前味覚逝ってるだろ。で、これ喰わねぇ?」
 ヴァッシは伊隅に納豆のパックを示した。自分で食べる気はさらさらないらしい。
 伊隅の呆れたような視線に、ヴァッシは背凭れに体を預け、嫌そうな顔で答えた。
 「先週も残してオバちゃんに大目玉食らったからな、いい加減連敗記録は打ち止めにしときてぇからな。かと言って納豆なんざ喰いたくもねェ」
 そして、放り投げるようにして納豆のパックを伊隅のトレーに置いた。押し付ける気満々である。
 「ヴァッシ……、いい加減克服したらどうだ? 慣れればそう悪いものでもないぞ」
 「断固拒否する。アーリア人の舌は納豆喰えるように出来てねぇんだよ……ッと、白銀少年のお出ましか」
 よぉ、とひらひら手を振るヴァッシに気付いたか、白銀は手にしたトレー―――上に乗るのは合成サバミソ定食―――を卓の上に置き、ヴァッシの隣に座った。
 挨拶もそこそこに3人揃って食事を始める。
 ヴァッシは5分とかけずに―――無論納豆は伊隅のトレーの上だ―――合成ラーメンと合成餃子のセットを平らげると、いつものような底意地の悪い眼で白銀を見やった。
 その視線に、まだサバミソを口の中でモグモグさせていた白銀は訝しげな顔をする。取り敢えず口の中のものを飲み下し、ヴァッシに向き直った。
 「中尉、なんか用ですか?」
 その言葉に、ヴァッシは嗤みを深くした。白銀に嫌悪感が刻まれる。
 「なに、用って程のモンでもない。唯あのぴーぴー喚いてた玉無し野郎がマトモな目ェするようになったと思っただけさ」
 途端、白銀は真っ赤になった。
 「ちょ、まさかあの戦術機の衛士って……!!」
 慌てる白銀の様子がツボに入ったか、ヴァッシは手を口元に当て、くつくつと嗤いながら応える。
 「ああ。XM-3評価試験のときにお前さんの吹雪をぶっ壊した衛士ってなら俺だ。ありゃぁいいザマだったぜ」
 あからさまな嘲笑に、白銀の顔色が益々以て悪くなる。それを眺めるヴァッシは酷く愉しそうであった。
 それを伊隅が溜息と共に諌める。
 「やめんか。まったく……悪い癖だぞ、中尉」
 「スイマセンね。こればっかりはどうにも治りませんわ」
 処置なし、とばかりに再び深い溜息をついた伊隅に対してヴァッシは皮肉気に嗤い、肩を竦めてみせた。

 食事を終え、再び学科に戻るも、ヴァッシの白銀に対する対応は一切の変化を見せず、それにより白銀は態度を硬化させる。
 冥夜の言葉を借りるのであれば、よく知りもせずに悪し様に断じたのである。尤も初見で彼に好印象を持つ者など、そうはいないであろうが。


 これが、結局最後の最後まで擦れ違い続ける二人の、二度目の―――まともな、と冠詞をつけるのであれば初の―――邂逅であった。





登場メカ設定


87式突撃砲用試製制圧支援型モジュール

 帝国陸軍戦略技術研究所が後衛向けに開発した87式突撃砲に装着するモジュールで、重長砲身、砲身下面の120㎜滑空砲と大容量マガジンで構成される。本モジュールは後衛及び小隊火力の向上を目的として開発されたものである。
 通常の87式突撃砲では砲身冷却性能の問題で持続射撃には向かず、チェインガンであることから射速が速く、弾薬の消耗が非常に激しいため、効果的な制圧射撃を行うには性能が不足している。これに対して前線での後衛は複数の突撃砲を携行、支援突撃砲を装備しての射程延長、ALMランチャーの装備などで火力を水増しして取り敢えずの解決策としたが、運用側からは抜本的な解決を望む声が後を絶たなかった。そこで戦略技研では”戦術機版SAW”を開発することでその問題に対応したのである。
 開発に当たっては既存の87式突撃砲をベースとし、砲身は支援突撃砲の砲身の肉厚を増したものを用いている。砲身下面には30口径の120㎜滑空砲が装備され、36㎜マガジンは通常の2,5倍、5000発の膨大な総弾数を持ち、当然通常規格の2000発マガジンも装備可能である。なお120㎜滑空砲のマガジンは通常規格の6発ストレートマガジンとなっている。本モジュールの通常運用に際しては87式支援突撃砲と同様に一門で運用される予定である。
 余談となるが本モジュールは制式採用の可能性が非常に濃厚であり、その際には既存の87式支援突撃砲との混同を避けるため本モジュール搭載型を87式制圧支援突撃砲と命名し、87式支援突撃砲を87式打撃支援突撃砲と改称する予定となっている。



叢雲護衛兼データ収集用随伴機 草薙

 不知火をベースに叢雲の速度に追従するために強化跳躍ユニットを搭載、背部パイロンに補助跳躍ユニットを2機追加搭載した機体。通常の不知火と差別化を計る為に草薙の名称が与えられた。
 ジェットエンジン搭載によって唯でさえ高い重心が更に高くなり、さらに航続距離延長のために大型のコンフォーマルタンクを搭載しており、急造品であることから各種テストも十分とは言えず、機体バランスは悪い。なお専任衛士として選出された3名の内2名が斯衛軍所属であったことから武御雷を改修する案もあったが、政治的な理由から却下された。
 背面の補助跳躍ユニットはF-15ACTVアクティヴイーグルに搭載されたものとよく似ているが、本機においてはXF-108叢雲へ追従可能な速度性能と少なくとも並の火力を同時並行して要求したため、着脱式ではなく固定。肩部のハードポイントには叢雲搭載兵装の弾薬ポッドを搭載する予定であるため、バーニアは装備されていない。背面武装担架を潰して補助跳躍ユニットを搭載したため、火力低下を防ぐ為にブラックウィドウⅡ同様に肩装甲背面に武装パイロンを搭載している。
 3機が製作され、斯衛軍衛士である霧耶澪と堂本英嗣、元米国機甲師団衛士のレティシエ・フォン・シュッツガルドの3名が受領した。



[4380] 第六部 第二話
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/08/29 01:34
12/20

 午前のシミュレーターによるヴァルキリー中隊とフェンリル小隊の連携並びにHIVE突入訓練はヴァッシの観点から見て、「まぁこんなもんだろ」というレベルだった。
 有り体に言って、彼の満足しうるものではなかった。
 決してヴァルキリーズの補充要員の技量が劣悪だったというわけではない。寧ろ彼の予想を上回る技量を発揮した。
 が、フェンリルとの連携となると―――ヴァルキリーズ古参連中は兎に角―――実にお粗末だった。フェンリルの部隊特性を理解しきれていないのも大いにあるだろう。
 もとよりフェンリル部隊はA-01の中でも最精鋭が掻き集められた実質的に最強の部隊であった。それ故部隊が健在であった今年2月までは斬り込み部隊として多いに暴れ回り、それを知るヴァルキリーズの面々はそうであるとして動いた。
 そして新任には、それがない。
 前提がない。
 知識がない。
 実感がない。
 軍神テュールの右腕を喰い千切り、戦神オーディーンを喰い殺した魔狼の行いが如何に狂気に彩られたものであるかという、認識がない。



 時を、遡る。



 ヴォールクデータを元にしたフェイズ4HIVE坑内のイメージ映像が網膜に投影される。実機と比べれば些か味気のない振動に欠伸を噛み殺し、ヴァッシは咥えた煙草を上下させた。
 彼も如何に実戦経験が豊富とは言えど、実際にHIVEに潜ったのはオルタネイティヴ3に協力した際の一度きり。
 その一度で彼はヴォールクデータの陳腐さを思い知った。
 何もヴォールク連隊の功績を嗤う訳ではない。事実その一度きりのHIVE侵攻の際にもそれには多分に世話になっているのだ。それを嗤うなど、幾らヴァッシとは言えど出来はしない。
 だが、あれは"唯のデータ"なのだ。しかも古いデータだ。どう頑張ってみた所で実際とは異なってくる。
 事実ヴォールクデータでは予期も予見も出来ないタイミング、位置からBETAの大群が押し寄せ、ヴァッシが所属した隊は完膚なきまでに叩きのめされ、壊滅したのである。ヴォールクデータを用いたシミュレーションでは最善の経過を経れば、ともすればHIVEを落とし得るとの結果を得たジノーヴィ・ゼーファ・ゾブロジョブカ大佐率いる特殊戦術情報部隊が、だ。
 それ故にヴァッシはこのシミュレーター訓練を不真面目、とは言わないまでもかなり気のない様子で行っていた。
 と、幾度目になるか解らない欠伸を噛み殺したヴァッシに伊隅から秘匿回線で通信が入る。
 「ヴァッシ、もう少し真面目にやれんのか? そんな様では示しが付かんだろう」
 僅かばかり怒りの篭もった声音だが、ヴァッシを動かすには些か不足だったようだ。それに対したのは不機嫌さを隠しもしない、ぼやきにも似た声音であったから。
 「ウルセェな、HIVE直接侵攻を経験してねェお前らにゃ解らんだろうが、ヴォールクデータは実際問題参考程度にしかならねぇんだよ。スワラージ作戦、知ってんだろ? 俺はあの作戦でオルタ3直下の特殊戦術情報部隊と一緒に潜ってんだよ。結果は御存知の通り壊滅。シミュレーターじゃともすればHIVEを落とせるかもっつわれた錬度の部隊が、だ」
 その時、ヴァッシは同乗者を乗せる為にブラックウィドウⅡではなく複座型のF-15Eに搭乗していた。正直な所あそこから生還できたこと自体、彼には奇跡の様に思えてならなかった。
 言葉は続く。無論、シミュレーター画面からは意識を外さずに、である。
 「その部隊を指揮してたソヴィエトの大佐はな、俺が幸運にも巡りあえた最も優れた衛士の一人だった。ソイツの指揮能力は俺やお前は勿論興梠中佐も及ばねェ、素晴らしいモンだった。その男が指揮する部隊が壊滅的な被害を負い、俺とソイツに加えて二個小隊が脱出するので精一杯だったんだぞ? 悪いことは言わねぇ、ヴォールクデータは参考程度に考えろ」
 そして言葉が切れた瞬間、ドリフトが現れ、そこからBETAの群れが怒涛の如く押し寄せた。
 「ッ……!! B小隊、前へ……」
 伊隅がその言葉を終える前に、ヴァッシは飛び出していた。それに遅れることなくレティシエの草薙が続き、半瞬遅れて霧耶と堂本が続く。
 が、ほぼ同時に飛び出したはずのレティシエですら置いてきぼりとなっていた。叢雲に追従するために無茶苦茶な改修を施された草薙を以てしても、その卓越した―――というよりも異常な―――速力と加速力には着いて行けない事がここに証明されてしまったのである。
 ヴァッシはそれに構わず突撃を敢行する。
 単機で小隊火力を裕に上回る火力を示す叢雲と、それと比すればまだ常識的であるとはいえ一般的な観点から言えば十二分な火力を持った草薙3機の集中砲火にタンク、グラップラーのBETA混成部隊は瞬く間に制圧されてゆく。
 遅れてヴァルキリー中隊も戦列に加わるが、殆どやるべきことは残っていなかった。
 状況が落ち着くのを見計らい、ヴァッシは伊隅に通常回線で通信を入れる。
 「どうします、俺としては昔みたくフェンリルで突出、露払いと行きたいんですが」
 伊隅はヴァッシのその提案に、少し悩んだ。
 フェンリル隊隊員は成程、それを可能にするだけの技量はあるだろう。しかしこれはHIVE突入に於けるフェンリル、ヴァルキリー両部隊の連携訓練なのだ。
 静かに悩む伊隅に、別の通信が入る。不満げなそれは、榊のものだった。
 「少し宜しいでしょうか?」
 「榊か。どうした、言ってみろ」
 「今の会敵戦闘ですが、フェンリル小隊が突出しすぎと思われます。これでは連携訓練になりません」
 それに伊隅が答える前に、ヴァッシが口を開いた。
 「じゃあ何か、お前さんは俺たちにお前らの後ろで縮こまってろってのか? 莫迦言え。叢雲は―――フェンリルは強行突入、強行突破、強襲、限定広域防衛に特化してるんだぜ。後方支援? わざわざフェンリル最大の特徴である突進力を殺せ、と?」
 莫迦莫迦しい、と吐き棄て、ヴァッシは伊隅に決断を迫る。
 「早く決めてくださいよ。俺たちを突出させるか、それとも足を引っ張り合うか」
 「…………本隊から1000m以上離れるな。それ以上離れられると相互援助が出来なくなる」
 「了、解ぃ。フェンリル小隊、500m突出する」
 喜悦を多分に含んだその声は、オープン回線に乗ってフェンリルは勿論、ヴァルキリーズにも伝わった。
 その声音に、元207の全員は背筋を凍らせる。それは、魔狼の脳髄が狂っていることに初めて気付いたかのようであった。


 行軍が続き、幾度か小勢と遭遇した後で、大きな軍団の接近を捉えた。
 「11時方向1200m、連隊規模のBETA集団2個です」
 CPの凉宮が敵の出現を告げた。
 同時にヴァッシは戦闘体勢を取る。手持ちのMk-57と併せて背面武装のLWRSS、LBT-Type2を共々展開し、武装担架の87式制圧支援突撃砲4門も前面に収束。
 レティシエもMk-57を構え、霧耶は右手に長刀、左手に突撃砲をそれぞれ構える。堂本も突撃砲を構え、敵に備えた。
 そして異形の群れを視界に捕らえたその瞬間、叢雲は巨人に蹴り飛ばされるが如くに飛び出した。それに併せて草薙も飛ぶ。
 叢雲が露を払い、その取りこぼしを草薙が拾う。更にその取りこぼしを、ヴァルキリーズが拾ってゆく。
 が。
 それまで小勢との戦闘ばかりだったからか、やはり新参組は理解していなかった。
 「ッ……!?」
 霧耶の草薙を、冥夜の放った36㎜弾が掠める。
 「わッ!? ちょっと、何やってんの!?」
 榊の発射した120㎜弾の殺傷範囲にレティシエが入りかける。
 あまつさえ―――
 「だっ!!」
 叢雲が肩にFFを受け、体勢を崩した。そこにBETAが殺到する。
 「ヴァッシ!!」
 霧耶は弾の切れた突撃砲を放り投げ、短刀を引き抜いて叢雲に近付いた。が、ヴァッシに一蹴される。
 「馬鹿野郎!! テメェのことを優先しろ!!」
 叱責と共にヴァッシは叢雲の全身に口を開けるスラスターを噴射した。その噴射―――否、爆発―――で、纏わり着いたタンク級は軒並み吹き飛ぶ。
 間近で衝角を振り上げるグラップラーが目に入った。
 それを蹴り飛ばそうとした瞬間。
 「―――――疾ッ!!!」
 霧耶が長刀を振り落とす。振り上げた姿勢のまま、グラップラーは袈裟に切り裂かれた。
 「自分のことを……なんだって?」
 「チッ……ありがと、よっ!!」
 機体を起こそうとした瞬間、草薙の背後に影を捉えた。反射的に操縦桿を手繰り、それに合わせて右手に持ったMk-57が跳ね上がる。トリガー。
 ガン、という重い砲声と共に徹甲弾が放たれ、背後に迫ったデストロイヤーを撃ち貫いた。
 「テメェのことを優先しろ、だ」
 そう言ってヴァッシは叢雲を立ち上がらせた。
 見れば状況はまだ混乱している。やはり新参組が足を引いていた。
 「チッ」
 柏木や珠瀬はまだマシか、と嘆息する。二人は新参8人の中でも観察眼に優れ、射撃に秀でた兵士である。が、後の6人は実にお粗末だった。
 彩峰はレティシエが吹き飛ばしたBETAで視界が遮られたと言って間誤付き、榊は堂本が斬りかかったメデュームを撃ち殺し、危うく堂本を巻き込みそうになる。
 眼も当てられない、と顔に手をやり、気を取り直して操縦桿を握る。
 「行くぞ。これが終わったら新任連中にゃお説教だ」
 所々に齧り跡が付いた叢雲が飛び出した。
 それからまた幾度か叢雲に弾丸が掠めるというトラブルはあったが、どうにか9割方を片付けた、そのとき。
 叢雲は背後からの"砲撃"を受け、機能を停止した。叢雲の正面装甲強度が幾ら桁外れだとは言っても背面装甲はあくまで並程度しかない。
 「あ―――――ッ!!」
 フレンドリーファイア。
 メデュームを切り払った叢雲。その背後でヴァルキリー05、凉宮茜が同じメデュームに照準を合わせ、トリガーを引いたのである。
 『フェンリル01、ヴァッシ・ウレンベック!! シミュレーション演習終了!!』
 ひゅうう、という圧搾空気が減圧する音と共にヴァッシの視界が筐体内部のそれに戻る。
 ヴァッシは深く溜息を付いた。煙草を咥え、火を点けると筐体から出る。
 ごうんごうんと唸りながら駆動する筐体を暫らく眺めていると、やがてそのうち3つが停止し、衛士が3人、そこから出てきた。順に霧耶、堂本、レティシエである。
 「よう、どうなった」
 「どうもこうもない。あの後叢雲を欠いた我々は80mばかり潜った所でBETA一個大隊に包囲殲滅された」
 だろうな、とヴァッシはその言葉に首肯した。
 先ず以てフェンリルの部隊運用は叢雲ありきである。それが失われれば、後は瓦解するだけだ。
 まァしょうがねェか、と頭を掻きながらヴァッシはシミュレータールームを後にし、フィッティングルームへと足を向ける。3人も、それに続いた。


 「まぁ、こんなもんだろ」
 ヴァッシは既に数本目となる煙草を吹かしながら、シミュレーター筐体から下りてきたヴァルキリーズに向けて失望を含んだ言葉を投げた。
 到達深度は376m。フェンリル小隊が全滅したのは深度305mだった。
 紫煙を吐き出し、水を張ったバケツの中に吸殻を放り込むと、ヴァッシはデブリーフィングの為にシミュレータールームから出て行った。


 同日 1214    ブリーフィングルーム

 「今回は……そうだな、ヴァッシ。何か言いたいことはあるか?」
 デブリーフィングの冒頭で、伊隅はヴァッシに話を振った。
 その言葉に、ヴァッシは煙を棚引かせる煙草を咥えたまま、静かに言った。
 「結果に関しちゃ、まァ俺から言うべきことは何もねェ。テメェ等が一番よく解ってる筈だし、後で大尉からなんかあんだろ。正直な所、俺は今日のシミュレーター訓練はHIVE突入よりもフェンリルとヴァルキリーズとの連携を重視してた。古参連中はまァいいわ。問題は207の連中だよ」
 そう言って、ヴァッシは当人たちを睥睨する。
 「白銀は兎に角、他の連中は模擬戦の戦闘ログ見てんだから俺のヤリ方知ってんだろ? 叢雲がどういう機体かも知ってる筈だ。莫迦じゃねぇんだからソレに随伴する為に造られた草薙がどういう機体かも想像着くだろ? アレを並の戦術機と一緒に考える方がどうかしてる」
 その言葉にA-01古参組はまたか、といった表情をし、新参組は渋い顔をする。
 「解ってんならなんでソレに即して動かねェんだ? テメェ等がそうやって動けば白銀も学習したはずだ。テメェ等がやらねェから白銀も学ばねェ。フレンドリーファイアも別に凉宮、お前に限った話じゃねぇ。今日はたまたまお前の弾が当たったが、もしか他のヤツの弾だったかも知れねぇんだぞ、俺の背中に食い込んだのはよ」
 ヴァッシの言葉は酷く辛辣だった。しかしそれが悉く事実であるが故に、白銀達は沈黙する。
 堪らず、霧耶が止めにかかる。
 「ヴァッシ、言葉が過ぎる……」
 が、それを言い切ることは適わなかった。
 「五月蝿ぇ馬鹿野郎!! テメェで仲間を死なせてどうする!!? 相手は犬死だ、犬死!!! 俺は今日犬死したんだよ!!!!」
 ヴァッシの記憶が、フラッシュバックする。


 リエントリーシェル、黒煙、光、熱。
 無人の荒野、魂の慟哭、焼け付いた掌。

 燃え尽き、決して戻らない約束の地。


 場が静まった。
 ヴァッシは舌打ち一つ、席を立つ。
 そして誰かが口を開く前に、先を制した。 
 「大尉、後頼みます。レティ、あとで俺のところにレポート持ってきてくれ」
 その背中を止める者は、居なかった。



 同日 2229    ヴァッシ自室

 かしゃ、と硬質な音を立ててモーゼルが分解された。
 今日何本目になるか解らない煙草を咥え、淡々と分解整備を行うヴァッシの傍らには霞が何をするでもなく佇み、ヴァッシの手元を眺めていた。
 手袋を填め、クリーニングロッドを銃口から挿入して銃身内を清掃。ブラシを使って機関部を磨き、オイルを吹き付ける。クロースにガンオイルを垂らしてバラバラになったパーツを一つ一つ丁寧に磨き上げる。
 それらを組み上げ、ボルトを引き、口を開けたチャンバーにクリップを取り付けて装填。クリップを外し、ハンマーをデコック、セーフティーをかける。
 完成したそれを卓上のフェルト生地の上に置くと、今度はホルスターを卓上に置いた。
 黒色の、牛の本皮で作られたそれを、保革油を少し付けた柔らかい布で拭く。
 隅々まで丹念に油を廻すと、モーゼルをその中に納め、机の引出しに仕舞った。
 深く、溜息をつく。
 またやった。
 レティが来てからこちら、どうも感情の箍が緩んでいるらしい。
 アイツが来てから、あの日をよく―――――夢に見る。

 彼は唐突に―――――全く唐突に頭を掻き毟りながら叫びたい衝動に駆られた。指先が震えた。日常の些細なことにさえ吐き気を催す程の違和感を覚える、剥き出しの彼が其処にいた。
 彼は綺麗なものが好きだった。優しいものが好きだった。だけど手に入れようとは決して思わない。思うことが出来ない。
 綺麗なものは好きだ。優しいものも好きだ。だが、綺麗な物を見い出す度、優しい空気に触れる度、彼はそこに佇む自分を嫌悪するのだった。
 何処が狂っていて、何が不幸なのかという問いは意味を成さない。
 だが、彼は己が不幸だということを認めるわけにはいかなかった。それだけはなんとしても認められなかった。
 幾多の犠牲の上に立つ存在が不幸なのは、その犠牲全てへの冒涜だと信じていた。そして自らの抱えた―――抱えてしまった―――違和感を飲み下すことが出来ない己こそが狂っているのだと信じるしかなかった。それは、ある種の自虐だとすら言えた。
 
 呼吸を整える。意識して震えを取り払う。
 早く取り戻さないと。早く"俺"を取り戻さないと。



 ―――――どうしてだろう、と霞は思った。随分前から思っていることだった。
 どうしてこの人は私をこんなに気にしないんだろう。この人は私がどんな人間なのか知っているはずなのに。どうして、ただの少女のようにしか扱わないんだろう。
 ちらりとヴァッシを見上げた。基地一の不良士官。何時も通りの、この世の全ては性質の悪い冗談なのだとでも言いたげな表情だった。傍らの霞を気にした様子もなく、廃墟を眺めるような眼で世界を観察している。
 そんな彼が急に凄絶な表情を浮かべ、苦しげに呻いた。



 「あの……ヴァッシさん……?」
 ヴァッシは錆びた自動機械染みた動きで首を動かすと、傍らに佇む少女を見た。全力を傾けなければ視線一つ動かせそうになかった。
 見上げる眼。不安げな眼。そこに映る自分の姿。
 彼は思った。どうしてだろうと思った。
 どうしてコイツは、こんな眼で俺を見るんだろうと思った。
 肉刺や胼胝で硬くなり、節くれ立った手を酷く苦労して持ち上げた。それをそのまま霞の頭に乗せる。ぽすん、と彼の掌にあつらえたような小さな頭に落ちた衝撃に、霞は少しだけ首を竦めた。
 「何でもねェ。ああ―――――なんでもねェさ」
 ヴァッシの腕は格納庫のクレーンにすら劣る器物に成り果てた。そこから腕を持ち上げようとする意思が、どうしてだか湧くことがなかったからだ。
 ぐりぐりと腕を動かす。柔らかな動きなど望むべくもない。肩だけを動かして、それは撫でるというよりも掴んだ頭を振り回すような有様だった。
 そんな理不尽を受けながら、霞はぱちくりと珍しい表情を見せていた。嫌がってくれればやめるのに、とヴァッシは更に理不尽なことを思う。
 もう一度、どうしてコイツはこんな眼で俺を見るんだろうと思った。
 そして霞は嫌がらなかった。それどころか、肯定した。
 「優しい、です」
 伸ばした掌が、ぴたりと止まった。
 今度はヴァッシが目を瞬かせた。ふっと笑う。先程までの葛藤など、どうでもよくなっていた。
 通常起動に戻ってくれた腕を、漸く霞の頭から引き剥がした。最後にくしゃくしゃと髪を掻き回す。目を細めてそれを受け入れた霞を見て、ヴァッシは小さな可笑しさを憶えた。
 「……全く以て、キャラじゃねぇよなぁ?」
 見上げる霞の視線を感じて、ヴァッシは視線を前に戻した。今度は自分の顔に手を伸ばす。その手を声が遮った。
 「珍しいです……」
 ヴァッシは何が、と言いたげな眼をする。それに応えるように、霞は微笑んで言った。
 「……笑ってます」
 伸ばした掌がぴたり、と止まった。
 自分で確かめる前に教えられてしまった。
 酷く気恥ずかしかった。
 情けない顔を霞に向け、恥じ入るように言う。
 「そういうときは、気付かない振りをしてくれんか」
 「……解りました」
 「なんでそこで不満気なんだ、お前さんは」
 ヴァッシは煙草を灰皿に突っ込んだ。

 先程までの欝な感情は何処へやら、酷く晴れ晴れしい気分だった。





 部隊設定

 フェンリル中隊(小隊)

 A-01設立当時からヴァッシ・ウレンベックが指揮を取り、A-01所属衛士の中でも選りすぐりの衛士が集められた実質的にA-01最強の部隊。戦場では常に先陣に立ち、斬り込み隊として暴れまわった。しかしその立ち位置から人員消耗はA-01内でも段違いに激しく、しばしば小隊単位での欠員(3~4人を同時に喪失など)を生じていた。
 1999年8月以降は中隊定数に届かない状態で部隊運用を行っており、2001年2月の佐渡島から新潟へのBETA侵攻の際の出撃でヴァッシ・ウレンベック一人を残して全滅。以後2001年11/7に霧耶澪、堂本英嗣が帝国斯衛軍より召喚され、同26日にレティシエ・フォン・シュッツガルドが入隊するまで事実上ヴァルキリー中隊に組み込まれる形で運用されていた。その際、ヴァッシ・ウレンベックはB小隊、突撃前衛部隊に組み込まれていた。
 隊則に"殺すときは殺せ。容赦なく、残酷に"という言葉を掲げており、その言葉通り、フェンリル部隊の戦いぶりは苛烈極まるものである。 
 なお前述の三名が入隊し、叢雲が配備されて以降のフェンリル部隊は叢雲を運用上の中心とした変則的な編成を敷いていたためポジションは何れも便宜上のものであり、個々の装備はポジションに順じていない。

フェンリル01 ヴァッシ・ウレンベック 突撃前衛 
装備:LBT Type2×1 LWRSS×1 試製96式特殊長刀×2 Mk-57中隊支援砲×2 試製87式制圧支援突撃砲×4

フェンリル02 霧耶澪 強襲前衛 
装備:87式突撃砲×2 74式長刀×2

フェンリル03 堂本英嗣 迎撃後衛 
装備:87式突撃砲×1 74式長刀×1 叢雲用弾薬コンテナ×2

フェンリル04 レティシエ・フォン・シュッツガルド 強襲掃討 
装備:Mk-57中隊支援砲×1 試製87式制圧支援突撃砲×2



[4380] 第六部 第三話
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/08/29 01:37
※ CAUTION!!

