1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2011年04月30日(土) 07時49分57秒 posted by nagai-hide

横須賀市議選

テーマ:想い

おはようございます。永井ひであきです。


選挙の後片付けがあり、更新が遅くなりました。


さて、今回の横須賀市議選、1030.885票と落選の結果となりました。

残念ながら、私の力不足を痛感せざるを得ない結果だと思います。


選挙が終わったので、私の今回の立候補に関する考えと経緯を書いてみようと思います。
敗者の弁に聞こえるかと思いますが、結果が出て数日たったので、率直に書けるブログになっていると思います。



はじめに、今回の立候補に関して。
実は家族以外、ほとんど友人には説明しないで準備をして来ました。


それは、どういう形でも、できる限りのしがらみを持ちたくが無いための行動です。議員になってからの活動のために。


結果的には、何人かの友人からサポートを頂きました。
しかし、どんな友人でも政治への考え方や活動への意見の相違は、少なからず生まれてくるものです。
それをどこまで説明し、理解してもらえるか、と言うのももちろん重要ですが、まったく異なる部分やどうしても溝が生まれてしまうケースがあります。


一方で、絶対に行わなければならないこととして、駅頭やポスティングを中心に私の政治活動を、市民への皆様へ理解してもらう必要があります。
それには、知人同士で無い分、どうしても時間が掛かります。


ビラ配りやブログ等の、私からの発信もありますが、市民の皆様の意見を理解するためには、どうしても対話が必要となります。
その結果、求められれば、喜んで対話(和)をさせてもらいに行きますが、宗教やセールスまがいの関係者からの電話やメールも複数ありました。そういう部分もあり、時間が無限に必要でした。



駅頭で、私に代わって私の真意を伝えるためには、私の活動をかなりの部分で理解してもらえる方にしか、サポートは依頼できません。
サポートする方も、なんとなくで付き合えば、いずれは関係は破たんします。

結果的に離れた方や、残ってくれた方、様々なケースがありましたが、その仲間との話し合いをしつつ、少ないお金で政治活動をするためには、一日24時間では悔しくも足りません。
結果的に、横須賀市民である有権者への対話を重視したのが私の選択でした。



そんな状況下で、人口40万人を超える横須賀市の市議選への挑戦でした。



40万人もの方々への丁寧な情報発信を一人で行うのは簡単なものではありません。
加え、ご存知のように3/11に東北地方太平洋沖地震が起きました。


駅頭の資料配布は、2月中旬くらいから格段に受け取ってくれる確率が高くなりました。
初めて行った駅でも反応は良好。皆さん、統一地方選に関心を持ち始めたと実感し始めた頃です。

その中で、地震の影響により3月の残り3週間。政治活動への自粛ムードが広がり、私の政策を訴える機会が
ほとんどなくなってしまいました。


統一地方選挙前半でも、演説や選挙カーの可否等で候補者の方は悩まれたと思いますが、やはり訴えなければ、選挙の意味そものもが問われるとのことで、選挙カーを選択された候補者もほとんどだったと思います。


私の場合、選挙カーは出しませんでした。これは、今でも悩んだ部分です。


選挙は、一般的に現職が有利と言われます。当然、名前を知らない候補者に投票されることはありません。しかし、無名の新人候補でも、関心を持たれる手段を上手に築けば、選挙公報やブログ等でその候補者の考え方を理解してもらえるチャンスがあります。


出さなかった理由は、自粛に加え金銭等の問題が主だったものですが、存在を知ってもらい、政策を見てもらうきっかけの一つとして選ぶべき手法ではなかったかと、今でも悩むところがあります。


結果的に私が選んだ道は、主に一人で自転車で回りました。
これをパフォーマンスと言われたこともありますが、市民の皆さんとの対話(和)を求める政治姿勢を忘れたくないので、自分から声を掛けて政策を説明させてもらったり、皆様から声を掛けてもらえたこともありました。


正直言うと、本当のママチャリで回ったので、この横須賀市特有の坂道は大変でした。最後の土曜日は雨も降りましたし、選挙活動終了後は、マラソンで走り回っていた昨年までの記憶が戻ってきました。

特に池上十字路で声を掛けてくださったドライバーの皆様、ありがとうございます。
東国原氏は電動自転車だったようですね。次回機会があれば、私もそうしようかなと・・(笑)



