正月(2001.1.1) おいしいものをいっぱい食べて、寝て、また食べて・・・。ちょっと食べ過ぎで苦しい正月となった。そんなのんびり過ごす休日だったが、今年は前向きに努力したいって思っている。
時間はだらだらと怠けていた。昼にはテーブルに陽が腰掛けた。一日がずっと私の傍らで居眠りしていた。夕暮れには気のよいツツジが風の問いかけに頷いていた。私は一人誰の問いかけにも答えられず、ただ部屋に沈黙の種子を蒔いている。柿の枝は夏を釣り上げていた。暮れは何かに怒っているらしい。しかし私の心では今は昼間のように陽が暖かい。空や木々を誉める気持ちにさっと布をかけるようにあたって、それは愛なのだろうかと迷ううちに、今日の陽が私をまたいでいく。
深夜アニメ(2001.1.3) 深夜アニメが本格的に増えて数年が経つ。それなりに粒がそろっているとは思うが、後世に残るほどの傑作は、なさそうな気配。アニメ業界は、ここ数年「進行性閉鎖」というものにかかっているようである。どんどんマニアックになっていってファンが離れていき、新しいファンがなかなか寄り付かない状況である。尤もだからといって「最近のアニメはつまらない」「昔はよかった」と言うのは建設的ではない。一般受けを狙えば逆に熱心なファンを遠ざけることになるからだ。その点でマニアックになるということは熱心なファンを満足させようとする方向として肯定的に評価できる。
ドイツでは既に、生ゴミは市民が自分で処理するのは当たり前、ゴミを出すのが有料である。日本もやがて必ずそうなる。そうなれば全家庭に必ず普及するだろう。金をとられるとなると、みんなゴミを消すのに必死になる。このゴミ処理機は一家に一台が常識になる。生ごみ処理機は、分解されやすいものを、分解しやすい環境で、大量の微生物によっと処理するので、高速に分解する。
活性酸素(2001.1.6) 活性酸素とは、本来、自然に備わった身体の防衛機能の一つで、体内に入ってきた細菌やウィルスを殺すときになくてはならないものである。しかし活性酸素はストレスがたまった時にも発生するし、食品添加物や環境汚染の影響、薬の飲みすぎでも発生する。このように発生した余分な活性酸素が、体内にいろいろな酸素化合物を作り、数々の病気の原因となる。
腸(2001.1.7) 腸の中には膨大な数の細菌が住み着いている。その種類は100種類、数は100兆個と言われている。これらの細菌は消化作用を助けたり身体の免疫機能を刺激・強化することによって健康を維持してくれている。但し腸内細菌には、大腸菌に代表されるような有害菌も無数にいて、これらの勢力が強くなると病気という症状が現われる。これらの有害菌の繁殖を抑え、身体を健康に保とうと働いているのが乳酸菌・ビフィズス菌や酵母菌などの有効菌類である。腸が汚れると疲れやすかったり、すぐに座りたくなったりする。
バンオセアン(2001.1.10) フランスのブルターニュ地方の海水を凍結乾燥したもので無臭・白色である。海水に溶け込んでいるバンオセアン(ミネラルやビタミン等)が高濃度に含んでいる。今、ヨーロッパではバンオセアンを用いて、健康回復や痩身美容などを目的としたタラソテラピーが人気を博している。
2001.1.11 今日のラッキーポイントは朝の時間。朝の時間を有効に使って仕事や勉強に役立てよう。早起きしようと思っても気付けば昼…。怠け癖は治らない(=_=;)。パニくる時は寝ぼけながら歯を磨こうとして、洗顔剤を歯ブラシに乗せた瞬間。今日はハラハラ・ドキドキ、期待と不安が入り混じる日。本当に欲しいもの、必要なものだけに今日はお金を使おう。生きたお金の使い方をしよう。今日は生活に何か一つ新しいことを加えよう。生活を変えることでチャンスをget。
2001.1.12 今日は週末の金曜。遊び過ぎ、夜更かし過ぎ、飲み過ぎ注意。良い子は早く帰宅する。今日はお買物の日。特に大きなお買物をすると後でそれが宝物になるだろう。気になる人と目が合ったら軽く笑顔でご挨拶しよう。これが恋の始まりになるかも。
今日はお気に入りの友人との食事と図書館でためになる本探しをした。今までに読んだことのないようなものを読みたい。それは読んでみるまでわからない。おそらく誰の物まねでもない自分自身の言葉になっている時、読み手は、おお、こんなのいままで読んだことない、と感動するのだと思う。言葉は自分を守り、壁を作るためにも使えるし、その壁を壊して、人とつながろうとするためにも使える。書き手と読み手の心が言葉で通じ合った、その瞬間の、言葉にできない、予想もしてないかった感動、恍惚感がほしい。