 今回の話では冥夜の流派に関して独自の解釈を挟んでいます。また白銀の空中機動にも実在する戦闘機においての空中機動の名を当て嵌めています。



12/20 1939     冥夜自室

 午後の演習も終えた後、白銀は冥夜の部屋を訪れていた。無論色っぽい話ではない。
 彼は解らなかった。ヴァッシ・ウレンベックという男がまるで解らなかった。
 先程の酷く厭味な表情、口調。その後の激憤。
 犬死―――――ヴァッシが放ったその言葉は何故だか、額面通りに取ってはいけないような気がした。そしてその真意を探ろうとした時、白銀は彼の男について何も知らないことに気付いた。
 故に冥夜。恐らくは彼の知る中で最も人を見る力に長け、そして彼が尊敬する人物。
 ヴァッシ中尉のことを教えてくれ、と請うた時、冥夜は多くを教えることは出来ないが、と断った上で承諾した。
 この後”調律”もあるため早々長くは時間を取れない。理由は覆い隠したが、なるべく手短に、と白銀は頼んだ。
 「とは言っても……私も正直な所、彼のことはよく解らぬ。なんと言ったものか、その……陳腐な言い方になるが、薄皮一枚挟んだような、そんな隔絶感があるのだ、彼には」
 そう前置いて、冥夜はクーデター残党蜂起の折のヴァッシの様子を大まかに白銀に伝えた。

 冥夜の部屋を出て、白銀は地下へと向かっていた。向かう先は当然夕呼の執務室。
 「わかんねぇ……」
 二重人格? と呟き、白銀は頭を抱えた。
 流石に二重人格というわけではなかろうが、ヴァッシの行動には余りにブレが多すぎる、と断じる。
 白銀は頭を振った。まぁそのうち解るだろう、と楽観的に考えて、歩みを再開した。

 遠からず―――――彼はその思い違いに打ちのめされる事になるが、今は何等関係のない話である。



12/21 0910    ハンガー

 ヴァッシは一人、コックピットの中で煙草の煙に包まれていた。
 彼は昨夜の霞との会話で酷く安定した自分を認識していた。
 『優しい、です』
 「クッ―――――」
 咽喉の奥で嗤う。それは嗚咽を堪えるようでもあった。
 
 お似合いだ。そんな些細な言葉に救われるほど、お前は安い。精々救われておくといい。いつか、地獄に落ちるその日まで。否、そんなところの、そんな罰ではお前の罪は裁けない。お前はいつか地獄のそれなど生温い罰に堕ちる。精々、それまでは―――――

 そうしてヴァッシは自分を捩り上げてゆく。捩って、捩って、捩った。自分の骨子を捩った。

 捩れろ。曲がれ。そのまま戻るな。そのまま折れて、俺が狂うというのなら、俺が消えるというのなら。それはそれで構わない。

 いっそ、狂ってしまえば、消えてしまえば。きっと、楽に違いないけれど。


 咥えた煙草から、灰が落ちた。



同日 1002    ブリーフィングルーム

 何時も通り少し遅れて現れたヴァッシは、昨日の態度が嘘のようであった。
 何時も通りの高みから睥睨し、見下すような視線。何時も通りの皮肉っぽく、厭味ったらしく釣りあがった口元。そこに咥えられた火の点いていない煙草。
 そして―――――立ち上る枯葉と血錆の香り。
 その態度、仕草に伊隅は一度だけ彼に眼をやり、そして外した。
 「全員スケジュールは確認しているな? 再度となるが、今日は実機演習だ。ヴァルキリー中隊A小隊対C小隊、フェンリル小隊対ヴァルキリー中隊B小隊だ。使用演習場はそれぞれD、F。兵装は自由だ」
 手短なブリーフィング。了解、と応じ、三々五々席を立つ。
 「よっし、じゃあ頑張りましょうか!! あの無愛想なウドの大木をぎゃふんと言わせんのよ!!」
 速瀬が手を打ち、小隊メンバーを鼓舞する。
 B小隊の面々は白銀を除けば過去に全員がヴァッシに煮え湯を飲まされていた。
 彩峰と冥夜が珍しく感情を強く表に出し、それに応える。
 白銀も特段ヴァッシに対して洞冥い感情があるわけではないが、釈然としない感情を持っているのも事実。それに賛同しようとした―――――そのとき。
 「そういうことは本人のいないところでしようぜ、なァ?」
 重い、ただそれだけで重圧を伴うような皮肉気な声が堕ちて来た。
 「ま、今回はどうにもならん、ってことはねぇだろ。伊隅サンもその辺気ィ使ったんじゃねェか?」
 F演習場は廃墟のど真ん中に設定された演習区画。そこではフェンリルの圧倒的な突進力も砲打撃力も殺される。
 だが、とヴァッシは嗤った。その笑みは、酷く禍々しかった。
 「ヒヨッコ3人とお前独りで―――どうにか出来るなんざ、思っちゃいねぇだろうな?」
 速瀬は暫し沈黙すると、ヴァッシを睨め付けながら口を開いた。
 「ウチの子をあんまり甘く見ないことね。そんなこと言ってると、寝首掻かれるわよ?」
 「ソイツぁ楽しみだ。頑張ってくれよ、突撃前衛長さん」
 ひらひらと軽薄に手を振って部屋を出るヴァッシを見送ると、速瀬は溜息をついた。酷く疲れたその様子に、冥夜は声を掛ける。
 「中尉殿、もしやウレンベック中尉とは仲がよろしくないのですか?」
 速瀬は溜息交じりにそれに応えた。
 「アイツと仲いいヤツなんてそう居ないわよ。それこそアイツの下のレティシエ少尉と霧耶ちゃんくらいでしょ。大尉だって仕事だしね」
 「はぁ……」
 冥夜はその言葉に内心で首を傾げた。
 彼女は今日のヴァッシから、嫌われたがっている様なモノを感じていた。

 誰も俺に関わるな、と。



同日 1036    F演習場

 「これが期待の新人の実力、ってか。想像以上ではあるな」
 ヴァッシは寧ろ上機嫌に白銀のことを評していた。
 開始直後、白銀機単機による奇襲、堂本の撃墜。その後に続く数度のゲリラ戦法。
 (頭も柔らかい、か。調子付いたガキって訳でもねェみてぇだな)
 そこまで考えて、ヴァッシは嗤った。
 甘い。
 「そういうときは本隊の位置を悟られないように注意するモンだぜ、ルーキー」
 所詮はガキだ。

 白銀は嬉々としていた。
 噂に聞いたヴァッシ・ウレンベック中尉。なんだ、それほどでもないじゃない か。
 その喜びを増徴するように速瀬からの通信が入る。
 「白銀、アンタやるじゃない。アイツが右往左往するのなんか早々見れるモンじゃないわよー!!」
 応う様に冥夜、彩峰もどこか満足げに頷いた。
 それに歓喜を以て応えようとすると―――
 「タケル!! 6時方向!!」
 冥夜の叱咤。咄嗟にその場を飛び退くと同時、不知火の影を長刀が斬り潰した。追い縋るように一閃。追加装甲に破壊判定。あまりに重い一撃。
 体勢を立て直し、反撃に出ようとした瞬間、57㎜の巨弾がそれを妨げた。次いで同じく57㎜、更に120㎜APFSDS、40㎜VT、36㎜の弾雨。
 フェンリルの反攻が始まった。

 圧倒的な砲火が齎す振動が演習場を揺らす。外れた砲弾は廃墟を斑に染め上げ、白銀達は逃げ惑った。
 霧耶の草薙が縦横に駆け回り、長刀を振り回す。それを迎撃しようにもヴァッシの制圧射撃が許さず、僅かな間隙さえもレティシエのサポートが潰した。
 白銀は直ぐさま自分が近接白兵でまともにやりあっては霧耶に敵わない事を理解した。
 代わりの様に冥夜がそちらに飛び、打ち合う。が、冥夜の鋭剣は易々と流され、逆に霧耶の叩き潰すかのような太刀筋は度々冥夜を脅かす。
 レティシエのほうには彩峰が向かい、ドッグファイトに持ち込もうとしているが上手くいっていない。
 「クソッ!!」
 埒が明かない、と白銀は敵の最大戦力である叢雲へと突撃した。
 「ちょ、馬鹿!!」
 ある種無謀なそれに、速瀬が追従する。
 迎撃は直ぐに来た。その砲弾を得意の空中機動でかわし、或いは遮蔽物に隠れてやり過ごす。
 模擬戦でよかったと心底思った。実弾であればこんな廃墟など木っ端ほどの役にも立たないだろうから。
 リロードによる弾幕の切れ目。その瞬間に白銀と速瀬は一気に接近する。そして彼らは叢雲の威容を視野に納めた。
 白銀には、表情などないはずのそれが、嗤っているように見えた。


 「シィッ―――――!!」
 草薙が握った長刀が閃く。破城鎚の如き一閃は、白兵を得手とするヴァッシをして自分を超えうると言わしめただけはある代物。
 「つッ……!!」
 それを受けた冥夜も、また流石である。
 流派が違うのだから当然だが、二人の剣はその性質に於いてかなり異なる。
 先ず冥夜の剣は鋭剣である。速く、鋭い。そしてその中にもある種の舞いの様な優美さが漂う、実用性を持った一種の芸術。
 代わって霧耶の剣は只管に迅く、重い。優美さなど欠片もない、只管に敵を斬り伏せるためだけに練磨され、連綿と霧耶家とその分家に受け継がれてきた殺しの剣である。
 再び長刀が打ち付けられる。
 砕けたワックスが舞い散り、フレームが抗議の声を上げる。
 脆い模擬刀は未だに数合であるのに、既に激しい劣化を示していた。
 そして更に数合、冥夜の長刀が折れる。距離を開け、もう一振りの長刀を抜いた冥夜に向け―――順調にヴァッシの影響を受けている証拠だろう―――霧耶は手にした長刀を、投げつけた。
 「なっ!?」
 咄嗟に追加装甲板で防ぐ。破壊判定。
 怯んだ冥夜に、長刀が飛び掛った。


 短刀を手に、彩峰がレティシエを捕らえようと動く。間近まで迫った不知火を、レティシエの草薙は僅かにノズルを傾けることで避け、すぐさまその背中にMk-57の砲口を向け、トリガー。その砲弾は彩峰の不知火を掠め、後方のビルを穢す。
 「このっ……!!」
 「よっ」
 踵を返し、再び飛び掛った彩峰を、レティシエはMk-57のストックで弾き飛ばした。続いてガン、ガン、と重い砲声が木魂し、またビルが穢される。
 間合いは既に彩峰。しかし彼女は攻めあぐねていた。
 レティシエは只管に基本をなぞっているだけだ。特別なことはしていない。というよりも、出来ない。特段優れた近接白兵の才があるわけでもなく、特筆するような射撃適性を持つわけでもない。何れも凡庸。単にその錬度が高いだけで。故に只管に基本をなぞる。
 彩峰のトリッキーな―――白銀ほどではなくとも―――挙動は、なればこそ通じない。正攻法は、何れも状況でもそれなりの成果を挙げうるからこそ、正攻法として確立されているのである。
 また一つ、ビルが無為に穢された。


 叢雲の狭いコックピットの中、愉しげに紫煙が踊る。その中でもヴァッシは機動も制圧射の手も緩めることはなかった。
 時に射線を張って白銀達の挙動を制限し、時にビルの壁面を体当たりでぶち抜いて意表を突く。機体の無茶苦茶さ加減を考えれば容易に行える戦法―――最早戦術機の挙動というよりはBETAのそれに近しい―――であった。
 「こん……のぉ!!」
 機体性能が違いすぎる。2対1の状況で、寧ろ白銀と速瀬は押されていた。
少なくとも白銀は、機体性能が違いすぎると、そう思った。



同日 1315    ブリーフィングルーム

 デブリーフィングを終え、伊隅とヴァッシの二人を残して全員が退室した。
 ヴァッシは無言で煙草に火を点け、伊隅はレポート書類を纏める。
 「で、そっちはどうだったよ?」
 「何時も通りだ。特筆するようなことはないさ。そっちこそどうだった? 白銀少尉のことを随分気にしてたじゃないか」
 そう言われたヴァッシはB小隊との模擬戦を思い起こし、鼻で嗤った。
 「ちゃんちゃら可笑しいね。嗤わずにいられるかよ。XM-3なんつーいいOS組んだのにあの程度。しかも英雄志望ときたもんだ」
 英雄とは、普通や正常といった概念を保証する要素では全くないのに。
 俺は、そんなの御免だ。英雄なんてガラじゃない。趣味でもない。
 「……まぁ、最後の言葉は聞かなかったことにしよう。で、その心は?」
 「なに、白銀も期待したほどじゃなかったな、ってだけさ。アクロバットも俺の知り合いにも二人ほどやるヤツがいる。そいつらと比べるのも酷な話だが、経験が足りねぇな」



同日 1049    F演習場

 「白銀、いい? アイツは自機の性能は最大限活用してくるわ。で、叢雲はステルス機。そしてあの出力よ。だからビルの壁面ブチ抜くなんて荒業が罷り通るんだしね。それに性能に負んぶに抱っこじゃないのが一番厄介で―――――」
 解ってますよ、と声を荒げそうになるのを白銀は何とか自制した。
 なにが性能差だ馬鹿野郎、と自分を罵る。
 確かに性能差も大いにあるだろう。しかしそれだけではこの状況は生み出されない。
 ステルス機が動きを止めればかなりの精度でレーダー波を欺瞞できるが、サーモグラフやIRST、音紋センサーには引っ掛かる。が、ヴァッシの操る叢雲はそれにすら掛からない。廃熱や駆動音の欺瞞が舌を巻くほど巧いのだ。
 そして何より彼等の反撃を悉く封じる制圧射撃だ。打撃射はLBTとMk-57に任せ、87式試製制圧支援突撃砲とLWRSSで徹底的に面を制圧する。
 そして動きを封じられた彼らにロケット弾の如く接近し、高い打撃力を持つ砲や特殊長刀で潰しに掛かる。
 場面は完全にヴァッシに支配されていた。
 「―――って感じで……? ちょっと白銀、聞いてる?」
 「え? あ、スイマセン!! 聞いてませんでした!!」
 はぁ、と速瀬は溜息をついた。
 「あとで説教するからね。で、アンタ、囮になりなさい。理由は解るわね?」
 その理由は、考えるまでもなかった。
 「俺しかあの弾幕を避けられる可能性がないから、ですね」
 「それもあんまり高いとは言えないけどね。アタシがやるよりずっとマシ」
 了解、と頷くと白銀は機体を一歩、踏み出させた。
 途端。
 目前のビルが弾けた。

 速瀬は咄嗟に白銀機の肩を掴み、後ろに引っ張った。
 代わりに自機を前に出す。
 突撃砲の銃口を前に。

 砲声。

 「中尉!!」
 速瀬の放った36㎜弾は叢雲右腕の特殊長刀担架が受け、逆にヴァッシのワックス弾体120㎜APFSDSは速瀬機の胴体を緋色に染め上げた。
 LBTの砲尾から金色の薬莢が排出され、直ぐさま次弾装填。
 砲炎。
 白銀はそれを空中に飛ぶことで避け、そこに数多の砲弾が追い縋る。
 「クソッ!!」
 モニターの中の叢雲が爆発的な速度で大きくなってゆく。突き出される長刀は、並では回避など適わぬ速度。しかし、彼は白銀武。XM-3の発案者である。
 ここでやらずにいつやる、とばかりにバーニアペダルを踏み込んだ。
 「おぉ!?」
 ヴァッシの驚愕。それは白銀にとって、これ以上はない賞賛だった。
 白銀の不知火は、叢雲の頭上で天地が逆転した状態にあった。ハイGバレルロール。彼をエース足らしめる機動の一つである。
 考慮外の挙動に不知火のフレームが悲鳴を上げる。血液が脳に回らず、視界が暗くなる。
 が、その中で白銀は捉えた。オーバーシュートした叢雲の巨体を、しかとレティクルの中心に捉えたのである。
 獲った、と白銀は突撃砲のトリガーを引き絞った。


 反応が遅れたのは一瞬だった。まさかソ連の堅物とCIAの色気ゼロな無表情女―――ついでに自分―――以外に戦術機でアクロバット機動などという大道芸染みたことをやってのける莫迦がいるとは思わなかった。それに驚き、不意にオーバーシュートしたのである。
 
 面白い。まだまだ詰は甘いが、その無謀には敬意を評そう。


 上を取られたと認識し、オーバーシュートした次の瞬間、ヴァッシもまた空中に上がった。叢雲が白銀の張った射線から掻き消える。
 叢雲のリバースノズルが火を噴き、急減速、宙返り。叢雲の巨体は空中で静止したかのように、急激に白銀機と、天地逆様に正対した。そして急加速、真っ直ぐに突進。
 後にこれがプガチョフ・コブラと呼ばれる戦闘機動―――些か変則的で、強引ではあるが―――であることを、白銀は知る。
 「んなっ……!!」
 衝突の危険。白銀は慌ててペダルを蹴り抜いて叢雲の機動軸線上から機体を逸らし、めくら撃ちに突撃砲を薙ぐが、そんな無茶な体勢、雑な照準の砲撃はマトモに当たるはずもない。明後日の方向へ飛んでゆき、彼方に消えた。
 衝突を回避し、叢雲と擦れ違う。白銀とは対照的に、ヴァッシは毛ほども軌道を変えなかった。
 白銀は内心で毒づいた。あのデカブツに恐怖という概念はないのだろうか?
 「避けるだろ、普通……!!」
 失った速力を取り戻そうと機体を立て直す。
 直後、アラートが鳴り響いた。ロックオン警報。

 後ろに付かれたと認識した時には、もう遅かった。



 「はン」
 オートサーボによりゆっくりと着地した白銀機に歩み寄り、ヴァッシは嗤った。
 「なんだ、これだけのOS造っといてその程度かよ。才能は兎に角経験が足りねぇんじゃねェの?」
 Mk-57の銃口で頭部を小突く。
 「ま、それだけ動けりゃエースッつわれて舞い上がるのも無理はねェな。霧耶やレティは対処出来ねェだろうよ。堂本は解らねぇが」
 そして白銀機に背を向け、未だに砲声が絶えない方角に向けて一歩踏み出す。最後に一言。
 「ま、全体的に見れば及第点だろ。今後の成長に期待、ってとこだな」
 計4基のターボ・ラム・ジェットエンジン、2基のサブスラスター、2基のロケットエンジンの排気が白銀機を炙る。直後、ごん、という打撃音にも似た噴射音が廃墟と不知火2機を揺るがした。
 反射的に白銀が目を瞑り、目を開けると其処にはもう叢雲の巨体は存在しなかった。

 ヴァルキリー中隊B小隊のビーコンが全て消えたのは、僅か2分後のことだった。



[4380] 第六部 第四話
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/08/29 01:44
12/21 1332    国連軍横浜基地PX

 B小隊の面々は速瀬を除いて―――彼女は憤慨したように猛然と―――若干気落ちした様子で少し遅めの昼食を食べていた。
 冥夜は結局最後の最後まで霧耶に圧倒され続けたことに、彩峰は間合いは自分が掴んでおきながら結局最後までレティシエを捉えることができなかったことに。そして白銀は絶対の自信を持って繰り出したアクロバットを容易く破られたことに落ち込んでいた。
 速瀬はといえば―――
 「なんなのよアイツ!! 白銀が経験不足!? そんなの解りきってんじゃない!! いちいち突っつくなっての!!」
 「そりゃ失敬」
 掻き込むようにして食事を平らげ、両の拳を机に叩きつけて叫んだ直後に背後の頭上から降ってきた声に、速瀬は振り向いた。彼女の蒼髪が振られ、背後に立っていたヴァッシの持つトレーにぶつかる。
 「っと、危ねェな。気ぃつけてくれ。またオバちゃんに怒られる」
 「悪かったわね。で? なんか釈明はある?」
 すっとぼけたように文句をつけたヴァッシに対し、速瀬は食って掛かった。それに飄々と応えるヴァッシ。
 「釈明もクソもホントのこと言っただけだぜ、俺は。それに経験不足なのは解り切ってるッつってもお前らヴァルキリーの連中と違って俺たちに前情報は殆ど入ってねぇんだよ。そうなると俺は白銀はXM-3を開発した優秀な衛士だって事ぐらいしか情報がないわけだ。アレだけのOS組めるんだから相応の経験があると思っても仕方ねェとは思わん?」
 「副指令着きのアンタがどの口で……!!」
 声を荒げる速瀬にヴァッシは怖い怖い、と肩を竦めて嗤い、既にフェンリル小隊が陣取った席に歩いていった。
 いつもなら速瀬がそれを忌々しげに見送って終わりだったろう。が、今日の速瀬は富に機嫌が悪かった。
 椅子を蹴って席を立ち、背を向けたヴァッシに猛然と突進―――それでも走らない程度の理性は残っていたようだ―――した。
 それに気付いたヴァッシが振り返る。速瀬はその襟首に手を伸ばし、捻りながら手繰り寄せた。
 がしゃん、と上に乗った定食ごとトレーが床に落ちる音がPXに響く。さっと声が静まり、視線が二人に集中する。が、一部はまたかと言って自分の食事に戻った。いつもの事だからだ。
 「……落としちまったじゃねェか。オバちゃんのお小言は長げぇんだよ」
 「そんなの知ったことじゃないわよ」
 普段速瀬よりも遥かに高い位置にあるヴァッシの顔は、今は速瀬の鼻先数センチまで引き寄せられていた。
 片方の眉を僅かに上げ、不機嫌そうな表情をしてみせるヴァッシに、眉根を寄せて不機嫌さを隠しもしない速瀬が睨みあう。とは言っても睨んでいるのは速瀬だけであり、ヴァッシの常の表情と異なるといえば、掲げて見せた片眉だけだ。
 その何時も通りの態度が、尚の事速瀬を苛立たせる。
 そこに、ヴァッシの声が堕ちる。
 「さっきも言ったが、釈明ならねぇぞ」
 その言葉に、速瀬の激昂は頂点に達した。
 彼女の右手が閃き―――――乾いた音が、PXに木魂した。
 それを目にした数名がこれは只事じゃない、と警備部に連絡する。
 当のヴァッシはといえば、その瞬間にも身動ぎ一つ、瞬き一つせずにただ速瀬を見据えていた。
 何か、酷く詰まらないものでも見るような目で。
 それを見て速瀬は、吐き捨てるように叫んだ。
 「アンタなんか……大っ嫌いよ!!」
 素知らぬ顔で口の中に指を挿し入れ、その指先に付いた血を揉み潰すと何を今更、とでも言うようにヴァッシは速瀬を見た。
 「俺は別におててつないでなかよしこよしなんぞを期待してここに居るわけじゃねぇぞ?」
 今一度、速瀬の右手が閃いた。今度は乾いた音はしなかった。
 「……離しなさいよ」
 「離してどうなる? 俺のツラが痛むだけだろ」
 炸裂の寸前、ヴァッシの右手が速瀬の手首を掴んでいた。
 速瀬が再び口を開こうとした時、警備部の職員がPXに駆け込んだ。



同日 1554    香月夕呼執務室

 「で……どういうこと?」
 「さぁ?」
 さぁ? じゃないわよ、と夕呼は思った。
 どうせこの口撃型サド・自虐型マゾのことだ、そうなるように仕向けたのだろう。A-01設立当時からそうだった。誰よりも強いのに、誰よりも巧いのに。尊敬を集める前に、それ以上の嫌悪で誰一人自分に近寄らせまいと無駄に努力してきたのだ、この男は。
 まぁ努力の甲斐なく、旧フェンリル中隊のメンツはほぼ例外なくヴァッシに懐いていたが。
 そして、この男は一度自らと関わりを持った人間を一切の例外なく守る。守ろうとする。態度として露わにすることは決してないが。他人を自らの懐に入れるのは頑ななまでに拒絶するくせに、或いはだからこそ自らの懐に入った者は、過保護なまでに。
 夕呼は溜息をつくと背凭れに背を預けた。
 「ま、いつものことね。速瀬にも後で言っとくけど厳重注意。次は反省房入りよ。減給、反省文込かもね」
 「げ。あそこ嫌いなんすけどねェ……」
 「今回の件で厳重注意だけってことに感謝なさい」
 了解、と心底嫌そうな顔でやる気なく、だらけた敬礼を返すと、ヴァッシは夕呼に背を向けた。
 と、その歩みが扉の直前で止まる。
 「そうだ。ARDASとCRSWSはいつ頃届くんです? ARDASは兎に角CRSWSはそろそろ届いてもおかしくないんじゃないっすか?」
 「んー? あー。ちょっと待ってなさい……、悪いけどアレの処女戦には間に合いそうにないわ。ARDASは調整が遅れてて、CRSWSは向こうが渋ってる。他の追加装備もギリギリ間に合うか間に合わないか、ってとこね」
 その言葉にヴァッシは舌打ちする。
 これだからアメリカさんは。融通が利かなくていけない。
 「Scheese……」
 「ま、のんびり待ちなさい。別に現行の装備でも問題はないでしょ?」
万一の時・・・・・のデコイとしちゃ、今の装備だと射程が足りねぇんですがね……。無い物ねだりしても仕様がねェ、か」
 「そういうこと。諦めなさい」
 ヴァッシはもう一度溜息をつき、今度こそ執務室を後にした。



同日 1619    伊隅あきら自室

 「…………もう一度言ってくれ。F小隊が……なんだって?」
 伊隅が栄養ドリンク―――白銀曰く"ゲロマズ"の―――を飲みながら全員分の演習レポートを纏めていた時である。白銀が彼女の部屋を訪れたのは。
 「だから、フェンリル小隊の演習機を通常量産機に変更して欲しいんです。戦力差が大きすぎますよ」
 厚顔にももう一度、平然と言ってのける白銀に伊隅は唖然とした。
 「白銀少尉……本気で言っているのか?」
 当然でしょう、とばかりに訝しげな顔をして首を傾げる白銀。
 伊隅は天を仰いだ。
 経験が足りないとはヴァッシの弁だが、全く以てその通りだ、と。
 「貴様……何故戦術機対戦術機の実機演習なんてものが存在すると思ってるんだ?」
 「え? 衛士の技量を確かめるためでしょ? 後は後衛部隊とやりあう部隊はレーザー級、前衛部隊とやりあう部隊はグラップラーとかデストロイヤーとかのBETAとの戦闘を仮想して……」
 伊隅は嘆息する。どうしてこうも才能と知識、経験が乖離しているのだろうか、と。
 「確かにな。確かにそれも主目的の一つだ。だがそれ以上に機体への慣熟度を高めるためでもある。解るか、白銀。貴様が今私に言ったことは見当違いも甚だしいことなんだ」
 「ですが……」
 更に言い募ろうとする白銀を、伊隅は目線で黙らせた。
 「貴様は機体性能の話をしているようだが、叢雲にも草薙にも当然弱点はある。完全な兵器など存在しえんのだからな。バランス云々で論ずるならば不知火の方がよほどバランスが取れているんだぞ?」
 白銀は首を捻った。
 草薙は解る。明らかにバランスが悪い為に機体制御が著しく悪い。だが、叢雲は?
 それを聞くと、伊隅はそれぐらい自分で考えろ、と冷たくあしらった。
 「貴様は何も出来ない、負んぶに抱っこの子供か? 違うならばなんでも人に求めるんじゃない」
 どこかで聞いたような言葉。その言葉に、白銀は沈黙した。
 「解り、ました。失礼します」


 そのまま、白銀は自室に直行した。
 叢雲の弱点とは何か?
 暫らくは唸っていたが、ふと、思いついた。
 「……だよな」
 今までの苛烈な戦闘に、目を奪われていた。そういえば、そうだった。
 「そうか。そうだよな……!!」
 そうと決まれば、明日に備えなければならない。明日もまた、F小隊との実機演習があるのだ。



12/22 1001    ブリーフィングルーム

 ヴァッシは演習予定がプリントされた用紙を捲った。
 「……?」
 なんだこりゃ、と首を傾げる。それに応えるように、折りよく伊隅が口を開いた。
 「さて、気付いた者もいるだろうが、今日の演習は特別編成で行う。理由としてはB小隊に追加される2名がフェンリル小隊との演習経験が少ない、昨日の演習結果からF小隊とやりあうにはB小隊では火力が足りない、完全な後方支援型である二人と新生B小隊との連携訓練も兼ねて、とこの三つだ」
 その言葉に、特別編成としてB小隊に追加されることになった2名のうち1名はあうあうと呻きながら腕をパタパタ、髪をパタパタと実に忙しない。
 「珠瀬よ、ちったぁ落ち着け。テメェはあがるとなんも出来なくなんだろうが」
 あがらせている張本人がぬけぬけと言ってのける。
 白銀を除く旧207小隊とフェンリル小隊初の模擬戦における初弾撃破は珠瀬にあ
る種のトラウマを植えつけていた。
 ヴァッシは誰をいぢるにしてもそれは勿論、部隊の運用に影響が出ないレベルにおいてだ。そして、珠瀬は殆ど弄っていないにもかかわらず、半ばパニックに陥っている。
 「いいから落ち着け。テメェは狙撃の腕だけなら極東でも1~2だ。間違いなくな。ゾブロジョブカ大佐もナウマン少佐も狙撃に関しちゃお前に劣る」
 「え……」
 珠瀬は涙ぐんだ目をヴァッシに向けた。視線の先でヴァッシは、酷く詰まらなさ気に視線を虚空に遊ばせていた。
 「ま、それ以外はお粗末だがな。狙撃だけじゃどうにもならん、って事を学習するんだな、今日の演習でよ」
 最後に皮肉気に嗤うと、ヴァッシはもう一人に目を向ける。嗤みが、深くなった。
 「お前は随分やる気だな?」
 「うん。中尉とやりあうのは久しぶりだからね」
 その先で、いつもの快活な笑みにほんの僅かな凄惨さを加えた柏木が立っていた。
 「初めてのときに何も出来ずに一撃で落とされたのは、いい思い出だよ」
 彼女は、彼女達旧207A分隊は、A-01に配属された直後に行われた旧フェンリル中隊対ヴァルキリー中隊の演習において総勢10機のグレイゴースト改と不知火に、完膚なきまでに叩きのめされた。特に狙撃に関して異彩を放っていた柏木は、ヴァッシが当時から運用していたLBT120㎜L88滑空砲Type-1の長距離狙撃の一撃で、いの一番に撃墜されていた。
 「俺なりの賛辞だと思ってくれや。危ない奴を初っ端に落とすことにしてるからな」
 それは、珠瀬もそうだと。ヴァッシが。ヴァッシ・ウレンベックが判断したということ。
 それにさっきの発言。彼がわざわざ名前を出すということは、彼が相当に評価している証だ。高々数ヶ月の付き合いだが、それくらいは解る。
 ちくり、と柏木の胸が痛んだ。
 「今回は……どうするの?」
 にやり。
 「さて、ね」



同日 1023    ハンガー

 「連中、なんか思い至ったみてェだな。昨日みたく楽勝とはいかなそうだ」
 ブリーフィングの後、白銀がB小隊隊員を呼び集めるのを見たヴァッシは、白銀の得意満面な表情を見て何か掴んだな、と踏んだ。
 ならばこちらは面白おかしくやろうじゃないか。
 「で、だ。今日は連中の健闘に期待して、一番初めに撃墜されたヤツになんかやらせようと思うんだが……なんかアイデアあるか?」
 そういうヴァッシの表情は、酷く楽しげだ。
 「ヴァッシ……貴様自分が真っ先に落とされることはないと踏んでだな、それは?」
 「さてね。いいからなんかアイデア出せよ。俺は寒中水泳で。勿論横浜港でな」
 なにやかにやと言いつつも乗り気なのか、霧耶も楽しげな表情で思案する。
 「そうだな……全員の昼食を奢る、でどうだ?」
 F小隊のみならばそこまででもないが、B小隊+二名にもとなると結構な出費である。
 ニヤリ、とヴァッシが嗤った。
 「決まりだな。それで行こう。うし、各員搭乗。財布の中身も確かめとけよ?」



同日 1009    ブリーフィングルーム

 「速瀬中尉、ちょっといいっすか」
 「なによ?」
 速瀬は昨日のことを引き摺ってか、機嫌が悪い。ブリーフィング中も腕を組み、凄まじい形相で周囲に威圧感を垂れ流していた。
 「いえ、その、叢雲の弱点……? に気付いたんで、皆に伝えとこうと思ったんですが……」
 「弱点……?」
 その言葉には、速瀬も興味を惹かれたようであった。
 全員を集合させ、白銀に速く話せ、とせっつく。
 「あくまで予想でしかないんですが……」

 「成程、ね。そう言われればグレイゴーストから叢雲に乗り換えてからこっち、アウトレンジからの砲打撃戦、やっても一撃離脱、か。それまではずっとインファイターだったのに……。何で気付かなかったのかしら、こんな常識的なこと」
 そう、冷静になって少し考えれば解るのだ。

 叢雲の、ある種致命的な欠点が。



同日 1028    F演習場

 『こちらα3。配置完了です』
 配置を完了した珠瀬が通信を行う。僅かに遅れて柏木も配置を完了、通信。
 「こちらβ3、配置完了」
 『OK。じゃ、白銀の提案通り今回は徹底的に間合いを詰める方向で行くわ。さっきも言ったけど、落ちる時は味方が1mでも叢雲に接敵出切る様にやられなさい』
 速瀬のある種無茶苦茶な注文に、柏木は苦笑を零した。

 今回B中隊はF小隊の挟撃を基本として動くこととなった。
 理由は簡単、他に手がないからだ。
 真っ向切っての戦闘―――――火力で押し潰されて御仕舞い。
 白銀単機で攪乱、その後本隊が一気に接近―――――ヴァッシ一人で十全に対処されることが昨日の内に証明されている。
 エレメント単位で動き、包囲殲滅―――――各個撃破により全滅。
 もとよりフェンリル部隊は設立当初から操縦技術に優れ、特に突破・突入戦闘に高い適性を持つ衛士が集められた、非常に偏った部隊である。現在も隊員の適性こそ違えど、機体の特性からやはり突破・突入、加えて限定広域防衛、拠点制圧など、所謂一点集約型の戦術を旨とする部隊だ。
 それを相手に上述3つの戦法など、愚の骨頂。虎口に飛び込むようなものである。実行する作戦も決して勝率のいいゲームとは言えないが。

 部隊をα、βの2つにわける。内訳はα分隊が速瀬、彩峰、珠瀬。β分隊が白銀、冥夜、柏木の3人ずつ。
 さて前進、と言う時になって、柏木は前方に機影を捉えた。草薙。
 「こちらβ3。12時方向1800mに敵影確認、草薙だよ」
 草薙単機で突出とはいかにも囮である。が、フェンリル小隊の者は何れも一定水準を超えた技量を持った優れた衛士ばかりだ。放置していいものではない。
 しかも、あの装備は。
 「装備から判断して堂本機だね。中尉、どうします?」
 速瀬からの応答は、少し間があった。
 『先ず前方のデコイを叩くわ。α・β3両機で砲打撃戦闘開始。同時に両1・2は周辺警戒しながら進展しましょう』
 フェンリル小隊の衛士は例え単機であっても放置できる相手ではない。ヴァッシは言うに及ばず、堂本とレティシエは特筆するほど優れた部分はないが、あらゆる面において極めて高い錬度を発揮する。霧耶は射撃特性においては並程度の域を出ないが、それを補って余りある近接格闘適性を持つ。間合いを詰められれば瞬く間に落とされるだろう。
 
 速瀬の判断は、尋常な部隊を相手にするに置いては定石だ。が、相手はフェンリルである。

 柏木は珠瀬が射撃の為に遮蔽物から砲口と頭部をビルから出すのにあわせ、自らも自機に行動させた。
 狙点確認。風速、気温、湿度、気圧測定。照準誤差調整。
 トリガー。
 珠瀬機と同期し、僅かにタイミングをずらして放たれた模擬弾頭はしかし、堂本機には掠りもしない。
 ち、と柏木は舌打ちした。
 目が良過ぎるよ、堂本さん?
 堂本の応射。が、柏木の予想に反して彼女達が潜む狙撃ポイントには一発の砲弾も飛んでこない。
 それを訝しく思いながらも狙撃を続ける。レーダーコンソールにも気を払う。叢雲をレーダーで捉えるのは困難だが、草薙のベース機はあくまで不知火だ。ステルス性能はない。
 そして堂本機が前衛と近接距離に接敵―――それまでの直撃弾は互いにない―――する直前。
 びゃん、という風切り音と共に、APFSDSが珠瀬機の突撃砲を朱色に染めた。慌てて頭を引っ込めると、そこを大口径の砲弾が通過する。
 そっと突撃砲だけをビルから覗かせ、ガンカメラで砲弾の飛来した方向を見る。そこには、背から硝煙を棚引かせる物干し竿の如き大砲を伸ばす叢雲と、両手で中隊支援砲を抱える草薙が。そして、いつの間にやら格闘距離まで進展した霧耶の草薙が映っていた。
 

 「シィィィャァァァァァァァッ!!」
 轟、と唸りをあげ、霧耶の長刀が速瀬に向けて振り落とされる。速瀬は咄嗟に突撃砲を投げ捨て、長刀で受けた。
 とても内装系に特段の改修が施されていないとは思えぬ剣圧。機体への加重が異様なまでに巧い。じりじりと押される。
 彩峰も援護に駆けつけようとする動きはあるが、悉くがレティシエの支援砲撃に遮られていた。
 と、突如霧耶機が長刀の柄から左手を離し、加重が軽くなる。これ幸いとばかりに押し返そうとして―――右腕を、斬られた。
 「え―――――?」
 霧耶機の左手には、短刀が逆手に握られていた。朱鷺重の技である。

 無論、霧耶の習熟度は朱鷺重のそれとは、比較するのも酷な話だが―――不知火壱型丙で叢雲を圧倒し、片腕で武御雷を押し潰しかけたのだから―――比べ物にならないくらいに低い。
 が、それでもあの一件以降、霧耶は暇を見付けては。否、暇を捻り出して、この技を会得しようと足掻いてきた。
 それは伯父を忘れまいとする行いの一環でもあったのだろう。鍛錬に用いたのは、御神楽と神威の二振りであったから。
 そのかいあってか、はたまた執念の賜物か、この極短期間で、霧耶はそれを実機で使おうと決断するまでに高めていた。

 長刀が、そして短刀が踊る。2度3度と閃き、その度に速瀬機の装甲には朱のラインが描かれた。
 速瀬は長刀でそれに応じるが、慣れぬ左手、しかもそれ一本。更に彼女の長刀の手練は一般的な突撃前衛と比べれば秀でているが、例えば冥夜、例えば霧耶のような専門職に比べれば些かの遜色がある。
 だが、それでも彼女は突撃前衛長だった。易々と落とされることは、その矜持が許さない。
 「舐めんなああぁァァァ!!!」
 意地と共に繰り出した刺突はしかし、長刀に呆気なく弾かれ、逆に叩き付けるように打ち込まれた短刀が右肩に破壊判定を刻む。
 これは拙い、と突撃砲に手を伸ばしかけ、先程棄てたことを思い出した。
 数年前、ヴァッシが零した言葉が甦る。
 『この国のストーム・バンガードってのは、なんだな。武装をポイポイ棄てすぎだ。突撃砲の弾が切れたから棄てる、長刀が駄目になったから棄てる。長刀はまぁいいさ。刃が駄目になったらただの棒切れだからよ。ただ突撃砲を棄てるのは―――――どうかと思うぜ?』
 その言葉を、剣戟の中で思い出した。
 事実、彼は余程のこと―――故障、即応準備弾が無くなった等真性の緊急事態―――がない限り突撃砲を投棄しない。サブアームが試験的に搭載されている試製96式長刀が導入されてからは更にその傾向が強くなっていた。
 そして今、皮肉なことに高々演習で。速瀬はその言葉を理解した。
 後方モニターで彩峰の様子を見る。が、未だにレティシエの制圧砲火に阻まれていた。
 速瀬は長刀を霧耶に投げ付けた。ヴァッシの真似をするようでいい気分ではなかったが、兎に角武装を持ち替える間の隙を拵えなければならない。
 手段を選べるなんざ贅沢なことだと思わないかとでも、あの男なら言うのだろうかと思った。
 霧耶は速瀬の投げた長刀を同じく長刀で弾く。その間に速瀬は短刀を握った。
 そこまで得手というわけでもない、何より相手の土俵である長刀での斬り合いを演じるよりは短刀を使った方が幾らかマシだ。
 一撃で仕留める、と速瀬は低く飛んだ。
 頭部を僅かに傾げ、姿勢を変える。短刀を繰り出す。
 「喰らえッ!!」
 が、朱鷺重の技において長刀と短刀とを併用するのは何故か?
 「―――――遅い」
 それは、短刀のほうが迅いからに他ならない。しかもヴァッシ、堂本、況してや朱鷺重に比べれば速瀬のモーションは欠伸が出るほどに遅く、鈍い。
 敢え無く速瀬の短刀が同じく短刀に弾かれ、返礼とばかりに長刀が振り落とされる。
 更に速瀬機は右腕を失っている。それ故手数を増やすことも出来ず、それどころか実際に腕が落ちたわけでもなく、完全なデッドウエイトとなっていた。
 再び霧耶の猛攻が始まろうとしたとき、それを止める者が現れた。
 「このっ……!!」
 彩峰だ。レティシエの弾切れに乗じ、先に霧耶を潰そうとしたのだろう。
 短刀を逆手に持ち、霧耶機に踊りかかった。
 が、何度も言うように霧耶はヴァッシをして、である。
 短刀がそれを逸らし、長刀が跳ね上がる。彩峰機の左腕が、根元から斬られた。破壊判定。左腕が力なく垂れ下がる。
 その隙に速瀬が背後から斬りかかる。今度は足捌きを、霧耶は披露した。流れるように半回転、短刀で逸らし、長刀を堕とす。
 が、直前に背後から短刀が迫った。攻撃を中断、振り返り様に長刀で弾き、短刀で胴体に浅いラインを引いたと同時―――霧耶機の背中に、短刀が叩き付けられた。

 「ハッ、ハッ……!!」
 速瀬は息を荒げた。
 馬鹿げてる。何でこんな短期間でここまで強くなるのか、解らない。
 ぞくり、と彼女は怖気を覚えた。
 フェンリルが、また強くなった。
 一度大きく息を吐き、顔を上げるとそこには、彩峰機に的確極まる点射を行う堂本機があった。
 「ッ……!! 彩峰!!!」
 彼女は長刀に持ち替え、堂本へと踊りかかった。


 挟撃作戦が完全に破綻し、正面切ってのガチンコに発展した以上それまで通りの陣形に固執することは意味がない。そのため、柏木は珠瀬とエレメントで行動することにした。否、行動せざるを得なかった。
 何せ、彼女たちと廃屋二棟挟んだ向こう側に、叢雲が居るのだ。
 「は、晴子さ~ん」
 通信画面に写る珠瀬の情けない表情に、柏木は苛立ちをどうにか押さえ込んだ。
本当に狙撃しか出来ないらしい。仕方がない、と柏木は珠瀬に支援突撃砲を渡し、長刀を受け取る。
 「珠瀬さんは後衛に着いて。あたしも長刀は得意じゃないけど、幾らかはマシだから」
 「はい、お願いします~」
 「了解。さ、さっさと下がって。来るよ」
 その言葉に併せたかのように一棟向こうのビルが、崩れた。
 柏木は腰を落とした。
 何処から来る。上か、それとも正面か、はたまた左右か。
 応えは、目前のビルの倒壊だった。
 ペダルを右に蹴る。
 「珠瀬さん!!」
 声にあわせ、瓦礫に向けて砲弾が放たれる。その砲弾はしかし、叢雲の特殊長刀担架に阻まれた。
 叢雲の初動。
 珠瀬機に右腕を差し出し、トリガー。
 珠瀬は回避するが、柏木はその初動に洞冥い感情を覚えた。
 ―――――なんで珠瀬なの?
 ブリーフィングルームでの、ヴァッシの言葉を思い出す。
 『俺なりの賛辞と思ってくれや。危ないと思った奴を初っ端に落とすことにしてるからな』
 さっきもそうだ。彼の砲弾が飛んだ先は、珠瀬だった。
 「……このぉぉぉぉぉぉぉ!!」
 柏木は、長刀を振りかぶった。

 敵わないとは、解っていたけれど。



[4380] 第六部 第五話
Name: 5,45の㎜顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/05/03 15:22
12/22 1034    F演習場

 「……」
 堂本はコックピットの中、声を上げることもなく淡々とトリガーを引いた。
 網膜に映るのは左腕をだらりと下げ、逃げ惑う彩峰機と、やはり右腕を力なく揺らし、左手に長刀を握って突撃してくる速瀬機。
 堂本はやはり、無言で左手に短刀を握らせた。

 彩峰は慌ててビルの陰に隠れた。見れば、速瀬は先程の彩峰同様にレティシエの阻止砲火を受け、動けずにいる。
 援護を、とも思うが―――――今は、この瞬間に目の前に現れた特型不知火・草薙、堂本機をどうにかする方が、先だった。


 堂本の短刀が閃く。動かない腕のほうからの攻撃に、彩峰は否応なく回避を選択させられる。左腕に一筋の朱が描かれ、それは胴にも伸びた。が、胴の損傷は浅く、撃墜判定は出ない。
 その事実に、彩峰は心の底から安堵した。
 左腕がなければ、今の一撃で終わってた。
 「彩峰ぇぇぇぇぇぇ!!!!」
 叫びと共に堂本機に斬りかかる―――フレンドリーファイアを恐れてか、突撃砲はマウントされている―――のは冥夜。見れば速瀬の方には白銀が向かっていた。
 が、幾ら速い刀とは言えど、霧耶のそれと比べれば軽い。人を斬るには足るだろう。異形を斬るにも、足るだろう。だが、鉄を斬るには―――――些か足りない。

 霧耶家の技は、先ず敵を打ち倒すことこそを第一とする。霧耶澪にそこまでの技量はないが、師範代格ともなれば兜割すらもやってのける。者によっては、太刀すらも。

 振り下ろされる長刀の一撃を半身ずらしてかわす。同時に片足を浮かせ、振り切られた長刀の背中を踏み、上がらない様に固定。背後からの彩峰の短刀は突撃砲のストックで腕ごと弾き返した。
 バランスが取れずに踏鞴を踏む彩峰を先に潰す、と突撃砲を後ろ手に差し向け、然したる回避も取れない彩峰機を滅多打ちにする。彩峰は咄嗟に追加装甲板で受け、火線をかわしてビル陰に隠れた。
 「くっ……このぉ……!!」
 冥夜はと言えば、踏みつけられた長刀に拘泥していた。堂本はそれを見て、僅かに嘆息した。
 刀は武士の魂。別段間違った考えではない。時代が時代ならば、と注釈がつくが。
 「振れぬ得物に拘泥するな。愚かしいぞ」
 その一言とともに短刀を振るう。
 「くぅっ……!!」
 堪らず長刀をパージし、距離を取る冥夜に堂本は突撃砲の砲口を差し向け、トリガー。
 じゃりじゃりと砂を咬むような撃発音。冥夜の回避。小口径高速弾は、不知火の右肩を汚した。
 「目は……悪くないようだな」
 呟く言葉は、跳躍と同時。体勢を立て直す暇を与えるほど、堂本は優しくなかった。
 突撃砲で弾幕を張って回避と攻撃の両方を封じ、擦れ違い様に短刀を振るう。
 標準型の不知火とは比べるのも愚かしいほどの加速、速度。そして堂本の手練から繰り出される斬撃は、弾幕に身を躍らせるようにして突っ込んだ冥夜機の頭部アイカメラを疵付けた。
 CPUの判定が冥夜の視界を狭める。更に、特攻染みた回避行動は機体の各所に被弾判定を刻んでいた。
 「やあぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 一旦停止した堂本機に、彩峰がビルの上から飛び掛る。短刀を逆手に持ち、両手で掴んで振り下ろした。
 振り下ろされる短刀を、堂本はバーニアの片側を軽く吹かし、その場で軽く旋回し、避けた。回転を殺さず右手の突撃砲のストックで殴り、彩峰機をビルの壁面に叩きつける。
 瓦礫に飲まれた彩峰機を捨て置き、素早くターン。再び冥夜に飛び掛る。不知火の性能限界を試すような旋回速度に、冥夜は反応が遅れる。
 しかし、彼女とて誇りはある。何もせずに、ただ無為に落とされるのは彼女のそれが許さない。
 長刀を無理矢理振るう。が、苦し紛れの斬撃は堂本機の右脚に踏み潰され、そして冥夜は―――――蹴り飛ばされた。
 威力のさほど篭もらぬ、ただ単に相手を吹き飛ばす為だけの蹴撃。機体を破損しないよう、あからさまに加減した蹴りだった。
 であるからか、冥夜機の手には長刀が残った。
 冥夜はそれを確かめ、柄を握り締めようと、した。
 が、やはり堂本は優しくなかった。
 再び蹴りが冥夜を襲う。上段を刈り取るような蹴りは左肩に炸裂し、冥夜機は大きくそのバランスを崩す。倒れた先に、堂本の銃口が向く。
 トリガーの、直前。冥夜は、己も意図せぬ反応をした。
 「ほぅ……!!」
 堂本が感嘆の声を漏らす。
 冥夜が無意識に振るった長刀は、堂本の突撃砲を弾き飛ばしていた。
 そうでなくては、と堂本は笑った。
 同時、堂本の後方で瓦礫が弾け、彩峰が飛び出した。
 後方モニターに映ったそれを見るでもなく、堂本は左に握った短刀を後ろ手に投げ付け、彩峰を牽制。同時に右手で長刀を抜く。
 高らかに、告げた。
 「さあ来いヒヨッコ共。わが師、綾咲遼子より授かった剣技にて―――お相手仕る」
 師の名を高らかに、誇らしげに告げると、堂本は長刀を頭部の右側、大上段に構えた。



 「なんでっ……!!」
 柏木は、ヴァッシから徹底的に無視し続けられた。
 相手にされない所ではない。全く見向きもされなかった。
 たまに長刀を捌かれるくらいのもので、銃口が柏木を指すことはない。
 珠瀬はといえば、徹底的に逃げながらの射撃は叢雲に掠りもしないが、同様に叢雲の火力もビルに阻まれ、効果を上げていない。
 というよりも、どこかヴァッシが遊んでいるように見えた。
 ビルの壁面を突き破り、弄ぶように弾を散らす。
 焦った珠瀬の照準定まらぬ射撃を潜り抜け、掠めるように特殊長刀を振るい、その傍らを駆け抜ける。
 「きゃあっ!?」
 その悲鳴に、柏木は苛立ちを深くした。
 当たらないのが見て解らない? 遊ばれてるんだよ、貴女。
 柏木の不知火では―――草薙なら兎に角―――叢雲には絶対に、確実に追いつけない。自らは得手としない長刀が、このときは酷く憎く思えた。
 それは、もし長刀を得手としたならばきっとヴァッシは自分に向かってきたのに、という子供染みた感情だった。
 そういう間にも、珠瀬はヴァッシに弄ばれている。
 突撃砲を押しのけられ、蹴り飛ばされる。
 両腕でかち上げられ、行動に一切問題のない部位に一発だけ弾を撃ち込まれる。
 『そぉら言ったろ!? 狙撃だけじゃ何にもならねぇってよォ!!!』
 そして遂に、ヴァッシの操る叢雲の蹴りが、突撃砲が、特殊長刀が、LBTのAPFSDSが、40㎜弾が。矢継ぎ早に珠瀬機に叩き込まれ、敢え無く珠瀬は撃墜判定を受けた。
 『お次はお前だぜ、柏木?』
 やっと追いついた柏木に、ヴァッシは寧ろゆっくりと向き直った。
 『さぁて―――――遊ぼうか』
 声と共に、叢雲の巨体が爆ぜる。
 下手な者が乗ればブラックアウトしかねない加速。繰り出される特殊長刀の刺突を、柏木は辛うじて避ける。
 が、擦れ違い様の膝が不知火を吹き飛ばした。
 再び刺突。左肩に切先が突き立ち、また柏木は吹き飛んだ。
 吹き飛ぶ視界の中、柏木は叢雲の背中に据えつけられたLBTが展開されるのを見た。
 反射的にペダルを蹴る。
 砲炎。
 APFSDSが、胴に突き刺さった。


 「お前は珠瀬よりはマシだが似たり寄ったりだな。長刀より短刀の方が向いてると思うぜ、お前は。まぁついでだ。香月サンに制圧支援砲をお前等ンとこに回してもらえる様頼んどくわ。ちと重いが、あれも支援突撃砲バレルがベースだから狙撃精度出るしな」
 「それは……どうも」
 悔しげな声が琴線に触れたのか、ヴァッシはくつくつと嗤った。
 「じゃあな。まぁ演習が終わるまでそこでゆっくりしてろや」
 そう言って、ヴァッシはバーニアを吹かし、彼方の砲声に向かって飛んだ。
 それを見送り、柏木はシートに凭れかかった。
 溜息と、舌打ちを一つ。
 「ちぇ……」
 悔しいなぁ。



 「白銀、4時から回りこめ!! アタシは近接で仕掛ける!!」
 「了解!!」
 先ほど白銀と合流し、それからレティシエと2対1を演じていた速瀬は、忌々しげに臍を咬んだ。
 先ほどからレティシエの動きは決定打を放たず、しかし決定打を放たせないという、ある種消極的なものに集約されていた。しかもその動きの主軸となっているのが片腕を失った速瀬に足を引っ張らせるというものだから、堪らない。
 この何日かで彼女の矜持はズタズタにされていた。
 近接で仕掛けるとは言ったものの突撃砲がない現状、早々近付くことは出来ない。しかも相手が守りに入ったレティシエとなれば尚更だった。
 今も、ビル陰から飛び出そうとした白銀が、担架ごと後方に向けられた制圧支援突撃砲の弾幕に押し返されていた。

 レティシエのこうした強さは、単に自らの限界を知るが故だ。
 彼女は自分が近接戦闘において、平凡の域を出ないことをよく理解している。その程度の手練で突撃前衛二人を相手に攻めに出られるほど、彼女は無謀ではない。
 ただ、それだけである。

 せめてレティシエだけでも落としておかなければ。
 速瀬は焦った。冥夜と片腕を失った彩峰が堂本相手にそう長く保つとも思えず、珠瀬、柏木の二人がヴァッシ相手にここまで保っているのは遊ばれているからだろう。
 なるべく、早く。
 焦りながらも速瀬の操縦に淀みはない。
 焦りで手先を乱すようではA-01部隊突撃前衛長は務まらない。
 弾切れを待て。砲弾の切れ目を。その隙に、長刀を叩き込んでやる。

 果たして数分後、そのようになった。
 「よし……ッ!?」
 弾切れのそのときまで完全に封じられ、かなり時間を稼がれたが、兎に角倒せた。
 安堵の溜息を吐こうとした瞬間に、叢雲の巨体が空を飛び、彼女達のほうに飛んでくるのが見えた。

 鬼が、やってくる。



 堂本は、腕を垂らした彩峰機に斬りかかった。草薙の速力全てが乗った大上段からの面打ち。が、機体速度に比して切先は、さほど速くない。無論、並より迅くはあったが。
 これなら往なせる、と彩峰は短刀を翳し、往なそうとして―――――押し斬られた。
 面を割られる前に回避行動を取り、一撃でやられることは避けたが、右腕と戦闘能力を完全に失った。
 「これでも一応皆伝でな。貴様ら如きに遅れを取っては殺されてしまう」
 僅かに笑うと、堂本は呆然と立ち尽くした彩峰機の胴を突き、撃墜判定を与えた。
 側面から斬りかかった冥夜を掬い上げるような斬撃で迎撃する。
 斬り方か、それとも重心移動か、はたまた両方か。苛烈な剣戟に冥夜機は長刀をかち上げられる。
 冥夜機が踏鞴を踏んだところに、堂本は長刀の切先を跳ね上げ、肩口に向けてその刀身を振り下ろした。
 冥夜は慌てて跳ね上げられた長刀を引き戻し、寸前で振り下ろされた刃を受け止める。
 フレームの軋む音が響く中、堂本は小さく呟いた。冥夜の振るう太刀筋に、見覚えがあった。
 「その太刀筋……将軍家の物、か」
 「ッ!?」
 何故、解った?
 声には出さなかった。しかし、堂本はそれに応える。
 「なに、私の師は斯衛軍の古参でな。一度、勉強になるからと御前試合に連れて行かれた。その折に見たのだよ。ああ―――――あれは美しい剣だった」
 その様を思い返しているのだろう。堂本の声は、どこか惚けたような響きだった。
 「だが……不敬を承知で言うが、あれは軽い。実用性で論じるならば霧耶の―――秘伝らしく、名は教えてくれなんだが―――流派や私の、そして我が師の流派、影月一刀流に分がある。刀とは撫で切る武器ではない。圧し斬り、叩き割る武器だ。肝要なのは速さではなく、重さだ。このように、なっ!!」
 堂本機の足捌がバーニア推力をそのまま膂力に変換する。がくん、と冥夜機の膝が落ち、アスファルトが砕け散った。
 ギチギチと厭な音を立て、両機のフレームが軋む。
 ち、と堂本は舌打ちした。
 やはり不知火のフレームは緩い。武御雷と比較するのも酷だろうが。
 片や冥夜は歯を食い縛っていた。

 悔しかった。確かに将軍家の太刀筋は時を経るに従って流麗さが強くなってゆき、現在では剣舞のようだとすら言われる。それは、実用から遠ざかるという意味でもある。それは理解していた。が、こうも現実として突き付けられれば、悔しさに歯も食い縛ろうというものだ。
 ならば、その観賞用の意地を見せてやろう。

 冥夜は片手を柄から離した。途端、堂本の長刀が落とし込まれ、肩口にぶち当たる―――――のと同時。
 「はあぁぁぁぁぁぁッ!!」
 逆手に握った短刀が、堂本機の腹にラインを引く。

 屑折れるのは、同時だった。


 「御剣少尉、先の太刀筋……聞かぬ方がいいか」
 撃墜判定を受け、停止した二機の間で通信が交わされる。
 「そうして頂ければ……ありがたくあります」
 「ならば聞かんよ……。最後の一撃は見事だった。正道ではなくともな」
 正道でなければ意味はない、と冥夜は僅かに俯いた。そこに、堂本は言葉を投げる。22年に渡る衛士生活が与えた言葉だった。
 「正道だけで事が済むならばそれに越したことはない。だが、戦場は往々にして正道を外れることを要求する。師も自分のことを邪道の者だと言った。そうあらねば生き延びることは出来なかった、とな」
 中尉を見ろ、と堂本は言った。
 「彼は正道など知ったことかと言わんばかりだぞ? 長刀を投げ、短刀を投げ、ビルを突き破り、蹴る。私も時たまやるがな。まぁ、流石にビルを突き破るなどという芸当は叢雲にしか出来まいが」
 冥夜のカメラの端に、空を駆ける―――駆けるなどという涼やかな表現とは程遠く、斬り裂くと言ったほうが余程適当な有様ではあったが―――叢雲の姿が映った。
 彼はそうだろう。そうして戦い、そうして生き延びてきたのだろう。
 「なに、正道が悪いということはない、決してな。それを貫きたくば、研鑽を積むことだ。そうすれば私のような雑兵崩れに遅れを取ることはなかろうよ。貴様は私と違って才覚に恵まれているのだからな」
 羨ましい限りだ、と続けた堂本を、冥夜は厳かな眼差しで見ていた。



