同時代を生きたミュージシャンたちがこの世を去って行く。きたやまおさむの35年ぶりとなる本人名義のアルバム「あの素晴しい愛をもう一度」は、彼が作詞家として組んだそんな2人の9曲が中心だ。一人は言うまでもなく一昨年の10月、自ら命を絶った加藤和彦である。彼は遺書の中で「きたやまおさむコレクションを作る」約束が果たせなかったことを謝っていたそうだ。
「加藤君が死んだ後、もう歌はやめようと思ったんですね。その翌年に私の退官コンサートが決まっていて、加藤君もそれはやってくれると言ってたし、それを最後にしようと思ってた。その頃に、今回一緒にやってくれたバンドに出会ったんです」。福岡のライブハウスで彼が書いた詞ばかりを歌っていた5人組D50ShadowZ。アルバムでは演奏だけでなく一緒に歌っている。「東京はもとより大阪でもきたやまおさむの曲を歌うバンドはないでしょう(笑い)」。九大の教授だった彼にとって“地元の縁だ”。
彼の軌跡は日本の音楽史の中でも異例だ。京都医大在学中に加藤和彦と組んだザ・フォーク・クルセダーズは、卒業記念に作った300枚の自主制作盤の中の「帰って来たヨッパライ」が250万枚という大ヒット。1年間の期間限定のプロ活動で解散。世代を象徴する歌となった「戦争を知らない子供たち」など多数のヒット生む中でロンドンに留学。帰国後は大学での精神医学の研究活動の合間に音楽と関わってきた。
「日曜芸術家みたいなもので、生活が先にあって普段は別の仕事をしながら音楽をやる。フォークソングというのはそういうアマチュアの音楽だった。プロには許されませんよね。巨大な欲望と金とシステムの中で人間を狂気に追い込んでゆく。それが加藤君を殺したんだと思うんですが。私がセミプロでいられたのは加藤君が間に入ってくれてたおかげですね」
もう一人の作曲家は、彼が自切俳人という変名で活動していた時のバンド、ヒューマン・ズーの一員、坂庭省悟。「花嫁」の作曲者、2003年に53歳で病死した。
「詞を書いてほしいと頼んでくれた多くの人をなくしたけど、彼の曲を残したいと思って一番多く歌ってます」
収録曲は14曲。朝鮮半島の分断を背景にした「イムジン河」の未CD化歌詞や「戦争を知らない子供たち」や「帰って来たヨッパライ」の続編「戦争を知らない子供たち’83」「天国合唱団」、加藤和彦にささげた「早く逝こうとする君」もある。別れの歌が多いのも特徴だろう。当初のアルバムタイトルは「冥土の土産」だったという。
7月2日、五反田・ゆうぽうとホールで「自分名義としては最後」のコンサート「ラストツアー」を行う。(音楽評論家・田家秀樹)
毎日新聞 2011年6月30日 東京夕刊