私は相変わらずの調子でやっている。どうなることかと思っていたが、人間の適応力にはすばらしいものがある。「見る前に飛べ」という言葉もある。どらきちとは喧嘩ばかりだが、何とかなっているので案外相性はいいのかもしれない。
2001.1.20 関東地方にこの冬初めての本格的な雪が降った。このくらいの雪でもかなり混乱している。子供は喜んでいるが。まなざしのナイフの指す向こうに自分をみつけたらどうすればいいの。時は罪を着せ、人は罪を着せ、私は罪を増やして生きてゆく。神様許して、月にお祈りをしよう、星に願おう。
友人(2001.1.21) 私の友人は競輪・競馬で大負けしてこれを機会にギャンブルから足を洗うと宣言、先日本人にそれを確認したら「本当だ、嘘だと思うんだったら賭けてもいいよ」。友人が「お試し傷って知ってる?」と言うので何のことかと思ったら「ためらい傷」の言い間違いだった。車の到着を知らせる「まもなく1番線に列車が7両で参ります」というアナウンスを聞いて一言。「電車、7秒で来るみたいですね」。確かにそう聞こえなくもないがさすがにそれはムリかと…。
母子(2001.1.22) 母親が幼稚園の娘と同じような髪型にして楽しんでいた。「おかあさんかわいい」「なっちゃんはお母さんの100倍かわいいわよ」と言い合っていたら息子が「ゼロは100倍してもゼロ」とつぶやいた。どうしてくれよう。工事中の道路標識を見た4歳くらいの子どもが「ママ、100メートル先で落とし穴掘ってるの」と聞いていた。
ヤカンで沸騰させたお湯をポットに入れたところ、ポットが再沸騰を始めた。それを見た母が一言。「自分でやらないと、気が済まないんだねぇ」。保育園で保育士をしていた。1歳児の担任をしているときのこと。「チュッは?」と、こどもにキスをさせるのは保育園ではよくあること。殆どの子が、口に軽く触れるくらいのチュウか、ほっぺにチュウ、をしてくれるが、A君は絶対に、誰が相手でも、ディープキス。親はこの子にどんなチュウをさせているんだろう??と思った。
父は誰かに時間を聞くとき必ず真剣な表情で、「いま何時半?」と言う。ヨーロッパのある国から東京下町の実家に国際電話した時のこと。祖母に取次いでくれた祖父は、後日そのクリアな音声の感動を「ここから六本木で話してるみてぇだ」というわけの分からない距離感であらわしてくれた。
スネ夫のような金持ちの家では、水道の蛇口からジュースが出てくると友人から言われて、信じていた。中学生になってから、真相に気づき、友人に「ありゃ、嘘だったのか」と問い詰めたときには、友人はそんな嘘をついたことはもう覚えていなかった。
先生に「皆さんの趣味は何ですか」と聞かれて、順番に1人ずつ答えたのですが、ほとんどの女の子が「ビンセン集めと…」とか言っていて、私はそんなもの集めて何が面白いのかと思っていた。高校に入って彼女と文通をするまで気づかなかった。そう、私はその時までビンのフタだと思っていた。
ホームセンターで「Aさん、Aさん、内線○○番までご連絡ください」と業務連絡の店内放送があった。すると「MさんMさん、あと3分待って下さい」との店内放送が流れた。恐るべし従業員。
笑える会社(2001.1.27) 道を挟んで会社の向かいに新しいビルが建った。向こうのオフィスも結構夜遅くまで頑張っていて、いつもこちらが帰る時は電気がついている。今日こそは向こうより頑張るぞ、と思っていても必ず向こうに負けます。1週間ほどしてよくよく見たら、ミラーガラスにこちらが映っていただけだった。
ハイヤーの「水増し発注」事件のニュースを聞いていた課長。「外務省の『みつばちハッチ』ってなんだ」。すかさず主任がツッコミを入れた。「違いますよ課長、ハッチは『みなしごハッチ』!みつばちはマーヤ」。職場に誰もいなかったので矯正下着を直していたら、おもいっきり胸をよせてあげている最中にノックもせず同僚(男)が入ってきた。ばれちまった…。
表現(2001.1.29) ハートに秘めている言葉を紡ぎ出す。心が踊るように、歌うように、響くように。こういうことを書けば受けるだろう、と思いながら書くのはよくない。そういうのは多分受けないだろう。あまり頭で考 えずに、普段の言葉の枠は払いとって、自分の中の奥深いところから出てくる言葉を聞き取って書く。そして何度も何度も読み返して、推敲する。書くことはとても勇気がいる作業だと思う。特に心の中の魂の中の言葉を書く時には。それは人前で裸になるような作業だから。だが一旦、裸になるぞ、と決めたら楽しいかもしれない。そうすれば最早怖いものはない。くせになるかもしれない。
すねかじり(2001.1.31) 「私はあーいうやり方はどうかと思うけどね、良し悪しは別にして私はそうはしないね」。寡黙な妹が兄のことを初めて非難した。実際、兄は親の財産にあぐらをかいているように思える。仕事を世話してもらい、親の金で家を立て、色んな面で親を頼っていた。「だけどさぁ、そっちのほうが楽じゃん」。私は弟に言ってみた。弟は答えた。「そうだね、わかるんだけどさぁ、なんかカッコわりいじゃんそういうの、思わない」。
2001.2.1 あっという間に2月。暦の上ではもう春だが、まだまだ寒い日が続く。寒いくと人肌恋しくなる。人肌恋しいと、暖めて欲しい。心が軽いような寂しいような微妙な気分。ふわふわと浮いていきそうなそんな気分。行き着く先は百花繚乱の園。
最近は寒い日が続いて、朝起きるのがとても辛く感じる今日この頃。家にこもってばかりで、ちょっと運動不足。たまには外に出かけて息抜きするのもいいかもしれない。寒いけど、おいしい自然の空気に触れてみると、何かいいことがひらめくかも。でも風邪をひかないように注意しよう。
「書類隠しの模擬訓練」読売新聞2001.2.2 三菱自動車工業のクレーム情報隠蔽事件で、直接の担当部署である品質保証部が運輸省(当時)の抜き打ちの立入検査に備え、時間稼ぎや書類隠しの模擬訓練を行っていたことが警視庁交通捜査課等の捜査本部の調べで分かった。
嫌いならば近づかなければいいのに、そうすれば私の方から近づく筈はないから、不快な思いをすることはないのに、神の思し召しかそうならず、幾度もその人の私に対する言動に傷つけられ、立腹した。あまのじゃくは人の嫌がることをするのが大好き(^^)。アナタが期待しているベクトルとは逆方向に物事を進めてしまう。他人の不幸は蜜の味。
運命(2001.2.5) 運命は変えられるものと思う。占いには星の位置、卦、手相等色々あるが、それはこのままいけばそうなるだろうという漠然とした流れを言っているのだと思う。平安時代の貴族はその日行ってはいけない方向を避けたし、外に出かけない時もあった。現代ではそういう風習はないが、災いを避けるというのはある意味悪い運命を予測して避けているという風にも捉えられる。しかし避けるばかりが能ではない。例えばこの人とは相性がよくないから別れなさいと占い師に言われたらどうするだろう。確かに相性はよくないかもしれないが、それがわかっているならば対処の仕方もわかるはずである。短気ならそこを治すとか、やはり努力だろう。運命は絶対ではない。自分の選択一つで別の方向へ歩き始めることができる。
宿命(2001.2.6) 宿命は変えられない。生まれた場所、生みの親。生まれながらにして授かったものは変えることはできない。例えば東大に行きたい、という子がいたとして、東京在住者であれば金銭面をクリアすれば後は自分で受験して合格するだけだが、通学するには遠い場所に住んでいた場合、親を説得したり、お金の問題があったりで、それだけで東京都民よりもハードルは高くなる。生まれた場所が違うというだけで努力しなければならないことが増える。そこで諦めることもできるし貫くこともできる。
生まれた時から違いはある。それをどう良くしていくか、やはり自分の努力である。オリンピック選手が金メダルをとるのは努力なしにはあり得ない。何もしないでは何もかわらないと思う。最近は容姿や性別まで変えてしまえるようになった。挑戦すれば可能性は拡大する。人生努力すれば報われると思った方が楽しいだろう。無理して前向きになる必要は何らないが、何もしないでうらやましがっているようなことはしたくない。
ついている人、ついていない人というのはいる。ついている人になりたいと思うが、ついている人には悪いこともついてくるらしい。しかしそれはついていない人なのではないかと思う。いいおみくじを引いた時は人に話してはならない。運が言霊みたいになって逃げてしまう。反対に悪いおみくじを引いた時は、なるべく人に話すようにして悪い運を体から追い出す。
通り雨(2001.2.8) しかしよく降るね。綺麗な爪を眺めながらなんとなく思い出していた。ああ、そう言えば赤がよく似合ってたっけ。熟れた空気が重く足元を包み、薄桃色の芍薬が胸を広げ匂っている。この島に降るのは通り雨。濡れた踝と赤い爪、甘く漂う夕暮れの通り雨。
美容院(2001.2.9) 美容院では首筋に温めた濡れタオルをあててくれ、気持ちよかった。タオルを絞りきらずに、少しだけ捻った状態で手に持つ両端をよけ、タオルの真ん中あたりに熱いお湯をかけてから絞ると丁度良いもののができあがり(^^)。そのタオルで寝癖もなおせる。お湯の湯加減は、タオルが熱くて2秒しか持っていられないくらいが目安。すぐ冷めてしまうから。
チャイ(2001.2.10) チャイはインドで飲むのがやっぱり一番。その土地の風土や気候にあってるからだろう。私のチャイは鍋にミルクとお湯を1:2くらいの割合で入れてカルダモン(さやとともに)1粒くらいとシナモンをいれて沸騰させる(しすぎないように注意)。弱火で2分、香りたつまで。そのあと紅茶をいれて3分くらい煮る。本場では砂糖をここでたっぷりいれるがそれはお好みで。
ジュース(2001.2.11) 濃縮果汁還元ではない果汁100%のミカンジュースが好き。ポンジュースも好きo(^-^)o。氷を浮かべて存分に冷たくしてから飲む。ジュースで作った氷なら薄くならない。氷をガリガリするのもいい。仙台に行った時、青森のりんごジュースを飲んだ。いかにもローカルっぽい、見たことない銘柄のもの。とても美味しかった。ブッシュマンの目の前に落ちたコーラの瓶は、なぜ、割れなかったのだろう。飛行機の高度が低い&下が地面だったから。瓶とみせかけて実はプラスチックだったとか。
Nike(2001.2.12) 変わらぬパリというけど、確実に街は変わっていく。ファッション一つとっても、グローバル化が進んでいる。10年前はジーンズでも必ず革靴というのが主流で、カジュアルの あり方が独特だったパリ。でもここ6,7年の、スポーツブランドの定着のしようは目覚ましい。アディダス、ナイキetc。ナイキNikeのことを、フランス語読みして「ニケ」なんて言ってる人が少なくなかったのはついこの間のこと。ところが今では市民権を得るどころか、すっかりアイドル化してしまった。
ぐるり北海道フリーきっぷ(2001.2.13-2002.1.31) JR東日本は、関東地方や東北地方から北海道までの新幹線や寝台列車での往復と北海道内JR線全線特急乗り放題が付いた「ぐるり北海道フリーきっぷ」を発売した。昨年のものと比較して、10日間用がなくなり7日間用が新設され、北海道への往復にB寝台個室「ソロ」が利用可能となり、7〜9月出発のねだんが1割強値下げされている。
利用期間は2001年2月13日から2002年1月31日まで。4月27日から5月6日まで、8月11日から20日まで、12月28日から1月6日までは利用不可。有効期間は5日間または7日間。有効範囲は発駅から北海道内までの、東北本線または東北新幹線経由での、新幹線を含む特急、急行の普通車指定席およびB寝台(ソロを含む)での往復と、JR北海道全線特急普通車指定席乗り放題。値段は7,8,9月出発の場合、東京都区内発5日間用43,000円、7日間用49,000円など。その他の月の出発の場合、東京都区内発5日間用33,500円、7日間用41,500円など。大宮〜川口・戸田公園発、宇都宮発、郡山発、福島発、仙台市内発の設定もあり。
ひとめ惚れ(2001.2.18) 歩いていると声をかけられた。ずっと無視をしていたのだが、これがしつこい。信号で止まった私の両腕を掴み、「ひとめ惚れをしました」と大声で叫んできた。恥ずかしくなって走って逃げた。顔や雰囲気だけで惚れることってできるものなのだろうか。それとも新種のキャッチセールスだったのだろうか。
形(2001.2.19) 鳥は飛べる形、空を飛べる形。人は空を飛べない形、ダラダラ歩く形。ダビンチの閃きとライト兄弟の勇気で、人は空を飛ばない代わり、月にロケットを飛ばす。たとえでっちあげたような夢も、口から出まかせでもいい。現実に変えていく人はそんな形。中村うさぎはすごい。作家なのだが、印税を前借りしてまで買い物をする。欲しいものは消費者金融で借金してまでも手に入れる。恐ろしい。
映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」2001.2.20 本日鑑賞した。動物保護活動家ダフニー・シェルドリック「エレナは全てを知っています。それでもなお人間を愛してくれているのです」。「エレナ!エレナ!」ダフニーの声が草原に響く。しばらくの静寂。気配はない。・・・(本当にいるのだろうか?)不意にブッシュが揺れる。木の向こうに巨大な姿。・・・(来た!)巨大な体に反して、その存在の静かさ、落ち着き。 ゆっくりとした足取り。「エレナ!」ダフニーが両腕を広げてエレナに近づく。その年老いたメスの象は嬉しそうに、ダフニーを長い鼻で抱きしめた。象が人間を鼻でぎゅっと抱きしめる。そんな光景、アニメの中だけでしか見たことなかった。
ダフニーは、ケニアのナイロビ国立公園の敷地内に住み、そこで動物孤児院を運営している女性だ。象牙密猟者によって親を殺された子象たちを育て、野生に帰す活動を30年以上続けている。エレナは、ダフニーが初めて育てたメスの象だ。以来、エレナはダフニーが3歳まで育てた孤児たちを預かり、その子が一人前に成長するまで、養母の役割を果たしている。子象は3歳まではナイロビ国立公園でダフニーと暮らし、時期が来るとツアボ国立公園に住むエレナに引き渡されるのである。
ダフニーは言う。いわゆるテレパシーの能力は、動物たちにとっては、ごく当たり前のコミュニケーションの方法だが、とくに象は優れたものを持っているそうだ。象は、人間と同じように、年長者から数多くのことを学んでいる。年寄りのメス象は、いつ乾季が来るのか、そのときどこへ行けばいいのかなどを知っていて、群れを導いている。だから、象牙密猟により、年寄りの象が数多く殺されると、そこで多くの知識が失われ、象の社会に致命的な混乱が起きる。かつて、ツアボにメスのリーダーがいた。彼女は広大なツアボ国立公園を隅から隅まで知り尽くしていて、30年も群れを安全に導いていた。その彼女は、実はまったく目が見えなかったそうである。
象牙の密猟は、ある時期さかんに行われ、多くの象が殺された。そして不思議なことに、象は自らの象牙が自分たちの社会に大きな悲劇をもたらしている事を、よく知っているという。彼らは常に交信し、エレナとて必ず、野生の仲間からその情報を得ていたに違いないと。野生の象たちは、殺された仲間の遺体から、象牙だけを取り外し、砕き、遠くの森に運んで隠すという。これが象たちの、理不尽な死を迎えた仲間への最後のはなむけなのだ。しかも、彼らは人間と同じように、仲間が亡くなった場所を、何度も何度も訪れるという。
象たちは「死」の意味を知っている。そしてエレナは、18歳の頃、初めて仲間の死体を見たとき、その死体から象牙だけを取り外そうとしたという。孤児として育ったエレナには、一度もその経験がなかったはずなのに。エレナは、野生の仲間からすべての情報を得ている。人間の残酷さを知っている。それでもなお、エレナは人間を愛してくれているのだと、ダフニーはそう言うのだ。
また象はその巨大な体を維持するため、1日300ポンドもの植物を食べる。これは一見、自然を破壊しているように見えるが、実は正反対なのだそうだ。長い目で見ると、彼らは森を草原に変え、草原をまた森に戻すという、自然の循環に大きな役割を果たしている。そのため象の消化システムは、食べたものの60%をわざわざそのまま外に出してしまうという、非常に非効率的なものになっている。象のお腹に入った種が、そのまま100マイルも遠くに運ばれ、そこで草原や森に再生していく。
さらに、象は少しでも食べ過ぎたり、栄養が足りなかったりすると、たちまち力を失い死んでいくという。干ばつが続き、自然界に食べ物がなくなったとき、まっさきに死ぬのは象たちなのだそうだ。象たちは、死を受け入れることを決意すると、自ら食べることをやめる。食べるのをやめた象は、わずか1日で死にいたる。そしてその死は、静かで平和な死だ。ダフニーは言う。象は自分たちの命を自然の大きな力に任せながら、その中で高度な知恵を働かせているのだと。こうした象の生き方には、人間に対する重要な教えが含まれていると、ダフニーは考えている。
ダフニーは地球の未来については楽観的という。間に合わなくなる前に、人間は必ず気づくと思うと。 ダフニーはこう語る。一つの種の絶滅は、必ず他の種に大きな影響を与える。全ての種は鎖のようにお互い結び合わされているので、そのひとつが切れると全体がバラバラになってしまうからである。地球はそれ自体が大きな生き物であり、全ての種はその体の一部である。だから一つの種の絶滅は、自分の指を切ったり、目を失ったりするのと同じことで、人間はそのことに気づくべき時にきいる。そして象は、他の種や仲間たちと平和に共存する生き方と、そういう生き方に対する誇りや叡智を、人間に教えてくれている。エレナが人間を愛し続けてくれるのは、人間もまた大きな流れの一部と、自分達と同じ地球の一部だと、そう知っていてくれるからではないだろうか。
今でこそ、塾の先生とかやっているが、当時は相当成績が悪かった。特に理系が弱く、数学はクラスでも下の方だった。私の通っていた学校は中高一貫にもかかわらず、半数の人が試験で高校にあがらなくてはならなかった。当然私は試験であがることになるが、担任の先生から「高校にあがれないかもしれない」と宣告されていた。
中学3年生のクラスはすごく楽しいクラスで一番印象に残っている。クラスは全員仲がよくて大人数で遊んでいた。そのクラスで私は、保坂なおき似のKとUと特に仲がよかった。私達3人は問題児で、最初の授業で、「ワカンナイ」を連発していた。Y先生の教え方はすごくよかったし、字も読みやすくきれいだったが、かなり凶暴で、口も悪く大変だった。私達3人は一番前の席にさせられ、よく机を蹴り飛ばされた。
KはYに「私が数学でクラスで平均点以上とったら、腕の毛をそれ」とかわけのわかんないことまで言い出していた。Y先生もその挑戦にのり、戦っていた。しかしKは結局一度も平均点以上とることがなく、 中学を卒業し、Y先生の腕の毛も無事だった。授業は、常に戦いで、常に「Y、わかんない」という声がこだましていた。それでも彼は、熱心に授業をしており、上手だった。今思うと、人にモノを教えてもらう態度じゃないと反省している。
2学期ぐらいになって、成績があがった。友達2人も合格して晴れて高校へ進学した。Y先生のお蔭である。そして謝恩会の時に母はY先生のところにいって、「いつもうちの娘が失礼なことを…」と謝ったらしいが、他の友達の家もそうだったらしい。それでもY先生は「よくがんばってくれました」と私のことを褒め、とても嬉しかった。
今日母校を訪ねると、Y先生は辞めたものとてっきり思っていたが、職員室にいたので、実習のお願いを済ませた後で先生のところに行った。Y先生の第一声は「でたっっ」。私「なんでよー」。Y先生「おまえほんとに教育実習くんの」。私「まだ決まってないけどねー。結構多いからだめかもしんないのさー」。Y先生「ほんとわらっちゃうよなー。おまえ〜」。私「っていうかさー、私がさ、大学いけると思わなかったよねー」。Y先生「大学どころか高校にいけないとおもってたよ。俺は」。私「ひどい」。Y先生「だってそうじゃん、おまえら三人いけないと思ってたよ」。私「…」。
Y先生「おまえが教育実習とかいってわらっちゃうなーぁ。まじで、俺授業で後ろにたって、成績とかばらそっかなーぁ」。私「やーめーてーよー。ほんと、まじやめて。っていうか、数学じゃないしさー。あたりまえだけど」。Y先生「そんなの関係ないよ」。こんな生徒とも先生ともつかないような会話をして、なんとなく励まされて終わった。何年か前にタイムスリップしたみたいで面白かった。
リモートチケット販売サービス(2001.2.24) Web サイトでチケットを購入できるサービス。チケット売場に行って引き換えなくても、代わりのチケットをその場で印刷できるのが特徴。
私は格別株と相性がいいわけではないので、ツキを自分の方に向けるためには、勝ちを重ねる必要があると思う。どんなにわずかでも、勝つ癖をつけることが大切である。これは向き不向きの問題だが、私にとっては、株は売りの方が簡単に思える。チャートを見つけるのが容易だし、新奇な材料を探す必要もない。又、売り推奨をする評論家はあまりいないから、そういう人たちの口車に踊らされないで済む。しかも日本は右肩下がりの経済だ。それ故、私はこれから売りを主体にして株式取引をしようと思う。株に幻想は抱かず、あくまでリアリストとして相場に対峙しようと思う。
春うらら(2001.2.27) 寒いとき暖かいときがあるのが春うららの季節。暖かいなと思うと急に寒くなったり、今の季節は体調管理に何かと大変。季節の変わり目は、なんとなく気力や体力が衰えがち。私は風邪をひいてしまって、毎日ぼ〜っとしている。
バリアフリー(2001.2.28) バリアフリーという言葉はすっかり身近な言葉として定着した感がある。主に障害を持つ方や、高齢者、車イスの方が生活しやすいよう考えられ、例えば、歩道の段差をなくし、車イスの方の通行への配慮など、もともとあった「バリア」を取り除くことを意味する。これに対して「ユニバーサルデザイン」は、その対象をさらにひろげ、人種・性別・年齢、身体的特徴から知識などに関係なく、はじめから全ての人に無理なく安全で使いやすくデザインされたものを指す。
健康な時は、気付かなくても、足や指をちょっとケガしただけでも、日常の生活に不便さを感じることがある。女性なら妊婦になってはじめて足元の見えづらさ、階段の昇り降りの大変さに気づくかもしれない。人は成長しやがて年とる。その変化に柔軟に対応ができるユニバーサルデザインは、これから様々な面で必要となってくる。永住志向で建てられるマンションが増えてきた中、長期にわたって安心して暮らせるか、しっかりとチェックしておきたい。
ドアの取っ手位置を小さな子どもから高齢者まで、使いやすい適切な高さに設置した。ドアノブの形は「握り玉」ではなく握らずに済むレバーハンドルを採用したので、手の不自由な方にはもちろん、荷物で手がふさがっている時などにも便利である。玄関ドアには、カギの裏表を無くしたリバーシブルキーを設け、どちらからでも差し込めるよう工夫した。人感センサーを玄関に設置した。人を感知し自動的に点灯。真っ暗な中で、スイッチを探す煩わしさがなく便利である。
廊下は将来手すりを設置しても、その分狭くならないよう、はじめから90cm以上の幅を設けたい。壁はいつでも手すりを設置できるような構造にするのがよい。通常、玄関と廊下の段差は7-8cmほどであることが多いようだが、それを3-4cmに減らす方が安全である。又、框の色を変えることで、段差でのつまづき防止になる。住戸内は全ての部屋、廊下、さらには洗面・トイレの床段差をなくしたい。
家のコンセントの位置を、あまり腰を屈まずに済むよう、床面から30〜40センチ位の高さに設置した。スイッチの位置も子どもでも届くよう、100-105cm位の高すぎない所に設置した。見つけやすい様にサイズを大きくし、軽く押すだけで簡単なON/OFFができるようにした。
水道の蛇口はレバーハンドルにして、上げ下げだけで湯量、温度を調節できる。急激な温度差による体への負担を避ける為、浴室暖房機能を設置。また、浴槽は床から40cm位の高さにし、楽にまたげるのはもちろん、洗い場から浴槽に入っている人に無理なく手が届くため、介護の際にも役に立つ。洗面室では、間口をひろめに設け、車イスでも不自由なく動ける広さを確保。トイレや浴室には、はじめから手すりを設置している場合も多い。
エレベーターは車イスが楽に乗り入れでき、回転するスペースを確保したり、後ろ向きで降りる時、人にぶつからずに済むよう鏡を設置することもよい。マンションの共用廊下は滑りにくい床仕上げにし、車イスの移動や、歩行がしやすい120センチくらいの幅を確保する。階段は連続した手すり、滑りにくい床仕上げで安全を確保し、勾配は誰にでも楽に昇り降りできる45度以下にする。踊り場を多めに設けることで、万一、落ちてしまってもそこで止まる事ができたり、途中疲れた時など安全に休憩できるなどの工夫をする。エントランスは車イスの方でも安全に出入りできるよう、スロープを設けるなどの工夫をする。
ニッチ ニッチとは、競合他社が採算性或いは技術的な問題等で参入しない或いは出来ない市場、別の言い方をすれば、他者の支配が及んでいない、或いは影響が少ない市場を指す。故にすきま(ニッチ)と言う。オムロン、キーエンスなどは大企業ですがニッチ狙いと言えるだろう。ニッチであるうちはニッチであること自体がブランドになるが、メジャーに押し上げるためにはニッチであること自体が差別化要素となり得なくなる。
メジャーにのし上がるための戦略としては、第1にニッチを捨て、誰でも入れるありきたりなお店に徹する。第2に差別化戦略の核となるコンセプトを一般化する。この何れか分かれると思う。マクドナルドやドトールにもブランド力は勿論あるが、傾向としては前者の方向である。徹底した低価格で商圏を押さえるのが基本戦略だから、とにかくどんな人にも来てもらわないと商売が成り立たない。「平日半額」や「バリューセット」がそれである。モスバーガーが苦しんでいるのは中途半端さが一因だろう。
ユニクロはフリースでの躍進がすごかったと思う。おかげで誰でもどこでもフリースだらけ。フリースは軽くてあたたかくて好きだけど、あんまりみんなが着てるのはちょっと…。次の目玉商品に期待している。欲しいサイズが品切れなことが多いのが欠点。大きいサイズや小さいサイズがない、小さい子ども用サイズがない。ユニクロの駐車場は集客と比較して狭く、日曜になると渋滞が起きている。ユニクロの店舗周辺の店に車で行けないという不満もある。
カジュアル衣料はそれこそ専門店でもGMSでもどこでも売っている市場規模の大きなカテゴリー。ユニクロはそこへサイズ・色という品ぞろえの深さやブランドイメージを前面に出すというニッチ戦略で参入した。ユニクロはこれまで順調に店舗数を増やしてきたが、ブランドイメージは店舗数の増加によるファミリー層の取りこみやマスコミへの露出に伴い陳腐化しつつある。ユニクロは店舗数も拡大したが、必死でフリースに続くヒット商品を作ろうとしている。それは彼らが自分の優位性が商品開発力と生産システムにあることを知っているが故であって、店舗拡大だけでは既存店ベースで売上が落ちるだけである。
下水道 日本の下水道事業は赤字を生み出しつづけている。業者・政治家にとって、下水道事業は金のなる木と考えられていようである。効率の悪い流域下水道や特環下水道を作ってきた建設省、集落排水という名の超不効率下水を作ってきた農水省、それに群がる土木・建築・機械・設備屋・小役人。直営であれ、委託であれ、色々な利権がからんでドロドロしている。数年前の下水道事業費は数兆円で、なんと防衛費よりも多い。
しかも汚水処理を優先するのではなく、汚水を「遠くへ流してしまおう」と考えているのではないかと思われる。現に、事業費の大半が管渠(下水道のパイプ)に費やされていて、責任(汚水処理)の押し付け合いをしているようにしか見えない。最近では雨水が原因で、汚水と混ざって処理しきれずに海や川に流れ出てしまい、汚染が深刻化している。雨水と汚水を分流化するのにもコストがかかり、事態が深刻化する一方である。
同じ水道水でも、川の上流域と下流域の質は、明らかに違いがあると言われる。仮に同じ水道料金を払っているとしたらこれは難儀な話である。上流域に処理施設を作るか、下流域に作るかと言った論議は河川の水の使用目的や下水の処理量等で複雑になる。これも、ただ下水処理せずに遠くへ流してしまおうと言う事業の考え方が原因だろう。役立たずな役人に川の下流域の水道水を飲ませれば、事態の深刻さに驚くのではないだろうか。
京都の宇治下水処理場の放水口の下流300mに大阪の淀浄水場の取水口がある。大阪の人達は、琵琶湖から流れてくる途中で人間の体を最大で4回ほど通過した水を飲んでいるという。「大阪の人間は舞妓の尿を飲んでいる」は言い得て妙。ところが大阪はそんな水を飲んでも尚、滋賀にお金を払っている。滋賀はその資金で、琵琶湖に関する研究をしたり、水源確保の工事をしている。
ステンレスは錆びないと言われてるが、結構錆びる。鉄のように全面的に錆びるということは少ないが、ピンポイントで錆びて穴があくことがある。外側からの錆びを防ぐためには、直接、地中埋設しない方がいいと思う。内面からの錆を防ぐには継ぎ手部分に隙間が出来ないようにする。ステンレス管は材料・施工費がとても高い。本体は良いが、継手の構造に問題が多い。鉄管に比べればかなり低いものの、長い目で見ると漏水の危険性はある。鉄管は耐用年数が短いのが問題。サビが出たら嫌である。鉛製水道管は850万世帯も使っている。腐食が心配である。