日本中の、全ての議員の細かい実情までは分かりません。
中には、私以上に努力され、横須賀市以上の人口を抱える地域でも独力で工夫されている方もいると思います。

もちろん、横須賀市でも普段の駅頭にて一人で活動されている新人・現職の方々もいました。
ただ、現実的に私自身としては、悔しくも政策未熟さに加え、その発信力が弱かったのも事実だと思います。



最終的には、学校時代からの古い友人、そして社会人になってからの友人・先輩方が様々な形でサポートしてくれました。その多くの方々から、相談が遅いよ~。水臭いよ~。と言われてしまいました。



当初横須賀市内638ヶ所ある、選挙ポスターを、あわよくば一人で張ってやろう、ぐらいの気持ちもありました。
それが、一人で活動すると言い切るためには、必要な行動だとも。

しかし、現実的には無理な話で、実質、そんな形で残ってくれた複数の方を中心にし、約10人ほどの体制でポスター対応をしました。



それでも、その選挙ポスターが張り終えたのは、全候補者の中で最後の方に近かったと思います。
残念ながら、ごく数か所、張りきれなかった部分もあります。(これは、情けないですね。)

ある友人に言われたのは、ポスターも張りきれない候補者が立候補する資格はないのかもしれない、と言う意見。その指摘、ある意味理解できます。



街頭演説やポスティングは、一人でもある程度できるものの、選挙ポスターの貼付や駅頭のビラ配りには厳しいものを感じたのは事実です。



結果的に、私と同じように新人候補で若い方も人生の先輩の方も当選された方は何人かいます。
それを素直に受け止めると、私の政策の未熟さと、その発信力の工夫が足りなかったのが事実でしょう。


例えば衣笠駅で駅頭をすると、両方の道路からの駅利用者がいらっしゃいます。
実際、一人で行っているため、一日に片方に特化して行いました。すると、衣笠駅に二日立つ必要があります。
京急久里浜駅になると、出口がもっと増え、一人での対応に限界がかなりありました。
演説ならまだしも、やはり資料配布となると、難しいものがあります。
朝の忙しい時間に演説に耳を傾けてもらえるのは難しく、確実な発信方法の一つに資料配布。
そして、それが対話(和)にもつながります。
しがらみを避けるためと、情報発信力、この間にすごく悩まされ、今でも結論が出ていません。



もう少し、一人での活動の部分について。

私は、現在衣笠駅付近に住んでおります。
なぜ、衣笠付近に住んだかと言うと、横須賀市はバス網がそれなりに発達しているので、京急の中央駅にも近く、JRで久里浜にも出られます。
もちろん、引っ越し当時、丁度良い物件があった、と言うこともあります。

衣笠駅付近には、実績のある現職の議員の方が何人かいらっしゃいます。
しかし、彼らも当然、地元のためにやっているわけではなく、横須賀市のために働いているのです。



良く聞かれて困った質問が。

「君は、どこから出るの・・?」

と言ったもの。

「いや、横須賀市からですけど。」

としか、答えようがありません。近所と言うことで親近感を持って頂けるのはうれしい限りですが、横須賀市そのものを理解していなければ、市議会議員とは言えません。

諸事情により、今回引っ越しをするかもしれませんが、市議会議員を検討する限り、この考え方は当然変わらないと思います。



私は、就職するまで湘南鷹取に住んでいました。

追浜駅では駅頭活動をしていましたが、特に湘南鷹取を意識した活動はあまりしていません。

一度、一部の地域にはポスティングをさせては頂きました。

しかし、ある意味意図的に、実家の付近にはポスティングをしませんでした。

実は、選挙活動最終日には追浜駅付近で活動していたのですが、とても小さなころからお世話になっている、ご近所の方にばったり、お会いしました。


「やっぱり、ひでちゃんだったのね~。」

と。(ホントに小さいころからお世話になっている方で、ひでちゃんと言われています。)