 演習にも、幕が下りようとしていた。
 傷だらけの不知火と、ほぼ無傷の同じく不知火。そして、自ら突き崩したビルの瓦礫で多少煤けた叢雲が、その演者となった。


 何を置いても先ずヴァッシが戦場で行うことは、優先順位の決定であった。
 幾つかある標的の内、どれの脅威度が最も高いか。どれは放置しても構わないか。直ぐさま脅威にはならなくとも、放置しておいて拙いものはどれか。
 特段難しいことではない、とヴァッシは思う。こんなものはただの観察眼だ、と。
 単純な脅威度だけではなく状況や戦況、位置関係や地形はどうか。状況によっては平時ならば脅威足りえぬ敵も、最悪の敵になりうるのだ。
 丁度、神宮寺のときのよう―――――ノイズ、ブランク。リロード。
 FCSも脅威判定はやってくれる。が、最終的に狙いを定め、トリガーを引くのは衛士の役目だ。ならば、自分の目で確かめるのが一番いいに決まってる。
 そして、ヴァッシは少し先のビルに隠れる二機のうち片腕を垂れ下げた方―――マーキングから速瀬機と知れる―――は放置するのは拙くとも、直ぐさま脅威になる相手ではない、と判断した。
 適当に牽制し、無傷の不知火を潰す。
 LWRSSを速瀬機に、他の装備を白銀機に差し向ける。
 焔が叢雲を包んだ。圧倒的な火薬量。
 二人は直ぐさま退避する。何度目かの言葉となるが、実弾であればビルごとぶち抜かれてお陀仏である。
 ヴァッシは白銀機が隠れた方向にIRSTを指向させた。ジェット廃熱を探知。ほくそ笑む。
 ロケットエンジンとAB仕様のJ-58-K3エンジンの齎す100,000tを超える推力が、叢雲の巨体を蹴り飛ばすように挙動させた。
 ビル壁面が迫る。ぶち当たる。ぶち抜く。
 白銀は、空中にいた。

 弾け飛ぶコンクリート壁を見て、さぁここからだ、と白銀は思った。
 果たして現れた頭頂高で23mの巨体に、不釣合いなほど怒った肩部装甲ブロックに、蒼く光る単眼に。胃を締め上げられるような恐怖が克己された。
 それを噛み殺し、バーニアペダルを踏み込んだ。
 左手に短刀を握らせる。これから踏み込もうとしている間合いにおいて、長刀は長すぎる。
 「うおぉぉぉぉォ!!」
 短刀を、振り下ろした。

 叢雲の致命的な弱点。それは、機体重量である。
 確かに叢雲の推力重量比は2,5を超えるし、主機出力係数も並外れて高い。が、それでも慣性という物理法則は厳然として立ち塞がる。
 ここまで巨大な質量が9,5Gもの加速度で機動すれば、相応のモーメントが発生する。特に叢雲は前腕に武装が集中しすぎていた。
 ボクシングで例えれば解りやすいだろうか。
 正面切っての殴り合いであれば圧倒的な装甲性能タフネス砲火力パンチ力を備える叢雲に敵はない。
 が、スウェーやダッキングなどの回避テクニックを用いたある種の高機動戦となると、途端に叢雲はその鈍重さを露呈する。そういう試合であれば、身軽な不知火などの方が遥かに強い。
 加えて叢雲の手足の長さも災いする。懐に入り込まれると、何も出来なくなるのだ。
 白銀は、それ―――超インファイト―――に持ち込もうとしていた。

 「やっぱ、気付くよなぁ……!!」
 叢雲には、既に幾筋かのラインが引かれていた。白銀機に加え、速瀬機も加わっての超近接白兵。
 今の今まで撃墜判定が刻まれていないのは、叢雲の装甲性能が判定値に加味されていることと、インファイトを得手とするヴァッシの目によるものだろう。
 Mk-57が邪魔だ。96式特殊長刀の担架も邪魔だ。LBTもLWRSSも、制圧支援突撃砲すらも煩わしい。
 持ち前の突進力で二機を振り切ることは、出来ない。やればその瞬間、十分な加速が乗らない状態でビルにぶち当たり、そこで動きが止まる。そうすればデッドエンドだ。
 結果、ヴァッシは足を止めて二機と斬りあう羽目になる。
 クソッタレ。ホントに邪魔な機体だ、コイツは。
 彼はグレイゴーストの軽快さを思い出し、再度叢雲の巨大さを呪った。
 白銀の短刀が閃き、それを特殊長刀で払おうと腕を振れば、それを掻い潜った短刀が胸部装甲にラインを引く。
 反対側から叩き込まれた短刀を特殊長刀担架で受けようとすれば懐にもぐりこまれ、そうして振るわれた短刀を慌てて肩装甲で受ける。
 特殊長刀を繰り出してもその刺突は容易く回避され、逆に模擬短刀の一撃は確実に叢雲のダークグレーを青く汚してゆく。
 「クソが……ッ」
 そして遂に、ヴァッシはMk-57と96式特殊長刀をパージ、二機に向けて投げ付けた。火器を棄てるのは性に合わなかったが、時と場合による。
 僅かに間合いが開いたその隙に、カーボンマシェットを握った。
 「ッらァ!!」
 裂帛の気合と共にマシェットを白銀に叩き込む。
 漸く、叢雲と不知火は組み合った。
 こういう状況になれば叢雲はめっぽう強い。そのままマシェットを振り落とし、白銀機に撃墜判定を刻んだ。
 が。
 「このぉ!!」
 鼬の最後っ屁とでも言うのか、白銀が最後に放った36㎜模擬弾は叢雲の左足に直撃し、破壊判定を刻んでいた。
 叢雲の左足が力を失い、膝を折る。
 そこに、背後から速瀬が迫った。
 「はあぁぁぁぁぁぁッ!!」
 「舐めんなァ!!」
 叩きつけるような短刀の一撃と、倒れこむようにして突き出されたマシェット。
 切先が擦れ違い―――――
 「速瀬機、ウレンベック機、撃墜!!!」



 1103 ハンガー

 「あ゛ー、久方ぶりに本気出したぜ……」
 ハンガーに機体を収容し、コックピットから降りてきたヴァッシは、頭を掻きながら若干疲れた様子でそう言った。
 「私もいい経験になった。伯父上の剣も使えなくはないことが解ったからな」
 応ずる霧耶は誇らしげだ。
 堂本は、なにやら向こうで冥夜と話し込んでいた。
 いい趣味じゃねぇな、と思いつつもヴァッシは右目を望遠に設定し、その二人を盗み見る。
 冥夜の表情はどこか尊敬を含んだもので、色っぽい話―――そうであったら寧ろ困る所だ―――ではなさそうだった。
 「なーに見てるのよ? 覗きは駄目よ?」
 「アレ見て気にならんか?」
 そう言ってヴァッシが示した方を見たレティシエはああ、と得心いったように頷いた。
 「確かに、気になるわねぇ……。で、どんな様子なの?」
 「堂本に弟子が出来るかもな」
 「へぇ」
 と、その向こうに駐機した不知火から白銀と速瀬が降りる。
 ニヤリ、と嗤い、ヴァッシはそれに向かって歩いていった。
 「よぅ、巧くやったじゃねェか」
 声を掛けられた速瀬の表情は硬い。が、若干喜ばしげではあった。
 「別にアンタに誉められたって嬉しくもなんともないわよ」
 「そりゃどうも。悪かったな。さて……ここで重大発表と行くか」
 重大発表? と首を傾げた二人を置いて、ヴァッシは声を上げた。
 「はいはい注目!!」
 その声に釣られ、演習組がヴァッシの方を向く。それを受けてヴァッシは霧耶を手招きした。
 「なんだ?」
 のこのことやってきた霧耶は、演習前のお巫山戯を完全に失念しているようだった。
 それを見てヴァッシはニヤニヤと嗤う。
 霧耶の肩に手を置いた。
 「海のように広い心をお持ちの霧耶少尉が、全員に昼飯奢ってくれるってよ」
 その言葉に霧耶は顔を引き攣らせ、他の隊員は笑顔を浮かべる。
 引き攣った顔をヴァッシに向けた霧耶は、まさか、と小さく呟いた。
 「ちょ、ちょっと待て!! まさか演習前の!?」
 「演習前? さぁ、何のことか解らんな」
 嘯くヴァッシ。
 絶望感たっぷりに霧耶が辺りを見回せば、完全に目が据わった―――がっつり注文する気満々の―――速瀬が目に入り、うきうきと「アレ高いから手出ししにくかったんだよなー」などとほざく白銀が悪魔のように見え、「焼きソバ二人前……」などという幻聴(に違いない)も聞こえ、柏木の「中尉は何頼むんです?」と速瀬に尋ねる声が聞こえ、「いいのかな……」という珠瀬の言葉に多少癒され、「いいのではないか? 中尉もああ仰っている事だしな」との冥夜の言葉に止めを刺された。
 三々五々、手前勝手に謝辞を述べる速瀬たち。そして然も面白そうにくつくつ笑う堂本と、楽しくて楽しくてしょうがないと言わんばかりの笑みを浮かべるレティシエを前に、霧耶は顔をヒクヒクと引き攣らせながらヴァッシを見上げた。一縷の望みをかけて。
 ヴァッシは無情にも、止めを刺すことを選んだ。ニヤニヤ嗤いが憎い。
 「減俸30%3ヶ月にゃキツイかも知れんが……ま、頑張れ。おーし、さっさと着替えて食堂行くぞー」
 ぞろぞろと着替えにハンガーを出る面々。取り残された霧耶。
 「…………うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」
 合掌。



[4380] Interlude 2
Name: 5,45の㎜顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/08/29 01:52
12/24 2206     空母甲板上

 甲21号作戦発動に伴い装甲母艦で佐渡島へと向かう海上で、ヴァッシは甲板に出て煙草を燻らせていた。
 不安は多い。余りに多い。
 未完成の切り札トランプ、不完全な00ユニットの調整、不十分な慣熟期間、間に合わせの随伴機、足りない射程に打撃力。
 ないない尽くしの大規模作戦。
 苛立たしげに紫煙を吐き出す。図らずも舌打ちが零れた。
 「チッ……」
 失敗の許されない作戦。だからこそ万全で望むべきだというのに、現状はどうだ。
 が、何を思おうと所詮はない物ねだりだ。出来ればこうしたい、ああしたい。言い出せば限がない。
 「クソ共が……」
 古巣とは言えど、アメリカの体質には反吐が出る。ともすれば世界が滅ぶというのにこの反応の悪さ。初期段階からあのデカブツを寄越していれば完全な体勢でこの作戦に挑むことも出来たかも知れないというのに。
 だがBETAが地球圏から駆逐されようが世界が滅ぼうが人類が滅亡しようが、彼にとってはどうでもいい話だった。
 哀しむべきことに、彼には関係のない話だった。
 ただ、自分も、他人も。それに巻き込まれて死ぬのは御免だった。
 それで泣きを見るのはアメリカという国ではない。日本という国でもない。死んだ誰かであり、その誰かの身内だ。
 だから彼は国家という概念が嫌いだった。群体という概念が嫌いだった。
 その概念が国家の損失などという美辞麗句で人の死を修飾し、歎美なモノへと変性させ、曖昧模糊で遠隔なモノに変換してしまう。
 死は、所詮死だ。
 たった一つの命が土塊へと還る、ただそれだけの過程の筈だ。
 そうでなければならない筈だ。
 そんな物が美しい筈はない。格好いい筈はない。
 酷く醜悪で、酷く格好悪い、そして有り触れた、何処にでも遍在するモノの筈だ。だが唯一つのモノである筈だ。
 そうでなければならない筈だ。
 だからこそ、国家というものが持つ駒が一つや二つ欠けても全体に影響はないという死への無頓着さが。恰も一人二人ではなく一つ二つとカウントするかのように、それ自体意志を持った一人の人間ではなく、一つ定量の単位として扱う無機質さが。酷く気に喰わなかった。
 ヴァッシは甲板の縁へと歩いていった。
 白波の立つ闇よりなお冥い海に、そのまま吸い込まれてしまいそうな海に。燃え差しを投げ込んだ。
 「チッ……!!」
 ぎりり、と音がするほどに拳を握り締める。
 死んで堪るか。死なせて堪るか。
 彼のような―――自称―――クソ野郎にも、クソ野郎なりのプライドがある。そのプライドが、彼以外の人間を守ることを強要する。そこに彼自身はいない。彼はこの世で最も価値のない人間は自分だと信じていた。
 そこに、軽快な声が掛けられる。
 「あれ、中尉じゃない。どうしたの?」
 「……階級で呼ぶなって何度言わせりゃ気が済むんだ、柏木?」
 強化服の上に防寒ジャケットを羽織った柏木が、気楽な様子で歩み寄った。
 「あはは。じゃあヴァッシさん、どうしたの? こんな所で」
 「テメェも"こんな所"でどうした?」
 ちょっとね、と言って柏木が顎をしゃくった方向に、白銀が伊隅となにやら話し込んでいるのが目に入った。
 ヴァッシは渦巻く不快感を胸中で押し殺す―――というよりも解放するそのときまで鎖で雁字搦めにするといった具合ではあったが―――と、努めていつものように柏木に対した。
 「愛の語らいか? シチュエーションとしては妥当かね」
 おどけた様に嗤う。嗤えていたらいい、と思った。
 「そんなんじゃないよ」
 そう言った柏木は、若干すねているような表情だった。
 珍しいな、とヴァッシは思う。
 こいつは余りマイナス感情を表に出すような女じゃないと思ってたんだが。
 「まぁいい。ならどんな話だったんだよ、惚れた脹れたじゃねェなら?」
 「弟達の話をね」
 ああ、とヴァッシは得心いった様に頷いた。以前彼女の口から語られたことがあった。
 「死ねないなぁ、って再確認したとこ」
 「…………――――――」
 「え?」
 「何でもねェ」
 小声で呟かれたヴァッシの言葉は、誰にも聞かれることなく、12月の海に融けていった。
「ふぅん……ねぇ、ヴァッシさんも緊張してたりするの?」
 「また唐突だな、おい。まぁそうさな、緊張は……特にねぇな。やることはいつもと変わらねぇんだ。ちょいとばかりスケールがデカイだけさ」
 「ちょいとばかりって、ちょっとかなぁ……?」
 柏木は呆れたように苦笑する。相変わらずスケールが大きいのか無頓着なのか解りにくい男だと思った。
 「ちょっとさ。精々死ぬ人数が一桁変わる程度の違いだろ」
 他人が幾ら死のうと、彼には何の痛痒もない。彼は他人に対してはとことんまでに冷徹になれる人間だった。
 彼は己の行動と思考が完全に矛盾していることを認識していた。
 そして彼は、そんな矛盾しきった自分を認識するたび、己を八つ裂きにしたくなるほどの自己嫌悪を覚えるのだった。
 「それってちょっとって言わないと思うんだけど……」
 「俺が勝手に思ってるだけさ。お前がちょっとじゃねェと思うならそうなんだろ」
 納得いかない風な柏木を無言で追い立てるべく、ヴァッシは新たな煙草を咥えた。
 「うーん……まぁいいや。じゃあね」
 「ああ、じゃあな」
 カツカツと硬質な足音が風に吹き飛ばされる。それが聞こえなくなると、ヴァッシは煙草に火を点けた。
 そして、煙と共に先の言葉を咀嚼する。
 「……誰が―――――死なせるかよ」
 決意ではない。覚悟でもない。
 ただ、奇妙な義務感に急き立てられて零した言葉だった。
 そしてまた、彼は自己嫌悪を覚えた。



同日 2126    実験艦長門艦橋

 副長は、釈然としない思いを抱えていた。
 長門艦員は、所謂外れ者の集団だった。帝国海軍で某かの問題を起こし、或いは有能さゆえに上官に疎まれて流れ、盥回しにされた末に辿り着いた安住の地が、ここ長門だった。
 副長も艦長である朱祇も、例外ではない。
 その長門が、第二艦隊に配備されたのは3日前のことだった。
 上陸部隊支援という最も苛烈な攻撃に曝されるであろう艦隊に、はみ出し者集団が配備される。体のいいトカゲの尻尾きりではなかろうか、と副長は思うのだった。
 「艦長……」
 背の高い艦長席にぴんと背筋を伸ばして座る朱祇に、副長は声を掛けた。
 これを聞いたところでなにが変わるわけではない。彼になにが出来るわけでもない。だが、これだけは聞いておきたかった。
 彼が唯一尊敬する、彼が唯一その下に就いて働きたいと思った戦艦乗りである、朱祇飛柚乃帝国海軍中佐に。
 「此度の作戦、どうお考えなのですか?」
 その言葉に、朱祇は振り向くことはせずに応えた。
 「私達の力を示すいい機会じゃないか。何か不満でもあるのかい?」
 「確かに……機会であると言われればそうかも知れません。しかし長門は艦政本部直轄の艦艇です。それを臨時とはいえど聯合艦隊、しかも最も激しい攻撃に曝されるであろう第二艦隊指揮下に置くなど、我々に対する切り捨て行為に他なりません」
 副長の珍しく攻撃的な物言いに、朱祇は苦笑したようだった。
 「確かにそうかも知れない。生き残って見せろ、とね。でもね、我々が第2艦隊貴下に組み込まれたのは小沢元帥と信濃の阿部艦長、艦政本部長の高洲中将の強い推薦があったからだそうだよ。それを侮辱と言うことは、私には出来ないね」
 しかし、と言葉を返そうとする副長を、朱祇の強い語調が遮った。
 「それに、だ。我々は作戦計画当初、指揮艦艇の護衛艦として参加することになっていたんだぞ? 軍が総力を上げての、猫の手も借りたいような作戦に。これは私に対する作戦課の当て付けに他ならないよ」
 確かに、彼女がその父親から受け継いだ作戦本部との確執は根が深い。彼方の一方的な怨恨であることも、性質の悪さに拍車をかけていた。
 「私にしてみればそちらの方が余程腹立たしいよ。確かに長門艦員ははみ出し者の寄せ集めさ、私も含めてね。とは言えど長門は戦艦だ。一度戦端を開けば陸上部隊数個師団分の火力を発揮しうる戦艦なんだ!! それを、それを!! 指揮系統が違うから!? 私の指揮する艦だから!? はみ出し者の寄せ集めだから!!? 後方で指を咥えて黙って見ていろだと!!? 私を―――――私たちを侮辱するのも大概にしろというんだ!!!」
 「艦長……」
 声を荒げた朱祇に、艦橋員の視線が集まる。
 なんでもない、というように朱祇が首を振ると、皆は視線を元あった位置に戻した。
 朱祇は、副長の顔を見て少し寂しげに微笑んだ。
 「そんな顔をしないでくれ、副長君」
 副長の顔は厳かだった。見ようによっては険しくも見えた。
 「経過がどうあれ、長門と私たちには機会が与えられたんだ。誰かの為に戦える、それは戦艦乗りとして―――――最高の栄誉だとは、思わないかい?」
 朱祇の顔は、誇らしげだった。



同日 2211    空母甲板上

 伊隅との話を終え、艦内に戻ろうとしていた白銀は、甲板の縁で煙草を吹かすヴァッシの姿を捉えた。
 どうにも好きになれない相手だったが、A-01に、軍隊にいる以上何かを守ろうとしてここに居る筈だ、と自らとの共通項を見い出して―――或いは見い出そうとして―――白銀は、敢えて声を掛けた。
 「中……ヴァッシさん」
 中尉、と言おうとして、彼が階級で呼ばれるのを嫌っていることを思い出して、やめた。
 「白銀か。なんか用か?」
 ヴァッシの視線は動かない。彼方の水平線に固定されたまま、白銀の方には欠片も動かなかった。
 「用がないなら失せろ。俺は今機嫌が悪い」
 そうだろうな、と白銀は思った。今のヴァッシからは、あからさまに人を遠ざける類の気配が漂っていた。
 「いや、その……聞きたいことがあって」
 「なら早くしろ」
 にべもない口調に、白銀は鼻白んだ。が、意を決して口を開く。
 「あなたは、何で軍隊に?」
 「……テメェは?」
 「は?」
 そこで初めて、ヴァッシは白銀に目を向けた。首を僅かばかり巡らせ、その大半は目の動きだった。
 紫煙がヴァッシに纏わりつき、海風に抱き取られ、流れていった。
 「テメェは何で軍隊なんぞに入った? 兵役免除だったんだろ?」
 ヴァッシはオルタネイティヴ4始動1年でその計画に実働戦力として参加し、A-01部隊立ち上げの功労者であるという立場上、階級に従うならば本来知り得ない情報も、それこそオルタネイティヴ4の根幹に関わるような情報すらも持っている。
 だが、白銀個人に関わる情報は伊隅たちと同等にしか知らなかった。
 「俺は世界を守る為に」
 白銀は即答した。迷うことは何もなかった。
 その言葉に、ヴァッシは嘲笑を零した。
 下らないねェ。
 「世界を守る、ね……。随分とまた胡散臭いお題目もあったもんだ」
 「何……!?」
 ヴァッシの言葉に、白銀は憤怒した。殺気が吹き上がる。
 「別に悪いことだとは言わねぇさ。だがな、偽善は何も救わねぇよ。救った気でいるのは、勝手だがね」
 「巫山戯るな!! あんたに何が解るって言うんだ!?」
 「解るわけねぇよ。俺とお前は別物なんだからな。生まれも違えば育ちも違う。経験も違う。勿論考え方も違う。何一つ同じものはありゃしねェ。ま、一つあるとすりゃあ……同じく人類、ってトコだけか? 人類皆兄弟、ってな」
 しかし、白銀如きの殺気はヴァッシに微塵の怯みも与え得ない。彼は、目の前の糞で餓鬼―――クソガキではない。糞で餓鬼だ―――な一揃いの人肉を見下した。
 「下らねぇ下らねぇ。何を悲劇のヒーローぶってるのか知ったこっちゃねぇがな。世界を救う? 人類を救う? 莫迦莫迦しい限りだ、滑稽極まるね」
 「お前!!」
 白銀は今にも飛び掛らんばかり。ヴァッシは、また白銀から視線を外して水平線に固定した。
 「がなるなよ、ヒーロー。男のヒスは傍目に無様だぜ」
 「じゃあ……じゃあ何でアンタは衛士になったんだ!? 人類を守るのが俺たちの仕事だろ!?」
 「興味がねェ」
 「は……?」
 ヴァッシの言葉に、冷たい横顔に。白銀は呆然とした。
 「きょ、興味がないってどういうことだよ……」
 ヴァッシは溜息をついた。コイツはやっぱり糞で餓鬼だ。
 自分の価値観に一切の疑問を持たない。それに反目する人間が居ると、思いもしない。自分の正義が万人の正義になりうると本気で信じている。■ねばいい。
 世に万人"を"許容する正義は在ろう。だが、万人"が"許容する正義は、存在し得ないのだ。決して、決して。
 「答える前に一個聞きたいんだが……人類とか世界ってのはそんなに素晴らしいモンなのか? 俺たち個人が命を賭して守るほど価値があるモンなのか?」
 ぐるり、とヴァッシは体を巡らせ、白金に向き直った。目が合う。その目に、白銀は凍て付いた。
 皮肉っているのでもなければ、嘲っているのでもない。ただ単純に、酷く純粋に疑問に思っている目だった。
 「あ、当たり前だろ……」
 「なんで? 何処がそんなに素晴らしい? 人を塵かなんかみたいに切り捨てる"人類"を許容する"世界"のなにがそんなに素晴らしい?」
 じわり、とヴァッシから何かが漏れ出した。それは、憎悪とでも言うべきものかも知れなかった。
 「……旧ドイツ陸軍第一装甲師団」
 「は?」
 応えに詰まる白銀に何を思ったか、ヴァッシは口を開いた。そこからまろび出たのは、原初の巣だった。
 急に飛び出た一見無関係な単語に、白銀は目を白黒させた。
 「座学はマトモにやってんだろ? 詳しい顛末は知らねェでも大雑把にゃ知ってると思うが?」
 一応は、と応える白銀を、ヴァッシは正面に向き直って見据えた。
 「教本じゃ救民の師団だとか悲運の師団だとか書いてあったろ、確か」
 「ああ」
 白銀の口調は、最早上官に対するものではなくなっていた。目の前の男に払うべき敬意など、一片たりとも見い出せなかった。
 「じゃあ俺とレティが元は第一装甲師団所属衛士だった、ってことは知ってるか?」
 それは初耳だ、と白銀は首を振った。その目が説明を求めていた。
 「下らなすぎてマトモに読んでねェからちゃんとは知らねぇが、どうせ難民を逃がす為に最後の一兵まで戦ったとかそんなことが書いてあったんだろ?」
 「確か、そうだ」
 ヴァッシは嗤った。
 ほらみろ、ここでも俺達は美辞麗句で飾られている。
 「真相は大違いだ」
 「え……?」
 すぅ、とヴァッシの嗤みが消える。そこに新たに浮かんだ表情は―――――何もなかった。ありとあらゆる感情をある種の濁りとするならば、只管に透明な表情だった。
 何が解るって言うんだ、とお前は言った。なら、俺の何が解るってんだ? 解る訳がない。俺とお前が別物であるように、"お前"と"俺"も別物だ。
 「確かに俺たちは難民を逃がす為の遅滞戦闘を行ったさ。だがな、最後の最後に俺たちは裏切られた。ま、先方が裏切った積りなのかは知ったこっちゃないがね、少なくとも俺たちにして見りゃ裏切られたんだよ」
 咥え煙草を吐き棄てると、ヴァッシは掌を顔の前に翳した。強化服に覆われたその内には、焼け爛れた掌があるはずだった。
 「燃料気化爆弾の集中運用。俺たちはそれで吹き飛ばされた。事前の通知も撤退指示も一切なし。リエントリーシェルが振ってきたと思ったらBETAと一緒くたにどかん、だ」
 白銀は息を呑む。果たして目の前の男は、どれほどの闇をその内に抱えているのか。

 ヴァッシ・ウレンベックには過去を乗り越え、克服するほどの強さはなかった。そして同時に、過去を忘却し、現在との間に断崖を作るほどの狡猾さもなかった。彼はあらゆる決着を過剰なまでに恐れていた。
 決着とは終わりであり、結末である。そこには必ず解答があるのだ。答えを出せば、過去はラベルを貼り付けられ、過ぎた事象として列挙されることになってしまう。
 あの皮肉なほどに晴れ渡った空の色も、鼻につく枯葉と血錆の臭いも、乾燥し口の中でひび割れてゆく空気も、吹き荒ぶ虞風も―――――彼が見捨てた幾多の人々も―――――意味と価値を付属して、収まるべき形へと変質してしまう。
 あのコルダイトの不快な臭いも、魅入るほどに美しい血の色も、耳を劈く9㎜パラベラムの甲高い発射音も、手首に襲い掛かる鋭いリコイルも―――――彼が殺した一人のろくでなしも―――――意義と閾値を付与して、収まるべき形へと変貌してしまう。
 それは態のいい逃避ではなかろうかと、彼は思うのだ。逃避ですらも決着の形なのだと、嘲笑いながら。
 あの日のドイツと、あの日のドイツは。彼にとって過去ではなく、地続きの現在であった。

 「俺は人類なんぞ大嫌いだ。あぁそうとも、皆BETAに食われちまえばいい」

 ヴァッシは呆然とする白銀を捨て置き、艦内に戻っていった。
 結局ヴァッシ・ウレンベックが衛士になった理由と何故興味がないのかを聞きそびれたことに白銀が気付くのは、水密扉が閉め切られた後のことだった。
 しかし、と白銀は思う。聞く必要もないんじゃないか、と。
 何も解らないな、アイツは。
 何を聞いても、何を話しても、何一つ解らない。何一つ明確に見えてこない。今回の話だって、結局彼と自分との間に大きな隔たりがあることが解っただけだった。

 アイツとは、あの男とは。話をするだけ時間の無駄なんじゃないだろうか。
 
 それは白銀が"こちら"に来て以来初めて他人に抱く、明確な隔意だった。



同日 2246    艦内食堂

 食堂で、霧耶は遺書をしたためていた。あたりに人影はなく、彼女が筆を滑らせる音と空母の低い駆動音だけが響いていた。
 彼女はありとあらゆる出撃において、例えそれが警戒出動であろうとも遺書を書くことを忘れなかった。
 氏族としての誇りがあった。自分はいつ死んでもいいのだと、それを確認する為の遺書だった。
 堂本も遺書を書く。見せてもらったことは勿論ないが、彼も霧耶同様に出撃のたびに遺書を書いていた。
 ふと、気になることがあった。
 「……」
 以前一度だけ訪れたヴァッシの部屋。
 存外綺麗に整理された書類と筆記用具が少々、そして吸殻が山になった灰皿以外には何もなかったあの部屋。

 あの男は、遺書を書くのだろうか。
 あの男は、自分の死を是とするのだろうか。

 あの男は―――――私の死をどう思うのだろうか。

 ただそれだけが、気になった。



[4380] 第七部 第一話
Name: 5,45の㎜顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/06/17 00:17
 12/25 0820    佐渡島沖海上・長門ブリッジ

 「艦長、アメリカ海軍第7艦隊、シニーナ・ラボルテ・フレスベルグ大佐から直接通信です」
 その相手に、朱祇は副長の顔を見た。
 「副長君……」
 「いつもすみません……」
 「繋いでくれ」
 力なく謝辞を述べた副長を横目に、朱祇はオペレーターに回線を繋ぐように命ずる。
 直ぐさま回線が開き、モニターに少し角の立った女性が映し出された。
 「ハァイダーリン!! 元気!?」
 「フレスベルグ大佐……作戦前の私信は如何なものかと何度となくお伝えしたと思うのですが?」
 「ぶー。相変わらずお堅いんだから」
 「それに私のような老い耄れに熱を上げてもいいことはないでしょう? 大佐は器量が良くていらっしゃるのですから」
 「大丈夫です、ダーリンだって格好いいよ?」

 そんな二人のやり取りを、朱祇は微笑ましく思っていた。
 お互い好き合っているのだから。さっさと籍でも何でも入れてしまえばいいのに。
 
 長門艦橋に、決戦前とは思えないほどに和やかな空気が流れていた。



同日 0838    長門艦橋

 副長は、自前の腕時計で時間を見た。作戦開始20分前。
 「艦長、作戦開始20分前です」
 「宜しい。総員、第一種戦闘配置」
 了解しました、と副長は頷いた。傍らの通信兵にマイクを要求する。
 「こちらは副長です。長門全艦員、第一種戦闘配置。繰り返します。総員第一種戦闘配置」
 それに、各ブロックは即応した。
 元より準備は万端だ、とでも言うように。
 『主砲射撃準備ヨシ!!』
 『ダメージコントロール、準備完了です!!』
 『射撃盤起動確認ヨシ!!』
 『副砲群射撃準備ヨシ!!』
 『全VSL射撃準備ヨロシ!!』
 『こちら機関室!! 機関科総員配備完了!!』
 副長は満足げに頷いた。
 流石は我ら長門の艦員。素晴らしい。
 「艦長、総員配置完了です」
 うん、と朱祇は小さく答える。
 「対潜、対レーザー警戒を厳に」
 『CICより艦橋、衛星軌道上に国連軍軌道爆撃艦隊を確認!!』
 あと少しで作戦が始まる。日本の、そしてオルタネイティヴ4の転換となるであろう作戦が。
 その事実に、朱祇も感慨深かった。
 「いよいよ、か……。副長君、まさかとは思うが流れ弾で沈んでは末代までの恥だ。念のため、対空戦闘の準備を」
 「了解です。対空戦闘用意、突入弾の監視を怠らないようにしてください」
 副長の指令、艦橋員の応え。
 朱祇と副長は空を見上げた。
 余り、いい天気ではなかった。



 同日 0845

 「時に、艦長」
 副長は、先ほどの戦闘準備指令の折に朱祇が長門に装備された特殊装備を準備させなかったことを思い出し、それを確認すべく彼女に声を掛けた。
 「今回”あれ”は使用しないのですか? 長門最大の打撃力ですが」
 朱祇はその無表情を僅かに曇らせ、また僅かに眉を顰めた。
 「許可が下りていないんだ、使いたくても使えないよ。まったく……我々に手柄を立てさせたくないんだろうが、作戦課の莫迦共も時と場合を選んで欲しいものさ」
 これだから帝国海軍は、と朱祇は小さく呟いた。
 本来ならば咎められて然るべき言葉だが、幸か不幸か長門にそれを咎める人間はいない。
 取り敢えずとばかり、フォローするように副長は言った。
 「まぁ打撃力には劣りますが、後部連装砲を使うしかありませんね。今は出来ることをしましょう。あれとて蟷螂の斧ではないのですから」
 その言葉に、朱祇は少しだけ表情を柔らかくする。
 やはりこの男は優秀だ。
 父と子ほども歳の離れた部下に、彼女は感謝した。
 「そうだね。今は出来ることを、だ。だがいつ何が起こるか解らない。いつでも使える準備だけはさせておいてくれ」
 「ええ、艦長」
 副長は笑った。
 「直ぐに掛からせましょう」
 それは、信頼の笑みだった。



同日 0855

 風の音が長門の艦橋に、響いている。
 副長は時計を見た。0855。作戦開始が近い。
 「艦長、間もなく作戦開始です」
 「うん、解った。航海長、先行する加賀との距離を詰めすぎるなよ!! 彼女達と違ってこのお婆ちゃんは小回りが利かないぞ」
 そのあたりは心得たもの、航海長は勿論ですよ、と豪気な笑みと共に返した。
 少し多めに加賀との距離を取り、等速航行で追従する。
 
 やがて真野湾を視界に捉えた時、CICから艦橋へ通信が入った。
 「CICより艦橋、国連軍軌道爆撃艦隊の突入弾分離を確認!!」
 その報告に、艦橋の空気がきしり、と音を立てて締まった。
 「地獄の釜の蓋が開く、か……。副長君、艦外作業員を艦内に退避させてくれ。始まるぞ」
 副長は頷く。
 「艦外作業員は艦内に退避。繰り返します、艦外作業員は艦内に退避!!」
 それに続く復唱を背景に、朱祇は空を見上げた。
 突入弾が尾を引いて降り注ぐ。それに、地上からの光条が殺到した。
 それに伴っての報告が押し寄せる。
 「こちら見張り所、突入弾に対するレーザー族種の迎撃を確認!!」
 「重金属雲発生!! 繰り返す、重金属雲発生!!」
 朱祇は願った。黒々とした重金属雲に。せめて、一助になれと。
 艦員の無事を。帝国将兵の無事を。
 そして何より―――――ヴァッシ・ウレンベックの無事を。

 「信濃より入電!! “旗艦、砲撃は可能か”。以上!!」
 信濃から、長門に。
 これは現段階においてA-01の切り札を除けば世界最大クラスの打撃力を誇る長門の特殊装備を行使出来るか否かの確認に他ならない。
 が、阿部艦長が長門に許可の辞令が下りていないことを把握していないということは考え辛い。
 副長は如何なる返答をすべきか悩んだ。
 「……艦長、如何なさいますか?」
 「そうだね……。ふむ、心配無用とだけ伝えてくれ」
 「了解、返信します」
 通信士が返答を信濃に送る。
 それを見届けると、朱祇は制帽を直し、襟を正した。正面に向き直る。そして老女を労わる様に、肘掛を撫でた。

 いよいよだ。私も頑張る。だから貴女も頑張ってくれ、長門。

 「さぁ―――――始めよう」



同日同刻    国連軍装甲母艦

 「時間だ」
 ヴァッシは叢雲の胎の中で、首を鳴らした。
 スケジュールを確認し、そして遥かな上空から突入弾が大気圏に飛び込み、そして迎撃されるのを見た。
 重金属雲が立ち上る。
 今の装甲母艦の位置からでは視認出来ないが、そろそろ第二艦隊が真野湾に突入する予定の時刻である。

 ヴァッシは嗤わなかった。そんな気分にはなれなかった。
 だが、せめても口調だけは何時も通りにしようと、彼は自分を鎧う。
 「さぁて―――――チークタイムだ」



[4380] 第七部 第二話
Name: 5,45の㎜顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/08/27 23:40
 第七部第二話 注釈

 Muv-Luv Alternative世界観において歩兵は全て機械化装甲歩兵ということになっているようですが、コストや兵站の問題から現実的ではないだろう、と考えて歩兵や対BETA特技兵を登場させました。小型種ならば歩兵径行火器が通用するという設定もあるため、このような形をとります。
 まぁ、文字通りの死兵になるわけですが。
 では第七部第二話をどうぞ。






 12/25 0858

 帝国連合艦隊第二艦隊が、真野湾に侵入する。
 全ての砲門が佐渡島に向けられ、数多の砲が火を噴いた。
 轟音、閃光。光条が奔り、黒煙が吹き上がる。 光条を逃れた幾らかの砲弾がその身に秘めた破壊力を開放する。
 今度は黒煙の代わりに砂煙が舞い上がった。

 それは、装甲母艦上のヴァッシからもよく見えた。
 叢雲のコックピットの中で煙草をふかしながら出撃の合図を待つ。
 そろそろ地上部隊の第一陣が上陸する頃だ。あちらは多分、酷いことになるだろう。

 足して、引いて、掛けて、割って。四則計算される人間。何の為に?

 歯痒さに、ヴァッシは臍を噛んだ。そして、自嘲する。
 クソ、俺は何をやっているのだ。何が歯痒い。お前の望み通りだ。また山ほど人が死ぬ。
 名を知る者はなく、見知った顔もない、一兵卒の群れだ。A-01とは違う。

 は。
 ヴァッシは自嘲した。
 何様の積もりだ、違う、だと? 神にでも成った積もりか、ヴァッシ・ウレンベック。
 苛立たしげに紫煙を吐き出す。
 酷く気に入らない。
 何が? この作戦が? 違う。
 何が? この状況が? 違う。

 この俺こそが、気に入らない。
 神、神、神。神じゃねぇんだ、畜生。



 同刻 ウィスキー揚陸隊上陸地点

 揚陸艇の中で、歩兵団は一様に緊迫した空気を漂わせていた。
 然も在らん、歩兵部隊は、問答無用で死亡率が最も高い部隊だ。
 カタカタと震える者、祈りを捧げる者、嘔吐する者。
 やがて揚陸艇が着岸する。海岸線にはBETAの姿が見えた。
 「開けるぞ!! 幸運を!!!」
 声とともに、ガラガラと音を立てて揚陸艇の前面が開き、歩兵が雪崩れ出る。
 「第四中隊上陸!! 拠点確保に移る!!」
 通信インカムに声を叩き付けながら、男はアサルトライフルのトリガーを引き絞った。兵士級や闘士級が紫色の血を吹き上げて倒れる。
 「グレネード!! 支援分隊制圧射実行!!」
 その言葉にアッドオンランチャー装備のライフルを持った兵士、ライフルグレネードを装備した兵士、ベルト給弾式マシンガンを抱えた分隊が前面に出、各々トリガーを引く。
 40㎜グレネード弾のぱきゅ、という間の抜けた発射音。ばすん、というライフルグレネードのやはり間の抜けた発射音。続いて炸裂音。
 マシンガンが間断なく吐き出し続ける5,56㎜アーマーライト弾の甲高い発射音。
 何体ものBETAが弾け飛び、体液を撒き散らして倒れる。
 が、やはり黒波は止まらない。
 「着剣!! 総員白兵戦闘準備!!」
 銃剣を装着出来ないグレネーダーと制圧分隊、そしてすぐに銃剣を装備できないライフルグレネード装備の者が下がり、代わりにフルサイズのアサルトライフル装備の突撃隊が前面に進出する。
 素早くライフルに銃剣を装着し、射撃を再開。
 黒波は止まらない。

 そして、白兵距離。

 「突けぇぇぇぇぇッ!!!」
 BETAの薄気味悪い肉体を銃剣が抉る。それで死ななかったBETAに、頭を引き千切られ、喰い千切られる兵士が其処此処にいる。だが男に、彼らに気を回す余裕は微塵もない。
 そんなことをすれば、速やかな自殺だ。
 「俺の、腕……!! ひ、ひひひ……!!! 返せよ、俺の腕……。俺の腕、返せ……!!」
 腕を喰われた兵士が、壊れる。
 「あ、あ゛ぁぁぁぁぁ!! 足、足がぁぁぁぁぁァァ!!!」
 足を潰された兵士が半狂乱になって弾をばら撒く。
 「もうやだ、帰る……おうち帰してよぅ……」
 膝を抱え、幼児退行した兵士がそのまま喰われる。
 「死ねッ!! 死ねやオラァ!!! オラァッ……!! あ゛ッ!?」
 兵士級を突き殺した兵士が、その脇から伸びた闘士級の蝕腕に首を捥がれる。
 男は、それを無視した。

 状況に一段落つく。
 接触から僅か数分、戦死者は既に両手に余り、負傷者は数えるのも億劫な数になった。
 医療兵を呼び寄せ、治療をさせる。
 軽傷者には応急手当て、重傷者はそのまま棄てる。どの道前線でまともな治療は望めない。手足を欠損したものには止血を施し、モルヒネ注射。
 苦悶が満ちた。
 粗方処置が終わったのを確認し、声を上げた。
 「第二予定地点まで進展する!! 続けッ!!」

 第二予定地に向かう。ここからは小型種以外も相手にしなければならない可能性が大だ。
 大型の対BETAミサイルランチャーを抱えた特技兵のハマーが微速で前面を行き、その更に前方をスカウト部隊が行く。
 そして、スカウト隊から最悪に近い報告が入った。

 「タンク、グラップラー……それにデストロイヤー混合の大隊規模、か」
 タンク、グラップラーはまだいい。問題はデストロイヤー級である。デストロイヤー級の正面甲殻は特技兵の対BETAミサイルでも撃ち抜くことは難しい。というよりも、まず無理だ。
 うまいこと前面露出部に当てられればいいが、そこまでの技量を求めるのは余りに酷だ。
 近くに展開している帝国軍第17機甲大隊に援護を要請する。
 丸ごとの援軍など端から期待していない。中隊を遣してくれれば御の字だ。
 最悪の場合は―――と、そこまで考えて、彼は思考を切り替えた。全滅などと、思考に乗せるだけでも愉快でない。
 「時間を稼ぐ。特技兵、対BETA戦闘準備」
 部隊長のその言葉に、特技隊隊長は敬礼で返した。

 「第一小隊は正面、第二小隊は右翼に展開!! 第三、第四小隊は左翼から引っ叩け!!」
 特技兵―――特殊技能兵と言えば聞こえはいいが、その実は使い捨てに等しい部隊だ。
 装備は簡単、ジャベリン対戦車ミサイルを大型化して威力を底上げしただけの大型対BETAミサイルランチャー。 
 ひたすらに大きく、嵩張り、重い。一端設置してしまえば移動すら侭ならない。その癖倒せるのは精々グラップラー級という中途半端な兵器だ。
 それを運用するための訓練を受け、それを当てたら適当に迷惑にならない所で死んでくれ、という人権に唾するがごとき部隊。
 事実、この中隊を指揮する男も部下を何人も失ってきた。部隊長だから、そして経験を積んだ特技兵は貴重だからという理由で死なないことを要求される。
 「射撃準備!! 弾体装填。通信手、後方とのラインは繋がってるな?」
 苦痛だった。
 「第二小隊、もっと開けた場所に設置しろ。移動できんぞ」
 死にたい、とは思わない。
 「第三、第四小隊は可能ならデストロイヤーを仕留めろ。脚を―――頭がベストだが―――狙って止めればいい」
 だが仲間を見捨ててまで永らえたいとも、彼は思っていなかった。

 「引き付けろ。必殺の800mまで、だ」
 それが彼らの抱えるミサイルの限界だった。
 巨大な弾体。その弾体は、あわよくば中型種を仕留められる様に、と炸薬部を可能な限り大型化したものだ。代わりに弾速と射程距離が犠牲になっていた。
 最大射程は1200m、必殺距離は800m。たった1km。
 それが、彼らの抱える矛の限界だった。
 照準器を覗き込む。レティクルを1km先の丘に合わせ、獲物を待つ。
 前方に砂塵。振動からして、おおよそ2km弱。視認までは凡そ30秒と少々。
 準備は既に整っている。後は異形が近づくのを待つばかり。
 砂塵が大きくなる。
 「焦るなよ……」
 そして、視認。
 「ッ―――てェ!!!」
 着弾までのタイムラグを考慮に入れ、視認した瞬間に発射。1kmの距離を瞬く間に縮め―――着弾。
 着弾距離807m。
 仕留めたのはタンクが10匹ほど、グラップラー4匹、デストロイヤーを1匹無力化。
 上出来だ。男は思う。
 「次弾装填、各個に射撃、その後射点移動!! 急げ!!」
 装填手が次弾を装填し、照準もそこそこに発射。
 グラップラーに命中、しかし着弾は衝角。撃破にも、無力化にも届かない。
 舌打ち一つ、彼は射点変更の指示を出す。
 分隊4人掛りでハマーに乗せ、飛び乗る。アクセル。
 無骨なノーパンクタイヤが乾いた地面を削り、砂煙を上げる。
 横目に、男は部下たちの行動を見た。第三小隊が遅れている。アレでは間に合わない。
 「隊長、第三が!!」
 副官の曹長が、悲痛な叫びを上げる。
 助けたい。その思いは彼とて同じだ。しかし、それは出来ない。
 どうしても、出来ない。
 「見捨てる!! どう頑張っても間に合わん!!」
 言った矢先に第三小隊が乗り込むハマーの一台が轢殺され、それに続いてもう一台。
 「しかし!!」
 彼はその言葉を黙殺する。どう答えろというのだ。助かる見込みも、助けられる可能性もない者に各車5発しか搭載されていない対BETAミサイルを使えというのか。
 もう一台が、グラップラーの衝角を叩きつけられ、粉砕される。
 最後の一台は懸命に車載機関銃で阻止射撃を行うが、グラップラー以上の相手に50口径は余りに無力だ。タンクに対しても、数を揃えねばまともな戦果は期待できない。
 「隊長!!」
 「―――黙れ!!!」
 直後、彼は。第三小隊最後のハマーにタンク級が一体、飛び掛かるのを視認した。

 特技兵隊用のハマーには、車上射撃を行うための簡易ハンガーが取り付けられている。とは言っても後方でしっかりと据え付けられたものではなく、前線で必要に迫られて作られた物だ。鉄パイプを組み上げ、固定用のボルトが付いているだけの急造品。
 もちろん設置して行う射撃よりも精度は落ちるし、車内で作業を行わなければならないためどうしても装弾作業は遅くなる。射撃後は着弾するまで移動することは決してできないという欠点もまた存在した。
 だが対BETA特技兵にはどうしても必要な装備だった。
 第一射撃地点での射撃は一射か、精々二射が限度。さりとて第二射撃地点を設定して、そこにミサイルを設置するような時間もまた、ない。
 よって選択肢は限られる。
 早急に移動して設置し―――――喰われるか、それとも不安定を押して車上射撃を実行するか。
 当然、車上射撃一択だ。

 「各車車上射撃準備!! 完了次第射撃自由、以上だ!!」
 車上射撃実行時は護衛が車両運転手となり、後は設置時と同じだ。若干観測手兼通信手の仕事が増え、装填手1名、射手1名、観測手兼通信手兼護衛1名となる。
 隊長である男は、観測手兼通信手兼護衛を勤めていた。
 「設置完了!!」
 「装填……ッしょ!! 完了っす!!」
 設置と装填を行っていた二人から声がかけられ、男は双眼鏡を下ろした。
 「よォし、射程まで約20秒だ。いつでもぶっ放せるな?」
 「勿論ですよ」
 「次弾装填オカワリは10秒待ちっす。移動中なら20秒弱ってとこッすね」
 オーケィ、と答える。双眼鏡を構え、射撃のタイミングを待つ。

 目測であと5秒。
 ぎり、という音から射手が緊張しているのが知れた。

 4秒。
 運転手が恐怖に駆られてアクセルを踏まないか心配になる。

 3秒。
 装填手が祈る言葉が聞こえてきた。

 2秒。
 知らず、汗がこぼれる。

 1秒―――――。

 「てぇッ!!!」
 矢が放たれた。
 残存全ての車両、計12両のハマーからそれぞれ1発づつのミサイルが発射され、それがめいめいBETAに突き刺さる。
 炸裂。
 戦果は、思わしくはなかった。
 必殺距離を越えた有効射程内での射撃、しかも車上射撃とあって精度は出ない。グラップラー3体とタンクが一握り、デストロイヤーは甲殻に直撃した個体があったが、撃破には当然至らない。
 「移動しながら装填だ!! 装填終了次第停車、射撃を実行!!」
 「アイサー!!」
 運転手がアクセルを踏み抜き、装填手が急発進に体を取られながら、空の弾体を筐体から抜き取り、次弾を手に取る。
 男は双眼鏡から手を離し、機銃を構えた。
 と、彼は不穏な振動を感じた。硬いサスペンションや大容量エンジンのそれではない、地面が揺れる振動。
 「まさか……ッ!?」
 ご、という異質な音とともに、第2中隊が大量の土砂とともに空中に巻き上げられる。
 規模こそ小さいものの、地中迂回突破。しかも内一体は―――――
 「フォートだと……ッ!!」
 舌打ちよりも何よりも先に、諦念が湧き上る。
 次いで、第2中隊の全滅による戦力の低下を嘆く。部下の死よりもそちらを嘆く自分に諦めにも似た感情を抱きながら、状況を把握しようと努め、どう足掻いても絶望以外に無いことを知った。
 現れたBETA集団は彼らが今まで撃破したBETAを補って余りある量だったし、加えてフォート級まで存在する。
 乾いた笑いしか浮かばなかった。
 「―――――隊長!!」
 絶望と悲観を足して2を掛けたような状況。
 「……フォートを潰す。全火力を集中し、撃破しろ」
 「……了解。照準、前方220mフォート級BETAグラヴィス」
 すまんな、と心中で詫びる。そして、全隊に同じ指令を下した。

 白煙を棚引かせ、大型ミサイルがフォート級に殺到する。が、全て分厚い甲殻に阻まれ、大した効果は無い。精々怯ませる程度だ。
 「次弾急げ!!」
 手頃なBETAに50口径を撃ち込みながら、男は叫んだ。
 クソ、と悪態をつく。30口径や223口径よりはよほどいい。しかし、だ。GAU-19とは言わない、せめてGAU-17/Aが欲しい。Mk-19でもいい。
 制圧力が足りない。火力が足りない。無い物ねだりが口を突いて出そうになる。
 フォートを見る。所々甲殻が削り取られているものの、その動きには微塵の停滞もない。
 焦る。残弾は各車2、中隊残存の合計で16。殺しきれるかどうか解らない。
 50口径での制圧射を中断、各車に通信。
 「こちら第1小隊第1車両だ。各車ファイアーコントロール。繰り返す、各車ファイアーコントロール。射撃は第1小隊第1車両のそれに合わせろ」
 嫌に冷静な声が出ていることを、彼は自覚した。
 そしてめいめいに装填完了の通信が入る。
 「各車停車、第一照準点頚部、第二照準点脚部関節!! てェッ!!」
 そうして彼らは、城壁の名を持つ化け物に、牙を剥いた。



[4380] 第七部 第三話
Name: 5,45の㎜顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/10/20 22:19
 12/25 1100    A-02砲撃予定地点

 どん、と重い足音を立ててフォートが前進する。
 辺りにはグラップラーからデストロイヤー、タンクまでありとあらゆる前衛型BETAが纏ろう。
 彼らの目的は、のべ16機の戦術機。
 全く同じ形の12機、それとは若干形の異なる3機。そして、根本から違えた1機。
 その根本を違えた機体―――叢雲―――の中で、ヴァッシは操縦桿を手繰った。
 LBTがその長大な砲身を展開し、LWRSSも束ねるには些か太い砲身を開く。
 「俺が先陣を切る」
 そう言い残し、ヴァッシは叢雲のバーニアペダルを踏み抜いた。途端、圧倒的なまでの加速力がヴァッシの肉体をシートに押し付ける。
 専用の強化服の上からでさえみしみしと音を立てて骨が軋み、歯を食い縛らねばそれに耐えることは出来そうになかった。
 すぐさまBETAの群がヴァッシの視界を埋めた。問答無用、とLWRSSのトリガーを引く。
 分間720発の高速でペレット弾がばら撒かれ、撒き散らされた劣化ウランの鋼球が瞬く間にBETAの群れを引き裂いた。
 ずん、と重い脚音を聞きつけ、そちらに目をやればフォートが3体、叢雲に向けて歩を進めているのが見えた。
 鈍い。
 ヴァッシはその鈍重な動きを哂う。
 リバースノズルを片側吹かして急激にターンすると同時、レティクルを合わせる間も惜しんで目見当でLBTのトリガーを引く。
 腹部に砲弾が突き刺さるが、威力が足らない。貫通しているが、致命傷に至っていなかった。
 公表スペック通り、破壊力が足りない。こんなものか、ともう一発叩き込むと、それで漸く止まる。
 もう一体のフォートが迫る。
 その尾部から蝕腕が伸びる。些か近付き過ぎたようだった。
 やはりモーメントが大きすぎる。細かな速度調整が極めつけに難しい。
 この機体は本当に扱い辛い。
 「チィ……!!」
 蝕腕を40㎜で撃ち落す。
 他の機体ならいざ知らず、叢雲の装甲は無論、40㎜ペレット弾程度の威力で貫通出来るほど可愛げのあるものではない。そして信管は0mから作動する。
 砲口から僅か数cmの距離で猛然と撒き散らされたペレットが柔らかな蝕腕を引き裂き、周りにまつろうタンクやデストロイヤーをも絡めて肉片に変えた。
 バーニアペダルはベタ踏みのままフォートに突貫する。右の特殊長刀を機体速度を加味して叩きつける。
 ぎしり、と音を立ててフレームが軋む。
 非常識なまでの重量と速度を一点に収束して得られた膨大な衝撃力に、フォートの巨体が後ずさる。そして、ヴァッシはトリガーを引いた。
 ブレード基部の電磁加速レールが駆動し、刀身を固定するためのストッパーが外される。
 留めるもののない刀身が発射された。
 それはフォートの体内に潜り込み、その内を滅茶苦茶にかき回しながら突き進む。
 やがて、反対側の甲殻から切先が顔を出して、止まった。
 さてもう一体、と目をやれば。
 「終わったか」
 レティシエの57㎜で甲殻を削り取られ、堂本と霧耶の長刀で膾斬りにされたフォートが転がっていた。
 「は。後はヴァルキリー中隊に任せれば宜しいかと」
 堂本が答える。
 見れば、残りのBETAも大方駆逐されていた。
 共有されたデータ画面を見て、しばし黙考。
 「んー……」
 戦力過剰だ。
 殲滅が完了したところでヴァッシは伊隅に通信する。
 「こちらヴァルキリーリーダー。どうした?」
 伊隅の表情は適度な緊張に引き締まっていた。
 戦場の顔。
 伊隅のソレに限らず、ヴァッシが好きな表情の一つだった。
 不意に昨日自分が吐いた言葉を思い出す。
 ―――死なせるかよ―――
 莫迦莫迦しい。
 「ここはヴァルキリーで十分だ。俺達はHIVE方面の強行偵察に行きますわ」
 そうか、と一つ呟くと、伊隅はカメラを巡らせた。
 「確かに現状ならヴァルキリー中隊のみで守れるな。よし、フェンリル隊は本隊に先行、HIVE及び浅層部の強行偵察、ならびに進路確保を行え」
 ヴァッシは了解、と答えようとした。その直前に。
 「……いいのかよ? 戦闘中だぜ?」
 伊隅は叢雲との秘匿回線を開いていた。
 「周囲の状況くらい見られる。それより、ヴァッシ」
 「……ぁんだよ」
 「―――――私達は大丈夫だ。そう易々は死なんよ」
 瞬間、ヴァッシの表情が凄絶に歪んだ。
 慈しむ様な眼差し、慈愛の表情。
 やめろ、とヴァッシは声を立てずに絶叫し、身動ぎせずにのた打ち回った。
 だから聡い女は嫌いなんだ。そういう時は気付かない振りをするのが礼儀だろう日本人。空気読め莫迦野郎。
 俺にそんな目を向けるな、クソッタレ。
 俺にそんな資格はないっていうのに。
 「だから―――――そんな必死になるな」
 畜生、黙れ。黒い沼が深くなる。
 「……行くぜ。露は払っとく」
 逃げるような声音だな、とヴァッシは思った。そしてそれが全く以って事実であることが、ヴァッシには痛かった。



 同日 1213    佐渡島HIVEモニュメント付近

 あの後砲撃予定地点から進展し、HIVE付近に展開したヴァッシ達フェンリル部隊はその途中で帝国海軍第6陸戦兵団第1師団と合流した。
 彼らは国連軍の軌道降下兵団が全滅した穴埋めに移動を命じられた部隊だった。
 畑違いとは言えど、彼らに文句を言う自由はない。

 時刻にして1146。その時点で既にF-18A中心とした彼らの部隊は大きく損耗していた。

 「オーキス!! オーキス中隊!!? クソッ、通信途絶!! オーキス中隊通信途絶!!」
 「こちらゼフィランサス09!! 中隊長が戦死、ガーベラ中隊に合流する!! 許可を!!!」
 「こちらブロッサム!! ゼフィランサス、合流を許可!! 急げ、ガーベラもヤバイ!! サイサリス中隊、状況を!!」
 「こちらサイサリス中隊、残存は707小隊のみ!! 援護を!!」
 「他も手一杯だ!! 現状戦力で対処しろ!!」
 「無茶言うな……ッ!?」

 そこに、暗灰色の一群が舞い込む。肩には剣を咥えた狼のエンブレム。
 「こちらは国連軍横浜基地所属A-01部隊フェンリル小隊隊長、ヴァッシ・ウレンベック中尉だ。帝国海軍の陸戦隊だな? 援護する」
 それは、正しく鬼神とでも言うべき戦闘だった。
 針鼠のように伸びた砲口から数多の砲弾を垂れ流す巨大な戦術機、的確極まるMk-57の制圧射撃で前衛を援護し尽す不知火―――の改造機、叩き伏せる様な豪壮な太刀筋で長刀を振るう同じく不知火改修機、それらの合間を縫うように動き続けるもう一機。
 やがてと言うほどの時間もかけず、彼らは第1師団のかかずらっていたBETA集団を駆逐した。
 「さ、て……貴隊の指揮官は?」
 状況を落ち着けた直後に巨大な戦術機の衛士―――先のヴァッシ・ウレンベックという中尉だろう―――は通信を入れる。
 「私がこの隊の現指揮官で、興梠暁臣少佐という。助かったよ。ありがとう」
 「どういたしまして……。少佐で師団指揮官ということは、元の指揮官は」
 「進出時に戦死なされた。次席の中佐も20分ほど前に。辛気臭い話はここまでだ。貴官等はサイサリス中隊残存の707小隊と校合してくれ―――秋久!!」
 彼は自分の弟に通信を入れた。興梠秋久大尉。
 「はッ」
 「こいつが707隊長の興梠秋久大尉だ。階級は気にしなくていい。貴官よりも経験は不足だろうからな。むしろ色々教えてやって欲しい」
 そして出来れば、とは暁臣は口にしなかった。それは戦士たる彼の弟に対する侮辱だと心得ているからだった。

 

 同1236    佐渡島HIVE坑内

 秋久は少し面食らっていた。
 兄の言通り面子は気にしなくていいと言った途端に、ヴァッシ・ウレンベックは相好を―――相好を、などと言える様な可愛げのある表情ではなかったが―――崩した。
 そして同期の人間にするように話し掛けた。
 不思議と不快感はなかった。
 やがてBETA集団と出会えば、後ろに目が、などというレベルではなく全身に目がついているのではないかと思うほどの広い視野と素晴らしく回転の速い頭で以って貴下小隊を手足のように操った。
 そして彼自身もまた凄まじい戦士だと、秋久は理解した。
 
 同時にしかし、と思う。

 この男から感じる危うさは、一体何に起因するのか、と。



 「707の連中も悪くねぇな。流石は帝国海軍陸戦部隊ってとこか」
 秋久の疑念は、霧耶もまた感じていた。
 今日のヴァッシは何かがおかしい。
 何かと言われれば明確に何が、と答えられるわけではなかったが、心持ちモニターに写る叢雲の背中が大きいように感じた。
 「ヴァッシ、何かトラブルか?」
 「あ? 何のことだ?」
 「いや、いつもより突出が小さい気がしてな」
 返答は、少し間が空いた。
 そして返答は僅かに一言、極々短く。


 「気紛れだ」

 冷たい拒絶。

 いつもと同じ、薄皮一枚を隔てた隔絶感。


 「さて、御喋りはお仕舞いだ。お客さんだぜ」
 ヴァッシの声にはっとして、霧耶は視線を前に戻した。
 勿論曲がりくねったHIVE坑内でBETA郡を視認するのは容易いことではない。しかし大量の大質量が猛然と前進する地鳴りは厳然として齎される。
 それが、レーダーコンソールに映っていた。
 「師団規模……弱、ってとこだな。興梠大尉、707は任せるぜ。さっきと同じように俺達の取り零しだけ拾ってくれ。余計なことはするなよ、俺は背中に砲弾もらう趣味はねぇんだ」
 そして、ヴァッシは突出する。いつも通りに。
 霧耶達の草薙がそれに続き、遅れて陸戦隊のホーネットが追う。

 視認。デストロイヤー級。
 ヴァッシはそれに、既に展開していたLBTを叩き込む。
 120㎜APFSDSは一撃の下に全BETA中最大厚の甲殻を貫通し、影にいたグラップラーをも貫いた。
 全火力を前面に押し出す。
 紫掛かった体液が霧と散り、幾多の異形が肉片にその姿を変じた。
 撃ち漏らし。
 レティシエの支援砲火。
 撃ち漏らし。
 堂本の点射。
 撃ち漏らし。
 霧耶の長刀。

 いつも通りだ。
 霧耶はそれに安堵する自分を見つけた。
 的確極まる砲打撃、制圧射。よしんば近づかれても次の瞬間には特殊長刀が迸り、両断する。
 機体性能がいくら高くても、火力がいくら高くても。使いこなせなければただのガラクタだ。
 やっぱり、あいつは強くないと駄目だ。滅茶苦茶に強くないと、駄目なんだ。



 フェンリルの四重の牙から零れた幾らかのBETAを、707の4機が掬っていく。
 「興梠大尉……。我々は、お荷物……ですか?」
 状況からすれば、間違いなくYES。
 彼らは紛う事無く突進力に特化した機体を装備し、突進に特化した武装を施され、それに特化した部隊。そこに来て秋久達のホーネットは軽量故の加速力の高さはあったが、それすらもフェンリルの4機に比べれば蠅が止まる。
 それが間違いなく彼らの足を引っ張っていた。
 それ以前に。
 技量が。
 「…………」
 技量が足りない。
 例え彼らと同じ機体を与えられたところで、自分には使いこなせないだろうという確信が秋久にはあった。
 「……我々が取りこぼしを掬っているから、彼らは遠慮なしに突進できる。それに集中しろ」
 詭弁とは理解していた。自分達がいなければ、それなりの行動を彼らは取るだろう。そうして遠慮なしに突進するのだ。
 了解、と悔しげな返答が返ってくる。
 異形の群を駆逐した狼の群が振り向き、速く来いと急かす。

 歯軋りを一つ。彼は、一歩踏み出した。



[4380] 第七部 第四話
Name: 5,45の㎜顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2009/11/05 21:02
 12/25 1255    佐渡島HIVE浅層部

 強行偵察と進路確保が任務である以上、進撃速度が速い必要はない。むしろゆっくりと、確実に進むことこそが重要だった。
 そのためフェンリル部隊と帝国海軍陸戦部隊はまだHIVEの浅層部に止まっていた。
 「ウレンベック中尉」
 暁臣はヴァッシに通信を入れる。弾薬がそろそろ心細く、それ以上に元来の目的である強行偵察と国連の切り札の進路確保は済んでいた。
 「潮時、ですかね?」
 嘲り笑うような声音で先を取る。
 「ああ、任務は既に達している。それに弾薬も心許無い。そちらはどうだ?」
 「こっちも似たようなモンですね。所定の目標は達成、弾もそろそろ57㎜と40㎜が厳しい。お前達のは大丈夫か?」
 簡潔に自らの状況を伝え、部下の状況も確認。レティシエもまた簡潔に答え、霧耶と堂本もそれに続く。
 「57㎜は残り1マグと39発、36㎜は満タン2本と1200発ずつ。120㎜はあと5発ね」
 「突撃砲は36㎜が残り2本と409、389発だ。120㎜はマガジンと併せて14発残っている。長刀は……一本駄目にした」
 「私は36㎜マガジンが5本と142発、120㎜が9発です」
 「……だ、そうです。帰りも考えるとギリギリですなぁ」
 宜しい、と暁臣は頷く。そして全隊に反転の指示を出した、その直後。
 地鳴り、振動。
 「BETA……か。総員戦闘準備!!」
 「規模は2個師団……クソッタレ、行きはヨイヨイ……だったか。全周警戒。即応体勢だ。おばけが来るぜ」
 ヴァッシが酷く愉しげに嗤う。

 髑髏の様な嗤み。暁臣は、再び危うさを覚えた。



 どぅ、と坑内を掘り上げて、BETAの大群が現れた。
 全隊即応、120㎜の斉射で第一陣の鼻を挫く。次いで36㎜の嵐が吹き荒れ、先頭のデストロイヤー、グラップラー、タンクに叩きつけられる。
 40㎜ペレット弾がBETAを醜い挽肉に変え、57㎜弾は残骸諸共打ち砕く。
 しかし彼らの戦力は一個大隊に僅かに届かない。
 「弾の無駄だ!! 少佐、殿は俺達が!! あんた達は後進射で下がって下さい!!」
 「相互援助はどうする!?」
 「いいから下がれ!! 俺達の突破力は見てんでしょ!?」
 正直に言えば、暁臣達陸戦部隊にとってヴァッシの提案は有難い。
 弾薬は帰りのことを考えればもう一発たりとも無駄弾は撃てないし、フルイドもギリギリだ。
 しかし。
 「少佐、私達は残ります。彼らには本当に助けられた。恩人に報いず、興梠家の名に泥を塗るわけにもいかないでしょう。それに熾鵺長兄は国連軍極東方面軍横浜基地所属でした」
 興梠熾鵺。興梠家の中で唯一帝国軍ではなく国連軍に入隊した男。それ故に家内では鼻抓み者扱いだったが、そんな扱いなど歯牙にも掛けずに中佐まで昇進し―――――2001年二月に戦死した。
 「……長兄が世話になった可能性のある人物を、死地に残すことなど出来ない。違うか、暁臣兄上?」
 『一寸待て、今熾鵺長兄……そう言ったか? 興梠熾鵺少将は、あんた達の?』
 ヴァッシの声が、彼らの通信に割り込んだ。砲撃の手は緩めぬまま、狙いも寸分も狂わせぬままに。
 「あ、ああ。興梠熾鵺は我々の長兄だ。それが?」
 返答までは、暫く間があった。
 『世の中狭いな……。興梠少将は、俺達の指揮官だった。素晴らしい軍人だったよ。尊敬に値する人物だった』
 僅かに声にこもった感傷。

 いつの間にか、目の届かないところで死んでいた彼の尊敬する数少ない人間。

 ヴァッシはそれを噛み潰し、それとともにヴァッシは飛び出した。残弾がいい加減拙い。
 『早く行け!! 弾がなくなればそっちのカバーまでしてる余裕はねぇ!!!』
 その言葉通りに、ヴァッシ達の砲量は極端に少なくなっていった。強襲掃討のレティシエ機ですらナイフを振るい始めている。
 その姿に、秋久が叫ぶ。
 「少佐!! 命令を!!」
 悲しいかな、彼は軍人で、軍人とは命令がなければ動けない代物だった。
 「―――――兄上!!!」
 そして願う。
 どうか、私と同じ心であれ。
 果たして、暁臣と秋久は兄弟だった。何の疑い様もなく。
 「全隊反転!! フェンリル部隊の援護に入れ!! 余剰弾薬の多いものは彼らに分配しろ!!! 行けぇ!!!」
 その言葉を待っていたとばかりに秋久は反転する。707小隊がそれに続き、暁臣と他の隊員も反転。皆が跳躍ユニットに限界出力を要求した。

 何故、戻ってくる?
 ヴァッシは理解出来なかった。態々死地に戻ってくることなどないだろうに。
 思考の傍らでヴァッシは右手のMk-57を投棄した。遂に即応準備弾が無くなったのである。幾ら叢雲とは言えどデッドウエイトを抱えていては辛い状況だった。
 合間合間で撃ち散らした制圧支援突撃砲も4門とも今刺さっているマガジンが最後。特殊長刀の予備刀身は尽きている。
 短刀やマシェットは消耗していないが、はっきり言って厳しい。自分達以外をカバーしている余裕は、本当にない。
 莫迦野郎、とヴァッシは叫んだ。
 「逃げろ!!」
 その言葉に、笑みを含んだ暁臣の声が答える。
 「少佐に対してその発言は不敬だな、ウレンベック中尉!! 私が戻れと命じたのだ!!」
 いついかなる状況でも"仲間"を助けるというのは、心が躍るものだ。
 これぞ武士の本懐。たとえ死すとも、悔いは残らない。
 ヴァッシは目前のデストロイヤーに特殊長刀を叩きつけ―――同時に刀身が拉げた。それを射出してそこらのグラップラーを潰し、96式担架を投棄する―――、そして叫んだ。
 「みすみすテメェの部下を死なせに戻ったってのか!? 何やってんだ指揮官!!!」
 暁臣の愉しげな声が加速する。自分にこんな口を利く尉官は初めてで。それが酷く痛快だった。
 「兵を惜しまず大勝するのが名将と言うだろう!!」
 心にもないことを、と内心で思うが、そんなことはどうでもよくなっていた。
 本当に久しぶりに、ただ楽しかった。
 弟の言うように、兄の恩人かもしれない―――否、彼の技量を鑑みれば十中八九恩人だろう―――人物を助けなければという義務感は、確かにある。
 それ以上に、楽しかった。
 「テメェは愚将だ!! いらねぇ所で兵を消耗してなんになる!?」
 全くだ、と賛同する。
 成る程私は愚将だろうと暁臣は酷く納得した。
 感情論を捨て置けば、彼らに殿を任せて自分達が撤退することは全く以って理に適っている。
 だが感情論を捨て置くことが出来ないからこそ、彼らは人間なのだった。
 「兄の恩人を助けることの何が無用だ!!」
 それに、ヴァッシは怒声で答える。
 「俺達なら単独で抜けられる!! いいから逃げろ!!」
 その言葉の裏に隠れた酷く人間的な部分を垣間見て、暁臣は笑った。
 共に戦おう、兄弟。
 「問答無用!!」
 戦いながらの口論を強引に切り上げ、暁臣はBETA群に切り込んだ。秋久もそれに続く。
 ヴァッシもクソッタレ、と悪態をつきながらそれに混じった。
 「堂本、大尉のカバーに回れ!! 死なせるな!! レティは広域カバー!! 霧耶は着いて来い!!」
 各々の応えを聞き、ヴァッシも暁臣の前面に出る。
 とは言っても砲弾は誰しもギリギリで。レティシエはMk-57を捨て、霧耶も突撃砲を一門捨てた。堂本は上手く弾を節約しているが、あと何分も保たないだろう。
 「霧耶、テメェは左側面をカバー、俺は正面だ!! 少佐、俺と霧耶の取りこぼしだけ掬え!!」
 その様に、本末転倒だな、と暁臣は笑った。そして、答えた。
 「無用だ、中尉。それ以前に貴官等に我々をカバーする余裕などないだろう」
 その厭に静かな言葉に、ヴァッシは苛立ちと共に怒声を投げた。
 「だからとっとと逃げろって言ったんだよ!! このままじゃジリ貧だろうが!!」
 「貴官等を置いて逃げたとてドリフトが現れれば同じことだ!! 我々は圧殺され、貴官等も最悪挟み撃ち!! みすみす全滅するよりは損害を受けてでも生き残ったほうがよほどいい!!!」
 クソッタレ、とヴァッシは内心で罵倒した。
 ドリフト? そんな不確定要素のために目の前の確実に近い死に飛び込むっていうのか。もう少し賢くやれ、日本人。

 死にたがりの大莫迦野郎共め。そんなに死にたきゃ、俺と出会う前にやってくれ。

 「く、そ……がぁぁぁぁぁァァ!!!!」
 雄叫びと共にヴァッシは更に機体を加速させる。
 残り少ない得物と共に、異形の群れに飛び掛った。



 同日同刻    A-02砲撃予定地点

 伊隅は網膜投影画面の時刻表示に目をやった。1257。フェンリルが本隊と別行動に移ってから2時間が経とうとしていた。
 「遅い……」
 少々時間が経ちすぎている。
 ヴァッシがHIVE脱出後の通信を怠るとは考え辛い。そう考えればまだ出てきていないのだろう。
 とはいえ伊隅は端からフェンリル小隊の隊員たちが死ぬなどと考えてはいなかった。
 というよりも、あの皮肉気で厭味ッたらしい中尉が死ぬ場面というのが想像出来なかった。同様に、彼が誰かを見殺しにするところも。
 「……」
 ふ、と伊隅は笑った。
 本当に馬鹿なのだ、あの男は。
 放っておけばいいものを―――勿論放っておくのがベターだという意味ではない―――片っ端から手を伸ばして、掬い取れなかったと言って声も上げずに啼き叫び、身動ぎせずに頭を掻き毟る。
 以前、ヴァッシが軍医から出されている処方箋を隊長権限で閲覧したときの驚きといったらなかった。
 難儀な男だ、と伊隅は思った。
 そんなにまで色々なモノを磨り減らして、自分すら保てなく寸前まで追い込まれて、それでも手を伸ばし続ける。
 難儀な男だ、と伊隅はもう一度思った。
 多分、彼のそういうところを知っているのは自分を含めて片手で済むのではないだろうか。
 自分の母性とでもいうべき部分で、そう思った。

 伊隅がささやかな母性に身を浸していると、けたたましくアラームが鳴った。
 状況確認。BETAの大規模侵攻。
 目的地は、彼女達の今いる場所。
 「感付かれたか……!! 総員第一種戦闘態勢!! 化け物共が押し寄せてくるぞ!! この場を死守しろ!!!」
 全員が戦闘態勢を整える。
 彼方の地響き。
 そう遠くなく訪れる圧倒的な死の予感。
 
 まだ、死なんぞ。

 愛しい幼馴染と、何故か皮肉気な不良仕官に、誓った。



 同日1344    佐渡島HIVE坑内浅層

 「どうにか……振り切ったな」
 「ええ、どうにかね」
 ヴァッシ達フェンリルと興梠兄弟率いる陸戦第一師団は二個師団のBETA群を切り抜け、HIVE脱出まであと少しというところまで撤退を進めていた。
 とは言っても引きながらの戦闘、振り切ったというよりも全滅させたのは、ほんの数分前のことだった。
 フェンリルに損耗は―――無論装備は行きと比べて随分と身軽になっていはいたが―――ない。しかし陸戦第一装甲師団の損耗は、極めて重篤だった。
 「そっちの残存は結局少佐の部隊と707だけ……っすか」
 そして暁臣の隊は一人欠いた3-1セル。707は一機中破した機体があるものの、4-1セルの体裁は取れている。
 装備は―――――軽戦装備以下になっていた。
 突撃砲は残弾が100あれば多い方。とうに捨てた者も少なくない。
 長刀もまた、誰しも劣化が酷かった。
 総力の一個中隊内で刀身の状態が緑の長刀を持っているものは秋久の部下一人―――彼も長刀の扱いが巧いと言うより長刀の扱いが下手で、短刀を使っていたからだ―――であり、他は黄色、赤の長刀を振り回していた者すらあった。
 霧耶もまた、その一人である。
 彼女は扱いがどうとか言う以前に、彼女の使う技が長刀の寿命を気にしない類の技であることが災いしていた。
 ヴァッシもまた最後の特殊長刀を10分ほど前に使い潰していた。担架は外に出てからの対レーザー種用に投棄していないが。
 LBT用120㎜砲弾、57㎜弾、40㎜弾も軒並み底を着き、残る火器はほんの150発ばかり36㎜弾の残った―――勿論120㎜弾は看板である―――制圧支援砲が一門といった具合だった。
 外に出れば近場のコンテナで補給も出来ようが、まだ道程数キロの行軍距離が残っている。
 オバケが出ませんように。
 ヴァッシは信じてもいない神に、大して信じてもいない調子で祈った。


 10分後、ヴァッシは深い失望と共に、深い溜息を吐いた。
 お祈りはやはり、信心がなきゃ駄目らしい。
 畜生め、と毒づいた。
 10ヶ月ほど前までならそれなりにあったんだがなァ。
 ぐずぐず言っても仕方ない。
 ヴァッシは嘗て銀の鎖が掛かっていた首を、引き攣れた右手で一撫ですると、叢雲にカーボンマシェットを握らせた。

 霧耶は既にボロボロの、棒切れと何ら変わりのない長刀を構えた。突撃砲はとっくのとうに棄てている。短刀も少し前に二振り目が折れていた。
 実質、彼女の草薙は戦力外である。
 それを見兼ねたか、現在唯一”健康な”長刀を持つ707の隊員が霧耶に素早く近づき、長刀を差し出した。
 使ってくれ、と言った。私には使えないから、と。
 何かを託されたような気持ちになった。
 霧耶は少し躊躇して、結局それを受け取った。ボロボロの長刀は、地面に刺した。

 暁臣は小さく息を吐いた。
 さて、正念場だ。ここから抜け出して、エコー主力と合流しなければならない。
 ちらり、と自機のコンソールに目をやる。
 弾薬が尽きているのは30分も前からの話しだし、長刀の状態が黄色なのも15分前からだ。
 しかし、これは拙いかも知れないな、と暁臣は思った。
 一箇所、黄色い所があった。
 見なかったことにした。



 ヴァッシが弾の節約に節約を重ね、それでも50発ほど発射し、HIVEの入り口が見え始めたときのことだった。
 突然の、広域通信。滅茶苦茶に広いバンドで発信された、救援要請。距離は3000m、HIVE入り口辺りだ。
 「こ……国……第18連……答され……こちら…連軍………連隊、救え……!!」
 酷いノイズ。電磁波の類を吸収するHIVE内壁の所為だろう。
 「18連隊……国連の第3軌道降下兵団か」
 参加部隊にその名を見た覚えが、ヴァッシにはあった。彼は自分と作戦を共にする部隊の名は―――例え一度の接触も在り得なかろうと―――残さず覚えていた。
 そしてRBT出来なかった部隊の名は、可能な限り長く覚えていた。
 国連軍第3軌道降下旅団は同極東方面軍のF-4とF-15、一部に不知火を装備した部隊。明星作戦にも参加した、かなり錬度の高い部隊だ。
 そんな部隊とはいえど、佐渡島はきつかったらしい。
 横浜HIVEと違い、佐渡島は正真正銘のフェイズ4。加えて横浜HIVE奪還時はアメリカ軍のG弾集中運用でモニュメントから周辺BETA群から、一通り吹き飛ばしてからの降下だった。レーザー密度もBETA密度も比べ物にならない。
 とはいえ明星作戦にはA-01連隊も参加しているが、あんなものはHIVE侵攻には入らない、とスワラージ作戦で死線を潜ったヴァッシは思っていた。
 「少佐、どうします? 18の救援に向かいますか? 正直、きついですが」
 彼らの後方には、未だに大隊規模のBETA群が迫っていた。
 現にヴァッシも言葉を発しながらマシェットでグラップラーを切り伏せている。しかも悪いことに、今の斬撃で赤黄色とでも言うべき色だったエッジの表示が完全な赤に切り替わった。
 ち、と舌打ちしながら棍棒の様になった山刀でもう一体をぶん殴る。
 「救援に向かう」
 暁臣もまた、刃毀れすら見え始めた短刀でBETAを切り払いながら、さも当然のように答えた。
 了解、とヴァッシもまた、当然のように応えた。
 「Ok、殿は俺達が……」
 やりますよ、と後面に出ようとするヴァッシを、暁臣の言葉が止めた。
 「貴隊が前面に出ろ。殿は私の小隊が勤める」
 「んな……ッ!?」
 何を言っているのだ、こいつは。
 やっぱり不可解な男だ、とヴァッシは思った。そして叫ぶ。
 「ふざけろ、この自己陶酔野郎!! この状況で殿ってのがどういうことかわかって言ってんのか!? 死兵だぞ!!?」
 「それは貴官等とて同じだろう!!!」
 「俺達なら抜けられる!! お前らの装備じゃ無理だろう!!」
 「装備の質は最早変わらんだろうに!!!」
 「腕と機体性能が違ぇんだよ!!」
 「だからこそ先鋒を貴隊に任せると言っている!!」
 「テメェ……ッ」
 「これは命令・・だ、ヴァッシ・ウレンベック国連軍中尉!! 貴官は配下の部隊を指揮し、先鋒を務めろ!! その突進力は何のためにある!?」
 互いに目の前の敵を潰しながらの口論とも言えない意地の張り合い―――泥を如何にして自分に塗るかという不毛なものだった―――は、暁臣の"命令"の二文字によって終止符を打たれた。
 「ッ……!!」
 言葉を失うヴァッシに、暁臣は言葉を重ねる。
 早く行け、兄弟。私の死に場所は此処と決めた。
 「復唱はどうしたぁっ!!」
 「クソ……ッ!! 解ったよド畜生が!! フェンリル小隊は前進、先鋒に回る!! これでも持ってけ酔っ払い!!!」
 そう言ってヴァッシが暁臣に放り投げたのは、残弾100発少々の制圧支援突撃砲だった。
 「セミオートで狙え。87式支援突撃砲バレルがベースだから十分狙撃精度が出る」
 「……貴官の配慮に感謝する。死ぬなよ、ヴァッシ君」
 それを受け取り、暁臣は笑った。秘匿通信、興梠秋久。
 「秋久。私が死ねば、家長はお前になる。興梠家を……頼んだ」
 「…………再会は……冥土にて」
 秋久の最敬礼。
 深く頷く。
 
 宜しい。死ぬべき時、死ぬべく候。
 覚悟は―――――決まった。



 「ヴァッシ、もう少し下がって!! 私もオジサマも霧耶も弾は残ってないのよ!?」
 レティシエが全力でBETA群と、それに囲まれた戦術機に突進するヴァッシに制止の声を掛けるが、ヴァッシはそれに応えなかった。
 それどころか一層速度を増し、深く切り込んでゆく。
 周りには、自分達と共に突撃する707小隊。どの機体もボロボロで、酷い有様だった。
 後方、暁臣の小隊はまだ頑張っていた。
 やはり暁臣も優秀な軍人だった。
 砲弾の消耗を極力抑え、丁寧に一発一発撃っている。
 その間にも18連隊と校合し、フェンリルと707は包囲網を抉っていった。
 そして遂に、解囲。
 「抜けた……ッ!! 少佐!! 合流しろ!!!」
 ヴァッシは必死になって叫んだ。
 死ぬな。頼むから。
 「了解、合流す……ッ!?」
 その瞬間に、暁臣のコンソールに表示されていた黄色が、赤に変わった。
 ジャンプユニット脱落。
 ここまでか。
 暁臣は笑った。存外、軽快な笑みだった。
 「今行く!! 防御戦闘を……!!」
 「来るな中尉!! 行けェ!!!」
 反転しようとしたヴァッシを、暁臣の鋭い声が遮った。
 「ふざけんな!! 今助け……」
 「来るなと言っている!!!!」
 「ッ……!!」
 その顔を、暁臣は冥土の土産と決めた。
 後悔と哀切に歪み切った顔。

 おさらばだ、兄弟。いずれ辺獄で会おう。

 「行け中尉!! 貴官は707、18連隊残存と共に地上へ戻れ!! 秋久、必ずやエコー主力と合流しろ!! 家名に誓え!!!」
 秋久は振り向かず、ただ了解と応えた。
 「ウレンベック中尉!! ここは貴官が命を賭すような戦場ではない!! 生きて貴官の責務を果たせ!! 最期まで……最期まで足掻いて、藻掻いて、生き残れぇ!!!」
 それは、ヴァッシが刻み続けた生き様だった。
 醜く足掻き、藻掻く。そうしてやっと、端に触れられるはずだ。
 「早く―――――行けェ!!!!」
 そうして暁臣は突撃砲をめくらめっぽうに撃ちながら、迫るBETAの黒波に飛び込んだ。
 振り切るように、ヴァッシ達は地上へ脱出する。
 S-11爆発圏外へ駆ける。
 畜生、と誰かが叫んだ。
 血を吐く様な絶叫だった。



 数瞬の後、佐渡島HIVEは、そのモニュメントの一角を倒壊させた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 腕を喰い千切られ、脚を砕かれ、今まさに喰われようとしている愛機のコックピットで、S-11起動のアラーとが鳴り響くコックピットで。
 暁臣は一枚の写真を見ていた。
 「燈懐あかね……」
 彼と、その妻が写った写真だった。妻のお腹は大きく膨れている。
 そうして彼は穏やかに笑った。
 「燈懐……すまんな、死に場所を―――――見つけてしまった……。お前の顔が見れなくなるのは残念だが、後悔はないんだ。不思議なことに、な」
 暁臣は天を仰いだ。
 暗い。電気系統は死んでいる。
 目を閉じた。
 「いや……一つだけ残念なのは……お前との子供……その名を付けてやれないことだけだ―――――」



[4380] 第七部 第五話
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2010/05/10 00:10
12/25 1324    A-02砲撃予定地点

 「そうか、よくやった……。早く戻って来い」
 フェンリル小隊から、HIVEからの脱出報告。
 『いや、そうでもねぇ』
 「……なに?」
 ヴァッシの声はどこかやつれた様な色を漂わせていた。
 『今も後方に師団規模だ。加えてHIVE内からセンサーが飽和―――4万以上の―――するくらいのお友達が来てる。加えて特殊兵装は軒並み弾切れ、現状通常装備のみだ。最悪の場合も想定しといてくれ』
 それでもその口調は相変わらず、明日の天気でも告げるように絶望を吐いた。
 『結構な数が着いて来てる。迎撃準備を。それとフェンリル用のコンテナを防衛線―――もう作ってるだろ?―――の少し後ろ……いや、砲撃予定地点の後ろに纏めといてくれ』
 ああ、いらつく。
 「いや、防衛線はまだ構築していない。辺り一帯を払って、今しがた補給を済ませたばかりだ」
 『なら早めにしたほうがいい。新穂ダムあたりがいいだろ、距離的にも。今ぁ全力でケツ捲くってるから、15分以内には着くぜ。さもなきゃまぁ、着かねぇかのどっちかだ』
 伊隅は努めて表情には出さず、内心で臍を噛んだ。
 死にたくないんだろう、お前は。多分、私達の誰よりも。
 彼女は叫びたくなった。お前は幸せになっていいんだ、と。
 ヴァッシの過去は知っている。ヴァッシの心は知らない。
 だがこの程度は解る。奴は―――――責苦を望んでいる。自分は地獄に墜ちるべきだと確信している。

 気付け。お前の周りに。
 見ろ。周りの人間を。
 お前を支えたいと願う人間は、お前の存外に多いぞ。

 「……ああ、解った。ちゃんと……帰って来いよ」

 ―――――彼女は一つだけ、勘違いをしていた。ヴァッシ・ウレンベックという人間の、過剰なまでの自虐心は。地獄に墜ちることなど望んでいない。
 彼は、自分こそは地獄のそれなど生易しい、そんな罰に墜ちるべきだと信仰しているのだった。





 ―――――かつて、かつての話である。
 ヴァッシ・ウレンベックとその母親の話だ。
 母親はヴァッシの髪の毛を―――その当時は艶があった―――鴉の濡れ羽色だ、と言って誉めた。
 しかし歳を経た今になって、彼女は知っていたのだろうか、とヴァッシは思う。
 鴉の羽根。

 それがロシアでは、絶望の果てを意味することを。

 



 「レーザー級相手の時は叢雲を盾にしろ。10秒位は保つ筈だ。その間にどうにかしてくれ」
 何の迷いも、寸毫の停滞もなく、ヴァッシは己を盾にすることを群狼に命じた。
 しかし、他に有効な手立てがないのも事実。叢雲の制圧力も打撃力もなく、Mk-57の支援もなく、制圧支援突撃砲で弾幕を張る事も出来ない。
 過剰な程の砲火力で敵を薙ぎ払うというフェンリル部隊の戦い方は、通常装備しかない現状では全く、完全に実行できない。
 霧耶と堂本には何の変わりもない。元々が通常装備で組み上げられたアセンブリだ。
 しかしフェンリルの火力、その根幹を成していた叢雲が通常装備にダウングレードし、レティシエもまたMk-57という鉾を失った。
 だが、辿り着かねばならない。
 霧耶はヴァッシの命令に肯きながら、心に決めた。
 全員で帰るのだ。そして、ヴァッシに聞こう。
 出撃前夜、ふと思ったあのことを。

 そうして彼らは、肉の波を掻き分けていった。



同日 1346    新穂ダム跡
 
 スサノオを落とし得る重光線級が幾多のフォート級に守られ、ヴァルキリー中隊は其処に斬り込めずにいた。尻貧。重光線級に手を出そうとすればフォート級がその触腕を振り回して不知火の動きを遮る。
 埒が開かない。
 歯を食いしばった白銀の脳裏に、出撃前に伊隅からもらった言葉が蘇る。
 
 ―――――そうだ。俺は、後悔したくない。

 「―――速瀬中尉ッ!! 陽動を志願します―――――俺にやらせてください!!」
 白銀の一種無謀な志願に、全員が驚嘆の声を上げた。
 「俺が引き付けますから、一気に突破してください!!」
 その様に、冥夜は白銀の自責を疑い、涼宮は孤立を警告する。
 白銀は、今この時がブリーフィングルームでの問答に決着を着けるときだと理解していた。だから。
 「涼宮……あのときのお前の質問、俺の答えを今、見せてやる」
 涼宮は唖然とし、柏木は不敵に笑った。
 「……いいのね? あんたが孤立しても光線級の撃破を優先するわよ」
 「大丈夫です。訓練以上にやれますよ」
 酷く硬い速瀬の声に、白銀は少し巫山戯て応えた。
 場を和ませようとしての選択だったが、冥夜は違った。
 「中尉、最小単位は二機連携です!! 私も志願します!!」
 「却下する!!」
 悲痛ささえ孕んだその声を、速瀬は両断した。
 冥夜は息を呑む。
 「行け、白銀ッ!!」
 
 白銀は、了解と叫んだ。

 その絶叫を先頭に、全機が跳躍した。
 速瀬はフォート級が白銀の陽動に掛かり次第の迂回突破を全隊に命じ、それに自らの意思を以って応えんと、白銀は雄叫びを上げる。
 そして風間が白銀の置かれた状況を皆に伝えた。
 フォート級23体、グラップラー級48体、タンク級は―――――測定不能。
 涼宮は支援砲撃だけでも、と速瀬に懇願し、速瀬は臍を噛み、それを却下した。
 その言葉に涼宮は歯を噛み締める。そこに場違いなほどに静かな冥夜の声が落ちてきた。
 「あの者がやると言ったのだ……。ダケルを信じてやってくれ」
 「御剣……」
 「タケルは今……己に克つ為に戦っているのだ」
 静かな声。絶対の信頼。恐らくは、揺るぐことのない想い。
 その信頼に、彩峰が追従する。
 「白銀は前も逃げなかった……。そして、死ななかった」
 確たる行動が、旧203訓練小隊の面々に、その信頼を与えていた。
 その二人の言葉に涼宮は力なく二人の名を呼ぶばかりだった。
 「彩峰……」
 と、レーダー画面に目を向けていた風間が叫んだ。
 「中尉……。敵の損耗率が……加速度的に……ッ!!」
 「あいつ……」
 宗像の驚愕。そして、やるじゃないか、という再評価。

 そしてまた、白銀は飛ぶ。

 フォート級の蝕腕が迫り、白銀は歯軋りと共にそれを避ける。
 「ッ……まだまだぁぁぁぁぁっ!!」
 殺せるものなら殺してみろ。内心に覚悟を滾らせて、白銀はそのフォート級を切り裂いた。
 世界を変えるんだ。この腐れた世界を。
 もう誰も失いたくないんだ。大切な人々を。
 36㎜の火線が、また一体のフォート級を射殺した。
 そして、遂に。
 「―――――陽動成功です!! 要塞級の壁に穴が開きました!!」
 風間が喜色と共に声を上げ、速瀬はすぐさま全隊に命を出す。
 「全機反転!! NOEで全力噴射!!」
 全員が、了解と叫んだ。

 再び、蝕腕が白銀を掠める。36㎜で撃ち殺す。傍らのフォート級を長刀で切り裂いた。
 その時、白銀に速瀬から通信が入る。
 「白銀、よくやった!! 離脱しろ!!」
 突破できたのか、とレーダーコンソールを見れば、未だ先頭すら抜けておらず、今のタイミングで白銀が陽動の任から戻れば最後尾が抜け切れないことは自明だった。
 白銀はそれを旨に、具申する。
 「―――――もう少し時間を稼ぎますから、重光線級を頼みます!!」
 「白銀ッ!!」
 早く戻れ、と速瀬はその名を叫んだ。
 しかし、白銀は戻らない。
 「すぐ行きます!! だから重光線級を―――――早くッ!!」
 決意を酌む。速瀬はそのまま包囲を抜けた。
 「……必ず追いついて来い!!」
 「了解!!」
 36㎜を放ちながら、白銀は応じた。
 殆ど同時に36㎜弾が底を突く。即座に投棄、長刀に持ち替えた。
 「どけぇ!!」
 目の前の邪魔なグラップラー級を切り裂き、次いでフォートを斬り捨てる。
 「うおぉぉぉぉぉぉぉ!!」
 次の獲物に目を向けたとき、長大な蝕腕が白銀の不知火に迫っていた。
 「しまっ―――――」
 反応は、間に合わない。
 諦念とこんなところで終わるのか、という悔恨に歯を食いしばる―――――と、フォート級の腹が両断された。
 「―――――ッ!?」
 「よぅ。無事か、ヒーロー?」
 皮肉気な声。煽り立てられる不快感。
 「中尉……ッ!!」
 疵だらけの叢雲が、其処にいた。
 謝辞を述べる気には、ならなかった。



 叢雲の装甲は、至る所にレーザー照射痕を浮かべている。特殊長刀担架は最早原形を留めていない。
 そんな、満身創痍といって差し支えのない叢雲の後ろには大きな損傷は見られない草薙が3機。
 「フェンリル01ッ!!」
 「お、大尉。チークタイムには間に合いましたかね?」
 愉しげな表情。がこん、との音と共に最早役立たずとなった特殊長刀担架が叢雲の腕から脱落する。
 「ああ、時間ぴったりだ。行くぞ、重光線級狩りの時間だ!!」
 「補給は後回し……か。フェンリル全隊突入だ。喰らい付け」
 言葉と同時に、フェンリル全隊はジャンプユニットに最大出力を要求した。先行した速瀬たちを忽ちの間に牛蒡抜きし、光線級の群に肉薄する。
 圧倒的な砲火力がなくとも、或いは無いからこそ、フェンリルの突進力が際立っていた。鈍重な装備の無い、軽快な叢雲と草薙。
 その速力は圧倒的だった。
 真っ先に肉薄し、一瞬の停滞も無く重光線級を斬り捨てる叢雲。半瞬遅れて霧耶、堂本の草薙が長刀を揮い、フェンリル中では最後にレティシエが到着し、突撃砲4門を前面に収束、光線級を薙ぎ払った。
 僅かに遅れてヴァルキリーズも、光線級を掃い始める―――――



 「ヴァルキリーマムよりA-01!!」
 そして、最上の遙からの通信。
 「A-02は現在、砲撃準備態勢で最終コースを侵攻中。60秒後、艦隊による陽動砲撃が開始される。砲撃予定地点に変更なし、90秒以内に被害想定地域より退去せよ。繰り返す。砲撃予定地点に変更なし、90秒以内に被害想定地域より退去せよ!!」
 ふん、とヴァッシは息を吐いた。
 「遂に御出でか」
 叢雲にはスサノオを―――XG-70を―――護衛するための機体として計画が進んでいた時期もある。多少、思うところがなくはなかった
 「―――――全員聞いたな!? 即時反転、楔形弐陣で全速離脱だ!!」
 「了解」
 他の者のそれと比べれば、些か気のない応答。
 「フェンリルも離脱するぞ。楔形壱陣、最大戦速」
 とっとと戻るか、と踵を返したそのとき、白銀ががなり立てた。
 「待ってください、まだ重光線級が!!」
 「莫迦野郎!! 作戦の脚を引っ張るぞ!! いいから来い!!」
 伊隅の怒号。白銀は気圧された。
 「り、了解!!」
 そう答える他、なさそうだった。



 「お前が口を出さないとはな。またぞろ厭味の一つでもくれてやるもとの思っていたが」
 「思わねぇ訳じゃなかったが、流石に命令系統が違うからな。幾らなんでも越権だろ。流石に拙い」
 「ほう……その程度に空気は読めたんだな、お前にも。で、空気が読めなければどんなことを言ったんだ、ヴァッシ?」
 「そうだな……レーザーで焼き切られるのと砲撃で消し飛ぶのと俺に真っ二つにされるのと、どれで死にたい―――――ってとこか」



 「―――見えたな」
 叢雲の遠深度モノセンサーアイがスサノオの巨体を捉えた。
 さて、とヴァッシは煙草を咥えた。
 操縦の手は休めぬまま火を点け、一服入れる。
 夕呼さんご自慢のXG-70、00ユニット―――さてさて、どんなモンかね?
 ヴァッシの期待に応えるように、スサノオに8つの照射元からレーザーが殺到する。
 そして、閃光。
 「―――――ヒュゥ」
 閃光の晴れた視界には、全くの無傷なスサノオが轟然と前進を続けていた。
 「イージス理論の体言ってか? 防御性能は問題なし、だな」
 再び光条が迫り、そして直撃することすらなく、曲がった。
 ヴァッシは皮肉気に口元を歪ませた。
 アレに護衛? 必要なさそうだがね。まぁ、だからこそHI-MARFは流れたんだろうが。
 前進は止まらない。
 楯は見せてもらった。次は鉾だ。
 思うが早いか、スサノオの胸部装甲が一部解放される。放電端子展開、エネルギー充填。そして。

 ――――――――――光が、迸った。



[4380] 第七部 第六話
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2010/05/07 23:19
1355 A-02砲撃地点後方

 スサノオの砲撃がHIVEのモニュメントを消し飛ばすのを見たヴァッシに、他の者ほどの感慨はなかった。
 人類の進退に心底興味がない、というのもある。
 立ち上る噴煙にも似た光景があの日のドイツを思い出させる、というのもある。
 それ以上に何か釈然としなかった。
 そういう兵器なのは解っていた。どういう性能なのかも知っていた。
 作戦なのは解っていた。確実性を求めるが故のこととも知っていた。

 だが―――――これが出来るのならば、何故興梠たちは死なねばならなかった?

 舌打ちを一つ。ヴァッシはポーチからいつもとは別の―――真っ白な、安っぽい紙で巻かれた―――紙巻を取り出すとそれを咥え、火を点けた。



 順次補給を行うフェンリルを尻目に、スサノオは第二射を敢行した。
 ラザフォートフィールドの変形で巻き上げられた砂埃が警戒待機中の叢雲に吹き付ける。
 「ヴァッシ、貴方の番よ」
 「……あぁ。堂本、警戒待機に移れ」
 レティシエの補給が完了、その旨が伝えられるのに併せてヴァッシが補給に移り、既に補給を終えた堂本が警戒待機を代わる。
 燃料と武器弾薬を補充するヴァッシの視線は、スサノオに向いたまま。
 その視線にどこか苦々しいものが混じるのを、ヴァッシは禁じ得なかった。
 その性能があるならば。もっと早くに来ていれば。A-01の誰も彼もは、興梠たちは死なずに済んだのではないのか。少なくともその数を減らすことが出来たのではないか。
 そんな思いが拭えない。


 独りきり、踊る心臓。天にも昇るようなバッドトリップ。


 ああ、畜生。セッティングが悪かった。こんなテンションで吸っていい代物じゃないのはよく解ってるだろうに。
 コレにもアレにも、世話になって何年になるのか、とヴァッシは自嘲した。
 八つ当たり染みた仕草で紙巻を灰皿に叩き込む。
 再びポーチに手を伸ばし、ピルケースを取り出した。口をスライドさせ、中の錠剤を口の中に放り込む。
 それを飲み下すと―――水無しに呑み込めるほどに付き合いは長かった―――、途端に脊柱に氷の柱でも突き刺されたかのように頭が冷えた。
 小さく息を吐くと、改めて煙草を、今度は真っ当な煙草を咥える。そして火を点けようとして―――――
 「なに……ッ!?」
 その視線の先で、スサノオが屑折れた。



 混乱の極みを垂れ流す通信を尻目に、ヴァッシは瞬時に冷静さを取り戻した。
 何のことはない。想定された―――その中でも最悪のケースではあったが―――状況だ。誰も彼も、取るべき行動は決まっている。別言、決められている。
 知っているのは彼と伊隅、涼宮遙と香月だけだが。
 ヴァッシは咥えたままの煙草に火を点け、伊隅とCICに向けて直通回線を開いた。
 「ヴァルキリーマム、01、状況Dだ。フェンリル隊は規定行動に移る」
 フェンリル小隊にはこういうとき、つまりはスサノオが機能を停止し、本隊が撤退を余儀なくされた際には通常とは違うシフトで行動するという至上命令があった。
 そのシフトは相対するBETA群前面を強行突破し、奥まった位置にいる光線級2種の数を可能な限り減じ、そして本隊撤退までの間BETA群の目を惹き付けておくというものであった。
 そのためにF小隊にはA-01設立当初から叢雲が配備される予定だったし、だからこそA-01内でも選りすぐりの衛士が集められていたのである。
 そしてその状況はヴァッシにとってある意味都合のいいものであった。



 ―――――そもそも、そもそもである。
 ヴァッシ・ウレンベックという人間に明確な戦う理由や命題というものは存在しない。
 荒野で独り啼いた日の以前は示威であった。しかしその日を境に、彼の中から明確な戦う理由というものは欠片も残さず消失した。
 例えば霧耶澪の様に斯衛の矜持という理由はない。例えばレティシエ・フォン・シュッツガルドの様に一人の男という命題はない。例えば朱祇飛柚乃の様に戦艦乗りの誇りという理由はない。例えば柏木晴子の様に家族を守るという命題はない。
 誰かを死なせたくないと願うのは彼の理由でも命題でもなかった。それは仲間を置いて独り生き残った―――或いは生き残ってしまった―――彼の願望であり、妄執だった。そして所詮は願望であり、妄執だった。
 だからこそ彼は自分と既知でない人間の死に酷く無頓着で、既知の死に酷く感情的だった。
 そして理由や命題など持たず、ただ斯在るべく戦わねば、彼は彼として存在を許されなかった。他ならぬ、彼自身が許さなかった。
 それ以前に明確なものという、そんな何の益体もない思考に感けられる程、彼という人間に余裕はなかった。

 それが無くても戦える。それがあっては戦えない。それが無くないと戦えない。

 理由などという物を手にしてしまえば、彼という人格は崩壊する。
 命題などという物を手にしてしまえば、彼という人格は崩壊する。
 きっとあの日を過去のものに変換し、忘却し、それに没頭してしまう。
 それはきっと、得難い安寧なのだろう。あの日と今を隔絶し、ただ目前の諸々に指向して生きる。それは確かに、幸福なことなのだろう。
 だがそれは彼という人格にとって、壊死以外の何物でもなかった。
 そんなことは彼の捩れ、歪み、撓んだ自尊心が許さなかった。それを許容できるほど、彼の自虐癖は生半可なものではなかった。

 彼が欲しいのは現在でもなければ未来でもない。ただ記憶の彼方に輝かしい、過ぎ去りし過去だけだ。
 安定は必要ない。安寧は必要ない。安楽は必要ない。
 ただあの日を現在に留め続ける為に。
 あの火に焼失うしなった何かを取り戻し続ける為に。
 そのために彼は自らに辛苦を課した。
 それを敢えて理由というのならば、そうなのかも知れなかった。

 そうして彼は過去に指向する。現在も未来も置き去りに、過去に向かって全力で駆ける。
 危険な状況であればあるほど、必死の状況であればあるほど、あの日に近づける。あの火に近づける。
 そうすれば換わらない。そうすれば取り戻せる。そうに違いない。
 それを敢えて命題というのならば、そうなのかも知れなかった。


 阿の炎に抱き竦められた彼の日、それが彼の理由になった。
 阿の掃天に踏み潰された彼の日、それが彼の命題になった。
 彼の理由は錨だった。彼の命題は吊頸台だった。
 そうして下に向けて引き摺り下ろされ、上から吊り下げられなければ満足に立つ事も出来ないのが、ヴァッシ・ウレンベックという男だった。


 希求する為に生きるのではない。希求し続けなければ、ヴァッシ・ウレンベックは自壊するのだった。



 だが―――――
 「いや、まずはA-02の復旧を試みる。A-01はその間の護衛に当たれ。ヴァルキリー10、同行しろ!!」
 ぞわり、とヴァッシの総毛は憎悪に逆立った。だがそれは好都合が破られたことに対してではない。
 巫山戯るな。
 「おい、伊隅」
 静かな声。伊隅はそこから確かな憤怒を読み取った。
 「なんだ」
 「復旧の見込みはあるのか? 想定所要時間は?」
 「その目処を立てるためにもA-02に乗り込む必要がある。異論があるのか?」
 「ない訳がねぇだろうが……!! その作業にどれだけかかる!? 乗り込むのに2分、原因究明に5分としてもそれだけで7分ロスだ!! データ送信に30秒!! そいつの通信が死んでりゃ不知火を経由しなきゃならねぇから倍はかかる!! CICの方で復旧の可否を検討するのに5分!! テメェ等が不知火に戻るのにまた2分!! 最大限甘く見積もって15分弱だ!! 連中が押し寄せて釣が来るぞ!!」
 そういう間にも伊隅は地上装備を整え、不知火を降りる準備を完了した。
 「ならばなおの事だ!! 早く作業を完了させれば危険は減る!!」
 「どの道デストロイヤーは到達する!! あの数相手に防衛戦闘展開するのがどういうことか解らねぇとは言わせねぇぞ!?」
 伊隅は黙った。昇降用ワイヤーが降り切り、彼女は地上に降り立つ。
 「……信頼しているよ、ヴァッシ」
 「……ッ!!」
 クソッタレ、この死にたがり屋め。
 「指揮権と遠隔操縦の二次優先はお前に預ける。15分間……頼んだぞ」
 「……とっとと諦めて戻って来い。努力はするが、保証はしねぇ」
 「お前が努力してくれるなら安心だ」
 そう言って、伊隅は走り出した。後ろは、見ない。
 ち、とヴァッシは舌打ちした。
 やっぱりあいつは大馬鹿だ。
 「フェンリル01よりA-01全隊、ルート権限による送信。ヴァルキリー01ならびに10によるA-02復旧作業を行う。最短予測時間15分だが、まず間違いなくそれ以上かかる。以後01が復帰するまでA-01指揮権は俺の預かりだ。ヴァルキリーの部隊指揮はヴァルキリー02が代行しろ」
 モニターの納得いかない、或いは困惑した、僅かに然もあらん、といった顔、顔、顔。その中でも特に納得がいかないであろう人物が返信を寄越す。
 「フェンリル01、何でアンタに指揮権が移んのよ」
 モニターの中の速瀬の顔は険しい。応えるヴァッシの表情はいつもの様に皮肉気ではなく、只管に平坦だった。口調だけは変わらない。かえってそれが奇異に映るほどに。
 「この中に96年以前からオルタ4に所属してる中尉か、大尉以上の階級章持ちがいたら手ェ挙げろ。で、機体の二次優先は01が俺、10がヴァルキリー02だ。A-02の前面に防衛線を構築する。ヴァルキリーズは後衛に付け。フェンリルは先鋒に回る。限定広域戦闘だ、全部は拾いきれねぇ。取りこぼしは任せるぜ」
 まぁ、いつも通りッちゃそうだがな、と加えてヴァッシは叢雲を一歩踏み出させた。
 得物は準備万端、装甲が多少消耗しているが、戦闘行動に支障はない。
 「フェンリル小隊、トレイル。連中の縁を舐める」
 言うが早いか、ヴァッシはバーニアペダルを踏み抜いた。遅れなく霧耶達もそれに続く。
 侵入は左翼から。
 叢雲の全火力が戦列の先頭を進む突撃級を穿ち、霧耶の長刀と突撃砲が少し奥まった位置の邀撃級を抉り取り、レティシエと堂本の支援放火が取りこぼしを拾う。
 それの取りこぼしを更にヴァルキリーの定点砲撃が攫うが、如何せん数が多すぎた。
 「くそ……ッ!! ヴァルキリーb小隊、前面進出!! a、c小隊はバックアップ!! 行くわよ!!」
 白銀を欠いたb小隊が突出するフェンリルと後方のa、c小隊の間を取るように進出し、フェンリルが掃い切れなかったBETAを刈り取ってゆく。しかし、多い。
 時間は、と速瀬はタイマーに目をやるが、僅かに5分が過ぎたばかり。
 これで保つのか、と彼女の脳裏に疑念がよぎる。
 そこにヴァッシの通信が飛んだ。
 「ヴァルキリー中隊!! 06、08を除いて戦線を押し上げろ!! 二名はA-02の直衛に回れ!! 11はa、12はcの前衛!! ヴァルキリー02はフェンリルと合流しろ!! 急げ!!!」
 疑念や当惑は後に置く。全員がそのように動いた。
 打撃支援の珠瀬と柏木にはヴァッシの計らいで制圧支援突撃砲が渡されている。その膨大な装弾数に任せてフルオートで弾を撒く。
 制圧支援の風間と鎧衣は早々にミサイルを撃ち放ち、BETAを目減りさせた。
 強襲掃討である榊と涼宮は前衛に近しい位置に飛び出して弾を撒き散らす。
 前衛に割り当てられた御剣と彩峰は後に回してなるものか、と荒れ狂う。

 そして、フェンリルと速瀬は。

 速瀬は先を行く巨大な戦術機の背中を見て、そういえばアイツの後に就いて戦うことはなかったな、と思った。
 霧耶、堂本が派遣される以前、ヴァッシがヴァルキリー中隊b小隊に編入されていた頃、ヴァッシは装備試験で単独行動か、部隊行動でも速瀬の後に就いていた。それ以前は、言わずもがな。
 そういう意味で、彼女がヴァッシの背中を見て戦うのは今回が初めてだった。
 背中越しに見た姿はまさに影のよう。遠目に見た姿は狼にも似て。敵として相対せば悪鬼羅刹のごとく。
 それがどうだろう。違う機体とはいえ、この安心感。
 速瀬はヴァッシの人間性を是とはしていない。むしろ憎憎しく思ってさえいる。その考えは今このときも何ら変わりない。伊隅の言う危なっかしさを感じたことなど一度もない。柏木のように慕う気持ちなど欠片もない。大嫌いだ、あんな馬鹿は。
 そんな相手にでも安心感というのは感じることが出来るのだな、と速瀬は思った。
 傍から見れば機体を滅茶苦茶に振り回しているようにしか見えないであろう、事実そのようにしか見えなかった挙動。後からじっくりとは言わないまでも今までよりはしっかりと見れば、実に理に適っている。
 ヴァッシの挙動には角がない。どれほど小さな挙動であれ、必ず弧を描く。長刀の切り替えし然り、突撃砲の照準点変更然り。成程、関節への負担が少ないだろう。
 跳躍ですら角ではない。一瞬だけ跳躍ユニットを吹かして飛び、着地も膝を使ってクッションする。そしてその衝撃を膝で殺すのではなく前、或いは向きたい方向に向けて逃がして再び飛ぶ。関節への負担も少ないし、フルイド消耗も少ないだろう。それ以上に、動きに遅滞が生まれない。
 だが技巧ではない、何か別の部分で彼女は安心していた。

 それは恐らく、彼女はなにがどうあっても認めない感情であるだろうが、信頼とでも言うべきものなのかも知れなかった。



 厭だな、とヴァッシは思った。
 こういう、守る戦いは本当に厭だ。真っ直ぐ行ってぶん殴る類の、頭を使わない戦いの方が性に合う。
 背中越しの誰かを気に掛けながら戦うことは彼にとって非常な苦痛だった。
 BETA相手の防衛戦闘において、防衛対象が無傷で済むということは少ない。皆無であるといってもいい。
 それはすなわち、殊この状況においては彼の既知が死ぬということだ。それも夕弧、霞を除けばA-01、延いてはオルタネイティヴ4の中で最も付き合いの長い人間が。
 そんなことを考えた自分を、ヴァッシは嗤い飛ばした。まだバッドトリップが抜け切っていなかった。
 俺も白銀のことを言えた義理じゃない。独り善がりは俺も同じか。

 厭だ厭だ。俺とアイツと、一体どちらがより穢らわしい生き物なのだろうか。



[4380] 第七部 第七話
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2010/11/06 19:51
 12/24 1413    A-02閣坐地点


 「再起動は不能……か。白銀、00ユニットを搬出しろ。私はこのまま自爆コード入力に入る」
 白銀がその言葉に従って管制室を出るのを尻目に、伊隅は通信機を立ち上げた。通信先はフェンリル01。この十余分、BETAを一匹たりともスサノオに接触させずに立ち回ってくれた男。
 良かったな、と内心で思う。今回は誰も死なずにすみそうじゃないか。
 「フェンリル01、こちらヴァルキリー01。CICの判断はプランGへの移行だ。ヴァルキリー10には00ユニットを搬出させる」
 『了解。00ユニットとヴァルキリー10をc小隊とフェンリルで護衛、先行して脱出させる。a、bがお前の直衛でいいな?』
 「ああ、その間c小隊の指揮権はお前に預けるぞ。私もすぐに脱出する」
 打てば響く応え。頼もしく思うと同時、ヴァッシの声が若干だが浮付いているのを、伊隅は聞き取った。
 ああ、またヤッたのか。
 苦々しくも思うが、仕方あるまい、とも思う。
 そうでもしなければ崩れ落ちる男だ。あの薬も当然、まだ飲んでいるのだろう。
 幸か不幸か、伊隅はそこまで追い詰められてもなお貫き通したい生き様というものを持ち合わせてはいなかった。
 無論、家族を守り、国を守るという目的は絶対だ。それを違えることはありえない。
 しかしああまでして、自らの魂を磨り潰してまで希求できるかと問われれば、首を傾げざるを得ない。なにがあそこまであの男を駆り立てるのだろうか、と彼女は思い、すぐに止めた。
 詮無いことだ。私は私、ヴァッシはヴァッシ。私に譲れぬ物があるのと同様、あいつにも譲りえぬ物があるのだろう。相変わらず、そうまでして戦う理由は遥として知れないが。
 と、通信が入る。
 「前に言ったかも知れねぇが……死ぬことは、格好良くなんざねぇぞ」
 伊隅は数度目を瞬かせた。そして笑う。
 「そんなことは解っている。安心しろ」
 その応えにヴァッシは心持ち茫漠とした顔を僅かに顰め、しかし何も言わずにウィンドウを閉じた。

 確かに言われた。恐らくは、彼女の記憶が確かならば酒の席で。かなりの深酒だったように思う。
 その席で、そっくりそのままではなく、むしろよほど捻た言い方だったが、確かに言われた。



 確か、どういう風に死にたいか、といった類の話だった。

 ―――死にたくなんかないね。あぁ、死にたくなんかない。

 何故、と問うた。その問いは、自分の掲げた隊則と、彼の掲げる隊則との違いを聞くにも似ていた。

 ―――死んだら終わりさ。莫迦みてぇに足掻いて、みっともなく藻掻いて。それで漸く触れられる。

 何に、とは問わなかった。しかし別のことを問うた。

 ―――では……誇りはどうなる?

 答えは確か、酒盃一口分の僅かな間を置いて告げられたと思う。

 ―――死に花なんざ御免だね。死が誉れと言うならば、俺は生きて恥をかく。

 そうか、と。そうか、とだけ、そう答えていたらいい、と思った。


 同意するのは駄目だ。
 上辺だけの同意は、あの男が最上級の嫌悪を抱くものだから。

 否定するのも駄目だ。
 自分の生き筋を否定されるのは、誰しもが嫌悪するものだから。

 ただそうか、と。お前の話は聞いていた、理解した、と。そういう風に答えれば。
 そうすれば多分、あの男は傷付かないだろうから。


 同日 1421    真野湾沖 長門艦橋


 「信濃より入電、読みます!! <<第二艦隊は真野湾内に突入、戦術機部隊の脱出ルートを確保せよ>>。以上です!!」
 その電文を聞いて、朱祇は思わず笑みを零した。
 遂に戦艦乗りの本懐を遂げられる。
 「了解した、と伝えてくれ」
 「了解」
 通信手はそのままコンソールに向き直り、返信を行った。
 それを尻目に笑みというには余りに禍々しい顔をした朱祇に、副長が声を掛けた。
 その表情を諌めるのではない。喜悦を隠さぬ命令に苦言を申すのでもない。
 「いよいよ、ですね」
 彼もまた薄ら暗い笑みを浮かべ、朱祇に同調したのである。

 彼は試験艦長門の副長である。しかしその前に日本海軍士官である。
 しかし、彼は試験艦長門の副長だった。
 彼らを蔑ろにする作戦課の所業を面白くは思っていなかった。そして今日、それを彼らの実力を持って叩き潰す機会が訪れたのである。
 面白くないわけはなかった。

 艦橋のトップ二人が悪鬼羅刹の如き笑みを浮かべるなか、通信手が再び入電を告げた。声に、些かの喜色を混じらせて。
 「小沢艦隊司令、信濃の安部艦長の連名で本艦に対し直接入電!! <<“戦艦”長門各員の奮戦に期待する>>。以上です!!」
 その言葉に、艦橋員の視線が艦長席に座る朱祇とその斜め後に立つ副長に集まった。
 その視線を受けて、二人は笑みを深くする。
 戦艦、戦艦。戦艦長門。素晴らしい。なんとも素晴らしい響きじゃないか。
 「……副長君」
 「かしこまりました、艦長。長井君、お二方に“ご期待には必ずやお答え致します”、と伝えてください」
 通信手が再びコンソールに向き直った。
 「いよいよ……ですね」
 「ああ……。いよいよだ」
 きゅ、と制帽を直し、インカムを手に取った。
 「機関全速、対地戦闘用意……。行くぞ、“戦艦”長門艦員諸君。我等の力、存分に発揮しようじゃないか」


同日 1446    真野湾内


 「左舷装甲にレーザー照射!! 戦闘行動に支障なし!!」
 「後部連装砲及び左舷、艦首、艦尾127㎜速射砲の斉射を開始してください。ALMランチャーハッチオープン、発射」
 副長の指示に従い、46㎝連装砲と三門の127㎜速射砲から対レーザー弾が、轟音と激振と共に発射され、ALMが白煙を棚引かせて空を駆けた。
 他の艦艇からも発射されたそれにレーザーが殺到し、佐渡島は忽ちの内に重金属雲に閉ざされた。
 「砲弾迎撃率85%、ALM迎撃率96%!! レーザー族種の減耗率微小!!」
 オペレーターの報告を背景に副長はポツリと呟いた。
 「主砲の使用許可が無いのが口惜しいですね……」

 副長が主砲と言ったそれは、後部の46㎝連装砲ではない。
 一番砲塔と二番砲塔を撤去し、一番砲塔の跡に装備された、スサノオの荷電粒子砲は例外として、固有の特殊な装置を必要としない量産が可能な装備としてはまず間違いなく最大級の火力を持つ砲である。
 これを以ってすれば、朱祇が作戦の前夜に叫んだ陸上師団数個分の火力という言葉が現実となる。しかもこの砲の最大の特徴故に迎撃は不可能。これの製造に当たり、帝国軍が国連安全保障理事会と技術提供を強制しない代わりに製造数を制限するという密約を交わしたという噂もあるほどの戦略兵器である。
 しかしこの無敵の矛は、今はその刃を振るうことが許されていない。
 持ち主である艦政本部の、更に言えばその頭脳に当たる作戦本部の許可が下りていない。
 
 副長の言葉に肯きながら、馬鹿馬鹿しい、と朱祇は内心で唾を吐いた。
 面子に拘っている場合か。ここの奪還は国の急務なのではないのか。その程度の判断もつかない愚物が私の海に指図しているのか。●ねばいい。いや、そんなものを待つまでも無い。いつか●してやる。
 思う分には自由だ、とその妄想を弄び、朱祇は意識を艦橋に戻した。
 レーザー照射が激しく、左舷装甲板の損耗が想定よりも激しい。
 「ダメージコントロールは準備を整えてください。恐らく、酷いことになるでしょうから」
 副長の酷く冷たい、冷厳な声。
 ああ、と朱祇は思った。
 そういえば彼は異名があったな。
 確か、氷の懐刀―――アイスダガーといったか。
 成程、今の彼を見れば誰しもそう思うだろう。
 「それと主砲のスタンバイを終わらせておいてください。艦橋からの指示があればすぐに発射できるように。いいですか、すぐに発射できるように、です。―――いえ、艦隊ではなく艦橋の指示に従ってください。了解しましたか?」
 そういえば何故彼が自分のような小娘の下についてそれを良しとするのだろうか、と朱祇は思った。
 彼だって戦艦に乗せれば十全な戦果を上げられるだろうに。
 「戦術機部隊の現在位置は? ―――解りました。その前方15㎞圏内のBETAに対して砲撃を展開してください。露払いにはなるでしょう」
 戦術機部隊といえば、A-01。霧耶澪、レティシエ・フォン・シュッツガルド、堂本英嗣、ヴァッシ・ウレンベック。
 後部連装砲の齎す振動が艦橋を揺らした。
 この弾雨が彼らの一助になればいい。
 そんなことを思って、彼女は一度目を閉じた。


 同日 1438    A-01脱出ルート途上


 ―――――昔、とある小さな女に聞かれたことがある。氷雨の降る夜のことだった。
 格納庫に満ちていた微かな雨音と、マシンオイルの臭いをよく覚えている。

 「貴方、自分のことが嫌いでしょう」

 疑問系ですらなかった。厭に断定的な口調だった。
 なに言ってんだ、と彼は多少の呆れと多分な自虐と共に反論した。

 「莫迦言え。俺は世界で一番自分の事が大事だよ」

 その言葉を聴いた小さな女は、痛ましげにその表情を翳らせて目を閉じ、少し瞑目した後に悲しむような目を向けて、彼に言った。

 「………そう。だから貴方にとって世界はその程度なんですね」

 彼女の言葉はそれだけだった。
 それだけで、それだけだった。



 「フェンリル03、04はヴァルキリー10の直衛に回れ!! ヴァルキリー04、06は広域防衛!! フェンリル02、ヴァルキリー05は俺と一緒に前面展開しろ!! ヴァルキリー10はフェンリル03、04のカバー範囲から出るな!! 行くぞ!!」
 そう言い放ち、ヴァッシはバーニアペダルを蹴り込んだ。

 移動し始めてから30分ほどして、彼らは大隊規模の混成BETA群2個と会敵した。
 それまでも多少の戦闘はあったが、小競り合いの域は出ないものばかり。そんなものにかかずらうまでも無い、と蹴散らしてきたが、ここにきて容易には蹴散らされてくれない数が現れた。

 ヴァッシの指揮はよく言えば隊員の個人裁量に任せた、有態に言えば投げっぱなしのものである。
 最低限度の指示を与えたら、その後は作戦に支障の無い範囲でならば、彼は好きにさせる。
 それは彼が中隊を預かった当初から―――A-01設立時から―――変わらぬ指揮だった。旧フェンリル中隊自体がガチガチに命ぜられるのを嫌う気風であったことに加え、ヴァッシ本人が己の正しいかどうかさえ定かでない指示に従えられて死ぬのは厭だろう、と思っていたからの方式だった。
 尤も彼の指揮は戦術面においては概ね間違いのない指揮を執っている。しかし、彼の精神性がそれを否定する。



 ヴァッシ・ウレンベックは傲慢にも自分の判断が是であるなどという判決を下せるほどの価値を、己に認めていない。そのような精神性を獲得し得たことなど、彼にはなかった。自分ほど愚劣な人間は居ないとすら思っていた。

 彼の信仰は酷く解り易い。
 彼は自分がいなければこの世の全てが上手く回ると信じている。自分がいなくなればこの世の間違いの、少なくともいくつかは元の正しい形に戻るのだと信じている。
 彼は己こそは死ぬべきだと信仰していた。

 しかし、その様に裁くべき神は―――少なくとも彼にとっては―――天上に坐すだけで何もしてはくれない、何の益体も無い存在だった。

 だから彼は自らに判決を言い渡す。
 彼が彼に下す判決は常に死罪であった。
 だが、彼は世界で一番自分が大事だった。

 彼は自分こそは世界で最も下衆で下等な、無価値な存在なのだと確信している。
 それでも死にたくなんかなかった。
 何があっても生きていたいわけではない。何をしてでも死ぬわけにはいかなかった。
 だけど、と彼はその手の思考を脳裏に巡らせる度に思う。

 だけど、生きている限り誤り続け、間違い続ける自分に―――――そうまでして死なない価値などあるのだろうか。

 そして想う。
 意思など無くていい。俺もただそれだけの、誤り続け、間違い続けるだけの器械であったならよかったのに。

 ただそれだけの機能しか持たないで、ただそれだけのために生きるということは。
 それはきっと―――――眩暈がするほどの幸せだろうから。

 そして最後に嗤うのだ。
 馬鹿馬鹿しい、と。

 この俺が、この俺以外である可能性。

 ―――――――――――――どんな喜劇だ、それは。



 悲劇は喜劇である。
 喜劇は悲劇である。

 悲劇に笑いを足すと、喜劇になる。
 喜劇から笑いを引くと、悲劇になる。

 悲劇も喜劇も話の大筋に変わりはない。
 馬鹿な奴が、馬鹿な事に巻き込まれたり、馬鹿な事を仕出かしたりして、適当に死んだり、適当に不幸になったり、時々は適当に幸せになったりする。

 悲劇は喜劇なのである。

 当事者が笑えている、その限りにおいては。



 会敵、ヴァッシの指示、それから10分程度。ちょうどこれより先のルートを第二艦隊の砲撃が攫い始めたところでヴァッシ達は目前の2個大隊を排除した。
 ヴァッシは叢雲のモノアイを巡らせ、動く物は戦術機のみと確かめると、全隊に行軍再開の指示を出した―――――その直後。
 その視界の中に邀撃級に殴られ、弾け飛ぶ不知火が入り込んだ。
 動いたのはその不知火の間近で死んでいた、かに見えた邀撃級。



 向き合う。何と? 直視する。何を?

 臆するな。映るのは高々自分の影だ。



 肩のマーキングは06。装備はヴァッシが手回しして配備させた制圧支援突撃砲。フェンリルの機体に制圧支援砲を手持ちで装備している機体はない。加えて言うならフェンリル装備の草薙は背部武装担架の代わりに追加ジャンプユニットが搭載され、代わりの武装担架が肩部装甲ブロックに装備されている筈だ。それにフェンリルは01から04までしか居ない。
 ヴァッシは目に映った現実を容認するために、それだけの屁理屈を捏ね繰り回した。

 「―――――あ」
 そう呟いたのは、誰だったのか。
 死に体ながらその不知火に止めを差さんともう一度衝角を振り上げた邀撃級に砲弾を叩き込んだのは誰だったのか。
 多分、それは全て―――――



―――――………そう。だから貴方にとって世界はその程度なんですね。



 そしてこの日もまた、己が己であるが故に誤ったのだ、と彼は結論した。

 ヴァッシ・ウレンベックの罪過にまた、一文を付け足した。



 「―――――柏木ぃィィィィィィィィィィッ!!!」



 ちょうどその時、雲の切れ目から太陽が覗いた。

 眩しく輝く太陽はいつも通りに、卑しく下賎な、この世界で最下級の彼の在り方を責め立てていた。



[4380] 第七部 第八話
Name: 5,45㎜の顎◆0aa8a945 ID:1b33726a
Date: 2011/06/30 00:06
 ぐるぐると回る世界の中で、晴子は呆然と思った。

 右目が見えない。右側の視界がない。
 右目がない。大事な右目がない。

 意識が遠のく。世界が暗くなる。


 どうしよう、ヴァッシさん。

 もう貴方を―――――手伝えないよ。






 12/24 1447    A-01脱出ルート途上・柏木晴子機大破地点

 「ヴァルキリー06、応答しろ!! ヴァルキリー06!!」
 ヴァッシは叫んだ。応答はない。
 渡された指揮権を使って柏木機のバイタルモニターをチェック。心拍・血圧異常、呼吸薄弱、意識なし。危険な状態だ。いつ死んでもおかしくない。
 だが―――――生きている。
 そのことに安堵した自分を、ヴァッシは八裂きにした。
 
 元はといえば貴様の責任だろうが、ヴァッシ・ウレンベック。
 あそこでああして屑折れているのは貴様であるべきではないのか。
 そうとも、やはり俺は死ぬべきだ。

 「全周警戒!! ヴァルキリー06を救出する!!」
 そう言って、ヴァッシはバーニアペダルを踏み抜いた。
 ほんの一瞬の噴射で不知火の元へ辿りつき、仰向けに倒れたそのコックピットハッチを毟り取った。

 血の海、という言葉が相応しかろう。
 全身ありとあらゆる場所に破片が突き刺さっている。特に目を引くのは胸のど真ん中、胸骨の辺りに突き刺さっているそれ―――見た限りではそこまで深くはない―――と。

 「目か……!!」
 力なく空を仰ぐその顔の、右の眼窩に深々と刺さった、大振りな鉄片。


 兵士にとって目は大切な物だ。

 例え片目であっても、それを失えば距離感を喪失する。実質的に兵士としての死と同義だ。
 無論ヴァッシのように、片目であっても兵士として活躍する者はいる。
 しかしヴァッシも失った右目をかつては眼帯型の人工視覚ユニット、今は人工生体で補っており、純粋に片目であるかといえば、否である。そして片目眩の者の多くは彼同様の物でその損失を補填している。
 純粋な片目で一線級の兵士として活動している者は、極めて、本当に極小である。

 兵士にとって、目は大切な物だ。

 況や狙撃手をや。
 況や、利き目をや。


 誰が紛うことがあるだろうか。狙撃手としての柏木晴子は。

 死んだ。



 それもやはり己の所為なのだ、とヴァッシは結論した。
 ぐったりと脱力した柏木の体を抱え上げ、潰れた不知火のコックピットから這い出す。
 リモート操作で叢雲に手を差し出させ、その上に乗り、再びリモート操作でコックピット直前までその手を上げさせる。
 ハッチが開くと同時にその巨躯をコックピット内に滑り込ませ、柏木の着る強化服のレスキューパッチを押し込み、強化服を裂く。肌理の細かな、血に塗れた白い肌が眼前に晒される。
 取れる範囲で破片を取り除き、メディカルキットをシートの脇から取り出して消毒液を吹きつけ、止血帯を貼り付けて応急処置。
 シートに座ると柏木を自分の膝に座らせ―――座らせるというよりも据わらせるといった具合ではあったが―――ハーネスで固定。
 これまでの移動速度から、指揮艦艇までの想定所要時間を算出。次いで柏木の傷の具合、出血量におおよその見当を付け、残り時間を出す。
 間に合わない。
 どう考えても間に合わない。
 柏木が死ぬ。
 いや。こっちなら。
 「……フェンリルリーダーよりCIC、フェンリルリーダーよりCIC。ヴァルキリー06が負傷、意識不明の重体だ。衛士の人命を優先、隊をフェンリル01、02のαとそれ以外のβの2隊に分割、αの目的地を第二艦隊に変更、ヴァルキリー06を収容後指揮艦艇へ、βは予定通り指揮艦艇へと向かわせる」
 それは提案ではなく、許可を求める声ですらなく、ただ決定を伝える声だった。
 返答はない。モニターの中で、夕弧は沈黙していた。
 ややあって彼女は口を開いた。
 「レーザー級に注意しなさい」
 そしてウィンドウは閉じた。

 ヴァッシは嗤った。
 相変わらず優しい女だ。

 「ヴァルキリー01、こちらフェンリル01。ヴァルキリー06が負傷、衛士の人命を優先して隊をフェンリル01、02のαとそれ以外のβの2隊に分割、αの目的地を第二艦隊に変更する。βは当初の予定通り最上に。αはヴァルキリー06を信濃か長門に預けた後で最上に向かう」
 『了解した。我々は……そうだな、我々はβと合流しよう。それでいいな?』
 「ああ、じゃあ該当艦艇で補給してから向かう。αの最上への到達時刻は30分の遅れを予定しといてくれ」
 了承を伝える伊隅の応えを聞き、ウィンドウを閉じる。
 「全員聞け。見ての通りヴァルキリー06が大破、衛士は意識不明の重体だ」
 その事実に隊員の息を呑むのが解った。
 「中尉、柏木は大丈夫なんですか!?」
 誰だ、とポップアップしたウィンドウを見ればヴァルキリー10、白銀武。
 重体だって言ったろうが。大丈夫なわけあるか。
 その発言をヴァッシは頭から無視し、言葉を続けた。
 「このまま最上に向かってたら間に合わねぇ。よって隊をフェンリル01、02のαとそれ以外のβに分割、αの目的地を第二艦隊に変更する。βの指揮はフェンリル03、当初の予定通り最上に向かえ。αはヴァルキリー06を預けて補給。αの最上への到達は予定より30分の遅延を予定する。以上だ」
 そう言って行動を開始しようとしたヴァッシのモニターに再びウィンドウがポップアップする。霧耶だった。
 「ヴァッシ、06の護衛戦力は二人で足りるのか? 叢雲もあるとはいえ、不足では……」
 「不足だな。到達できない可能性もある」
 言葉を遮っての即断に、霧耶は鼻白んだ。
 「な、ならばβの人員をαに―――」
 「ヴァルキリー10、お前が抱えてるモンを言ってみろ」
 霧耶と似たような危惧を抱いていたが、先を越されて口を噤んでいたところに突然水を向けられた白銀は一瞬怯むが、ややあって00ユニットです、と答えた。
 「じゃあ一衛士であるところのヴァルキリー06とオルタネイティヴ4の最重要計画である00ユニット。どっちが大事だ? ヴァルキリー10」
 「それは……00ユニット、です……」
 「なら何を優先すべきか解るだろ」
 そうして、ヴァッシは二人に現実を突きつけた。
 
 お前らが理想を語るなら、俺は現実を物語ろう。
 そうすりゃイーヴンだ。


 尤も―――――俺がそんなものを騙れた義理じゃ、ないんだろうが。


 「まだなんかあるか? ねぇな。じゃあ―――――行動開始だ」
 そしてヴァッシは機体を真野湾に展開中の第二艦隊に向け、バーニアペダルを蹴りこんだ。



 同日 1425    長門艦橋

 「各部被害、消耗状況報せ」
 朱祇の澄んだ声が艦橋に響き、打てば響く応答を副長が伝える。
 「右舷前部装甲板溶融率28%、中央部装甲溶融率35%、後部装甲溶融率32%、上部構造物装甲溶融率18%。許容範囲内に収まっています」
 「だがこのままではジリ貧には変わりない。副長くん、弾薬は?」
 「機関砲、副砲群はおよそ7割といったところです。連装砲は零式弾が6割、四九式榴弾が7割、九二式改が9割との報告が」
 十分とは、言い難い量だ。
 長門は試験艦としての改修を受けた際に、その艦体容積の多くを主砲とその周辺装置に割り当てられており、決して格納容量が大きいとはいえない。しかしあくまで戦艦基準での話だ。
 加えて長門の大口径砲は46㎝連装砲一門のみ。消耗速度は単純計算で1/3。勿論そうそう上手く話はいかないが、他の戦艦よりも随分消耗が遅くなるのは間違いないことである。
 その長門がここまで消耗している。他の艦も、状況としては似たり寄ったりだろう。
 朱祇は一度居住まいを正し、制帽を直しながら副長に問うた。
 「……主砲の使用許可は?」
 「再三の打診にも関わらず、作戦本部―――大本営はだんまりです」
 そう答えた副長の声は、珍しく怒気を孕んでいるようだった。
 この男には珍しいな、と思いながら、それも已む無し、と朱祇は思う。
 だって自分だってそうなのだから。
 「……都合の悪いことは黙殺、ということか。吐き気がするな、無能共め」
 「艦長、そういうことはお部屋で仰って下さい。私も我慢していますので」
 副長は少々苦味を含んだ笑みを浮かべ、肯定するともなく肯定した。
 二人の意見の一致を見たところで報告が入る。
 「左舷8時方向よりレーザー照射!! 最大照射まであと8秒!!」
 「ALMランチャー9、12、15射出。索敵、照射源の特定を急げ」
 朱祇の指示には一瞬の停滞もない。そうでなくては老齢の実験艦とはいえど、艦長は務まらない。
 指示の直後、ALMランチャーから白煙を棚引かせてALMが射出され、それに引き付けられたレーザーが長門を逸れる。
 「レーザー照射それました!!」
 「ALM溶解!! 重金属雲発生!! 繰り返す重金属雲発生!! レーダーアウト!! レーダーアウト!!」
 「面舵30。速力15ノット。対岸と並行を保て」
 「こちら射撃指揮所、照射源特定!! 距離4000!! 方位08-37!!」
 「後部連装砲射撃用意。零式装填。副砲群に伝達、射撃30秒前より集中砲火。奴らの頭を上げさせるな」
 「了解。射撃諸元入力急いでください」
 「目標……補足!! 距離誤差修正差200!!」
 「風向西南、風速12m/sec!!」
 「副砲群射撃開始!!」
 舷側と船首、船尾に配置された127㎜速射砲の砲弾が陸上のBETAに殺到する。
 耳を聾する砲声と閃光。
 殺到する光条。
 すべてを包み隠さんとする重金属雲。
 波は高く、空は低く、そして重い。
 かつて父や祖父が語った、人同士が矛を突き合わせて戦った戦場は遠い。
 ふと思う。父の散った海はどうだったのだろうか。
 己の命と引換えに、幾ばくかの命を救った父。
 「目標補足!!」
 味方部隊撤退のためにBETAの正面に立ち、友軍艦隊の殿を務め、最後は艦と運命を共にした父。
 命令に従い、自らを犠牲に作戦を完遂した父。
 軍人の鑑と褒めそやされ、一部からは目の上のタンコブとして疎まれる父。

 「警報」

 生きて帰った父の副官は、最期に父は笑っていたと言った。海軍軍人としての本懐を遂げた、と。
 泣きながら、唇を噛み締めて。
 血の滲む白い手袋が子供心に酷く印象的だった。

 笑いながら逝ったという、その事実にどれほどの意味と価値があるのかはわからない。
 父が何を思って死んでいったのかも、今となっては解る筈もない。

 父の死に泣き崩れた母の姿を思い出す。
 それを妙に冷静に眺めていた自分を思い出す。

 死して武人の本懐を果たすとはいうが、果たしてそうだろうか。
 一時の恥辱にまみれても、生きてさえいれば返上の機会はある。

 「撃ち方用意」

 死んでしまっては何も出来ないではないか。
 死んでしまえば、そこで終わりではないか。



 ―――――そんなに名誉が大事なのか?



 「撃ち方、初め」
 轟音とともに後部連装砲から放たれる1tの鉄塊。かつてこれをもって貫けぬものなしと言われた46㎝砲弾がBETAに牙を剥く。
 数瞬、その直上に2つの火球が生まれ、それによって発生した衝撃波によって異形の肉塊が圧し潰される。
 「……目標の3割を撃破!! さらなる追加砲撃の必要あり!!」
 「まったく……相変わらず蛆虫のように湧いて出るな、連中は。もう少し小勢でも罰は当たらんというのに。よろしい、目標に対する砲撃を継続しろ」
 ぼやき、それでも指示を出す。
 それに続くように艦隊の被害状況が上がってくる。
 「艦長!! 加賀艦橋に被照射!!」
 「損害は?」
 「艦橋にて火災発生の模様!! 目下継戦中!!」
 「重巡鳥海より入伝!! ワレ操舵不能、ワレ操舵不能。乗員救助求ム。以上!!」
 「伊勢第2砲塔付近に被照射!! 依然攻撃中!!」
 更に長門の被害も。
 「後部VLS区画にレーザー集中!! 装甲限界値を突破!! B-12ブロックで火災発生!!」
 「面舵20。VLS区画要員は退避。ALM10、13、16連続発射」
 「レーザー照射それました!!」
 「重金属雲発生!! 重金属雲発生!!」
 「消火急いでください。機関砲座、目視射撃で構いません。照射源付近に集中砲火を―――」
 副長が言葉を終える前にずん、という重い振動が艦橋まで伝わる。
 爆発。長門だ。
 艦橋要員の数名がバランスを崩して倒れこんだ。副長も手摺に掴まって体勢を保っている。
 「損害報告!!」
 「右舷2番副砲塔、爆発!! 応答ありません!!」
 「こちら前部士官室!! 浸水発生!! 応援を!! 早く!!」
 「5番機関砲座被照射!! 火災発生!! 死傷者多数の模様!!」
 「医療班を向かわせてください。ダメージコントロール、至急の消火を。主砲への被害は?」
 「損害無し!!」
 「………」
 戦局は、宜しくない。一方的に不利な状況に傾きつつある。
 我々は“彼ら”の撤退時間を稼ぎ出すための囮。だが戦闘開始から10分が経過し、すでに戦線を離脱した艦も出ている。
 仮に連合艦隊が撤退ないし全滅してしまえば“彼ら”どころか友軍の撤退すら危ぶまれる。反攻の糸口が必要だ。
 ならば答えは決まっている。
 「……副長くん。小澤艦隊司令に打電。主砲ノ使用許可ヲ求ム。以上」
 「は。通信兵、暗号符号赤で艦隊旗艦最上に至急打電してください。」
 「了解、“主砲ノ使用許可ヲ求ム”、打電します!!」
 「……よろしいのですか?よくて引責除隊、最悪銃殺ものですよ?」
 「構うものか。私の命一つで幾千の兵の命が救えるのなら……どうということはない」
 「……お供いたします、朱祇中佐」
 「……すまない、副長少佐」
 今の私はきっとみっともない顔をしているだろう、と朱祇は自嘲した。
 思っていることとやっていることがまるであべこべだ。馬鹿馬鹿しい。しかも最も信頼する副官に方便を使ってまで。私も随分顔芸が上手くなったものだ。
 しかもそれが多分に私情を含んだものだというのだから、なおのこと度し難い。
 表情を覚られないために制帽を深くかぶり直す。
 そして、待ちに待った刻が来る。
 「最上より返信、『発最上、宛長門、主砲ノ使用ヲ許可ス、貴艦ノ力、存分ニ発揮サレタシ』以上!!」
 「……ッ!! 副長君!!」
 「はっ!! 主砲起動シーケンス開始!!」
 “彼ら”を死なせたくないという気持ちは勿論ある。しかし、それ以上に。
 自分を下らぬものと論拠なく断じたあの下卑た瞳。それを見開かせることが出来る。
 本部の会議室で茶でも啜っているであろう贅肉の塊の鼻を明かせてやれる。
 「発振器起動!!」
 「発電機起動確認!! 回転数安定!! タービン内圧力許容値内!!」
 「冷却器起動開始!!」
 「砲身展開!! スタビライザー起動!! 作動確認!!」
 そのために待ち続けた。
 「冷却器起動確認。冷却材の注入を開始」
 そのために戦ってきた。
 「射撃盤・方位盤・レーダー、データリンク確認」
 そう言っても、間違いはない。彼女の軍務は、己の復讐という意味合いを多分に含んでいた。
 「こちら射撃指揮所、目標の指示願います!!」
 「………よろしい。目標は人の庭を土足で踏みにじるクソ蟲共全てだ―――――焼き払え」
 「了解!! とっておきをお見舞いしてやります!!」
 「目標を補足!! 射撃準備完了!!」
 ふと、思った。
 後の世があるとするならば、歴史家は何と綴るのだろうか、と。
 この戦争の意味を。私の放つ一撃を。
 しかし彼女の注意はすぐに目の前に焦点を結んだ。
 歴史など後世の頭でっかちの自慰行為でしかない。

 もしかしたら偉人として華々しく祭り上げられるかもしれない。私怨の女とけばけばしく書き立てられるかもしれない。
 だが、今の私には関わりのないことだ。
 精々面白おかしく書くがいい。

 「撃ち方用意……」
 右手を胸に当てる。
 この行為が狂気だと言われれば、それはその通りだろう。否定する気は彼女にはない。したり顔で首肯してやろうとすら思っている。
 しかしなんとも贅沢な狂気じゃないか、と朱祇は嗤った。誰にも、副長にすら悟られないほど極僅かに。
 世界の一端をこの手に握り、その端を私怨のために弄んでいる。これほどの贅沢も、そうないだろう。
 そして、世界の端を握り締める右手を高らかに掲げ。


 「撃ち方―――――始め!!」


 振り下ろした。


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