今週も政治の世界は「菅直人首相がいつ辞めるのか」だけに明け暮れているような毎日だ。もちろん首相交代は一大事である。でも、多くの政治家や私たち政治報道に携わるものが、何でもかんでも政局に結びつけてしまう弊害はあまりに大きいと思う。
例えば菅首相が15日の集会で太陽光や風力など再生可能エネルギー普及を促進する法案の成立に意欲を示し、「『菅の顔だけはもう見たくない』という人が結構いる。本当に見たくないなら早くこの法案を通した方がいい」と語った一件。
身もふたもないと思う。首相自ら進退と関連づけて、時に笑顔を浮かべ、時に挑戦的に話すから、メディアは待ってましたとばかりに「またまた延命策」とかの報道になる。せめて「私の首がどうなろうと、この法案を通したい」と語ればよかったのに。
首相は脱原発が世論受けするとみて、この法案が否決されたら、かつての郵政解散の例にならって衆院解散・総選挙をもくろんでいるとの記事もあった。脱原発で突っ走ろうとしている首相に対し自民党だけでなく民主党からも警戒心が強まり、今の「菅包囲網」ができ上がったと見る向きもあった。
なるほど。それも政治の本質だろう。しかし、そんな報道ばかりが中心になって、肝心の法案の中身や是非については、つい、お留守になっていく。
今、国会で欠けているのはこれからのエネルギー政策をどうするかの議論だ。私たちは今も収束のめどが立たない東京電力福島第1原発の大事故と向き合っている。定期検査などで停止している既存原発の再開も簡単ではないだろう。少なくとも今後、原発を新設するのは現実的に困難だと思われる。
代替エネルギーを促進するにはコストがかかり電気料金は大幅値上げになるかもしれない。企業が海外に出て行き、雇用情勢は一段と厳しくなるかもしれない。誰もが納得する結論を見いだすのは確かに難しい。でも首相がいつ辞めようが、次に誰がなろうが、私たちがどうしても乗り越えなくてはいけないテーマなのだ。
そうした論議が大事なのは政治家も分かっているはずだが、世論の反応やら経済界の反応やら難しそうだから、わざと避けて「菅首相さえ辞めれば」の話に逃げ込んでいるようにさえみえる。政治家がそうなら、私たちメディアが「脱政局」報道に転じて状況を変えていくしかない。(論説副委員長)
毎日新聞 2011年6月22日 東京夕刊
6月29日 | 世の中変わるには十数年=与良正男 |
6月22日 | 再び「脱政局」のすすめ=与良正男 |
6月15日 | 「超党派」が意味すること=与良正男 |
6月8日 | 民主の未熟、自民の無責任=与良正男 |