今回の立候補にあたり、真っ先にご連絡したかった方たちです。
全面的に協力してくれると想像がつくので。

でも、迷った挙句、しませんでした。
実際は、中・高の仲間から連絡が行った湘南鷹取の方も何人かいるので、まったく湘南鷹取入りしていないとは言い切れませんが。

ですが、私は横須賀市から出るという考えもあり、特に意図的に湘南鷹取の方を中心に政策の訴えをしてきませんでした。


湘南鷹取には現職の議員が3人いらっしゃいます。

そもそもそういうものが必要かも不明ですし、それらの議員の方も何とも思っていないとは思いますが、特にご挨拶にもいきませんでした。(周りから、それとなく注意を何度か受けましたが。)


事実、3人の方とは一度もお話すらさせていただくことなく、現在に至ります。
周りの意見に耳を傾けるのも当然重要なので、もし無礼だったのであれば、文章で申し訳ありませんが、ここでお詫びさせて頂きます。
大丈夫ですよね・・




しかし、そんな背景で、こういった選挙活動の中で、
供託物没収点を超えた約1030票を投票してもらったのも事実の一つです。
前述したように、最終的には、昔からの友人も応援してくれたので、彼らの票もたくさんあると思います。
が、この縁もゆかりもない私に期待して投票してくれた票があるのも事実です。

結果的に、その1030票の期待を裏切った結果になったことは、考えなければなりません。


中には、衣笠商店街でお会いした方も、私が特に衣笠に住んでいるから応援してくれるわけではなく(そもそもそのことを知らなかった)、君を応援したいと言ってくれました。

私の演説を一度聞いてくれただけなのに、私の考えに共鳴してくれ、選挙後お会いしたとき、本当に残念に思ってくれました。


もし次回の機会があるときでも、自分の考えを妥協して協力を求めることは、やはり無いのかなと思います。
それでも、人生の先輩でも同級生でも、

「それでも永井をサポートしてやる。」

と言ってくれた方が、こんな私にもたくさんいました。

譲れない部分は絶対にありますが、
浮動票による期待、本当の仲間、こういうものを裏切らないためにも、もっとやらなければならないことはあったかと痛感しています。
この経験を今後の糧の一つにしていきたいと思います。



3つ目に、これからの議会について。

今回の選挙は、横須賀市だけでなく、各地で投票率が下がっています。


議会改革を訴えた今回の候補者も複数います、現市長も掲げる、伝える政治。

そして投票率を上げるのも、議員やそれを目指すものの使命だと思います。


私は、具体的な政策にも掲げませんでしたし、本ブログでも触れたことはありませんが、対話(和)をさせて頂いた方には、市民の皆様に政治への関心の向上も政治家の宿命だと訴えてきました。


もちろん震災の影響もあるとは思いますが、投票率向上を私と同じくらい、それ以上に訴えてきた当選者には、この4年間で期待します。


見える政治・投票率の増加。


各自が訴えてきた経済や福祉と言った政策が中心になるのは事実ですが、上記は全議員(候補者)が改善すべき基本的な概念です。

何人もの当選者が上記を訴えていました。ぜひ4年間でこの実績を出して欲しいと思います。

情報発信力の弱さを痛感した私からのお願いです。当選された方は、政策はもちろん、発信力の強さから認められた部分もあると思います。


これらを訴えてきた議員さんは過去にも何人もいます。それでも、改善しきれていない。
この事実を忘れずに、これからの4年間、常に頭に入れていてほしいと思います。




最後になりますが、これからの4年間(人生)、私は次へのステップへと進むことになります。
しかし、現実的に、会社を退職した以上、収入源が無い分、それは何か考えなければなりません。
とりあえず、選挙の後片付けをしながら、次へのステージを模索中ですが、4年後の選挙、たくさんの方から、待っているからと声を掛けてもらいました。


正直に言いますと、その結論は少し先になるとは思いますが、現在の生活、己のステップアップ、周りのご意見、色々かみしめながら、前に進んでいきたいと思います。


本ブログとtwitterは、とりあえずしばらく残しておきますが、更新は少し離れます。
また、別の形で、心機一転ブログやtwitterを始めるかと思います。

とりあえず、以下のメールアドレスは当分残しておきますので、いつでもご連絡ください。


nagai.hide@view.ocn.ne.jp


最後まで、読んでいただいた方、ありがとございました。


2011/4/30


  • なうで紹介
  • mixiチェック
  • ツイートする
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
アメーバに会員登録して、ブログをつくろう! powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト