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[18851] 空を翔る(オリ主転生)
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/11/20 20:24
初めまして、草食うなぎと申します。

皆様の優れた作品を読むうちに妄想が止まらなくなってしまいまして、自分でも書いてみる事にしました。
文章を書く事が初めてですので色々と至らない点は有ろうかと思いますが、よろしくお願いします。

この小説はゼロの使い魔の二次小説です。
オリ主転生もので内政ものを目指しています。
しかしまだ領地がありません
しばらくは子供生活が続きます。

こんな小説でも読んで下さったら嬉しいです。



最後に、この場を提供して下さっている舞様に感謝します。

※6/2ご指摘を受けて賞金額を一エキューから三十エキューに増額しました。

※誤字や小さな修正などは随時しています。大きな修正をした時はここで報告します。

※7/3現在更新を一時停止して主人公の年齢を改定し、二歳半開始→四歳半開始としようと思っています。
今まで読んで下さった方には本当に申し訳ないと思いますが、多くの方から二歳半という年齢に対する批判を頂き、またこのままだと原作期があまりにも遠すぎると言うことで決意しました。
現在プロットの方は訂正が終わり、本文を順次書き換えている所です。
サラの年齢はそのままなのでウォルフとは一歳差となりました。その他は特に変更はせずにそのままです。
こんなに書いてから変更するなんて、と躊躇していましたがより良い作品にしたいと思っての事です。何卒ご理解とご容赦をお願いしたく思います。

※7/6修正終わりました。
現在ウォルフ六歳・サラ七歳・クリフォード十一歳・マチルダ十三歳です。よろしくお願いします。

※9/11 1-3を改訂しました。不快に思われた方、申し訳ありませんでした。

※11/20 要望があったので簡単な人物紹介をここに載せます




人物紹介

年齢は原作開始時のものです


ド・モルガン家                           
ウォルフ・ライエ・ド・モルガン 16歳 火 現在6→8歳                   
 ガンダーラ商会筆頭株主・技術開発部主任 

ニコラス・クロード・ライエ・ド・モルガン 47歳 風             
 男爵 サウスゴータ竜騎士隊勤務 父

エルビラ・アルバレス・ド・モルガン 43歳 火                
 サウスゴータ太守の女官兼護衛としてパートタイム勤務 母 

クリフォード・マイケル・ライエ・ド・モルガン 21歳 風     
 兄

メイド
アンネ 33歳 水                         
 元デ・ラ・クルス伯爵家のメイド 乳母

サラ 17歳 水                         
 ウォルフの幼なじみで乳姉弟で従姉で自称専属メイド




ガンダーラ商会
タニア・エインズワース 31歳 風               
 会長 元ガリア貴族で元マチルダの護衛官 

マチルダ・オブ・サウスゴータ 23歳 土             
 アルビオン代表 サウスゴータ太守の娘 

ベルナルド 41歳                      
 会長秘書
カルロ 48歳                                
フリオ 37歳                                
 以上三人ロマリア出身の平民

ラウラ 22歳
 サラの従姉妹                                

リナ 21歳                           
 サラの従姉妹 工員候補

トムジムサム 22歳                       
 工員候補

スハイツ 37歳                        
 ガリア代表




アルビオンの人々
カール・ヨッセ・ド・ストラビンスキー 75歳 土           
 家庭教師

ジャコモ 65歳                      
 ジャコモ商会長



ガリアの人々
フアン・フランシスコ・デ・ラ・クルス 75歳 火             
  祖父 伯爵・元ガリア王国軍両用艦隊総司令

マリア・アントニア・デ・ラ・クルス 70歳 風
 祖母
 
レアンドロ・フェルナンデス・デ・ラ・クルス 50歳 風
 伯父 子爵・ガリア王国産業省副大臣

セシリータ・エンカルナ・デ・ラ・クルス 40歳 水
 伯母

ティティアナ・エレオノーラ・デ・ラ・クルス 15歳 水
 従姉妹

パトリシア・セレスティーナ・ソルデビジャ・ド・バラダ 31歳 水
 シャルロットの家庭教師     

ホセ 46歳
 サラの伯父



[18851] 0     プロローグ
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/06 19:24
 彼は考えていた。
ただずっと、ひたすらに。

 なぜこんな事になっているのか、自分は本当に存在しているのか、そもそも存在とは何か。
繰り返される過去の夢の間、未だ曖昧な意識で必死に世界を認識しようとしていた。

 永遠かと思われたその世界は、しかし突然に終わりを迎えた。

 身体をすり潰されそうなひどい苦しみの後、彼の前に現れた新しい世界はひたすらまぶしい光にあふれ、とても寒かった。

 あの不思議と心を落ち着けるリズミカルな音がもう聞けなくなっていることに気づき、あふれる光の中薄ぼんやりと自分以外の存在が動き回っていることを認識し、自分の身体が火をついたように泣き声をあげていることを自覚するに至って彼は自分が今置かれている状況を理解した。

 ああ、オレは今生まれたんだ、と。


 輪廻転生

 そのような考えが存在していることは理解していた。
それどころか彼は弘法大師空海のファンだったので、友人などには「死んだら兜率天に生まれ変わって大師様と一緒に弥勒の元で修行する!」などと宣言していたものだが、まず本気ではなかった。
しかし今現在こんな現実に直面してまったので、考えを改めざるを得なかった。
「輪廻転生、有ります」と。

 食事・睡眠・排泄を本能に任せ、赤ん坊の頃の有り余る時間の中、転生について考察することは楽しい事だった。

 人が死に、恐らくその体から魂とよばれるものが抜け出る。
存在を人の体に依存しないそれが、どこかで人の受精卵に宿り体と結びつく。
それとも魂がそこにあったから受精するのか。
最早朧気な記憶だが、もし、前世での知り合いに会ったらどんな態度を取ればいいのか。
その場合、輪廻転生を証明することが可能になるのではないか。
その為には前世での記憶を完璧に保っていたいのだが、薄れていってる気がする
世間の赤ん坊は実は皆こんな事を考えていて、成長するに従い真っ白な存在にリセットされるのではないか。
考えることはいくらでもあったが、そのうちに体が成長し、また新しい世界が開かれることになる。

 視力が物体を識別できるまでに成長し、まず驚いたことは両親が明らかに西洋人と思われる風貌をしていた事だ。
おフランスかよ?とも思ったが、何となく魂がそんなに長距離を移動することには懐疑的だったため、日本の中の外国人家庭に転生したのかと推測した。
しかしその後見る事ができた人間がすべて西洋人であり、しかも乳母やメイドさんなどもリアルに存在すること、さらに部屋の調度品などから距離どころか時間も超越し、日本ではなく欧州しかも中世に転生したのではないか、との結論に至ってしまった。
彼は中学校の時”私、マリー・アントワネットの生まれ変わりなの”と主張していた同級生の西原さんを馬鹿にしてしまったことを心の中で謝った。
彼女がマリー・アントワネットの生まれ変わりであるとは今でも信じられないが、今の彼にはそのことを100%否定することは出来なかった。

 ここが中世のヨーロッパであるとして、次の問題はどこの国であるかということなのだが、これが難しかった。
耳が音を聞き分けるようになっているのに、まったく言語を理解することができないのだ。
英語などのメジャーな言語ではないことは確かなので推測するのは諦めて一から言葉を覚えることにした。

 言語とはコミュニケーションだ!ということで、積極的にコミュニケーションの親密化を図る。といっても相手を見つめるぐらいしかできないのだが。

母を見る。黒に近い赤色、という不思議な髪色をしていて、しみ一つ無い肌はどこまでも白く顔立ちはとても整っていて、有り体に言えばすこぶる美人だ。スタイルはとてもいいようでそれは特に食事の時間に実感している。
暫く観察した後、母を見つめてニコッと笑ってみる。
すると元々笑顔だった母がさらに満面の笑みとなって何かを語りかけてくる。心が洗われるような笑顔だ。
コミュニケーションの第一段階がうまくいったのでうれしくなった彼はさらに微笑みながら「あーあー」と言語を発したいことをアピールする。
そんな彼に彼女は自分を指さしながら「ママよ、ママ」と教えてくれる。楽しそうだ。
その優しげな母の様子に心底幸せを感じながらその言葉の意味を理解した彼は、新しい人生で初めての言葉を口にしようとした。

「マ「ほらパパだよー。パパ!」」
「あなたっ何するのよ!。今初めてママって呼んでくれるところだったのにぃ!」
「いやほら、二人きりで世界を作っちゃってちょっと寂しいっていうか、パパって呼んで欲しいっていうか・・・。」

突然に横から母と自分の間に首を突っ込んできた父に幸せな時間をじゃまされた彼は、喧嘩を始めた二人を横目で見ながら『当分パパなんて呼ばないようにしよう』と心に決めていた。
改めて母親に「マーマ」と呼びかけ、「ほ、ほらパパって言ってみようよ!パパだよ、パパ、パパ。」と五月蠅い父親を無視して乳母を指さして名前を教えて欲しいことをアーピルする。
こちらも母に劣らぬ美人さんで、美しい金髪に愛嬌のある垂れ気味の目が印象的である。母よりもさらに若いようで十代にも見え、こちらのスタイルもバツグンなのは食事の時に確認している。

「あら、アンネの名前が知りたいのかしら。アンネよ、アンネ」
「アンニェ」
「そう、アンネよー。ウォルフは賢いわねー」「くっ乳母に先を越されるとは・・」
「マーマ、アンニェ」

母親と乳母を一人ずつ指さしながら確認し、部屋の中にある物を指さしては名前を教わった。
柔軟な赤ん坊の脳は次々にそれらの言葉を覚えて行くので、案外早く言葉を覚えられそうなことを喜んだ彼は、最後に自分を指さし「ウォルフ」と名乗ると満足した様子で眠りについた。

「この子は天才よ、きっと立派なメイジになるわ」
「どうしてパパって呼んでくれないんだろう・・・」







[18851] 1-1    初めての冒険
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/10 17:43
 誕生してから四年と少し経った。

 彼の名前はウォルフ・ライエ・ド・モルガン。漠然とではあるが日本人としての前世の記憶を持つ男である。

 父はニコラス・クロード・ライエ・ド・モルガン三十九歳、アルビオン王国の男爵でサウスゴータ竜騎士隊に所属し領地は持っていない。
母はエルビラ・アルバレス・ド・モルガン三十一歳。兄はクリフォード・マイケル・ライエ・ド・モルガン九歳である。
住居はシティオブサウスゴータのドルセット通り沿いにありメイドは三人、その内の一人が乳母でもあったアンネ二十一歳である。
ここは竜やグリフォンなどの幻獣やエルフや翼人などの亜人が実在し、メイジと呼ばれる魔法使いである貴族が支配するハルケギニアという世界である。
ハルケギニアにはロマリア・ガリア・トリステイン・ゲルマニア・アルビオンなどの国があり、それぞれ王や皇帝、教皇などが治めている。
アルビオンは浮遊大陸で、トリステインの西方の海上三千メイルに浮いている。
メイジが使うのは系統魔法という魔法で、火・風・土・水の四系統と伝説である始祖ブリミルの使用した虚無の系統をあわせて五系統有り、それぞれの特徴に沿った魔法を行使できる。
およそ文化的には中世のヨーロッパに酷似しているが、魔法の存在故に中途半端な便利さがあり、文明の発達はほぼ止まっているように見える。
貴族でない者は平民と呼ばれその地位は著しく低く、その安価な労働力が貴族の暮らしを支えている。

 これまでに分かったことをざっと纏めると以上のようになる。びっくりである。

「輪廻転生すげえ・・・時間や空間どころか世界を越えているよ」

ハルケギニアに関する知識を纏めた手製のノートを読み返していて、あらためてそのあまりの内容に呆れ、思わず呟くと横から声がかかった。ウォルフのすぐ隣で床に寝ころんでお絵かきをしているのはアンネの娘・メイド見習いのサラ五歳である。

「ウォルフ様どうしたの?」
「あ、いや魂と無常観について考えていただけだよ」
「無常?」
「全ての物は消滅してもとどまることなく常に変移しているっていう考えだよ」
「ふーん」

 ウォルフが言葉を覚えようと決意してから三年以上が経過したが、最近では完璧なハルケギニア語を喋れる様になっていて、その話す内容は大人顔負けのことが多い。
しかし、文法などが全く日本語と違うため最初は覚えるのに苦労をし、二歳を過ぎる頃までずっと片言で単語を並べる様な話し方をしていた。
そのため、早くに話し始めて天才かと喜んだ両親もその頃には普通の子供であると認識する様になっていたが、ウォルフが本を読み始めてまたその認識は一変した。
次々に難しい本を読み、この世界の知識を吸収していく様を見てやはり天才だと多くの本を買え与えた。
ウォルフはそれらの内容を分析し、内容ごとに分類、考察をして纏め、ハルケギニア学とでもいうような研究をずっとして日々を過ごしてきた。
下級貴族である彼の両親は多忙なのでウォルフはそれらの研究内容を一歳年上であるサラに話して聞かせることが多かった。
彼が語ることは五歳の女児でしかないサラにはほとんど理解できないことが多いが、ウォルフが日頃彼の父母や兄などには話さないことを自分だけに話してくれることはうれしいことだった。

「もう終わったの?遊ぶ?」
「うん、もういいや。今日はね、町に探検に行きたいんだ」

生まれてからほとんどを屋敷の中で過ごしてきたウォルフは外の世界を見てみたくてしょうがなかった。両親に連れられて街の中央広場までは行ったことはあるがその他はほとんど行ったことがなかった。

「えー、奥様に怒られちゃうよー。それより一緒に本を読もうよー」
「こっそり行ってこっそり帰ってくれば大丈夫だよ。本はまた今度読んであげるからさ、きっと町には楽しいことがたくさんあるとおもうんだ!」

渋るサラを何とか説得し、出かけることに同意させたので急いで支度をする。

「あれ、ウォルフ様マントはしないの?」

この世界の貴族はたとえ四歳でもマントを着用するように躾けられている。

「マントなんか着てたら貴族の子供ってばれちゃうじゃないか。サラもオレのことをウォルフって呼び捨てにしてね」
「平民のふりをするの?うん・・・分かったウォ、ウォルフ・・・」
「OKOK、平民の子供なら町にいても誰も気にしないからね。じゃあ行こう!」

 門の周りに誰もいないことを確認して素早く抜けると二人は手を取り合って駆けだした。

「うぉーっ自由への逃走だー!」
「きゃーっ私悪い子になっちゃったー!」

暫く走って角を曲がって止まり、息を整えた二人は五芒星型の大通りにある繁華街の方角に向かって歩き出した。
町並みはやはり中世のヨーロッパに酷似し、道行く人々はいかにもコーカソイドといった感じの白人だった。
サウスゴータは古くからの交通の要衝でアルビオン有数の都市であり、その活気ある町は初めて見る楽しさにあふれていた。

「うわーあの肉屋豚の頭をそのまま売っているよ。初めて見た」
「あのフネでっかいなあ、どこに行くんだろう」
「あ、竜騎士隊が帰ってきた。父さんいるかなあ」
「ほらサラ見て見て!変な使い魔連れている人がいるよ!」

「分かった、分かったからウォルフさ、ウォルフそんなに手を引っ張らないで。離れちゃうでしょう」

人々が行き交い様々な店がある市場を歩きながら、テンションがあがりっぱなしのウォルフに若干引きながら繋いだ手に力を込める。

「いい?絶対に手を離さないでね?はぐれちゃったらもう会えなそうだもの」
「何でそんなに冷静なんだよ、サラは。あっほらあの八百屋も変な野菜いろいろ売ってる。こんな葉っぱ食べたことないなぁ」
「あらウォルフ知らないの?あれはハシバミ草っていうの、とっても苦いのよ」
「う゛、だって食べたことないもん。」

いろいろ見て回りながらおしゃべりしていると通りの終いまで来てしまった。
それほど歩いたわけではないが四歳の体力では結構疲れたし、日も傾いてきたので帰ることにした。

「じゃあ帰りはこっちの道を通って帰ろう」
「え、違う道通ったら帰れなくなるんじゃない?」
「サウスゴータの地図ならもう頭の中に入っているから大丈夫だよ。平民街を通るけどそんなに遠回りにならないで帰れるよ」

 そんな軽い気持ちで足を踏み入れた、初めて見る平民街は、非道いところだった。
彼らが通って帰ろうとしたのは、地図を見ただけでは分からない、いわゆるスラムと呼ばれる場所だったのだ。
そこはこの世の絶望が全て詰まっているように感じられた。

虚ろな目で道ばたに座り込み、ただ死を待っているかのように見える老婆。
動かない両足を引きずり這いずっている男。
もう動かない赤ん坊に必死に乳房を含ませようとしている母親。
ひどい悪臭と方々から湧いてくる蠅などの虫。
その蠅のわくゴミの山をあさる子供たち。
そこに足を踏み入れた瞬間、ウォルフは身の危険を感じたので、足を竦ませているサラの手を引っ張って元来た道へ引き返した。
帰り道は行きと同じ道を通ったにもかかわらず、もう、楽しむことは出来なかった。

「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・何であんなところがあるの?」グズグズと鼻を鳴らしながらサラが尋ねる。
「・・・ブリミルの呪い、かなぁ」
「何でブリミル様のせいなのよ!ブリミル様の魔法のおかげでみんな安心して暮らせるようになったんでしょう!」
「貴族という特権階級のみが力を持つことによってね。だけど、ブリミルが来る前から人間はここハルケギニアで暮らしていたんだ。そりゃ最初は楽になっただろうけど代わりにもたらされたのは六千年の停滞だ。六千年も文明が進化しないなんて悪夢だよ。みんなが幸せな社会ならそれでもいいけれど、こんな現実は呪いだと言わざるを得ないよ。水は流れていないと腐るんだ」
「じゃあ・・何で貴族様はあの人たちを救ってくれないの?」
「腐っている、か・・・まあ普通、貴族は平民の街なんか行かないからね。多くの人は知らないんだと思うよ」
「ウォルフ様の言うことはむつかしくてよくわかんないよ・・・」
「本当は貴族こそが見つめなくちゃいけない現実、目を逸らしてはいけない事実なんだけどね。今の貴族は貴族の責務を果たそうとしているとは思えないから」
「・・・・・・」
「サラ、オレは約束するよ。いつか、この現実に抗ってみせる。そして事実からは決して目を逸らさない人間になるってことを」
「・・・うん・・」

四歳児が口にしてもあまり様にはならない台詞ではあるが、サラはウォルフを見つめ返しその手を強く握った。








[18851] 1-2    初めてのお願い
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/06 19:27
 屋敷の前まで帰ると、門が大きく開け放たれ中で人が走り回っている気配が伝わってきた。

「うわーこれ絶対ばれてるよね?」
「怒られちゃうかなあ」

最早小細工は不可能と覚悟して門から堂々と帰宅すると、そこには鬼がいた。

「ウォルフッ・・どこに行ってたのかしらぁ?」

腕組みをして仁王立ちに立ちふさがり、その手に杖を握りしめ、なぜかチリチリと足元に炎をまとわりつかせたエルビラだった。
思わず漏らしてしまいそうな顔をして硬直してしまったサラをかばい、その前に立ったウォルフは強ばったながらも笑顔を浮かべることに成功した。

「お母様、ウォルフただ今帰宅いたしました。本日は見聞を広めるため港の方に散歩に出かけておりました」

ゴウッと音を立ててエルビラの足元の炎が渦を巻く。

「ウォルフ・・貴方は賢い子供だから分かるわよね?貴方達のような小さな子供だけで街を出歩くのがどんなに危険なことか。貴方達がいないことに気づいた私達がどんなに心配したか。お母さん出入りの商人のミゲルをついうっかり焼き殺しちゃうところだったわ」
「お母様ごめんなさい。お母様が帰ってくる前には戻ってこようとは思っていたのです。帰り道に遠回りしたために遅くなってしまいました」

涙を浮かべた眼で睨まれ、ウォルフは素直に謝った。いったいミゲルはどんな目にあったんだろう。
エルビラは杖を落とし渦巻いていた炎を霧散させると跪いてウォルフを両手にかき抱いた。

「ああっウォルフっ・・貴方が帰ってきてくれたことが何よりです。もうこんな勝手に抜け出したりしてはなりませんよ?お父様に言えばいつでも連れていって下さるのですから」
「ええ、はい、いえあの・・父様には先月から何度か頼んではいるのですが、疲れているとのことでいつも連れていってもらえないのです。屋敷にある本は全部読んでしまったし、魔法はまだ許可が出ないし、外の世界を見てみたいと思ってしまったのです」
「そう・・ニコラがそんなことを・・あの人は今日は宿直だったわね・・・。ちょっとお母さんは隊舎に行ってお父様とお・は・な・し・してきますので貴方達はアンネと先に食事をとっておきなさい」
「「は、はいっ」」
「サラ、ウォルフの相手をするのは大変でしょうけど一緒にいてあげてね?お願いよ」

エルビラはまだ固まっているサラの頭をふわりと撫でてそう言うと杖を拾って出かけていった。
サラはなぜそんなことを言うんだろうと不思議に思ったが、まだ緊張していたため頷くことしかできなかった。


――― 翌日 ―――


「エルに聞いたんだが、お前昨日屋敷を抜け出して町をふらついてきたそうだな?」

 朝食を摂りながら髪の毛を所々焦がしたニコラスが切り出してきた。
昨晩はエルビラに叱られた後、夕食時にアンネがクドクドとずっと叱っていたので大分うんざりしていたウォルフは、ニコラスには色々と言いたいことがあったが取り敢えず「はい」と返事を返すだけに留めておいた。
横では日頃四歳児の弟に勉強で後れを取るという屈辱を味わっている兄のクリフォードが、ざまあみろ、とばかりにニヤニヤしている。

「なぜそんな事をした。そんなことをすれば叱られることぐらいお前なら分かっていただろうに」
「たとえ叱られようと・・・行きたかった、それだけです」
「ウォルフ、家長として命ずる。今後このような勝手なまねはしないように」
「・・・・・・(プイッ)」
「え、ちょっとお前、ここはわかりました、だろ!お前が抜け出す度にエルに燃やされるのは父さんいやだぞ」
「・・・・・・」

あからさまに反抗する息子に狼狽えたニコラスだったが、すぐに落ち着くと話を続けた。

「ん、お前が町に行きたいと言っていたのにそれに応えてあげられなかったことは、悪かったと思っている。しかし父さんも色々忙しいんだ。お前やクリフの我が儘に全て応えてやることはできん」
「別に全ての要求をかなえて欲しいなどとは思っていません。父様が飲みに行ったり博打に行ったり、アンネを口説いたりする時間の極一部を割いて欲しいと思っただけです。あ、でもアンネが困っていますので口説くのはやめて欲しいとも思っています」
「ちょーーーっお前何ぶっちゃけてるんだぁぁ!・・エ、エル、ウォルフは何か誤解しているんだよ、誤解」

エルビラの周りの温度が急激に上がるのを感じながらニコラスは今日も丸焼けかなあ二日連続は辛いなぁなどと考えていた。

「あなた?」
「はいっ」
「後でお・は・な・し・しましょうね?アンネが前に仕えていた所でとても辛い目にあって当家に来ることになった、というのは当然知っていましたよね?同じ様な事をしてどうするのですか!」 
「いやそんな無理矢理にだなんてしようとはしていない・・ええ、はい、後でおはなしですね?はい分かりました。・・はぁ・・・ウォルフ」
「はい」
「結局お前は何がして欲しいんだ?この際だ、全部言ってしまえ」
「はい、まずは魔法を習いたいです。後は蔵書をもっと増やして欲しいです。今あるのは全て読んでしまったので。それで時々は外の世界に連れ出して欲しいです。あとアンネ「アンネのことはもういい」・・」

また余計なことを口走ろうとする息子を制すると、心底疲れ果てた様子で深々と椅子にもたれ、天井を仰いだ。

「お前まだ四歳のくせに魔法なんて生意気すぎるぞ。俺だってまだそんなにできないのに!」
「あークリフ、今は口を出すんじゃない。外に連れ出すのはいいだろう・・父さんも今後は時間ができるだろうしな、後でエルとおはなしするし・・・グスッ。そうだ夏には家族で旅行に行こう、ラグドリアン湖なんかいいかもしれんな父さんの故郷が近くにあるんだ。一度みんなを連れて行きたいと思っていたんだ。・・・蔵書については、今すぐふやすのは難しい。ニコラスプールの実践魔法理論とかもあったと思うんだが、あれも読んでしまったとなると・・あのレベルの本はとても高価になるから家の財政では早々購入できん。エルを通して太守様の蔵書をお借りできるように頼んでみるから、後でどんな本が読みたいのかエルに相談しなさい。後は、魔法か・・・。普通は五歳から十歳くらいで習い始めるものだがお前はまだ四歳。うーん」
「お父様、私は自分が"普通の"四歳児とは異なる事は自覚しています。"普通の"五歳児であるサラとも対等の関係を築けていますし、試してみる分には問題ないのではないでしょうか?・・父様は昼間は仕事のことが多いですし、母様もお城に出仕して家を空けることが多いです。兄様は魔法の練習がありますが、私がその時間していることはサラの相手だけです。私はもっと知識を得たいのです。お願いします、私に魔法を教えて下さい」

そう言うとウォルフは子供用の椅子から降り、深々と頭を下げた。
我が子にそんなに真摯にお願いをされてしまっては、ニコラスとしては受け入れるしかなかった。

「うむ、分かった。しかたない、魔法を習うことを許可しよう。カールには私から伝えておく」
「うおっヤッター!父さんありがとー」
「まったく、許可を出した瞬間父様が父さんになったよ。・・いいな、これからはちゃんと言うこと聞くんだぞ。魔法の練習は危険がつきものなんだ」
「うん、僕がんばるよ!!父さんもおはなしがんばってね!」

それはもういいって言ってんだろがー、と叫びたくなるが、ニコニコとご機嫌な様子を見るとそんな気にもなれなかった。

「とほほ・・・」







[18851] 1-3    初めての魔法
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/09/11 10:04
 魔法である。ファンタジーである。

サラとともに杖を渡されて一週間、そろそろ契約が完了するのではないか、ということで二人は家庭教師であるカールの家を訪ねていた。
カールはここらの貴族の子供達に魔法を教えている老齢の男で、元は王宮にも仕えていたという優秀な男だった。
貴族の家に出向くこともあるが、下級貴族の子供らは複数で一緒に授業を受けるためカールの家に出向くことが多かった。

「ふむ、二人とも杖の契約は完了したようじゃ。よく魔力が通っておる」
「二人とも、先週渡した基本の魔法書は読んできたかな?」
「「はいっ!」」
「よい返事じゃ、ではこれより授業を始める。今日はまず魔力のコントロールにおいて基礎の基礎の基礎、『レビテーション』を教えようと思う」
「「よろしくお願いしますっ!」」
「うむ。まず、魔法とはこれ即ち己の想念を顕現させる力のことじゃ。つまり自分の頭の中で考えたイメージを杖を通して現実の世界に作用させる、という事じゃ。魔法を使用する上で大事なことは、まずそのイメージを実現可能な形でしっかり作る、ということ。次いでルーンを唱え、魔力を身体から杖、そして対象へとしっかり流すということ。最後に対象に作用させる、という意志をしっかり持つこと。解るかな?」
「「はいっ!」」
「まあ、なんとなくでも出来てしまったりもするので、このことをきちんと意識してなかったりするメイジも多いんじゃが、より優れたメイジになろうと思うのならば基礎はしっかりしてないといかんからの、イメージし、魔力を流し、実現する、という手順はきちんと意識して魔法を使いなさい」
「「はいっ!」」
「ではまず『レビテーション』をワシがやって見せよう。『レビテーションは』物を宙に浮かせる魔法じゃ、自分にかけると自分自身も浮かせることが出来るようになる。まず、この石を浮かせてみよう。これがここら辺に浮いている様を頭の中でイメージするんじゃ。そして唱える。《レビテーション》!」

その言葉通り、直径二十サントほどの石が浮き上がりウォルフ達の目の前一メイルあたりで静止した。
ウォルフにとって初めて見る魔法ではなかったが、これからこんなデタラメな力を自分も使えるようになるのかと思うと興奮を抑えきれそうになかった。

「せ、先生、僕もやってみてもいいですか?」
「うむ、ではワシが『ディテクトマジック』で観ているからそこの石にかけてみなさい」
「はい、いきます!・・・《レビテーション》!・・・・む?」

石はぴくりとも動かなかった。

「ぬう、なぜだ?・・・《レビテーション》!」
「《レビテーション》!」
「《レビテーション》!」
「ああ、こりゃこりゃ・・連発すれば成功するという物でもないわ。魔力は通っているし、意志も過剰なほどある。問題なのはイメージじゃな。ちょっとイメージだけ練習していなさい。次はサラ、やってみなさい」
「はい、いきます!・・・《レビテーション》!」

石はふわりと浮きかけ、すぐに落ちてしまった。

「ふむ、スジがいいのぉ。イメージもまずまずじゃし魔力もきれいに流れておる。後は意志じゃな、ちょっと浮き上がったらびっくりして集中を途切らせてしまったの。なに、すぐに出来るようになるじゃろう、続けてやってみなさい」
「はい!」

褒められて頬をうっすらと紅潮させているサラを横目で見つつウォルフは悩んでいた。

(イメージができねぇーっ!!石が浮くってやっぱり有り得ないだろう、どう考えても。物理法則無視してんじゃねえよ!あー、この固定観念をどうにかしなきゃオレ一生魔法を使えるようにならないかも・・・)

どうしても何の脈絡もなく石が宙に浮く、ということがイメージできないのだ。
イメージした瞬間に"有り得ない"と前世の記憶が邪魔をするのである。
前世でも、とあるカルトにはまってしまった知り合いに「騙された思って信じてみて?そしてこのお経を一緒に唱えるの!それだけでいいの!そうすれば絶対に幸せになれるから!!」と、勧誘された事があったが、そんなこと言われたっていきなり信じられないし"騙された"とさえ思えなかったものである。
どう考えてもその胡散臭い理論には騙されたと思うフリすら出来ず、その子と一緒にその胡散臭いお経を唱えてみてもどうにもならなかったのである。
その子が超可愛くて巨乳な女の子だったにもかかわらず、だ。
その子と肩寄せ合ってお経を唱えたときは確かに幸せを感じることが出来た。それは確かだ。
だがそれもその子が壺のカタログを出してきた瞬間に消えた。
黒目がちで綺麗な瞳と思っていたものが、瞳孔が開いていて焦点が定まらない目であることに気づいた瞬間でもある。
つまりウォルフにとって"有り得ない"という観念は強固で生半な事では消し去ることが出来ないものなのだ。
そうこうしているうちに隣ではとうとうサラが『レビテーション』を成功させていた。

「ホラ、ウォルフ様見て見てー!サラ、『レビテーション』出来たよ!」
「お、おぅ、やるなぁ・・・・」

サラが石を浮かしているのを見て、羨望と嫉妬がわきあがってきたことに驚いて目を瞑る。

(はあ、ざまぁねえな・・・何五歳児に嫉妬してるんだよ。落ち着いてイメージし直そう。脈絡がないからイメージが出来ない、つまり、石が浮く理由があればいいんだ。)
(石が地面に落ちているのはなぜだ?重力があるからだ。重力とは何だ?石と地球との間に働く万有引力だ。じゃあ、万有引力とは何だ?質量を持つ全ての物体の間に働く力だ。そう、世界を構成する四つの基本的な相互作用のうちの一つだ。つまりこれに干渉することが出来る力が魔力ならば石は浮くはずだ!)

目を開き眼前の石を睨み付ける。
それだけで石と地球との間の引力を感じ取れる気がしてきた。
そのままその石から出ている引力を遮断するようにイメージを形作る。

「お、お、お、なんかイメージ出来た!いくゼッ・・《レビテーション》!」

フッと軽い音を立てて石は上空遙か高くに飛んでいってしまった。

「あー、そりゃそうかー。重力がなくなりゃ気圧で飛んでっちゃうよな」

小さく呟き、あわてて魔法を解除すると、少しして石が落っこちてきて大きな音を立てて庭にめり込んだ。
その間カールとサラはポカンと口を開けて石の軌跡を見つめているだけだった。
基本的に魔法は呪文と効果が一致しないと発動しない。
ウォルフはレビテーションと唱え石を彼方へととばした。それは魔法としてかなり異質であるといえた。

「ちょ、ちょっと待てウォルフよ、一体どんなイメージを持てば『レビテーション』があんな魔法になるのじゃ!」
「ウォルフ様すごーい」

(うぉぉぉすげぇぇえ浮いたよ、石。重力制御だよ、すげえな魔法。つまり魔法とはグラビトンにすら直接作用する事の出来る力、五つ目の相互作用って事だ。魔力を媒介している、おそらく何らかの素粒子が存在すると想定できるな。ダークマター・ダークエネルギーの一部って事か?よくわからねぇけど元の世界ならノーベル賞物の発見だな!)

初めて魔法を成功させたウォルフは呆然としてしまい、周りの騒ぎも暫し耳に入らなかった。

「こりゃ、聞いておるのかウォルフ。一体何をやったんじゃ、もう一度やってみせい」
「え、あ、すみません。石が浮いている状態をイメージ出来なかったので、石が浮き上がるところをイメージしたらああなりました」
「それに何か違いがあるのか?ふむ、まあいい、もう一度じゃ」
「はい、またちょっとイメージを変えてみます・・・・《レビテーション》!」

今度はまず石から出ているグラビトンを遮断する力をイメージし、魔法を発動させてからそれを絞り込む、という手順を執ってみた。
すると、ある時点を超えたあたりで石は浮き上がり、目の前をふよふよと漂った。

「うーむ、妙に安定しないのう・・・やたらと細かく魔力を制御しておるな。じゃがまあいいじゃろう、ウォルフも『レビテーション』成功じゃ!」
「ふー」

魔法を解除して石を落とすとウォルフは大きく息をついた。額にはうっすらと汗が浮いている。

「ウォルフ様おめでとう!これでいっしょだね!」
「おう、サラに負けてらんないからな、ちょっとがんばっちゃったよ」
「サラのがお姉さんなんだから少しぐらいいいのに・・・」
「だが断る!男の子には男の子の意地ってもンがあるのですよ」
「何で敬語?ふーんだ、次の魔法もサラが先に成功させちゃうもんねー」
「いや、もう掴みはOKだ。次はこんなに苦労しないゼ」

弟子達が喜んでいる様子を目を細めて見ていたカールだったが、ウォルフが汗を浮かべ息を荒くしていることに気付いた。

「おぬしは結構疲れておるのう、まだ四歳じゃしな、やはりあんなに高く石を飛ばすことは負担だったか」
「いえ、飛ばすのは殆ど何の負担も感じなかったのですが、細かく魔力をコントロールして石が浮いている状態にするのがとても大変でした」
「『レビテーション』は普通そんなに細かい制御は必要としないんじゃが・・・まあそれなら魔力の制御になれればそう負担に感じることもなくなろう」
「うーん・・・あっでも今ならもう普通に石が浮いているイメージを作れるかもしれない!やってみてもいいですか?」

"魔力素"の存在を実感として感じる事が出来るようになった、ということはウォルフの世界観が変わったということであり、もう石が宙に浮くことは有り得ないことではないのだ。

「いいじゃろう、やってみなさい」

目を瞑って再び集中する。

(俺のレビテーションが普通と挙動が違うのはなぜだ?普通は重力制御で浮いているわけではないって事だ。魔力素が影響を与えるのはグラビトンだけではないという証左であろう。いわゆる念力のように魔力によって直接持ち上げているのか?よし、重力制御するの魔法を『グラビトン・コントロール』って名付けよう、そして『レビテーション』は魔力によって直接物体を持ち上げる魔法って認識するんだ。)
(そうだ、魔力ならそんなことだって可能なはずだ。この世界の多様な魔法がそれを証明してくれている、ここは魔法がある世界なんだ。よし、魔力によって浮いている石をイメージして・・・)

「いきます・・・《レビテーション》!」
「ふむ」

今度は普通に浮いた。安定もしているし、どう見ても普通のレビテーションである。

「やっと普通に出来たのぉ・・一体何が違ってたんじゃ」
「石が浮くなんて有り得ない、という観念を取り除くことに苦労しました。僕が納得出来る形で浮かそうとしたのが最初の魔法でしたが、それに成功することによってやっと何とかなりました」
「ぬぅ、四歳児のくせに頭が固いのぉ。普通その年頃の子供は大人が言うことをそのまま信じるもんじゃ。なんか気付いたことはあるか?」
「浮き上がらせているのを維持するのは大分楽ですね。ただ、浮き上がらせること自体は最初にやったものの方が魔力を必要としないようです」
「それは、お前の中では別の魔法として認識している、ということか?」
「はい、最初にやったのは『グラビトン・コントロール』と名付けました。下に落ちる力を制御する、という意味です」
「下に落ちる力がなくなれば浮き上がる、ということか。初めて使う魔法がオリジナルの魔法とは・・・いやはや」
「魔法はイメージが大事、だということがよく分かりました。理屈は後からついてくるってところでしょうか。『グラビトン・コントロール』が成功したのはその原理が元々『レビテーション』に含まれていたからではないか、と思えます」
「まあ、魔法が使える、といってもその原理を説明出来るやつなどおらん。魔法で浮いた、でおしまいじゃ。おぬしはかなり理屈っぽいようじゃな。理屈が解らないと使えない、というのではこの先難儀することも多くなるかもしれん。もっと頭を柔軟にして感覚で理解する、ということも重要じゃ。覚えておきなさい」
「はい、今日は身にしみました」
「うむ、迎えが来たようじゃ。今日の授業はこれまでとする」
「「ありがとうございました!!」」

 今日初めて魔法を使い、テンションが高くなっていた二人は迎えに来たアンネに纏わりつき、今日習ったことを自慢した。
アンネは自分も簡単な魔法を使えるし、サラの父親もメイジなので、サラもいずれ魔法を使えるようになるとは思っていたものの、実際に使えるようになったと知り嬉しそうだった。
三人で手を繋いで帰る道中笑いが絶えることはなかった。






[18851] 1-4    初めての原作キャラ
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/06 19:30
 魔法を習い始めて一月が経った。

これまでに習った魔法は

・レビテーション
・念力
・ロック
・アンロック
・ライト
・ディテクトマジック

の六つである。それぞれに対してのウォルフによる感想と見解は、というと―

『レビテーション』―重い物でも浮かせて運べるので便利な魔法。最近お手伝いでよく使う。水汲みなんか喜んでやっちゃう。

『念力』―『レビテーション』から重力制御を抜いた感じ。その分精密な操作ができる。サラより先に出来たので思いっきり自慢していたら怒られた。

『ロック』&『アンロック』―かなり苦労した。サラはなぜかすぐに出来たので自慢し返された。けど結局授業時間中に成功しなかったら帰り道で慰めてくれた。サラはええ子や。家で鍵の構造を完璧に覚えてやったら成功したが、他の鍵には通用せず、ただの『念力』だったことが判明。へこむ。悩んだ末、鍵そのものに鍵がかかっている状態と空いている状態の想念が残っていて、その物の記憶といえるものを魔法で読み取って操作する。という仮定により成功させることが出来た。メイジならば誰でも開けられるというのではこの世界の鍵にあまり意味はないと思う。

『ライト』―最初は何を光源にしているんだろうと悩んだが、カールの『ライト』を観察して、魔力素をそのまま光子に変換しているんだ、と気付いたらすぐに成功した。イメージによって波長を変えられることも判明、光の色を変えて遊んでいたらカールにかなり驚かれた。サラはずっと出来ないでいたので「魔力をそのまま光らせる感じでイメージするといいよ」とアドバイスしたら成功していた。「ぁりがとぅ」って言われた。

『ディテクトマジック』―魔力を探知出来るし構造や材質なども解る便利な魔法。『ロック』の経験からかすぐに使うことが出来た。っていうか『ロック』の前に教えるべきだと思う。

 この一ヶ月の生活はほぼ規則正しく、午前中はサラに読み書きや計算を教えながら自分の勉強、午後はサラと一緒に魔法の練習、というものだった。
魔法は一度成功したらいつでも使える、という物でもなく、イメージ次第でどうとでもなってしまう物なので反復練習をしてイメージを固めることが必要なのだ。
その練習は最初はニコラスかエルビラがいる時しか許されなかったが、習熟度を見て子供だけでの練習も許可された。
ウォルフは一度覚えてしまえばすぐに魔法が安定したし、サラは少し不安定だが総じて二人とも非常に上達が早く、周りの人を驚かせた。


――― カール邸中庭 ―――

「さて、今日教える魔法は『ブレイド』と『マジックアロー』じゃ。これらの魔法は攻撃魔法ではあるが使い方によってはとても便利なので覚えておくべきじゃ。」
「まず『ブレイド』じゃが・・《ブレイド》!と、このように魔力によって刃を作りそれによって物を斬る、という魔法じゃ」

茶色く光る刃を出現させ、丸太を切ってみせる。

「どんな物が切れるかは術者の能力によるが、普通の刃物よりはよっぽどよく切れる。ブリミル様はダイヤモンドさえ切って見せたという程じゃ」
「続けて『マジックアロー』も見せておこう。同じように魔力の矢を作り出し、遠方に射かける、という物じゃ・・・《マジックアロー》」

今度は光の矢が飛び、遠くに置かれた丸太に穴が空く。

「これらは魔力光を放つが、その色によって術者の系統を特定することが出来る。ワシの系統は土じゃから魔力光は茶色じゃ。・・・他にはどんな系統があったかな・・ウォルフ」
「はい、火・風・水・土の四系統と虚無の系統です」
「うむ、お前達の系統は何かの、楽しみじゃ。・・では『ブレイド』からやってみなさい・ウォルフ」

一歩前に出て目を瞑り集中を高める。
イメージするのは魔力素を平面に並べること。魔力素を隙間なく並べることをイメージし、形は青竜刀を思い浮かべる。

「いきます・・・《ブレイド》!」

真っ赤に輝く刀が現れた。全く厚みを感じない刃と反った刀身、成功である。
そのまま試し切り用の藁束、丸太、鉄柱を切ってみる。全て何の抵抗も感じさせずに切れてしまった。思わず身震いするほど恐ろしい切れ味である。

「ふぅむ、大分魔法のコツを掴んだのぅ。20サントもある鉄柱を切ってしまうとは・・・お前の属性は火じゃな、では続けて『マジックアロー』を射なさい」
「はい・・・《マジックアロー》!」

今度は底面が三サントほどの円錐型に魔力素を並べるイメージで矢を作り的に向かって打ち出した。
光の矢は的に当たると刺さりはしたが貫通せずに消えてしまった。

「こちらの威力はまだまだじゃな、矢のイメージに改良の余地があるようじゃ、横で練習していなさい・・・ではサラ、お前の番じゃ」
「はい、・・・《ブレイド》!」

サラは水色の『ブレイド』を発生させ、藁束、丸太を切ることが出来たが鉄柱は切れなかった。

「よろしい、なかなかの威力じゃ。お前の属性は水じゃ、では次『マジックアロー』じゃ」
「はい・・・《マジックアロー》!」

マジックアローも丸太を貫通したが、鉄柱には刺さっただけで貫通はしなかった。

「こちらも威力は十分じゃな。二人とも、これらの魔法はとっさの時に身を守ってくれる心強い武器でもある。口語なので発動も早いし、威力も今見た通りじゃ。では、発動の早さ、確実性、威力を意識して練習しなさい」
「「はい!」」

二人に自由に練習をさせ、カールは中庭が見えるテラスに移動し、休憩を取っているとメイドが声をかけてきた。

「旦那様、お客様です。マチルダ・オブ・サウスゴータ様がいらっしゃいました」
「あの子の授業は一昨日したばっかじゃが、なんかあったかの、ここへ通しなさい」
「かしこまりました」

 現れたのは緑色の髪をした細身の少女で、手に大きな荷物を抱えていた。

「先生!こんにちは。ご機嫌よろしゅう。今日は母様がクックベリーパイを焼いたので、持って行けと言うのでまいりました」
「おう、マチルダ様こんにちは、じゃな。焼きたてのクックベリーパイのお裾分けか、それはうれしい、一緒にお茶にしよう。おーい、ヘレンお茶の用意をしてくれ四人前じゃ!先週届いたのがあったろう、あれを出してくれ」
「はい、ご一緒します。あら?先生、あんな小さな子達にも教えてらっしゃるんですか?まだ四歳位じゃないですか」
「ああ、あの子は四歳と・・・五ヶ月くらいじゃったかな、ワシの教え子の最年少記録じゃ」
「そんな・・最近は早期教育とかいって小さい子供に無理矢理魔法を習わせるっていうのが流行っている、とは聞きましたが。・・・まさか先生がそんな事するなんて」
「ああ、無理に幼いうちから魔法を習っても何のメリットもないとはワシも思っているよ。・・じゃが、あれは違うんじゃ」
「違うって何が違うんですか。あんなに小さくて可愛らしい子が怪我でもしちゃったら。先生だって小さい子供はイメージもうまく作れないし、集中力もないって仰っていたじゃないですか」
「だから、あれは違うんじゃって。はあ、実際に見んと分からんか。マチルダ様、ゴーレム生成の復習はしてきましたかな?」
「は?はい。やっております、青銅製のゴーレムを生成した後、強化も掛けることが出来るようになりましたので飛躍的に強度が上がりました。昨日は騎士見習いのジムにブレイドで斬りかかってもらったのですが、傷一つ付けられることはありませんでした」
「ふむ、では中庭に出てゴーレムを作りなさい。あの子に『ブレイド』で斬らせてみよう」
「はあ?私のゴーレムは青銅製で強化も掛かっているんですよ?あんな子供にどうこう出来るものではありません!」

カールの提案に憤然と反抗するマチルダ。十一歳ながらかなりプライドが高いのだ。

「いいから、言われた通りにしなさい。そら、こっちが階段じゃ。おーいウォルフ、今からこのお姉ちゃんがゴーレムを出すから、『ブレイド』で斬りなさい」
「はーい!おねえさん、こんにちは!ウォルフです。よろしくお願いします」
「あ、わたしはサラです。こんにちは、初めまして」

マチルダはカールに半ば無理矢理に連れ出されてしまい、多少ふてくされながら改めて二人に目を向けた。

 よく似た姉弟、それが第一印象である。
目の前に並んで立つ二人は、よく似たダークブラウンの髪でウォルフは耳が出る程度、サラは肩まで伸ばしている。
その顔つきはよく似て可愛らしく、二人で色の違う大きめの瞳が印象的である。
何を期待しているのか、ウォルフはエメラルドのような深緑の瞳を、サラはサファイヤのような水色の瞳をキラキラとさせながらこちらを見つめてくる。

そういえばこんな弟妹が欲しいって思っていたなあ、などと思いだし、ため息をつきながら二人に向き合った。

「マチルダ・オブ・サウスゴータだよ。今日はカール先生に言われたから、しかたなく、お前達の相手をしてあげるよ」
「あぁ、お転婆姫・・・・・イテテッ」

確かにそれは、元気の良すぎるサウスゴータ太守の娘に対して市井の者がつけたあだな、ではあった。しかし本人を前にして口にすることではないのでサラはあわててウォルフを抓りあげた。

「ふぅん・・・私はそんな風に呼ばれてるのかい?みんな何か誤解してるようだねぇ・・・・・《クリエイト・ゴーレム》!!」

マチルダが口の端を無理に吊り上げた"イイ笑顔"でルーンを口にすると、地面から赤銅色に輝くゴーレムが姿を現した。
身長二メイル程、騎士の鎧を形取ったそれは、左手に盾右手に大剣を持ち周囲を威圧するように睥睨した。

「ハッハァーっ!今日のはいい出来だよ!錬成もしっかり出来てるし強化もばっちりかかってる。こいつに傷を付けるなんてトライアングルクラス以上じゃないと不可能なはずさ!」
「確かにいい出来じゃ。今までで一番じゃな。ふむ、サラにもやらせてみるか・・・サラ、『ブレイド』を出してそいつを斬ってみなさい」
「ほぇ?・・・は、はい、わかりました。・・《ブレイド》!」

サラは「うぉー、かっけー」などと興奮しているウォルフの隣でポカンと口を開けてゴーレムを見上げていたので、少々あわててブレイドを作り出した。
そしてカールに目をやり頷くとゴーレムに斬りかかった。

「やあっ!!」

「ふん、まあこんなもんだろうね」

ゴーレムはほとんど動かずに盾でサラの攻撃を受けた。
マチルダの言葉通り盾にはかすり傷すらついていなかった。

「やあっ!!やあっ!!」

続けてサラが何度も斬りかかるが、結果は同じだった。
マチルダは、サラがバランスを崩して転んだりすることがないように気を遣って受けてあげるほど余裕だった。

「よし、それまで。・・・・次はウォルフ、やりなさい」
「はい!」

肩で息をして悔しそうにしているサラと交代すると、目を瞑り集中しブレイドを出した。一メイル半ほどの大剣である。

(薄い・・・何であんなに薄いの?)

その剣の薄さに驚いた。
あんなのではまともに切れないのではないか、とも思ったが、薄くとも濃密な魔力を感じ取ったマチルダは念のためゴーレムに構えを取らせた。
そんなゴーレムにウォルフは正対すると自分も構えを取り、斬りかかった。

「ウォルフ、いきまーす!」

一瞬で終わってしまった。
ウォルフは「燕返し!」などと呟きながら飛びかかって逆袈裟と袈裟に斬りつけただけなのだが、それだけでマチルダのゴーレムはバラバラになってしまったのだ。

「・・・あれ?」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」

マチルダは無残な事になってしまった自分のゴーレムを見つめ黙り込んでしまった。目には涙さえ浮かべている。
サラは心なし嬉しそうではあるが、どうしたらよいか分からずオロオロしている。
カールはいつもとあまり変わらないが、何かを考え込んでしまって黙っている。
ウォルフはこのいたたまれない雰囲気を何とかしたい、とは思うものの何と声を掛けていいのか分からず、マチルダに向け手を伸ばしたり下ろしたりしていた。

「きょ、今日はこんな事になっちゃったけど、絶対もっと強いゴーレムを創れるようになるんだからっ!覚悟しときなさいよ!」
「う、うん・・・」

目尻に涙を浮かべた美少女に睨みつけられ、密かに萌えた四歳児だった。




「なんじゃ?マチルダ様。なにか聞きたくて残ったんじゃろう?」

微妙な雰囲気になってしまったティータイムの後、迎えに来たアンネに連れられて帰る二人を見送ったテラスで切り出した。

「あの子のことに決まってます。何であんな子供の『ブレイド』があんなに凄い威力なんですか?本当にあれは『ブレイド』ですか?」
「ちょっと変わってはいるが、あれは只の『ブレイド』じゃよ」
「そんな、あんな子供がトライアングル以上だって言うんですか?そうじゃなきゃ『ブレイド』があんな威力がある筈ありません!先生だって私のゴーレムはいい出来だって仰ってくれたじゃないですか」
「確かにな。いい出来じゃったよ、お主のゴーレムは。ワシでも『ブレイド』ではあんなに綺麗には切れん・・」
「そんな、土のスクウェアである先生よりも威力があるなんて・・・」
「あの子はまだ魔法は覚え立てじゃ。クラスがどうとかいう前にまだ系統魔法も使ったことはない。精神力だってワシが見るにいいとこラインに届くかどうかというところじゃろう。それでも、年を考えれば可成り破格じゃが」
「そんな・・・それじゃどうして・・・」
「魔法を教えるときに最初に教えたはずじゃ。イメージじゃよ。あの子の魔法はイメージが普通と違うのじゃ」
「イメージ・・・そんな、それだけで?」
「そうじゃ、どうしてあんな風になるのかはワシでもまだ分からん。じゃがこれは言える。あの子の魔法は世界に沿っている、とな」
「・・・天才っていうやつでしょうか?」
「ふん、天才か。そんな安っぽい言葉で理解できるようなモノではないわ。・・・あえて言うなれば異才。あの子は我々とは全く別の世界を見ているようじゃ」
「・・・・・・・」
「まあ、まだ子供だし、どう育つかは分からん。案外二十歳過ぎたらただの人になるかもしれんぞ。あの子も『ロック』を覚えるには二週もかかったし、最初は『レビテーション』も全く出来なかったもんじゃ」

暫く考え込んでいたマチルダだったが、やがて顔を上げると立ち上がった。

「帰るのか?」
「はい、今日は勉強になりました。ありがとうございます」
「うむ、こちらこそありがとうじゃ。お母様によく礼を言っておいてくれ」
「はい、伝えておきます。あと・・・あの子達の授業は来週もラーグの曜日でしょうか?」

マチルダは少しの逡巡の後、カールの目を見つめ尋ねた。

「そうじゃ、来週から二人とも系統魔法に入る。火と水じゃな、今火と水の初心者が他にいないから来週も二人一緒にここで授業じゃ」
「それに私も参加してもよろしいでしょうか?」
「お主もそろそろ別の系統を学んでも良い頃か。いいじゃろう、来なさい」
「はい、ありがとうございます。ではまた来週、御機嫌よう」

 帰り道、マチルダは燃えていた。
ただの『ブレイド』がイメージだけであれだけの威力になるのだ。他の魔法だってイメージ次第で全く違う物になる可能性はある。今日は魔法の奥深さを思い知った気分だ。あの子を観察してそのイメージを盗んでやることが出来れば私の魔法も上達するに違いない。フフフ・・・盗んでやる、盗んでやるぞおおぉぉぉ!」

最後の方は声に出てしまっていたために、周りから可成り注目を浴びていたのだが、マチルダがそれに気付くことはなかった。











[18851] 1-5    初めての系統魔法
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/10 17:44
――― 翌週 ―――

 いつものようにウォルフとサラはカールの屋敷の中庭に来ていた。
ただ、いつもと違うのはカールの隣に見たことのある少女が不機嫌そうに立っていることだった。

「あー、今日から系統魔法の課程に入る。本当は火と水とでそれぞれ別々に学ぶもんじゃが、時間枠の問題での、一緒にやってしまうことになった。まあ、片方に説明してる間に片方が練習して、という風にすればそれほど無駄は出んもんじゃ。そしてこちらが今日から一緒に学ぶことになった、マチルダ・オブ・サウスゴータじゃ。マチルダ様は土メイジじゃが今日から火と水も学ぶ。仲良くするように」
「先週会ったわね、マチルダ・オブ・サウスゴータよ。よろしくお願いするわ」
「ウォルフ・ライエ・ド・モルガンです、よろしくお願いします」
「サラです、よろしくお願いします」

よろしくお願いされてしまって思わず返事をしたが、ウォルフとサラはかなり驚いていた。
男爵の息子であるウォルフと平民であるサラが一緒に魔法を学んでいる、ということもここサウスゴータ以外では有り得ないようなことなのに、太守様の娘が一緒に学ぶというのだ。
しかし、当のマチルダは気にしていない風でサラの横に移動して一緒に並んでいる。
まあ、本人がいいならそういうものかと思って、気にしないことにした。

「ワシは土メイジじゃが、火と水もラインスペル程度なら教えることが出来る。お主達も火、水、土とそれぞれ自分の系統を持っている。しかしそれ以外の系統も絶対に使えない、というわけでもない。自分の系統以外では効率が可成り悪くなるから最初は難しいと思うが努力することは悪いことではないと思う」

カールはそう言うと生徒達を見まわした。

「まず、系統魔法についてじゃが、ウォルフ、系統魔法とコモンマジックとの違いは何じゃ?」
「呪文がコモンマジックは口語、系統魔法はルーンになります」
「うむ、まあ、なぜ呪文が変わるのかについては分かっておらん。"ブリミル様がそう決めた"からじゃ。ではまず火から始めよう。これから見せるのは火の魔法の初歩の初歩、『発火』の魔法じゃ。スペルはウル・カーノじゃ・・・《発火!》」

カールの杖の先から音を立てて一メイルくらいの炎が吹き出した。

「と、まあこんな感じじゃの。この魔法も大事なのはイメージじゃ。己の中で燃えさかる炎をイメージしそれを目の前に顕現せしめるのじゃ。それでは、うん、何じゃ?」
「先生!この炎は一体何が燃えているのでしょうか?」

ウォルフである。
それが炎である以上なにかしらの気体と酸素との化合反応であることは解る。
しかしメイジが作り出す炎が何を燃焼させているのか解らないことにはウォルフは正しくイメージすることが出来ない。
だいたいみんな同じ様な炎を出すので何か決まったことがあるのかとも思って、火のメイジであるエルビラにも何度か尋ねたのだが、魔法よ!としか答えてもらえなかった。

(結構明るいし、炎も大きい。炭化水素の不完全燃焼系っぽいけどなぁ。炭化水素って言ったっていっぱいあるし・・・大体炭化水素あそこに作るってのは練金って魔法じゃないのか?練金って土系統だろう。火メイジっていうのがそもそも訳ワカメなんだよ。他の系統はいいよ、固体・液体・気体のそれぞれの相を司る魔法。分かり易いじゃないですか、とてもイメージしやすいです。それに比べて火ってなによ。この世界の可燃物質と酸素の化合で、発熱と発光を伴うものを司る魔法、じゃなんか寂しいじゃないですか。イメージしにくいです。それとも熱を司る魔法、だとでも言うんですか?それだとイメージし易いけど・・・)

また何かいらんことで悩んでいるように見えるような教え子に対し、カールはやさしく、こう答えた。

「術者が心の中で思い浮かべる炎、じゃ」

「それがなんだか聞いているンだぁぁぁぁぁっ!!」

思わず取り乱してしまったウォルフだが、サラに抱きとめられ落ち着いた。いいコいいコされている。あからさまに子供扱いされると恥ずかしくて動けなくなるのだ。

「ふむ、お前も色々と難儀じゃのぅ。とりあえずワシが今出した炎をイメージしてみなさい。では、皆やってみなさい」
「「はい!」」

 発火の魔法に挑戦し始めた二人を横目にウォルフはまだ悩んでいた。

(あまり考えてもしょうがないって事は分かっているんだけど・・・ええい、取り敢えずやってみよう!多分何らかの可燃物質が杖の先から熱を持って放射されているんだよな、きっと、おそらく、メイビー。酸素はどうやら現地調達っぽいな。・・・杖の先で魔力素を高温の可燃物質に変換する・・初めはなんか簡単な・・)

ここでウォルフは魔力素から変換しやすそうな物として、水素を思い浮かべてしまった。
色々考えすぎて訳が分からなくなってしまっていたのかもしれない。
マチルダが小さい炎ながらも《発火》を成功させていて、少なからず焦っていたことも影響したかもしれない。
確かにもっとも構造の簡単な可燃物質ではあるが、この場合、燃焼材として不適切なのは明らかだった。

「うぉあっ」「「きゃあっ」」

ウォルフの初めての『発火』の魔法は成功し、高温に熱せられた水素ガスは杖の先で酸素と反応して燃焼した。
爆音とともに。

「いたたた」
「一体何故ただの発火が爆発するんじゃ。ほら、大丈夫か」

ひっくり返ってしまったウォルフを立ち上がらせながら『ディテクトマジック』で怪我がないか確認する。

「怪我はないようじゃな。しかし普通は魔法を失敗しても何も起こらんもんじゃ。爆発する、なんて聞いたことがないわい」
「あ、いや魔法は成功したみたいです。・・ちょっと勢いが良かっただけで」
「どこがちょっと、よ!今の絶対『発火』じゃないでしょう!」
「いや、『発火』だってば。ちょっと"勢いよく"燃焼しちゃったんだよ」
「だから、あんな『発火』見たことないって言ってんの!」

マチルダはしゃがみこんで固まってしまった状態から再起動すると、ウォルフにくってかかった。
"世界に沿っている"という魔法を観察し、自分も身につけてやろうと意気込んでいたのに、その目論見は最初から躓いてしまった。

「マチルダ様、落ち着きなさい。あーウォルフ、お前はよくイメージを練ってから魔法を使用するようにしなさい。・・『発火』はまた次回にしよう。それぞれよくイメージを作ってきなさい。ウォルフ、練習するときは必ずエルビラに見てもらうんじゃぞ」

とりあえず、またマチルダの前で爆発を起こされるのは御免なので、多少無責任かなとは思ったが綺麗にエルビラに投げてしまった。
きっと来週には爆発せずに出来るようになっていることだろう、きっと。

「では、続けて水の系統魔法を教える、サラの系統じゃな。・・・まずはこれも初歩の初歩コンデンセイション『凝縮』、スペルはイル・ウォータルじゃ・・・《凝縮》!」

カールの杖の周りに靄が掛かったようになると、それが渦を巻きやがて直径十サントほどの水の玉が宙に浮かんだ。
今回は一緒にではなく一人ずつ、サラ・マチルダ・ウォルフの順にやらせた。
サラは自身の系統と言うこともあり、数回目に成功させ二サントほどの水球を浮かべたが、マチルダは集中力を欠き、とうとう成功させることが出来なかった。
そして・・・

「よいか、ウォルフよ、水じゃぞ、水。よくイメージするのじゃ、澄み切って透明な水を。けっして油などをイメージしたりはしないように。・・集中じゃぞ、集中。」
「はぁ、大丈夫ですよ先生。さっきのはたまたまです。今度のはイメージしやすいんで、普通に成功するか全く出来ないか、のどっちかだと思います。・・・いきます・・《凝縮》!」

ウォルフがルーンを唱えた瞬間、辺りは深い霧に包まれそれがそれが渦を巻いて消え去った後、そこに三十サントほどの水球が姿をあらわした。

「ぃよっしゃっ成功!、やっぱ魔法はイメージだなー。何かオレもう水メイジでいいんだけど」
「ちょっと、なんでさっきの失敗したくせに水の魔法は成功するのよ!あんた火メイジでしょう!」
「ウォルフ様、おっきい・・」

「問題ないようじゃの。火メイジなのに水魔法を先に成功させるとはますます訳が分からんがまあ、いいじゃろう。各自練習していなさい。マチルダ様、ちょっとこちらへ」

ウォルフとサラに自由に練習させ、マチルダをテラスに連れ出した。

「マチルダ様、一々ウォルフに突っかかっても意味はない。怒るのではなく、何故そうなったかを考えるのじゃ」
「だって、あいつがあんまりめちゃくちゃだから・・・」
「前にも言ったが、彼の精神力はすでにライン程度はある。自身以外の系統を使えても不思議はないのじゃし、魔法は元々めちゃくちゃじゃ」
「・・・・・考えたら解るようになるのでしょうか?」
「それは知らん。じゃが、彼の魔法を理解しようとすることは、世界を理解しようとすることかもしれん。世界を理解することが出来た人間などおそらくブリミル様だけじゃ。しかし考える事こそ、そこに近づく唯一の方法じゃと思っている」
「・・・・・・・」

ウォルフが理屈で魔法を理解しようとしていることをカールは感じ取っていた。
ハルケギニアでそんなことを考える人間は居なかった。魔法は水などと同じくそこに"在る"もので、何故"在る"かなどということは考えるようなことではなかったからだ。自分の腕を動かすのに、何故動くのかを理解していないと動かせない、などという人間は居ないのだ。
だからウォルフがそんな切り口から魔法を習得していく姿は驚異だったし、時々その威力が非常な物であるのをみて畏怖すらも感じていた。

「まあそんな深く考えんでもいいわい。マチルダ様はお姉さんなんじゃからな、優しくしてあげなきゃいかん」
「お、お姉さん・・・・・・はい、分かりました。これからはなるべく怒鳴ったりしないようにします」
「うむ、よろしい。では戻ろうか」



「あー結局ちょっとしか成功しなかったわー」

テーブルに突っ伏してマチルダが呻る。
魔法の練習を終えた三人はテラスでマチルダが持ってきたお菓子をつまんでいた。

「一サント位の水玉が出来てたじゃん。もうイメージ掴んでいるんだから後は集中すればいいだけなんじゃない?」
「気楽に言うわね、そうよ、水玉よ。あんたは一メイル位の"水球"を出せる様になってんのに私は水玉。イメージなんて掴んでないわよ!空気中の水を集めるって何よ、意味わかんない。空気は空気、水は水、でしょう」
「いや、見えないだけで空気の中に水分が有るんだって。お湯を沸かすと湯気が出るだろ。あれは空気中に溶けようとしている水分だし、雨が続くと空気中の水分が増えてじっとりと感じるだろ。反対に日照りが続けばカラカラに乾燥しちゃう」
「う・・そういわれると確かに・・・」
「そうさ、水は温度と圧力によって氷になったり液体になったり気体になったりする物なんだよ。だから後はその空気中の水分を液体に戻してやるイメージを作るだけさ」
「・・・・・ちょっとやってみる・・・《凝縮》」

杖を取り出しルーンを唱える。すると今までマチルダが『凝縮』を唱えたときには感じられなかった靄が湧き出てやがて十五サント程の水球になった。
マチルダは激変した魔法の効果に思わず息をのんで呆然としてしまった。

「そんな、こんなに簡単に?」
「ほら、出来たじゃん。やっぱり魔法はイメージだね、イメージ」
「・・・・」
「ウォルフ様、私もやってみる、見てて」

横で考え込んでいたサラが声を掛けてきた。マチルダの魔法を見て自分も試したくなったらしい。

「おう、やれやれ。空気の状態の水と液体の状態の水があるって認識するんだ。靄や霧はすっごく細かい液体の水が空気中にたくさん漂っているって状態なんだよ」
「うん、がんばる・・・・《凝縮》!」

サラは五十サント程の水球を作ることが出来た。



「はぁ、結局ウォルフが一番で私がどべか・・・」

両肘を机について頬杖ついている。まだ不満そうだ。

「いいか?年下に抜かれちゃったときは、気にしていないフリをするのが自分に優しくするこつだ」
「四歳児の分際で、なんて生意気なのかしらこの子は」
「・・・その四歳児にちょっと水球の大きさで負けたからってブルーな空気振りまかないで下さい。少しは周りに気を遣えよ、十一歳」
「ぐぅっ・・・・」

思わずまた怒鳴ってしまいそうになったが何とかこらえることが出来た。
ウォルフも四歳児と言われ、つい言い返してしまったがフォローを入れとくことにした。

「そんなに焦ることないじゃん。マチルダ様の年で土と火と水とが出来るなんて、そうはいないだろう?」
「・・・・・・あんたやっぱ四歳児じゃないわ」





[18851] 1-6    初めての気絶
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/15 21:48
――― 魔法を習い始めて一年が経った ―――

 ウォルフはその後すぐに『発火』の魔法を成功することが出来た。
燃やす物質については取り敢えずイメージしやすかったのでプロパンにする事にした。
イメージ通りの気体を発生させる事が出来るのは『練金』に似ているが可燃性の気体に限定されるわけでもなく、酸素や窒素なども高温なら発生させる事が出来た。
アセチレンと酸素の混合気体も出す事が出来たのだが、温度が高くなりすぎるので危険と判断し日頃は封印する事にして、プロパンと酸素で練習している。
ラインスペルもすぐに成功させ、火のラインメイジであり、それどころか風・土・水の系統魔法も使える、四系統全てを操る希有なメイジとなっていた。
お気に入りの魔法は『練金』で、最近は暇さえあれば様々な物質を『練金』している。
原子や分子、結晶構造などを知ってさえいればどんな物質でも創ることが出来るのだ。
まさに神にでもなった気分で金や白金、タングステンなどを『練金』し、ダイヤモンドの板に六方晶ダイヤモンドで落書きしていたら、カールに金などを『練金』出来ることは他の人間には言わないように注意された。
その時はそんなに神経質にならなくてもいいんじゃないか、とも思ったが、純粋なウラン238を作ってみてそれがあまりも簡単にできることを知り、この魔法の危険性に気付いた。
この知識が普及してウラン235やプルトニウム239をそこら中で好き勝手に作っている社会などには住みたくない。

 サラは水のドットメイジのままである。
しかし、火は使えないものの風・土を使え、ウォルフには及ばない物の優秀な万能型のメイジへと成長していた。
勉強も日々ウォルフの薫陶を受けたせいで読み書きはばっちりだし、計算もすでに数学と呼べる物までこなすようになっていた。
お気に入りの魔法は『フライ』で、時間が出来るとウォルフを誘い公園や町のそばの森などを『フライ』で散歩している。

 マチルダは最近やっとラインメイジになれた。
ウォルフに負けたままではいられない、と猛練習をしてきた成果であり、風以外の魔法を使いこなせるようになった。
ウォルフの『ブレイド』に耐えることの出来るゴーレムは未だ創れていない。
最近は斬られない物を創ることは諦めていて、例え斬られても直ぐに修復できるように素材を土にし、また多少斬られても関係ないように大型化を図っている。
ウォルフにはマチ姉と呼ばれている。
有る程度親しくなった頃「お姉ちゃんと呼べ」と提案(強要?)したのだが、サラが涙ながらに「だめぇ・・・私だってお姉ちゃんって呼んでもらえなかったの・・」と抗議したために現状に落ち着いた。

 三人の仲は良好でウォルフがエルビラの息子だと分かってからは城に呼ばれて遊んだりもしている。
ちなみにウォルフの兄のクリフォードは風のドットメイジになっていて、マチルダはまだ彼とは面識がない。

 勉強したり、遊んだり。そんな、子供らしい日々を過ごしていた。




「気絶したい?」

サラは驚きで目を見開きやがて可哀想な人を見る目でウォルフを見つめた。

「ごめんなさい。サラ、それを治す魔法は知らないの・・」
「いや、そうじゃないから。別に頭がおかしくなった訳じゃないから!」

ウォルフは「でも、水の秘薬ならもしかしたら・・・」などと言いかけるサラを遮って続けた。

「ドラゴンボールを見て育った世代としては、サイヤ人的超回復を一度は試してみなきゃならないって事なんだけど・・・」
「ドラゴン?サイヤ人?」
「ああ、通じないか、つまり・・・」

ウォルフは最近自身の魔力量について悩んでいた。足りないのだ、魔力が。

 『練金』という「魔法の力」を手に入れて以来、日本人としての物づくりの心を刺激されたウォルフは、ここ納屋の二階でちまちまといろんな物を作っていた。
樹脂製の軽いバケツやじょうろ、チタンワイヤで作った洗濯ばさみ、各種温度計や湿度計などの生活向上用品。
定盤やノギス、万力にヤスリといったここで使う基本的な工具。
それだけでなく材料そのものにも目を向け、元々持っていたある程度の石油化学の知識と魔法で得られる知識を駆使して、様々な実験を繰り返すことにより数多くの樹脂のレパ-トリーを得ていた。
そして最近開発に成功したのがFRP・ガラス繊維強化プラスチックである。
この材料の利点はもちろん軽量で、強度が高いということではあるが、それ以上に型を作るという工程が有るため『練金』に比べ寸法精度が高い、と言うことがあげられた。

 『フライ』によって空を飛ぶ魅力を理解した事もあって、ウォルフはグライダーを作りたくてしょうがなくなってしまっていた。
何せここは風の国アルビオン。上空三千メイルに浮かぶ大陸の端近くにあるサウスゴータである。
ひとたび飛び出せば風に乗ってハルケギニアのどこへでも飛んで行けそうなのだ。
問題があるのはその帰りで、風石を積めれば問題ないのであるが家は下級貴族であるためコスト的に厳しい。
『グラビトン・コントロール』ならば楽に高度を稼げそうだが、翼長が長くなるため端の方まで魔法が掛からないので難しい。
そうすると、重力制御を可能な限り効かせた『レビテーション』で、と言うことになるとウォルフの魔力量が現状では心許ないのである。

「えっと、つまり、気絶するまで精神力を使い切って、気絶する前と後で魔法の力が増えるかどうか確かめてみたいって事?」

うんうんと頷くのを見て、やっぱりこの人は可哀想な人なんじゃないかしら、と思い直した。
それを感じ取ったウォルフが「いや、科学だから!実験だから!」などと言いつのるのを無視してしゃがみこみ、目を合わせる。

「いい?精神力を使い切るっていうのはとっても危ないものなの。何日も起きられなくなったり最悪だともう目を覚まさなかったりするらしいの。そんなことウォルフ様はしないで、ね?」

両肩をつかまれ、優しげに首をかしげ微笑みながらそんな事を言われてしまっては、思わず頷きそうになるが、ウォルフは負けるわけにはいかなかった。

「いや、オレが調べたところじゃ魔法の練習をしていて気絶したくらいじゃ、そんなに酷いことになった例はなかったよ。死んだのは戦場で無理をして頑張りすぎたってヤツだけだったよ」
「そんなの知らないわよ!本当に全部調べたかどうかなんて分からないじゃない」
「いや、でも」
「だめ、絶対。どうしてもやるっていうならエルビラ様に言いつけるから。大体そんなことして魔力が増えるわけない!」

声を荒げるサラの腕を外し、その手を握りしめた。

「増えるわけないかどうかは実験して見なくちゃ解らない。人間を真実から遠ざけるのは先入観と偏見だよ。人間の筋肉は一定以上に酷使されて筋繊維が傷つくと元の水準を超えて筋力を出せになるという超回復という性質を持っていることが知られているんだ。このような性質は人間が環境に適応していくために必要な性質で人間がいや生命が進化していく為に本来持っている特性なんだ。つまり人間が進化していく生物である以上そして魔力がそれに必要な物である以上魔力についてだって同様な性質を持つということが推測されるわけでただの思い付きなんかじゃないんだ。つまり何が言いたいかっていうとこれはオレにとって絶対に必要な実験だって事だよ」

滔々と六歳児では反論できないように難しい語彙を使って説明し、さらに、絶対にやるということ、親にばれた場合は隠れて一人でやるということ、正確性と安全性を確保する為にサラに立ち会って欲しいということを告げた。

「ウォルフ様、ずるい・・・」
「ごめんね?でもサラにしか頼めないんだ」

そこまで言われてはサラに選択肢は残っていなかった。
泣いてしまったサラを何とか宥め、『グラビトン・コントロール』で浮かせていたテーブルを下ろす。
慰めながらも魔力を使い切るためにコントロールが難しくその制御に激しく魔力を消費する魔法を選んで実行していたのだ。
そして部屋の梁に巨大なバネ秤をセットする。ウォルフ自作の大きな目盛りの五千リーブルまで計れる精密なやつだ。そこに二十リーブルほどの錘をつり下げた。
この部屋はド・モルガン家の納屋の二階で、ウォルフが占拠して工房として使っている場所であり、今は夕食後、寝る前の時間であり二人ともパジャマを着ていた。

「今から僕は『念力』でこの錘を下げるように力を入れるから、サラはその値を読んでノートに記録して」
「うーんと、ここがひゃくだから・・・・・うん、分かった。・・・・本当に大丈夫なんだよね?」
「大丈夫だって、じゃあ試しにやってみるね?・・・・《念力》!」
「えーっと、二千七百三十・・五くらい、っと、どこに書くのかな?」

サラがノートを開くとそこには一ヶ月分の毎日のデータがすでに書き込まれていた。
その数値は多少の増減はあるが緩やかに増加していて、この一ヶ月でおよそ五十リーブル増えていた。

「こんな前から測ってるんだ・・・」
「うん、この実験方法で信頼できるデータが取れるか確認したかったからね。十分なデータが集められたよ」
「そういうことを言ってんじゃないんだけど」
「そう?じゃあそろそろいい感じに魔力が抜けてきたから本番いくかな。いい?どんな現象が起こったのか逐一記録してね。特に気絶する間際の魔力の変化は詳しくね・・・いくよ・・《念力》!」

再び錘が引っ張られ、先程と同じ位の値を秤が示す。三分ほどはそのままだったが、やがて徐々に減り始めた。

「二六七〇・・ウォルフ様、もういいんじゃない?」
「今集中しているんだから話し掛けないで。ここからが大事なんだから、サラも集中して」
「・・・・二六六〇・・」

時々横目でウォルフの様子を窺うが、かなり苦しそうにしている。
その様子を見ると、サラは今すぐに止めたくなるが何とか堪えて続け、徐々に減る数値を記録し続けた。
そんな状態が暫く続いた後、それは突然起きた。
突然目盛りが上下に激しく振られたと思うと、それは勢いよく上昇を始めた。

「ふ、増えてます。二千七百・・・・ろ、六十・あっ・・・・・」

大きな音を立てて秤が解放された。ガチャガチャと音を立てて揺れ、目盛りは二十リーブル辺りを指していた。
ウォルフの方を向くとソファーに横向きに倒れ込んでいるのが見えた。

「ウォルフ様っ!!」

慌てて近寄ると呼吸を確認する。その胸が緩やかに上下しているのを確認するとホッと息を吐き、震える手で最後の部分を記録した。
そして『レビテーション』でウォルフを浮かせるとそのまま母屋に連れて行った。



 その夜ド・モルガン夫妻はいつものようにリビングで寛いでいた。

「今年の夏もラグドリアン湖に行こうか、去年子供達もまた行きたいって言っていたしな」
「いいわね、でもそれでしたらお父様が去年顔を出さなかった事を怒っていましたわよ」
「あー、去年はトリステイン側をあちこち回っていたら日が無くなっちゃったんだよなぁ。ウォルフが生まれてからまだ一度も行っていないなぁ」
「今年はラ・クルスに行ってからラグドリアン湖を回って帰ってきましょう。リュティスまで行くのは無理だけど、私も子供達にガリアを見せたいの」

ニコラスの話にエルビラは編み物の手を止め答えた。
久しぶりに実家のラ・クルスに帰れるかと思うと、嬉しくなってくる。

「ああ、そうしよう。今年もお養父様に子供達を会わせなかったら僕は燃やされてしまうよ」
「ふふっ結婚を申し込みに行ったときは凄かったものね」
「あー思い出させないでくれー。あの時はマジで死んだと思ったよ」

あそこまですることは無いじゃないか、などとブツブツ言っているニコラスを楽しげに見ていたエルビラだったが、ふと懸念が浮かび、口にした。

「あ、でもやっぱりアンネとサラは連れて行けないわよねぇ・・・どうしましょうか」
「うーん、アンネの両親がまだ城下にいるって言ってたから、一緒に連れて行って二人はアンネの実家に帰せばいいんじゃないかな。それで帰りに合流してラグドリアン湖へ一緒に行けばいいよ。アンネも里帰りだな」
「そうね、兄さん達には黙っていればいいものね」

うんうんと頷きながら楽しい夏の旅行に思いを馳せていると、突然廊下からサラの呼び声が聞こえた。
ほとんど叫び声に近いその声に驚いて、様子を見に行くと、そこには泣いているサラと宙に浮かんだまま気を失っているウォルフがいた。

「「ウォルフっ!!」」

その真っ青な顔色と泣きじゃくるサラの様子に最悪の事態を予想をするが、幸いウォルフの小さな身体はゆっくりと呼吸を繰り返していた。

「あなた、早く『ヒーリング』を!」
「分かってる。ああくそ、どうしてこんな・・《ヒーリング》!」

ウォルフの身体を抱きかかえ、ニコラスの魔法がその身体を包んだことを確認するとエルビラはサラの方を向いた。
サラは泣きじゃくりながらも必死に『ヒーリング』を唱えようとしていたが、成功していなかった。

「サラ、何があったの?説明して」
「ウォっ・・・さまっ・・ヒックまほう・・・」
「エル、ウォルフの身体から魔力が殆ど感じられない。魔力を使いすぎて魔力切れを起こしている感じだ」

サラはまともに話すことが出来なかったが、ニコラスの言葉に何度も頷いた。
エルビラはそれならば大丈夫かと少し安心すると、ふと夕食後ウォルフに渡された手紙のことを思い出した。
明日の朝かサラが来たら読んで、と悪戯っぽく笑っていたウォルフを思い出し、慌てて自室に取りに行った。
戻りながらその手紙を読んでみるとそこには、どうしてこんな事をしたのかということと、サラには無理を言ってしまうかもしれないので怒らないでほしいということが書いてあり、最後に謝罪と、大したことじゃないので心配しないようにとの希望が綴られていた。
ウォルフの元まで戻り、その顔色が少し良くなっていることに安心してサラに語りかけた。

「サラ、ウォルフに脅されたの?」

サラは何度も頭を振っていたが、何とか言葉を絞り出した。

「・・・一人でっ・・隠れてっ・やるって・・言った」

その言葉にエルビラは顔を歪めるとサラを両手で抱きしめた。

「ありがとうね、サラ。ウォルフを一人にしないでくれたんだね。もう、大丈夫だから。きっと直ぐにウォルフは目を覚ますわ」

その言葉にサラはまた激しく泣き出してしまったが、やがて疲れたのかそのまま寝てしまった。
エルビラはその寝顔を暫く優しげに眺めて、様子を見に来ていたアンネに手渡した。







[18851] 1-7    初めての謹慎
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/15 21:49
 罰として言い渡されたのは十日間の謹慎だった。

 ウォルフが目が覚めたのは二日後の早朝で、三十時間以上気を失っていたことになる。
目覚めて最初に目に飛び込んだのは何故か同じベッドで寝ているサラの顔であった。
朝の光を受けて輝くその白い肌を暫くぼうと眺めていたが、その頬に涙の跡を見つけて目を逸らした。
サラを起こさないようにそっとベッドを抜け出し、ノートを探すが、見つからない上に杖も無かった。
納屋に探しに行こうかと部屋を抜け出したところでアンネと鉢合わせした。

「あ、おはようアンネ。オレの杖が無いんだけどアンネ知らない?」
「おはようじゃありませんよ・・・」

アンネは近づくとしゃがみこみ、ウォルフを抱きしめた。

「皆さんを心配させて・・・ああ、よくぞ目を覚ましてくださいました」
「あ、ごめんね、心配掛けちゃった?」
「・・・・・・」

アンネはそのまま何も言わず黙って抱きしめていたが、ウォルフは少し居心地が悪かった。

「もう、しないからさ。で、杖なんだけど・・」
「杖ならばエルビラ様が預かっております。暫くは返すつもりはない、とのことでした」
「うえっ、マジ?カール先生の授業とか有るし杖無いと困るんだけど」
「ご自分でエルビラ様にお尋ねになればよろしいかと存じます」

アンネにツンと冷たく言い放たれ困ってしまったが、取り敢えず気を取り直し、納屋にノートを探しに行くことにした。

「うん、後で聞いてみるよ。それと今日ってイングの曜日?」
「オセルの曜日でございます、ウォルフ様」
「あー、一日以上寝ちゃったか。まあ、いいや、じゃあまた後でね」

 ノートは納屋の机の上にあった。急いで開き、中に書かれている数値を確認する。
二七六〇。記された数字に思わずにんまりする。
記録は二七三五から始まり、十二分かけて二六六〇まで下がった後一気に二七六〇まで達し、その直後ゼロになっていた。
二六六〇から二七六〇まではおよそ五秒とのことである。
今すぐ現在の魔力を計ってみたいが、杖が無いので出来ない。
悶々とした気持ちの儘自室に戻ると、起きていたのか飛びかかってきたサラに抱きしめられた。
サラは何も恨みがましいことを言わず、ただ無言で抱きしめてきた。
さしものウォルフもその様に罪悪感にかられ、そのまま黙って抱かれていた。

「もう、あんなことしないでね?」
「うん、おかげでちゃんとデータが取れたからね、もう無理する必要はないかな」
「怖かったんだからね?」
「うん、ごめんね?・・ありがとう」
「じゃあ・・許してあげる」



 朝から色々と大変だったウォルフだが、朝食に行っても大変だった。
父と母に抱きしめられ、叱られ。兄には馬鹿にされ、その全てを甘受した末に言い渡された罰は、謹慎十日間、その内三日間は杖没収というものだった。

「ちょっ・・お母様、十日間って長すぎるんじゃないでしょうか?杖没収ってのもちょっと・・・」
「いいえ、この罰はお父様とも相談して決めました。これでもまだ少ないのではないかと思うぐらいです」
「う、でもほらカール先生の授業とか有るし杖ないと・・・」
「謹慎中です。休みなさい」
「う・・」
「魔法の練習をしていてつい、と言うのならまだしも態とだなんて論外です。もう二度とこのような事はしないようにこの程度の罰は当然です。おまけにサラを脅迫して泣かせるなんて、恥ずかしいとは思わないのですか!」

それを言われるとウォルフもどうしようもなかった。

「わかりました。お父様、お母様、申し訳ありませんでした」
「ん、もうするんじゃないぞ。エル、もういいだろう食事にしよう」

 ちょっと暗い雰囲気になってしまった食事中、ウォルフは杖のない三日間をどう過ごそうかと悩んでいた。
魔法を覚えて以来こんなに長く杖を手にしなかったことはないのだ。
取り敢えず今日は作りかけのグライダーの模型を完成させることにして、明日以降のためにエルビラになんか本を頼んでおくことにした。

「母さん、また本読み終わっちゃったから新しいの頼みたいんだけど。できればその、物語じゃなくて専門の魔法書がいいんだけど」
「あら、"イーヴァルディ千夜一夜"は面白くなかったかしら。」
「いや、全く面白くないって事もないんですが、魔法書が読みたいです」
「そうはいっても貴方はもう火の魔法の専門書も全般的な魔法書も、太守様の蔵書にあるものはほとんど読んでしまったのよ」
「土・風・水の専門書はまだ読んでいないと思うのでそれでいいです」

エルビラは日頃から魔法書ではなく普通の男の子が好むような物語の本を薦めてくるが、現代日本で生まれ育った記憶を持つウォルフにはこの世界の物語は大げさで冗長で眠くなるものが多かった。
それよりはたとえ難解であっても魔法書の方が今そこにあるファンタジーであり楽しかった。

「何でお前そんなに勉強するんだよ!十日位サラと遊んでいればいいじゃないか!」

横からクリフォードが口を挟んできた。
優秀すぎる弟にあっという間に魔法でも抜かれてしまった彼は、何とも言えない焦燥感を感じていて何かとウォルフに当たる事が多い。

「うーん、結構面白いんだけどな、魔法書。結構勘違いしていたり適当な理論とかもあって、案外楽しめるよ。風の魔法書なら解ると思うから、兄さんも一緒に読んでみる?」
「・・・お前が読むような魔法書を俺が解るはずが無いじゃないか」
「うーん大丈夫だと思うんだけどなぁ」

確かにウォルフがここのところ読んでいる魔法書は、魔法学院の最高学年からそれを卒業した人間を対象とした物だったので、八歳のクリフォードには難しすぎた。
しかしウォルフから見るとこの世界の魔法書は、内容の多くを著者の妄想や先入観に囚われた理論の説明に費やされ、無駄に難解になってしまっているだけであった。
ウォルフはいつも魔法の結果とその著者の世界観から魔法の内容を類推し、その本の内容を羊皮紙に纏めているのだが、どんなに分厚い魔法書でも羊皮紙十枚を超えることはなかった。
だから、いつも説明しながら読んで聞かせているサラもかなり難解と言われている魔法書を理解できているので、クリフォードもウォルフの説明付きでなら理解できる筈と思っていた。

「私は火の魔法書以外はよく分かりませんから、他の人に聞いて持ってきます。それでいいですね?」
「はい、お願いします。なるべく実践的な物がいいです」




 朝食後からずっと、午後になってもグライダーの模型を作り続けた。今作っているのは翼の部分のパーツだ。
少し加工しては定盤に乗せ、翼断面を確認する為に作った数十枚の定規を順に合わせて形状を確認する。
ちなみにこの定盤は白金とイリジウムの合金製で精度を出すのにはかなり苦労をした。
模型の材料はフォルーサという高さ二十メイルにもなる大きな草の幹を乾燥させた物で、ちょうど元の世界のバルサ材そっくりの性質を持ち、『練金』で作った物ではなくサラと二人で森に行って伐採してきた物だ。
ウォルフは金属の組織構造の変化などは自由に行えるようになっていたが、まだ木や土などという複雑な構造の物を『練金』することが出来なかった。
完成すれば翼幅一メイル半にもなる大型の模型である。左右で翼の形状が違うなど有ってはならないことなので慎重に加工していた。

「ウォルフ様、マチルダ様がお見えになりました」

午後も遅くなったころ、マチルダが訪ねてきた。ここに来るのは初めてである。

「ふーん、マチ姉ならここでいいか、通して」
「はい「ふん、もう来てるよ。なんだい、ごちゃごちゃしたところだねぇ」」
「マチ姉、いらっしゃい。どうしたの?」

サラの後ろから突然現れたマチルダは腰に腕を当てウォルフを見下ろした。

「どうしたのじゃないだろう、あんたが馬鹿をしたってエルビラに聞いたから様子を見に来たのさ」
「心配してくれたんだ、ありがと」
「べ、別に心配した訳じゃないから・・・それ何作ってるの?」
「グライダーの模型。前に話しただろ、風に乗ってハルケギニアのどこにでも飛んでいけるフネの雛形」

ウォルフは以前マチルダにグライダーのことを帆を横に張ったフネ、と説明していたが、そこにあった部品をどう組み合わせてみてもマチルダの想像していた物にはなりそうもなかった。

「えっと、これがそれかい?こんなんでどこに帆を張るのさ」
「この長いのが帆っていうか翼だよ。これは鳥みたいに空を飛ぶんだ。ほらこんな感じで。この前の羽と後ろの羽とのバランスが大事でさ、この大きい模型を実際に飛ばして色々実験するんだ」

そういうと隣の棚からもっと小さい模型を取り出して飛ばすまねをして見せた。
今作っている模型の前に作った翼長三十サントほどのアルミ製のものだ。

「そんなのが人を乗せて飛ぶようになるのかねぇ、信じられないよ」
「まあ、そうだろうね」

ハルケギニア人に魔法ではない科学技術を理解させることは困難なので、実物を見せるまでは大体こんなもんである。
マチルダが菓子を持ってきてくれたということで、サラにお茶を入れてもらい休憩することになり、暫しいつものように駄弁った。

「はー、しかしあんたも馬鹿だねぇ。気絶するまで魔力使って鍛えるなんて、考えついても普通しないよ」
「本当に、もうやめて欲しいです」
「オレとしては考えついたのに試してみない方が信じられないんだけど」
「あっ、でも前に本で同じ事してるの読んだことあるよ」
「えっマジ?読みたい!なんて本?」
「ええと、たしか"アルグエルスアリの新解釈魔法理論"だったかな?なんか弟子が無理矢理いろんな実験させられているやつ。火のメイジは熱さに強いのか、とかいって両手掴まれて熱いもの食べさせられたりしてた」
「上島かよ・・・それって確かトンでも本って事で禁書判定に引っかかったヤツじゃない?」
「うん、でも認定はされなかったみたいだよ。ぎりぎりセーフだったみたいね」
「うわー、そんなの持ってんだ。なんで母さんそういう面白そうなの持ってきてくれないかなぁ。お願い、貸して?」
「ああ、いいよ。エルビラに渡しとく」

帰るというマチルダを見送りに出た中庭で事件は起きた。
丁度外から帰ってきたクリフォードと鉢合わせしたのだ。

「あ、兄さん丁度良かった、紹介するよ。マチ姉、兄さんのクリフォードだよ。兄さん、こちらオレの友達のマチルダ」
「よろしく、クリフォード」
「ふーん、俺より大きいのにチビのウォルフと友達なんて変なヤツー。小さい子集めて威張ってんのか?友達いないんだろ」

日頃太守の娘ということでちやほやされるのがいやだと言っていたマチルダのために、家名を省いて紹介したのがまずかった。
さらに、なまじマチルダがクリフォードの好みどストライクの美少女だったことも災いした。
日頃ウォルフに対し鬱憤がたまっていたクリフォードは、自分でも制御できない感情の儘に憎まれ口をたたいてしまったのだ。

「《クリエイト・ゴーレム》!」

地面から音を立てて巨大なゴーレムがせり上がり、クリフォードをその手に掴み立ち上がった。
ウォルフとサラが「あ」っと言う間もないほどの早業である。

「はぁーっはっはっ今日のゴーレムはいい出来だよ・・誰が小さい子集めて威張っているってぇ?もう一度大きな声で言ってもらおうじゃないか」
「うわー、えげつな・・・」

クリフォードが何か叫んでいるが、二十メイル超級のゴーレムの更に頭上に掲げられているために何を言っているのかは聞こえない。
見ていると『ブレイド』や『エア・カッター』などでゴーレムを攻撃し始めたが、もちろん全く効いていない。

「ふん、ぬるい攻撃だね。本当にウォルフの兄貴かい?ほら、シェイクだよ!」
「兄さんは普通の人だから、あんまり無茶しないであげて欲しいなぁ」

ゴーレムがクリフォードを持ったまま、腕を激しく上下させた。
最初は悲鳴を上げていたがやがてそれも止み、杖もどこかへと飛んで行ってしまった。

「ホラ、何か言うことがあるんじゃないのかい?」
「ちょ・・調子乗って・・ましたっ・・・すみません・・したぁっ!」

訳が分からないうちに捕まりさんざん揺さぶられ、いい感じにぐったりとしたところをマチルダの前に転がされたクリフォードにはもう逆らう気力は残っていなかった。

「まあ、これからは初対面の相手に喧嘩売るようなことを言わないこったね」
「・・・はい・・」
「兄さん、マチ姉のフルネームってマチルダ・オブ・サウスゴータなんだよ。だまっててごめんね」
「ちょっ、おまっ・・お転婆姫なら、そうって最初から言えよ・・・」

マチルダはもう一度シェイクしようとゴーレムでクリフォードを掴んだが、もう気絶しているのを見ると放置して帰って行った。
この日以降クリフォードは土メイジを大の苦手とするようになってしまった。




 三日後、まだ謹慎中なので屋敷からは出られないが、ようやく杖を返してもらった。

「いいですか、今度態と気絶するまで魔力を使うなんてまねをしたら二度と杖を返しませんよ」
「はい、お母様。しかと肝に銘じます」

杖を返してもらうと、一目散に納屋に飛んでいって秤をセットした。
逸る心を抑え『念力』を唱えると、秤の数値は二七六五を指していた。

「増えてる・・・」

三十リーブルの増加である。
体の成長に伴う基本的な魔力の増加量を除けば、おそらく一%程の増加ではあろうが、ウォルフが期待していた数字よりも遙かに大きかった。
今は無理だが、もしこれを毎日続けることが出来れば望んだ魔力量を手に入れることが出来る。

 マチルダに貸して貰った"アルグエルスアリの新解釈魔法理論"には特に参考になることは書いていなかった。
熱いものを食べさせられたり、熱湯風呂に放り込まれた火メイジのジョンソン君。土に埋めたら魔力が増えるかと一週間土に首まで埋められた土メイジのリヒター君などアルグエルスアリの弟子達には敬意と同情を感じるが、なにしろ数値を取っていないので結論が"増えた気がする"などの曖昧なものでしかないので参考にしようがなかった。まあ、大笑いしながら読んだのであるが。
まあ、それほど期待はしてなかったので気にせず次の実験に取りかかる事にした。
取り敢えず実験のために魔法をバンバン使うことにして、納屋の地下で石材を『練金』しまくった。
ここはここは将来の工房用にとウォルフがこつこつと『練金』してはスペースを広げている場所で、比重の軽い土から比重の思い金属や大理石を『練金』することによって空間を生み出す、という作業をしている。
作った大理石は将来納屋を増築するときに使うつもりである。
『練金』し、ゴーレムを使って等しい大きさに切りそろえる、という単純作業を繰り返しているとメキメキと魔力が減ってきたので、また秤の前に移動した。

 今度の実験の目的は、魔力を使い切る寸前の最後に魔力が上昇する五秒間、そこで魔法を止めたときの状態を調べるということだ。
使い切る前に止めるのだから気絶はしないだろうし、しかしその瞬間魔力が強くなっているわけだからその後はどうなるのか。
目を瞑り集中する。気絶するまでやるわけにはいかない。
サラや両親の顔が脳裏に浮かびほんの少し躊躇するが、それでも未知のことを知りたいという欲求の方が上回った。

「《念力》!」

秤が音を立てる。その秤を睨みつけ、僅かな変化も見逃すまいと集中する。
そのまま何も変化のない時間が暫く経過したが、突然前回と同じように目盛りが急上昇した。

「!!っ」

間髪を入れず、数値が上昇しきる前に『念力』を解くことが出来た。

「ぐあぁ・・・」

前回は何も感じずにそのまま気を失ったのに、今回は魔力を解放すると同時に激しい苦しみが胸から脊髄にかけて走った。
気絶しちゃった方が楽かも、などと考えながら蹲って吐きそうなほどの苦しみを堪えていたが、幸いなことにそれは暫くして霧散した。
しかしその後も体がひどく怠いことには変わりなく、まだ午前中なのに、もうベッドに入って眠ってしまいたかった。

「いやしかし、ここで寝ちゃうと絶対勘違いしてサラが泣く。せめてサラが来るまでは起きていなくちゃ・・・」

何とか椅子に座り、うつらうつらとしているとようやくサラがやってきた。

「ウォルフ様ー、杖返してもらったー?」
「・・・はっ、お、おおサラ、おお、返してもらったぞ!ほら」
「?・・ウォルフ様寝てたの?」
「あ、いやほら杖が帰ってくると思うと夕べ中々寝付けなくてな、それでちょっと・・」
「・・・今朝は普通だったのに」
「まだ興奮してたんだよ。・・・それよりこれ見てよ、これ。今最大魔力計ってみたら二千七百六十五だったんだ!実験前より三十リーブルも増えてたぜ!」
「ふーん、良かったね。でもあんな目にあったのにそれっぽっちじゃ割に合わないんじゃない?」

興奮してしゃべるウォルフに対しあくまでサラは冷静だ。

「何言ってんだよ、一%の増加だぜ!毎日これ出来れば一年後にはどうなっちゃうと思ってんだよ!」
「・・・もうしないって言ったよね?」
「え?あ、はい・・・」

すでに毎日出来るかもしれない可能性を見つけていたので、思わず口走ってしまったが、サラの反応を見てこれ以上この話をするのは無理と判断した。

「うーん、何かやっぱり眠いや。ちょっと寝るから、お昼に起こして?」
「えー、今日は久しぶりに散歩行こうって思ってたのにー」
「ごめん、ちょっと無理。っていうかオレまだ謹慎中だから外へは行けないよ?」

結局昼まで寝てサラに心配されてしまったが、午後も「怠い」と主張してごろごろ過ごした。
結局一日を無駄にしてしまった上に可成り辛い思いをしたウォルフは、今度やるときは絶対に夜寝る前にしよう、と決めていた。



 翌日早朝秤の前、何時になく気合いを入れるウォルフが居た。
これで魔力が増えていれば、気絶しないで超回復ができる方法を手に入れることになる。

「《念力》!」

軽く音を立てたそれは二七九〇を示していた。前日より二十五の増加である。

「やったぜ!これでいける!」

四百リーブルを超えるであろうグライダーを、少なくとも千メイルまで持ち上げるためには最低でもトライアングル以上の魔力が必要である。
おそらく千メイル分の位置エネルギーがあれば、上昇気流を探してそれに乗れるまでの飛行が出来るのではないかとウォルフは考えた。
将来的には風石を積んで上昇することを考えていたが、今までの儘では試験飛行すら行う目処が立っていなかった。
魔力の最大出力とため込む事が出来る精神力が比例している事は確からしいので、これでウォルフがトライアングルになることが出来れば、何とかなりそうである。
その時を想像し、ウォルフは興奮してくるのを止めることが出来なかった。

「見てろよ、オレのグライダーはハルケギニアの空を飛ぶんだ!」




[18851] 1-8    フライング・ハイキング
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/06 19:33
「ようし、次は主翼B+1.5、尾翼A0、錘3、風力70から」
「ふー、まだやんの?」

 謹慎九日目、ウォルフ達は完成した模型を使って実験を行っていた。
まず、納屋の中に作った直径三メイル弱の風洞の中央に前方から糸で繋いだ模型を、サラが『レビテーション』で浮かせる。
それにウォルフが魔法で風を起こし『レビテーション』を解除する。
ちょうど模型が風洞の中央で飛ぶように風力を調節し、風洞内にセットされた風力計と糸に付けられた秤の数値を記録する。
そんなことを長さや形状が違う三種類の主翼と二種類の尾翼について僅かずつ角度を変えて計測した。
それが一通り終わったら今度は錘の種類を変えてまた一通り、それが終わったら錘の位置を変えて、またそれが終わったら今度は引っ張る糸の角度を変えて、と言う感じに膨大な数の実験をこなしていった。
ウォルフには結構楽しい時間だったが、サラには辛い日々だった。

「ウォルフ様、休憩しましょうよー。昼からもうずっとやってますよ」
「あー、分かった、もうちょいね。尾翼のAが終わったらにしよう」
「それってまだまだじゃないですか、もういやぁー」



 その後やっと一区切りが付き、休憩を取ることが出来た。
サラがもう納屋はいやだというので中庭にテーブルを出してお茶にした。

「まったく、ウォルフ様は異常です。あんなに細かくやること無いじゃないですか」
「いや、普通だよ。実物作ってからだめだった、じゃしょうがないだろ。作る前に出来ることはやっておくべきだ」
「はー、もういいです。まあ私も今更あれが必要無かったなんて言われたくないです」
「いやいや、ご協力感謝します」
「これが終わったらすぐに出来るの?」
「・・・いや、まだまだだよ。部品の試作とか強度試験とかもしなくちゃならないし、大体あそこじゃ部屋が小さくて作れないからもっと広い場所を確保しなくちゃいけないし」
「え、あそこに入ら無いの?」

目を丸くしてサラが尋ねる。
納屋の部屋は物が多いとはいえ七メイルくらいはあるので、そこに入らないというのは想像していなかったみたいだ。

「今一番イケテるっぽい主翼Bを採用した場合、全幅は十八メイルになるよ。主翼は取り外し式にするけど、それでも十メイル以上の部屋が必要だよ」
「十八メイル・・・そ、そんな大きな物、風石もなくて飛ぶわけ無いんじゃない?」
「模型は飛んでるじゃん。同じだよ」

そうなの?と聞くサラにそうなの、と答え、続ける。

「まあ、半年以上は懸かると思うよ。主翼にフラップは付けないつもりだけど、舵を操作する機構とか一から作らなくちゃならないし、もしかしたらもっと懸かっちゃうかも。まあ、どっちみちまだオレの魔力が足りないし、のんびりやるさ」
「はぁ、大変なんだね。でもそれじゃ今こんなに急いで実験すること無いんじゃ・・」
「別に急いでるつもりはないんだけど・・ま、まあ実験は一気にやっちゃう物なんだよ」

サラは軽く睨まれ慌てて言い繕うウォルフを見て、ふう、と息を吐いた。
模型を見てもグライダーという物がどういう物なのか今一分からないし、そのために行われる実験も退屈だ。空を飛びたいのなら普通のフネの形で良いのじゃないかとも思う。
しかし、グライダーを作るために夢中になっているウォルフを見ることは好きだった。

「あ、そう言えば夏の旅行私たちもガリアに行けることになりました」
「アンネの家から連絡来たんだ。じいさんばあさんに会うの楽しみだな」

初めて会うんです、と言ってはにかむサラ。
元々アンネはエルビラの実家で働いていて、そのままアルビオンに来てしまったので、サラは親戚というものに会ったことがなかった。

「オレもじいさんばあさんに初めて会うんだよなぁ。従姉妹がいるらしいよ」
「私も結構いっぱいいるらしいです。覚えきれるかしら」
「グライダーが完成すれば五、六時間ぐらいで行けるようになると思うから、もっと頻繁に遊びに行けるようになるよ」
「グライダーってそんなに早く飛ぶんですか!?」
「最高で一時間に二百リーグ以上の速度で飛ぶことができるよ。特に行きは早いと思う」
「風竜よりも早いじゃないですか・・」

魔法を使わずに風竜よりも早く飛ぶ。
サラはますますグライダーのことが分からなくなってしまった。




 ようやくウォルフの謹慎が解けた。

「それでは、本日より貴方の謹慎を解きます。これからは自覚ある行動をとるように」
「はい!」

ウォルフは満面の笑みである。
まあ、謹慎十日間はきつかったが、やったかいはあった。
あれから連夜超回復を行い日々魔力を増強していて、大体一日二十五リーブル位、率にして一パーセント弱ではあるが確実に増えている。
だが超回復をした翌日に回復する魔力の量が少なくなるという副作用がある事が分かった。瞬間的に出せる魔力は増えるのだが、通常の半分強位しか回復しないようなのだ。
他にどんな副作用があるのかは分からないので、三日やったら一日は休む、翌日に用がある時はしないという事にしてしばらくは様子を見る事にした。
それと、やたらと腹が減るようになってしまったが、それは成長期と言うことで目立たなかった。

今日は謹慎開け記念にサラと森へ散歩に行く約束をしている。そのため昨夜は超回復を休んだ。
サラはバスケットにお弁当を詰めて持って行くんだと朝から張り切っていた。

「ウォルフ、どっか出かけるのか?」

クリフォードが話し掛けてきた。

「うん、サラと約束しててね。森まで『フライ』で散歩に行くんだ。」
「そ、そうか、・・・その、マチルダ様も一緒に行くのか?」
「何でマチ姉?いや、別に約束してないけど」
「いや、その、もし一緒なら、オレも行きたいって言うか・・・」

ごにょごにょと言いつのるクリフォードに驚くが、これはマチルダと出かけたいと言っていると理解する。

「あー兄さん、マチ姉と一緒に行きたいってんなら誘ってみるけど、どうする?」
「行きたいって言うか、聞いてみるだけ聞いてみて欲しいっていうか・・・・」
「分かった。取りあえずマチ姉を誘ってみるよ」

まだ何かごにょごにょ言っているクリフォードにそう告げると、厨房に向かった。
サラにマチルダも誘うことを告げると微妙な顔をされたが、クリフォードのことを話すと目を丸くして了承した。

「マチ姉のところに行って聞いてくるね。一応お弁当は六人前をお願い」
「わかりました。気をつけて行ってきて下さい」

ウォルフはそのまま飛行禁止区域まで『フライ』で移動し、後は歩いて城まで向かった。

「ごめんください。マチルダ様にお会いしたいのですが」
「ああ、ミセス・モルガンの息子か、ちょっと待っておれ、取り次いでやる」

暫く待っているとマチルダが直接門までやってきた。

「謹慎解けたんだね、ウォルフ。どうしたんだい、こんな朝からやってくるなんて」
「マチ姉、お早う。今日暇?サラと兄さんとで森に『フライ』で散歩に行こうって言ってるんだけどマチ姉も一緒に行かない?」
「なんだい、急に。何時頃出かけるんだい?」
「この後直ぐ、かな?何か森に綺麗な泉があるらしくて、そのそばの草原でお弁当食べるんだってサラが張り切ってた」
「ふうん、まあいいかしらね、一緒に行くよ。支度が済んだらそっちの家に行くから待ってておくれ」

家に戻り支度を済ませて待っていると、程なくしてマチルダが着いた。
クリフォードは何故かやたらと緊張していたが、マチルダを見るとスムースに挨拶をかわした。

「お早うございます、マチルダ様。本日はお日柄も良くこんな良き日にご一緒出来るとは、このクリフォード光栄の極みにございます」
「・・・・この前ちょっとやり過ぎちゃったかしらね。気持ち悪いからもっと普通にしゃべっておくれ」
「えっと・・はい分かりました」

自分で考えて精一杯紳士的な挨拶をしてみたが、気持ち悪いと言われてしまってクリフォードは軽くへこんだ。

「じゃあいこうか、あれ?マチ姉、従者さん一人?」
「ああ、こないだから頼んで減らしてもらったんだ、私ももう十二歳だしね」

私はもういらないって言ったんだけどね、などと言っているのを聞きながら、思春期になったら別の危険が増えてくるんじゃないかなぁ、と思ったが口には出さなかった。

「マチルダ様、ご安心下さい。このクリフォードがいる限り、どんな危険も貴女に近づくことを許しません」
「だから普通にしゃべれって言っただろ!」



 今日行く森はちょっと遠くの森。
サウスゴータの街を出て北に向かい、畑を越え、村を過ぎ目的の森に着いた。
途中元風石の鉱山だったという洞窟などを見物していたら目的地の泉に着く頃には、昼を大分過ぎてしまった。

「あー、やっと着いたー。腹ペコペコだぜ!」
「ああ、確かにここは綺麗だねぇ」
「直ぐにご飯の支度しますねー」
「・・・・・・」

上からウォルフ、マチルダ、サラ、クリフォードの順番である。
クリフォードのテンションが低いのは『フライ』が一番下手で、道中足を引っ張っていたことを自覚しているからだ。この中で唯一の風メイジなのに。
サラはマチルダの従者から荷物を受け取ると二人でてきぱきと支度をしていた。
この従者はタニアという名の元ガリア貴族で、サラとは気が合うのかよく一緒に話をしている。お互い苦労が多いらしい。
マチルダは座り込んで景色を眺め、ウォルフは泉に向かって水切りをしている。

「ウォルフ!せっかく綺麗な泉に石を投げ込むんじゃないよ!」
「えー、ちょっとくらいいいじゃん。あ、兄さんもやんない?これ」
「・・・・・おぅ」

クリフォードは一瞬マチルダの方に目をやったが、ウォルフと一緒に遊び始めた。

「まったく・・」

もう少し文句を言いたいマチルダだったが、あまり仲が良くないと聞いていた兄弟が一緒に遊ぶのを見て黙っていた。

「用意が出来ましたよー」

サラに呼ばれて行くとそこには森の中とは思えない豪華な料理が並んでいた。
『練金』で作ったであろうテーブルに並んだ、灰色をした変な器に入っている色とりどりの料理。スープなどは湯気を上げている。

「ちょっと、なんだいこれ。こんなに持ってきたのかい?」
「はい、ウォルフ様の作ったチタンの食器なら軽いので負担が少ないんですよ」
「なにこれ、金属?金属なの?これ」

マチルダが驚いていると、ウォルフ達もやってきた。

「あー腹減った。うぉっうまそう!」
「ちょっとあんた、なんだいこれ。こんな金属見たこと無いよ!」

ウォルフの鼻先にチタンのスプーンを突きつけて問いただす。

「あぁ、いいだろそれ。チタンっていうんだ。軽くて舐めても味がしないんだぜ」
「そう言う事じゃなくて・・何であんたこんな金属知ってんだい。土メイジのあたしだって見たこと無いのに」
「なんでって・・・知ってたから、かなあ。まあ、いいじゃんご飯食べようよ」
「・・・後で教えなさいよ」

 美しい景色を眺めながらの食事は普段以上においしく感じられ、それぞれに楽しい時間を過ごした。
マチルダは日頃有り得無い主従一緒の食事を楽しみ(従者のタニアは可成り遠慮していたが)、クリフォードはチラチラとマチルダを見てはため息をつき、サラはウォルフの横に座って嬉しそうにし、ウォルフはただひたすら食べまくっていた。

「しかしウォルフ、あんたは良く食べるねえ。あんなにあったのが全部無くなったよ」
「育ち盛りなのです」

けして毎晩気絶しそうなことをしているから、ではないのです・・・と心の中で呟きながら遠くを見つめる。
そんな食べっぷりが嬉しかったのか、サラは鼻唄を歌いながら後片付けをしていた。

「こいつは色が付いているけど、これもチタンっていう『練金』で作った金属だね?」

マチルダが手にしたカップをこつこつと叩いて聞く。
カップは少しだけしゃれた形をしていて綺麗な青色をしていた。

「うん、これは新作なんだ。スープを入れてきたポットもそうだけど壁を二重にしてね?断熱効果を持たせたんだ。ホラ、直接持っても熱くないんだぜ」

この色は二酸化チタンの層を作ってその厚みで色を・・・と嬉々として説明するウォルフを遮って尋ねる。

「そう言うことを聞いているんじゃなくて、何であんたはこんな物を知っているんだい?」
「だからそんなこと言われても・・・結構そこら辺の石ころにも入っているよ?例えば、うーん《ディテクトマジック》」

泉のそばの石に『ディテクトマジック』をかけ、その中から一つを選ぶとマチルダに見せる。

「ほら、このカップの青色は言ってみればチタンが錆びた物なんだ。極僅かだけど同じ物質がこの石にも入っているから『ディテクトマジック』かけてみて?」
「本当かい?信じられないよ。まあ、やってみるけど・・・《ディテクトマジック》」

最初は何も分からなかったが、集中力を高めて精査すると確かに何かが感覚に引っかかった。
それは優れた土メイジのみが分かり得る物で、確かにカップと同じ物がこの石に含まれていることを示していた。

「本当にあった・・・・」
「ね?みんな気付いていないだけなんだよ。オレに言わせればブリミル様が魔法を伝えて六千年も経つのに、こんな身近な石の成分一つ調べていない方が驚きだよ」

そんなことを言われても、何の役に立つわけでもないそこらの石を一々調べるメイジなんて居るわけがない。
それに何の意味があるのか分からない。

"あの子は我々とは全く別の世界を見ている"

突然にかつてのカールの言葉が思い出され、ぞわりと鳥肌が立つのを感じた。




[18851] 1-9    初めての闘い
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/06 19:34
「そう言えばクリフは何か特技はあるのかい?」

 食後のまったりとした時間のなか、何気なくマチルダが聞いた。

「と、特技?」
「そうさ、こんだけ変なのを弟に持ってんだ、兄貴のあんたには何かないのかい?」

クリフォードの顔がゆがむ。

「俺は、別に普通だから・・・」
「ふーん。まあ、そうか。風メイジだってのに『フライ』も一番下手だったものね」
「は、は、そうだね・・・」
「一応は、兄貴なんだから、もうちょっと頑張った方がいいよ」

マチルダは何の気なしに言ったのだが、クリフォードは急に立ち上がってマチルダを睨む。目尻には涙が浮かんでる。

「な、なんだい」
「オレだって頑張ってんだ!何も知らないお前にそんなこと言われたくねーよ!」

そう叫ぶと泉の横を通って森の中へ走っていってしまった。
残された四人に微妙な空気が漂う。

「急に叫んだりして、クリフも変なヤツだね。頑張れって言っただけなのに」
「マチ姉、兄さんはね、"出来すぎた弟"の存在に重圧を感じながらもそれを克服しようと、一所懸命に頑張っているんだよ。兄さんが魔法を本気で練習しだしてまだ一年だし、他人が気軽に馬鹿にしていい事ではないよ」
「クリフォード様が可哀想です」
「いや、今のはマチルダ様が悪いと思います」

ウォルフ、サラ、タニアの順に責められ、マチルダは怯んだ。

「なんだいウォルフ、あんた達仲が悪かったんじゃなかったのかい」
「別に仲なんて悪かった訳じゃないよ、ただ関係が作れていなかっただけだ。兄さんのことは気の毒だなぁって思っているよ。マチ姉、こっちはそろそろ帰り支度してるから兄さん探してきてよ」

「な、なんであたしが・・・」
「「マチルダ様が行くべきだと思います」」




「クリフー!どこ行ったー!・・・もう帰るよー!」

 結局マチルダが森の中に探しに来ていた。
クリフォードが走っていった方に来てみたのだが、中々見つからない。

この辺は木々が茂っている合間合間に草原が点在し、見通しはあまり良くない。

「はあ、やれやれ何であたしがこんな事を・・・」

ブツブツといいながら歩いていくと前方の茂みががさがさと音を立てた。

「はあ、やれやれそんな所にいたのかい。まあ、私もちょっとは悪かったからさ、一緒に帰ろ・・・きゃーっ!」

突然茂みから巨大な亜人が飛び出してきてマチルダをはたき飛ばした。
それは、アルビオン北部の高原地帯に住むという、トロル鬼だった。
獰猛で人間を見れば襲ってくるといわれているが、サウスゴータ周辺でこれまで見られたことはなかった。
身長五メイルにもなるトロル鬼の張り手は一撃で人間を殺しかねない物だったが、とっさに後ろに跳んで避けようとしたおかげでマチルダは一命を取り留めた。

「うぅぅ・・・」

しかし、五メイルも跳ね飛ばされたせいで意識は朦朧とし、杖もどこかへと飛ばされてしまっていた。

もう、だめだ。

途切れがちになる意識の中で、自分を見下ろし目の前に立ちはだかるトロル鬼を見上げてそう思う。
タニアやウォルフならこいつを倒すことも出来るだろうけど今は遠くに離れてしまっている。
きっと彼らがここに来るより早くこいつは私の首を引っこ抜くだろう。
マチルダが絶望の中、目を閉じようとした時その声が響いた。

「《エア・カッター》!」

クリフォードだった。トロル鬼の背後から攻撃し、傷を負わせると大声を上げてその注意を引いた。
その姿は草の中に倒れ伏しているマチルダからも確かに見えた。

「オラぁ、このデカぶつ!このクリフォード様が相手だ!こっちきやがれ《エア・カッター》!」

最初のクリフォードの奇襲にこそ背中を斬られ、悲鳴を上げたトロル鬼だったが、向き直ると片手で『エア・カッター』を叩き消した。
背中の傷はかすり傷でしかないようで、旺盛な敵意を向けてくる。

「うわ、まじかよ!《エア・カッター》!《エア・カッター》!」

必死に『エア・カッター』を連発するが、獰猛なトロル鬼は何でもないことのように、片手で魔法を叩き消した。
そのまま大きく吼えるとクリフォードに向かって突進を始めた。
そのあまりの迫力に呑まれ、クリフォードはその場に硬直してしまう。

「《エア・ハンマー》!」

後二メイル・・・見る見るクリフォードとトロル鬼との距離が縮まり、クリフォードを跳ね飛ばすかと見えた瞬間、トロル鬼の斜め後ろから放たれた魔法がトロル鬼を吹き飛ばした。
マチルダの悲鳴を聞いて、急いで『フライ』で飛んできたウォルフが間に合ったのだ。
サラとタニアも飛んで来てマチルダを介抱しようとしている。

「兄さん、大丈夫?」

呆然とトロル鬼が自分の直ぐ横を吹き飛ばされて行くのを見ていたクリフォードだったが、こんな時に、やけに冷静な弟の声を聞いて思考を取り戻した。
トロル鬼は十メイルも吹き飛ばされてしまった先で顔を押さえて悶えている。

「お、お、今のお前か、き、気をつけろよ、また来るぞ。何かすげえ怒ってるし!」

その言葉通り、二度も背後から攻撃され傷ついたトロル鬼は、大きな叫び声を上げながら両手で地面を叩き怒りを全身で表していた。
この森で一番強いのは自分だとでもいうように地を震わせ怒りを木霊させるのだった。

「うん、あれはオレが始末してくるから、兄さんはマチ姉達の所まで下がって。多分ハグレだと思うけどまだ他にも居るかもしれないから一ヶ所に固まった方がいい」
「お、おう」

あくまでも平静に、まるでその辺の石を拾ってくるとでもいうようなウォルフに、あれ、こんなに緊張しているオレの方が間違っているのかなあ、などと思ってしまう。
しかし、自分の『エア・カッター』が容易く叩き消される様を思い出し、トロル鬼の叫び声に背中を押されるように慌ててマチルダ達の元へ向かった。
マチルダをタニアが膝の上に抱え、サラと二人で『治癒』を掛けていた。
もう少しで合流出来る、という時後ろでウォルフの声が響いた。

「《マジックアロー》!」

クリフォードには普通に話をしたウォルフだったが、実は結構緊張していた。
彼が本当に冷静だったらトロル鬼を吹っ飛ばした時にそのまま止めを刺していただろう。冷静に対応したのは、パニックに陥らない様にと思ってしただけだ。
魔法の力を手に入れたといっても前世を含めて戦った事などないのだ。相手は身の丈五メイルの凶暴な亜人。対峙するだけで足が震えてくる。
ウォルフをいつものように動かし魔法を使わせたのは背後の者達を絶対に守る、という強い思いだった。



「マチ姉、大丈夫?」

 ウォルフがみんなの所へと戻って来た。
タニアとサラがまだ集中して治療をしている。

「ああ、もう大分楽になったよ。・・・あいつはもう死んだのかい?」

そういうマチルダの顔色は大分良くなっており、ウォルフを安心させた。
サラはドットとはいえ優秀な水メイジだし、タニアが水の秘薬を携帯していたので受けた傷は殆ど直っていた。

「うん、『マジックアロー』で胸を貫いたから、もし生きててももう動けないと思うよ」
「ああ、あのえげつないヤツ・・あれをもろに食らったんなら大丈夫か」

ウォルフの放ったのは改良版の『マジックアロー』でウォルフの『ブレイド』をそのまま射るような形に改善したもので、物理的な対象には最強で貫けない物はない、と言う代物だった。
初めてカールの家で放ったときは的を貫通し、さらに固定化の掛かった壁も突き抜け使用人の居る厨房に入ってしたために大騒ぎになったもので、その威力で獰猛なトロル鬼も一撃でしとめることが出来た。
トロル鬼はクリフォードの『エア・カッター』の時のように手で払いのけようとしたのだが、極めて薄いが濃密な魔力で構成された矢はその手を切断しそのまま胸を貫通したのだ。

「マチルダ様、はいこれ」

ようやく立ち上がったマチルダにクリフォードが探してきた杖を渡す。
幸いなことにトロル鬼の一撃を食らっても折れてはいなかった。
マチルダはちょっと恥ずかしそうに下を向いた後受け取った。

「あ、ありがとう。・・・・後、さっきはごめん。それと、助けてくれてありがとう」
「いや、こちらこそ・・そんな、オレなんて・・・・・」

もじもじと下を向きながらチラチラとクリフォードに目をやり礼を言うマチルダと、やはりもじもじと下を向きながら答えるクリフォードに周りは生温い視線を送るが、二人はそれに気付かなかった。




「本当にそれ持って帰るの?」

 泣きそうな声でサラが聞く。

「ああ、もちろん。役所にこれ持ってくと三十エキュー貰えるんだぜ。切り落とす時は吐きそうになったけど、これは見逃せないでしょ」

みんなで分けよう、と言うウォルフに他の四人は声が出ない。
荷物を纏めてさあ帰ろう、という段になってウォルフがトロル鬼の生首を持ってきたのだ。
マチルダとクリフォードはそれを見ると受けた恐怖を思い出したし、タニアとサラもそんなものは見るのもいやだった。

「三十エキューくらいなら、無理して持って帰らなくてもいいんじゃないかい?」
「一ドニエを笑うものは一ドニエに泣くんだ。最近羊皮紙が欲しいっていうと父さんいやそうな顔をするんだよね」
「羊皮紙くらいなら、あたしが分けてあげてもいいんだよ?」
「施しは受けん!・・・・・寄付は別」

結局ウォルフを説得することは出来なかったが、ウォルフも気を遣って黒色のビニール袋を『練金』し、それに入れて持って帰ることにした。

「本当にみんなお金いらないの?独り占めだとなんか気が引けるんだけど・・」

いらない、と口々に言われセレブめ、と呟くが、その意味が分かる人間は居なかった。

帰り道、マチルダは途中までタニアに背負われていたが、もうすぐサウスゴータが見えてくる、という辺りで背中を降り、自分で飛んだ。
一際低い高度で飛ぶクリフォードの横を飛びながら話し掛ける。

「どうも効率が悪いね、魔法のイメージが悪いんじゃないかい?」
「そんなこと言ったって、凄く集中しているんですが」
「そんなふうに、後ろから風で押すばかりだから却ってスピードが上がらないんだよ。目の前にある空気の層を左右に切り分けて自分の後方に押しのけるイメージを持ってみてご覧よ。その上で、後ろから風で押すんだ」
「目の前の空気を左右に押しのけるイメージ?・・・うん、やってみるよ・・・《フライ》!」

一度魔法を切って再び掛けてみる。
するとどうだろう、一度魔法を切った分高度は下がったがスピードがぐんと増した。
それはクリフォードが今までに経験したことがないレベルで、ちょっと怖いほどだった。

「うわわっ、マチルダ様、凄いよ!マチルダ様の言う通りにしただけでこんなに!」
「ほら、凄く良くなったじゃないか。それを自分の下に押しのけることが出来ると高度も簡単に上げられるようになると思うよ。」
「自分の下に・・・うわわ本当だ!」

また、イメージを変えると高さも自由に上げられるようになり、みんなと同じ高さまで来ることが出来た。
クリフォードはこんな簡単なアドバイスでこんなにも魔法の効果を上げさせてくれたマチルダを心から尊敬した。

「マチルダ様ありがとうございます。・・・マチルダ様は凄いです」
「いや、あたしもウォルフに教えてもらっただけだよ?元々あたしは土メイジだからね、風は苦手なんだ」
「なんだってー!」

 ウォルフによれば、『フライ』は風魔法でもありコモンマジックでもある魔法で、重力制御に加えて『念力』それに気圧制御をすることによって完成する魔法とのことである。
気圧制御を『念力』で行えばコモンマジック、『風』で行えば風魔法、というわけである。本来風魔法なのにルーンだけではなくそれを簡略化した口語の呪文があると言われていたが実は魔法としては別のものらしい。
重力制御とかは虚無の魔法に分類出来るのではないかとウォルフは思うが、ハルケギニアのメイジは皆無意識に使っていた。
その事に気付いたのは父ニコラスが「『フライ』を唱えていれば高速で衝突しても比較的被害が少ない」と教えてくれたからである。風の魔力素には慣性を制御する事は出来ないはずなのだ。
ちなみに、『サモン・サーヴァント』も絶対に虚無の系統だと考えている。
マチルダはウォルフの教えを朧気ながらも理解することによって、土メイジでありながらも『フライ』を使う事が出来るようになっていた。

「おい!ウォルフずるいじゃないか!こんな楽に飛ぶ方法知っていたのに、オレには教えないなんて」
「兄さんに教えるような機会がなかったじゃないか。大体オレが教えても兄さん聞かなかったんじゃない?」
「う、確かに・・・で、でもこれからは特別に教わってやるから、教えろよ、いいな!」
「兄さん・・・あんた一体何様なんだー」
「もちろん、お兄様だ!」

兄弟は初めて笑いあった。










[18851] 番外1   兄として
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/06 19:35
 俺くらい弟で苦労した兄はいないんじゃないかなって今なら思える。

 弟が出来ると聞いたのは四歳の誕生日から少し経った頃だった。
母さんのお腹がどんどん大きくなっていくのを見て、弟が出来たら一緒い遊ぼうとか、優しくしてあげようとか、お兄ちゃんなんだから面倒を見てあげなきゃとか考えながらワクワクして生まれてくるのを待ってたんだ。
生まれてきた赤ちゃんは小っちゃくて皺くちゃで、こんなのが本当に人間になるのか不安だったけど、喜んでいる父さんや母さんを見てそんな事は言えなかった。
暫くしたら普通に赤ちゃんって感じになって安心したけれど、最初は本当に心配したんだ。
ふわふわの栗色の髪に大きなエメラルド色の目、首が据わったら抱かせて貰ったけど、目が合うとニコッと笑う本当に可愛い弟だった。
オレは兄としてこの弟を守ってやらなくちゃならないんだって心から思った。
何時だってオレが抱き上げると喜んだし、ずっと仲良くやっていけるんだって信じていた。

 ウォルフが話し始めたのは普通の子供よりも遅い位だったと思う。父さんと母さんは喜んでたけれど俺は凄く大変になった。
一緒にいるとやたらと色々聞いてくるのだ。あれは何?何で?何度聞かれたことだろう。
とても話し始めたばかりの乳児が聞くようじゃないことまで色々聞いてきて、あげく字を教えて欲しいと自分から言ってきた。
まあ、可愛いので主にオレとアンネで本を読みながら字を指で追って文字を教えた。
するとウォルフは文字をすぐに覚え、自分で本を読むようになって、このあたりからもうオレの手には負えないようになる。
どんどん難しい本を読むようになり、知らない単語がある度に聞いてきて、オレやアンネが答えられないようになると父さんや母さんに聞いていた。
聞かれた事に答えられない時、ウォルフは一瞬気まずそうな顔をして目を逸らすんだ。
それがいやで俺はウォルフを避けるようになった。幼児に気を使われる屈辱を想像してみてくれ。
あの、残念そうな目!目!目!・・・何度夢に見た事だろう、ニコニコと楽しそうなウォルフが"あっ、まずい事聞いちゃった"って顔になる瞬間。そしてがっかりしてるくせにそれを表に出さない様にしようとする気遣い。
ウォルフに悪気がないのは分かる。でも、こんなお兄ちゃんなんてウォルフはいらないんじゃないかって言う自己嫌悪を消す事は出来なかった。
父さんが"ハルケギニア大広辞苑"を買ってきてくれてから自分で調べるようになったので良かったが、そうでなければ今頃ノイローゼになっていたに違いない。
その頃からオレはカール先生のところに魔法を習いに行く様になったので、あまりウォルフとは顔を合わせないで日々を過ごせるようになった。ウォルフはずっと一人で色々と勉強している様だったが、俺はなるべく関わらない様にしてたんだ。

 そのささやかな平和はウォルフが魔法を習い始めて直ぐに消えた。
四歳半で魔法を習い始めたら一ヶ月位でラインメイジになっていた。
こんなナマモノの話を誰か聞いた事がありますか?俺はないです。

「兄さんは性格が真っ直ぐだから思いこみが激しすぎるんだよ。もっと客観的な視点を持てばうまく魔法を使えるようになると思うよ」

俺が魔法を失敗したのを見てウォルフが言う。この時四歳児です、こいつ。
イラッとする。

「自分以外の系統?きちんと魔法の事を把握すれば兄さんも直ぐに使えるようになるよ」

重ねて言いますが、四歳児です、こいつ。
イライラッ。

 あっという間に俺より魔法がうまくなっちゃったウォルフは俺が魔法を使ってるのを見かけるとアドバイスを言ってきて、あいつは親切のつもりだったんだろうけど俺は「ウルセー」としか答えなかった。
それからはもう、口をきく度にウォルフに当たるようになっちゃって、自分でも止められなかった。
俺はウォルフに酷い事を言う度に俺は悪くないと自分に言い聞かせていたけど、あいつはちょっと困ったような、悲しそうな顔をするだけで文句は何も言わなかった。
そんな状態がずっと続いていい加減自分の事が嫌になった頃マチルダ様と出会ったんだ。
マチルダ様は妖精かと一瞬思っちゃったほど綺麗なのに魔法は凄かった。
俺と二歳しか離れていないのにトライアングルかと思うほど大きなゴーレムを操れるんだ。

「ふん、ぬるい攻撃だね。本当にウォルフの兄貴かい?」

マチルダ様の言葉が胸に突き刺さる。
ウォルフの兄貴って言わないで欲しい。兄貴らしい事は何もしてないんだから。

「一応は、兄貴なんだから、もうちょっと頑張った方がいいよ」

頑張っています。
ていうかいくら頑張ったって相手はウォルフなんだぜ?
俺なんかとは最初から出来が違うんだよ。俺だってカール先生の教室じゃ優秀な方なのに。
ずっと兄貴になんて生まれたくなかったって思っていたよ。

 でも気付いた。トロル鬼をやっつけてあいつが帰ってきた時、その手が少し震えていたんだ。
それを見て、あんなに凄いやつなのに俺みたいに怖がる事もあるって知って、少しだけ楽になった気がしたんだ。

 あいつだって俺みたいなやつの弟になんて生まれて来たくはなかったろうに、文句なんて何も言わない。
多分ウォルフはそれを文句を言うような事じゃないって知っているんだ。だって文句を言ったって仕様がないから。
俺は文句ばかりだ。ウォルフが俺より凄いのは誰の所為でもないのに。

 俺はド・モルガン家にウォルフより先に生まれた普通の子供で、ウォルフは多分凄いやつ。いや、五歳児が一人でトロル鬼倒すなんて聞いた事も無いからもの凄いやつなんだ。
兄貴なのにあいつに負けているのがいやだったけど、絶対にそれはオレの所為じゃないと思う。

 ハイキングの帰り、マチルダ様に『フライ』のアドバイスをしてもらったらいきなりうまく飛べる様になった。
マチルダ様も凄いんだって思ったけど、マチルダ様もウォルフに教えてもらったとの事だ。
あいつの魔法はあいつにしか使えない凄い変なものかと思っていたけど、実は誰にでも使えるものらしい。
もしかして今までウォルフが色々俺に言ってきた事をちゃんと聞いてれば、もっと魔法がうまくなっていたという事か?
何か今まで拘って来た事が全部くだらない事に思えてきてしまった。

 ハイキングに行く前は偉そうな事を言ったけど、俺は今のままじゃマチルダ様を守る事なんて出来やしない。
ウォルフに聞けば強くなれるならウォルフに聞こう。
弟にそんな事を聞けるかって思っていたけど、ウォルフはウォルフ、俺は俺なんだから関係ない。あいつの方が凄いんだったらあいつに聞くべきだ。
そしてもっと強くなって今度は俺も一緒に戦うんだ。
マチルダ様の事を守るって誓ったんだから。
あいつがどんなに凄くたって、俺はあいつの兄貴なんだから。



[18851] 1-10    自分の城
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/06 19:37
 サウスゴータに帰ったウォルフはトロル鬼の首を役所に提出し、三十エキューを得ることが出来た。
この地方でトロル鬼が出ることはほとんど無いので手続きに手間取ったが、マチルダが口添えしたこともあり、タニア名義で問題なく支払われた。
さらにマチルダから結構な量の羊皮紙を貰えたこともあり当面羊皮紙不足は解消された。

 マチルダは両親から暫く街から出ることを禁止されたみたいだが、特に堪えた様子はなく、今まで通りの生活を送っていた。
クリフォードはウォルフに話し掛けることが多くなった。
魔法で悩んだときなどに尋ねることが多い。ウォルフのアドバイスは分からないことも多いのだけど嵌ったときには強力なので、真剣に聞くようになった。
屋敷のそこここで見かけるようになった兄弟が一緒にいる姿を見て、両親はことのほか喜んだ。


 その日上空で模型の飛行試験をしていたウォルフが屋敷に帰ってくると、非番で家にいたニコラスが出迎えた。

「ウォルフ、また実験かい?」
「うん、改良した翼の飛行試験を空で行っていたんだ」
「職場で、最近変な子供が空を飛んでいると連絡があったけど、お前か。しかしそんなのが本当に飛ぶのかね」
「それが飛ぶんだよ、見てて」

そう言うと『フライ』で舞い上がり、少し遠くから水平飛行で勢いを付け、屋敷の近くまで来ると手を離す。
模型はそのまま滑るように空を飛び、やがて屋敷を越えた辺りで先回りしていたウォルフの手の中に収まった。

「結構なめらかに飛ぶでしょ」

戻ってきたウォルフが自慢げに言う。頬が少し赤い。

「はー、確かにあれは"飛んでる"な。竜が滑空しているときに似ている」
「グライダーって滑空するって意味なんだよ」
「そうか、本気で人が乗れるようなのを作るつもりなのか」
「うん、で、お父様、相談なんだけど・・・」

ウォルフがニコラスの顔色を窺いながら切り出す。グライダーを作るための広い作業場を確保しなくてはならない。

「うわっ出たよ"お父様"。あんま無茶なことは勘弁してくれよ?」
「いやいや、そんなことはないですよ?実は、本物を作るに当たって作業するスペースが足りないのです。そこで納屋のスペースをちょっと増やしたいのですが・・・・」
「え、あれで足りないって言うのか?ちょっと物が増えすぎているんじゃないのか?」

最近納屋の部屋の中に巨大な風洞が出現していることは知っていたので、そのせいでスペースが足りないのかと思ったのだ。

「いや、今ある物全て処分してもちょっと足りないのです。もちろん今ある納屋としての機能には全く影響を与えません。空間の有効利用といいますか、なんということでしょう!って感じにスペースを広げ、必要な空間を確保するつもりです」
「今あるところには影響を出さないんだな?確かにお前が新しく作った棚のおかげでとても便利になったと使用人達も言ってた。・・・まあ、いいか。好きにやりなさい」
「ありがとうございます、お父様。必ずや迷惑の掛からないようにいたします」
「まだ"お父様"なのがちょっと怖いな。・・・時にウォルフよ、最近クリフと仲がいいみたいじゃないか」
「うん、中々現状を受け入れることが出来なかったみたいで足掻いていたから心配したけど、自分は自分として受け入れることが出来た見たい。これで正しく自分を認識出来れば、卑屈にならずに成長することが出来るんじゃないかな」
「何でそんなに上から目線なんだ・・・まあいい、なにかあったのか?」
「恋というものはいつだって男の子を成長させる物なのです」
「ほほーう」

親子で目と目を見交わし、にやりとする。
ニコラスはもっと詳しく知りたがったが、本人に聞けと拒否し納屋へと戻った。

「サラ!やったぜ!納屋の増築に父さんの許可が下りた」

 ウォルフに出された課題を解いていたサラは疑わしそうに顔を上げた。

「本当にあんな計画が許可されたんですか?ニコラス様は何を考えているのでしょうか・・」
「ああ、もちろん!今あるところに影響を与えないで、"ちょっと"スペースを増やすって言って許可をもらったぜ」
「・・・・それは本当に許可を得ていると言えるのでしょうか」
「そりゃそうだよ。なんだよ、テンション低いな!いいじゃないか、誰に迷惑掛けるわけでもなし」
「そりゃそうかも知れないけれど、不安なんです。あと、お役所の許可とかも必要なんじゃないですか?」
「サラは不安がりだからなぁ。お役所は大丈夫だ。五階までの建物は許可がいらないらしい。三階以上の建物には固定化を掛けるように指導しているみたいだけどな」

ウォルフ様が脳天気すぎるんです、と膨れるサラを尻目に完成までの日程を考える。
途中で予定を変更してグライダーの格納庫も併設する事にしたのでそれまでに作った大理石の石材はみんな不要になってしまったが、まあ、いつか必要になるかもと思ってそのまま取っておくことにしてある。
今回増築するのは贅沢にもオールチタン製にすることにした。
どんな住み心地になるかは分からないが、それはそれ、作ってみることに意味がある。
実はウォルフにとっては石材を作るよりもチタンを作る方が楽、ということがあり、どうせならかつて無いものを、という風に盛り上がってしまったのだ。
納屋の周りにチタンの柱を建て、納屋の上に三階と四階に相当する部分を作る、というのが今回の計画だ。
どう考えても"ちょっと"スペースを増やすというレベルの工事ではない。
できあがれば、縦二十メイル、横八メイルのスペースが二層という広大な物で、全体の外観を舟形にしたために屋根の部分ではさらに縦二十メイル幅二メイルも広がっている。まさにノアの方舟っといった風情である。
とにかく柱もチタンなら壁もチタン、床もチタンで天井もチタンという前世の世界なら絶対に頭が悪いと思われる仕様で、しかも全部純チタンではなく64チタンと呼ばれる合金である。

もう全部設計をすませ、あと外装用材を少し作れば組み立てられる、というところまで出来ているのでいつ取りかかってもいいが、チタン材を『練金』で繋ぐのが多分ウォルフにしかできないので、十分に魔力をためておく必要がある。
ということで、建てるのは三日後のダエグの曜日にすることにした。
その日はニコラスもエルビラも仕事なので、途中で邪魔をされる心配がない。建ててしまえばこちらの勝ちだ。

「よし、三日後のダエグの曜日に建てよう!後でマチ姉にも手伝って貰いたいからお願いしてみよう」

 結論から言えば手伝って貰えることになった。
カールの授業が終わった後、マチルダの目を見つめながら上目遣いで"お願い"したら一発でOKだった。
マチルダが案外可愛い物に弱いことを知っていたので狙ってみたのだが、サラには悪辣と言われた。
マチルダだけでもかなりの戦力だが、カールも午後から見に来る、といっていたので取りあえず一日で建つ目処は立った。
更に家に帰ってクリフォードにマチルダが手伝いに来ることを伝え、「兄さんもマチ姉と一緒に手伝ってくれないかな」と頼むともちろん一発OKだった。

 決行前日・オセルの曜日

 下準備を進め、柱を建てるための穴を掘った。
『練金』を使い納屋の周りに十ヶ所。慎重に垂直を取り、それぞれの寸法を測りながらである。
四メイルと少し掘ったところでアルビオンの岩盤に当たり、更に掘り進めて深さは五メイルに達した。
全てを掘り終わると大人にばれないよう、それぞれに石でふたをしてごまかしておいた。

 決行当日・ダエグの曜日

 いよいよ当日である。ウォルフは朝から可成り興奮していたが、何とか抑えて両親を見送った。
門を閉めてしまえばこっちの物である。

 まず、中庭の地面に穴を開け地下から柱を取り出す。四十サント程の太さのH型の断面をしたもので屋根までの長さの物が四本、四階の床までの長さの物が六本である。
それをそれぞれ昨日掘った穴に差し込み、次は梁を用意する。
これは最長で四十メイルにもなるので、いくつかの部材を現場で接着しながら仮組みする。
ここらで納屋の上に巨大な構造物が組み上がっていくのを見て不安になったメイド達が話を聞きに来た。納屋の半分は使用人用の家屋になっているのだ。
納屋には何も手を付けないから心配しないように諭し、作業を続ける。

 一番大本の骨格に当たる部分を仮組みし、垂直や水平を確認する。
微調整をしてきちんと全ての柱で水平・垂直が出たら柱の根本に練ったセメントを流し込み固定し、仮組みした部分を接着していく。
そこからはひたすら地下から部材を運び出しては組んで接着する、という作業で、ウォルフはほぼずっと『練金』で接着作業をしていた。
柱と梁を全てくみ終わったら外装に取りかかる。
外装は酸化被膜で赤く発色させていて、この辺はエルビラの好みを勘案しておいた。
外装が終わった頃ようやく昼になった。全て予め加工済みだったとはいえ予想以上の早さである。
もう、外から見ると殆ど出来ているように見えるので、屋敷の外には見物人が集まりだしていた。
突然住宅街の空中に真っ赤な船が出現したのだから当然である。

「うっああああ・・・疲れたぁぁ」
「ほらしっかりしなよ、クリフあんた一番働いてないんだから」
「うわぁ、マチルダ様非道いです。不肖クリフォード必死にやっておりましたのに」
「まあ、兄さんも今日一日で大分レビテーションうまくなったんじゃない?」
「何でこの野郎はこう、しれっとした顔してやがるんだろう・・・」

 簡単な昼食を摂りながらだべる。
誰がどう見ても一番働いていたのはウォルフで、マチルダ、サラ、クリフォードと続いていた。
この辺は魔法の関係でしょうがなかった。
サラも疲れているからかアンネに支度をまかせ一緒に食べている。

「うーん、しかし出来上がってくると嬉しいねぇ。後どれくらいで出来るんだい?」

出来上がりつつある建物を見上げ、マチルダは楽しそうだ。
これだけ大きな物を作りあげる、という作業はかなり楽しい物だ。

「えーっと、もう赤いのは全部張り終わったよね。次は屋根を張って、断熱材と内壁を張って、床を張って窓を付ければおしまい」
「・・・張ってばかりだね。なんだいまだまだ結構あるじゃないか」
「でも、気を遣う必要があるのはあと屋根くらいだからもう大分気が楽だよ」
「あれ、でも階段がないね、どうなっているんだい?」
「これはメイジ用の建物なので必要ないのです・・」
「うそだよ、ウォルフ様忘れてたんだよ。昨日、あっとか言ってたもの」
「・・・・後で付ければいいじゃん」

色々と喋りながらの昼食を終え、軽く昼寝もして、作業を再開しようとしているとカールがやってきた。

「おい、子供ら。もうこんなに出来たのか。外で可成り話題になっとるぞ」
「あ、先生こんにちは。はい、まあ予定通りです。丁度半分って所でしょうか」
「ふーむ、こんなにでかい物じゃったとは、良くニコラスが許したのう」
「・・ええ、まあ。・・先生はこれを『練金』でくっつけられますか?マチ姉は無理だったので」
「ふむ、これがマチルダが言っとったチタンという金属か。どれ『練金』!」

ウォルフが差し出した二つのチタン片は一つになって固まった。
さすがに土のスクウェアともなれば未知の物質でも変形くらいはお手の物らしい。

「やった!じゃあ先生もオレと一緒に建材を接着する作業をお願いします」
「まあ、二時間くらいしか出来んが手伝ってやるわい」

 カールが来たことで大分スピードアップがなされたが、クリフォードがいよいよ限界近くなっていた。
もう魔法は使わず、地下の建材を地上に手でも持って来るという作業を一人でしている。

 屋根と床にはチタンハニカム構造材をサンドイッチして強化した物を使用し、カールと二人だと効率よく張ることが出来た。
断熱材にはポリスチレンのフォーム材をぐるりと全ての壁や床、天井に入れ、その後内壁、床と張っていった。
この辺りの作業は、クリフォードとサラが地下から部材を出し、サラが設計図と工程書を確認し、マチルダが現場まで運ぶという流れで行われた。
床まで全て張り終わり、全員で格納庫用の巨大な扉をセットしたところで、カールが帰り、ここでマチルダとクリフォードがギブアップした。
この扉は高さ三メイル半で横幅が二十メイルもある巨大な物で、床と同じチタンハニカム材をチタンパイプのフレームに組み込んである。
開くときは外に向かって倒れて開き、そのまま四階の床として使えるようになっている。
今回一番苦労した部分で、回転軸の反対側にタングステン製の錘を付けて開くときにバランスを取ったり、横に長いので五ヶ所で支えるようにしたり、その軸用にローラーベアリングを開発したり色々と大変だったものだ。
この扉を四階の両側に付けたので、両方を開け放すと相当な開放感を感じることが出来るようになっている。
一枚につき三つの部品に分かれて取り付けたそれをウォルフが一人で接着し、窓をはめて漸く一応の完成を見た。窓は殆どが二枚ガラスのはめ殺しの丸窓で、開閉出来るのは四階の一部だけにした。

「で、出来た・・・・」
「やりましたね・・・」

最後の窓をはめ、床に倒れ込む。何とか日が沈む前に終えることが出来た。
ウォルフもさすがに疲れていたし、サラはもう魔力切れ寸前だ。
しかし、両親が帰ってくる前に中庭の穴を塞がなくてはならない。
きしむ体に鞭を打ち立ち上がると出来たばかりの格納庫の扉を開け外に出た。後ろからこわごわとサラが着いてくる。

「こんな先っぽに乗ってもびくともしませんね」
「そりゃあね。一応五千リーブル位までは耐えられるように作ってある」
 
数値は概算だったが子供が二人乗ったくらいではどうにかなるはずはなかった。
端まで来て下をのぞくと、中庭のベンチでマチルダとクリフォードが何かしゃべっていた。

「何かあの二人、いい感じじゃない?ここで下に降りていったら、オレ邪魔者かなぁ」
「あら、ふふふ。まあ、あまり気を回さない方がいいですよ。マチルダ様!クリフォード様!完成しましたー!」
「うわ・・・取りあえず下の穴塞いでくるからここで待ってて。みんなでここでお茶しよう」

そう言って『フライ』で下に降りると何故かワタワタとしているマチルダ達にも伝えると穴を手早く塞ぎ、メイドにお茶を貰ってきた。

「あれ、まだ上に行っていないんだ」
「あたしもクリフももう魔力が殆ど無いからね、あんなとこまで行けないよ」
「んじゃ、オレが送るよ・・《レビテーション》!」

四階の、扉の外になっている部分でちょうど今、夕日が綺麗に見えている場所に移動して座る。
大きめのグラスに氷とレモンを入れ、砂糖をたっぷり入れたお茶を注ぐ。

「えー、それじゃあ皆さん!今日はお疲れ様でした!おかげさまでこうして立派な建物が建ちました!乾杯!」
「「「乾杯!」」」

「くー、よく冷えてておいしいねぇ!これは」
「はー、風が気持ちいいです・・・」

思い思いに寛ぐ。疲れた体に甘く冷たいお茶がおいしい。
ウォルフが少し前に放射冷却を利用した無電源の冷蔵庫を作っていたので氷が何時でも使えるのだ。
もう夏が近いが、夕方の風は涼しかった。

「いやしかし、本当に良く一日で出来た物だよこんなの」
「まあ、結構前から準備してたからね。今日は組み立てるだけってとこまでやっておいたわけだから」
「もう全部終わったのかい?」
「いやほら、まず階段付けないと。今三階と四階の間は穴が空いているだけだし、下から上がってくるのも付けるつもり」
「ウォルフ様はこんなに凄いのを作れるのに詰めが甘いと思います」
「ぐはっ・・でも致命的なミスはしたこと無いでしょ・・」
「まあ、でもこれは凄いよ。グライダーってのも楽しみにしてるよ」
「今日手伝ってくれたメンバーにはもれなくグライダー試乗の権利がプレゼントされます」

そんなことを話していると下からニコラスの呼び声が聞こえてきた。

「うわ、やっぱ怒っているっぽいなぁ」
「何で怒ってんだよ。お前、父さんの許可を取ったんじゃないのかよ」
「取ったよ?納屋が狭いから"ちょっと"スペースを広げたいって言って許しをもらった」
「「うわ・・・」」
「まあ、下に行って説明しよう。だめならおとなしく怒られればいいだけだし」
「まさに確信犯ですね」

全員に『レビテーション』を掛け、ニコラスの元に向かった。

「ウォルフ、なんだあれは。私はあんな物を作る許可を出した覚えはないぞ」
「お父様、納屋の上の利用されていない無駄なスペースを有効活用したのです。なんということでしょうあの狭かった納屋がこんなに広く、って感じです」
「広すぎだ!有効活用ってレベルじゃないだろう!届け出とかもしなくちゃならないかも知れないし、大体あれ危なくないのか!」
「こちらが関係法規の写しです。ここサウスゴータでは高さ二十メイル以下、五層以下の建物に関し、届け出は必要ないことになっています。強度に関しては十分な物を確保しています」

そう言ってウォルフは懐に入れていた羊皮紙を広げて示す。
関係法規の写しから建物の構造、チタン材の強度試験結果までそろっていた。

「・・・・計画通り、と言う訳か・・・」
「はい、お父様が好きにやれ、と仰って下さったので予定通りの物が建てる事が出来ました。ありがとうございます」

にっこり笑って言うウォルフに絶句する。何か悔しいが、よく考えれば話を通されていなかったので腹立ちはしたものの確かに何か問題があるというわけではなかった。

「どうしても必要だったのか?」
「はい、グライダーの制作場所、完成後の保管場所、発着に便利な形を考慮した結果、このような形が最善であると結論しました」
「そうか、あれだけの物をお前達だけで建てたのか?」
「ここにいるサラ、マチルダ様、兄さんとで建てました。あと途中で少しカール先生が手伝ってくれました」

 子供達だけであれだけの大きさの物を一日で建てたとなると、その異常さが目立ってしまう恐れがあるが、土のスクウェアであるカールが関わっていたとなるとその恐れが大分減る。
ニコラスは同僚にはカールが主に作ったと説明しようと決めた。
子供達には今更なので隠さずその懸念を伝え、周囲に話すときはカールが手伝ってくれたことを必ず話すように言い含めた。
後にカールの元に建築依頼が多数来て困る事になるのだが、そんな事はニコラスの知った事ではなかった。

 ついにウォルフは"自分の城"を持つことになった。
空中に浮かぶその城を彼は"方舟"と呼ぶことにした。








[18851] 番外2   初めての虚無使い
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/06 19:38
 これはウォルフ十一歳ちょっと未来のお話しです。









 その日カールの元を一人の客が訪れていた。

「やあ、これは久しいなあラ・ヴァリエール公爵、サウスゴータへようこそ!」
「ご無沙汰しております、ミスタ・ストラビンスキー」

カールの屋敷に現れた壮年の男性をにこやかに出迎え、久方の再会を喜ぶ。
その客、ラ・ヴァリエール公爵は少し緊張した面持ちで挨拶を返した。

「しかし、いつ以来じゃろうなあ、ワシがこちらに来てからは初めてじゃから二十年近くぶりになるか」
「不肖の弟子の分際で、いつも手紙での挨拶ばかりで申し訳ない」
「弟子などと・・・三十年以上も前の事じゃよ。立派な貴族になられたな」

目を細めてラ・ヴァリエール公爵を見る。少年の頃の面影は其処此処に残っていて懐かしく感じさせた。

「しかし、公爵家の当主ともあろう者がお忍びで他国まで来るというのはただごとではないな、手紙に書いてあった娘のことか」
「はい、いくらやっても魔法を成功させることが出来ないのです。そこで先生にも話を聞けば何かヒントになることがあるのでは、と藁にも縋る思いで参りました」
「ふむ、しかしお主や奥方が長年見てきてできなかった物をワシがすぐに何か言えるとも思えんのじゃが・・」
「いや、実は手紙に書いてあった少年のことでこちらに来る決心をしたのです。なんでも魔法を爆発させた、とか」
「ああ、ウォルフの事じゃな。アレは吃驚したわい、普通に『発火』の魔法を教えておったらいきなり爆発したんじゃ」

ひっくり反っておったわい、と続け思い出してにやりと笑う。

「その子のことです。実は私の三女はただ魔法が成功しないのではなく、全て爆発を引き起こしてしまうのです」
「なんと・・・」

全ての魔法が爆発する、そんな聞いたことのない現象に絶句する。公爵令嬢がそんなことになっているとしたら、確かに問題であろう。

「ですから、私は先生に尋ねたいのです。その子の魔法は何故、爆発したのか、そしてどうやって成功するようになったのかを」
「あの時はたしかイメージの問題と言っておったが・・・ワシには解らんのだよ」
「解らん、ですか・・・」
「ああ、解らん、な。あの子の魔法は往々にしてワシの理解を超えておるのじゃ。」
「そうですか・・・・」

がっくりと落ち込んでしまった公爵を気の毒そうに見やる。
僅かな望みにかけこんな所まで来たことが無駄になってしまい、その横顔に浮かぶ徒労感は隠しようもなかった。

「その子は連れてきているのか?」
「はい、アルビオン旅行ということで連れてきました。今は宿屋に置いてきています」
「ではウォルフに直接その子の魔法を見せたらどうじゃろう。彼なら何か気付くかも知れん」
「その子にですか・・・その子は今何歳で?」

公爵が躊躇する。噂が立つのをおそれているのだろう。

「十一歳じゃ。大丈夫、賢い子じゃよ。余計なことは口にせん」
「ルイズと同い年ですか、ううむ・・・」
「ワシも一緒に見るが、おそらくワシよりはウォルフの方が何か解る可能性が高いと思う。あの子はわしら大人とは全く違う物の見方をしている」

結局翌日にウォルフを呼んでルイズの魔法を見せることにした。




「初めまして、ラ・ヴァリエール公爵、お嬢様。ウォルフ・ライエ・ド・モルガンです。よろしくお願いします」

翌日の午後、ウォルフはカール邸の中庭に来ていた。
最近はあまり来ることもなく、たまにお茶によるだけであったがウォルフにとってはいつもの場所である。
紹介を受けて挨拶を返したウォルフの前にいるのはトリステインのラ・ヴァリエール公爵と、長いピンク色の髪が特徴的なその三女である。

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ」

素っ気なく応えるルイズは少し緊張しているようだった。
昨夜ヴァリエール公爵に聞いていたとはいえ、同年代の男の子に自分の失敗魔法を見せるのは初めてなのだ。
ウォルフはその鳶色の目に怯えを感じ取り何も言わなかった。

「ではルイズ、何か魔法を使ってみなさい。カール先生とウォルフ君が見ていてくれるそうだ」
「はい、お父様・・・・・《レビテーション》!」

ボカンと音を立ててルイズがねらいを付けた石の辺りが爆発して散った。
ルイズは悔しそうに下唇をかんでいるが、ウォルフは驚きに大きく開いた目を輝かせていた。

「実際に見ると話以上じゃの。どうじゃ、ウォルフ何か分かったか?」
「いいえ、今のだけではちょっと・・ミス・ヴァリエール、系統魔法も使ってみていただけますか?」

何故か目をキラキラさせ嬉しそうに話し掛けてくる少年に若干引きながらも、公爵を見上げ許可を得ると続けて魔法を使った。

「《発火》!」ボカン!

「おお!風系統もお願いします」

「《ウインド》!」ボカン!

「水系統も」

「《凝縮》!」ボカン!

「土も」

「《練金》!」ボカン!

 カールはあまりにもデタラメな魔法に掛ける言葉もなかったし、ヴァリエール公爵も目元を抑えて俯いてしまっている。
ルイズは杖を握りしめた手を震わせ下を向いて今にも泣きそうだ。
そんな中で一人ウォルフだけが嬉しそうにうんうん頷いていた。

「何じゃウォルフ何か分かったのか?」

その言葉に公爵とルイズの視線が集まるのを感じながら、言葉を濁す。

「いえ。コモンマジック、系統魔法で全て同じように爆発していますね。・・ちょっとカール先生と二人で話をしたいのですが・・・」
「公爵とワシとは三十年来のつきあいじゃ、遠慮は要らん、ここで話せ」
「推測なので、公爵様達にとって余計な事を耳に入れてしまうかも知れません。ちょっとその前にカール先生の意見を聞きたいのです」

存外に頑なな態度で二人きりになることを要求するウォルフに折れ、公爵親子に断ると別室に向かった。

「で、推測とは何じゃ、話してみよ」
「恐らくミス・ヴァリエールの系統は、・・・虚無です」
「なっ・・・・・・」
「ほぼ間違いないと思います。私が虚無についてこれまでに立てた仮説に一致しますし、今観察した内容もその正しさを裏付けています」
「ど、どのくらいの確率でそうじゃと思っている?」
「九十九パーセント。いやあ、さすが公爵家ですねぇ、凄いなあ。伝説の系統を目にすることが出来るとは思わなかった」

 ウォルフの研究では魔法の発動には魔力素という物がかかわっていることが分かっている。
これは四種類有り、それぞれが火土風水に対応している。これが大きく複雑になり自意識を持つようになった物が精霊と呼ばれる存在である。
しかし、この魔力素はもっと小さな存在、"さらなる小さな粒"から構成されているらしいことが分かってきて、それをウォルフは魔力子と呼んだ。
恐らく虚無の系統は、この魔力子を直接操る事を専門とする系統なのだろうと仮説を立てていたのである。
そして、この魔力子を直接操ることが出来るのならば、時間や空間そのものの操作が魔法で可能になると予測していた。
ウォルフが観察したところによると、ルイズは魔力素を操ろうとして、それを構成する魔力子を引っこ抜いてしまっているようだった。
そのため魔力素が魔力素として存在することが出来ず爆発を起こしているみたいなのである。
精霊がいたら皆殺しにしてしまいそうな魔法だ。

「虚無の系統と言ってもルーンなど伝わっておらんぞ。・・・・これは公爵に話して彼に判断してもらうべき事ではないか?」
「それでもいいですけど、今のところ推測だけですからね。信じない可能性もあります」
「ふーむ、お主はどうするつもりじゃ?」
「私に二三日貸してもらえませんか?コモンマジックなら出来るようになる可能性があります。それが出来るようになってから話した方が面倒が少ないのではないでしょうか」
「公爵令嬢をそんな猫の子を借りるように言うでない。お主成功させられるのか?」
「『ライト』とか『レビテーション』とかなら教え方によっては成功すると思います」

 それからも話し合ったが結局ウォルフの言う通り公爵に提案する事にした。
そしてウォルフがルイズを連れてド・モルガン邸に行ったら公爵にも話し、納得してもらうのだ。
ルイズが魔法を成功する前に話して、頭から拒絶されたくはなかった。

「ああ、待たせたの、ちょっと話が纏まらなかったんじゃ」
「それで、先生の判断はどうなりましたでしょうか」
「ウォルフの言うことは正しそうでもあるんじゃが、何分推測が多くての、もっと慎重に判断すべし、と言うことになったんじゃ」
「と、言いますと?」
「ルイズ嬢をウォルフに二日ばかり預けてみんか?それくらいあればコモンマジックなら出来るようになる可能性が高いそうじゃ」
「理由はなしで、ですか・・」
「そうじゃ、済まんがいい加減なことを言うわけにはいかんのじゃ」
「ううむ・・・・ウォルフ君、率直に言ってくれたまえ、君は、ルイズの魔法をみてどう思った?」

公爵がウォルフに向き直り尋ねた。その体から発せられる覇気は、さすが一流のメイジと思わせる物だった。

「興味深いですね。他に誰も例がないというのがまた・・・ただ、私の魔法理論ではあり得る現象です」
「ふむ、ルイズの魔法が普通にあり得る、と・・・・・」
「普通、とは言いませんが。普通であろうと無かろうと、そこに"在る"現象は在るのです」

 どうもハルケギニア人は自分が理解出来ないことを有り得ないと言って済ませてしまう傾向がある。
なぜそれが起きているのかを考えることを放棄してしまうのだ。
ルイズももう十一歳とのことである。
こんなに大きくなるまで虚無の系統である可能性を全く考慮せずに、ただ漠然と魔法の練習をしていたらしい事に愕然とする。
どう考えてもルイズの魔法が普通ではないことは一目瞭然だろうに、魔法が爆発するなんて"普通、有り得ない"事だからと考えることをやめてしまうのだ。
普通、有り得ないのであれば、普通ではない場合の可能性を精査すべきなのだ。

「・・・分かった。君の"魔法理論"でルイズを指導してみてくれ」
「かしこまりました」

 改めてウォルフはルイズに向き合った。
ルイズは拗ねたように口を尖らせそっぽを向いている。

「じゃあ改めてよろしく、ミス・ヴァリエール・・・長いからルイズって呼んでいい?」
「いいんじゃない?あんた先生らしいから」

中々難しそうなお嬢さんである。

「じゃあルイズ、まずはオレの家に移動してちょっと魔法を使ってみよう」
「何で移動するのよ、ここでいいじゃない」
「うーん、ここはもうじきカール先生の生徒達が来るんだ。ほら君の魔法はその・・・刺激的だから」
「わわ分かったわよ!移動すればいいんでしょ!」

そう怒鳴るとルイズはウォルフより先に立って屋敷から出て行ってしまう。
ウォルフは慌てて公爵とカールに挨拶をして後を追うのであった。



 何とか反対方向に歩いていってしまっていたルイズを引き戻し、ド・モルガン邸に着いた。
出迎えたサラにちょっと大きな音がするけど気にしないように言って、他の使用人にも伝えてもらった。

「さて、ルイズ。練習を始める前に確認をしておきたいんだが、君は今の自分の現状をどう考えている?」
「どうって?」
「トリステイン屈指の名門ラ・ヴァリエール公爵家の三女。一流のメイジである両親の間に生まれ、美しいピンク色の髪と愛くるしい顔立ちにすらりと均整の取れた健康な体を持ち、将来はかなりの美人になると思われる。公爵の話によると頭脳も明晰で努力家。優しく思いやりがあり、前向きな性格をしている」
「そそそそうね、そそそんな風に言われることもあるわね」

べた褒め、と言っていいウォルフの言葉に思わずルイズの頬が赤くなる。

「反面、魔法の才能はゼロ。何をやっても爆発し、そのたびに両親や周りの者に迷惑を掛けている。その原因は全く不明で、それ故将来的にも期待は持てず、使用人にも気を遣われる始末。・・・オレから見るとこんな感じだけど、君としてはどう?」
「なななんで、ああああんたなんかにそんな事言われなきゃならないのよ!」

目に涙を浮かべ、拳を振るわせながら睨みつけてくるルイズと目を交わし、続けた。

「ねえルイズ、君は本当に魔法が使えるようになりたい?君が魔法を使いたいって思うことは、とても辛いことなのかも知れないよ」
「ああああたりまえじゃない!わわ私がどれだけ魔法を使えるようになりたいって・・・」

とうとうポロポロと涙がこぼれてしまうがそれでもまっすぐにウォルフを睨み続ける。
その涙をウォルフは美しいと思う。

「魔法さえなけりゃ君はとても幸せな人生を送れた筈なんだよ?公爵様は優しいし、君が魔法を諦めるって言えばきっとそれでも幸せになれる人生を用意してくれると思うんだ」
「・・・私は貴族よ!そんな卑怯な人生を送りたいなんて思わないわ!」
「絶対に諦めないと言うんだね?」
「そうよ!私が諦めるのは、私が死んだときだけよ!」

存在の全てを掛けて少女が叫ぶ。
もう涙は止まっている。睨みつけて来るその瞳をどこか眩しい気持ちでのぞき込み、ウォルフも決意する。

「じゃあ、オレは約束しよう。ルイズ、オレは君が魔法を使えるようになる方法を知っている。君が諦めないのなら、君が魔法を使えるようになる、その方法を教えるよ」
「私、魔法、使えるようになるの?」
「大変だけど。これまでの考えを全部捨てなきゃならないんだ。これまでのルイズは魔法が使えないルイズ、それを捨てて魔法が使える新しいルイズになるんだ」
「魔法が使える新しいるいず・・・・」

ルイズの手を握り、至近距離でその鳶色の瞳を見つめながら小さい子供に言い聞かせるように語りかける。
ルイズもどこか呑まれたように見つめ返していた。

「そう、だからこれからオレが言うことを全部信じて欲しいんだ。この屋敷にいる間は"うそ"とか、"有り得ない"とか"そんな筈はない"とかは言っちゃだめだ。いい?オレが言うことをそういうもんだって思って魔法をイメージするんだ、できる?」

コクコクと頷くルイズ。どこか幼児化しているようだ。
暫くルイズを落ち着かせるために深呼吸をさせる。

「いい?魔法を使いたいって思うことが魔法を使えるようになる事じゃないんだ。自分のイメージと世界とを合わせるのが魔法なんだ!つまり魔法が出来るようになるには、世界を知ればいいんだ」

じゃあまず一つ教えよう、と石を一つ手にとり説明を始める。

「ルイズ、この石は手を離すと地面に落っこちてしまう。何でだと思う?」
「そりゃ、物は下に落ちるものだからよ」
「じゃあ何で月は落ちてこないの?」
「月にはきっと月の精霊がいて・・・」
「違うよルイズ。月には精霊なんていない。正解はこの世界には万有引力という物が存在するからなんだ」
「?万有引力?」
「そう、この世界の全ての物体にはお互いに引っ張り合う力が掛かるんだ。その大きさは物体の重さに比例し、距離の二乗に反比例する」
「???」
「全ての物は互いに引っ張り合っているんだ。地面に落ちると感じるのは地面の方が圧倒的に重いからで、月が落ちてこないのは月を引っ張る力と月が地面の周りを回って懸かる遠心力が釣り合っているからだよ」
「全てが引っ張り合う・・・」
「そう、それでその力を媒介する小さな粒がグラビトンていう素粒子なんだ」 
「素粒子・・・」
「ブリミル様の粒理論ってあるよね、そのもっとも小さな粒を素粒子って呼ぶんだ」
「・・・」

「つまり、この石から出ているグラビトンを出さなくするようなイメージで魔法を使うと・・・《グラビトン・コントロール》」

ふっという微かな音とともに石が上空に舞い上がる。
やがて魔法を切られた石が地面に音を立てて落ち、ルイズはそれを口を開けて眺めていた。

「そそそんな魔法って聞いたこと無いわよ、おおオリジナルなの?」
「オリジナルって言うか、『レビテーション』に含まれる魔法の成分を抜き出しただけ。ものすごく単純な上にルイズには適しているって思ったから」

魔法の成分を抜き出すなんて聞いたこと無いわよ、と叫びそうになるが、思い返せばさっきから聞いたことのないことばっかりだった。
新しいルイズになるんだ、と繰り返しつぶやき、心を落ち着かせ考える。

「つまり地面と石との間に働いているグラビトンってやつを動かなくするイメージでいいのね?」
「そうそう、飲み込みがいいね。動かなくするって言うか、オレは出させなくするっていうイメージでやっている」

しばらくルイズは目を閉じて「新しいルイズ、魔法が使える新しいルイズ」とぼそぼそ繰り返し呟いていたが、やがて目を開き、眼前の小石を睨みつけた。

「やってみる。グラビトン・コントロールね、グラビトン・コントロール、グラビトン・コントロール・・・・いくわ!《グラビトン・コントロール》!」

ふらっと一瞬石が揺らいだと思うと、ふっという音とともに上空高くに舞い上がった。

「ルイズ、魔法を切って。石が上がりすぎて危ない」

そう横から声を掛けるが、ルイズは目を見開いたまま空を睨み絶賛魔法行使中である。
しかたないので手を伸ばし、杖を取り上げるがルイズはそれに気付いた様子もなかった。
やがて風に流された石が少し離れたところに落ちてきたので、ウォルフが『レビテーション』で回収した。

「はい、ルイズが魔法で飛ばした石。爆発してないよ」

じいっと石を見つめていたので杖と一緒に渡すと、その石を抱きしめたまま座り込んで泣き出してしまった。
暫く宥めていたのだが、まったく効果はなく泣くに任せるしかない。

こんなにすぐに魔法を成功する事が出来た、と言うことはルイズが心からウォルフのいうことを信じたと言うことだ。意地っ張りなだけで結構素直な女の子なのかも知れない。
ルイズの頭を撫でながらそんなことを考えていたら、

「ウォルフ、様、何、女の子泣かせて、いるんですか?」

背後から液体窒素よりも冷たい声がした。

「サラ、これはオレが泣かせた訳じゃなくて、彼女は初めての魔法を成功させた喜びの涙を・・・」
「先程は手を握りしめて何か囁いていましたよね?」
「見てたんだ・・いやいやそれは誤解だから。あれはただ彼女の心に言葉が届くように言い聞かせていただけ・・・」
「心に言葉が届くように・・・ですか」

何か何時になくねちっこく絡むサラにこれはだめだと判断し、逃げ出すことにした。

「あ、もうこんな時間だ。サラ、ミス・ヴァリエールをカール先生の所まで送ってくる。ほらルイズ、立って。帰るよ」

 カールの屋敷に着くまでずっとルイズは泣いていて、その心にのしかかっていた重圧を思いウォルフは何も言わず隣を歩いた。
ただ、カールの屋敷についてもまだ泣いていたルイズと一緒にヴァリエール公爵の前に立ったとき、ウォルフは自分の判断を後悔した。
ルイズの涙を見たヴァリエール公爵のまわりの温度が下がり、大気中の水分が凝縮しだしたのだ。
ウォルフにとって幸運だったことは、公爵が攻撃する前にルイズが公爵に抱きついて誤解が晴れたことだ。

「魔法、まほ、魔法・・・・」

ズビズビと鼻を鳴らしながら公爵の胸でルイズは泣き続けた。

 




  ※    ※    ※




つい勢いで書いてしまったので出します。ルイズを書きたかったんです





[18851] 1-11    ガリア行
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/06 19:38
 夏休みに入り明日からガリアへ向かう、という日ウォルフはまだ方舟の改修を行っていた。

「ウォルフ様、またこっちに来ているけど支度は終わったの?」
「おう、ばっちりだぞ。支度って言っても着替えと洗面道具位だからな、トランクに詰めて寝室においてある」

新しく制作した換気扇を取り付けながらウォルフが答えた。
方舟が完成してから一ヶ月とちょっと、殆どずっとその改良に費やしてきた。
まず全体を詳しく『ディテクトマジック』で調べながら、接着の甘いところをやり直していく。
これはカールがやったところに特に多いのだが、表面だけ綺麗で内側はっくっついていない、というところがあったのだ。チタンは表面が酸化物で覆われているので接着面のそれを綺麗に取り除かないとしっかりとは接着出来ないのだが、カールがやった所には不十分な箇所があった。
一つ一つそう言うところを直していき、断熱材を入れ忘れている所などに詰め直したりするだけで一週間くらいかかった。
納屋の出入り口の外に方舟用の螺旋階段を設け、それを屋上までつなげる。四階部分に出入り口を作り、内部にも三階から四階へと続く階段を設置。
前後の舳先に避雷針を設置、更に避雷針同士を金線で繋ぎ建物全体をカバーする。しっかりと絶縁した金線をそこから地上まで繋ぎ接地した。建物自身が避雷針みたいなものではあるのだが。
エルビラの使い魔であるフェニックスのピコタン(エルビラ命名)が眺めの良いこの場所を気に入って日中はここにいるようになった。トリステインでは伝説の不死鳥とか言われているフェニックスだが、普段はただの鳥にしか見えない。
屋上には排水溝を設け、四階に雨水タンクを設置。そこから地上の元から納屋に併設してあった雨水タンクまでパイプで繋ぎ発電機を設置した。
発電機は何度も試作を繰り返し、ネオジム磁石と金線で作成、これの開発でだけで二週間掛かった。
無駄に大型だしまだまだ改良の余地だらけなのであるが、取りあえずは良しとし、鉛蓄電池に繋ぎ電気の利用が可能となった。
なまじチタンなんかで作ったために気密性が高すぎて、二十四時間換気にする必要があると判断したため、その動力を確保するためだけの作業だった。
そしてその発電機を改良小型化してモーターとして使用した換気扇がようやく完成したのであった。

「良し、完成!」
「あ、やっと出来たんだ。でも空気が澱まないようにするだけなら穴を開けるだけで良かったんじゃない?」
「ふ、ふ、ふ。そう思うのが素人の浅はかさよ。こいつは冬は暖かく、夏は涼しい風を供給する冷暖房設備も兼ねているのだ!」

まだ冬期の熱源については検討中であったが、そのためのスペースは確保してあり、夏期についても吸気側にもファンを設け断熱材にくるまれた吸気ダクトを延々と地上まで下ろし、さらに地下二十メイルまで通して地下の冷気を取り入れることにしてあった。

「ふーん、じゃあやっとこっち使えるの?」

ウォルフが熱く語ってもサラの感興をそそることはなく、普通に尋ねられた。
元々なにを説明しても実物を見せるまでは通じないことが多く、モーターの概念をいくら説明しても全く理解されず回して見せて初めて驚く、といった感じの事が多かった。
なので説明するのは半ば諦めて吸気用の送風口にサラを移動させる。

「ほら、こっちに来てみなよ。こっちはさっきからスイッチを入れておいたからもう結構涼しい空気が出てるよ」
「わぁ・・・・」

吸気口が方舟内の方々に空いているために風量は極僅かではあったが、確かに涼しく新鮮な空気がそこから出ていた。
そういえばこんなに金属にくるまれている建物なのに、いつもそんなに熱くなっていないことに今さらながら気がついた。

「過ごしやすいように作っているんだ。・・・」
「当たり前だよ。オレは軟弱な現代人だからね。快適のための手間は惜しまないものさ」

軟弱なことが蔑まれる風潮のあるハルケギニアで、何の衒いもなく自身をそうだと断言するウォルフに眉を顰めるが、昨年の旅行で始終馬車の乗り心地について文句を言っていたことを思い出し確かにそうなのかも知れないと納得する。

「せっかくこんな立派なの建てたのに全然使わないで何してるのかと思ったら・・・まあ、凄いは凄いかなあ」
「おうよ!まあ、これでやっと旅行明けには引っ越せるなあ。」
「まあ、それより今は旅行だよ!終わったんなら忘れ物がないかチェックしてあげるから、いこ!」

 ウォルフを引っぱって寝室まで来るとウォルフの前でチェックを始め、その量の少なさに驚いた。
着替えがシャツとパンツが三枚ずつに上着とズボンが二組、正装用とパジャマが一セットずつ。それに洗面道具とタオルである。
ウォルフのサイズが小さいこともあって、小さめのトランクはまだまだスペースが空いていた。

「全然着替えとか入ってないじゃないですか!半月以上も出かけているんですよ?何ですかこれ下着三枚って、一週間パンツ一枚ですか!」
「・・・順番に洗濯して着れば十分だよ。足りなかったらガリアで買うのも楽しいと思うよ?」
「・・・洗面器とかも入ってないし、・・・ホラ、鏡だって入ってない」
「そんなの誰か持ってるだろ。借りればいいし、なけりゃ『練金』で作ればいい」
「使用人の私よりご主人様の方が荷物が少ないのは変だと思うの・・・」
「そんなの気にする事じゃないし、女性の方が荷物は多い物だよ」
「・・・・・」

ウォルフは結局そのままトランクを閉めてとっとと馬車に積んでしまった。

 そして翌日。まずは港町ロサイスに向かう。
ド・モルガン一家とアンネ親子計六人で馬車に乗り込み、使用人が御者を務めるド・モルガン家所有の馬車でロサイスまで移動し、そこからフネに乗り換える。
御者を務めた使用人は一人馬車でサウスゴータに戻れば夏休みに入ることになる。
ロサイスはアルビオン屈指の軍港であり、トリステインやガリア方面に多数の航路が出ている港町だ。
ウォルフはここに来るのは三回目だが改めてその鉄塔型の桟橋を見上げ、効率の悪そうなフネの形に嘆息した。

「いやあ、あのフネってヤツはいつ見てもデタラメな姿をしているよね」
「何がデタラメなんだ。風石で浮き上がり、帆で風を受けて航行する。実に理に適った姿じゃないか。」
「うーん、まあアレじゃスピードが出せないでしょ。風石の消費が多すぎると思うんだ」
「いや、たしかに風上に向かうのは困難だが、風に乗ったときは風竜もかくやというスピードが出るモンなんだぞ」

これ以上言ってもニコラスを説得することは無理だと思っているので、いつか分からせてやる、と心に決めて今は黙った。
桟橋に着き荷物を下ろし、予約していたフネの船室にはいると漸く一息付けた。空を飛んできたピコタンもマストに止まり羽を休めている。
ここからはラ・ロシェールまでは直ぐで、夜間飛行を楽しむ事になる。



 ラ・ロシェールからガリアへと向かう馬車でサラはウォルフと一緒に座席から外に出て、御者の直ぐ後ろに座っていた。
何か新しい物を見かける度にウォルフは馬車から『フライ』で飛び降りて見に行ってしまうので、そのたびにサラは後を追いかけ馬車からはぐれないよう注意し連れ帰る、ということを繰り返していた。
今は地層が露出した崖で石をいくつもの瓶に詰めているウォルフをせかしていた。

「ホラ、ウォルフ様急がないと。馬車があんなに先まで行ってしまいました」
「うん、分かった分かった。今行くよ」
「ほら、早く!」

仕方なく切り上げ、二人で『フライ』を使い馬車に追いつく。

「はー、やっと追いついた」
「もうちょっと大丈夫だったんじゃない?あそこの地層は面白いんだよ、もしかしたら伝説の大隆起の跡かも知れないよ」
「そんなこと解るわけ無いじゃないですか・・・」
「いやいや、ホラこれ見てよ。風石から魔力が抜けるとこんな感じの石になるんだ。これがあんなに古い地層に入ってたってことは・・・面白いことが解るかも知れない」
「もう、いいですから馬車から離れないで下さい・・・」

目を輝かせるウォルフに釘を刺し、早く着かないかと願うサラであった。


やがて馬車は国境を越え。途中一泊しようやく目的地であるラ・クルス伯爵領の町ヤカに着いた。
アルビオンとは全く違う温暖な気候、良く整備された道、開放的な、どこか明るい雰囲気の漂う町だった。

「ここが、お母さんの生まれ育った町なんだね」
「そうよ、ほらあそこに見える大きな建物が教会よ。その奥に見えているお城でおじいさま達が待っているわ」

久しぶりに帰ってきた故郷にエルビラは楽しそうにしている。
クリフォードとウォルフも楽しそうにあちこち指さしてはエルビラに尋ねたりしていたが、その横でニコラスだけが一人緊張した面持ちだった。

「ニコラ、緊張してるの?」
「あーいや、ちょっとだけな?親父さんとは会う度にアレだから・・・」
「うふふ、きっともう大丈夫よ。前回もクリフに会わせたらただの爺馬鹿になっていたじゃない」
「それでも結構燃やされたからね。あの炎の壁を思い出すと自然に体が緊張しちゃうんだよ・・・」

「お父様、エルビラただ今帰りました」
「うむ、よくぞ帰った。もうアルビオンに帰りたくないというのなら、そのままこちらで暮らしても良いぞ」
「お義父様、お久しぶりにございます、ニコラスです。ご無沙汰しており、申し訳ありませんでした」
「なんだ、ニコラスお前もいたのか。《フレイム・ボール 》」
「《エア・シールド》お義父様もお元気そうで何よりです、《エア・カッター》」
「「あなた!!」」

城に着き場内に入るなり迎えに来たラ・クルス一家との対面だったわけだが、いきなり始まった戦闘にはさすがのウォルフも驚いた。
いきなり攻撃を仕掛けてきたのはエルビラの祖父フアン・フランシスコで、エルビラの髪を少し明るくしたような髪色と堂々たる体躯を誇る老人で、エルビラ達には久しぶりに会うというのに全く老いを感じさせなかった。
戦闘はそれぞれの妻が静止させたのだが、二人はまだ笑いながらにらみ合っていた。
ちなみに、アンネとサラは途中で降ろしたのでここにはいなかった。

「全く貴方達は・・・ああ、驚かせちゃったわね、気にしないでちょうだい。貴方がウォルフね、私がおばあちゃんよ、初めまして」
「あ、はい!お爺さま、お婆さま、ウォルフです。初めてお目に掛かり嬉しいです」

ペコリとお辞儀する。
こちらはフアンとは対照的に柔和な笑顔が印象的な老婦人で、ウォルフの髪色を更に濃くしたような髪をしていた。

「あらあらしっかりしてること・・・よろしくね?クリフも大きくなったわね、こんにちは」
「はい、お爺さま、お婆さま、お久しぶりにございます」
「ああ、うむ、ウォルフ、ワシが当主のフアン・フランシスコ・デ・ラ・クルス伯爵だ。お前の祖父に当たる。・・・紹介しよう今のがお前の祖母のマリア・アントニア・デ・ラ・クルス。そこのが息子のレアンドロ・フェルナンデス・デ・ラ・クルス今は子爵を名乗っておるがお前の伯父だ。そしてその妻セシリータ・エンカルナ・デ・ラ・クルスと娘ティティアナ・エレオノーラ・デ・ラ・クルス四歳だ。ティティアナは従姉妹になるな。クリフもティティアナは初めてだろう、可愛がってやってくれ」

少しばつの悪そうなフアンに紹介を受けて、それぞれと挨拶を交わし、最後に小さいティティアナの前に出ると話し掛けた。

「初めましてティティアナ。僕はウォルフ。ウォルフ・ライエ・ド・モルガン。よろしくね?」

ティティアナは母セシリータのドレスに隠れてしまっていたが、そっと顔をのぞかせるとスカートをつまんでお辞儀した。


 その後城内に移動し、サロンでお茶を飲みながら話をしていたが、ふとウォルフが杖を腰に差しているのに気付いてフアンが話し掛けてきた。

「何だウォルフお前もう魔法を使っているのか」
「はい、週に一回ですが魔法の先生の所に通わせてもらっています」
「まだ五歳だろう、少し早すぎる気もするが・・・お前ほどしっかりしていれば大丈夫なものかな。どんな感じだ?」
「はい、たしかにまだ魔力・・・精神力が足りないのが目下の課題で、成長するのを待っている感じです」

うむうむそうだろう、と頷くフアンを横目で見ながらクリフォードは、最近のもうトライアングルになってるんじゃないのか?と思わせる魔法を連発するウォルフを知っているため、絶対にニュアンスが正しく伝わっていないと思っていた。

「まあ、精神力というのは魔法を使っていると増える物だ。ワシも若い頃は良く気絶するまでつかったものだよ。・・・よし、後でクリフと一緒に魔法を見てやろう。何、遠慮は要らん、ワシも火のスクウェアだ。そこらの魔法教師に劣るものではない」
「「はい、よろしくお願いします」」


 夕食前 ― クリフォードとウォルフは城の中庭に連れ出されていた。

「遠慮は要らん、それぞれ得意な魔法を全力で放つが良い!まずはクリフからきなさい!」
「はい!・・・・・《エア・カッター》!」
「ふむ・・・十歳にしては中々のスピードと威力だ。ただ、詠唱が遅いな。攻撃系の魔法はスピードが命だ。練習で改善出来る物なのだから精進しなさい。では次、ウォルフ」

軽くクリフォードの魔法を火でたたき落とすとアドバイスを与え、続いてウォルフを促す。
ウォルフはクリフォードよりも五メイルほども後ろに下がると杖を構えた。

「ではお爺様、いきます《フレイム・ボール》!」
「ぬお!・・・・」

完全に油断していたフアンは咄嗟に魔法を使うことが出来ず、かろうじて身を反らして躱した。
それでも速さと熱量を兼ね備えたウォルフの『フレイム・ボール』を躱しきる事は出来ず、髪や腕は焦げてしまっていた。
ウォルフの魔法は、ドーナツ型をした光の玉が自身回転しながら真ん中の穴から炎を吹き出しつつ高速で飛来するという物で、フアンが躱したそれは後ろの壁に当たって爆発し大きな穴を空けていた。

「・・・・・なんだ?今のは!」
「『フレイム・ボール』です。高圧を掛けて質量を収束し、ドーナツ型にしてその場で回転させることにより燃焼が促進されつつ高速で飛ぶように工夫しました」
「・・・・・」

呆然と穴を眺めていると、穴の空いた建物では大騒ぎとなっており、こわごわと中から覗いてきた家臣と目が合った。

「ああ、すまん。ちょっと魔法の練習をしていてな、怪我人はおらんか?おらんのなら仕事に戻りなさい、そこはこちらで直しておく」
「お爺様、私が直してきましょうか?」
「なに、『練金』も使えるのか?」
「はい、最近一番使っている魔法です。あの程度ならすぐに直せます」

そう言うと『フライ』飛んでいき、『練金』で穴を塞ぎ戻ってきた。

「火に風に土も使えるだと?」
「それらは皆ラインスペルまで使えます。水はまだドットスペルだけです。《ヒーリング》」

見る見る腕の火傷が治っていくのを見ながらフアンはまだ信じられない思いだった。
五歳を半年ばかり過ぎただけの子供が、スクウェアメイジである自分が躱しきれないような魔法を放ち、さらに四系統全て使えるという。
そのあまりの異常性にかける言葉に迷った。

「あー、威力とスピードは十分だな、詠唱も問題ない。よほどブリミル様に祝福されているようだ。自分で工夫も行っているようだし、確かに今は精神力が増えるのを待つしかないのか」
「ありがとうございます。お爺様に認めていただき光栄です」



 夕食時、フアンが難しい顔をして黙っていたので妙な雰囲気になってはいたが、やがてフアンが口を開いた。

「エルビラ、お前は知っていたのか?ウォルフの魔法を」
「ええ、もちろんです。火の系統については私も教えていますし、風はニコラスに、その他はカール・ヨッセ・ド・ストラビンスキーという土のスクウェアの方に教えていただいております」
「ふむ、それで?」
「それで、とは?何のことでしょう」
「だから、ウォルフをどう育てるつもりなのかを聞いておる!この子ほどの才能があるならば、どのような地位にも就く事が出来るようになる。お前やあのオルレアン公の幼い頃よりも明らかに勝っているほどだ。週一などと言わずもっと優秀な家庭教師を付けるべきだし、なんなら魔法研究が盛んなガリアへと留学させても良い」

目を剥いてフアンが主張する。彼は週に一回しか魔法を習っていないというのがエルビラ達の経済状況のせいだと思いこんでしまっていた。
そんなフアンを見て一呼吸置いてからエルビラが口を開く。

「別に、何も」
「なにも、だと?」

ギリッと音がしそうな程フアンの拳が握られる。

「ええ、ウォルフが望むのならばお父様が仰ったようなこともよろしいかとは思いますが、今はこの子が必要だという物を揃えるようにしています」

ニコラスは聞きながら、先日ウォルフに羊皮紙をねだられた時渋った事を思い出し、エルビラにばれないことを願った。

「まだ五歳でしかない我が子に全ての判断をゆだねるというのか、親として怠慢ではないのか?その資質を見極め、相応しい道を選ばせる、というのは親の義務だぞ」
「ウォルフの事を私のような凡庸な女が量ろうとすることの方がよほど愚かしい事と思います」
「はっ!凡庸!十代でスクウェアに目覚め、オルレアン公と並び称されたほどのお前が凡庸ならば世の女は全て凡庸であろう」
「・・・・確かに魔法の才に於いてならば私は他に秀でていると言えましょう。しかしそれ以外においては私は夫を愛し、子を愛する平凡な女でしかありません」
「ならば平凡な女なりに子のために考え、行動するがいい。考えることを全く放棄するなど論外だ!」
「誰が何も考えていないなどと言いましたか?考え抜いた上で何もしない、そのつらさを、己が何も出来ないつらさをお父様は理解出来ないようですね」
「ワシが、何を分からんと言うんだ?」

チリチリと親娘の間の温度か上がっていく。
このままだと不測の事態が起きかねないと感じウォルフは間に入った。

「あー、お爺様、ありがとうございます。そのような高い評価をいただけて正直嬉しいです。しかし私は私を愛してくれる両親の元で育つ事が出来る事に最も喜びを感じています。将来のことを考えても今の環境に何の不満もございません。何分まだ若年である事もありますし、今はのんびりと親子共々見守っていただきたく思います」

若干険悪になってしまった親娘の間の緊張が少し解ける。

「ふむ、将来か。お前はどのように考えておるのだ?」
「まだ具体的には考えていませんが・・・ゲルマニアにでも渡って商売でもしようかなと思っています」
「「商売だと!?」」

フアンだけでなくニコラスも声をそろえて驚いた。
他の者達も目を丸くしている。

「ちょっちょっちょっと待て、商売って貴族やめるつもりなのか?」とニコラス。
「男爵家の次男です。貴族やめても不思議はないでしょう」ウォルフが返す。
「魔法が必要ないじゃないか!」フアンが声を荒げる。
「物を作ったり測定するのにあると便利です」
「・・・・・・」

フアンは大きく息を吐き出すと、椅子にもたれた。
あると便利だと?始祖ブリミルがもたらしたこのハルケギニアを支配する大いなる力を、この子供は、靴を履くのに椅子を見つけた時のように言うのだ。
もう一度大きく息を吐き、天井を見つめ、それからウォルフに目をやる。
そうだ、子供だ。自分の持つ力の意味や大きさをまるで理解していない子供。あまりにも卓越した魔法の才や大人びた口ぶりに惑わされていたがこの子はまだ五歳の幼児なのだ。

「あると便利か・・・・ウォルフ、お前は自分の持つ力の大きさを良く理解していないようだ。エルビラ」
「はい?」
「今後は毎年この子をここに寄越しなさい、費用はワシが持つ。魔法という物がどういう物なのか、貴族がそれを持つことにどんな意味があるのか、教えるに相応しい教師をワシが用意しよう」
「短期留学ということですね?ウォルフ、どうですか?」
「はい、お爺様の厚意を喜んで受けたいと思います」
「うむ、期間は一ヶ月くらいでいいかな、エルビラ達の夏休みの前にウォルフとクリフがここに来て、エルビラ達と一緒に帰る、と言う形がいいな。来るときは竜騎士を迎えに寄越そう」
「ありがとうございます」

 結局エルビラ達も毎年ガリアまで帰省することが決定されてしまった。
ウォルフはかねてよりガリアの魔法道具についての知識を得たいと思っていたのでそのことをお願いしておいた。
さらにラ・クルスの蔵書の閲覧の許可と街への外出の許可を得ることに成功した。





[18851] 番外3   マチルダ・覚醒
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/06 19:49
これはちょっと時間を遡ってガリアに行く前のお話しです。






 その日もカール邸の中庭にウォルフとサラとマチルダの三人の姿があった。
もう授業は終わったのでカールは家の中に引っ込んでいたが、サラがマチルダに相手をしてもらいたいと希望しそのまま残っていたのだ。

「ふーん、サラ、あたしのゴーレムとまた戦いたいって言うのかい?」
「はい。威力が上がったので試してみたいんです。ウォルフ様相手だと通じないから他の人でもやってみたくて」
「・・・あたしのゴーレム位だと丁度良いって事かい?舐められたもんだね、いいよ相手をしてやるよ」

笑顔を浮かべてはいるが、こめかみはひくついている。沸点は低い。

「あ、いえそう言うわけではなくて、ちょっと他の人でも試したいだけで・・・」
「御託は良いよ、魔法で語ろうじゃないか!《クリエイト・ゴーレム》!」

音を立てて地面から巨大なゴーレムが立ち上がる。土で出来たそのゴーレムはそれでも手加減をしているのか十メイルほどの大きさだった。
対するサラは少し後ろに下がって杖を構える。その目には自信が見えた。

「さあ、とっととかかっておいで。あたしが捕まえるまでに腕の一本でも切り落とすことが出来たらサラの勝ちにしてやるよ!」
「じゃあ、行きます!《マジックアロー》!」

サラは杖を大きく振りかぶり、斬りかかる様に斜めに振り下ろした。するととても薄い魔力の塊が杖の軌跡のまま大きな三日月状に現れ、その勢いのままゴーレムに向かって真っ直ぐに飛んでいった。

「あっ!」

それはまるで水色の大きな猛禽がゴーレムに体当たりをしたかの様に見えたが、その大きな矢はそのままゴーレムを突き抜け虚空へと消えていった。
動きを止めたマチルダのゴーレムは胸のところで二つに切り裂かれ、斜めに滑る様に上半身が崩れ落ちると続けて下半身も土へと還った。
呆然と自分のゴーレムのなれの果てを見るマチルダと、嬉しそうにウォルフの方を見るサラ。
あまりに対照的な二人を前にウォルフは掛ける言葉に迷った。

「サラ!今のはウォルフの『マジックアロー』だろ。何であんたが使えんだい!」
「えー?ずっとマチルダ様も一緒に練習してたじゃないですか。先週出来る様になったんですよ」

えっへんとばかりに胸を張る。その顔は誇らしげだ。
サラは先週ついにウォルフの言う魔力素という物を感覚で理解し、魔力素を意識した魔法を使える様になった。
感覚を理解してしまえばこんな事かとあっけなく思ってしまうような当たり前のことで、それまで理解出来なかったことが不思議なほどだった。
自分の中に溜まっていた魔力素が杖の先から流れ出て周囲の魔力素に干渉し、それらが周囲の物質に干渉して魔法を発動する。
その一連の流れを感じることが出来る様になり、魔力の運用がとてもうまくできる様になった。
勿論サラはまだドットメイジなのでいきなり大魔法を連発とかは出来ないが、ドットスペルやコモンスペルならば今までとは段違いにうまく使える様になったのだ。

「そんな・・・あれがサラにも出来るなんて・・・それに、ウォルフには通じないって、ウォルフはあれを防げるのかい?防ぐ方法があるって言うのかい?」
「当たり前じゃないか。『ブレイド』や『マジックアロー』がそんな無敵の魔法な訳はないだろう。当然対抗策はあるよ」
「じゃあ、じゃあ何であたしがあんたの『ブレイド』に耐えるゴーレム作るのに必死になっていたのに、それを教えてくれなかったんだい!」

ちょっとマチルダは涙目になっている。ずっと意地悪をされていた気になってしまっているのだ。

「マチ姉にもずっと『ブレイド』の作り方を教えてたろ?まずはそれが出来ないとその対抗策だって出来ないんだよ」
「でも、でもそう言う方法があるって教えてくれても良いじゃないか。あたしはずっと無駄なことを・・・」
「無駄な事なんて無いから。マチ姉がずっと色々試して工夫してきたことは全部身になっているから大丈夫だよ。オレ達の歳で教えられた事を覚えるだけじゃなくて、自分で考えるって言うのはとても大事なことなんだ」
「・・・オレ達の歳って、あんたとは七つも違うじゃないか」
「それでもだよ。色々工夫してるのを見るのは楽しかったしね。ゴーレムを巨大化させてきた時はかなりうけたよ。マチ姉の性格っぽいなあって」
「やっぱり面白がってたじゃないか。・・・そうかい、ウォルフの『ブレイド』が出来なきゃだめなのかい」

がっくりと落ち込んでいる。
ウォルフが言う対抗策とは物質の表面を魔力素でコーティングして魔力素の通常物質への関与を防ぐ、と言う物であったがウォルフの『ブレイド』が出来なければ出来る様になるはずもないという物だった。
そんなこととは知らずにやってきた努力がマチルダにはどうしても無駄だった様に思えてしまうのだ。

「まあ、いきなり世界観を変える様な物だからね、難しいんだろうとは思っているよ。サラが出来たのはサラの方が若いから考えが柔軟だってことだろう」
「・・・・人のことを年寄りみたいに言わないでおくれ。あたしだってまだまだ若いんだよ!」

若いも何もまだ十二歳でしかないのだが。
しかしサラとのその六歳の差が固定観念の差となって現れたのだろう。これまでは魔法とは精神力で行使する物という常識がウォルフと同じように『ブレイド』を扱うことを阻んでいた。
だが、実は今まさにマチルダの中で世界の在りようが変わったと言える。
ウォルフは特別であるという考えがどうしても抜けなかったのだが、サラが同じ魔法を使うことでその壁が崩れたのだ。

「今ならマチ姉も出来るんじゃない?俺が言ってる事がオレだけに当てはまる事じゃないって分かったろう」
「そうかな、あたしにも出来るかな」
「出来るさ!前からずっと言ってるだろ?魔力素ってオレが言ってる小さな粒を平面に並べるんだ。マチ姉の場合は土だよ」
「う、うん、やってみるよ。サラに出来てあたしに出来ないって理屈はないだろうからね」
「そうですよ!出来ちゃえばなんだこんな事かって感じですから」

 マチルダは目を瞑り集中する。これまでにウォルフが言ってきたことを思い出しイメージを作っていく。
心を真っ白にして自分の中から無数の粒が杖を通りあのウォルフの『ブレイド』と同じように極薄く集まる様子を思い浮かべる。その魔力光は茶色、マチルダの系統である土の色だ。

「《ブレイド》!」

この世界の魔法とは正しく望めば叶うものである。
マチルダが魔力素を薄く隙間無く並べることをイメージした『ブレイド』はそのイメージ通りの姿で杖から現れた。

「薄い・・・」

 呆然と自分の『ブレイド』の刃を見る。本当に薄く、横にしたら厚みは見えない。
そんなマチルダの前に鋼鉄の鎧騎士が現れた。ウォルフが試し切り用に作ったゴーレムである。
魔力素でコーティングはしていないが、クロムモリブデン鋼で作られたそれは硬化と固定化も掛けられ通常の『ブレイド』では刃が立たないであろう代物だった。
マチルダは無言でそのゴーレムと相対すると、軽く『ブレイド』を振ってその手甲を斬り落とした。
ガチャンと音を立てゴーレムの手首が地面に落ちるとマチルダの口が"にやあー"っと弧を描いた。

「ふ、ふ、ふ、なんだい、こんな事だったのかい。ひゃっはーっ!!」

マチルダは奇声を上げるとウォルフのゴーレムに襲いかかり瞬く間にバラバラにしてしまった。

「ウォルフ、もっと」

満面の笑みでこちらに振り向いたマチルダが要求する。

「マ、マチルダ様なんか怖いです!瞳孔が全開になってますよ?」

サラがウォルフの後ろに隠れながら言う。なんか本気で怖がっているみたいだ。

「怖くない。ねえ、ウォルフ、もっと斬らせておくれよ」
「はい!マチ姉、ただ今!」

両手をだらりと下げ、その手に『ブレイド』を纏わせた杖を握り満面の笑みでこちらに一歩ずつ近づいてくる。
ウォルフの生存本能もアラームをけたたましく鳴らして警告してくるので慌てて十体ほどゴーレムを生成し、自身はサラとともにマチルダと距離を取った。

「ああ、さすがはウォルフのゴーレムだよ、こんな固そうな鉄見たこと無いよ」

うっとりとした流し目で自分を取り囲むゴーレム達を見まわす。

「どいつもこいつもカチンコチンに堅くしてるんだろう?ああ、ゾクゾクするよ」

杖を持ったまま両手で自分の体を抱きしめてため息を吐き、両腿を擦り合わせて十二歳とは思えない妖艶な表情を見せる。

「こいつ等がバラバラになる所を想像するとね!ひぃやーっ!!」

またも奇声を上げると端から順にゴーレムを分解していく。ゴーレムの首を刎ね、両腕を切り落とし、胴を両断し、邪魔になった下半身を蹴飛ばす。
そのまま次のゴーレムに襲いかかり今度は頭から股まで両断、その次は袈裟に斬った後両腿を切断・・・。
それらの行為を高らかに笑い声を上げながら満面の笑顔でやるのだ。本気で怖い。
それは騒ぎに驚いて飛び出てきたカールが『レビテーション』でマチルダの杖を取り上げるまで続いた。

「あ、あれっ?あたしどうしてたのかしら?」
「「「・・・・・・」」」

「マチルダに刃物」サウスゴータに新たな格言がこの日誕生した。






※そういえばマチルダの話をあまり書いてないなと思い、紙カタ様の感想に刺激されて書いてみました。ありがとうございました。



[18851] 1-12    ガリアでの日々
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/06 19:41
――― 夜も更けて ―――

 サロンにはド・モルガン夫妻とエルビラの兄レアンドロが残って酒を飲んでいた。

「ああ、全くかわらないなあ、エルビラもニコラスも」
「そんなことありませんわ、あなたの可愛い妹も結構年を取りましたのよ」
「そんなこと関係ないよ、相変わらずあの父上に真っ向から向かっていけるんだからね。僕には無理だ」
「義兄上も思い切って魔法をぶっ放してやればいいんですよ。義父上は肉体言語派ですからね俺は出会って五分でそう悟りました。遠慮は無用です」
「僕は子供の頃に父と妹がその言語で語り合っているのを見て僕には無理だと悟っちゃったんだよ」
「ははは・・・」

何かが間にあるかのような会話。他愛もないことを話しながら、心ここに在らずといった風情だったレアンドロだったが、やがて暫くの沈黙の後口を開いた。

「あの子達は、今、どうしているのかな?」
「どなたのことでしょう」

エルビラが冷たく返す。

「決まっているだろう!アンネと・・・・サラのことだよ」

暫しの沈黙が場を支配する。
やがてそれを破ったのはエルビラだった。

「二人とも元気にしています。サラは六歳になりました。ウォルフとよく似た髪色をしていて、一緒にいると姉弟に間違われます」
「・・・今、どこに?」
「・・・・ヤカのアンネの実家に帰省しています」

また沈黙が場を覆い、目を閉じたまま額の前で手を組んだレアンドロが告白する。

「あの頃の僕は追い詰められていたんだ。君たちのことがあってから父上も荒れていたし、アンネの優しさを都合のいいように勘違いしてしまったんだ」
「そんなことは関係ないでしょう、アンネはまだ十五才でした。そんな、子供に・・・」
「本当に・・・・・申し訳なかったと思うよ」
「はあ・・・・今更言ってもしょうがないことですね、もう終わったことです」

「・・・・・・二人に会わせてくれないか?」
「何のために?お兄様の自己満足のためになら、お断りします」
「あの時泣いていたアンネに、僕は何も言えなかった。今度こそ会って謝罪がしたいんだ」
「必要ありません。・・・彼女は彼女の人生を生きています。今更お兄様の形だけの謝罪に意味はありません」
「なっ・・・・僕は心から謝りたいんだ!」
「十五の娘を無理矢理犯して!妊娠したらばれないよう異国へ放り出して!アンネは私の所に着いたとき死にかけていたんですよ?謝りたい?それこそ意味がないですね」
「う・・・・あの頃はほんとに、中々子供が出来なくて妻ともぎくしゃくしていたし、それを父上に毎日チクチク言われてどうかしていたんだ」
「謝罪ってそんなことをアンネに言うつもりなんですか?今更?」
「・・・・・・」

暫くの間、頭を抱え黙り込んでしまったレアンドロを見下ろしていたが、軽くため息を吐くとニコラスを振り返り、促した。

「あなた、もう部屋に帰りましょう」
「あ、ああ、お休み、レアンドロ」
「・・・お兄様、私はラ・クルス家がサラの存在を認め、ラ・クルス伯爵家としてアンネに謝罪する、ということでない限り謝罪とやらを受けさせるつもりはありません。・・・・それでは、お休みなさいませ、お兄様」

そう言うとニコラスを伴い自分たちにあてがわれた部屋へと帰っていった。
後には頭を抱えたままのレアンドロが一人残されるだけだった。



 それから一週間ウォルフはヤカでの日々を楽しんでいた。

 午前中は従姉妹のティティアナと遊び、午後はヤカの街に出かけたりフアンに魔法を見てもらったりして過ごし、夜はラ・クルス家の蔵書を読んだ。
家族そろって川に泳ぎに行ったり、演劇を見に行ったりもしたし、近隣にいるエルビラの友人に会いに行ったりもした。

「ウォルフ兄様出かけるの?」
「ああ、ティティちょっと街まで行ってくるよ」
「ティティも行きたい!」
「ごめんティティ今日はちょっと人と会うんだ、また今度ね」

駄々を捏ねるティティを何とか宥め、出かける事が出来た。
今日の目的は『練金』で作った宝石を売ることである。
色々と作りたい物や、研究したいことはあるのだが、何せ先立つものがない。羊皮紙に事欠くこともあるという現状を改善するために手っ取り早く現金を得ようというわけだ。
サウスゴータではアシがつく恐れがあるのでやるつもりはなかったが、ここヤカなら多少騒がれても噂がサウスゴータまで届くことはないだろう。
男爵の息子が高価な宝石を売っているなどと噂されるのは好ましくない。
五歳児が店に行っても相手にされない可能性が高いので、アンネとその兄のホセに付き添いを頼んでいた。

「ウォルフ様いらっしゃいませ。すぐに出かけますか?休憩してから行かれますか?」

きゅう、と抱きついてきたサラをあやしながら答える。

「すぐに出かける。ホセ、今日はよろしく頼む、サラは今日は留守番だ」
「もう行っちゃうの?」
「うん、サラ帰ってきてからね」

アンネとホセを連れ、宝石を扱っている店に向かう。
ホセには『練金』で作った剣を持たせているので従者と護衛を連れた貴族の少年といった感じだ。
アンネは本物のメイドだし、ホセはあまり喋らないのでちょうどいい。

「いらっしゃいませ、小さな貴族様。本日はどのようなご用でしょうか」

宝石店に入るとカウンターの中から店員が声を掛けてきた。
店内はそこそこの広さでガラスのカウンターの中には宝石が飾ってある。大した物は並べられていないので、高価な物は後ろの部屋から出してくるのだろう。
奥のテーブル席では若いカップルが並べられた宝石を前に商談中だ。

「ちょっと現金が必要になってね、宝石を売りに来たんだ」
「買い取りをご希望ですね、こちらへどうぞ」

奥のテーブル席に案内されてなかなかつくりの良いソファーに座る。隣とは会話が聞こえないくらいの距離だ。
ウォルフは手袋をはめ、懐からダイヤモンドを取り出した。
取り出したのは三サント程もある大粒のダイヤで、遠目で見てもその大きさ、輝きから数万エキュークラスの逸品に見えた。

「こ、これは・・・少し詳しく鑑定させていただけますか?」
「ええ、もちろん。」

店員は、ライトの魔法具を付け、目にルーペをあてて、詳しく内部を観察する。
ひとしきり呻ると杖を取り出し、『ディテクトマジック』を掛ける。
更に呻るとウォルフ達を置いて、隣のテーブルに行ってしまった。
隣のカップルを接客していた店員を連れて戻ってくると、その店員も鑑定するという。
店長だというその店員は念入りにウォルフのダイヤを鑑定し、やがて元いた店員に頷くと自分はカップルの元に戻っていった。

「申し訳ありませんでした、お客様。わたくしの裁量出来る額を超える品ですので店長の許可を得ました」
「ふーん、で、評価はどんなもん?」
「・・・これほどの逸品はわたくし、初めて拝見させていただきました。色、透明度、重さ、研磨、全てが超一流です。特にこの様に美しい光を発するカットは初めてみました。失礼ですが、これはどちらで・・・?」

頬をやや上気させながら、ウォルフを窺うように熱っぽい視線を送ってくる。
これは本当のことは言わない方がいいと判断し、適当に答える事にした。

「うーん、僕もあまり詳しくは分からないんだけど、最近東方との交易に成功したらしくて、これはその時に入手した物らしいんだ」
「ううむ、そうですか、東方ですか・・・ううむ」

店員は悩んでいた。
十万エキューでも右から左へと売れそうな品物だが、もし今後もこのレベルの宝石が東方から入ってくるとなると相場も変わっていくだろうから、あまり高く買うのは危険とも言える。
しかし、今後も入ってくるのならそのルートは是非押さえておきたいので、あまり安く買いたたくのは上策ではないだろう。

「今すぐこの場で、と言うことならば当店では四万エキューをお出ししましょう。しかし今後もお取引を続けていただけるのならば、もう二万出す用意はあります」

四万エキュー。あまりの金額にウォルフ達三人はピキッと音を立てそうな程に固まってしまった。しかも身元を明らかにすればもっと出すという。
千エキューもあれば家が建つ世界である。
宝石店に入るのは今回が初めてであったし、相場も全く調べてなかったので何となく百エキュー位になるといいなー、などと軽く考えていたのだ。
『練金』で簡単にできてしまうダイヤモンドを高く売るためにウォルフは結構頑張った。
うろ覚えだったブリリアンカットを再現するため、ダイヤの屈折率と反射率を測定しそれを元に計算して図面に書き起こし、上部三十三面下部二十五面の形状と角度を決定した。
それを元に治具を作り、六方晶ダイヤモンドの微粉末を使って正確な角度で研磨出来る装置を作った。
材料となるダイヤモンドを全く不純物なく『練金』し、おおよその形にはなっているそれを丁寧に時間を掛けて正確な形に研磨した。
魔法でしか作り得ない品質と、魔法では作り得ない形状を持った一粒なのであるが、どうやら今回頑張りすぎたようだった。

「そ、そうですか。もしかしたら今後も入手出来るかも知れないけど、分からないので最初の値段で結構です」

なるべく動揺を出さないようにそう答えると店員は落胆した様子で承諾した。

「では、四万エキューでお引き取りさせていただきます。支払いはギルドの手形でよろしいでしょうか?現金でとなると少々用意に時間をいただきますが」
「ああ、構わないよ。出来たら手形は五枚くらいに分けてもらえる?一度に換金したら重そうだ」
「かしこまりました。では、手形を用意して参ります。少々お待ち下さい」

用意された手形はギルドに行けば何時でも換金して貰える小切手のような物で期限はなかった。この世界の商人ギルドは銀行の機能も持っているのだ。
偽造防止に魔法の掛けられた手形を確認し、ようやく取引は完了となった。

「では、ご確認いただけましたら失礼してこちらに『所有の印』を押させていただき、取引を完了させていただきます」
「『所有の印』?」
「はい、通常盗難防止のために宝石にかける魔法です。かけた本人以外が上書きをすると跡が残ってしまいますので盗品と判断出来ます」
「これにはまだ誰もかけていないから盗品じゃないって事か」
「はい、失礼ながら『所有の印』が押されていないので驚きました。これだけの品に『所有の印』を押していないで盗まれた場合、盗まれた方が悪いというのがこの業界の常識ですので・・」
「へー、知らなかったなあ。確認は終わったのでどうぞやってください」
「では、失礼して・・《所有の印》!・・・これで取引は完了です、ありがとうございました」

 それから暫く出されたお茶を飲みながらの世間話となった。やはり東方の貿易路が気になるようだ。

「うーん、まあまた手には入ったらここに売りに来るよ」
「ぜひ、そうお願いします。すぐに話が通るように店員には徹底しておきますので。よろしければお客様のお名前をお教え下さい」
「ガンダーラって呼んでくれ」

ウォルフは取りあえず偽名を名乗っておいたが、この業界では名を隠して取引することは普通にあることなので店員も気にした風はなかった。

「では、ミスタ・ガンダーラ、御用向きの際は是非また当店をご利用下さいますよう」
「うん、色々と勉強になったよ、ありがとう」

 早速ギルドへと行って手形を一枚換金し、アンネの実家へと戻った。
サラと色々話をし勉強を見てあげたが、いきなり大金を手に入れてしまったウォルフは少し上の空になっていて変な顔をされた。

「ウォルフ、どこ行ってたんだよ。お前がいないからティティの相手を一人でずっとやってたんだぞ」
「うーんと、金策。別にいいじゃん、ティティも兄さんに懐いてるんだし」
「オレはロリじゃねえ。あんなに小さい子の相手は気を使うんだよ!お前のが年が近いんだからお前が相手しろよ」
「そんな事言ってると将来子供が出来たときに苦労するよ?子供の世話をしなかった男性程奥さんに逃げられる率が高いって統計結果が出てた。マチ姉は世話好きだけど、子供の相手を全くしない旦那は嫌いだと思う」
「マ、マ、マチルダ様は関係ないだろう!いいよ、わかったよ!もう言わねーよ!」

「ウォルフ、何を読んでおるのだ?」
「あ、お爺様、"バルベルデの実用・風魔法"です」
「バルベルデというと、あれか、五十を過ぎてスクウェアになったと話題になった学者か」
「はい、遅咲きのメイジらしい実践的な研究がとても参考になります」
「ふむ、しかし彼はスクウェアとしては最低レベルであったと聞いている。それよりはワシはまだ読んでないが、先頃出版されたオルレアン公の著書のほうが勉強になるのではないか?」
「"風魔法総論"ですね?あれはエッセイというか、日記というか・・・彼が感覚で得た物を感覚で書いているので本人以外には全く参考にならない本だと思います」
「そ、そうか。常人には理解出来ない高度な内容の名著だと評判だったんだが・・・」
「オルレアン公は実務者であって研究者ではないのでしょう。オルレアン公をバルベルデ卿に研究させたらすばらしい論文が出来ると思います」
「バルベルデはとうに亡くなっておるよ。それほど気に入ったか」
「はい!特にここの所の、彼が『遍在』を成功させるに至った"分割思考"の研究のくだりなどは今すぐ試してみたいです」
「それ程気に入ったのなら持って帰るが良い。ここにあるよりも役に立つことだろう」
「ありがとうございます!」

「ウォルフ兄様ー、またおはなししてー」

ダイヤを売って大金を得たが、それ以外はいつもと変わらないヤカの一日だった。










[18851] 1-13    ラグドリアン湖の休日
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/06 19:42
――― 翌日 ―――

 いよいよ明日ド・モルガン一家が出発するという朝、食卓は緊迫感に包まれていた。
クリフォード・ウォルフ・ティティアナの三人は席を外させられていてここにはいない。
レアンドロは小さくなって俯いていてその妻セシリータは声を殺して泣き続けている。重苦しい雰囲気が辺りを支配する中フアンが口を開く。

「エルビラ、レアンドロから聞いた。以前この城に勤めていたメイドをこやつが妊ませ捨てたと言うが、確かか?」
「お兄様がそう言うのならば、そうなのでしょう」
「お前はそれを知りながら当主であるワシに黙っていた。なぜだ?」
「私はもうラ・クルスの人間ではありませんので、そのような義務を負いません」
「お前はラ・クルスの嫡男に財産目当ての女が取り入ろうとしてもワシに知らせるつもりはないというのか!その娘が真実レアンドロの娘ならば妾腹とはいえ、法的に相続権が発生するんだぞ!」

アンネがメイジであることも良くなかった。悪意を持った貴族がアンネを養子にし、サラをラ・クルスの長女であるとして相続を主張する、と言うことも考えられないことではないのだ。
政争が盛んなガリアにおいて、そのような隙を作ることは厳に慎まねばならないことだった。

「アンネはそのような者ではありません。取り入ろうとしたのではなく、ただ強姦されたのです。身重の体で放り出され、過酷な長旅の末私の所にたどり着いたときには死にかけていました。私にはラ・クルスが殺そうとしたのではないかとさえ思えましたので、黙って匿うことにしました」
「・・・・その女をここへ連れてこい。ワシが直接会って見極めてやろう」
「お断りします」
「なぜだ!その為にヤカまで連れてきたのではないのか!」
「違います。一緒に来たのはアンネ達を家族に会わせるためと、ラグドリアン湖に一緒に遊びに行くためです。お兄様にアンネと会うための条件は話してあります、お父様もお聞きになりましたか?」
「聞いた。ワシに、平民のメイドに、謝りに行けとでも言うのか?」
「別にラ・クルスの当主ならば誰でも構いませんが」

エルビラの言葉を聞いた瞬間、フアンは立ち上がり俯いたままのレアンドロを指さして怒鳴った。

「こんな馬鹿に、今、当主の座を任せられるわけが無いだろう!!」
「でしたら放っておいて下さい。ラ・クルスの当主でもない馬鹿の謝罪だけを受けても意味はないのです」

なんかもうレアンドロは泣き出しちゃっているが、エルビラは構わず続ける。

「責任を果たさないというのならば黙っていて下さい。アンネもサラもド・モルガン家の者として幸せに暮らしています」

フアンはその言葉に暫くエルビラを睨んでいたが、やがて踵を返すと部屋を出て行ってしまった。
エルビラは軽くため息を吐くと泣いているレアンドロを眺めた。

思えば良く泣く兄だった。今まで様々な場面で泣いていた兄を思い出し、しかたなく慰める言葉をかけた。

「お兄様、もう気にしないで下さい。彼女達の為にお兄様が出来ることは何もないのです。」
「で、でも、僕は父親なのに・・・」
「・・・私はお父様が理由を付けてアンネ達親娘を幽閉してしまうことを恐れています。ですから、気軽に会わせるわけにはいかないのです」
「そ、そんな・・・・」

そんなことを微塵も考えなかったらしい兄に改めてため息を吐くと、何も言葉を発しない義姉セシリータにも慰めの言葉をかけ、ニコラスを促して席を立った。


 居室に戻る廊下で交わされた会話

「なあ、お義兄さんって、何歳だったっけ」
「三十九よ」
「・・・・・」 


 一方、席を外させられた子供達三人は街へと出かけてきていた。
ティティアナにねだられて仕方なく願い出てみたのだが、案外すんなりと許可が下りてしまい驚いたくらいであった。
バザールを巡ったり甘味処で休憩したりと、ヤカでの最後の一日を小さい従姉妹とともに楽しんだ。

 夜が明けて翌日、別れの場面は混沌としていた。
ニコラスがアンネ達を迎えに行くために、先に出発していたのが救いだったくらいだ。
フアンとエルビラは睨み合ったまま一言も言葉を交わさないし、レアンドロ夫妻はどんよりと暗い。
ティティアナは行くなと泣くし、唯一まともな祖母のマリアがウォルフ達に声をかけた。

「エルビラ、あなたはもうラ・クルスの人間ではないと言いましたが、あなたは死ぬまでこの私とフアンの娘です。それだけは忘れないで、時々帰ってきて下さい」
「はい、お母様。今回は騒がしくなってしまい申し訳ありませんでした」

「クリフ、あなたがニコラスとエルビラの長男なのです。ちゃんと両親を助け、弟の面倒を見なくてはなりませんよ。また来て下さいね?」
「はい、お婆さまもお元気で」

「ウォルフ、フアンが色々言っていましたけれど、子供の頃は色々なことに興味を持って試してみるのも大事なことです。おそれず、試してみなさい。また会えるのを楽しみにしています」
「はい、お婆さま、また来ます」

子供達を馬車に乗せ、最後にエルビラが乗り込む瞬間、フアンが口を開いた。

「また、来年だな」

エルビラは目だけで応えると馬車を出発させた。

 途中ニコラスとアンネ親子と合流し、馬車は一路北東のオルレアン公領を目指す。
サラは合流してから終始ご機嫌で、ウォルフの世話をあれこれと焼きながら嬉しそうにしていた。
考えてみればウォルフが生まれて以来、同じ屋根の下で寝なかったことが今回初めてなのだ。
ウォルフが大量の金貨を積み込んだ上におみやげをいくつも買ったので馬車は大分重くなってしまい、ゆっくりとした速度でガリア国内を移動した。
せっかくだからと彼方此方観光しつつ、それでもヤカを出て三日目の昼過ぎにはオルレアン公領のラグドリアン湖畔に着いた。

 ここで三泊程遊んだ後サウスゴータへと帰る予定だが、ウォルフは今回こそ水の精霊を見つけようと張り切っていた。
前回はまだ全然魔法がうまく使えていなかったが、今ならかなり発見出来る可能性が高いのではないかと思っている。
ウォルフの推測では人間が炭素をベースにした生命体ならば、精霊は魔力素を元にした生命体であると言え、魔力素が自意識を持つ程大量に、濃密に集まっている存在が精霊なのだと推測していた。
どんな存在なのか、それを是非観察したいのだ。

「う゛あーっやっと着いたー」

宿に着くなりベッドに倒れ込みうつぶせになってひとしきり呻る。
横を見るとクリフォードも全く同じ行動を取っていた。

「馬車三日間はやっぱきっついなー」
「たしかに。なんか昼なのにもう寝ちゃいそうだよ・・」
「うんうん、このベッド寝心地いいな」

今回一行が泊まるのは貴族用のそこそこ良いホテルだった。泊まる日数が少ないし、たまには良いだろうということでニコラスが奮発したのだ。
全室ラグドリアン湖に面しており眺めが良く、自家用の桟橋まであるのだ。
そこに3ベッドルームのコネクティングルームを予約していた。

「あー、ウォルフ様もクリフォード様も支度してない!すぐに泳ぎに行くって言ったでしょう!」
「サラ、馬車みたいな狭い場所に長時間動かないでいた時は、じっくりと体をほぐしてから運動した方が良いんだよ」
「ウォルフ様しょっちゅうあちこち飛んで行ってたじゃない。十分ほぐれてるよ」
「今暫し!今暫しこのベッドの安らぎを・・・」
「いいからさっさと着替える!」
「わー、わかったわかった」

すでに水着に着替えた準備万全のサラに、パンツを半分ズリ降ろされ諦めて着替える。ちなみにクリフォードはサラが来た段階で着替え始めていた。
ホテルの前の浜辺に出て準備運動をしていると大人達も遅れてやってきた。
エルビラもアンネもスタイルは抜群なので、二人の水着美女に挟まれニコラスの目尻は下がりっぱなしである。
水着は腿の半ばまであるようなクラシックなスタイルであったがそれが彼女らの魅力を減じることはなかった。
湖水浴をしている他の客からもチラチラと視線が送られ、アンネはちょっと恥ずかしそうにしていた。

「ウォルフ様、なにしてんの?」

 ピコピコと何かを一所懸命踏んでいるウォルフにサラが尋ねる。

「ふっふっふ、ウォルフ様開発のレジャー用品第一弾!"水竜くん"だ!」

ビニールの接着は大変だったし、吸気口や足踏みポンプなどの開発にも案外時間が掛かった。
完成型は頭にあるのに、最適な素材を選定するだけでも結構多変なのだ。
しかし、苦労した甲斐があって完成した物は中々の出来で、子供が二人乗ってもびくともせずに水に浮き、更に紐を付けて引っ張ることも可能という代物だった。
やがて膨らんだそれを頭上に掲げて湖に突進する。
サラも最初は興味なさげにしていたが、やがて夢中になって上ったり落ちたりして遊んだ。

「じゃあサラ、しっかりヒレに掴まって。オレがフライで引っ張るから」
「うん!よし、いーよ」
「行くぜ!『フライ』!」
「きゃーっ!!!」

水面すれすれを結構なスピードで飛ぶ。"水竜くん"は『強化』してあるからかなり丈夫だ。
波で結構バウンドしていてその度に落ちそうになるが、サラは必死にしがみついていた。
サラが何か叫んでいるので止まってみたらなんか怒っていた。少し飛ばしすぎたようだ。
ゆっくり岸に戻って今度はウォルフも乗ってみたかったが、サラもクリフォードもそんなに早くは飛べないのでニコラスに頼むことにした。

「父さん、今度はオレと兄さんで乗るから父さん引っ張って!」
「おう!まかせとけ!かっ飛ばしてやるぜ」
「と、父さんそんなに頑張らなくても良いからね?」
「今のウォルフのスピード見てたら燃えてきた!風メイジの意地を見せちゃる!」

すでに大分まわりの子供達の視線が痛くなっているが、今は無視して"水竜くん"にクリフォードと二人で乗る。

「いくぜ!これが風のトライアングルの『フライ』だ!《フライ》!」
「「うおおおおおおおおおぉぉ」」

「うりゃあ!旋回!」
「「うおおおおおおおおおぉぉ」」

「これが!俺の!全力全開!」
「「うおおおおおおおおおぉぉ」」

多分時速で百リーグ位は出ていた。
旋回までは楽しかったが、後はもう必死にしがみついているだけになってしまった。
何とか耐えきって岸まで戻ってくると、ニコラスはこちらをずっと見ていた子供達に囲まれた。

「おじさん!ぼくものせて?」
「ぼくもぼくも!」
「あたしもー」
「うわー、何じゃあー」

子供達は我先にとニコラスにまとわりついてくる。

「あー分かった、分かったから順番に、な?」

ニコラスは二十人程いた子供を全員乗せるまで、ひたすら『フライ』を唱え続けることになった。

「あれ親からお金取ったら結構儲かりそうだなあ」
「あら、こんなところで商売ですか?ウォルフ」
「商売の種ってのはどんなとこに落ちているか分からないもんなんだよ、母さん」


 サラとクリフォードは良い感じにぐったりして休憩してるし、エルビラとアンネはおしゃべりに夢中だ。
ちょっと一人暇になってしまったので、ウォルフはラグドリアン湖の水を『ディテクトマジック』で精査してみることにした。
すると驚愕の事実が判明した。
ここの水の水分子内の電子の一部が、魔力子に置き換わっている。
こんなことが『ディテクトマジック』でぱっと分かったわけではないが、受ける違和感を検証していくとそういうことであろうと結論した。
こんな水を飲んでも大丈夫なのかと不安になるが、ここらの人は六千年も飲んでるわけだから問題ないのだろうと思うことにした。
これは通常の魔力素などの在り方とは全く異なる物で、通常はただ単にそこらに在るだけだし、何らかの意志を受けていてもせいぜい原子と原子の間や物質の外側にへばりついている位だ。
例外は魔法金属と呼ばれるオリハルコンやミスリルで、これらの金属は元は普通の白金や銀なのだが、これも原子の内部の電子軌道に魔力子が存在していることが分かっている。
これだけ膨大な水が魔法的にはミスリルなどと同等なのだ。そりゃ精霊も生まれそうである。
いきなり水の精霊の秘密に近づけてしまった感があるが、もっと調査が必要だろう。
それと、やはり水の精霊自身を調べてみたい。
ここの水のように通常の物質の一部が置き換わった物で構成されているのか、それともやはり魔力素だけで構成されているのか。
そんなことを考えながら手早く『練金』で小瓶を二十個ほど作る。コルクの蓋付きだ。

「サラ!サラ、手伝ってくれ!湖の水を採取に行くぞ!」
「ふえ?・・・・は、はい!」

小瓶を詰めた袋を担ぐと『フライ』で飛び立つ。
サラに手伝わせながら、人の居ない入り江、湖から河となって流れ出る地点、森が迫る岬、と水を採取していく。表層と深い場所の二ヶ所ずつだ。
一つ一つコルクに場所を記入しながら移動していき、そして最後に湖の最も深いと思われる場所に来た。
サラに二人とも『レビテーション』をかけて貰い、紐を付けて錘を巻いた瓶を沈め、やはり紐を付けたコルクの蓋を抜いて瓶を引き上げる。
引き上げるときの力で簡易的に蓋がされるように紐に取り付けてあるので、ほぼ表層の水と混ざることはない。
ここはかなり深いようで、深さ百メイル地点、二百メイル地点と採取していき、三百メイル地点に取りかかったときにそれは現れた。

「何をしている。単なるものよ」

気がつくと二人の前方の湖面にうねうねとうごめく水球が出現していた。
思わず呆然と見つめてしまう。まさに未知との遭遇である。

「お前達が先程から私の一部を汲んでいたのは知っている。もう一度聞く。何をしている。単なるものよ」
「み、水を汲んでおります、・・・精霊・・様」

何とか返答する。水球は喋るときだけ人間の頭のように変化した。
ウォルフは精霊が発する濃密な魔力の気配に圧倒されていたし、サラはただひたすら硬直していた。

「何のために我のいる場所へ近づく。我はそのようなことを許した覚えはない」
「えーっと、すみません調べるためです。先程魔法を使いまして、この湖の水が普通の水とは違うことに気付きました。それでどのように違うのかをあちこちの水を採取して調べようと思ったのです」
「ここは我の住まう地、他と違うは当然。調べてどうするるのだ、単なるものよ」
「知ることが出来ます。私はこの世界がどのように生まれ、存在しているのかを知りたいと考えてきました」
「お前達は生まれては死に、ほんの短い時しかこの世界にいることはない。知れることなど僅かであろう」
「私が知ったことは私の子供に伝えることが出来ます。あなたが長い時を一人で生きているというのなら、我々は大勢で生きていると言えます。水の一滴一滴が僅かでも多くが集まればこのラグドリアン湖のようになるように、例え僅かでも知りたいと思うのです。精霊様、お願いがあります」
「なんだ、申してみよ」
「精霊様を魔法で"見る"事を許して欲しいのです。精霊様がどのように"在る"存在なのかを知りたいのです」
「愚かな・・・単なるものの分際で我を量ろうというのか。よい、できるものならばやってみるが良い」

精霊が不穏なことを言いサラが掴む腕に力が加わるが気にせず魔法をかけた。

「ありがとうございます!では早速・・・《ディテクトマジック》!」

 それは膨大な魔力の固まりで、その存在の初めから永久にも近い時をこのラグドリアン湖で過ごしてきたものだった。もしウォルフが"精霊とはどんな存在なのか"などということを直接魔法で知ろうとしていたら、その情報量に正気を保てず気が触れていたかも知れない。
しかし、今は原子の構造を知ろうと極狭い範囲に極めて精細な魔法をかけたので、無事に調べることが出来た。
その結果解ったことは水の精霊は魔力素だけで出来て、さらにそれが通常の物質の様な形態を取っている、ということだった。
陽子も中性子も電子も全て通常物質と同じようにあり、それら全てが魔力素が変化したもので水分子を形成していた。
なぜそれが自意識を持つ様になっているのかは分からなかったが、それを考える入り口には立てた様な気がした。

「うおー!すっごいですね!精霊様、ありがとうございます」
「?・・・何ともないのか?」
「はい!おかげさまで多くのことを"知る"事が出来ました」
「・・・・・・」
「水の精霊様は純粋な魔力で構成されています。我々のように通常の元素を体にしている生命体とは根本的に違うと言えますね。形態としてはただ液体と言うことではなく水(H2O)の形になっています。土や風、火の精霊は一体どのようになっているのでしょうか、知りたいです」
「・・・お前のような単なるものもいるのか」

これまでに水の精霊に魔法をかけてきた人間は攻撃してくる者か、その力を手に入れようと近づいてくる者しかいなかった。
ウォルフのようにただ知識を得ようと近づいてくる人間は、精霊の長い時間の中でも初めてだった。

「本当にありがとうございました。そろそろ親が心配していると思うんで帰ります。よろしいですか?」
「・・・ちょっと待て、これを・・」

水精霊から水が飛び、まだ空だった二つの瓶を満たした。

「ここの底の水と我の一部だ、持って帰るが良い」
「えっ水精霊の一部って水の秘薬のことじゃないですか!いいんですか?」
「代わりにお前の体を流れる水を水面に落とすがいい。我はお前を覚えるとしよう」
「うわー本当ですか、はい、ただいま」

急いで瓶の蓋を閉めると『練金』でナイフの先を作り指の腹を切った。
血は玉を作りやがて湖面に滴った。

「これで我はお前を覚えた。単なるものよ、我はお前の呼びかけに応えることにしよう」
「ありがとうございます。それと私の名前はウォルフです。一緒に覚えてくれたら嬉しいです」
「我にはそのような概念はない・・・・"ウォルフ"よ・・・・これでいいのか」
「はい!また会いに来ます。今日はこれで失礼します」
「我ももう戻るとしよう・・・・・"ウォルフ"よ」

そういうと水の精霊は湖面に消えて行き、後には静かな湖水が残るだけだった。

「いやー水の精霊に会えるなんてラッキーだったね、サラ。ってうわあっ《レビテーション》!」

 ずっと『レビテーション』をかけたままだったサラが急に緊張が解けたため一緒に魔法が解けてしまったのだ。
慌ててサラを抱き止め顔をのぞき込むと泣きそうな顔をしている。

「ふえー怖かったあああ」
「別に知性がある相手なんだし、ずっと人間と共存してきた存在なんだからいきなり子供相手に攻撃してこないと思うんだけど」
「そういうことを言っているんじゃありません!なんでウォルフ様は水の精霊なんかと普通にしゃべれるんですか?」
「知性のある相手に敬意を払うのは当然のことだよ。相手のことをよく知らないからと言って恐れたり逆に攻撃したりするのは野蛮なことだ」

湖の上を『フライ』で移動しているとサラは文句を言ってくるが、ここはまだラグドリアン湖の上なんだからあんまり失礼になることを口走らないように、と注意するとまた怖くなったのか黙った。
元いた湖岸まで戻ると、案の定エルビラとアンネが怒っていた。
ニコラスはその横に疲労困憊で死んだように倒れ込んでいる。
ちなみにこの日以降ニコラスがどうしてもいやがったため"水竜くん"が湖に出ることはなかった。

「ウォールフッ!勝手にいなくなるんじゃない!」
「すみません、お母様。湖の水を色々採取していたら水の精霊に出会ってしまい、すぐには帰って来られなかったのです」
「み、水の精霊ですって?」

エルビラ達の顔色が変わる。水の精霊はその強大な力でここハルケギニアでは敬われてもいるが同時に恐れられてもいるのだ。
しかしウォルフにとっては『ディテクトマジック』をかけさせてくれた上に水の秘薬をくれた、気前の良い精霊だった。

「はい、ずいぶんと気の良い精霊でした」
「気の良いって・・・無事だったんですね?」
「全然大丈夫ですって、ほら、帰り際に水の秘薬までくれました。気前が良いでしょ」

ウォルフは近所のおじさんにお菓子でも貰ったかの様に言う。
水の精霊が気が良いなどと中々信じがたいエルビラであったが、確かにそこには小瓶いっぱいに水の秘薬が入っていた。

「はあ、無事だったのならもう良いです。宿に戻りましょう」




[18851] 1-14    帰還
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/10 17:45
 ラグドリアン湖での楽しい休暇も終わり、アルビオンへ立つ日になった。

 ウォルフが二十近くある湖の水が入った瓶を全部持って帰ると言ったためニコラスと喧嘩になったが、より小さい瓶に移し替えることでお互い妥協した。
全ての荷物を纏め、桟橋から船に乗る。ここから対岸のトリステインまでは優雅な船旅だ。
対岸に着いて馬車を仕立て直し、ラグドリアン湖に別れを告げる。
ウォルフが「バイバイ、またね精霊様」と告げると湖面が震えて応えたような気がした。
ここからは昨年と同じ旅程で、ラ・ロシェールからロサイス、そしてサウスゴータへの道だ。
ラ・ロシェールまででの途中で一泊、さらに船中で一泊そしていよいよサウスゴータのド・モルガン邸に到着した。
出発から実に二十日あまりが経っていた。


「いやー、やっぱり我が家が一番落ち着くなあ」
「あらあなた、そんなことを言うんでしたら、もう出かけるのはやめにしますか?」
「いやいや、出かけたからこそ、そう思うんだって」

出迎えた使用人達に荷物を降ろさせながらみんな上機嫌だった。
ウォルフは自分で荷物を方舟に運び込むために仕分けをして降ろしていた。
出かける時は一番少ない荷物だったのに、ヤカで購入した魔法道具、フアンに譲ってもらったりヤカの書店で購入した書籍類、八千エキューの金貨、ラグドリアン湖の水、途中で拾った石、道々で購入した珍しいおみやげ、といつの間にか一番の大荷物になってしまっていたのだ。
それらをサラと手分けして『レビテーション』で浮かせ、方舟へと向かった。

「暑っ!」

 方舟に入った第一声がこれだった。旅行前に作っておいた換気システムは快調に作動しなかったみたいである。
温度計を見ると三十度を超えていて、早急な改良が必要だった。
バッテリーをチェックしてみたが放電しきっているみたいでもうダメになっていた。
過充電になって電解液を電気分解してたらいやだと思ってバッテリーだけは屋上に専用の部屋を作って隔離していたが、そんな心配は必要ないほどだ。
これではダイオードと抵抗だけの簡単な充電器がうまくいったのかも分からない。

「ウォルフ様、冷房、ダメだったの?」
「発電機がうまく動かなかったみたいだな、明日直すよ」
「今日はもう疲れたからね。お風呂入りに行こう!」
「おう!母さんもう沸かしているかなぁ」

取りあえず荷物を棚に入れて雨水タンクだけはチェックし、空になっていることを確認すると二人で母屋に向かい、中庭の風呂の前まで来るとちょうどエルビラが魔法で風呂を焚いているところだった。

「母さん、もうお風呂入れる?」
「ええ、もう沸くわ。入る?」
「うん、サラ行こ」

 この風呂もウォルフが今年になってから作ったもので家族の評判がすこぶる良いものだった。
直径二メイル程の大きめの五右衛門風呂で、チタン製なので肌当たりが柔らかく、熱伝導率の悪さから底を熱しても縁までは熱くならないため寄りかかって入れるのだ。
いつもは昼間の内にアンネとサラが水を張っておき、外から帰ってきたエルビラが家に入る前に魔法で沸かすのだが、これがエルビラの良いストレス解消になっているようだった。
城で何かあったときは高笑いしながら釜に炎を打ち込んでるエルビラが見られ、そのようなときは風呂の湯を冷ますのに苦労する。
逆に風呂が用意してなくて風呂釜の扉が閉まっていたりすると不機嫌になるくらいである。

「お客さん、かゆい所はございませんかー?」
「ふわぁ・・・きもちいいでーす」

ウォルフはサラの髪の毛を洗ってあげていた。サラはどうも洗うのが下手なので最近では二人で入るときはウォルフが洗うことにしている。
ここで使っているシャンプーもウォルフ製で、オリーブオイルから作り重曹を加えている。これにクエン酸のリンスで仕上げる事によってツヤツヤでさらさらとした髪になり、最近ド・モルガンの女達の髪が評判になってきていた。

「あらサラ、洗ってもらっているの?いいわね」
「えへへ・・」

さてシャンプーを流そう、という時エルビラが入ってきた。
二人の横を通るとしゃがみこみザバーっとかけ湯をしている。ウォルフのおかげでド・モルガン家では完全に日本式の入浴スタイルになっていた。

「母さんも洗ってあげようかー?オレ結構うまいんだよ」
「あら、いいの?嬉しいわー」

洗面器にリンスを張りサラの頭を突っ込んで仕上げながら声をかける。
エルビラは自分の体を洗っていたが、ウォルフが流し終わったタイミングで手を伸ばして抱きしめた。

「ウォルフはホントに良い子ねぇ可愛いわー」
「わー母さん、待ってすべるこける!」
「体はもう洗い終わったの?」
「まだだけど」
「じゃあ一緒に洗ってあげるわ。サラもこっち来なさい」

 その後三人で洗ったり洗われたりした後仲良く浴槽につかった。
胸から上を湯の上に出して頬を上気させているエルビラを眺め前世だったら生唾もんだよなと思う。
サラはともかくエルビラはウエストはキュッと細いのに胸と腰はバーンとしてて手足はスラリと長く小顔の絶世の美女で、そんなのと全裸混浴しているのである。
それなのにウォルフは心から寛いでいる。
ウォルフはこの事を幼児の被保護者としての本能が、保護者とのより親密な関係に安心しているのではないかと考察していた。
確かにエルビラともアンネともいつも一緒に風呂に入っているのでその裸は見慣れていて自分の裸と大差ないくらいだし、まだ性欲など欠片もない年齢であるのは確かだ。
しかしそんなことは関係ないくらい一緒にいると安心するのだ。
ウォルフの人格を形成しているものが前世の人格だけではなく、現世での肉体の影響を強く受けている証拠といえる。
まあ、エルビラもアンネも全く恥ずかしがらないので萌えない、という事も言えるが。

「商人になりたいって言うのは本気なの?ニコラが嘆いていたわ」
「・・・貴族をやめるかは別だけど、商売はするよ。サラを代表にして商会を作るつもり」
「ふえっ?わたし?」
「そう、やめたいってわけじゃないのね?」
「うん、だけど・・・」
「何かあるの?」

珍しくウォルフが言い淀む。しばし躊躇した後続けた。

「オレは、貴族として王家に忠誠を誓うことが出来ないような気がするんだよね」
「・・・忠誠を誓えない?」
「うん、忠誠も誓わず貴族でいるわけにはいかないだろ?」
「・・・ガリアなら良いのですか?」
「同じだよ。せめてゲルマニアのように利害関係で結ばれた主従関係なら良いんだけど」

エルビラにはその違いがよく分からなかったが、ウォルフにとっては全く違う国家体制だった。
アルビオンではブリミルの血筋の事もあり文字通りの主従関係と言えたが、ゲルマニアの皇帝は所詮諸侯の代表に過ぎないと言え、上司ではあっても己の全てをかけて忠誠を誓うような主君ではないように思える。
ブリミルの魔法は確かに凄いけど、己の全てを懸けて忠誠を誓えるかというと、ウォルフはそれは無理としか答えられないと思った。メンタリティーは依然として前世のものを引きずっているのだ。

「そんなに違うものでしょうか。ゲルマニアでいいのならアルビオンやガリアでも良いのでは?」
「違うね。ゲルマニアでは利さえ与えればオレのような者が臣下になっても問題ないだろうけど、アルビオンやガリアではそうはいかないよ」
「あなたのどこに問題があるというのです!あなたは私達の自慢の息子なのですよ?」
「ごめんね、母さん。だけど、オレは王家のために命をかける気にはなれない。貴族の責務を果たさない者は貴族でいるべきではないと思うんだ」
「それで、商人ですか・・・」
「特別、商人をやりたいというわけではないんだけど、やりたいことをやるための生活の基盤というか・・・」
「やりたいこと?」
「・・・冒険に行きたい。ハルケギニアはもとより、サハラから聖地、果てはロバ・アル・カリイエさらにその先まで。行ったことのない世界、誰も見たことのない世界を見たい、知りたいんだ」
「・・・それがあなたのやりたい事、ですか」
「うん。今はその為の力を蓄えている、と考えている。そして貴族であることは・・・」
「その為には必要なことではない、ですか」

ふーと大きく息を吐いて湯から上がり、湯船に腰掛ける。色白の体は全身がピンクに染まっていた。
ウォルフも続いて立ち上がり、腰掛けようとしてエルビラに抱き上げられた。

「あなたにやりたいことがあるのなら、それでいいのです」
「・・・・・」

ウォルフはエルビラの胸に埋もれて窒息しかけていた。


 その夜寝室で本を読んでいたウォルフをニコラスが訪ねていた。

「じゃあ、本当に俺が男爵だってのは関係ないんだな?」
「だから関係ないっていってんじゃないか。どっちかって言うと良かったくらいだよ、公爵家の長男とかだったらマジごめんなさいって感じだろ?」
「公爵家の長男だったとしても貴族やめるかも知れないってのか・・・」
「あんまり意味はないんだよ、オレにとって」
「意味ないって・・・」

事もなげに言うウォルフに絶句する。
自分の息子が普通とは違うと思ってはいたものの、ここまで感性が隔絶しているとは想像も出来なかった。

「でもほら、俺が公爵様とかだったらお前のやりたいこととやらも楽に出来るじゃないか」
「それだけの地位には見合った責任があるだろ?オレはそんなのには縛られたくないし、そもそも不労所得なんてこの世で最も価値のない収入だ」
「不労所得?相続財産のことか?」
「そう、何も労せずに、対価を払わずに得た収入のことだ。そんなものの量を自慢する人は多いけどそんなのにどう対応したらいいのかさえも分からないね。お父さんから先祖代々の領土をたくさん貰いましたって言われても、ふーん、良かったね、としか言えないよ。」
「でも領土はそれを手に入れてから経営することによって責任を果たしていくものじゃないか」
「それは新しく入手した人もおなじだよ。持っているものに対する責任であって収入の対価ではない。相続によって固定化された社会には活力が無くなるんだよ。オレはそんなのに価値はないって言っているんだ」
「爵位に意味など無いというのか・・・」
「父さんが母さんのために努力して爵位を得たことは知っているし、尊敬もしている。母さんも誇りに思っているのに自分で卑下しないで欲しい。オレが意味ないと言っているのは相続した財産の大小だよ」
「・・・・・」
「オレはオレの人生を生きるつもりだよ。大変かも知れないけどそれに必要な全ては父さんと母さんから貰えたと思っている。だから父さんも父さんの人生を生きればいいと思う。"俺は君を守るために生まれて来たんだ"だっけ?母さんの口説き文句」
「わー!何言うんだ、お前!・・・」

どこのライオンハートだよ、と続けようとするウォルフを遮り、あらためてウォルフを眺める。
本当に訳の分からない子供だと思う。
生まれたときは普通の赤ん坊のようだったと記憶している。それが手の掛からない賢い赤ん坊になり、やがて喋り始めると手に負えなくなった。
まあ、賢い、賢すぎる。無理矢理文字を教えさせると家中の本を読み漁り、家人を捕まえては質問攻めにする。
一歳の頃から年上のサラを妹扱いして面倒をよく見るようになり、読み書きや計算などサラの教育は全てウォルフが行っている。
魔法を覚えれば天才級でいきなりラインメイジになり、トライアングルになるのも間もないと思われる。教師であるカールも理解出来ない魔法理論で魔法を行使しているという。
それでいて天狗になるようなこともなく本人は淡々としたもので、ウォルフのことを避けていた兄ともいつの間にか仲良くなっていた。
この子がどのような大人になるのか、ニコラスは想像が出来なかった。

「はあ、分かったよ。お前はお前の生き方しかできないというんだな」
「うん、無理。・・・本当はね、子供のうちは普通の子供の振りをしようかなって思ったこともあったんだよ」

ウォルフが少し悲しそうな顔で言う。ニコラスは我が子のそんな表情を初めて見た気がした。

「最初はみんなオレみたいに生まれてくるのかと思ったんだけど、サラとか兄さんとか見てたら違うらしいって分かってきて」
「あ、ああ、確かにお前はほんのちょっと普通の赤ん坊とは違っていたな」
「演技すべきかなって考えたんだ。父さんや母さんに嫌われないように、十二歳位までは普通っぽくね、ちょっと変わった子供って言われる位には隠せるかなって考えたんだけど、無理だった」
「演技ってお前・・・」
「そんな演技をしながら十年以上も過ごすことを考えたら気持ち悪くて吐きそうになっちゃったよ」

ニコラスは絶句した。ブリミル様に愛され、唯我独尊そのものといった感じであるウォルフの、想像もしなかった孤独。
確かに、こんな子供を許容出来る親ばかりではないかも知れないと思い当たり戦慄する。この子はもっと幼い頃からその事実と向き合っていたのだ。

「そんなことは考えなくて良い。俺達家族がいる、お前は一人じゃないんだ」
「うん・・・ありがとう。・・・オレはオレがこんな風に生まれたことには意味があるって信じている。だからオレの心に従って生きようって決めたんだ。出世に血道を上げるのも、大貴族に婿入りするのも他人の評価を気にしながら生きることだろうから、オレにはそんな生き方は出来ないんだ」
「ふー・・・確かにそんなウォルフは想像も出来ないかな。・・・でも、これは覚えておいて欲しいんだが、お前の考え方はハルケギニアでは危険すぎると思う。よそでは公言しないで欲しい」
「ブリミル様の作ったこの世界が、そのままに続くことがブリミル教の正義だからね。他ではこんな事言えないよ」
「うん、分かっているなら良いんだ・・・」

まだ五歳でしかない息子に、もうしてあげられる事が殆ど無くなってしまったことに気付いて少し寂しかった。
自分の力不足かと嘆いてみたが、そうではなかった。ウォルフはもう精神的には大人なのだろう。
ならば自分の出来ることは離れて見守り、時にアドバイスを送ることぐらいだ。

「少し寂しいけどな、俺も子離れするよ。お前もお前のすることには自分で責任を取るつもりで、あー、でも未成年の内は結局こっちにツケが回ってくるんだから、大人しめにな」
「ははっ・・・まあ、迷惑が掛からないようにすることを第一に考えるよ」

よろしく頼むよ、と伝えるとニコラスは部屋を出て行った。





[18851] 1-15    一年
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/06 19:44
 翌日、とりあえずバッテリーの電解液と電極を『練金』でリフレッシュして換気扇を回す。
雨水発電はどうも発電量が全然足りなそうなので他の方法を探す事にした。
いくつも考えた中で一番ウォルフ自身が楽そうなのはエルビラの火力を使った蒸気タービン発電だった。まあすぐには出来ないだろうが風呂場の隣にスペースを確保し、こつこつと作っていくことにする。ニコラスには新型の給湯装置だと説明し許可を得た。実際に貯湯槽も作るつもりではある。
あんな天然でハイカロリーな熱源が身近にいるのである。使わない手はない。
蒸気タービンが出来るのはずっと先だろうから当面の対策として四階の雨水タンクを拡大し、地下にも雨水タンクを作った。毎晩魔法で下から上へと水を移動させようという発想だ。
降水量の少なさを補って発電機がうまく作動するのかを知りたかったし、水の魔法はまだ不得意なので扱いに慣れたかった。
充電の管理についてはボルテージレギュレータを開発する事にしてリレーで行う方式やトランジスタの研究にも手をつけた。

 空調システムの改良にはガリアで買ってきた品が役に立った。
魔法温度計―ガリアでは一般的な温度計で、土石を動力に組み込んだ魔法人形が温度を指し示すというものである。
買ってきたこれを二体使用し、外気温と内気温に応じて地下からと外気からとに吸気口を切り替えるシステムを作った。
回転式のシャッターを魔法人形に操作させ、外気温が十五度以下ならば地下経由の空気それ以上は外気、という第一のシャッターを設置する。それに加えて内気温が二十五度以上ならば地下空気、それ以下ならば第一シャッター経由の空気という第二のシャッターを設置し、冬暖かく夏は涼しい地下の空気を利用することによって常に室内が快適な温度になるようにした。
排気を第一シャッター経由の吸気と熱交換をさせているので、これに冬期は暖房を組み合わせれば完璧である。
運転を開始してみると今の時期だと昼間は地下空気を頻繁に使用して冷却し、夜になると外気との換気で常に新鮮な空気が室内を緩やかに流れ方舟内は実に快適な空間になった。
将来的には電子制御にしたいが、今はこれで満足である。




「いやあ、ここは涼しいねぇ。うちにも作ろうかな」

最近ウォルフの方舟が涼しいのでよく来るようになったマチルダが少し離れた机で作業をしているウォルフに話し掛けた。自分はソファーでお菓子を食べながらである。
発電システムは快調に動作する様になり、何度か過充電や過放電でバッテリーをだめにしたが今では大分コツを掴んでいた。

「作ってみると良いんじゃない?地下の冷たい空気を利用するだけだし、ポイントは送風と温度管理だね」
「温度管理はウォルフみたいに魔法温度計を買ってくるとして、送風はどうしたもんかね」
「城にある水車から直接動力を取り出して送風機を回したら?結構うまくいくと思うよ」
「うーん、あんまり大掛かりなのはお父様が許してくれないだろう」

マチルダもウォルフにモーターの原理を説明されて作ってみたけれどもかろうじて回る、という程度の物しか作れなかった。
そうすると風石を直接励起させて風を送るというくらいしか考えつかないが、ちょうど良いくらいの風を送る魔法道具を作る自信はなかった。

「うーん、中々難しいね、あたしもガリア旅行に連れていってもらって魔法道具探してこようかな」
「うん、あそこは魔法道具は発展していてこっちにはない物がたくさん有るから楽しかったよ。リュティスとかに行ったらもっと凄いんだろうなぁ」
「今度あたしも頼んでみるよ。お父様は太守だから街を離れられないんだろうなぁ・・」

マチルダとそんな会話を交わしながらもウォルフはずっとグライダーの設計をしていた。
ここのところずっとそんな感じで分割思考の練習にちょうど良いと考え、なるべく二つのことを同時に処理しようとしていた。
マチルダも別段気にすることもなく相手をし、いつも暫く涼むと帰って行った。

 今ウォルフが設計しているのは主翼で先端の後部に舵を持つため、それを操作する仕組みが構造を複雑にしていた。飛行機としては最も簡単な構造のグライダーとはいえクリアすべき課題は多い。
リンクを作り、ワイヤかロッドを通して操作する予定である。
図面上でそれらの部品を主翼内に配置し、きちんと機能するか確認し、いよいよ試作にはいる。
まずは翼の骨となる桁を作る。本当はカーボンで作りたかったが、まだエポキシ樹脂がどうにも作れないのでクロムモリブデン鋼の極薄肉厚角パイプで作った。超超ジュラルミンやチタンも検討したが販売することを考え手に入りやすい材料をベースにすることにした。
まず大体の形に『練金』して強度を検査し、十分な強度がある事を確認すると圧延するために作った装置に通し、設計図通りの口径に成形する。ちなみに装置はゴーレムによる手動である。
ここまでですでに数日が経過しているがウォルフにとっては順調なうちで、次のフォルーサ材を接着して大まかな翼の形を作り、図面を元に削りだしていく作業に入る。
まず翼の根本から先端に向けての形を大きな定規を当てながら確定、そこに基準線を描く。
翼断面の形を上下から写した定規を基準線に当てながら慎重に削る。定規は根本から先端までその位置に合わせた形状に合わせて百枚程も作ってあり、精密に形状を再現出来るようにしていた。
形が完成したら舵の部分を切り抜いて表面に樹脂を塗り正式な型とする。
これを元に石膏で雌型を作り、いよいよFRPの工程にはいる。
上下それぞれの雌型に離型剤を塗り、その上からガラス繊維を積層して樹脂を浸透させていく。繊維に残る空気はローラーを使って押し出し、型に密着させた。
樹脂が固まったら型から外してバリを取り、表面を綺麗にならす。ここの工程はガラス繊維がチクチク刺さるのでサラは逃げ出して手伝ってくれなくなった。
忘れずに舵の部分の部品や翼の根本や舵の部分を補強するリブも作っておく。
桁にリブを固定し、上下の外皮と舵を付ける部分の部品を接着して外面を塗装し漸く一枚の翼が完成した。実に三ヶ月も経っていた。

「こんだけ懸かって漸く翼一枚ですか」
「そう言うなよ、サラ。泣きたくなるじゃないか」

サラにこの凄さが分かって貰えないのが悲しい。
ガラス繊維の製造方法だって研究を重ねたし、樹脂にしたって天然樹脂である琥珀からコーパル、ダンマルにミルラにオリバナム、ザンギデドラコ、更には亜麻仁油などの不飽和脂肪酸を含む油など手に入る物は全て手に入れて研究を重ねた成果だ。
結局採用したのは恐らくはポリエステルであろう物である。エステル結合と不飽和結合を持っているし、過酸化ベンゾイルを加えたら重合したので多分間違いない。
ちなみに風防はアクリル樹脂で作るつもりである。『練金』でメタクリル酸メチルのモノマーを作り、重合させたものでポリエステルに比べれば作るのは楽だった。
ウォルフが丹誠を込めて作った翼は既存のハルケギニア産材料で作るのに比べ圧倒的に軽量で高剛性に仕上がっているし、そのシェイプの美しさは芸術品級だと思っている。
魔法が無かったら何も出来なかっただろうとは思うが、これだけ頑張ったのだから褒めて貰いたいと思うのは人情ではないだろうか。
もちろん、『硬化』という魔法があるのでこんなに頑張って強度を保ったまま軽量化しなくても良かったのではないか、ということに最近気がついた事はサラには内緒だ。

「だって、こんなの『練金』でささっと作っちゃうんじゃだめなんですか?」
「コレは『練金』じゃ出来ないよ。似たようなのは出来るかもしれないけど、それだと将来的にコストを下げられないし。今は試行錯誤しながら、材料も治具も作りながらだから時間が掛かっているけど、その内早くできるようになるんだ。あと、こんなのって言わないで」
「あ、ごめんなさい。そんなに何台も作るつもりなの?」
「商売するって言ってたろ?こいつはきっと売れるぜ。貴族用の高級趣味用品だな」

 全体の形がおよそ完成したのはさらに四ヶ月後、もう季節は春という頃でウォルフは六歳になっていた。
姿を現したのは全長八メイルと少しで取り外せる翼を持ち、全幅十七メイル重量七百リーブルの堂々とした機体である。
全体を滑らかに白で塗装し、滑らかな曲面で作られたアクリル製の風防も装備し何時でも飛び立てるかのように見えたが、問題を抱えていた。

「ぐわー!もうだめだー!オレはだめなんだー!」
「あっウォルフ様!」

機体が組み上がってからここ一ヶ月程本体には手を付けず、工房で部品を加工していたウォルフだったが、突然叫ぶと飛び出して『フライ』で遙か上空に飛んで行ってしまった。
サラは最近ウォルフが煮詰まっていたのを知っていたので放っておくことにして、お茶の用意をしに下へ降りていった。もともと最近トライアングルになったウォルフが全力で飛んだらサラには追いつけない。
三十分くらいしてウォルフがすっきりとした表情で戻ってきた。

「やあ、サラ。お茶を頼めるかい?」
「はい、ただ今。どうしたの?妙にさっぱりしてるよ?」
「いや、久々に火の魔法を全力でぶっぱなしてきた。風呂を沸かす母さんの気持ちが分かったよ」
「あぁ、時々忘れそうになるけどウォルフ様も火のメイジだったんだよね」
「うん、それで決めたんだ。サラ、オレはいったんグライダーを離れる!」
「え?せっかくここまで作ったのにやめちゃうの?」

 ウォルフをここの所ずっと悩ませていたのは操舵の機構であった。
現物合わせで一つずつ部品を加工していったのだがやはり精度が今ひとつで、何種類か作ったが最初はうまく動いても暫くテストしていると動きが渋くなったりがたが出たりした。
そのままでも飛べないことはないと思ったが、ウォルフが求めているのは販売することが出来るクオリティーである。
試作機が出来たら直ぐに注文を取って販売すれば、ウォルフのグライダーも目立たなくて良いかなと思っているのだ。すぐに壊れるなどと悪評が立つことは許されない。
何とかしようと粘っていたのだが、このままではどうにもならないと判断し抜本的な解決を図ることにしたのだ。

「やめはしない。今は戦略的撤退だな、オレは旋盤を作る!」
「旋盤?」
「そうマザーマシーン、鉄を削って機械を生み出すための機械だよ」
「そんなのがあるなら最初から作ればいいのに」

今やっている方法で出来ないなら、きちんと手順を踏んで一から作ればいいのだ。
旋盤を作るとなると、必要な物が多くて大変だが、いずれは作らなくちゃならないと思っていた事だ。
何かサラは違う物を想像しているみたいだが。

「まあ、作るのは多分グライダーより大分大変だからな。でも作ってみせるさ」
「え?それも何ヶ月もかかるの?」
「・・・下手したら年だな」
「・・ウォルフ様さ、結構大変なの好きだよね、何か嬉しそう。M?」
「断固言わせてもらうが、楽なのが好きだし、Mでは無い。誰も作っていてくれないから仕方なくオレが作るんだ。ここ片付けるから手伝ってくれ」
「はーい」

 とりあえず今までやっていたグライダー関係の物は全て中止して、旋盤の制作に全力をかけることにした。旋盤さえあれば蒸気タービンだってさくっと出来るはずである。
まずは旋盤の多くのギアを制作するために必須なロータリーテーブルと材料を固定するチャックを作る。
ロータリーテーブルとは目盛りの付いているつまみを回すとウォームギアによりその分テーブルが少し回るという物で、円周を精密に分割する為には必須の物だ。
今回作る物のウォームギアのギア比は90:1、つまみを一回転させたらテーブルが四度回転する仕様だ。ウォームギアは苦労したが、ジグを使って刃物を作り何とか正確な物を作ることが出来た。
手作業でタップとダイスを一種類作り、それで作ったネジを利用してロータリーテーブルに材料を固定、割出盤とチャックも製作。
精密に製図をし、丁寧にけがいて慎重に削り出す。根気のいる仕事だった。
格納庫の扉のローラーベアリングやモーターを作るときに使った手回しの簡易旋盤に新しく開発したモータを搭載して部品製作に使用する。
電力を確保するためバッテリーを大量に製作し地下に設置した。さらに水を介さないで直接発電する念力発電機も設置して毎晩寝る前に魔力切れ寸前まで発電した。
新しく開発したモータは磁石の代わりに電磁石を使用した物で、トルクを稼げる上に将来交流にしてインバータ制御した場合でもそのまま使える。
さらに往復台と横送り台を製作し、簡易旋盤に取り付ける。ここまですると旋盤の形に見えてくる。
これにロータリーテーブルを設置し、ギアを量産する体制になったのでいよいよ旋盤本体の設計に入った。


「ウォルフ、そろそろ支度しなさい。お爺様が待っているわよ」
「うーん、今いいとこなんだけど、やっぱり行かなきゃだめ?」
「当たり前でしょう、去年あんだけ大見得切っておいて何を言っているんですか。もうクリフは支度終わったみたいですよ」

トライアングルになって暫くは色々と新しい魔法を覚えるのに夢中になったが、最近ではそれも一段落してしまい今は旋盤を作りたい。
目標だった魔力量にはもう到達したのでそれからは魔力の超回復も大分さぼり気味で、今では発電のためだけにやっている様なものだ。その分の意欲を旋盤制作につぎ込んでいた。
それなのにあっという間にまた夏になり、もうガリアへと行く日となってしまいちょっとテンションは低めだ。
しかもラ・クルス領から竜騎士を迎えに寄越してくれるという話だったのが、アルビオンの飛行許可が下りなかったらしく馬車で来てくれと言うのだからさらにテンションは下がる。
しかし仕方がないのでメイドに手伝ってもらって支度を始める。結局あれから換金していない手形の残りも忘れずに荷物にいれた。
今回一緒に行くのはヨセフという三十くらいの使用人でニコラスがここに住み始めた頃から働いている。最近ウォルフが使用人全員に杖の契約をさせてみたら唯一成功してメイジとなったので選ばれた。
ヨセフは初めて行くガリアに少しわくわくしているようだ。

「ヨセフ、本当に子供は大丈夫なの?」
「はい、妻も母もいますから心配は要らないです」
「何歳なんだっけ?」
「十二歳の息子と、七歳になる娘です。下の子はサラと同い年です」

 ウォルフは考える。近いうちに旋盤が完成するとして、今までのように何でも全部ウォルフがやる、というのはよろしくない。っていうかやってられない。
サラも一所懸命にやってはくれるのだがまだ小さいし機械の操作は危うい感じだ。
十二歳なら今から教え込めばすぐに物になるのではなかろうか。

「上の子はもう働いているの?読み書きは出来る?手先は器用なほう?」
「え・・・えっと、読み書きはおかげさまで習わせてやることが出来ています。手先は器用な方だと思います。働くのはまだ家の手伝いをするくらいです」
「うん、いいね。ガリアから帰ったらなんだけどさ、オレの所に手伝いに来る気はないか聞いてみてくれない?取りあえず見習い期間中で月に十エキュー出すよ」
「ええっ・・そんな、まだ子供ですよ?」
「オレの作る機械の操作をさせたいんだ。十二だったら十分だよ、十五じゃ遅いかもって感じだから」
「は、はあ・・しかしエルビラ様やニコラス様に尋ねなくてもよろしいんですか?」
「これはオレがオレの責任で、オレの金で雇用するんだ。一々聞かなくても大丈夫だよ」
「分かりました、それじゃあ帰ったら聞いてみます」
「うん、よろしく頼むよ。下の子も連れてきたらサラに計算とか教えさせるから来させると良いよ」

はあ、と曖昧にヨセフは答える。七歳の子に七歳の子を教えさせると言ってもピンと来ないのである。
しかしサラはただの七歳ではなく、ウォルフが三年程も手塩にかけて教え込んできた早期教育の成果である。
今や因数分解や連立方程式を解いているので算数を一から教えるなど簡単なはずであった。
そういえばサラがいないのだが、朝に寂しそうな顔をして会いに来たので自分がいない間一人で寂しかろうと大量のドリルを渡してやったら何故か怒ってその後顔を見ていない。


 荷造りを終え、中庭に出るともう馬車が用意されていた。ロサイスまではエルビラが送ってくれるらしい。
いざ乗り込もうとするとマチルダが見送りに来た。

「ウォルフ!クリフ!もう行くのかい?」
「あ、マチ姉見送りに来てくれたんだ。」
「マチルダ様、わざわざありがとうございます」
「これ作ってきたからお昼に食べて」

そういって弁当を差し出す。ウォルフは普通に受け取っていたがクリフォードはかなり緊張して受け取った。
マチルダは今十三歳。ここ一年でずいぶんと綺麗になり、クリフォードは会う度に緊張してしまうのだ。

「あたしもリュティスに行く途中でヤカによるから、その時また会おう」
「うん、お爺様に言ってあるから暫く滞在しても良いと思うよ」
「まあ、そんなにのんびりとはしていられないけどよろしく頼むよ。・・・じゃあ、気をつけていっておいで」
「マチ姉も気をつけてね」
「マチルダ様、行って参ります」
「サラもな!良い子にしてるんだぞ!」

 最後に方舟の柱の陰で見送っているサラに大声で声をかけて手を振ると馬車に乗り込む。サラはすぐに中庭まで出てきた。
馬車が動き出し門をくぐる。中庭で手を振るマチルダとサラに手を振り返すと馬車は街道へ向けて走り始めた。
昨年と同じ行程でヤカへと向かう。途中ロサイスではエルビラが二人を中々離してくれなかったりしたが後は問題なくヤカまで着いた。
ヨセフは城で一泊して乗ってきた馬車でアルビオンへ向け帰る事になっていたのでそのまま馬車で城に入った。
一年ぶりの城である。懐かしい気持ちとこれから起こる事への期待感が否が応でもわき起こってくるのだった。



[18851] 番外4   火の魔法
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/06 19:49
――― ちょっと時間を遡って、ラグドリアン湖から帰ってきてから暫く経ったある日の事 ―――





 ずっと工房に籠もりっきりでグライダーの制作をしていたので、ウォルフは気分転換に魔法の実験をしようと思い立った。
丁度エルビラも非番で家にいるし、頼めば多分手伝ってくれるだろう。

「母さん母さん、今暇?暇ならちょっと実験に協力して欲しいんだけど」
「何ですか、いきなり・・・実験?」

編み物をしていたエルビラは首をかしげていきなり部屋に入ってきた息子を見つめる。
ウォルフはそんな様子に構わず座っているエルビラの足元まで来てスカートを掴み、期待を込めた目で見上げる。こうするとエルビラはなかなか断れない。

「まあ、良いですけど、何の実験ですか?」
「ありがとう。火の魔法の実験なんだ。火の魔法がどういう魔法か仮説を立てたから検証したいんだ」
「火の魔法とは炎を司る魔法です。それ以外にはないでしょう」
「まあ、いいじゃんもう少し詳しく知りたいんだよ」

そのままエルビラを中庭に引っ張っていった。

 中庭に来るとウォルフは地下から出した大理石を『練金』し直し、一辺が一メイルほどの鉄の立方体を作った。重さは一万七千リーブル位はあるだろうか。
それをエルビラに炎で炙ってもらった。炎が当たっているところが溶け出すまで炙り、溶け出したら移動して四方から満遍なく熱を加える。
やがて全体が赤熱し、側にいるだけでジリジリと焦がされる感じがしてきた。
全体がオレンジ色に輝きだしたその鉄の塊に向かってウォルフはルーンを唱えた。

「《クリエイト・ファイヤーゴーレム》!」

それは『クリエイト・ゴーレム』とほぼ同じルーンだったが、働きかける魔力が土ではなく火というものだった。
勿論そんな魔法を使った者はいないし、ウォルフが自分でルーンを組み合わせて詠んだだけのもので、とうてい作用するとは思えない物だった。
しかし、そんなルーンに応え鉄の塊は変形を始め、人形を取る。
そのゴーレムが火の魔法で動いている事に気付いたのだろうか、エルビラは呆然としている。その目の前でゴーレムはウォルフの意志通りに様々なポーズを取った。

「ウウウウォルフ、あのゴーレムは火の魔法で動いているように思えるのですが」
「うん、オレの理論は正しそうだよ」
「理論って何ですか理論って!理論で魔法は働きませんよ!」
「母さんはそうなのかも知れないけど、動いてるじゃん、アレ」

 エルビラは暫くファイヤーゴーレムを見ていたが、何故か『ファイヤー・ボール』で攻撃し始めた。
普通、鋼鉄のゴーレムならばエルビラの『ファイヤー・ボール』に堪えられるのはせいぜい二発位だが、ウォルフのファイヤーゴーレムは何発食らおうがその輝きを増すだけだった。

「そんな、私の炎が効かないなんて・・・」
「やっぱり液体になってもオレの制御下から外れる気配はないな」

普通ゴーレムが溶けるほどに熱されると魔法の制御を離れてしまうものだが、ファイヤーゴーレムは温度が上がるほどにその動きに鋭さを増すようだった。
試しにバック転をさせてみると簡単にできた。重さ一万七千リーブルで温度が数千度、その上身軽に動くゴーレムの誕生である。
五メイル離れていてもジリジリと熱気が来る位である。人間などは触れただけで燃え上がってしまうだろうし、その戦闘能力はゴーレムとして世界最強と言っていいだろう。



 ウォルフが魔法を習い始めてからずっと考えていた事がある。火の魔法とはいったい何だ、と言う事である。

土の魔法は固体に作用する魔法。
水の魔法は液体に作用する魔法。
風の魔法は気体に作用する魔法。

では、火は?


 ヒントは水の精霊にもらった。
太古の昔から存在するという精霊がいつから存在しているのかを考えていた時に、その考えはウォルフの脳裏に浮かんだ。

"最初の精霊は何だったのか?"



 ウォルフは前世の記憶から惑星の生成過程を知っていたので、この星もかつて表面温度数千度の火の星だった事を確信していた。
そんな全ての生命が活動する事を許されないような環境でも存在出来る精霊が一つだけある。火の精霊だ。
水の精霊の一部である水の秘薬は温度を上げていくと蒸発し、元に戻る事はなかった。高温に弱いのだ。水の精霊以外の精霊に会ったことは無いが魔力素で言うなら火以外は高温になるとその効果が消える。
ウォルフの理論では最も小さな存在として魔力子があり、それらが集まって火・土・水・風の魔力素になり、それらが更に自我を持つ程に集まったものが精霊と言われる存在である。本質的に精霊と魔力素は同じ物である。
原始の惑星で、灼熱の星で、魔力素が、精霊が存在出来たとしたらそれは"火"以外には有り得ない。おそらくこの星はかつて火の魔力に溢れていたのだ。
土、水、風の魔力素や精霊が何時どのように現れたのかは分からない。
しかし、火の魔力素がこの星が冷えるのに従って土、水、風の魔力素に変化したと仮定すると、火は根源的にはそれらの特性を持っているのではないか、と考えこの実験を思いついたのだ。

 実験は成功した。
火の魔法でも固体の鉄をゴーレムにする事が出来たし、それが液体になっても制御を続ける事が出来た。元々熱した気体は操作出来るので、物質の三相全てを操る事が出来る事が分かったのだ。ただし高温下限定だが。
これで火の魔法とは高温下において全ての物質に作用する魔法であると言う事が出来る。常温下では高温の気体を発生させ操る事が出来るだけになってしまっているが、温度さえ上がれば火の魔法は万能の魔法といえるものだったのである。
ウォルフは嬉々としてエルビラに説明するが、彼女の反応はあまりパッとしなかった。

「でも、まずは温度を上げなくちゃならないのですよね?」
「そうだね、いきなりあのゴーレムは出せないな」
「だとすると一体どういう利点があるのでしょうか」
「うーん、ほら、火山で溶岩流が迫ってきてピンチ!って時にゴーレム作って止められるよ!」
「それは一生の内、何回位ある場面なのでしょうか・・・」
「・・・・・」
「確かに相手の土の壁を溶かしてそれをゴーレムにするとかは出来そうですが、そこまでしたら直接攻撃したほうが早そうです」
「・・・・何に使えるかなんて、そんなに重要な事じゃないのさ!知識を得て、それを積み重ねる事が大事なんだ!」

エルビラには不評だったがウォルフは嬉しかった。ずっと謎だった事が解けたのである。
自分の系統がどのような系統なのかを知る事が出来て、魔法をもっとうまく扱える様になる気がした。






[18851] 1-16    手合わせ
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/18 01:07



「「お爺様、お婆さま、皆様方お久しぶりにございます」」
「うむ、遠路よく来た。どうだ、二人とも魔法は上達したか?」
「僕はちょっとですが色々工夫するようになりました」
「精神力が多少増えましたので、それに伴い使える魔法が増えました」

 クリフォード、ウォルフの順に答える。ウォルフは多少とは言うが、火だけではなく風もトライアングルスペルを使える様になっていて、さらに分割思考の訓練の成果で魔法を三つまで同時使用をすることが出来るようになっていた。
分割思考に関しては風のメイジが覚えると『遍在』を創り出すことが出来るようになると思われるので、クリフォードにも教えていたがまだ出来るようにはなっていなかった。

「この滞在が有意義な物になるようにワシも優秀な教師を揃えておいた。明日会わせるから存分に学ぶが良い」
「「はい!ありがとうございます」」

一年ぶりのヤカの城であるが、どこも変わってはいない様だった。魔法を習うのは明日からと言うことなのでその日はティティアナと遊んで過ごした。

 そして翌日― クリフォードとウォルフは昨年魔法を使った中庭とは別のもっと広い裏庭へと連れて行かれた。
そこにいたのは五十台と三十台と見られる男性メイジが二人と十代か二十代と思われる女性メイジが一人だった。

「紹介しよう。今回お前達の教師を務める者達だ。左から順にモイセス、土のスクウェアだ」

軽く会釈をするのを見て紹介を続ける。

「そしてサムエル、風のトライアングルだ。最後がパトリシア水のスクウェアだ。皆優秀なメイジだから何か聞きたいことがあったらどんどん質問するが良い」
「はい!あの、サムエル先生は『遍在』を使えますか?」

ウォルフが手を挙げ質問すると、サムエルが口の横に長く伸びたひげをしごきながら答えた。

「おや、『遍在』を知っているのかい、勉強熱心な子供だね。残念ながらあれはスクウェアスペルだからね、トライアングルの僕には使えないんだ」
「そうですか・・・昨年お爺様にいただいた本にスクウェアでなくても『遍在』が使える可能性について記してあった物ですから聞いてみたのですが」
「ふむ、何という本にそんなことが書いてあったのですか?」
「"バルベルデの実用・風魔法"です」
「ああ、あの本は変な理屈を捏ねすぎて、実用という割には理解しにくいという評判の本です。あまり一つの本を鵜呑みにしないことですな」

やはり髭をしごきながら答えるサムエルに、ウォルフはこいつに教わることは何もないんじゃないかと感じた。

「あの、えっとパトリシア先生は独身ですか?」

つづいてクリフォードがもじもじと切り出した。クリフォード十一歳、綺麗なお姉さんが好きらしい。

「ええ、そうよ。クリフォードもいい人がいたら紹介して下さいね」
「いえ、そのあの・・はい」

にっこりと笑いかけられてデレデレになるクリフォード。マチルダのことは良いのか。
そんなクリフォードを横目で見ながらウォルフが話を進める。ウォルフはここ三日魔力の使い切りをしていなかったので魔法を使いたくてうずうずしていた。

「それでお爺様、今日はこれからどんなことをするのですか?」
「うむ、今日は顔見せなので全員に来てもらったが、明日からはワシを含めた四人で一人ずつ一対一で教えることにする。ワシ等は隔日になるな」
「はい、分かりました。じゃあ私は今日は誰と?出来れば苦手な水魔法を教わりたいのですが」
「あ、お前ずるいぞ!俺もパトリシア先生が良い!」

ウォルフは今まで水魔法をカールとニコラスという水メイジ以外からしか教わったことはなかったので、一度本職に教わりたいと思っていた。クリフォードのせいで微妙な雰囲気になってしまったが。

「ウォルフ、お前はちと特殊だからな、今日はお前のことを他の者達にも見せねばならん。まずはワシと手合わせだ」
「分かりました。じゃあ、兄さんは好きなだけパトリシア先生に教わると良いよ」
「お、おう」

 裏庭の中央に進み出たフアンと十五メイル程離れて対峙する。
他の教師は二人から十メイル程離れて立っていたが、クリフォードだけは二十メイル以上離れた場所に移動した。

「あー、三人ともクリフの辺りまで下がってくれ。それとウォルフ!まわりの壁は鋼鉄で作り直してあるし強化もしっかり掛けてある。遠慮はいらん!思い切って掛かってこい!」
「はい!いきます・・・《フレイム・ボール》!」

 痛いし疲れるしで戦闘訓練はあまり好きではなかったが、そうも言ってられないので軽く攻撃してみる。まあ、魔法を思いっきり撃つのはちょっとトリガーハッピーになって気持ちいいのだが。
『フレイム・ボール』は昨年も使ったヤツだが去年よりもより小さくて速く、威力も増している。

「ぬう!《炎壁》!ふんっ!来ると分かっていればいかに速くとも対処は出来るわ!《ファイヤーボール》!」

炎の壁を斜めに張り、ウォルフの攻撃をはねのけると巨大な『ファイヤー・ボール』で即座に反撃してきた。

「《フライ》!」

 さすがはスクウェアと言える攻撃を『フライ』で躱すとそのまま空中にとどまった。
普通のメイジは魔法を同時に使えないので『フライ』で飛んでる間は攻撃が出来ない。フアンもそれを知っているのでウォルフを降ろさぬよう次々に攻撃を仕掛ける。
それは端から見て孫に対する魔法にはとても見えないすさまじい物だった。

「おい、ちょっとあれ大丈夫なのか?」
「いや、確かに最初の攻撃は六歳とは思えない物だったけどアレじゃいずれ・・・・」
「止めた方が良いんじゃないですか?・・・あれ一個でも当たればあんな小さい子大怪我じゃすみませんよ」

 鬼気迫る様子で魔法を連発するフアンとそれを上空で躱し続けるウォルフを見ながらこそこそと教師達が相談するが、その二人の間に割って入る度胸のある者はいなかった。
せっかくの訓練だからと暫く躱すことに専念していたウォルフであったが、そろそろ反撃することにした。ウォルフは飛びながら攻撃が出来るのだし、そして何よりも今は魔力が漲っていた。
一向に降りてこようとしないウォルフを訝しがってフアンが一瞬攻撃を途切れさせた隙に、ウォルフは攻撃スペルを唱えた。

「躱してね?・・《フレイム・バルカン》!」

空中に浮かぶウォルフのまわりに小さな炎の輪が十以上も浮かび、それらが次々にフアンに向かって飛んでいく。
ウォルフオリジナルの『フレイム・ボール』改良型で一秒間に十以上の炎の輪を連射し続けられるという代物であった。

「《炎壁》!ぬおおおおおおお!」

フアンはしゃがみ込んで投影面積を減らし、小さい分強度を上げた『炎壁』を斜めにしてひたすら耐える。
その壁から覗く目は隙を見て反撃をしようとウォルフを狙っており、ウォルフからの攻撃が全部自分から二メイル程の地面に集中して着弾していることも、その地面が赤熱していることも気付かなかった。

「《ウォーター・ドラゴン》!」

炎の攻撃を続けながらウォルフが呪文により竜の形をした水が高速でフアンに襲いかかる。
これも『水の鞭』を改良したオリジナル魔法で十分な体積を持った水を高速で送ることに適していた。
そしてその竜はフアンの『炎壁』に当たると蒸気を発しながら進路を逸らされ、フアンの後方、赤熱した地面の真ん中に激突した。

「ぐあっ!!」

瞬間、地面が爆発しフアンは前方に大きく吹き飛ばされた。水蒸気爆発である。
フアンは杖も吹き飛んでしまったし、気絶しているようだ。

「《ウォーター・ドラゴン》」

同じ魔法を今度はフアンの体を冷やすためにぶつける。かなり火傷をしてしまっているみたいだし、早く冷やすことが必要だ。
そのまま水浸しのフアンの元に降りると『ヒーリング』をかける。

「パトリシア先生!治療をお願いします!」
「は・・はい!」

 呆然としていた三人が慌てて走り寄ってくる。
治療を三人に任せるとウォルフは水の秘薬を取りに部屋へ帰った。昨年精霊に貰ったのが少し研究に使っただけで残っていたので持ってきていた。
その後ろ姿を眺めながら三人はなおも今見たことが信じられない気持ちだった。
たしかに天才児だとは聞いていた。あのオルレアン公を凌ぐ才能だとも。
しかしそんなことはちょっと才能のある孫を持った祖父ならば、誰もが言うようなことなのだ。いちいち本気で聞いていられなかった。
高名な火のスクウェアメイジであるフアン・フランシスコ・デ・ラ・クルスが一蹴されたのだ、もし模擬戦をしたとしても自分たちが戦って勝てるとも思えなかった。

「パトリシア先生!これを使って下さい」
「これは、水の秘薬。よくこんなに・・・大丈夫よ、これを少し使えばこんな怪我はすぐ治るわ」
「お願いします」

 パトリシアは受け取った水の秘薬を少量フアンの口に含ませると再び『ヒーリング』を唱える。
ウォルフにとっては初めて見る水のスクウェアの治療なので興味津々に見ていたが、その目の前でフアンの火傷や打撲、擦過傷などが見る見る消えていった。
暫くするとうめき声を上げフアンが目を覚ました。

「うーむ、何だ?耳鳴りが非道いわい」
「あ、耳もですね?《ヒーリング》」
「お、おお、治まった」

 一頻り首を振っていたフアンが周りを見回す。
最初事態が分からなかったみたいだが、すぐに思い出すと顔を歪めた。

「むう、ワシともあろう者が孫に後れを取るとは・・・ウォルフ!最後の魔法は何じゃ、何故爆発した」
「えーと、あれは火の魔法を連発することで地面を高温に熱してそこに大量の水をぶつけたのです。その水が爆発するように一気に蒸発したのであんな風になりました。それで、大丈夫ですか?お爺様」
「ふん、水のスクウェアメイジがおるんだ多少の怪我なら心配いらんわい。しかし最初から嵌められていたとは・・・水の蒸発だけであんな爆発になるのか・・・」

ブツブツと呟いているフアンにパトリシアが告げる。

「いえ、ウォルフ様が水の秘薬を持ってこられなかったら、こんなに早くは治りませんでした」
「ん?水の秘薬だと?ウォルフどこから持ってきた」
「昨年ラグドリアン湖に行った折りに水の精霊がくれました。今まであまり使うことはなかったけど念のため持ってきて良かったです」
「「くれた?!」」

フアンとパトリシアがハモった。
水の秘薬はとても高価で、水の精霊との交渉役のいるトリステインならまだしも、ここガリアでは中々手に入りにくかった。

「水の精霊は滅多に人前には現れないで、唯一の例外がトリステインの交渉役だけです。人の心など簡単に狂わしてしまう恐ろしい存在と聞いていますが、くれたとはどういう事なのでしょうか」
「そうだ、ワシも水の精霊が一個人と取引をしたなど初耳だ。どういうことだ、詳しく話せ」
「いえ、取引とかじゃなくって、ただくれただけです。ラグドリアン湖の水が普通の水とは違うのに気付いたので、採取して調べてたら湖から出てきて、それならこれやるって湖の一番深いところの水と一緒にくれたんです」
「そんな話聞いたことない・・・」
「ワシもだ」
「でも気の良い精霊でしたよ?よく考えたら人間から精霊に提供出来る物なんてほとんど無いはずなのに、いつもトリステインは水の秘薬をもらっているわけですから、本当は気前の良い精霊なんだと思いますね」
「「・・・・・・」」

「まあ、秘薬のことは良い。とにかくあの爆発は狙ってやったのだな?」
「はい、お爺様の防ぎ方を見て出来るかな、と。弾幕でお爺様を釘付けにして、そちらに注意を向けさせて不意を突きました」
「うむ、見事に食らったわ。それとお主二つ以上の魔法を同時行使出来るな、なぜだ?」
「昨年お爺様にいただいた"バルベルデの実用・風魔法"にそのヒントが書いてありましたので、自分で更に研究して実践しました」
「ぬう、あれにそんなことが書いてあったのか」

 余談だがこの数年後ガリアでバルベルデの名声が飛躍的に上がった。
おかげでウォルフの持っている本やマチルダにおみやげとして買って帰った本はバルベルデオリジナルの初版本だったので、ものすごいお宝アイテムとなった。

 ともかくそんな感じの荒れた初顔合わせだったのだがここで問題が生じた。
土のモイセスと風のサムエルが教師を降りると言い出したのだ。

「なんだと?ワシの孫には教えることが出来んと、そう言うのか?」

しゅわーっとフアンのまわりの温度が上がり、その体から先程あびた水が水蒸気になって立ち上る。

「い、いえ、そういうわけではありません。お孫さんはあまりにも優秀なため非才な我らが教えられるようなことは何もないでしょうと、こう申しているのです」
「その通り!私めも一目でこれは物が違うと思った次第でございますよ」

何か最初の態度とはあまりにも違う態度だが、彼らは本当にウォルフを教えたくなかったのだ。
彼らのような高位のメイジは総じてプライドが高い。六歳児にのされるかも知れない仕事など絶対にやりたくない事であった。
彼らはウォルフの攻撃を受けた地面がぐらぐらと煮立つのを見ていたし、高速で飛行しながら魔法を放つウォルフの攻撃を躱す見込みもなかった。あれでは竜騎士を相手にするような物ではないか。

「貴様等の紹介所にはずいぶんと金を払っておるんだが、それはどうしてくれるんだ?」
「いえ、それはその、紹介所と相談していただくと言うことで・・・」

私たちも、その、リュティスから来てるわけですし・・・などと言葉を濁す二人をフアンは見限った。
こんなカスどもに孫を教えさせるわけにはいかん、ということで新しい教師を捜すことに決めた。

「ふん、まあ金のことは今は良い、紹介所に苦情を入れることにするわ。その代わり帰る前にワシと手合わせをしてもらおうか。土と風のメイジの戦い方も孫達に見せておきたいでな」
「いや、しかしラ・クルス様も今戦ったばかりでお疲れでしょうし・・・」
「かまわん。そんな心配をしてくれるのなら二人同時でも良いぞ、その方が早く終わろう」
「二人一緒、ですか・・」

チラチラと二人で視線を交差させる。尻込みしていたのが挑発されてその気になってきたようだ。

「まあ、確かにその方が早く終わりそうですな。いいでしょう、二人でお相手しましょう」
「おう、優秀なメイジということで雇ったんだからな、少しはそれらしいところを見せてくれ」

すぐにでも始めてしまいそうな雰囲気になったので、ウォルフ達は急いでその場を離れる。

「ではお先に失礼して・・・《エア・カッター》!」
「私も・・・《クリエイト・ゴーレム》!」
「ふん、《ファイヤー・ボール》ウォルフ!風魔法の欠点は何だ?」

『ファイヤー・ボール』で攻撃をはたき落としながらフアンが聞く。体の周りに炎の玉を十ヶ程も浮かべ、それで順次近づく魔法を迎撃している。
サムエルとモイセスは様々な魔法でフアンを攻撃するが、全て『ファイヤー・ボール』で落とされ、鋼鉄製のゴーレムも炎の弾を三つくらい浴びると腕が溶けて落ちた。

「物理的質量の小ささでしょうか。鋭くはあれど軽い攻撃ですので、物理的強度の高い防御を抜くことは困難ですし、『エア・シールド』の強度はそれ程高いとは言えません」
「うむ、その通りだ!《ファイヤー・ボール》!だから風メイジとの戦い方は決まっておる《ファイヤー・ボール》!圧倒的な物量で、押し切るのだ!《ファイヤー・ボール》!」

ぬんっ、と気合いを入れると二十ヶ程浮かべた炎の玉を次々にサムエルに撃ち込む。

「うわあっ《エア・シールド》!ぐうう、うわあああああ」

暫くは堪えていたが、耐えきれずに炎に包まれ吹き飛ばされた。
あわててパトリシアが治療に向かう。

「ふん、次だ・・・クリフ!土魔法の欠点は?」
「ええと、スピードの遅さと、攻撃のバリエーションの少なさ、でしょうか」
「そうだ!そして《ファイヤー・ボール》一番厄介なのはこの『ゴーレム』だが、こんなものには構わず本人を攻撃するのが一番だ《フレイム・ボール》!」
「うわああああああ」

迫ってくるゴーレムに一撃を食らわせ転倒させると、その横を歳に似合わぬ素早さで駆け抜けモイセスに攻撃を仕掛けた。
モイセスは『土の壁』の陰に隠れていたわけだが『フレイム・ボール』の連射を受けて『土の壁』は溶融、直後に火達磨にされてしまった。
結局力押しだよなあ、と思いながらウォルフはモイセスの治療に向かう。本気になったフアンの戦い方は圧倒的な魔力をそのまま叩き付ける様な攻撃で、ウォルフには手加減をしていたのがよく分かった。
結構良い感じに焦げている二人に水の秘薬を使って治療を施そうとしたのだが、フアンに止められてしまった。

「こやつらにそんなモンを使ってやる必要はない!優秀なメイジ、らしいからな自分で治すだろう」
「でも、この辺とか秘薬がないと綺麗にはならないと思うのですが・・・」
「いらんと言うとろうが」

結局フアンが許すことはなかったが、ウォルフは隠れてちょこっと秘薬を使い、一番ひどいところだけは治しておいた。
二人は歩けるまでに回復するとウォルフのことを話すことを禁じられた上で城から放り出された。二人とも言われなくても六歳児から逃げ出したなどと人に言うつもりはなかったし、誰かに話しても信じてもらえるとは思えなかった。

 その夜家族全員が集まっての夕食時、教師二人に逃げられたというのにフアンの機嫌は良く、楽しそうにグラスを空けていた。
このハルケギニアでは魔法の素養が高いと言う事には大きな意味がある。ウォルフの様な孫が出来た事は貴族として何よりも喜ばしい事だった。

「いやしかしウォルフには恐れ入ったわ、まさかこのワシが六歳の孫にのされようとは!はっはっはっ」
「本当なのかい?僕にはとても信じられないよ」

伯父のレアンドロがウォルフとフアンを見比べながらウォルフに尋ねる。

「はい、でもお爺様は攻撃を手加減して下さっていたようですし、そこに私の奇襲が決まった、っていう感じです」
「その奇襲が決まるっていうのが信じられないんだよ・・・」
「わっはっはっレアンドロ、ウォルフをお前の常識で見てはいかん。ワシを吹き飛ばしたのは水魔法だぞ、そんな火メイジ聞いたこと無いわ」

水が爆発するなんて誰が思う、と一頻り楽しそうにしていたフアンであったがふと、真顔になって言った。

「ふむ、しかし困ったな。二人も教師に逃げられてしまっては明日からの授業をどうするべきか・・・ウォルフに火の魔法を教えることはあまり無さそうだからパトリシアに任せて、ワシはずっとクリフと一対一か?」

ええっ!?と青ざめるクリフォードには気付かずに続ける。

「ふむ、それも何だから明日リュティスに新しい教師を探しに行くか。ウォルフ、何か希望はあるか?」
「どんな教師がいいかって事ですか?それなら、うーん、『遍在』を使える人が良いです」
「とすると風のスクウェアか。うーむ、探しては見るが・・・クリフは何かあるか?」

綺麗なお姉さんが良いです。とはまさか言えず、特に無いと答えておいた。

「ウォルフ兄様、お爺様と喧嘩したの?」
「喧嘩じゃないよ、ティティ。手合わせをしてもらったんだ」
「手合わせ?お爺様と手合わせをしたのに泣いてないの?」
「お爺様は優しいからね、手加減してくれたんだ」
「ふーん、ティティも手合わせしたい!」
「結構痛かったりするよ?ティティにはまだ早いかな」
「だからお父様いつも泣いているんだ・・・」

レアンドロはまた泣きそうになったが、何とか堪えることが出来た。



[18851] 1-17    オルレアン公シャルル
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/18 01:08
 翌日ガリアの首都リュティスの街に難しい顔をして歩くフアンがいた。

 朝一で風竜を駆り、千リーグもの距離を飛びここリュティスまでやってきていた。レベルの低い家庭教師なら地方でも手配可能だが、高位のメイジを雇うのなら首都が一番なのだ。
まず家庭教師の紹介所に行くとウォルフから逃げ出した教師達、モイセスとサムエルについて苦情を言い、怒鳴りつけ、燃やしかけ、新しい教師の派遣を迫った。
特にモイセスは魔法道具に詳しいと言うこともあって高額の支度金を払っているので、早急に代わりを用意してもらわないと納得出来ない。
しかし、フアンの出す条件が厳しいこともあって返事は芳しくなく、取りあえず探すようにだけ言い付けて自分は王城へ挨拶に向かった。

 浮かない気分の儘ヴェルサルテイル宮殿にて王や宰相に謁見をすませ、風竜の元へ戻ろうとするフアンに声をかける人物がいた。

「やあこれは珍しい、ラ・クルス伯爵ではありませんか」

さわやかな笑顔で話し掛けてくるこの人物こそガリアの王子オルレアン公シャルルであった。
王太子であるジョゼフに比べ圧倒的な魔法の才を有し、明るくさわやかな人柄と高潔で公正な人格で人々の尊敬を集め、ジョゼフをさしおいて次期王に目されている程の人物だ。
フアンはシャルルが子供の頃家庭教師をしていたこともあって、彼が才能だけの人ではなく、大変な努力家であることを知っていた。

「これはオルレアン公、お久しぶりにございます」
「や、堅いですね先生。昔のようにシャルルとお呼び下さい。どうかしたのですか?難しい顔をしておられましたが」
「あー、シャルル様。いや全く私事でして、孫の魔法の事でちょっと困っていただけです」
「お孫さんというと、確かうちのシャルロットと同い年ではありませんでしたか?まだ魔法で困る年齢でもないと思うのですが・・」
「いえ、その孫ではなくてアルビオンに行ったエルビラの息子達が帰ってきておりましてな、そっちのことです」
「ほう、あのエルビラ殿の息子さんですか、それは優秀そうに思えますが、何か問題でも?」
「ふーっ・・・・兄の方は何も問題はないのです。もう少しでラインになれそうなのですが年相応に優秀と言いましょうか、十一歳として普通の魔法を使います」
「では問題があるのは下の子のほうですか。いくつなんです?」
「六歳です。この年ですでに火のトライアングルでして、昨日は私ものされました」
「ええっ?」

シャルルは目を丸くして絶句した。天才児と呼ばれた自分でさえトライアングルになったのは九歳の時である。六歳でそのようになれるかなど想像も出来ないし、何よりラ・クルス伯爵をのしたというのが信じられなかった。
今戦ってみて負けるとは思えないが、子供の頃はスクウェアになった後も結局敵わなかった相手なのだ。

「エルビラの所は貧乏ですから、こちらで優秀な教師を用意してやろうと思いましてな。三人程集めたのですが、私がのされるのを見て二人が怖じ気づいて逃げまして、代わりを探しているところです」
「ど、どの程度の教師を揃えたのですか?」
「土のスクウェアと風のトライアングルです。残ったのは水のスクウェアですが、ウォルフが、ああ、その弟のことですが、『遍在』を使える教師を希望していまして中々見つかりません」
「『遍在』ですか・・・六歳児が・・・」

どうも話を聞く程に正気を疑いたくなってくるが、ラ・クルス伯爵は至ってまじめのようである。
普通に考えれば六歳児が『遍在』を習いたがっていることも異常なら、それを聞いてかなえてやろうと走り回る祖父も異常である。
六歳と言えば娘のシャルロットと一つしか違わない。まだまだ無邪気で可愛い盛りの娘と一つしか違わない様な子供が『遍在』だなどと冗談としか思えなかった。
考え込んでいると視線を感じ、ふと目を上げるとラ・クルス伯爵がのぞき込んでいた。

「な、なにか?」
「そういえば・・・シャルル様はいつ頃自領にお帰りになりますか?」
「来週の予定ですが、それが・・・」
「シャルロット様もそろそろ同い年の友人がいた方がよろしいのではないでしょうか、うちのティティアナはとても優しい子でいい友人になれることと思いますよ。ちょっと遠回りになりますが、お帰りになる途中で数日我が領にお寄りになってはいかがでしょうか、領を挙げて歓迎いたします」
「しかし、そんな急に言われても・・・」
「来週のことです、まだ日にちがあります。何、すぐ近所ですし竜籠なら大して変わりませんよ。是非、奥様とも相談して頂いてお返事下さい。・・・ついでにちょっとで構いませんのでうちのウォルフのことを見ていただけると嬉しいのですが」
「はあ・・・」

ゴリゴリと押してくるフアンに若干引き気味になりながらも、シャルルは悪い話ではないと考えていた。
確かにシャルロットには友達がいた方が良いだろうし、ラ・クルス伯爵の孫娘ならば申し分ない。娘のエルビラも竹を割ったような気持ちの良い性格をしていた。
最近は自領に引っ込んであまり王宮には来なくなったが、依然としてガリア西部で影響力の強いラ・クルス伯爵である。彼の一族と親交を深め、それを対外的にアピールすることはメリットが多かった。
それに自分自身がすでにその天才児に興味を持っていた。自分は兄を超えるために必死に努力をして魔法を磨いた物だが、その彼は一体何を考えているのだろうか。
周りから天才児ともてはやされて天狗になっているのだろうか、それとも自分と同じように、そんな中でもなにか劣等感に押しつぶされそうになっていたりするのか。

「良いでしょう、先生。来週ユルの曜日に家族共々竜籠で向かいます。二三日お世話になりますのでよろしくお願いします」
「おお!それは重畳。全力で歓迎しますので、お気を付けてお越し下さい」

満面の笑みで握手をされる。教師を確保出来たことがよほど嬉しいのだろう。
大国ガリアの王子である自分をただの家庭教師扱いする恩師に苦笑を漏らしてしまうが、追従ばかりの宮殿にいる身としてはいっそ心地よい。

「ふふ、私もウォルフ君に会えるのを楽しみにしていますから、よろしくお伝え下さい」



 その頃ウォルフ達は水魔法を習っていた。今日と明日はカールが居ないのでパトリシアが一人で二人を教え、今は人体内の水の流れについて講義をしている。サラとともにカールの授業を受けてきたウォルフには既知のことであったがクリフォードにとっては初めてのことなので大人しく一緒に聞いていた。

「・・・このように、血液は人間の体の中を絶え間なく流れているのです。例えば、腕に流れる血液を完全に止めてしまうとあっという間に腕は腐って死んでしまいます。人間が生きている、ということは水が流れているということなのです。分かりましたかぁ?」
「はい!先生」
「あら?ウォルフにはちょっと退屈だったかしら?」

元気に返事をしたクリフォードに対して眠そうにしていたウォルフを見とがめる。

「あー、はい。ここら辺はカール先生に習ったことがあるので・・・」
「あら、じゃあこの後『ヒーリング』を教えようと思っていたんだけど、やったことある?」
「はい、ちょっと前に習いました」
「じゃあやってもらおうかしら。『ヒーリング』は人間の持っている自然の治癒力に働きかける魔法よ。体内の水に働きかけて治癒を促すの」

そういってナイフを取り出すと自分の手のひらを薄く切り、ウォルフに治すように促す。パトリシアは痛覚をコントロールしているので痛がるそぶりはない。
ウォルフはこういった綺麗な傷を治すのは得意だった。火傷や擦過傷などの広範な傷だと皮膚が再生するイメージがまだ掴みにくいので少し手間取るが、この傷のように切り離された組織を繋ぐだけのような場合は簡単に治すことが出来るのだ。

「はーい、治しますよー《ヒーリング》」

パトリシアの手を取り傷を両側から押して傷口を閉じると呪文を唱え、傷を癒す。
血液が体外に流れ出ないように制御しながら血液の流れを良くして再生に必要な物質を送り込み、傷ついた細胞を修復していく。最後に再生した細胞を周りの細胞に馴らして治療完了である。

「あら、綺麗に治すわねー。これなら合格よ、へたくそだったら自分でやり直そうと思っていたけど、これなら必要ないわ」
「ありがとうございます」
「じゃあ次、クリフね?同じようにやってみて」
「はい!」

また同じように傷を付けてクリフォードの前に手を差し出すが、クリフォードがいくら呪文を唱えても治る気配はなかった。

「治らないわね?なんでこんな簡単なことが出来ないのかしら・・・」
「先生、兄さんは風メイジなんだから、水の扱いを教えなかったら治る道理はないと思うのですが・・・」
「あら?そういえばクリフは水魔法習うの初めてだったわね。ウォルフが簡単に治すから先生勘違いしちゃったわ」

そういうと自分で傷を治し、『凝縮』から教えるのだった。



 翌日の夕食時、一昨日よりも更に機嫌の良いフアンがウォルフに切り出した。

「ウォルフよ、喜べ。オルレアン公がお前を教えるために我が領へ寄って下さることになったぞ」
「ぶっ!・・・オルレアン公ってガリアの王族じゃないですか!」

王族も王族、王位継承権こそ第二位だが、多くの貴族や国民が次王へと期待している人物である。

「本当でございますか父上!本当なら受け入れる準備が色々と必要になりますが」
「もちろん本当だ。来週のユルの曜日に御家族揃って竜籠でお越しになる。レアンドロ、お前を歓迎の責任者に任ずる。必要な物、人員の手配は任せた、しっかりやれよ」
「ら、来週ですか・・・かしこまりました。直ちに準備に入ります」

そう言うとレアンドロは食事途中にもかかわらず出て行ってしまった。

「ふん、せっかちなヤツよ。それにしてもウォルフよお前でも驚くこともあるんだな。ワッハッハッ何を驚くことがある、お前が望んだ『遍在』が使えるメイジだぞ!喜べ!ワッハッハッ」
「いや、私なんかを教えにガリアの王族が来るなんて聞いたら驚きますって。『遍在』が使えるからって何でいきなりそんな大物に」
「まあ、それだけが目的じゃないがな。オルレアン公の息女、シャルロット様というのだがティティアナと同い年でな、友達にどうかと誘ってみたんだ」
「ああ、それなら・・いや・・・うーん」
「ティティの友達?」

急に自分の名前が出たのでティティアナが口を挟む。

「ああ、シャルロット様と言うんだ。同い年だからな、仲良くするんだぞ」
「うん!やさしい子だといいな・・」
「心配いらん、シャルロット様は大変お心の優しい子だと評判だ。あとウォルフ、オルレアン公はお前にも興味を持たれたようだ。しっかりと応対するのだぞ」
「興味って・・なんて伝わっているんですか?」
「ん?六歳にしてスクウェアの爺を倒す、期待の孫だと自慢しといたわ」

ワッハッハッと楽しげに笑うフアンに対し、どんどん大きくなる事態に戸惑ったウォルフは苦笑いを浮かべるしかできなかった。



 それからの一週間は魔法漬けになった。シャルル様に無様なところは見せられん、ということでウォルフはフアンに徹底的に鍛えられた。

 さすがに最初から本気のフアンは付け入る隙を見せず、圧倒的な魔力量で押してくる。
力押しのフアンに対してウォルフが技術で対抗する、という構図でいつも時間切れまで魔法を撃ち合った。
なるべく隠し技は使わないようにしていたので、使ったのは『マグネシウム・ブレッド』というオリジナル魔法だけだったが、何とか対等に渡り合い、フアンの攻撃を凌ぎきった。
この魔法は追い詰められたときに目くらましに使った。土の魔法『ブレッド』の変形で、マグネシウムの粉末と酸化剤を大きめの弾丸の形に固めて打ち出す魔法である。
ほっといても燃え出す代物ではあるが、ご丁寧にもフアンが炎の玉で迎撃してくれたのでその瞬間に激しい閃光を放ちフアンの視界を奪ってくれたのである。
フアンは祖父の意地として一度はウォルフを燃やしたいらしくムキになっていたが、一番追い詰めたときに『マグネシウム・ブレッド』で逃げられてしまい、燃やしそびれて悔しそうにしていた。非道い祖父である。
時折覗きに来るレアンドロや家臣等は、本当に六歳児がフアンと対等に渡り合っているのを見て目を丸くして驚いていた。
魔力量は明らかにフアンの方が多い事は見ていても分かるので、それでも飄々として撃ち合っているウォルフに涙を流して感動する者もいる程であった。
家臣の間でのウォルフの人気は鰻登りで、元々エルビラの息子と言うことで丁寧な扱いではあったのだが、今や貴人に対するような対応である。

 クリフォードはほぼずっとパトリシアにマンツーマンで個人授業をしてもらっていて、とても幸せであった。
いまや『凝縮』から『ヒーリング』、『水の鞭』まで使えるようになり、風から水へとクラスチェンジ出来ちゃうかな、などと考えていた。

「明日は何の授業かなあ・・・また杖の振り方教えてくれるかなあ・・・」

パトリシアの柔らかい体に後ろから抱きかかえられて杖の振り方を教えられたときのことを回想するクリフォード。
オルレアン公が来たらフアンの猛特訓が全て自分に向けられることに、まだ彼は気付いていなかった。



[18851] 1-18    最強の風
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/18 01:09
 ユルの曜日ラ・クルス領ヤカの街はお祭り騒ぎになった。

 街道にはガリア王家の旗とラ・クルス家の旗にオルレアン公家の旗が並び、楽団が街を練り歩いて音楽を演奏した。
城の倉を開け小麦とワインを配り、直営農場の牛を丸焼きにして振るまったので、人々は街の広場に繰り出し飲んで唄い踊った。
やがてオルレアン公家の竜籠が見えると祭りは最高潮に達し、人々は小旗を振り祝砲が大空に鳴り響く。
それを城から眺めていたウォルフだったが、彼は感心していた。

「レアンドロ伯父さん結構やるじゃん、これ以上なく歓迎の雰囲気が出ているよ」
「だからウォルフ、なんでお前は俺たちの伯父上にまでそんな上から目線で物が言えるんだ」

ウォルフは独り言のつもりだったが、横からクリフォードの突っこみが入った。

「だってほら、レアンドラ伯父さんってちょっと頼りないムードがあるじゃん。こんなに実務能力が高いなんて初めて知ったよ」
「まあ、確かに良い雰囲気だけどね」
「あのオルレアン公家の旗をこの短期間にあれだけ揃えるだけでも相当大変だろうし、倉を開放する決断力、そしてこれだけの組織をスムースに動かす統率力。どれを取っても大変な物だよ。ラ・クルス伯爵家は当面安泰だね」
「ふーん」

クリフォードにはよく分からないようであったが、周りで聞いていた家臣達はうんうんと頷いていた。
自分が尊敬する人物に主君を褒められることは嬉しいことである。
そうなのだ、自分たちの主君になる人はちょっと情けないだけで、決して無能なわけではないのだ。

 そうこうしているうちにヤカの町の上空をゆっくりと飛んできた竜籠が城に降り、籠が開いて中から青髪の美丈夫が出てきた。オルレアン公シャルルである。
わあっと家臣の間から大きな歓声が上がる中、妻とその娘も続けて出てくる。どちらもやはり青い髪だ。

「やあ先生、誘いを受けて参りました。温かい歓迎に感謝します」
「ヤカの街へようこそ!シャルル様。どうか寛いで楽しい時をお過ごし下さい」

暫くそれぞれ挨拶が続き、漸くウォルフとクリフォードが呼ばれた。

「シャルル様、こちらが話しておりましたエルビラの息子達で兄がクリフォード、そして弟がウォルフです」
「初めまして、シャルル様。クリフォード・マイケル・ライエ・ド・モルガンです」
「初めまして、ウォルフ・ライエ・ド・モルガンです。よろしくお願いします」
「やあ、初めまして。僕はシャルルだよ。ここにいる間はただのシャルルで過ごそうと思うんだ」

緊張の中何とか初顔合わせをすませたのであった。



「はー、シャルル様すてきだったわねー・・・あんな近くで初めて拝見したわ」
「拝見って、パティ先生シャルル様は物じゃないんだから」
「ふーんパティ先生はああいうのが良いんだ・・・」

 夕食までの短い間をウォルフとクリフ、パトリシアの三人でお茶をしていた。
この後はパーティーで近隣から貴族が集まってきている。今日ここに来るのがほぼラ・クルス派と考えて良い勢力である。
ちなみにフアンはパーティーに参加する貴族に対して、シャルルの負担を減らすためパーティー以外での面会を求めたりしないように言い渡していた。自分は孫の面倒を見させようとして呼んだ割には良い態度である。

「パーティーでアタックして愛人狙っちゃえば?パティ先生結構いけてるし、目はあると思うよ」
「えー、私なんかが、そんな・・・」
「お前、先生に碌でもないこと吹き込んでんじゃねーよ!」

パトリシアは頬に両手を当てて、いやンいやンと体をくねらせているが結構その気がありそうだ。
ほんわーっとピンクの靄が掛かった様子のパトリシアにクリフォードは気が気じゃないようである。

「あー、やっと見つけたー。リフ兄、ウォル兄こんなとこにいたんだ」

そこにティティアナが現れ、声を掛けた。青い色の髪の毛をした小柄な少女を後ろに連れている。

「おうティティ、あれ、シャルロット様かい?もう友達になったの?」
「うん、シャルロットより私の方が三ヶ月お姉さんなんだよ。ほらシャルロット、挨拶」
「う、うん。シャルロット・エレーヌ・オルレアン、五歳でちっ・・・・」
「あ、噛んだ」
「噛んだな」
「・・・・」

涙目でこちらを上目遣いに見る幼女。まさに萌えではあるが、今は泣き出さないようにフォローが必要であろう。

「やあ、シャルロット様。あらためましてだけどオレはウォルフ、六歳だよ。そっちが兄のクリフォード十一歳、よろしくね?」
「・・・うん」

泣き出さずにはすんだようだ。舌は大丈夫?と尋ねるとチロッと出して見せた。赤くはなっているが出血はしていなかった。

「ウォル兄達何の話をしていたの?」
「パティ先生がシャルル様の愛人になれる可能性について検討しておりました」
「ちょちょっとウォルフ、君何言い出してんのよ!そんなこと話してなんかいないからね?」

いきなりシャルルの娘の前で暴露され、全力で否定するパトリシアだったが、シャルロットの目は彼女の頬が赤く染まっているのを見逃さなかった。
パトリシアの前に進み出てキッと睨みつける。

「な、何?・・・」
「愛人、ダメ、絶対」

五歳児に心底軽蔑した目で睨みつけられ、がっくりと両手をついて倒れ込んでしまうパトリシアだった。
さすがにそんなパトリシアを哀れに思ったウォルフがフォローする。

「あの、シャルロット様、パティ先生もそんな、本気で愛人になりたいって言ってたわけじゃないんだよ。女の子が物語の中の王子様と結ばれたいっていうような淡い思いだったわけだから、そんなに怒らないであげてくれるかな」

目を見つめて、わかる?と尋ねるとこくりと頷いてパトリシアの方に向き直り「許す」とだけ言った。
そしてまたウォルフに向き直り、「シャルロット」と言う。

「え?何のこと?」
「シャルロットって呼んで?」
「ああ・・・分かったよ、シャルロット。・・・これでいい?」
「うん、私もウォルフって呼ぶね!」

ニコッと人懐こく笑ってくる。王族と言ってもシャルロットは人懐こい普通の子供だったのですぐに仲良くなれた。
パーティーではウォルフは食べまくった。ガリアに来てからは魔力を使い切ったりはしていないのでそんなに食べなくても大丈夫そうな物だが、もう習慣になってしまっているので食欲の赴くまま料理を平らげた。
そのウォルフの横ではシャルロットが勝るとも劣らぬ勢いで皿を積んでいた。なぜか大食いな彼女は日頃外で食べるときは幾分セーブしているのだが、今日は横にウォルフがいるためついつい張り合うように食べてしまっていた。

「やあ、僕のお姫様。そんなに食べちゃってお腹は大丈夫かい?」
「あ、父様。うん、まだ平気」

 シャルルに話し掛けられ辺りを見回すと、自分の周りに積み重ねられた皿と唖然としてこちらを見つめる大人達が目に入った。
ちょっと食べ過ぎたかな?とも思ったが、横を見るとウォルフの周りにも同じくらいの皿が積み上がっていたので安心した。

「うちのお姫様もよく食べるけど、君も相当食べるね、ウォルフ」
「育ち盛りなのですよ」

ねえ、とシャルロットに同意を求めると彼女も恥ずかしそうに頷いた。

「どんどん食べてはその分大きくなるって言うのかい?その分じゃ君たちは相当大きくなりそうだね」
「よしシャルロット、お父様の許しが出たぞ、二人で身長二メイル体重四百リーブルの巨漢を目指そう!」
「うぇ?わたし、そんなに大きくなっちゃうの?」

思わずシャルロットのフォークが止まる。体重四百リーブルはいやみたいだ。
身長二メイルの自分を想像してみる。想像の中で頭身はそのままなのでなんだか凄いことになってしまう。

「はっはっは、シャルロット、気をつけないと本当にそんなに大きくなっちゃうぞ?」
「ご、ごちそうさま!」

慌ててフォークを置くシャルロットを見て辺りは明るい笑い声に包まれた。
シャルルはちょっと所在なげにしているシャルロットを抱き上げ、ウォルフに向き直る。

「君は中々面白い子だね、ウォルフ。シャルロットと仲良くしてくれて嬉しいよ」
「シャルロットは素直で可愛い子ですね」
「そりゃそうだろう、僕のお姫様だからね」

そこから暫くシャルルの娘自慢が始まるのだが、ウォルフは大人しく聞いておいた。
シャルルによるとシャルロットほど美しく可憐で清純な存在はハルケギニアにはいないらしく、シャルロットの存在を感じるだけで彼の心は癒されるそうだ。シャルロットはちょっと恥ずかしそうにしている。

「ところでウォルフ、君は『遍在』の使える教師を希望してたそうだが、それはどういう理由からだね?君くらいの年ならば焦ってスクウェアスペルを学ぶ必要はないと思うのだが」
「"バルベルデの実用・風魔法"という本があります。そこに『遍在』についての詳しい考察が載っていたので興味を持ったのです。仰る通り私はまだ幼いですので今はまだ興味の向くままに学ぼうと思っていまして、両親や祖父にもその方針を支持していただいています」
「そ、そうか。そうだよな、君くらいの年で色々なことに興味を持つことは良い事だな、うん。」
「はい、私は火のメイジですし、すぐに『遍在』が使えるようになれるとは思いませんが、見てみたかったのです。そのせいでシャルル様にはご迷惑をおかけしたようで、申し訳ございませんでした」
「いや、君が気にするような事じゃないよ。そうか、うん、明日『遍在』を見せてあげよう。自慢じゃないが僕程の使い手は中々いないからね、楽しみにしておいてくれ」
「はい!ありがとうございます」
「父様、シャルロットも見たい!」
「シャルロットも見たこと無かったかな?いいよいいよ、おいで?」
「うん!」



「さあ、ウォルフ。これから『遍在』を見せる訳なんだけど・・・」

 翌朝いつもの裏庭に集まったウォルフ達だったが、シャルルは苦笑いして周囲を見回した。
周囲にはラ・クルス家の者は元より、その家臣など見物人が数十人も取り囲んでいて、裏庭を見渡せる窓にはメイドが鈴なりとなり、皆固唾を呑んで見守っていた。

「いや、なんか重ね重ねすみません・・・・」
「ああ、だから君は気にしなくていいって。僕も王家の者だからね、見られるのが商売みたいなもんだ」
「みんな王族の方を初めて近くで見たみたいなんで、舞い上がってるんですよ」
「ははは、君はあまり変わらないみたいだね」
「私はアルビオンの者ですから」
「まあ、それだけじゃないと思うけど。じゃあそろそろやろうか。シャルロット!もっと近くにおいで」

ティティアナと一緒にラ・クルス家に混じって見ていたシャルロットを呼び寄せ、ウォルフと並ばせた。
シャルロットは大勢に注目されてしまい恥ずかしそうで、ウォルフの服の端をキュッと握った。

「あの、シャルル様『ディテクトマジック』を掛けてもよろしいでしょうか?『遍在』の生成過程を特に詳しく観察したいのです」
「ああ、好きにしなさい。・・・いいかい?これが最強の風魔法と言われる『遍在』だ・・・《遍在》!」

ウォルフが『ディテクトマジック』を掛けるのを確認し、呪文を唱えるとシャルルが分離するように見え、服装から何から全く同じシャルルが二人並んだ。
観客達からはどよめきが響き、シャルロットは目を丸くして二人になった父親を見つめた。

「父様が二人・・・」
「「吃驚したかい?シャルロット」」

シャルルが二人、シャルロットに近づくと片方が抱き上げ、もう片方が顔をのぞき込みその頬を指で突ついた。
目を見開いたままのシャルロットはしきりに首を振って両方の父親を見比べた。

「どうだいウォルフ、何か分かったかい?」
「はい、シャルロットを抱き上げている方がご本人ですね?これは・・・『遍在』の維持に魔力は必要ないみたいですが、魔力的な繋がりは感じます。二人が全く同じ、と言うわけではないのですね」

ウォルフが『ディテクトマジック』で見た『遍在』は精霊のような魔法生命体に近い物だった。
水の精霊のように、陽子と中性子とで構成される原子核まで普通の物質と同じ構造というわけには行かなかったが、無数の風の魔力素を中心においた分子のような物で構成されており、すでに物質としての質量まで有していることが分かった。
通常魔力素は質量を持たないが、気体から固体へと相変化するように質量が無い状態から質量を有する状態へと変化しているのだ。

「そこまで分かるのか。この状態で何か魔法を使って見せようか?」
「是非!お願いします。出来れば同じ魔法をそれぞれ別々にやってその後同時にやってみて欲しいです」
「ああ、いいよ。えーっと何をやろうかな・・・」
「あ、今的を作りますから、そちらに何か攻撃魔法でもぶつけて下さい」

そう言うとウォルフは呪文を唱え、少し離れた場所に三体のゴーレムを出した。
土で出来たそれはトロル鬼を模していて、五メイルもある体の大きさからその作り、大声を上げながら威嚇してくる様など本物そっくりであった。
その迫力に思わず女子は悲鳴を上げ、メイジである家臣は杖を抜いて構える程であった。

「やあ、あれが的か!なるほどやる気が出てくるな」

トロル鬼のゴーレムはうろうろとそこらを歩き回り、両手で地面を叩き付けてはこちらを威嚇して吼えた。
シャルルは怯えてしがみつくシャルロットの頭を撫でながらゴーレムに向き直り杖を構えた。

「《ウィンディ・アイシクル》!」

空気中の水分がキラキラと凍り付いたかと思うとそれが幾十もの矢となりゴーレムの体を貫いた。
ぼろぼろと崩れ落ちるゴーレムに観衆からはどよめきに似た歓声が起こる」
更に次は『遍在』で、その次は二人同時にと注文通りに魔法を放ち、全てのゴーレムを土塊に戻した。

 今度こそウォルフは感動した。
ウォルフの理論では、系統魔法はまず自分の体内に魔力素とウォルフが呼ぶ魔法の元となる粒子を取り入れ自分の制御下に置き、自分の意志を伝える媒体、魔力(=精神力)と呼ばれる状態でため込む。
そしてその魔力を杖を通して放出し、それを核にして周囲の魔力素に関与する、というものである。
それがこの『遍在』は体や杖だけではなく"ため込んだ魔力"まで周囲の魔力素を使って作ってしまっているのだ。
つまりバケツに水を汲んでその水を使っているのが、その汲んだ水でバケツを作りまたそっちでも周囲の水を汲んで使える、と言うイメージだ。
本体の魔力が『遍在』を出したときにごっそりと減ってしまっていて、『遍在』も減った段階でのコピーみたいなので、周囲に魔力素がある限り無眼に使える、と言うわけではないみたいだが大いなる可能性を感じさせる魔法である。

「感動しました。魔法の威力・スピードとも全くの互角ですね。少なくとも魔法を行使する上では『遍在』は本人と全く同じ存在と言っても良いでしょう」
「全く同じじゃないのかな?少なくとも僕には違いが感じられないんだが」
「思考は全て本人の方で行っていますね。『遍在』にあるのは得た情報を本体に送る機能と反射機能だけです」
「そ、そうなのかな、僕にはそうは感じられないんだが」
「綺麗に分割思考をしていますので間違いないです。本人の制御を全く離れ完全に自立した『遍在』を作れますか?」
「いや、そんなのは『遍在』じゃないな」
「『遍在』で『遍在』を出せますか?」
「試したことはあるけど出来なかった」
「遍在を出せるのは六人までですか?」
「えっ!よく分かるね」
「消費した魔力量から類推しました。ありがとうございます、知りたいことはこれでほぼ全て知ることが出来ました」

そう言うとウォルフは深々と礼をした。本当に感謝していたし、自分なんかのためにこんな見せ物になってくれたシャルルの人の良さに驚いてもいた。
そんなウォルフの様子をじっと見ていたシャルルがやがて口を開いた。

「もういいのかい?さっきのゴーレムもそうだけど君は本当に六歳には思えないね。魔法研究所に捕まった幻獣の気分になったよ」
「あ、いえ、申し訳ありません。つい興奮して不躾な態度になってしまいました」
「ははは、冗談だよ。それでどんなことが分かったんだい?」

そう問われてウォルフは自分の考えを説明した。しかしそれはシャルルの理解を得ることはできなかったようだ。
元々魔力素という考えが無く、全て自分の精神力で現象を起こしていると思っているハルケギニアの人間であるため、仕方ないとも言える。

「うーん、聞いたことのない理論だね。間違っているとも言えないけど・・・ その理論なら君も『遍在』を出せるのかい?」
「いえ、必要な精神力が私には足りないので無理だと思います」
「試してご覧よ、今度は僕が『ディテクトマジック』で見ていてあげよう」

そう言うと腕の中のシャルロットを『遍在』に渡す。
父から父へと手渡されシャルロットはかなり戸惑っていたが何とか大人しくしていた。まだ双方を見比べている。

「分かりました。では、気合いを入れてやってみましょう・・・遍く在る風よ、我に集いて容をなせ!《遍在》!」

ウォルフのすぐ隣に『遍在』が現れ周囲がまた大きくどよめくが、その『遍在』はすぐに消えてしまった。
ああーっという落胆の声に包まれるが、ウォルフ本人はさほどがっかりした様子はなかった。

「やっぱり出来ませんでしたね。精神力を相当持って行かれました。もし出来たとしてもこんなに消費してはメリットが少ないです」
「いや、もうちょっとだったじゃないか!火のトライアングルが『遍在』を出せるとしたら凄いことだよ!もう一回やってみないかい?すぐに出来るようになりそうだ」
「すみません、シャルル様。もう精神力が殆ど無くなってしまったので出来ません」
「そうか、いや残念だ。本当にもう少しだったんだが・・・」

本気で悔しがっている様子のシャルルをいい人なんだろうな、とは思ったが、そんなんで王族としてやっていけるのか少し心配にもなった。
最後にシャルルの『遍在』を消すところを観察させて貰って講義は終了し、広場は拍手に包まれた。


 その日の午後は皆で川に出かけて遊び、翌朝オルレアン一行は自領へ帰っていった。

 帰りの竜籠の中でシャルルは考える。あの少年は何故あんなに朗らかなのか。
あの幼さであれほどの魔法の才を持ちながらどこか突き放したような態度。
伯爵によると魔法のことを"有ると便利"とまで言ったという。
自分は違った。同じように天才と言われながらも兄に勝つために力を欲し、遮二無二魔法の練習を繰り返した。
手に入れた力をどうしようなどと考えたこともなかった。
『遍在』にしても今使う必要がないからと特に急いで習得する気はないみたいである。自分が新しく使えそうな魔法を見つけたときは、それこそ倒れるまでひたすら杖を振ったものなのに。
そう言えば兄もあれはど優秀な頭脳を持ちながらそれに執着する風もなく、淡々としていた。その姿が何故かウォルフと重なる。
持って生まれた才能か努力の成果か、力を得ることは出来た。しかし今、自分はブリミル様の祝福を受けているんだという自信がガラガラと音を立てて崩れていく様な気がした。

 ふーっと息を吐き座席にもたれる。妻はさっきから気遣って話し掛けては来ない。

「父様、どうしたの?具合、悪いの?」
「ああ、シャルロット心配要らないよ。ちょっと考え事をしていただけさ。彼は何であんなに自由なんだろうってね」
「??」

また一人考え込む。

 どうして僕はこんなに自由じゃないんだろう。
いっそ彼を憎んでしまいたいとすら思う。大国ガリアの王子に生まれた僕が、何故こんな思いをしなくてはならないんだ。


 もしこれでこのまま兄さんがガリアの王に選ばれたら、僕の人生は一体何だったと言うんだ。




[18851] 1-19    水中・・・
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/21 20:49
 その週はその後特に何もなく、ウォルフはパトリシアに水魔法を習って、クリフォードは地獄の猛特訓をして過ごした。
途中風のトライアングルのメイジが教師としてリュティスからやってきたが、ウォルフに簡単にのされてしまいすぐに帰っていった。
フアンももう諦め気味で、もう一度紹介所に怒鳴り込んだきり放置していた。

「う゛あーっっ疲れたー・・・・いたたたた」
「ほら兄さん、オレの練習台なんだから動かないで」
「そうは言っても、もっと優しく脱がしてくれよ、火傷が服に擦れるんだよ!」
「やさしくしてね、なんて男に言われたって嬉しくねえ!大人しくやられちまえ、《ヒーリング》」
「いたたたた」

手加減はしているようだがフアンの特訓であちこちに火傷を負ったクリフォードをウォルフが治すのが日課になっていた。
火傷を治すには軽度のものなら体内の水を流して表皮の細胞を修復するくらいで良いのだが、重度の物になると真皮まで再生しなくてはならないので大変なのだがクリフォードのおかげで大分なれてきた。もっとひどい皮膚全層や筋肉組織にまで達する火傷を治してみたいとちょっと思っているのはクリフォードには内緒だ。

「はいおしまい、焦げた服とかは自分で片付けときなよ」
「うわー、この全身の疲れも取ってくれー」
「それ魔法で治しちゃうと筋肉が超回復しなくなるからダメ。折角訓練受けたのに意味無くなっちゃうよ」
「なんだよ超回復って」
「負荷を受けた筋肉が受ける前以上に回復しようとする現象のこと」
「じゃあ、魔法で超回復してくれー、お前だけ毎日パティ先生でずるいぞー」

 何時までもぐだぐだしているクリフォードを放っておいて風呂に向かう。
ここの客人用の風呂はサウナ風呂で、地下で熱した石の上に香草を何重にも敷き、その上から水を掛けて蒸気を発生させて浴室に満たす物だった。
浴室と水風呂を何度か往復し、その合間に垢を擦り落とすのだが、何故か半裸のメイドさんがやってくれるのがちょっと恥ずかしかった。
去年家族で入ってた時はそんなことはなかったので子供向けのサービスかも知れないが、もしこれがなかったらクリフォードは今頃逃げ出していただろう。
脱衣所に入ろうとしたところで反対側から来たパトリシアと鉢合わせした。

「あれ?先生も風呂?」
「こっちのお風呂入ったこと無いから試してみようと思って。一緒に入ろ?」
「うん、サウナ式だからね、入り方教えてあげるよ」

 一緒に浴室に入り、汗を流す。メイドが垢擦りに来ても悠然としてさせているパトリシアは、もしかしたらいいとこのお嬢さんなのかも知れない。あらためて見てみると薄い水色の髪にどこまでも白く美しい肌、柔らかな美貌に品のある所作は伯爵家の家庭教師をやる様な家柄には見えなかった。

「あーっ、気持ちいいわねーこれ。嫌なことが全部吹っ飛んで行くみたいだわー・・・明日も来ようかしら」
「パティ先生脳天気そうなのに、嫌なこと有るんだ」
「脳天気とは何よ、失礼ね。大人の女には色々とあるのよ」
「ふーん、何で先生なんてやってんの?」
「あら、私が先生やってちゃいけないって言うの?」
「いけないとは言わないけど、パティ先生やる気無いじゃん。授業も俺が言うまま教えてるだけだし、授業計画とか作ったこと無いだろ?メイジとしては凄く優秀なんだから何で向かない仕事しているのかなって思ってたんだ」
「やる気無いって、そりゃ、無いけど、そんなはっきり言わなくたって。あなたオブラートって知ってる?」
「あはは、認めてるし。親の決めた結婚が嫌で逃げてきたって感じ?」
「うっ・・・あなた本当に顔と違ってかわいげがないわね。そんな可愛くない子はこうしてやる!」

素早く手を伸ばしてウォルフを捕まえると小脇に抱え、頭をぐりぐりとなで回した。

「ほーら、こうすればウォルフも良い子、良い子」
「ちょっ先生っここサウナ・・汗っ・・汗臭っ」

一度体を流したとはいえサウナである。裸で抱きしめられればニュルニュルと汗ですべるし、成熟した女の体臭がガツンとウォルフの後頭部を刺激した。

「うふふふ、こんないい女に抱きしめられて臭いとは失礼ねー。お子ちゃまにはまだ女のフェロモンが理解出来ないのかしら。良い子、良い子」

暫くウォルフは抵抗していたのだがやがてぐったりと動かなくなった。何せサウナの中である。
パトリシアは漸く満足してウォルフを抱きかかえたまま水風呂に移動した。

「ぷはー、生き返る」
「女はね、多少秘密があった方が魅力的なのよ。・・・私はね、どんなに金持ちだろうと五十過ぎのおっさんの後添えになる気なんて無いの」
「別に逃げたのが悪いなんて言ってないだろ。授業内容が悪いって言っただけで」
「まだちょっと可愛くないのかしら?・・・クリフだって水魔法使えるようになったじゃない、授業だって悪くないわよ」

手をわきわきとさせながら近づいてくるパトリシアから距離を取って逃げた。

「・・・授業中に出来るようになったこと無かっただろ。どんだけオレが補習させられたと思ってんだ」
「え?ちょっとそれ本当?」

頷くウォルフを見て本気でショックを受けている。実は自分ではうまいと思っていたらしい。
もう上がろうとしたウォルフの足を掴んで水風呂に引き戻す。

「うわっぷ!・・・何すんだよ、危ないなあもう」

丁度片足を掛けて上がろうとした時に反対の足を引っ張られたウォルフは見事に水中に落っこちてしまい、立ち上がると抗議した。

「ね、ね、どの辺が良くないって思うの?私としては結構分かってもらっていると思ってたんだけど」
「基本的に全部。魔法にだって原因があって過程があって結果があるのに、パティ先生は結果しか掲示しない。オレはもう自分の理論を持っているからそこから推測していくことも出来るけど、普通の子供には無理だろう。ただ魔法を見せるだけなら大道芸と一緒だよ」
「全部ってそんな、原因って何よ魔法ってのはイメージが大事なのよ!」
「イメージ出来たことが全て魔法で実現する訳じゃないだろう。イメージと世界とを合わせることが必要なんだ。あなたやお爺様はそれが最初から感覚で出来たんだろうけど、そんなに世界に愛されている人ばかりじゃないよ。どういうイメージを持っていて何故出来ないのかを把握するのが教師の仕事なんだ」

 こうして考えてみるとカールは相当優秀な教師だと思う。いつも『ディテクトマジック』を掛けて魔力の流れを把握し、どんなイメージで魔法を使うのかを把握しようとしていた。
パトリシアは全くそんなことをしようとはしなかったし、この間来た風のメイジなんかは酷かった。
「グッと構えて、ガッと睨んで、バッと呪文を唱えるのです。さすればその威力あたかもスクウェアの如し、これグガバの法則なり」とか言ってくるもんだからつい手加減を忘れて叩きのめしてしまった。

「な、何よ、どうせあなたも最初から出来たんでしょ!」

パトリシアはウォルフの指摘を受け入れることが出来ないで何かもう涙目になっちゃっているが、ウォルフはここまで来たら全部言っちゃおうと決めた。

「オレは最初は苦労したけどね。『ロック』なんて覚えるのに二週間も掛かったし。でもそれは今関係ないだろ、先生が自分が出来たことを他のみんなも出来て当然と思っていることが問題なんだ」
「そ、そんなこと思ってなんか・・・・」
「ふぅ・・・考えたことさえなかったって感じかな?それに、平気で兄さんに何が解らないのかしら?とか聞くだろ?あれは最悪だよ。それを把握して分かるように教えるのがあなたの仕事だってのに、相手に聞いてどうすんだよ。何が解らないのか自分で分かってたらすぐに出来るよ」

教師要らないだろう、と続けるウォルフを前についに涙が零れる。
全裸で水の中で叱られながら、必死に涙をぬぐうパトリシアを見ているとさすがにウォルフも気の毒に思ってくる。何でこの二十一歳の美女はこんなところで六歳児に説教食らっているのか。

「とにかく、腰掛けのつもりだろうと無かろうとここが終わってもまだ教師を続けるつもりなら、『ディテクトマジック』を掛けて、魔力の流れを把握して、生徒がどんなイメージで魔法を使うのかは把握するべきだ」
「『ディテクトマジック』っかければっ、分かるように、なるっの?」

水中全裸説教という単語が頭に浮かんでしまいこっちも泣きたくなる。

「少なくとも、どの時点で魔法が成功しなかったのか分かるようにはなるでしょう。見てるだけじゃ分からないはずです」
「うん、今度から、やる」
「さあ、もう上がりましょう。いくら夏とはいえ風邪ひいちゃいますよ」

パトリシアの頭を撫でてあげて一緒に風呂から上がった。

 体を拭いて脱衣所で着替えていると背後から呼びかけられた。
振り向くとパトリシアはまだ着替えておらず、腰に両手をあて、足を踏ん張り仁王立ちしてウォルフを見下ろしていた。勝ち気そうな鼻がツンと上を向いている。

「ウォルフ、私決めたわ!立派な教師になるの。あなたを見返してやるんだから!」
「そ、そう。でもこの身長差でそんな立ち方すると色々と見えちゃってますよ?」
「・・・・・キャッ!」

急に恥ずかしくなって後ろを向いたパトリシアにウォルフも背を向け「まあ、期待してます」と、声を掛けた。

 脱衣所から出ると壁にもたれて歩くクリフォードがいた。
脱衣所から揃って出てきた二人に目を丸くしている。
パトリシアは恥ずかしそうに顔を逸らすとあっという間に走り去ってしまった。

「何なんだよ!お前パティ先生に何したんだよ!」

水中全裸説教、とは言えなかった。



 
 その夜クリフォードは厳しく追及した。

「だから、授業の仕方についてちょっと意見してパティ先生がそれでやる気を出しただけだよ」
「それで何であんなに恥ずかしそうにしてたんだよ、意味わかんねーじゃねーか」
「ああ、あれはオレの眼前でマッパで仁王立ちになって、色々見えちゃったから恥ずかしがってただけだよ」
「ちょっ・・・お前何うらやま・・ゲフンゲフン・・・」

慌てて漏れた本音をごまかすクリフォードだったがウォルフの目は冷たかった。

「兄さん」
「何だ、弟よ」
「兄さんって今十一歳だよね」
「何を今更」
「ちょっと早くない?」
「何が?」
「女の人に興味を持つのが」
「な、な、な、お前、なーにを言っちゃってんだぁー」

何か妙な訛りで叫ぶクリフォードだった。
「俺は先生を心配して」とか「そもそもお前が上から目線で」とか言い募るのを無視して告げる。

「直接パティ先生に聞けばいいじゃん。明日も風呂に来るようなこと言ってたし」
「え・・・・・」

 とたんにそわそわと落ち着きの無くなるクリフォード。色々と丸わかりな男である。
現在、性欲からは全く切り離された存在であるウォルフは、男ってこんなに頭の悪そうな生き物だったかな、と呆れていた。



 翌日、朝食を取り終わったウォルフの元にパトリシアが訪ねてきて紙の束を手渡した。ガリアでは紙が生産されている。

「ねえ、ウォルフ。クリフの授業計画ってのを作ってみたんだけど、見てくれない?」
「うん、いいよ。本当にやる気になったんだ」

いきなり一晩でえらい変わり様のパトリシアに多少面食らいながら受け取る。
見ると結構緻密に計画が立てられていて、彼女が時間を掛けて計画を立てたことが分かった。

「ふーん、結構考えてるね。これはこっちの後に教えた方が良いと思うね」
「ふんふん・・・」

パトリシアの前で軽く添削してみると、聞く気があるみたいなので続ける。

「ここの練習時間は反復が大事だからもっと時間を取るべきだよ、兄さんの場合だとこの倍くらいだな」
「そうなんだ。当然『ディテクトマジック』はずっと掛けているのよねぇ」
「もちろん。それを元にアドバイスをしてあげるんだから。後ここの杖の振り方練習は要らないな」
「うんうん、えっ?なんで要らないのよ。振り方は大事よ?」

クリフォードが一番楽しみにしている時間は無慈悲にもばさっさりと削られてしまった。
何故か杖の振り方に拘りを持って指導する教師は多く、その流儀も人それぞれでいろんな拘りがあるのだが、ウォルフが観察した結果振り方で魔法に差は出なかった。
カールに確認すると、魔法が伝えられて以来ずっと研究されているテーマではあるのだが、未だ結論は出ていないし、カールから見ても振り方で差はないそうである。

「振り方で魔法に差なんて出ないよ。・・・六千年もいろんな人がいろんな振り方を、入れ替わり立ち替わり主張しているんだからそろそろ気づきなよ。今、流行っている振り方なんて二千年前にも流行っていたやつだよ?」
「ええ?本当に違うような気がするのよ?私の先生も大事だって言っていたし」
「だから、気のせいだって。どうしても差があるって言うのならそれを示すデータを出してくれ」
「データって何よ、そんなの無いわよ・・・」

パトリシアはショックを受けているようだが、ここハルケギニアでは科学の考え方がないためにこのようなことが本当に多い。
科学とは先入観と偏見を廃して観察し、推論を立て実験により論証するものだが、そもそもこの世界は先入観と偏見に満ちていた。
先入観と偏見、そして推論だけがそれぞれ独り歩きしているようなこの世界で、正しい知識というものは中々蓄積しなかった。

 パトリシアの先入観を取り除き、教えるときに注意する点を指摘し、心構えからクリフォードの魔法の傾向まで覚えさせる。
本来ウォルフのための時間なのだが、完全にパトリシアのための授業になってしまっていた。

「はあ、人に教えるって随分大変なのね、自分で魔法使う方が楽だわ」
「当たり前だよ。教育ってのは技術だから積み重ねる事が大事なんだ。目の前で魔法使ってはいおしまい、なんて教育とは言えないよ」
「むー、分かってるわよ、だから今勉強してるんじゃない」
「かなり泥縄だけどね。そんなに勉強する気があるなら、これあげる」

そう言ってどさどさと羊皮紙の束をパトリシアの膝の上に置く。

「これまで兄さんに教えた水魔法の補習と、その習得状況についてのレポート。それを読んで現状での問題点と今後の方針を明日までに纏めておいて」
「これ、こんなに・・・」

パラパラとそれを見てみると、これまで自分が教えたつもりでいた魔法がどのような過程を経て使えるようになったのか詳しく記されている。
また、風の魔法を使用したときとの魔力との比較など、かなり詳しい考察がしてあった。クリフォードの水の魔力は風の半分程度の出力しかないらしい。
その内容の濃さに、昨夜一所懸命に考えた授業計画が随分貧弱な物に思えてしまう。
羊皮紙を掴んだ手を握りしめ下唇をキュッと噛む。

「やるわよ、やってやるわよ、明日までね?」
「うん、がんばってね?オレは今日は自分の研究で森に行くから」

そう言うとウォルフはパトリシアを残し、最近時間が出来ると行っている森へ地質調査に出かけた。

 ヤカに来る途中で変わった地層を発見して以来ハルケギニアの地質に興味を持っていたので、時間が出来ると森に来て露頭を探し、地質を調査しているのだ。
森に限らず領内の至る所を調べた結果分かったことは今のところ以下の四つ。

・ここら辺の地質は古い
・火成岩ではなく堆積岩で地質的に安定している
・しかし割と最近大きな地殻変動があった
・新しい地層に火山灰の堆積が見られるのでどこかに火山があると思われる

 割と最近と言っても数万から数十万年前だが、恐らくこれが大隆起と言われるアルビオン大陸を浮き上がらせたという地殻変動なのだろうと推測する。
恐らくはホットスポットであろう火竜山脈が近くにあるのに、今のところ火山灰以外ではその影響は見あたらない。
いつかは火竜山脈に行って調べてみたいとは思うが、日帰りは無理なのでちょっと難しい。
残念なのは昨年発見した風石の痕跡がある地層がおそらくここらではかなり地下深くになってしまっていて、調べる術がないことだ。
『練金』で穴を掘って直接調べることも考えたが、此処にいる間、しかも授業の合間だけではとても出来そうになかった。

「うーん、もう出来ることはあまりないなあ・・・・」

今日調べたことを纏めながら一人呟く。
結局今日も新しい発見はなく、今までの調査結果を補完する事しか出来無かったので肩を落として城に帰った。



 ウォルフが森に出かけた後、パトリシアは城の中庭に面したベランダにあるテーブルでウォルフに出された宿題に取り組んでいた。自分にあてがわれた部屋の机は化粧道具などで散らかっていたので、広いテーブルのある此処でしているのだ。
テーブルの上にはウォルフのレポートが広がり、今はメイドに用意してもらったお茶を飲みながらクリフォードの魔法の問題点について纏めているところだ。

「おや、パトリシア先生こんなところで調べ物ですか?」

たまたま通りかかったレアンドロが声を掛ける。

「いえ、今後の授業の方針をちょっと纏めておりましただけですのよ、ホホホホ」
「へえー、ちょっとこれ良いですか?」

そう断りテーブルの上の資料を手に取り、その資料の詳しさに驚いた。
たしかパトリシア先生は来てからまだ十日程しか経っていないはず、それなのにもうこんなに生徒の特性を見極めているのか、と。

「パトリシア先生、凄いですね、こんなに生徒の事を考えて授業に臨む教師に初めてお会いしました。失礼ながら初めは適当そうな女性だな、などと思っていまして自分の不明を恥じ入るばかりです」
「・・・ホ・ホホホ」
「うーん、確かにこのレポートのように一人一人の特性に応じて授業を進めていけば、魔法を覚えるのも早そうだ!」
「・・・・・」
「これは是非うちのティティアナに魔法を教えるのも先生にお願いしたいものですな」
「あ、あの・・・」
「ん?」

何故か気まずそうな様子のパトリシアに気付き、怪訝に思う。ちょっと興奮気味ではあったが、特におかしな事は言っていないはずだ。

「実は・・・そのレポートは、私が書いた物じゃなくて、ウォルフがクリフを指導した時につけていた記録なんです」
「はあ?ウォルフ?」
「はい、私はウォルフに言われてそれを参考にした授業計画を今作っているだけなんです」
「・・・・・」

言われて絶句するが、まあウォルフならそう言うこともあるだろうかと思い直す。そう言えば適当な女性とか言ってしまった。

「あーまあ彼は特殊ですからな、先生も苦労していそうだ。お察しいたします」
「いえいえ、彼には色々ずばずば言ってもらって・・・」
「それは怖そうだ・・・・ははは」
「ええ、本当に・・・・」

レアンドロは気まずそうに去っていったがパトリシアは気にしない事にして続きに取りかかった。気にしたら負けだ。
いざ自分で指導することを考えると魔法の理論について自分でもあやふやに理解していたところがかなりあり、それをいちいち本で調べるため中々進まない。
時には本を読み込んでしまい気付くと時間が経っていたことも多かった。
それは夜になって自室に帰ってからも続き、風呂に入るのも忘れる程だった。

「見てなさいよウォルフ、今度は文句をつけさせないわ!」



 その夜、サウナ風呂に長時間入りすぎて気を失ったクリフォードがメイドによって発見された。








[18851] 1-20    商い事始め
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/21 20:50
 翌朝、ウォルフはいつものベランダで椅子に腰掛けてパトリシアのレポートを読んでいた。
傍らにはパトリシアが腰に手を当てて仁王立ちしていた。

「どうかしら?出来は」

読み終えたウォルフにパトリシアが尋ねる。ツンと上を向いた鼻が、少し、緊張していた。
レポートをテーブルの上に置き、パトリシアにニコッと微笑んで答える。

「素晴らしい、よく勉強したね。パティ先生が書いたとは思えないくらいだよ」
「な、何よ、本当に私が書いたのよ?昨夜結構かかったんだから!」
「うん、分かってるよ。ほら、こことかここなんて先生あんまり良く理解していない風だっただろ?そう言うところまでちゃんと勉強し直しているみたいだから」
「・・・本当に人のことよく見てるのね」

パトリシアは恥ずかしそうに頬を赤らめ口を尖らせてはいるが、ウォルフに認められて嬉しそうである。

「今日は兄さん倒れて寝ているから、明日からこの通り授業すると良いよ」
「あら、クリフどうしたの?フアン様の授業がそんなに酷かったの?」

倒れていると聞いて眉をひそめる。もしウォルフにやっているような授業をクリフォードにもやっているとしたら大事になっているかも知れない。

「いや、そんな事じゃないよ、昨日先生風呂に来なかっただろ。兄さん一緒に入るのを期待してずっと風呂で待ってたみたいで、のぼせただけだから」
「何それ、そんなこと聞くと私入りにくいじゃない。ませた子ね」
「あはは、兄さんももうそんな年頃なんだねぇ」
「・・・ウォルフも、ませてはいるけど、そういうのはないの?」
「オレはまだ母さんやメイドのアンネといつも一緒に入っているしなあ。兄さん、母さんと入るのは恥ずかしがるんだ」
「まあ、あなたまだ六歳だしねぇ、そうか、クリフはお年頃か・・・」

ちなみにクリフォードは倒れたせいで祖母に当面サウナ禁止を言い渡されてしまい、落ち込んでいた。今日だって寝て起きたら元気になったのに祖母に一日寝ている様に言われている。
ウォルフも一緒にサウナ禁止にされてしまったのだが、どちらかというと本館の大浴場の方が好きだったので気にしていなかった。

「まあ、兄さんサウナ禁止にされちゃったから気にしないで一人で入ってよ。さあ、授業しよう!今日は『フェイス・チェンジ』見せてほしいな」
「はいはい、私は所詮大道芸人ですからね、存分にお楽しみ下さい」
「はは、拗ねないでよ、先生。立派な教師になるんだろ?」
「ふん、どうせあんたの指導方法なんて全く分からないわよ」

立派な教師への道を歩き始めた?パトリシアとその指導教官(六歳)は揃って裏庭へと歩いた。



 その週はその後、特に何もなく過ごした。クリフォードはパトリシアの授業に戻って幸せに過ごしたし、ウォルフもフアンやパトリシアの授業を受けたり、パトリシアの相談に乗ったり地質調査に出かけたりして充実した日々を過ごした。
特にフアン相手の模擬戦はだんだんと慣れ押し返すことも多くなった分余裕が出て、守備の意識を高めた訓練を積むことが出来て有意義だった。
どんなに高い魔力の『ファイヤーボール』の攻撃でも、その中核にある術者の意志を受けた魔力を破壊すれば防げるので、なるべく出力を絞った鋭い魔法でピンポイントに迎撃する事を心がけて練習した。
そんな魔法漬けの日々を過ごす中、ガリアの首都リュティスに向かう途中のマチルダが訪ねてくる日になった。

「今日、マチ姉着くってね。・・・兄さん緊張してるの?」
「なな何で俺が緊張するんだよ。楽しみなだけだよ」
「そう?なんか浮気がばれそうなダメ亭主みたいになってるよ?」
「・・・お前絶対にマチルダ様に余計なこと言うんじゃないぞ」


 サウスゴータ夫人とその娘マチルダ、それに随員およそ二十名はその日の午後になって到着した。
簡単な歓迎をした後、子供達だけいつものベランダで集まった。

「ほらティティ、この人が話していたマチ姉だよ。とても優しいからいっぱいお話ししてもらうと良いよ」
「はい、ティティアナ、エレオノーラ、デ・ラ・クルスです!よろしくお願いします」
「ああ、もうちゃんと名前が言えるんだねえ。ティティって呼んでいいかい?マチルダ・オブ・サウスゴータだよ。ウォルフみたいにマチ姉って読んでくれると嬉しいな」
「はい!マチ姉」

 ティティアナとの顔合わせもすまし、四人で話をして過ごす。
クリフォードは始め挙動不審だったがマチルダが笑いかけただけで調子を取り戻してべらべらとしゃべり出した。
そんなに喋るクリフォードを始めて見たティティアナは目を丸くして驚いていたが、やがて話題はマチルダの旅行の事になった。
マチルダの話ではマチルダは来るときにラグドリアン湖を経由してきていて、帰りはリュティスから直接アルビオンまでフネで帰るそうである。

「かー、セレブめ、一体いくらかかるんだー」
「うーん、良くわかんないけど、お母様がリュティスで服を買う気満々なんで、帰りの馬車をそんなに増やすくらいならってつもりみたい」
「馬車を増やす程服を買うって発想がオレにはねーよ。まあ折角フネをチャーターするんなら、リュティスでしか売ってないような物をたくさん仕入れてサウスゴータで商人に卸すといいよ。うまく価格差のある物を仕入れられればチャーター代が出るかもよ?」
「ふーん、面白そうだねえ、でもそんなに都合良い物があるのかねえ」
「余っているところで安く仕入れて、不足しているところで高く売る。商売の基本だね。まあまずは相場を知るところから始めてみなよ、結構アルビオンとは違くて面白いよ」
「どんなもんかね、明日街で見てみるから案内しておくれよ」
「まかせといて、もうこの街オレの庭だから」


 翌日ウォルフ達は三人で街へ繰り出した。ティティアナはお留守番である。

「うん、たしかにサウスゴータとは物の値段が違うみたいだね」
「この飴なんて半額くらいじゃないか、これいっぱい買って帰ったらいいんじゃね?」
「兄さん、こういう単価が安い割にかさばる物はいくら買って帰っても利益は少ないよ。フネのスペースは限られているんだから」
「じゃあこっちの白菜は?激安だぜ」
「生もの禁止、ってかさばるし安いじゃないか!しかも重いし」
「あはは、クリフ馬鹿だね。ちゃんと買って帰ることを考えなよ」

そんな風に街を見て歩いているとマチルダが宝石店を発見した。

「あ、宝石店だってさ、ウォルフ。宝石ならかさばらないし高いし丁度良いねえ」
「いやいや、そんな値段があって無いような物に素人が手を出しちゃいけません」

そこは去年ウォルフがダイアを売った店だったのでなるべく入りたくなかった。
しかし、マチルダにはそんな気持ちは通じず、ぐいぐいと腕を引っ張っていく。

「まあ、あたしも土メイジだしさ、勉強になるからちょっと覗いてみようよ」
「女の子と宝石店なんかに入るとろくな事にならないって中の人が言ってました」
「良いからさっさと入る!」

ウォルフは精一杯抵抗したのだが結局マチルダに引きずり込まれてしまった。
店内に入ってきたこちらを振り返った店員がウォルフに気付いたようなので片目を閉じ口に人差し指を当て黙っているようにサインを送る。
店員も心得たもので普通の客として対応した。

「いらっしゃいませ、小さな貴族様方。本日はどのような物をご入り用で?」
「いや、あたし達、アルビオンから来たんだけど、今日はただの冷やかしで・・・」
「ほう、アルビオンですか、それは遠いところからよくぞいらしてくださいました。当店は冷やかし大歓迎でございます。ごゆっくりとご覧下さい」

ちらりとウォルフに目をやるが、ウォルフは素知らぬ顔をしてそっぽを向いた。
丁寧な応対をされ、マチルダは上機嫌で宝石を眺めた。あれが綺麗とか、あれならこっちの方が良いとか、店員に色々説明されながら棚を見て回る。
儲かっているのか、昨年よりも展示している棚が増えていた。

「わあ、これ小さいけど凄く綺麗・・・」

マチルダの目を引いたのはオレンジ色の小さいオパールを付けたネックレスだった。

「ねえクリフ、ちょっとこれ買ってくれない?」
「マチルダ様、俺にそんな金があるわけ無いでしょ」

なんだい甲斐性がないねえ、とぼやくがその顔は笑っていた。

「お客様お目が高い。こちらは東方産のオパールでして、ちょっとサイズが小さいために価格は低めですが、これほど綺麗な遊色を発しているのは滅多に見られない珍しい物です」
「うん、あたしもこんなの初めて見たよ。これが見られただけでも今日ここに来た甲斐があるってもんさ」
「どうでしょう、お客様。実はお客様は当店開店以来、丁度三十万人目のお客様でして、よろしかったら記念にこちらをプレゼントさせていただきますが」
「えーっ!プレゼントって、これくれるって言うのかい?!」
「はい、十万人、二十万人目のお客様にもプレゼントさせて頂いたのですが、当店がこちらで商売させて頂いてる感謝の気持ちをお客様に還元するというところです」
「で、でも、あたしアルビオンの貴族なのに」
「白の国アルビオン、確かに遠い国です。でも関係有りません。お客様がアルビオンにお帰りになって、当店のことを周りの方に自慢して頂く事がお代代わりなのです」

そういうとガラスケースの中からネックレスを取り出すと呪文を唱えて『所有の印』を消し、マチルダの前に置いた。マチルダの目は釘付けだ。
後ろに控えていた女性店員がカウンターから出てきてマチルダの後ろに回り、ネックレスをマチルダの首に掛ける。
そしてカウンターの下から鏡を取り出してマチルダを映した。

「ああ、良くお似合いになっていますよ。お客様の綺麗な緑色の髪とオレンジのオパールがお互いを引き立て合って良く映えます」

なんかもうマチルダは夢見心地であるが、喜ぶマチルダの後ろでウォルフは壁に手を突き頭を抱えた。搦め手から責められているようだ。
これで無視したらウォルフの素性を探し出されてしまいそうなので、一応何かあった時のために持ってきていたダイヤやルビーをまたここに売りに来ることにして頻りに送ってくるアイコンタクトに応えておいた。
まあ、マチルダもとても喜んでいるので感謝しておくことにする。


 首に掛けて帰るのは怖いとマチルダが言うので入れ物に収め、それを抱えて帰路につく。
マチルダは元よりクリフォードまで上機嫌だ。

「いやあ、ガリアっていい国だねぇ!客にこんなのプレゼントしてくれて良く商売やっていけるもんだよ」
「マチルダ様は幸運の持ち主なんだなあ、売ったらいくらになるんだろ」
「ふん、絶対に売らないよ。あたしの宝物にするんだ」

暫くはネックレスの話題で盛り上がったがやがてまた商売の話に戻った。

「宝石や美術品なんかは値段が分からないから手を出すべきではないんだ。やっぱり魔法道具か香辛料か・・・」
「あ、あたしも香辛料の安さには驚いた!アルビオンじゃたっかいのにこっちじゃ半額以下でしょう。元の値段もそこそこだしあれ買って帰ったらいいかもしれないけど・・・」
「どうしたの?」
「あたしの小遣いじゃそんなに買っては帰れないかなって思ってさ」
「うーん、それについては・・・ちょっと二人で先に城に帰ってて」

そういうとウォルフは来た道を引き返しどこかへと消えていく。
二人は訳が分からないながらも城に帰り、親たちにネックレスを自慢した。
みんな騙されたのではと心配したが、何も書いてないし名前も聞かれなかったと知り、そんなプレゼントなど初めて聞いたと驚いた。
やがて戻ってきたウォルフも交え夕食を取った後、マチルダはウォルフに呼び出された。

「用ってなんだい?ウォルフ」
「さっきの話の続き。仕入れの資金について」
「ああ、あれ。でもどうしようもないだろう。あたしの小遣いが余ったら何かちょっと買って帰ってみるよ」
「どうにかしてみました。ここに五千エキュー有ります。これをマチ姉に投資しようと思うんですがいかがでしょうか」

そう言い、机の上にかかっていた布を取るとそこには黄金に輝く金貨が山となっていた。
あれから街に帰ったウォルフは、アンネの兄のホセにつきあって貰いギルドに行ってまた手形を換金してきていた。
そこで得た八千エキューのうち五千エキューをマチルダの商売の練習に使ってみる気になっていた。
マチルダは頭が良いし、物の本質を見抜くのがうまいので商売をやったら成功するんじゃないかと前から考えていたのだ。

「ちょっとあんたこれどうしたんだい」
「まあ、オレも去年からちょっと秘密の稼ぎがあってね。犯罪をした訳じゃないから安心して良いよ」
「秘密の稼ぎって・・・こんなに一杯。これ使ってあんたの代理で仕入れをしろっていうのかい?」
「違うよ、投資って言ったろ?これを預けるからマチ姉はこれで自由に商売をしてみろって事さ。儲けが出たら儲けはオレと折半、全部擦っちゃったら別に返さなくても良いって種類の金だよ」
「返さなくてもいいって、これ全部?」
「そう、無くなっちゃった場合はね。オレはマチ姉ならお金を増やせると信頼して預ける、マチ姉は信頼に応えて増やして返す、そういう取引。OK?」
「あ、あたしがこれ持ち逃げしちゃったらどうすんだい?あんたも困るだろう?」
「サウスゴータの一人娘がこんな端金でそんな事する訳が無いじゃないか。マチ姉にそんな事されるのならそれはオレが悪いって事なんだよ。それにこれは練習用だからあんまり堅くならないで良いよ」
「練習用って五千エキューがかい・・・・」
「そう練習。その代わりどんぶり勘定はダメだからね。マチ姉は投資家であるオレに説明責任があるんだから全部帳簿をつけること。何をいくらで仕入れたのか、必要な資材は何でそれを揃えるのにいくら払ったか、仕入れで使った交通費なんかも全部項目ごとに全て記すように。全部擦っても良いけど、その内容は一エキュー、一ドニエに至るまでオレに説明出来るようにしておくこと」

そう言って金貨をトランクに詰めマチルダに差し出した。
マチルダは暫く迷っていたがやがて手を挙げトランクを受け取る。それはずしっと重かった。

「あんたはあたしがこのお金を増やせるって信じているんだね?」
「うん、ガリアと結構価格差があるし、一番ネックの輸送費もサウスゴータのフネに便乗出来るなら大分安くなるだろうから、失敗する確率は低いと思う」
「面白そうじゃないか、やってやるよ。ウォルフをせいぜい驚かしてやるよ」

そう言うマチルダの目は十三歳とは思えないギラギラとした輝きを放っていた。



[18851] 1-21    再会
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/24 12:53
 マチルダ達一行がヤカの城について驚いた人間が二人いた。
マチルダの従者タニア・エインズワースとウォルフ達の教師パトリシア・セレスティーナ・ソルデビジャ・ド・バラダである。

「タニア、いなくなっちゃったと思ったらアルビオンなんかに行ってたの?」
「あんたこそド・バラダのお嬢さんがこんなところで何してんのよ?もう結婚したもんだと思っていたわ」

 ヤカに着いた夜パトリシアの部屋で顔を合わせる。二人はリュティスの魔法学院で同級生だった。
学科の成績は悪いが圧倒的に優秀な実技のパトリシアと、実技ではパトリシアに一歩譲るが学科は常に学年トップのタニア。二人はまさにライバルといえる関係だった。

「私は父さんがあんな事になっちゃったからね、普通に国外で就職です。今の職場結構条件が良いのよ」
「ふーん、私は今ちょっとあれよ、家出中?じゃなくて、教師目指して鋭意修行中よ」
「教師!あんたが!あんた人に魔法なんて教えられるの?」
「お、教えられるに決まってるじゃない、スクウェアよ、私は」
「いや、自分が魔法使うのは得意だったけどさ。あんたメリッサに"あなた何で系統魔法が使えないの?"とか真顔で聞いてたじゃない。あの子一晩泣いてたわよ?」
「う、あれは悪かったと思っているわよ。しかたないじゃない、信じられなかったんだから」
「だから教師やるって事はあの子みたいな子も相手にしなくちゃならないんでしょ?信じられないで済ます気?」
「今は違うわよ!最近はウォルフにも褒められてるんだから!」
「あ、ウォルフに教えてるんだ。あの子なら魔法見せるだけでどんどん覚えていきそうね」
「・・・・・・」

 およそ三年ぶりに顔を合わせた二人であったが、さすがは学生時代の旧友ですぐに以前と同じ調子で喋り始めた。
しかし、その旧友が語る昔の自分を今のパトリシアは恥ずかしいと感じる。
ウォルフの説教を受けた後では以前の自分がいかに何も考えてなかったかが分かるのだ。

「たしかにウォルフには魔法を見せてるだけよ。あの子のことは私には分からないわ。でもクリフには違う!クリフが何を分かって何を分からないのか把握しながら、習熟度に合わせた教え方をちゃんとしているわ!」

 ぐいと胸を張って言うパトリシアにタニアは驚く。以前の彼女なら他人が何を考えているかなどに頓着するような性格ではなかったのだ。
ウォルフの事も分からないと言った。"有り得ない""信じられない""~に決まってる"とはいつも言っていたが"分からない"と彼女が言っているのを初めて聞いた気がする。
確かに以前の彼女とは違うようだった。

「ふーん、親元を離れて少しは苦労したって所かしら?」
「ま、まあね。あなたも苦労したみたいじゃない?」

目と目を見交わすとお互いに笑みがこぼれた。タニアが持ってきたワインを開ける。楽しい夜になった。



 マチルダ達は三泊ほどしてリュティスへ旅立っていった。滞在中一緒にあちこちに出かけ、良く懐いたティティは寂しがって泣いた。マチルダはキャラに似合わず子供にやさしいので良く慕われる。
パトリシアも少し寂しそうにしていたが、何も言わなかった。

 それから一週間ほどして漸くド・モルガン夫妻(+サラ&アンネ)がヤカにやって来る日になった。
その日ウォルフは時折『フライ』で上空に上がっては『遠見』の魔法で街道を見張っていた。
何度目かの飛行中、街道のずっと遠い場所で岩陰から馬車が出てくるのを見つける。そしてその馬車の御者の後ろの席に座っているのがサラである事を確認すると一目散に飛んでいった。
そして馬車のそばまで来ると速度を落として馬車の上を併走して飛ぶ。三週間ぶりに見るサラはぽーっと景色を眺めていて、こういう時のサラは本当に何も考えてない事が多い。
生まれてからずっとサラの成長を見守ってきた。ちょっと思いこみは激しいが、とても優しく良い子に育っていると思う。
サラが嫁に行くときは絶対にオレ泣くなあ、などと完全に父親のような感慨を抱きながら高度を下げ、サラの隣にそっと座る。サラは横を見ていて気付かない。

「良い子にしてた?サラ」

 声を掛けるとサラはびくっと反応し、即座に振り向いた。
ウォルフはその視線の鋭さにたじろいで思わず後ろに下がるが、すぐにサラに捕まって抱きしめられた。
すんすんと鼻を鳴らしながらぐりぐりと頭をこすりつけてくる。

「あー、寂しかった?」

そんなサラを持て余し、頭を撫でながら尋ねるといきなりカプッと首筋を噛まれた。

「いたたた!サラ、痛い痛い!」
「・・・・・」

すぐにサラは離してくれたが直ぐにまた頭をぐりぐりとしてくる。
なんだか子犬みたいになっちゃったな、と困惑はしたがくすぐったさを我慢して好きにさせておいた。

「お、なんだウォルフ迎えに来たのか」

騒ぎを聞きつけたニコラスが馬車の中から顔を出しサラに抱きつかれているウォルフに声を掛ける。

「あ、父さん久しぶり。今、中に行くよ」

 そう言ってサラごと『レビテーション』を掛けると馬車の中に入った。
両親とアンネに挨拶をして、暫く話をする。ヨセフも無事にサウスゴータに帰ったらしい、ちょっと心配だったので良かった。やがて馬車はヤカの町中に入りアンネの実家の前で停車した。
サラとアンネを降ろし城へ向かう。サラは少し寂しそうだったが最後に笑顔を見せてくれた。
両親に会ったときクリフォードは少し涙ぐんでいた。ウォルフは気付かなかったが地味にホームシックになっていたらしい。
まあ、十一歳の男の子が三週間も両親と離れていればそんなものかと思う。
その日は久しぶりに家族で一緒にサウナ風呂に入った。



 翌日、ウォルフは宝石屋へ行くために街へと向かった。帰りにサラに会ってくるつもりである。

「いらっしゃいませ、ガンダーラ様。お待ちしておりました」

店に入ると店長が即座に応対し、間違えずにウォルフの偽名を呼んだ。本当に待っていたようで少しホッと安堵した雰囲気が出ている。

「ああ、ちょっと遅くなっちゃったかな?このあいだはありがとう。マチ姉がとても喜んでいたよ」
「いえいえ、とんでもございません。実は昨年お譲りいただいたダイヤモンドに良い値がつきまして、ささやかな利益還元をというところでして・・・」
「あー、やっぱり三十万人って言うのは適当かー」
「ははは、まあ、喜んでいただけたのなら重畳至極、と言う事で・・・ところで本日はどのようなご用件で?」

今にも揉み手をしそうな勢いで尋ねてくる。ていうか実際にしている。
彼にとってウォルフはとても大きな儲けをもたらす取引相手なのだ。

「この間のより大分小さいんだけどね?いくつか手に入ったからまた持ってきたんだ」

そう言って懐からダイヤを取り出す。美しい輝きに彩られたそれは全部で六つあった。
これらは去年のダイヤを作る時に一緒に作ったのだが、どうしても欲しい高価な魔法具などがあった場合に備えて一応今年も持ってきていた。
魔法により生成された純粋な炭素の結晶を正確に五十八面体にカットした物である。特筆すべきはその六つの大きさ、重さが全く同じ点であった。
早速店長はルーペと杖を取り出すと鑑定にはいる。その表情は真剣その物だ。

「うーむ、いずれも不純物ゼロの完璧なガンダーラカット。パーフェクトですな」
「ガンダーラカット?」
「ああ、これは失礼しました。実はこの輝きを生み出すカットをガンダーラカットと呼んでおりまして、最近では宝石商組合の方でもカット出来るようになりました」

そう言って棚にある指輪を一つ取り出して見せる。そこにはダイヤが着いていて、確かに同じカットをしていた。
少し色がついていてウォルフのダイヤ程美しくはないが、それでも他のダイヤよりは数段美しい輝きを放っていた。

「ダイヤというのはカットが大変な為高価になってしまい今まではそれほど人気がなかったのですが、このカットにして以来人気が急上昇中でございます」
「ふーん、そんなに違うんだ」
「特にこの指輪のように下から光が入るようにセットした物が人気が出ております」
「ああ、これはこのカットに一番相応しいセットだね」
「ご存じでしたか」

その指輪は六本の立て爪でダイヤを持ち上げるように支える、いわゆるティファニーセッティングをしていた。
ウォルフはそんなことは知らなかったが、その構造からそのセッティングだと全ての光が前面から抜けるので最も美しく見せるだろう事は分かった。結構ハルケギニアでも工夫する人は工夫しているんだな、と考えながらさらに懐からルビーとサファイヤを取り出す。

「えーっと、こっちも鑑定して欲しいんだけど、これで最後。当面手にはいる事はないってわかったから最後だと思って値段をつけて欲しいんだ」
「ぬ、これは・・・最後ですか・・・・むう」

 ウォルフが懐から新たに宝石を取り出して目を輝かせたものが、最後と聞き落胆する。しかしテーブルの上のルビーを手に取り絶句する。
そのルビーとサファイヤは見た事がないくらいの鮮やかな赤と青をしていて、光を当てると六条の星状に光を返す。
その透明感、色、光、全てが店長がこれまで見た事がないレベルの物が揃っていた。
これもウォルフが『練金』で生成した宝石で酸化アルミニウムの結晶である。不純物として入れる金属イオンの量を調整して色を出し、六条の光も二酸化チタンの針状結晶を三方向に入れる事によって出していて、エルビラの結婚指輪であるスタールビーを研究して作った。
カットも全く同じ大きさ・形の楕円形に正確に磨いているのでまるで双子のように見える、これもまた天然を超える人工物と言って良かった。

「本当にもう最後なのでしょうか?もう手に入らないのでしょうか?」
「いや、将来的に絶対にというわけじゃないけど、当面全くない事は確定と思ってくれ」

 元々あまりにも簡単にお金が手に入ってしまうために自粛しようと思っていたのだ。
今回も来るつもりはあまりなかったのだが、マチルダにプレゼントされたのを恩に感じたし、あまり詮索されたくもなかったので比較的小粒の物を少量なら良いかと判断したのだ。
ダイヤも四つ分でやっと前回のと同じ重さだし、ルビーも前回の半分くらいの大きさだ。これで継続的な商売が出来ないとなれば買いたたかれるだろうけど、それで良いと思っていた。
店長は暫く悩んだり調べ物をしたりしていたのだが、やがて値段を決めたようでウォルフに向き直った。

「それでは、お値段なんですけれども、合計で十万エキューでいかがでしょうか」
「っ・・・・・・」

思わず吹き出しかけた。あれからウォルフも勉強して宝石の世界では重さが倍になったら価格は四倍になる物だと知った。
その計算方法ならダイヤは一個二千五百エキューで計一万五千エキュー、ルビーとサファイヤは種類が違うから分からないがそれでも合計で一万エキューを超える事はないと思った。
つまり全部で二万五千エキューの品物を、買いたたかれる覚悟で来ているのに四倍の値段をつけられてしまったのである。

「・・・・内訳は?」
「・・・・分かりました、ダイヤで六万、ルビーとサファイヤも三万ずつ、合計十二万エキューでどうでしょうか」

・・・増えてるし。
ウォルフは知らなかったがガンダーラカットの登場以来ガリアのダイヤモンド相場は過熱気味で、連日トリステインやゲルマニアからもバイヤーが押しかけていた。
そのためあまり質の良くない原石でもガンダーラカットに加工され高額で取引されてはいるが、やはり市場はより高品質の品物を望んでいた。
そこに真性のガンダーラダイヤモンドである。しかもセット。貴族はセットで揃えるのをことのほか好む。
これをバイヤーのオークションに出せば相当な値段になるのは分かりきっていたし、ルビーやサファイヤもいくらでも買い手はつくと判断していた。

 結局ウォルフはその値段で引き取って貰い、今度は手形を六枚に分けて支払いを受けた。
ウォルフの前世ではダイアモンドなど研磨剤としか認識してなかったのであまりの金額に引いてしまい、なるべく宝石を『練金』しないようにしようと決めた。
いくら何でも高すぎる。手の中の手形が貧しい平民から搾取した成果かと思えてきてしまう。
去年も同じような気持ちになりはしたが、正直お金を手に入れた喜びも大きかったのであまり気にはならなかった。それが今年は気になるのは二度目だからか、去年のお金をまだ使い切っていないからか。
しかし、まあ悪い貴族を騙して巻き上げてやったと思うことにして考えることをやめた。どうせこんなものに大金を払う貴族はろくな事に使わないだろうから。


 帰り道は少し落ち込んでいたが、サラの所に着く頃にはいつもの調子になっていた。今回のことは前世の常識で物事を判断するととんでもない結果になる場合があるという事と、魔法と科学が融合した場合の優位性をウォルフに教えたが、元々長く悩む男ではない。

 ホセの家に着き、サラと二人きりになって分かれてからのことを報告し合う。

「ドリルはもう終わった?」
「うん、全部。」
「おーやるなあ、帰ったら見てやるよ」
「持ってきたよ?全部」
「持ってきた?重かったろうに・・・」

アンネにはさんざん重いから置いて行けと言われたのだが、サラは頑として譲らなかった。
旅行中も、もう終わってしまったドリルを開いては計算し直したりしていた。
ウォルフがパラパラと確認しているのを不安げに覗き込んでいたが、出来を褒められるとやっとはにかんで笑顔を見せた。

「ウォルフ様これからどうするの?」
「遍在も見せてもらったし、魔法道具が作れるっていうメイジは逃げちゃったけど、お爺様が詫びにって魔法道具作成の書籍を一杯くれたんでもうガリアにいる必要はないなあ。早く帰って旋盤の続きを作りたいよ」
「えー、ラグドリアン湖には行こうよ」
「ああ、そうだな精霊様にも挨拶しなくちゃな、とにかく今週はもう魔法の練習は適当にして色々必要物資を買い集めるか。サラも付き合う?」
「勿論!ウォルフ様専属メイドですよ?当たり前です」
「メイドは見習いだろう」

ウォルフはサラに帰ったら寺子屋のような物を始めるつもりだと明かした。将来サラを代表とした商会を作るときの中核となる人材を育て始めるのだ。
当然サラにも教師を務めてもらうつもりであることを告げる。

「えー、教師って私まだ七歳ですよ?」
「それがどうした、オレは六歳だ。松蔭吉田寅次郎は十一歳で王様に講義をしたそうだ。子供相手なんだから余裕で出来る」
「ショーインって誰ですか、知りませんよ、そんな人」
「立志尚特異、志を立てるためには人と異なることを恐れてはならないって教えた東方の偉人だよ、兎に角やるから。紙とか一杯買って帰るから手伝ってね?」
「うわ、ウォルフ様影響されすぎてませんか?人と違いすぎます」
「オレが人と違うのは最初からだ。もうサラだって相当他人と違ってきているぜ」
「私は普通の女の子です!だいたいウォルフ様が私をそんな風にしたんでしょう!」
「いいじゃないか、七歳で教師でも。初めてはみんな怖いもんだよ。一緒にしよう?」
「・・・しょうがないから手伝ってあげますよ」
「よし!じゃあ、そうと決まりゃがんがん子供集めて・・・」
「あくまで、しょうがなくですよ!あんまり大掛かりにしないで下さい!」
「えー」
「えーじゃないです」


 残りの滞在日数はずっと時間が出来るとサラと一緒に街に買い物に出かけて過ごした。
時には近隣の街まで出かけ、ヤカに無かった物を探し、買ったのは主に魔法道具、秘薬の原料、書籍、紙などである。
帰る時はもう一台自分の荷物用に馬車をチャーターするつもりになっていたので遠慮無く買えた。去年の分の手形の残り二万四千エキューも換金したので持って帰るつもりでいる。

 それとつい勢いでアンネの実家の隣の家も買ってしまった。来る度に狭さが気になっていたのだ。
何せアンネの両親がいて、ホセの夫婦がいて、その子供が七人もいるのだ。それが狭い平民用の家に住んでいて、そこにさらにアンネとサラが世話になっているのだ。
総計十三人の家族というのは壮絶で、サラは楽しいと言っていたがウォルフなどは軽くカルチャーショックを受けてしまったくらいだ。
取り敢えず隣の家を買って、『練金』で簡単な補修をして、間の壁を消して二つの家を繋げた。ホセに鍵を渡し、貸してやるから好きに住めと伝えた。
買った物資を城に持って帰るのも面倒なので一部屋はウォルフ用の一時保管所としているが、全くもって気分はプチ成金という感じだ。

 しかしホセはいたく感激したようで娘を二人連れて行って欲しいと頼まれた。サラからウォルフの事業計画を聞いていたのでそれの役に立てて欲しいとの事である。
何だか人買いな気もするが今後信頼出来る人間はいくらでも欲しいので了承し、連れていくことになった。
ホセはウォルフが大金持ちであることを知っているので安心なのだろう。
ホセの子供は八人姉弟で、娘が七人続いた後最後に男の子が一人だ。一番上はもう働きに出ていてここにはいなく、次女のラウラ十二歳と三女のリナ十一歳がウォルフに仕えることになった。
二人とも少し暗めの金髪をした少女で、下町の子らしい気っぷの良さを持っていた。
これで十三人いたのが九人になって更に家の広さは二倍以上になるのだからゆとりが生まれるはずである。これ以上子供が生まれなければ。
ラウラとリナの荷物もウォルフが揃えた。何せ二人ともろくに物を持っていないので一から揃える必要があった。
初めは遠慮していたのだが、ウォルフが自分の従者になったからには恥ずかしい格好はさせられないと伝えると、バンバン新しい服を買い始めた。
生まれて初めて思いっきり買い物をして恍惚としているのを見るのは面白かったのでよしとする。

 ラウラとリナを連れて帰ると両親に告げると案の定もめる事となった。
ニコラスはそんな責任の取れないことはするなと言い、エルビラは彼女たちの年齢が親から離れるには低すぎるのではと心配した。
ホセから持ちかけられた話であること、二人一緒なので心強いのではないかということ、当面は給金の心配はないことを説明し、追加の馬車代とラグドリアン湖での二人の滞在費、アルビオンへのフネ代として百エキューを渡してさらに足りなかったら請求するように頼むとニコラスも黙った。
何でこんな大金を持っているのかと問い詰められたが色々と作ったものをホセに協力して貰って売った、とだけ言っておいた。
兎に角二人が自分の意志で退職するまではウォルフが面倒を見るし、年頃になったらちゃんと嫁ぎ先を探すと言うことで何とか了承してもらった。

 忙しく色々と動いていると、あっという間にまたヤカを離れる日が来たのだった。





[18851] 1-22    正義
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/07/28 20:56
「ウォルフには謝らんといかんな、今回は竜騎士を送れないわ、教師には逃げられるわ、ワシは良いとこが何もなかったわ」
「とんでもないです、お爺様。オルレアン公を連れてきたときは本当に驚きました。それに魔法道具の書籍もたくさん頂いて・・・ありがとうございました」

  ガリアから帰る当日、馬車の前で昨年とは違い和やかに別れを惜しんでいた。パトリシアは昨日リュティスへと旅立ってしまったのでここにはいない。
今年はアンネ親子の話題が出なかったので穏やかな雰囲気でいることが出来た。

「為になったのなら良かったが・・・そのオルレアン公もお前には驚いていたわ。来年にはワシを相手にせぬかも知れんな」
「お爺様の期待を裏切らぬよう、努力いたします」
「うむ、お前なら誰も上ったことの無いような高みへと行くことが出来ると信じておる。精進せいよ」
「はい」

自慢の孫を見つめ眼を細める。その表情はフアンを知る人ならば誰しもが驚くような軟らかいものだった。

「クリフ、お前もこの一月で大分上達したな。お前の魔法も十一歳とは思えないレベルだ」
「ありがとうございます」
「ワシの訓練をやり通したんだ、お前程きつい思いを経験したことのある子供はそうはおらん。苦しいときはこの経験を思い出せ」
「とても、良い経験を積ませていただきました」

きつすぎだよ!と突っこみを入れたくなるのをぐっと堪えて殊勝に答えておく。
そんないい雰囲気の中別れをすませ、さあ出発、と言うところでレアンドロが口を開いた。

「父上!ちょっとよろしいですか?」
「何だ、レアンドロこんな時に」
「アンネとサラのことです。やはり僕は二人に会いたいのです。ラ・クルス家として彼女に謝罪する許可を下さい」

その瞬間フアンのこめかみにぶっとい血管が浮かび上がり、顔がサッと赤く染まる。
((ちょっ伯父さん空気嫁!!))ウォルフとクリフォードの頭の中に全く同じ突っこみが浮かんだ。

「そのことは、去年答えておろうが。どういう了見だ?こんな時に持ち出すとは」

その眼光はまさに人も殺せそうな程で、よく見るとレアンドロの膝はぷるぷると震えていた。
誰も何も言えず息を呑んで見守り、ティティアナは怯えてしまい母のスカートに抱きついている。
しかし、レアンドロは更に一歩前へ出て続けた。

「こ、こ、ここに、ラ・クルス家として正式に彼女に謝罪する旨をしたためた書類を用意しました。あとはこれに父上のサインと花押をいただければ、後は私が名代として謝罪に行きますので、父上を煩わせる事はいたしません。お願い申し上げます」

そう言って頭を下げ両手で用意してきた書類を差し出す。その書類も震えていた。
フアンはゆっくりと腕を上げ、書類に手を掛ける。その瞬間書類が音を立てて燃え上がった。

「!!ちっ父上ッ!!」
「読めんな。読めもしない書類を用意するとはなんたる無能。下がれ」
「お願いです!!父上!お願いでございます!!」
「下がれと言っておる!!」

そう言って睨め付けると出口を杖で指す。
レアンドロは暫く何かを言おうと口を動かしていたが、やがてがっくりと頭を下げその場から出て行った。その手には燃えかすを握りしめたままだった。
残された面々に沈痛な空気が漂う。最早さっきまでの和やかな雰囲気は欠片もなかった。

「・・・場もわきまえず、己の我が儘を声高に言い立てる。あんな無能がラ・クルスの嫡男とはな」
「・・・そうでしょうか?」

不機嫌MAXのまま溢すフアンにウォルフが異を唱える。

「なんだ?お前は違うとでも言うのか?通る見込みがない物をこんな時に出してくる、これが無能でなくて何なんだ!」
「確かに有能な人なら無駄なことはしないでしょう。しかし無駄なことをしない人が正しい人、であるとは限りません」
「ふん、言葉遊びか?無駄なことをするヤツが正しいとも限らんわ」

 こんな状態のフアンに反抗する人間など今までいたことはない。
エルビラでさえフアンが激昂したときは何も言わず黙っているのが常だった。

「お爺様は燃えさかる王城へ王を助けるために戻る騎士を無能と呼びますか?すでに百万の軍勢に囲まれているからと言って早々に甲を脱ぐ騎士が正しい人でしょうか」
「ぬぅ・・・お前は、あれを救国の騎士だとでも言うのか?子供の頃から何かあるとめそめそと泣いてばかりいたあれを!」
「あくまで喩えです。レアンドロ伯父さんは彼が正しいと思ったことをしようとしているだけです。オルレアン公歓迎の采配は見事でした。彼は乱世の姦雄には成れないだろうけど治世の能臣であると思います。決して無能ではありません。そして何より心に正義ある人を、その結果だけを見て無能と誹ることは貴族として正しいこととは思えません」
「ワシが、正しくないというのか?・・・・ワシが王を守る騎士を無能と呼び甲を脱ぐ者を褒め称えると・・・」

目を見開きウォルフを睨みつける。それに対しウォルフは何とニコッと笑いかけた。

「お爺様にもお爺様の正義があるのでしょう。そして伯父さんにも伯父さんの正義があって彼はそれに従っただけです。彼は確かに過ちを犯した人ですが、それを知り己の正義に従って正そうとしています。そして私はそういう人が好きなのです」
「・・・・・」
「レアンドロ伯父さんの望みを聞くか聞かないかはラ・クルス当主であるお爺様の判断で決めるのは当然と思います。しかし無能と誹るのはやめるべきだと思います」
「・・・・・」

 フアンは踵を返すとそのまま何も言わずその場を後にした。
またもどんよりと重苦しい雰囲気に包まれてしまったが、ウォルフは努めて明るく振る舞い残った人に別れを告げると馬車に乗り込んだ。
そのまま馬車は走り出し、街へと向かった。アンネの実家に先に来て荷物を積み込んでいた馬車と合流するとそのまま二台で連なって街道へ出てラグドリアン湖へと急いだ。
ヤカの街から初めて出るラウラとリナの二人は物珍しげに外を眺めはしゃいでいて、親と別れた寂しさを感じさせなかった。
ウォルフは取り敢えず前の馬車に乗っているが、後で後ろのアンネ達の様子を見に行くつもりでいる。

「しかし、お前良くあの状態のお爺様に向かってあんな事が言えるよな。俺なんかもうチビリそうだったぜ」
「まったく、俺もエルもいざという場合のために杖を握りしめてたよ」
「だってレアンドロ伯父さんちょっと可哀想だったじゃないか。まあ、伯父さんが悪いんだけどね。お爺様の機嫌の良い時を狙ってたんだろうけど、もう少し空気読むべきだったね」
「うーんそうだな、なまじ機嫌が良かっただけに水を差されて激怒って感じだったな、あれは」
「まあ、いつか彼の熱意がお爺様に伝わることを期待しましょう」
「・・・・やっぱり上から目線だ」

昨年より一台当たりの荷物が少ないため馬車は快調に街道を進んだ。



 一方その夜、ヤカの城でレアンドロは自室の寝室に引きこもって酒をあおっていた。
昨年以来妻のセシリータには寝室を別にされてしまい、もう独り寝にも慣れてしまっていた。
かつて二人で過ごした部屋を睨みつけてグラスをあおる。
その眼には涙が浮かんでいた。
空になったグラスにワインを注ごうとして、その手を止められた。

「もう、およしになったら?ちょっと飲みすぎのようですよ?」
「・・・セシー」

いつの間にか部屋に入ってきていたセシリータだった。
ネグリジェにガウンを羽織っただけ、という出で立ちの彼女は優しく微笑むとふわりとレアンドロの隣に腰を下ろした。空のグラスを自分の前に移動させ、ワインを注ぐとそれを飲んだ。

「どうしてここに?」
「あら、妻が夫の元に来るのはいけない?」
「いや、そうじゃなくて・・・・ほら君は僕のことを・・・・軽蔑しているだろう?」
「そうですわね・・・確かにあんな事を聞いたら軽蔑しましたし、とても悲しかったですわ」
「すまない・・・本当に君にも申し訳無いことをしたと思っているよ」
「私よりももっとあやまらなくてはならない人が居るんでしょう?」
「そうだ・・・でもあれが唯一の方法だと思ったんだが、もう、どうしようもないのか・・・・」

そう言ってレアンドロは頭を抱え込む。彼にはフアンを説得する方策など何も無いように思えた。
セシリータはそんな夫の様子を黙ってみていたが、やがて軽くため息を漏らすと口を開いた。

「明日もう一度願い出てみてはいかがですか?聞いて下さるかも知れませんよ?」
「フッ・・・君も見ただろう?今度こそ燃やされてしまうよ」
「あら、燃やされるのが怖いから諦めてしまうのですか?ウォルフさんの言っていたのとは随分違いますわね」
「?・・ウォルフが何と?」
「王を助けるため燃えさかる王城に飛び込む勇者に喩えていましたわ。心に正義を持ちそれに従う信念の人、と」
「ええ?僕はそんな立派な者じゃないよ!」
「ふふ、そうですわね、お養父様も絶句していましたわ」
「父さんにもそれを言ったんだ・・・」
「ええ、自分が正しいと信じることをする人だと、そして彼はそんな人が好きだとも」
「・・・・・」
「それを聞いて私もそんな風に生きてみたいと思ったのです。あなたの妻として、私が正しいと思うことをしようと」

そう言ってグラスを飲み干すと懐から小瓶を取り出しレアンドロの前に置いた。

「これは?」
「水の秘薬です。ウォルフさんが別れ際に下さいました。何故彼がこれをくれたのかは知りませんが、私も水のトライアングルです、命ある限り直して差し上げますから安心して燃やされてらっしゃい」
「君は・・・・」

セシリータに向き直り涙のこぼれる眼で見つめる。

「しょうがないでしょう。私はあなたの妻で、あなたはティティの父なのです。あなたが間違ったのならばそれを正すのが私の役目なのです」
「うん、ごめん、本当にごめん」

涙を指で拭ってくれるセシリータをそのまま抱きしめる。
セシリータはそのままレアンドロの胸に納まった。

「明日の朝、お養父様にお願いするのです。許して下さるまで何度でも」
「うん、君がいてくれるなら僕にはそれが出来る」

この夜から十ヶ月の後、ラ・クルス家に待望の第二子が生まれるのだが、それはまだ先の話である。



 翌朝ここの所遅れがちな執務をこなす為執務室に籠もっていたフアンの元へ突入したレアンドロは、予想通り盛大に燃やされた。
文字通り火達磨になってドアからたたき出されたのだが、ドアが閉まる寸前「書類とやらを持ってこい、読むだけは読んでやる」というフアンの声が確かに聞こえた。
何とかセシリータに火傷を治して貰い、書類を提出すると今度は「ラ・クルスの嫡男が一々ビクビクするな!」と怒鳴られまた火達磨となって叩き出された。

 夕刻自室でセシリータに治療をしてもらっていると窓からくしゃくしゃに丸められた紙くずが投げ込まれた。
レアンドロが手に取り開いてみると、果たしてそこにはフアンのサインと花押が押してあった。
セシリータを抱きしめ涙を流して喜んでいたのだが、アンネ達がまだガリアにいることを思い出し、急いで支度をしてラグドリアン湖へド・モルガン家を追いかけることにした。
急に宿など取れないと思われたが、丁度キャンセルが出たとのことなので、ティティアナも連れ家族三人で出かけることになった。
朝を待って馬車を仕立て、突然の旅行に喜ぶティティアナと少し表情の硬いセシリータを乗せ旅路を急いだ。



 一方のド・モルガン家は快調に街道を進み、去年より一日早くラグドリアン湖へと着いた。
途中ラウラとリナが寂しそうにしていたが、ラグドリアン湖に着いて水着に着替えたらホームシックなど吹っ飛んだみたいで元気にはしゃいでいた。
宿は昨年と同じところで部屋も同じだった。急に部屋が取れなかったのでラウラとリナ、サラとアンネでベッドを一つずつ使ってもらうことになったが皆あの狭い家で過ごしていたので気にしていなかった。

 大人達は思い思いに湖岸で寛ぎ、子供達は湖で遊ぶ。今年は水竜くんを持ってきていないのでニコラスものんびりと寛ぐことが出来た。
子供が増えたのでビーチボールでバレ-を楽しみ、ボールを落とした人は罰として『レビテーション』で持ち上げ湖に放り込んだ。サラはいやがったものだが、ラウラとリナは喜んでしまい罰にはならなかったが。
最後には大人達も参加し、『練金』でネットまで作って四対四の本格的なビーチバレーをしたりして、一日を楽しく過ごした。

 さんざん昼間遊んだので夕食を食べるとみんなさっさと眠ってしまったが、ウォルフは一人起きていて、窓からそっと抜け出すと湖へ『フライ』で飛び出した。
人目につかない入り江まで移動すると着地し、水の精霊を呼ぼうとナイフを出したが、指に傷を付ける前に湖面から精霊が現れた。

「やはりお前か、"ウォルフ"よ。お前がここに来ているのは感じていた」
「やあ、精霊様。顔を見せに来たよ」
「あれから月が十二回交差した。"ウォルフ"よ何の用だ?」
「・・・えーと、ここまで来たからついでに顔を見せに来ただけなんだけど・・・」
「・・・・・何か我に望むことがあるのではないのか?」
「いや別に。この間は色々ありがとうね。おかげで謎が一杯解明出来たし、水の秘薬でお爺様の怪我を治すことが出来たよ」
「お前は本当におかしなヤツだ"ウォルフ"よ。単なるものは我にして欲しいことがあるから呼び出すものだ」
「あ、そうだ、色々研究した成果があるんだった。見て貰えるかな?ちょっと待ってて」

杖を取り出し『練金』でバケツを作る。次に『凝縮』で水の玉をその上に作り出し、空中に静止させた。その上から更に『練金』を唱え、周囲にある魔力子を相変化させて質量とマイナスの電荷を与え、それを空中の水にぶつけることによって水分子中の電子とを入れ替えていく。こんな事が出来るのは『遍在』を分析したおかげで、魔力そのものが術者の意志に応え質量を有する事が出来るというのは大きな発見だった。
普通の『練金』に比べると成功率が低いが、入れ替えに成功した水分子は何故か魔力子が多いほど下に溜まっていくので続けていると下部分の濃度が濃くなる。最後に一番下の部分だけをバケツに取り、その他の部分は地面に落とす。

「ほら、これで大体湖の底の水とほぼ同じのが出来たと思うんだけどどうかな?」
「・・・その水を湖に注いでみよ」

言われた通り湖にバケツの水を注ぐ。
一瞬その周辺が薄青く光ったがすぐに元の暗い水となった。

「確かにこれは我が一部、この湖の深淵に沈む水。これを単なるものが創れるというのか、今目の前で見ても信じられん」
「色々試してみてここまでは出来る様になったんだ。ミスリルとかも割と簡単に作れるようになったよ。精霊様のおかげだね」
「お前は何をしようというのだ、"ウォルフ"よ」
「前に言ったろ?知りたいんだよ。もしかしたら魔力とは生命の起源に密接に関わっているのかも知れない。精霊も人間も生命全ては本質的に同じなのかもと思うと、知りたくてたまらなくなるんだよ」

 このハルケギニアに溢れている魔力、そしてどんな小さな原生生物からも感じられる魔力の存在。
ウォルフは昨年水の精霊に会ってから生命の起源における魔力の影響についてずっと考えていた。進化論にしたって魔力の存在が前提に有れば簡単に理解出来るだろうと思う。
宇宙の片隅の或る惑星で魔力素が集まって原始的な自意識を獲得する。或る者はそのまま大きくなって精霊となり、或る者は周囲に影響し、有機物を己の体として進化を始めた。
生命とは魔力のことだという推測はウォルフの心を捕らえて放さなかった。

「我と単なるものが同じだというのか。面白いことを言う」
「本質的にね?生命とは何だって考えると一緒かもしれないって気がするんだ。何で生命が、精霊が存在するのかって考えるとね」

水の精霊は生命を司る精霊だとも言われている。だとすると有機物にとりついて進化した魔力素とは水の魔力素なのかも知れない。水の魔力素から進化した生命が、何故火や土や風の系統魔法も使えるのか。謎はまだまだ沢山有って、ウォルフは楽しくなってくる。

「本当に知りたいことが沢山有って大変だよ。また何か聞きたいことが出来たら来るから、よろしくね?」
「我にはお前の言うことは分からぬ。だが我はお前を面白いと思う"ウォルフ"よ。我はもう戻る、これを持っていくといい」

精霊がそう言うと精霊の体から水が飛び出し、空となっていたバケツを満たした。

「うわ、こんなに。えーと、ありがとうございます?」
「我は太古よりただここに在るもの。その我に何故在るかなどと問うた者はお前が初めてだ。我も考えてみる事にする。また来るが良い"ウォルフ"よ、小さな賢者よ」

そう言い残し精霊は湖へと沈んでいった。
後に残ったウォルフは取り敢えず瓶を十個ほど作り大量にもらった水の秘薬を分けて詰め持って帰った。いつかこの秘薬も作れるようになるのかしらと考えながら。

 翌朝起こしに来たアンネが大量の秘薬を見つけ、精霊に会いに行っていたのがばれたのだが何も言われなかった。
ニコラスなどはこれを売れば一財産だと興奮していたが、研究用に貰った物だからダメだというと落胆していた。元々ニコラスの物でもないだろうに。
換金しきれない手形がまだ十二万エキューもあるのだ、ウォルフが売る必要はなかった。

 そしてラグドリアン湖について三日目の夕刻、エルビラの元を兄レアンドロが訪れた。



[18851] 1-23    謝罪
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/08/20 00:19
「これが、ラ・クルス家の正式な謝罪状だ。僕のやったこととそれに対する謝罪が記してあり、ラ・クルスの花押も押してある。アンネに渡して欲しい」

 夕刻突然現れた兄はホテルのロビーでそう切り出すとその謝罪状を手渡してきた。
なんでも隣のホテルに宿泊し、セシリータとティティアナも来ているという。
エルビラは内容を確認し驚きにため息を吐いた。

「良くあの父が許しましたね、これでは白紙委任状みたいではありませんか」
「ははっ、こっぴどく燃やされたよ。セシリータが治してくれなければ今頃まだベッドの上さ」
「お義姉さんが治してくれたのですか」
「ああ、後ウォルフが水の秘薬をくれたらしくてね、そのおかげもあるな。彼には後でお礼を言わないと」
「・・・分かりました。アンネに渡してきます。彼女が望んだら連れてきますので、お兄様はここでお待ち下さい」

 暫くロビーで待っているとエルビラが一人で戻ってきた。アンネは会ってはくれないのかと落胆したが、人目の無い個室で会いたいとのこと。
そう言えばロビーではいきなり子供達に会ってしまう可能性もある。
そのままエルビラについて行き、示された部屋の前で深呼吸をしてノックする。中から女性の返事がして扉を開いた。

 そこにいたのは美しい金髪を頭の後ろで纏め、少し緊張した面持ちで立つ一人の美女だった。見覚えのある垂れ気味の目に薄い唇、間違いなくアンネだが少し印象が柔らかくなったように思える。
八年の歳月は少女を大人の女性へと変えていた。

「ア、アンネ、僕だよ、レアンドロだ」
「はい、お久しぶりにございます」

 鈴の鳴るような声で返事が返ってくる。そういえばあの頃この声で朝起こされるのがとても好きだった。
思い出す。朝起きて会う笑顔、励ましてくれた声、慰めてくれた手、全て自分が壊した物だ。
グッと喉に何かがつかえて声が出ない。
でも言わなくてはならない。アンネに、一言を。

「・・済まな、かった・・・」

 絞り出すように謝罪の言葉を口にすると、そのまま這い蹲りアンネに向けて頭を床に擦りつけた。目からは涙が溢れている。
謝罪の言葉を繰り返しながら土下座を続けるレアンドロを前にアンネも困っていた。

 確かに当時は憎んだし、このまま自分は死ぬんだろうと思ったりもした物だが、今はサラと幸せに暮らしている。
レアンドロのことは忘れたい過去でしか無く、サラの父親であるという点でのみ会う気になったのだ。
ここで関係をちゃんとしておけば、もうヤカに行ってもこそこそとする必要はなく、サラも堂々とウォルフに会いに行けるだろう。
サラの未来を広げるために過去を克服しようとしているのであるが、今足元で泣いている男をどうすればいいものか。正直鬱陶しい。

 エルビラを見るが無表情にレアンドロを見下ろしていて何も言ってはくれない。やはりここは自分が何とかしなければならないのか。
ふーっと大きく息を吐いて覚悟を決める。もう自分はあの時の無力な少女ではないのだ。

「立って下さい、レアンドロ様。今更そのように謝られても困ります」
「あ・・あ・・・」
「相変わらず良くお泣きになるのですね。でも知ってました?あなたはいつも自分のことを可哀想だと思った時に泣いているんですよ?」
「な・・ちがっ・・」
「お父様に怒られて可哀想、妹より魔法が出来なくて可哀想。お父様にばれないように、手をつけたメイドを捨てなくちゃならないなんて可哀想。いつもいつもご自分のために泣いていました」
「・・・・・」
「誠意を見せるためにこんな所まで来たのに、私にこんな事言われて可哀想ですか?まだ泣きますか?」
「僕は、君に憎まれるのは、当然、だと・・・」
「思い上がらないで下さい。私はあなたのことなど何とも思っていません」

 大きく息を吐き、レアンドロを見つめる。
レアンドロは必死に涙を止めようとしているが、うまくいかなかった。

「一つだけ、レアンドロ様に感謝していることがあります。それは、赤ちゃんを堕ろさせなかったことです。自分でそうさせるのが怖かっただけかも知れません、アルビオンに向かう途中で野垂れ死ねばいいと思ったのかも知れません」
「ぼ、僕はそんなことは・・・」
「でも、おかげで私はサラと出会うことが出来ました。ド・モルガンの皆様と出会うことが出来ました。そのことだけは感謝しています」
「・・・・・・」
「賑やかで、明るく、温かい家庭。男の子達はちょっと元気が良すぎますが、いつも笑い声の絶えない家。そんな中に私とサラはいて幸せに暮らしています。謝罪は受け取りました、貴方達がサラに手を出さないというのなら、もうそれで良いです」
「僕は、サラに、僕の娘に会えるのだろうか・・・?」
「今夜サラにあなたがしたことを全て話そうと思います」

 レアンドロの表情が凍り付く。七歳の娘に話すような事では無い、という自覚はあるようだ。

「その上でどうしたいかはサラに決めさせます。サラが会いたくないと言った時は二度と私たち親子の前に姿を見せないで下さい。今話せるのはこんなところです。今日はもうお引きとり下さい」
「・・・・・」

 レアンドロは暫くエルビラとアンネを見比べて何か言いたげにしていたが、何も言うべき言葉がないことを知り、がっくりと肩を落とし部屋を出て行った。
アンネは大きく息を吐いてソファーに座り込むと魂が抜けたように呆然と宙を見つめた。
そんなアンネの隣に座り肩を抱いて語りかける。

「よく頑張ったわ、アンネ。あなたは強くなった。何も出来なかったあなたはもう、いない」

 エルビラはアンネがまだ時々魘されているのをサラから聞いて知っていた。心と体に刻みつけられた恐怖は八年の歳月を経ても残っている。
その恐怖を克服するには、レアンドロと対峙し過去の自分と決別する事が必要だと思っていたのだ。

「ふふ、恐怖も、憎しみも、過去の物に出来たみたいです。あんな小さい人なんですよ、あの人。いつもオドオドしてて、こっちの言う事にビクビクして。今なら口だけで泣かせられそうです」
「あら、私は昔から口だけで泣かせてたけど。ふふ、でもそうよ、私たちは強いのよ。私たちは母親なんですからね!」

今ならアンネにも分かる。あの時恐怖で身を竦ませるだけでなく、レアンドロを殴るなりフアンのことを口にするなりしていれば身を守れたはずだ。
身を守れなかったのは自分の弱さ。何時までも弱いままでいるわけにはいかない、サラにこんな思いをさせないためにも。

「さあ、食事に行きましょう、子供達が待っています。」
「はい」



 
 食事が終わり、部屋に戻ろうとするサラをアンネが呼び止め、ロビーに誘った。何故かウォルフも一緒だ。
食事の時から何か考えている風だったのに気付いていたので二人とも大人しく座り、アンネの言葉を待った。

「サラ、そしてウォルフ様これから大事な事を話します。心を落ち着かせて最後まで聞いて下さい」
「はい」

アンネは胸に手を当て、深呼吸をしてから続ける。

「先程レアンドロ・フェルナンデス・デ・ラ・クルス様がいらっしゃいました。サラの・・・父親です」

サラが息を呑む。ラ・クルス家が自分の出生に関わっているのでは、とは思っていたが、レアンドロと言えば次期当主ではないか。

「サラ、私は十三の時、今のラウラの一つ上ですね、その春からラ・クルス家にメイドとして入って、レアンドロ様の担当として働いておりました。レアンドロ様は気が弱いというか、大変お優しい方で、とても良くしていただいたのを覚えています」

そう言って言葉を切る。言葉を選んでいるようだ。

「だけど二年後、今から八年前のあの夜、御館様に叱られた彼は、とても荒れていて人が変わったようでした。突然私に向かってお前も自分の事を馬鹿にしているんだろうと怒鳴りつけ、押し倒し、そのまま無理矢理・・・」

 アンネの手はきつく握りしめられ、少し震えているようにも見える。

「私の妊娠が分かると彼はとても狼狽し、父にばれたら殺される、母にばれたら嫌われる、妻にばれたら離婚されると、まあ、パニックになっちゃってました。それで、私がラ・クルス領にいたらまずいと思ったみたいです」
「そして私に幾許かの路銀と手紙を渡してアルビオンにいるエルビラ様の元へ行くように命じたのです。私はラ・クルス領から外に出た事など有りませんでしたが、他に頼るところもないのでその命に従ったのです」
「長時間の移動で途中雨にうたれた事もあってサウスゴータに着いた時は体調を崩してしまい、お腹の子も危ないと言われたのですが、エルビラ様が必死に看病して下さり、水メイジにも見せて下さったので母子ともに生き存える事が出来たのです」
「そうして生まれたのが、サラ、あなたです。あなたは間違いなく私とレアンドロ・フェルナンデス・デ・ラ・クルスの血を引いています」

サラの目からは涙が零れていた。母の過酷な過去が辛いのだ。

「ウォルフ様、サラにあなたから見たレアンドロ様の事を話して下さいませんか?」
「ああ、いいけど・・・うーん一言で言うなら弱い人だね。優しいんだけれども、その優しさも弱さから来ていて自分にも優しいのが欠点だね」
「なんかダメダメな人って感じなんですが」
「ああ、全く無能って訳じゃないよ。事務処理能力はかなり優秀みたいだし、自信さえ持てばラ・クルス領位ならうまく統治出来ると思う」
「もっと大きいところだとダメなんですか?」
「もっと大きくなると人に任せる事も多くなるからね。お爺様みたいな人が居てその下で采配を振るうとかだったら向いてるんだけど、彼自身が当主だと部下次第でどうとでもなっちゃうかな、彼優しいし」
「うーん、政治能力はそこそこ、人としてはダメダメですか・・・」

サラは何だか残念な感じだ。父親の事をやっと知れたと思ったら、金持ちだけどレイプ犯のダメダメ人間だったのだ、仕方ないだろう。

「もう少し自分に厳しく出来れば、あの弱さも武器に出来るんだけど。あ、でもここに来たって事は厳しく出来たのかな?」
「どういうこと?」
「オレ達がラ・クルスを発つ時はお爺様が認めていなかったからな、アンネ、ラ・クルスの謝罪文は持ってきたの?」
「はい、領主様の署名入りでした」
「ふーん、じゃあちょっとはマシになってるかな?それを持ってきたって事はお爺様と散々ぶつかって何度も燃やされたと思うんだ。その程度には自分に厳しくできるようになったっていう証拠だな」
「じゃあ、ダメダメからは脱却しかかっていると・・・」
「まあ、そうかな?去年はダメダメだったけど。正しい事をしたいっていう思いはあるんだよ、弱いからなかなか出来ないだけで。サラに会いに来るのに七年もかかったのは彼の弱さのせいだし、たとえ七年経っていても謝罪に来たのは彼の良心がさせたことだよ」
「うーん、お母さん、お母さんはその人の事を憎んでいるの?」
「いいえ。昔は憎んだわね。このまま死んだら呪い殺そうと思ってたわ。今はそんな感情はないけど」

そう言い切るアンネの顔は何の気負いも感じさせずさっぱりとした物だった。
しかしサラには分からない。どうして殺されそうになった相手を憎まずにいられるのか。

「何で?何で憎まないでいられるの?そんなに酷い事をした人なんでしょう?それなのに何の罰も受けないで幸せに暮らしているんでしょう?」
「あなたよ、サラ。あなたがいたから憎しみなんて消えちゃったの。あなたの笑顔はどんな時も私を最高に幸せにしてくれる。あなた達と楽しく暮らしているのにあんな人のことを憎んでいたら時間がもったいないでしょう」

そっと手を握り娘に諭すように語りかける。その顔はとても幸せそうな笑顔だった。その笑顔にサラも頬を染めて応える。

「んー、お母さんが良いなら、私もいいや。あんまりその人の事考えないようにする」
「いやいやサラ、せっかく父親が名乗り出てきたんだ。ここはニャーンって甘えて見せてだな、父親からいかに効率よく金を引き出すかっていうのも娘として必須の技能だぞ」
「やですよ、何で私がそんな真似しなきゃならないんですか。お金なんてウォルフ様がたくさん持っているじゃないですか」
「ええ?あれってオレの金じゃなかったっけ?」
「ウォルフ様と私は主従なんだから一心同体なんです!ウォルフ様の物は私の物、私の物は私の物、です!」
「お前はどこのジャイアンだー!」

笑いながら、やいやい言い合う子供達を見てアンネも一緒に笑う。大丈夫だ、レアンドロが現れてもこの子達は何も変わらない。

「でね、サラ。そのレアンドロさんが明日あなたに会いたがっているんだけど、どうする?」
「うーん、どうしよう。あーでもそのダメダメっぷりを見てみたい気もする」
「別に良いんじゃない?会ってみれば。普通のおっさんだよ」
「あはは、おっさんなんだ。うん、いいよお母さん、そのダメダメおっさんに会ってみる」
「分かったわ、伝えとく。本人にダメダメとか言っちゃダメよ?一応偉い貴族様なんだから」


 サラは結局ラ・クルス家の非嫡出子として認知されることになった。対外的には公表しないと言うことではあるが、サラはサラ・デ・ラ・クルスと名乗る権利とマントを纏う権利を手に入れた。最も本人にはそんな権利を行使する気はなく、今まで通りウォルフのメイドを続けるつもりだ。
ラ・クルスからは養育費として毎年五百エキューが支払われることになったがアンネが受け取りたがらなかったのでエルビラが管理し、サラの将来のために貯蓄する事にした。

 翌日湖で遊んでいる時にレアンドロ一家も来て一緒に遊ぶ事になった。
ティティアナはウォルフ達と一緒に遊び、アンネはセシリータと何かを話し、サラはレアンドロと会った。
レアンドロはサラに父と呼んで欲しいみたいだったが、サラはレアンドロ様としか呼ばなかった。
セシリータはアンネに謝罪し、アンネはそれを必要のない事と断った。
サラはレアンドロとは二言三言しか話さずにウォルフ達に合流、ティティアナと顔を合わせた。

「ティティ、ほらこの人はサラ、君のお姉ちゃんだよ」
「よろしく、ティティ」
「お姉ちゃんって、お姉ちゃん?」
「そうだよ、レアンドロ伯父さんの娘だよ」
「私、お姉ちゃんいたんだぁ・・・あれ?お父様また泣いてる、ダメだなあ」
「「プッ・・・・」」

 ティティアナは初めて知る事実に呆然とするが、優しく笑いかけてくるサラにすぐに懐くようになった。
思わず吹き出したサラだがホセの家で小さい子の相手には慣れていたので、初めて接する妹に戸惑わずに可愛がる事が出来た。
今日初めて会った姉妹はウォルフ達と一緒に湖で泳いだり砂で遊んだりと、楽しい一日を過ごした。





[18851] 1-24    決裂
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/08/28 16:04
 さらに翌日、ド・モルガン一家とラ・クルス一家はオルレアン公の招待で彼の屋敷で開催されるパーティーに参加する為馬車でその屋敷へと向かった。サラ達平民組は留守番である。

 ラグドリアン湖畔に建つその屋敷は荘厳でオルレアン公の権力を感じさせた。
馬車が車寄せに着くと衛士が勢揃いして迎え、下級貴族であるニコラスなどは居心地が悪そうな程だった。

「やあ、エルビラ殿、久しぶりだねお互い結婚してから初めてじゃないかな」
「これはオルレアン公様、ご機嫌麗しゅう・・・」

エルビラが優雅に挨拶を返す。

「堅苦しい挨拶はなしで行こう、僕の事も昔みたいにシャルルと呼んでくれ、こちらが君の御主人かい?」
「ご挨拶が遅れました、オルレアン公様。エルビラの夫でニコラス・クロード・ライエ・ド・モルガンと申します。アルビオンで男爵を頂戴いたしております」
「あはは、堅苦しいのは無しだと言ったろう、気楽にしてくれ、ニコラス」
「は、はあ」
「レアンドロ達にも先日は世話になったからな、今日は楽しんでいってくれ」

オルレアン公は不自然な程上機嫌で次々に訪れる訪問客の相手をしていた。様々な話題に花を咲かせ、料理を勧め共にグラスを傾ける。時折ウォルフの方に視線を送り何かを考えているようだったがそれを他人に気取られる事はなかった。
ウォルフは時折自分に向けられる視線に気付いてはいたが、どう対応して良いのか分からずシャルロットやティティアナの相手をして過ごしていた。

「やあ、ウォルフ楽しんでいるかい?」
「これはシャルル様。私のような者までご招待いただきありがとうございます」
「どうだい?この屋敷は」
「素晴らしいですね。景色を楽しむための屋敷といった感があります。特にここのベランダから見る夕景は最高なのではないのでしょうか」
「ははは、そうなんだよ、もうじき見られるけどラグドリアン湖に沈む夕日はこの屋敷の自慢でね。ここに建てたのは先々代の・・・」

やはり何か言葉が軽い。突然話し掛けてきたシャルルは少しアルコールで頬を紅潮させ、ウォルフが聞いてもいないような事をぺらぺらとしゃべり始め一人で納得してうんうんと頷いている。
まあ王子なんてやってれば色々とストレスが溜まる物なのだろうと思い直し、適当に相槌を打っておいた。

「・・・時にウォルフ、ラ・クルス伯爵から聞いたんだが、君はラグドリアン湖の精霊を呼び出す事が出来るというのは本当かい?」
 
急にシャルルの声のトーンが下がり、ウォルフの背中にざわっと悪寒が走る。

「・・・お爺様は勘違いをしたのではないのでしょうか。確かに水の精霊に会った事はありますが、呼び出した事はございません」
「おや?そうかい?君は精霊から大量の秘薬を貰う程だと聞いたんだが」
「私が湖にいる時に向こうから出てきて、帰り際に勝手にくれたのです。精霊にとっては水の秘薬など大した物ではないように思えました」
「ふむ、しかしそうだとしても聞いた事のない話なのには違いないな。水の秘薬は精霊の体の一部だと言うし、大した物でない筈はないだろう。僕には君が精霊に愛されているように思えるよ。どうだい?今ここで精霊を呼び出してみてくれないか?」
「今、ここで、ですか?」

パーティー会場を見回す。急に開いたのだろう、それほど参加者は多くないが、それでもこんな中で精霊を呼び出せばガリア中の話題になる事は間違いない。

「そうだ、今、ここでだよ。水の精霊との交渉は長年トリステインが独占してきた。彼らはその権益に胡座をかき不当な高額で水の秘薬を流通させている。ガリアでも水の精霊を呼び出せる事を示せたら、彼らも考えを改め水の秘薬の価格も下がるだろう」
「この、大勢のパーティー中に、ですか・・・」
「もちろん!証人は多い方が良いだろう?貧しい病人が救われ、ガリアの国威も上がる。どうだい、やってみてくれないか?」

ガリアの国威じゃなくて自分の名声だろう、と言いたくなる。新たにラグドリアン湖の精霊の祝福を受けたガリアの王子、なんてのはトリステイン併合の名目に出来そうな程のインパクトだ。ただでさえ高い国内での人気が跳ね上がる事は間違いない。
要請の形を取っているがシャルルとウォルフの身分の違いを考えればこれは命令だ。もしここで水の精霊を呼び出してしまえば、なんだかんだと理由を付けられてガリアに幽閉されてしまう可能性すら有り、少なくとも今までのような自由な身分ではいられなくなる。それどころかジョゼフ王子やトリステインからの暗殺の対象になるかも知れない。

 まだ六歳の子供だからと気楽に王族に恩を受けたのだが、こんな高い礼を払わされるとは思わなかった。
助けを求め両親の方を見るが、何故か二人ともシャルルの家臣に囲まれて談笑していてこちらに気付く様子はなく、自分で何とかするしかないようだ。
人が良さそうと思っていたシャルルの違う一面を見せられて、王家というものの持つ闇に触れた気がした。

「・・・お断りします。出来るかどうかも分からないし、申し訳ないのですが、水の精霊を見せ物のようにする事には協力出来ません」
「何故だい?多くの貧しい人が救われるんだよ?人間はお互いに助け合って生きる物だ。僕だって君に『遍在』を見せただろう」
「そのことについては感謝しています。しかし私一人の事ではなく水の精霊という相手がいることですから」
「水の精霊と言ってもちょっと先住の魔法が使えるだけだろう、そんなに気を使わなくても良いんじゃないかな」
「水の精霊は知性を持ち、我々と対話が出来ます。普通の人間にするような気遣いは最低限するべきです。更に彼の存在が強大な力を有しているならば徒に刺激するのは避けるべきだと思います」
「必要な事なんだ!水の精霊が強大な力を持っているというのなら尚更従わせるべきだろう!」

「父様、ウォルフ嫌がっている。無理矢理は良くない」

声を荒げるシャルルをそれまで黙って聞いていたシャルロットが諫める。シャルルがシャルロットの願いを聞かなかった事はない。

「黙ってなさい、シャルロット。今は大事な話をしているんだ。どうだろうウォルフ、トリステインの交渉役は自らの血を湖に垂らして精霊を呼び出すという。君がそこまでやってくれたら一万エキューを払おう」

シャルルが声を荒げているので周囲に増えてきた人々からその金額に驚きの声が上がる。
シャルロットは父親が顔も向けずに拒絶した事が信じられなかったし、お金でウォルフを説得しようとした事にも愕然とした。
そんな周囲の様子を確認しながらウォルフはシャルルを真っ直ぐに見据え、返事をした。

「申し訳ありませんが、重ねてお断りします。水の精霊を従わせるという考えは間違っています。彼の存在はそのようなものではありませし、私の血は金貨のために流すものではありません」
「・・・僕がこんなに頼んでいるんだよ?それでも・・・」

「シャルル様。どうして私の息子の血を流させるような話になっているのかしら?」

能面のように無表情になったシャルルが更に言い募ろうとするのを遮り、エルビラが割って入る。ニコラスもすぐに隣に来た。
エルビラは微笑んではいるが明らかに殺気をまき散らしており、それを見た周囲の人はエルビラ・アルバレス・デ・ラ・クルスの伝説を鮮やかに思い出し後ずさった。

「・・・やあ、エルビラ。何、大したことじゃないよ、ちょっとウォルフにラグドリアン湖の精霊を呼び出して貰おうと思ったんだが、断られちゃってね」
「あなたが要請し、ウォルフが断ったのならそこで話は終わったはずでは?」
「彼は中々強情だよね。君ももう少し社会というものを教えた方が良い。高々男爵の息子が僕の依頼を断るなんて想像すらした事がないよ」
「・・・ご忠告ありがとうございます。シャルル様も新しい経験を積めて良かったのではありませんか?」
「こんな子供に蔑ろにされるのが良かった?・・・ははは相変わらず君は冗談が下手だね。笑えないよ」

なんでこんなにシャルルが暴走しているのかウォルフには分からないが兎に角尋常な事ではない。
招待客も呆然としているし、シャルルの部下達も狼狽えている。シャルロットは泣いているしティティアナも泣きそうだ。ここは多少強引にでもこの場から去るべきだ。

「母さん、もういいよ帰ろう。シャルル様は大分お酒を過ごしてらっしゃるようだ」

シャルルの部下に目配せをしてエルビラを引き下がらせる。が、案の定まだ絡んでくる。

「なんだと、僕は酒なんてまだそんなに飲んでないぞ!」 
「酔っている方は皆そう言うのです。シャルロットが泣いているのに気がつかないなんて酔っている証拠でしょう」
「な・・・」

慌ててシャルロットを探すと確かに泣いていて、夫人に抱かれて退出するところだった。シャルルがそちらに気を取られている隙にド・モルガン家は退出する事に成功した。
シャルルはすぐに気付いて呼び止めようとしたのだが、大量に出てきた家臣達に強引に奥へ連れさられてしまった。




「何なんだよ、シャルル様、お前一体何やったんだよ!」
「何なんだろね、全く。とんだ見込み違いだよ」

ホテルへと帰る馬車の中、クリフォードが詰め寄った。

「何なんだろねじゃないだろ!お前がなんかやったからシャルル様があんな風になったんだろ!」
「ちょっとクリフは黙って。ウォルフ、見込み違いって?」
「三週間前魔法を教えて貰った時はもっと人の良さそうな坊ちゃんって感じだったんだけど、今日会ったら全然違っていて吃驚しちゃったよ。あれは・・・野心なんだろうなあ」
「野心、ですか」

ウォルフが窓の外を見ながら呟くように言った言葉をエルビラが繰り返した。しかし、あのシャルルに野心というのがしっくりと来ない。

「そう、野心。お爺様にオレが水の精霊から秘薬を貰った事を聞いたみたいで、精霊を呼び出させようとしてきたんだ。うまく周りの人を言いくるめてラグドリアン湖の精霊の祝福を受けたガリアの王子とでも言わせようとしたんだろうね」
「ああ、それは人気が出そうだな・・・」
「うん、それでオレの事を強引にでも配下にしちゃえばトリステインの併合だって出来そうだろ?その利に惹かれる人は多いだろうからすんなりと王様になれそうだ」
「・・・・・」

エルビラ達はシャルルがウォルフを従えてトリステインに攻め込む姿を思い浮かべた。自分たちの息子がガリアによるトリステイン侵略の旗頭にされるなどぞっとしない光景だ。

「でも何で焦ってそんな事しなくちゃならないのか分からないんだよなぁ。今だって長男より大分有利なんだろ?」
「ええ、そうね。第一王子のジョゼフ様は魔法が出来ないという噂で、貴族達の支持が集まっていないらしいわ」
「まあ、よっぽど兄貴と仲が悪いのかも知れないけど、シャルル様は王様には向かなそうだね」
「今日の事だけでそう判断する事はないだろう、魔法は凄いらしいし、日頃はとても高潔な人格だと人気だ」
「高潔ね。・・・精霊呼べば一万エキュー出すとか言ってきたよ?」
「・・・子供相手に出しすぎだよなあ」
「まあ、今日居た人は簡単に金を出す人だと思うだろうね。オレに仕事をさせるにしても、オレにメリットがないんだよ?酷い依頼だよ。王様なんてみんなの利益の代表なんだから、他人がどんなものを求めているか分かる事は一番必要な能力だよ」
「恩賞か」
「うん、名誉が欲しい人には名誉を、領地が欲しい人には領地、金には金。王様の仕事で一番大事な事だね。彼も努力はしてるみたいだけど、それが分からない上に謀略の才能もないなら王様なんてやらない方が良いって」
「お前・・・シャルル様にまで上から目線・・・だったらどんな報酬だったらやったって言うんだ」
「リスクが大きすぎるから通常の報酬でやることはないよ。やるとしたら・・・兄さん辺りを誘拐して腕の一本も送ってきたらやるしかないかな。あの人だとそこまではしなそうだけど」
「うげえ・・・嫌なこと想像させるなよ・・・」
「・・・・・・」

皆一様に黙り込んでしまい暫く沈黙が続く中、エルビラが口を開いた。

「さあ、それでどうしましょう?オルレアン公領で領主様に敵対的態度を取ってしまったわけですが」
「うーん確かにこの後もちょっかい出してくる可能性はあるなあ」
「まあ、ホテルに帰ってから考えよう」

そう言うとウォルフはちらっと御者の方に目を向ける。今やここは敵地のまっただ中と考えてもいいかもしれない。いくら用心をしてもしすぎと言うことはないだろう。
ホテルに帰り、あまりに早い帰還を訝しがるアンネ達を制してニコラスとエルビラ、ウォルフの三人で客室に籠もり今後の方針を話し合う。

「えーと、オレは朝を待たないでここを出ようと思っているんだけど・・・」
「でも怪しまれないか?ここのフロントはどうせオルレアン公に通じているだろう。なんか罪をでっち上げられて捕まったりしないかな」
「まあ、やるなら捕まえてから罪をでっち上げるだろうね。そこまではしないと思うけど」
「ウォルフ、さっきも言っていましたけど何でしないと思うのですか?」
「あの人いい人でいたいって想いは強いみたいだし、正しいと思うことをやろうとしているんじゃないかな。今回の事もオレが受けるデメリットの事なんて考えてないで気楽にやって貰えると思ってたんじゃないかな?それで断られて切れた、と」
「そんな単純な話なのか?えらい迷惑な人だな」
「今日の最後のほう思い出してよ。あれ、思い通りにならないで駄々を捏ねる子供だろう」
「・・・・じゃあ、出て行く必要はないんじゃない?」
「それでも、オレがいると余計な事を考えちゃうかも知れないから。確かにガリアにとってメリットはあるんだ、精霊を呼び出す事には。・・・みんなでいきなり逃げると反射的に捕まえに来ちゃうかも知れないから、逃げるのはオレとサラとアンネの三人、馬車は対岸で一台用意。父さん達は予定通りここで優雅に休暇を過ごして堂々と帰る、いい?」
「それなら私も行った方が・・」

自分だけ帰るというウォルフにエルビラが心配して一緒に帰りたいと言う。しかしウォルフはそれを断った。

「母さんはシャルル様の抑止力として残った方が良いよ。大人が必要だからアンネと多分サラは置いてくって言っても納得しないから連れていく。連絡はピコタンで。ラウラとリナを頼みます」
「分かった、その方針でいこう。お前の事だから心配要らないと思うが、気をつけるんだぞ」
「うん、勝利条件は全員が何事もなくアルビオンに帰る事。オレが逃げても父さん達が人質にされたりしたら意味がないからね。父さん達も無駄に戦闘したりするなよ?」
「こっちは大丈夫だろう・・・大丈夫だよね?エル、いきなり攻撃したりしないよね?」
「・・・・私が先制攻撃を仕掛けて、その隙にみんなで逃げるというのは?」
「「絶対にやらないで!!」」

ニコラスは了承したが、エルビラはなお不安そうであった。逃げるだけというのが性に合わないのだ。

 夕食後、全員を集めてこれまでの経過と今後の方針を説明する。皆一様に不安そうだがウォルフが気楽そうにシャルルが駄々を捏ねただけと説明すると幾分雰囲気が和らいだ。
ラウラとリナも不安そうだったが、十エキューずつ渡して、もし万が一何かあったらこれでヤカに帰るように言うと嬉しそうにしていた。現金なものだ。
早朝まだ暗い内に出発する事にして、今夜は早めに寝る事となった。




 ウォルフ達が去った城内は暫く騒然としていたが、冷静になったシャルルが戻ってきてようやく落ち着いたかに見えた。
しかしシャルルから遠い場所、会場の其処此処で声を潜めて様々な噂が飛び交った。

「・・・先程のはどういう事なのですかな、あなたは近くにいたんでしょう?」
「何やらどこぞの子供がラグドリアン湖の精霊を呼び出せるなどと吹聴したのを、オルレアン公が信じてしまったみたいで呼び出させようとしたんですよ」
「ははは、そんな馬鹿な事を信じるわけはないでしょう」
「いやいや、それが信じているようでして・・・」
「なんと?ではまさか本当にその子が?」
「いやいやいや、その子も相当困ってしまって必死に断っていましてな、それなのにオルレアン公がごり押しするものだから、見ていて気の毒になりましたよ」
「ああ、そういうのは大人が分かってあげないと・・・」


「私もそばで聞いていたのですが、その子というのがあの"業火"のエルビラの息子らしいですよ」
「"業火"といえばラ・クルスの・・・オルレアン公はラ・クルスに恥でもかかせるつもりでそんな事を?」
「まだ六、七歳でしたよ?どちらかと言えばやらせる方が恥でしょう」
「ううむ、一体何故そんな事を・・・」


「しかしつい最近ラ・クルスに滞在なされたのではなかったですかな、オルレアン公は」
「その時に何か確執が・・・」
「私はラ・クルスのパーティーに最後までいましたが、とても楽しげに過ごしていらしたぞ」
「貴殿はまだ若い。このガリアで、楽しそうにしていた、など何の意味もない」


「ではシャルル様が支持を求めたのにラ・クルス伯爵が断ったと?」
「あの方は堅物だからこの時期に一方の王子に荷担するとも思えんが。それを分からぬシャルル様でもあるまい」


「何とかエルビラ殿に杖を抜かせようとしていらした」
「そうそう!彼女の旦那の事も高々男爵と罵ってましたぞ」
「まさか!シャルル様がそんな事を仰るはずがない!適当な事を言うと身を滅ぼしますぞ」
「落ち着きたまえ、声が高いですぞ。・・・男爵云々は私も聞きました。私も男爵ですからな、耳を疑いましたよ」
「そんな・・・」


「今シャルル様と話しているのはラ・クルスの嫡男ではありませんか?」
「ああ、中央政府にも入れず、伯爵がもういい年なのに領地の経営もまかせて貰えないという・・・」
「そう言えば・・・昔ラ・クルスでは廃嫡してエルビラ殿に継がせるのでは、と噂になっておりましたな。彼女がアルビオンに行ってしまって消えましたが」
「もしや、その話がまた・・・まさか、それで嫡男がシャルル様と組んで伯爵を排しようと?」
「シャルル様も自分を支持しない伯爵よりも、自分が据えた嫡男の方が都合が良い・・・」
「まさか、そんな、シャルル様ですぞ!シャルル様がそんな事をするはずが・・・・」
「しかしそれが一番しっくり来る話ですな。暫く姿を見せなかったエルビラ殿が何故、今ガリアに現れたか、という事だ」



 会場に戻ったシャルルは激しく後悔していた。
ガリアの王族としてラグドリアン湖の精霊を呼び出し、衆人の前で跪かせる。とても魅力的な案をウォルフに持ちかけたのだが、あの子供が断って全てが台無しになった。
ついかっとなってエルビラにもあたってしまったし、醜態を晒してしまった。
彼らが泊まっているホテルの支配人からの連絡でウォルフが夜中に湖に一人で出かけ大量の水の秘薬を持ち帰っていることは把握していた。その情報はウォルフが水の精霊を呼び出せるだろう事を確信させるには十分だった。
呼び出しが成功しなかった場合のリスクはあると思ったが、その時は笑い話にしてしまえばいい話だ。誰にとっても試してみるだけの価値のあることだと思っていたのにまさか断られるとは。
ガリアの王子たる自分からの依頼という名誉を断る人間がいるなど考えもしていなかったのが原因だが忌々しい事だ。

 こんな筈ではなかったと思いながら何とか挽回しようと会場に戻って見れば、酷い噂が飛び交っている。こんな時は自分の良い耳が疎ましい。
せっかくのラ・クルス伯爵との友誼が台無しになってしまう話が聞こえてきて、あわててレアンドロの元に行き友好関係をアピールしようとすれば、噂は更に酷い方向へと独り歩きしていく。
こんな事なら家臣達の言う通りあのまま引っ込んでしまえば良かった。
耐えられなくなったシャルルは酒を煽り、酔った振りをしてその場から逃げ出した。全て酒の所為となってくれる事を期待して・・・。




「くそっ!くそっ!くそっ!ふざけやがって・・・・精霊を呼べるだと?呼べばいいじゃないか!僕のために!力があるなら使えば良いんだ!」

 会場から逃げ帰ったシャルルは家臣達を振り切って一人書斎に閉じこもった。

「何なんだ、あの子供は!全てを見透かしたような目をしやがって!ああ、そうさ!僕は兄さんに勝ってガリアの王になるんだ。その為ならなんだってやってやるさ!ガリアを正しく導き一つにまとめることが出来るのは僕しかいないんだ」

あの目を知っている。あれは父が兄さんの魔法を見る時にいつもしていた目だ。あれは落胆。何故この僕がそんな目で見られなくちゃならないんだ。

「僕は兄さんに勝つんだ!勝たなきゃいけないんだ!みんなヘラヘラしやがって!僕は兄さんのスペアじゃない!僕こそがガリアの王だ!・・・・・・」

 嫉妬、羨望、焦燥、憎悪、恐怖、様々な感情が衝動の儘にシャルルの口から吐き出されいく。
それは最早シャルルでも何を言っているのか分からない、言葉の形をなさないものであったが、叫んでいると心が落ち着いてきた。
やがてシャルルは大きく深呼吸すると書斎から出て行った。

書斎からつながる書庫に"イーヴァルディの勇者"を読もうとシャルロットが入り込んでいた事には最後まで気がつかなかった。







[18851] 1-25    アルビオンへ
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/08/31 22:26
 翌朝、ラグドリアン湖にはお誂え向きに霧が出ていた。
まだ太陽が昇るどころか殆ど薄暗い時間だが、対岸の馬車屋は早朝から営業しているというのでこの時間に出ればちょうど良いだろう。なんでもラ・ロシェールまでは通常は途中で一泊の旅程だが、早朝に出発すればぎりぎりロサイス行きの夜便に間に合うので急ぎの人用に開けているという事である。

 昨夜レアンドロが訪ねてきてその後のパーティーの様子を教えてくれたのだが、そこで流れていた噂を聞いてエルビラは顔を顰めた。
フアンがレアンドロの廃嫡を図るなど冗談じゃない。更にレアンドロがシャルルと結託してフアンの排除を試みるなど冗談にしても有り得ない話だ。
シャルルが後悔していて、謝っていたとは聞いたがエルビラもウォルフと一緒に一刻も早く帰りたくなった。

 今ウォルフは『練金』で作ったボートに自分の荷物を積んでいる。
逃げるのに邪魔だから捨てて行けと諫めたのだが、それほどの事態ではないと譲らなかった。

「じゃあ、お先。母さんくれぐれも自重して。ラウラ・リナ父さん達の指示には絶対に従ってね」
「気をつけてね、ウォルフ。何があるか分からないわ」
「うん、絶対にアンネとサラは守るから。それにいざとなったら投降するよ、命懸ける程の事じゃないし」
「ああ、それでいい。父さん達ももう一泊したら帰るから」

見送る人に笑顔で応え、対岸目指して船を出した。
サラとアンネが水を動かし船を進ませ、それにウォルフが帆に風を送って速度を増やす。
朝靄の中するするとボートは進んでいき、直ぐにその姿は見えなくなった。



 残った方は遊ぶような気分ではなかったのだが、周りの貴族の目もあるし昨日までと同じように湖で過ごした。
しかし子供達に限っては最初は大人しかったもののすぐに元気よく遊び始め、特にクリフォードは同年代の女の子二人と一緒ではしゃいでいた。

 そんな家族連れで賑わう湖岸に突然騎馬の一団が現れた。
さすがに砂浜までは入ってこなかったがゆっくりとその外側を誰かを捜すように移動している。
周囲のざわめきにエルビラ達も直ぐに気付き、その一団の中にシャルルの姿を確認すると緊張を高めた。
シャルルも直ぐに気付いたようで、馬を下りると家来に預け一人でこちらに歩いてきた。

「やあ、エルビラ殿、昨日はどうやら失礼をしたみたいだね。謝りに来たよ」

爽やかな笑顔で言うその人はいつものシャルルであった。
エルビラも幾分緊張を緩め、答える。

「いいえ、大分お酒を過ごしていらしたようですし、気にしていませんわ」
「いや、本当に申し訳なかった。暫く酒は控えるつもりだよ」

エルビラは黙ってお辞儀で返した。
この会見は周囲で多くの貴族が見ており、また噂として広まる事だろう。

「ド・モルガン男爵、君にも失礼な事を言ったようだ。酔ってたとはいえ恥ずかしい事をした、許して欲しい」
「何の事ですかな?私も昨日は飲み過ぎていたようです。とんと覚えておりません」
「ははは、それでは酔っぱらい同士だったと言う事で容赦して貰う事にしよう」
 
にこやかに、二人の間には何の障りもないように会話をする。周囲の貴族達の中には本当に昨日の事がただの酔った上での出来事だったのかと思うものもいるほどだ。

「それでウォルフにも謝罪をしたいんだが、彼は湖かい?よほど精霊と仲が良いのかな」

湖で泳ぐ子供達を眺めシャルルが尋ねる。エルビラはその目がそれまでとは違う光を放つのを感じ、悪寒を走らせた。

「酔った上での事です、ウォルフも気にしていませんし、お気遣いなさいませぬよう」
「いやいや、そういうわけにもいかないよ。これは僕の良心の問題だ。あれ、クリフはいるのに見あたらないなあ・・・」
「・・・ああ、ウォルフは用がありまして、先に帰りました」
「帰った?アルビオンに?君たちが此処にいるのに、彼だけが帰ったというのかい?」

シャルルの目つきが鋭くなる。
ウォルフ達がまだ此処にいると家臣に聞いて、謝意を表すところを他の貴族にも見せるつもりで来ただけだ。ウォルフに何かをしようとしてきたわけではない。それでも、シャルルは感情がざわめくのを止める事が出来なかった。

「ええ、前から言っていたのです、なんでも世話になっている先生の誕生日で友達と約束があると。私たちも今日帰ろうかと思ったのですが、クリフが駄々を捏ねまして」
「はは、それじゃあ謝れないなあ。・・・いや、残念だ。君たちから伝えておいてくれ」

絞り出すように言い、顔の下半分だけで笑顔を作る。そんなシャルルの様子を見てエルビラ達はウォルフを先に帰した事は正しかったと判断した。
何故だかは分からないが、ウォルフの存在がシャルルの心を乱すようである。

 シャルルはそれから二言三言エルビラ達と言葉を交わして屋敷に戻った。周りの貴族の目からはとても和やかだったように映った事だろう。
しかし、帰り道でのシャルルの表情は厳しく、家臣が何を話し掛けても碌に返事をせずにずっと考え込んでいるようであった。

「そうだよ・・・兄さんはいつも僕の一つ先の手を打つんだ・・・・」

シャルルの独り言は誰の耳にも届かなかった。



 その頃ウォルフ達は順調に街道を進んでいた。
対岸までは一時間もかからずに行けたし、馬車屋は話通りすでに営業していたので一番早いという馬車を頼んだ。

「ハイヤーッ!かっ飛ばしていくぜっ!しっかり掴まっていて下せえ、この"疾風"のセヴラン、何人たりともオラの前は走らせねえ!」

平民のくせに何故か二つ名を持つ御者が操る馬車は勢いよく走り出し、あっと言うまにラグドリアン湖から遠ざかった。
セヴランの馬車は最悪の乗り心地であったが、ウォルフがかつて経験したことのないスピードで街道を進み、予定通りラ・ロシェールでロサイス行きのフネに乗り込む事が出来た。
 セヴランの馬車のせいですっかり疲れた三人は航海中ぐったりと船室で寝ていたが、アルビオン大陸が近づくとウォルフは甲板に出て雲の中から姿を現し朝の光を浴びる空中大陸を見つめていた。
その姿は荘厳で神懸かって見え、ウォルフがハルケギニアに来て一番好きな景色であった。

「ウォルフ様大丈夫?」
「ああ、サラ。見ろよアルビオン大陸だよ。・・・やっぱり良いよなあ、いつかカメラも作りたいなあ」
「?シャルル様の事を考えてたんじゃないの?」
「え?シャルル様?何で?」

シャルルの所為で逃げてきたというのに、残ったエルビラ達がどうなったかも分からないのに、ウォルフはあまり気にしていない様子である。

「何でって、心配じゃないの?」
「そりゃ心配だけど、シャルル様だってそんな根っからの悪人って訳じゃないだろうし、多分大丈夫だよ。オレ今こんなとこにいるからどうせ何も出来ないし。松井やイチローも言っていたけど、自分が関与出来ることと出来ないことを分けて考えて、関与できないことについては思い悩むべきではないってさ」
「知りませんよそんな人・・・それでも心配しちゃうのが人間じゃないですか」
「逃げるのを決める時に十分シミュレーションはした。一番怖いのは人質を取られることだけど、子供三人くらいなら父さんが守れるだろ。アレでも優秀な風メイジだからね。それに加えて母さんがいるんだよ?シャルル様が前線に出るとも思えないし、心配なのは衝突が起きないかどうかであって安全についてはあんまり心配してないなあ」
「・・・エルビラ様ってそんなに凄いの?」
「とりあえずオレだったらあんなのとはやりたくないね。オレ達の爺様もスクウェアとして相当優秀だけど、母さんには手も足も出ないんじゃないかな?アセチレンの炎だって「それ、いいわね」の一言で真似して出していたし、それにあの圧倒的な魔力。シャルル様が何を考えているのかは分からないけど、あんな歩く戦術兵器みたいなのと正面からぶつかるのを選ぶ程馬鹿じゃないと思うよ」

エルビラの特徴はフアンを凌ぐ圧倒的な魔力を基にした熱量である。アセチレンの炎も操るし、更にその有り余る魔力を直接エネルギーに変換する事も出来るので、本気になったらどこまで温度を上げることが出来るのかウォルフには分からない。
優秀なスクウェアメイジであるフアンとウォルフが渡り合えるのは、従来の炎を操るフアンに対して魔力を効率的に運用しているからなんとかなるのであって、あんな危険な炎をあんな膨大な魔力で使われてしまったらウォルフ程度の魔力の火の魔法では対抗出来ない。

「アセチレンってウォルフ様が危ないからって使わなくなったヤツ?」
「そうそれ。父さん燃やす時とか風呂焚きの時は普通の火を使ってるけどね。オレ達が逃げてきたのだってシャルル様のためって事もある。うっかり母さんと衝突しちゃったらとても大変な事になるよ」
「で、でもシャルル様だって凄いメイジなんでしょう」
「王族自ら襲ってくる事はないと思うけどなあ。でもそしたらどうやって母さんを倒すつもりなんだろう。ちょっと見てみたい位だな。風なんて当てたらますます温度上がるし、あの炎。簡単に地面とか溶けるよ?」

台風と火山、どっちが強いのかはウォルフには分からないが、ウォルフの知っている風魔法でエルビラを倒すのは至難の事のように思えた。
ウォルフの研究では風魔法には欠点があって、高温に熱せられた気体は風魔法の制御下から外れるのだ。水や土も同じで高温下では火こそが唯一の魔力なのであって、『炎の壁』が防壁として機能する理由でもある。
大きな魔法でエルビラの膨大な魔力ごと吹き飛ばせればいいが、そうでないのなら『エア・シールド』ではエルビラの炎を止めきれないだろうし、遍在を出したところで各個撃破されて終わるだろう。勝機があるとすれば速度で上回りエルビラの隙を突くことか。
人質に取るつもりなら隠密行動にしたいだろうけど、エルビラがいる限り絶対にそんなことにはならない。必ず大騒ぎになる。向こうもそれは分かっているだろうから仕掛けてくる確率は低いと踏んでいるのだ。

「まあ、どうせ心配してもオレ達には何も出来ないし、そろそろ出航前に母さんの所に行ったピコタンが戻ってくるからそれを待とう」

ウォルフがそう言ってから程なくしてエルビラの使い魔であるフェニックスのピコタンが戻ってきた。
暫く上空を旋回していたが、ウォルフの姿を認めると降りてきてウォルフの目の前の柵に止まった。

「クルルッ」
「やあ、お帰りピコタン、お疲れ様」

ピコタンの首に掛かっている手紙を受け取る。エルビラと視界を共有しているかも知れないのでサラを抱き寄せて手を振っておいた。

「クルルッ」
「えーと・・・・ああ、大丈夫だったみたいだね。シャルル様来たけど何もしないで帰って行ったって」

サラが、ほーっと息を吐いた。

「シャルル様に一体何したのかって書いてあるけど、オレが聞きたいよ」
「ウォルフ様が偉そうにしているところ聞かれちゃったんじゃないの?」
「そんなんであんなになっちゃうの?大丈夫かよ、シャルル」
「ほらそういうところだよ、きっと」

そうこうしているうちにもうロサイスの上空だ。鉄塔型の桟橋が近づいてくる。
急な帰郷だったので家人の迎えもなく、また馬車を仕立ててサウスゴータへと向かった。今度の馬車はゆっくりと街道を進んだ。

 その後も何もなくサウスゴータのド・モルガン邸に着き、ピコタンをエルビラの元に戻すと荷物を降ろし旅の疲れを癒した。
何も問題のない旅でサラなどは拍子抜けする程だったが、まだエルビラ達が帰ってきていないので晴れやかな気持ちにはなれなかった。




――― 翌日 ―――

 ウォルフはサラを伴ってマチルダの下を訪れていた。

「マチ姉!久しぶり!」
「ああ、久しぶりだね、どうしたんだい?ウォルフ、サラ。予定では明後日あたりに帰ってくるんじゃなかったのかい?」

 ウォルフは笑顔で気楽そうな様子だが、サラは若干堅くなっていた。

「うん、母さん達はまだ帰ってきてないんだけどね、オレとサラだけちょっと訳ありで先に帰ってきたんだ」
「訳ありってあんた達だけで?いったいどうしたんだい」
「それが・・・」

サラが話を引き取って説明する。アンネと一緒に三人で帰ってきた事、ウォルフが何かをやってオルレアン公に絡まれた事、これ以上オルレアン公を刺激しないために先に帰ってきた事、などを順序立てて話した。
マチルダは話が進むにつれ驚きで目を丸くしていた。ガリアの王族を怒らせるとは一体何をやったのだ、この子は。

「オ、オルレアン公ってあれだろ?ガリアの王族だろ?この前魔法を教えて貰ったって自慢していたじゃないか」
「うん、とても親切で人が良すぎるんじゃないかって思ってたんだけど」
「一体何をしたんだい?身に覚えはあるんだろ?」
「うーん、パーティーでラグドリアン湖の精霊を呼び出して欲しいって言われて断った」
「は?」

なんだその難癖は。ラグドリアン湖の精霊を呼び出す事が出来るのはトリステインだけだというのはハルケギニアの常識である。
そんな事を要求されるなんてその以前に怒りを買っているとしか思えない、とそこまで考えてふと相手が色々と常識からは外れているウォルフである事に気付いた。

「もしかして、だけどあんた本当に呼べるのかい?そういえば去年水の秘薬を貰ったとか言ってたねえ」
「呼んだ事はないけど多分呼べる。今年も行ったら会いに来たし、精霊様に名前覚えて貰ったし。オレ精霊様とは結構話が合うんだよ。ただ、シャルル様はそのことは知らない筈なんだ」
「はー、あんた常識知らずとは思っていたけど・・・」

マチルダは絶句している。恐らくシャルルというのは野心家で、ウォルフを利用しようとしたのだろうと思った。

「そんなのが相手なら逃げてきて良かったじゃないか。きっと利用するだけ利用しといて用が済んだらポイッて捨てられるよ」
「うん、そうだね。まあもうその話は良いよ。マチ姉、仕入れはちゃんと出来た?」

マチルダの中でシャルルが極悪人になってしまっている事に気付きはしたが、放っておいて話題を変えた。
今回ここに来た目的である商売の話である。

「ああ、バッチリだよ!五千エキュー全部使い切ってやったさ。今タニアを呼んでいるから、来たら説明するよ」
「ん?何でタニア?」
「ああ、彼女なかなか計算に強いし相場に詳しくてね。ホラ、元はガリア人だろ?どういうものが便利かとか彼女に仕入れを手伝って貰ったんだ」
「へー、意外な特技だな」
「リュティスの魔法学院じゃ座学は主席だったらしいよ。何でウチなんかで護衛なんてやってるんだろ」
「一度貴族から落ちると色々大変みたいだからなあ・・・」

ド・モルガン家も元はトリステインの貴族だったが一度爵位を失っている。その辺の苦労話をよくニコラスに聞かされていたので能力と地位とが比例する物ではないと言うことは分かる。

 やがてタニアが資料を持ってきて、四人で連れ立って輸入してきたものが置いてある部屋へ向かった。
マチルダはガリアから三日前に帰ってきていたのだが、まだ何も売ってはおらず全て揃っていた。
そこには香辛料の大樽や様々な魔法道具が並んでいた。

「おお、結構あるな」
「まあ、まだフネには積めたんだけどね、お金が先に無くなっちゃったのさ。船主がこれ以上積むなら割増料金取るって言うしこれで良いかと思って」
「へえー結構色々買えたんだなあ・・・あれ?香辛料五種類だけ?」

現物とリストを見比べていたウォルフが疑問の声を上げた。たしかマチルダはたくさんの種類を買いたいと言っていた気がする。

「ああ、タニアのアドバイスでね、たくさんの種類を集めるよりも価格差が大きくてアルビオンでの人気が高いものに集中して仕入れをした方が利益が大きいって言うから」
「なるほど。しかも纏めて買うから仕入れ価格は更に下がるという訳か」
「そうそう、面白いんだよ、五リーブル仕入れるのと五百リーブルとじゃ全然値段が違うんだ」

マチルダはすっかり商売の面白さに引き込まれているみたいで頬が紅潮している。
仕入れてきた物をアルビオンの相場価格で捌けるとすると相当な利益になる。

「だけどちょっと問題があってね、お父様がサウスゴータの名前で商売するのは許さないって言うんだ」
「まあ、こんだけあるとねえ。いよいよ商会を作るか。名前はサラ商事で良いかな」
「何で私の名前なんですか!そんなの恥ずかしいです!」とサラ。
「えー、あたしの名前も入れておくれよ」こちらはマチルダ。
「じゃあ、マチサラ商事ですか?」タニアが答える。
「なんだよその街金みたいな名前は・・・・名前は後回しだな。タニアも一緒にやんない?ガツンと儲ければ男爵領くらいは買えるようになるかもよ?」
「ここまで乗りかかった船ですからねえ・・・ふふふ、面白そうですし、良いですよ参加しましょう」
「うん、よろしく。商会長はサラとして、タニアは会長秘書だな」
「やっぱり私は会長なんですか・・・」

サラがどんよりと落ち込んでいる。七歳で商会の会長をやれと言われたらプレッシャーがあるのだろう。

「実際に人と会ったりするのはタニアにやって貰うから、事務処理と、後は名前だけだから大丈夫だよ」
「その事務処理だって不安です。私まだ七歳なんですよ?教師だってやれって言ってたじゃないですか」
「サラが五人ぐらいいたら楽なんだけどな・・・大丈夫、サラには出来る!オレが何のため色々教え込んだと思っているんだ」
「えっと・・・・あ、愛情?」
「・・・ボケが出る位ならまだ余裕はあるな、じゃあよろしく」

 結局一応サラが会長と言う事で商会が発足する事になった。ただ、サラはまだ納得していないようでこそこそとタニアを口説いている。何とか代わって貰いたいらしい。
今のところ名前もなく人数も少ない商会ではある。しかし、いよいよウォルフのハルケギニアの外まで行きたいと言う夢を叶える第一歩を踏み出す事になるのであった。







[18851] 1-26    立ち上げ会
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/08/31 22:33
 ウォルフ達から遅れる事三日、エルビラ達も無事サウスゴータに帰ってきた。
オルレアン公の動向が心配されたが敵対するような事はなく、逆にお詫びとしてウォルフにおみやげを渡されるほどであった。

「おーい、ウォルフ、アンネ、サラ今帰ったぞー」
「あー、おかえりなさい。無事で何より」

馬車が門内に入るなり大声で叫ぶニコラスにウォルフが答える。既にみんな勢揃いして待っていて、どの顔も嬉しそうだ。
口々に再会を喜び合うと馬車の荷物を下ろし始め、屋敷のメイドや使用人も総出で手伝いに来た。大丈夫だと言われてもウォルフの話を聞いて不安になっていたのだ。
ウォルフは荷物を降ろして所在なげにしているラウラとリナを案内して納屋へと向かった。
二人はウォルフの方舟を見て驚いているが軽く無視して納屋の二階へと向かう。

「ほら、ここが君たち二人がこれから住む部屋だよ」
「「ふおおお・・・・」」

二人にあてがわれたのはかつてウォルフが研究室として使っていた納屋の二階で、昨日半日がかりでウォルフが片付けて改装したのだ。
結構な広さの部屋には既にベッドやカーテン、ドレッサーまで入れられ、直ぐに住める状態になっており、中庭に面した窓を持つため風通しが良く明るい光に満ちていた。
二人で一緒の部屋だが、そもそもこれまで狭い家に暮らしてきた二人には一人用のベッドがそれぞれに用意されているだけでも驚きの贅沢さであって、全く不満はなかった。

「「あたしのベッドー!!」」

奇声を上げながら二人がそれぞれのベッドへ突進する。早速割り振りが決まったようである。
二人に部屋の使い方を簡単に説明し、鍵を渡す。一人に一つだ。

「合い鍵は母さんが持っているから、無くして部屋に入れない時は言ってね?大体こんな所だけど、何か分からない事ある?」
「ウ、ウォルフ様、あたし達こんな所に住んで良いんですか?」「ですか?」
「君たちの部屋だって言っただろ、大丈夫、報酬の分はちゃんと働いて貰うから」
「ええっ!やっぱりあたし達、夜の慰みものに?」「慰みもの!」
「・・・君たちにはまだ早いだろう、って言うかオレ六歳だよ?」
「でもニコラス様がいるし、クリフォード様だってそろそろ・・」「そろそろです!」

ちなみに前がラウラで後ろがリナである。妙に息の合った姉妹だ。

「これははっきりとしておくけど、ラウラとリナはオレに雇われたんだから。ド・モルガン家ではなくウォルフ・ライエ・ド・モルガン個人の使用人な訳だから、無条件で他の人の言う事を聞いたらダメだよ?」
「ニコラス様やクリフォード様の慰みものにはならなくて良いんですか?」「ですか?」
「もし万が一そんな事を言ってきたら鼻で笑って良いよ。目一杯軽蔑した目で見てね。その後でオレかサラか母さんに言えばそのゴミは処分してあげるから」
「「ふおおおお」」

人間として当たり前だと思う事にここまで驚かれると、平民が貴族の屋敷に勤めるという事に対してどのような考えを持っているのか分かってしまい、悲しくなる。まあ、彼女たちは叔母であるアンネが貴族のところでどんな目にあったのかを知っているわけだし、仕方がないのかも知れないが。
ウォルフにとってファンタジーの魅力溢れるハルケギニアも、そこに住む平民にとっては基本的人権も、生存権すらも保証されない過酷な世界なのだ。

「とにかく、オレは報酬を払い君たちは労働で払う。ビジネスとしてあくまで対等な関係な訳だから不当と思う事には従う義務はないから。君たちの貞操は君たちのものなのだから大事にしなさい」

こんな言葉がここハルケギニアでどれだけ軽い言葉であるか、分かりながらもつい口にしてしまう。
平民にとって仕事というものは貴族に恵んで貰う物だという認識を少しでも改めたい。
その仕事に対して敬意が払われない限り人は自分の仕事に対して誇りを持てない。
人が自分の仕事に誇りを持った時、どんな仕事をする事が出来るのかをウォルフは知っている。
そんな仕事をする人を少しでも増やしたいと思う。

 兎に角二人を納得させて荷物を片付けるように言い、部屋を後にした。



 翌日の昼、ウォルフ達は主に平民が使う料理屋に集まりテーブルを囲んでいた。
店内は多少騒がしいものの、テーブルごとに区切られていることもあり話は普通に出来た。
ウォルフ達はマントを外していて、集まったのはウォルフ、サラ、マチルダ、タニア、ラウラ、リナの六人である。
ラウラとリナは太守の娘とその護衛を紹介され、さらに一緒のテーブルに着いてしまって恐縮頻りであった。

「えー、ではこれより我々の商会の立ち上げ記念集会を始めます。今日の議題は商会の目的をはっきりとさせ、今後の方針を決める事と、名前をそろそろ決めたいという事です」
「商会の目的なんて金儲けじゃないのかい?」
「一般的にはそうかも知れないけど、それじゃあ、つまらないだろ。オレはオレの野望をこの商会で実現したいんだ」

マチルダとタニアが怪訝な顔をする。ウォルフが野望というのがしっくりと来ない。

「オレの野望は世界周航をしたいという事だ。その為に必要な資金や物資の調達、長距離・長期間の航行に耐えるフネの開発、必要な人材の育成などをこの商会を通して行っていきたいと考えている」
「世界周航ってどういう事?」
「このハルケギニアを出て、サハラを越え、遙か東方ロバ・アル・カリイエや更にその先まで行って帰って来るって事だよ。そして外の世界の人達と交易を行う会社にしたいんだ」

ウォルフが熱く語る。その目は何時になく熱が入っていた。

「あんたそんな大それた事を考えていたのかい・・・あのグライダーとかいうので行くつもり?」
「いや、あれはそんなに荷物積めないし、違うよ。あれで実現した技術を応用してもっと大きなフネを造るんだ」
「たしかにあれは人が乗るところは小さいけど、結構大きいよ?どの位のを作るつもりだい」
「グライダーは二人乗りだけど、新しく作るのは少なくとも二、三十人は乗れる位にはしたい。知らない世界を見てみたいという人は一緒に行こう!そうでない人も商会を大きくするのを手伝って欲しい」

そういわれてもすぐに返事を出来る者はいない。
サラは知っていたしラウラとリナには拒否権がないので残るはマチルダとタニアだが、二人ともちょっとしたお小遣い稼ぎのつもりでいたのだ。そんな大事になるとは思っていなかった。

「い、いつ頃出発するんだい?」
「まずは商会を大きくしなくちゃならないから・・・十年以内には行きたいなあ」
「なんだい結構先の話だね」
「そりゃそうだよ。どんだけクリアしなきゃならないハードルがあると思ってんだ」
「異端審問には引っかからないでしょうか?ハルケギニアから出たいとか言ったら誤解されると思うのですが」
「聖地の視察が出来るから大丈夫じゃない?聖地に行けと言うのはブリミル様の教えな訳だし。出たいって言っても帰ってくることが前提だから」
「でも、その聖地にはエルフが居るんだろう?危ないんじゃないのかい?」
「いきなり突っ込んでいったりはしないで、ちゃんとエルフとも交渉をしながら行くつもりだよ。それにもし攻撃をされてもそれに耐えてすぐに逃げ出せる位のフネは開発するつもりだ」
「うーん、それなら大丈夫かねえ・・・」
「問題はないとすると・・・面白そうかな?いいですよ、私も行ってみましょうか、ロバ・アル・カリイエの先というところへ」

 タニアが同意をする。彼女は軽い身の上なので気軽に決める事が出来るのだ。
それに対してサウスゴータ太守の娘であるマチルダはそんな簡単に返事をするわけにはいかなかった。

「タニアもオーケーしたんだし、この商会の目的が世界周航っていうのはいいよ、あたしも協力するさ。でもあたしが行くかどうかはまだ決められないよ」
「それでいいよ、マチ姉。別に今決める事じゃないし、この先どうなるかなんて分からないしね。ただ、目的ははっきりと決めておきたかったんだ」
「ああ、目標があった方が楽しいだろうさ。ただ商売するんじゃなくて、その方が張り合いが出るってもんだろう」
「おお、ありがとう。当分はただ商売するだけになるだろうけどね。この商会はハルケギニアでのオレの居場所にしたいから、しっかりとした組織に育てたい」

 ただ行くだけならばもっと早い時期にでも行けるであろうが、行ったからには交易をしたいし、何があるか分からないのである程度の武装も必要だろう。
ハルケギニアの外に行くのだ、どんな幻獣や亜人がいるかは分からない。サハラには十倍の戦力で当たらなければ勝てないと言われているエルフがいるし、最低限身を守る術を備える必要がある。
ウォルフは自身がまだ幼児なので、焦らずじっくりと準備をする事にしていた。

 そんな事を話していると料理が運ばれてきた。今日は立ち上げパーティーなのでこの店にしては豪華な料理を頼んである。

「それでは、世界周航社(仮)の発足を祝いまして・・・乾杯!」「「「乾杯!!」」」

ウォルフが音頭をとって乾杯をする。タニア以外は水のグラスであったが皆楽しそうにグラスをぶつけ合った。
料理を食べながら様々な事を話し合う。世界周航には何が必要か、どんな品物を扱うべきか、社屋はどうすのか、話題は尽きる事がなかった。
タニアが意外とゲルマニア事情に詳しく、ゲルマニアとガリア・アルビオン間での貿易でも利益が出そうなことが分かり、だんだんと商会の方針が決まってくる。
ラウラとリナはあまり意見を言わず料理を食べることに夢中になっていたが、意見を求められれば素直に思ったことを答えていた。
そしてやがて話題は現在保留中の商会の名前についてどうするかに移った。

「だから、名前から付けるのはうまくいかなかったんだからさ、全然違うのにすればいいんだよ」
「たとえばどんな?」
「あたしはサザンスター商会がいいと思う。アルビオン大陸の南の空に燦然と輝く星・・・ロマンチックじゃないか」
「やだよそんな頭の悪そうなの。大体ハルケギニアを相手に商売するつもりなんだからサザンは無いと思うんだ」
「う、アルビオンの南でもハルケギニアの中じゃ北西の方か・・・むむむ」
「めんどくさいから世界周航社でいいんじゃね?」
「世界周航って言葉の意味を一々説明するのがいや」
「うーん・・・」

なかなか意見が纏まらない中サラが発言する。

「ガンダーラ商会っていうのはどうでしょう」
「ガンダーラ?何の名前だい?聞いた事がないけど」
「ウォルフ様が時々歌ってくれる歌に出てくるんです。とてもすてきな歌で、私もその歌を聴くとガンダーラに行ってみたくなるんです」
「あー、サラ、それは・・・」

ウォルフはガリアでガンダーラと名乗ってしまっているので、ここで商会の名前をそれにしたくはなかったが、そうここで言うことも憚られた。 

「ウォルフ?どんなとこなんだい?ガンダーラってのは」
「えーっと、サハラとロバ・アル・カリイエの間にあるかも知れない古代王国。その国の事を歌ったロバ・アル・カリイエの歌があって、それを聴いてオレも東へ行ってみたくなったんだよ」

本当は前世の世界での古代王国と日本の懐メロなのだが、本当の事を言っても通じないだろうから適当に答えておいた。もしかしたらこっちの世界にも似た所があるかも知れないし。
ウォルフはなるべく他の名前にしたいのだが、興味を引かれたのかマチルダはなおも聞いてくる。

「へぇー、それは是非聞いてみたいね。ちょっと歌っておくれよ」
「えー?いまここで?」

ウォルフは嫌がったのだが、他の全員が聞きたいというので断りきれない。
しかたなく、元の歌をハルケギニア語に訳したものを歌い始めた。
切なく、どこか懐かしいメロディーにのせてウォルフが詩を紡ぎ出すと、賑やかだった店が次第に静かになり皆ウォルフの歌に聴き入っているようであった。
初めて聞く詩、初めて聞くメロディー、しかしその曲はハルケギニア人の心の琴線に触れたようだった。
そんな観客の様子に、ウォルフは風の魔法に目覚めて以来歌う事が大の得意になっていたので皆が聞き入ってくれているのが気持ちよく、つい調子に乗って二番まで歌いきった。
歌が終わりウォルフがペコリとお辞儀をすると、店内の客達は割れんばかりの拍手で応じた。皆口々に感想を言い合いウォルフを褒めていて、ラウラやリナは元よりマチルダとタニアまで拍手している。
そんな中、いきなりの拍手の雨に戸惑っているウォルフの前に一人の男が進み出た。

「素晴らしい!少年、握手をしてくれ!」
「は、はあ」

ミュージシャンなのだろうか、床に楽器ケースを置いたその青年は顔を紅潮させウォルフに握手を迫った。

「今の曲はいったい何なんだ、君が作ったのか、教えてくれ頼む!」
「えーっと、オレが作ったんじゃなくてロバ・アル・カリイエの歌って言われている曲です」
「そうか、ロバ・アル・カリイエか!初めて聞いたよ、素晴らしい!あれがロバ・アル・カリイエの歌か・・・ガンダーラ・・・」

その青年はウォルフの手を握りしめたままガンダーラへと旅立ってしまったみたいだったが、すぐに帰ってくるとウォルフになおも迫った。

「是非!もう一度歌ってくれないか?今店に入ってきたところで最初の方は聞いていなかったんだ」
「えー、でもあんまり騒ぐと店に迷惑・・・」
「あそこで店長が○出しているから大丈夫だ!ちょっと待て伴奏をするから」

そういうと楽器ケースを開きギターを取り出す。軽く音をみてウォルフの横に立った。
ウォルフはこの世界に来てヴァイオリンを見た事はあったがギターを見るのは初めてであった。

「お、ギターだ。こんなのあるんだ」
「ん?この楽器を知っているのかね、珍しい。えーっと、Emからでよかったかな?」
「あーもうっ、はい、そうだねEm、Am、D、A7ってかんじ。あとFM7も入るかな?」

ふんふんと男は肯きギターから軽く音を出している。ウォルフはまた押し切られてしまったようだ。

 結局青年の伴奏に合わせてまた二番まできっちり歌ってしまった。
青年の技術は確かで、初めて聞いた曲にきっちりと伴奏を付けサビの部分ではハモって来るほどで、ウォルフも気持ちよく歌えた。

「ありがとう少年よ。良かったら名前を教えてくれ、俺の名はジョニー、仲間からはジョニー・ビーと呼ばれている」
「オレはウォルフ、ウォルフ・ライエ。良い演奏だったよ」

客達の拍手の中二人で握手を交わした。
近い将来、流離いのミュージシャン・ジョニー・ビーによってこのガンダーラという曲がハルケギニア中で流行る事になるのだが、それはまだ少し先の話である。





「はー、しかし凄い騒ぎだったね」

 ジョニー・ビーが去った後、まだ興奮冷めやらぬ中マチルダが呟く。

「確かに良い曲ですものね、商会のテーマソングですね」
「え?それだとガンダーラで決まりって事?」
「決まりだろう、何言ってんだい」
「「決まりです」」「です」

ウォルフが軽く抗議をするが決まってしまったようだ。

 ここに未来の総合商社・ガンダーラ商会が誕生した。
今はまだ構成員六名の小さな組織ではあるが、確かにその第一歩を踏み出したのだった。



[18851] 1-27    商会設立-1
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:f1cb8877
Date: 2010/09/18 23:37
 商会は立ち上げたもののウォルフ達にはやる事が山積みになっていた。
用地の選定にギルドへの登録、取引ルートの開拓から従業員の確保、さらには専門的な技術者の育成など。
それに加えてウォルフは旋盤の開発と、先のことを考えるのが嫌になるほどであった。
とりあえず技術者の養成や寺子屋をやるには社屋が必要なので、購入してしまうつもりで用地を探す事にした。

「やっぱりそれなりの広さが欲しいから潰れた商家とかで良い物件があると良いんだけど」
「それですとこの物件などはどうでございますでしょうか?」
「うーん、ちょっと路地が細すぎるな。大通りに面して無くても良いから大型の馬車がそのまま入れるような作りが良い」
「それですと、こちらか・・・こちらなんていかがでしょうか」

不動産屋が掲示した物件情報を詳しく見る。ウォルフは元よりマチルダとタニアも真剣だ。
ちなみにサラは家でラウラとリナ、それにヨセフの子供達に計算を教えていてここにはいない。

「こっちは三千エキューで、こっちが・・九千エキュー?ちょっとこれは高すぎるんじゃない?もうちょっとでお城が買えますよ」
「でも条件には一番合ってるね。郊外のお城と街中の物件とを一緒に考えることはないんじゃない?」
「ウォルフ、あんたいくらまで出せんだい?」
「この位なら出せるけど、後の事を考えたら抑えておくにこしたことはないね」

買うかどうかはさておき一番条件に合っていると言うことでその物件を不動産屋に案内されて見に行くことになった。
物件は大通りであるバーナード通りから一歩入ったところにあって、ちょっと古びてはいたが図面通りの広さを持ちウォルフが出した条件を全て満たしていた。
通りに面して門を兼ねた三階建ての建物。中庭があり、中庭を囲むように倉庫と住居用の建物が建っている。全ての建物は統一されたイメージで建っており、見た目は古くさいがしっかりしていて熟練の土メイジが建てた物と思われた。
その立地、地形、建物全てにウォルフは満足だったのでタニアにOKのサインを出す。

「とても良い物件ですわね、ジョルダンさん。とても気に入りましたわ」
「それはよかった、ミス・エインズワース。気に入った方に購入していただくのが一番ですからな」
「ただ・・・こちらの床とか、ドアなどはかなり痛んでいるようですが、これらはそちらで修理してから引き渡していただけるのですよね?」
「いえ、そういうものも含めてこの価格でお願いしております」
「あちらの屋根や水道なども痛んでいるようですし、我々が使用出来るようにリフォームするには二千エキュー程はかかってしまいそうです。その分お値段の方は何とかならないでしょうか」
「・・・八千五百。商売を始める時は色々やりたくなってしまいたくなるものですが、最初はそんなに体裁を気にしなくても良いものですよ」
「でも、使い始めてから床が抜けたりしたら手間だし余計お金がかかってしまいますでしょう・・・七千二百」
「床は『固定化』を掛ければまだまだ大丈夫ですよ・・・八千二百。これ以上は無理です」

タニアとジョルダンとの視線が交錯する。端から見ている者には決して分からない情報がやりとりされた。
まだいける・・・
タニアはジョルダンの瞳から正確に情報を読み取った。そして、大げさに息を吐くとやれやれというように首を振りウォルフの方に向き直る。

「ウォルフ、ここも良い物件だけど他の所も見てみない?西ブルンドネル街にもニコルっていう紹介屋がいるらしいから」

ジョンソンやニコルは不動産屋と言っても専業でやっているわけではなく、ギルドから紹介を受け本業の傍ら不動産の斡旋を行っていた。
そしてこの仕事をしているのはサウスゴータではこの二人だけだった。

「・・・ミス・エインズワース、ニコルは私ほどのコネを持ってはいませんので紹介出来る物件もさほど多くはありません」
「それでも掘り出し物があるかも知れませんし、行くだけ行ってみますよ」

ニッコリと笑う。地獄の悪魔でさえも魅了出来そうな笑顔だ。

「分かりました。・・・七千八百。あくまで今決めていただけるなら、と言うことでの価格です」
「七千五百。今決めろと言うのならこの位にはしていただかないと」

二人は暫し睨み合っていたがジョルダンの方が先に目を逸らした。

「負けましたよ、ミス・エインズワース。エキュー金貨で七千五百、その価格で手を打ちましょう」
「こちらの事情をご理解いただいて嬉しいですわ」

大きく息を吐き出し、諦めたように首を振りながら右手を差し出した。
タニアはニッコリと笑いながらその手を握り返す。千五百エキューの値切りに成功したのだ。
実は七千五百エキューではジョルダンの取り分はほとんど無い。それでもこの価格に応じたのは、ここの所の不況のせいで物件の成約件数が激減しているためだ。あまりに長期間成約が無いことで信用を落とすことは防ぎたい。そんな、ジョルダンの思惑を見抜いたかのような絶妙なタニアの値切りであった。
ウォルフはその交渉の間中何も言わず黙って傍観していた。マチルダからガリアでタニアが値切りまくっていた様子を聞いて任せてみたのだが、正解だった。その気迫、呼吸、とてもウォルフに真似出来るものではなく、大阪のおばちゃんくらいしかタニアには対抗できないのではないかと思われた。
ギルドで土地建物の購入手続きとギルドへの登録を済ませ、代金七千五百エキューと加盟料を支払い名実ともにガンダーラ商会が発足した。




 その後も建物の改修・掃除、物資の搬入、従業員の雇用とこなしていき、一週間後には商会としての体裁が整った。

 新しく雇用したのはロマリア出身の平民達、ベルナルド、カルロ、フリオの二十代から三十代の三人で、商会に勤めた経験がある上に面接で一番やる気があったので採用した。
詳しく話を聞くと酷い不況の所為で勤めていたロマリアの商会が潰れたため、職に困って教会に大金を払い国外での就労を斡旋して貰ったのだが、紹介状を持ってサウスゴータの教会を訪れたらそんな話は知らんと門前払いされてしまい途方に暮れていたという。
ロマリアに帰りたくてもそんな金はないし、ここ数日は城壁の外で三家族身を寄せ合って寝ていたらしい。
教会が斡旋詐欺を行うロマリアも凄いと思うが、この話を聞いてそのまま追い返すサウスゴータの教会もたいがい腐っていると思わざるを得ない。

 直ぐに家族達を呼び商会の建物に住まわせ、子供達が三歳から十歳まで計十人いたのでこの子達も寺子屋で教えることになった。
ヨセフの子供達・トムとメイの姉妹に比べあまりまっとうには教育を受けていないので、小さい子達はラウラとリナとトムに教えさせ、そのラウラ達をサラやタニアが教える、と言うシステムで寺子屋もスタートした。
今のところ読み書き算数と言ったところだが、いずれは物理や化学の基礎なども教えていこうと思っている。
それと週に一度だがウォルフが直接授業することになった。まだ内容は決めていなかったが、彼らが将来誇りを持って仕事を出来るような授業にしたいと考えていた。

 商会長は結局タニアが務めることになり、サラは胸を撫で下ろしていた。商会長ともなれば色々と人と会う必要があり、七歳ではいくら何でも無理があった。
最初はその無理を通そうとしていたのだが、タニアがサウスゴータ家を辞し、マチルダの従者をやめて商会に専念すると言うことでウォルフはこれを歓迎し、商会長を任せることにしたのだ。
会長に就任することが決まってから打ち明けてくれたのだが、タニアは元はガリアの結構良いとこの伯爵令嬢だったのが父親が政争に巻き込まれて爵位を失ったそうだ。祖母を頼ってアルビオンに渡り職を求めたのだが中々思う様には行かず、希望の職種では無かったがしかたなくマチルダの護衛官になったらしい。
本当はもっと自分の事務処理能力を生かした仕事に就きたいと考えていて、ゲルマニアに渡ることなども含め休日ごとに色々と調べていたそうだ。

 商売の方は取り敢えずは貿易業と言うことで、ガリアやゲルマニアとの貿易を始める事にした。将来的には飛行機による高速輸送を考えているが、当面は通常の両用船と水上船による輸送で地味に始めるつもりだ。
タニアがリサーチしたところによれば、ハルケギニア西側における国際間の物流は殆どトリステインの商人を経由していてそこを省くだけでも大分コストを下げられそうなのだ。
ガリアとアルビオンの物価に差が結構あるとは思っていたが、分かってみれば結構簡単な理由だ。トリステインの商人と取引のあるところはなかなかそこを外すことは難しいみたいだが、ウォルフ達には彼らに気兼ねする必要はない。
今回仕入れた香辛料等は小分けして彼方此方の商人に卸しているが相当な利益を上げている。輸送費が掛からなかったので当たり前と言えば当たり前なのだが、それを抜きにしても価格差は大きく、直接貿易した方が有利なのは明らかだった。
これならばフネをチャーターしても十分に利益は上がると見込み、新たな商品の仕入れを行うため配船業者と交渉しようとして思わぬ障害にぶつかった。

「フネを貸せない?」
「申し訳ないのですが、ウチの方で用意出来るのはトリステインまでの貨物船ということになりまして、ガリアやゲルマニア行きにつきましては貴族様専用とすることにいたしました」

 タニアが今来ているのはロサイスの配船業者で、ガンダーラ商会の様な小さな商会は賃貸料と保険料を支払いフネを借りて貿易するのが一般的で、今日はその契約に来たのだ。
一週間前に来た時は問題なく貸すようなことを言っていたのに今日になっていきなり手の平を返してきた。

「どういう事なのでしょうか、今日は契約のためにわざわざサウスゴータからやってきたのですが」
「本当に申し訳ない、組合の方で急に決まってしまったことでしてな、こちらは足代と言うことでお納め下さい」

そう言って頭を下げ、いくらかの金が入っているだろう袋を差し出す。本当にフネを貸す気は無いみたいだ。
多少なりとも足代などを出してくるのはこちらがマチルダとつながっているのを知っているからで、そうでなければ門前払いされていただろう。

「組合で、と言うことは他所に言っても同じ、と言うことですか・・・」

相手は揉み手をしながら愛想笑いをしている。
おそらくはトリステイン商人の横槍であろうが、こちらは新参者でしかないのでそれを収めさせる材料を持ってはいなかった。
ここの所の不況で潰れずに残った業者は皆結束しているのでどこかを狙って崩すというのも難しそうに思え、出直すしかないと判断した。
叩き返してやりたかったが、金の入った袋を手に取り立ち上がる。辛酸をなめたメイジは辛いのだ。

「それでは、今日の所は引き上げます。こんな事をしてもアルビオン人の利益にはなりません、貴方達が考え直してくれることを期待します」

アルビオン、に力を入れて捨て台詞を残した。
貴族と、それもサウスゴータの跡継ぎ娘とつながっているだろう相手にトリステインのために働いているように言われることはかなり嫌なことなのだろう、相手の顔がゆがむ。
それを見て少しだけ気を良くしてタニアはサウスゴータへと戻った。ウォルフやマチルダと相談しなくてはならない。




「うーん、困ったね、フネがないんじゃしょうがないじゃないか。何とかならないのかい?ウォルフ」
「この不況でフネなんてずっと桟橋に繋いであるじゃねーか。貸せばいいのに、馬鹿じゃねーの?」
「まあ、トリステインの商人には凄く嫌なことだったんでしょうね。でもどうしましょう、トリステイン経由だと貿易なんてしても全然うまみがありませんよ」
「あそこは組合がしっかりしているからなあ、みんな仲良くみんな幸せ。でも、不況になっても潰れるところが少ないって事はそれだけ暴利をむさぼっているって事だな」

 三人で顔をつきあわせてため息を吐く。
トリステイン商人が嫌がるだろうとは思ったが、アルビオンの商人がその意を汲んでおおっぴらに動くとまでは予想していなかった。

「本拠地をヤカに移して向こうで手配するって言う手はどうだい?」
「うーん、あの辺の地域は海運と陸運が中心ですから、都合良く両用船の配船業者がいるかどうか・・・」
「確かにロサイスやラ・ロシェール程はいなさそうだね」
「まあ、貸してくれないなら買うって手があるだろ。タニア、フネっていくら位?」
「え?買うって言っても中古でも三万から五万エキューはしますよ?それに加えて船員と護衛も雇わないといけないし風石は高価です。係留しておく港の代金やメンテナンス費用だってかかりますし、我々の様な零細が借金して購入しても支払いが大変なので、利子のことを考えるとちょっと・・・」

社屋を購入する時に予算を運転資金を含めて二万エキューと言われていた。既に一万エキュー近く使っているのでフネの購入など夢のまた夢だ。

「うーん、でもしょうがないだろ?ちまちまトリステイン経由で貿易したって配船業者とトリステイン商人が儲けるだけだろう。最初からそんなに大きい規模で商売するつもりはなかったけど仕方ない。向こうが売ってきた喧嘩だ、買ってやろうじゃないか」
「お金無いんだから喧嘩にもならないでしょう。借金したって貸し手が儲かるだけだし・・・何か夢が無くなってきますね」
「別に借金なんかしねーよ。金を用意すれば良いんだろう」
「え?あんた当てがあるのかい?」
「現金はないけど、ヤカのギルドの手形がある。後で渡すから、タニア換金してきてくれる?」

今回のガリア旅行で宝石を売って得た分も手を付けることになった。まあ、手形のまま眠らせている位だし特に使う予定もない金なので問題ないだろう。

「そんなのがあるのかい、いくら分?」
「十二万エキュー分あるんだけど、ついでだから全部換金してきてよ」
「・・・・・・一体何をやってそんなに儲けたのか知りたいんだけど」
「えーっと、安全保障上の問題で秘密だな。心配しなくても、もうこれ以上は出てこないぜ」

実際問題としてマチルダあたりに原子について教えたら放射性物質も作れてしまいそうなので教えたくなかった。
魔法を覚え初めの頃ダイヤモンドを作るところは見られているが、なるべく思いだして欲しくはない。
普通はメイジの作る宝石は直ぐにばれて高くは売れないらしいので、マチルダにもそう思ったままでいて欲しかった。
マチルダが核爆弾を作るとは思わないが、十年、二十年後にこの『練金』の知識がどう使われるなんて分かったものじゃないのだ。
だから詳しい事情は聞かないで欲しいのだが、マチルダは納得しない。

「これから一緒に商売やるってのに、最初からそんな秘密を持ってるやつと一緒にやってられるかい!」
「ごめん・・・でも百万、二百万人の人の命が関わってくることなんだ」
「・・・急に話が大きくなるね。ますますどんなことだか想像も付かないよ」
「あまり気にしないでくれると嬉しいよ。とにかく金はあって、フネは買える。それでいいだろ」
「いや、無理。信用出来ない」

マチルダは面白く無さそうに口を尖らせ、ツーンと横を向いてしまう。
全くとりつく島がない。もう一方のタニアは十二万エキューの方が気になるようで、「それだけあったらあれよね、会長室の内装ももっと良いのにしてもいいわよね、あ、ガリアで遠話の魔法具も買いたいわね・・・」等とブツブツと呟いている。こっちはまあ大丈夫だろう。
ウォルフは仕方なく覚悟を決める。ここでマチルダに抜けられるのは痛すぎる。最後の一線だけは守ろうと決意してマチルダの目を見つめた。

「どうだい、言う気になったのかい?」

マチルダもウォルフの目を真っ直ぐに見つめてくる。その凛とした様子にウォルフは、やっぱりマチ姉って凄い美人だなあと関係ないことを思いつつ口を開いた。

「絶対に秘密にしてくれる?」
「あたりまえだろ!あんたあたしをなんだと思ってるのさ!」
「何をしたのかは教えるけど、どうやったのかは教えることが出来ない。それでもいい?」
「・・・いいよ、話してみな」

ウォルフは杖を取り出し、机の上のペーパーウェイトをダイヤモンドに『練金』し、マチルダに手渡した。

「これを、売った」
「ちょっと、あんたこれダイヤモンドじゃないか!こんなもん作れ・・・あれ?前にも作っていたかい?」
「うん、まあ」

マチルダが慌てて『ディテクトマジック』を唱え、ダイヤを精査する。

「不純物が、無い・・・」
「それを加工してヤカで売ったって訳。納得した?」
「・・・命がかかってるってのは?」
「ちょっと特殊な『練金』だから。間違うと在るだけで毒をまき散らして何万人も死ぬような物質が出来ちゃう可能性があるんだ。オレももう使わないつもり」
「教えられないって言うのはそういうことかい。じゃあ本当に危ないことや、悪いことをした訳じゃないんだね?」
「ああ、それはない。全然。オレとしても予想外に高く売れて吃驚したんだ」
「・・・じゃあ、その『練金』のやりかたは聞かないでおいてやるよ」

フンと鼻を鳴らしてマチルダが答える。
タニアもダイアモンドを食い入るように見つめていたのだが、ウォルフが何も言うつもりはないことを感じとったので何も聞かなかった。

「じゃあ、私明日にでもヤカに向かいます。この後手形を取りに行ってもいい?」
「うん、ついでだからベルナルドとフリオを連れていってまた色々仕入れてきなよ。向こうでフネ買って船員募集しても良いし」
「そうね、ロサイスで軽く当たってみて相場を見て決めましょう」
「それがいいね、ラ・クルスの伯父さんに紹介状を書くよ。護衛や船員を雇うのに口をきいて貰おう」
「ん?当主のお爺さんの方じゃないのかい?」
「そういった細かい事務は伯父さんの方が得意みたい。じゃあ、俺は家に帰って紹介状を書くよ。タニアは後で取りに来て」

翌日、あっという間に旅支度を調えたタニアはベルナルドとフリオを連れてヤカに旅立っていった。



[18851] 1-28    商会設立-2
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2010/09/11 10:08
 商会の立ち上げに平行して旋盤の開発も再開した。
旅行前にどこまでやっていたのか思い出しながら工房を点検する。旋盤関係は納屋の地下室で開発していた。

「いったん中断すると色々と面倒だなあ・・・」

誰もいない地下室で独りごちる。一ヶ月も間が空くと頭の中に入っていたデータなどが全部怪しくなっているので、記録を見ながら構想を練り直す。
旋盤に必要な物は、まずは加工物を保持するチャック。
そしてそれを回転させるモータと適正な回転数・トルクを提供する減速機。
回転させた材料を削るためのバイト(刃)と高剛性な刃物台。
そのバイトを正しい位置に合わせるための完全に平行と直角が出ていてスムースに動く送り装置。
それに加えて螺子を作るために必要な自動送り装置と全てを支える高剛性な本体。
さらには製作する品や加工に合わせた様々なアタッチメント。
ざっとこれだけは必要で、しかもどれもハルケギニアでは有り得ない精度を要求する物だった。
旅行前に大まかなところは設計してあったので一つ一つの部品を設計する。魔法で何が出来て何が出来ないのかを考えながらの孤独な作業だ。
他にも必要な様々なアタッチメントや精度を出すための測定器を製作することを考えると気が遠くなるが、誰もやってはくれないので一つ一つこなしていくしかなかった。

 自作の製図板の上に乗っているのは今回からガリア産の大きな紙になった。
ガリア産の紙は羊皮紙に比べて安いのが利点であるが、数年経つとボロボロになってしまうと言う欠点があるために公用書などには使用されていない。
『固定化』の魔法を掛ければ大丈夫なのだがそうすると割高になってしまって、結局普及は進んでいなかった。
ウォルフが見てみると原因は紙が酸性になっているためで、製紙する時の薬品のせいで時が経つと腐食してしまうのだ。
そこで買ってきた紙を纏めてアルカリ溶液につけて中和した上で乾燥させてみたら、十分長持ちしそうな紙になったため使用している。

「うおー!!やったるぞー!絶対に作ってやる!」

 ウォルフはその大きな紙に合わせた製図板の前に立ち、気合いを入れると精一杯背伸びをしながら一人作業を進めた。



「あれ、君はサウスゴータ夫人の一行にいたかな?」
「はい、覚えていただいて光栄ですわ。今はそこを辞しましてウォルフに雇われてそこの商会長をしています、タニア・エインズワースと申します」

 一方のタニアはヤカの城でウォルフの伯父レアンドロと対面していた。
門番にウォルフの紹介だと伝え手紙を見せるとスムースに会うことが出来た。

「はあ、本当にウォルフは商売を始めたのか・・・レアンドロ・フェルナンデス・デ・ラ・クルス子爵です、よろしく。どれどれ」

手渡された手紙を読む。それはウォルフがしようとしている商売の説明とその為の助力を求める物だった。
その商売とはアルビオンとガリアとゲルマニアで直接貿易を行うと言う物で、そのガリアでのハブとしてラ・クルス領を考えているとのことだ。
貿易を盛んにする事により得られる利益と、領地の発展について詳しく分析されていて、それはラ・クルスにとっても魅力的な物だった。
ガリアとゲルマニアは政治的、軍事的に対立することが多かった歴史のせいで交易が盛んではなく、直接の貿易は陸路で直接細々と、後はトリステインやクルデンホルフ大公国などを経由することでなんとか続いているという有様だった。
ハルケギニアで商人といえば都市間の交易を主にする遠隔地商人と都市内での商売しかしない小売り商人の二種類に分類されるが、ガリアやゲルマニアで遠隔地商人と言えばそれぞれの国内の都市間での、精々トリステインまでの交易を行う商人を指すのであって、国境を越えて貿易を行うような者はあまりいないのだ。
大国間の緩衝地帯になっていると言う事が、歴史以外に何も取り柄がないと言われるトリステインのような小国が生き残っている理由とも言える。しかしそこを抜いて貿易をするのなら確かに利益は上がるだろう。
トリステイン商人達は怒るだろうが、アルビオン人がやるのであればこちらには関係のないことだ。
更に詳しく読んでいく。ゲルマニアの分はデータが少し古いのもあるが各国の物価、輸送コスト、人件費などの検証、ガリアに輸入したいゲルマニアの商品、逆にガリアから輸出したい商品など詳しく考察されていた。
レアンドロが見る限りかなり優秀なレポートであるが、何よりも優れているのはラ・クルスにとってどのような利益があるのかを第一に考えて書かれている点だ。
これを読んだ人間が取る行動は一つしかなかった。

「ふう、これを読んだら協力をしないわけにはいかないな。どうせ僕が大したことをする訳じゃないし」
「ありがとうございます。ウォルフも喜びます」
「ええと、やることは・・・フネの購入と船員の雇用か、こっちでフネを買うつもりなの?」
「はい、残念ですがトリステイン商人の妨害に遭っていまして、アルビオンでは適正な価格では購入出来無さそうでした」

タニアが悔しそうに言う。ロサイスでは最初は愛想良くても名乗ったとたん冷たくされ、トリステイン商人の圧力はかなりしっかり掛けられているようだった。
今回ここまで商売を大きくするつもりになったのは十二万エキューという巨額投資もあるが、アルビオンを中心に行う経営に不安が出たというのもある。
将来築いていこうとしていた貿易ネットワークを既成事実として先に作ってしまい、トリステイン商人に対抗していこうというのだ。

「そんな商売をやるならこれからも色々と妨害はしてくるだろうね。彼らの既得権益を奪う事になるのだから」
「はい、ある程度はしょうがない物として諦めています。しかしアルビオンが発展する為には新しい貿易ルートの開拓は必須というのが我々の考えです」
「まあ頑張って。ロサイスというと、モード大公か。ちゃんと話を通しておくと良いよ。トリステイン商人だけならまだしもアルビオンの貴族を敵に回したら目もあてられない」
「はい。サウスゴータを通して話を持ちかけています。一応こちらの事業計画を提出していて、まだ返事待ちではありますが、代官の方からは良い感触を得てはいます」
「うん、それでいい。ここには大きな港が無いから、明後日の午後ウチの領のプローナって言う港町から商人を呼んで紹介するからまた来てくれ。ヤカの商人ギルドにもその時に紹介しよう」
「はい、ありがとうございます、明後日また伺わせていただきます」

さすがは伯爵家、たとえ遠く離れた町からでも商人などは呼びつける物らしい。
改めて礼を言い城を出る。ちょっと頼りなさそうではあるが、人の良さそうな相手でここの所トリステイン商人の所為でいらついていた心が少し落ち着いた。



 ヤカに来てもタニアは忙しく働いた。市場の調査から街道、水運の調査などヤカからプローナまでベルナルドとフリオも使い、調べまくった。
その結果タニアもウォルフの考えに賛成しガリアでのガンダーラ商会の商館をヤカに持つことにした。
海から遠いという欠点はあるが、国境が近いくせに流通が殆どガリア国内に限定されていて競合商人がいないことも新規参入するにはメリットだ。
国境が近いせいで川に船の通行を妨げるような橋が架けられていないためプローナまでとはいえ大きな船がこんな内陸まで入ってこられるし、プローナからヤカまでの水運は多くの業者が競合し低価格で請け負っているので安心だ。
何よりヤカから先は街道が整備されて陸運が発達しており、ガリアの旺盛な需要を持つ消費市場を背景にヤカの通りには商館が軒を連ねていて、商品を捌くのに不安がなかった。

 レアンドロと約束した時刻が迫り城へ向かう。
通された部屋にはレアンドロが少し困った顔をして待っていて、その横には何故か不機嫌そうなラ・クルス家当主、フアン・フランシスコ・デ・ラ・クルスが座っていた。

「や、やあタニア、時間通りだね。紹介するよ、僕の父のフアン・フランシスコ・デ・ラ・クルスだよ」
「よろしくお願いします、タニア・エインズワースと申します。アルビオンでウォルフに雇われました」

挨拶をするがフアンは何も言わずこちらを睨みつけてくる。
タニアは元ガリア貴族なので、ガリアで怒らせてはいけない貴族リストの上位に常にランクインするフアンのことを良く知っていたが、直接睨みつけられると生きた心地がしない。

「貴様がウォルフに商売などを唆したのか?」

しかも沈黙の末に掛けられた言葉がこれだった。何か誤解をしているらしい。

「いえ、とんでもないです。私はサウスゴータで太守の娘さんの護衛官をしていたのですが、その縁で知り合い、ウォルフから誘われました。しがない没落貴族を続けるよりも楽しいかと思い参加しました」
「没落貴族・・・アルビオンか?」
「いえ、ガリアです。三年ほど前に父が爵位を失いまして、祖母の居るアルビオンに流れてました」
「三年前。そうかあの事件の・・・」
「はい、護衛官の仕事を長く続けるつもりも元々ありませんでしたし、ウォルフに誘われて良かったと今はやりがいを感じております」

フアンを見つめニッコリと笑う。何としても誤解は解かなくては。
しかしフアンはいささかも表情を変えずこちらを睨みつけてくるだけだ。

「フン・・・フネを買うとか言っていたな。ウォルフはもうそんな金を用意出来るのか、それとも借金か?」
「ここのギルド発行の手形を十二万エキュー分渡されています。どうやってそれを手に入れたのかは安全保障上の問題とかで教えられていません」
「うわー、そんなに用意してきたんだ、凄いなあ」

お金のことなので話すかどうかは一瞬悩んだが、睨みつけてくるフアンを前にあっさりと打ち明けてしまった。一応『練金』の事は秘密にしてある。渾身の笑顔も効かなかったしこれ以上怒らせたら本気でピンチだ。

「十二万エキュー・・・こっちに来ていてもただ遊んでいた訳じゃないと言うことか」
「父上の訓練は遊びって感覚とはかけ離れていると思うのですが・・・」
「運転資金等も含まれていますし、全てフネの購入に充てるわけではありません。当面の目標はフネの購入と人員の確保それにガリアでの拠点をここヤカに作ることです」
「うーん、かなり本格的だなあ」

またフアンが黙る。レアンドロが空気だが、彼なりに場を和ませようと必死だった。
暫く何か考えていたフアンだったが顔を上げると後ろに控えていた執事になにやらサインを出す。
恭しくお辞儀をして出て行った執事がワゴンを押して戻ってきた時、その上に乗っていたのは大量のエキュー金貨だった。

「ちまちま商売していてもしょうがないだろう、これを投資してやるからガツンと儲けてみろ」
「えっ?と、投資ですか・・・」

いきなり大金を積まれて面食らってしまう。しかし確かにこれだけの金があれば購入するフネを増やし一気に商売を広げることが出来る。
ヤカのような大きな街で商館を構えているような所は大抵が遠隔地商人であり、小売りをしてはいても卸しも兼ねている。そのような所と取引する場合その取引の規模が価格に直結する。リスクは増えるが商売の規模を広げれば利益を得られやすくもなるのだ。
ゲルマニアの拠点整備も一気に出来るので在庫した時や天候などのリスクを大分減らせるだろう。
新しい商売をするに当たって妨害も受けるだろうが、大量の物資を積み上げればこちらになびく商人も出てきやすいはずだ。

「ウォルフに伝えよ。十年でにこの十万エキューを倍にして返してみよ、とな。それが出来るのならウォルフのすることを認めるてやるが、出来なかったらガリアに来て今ウチで余っている子爵位を継げと」
「おお、あそこの領地をウォルフに継がせるつもりですか。少し難しい土地ですが、彼ならば栄えさせてくれそうですなあ」

暢気にレアンドロが相槌をうつが、そんな息子をフアンがぽかりと殴る。

「何暢気なことを言っておるんだ!お前が将来継ぐはずの領地が減るんだぞ。お前はそんな風に執着心がないからダメなんだ」
「あ、いやしかし彼がラ・クルスに来てくれるならそれは良いことでしょうし・・・」
「お前にも命じる。今後領地の経営をまかせるからあの子爵領からの分以上に収入を増やせ。期限はやはり十年だ。ワシは軍の方に専念する」
「ち、父上・・・」

初めて領地の経営をまかせると言われレアンドロは嬉しさで泣きそうになる。
そんな親子のやりとりを無視してタニアは冷静に計算をしていた。十年で倍と言うことは半年複利として年七パーセント位。何の担保も取らず出してくれるにしては破格だ。
しかも金を出すだけ出して口は出さないみたいだ。あえて言えばウォルフが担保だが、男爵家の次男坊を子爵にしてくれるって言うんだからリスクなんて何もない。
そこまで判断してタニアの腹も決まった。

「分かりました、ウォルフには必ず伝えます」
「ふん・・・そう言えば、何でウォルフは来ていないんだ?」

割と何でも自分でやりたがるフアンはこんな大きな取引に本人が出てこないのを不思議がった。

「何か家で旋盤とか言う機械を作っていますね。この先加工貿易をするためには必須だとか言ってました。商会の方にはあまり顔を出さずに大事なこと以外は私に一任しています」
「商売をやりたいとか言ってた割にはそれ程やる気があるわけでもないのか」
「ええと、やる気がない訳じゃなくて、本人は商売するのはもっと先だと思っていたらしくて先にやるべき事が多いと言っています」
「相変わらず何を考えているのか分からんやつだ。フネを買ったら一度こちらに顔を出すように伝えてくれ、オルレアン公の事で聞きたい事がある」

将来を聞かれて商売と答えたくせに、実際に始めてみれば人任せで自分はおもちゃを作っているという。
ウォルフが商売を始めたと聞いてカッとなったが、取り敢えず本人が貴族をやめたわけではないので様子を見ることにした。
フアンの用事が済んだと見たのでレアンドロが執事に合図を送り商人達を呼ぶ。随分と待った事だろう。
商人達が入ってきたのを見てフアンが腰を上げる。本当にもう用はないらしい。

「おいお前達、この娘がヤカで新しい商売を始めるらしい。便宜を図ってやってくれ。詳しくはレアンドロが説明する」
「「ははっ!」」

そう言い残してフアンは出て行ったが、領主直々の依頼である。商人達は皆平伏しそうな勢いで頭を下げた。

長時間待たされて、通されてみればなにやら若い娘とワゴンの上には大量の金貨。マントは着けていないが目の前の娘は御落胤か何かと勘ぐりたくなる状況だ。
呼ばれたのはヤカの商人ギルドの幹部数名とプローナの商人達で、皆一様にどんな話が出てくるのか不安そうにしている。
そこへレアンドロが一から今回呼び出した意図とガリア-アルビオン-ゲルマニアの三角形で貿易を行うその意義と利点とを説明していく。
ウォルフの手紙の内容に沿った物ではあったが、レアンドロがきちんと理解している事にタニアは感心した。
直ぐに商人達も話に引き込まれ、タニアも混ざっての説明が終わった頃には皆新たな利益の匂いに目をランランと輝かせていた。
何しろ基本的にはトリステインの商人の利益を抜いて流通コストを下げるだけの話だ。分かり易い事この上ないし、プローナの商人などは取引のあるトリステイン商人達の傲慢さにほとほと嫌気がさしてもいたのだ。

「なかなか夢のあるお話しですな、我々が直接貿易しにくいゲルマニアとの取引をアルビオンの方がやってくれるのならこちらとしても願ったりですな・・・ふむ」

そう言ってギルドの長は思案する。目はワゴンの上の金貨を見つめたままだ。

「こちらの金貨は伯爵様がこちらに投資したと思って良いのですかな?」
「いえ、これは利子を付けて返却する約束ですので、貸付金となります」
「ふむ、貸付金では利子の支払いが負担になりますな・・・」

そう言ってまた思案をし、今度は幹部達とぼそぼそとなにやら相談している。
タニアとしてはロサイスで痛い目を見ているので、この地の商人とは絶対にうまくやっていきたいと思っている。質問にはなるべく丁寧に答えようと彼らの反応を待った。

「ゲルマニアではどこを拠点にするつもりなのですかな?沿岸の町ではぽつぽつとアルビオンと直接貿易をしておるようですが」
「あの辺の沿岸部は人口も少ないし中央から遠すぎます。湿地も多く交通が不便ですので、多少内陸にはなりますがツェルプストー領のボルクリンゲンを第一の候補に考えています」
「ボルクリンゲン?そこも小さい町ではありませんか?ツェルプストーならもっと大きな町もあるでしょう」
「確かに今は小さな町ですが、主要街道が二本も通っていますし水運も発達していて海から遡る事が出来ます。周囲には大きな町がいくつかあるので潜在的な需要は高く、何より最近ここの郊外に最新技術による大型の製鉄所が作られたとの事です」
「なるほど、鉄ですか・・・」

"ゲルマニアの鉄"彼の国の商品で一番人気のものだ。
ゲルマニアでは他のハルケギニア諸国に先んじて鉄鋼の量産に成功しており、大量の鉄が生産されていて価格が恐ろしく安い。
その重さ故輸送費がかかるのがネックだが、その最新の製鉄所から直接船でプローナまで運んでこられるのなら驚きの価格が実現出来そうだ。

「よろしい。十分に先を見据えた商売が出来そうだ。我々も十万エキューほど投資をしましょう、それで財務も安定するでしょう」
「ええっ!」

さすがにタニアも驚く。最初は五千エキューだったのに雪だるま式に話が大きくなっていく。
フアンの十万エキューはウォルフ個人の借金になる予定なので商会の財務には関係ないのだが、今のタニアにはそこまで頭が回らなかった。

「何、驚かなくても結構です。ここのところヤカは景気が良くなってましてな、何か新しい産業でも興そうかと有望な投資先を探していた所なんですよ。こういう話は誰かに真似されてしまう前に大規模に展開してシェアを確定するのが有利です、資本は多い方が良いでしょう。それとまだ発足したばかりとの事ですので人員についても斡旋しましょう」
「そうですとも、我々プローナ商人としてもフネに関しては出来る限り協力します」
「おお、これは前途が明るいですなあ」

そう言えばウォルフが余裕があったら株式という物を売ってこいと言っていた事を思い出す。あれはこういう場面で出す物ではなかったか?
盛り上がるレアンドロと商人達を尻目にのろのろと鞄から株式関連の書類を取り出す。何部かに纏めてあるそれをギルド長達に差し出した。

「我々では投資を頂いた方にこの様な株式という物を発行しようと思っています。所有する株数に応じて議決権を有するという仕組みですね」

商人達は渡された資料をパラパラと読んでいく。

「むう、株主の主な仕事は経営陣を決定する事と経営内容のチェックか。なるほど、このように制度化してしまえばより資金を集めやすそうだな。これなら貴族様も投資をしやすくなる」
「この配当というのを決めるのは経営陣がする事なのか?」
「はい、内部留保をどの位にするかと言う事は経営判断になりますので、それで余剰と判断された中から行う事になります」
「なるほど、溜め込んで新規事業に進出しても良いわけだな?」
「そうですが、今まで株主に説明していない事業に進出する際には株主の合意を得る必要があります」
「何?全ての財産と売り上げを公表するですと?そんなことしたら・・・」

レアンドロの方に目線を走らせ"脱税出来ないじゃないか"という言葉を飲み込む。まさか領主の一族の前でそんな事を口にするわけにはいかない。
タニアが一々商人達の疑問に答えているとレアンドロが関係ない事を聞いてきた。

「ちょっと、この紙は何なのですか?触った事のない手触りなのですが」
「え?その紙ですか?」

価格が安いとはいえ紙はラ・クルス領の重要な産業の一つである。レアンドロに言われて商人達も確かにこれは、などと感触を確かめている。

「それは長期間保存してもボロボロにならない紙、らしいです。ウォルフがガリアの紙を加工して作ってました」
「「なんだってー!?」」

紙の保存性の向上は製紙業にとって最重要のテーマだ。今のところ固定化に勝る物無しと言う事になってしまっているが、もしもっと低コストで出来る方法があれば飛躍的に紙の売り上げは伸びるだろう。
慌てて杖を取り出し『ディテクトマジック』をかける。確かに何も魔法はかかっていない。

「ちょっとこの紙貰えるだろうか、研究に回したい」
「ええ、どうぞ。でも作り方を教えるのは無理だと思いますよ?ウォルフが商品にしようとか言っていましたし」
「ああ、ありがとう。・・・でもウォルフから委託を受けて我々が製造するってのは出来るかな?どうせ彼忙しいんでしょ?」
「ええ、確かに。でもそう言う事はウォルフと直接交渉して下さい」
「ちょっとすみません、先程から話に出ております、ウォルフというのは何者ですかな?」
「ああ、まだ話してなかったか。彼らの商会のオーナーで僕の甥っ子です」
「あなた様の甥っ子と言う事は、もしやエルビラ様の・・・・」
「息子です」

商人達が急に笑顔になり顔を見合わせる。
彼らは皆覚えていた。正義を愛し罪を憎んだ少女の事を。貴族平民の隔てなく罪を犯した者を断罪する炎の事を。
たった一人で当時ヤカの街を裏から支配しようとしていたマフィアに挑み、その尽くを燃やし尽くしてしまった少女はここヤカではブリミルよりも平民に人気があった。

「そうですか、あのエルビラ様のご子息様がオーナーですか。それはもう、成功が約束されているようなものですなあ」
「どうですか、エルビラ様はお元気にお過ごしでおられますでしょうか」
「え、ええ、先日お会いした時はとても上機嫌でいらしたけど」
「おお!それは重畳!ああ、また来ていただけたら嬉しいですなあ。いつでも我々は待っていますとお伝え下さい」
「え、ええ」

商人達の勢いにタニアは押される。エルビラの事は知っていたが、ここまで平民に人気があるとは思わなかった。
これならばヤカでの営業は何も問題が無さそうである。いっそこちらを本部にしたい位だ。

「それでは、株式に納得していただけたら投資していただくという事で、ご検討下さい」
「それならば、もう結論は出ておるよ。確かにこれは多くの投資家から資金を集めるのに有効なシステムだ、我々も出資させていただく」
「ありがとうございます。必ずやヤカに利益をもたらすようにすると約束いたします」

ニッコリと笑顔でタニアがさしだした手をギルド長ががっしりと握り返す。これでまた資本が増えたわけだ。

「それではギルドの建物に移動しましょうか、色々と手続きがあります。貿易商として登録して口座を開いて貰わなくてはなりませんし、この金貨も預けていただいた方が良いでしょう」

そう言って商人達は腰を上げる。どの顔もギラギラとした笑顔になっていた。

「それでは、子爵様これで失礼いたします。本日はとても良いお話しをご紹介いただき誠にありがとうございました」
「ああ、ウチの親戚が関わっている事だしラ・クルスにとっても利益になる話だと思うからね、よろしく頼むよ」
「「ははっ!」」

タニアと商人達は十年来の親友のように親しげに連れ立って城を後にし、ギルドに移動して必要な手続きを行なう事にした。
そう言えばろくに自己紹介もしていなかったので、ガンダーラー商会のタニア・エインズワースと名乗ると一瞬商人達の目が鋭くなった。
そしてそれはタニアがウォルフから預かった手形を出す事で更に鋭さを増した。

「エインズワース殿、失礼ですが・・・こちらは、どこで?」
「な、なにか問題でも?ウォルフから換金するように預かったのですが」
「なるほど、ウォルフ様から・・・エルビラ様の息子様がこの手形を持っていた、と・・・ガンダーラ商会ですか」
「ええ、それが何か?」

タニアは気が気じゃなかった。ウォルフは宝石の取引に偽名を使ったと言っていたが何か全部ばれている気がする。

「いえいえ、何も問題はございません。オーナーのウォルフ様はまだ六歳位なのでしょうか」
「え?どうしてそれを・・・確かにその通りですが・・・」
「ああ、気にはしないで頂きたい、我々ヤカの商人がウォルフ様と取引できることをとても喜んでいるだけですから」
「はあ・・・」

実際に商人達は嬉しそうで、次々に作業を進めていく。
ギルドへの登録、口座の開設、利用方法と注意事項の説明、さらには商館の土地建物の斡旋とやる事はいくらでもあった。
途中でプローナの商人は翌日の約束をして帰っていったが、ヤカでのガンダーラ商会の社屋が決まる頃にはもう夜になっていた。



 その夜、ヤカの城では久しぶりにレアンドロが父フアンに呼ばれ、共に酒を飲んでいた。
機嫌が良いのか、悪いのか、今一微妙な表情のフアンに対し、レアンドロは少し緊張気味だった。

「しかし、父上がウォルフに十万エキューも出したのには驚きましたよ。ウォルフが商売することには反対なさっていると思っていましたから、意外でした」
「ふん、あれはエルビラの息子だからな。やめろと言ってやめる玉ではあるまい。まあ、十万エキューで雇ったと思えば安い物よ」

ふっと笑みを溢し、満足そうにグラスを傾ける。どうやら十年で倍にして返す事など出来っこないと思っているようである。

「まあ、もし彼が十年後に二十万エキューを揃えることが出来たとしても、ウチとしては利子が儲かるだけなので損は無いですしね」
「返せたら・・・か」
「まあ普通の子供には無理だろうけど、彼なら何か出来そうな気がするなあ」
「・・・・・」

反応がない事にふと気がついてフアンを見ると、その眉間には深い縦皺が刻まれていた。レアンドロはしまったと後悔するが後の祭りである。

「あれほどの魔法の才を、商人などにして良いものか!損は無いなどと馬鹿げた事を申すな!」
「は、申し訳ありません」
「レアンドロ。もしもの場合はティティアナとウォルフとを娶せる。このラ・クルスを継げる立場になれると知ればウォルフも商売だなどと言わなくなるだろう」
「は・・・」

レアンドロはウォルフが伯爵位に執着するような事は無いのではないかと思ったが、もちろんそんな火に油を注ぐような事は口にしなかった。
それにしても、もうティティアナに結婚の話が出るとは。貴族だから仕方がないとは言え、ティティアナはまだ五歳の可愛い盛りである。ウォルフが婿になる事に不満はないが、やはり寂しい気がするのであった。



 ギルドではタニア達が辞した後も幹部が残り今後の方針について話し合っていた。
ガンダーラ商会への出資を城に行った幹部だけで決めてしまったので、現場にいなかった者達へ説明が必要だった。

「いくらエルビラ様のご子息でも無担保で十万エキューも貸すとは馬鹿げているのでは?」
「貸したわけではない。出資したのだ。この事業が成功すればヤカに大きな未来が開ける事になる」
「しかし、そんなにうまくいきますか?私も以前直接ゲルマニアと貿易しようと試みた事があるが、さんざんな目に遭いましたよ」
「あなたは沿岸部で荷を捌こうとしたから失敗したんでしょう。倉庫も無しに碌に商人が居ない町で商品が捌けるまで船を留めておくだけなんてやり方じゃ利益が出なくて当然ですよ」
「そんな一つの商会だけに十万エキューも投資するとは不公平ではありませんか?私の所だって投資して貰いたい物です」
「どうぞいつでも仰って下さい。ギルドは魅力的な事業案には投資する事を厭いません。今回の投資により貿易ルートが拓ければ全組合員の利益になる話だと思っています」

やはり独断で十万エキューもの出資を決めてきたギルド長達には当初厳しい意見がぶつけられた。さすがに十万エキューはヤカのギルドにとっても大金であるのだ。
しかし一つ一つの質問に答えていくに連れ皆この事業の意義を理解するようになっていった。

「なる程、ハブとなる港にしっかりとした拠点を持つ事によってコストを下げるつもりか」
「そう、商品を売れる所を捜して転々と港を移動しなくても良いし、捌けるまで港に船を浮かべておくだけ、なんて事にはならないから船の運用率がぐんと上がる。まずは太いパイプを三国間に通す事が大事だ」
「そのための自前の倉庫をゲルマニアやアルビオンに持つという考えは今まで無かったな。国内では倉庫を互いに貸したりしているくせにゲルマニア人に倉庫を借りるなんて考えもしなかった。しかし、税金はどうなる?拠点が二箇所になったら倍取られるのではないか?」
「相手国での納税証明が有ればその分は控除されるだろう。ギルドに加盟していれば割高な港湾施設一時利用金も払わなくて良くなるし、とんとん位には収まりそうだ」
「不安なのは商売の経験がないと言う事だが、それは人員を我々からも出すわけだし、フォローしていけば何とでもなるだろう。どうしてもあちらに経営の才能が無さそうな時は経営権の譲渡を持ちかけたり、最悪買収する事を考えればいい」
「乗っ取りか。まあそこまで考えなくてもこの株式の説明によれば、一定数の株式を保持していればこちら側の取締役を送り込めるようだから、そんなに酷い経営にはならないはずだな」

異論は出たが、長い話し合いを経てヤカ商人ギルドは全会一致でガンダーラ商会に協力していく事を決定した。




 翌日、タニアはフリオを連れギルドが仕立てた船で川を下りプローナへと向かった。
ベルナルドはヤカに残り、昨日購入した商館の改装を指揮している。ギルドが率先して協力してくれるのでどんどん話が進んでいくのだ。
その商館は船着き場と大通りどちらにも面していて、ギルド一押し物件だけあって最高の立地で、事業が始まった暁には大いに繁盛するだろうと思われた。
プローナへと向かう船の中、タニアはギルド長から五人の男達を紹介された。

「この男達はギルド所属の商人達から推薦された優秀な使用人達でしてな、皆真面目で義理堅く確実に仕事をこなし先も読める、若いが将来性のある商人の卵達です。譲るのは惜しいですが事業にお使い下さい」
「あの、紹介いただいて嬉しいのですが、みなさん了解はなさっているのでしょうか。無理矢理引き抜くのは避けたいのですが」

男達は顔を見合わせ、一人が代表してタニアに答えた。その目は力強く、軽い興奮を伴った確固たる意志を感じさせた。

「皆、喜んでガンダーラ商会で働きたいと思っています。確かに最初申しつけられた時は捨てられたのかとも感じましたが、事業の内容を伺いその将来性を理解して微力ながら力を尽くしたいと思っています」
「では、よろしくお願いします。まだ始めたばかりの商会ですが、優秀な人材は何よりも得がたい物と理解しています。皆が誇りを持って働けるような商会にする事を約束します」
「誇り、ですか」
「はい。我々の社是です。我々は様々な商品を安価に提供し、人々の暮らしを豊かにする。人と物、その二つの交流によりハルケギニアに平和と繁栄を築く。その事に誇りを持って己の仕事に従事すべし、というものです」
「随分大きな話ですな、正直そこまで大きな事を考えた事はありませんでした」
「勿論、能力に見合った給金は支払います。しかしお金だけでは人は豊かになれないというのがオーナーの考えなのです」
「・・・ますますガンダーラ商会で働くのが楽しみになってきましたよ」

実際彼らは有能なようで、プローナに着くと自分たちでさっさと仕事を割り振り働き出した。タニアについてフネの購入に立ち会うのが一人、船員と護衛の面接に二人ずつと言った具合で、面接をする四人は案内のプローナの商人についてさっさと面接会場へ行ってしまった。
プローナの港は中規模な川の港で、日頃はそれ程多くの船があるわけではないが今日は多くの船が狭い港にひしめき合っていた。
昨日先に帰ったプローナ商人が近隣の港に使いを出し、売りに出ている船を片っ端から集めさせたのだ。
中型の水上輸送船が十隻、やはり中型の空水両用輸送船が五隻買われるのを今かと待っていた。

「結構あるわねー!」
「一応、海洋性の幻獣に襲われにくい大きさを持った船だけを集めさせました」
「全部は買えないわね、リストはある?」
「はい、こちらに」

どさっと紙の束を渡される。一隻ずつ詳しい仕様や製造年などの情報、現状と価格が記されていた。
それをタニアとフリオそれに新しく雇ったスハイツの三人で手分けして全ての船をチェックする。書類に書かれているような事のチェックは二人にまかせ、タニアは風の魔法を使って全ての船の漏水の音や船体の軋みなどを調べた。船の状態は様々で今すぐ使えそうなもの、軽く修理すれば使えそうなもの、修理するのは大分大変そうなものとがあった。
全ての中から両用船を三隻、水上船を五隻選び、価格交渉に入る。両用船で一隻、水上船で二隻軽く修理が必要なものがあったので値引きのしどころだ。

「こちらの八隻を購入したいと考えています。それで価格なんですが、まさかここに書いてある通りなんて恐ろしい事は言いませんよねえ?」
「ええ、ええ、勿論ですとも!大体ここに書いてあるのはちょっと前の価格でして、今は在庫が多くなっていますからな」

書いてある価格を合計すると二十万エキューにも達するものだった。出せないわけでは無いが、仕入れの事などを考えると苦しくなってしまう。

「そうですよね、コレやコレなんかは甲板を張り替えなきゃならないみたいですし、他にも手が入って無いところがあるからその分も考えていただかないと・・・」
「全くですな、本来は直してからお目に掛けるべきですが昨日の今日で時間が無かったのです」
「あと、纏め買いをするわけですからその分も少し引いてくれると次にも纏めて買いたくなりますね」
「・・・出来る限りは値引きます」

タニアの値切りはスハイツが止めるまで続き、結局十四万エキューまで価格は下がった。

「ごめんなさい、値切りに入るとトコトンやるまで止まらなくなっちゃうの」
「まあ、あれくらいなら大丈夫でしょうが、長く付き合う相手です、無理はさせないようにしましょう」

プローナの商人が離れた時にこっそりと言葉を交わす上司と部下だった。

 フネの売買契約を結び、修理の依頼を出す。修理は河口近くにある港で行うそうである。
プローナにも倉庫と船員の住居をかねて商館を持つ事にしていたので案内された建物に行ってみるが、港から少し離れている。離れていると言っても二百メイル位ではあるが、間の空き地に建物を建ててしまった方が便利そうである。

「こちらですと広さは十分ですが、ちょっと港から離れていますね、間の空き地は売りに出ていないのですか?」
「最近この港も手狭になっていましてな、我々の方で投資をして拡張をする事になりました。ここは新港の目の前になります」

そう言って図面を広げる。港の規模は倍近くになっていたし、ここは港の目の前の一等地になっていた。

「前々から話は出ておりましたが少し前までの不況で止まっていたのです。最近は景気も良くなりましたし、ガンダーラ商会の参入を機に我々も攻めに転じましょうと言うところですな」
「それは心強いですね。それで工事はどの位かかりますか?」
「もう調査などは全て終わっておりますので、二ヶ月と言うところです。その間は面倒を掛けますがいかがでしょうか」
「二ヶ月より前にここは稼働を始めると思いますが、その程度なら問題ないですね。良いでしょう、ここに決めます」
「ありがとうございます。お互いに良い取引になりましたな」
「それで値段なんですけど・・・」
「・・・・・」

彼は再び大幅な譲歩をしなくて無らなかった。
ちょっとまた値切りすぎたかしらと反省したタニアは港から少し離れたところに船員用の宿舎を購入して、こちらは値切らなかった。

 船員の面接も何とか終わり、船員と護衛とで合わせて百五十人程を雇うことになった。
かなりの数いた住居のない船員も購入した宿舎に全員収まりそうとのことだが、修理に出している船が直って戻ってくるともう少し雇用しなくてはならず、住居が足りなくなる恐れがあった。

「まあ、船乗りなんて船が家みたいなものよねえ」
「いやいや、普通陸にも家がありますよ」
「うーん、まあ、今はこんなもんで我慢してもらうつもりよ。利益が出たらぼちぼち福利厚生にも回していくわ」
「はい、従業員達にもそのように伝えておきます。これからの予定はどうなさいますか?」
「まず船員達には組織と命令系統を作る。そして彼らを使って船と住居と倉庫を使えるようにする。それが終わったら取り敢えず訓練にガリア近海の輸送業務をいくつか受けてきてやらせる」
「はい、訓練には一月位で良いでしょうか」
「そうね。私は一度アルビオンへ帰るわ。もし直ぐに出せそうなフネがあったら船員を見繕って後を追わせて頂戴。空船じゃ馬鹿だから物資を満載してね」
「それなりに習熟度は高いみたいですから一、二隻位なら直ぐに出せます。荷が揃い次第出港させます」
「フリオを置いていくから彼を乗せればいいわ。私はロサイスの倉庫を何とか抑えるつもり。それとスハイツ、あなたをヤカとプローナの責任者に任命するわ、自分の判断で采配して頂戴」

スハイツは少し一緒に仕事をしただけでも分かる"できる"男だった。
豊富な知識に的確な判断と先を見る能力。彼ならば安心して仕事を任せられそうだ。

「私の様な今日雇ったばかりのものにそんな権限を与えてもよろしいのですか?」
「大丈夫よ、どうせ皆似た様なもんだし。もし、あなた達が裏切ったりしたらエルビラ様に追っ手になって頂くから安心して良いわ」
「それは・・・絶対に裏切ったりはしないと誓いましょう」

タニアとしては冗談で言ったのだが、それを聞いていた全員の背筋が伸びていた。





[18851] 1-29    商会設立-3
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2010/09/15 21:03
 タニア達はまたラ・ロシェールまで戻り、そこからロサイスへとフネで向かった。そのフネの中でタニアはこれまでに使った金を計算していた。
ウォルフに人件費は一年分をプールして置く様に言われているのでそれを入れると既に二十万エキューを越え、残額は十万少々くらいだった。
マチルダが仕入れた分を売った金は勘定に入れていないのでそれを入れればもう少し増えるだろうが、この金でロサイスの倉庫を購入し、ゲルマニアの拠点を整備し、アルビオン・ガリア・ゲルマニアそれぞれで仕入れをしなくてはならない。

「商会長、そろそろロサイスに着きますのでご準備下さい」

別室にいたベルナルドが呼びに来た。
窓から外を見るとロサイスの鉄塔形の桟橋がちらりと見え、慌てて広げていた荷物を片付ける。
とりあえずロサイスの倉庫の予算は五千エキューまでに決めたが、ここはいつトリステイン商人の妨害があるか分からないので賃貸ではなくしっかりとした物件を購入しなくてはならない。
場合によっては予算を超える可能性もあるので、乏しくなってきた資金にため息を吐いた。

「ちょっとフネを買いすぎたかしらね、仕入れをしたら素寒貧になりそうよ」
「確かに当面は自転車操業になりそうですなあ。株主への説明は商会長のお仕事ですのでよろしくお願いします」
「あ、あんた何自分は関係ないみたいな顔してるのよ!一緒に買い付けに行った仲間でしょう」
「いえいえ、自分はプローナには行っておりませんので」
「裏切り者ー!」

ウォルフは結構ストレートにものを言ってくるので現状を説明しに行くのがちょっと億劫になる。何しろ口約束ではあるがウォルフ名義で勝手に借金をして来て、それをほぼ使ってきてしまったのだ。普通に考えてかなりゴメンって言う感じだ。
しかし、確かにそれは自分の仕事なので覚悟を決めフネを下りた。
ロサイスで倉庫を購入するために不動産屋をあたってみたが、トリステイン商人の圧力はそこまではかかっていないらしく、予算内で倉庫を購入する事が出来た。
ベルナルドをロサイスに残して手続きやその後の手入れなどをやらせ、タニアは一路サウスゴータへと向かった。


 その頃サウスゴータの商館にはマチルダに呼び出されてウォルフが来ていた。
アルビオン内を回って輸出出来そうなものを探しに行っていたマチルダがサンプルを持ち帰ったので相談に乗って欲しいと言うのだ。

「マチ姉、そう言うことは一々俺に相談しなくて自分の判断でやって良いんだよ?」
「そりゃそうなんだけど、中々何を輸出すりゃいいのか分からないんだよ」

製図作業を中断させられてウォルフは少し不機嫌になって言うが、マチルダも困っていたのだ。
アルビオンをぐるっと回ってその地方の特産品などを見て回ったのだが、物価が高いため当初考えていたよりガリアやゲルマニアに輸出して利益が上がりそうなものは少なかった。
実際にトリステインに輸出しているのも羊毛と高原地帯で取れる苔などの秘薬の原料などしかなく、アルビオンはかなりの輸入超過に陥っていた。
そんな中で色々探して見つけてきたものをウォルフにも評価してもらいたかった。

「まずは定番、羊毛か」
「うんこっちが刈り取った毛を水で洗っただけのやつで、こっちが薬品で洗ったやつ。最近はこっちが主流らしくてトリステインに輸出するのは殆ど薬品で洗っているって言ってた。あたしもこっちの方が綺麗で良いと思うんだけど、職人は水で洗ったやつの方が良いっていうんだ」
「ああ、なるほど脱脂してあるかしていないかか。で、他のは?」

毛だけのものは三袋で、後はみんな毛糸や生地になっている。

「もう一つの袋はメリノって村の羊毛なんだけど、妙に柔らかくてふわふわしてるんだ。面白いから持って帰ってきた。変わった羊がいるって噂だったから行ってみたけど凄い田舎だったよ」
「領主は誰?流通してるの?」

ウォルフがふわふわの羊毛に触りながら尋ねる。目が輝いてきている。

「えっと、王家直轄領だった。なんか凄い田舎で不便だから何代か続けて領主が破産したらしくて、以来ずっと王家が所有しているって。仲買人も入らない様な所だよ、村のある山から下った所の小さな町に少し売りに行っているってさ。眺めが良くてのんびりした良い所だったよ」
「ふーん、いいな。オレも行ってみたいな。・・・OK、これは高級品になりそうだな」
「なんだい、あんた家に籠もっている方が好きなのかと思っていたよ」
「いや、行ったことの無いところは全部行きたい。今のところそんな暇無いけど。毛はこれで全部?」
「うん、後は毛糸と製品なんだけど、生地は国内でしか売れないって言っていた。輸出は毛糸の生成がほとんどだってさ」

アルビオン国内で生産している毛糸や生地は殆ど生成か黒か紺色だった。トリステインが羊毛や生成の毛糸を輸入して国内で様々な色に染色し、ガリアやゲルマニアにも輸出していた。
アルビオンで暮らしていると地味な服に慣れてしまって気付かないが、ガリアやトリステインを旅すると色彩豊かな服飾に目を奪われる。
貴族が着る服がパーティーでもないのにカラフルなのだ。マチルダの母がフネをチャーターするほど服を買ってしまったのも分かる気がする。

「色を染めているトリステインを飛ばすんだから、染めてからじゃないと売れないね。簡単にはいかないもんだ」
「染色自体はしている所もあるんだから、マチ姉がガリアから買って帰ってきた生地とか糸を持っていって聞いてみればいいと思うよ。どれくらいの技術がアルビオンにあるか分からないんだし、話はそれからだな」
「うん、羊毛関係の職人ギルドは今のアルビオンの商人ギルドにかなり不満があるらしくて、結構話を聞いて貰えそうだったよ」
「そう言う所と詳しく話をするべきだね」

実際の所トリステイン商人の締め付けが厳しいので押さえつけられているところもあるようだった。
アルビオンの羊毛産業にとって売り先がトリステインしかないと言うことが不利になっているのだ。

「あとこっちの水で洗っただけの羊毛は糸にしたのを買ってきて。技術が必要なはずだから多少値段が高くなるのはしょうがない」
「あ、確かに割高だったよ。あんたよく知ってるねえ」
「バージンウールって言って脂を抜いていないから水に強いんだよ。染色が出来る様になったらこれを産地でセーターにまで加工して高級品として売ろう。当然デザインはおしゃれにして」

そのセーターを実際に編むことになるであろうアルビオンの田舎町のおばちゃんに、ガリアやゲルマニアで売れそうなデザインを求めても無理だ。タニアやマチルダあたりがリサーチしなくてはならない。
あとはメリノウールは繊維が細く高級品になりそうなのでブランドに育てるということにして、まずはメリノ村で羊を増やさせる事にした。
羊毛の輸出はどれもまだ時間がかかりそうで、いきなり輸出事業の中核が抜けた感じになってしまった。
秘薬の材料の類は問題なく輸出出来そうだが何分流通量が少ないし、まだ出来たばかりの商会なので確保できる量も限られていた。
他のものはどれもパッとしないものばかりだった。
優れたものではウィンザーチェアという軽くて丈夫な木製の家具があったのだが、貴族が求める重厚さが無いので輸出しても高い値段はつけられず、利益は上がらなそうだった。
ウイスキーが出てきた時は行けるかと思ったのだが舐めてみるときつく、寝かし方が足りなかった。

「うわ、きっついなあ。これ何年寝かしてるの?」
「蒸留所の人も寝かさないと飲めたもんじゃないって言ってたけどこれで三年。一番長いやつだってさ」
「まじかよ。最低八年、標準的には十二年は寝かさないと高く売れないよ」
「じゃあ、これも保留にすると輸出するものが全然無いじゃないか」

結局今すぐ輸出出来る品というと苔数種類に高地の植物の根や皮や実など、流通量の少ないものばかりで思わず頭を抱えてしまう。このままでは毎回ほぼ空船をガリアやゲルマニアに送るはめになる。
アルビオンは空中大陸などという特異な気候の為、全ての生活必需品を国内でまかなうことが出来ず足りない分を輸入に頼っている。
造船業が結構盛んなのと王家が独占し風石を主な産物とする鉱業、それに最近では風竜の繁殖に成功し定期的にそれを輸出する事で何とか破綻しないでやっているが、貿易の不均衡さは年々広がっていて生活の苦しい庶民や貴族達の不満は増すばかりだ。
特に今回の様に不況になると、まず造船業から受注が止まり、風石の需要も急落してしまうので直ぐに経済状況が深刻化してしまう。
トリステインからの商船を狙って襲っている風賊の中にアルビオン貴族が出資しているものもいると噂になる程だ。
今回これほど輸出する物がないという事実に直面すると、そんなこの国を取り巻く現実が思い出されテンションが低くなる。

「羊毛だってそれ程の産業じゃないものなあ・・・これじゃトリステインに行くフネは空で運行しているのも多そうだな」
「ああ、聞いた所によるとそんな感じらしいよ・・・じゃあ、これで最後だよ」

げっそりとした顔でマチルダが麻の袋を取り出す。中からパラパラと黒い粉が零れた。
袋を開くと中から黒い塊を取り出す。石炭みたいだが光沢が無く、少し軽い感じだ。

「なんかコークスとか言って石炭を蒸し焼きにしたものらしいよ。炭坑は民間でも開発して良いらしくて、ゲルマニアの元商人が北の方の村に住み着いて作ってるんだ。ゲルマニアに持って行けば絶対売れるって向こうから売り込んできたんだけど」
「おおっ!こんなの作っている人いるんだ!ゲルマニア人?」
「う、うん、そうだよ。その人が言うにはゲルマニアで鉄を作るのに必要なんだけど、ゲルマニアは炭坑が少ないらしくて最近値段が上がってるんだって。それでチャンスだと思って全財産を処分してアルビオンで炭坑で採掘権を買ってこれを作り始めたらしいんだ。だけど、いざ売ろうとしたらダータルネス周辺の商人がこれのこと知らなくて、買って貰えないで困っているらしいよ」
「買うちゃる買うちゃる!いいじゃん、コークスで行こう!」

上機嫌でウォルフは言うが、マチルダはコークスというものがよく分からなかった。
ウォルフは念のために杖を取り出し『ディテクトマジック』で調べるが、まちがいなくほぼ炭素の塊だった。

「そんなにいいのかい?これが。いったん蒸し焼きにしちゃったら石炭より性能が悪いんじゃないのかい?」
「蒸し焼きにすることで高温で燃焼しにくくするタールや鉄の品質を下げる硫黄とかの不純物を取り除くことが出来るんだよ。製鉄には必須のものだ」
「じゃあ、あの人の言ってたのはホントだったんだ。今ある在庫を全部で一万エキューで良いってさ。ゲルマニアに持って行けば五万エキューにはなるって言っていたけど」
「そりゃ買わないと。よっぽど困っているんだな、可哀想に」
「じゃあ、買っても良いかな?ゲルマニアの相場が分からないんだけど」
「確かタニアの資料に書いてあったよ。まあ、一万エキュー分位ならいいんじゃない?コークスを作る技術を持っている人をゲルマニアに帰したくないし、初回は言い値でも」
「よし!そうと決まればさっさと行って買ってくるか!」

そういうとマチルダはさっさと立ち上がり、今すぐ出かけるつもりなのか大きな荷物を取り出した。

「あれ、マチ姉随分荷物大きいね。どうしたの、それ」
「ああ、言い忘れてた。今日家に帰ったら父上に言われたんだけど、大公様に呼ばれてね。帰りにロンディニウムで会ってくるから、ドレス持って行くんだ」
「ガンダーラ商会として呼ばれているの?だったらタニアも一緒に行った方が良いんじゃない?」
「あたしだけでいいってさ。仕事で一々商人なんかに会いたくないって方なんだよね。心配しなくてもあたしがちゃんと話ししてくるから」
「うん、よろしく頼む。でも、仕事で商人に会いたくないってちょっと心配だな。どんな人なの?」
「うーん、なんて言うかちょっと浮世離れしたお方なんだよ。利益、とか言ってもピンと来ない、みたいな」
「ピンと来ないって・・・あの事業計画書、結構気合い入れて書いたのに・・・アルビオンの利益になるのに・・・」

現在ロサイスの商人との関係がこじれてしまっているが、これ以上悪化させない為にロサイスを管轄するモード大公に事業の説明をするつもりだった。
ロサイスは軍港なので港湾施設の管理は軍が行っている。その監督者であるモード大公に話を通しておけば、最悪ギルドと全く交渉が取れなくなっても港湾施設は使用できる。
あわよくば仲介を頼んだり出来るかな、などと考えていたのがどうも先行きが読めない。

「そんなに心配しなくても大丈夫さ。なんて言うかフワッとした方なんだよ。こっちが凄く困ってますって言えば何とかしてあげようって思っちゃう方だから」
「ロサイスのギルドが困ってますって言えば助けてあげちゃうんじゃないの?」
「ああ、それは大丈夫。さっきも言ったけど一介の商人がそうそう会える方じゃないから」

一抹の不安を残し、マチルダは出かけていった。


 ウォルフがそのまま商館に残って従業員の家族達とこちらでの暮らしなどについて話をしていると丁度そこにタニアが帰ってきた。

「ああ、ウォルフこっちにいた。マチルダ様は?」

どうやらド・モルガン邸に寄ってから来たらしい。馬を飛ばしてきたのか汗をかき、顔は土埃に汚れている。

「さっきまた出かけちゃったよ。話があるなら待ってるから風呂に入ってくれば?」
「そんなの後で良いわよ。それより色々話があるのよ!」

そう言うとカルロの妻が渡してくれた濡れタオルで顔を拭き、そのまま首筋から脇の下まで拭う。ぷはーっ生き返るぅ、などと言っているその姿は喫茶店でのおやじサラリーマンと言った風情だ。
さっぱりとした顔でウォルフに向き直るとタニアはガリアでのことを報告する。フアンの十万エキュー、ヤカのギルドの十万エキュー、ヤカとプローナの商館のこと、買ったフネのことなど全て話し終えるのには大分時間がかかった。

「人の未来を担保にして勝手に金を借りないで欲しいんだけど・・・」
「それは悪いとは思ったけど、ラ・クルス伯爵が直々に迫ってくるのよ?私に断れるわけが無いじゃない。それに返せなくてもガリアで子爵になるだけなんだから出世じゃない」
「ガリアで叙爵なんてしたくねーよ。もし金を返せなかったら世界の果てまで逃げてやる」
「ええ?それだと私の立場がヤバいんですけど・・・」
「返せない借金なんて貸す方が悪いんだから良いんだよ、踏み倒しても。まあ、それが嫌だって言うならしっかりと稼いでオレに配当を払って下さい」
「・・・分かったわよ、稼げば良いんでしょ稼げば!」
「じゃあ、まあそれは良いとして、資本が二十万エキューも増えたからついフネを買いまくっちゃって風石買って仕入れをしたら素寒貧になっちゃう(ハート)ってどういうこと?」
「そ、それはそのまんまなんだけど、大丈夫よ!最初の荷を売ればその利益で余裕が出来るからまた仕入れが出来るわ」
「何その最初から自転車操業宣言。運転資金って知ってる?売った相手が期日が先の手形で払ってきたらどうするの?フネが事故を起こしたら?役人が賄賂を要求してきたら?金が必要になる場面なんていくらでもあると思うんだけど、どうするつもり?いきなり潰れるの?馬鹿なの?」
「う・・・ちょっと調子に乗っちゃったのよ。ここで勝負をして、一気にシェアを握っちゃえば後々楽になるかと思って。これは勝負なのよ、勝負。一世一代の。・・・・・次からは気をつけるわ」

ウォルフとしては、死ぬの?まで続けて言いたかったが我慢しておいた。まあ実際は借金はウォルフ名義だし商会自体は無借金の超健全経営なのでいきなり潰れるわけはないが、運転資金が無いために事業が滞る様なことは避けるべきだ。
しかし渡した金を借金で三倍にして全て使ってくるとはタニアはずいぶんと男前である。商売人というよりはギャンブラーなのだろうか。
一応人件費として別枠で三万五千エキューほど取ってあるというので、もしもの場合は不本意ながらそちらに手を付けざるを得ないとしても運転資金は早急に確保したい。

「じゃあタニアは責任を持ってガリアからフネが来たら荷を積んでゲルマニアに行って下さい」
「えーと、最初からそのつもりだったけど、責任って?」
「ゲルマニアに行ったらツェルプストーでもギルドでも他の貴族でも良いからゲルマニア人に十万エキュー出資させること」
「ええっ!?いきなりそれは難しいんじゃ・・・」
「ヤカのギルドの親書を預かっているんだろ?それをうまく使えば引き出せると思うよ。ガンダーラ商会がアルビオンの商会であることはともかくとしても、ガリアとは対等でいたいと思うはずだから」

ガンダーラ商会の強みは財務の透明性だ。株主には全て公開するつもりだし監査も受け入れると言っているので出資しやすいはずだ。
鉄の販売ルートを確保していることを示せば、自分たちが新たにそれを開拓するよりも出資してしまった方が有利であることは分かるだろう。
ハルケギニアには外資とかいう考えもまだないのでゲルマニア人がアルビオンの企業に出資する事に何の規制もない。

「うーん、今の儘だとアルビオンとガリアの商会を貿易に関わる三国で所有する商会にするって事ね?それなら出来るかも」
「我々にゲルマニアの資本が入っているって事は向こうの政府からの干渉に対して防波堤になる、と言うねらいもある。ウチの目的はお互いに儲けてお互いに発展しましょうって事で相手から絞れるだけ利益を絞ろうって訳じゃないんだから出資した方が得だろう」
「分かった。その線で交渉してみるわ。確かに結構いけそうな気がしてきたわ」
「逆に説明されても分からない様なのしかいなかったら場所を変えちゃって良いから。商売ってのは結局人とするものだから深い関係になる相手は選んだ方が良い」
「うーん、でもボルクリンゲンいいのよねー・・・まあその辺は私の交渉次第って事ね。よし!ゲルマニアに持って行く荷は何?ここにあるの?」

最初は自信なさげだったタニアが気合いを入れる。組織は動き出すまでが一番大変なのだ。

「コークス。今マチ姉が買いに行っている。北部のダータルネス近くの村らしいから、フネが来たらそれで取りに行った方が行った方が早いと思う」
「近くの村ってどこよ。後コークスって何?」
「えーっと、あ、あった。リンブルーだって、炭坑らしいから行けば分かるんじゃない?コークスは石炭由来の燃料で製鉄の材料だよ」
「分かった、私はロサイスでフネを待つわ。マチルダ様にそう連絡入れておいて。あ、これ頼まれていた遠話の魔法具買ってきた。三組しか買えなかったけど」
「おお、サンキュ。これこれ、商売するなら情報が一番大事だよな」

遠話の魔法具は距離無制限のトランシーバーといったもので、二つ一組の通話機通しでどれだけ離れていても通話が出来るというものだ。
一つ千エキューととても高価なのが難点だがそれだけの価値があるとウォルフ達は考え、今回ガリアで買えるだけ買ってきたのだ。
ウォルフはサウスゴータの商館内にガーゴイルを使った中継局を作り、これを携帯電話のようにして利用するつもりでいた。
外観は人形の形をしており、これと話しをしている人はかなり痛い人に見えるので直ぐに変えるつもりだが。

 タニアはもうここでの用事は終わったので書類を置くと遠話の魔法具を一つ手にしてさっさとロサイスに戻っていった。
一人残ったウォルフはいきなり大きくなってしまった商売にため息を吐く。
ちょっと商売の練習をしながら徐々に組織を大きくしていけばいいと考えていたのがいきなり大きな国際企業になってしまった。株式だって小口の出資を募るために導入したのに、十万エキューも出資されてしまった。
雇用ももっと増やさなくちゃならないだろうし、責任は大きくなるばかりだ。

「ま、なる様になるか」

もう動き出しちゃった事なので悩んでも仕方がないことだ。そう考えて自分は旋盤の制作に戻っていった。



[18851] 1-30    商会設立-4 妖精
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2010/09/18 23:39
 一方こちらはカルロを連れリンブルーに向かうマチルダ。もう馬車の馬を何度も換え夜が近くなったのでこの日はダータルネスで一泊することにした。
カルロは寡黙な男なので気を使わなくて良いのだが、もう少しうち解けてみようと夕食時に色々と話を振ってみた。

「貴方達三人さ、ずっと一緒なの?」
「はい」
「えーと、一緒の商会で働いていたって言ってたわね、ずっと?」
「はい」
「アルビオンに来ることにしたのはどうしてなの?」
「フリオが」
「フリオが来ようって言ったの?」
「はい」
「来てみてどうだった?」
「今は、良かったと」
「ロマリアってどんな所?」
「お金があれば良い所」
「帰りたい?」
「いいえ」
「子供は可愛い?」
「はい」

結局うち解けることが出来たかどうかはマチルダには分からなかった。


 翌日リンブルー近くにある炭坑を探し当て、事務所を訪ねると目の下に隈を作った男が出迎えた。

「いらっしゃいませ、お嬢さん。いったい何のご用ですかな」
「あれ?覚えてないかな、先週会ったんだけど、コークスを買いに来たんだ」
「!!」

男は飛びかからんばかりの勢いでマチルダに近づくと、さあさあと手を取って中に招き入れソファーに座らせた。

「よくいらっしゃいました。当商会のコークスは火付きもよく嫌な臭いがない上に高温で良く燃え、炉を傷めません。多少石炭に比べると高価ですがその価値はございます、少量からでもお取引いたしておりますが、いかほどご入り用でしょうか」

相当な数の人間と会っているのか本当にマチルダのことを覚えていないらしい。燃料としてのコークスの利点をつらつらと説明してくる。
たしかにダータルネスのレストランでチラッと会って少し話を聞き、サンプルを押しつけられただけではあるのだが。

「ふう・・・自己紹介からいくかね。あたしはサウスゴータの貿易商、ガンダーラ商会アルビオン担当のマチルダ。後にいるのは商館員のカルロ。今日はゲルマニアへ輸出する商品としてコークスの購入を検討しに来ました」
「!!・・・・お、お待ちしておりました・・・」

男は床に跪くと感極まった様にマチルダの手を握り頭を下げた。聞くと運転資金が底を突き、そろそろやばかったらしい。輸出が出来ず今は石炭の代替として細々と売ってはいたが、まだ夏を過ぎたばかりで暖房需要もなく給料の支払いすら滞っているとのことだ。
男の名前はジャコモといい、ゲルマニア南西部の鉱山の町で商人をやっていたのだが、昨今のコークス市場の高騰を受けてアルビオンで炭坑開発を行うために職人を引き連れて渡航してきたとの事だ。

「いやもうそんなわけでマチルダ様の姿が天使様かの様に見えました。誰もまだ炭坑に手を着けてない地方という事でここに来たのですが、大変な目に遭いました」
「まあ、これからは販売までのルートを考えてから行動するこったね」
「はい、まさかこの地方の商人が誰も見向きもしないとは考えてもおりませんで。もそっと東部の方に行けばゲルマニアと通商している商人もいるらしいので何とかなりそうだったんですが、旅費にも事欠く有様で・・・もう安くても良いかと思ってアルビオンの軍ならばと交渉してみたのですが、軍で使用する分は軍で生産しているからと断られ、ゲルマニアの商人時代の知り合いは皆南部の人間ばかりなのでこんな所まで来てくれようとはしませんでしたし、まさに八方塞がりというやつですな」
「あんた、そんな事まで言うと買い叩かれちゃうんじゃないのかい?」
「いえいえ、こんな所まで来ていただいたと言うことはコークスの価値をお知りになっていると言うこと。品質には自信を持っています、長い目で見れば心配なんてしなくても大丈夫でしょう」
「ふーん、大した自信だね。じゃあその自慢のコークスを見せてもらおうかい」

そのまま外に出て説明を受ける。コークスは野外に山の様に積み上げられていておよそ八百万リーブル、フネで運んでも十回位はかかりそうな量である。麻袋に詰めて出荷してくれるそうでその作業用のゴーレムまでいた。
倉庫には麻袋が山積みになっているし、コークス炉を見てもぴかぴか、広い資材置き場にフネの係留まで出来る様になっていて、とてもこの会社がお金がない様には見えない。
最初は景気よく設備を揃えていったのだろう。そういえば昨夜ウォルフからの手紙にタニアが似た様なことをしたと書いてあった。
その後も色々と説明を受けて見て回ったが、マチルダにはコークスの品質など分からない。しかし量と値段に納得し、一万エキューで在庫分を買い取ることを伝えた。

「おい!おめえら!こちらのマチルダ様が在庫のコークスを全て買い取って下さった!今日は給料が払えるからさっさと帰るんじゃねえぞ!分かったか!分かったらさっさとコークスを焼け!在庫が無くなっちまったぞ!うわははは」
「・・・実はずいぶんとワイルドなんだね」

ジャコモが振り返って従業員達に向かって叫んだ。みんな仕事の手を止め、心配そうに遠巻きにしてこちらの様子を窺っていたのだ。
「いやっほー!」「うおおおお」「三ヶ月分だぜ!たこ社長!」みんななにやら叫びながら手に持ったタオルを振り回している。相当に嬉しそうだ。

「たこ社長?」マチルダが聞きとがめた。あらためてジャコモを見る。目は丸い、ドングリ眼だ。怒っているのかうっすらと顔が赤くなってきている。髪は・・・なるほど。

「・・・最初の頃は敬意を持ってくれていたんですが、給料が支払えない様になってからは・・・クッ」
「ま、まあしょうがないじゃない。今まで残ってくれただけでも良しとしなくちゃ」
「で、でもたこなンて言わなくたって・・・」

頭の先まで赤くして目を剥いて訴えてくるが、マチルダは吹き出すのを堪えるのが大変だった。
事務所に戻って契約書を交わし、内容を確認して支払う。サウスゴータのギルドの手形で九千エキュー、金貨で千エキューである。
全部手形にしたかったのだが、ウォルフが相手は困っていそうだから現金も持って行けと言うので重いけど持ってきたのだ。

「ありがとうございます。リンブルーではこちらの手形は換金出来ませんからダータルネスまで行かなくてはなりませんでした。千エキューあれば首を長くして待っている従業員達に直ぐ給料を支払ってやれます」
「これから長い付き合いになりそうだからね、よろしく頼むよ」
「こちらこそよろしくお願いします」

お互いに満面の笑顔で握手を交わす。これぞWin-Winの関係といった所だった。


 マチルダはその帰路カルロをサウスゴータへと先に帰し、自身はロンディニウム郊外にあるモード大公の別邸へと向かった。

「やあ、マチルダ久しぶりだね。ますますお母さんに似てくるなあ」
「ご無沙汰申し上げております、大公様」

通された部屋で待っているとすぐにモード大公本人が現れた。通される途中も思ったのだが、大公家の規模にしては使用人が少ない。
ほんの少しの違和感を感じながら挨拶をした。そんなマチルダの様子を気にする事はなく大公は屈託無く話をしてくる。そのまま一向に今日呼び出した案件については触れず、マチルダの子供時代の話などをしていた。

「とにかくだね、あれはプレゼントのお礼だったかな?まだ小さな君が僕の頬にキスをしてくれた時、絶対に僕も娘を作るんだって誓ったものさ」
「ホホホ、もったいないお言葉でございます」
「あんなに小さかったのに、もうこんなに大きくなったんだなあ・・・学院には来年行くの?」
「あの、父はそうしろと言うのですが、今は商会を始めましてちょっと忙しいので再来年にしようかと思っています」
「ああ、そうだ、商会。ロサイスの代官が何か言ってきてたんだよね」

そう言うと大公は思い出したように机にまわり書類を取り出した。その封を今開け中身を読み始めた。

「うーん。マチルダがロサイスとサウスゴータで友達と商売を始めたんだよね。何で僕が関係するのかな?」
「あの、我々はアルビオンの貿易先がほぼトリステインであるというのが健全ではないと考えまして、ガリアやゲルマニアとも貿易をしようとしたのです」
「うん。それで?」
「その事を良しとしないトリステインの商人達が圧力をかけてきまして、ロサイスで妨害を受けているのです。今のところは取引を妨害されているだけですが、今後はもっと直接的な妨害工作もあるかも知れません。お願いしたいのはロサイスの商人達に妨害に協力しないように働きかけて欲しいのです」
「なる程そう言う事か。でも何でロサイスの商人達はトリステインの言いなりになってるのかなあ」
「羊毛を買ってくれる、最重要の取引相手ですから。しかし我々は当面輸出品で競合する品を扱う予定はありませんし、輸入品に関しましてはトリステイン商人より遙かに低価格でロサイスの商人にも卸すつもりです。決して彼らにとって不利益を生む事業ではないのです」

その後も説明を続け何とか現状を理解して貰った。取引に関与する事は出来ないが、港湾施設の利用などに不都合が出ないように配慮するし、もし不法行為が有れば厳しく対処する事を約束してくれた。

「商売するって言うのも大変なんだねえ。みんなで仲良くすればいいのに」
「本当に・・・そうですわねえ・・・」
「あ、そうだ。港に出入りする時船に僕の所の旗を掲げれば良いんじゃない?ロサイスの人間は手を出さなくなると思うよ」
「それは・・・とてもありがたいですが、よろしいのですか?」
「いいよいいよ、忘れない内にロサイスの代官に手紙を書くから、細かい事は彼と話してね」
「ありがとうございます」

机に座るとレターセットを取り出しさらさらと手紙を書き出す。直ぐに書き終え、その手紙に封をしながらちらりと望外の厚遇に喜んでいるマチルダに視線を走らす。

「その代わりと言っては何だが、僕の方もマチルダにちょっとしたお願いがあってね」
「私にですか?それは光栄ですが・・・」
「何、大したことじゃ無いんだ。実は僕には娘がいてね。ちょっと事情があって屋敷から出せないんだが、その子の友達になって欲しいんだ」
「姫様ですか。私でよろしければ喜んでお相手を務めさせていただきます」

お願いと言われ緊張したが、他愛もない事だったのでホッとした。初めて聞く話ではあるが、貴族なら隠し子がいるなんて事は珍しい事でも無いので気にはならなかった。
大公は執事に指示を出し、娘にこちらに来るように伝えさせる。暫くするとマチルダが入ってきたのとは反対側のドアがノックされた。

「お父様、お呼びでしょうか。ティファニアです」
「ああ、テファ、入っておいで」

ドアを開け、入ってきたのはまだ幼い少女である。年の頃はウォルフやサラと同じくらいであろうか、透き通るような白い肌を持ち、穏やかそうな瞳が今は少し緊張している。
何故かその頭にはフードをすっぽりとかぶり、髪の毛はあまり見えなかった。
室内にそぐわないその格好に少し違和感を感じたが、こちらの様子を伺うように見てくるその瞳にマチルダは笑顔で返した。

「テファ、こちらはマチルダだ。今日からテファのお友達になってくれるそうだ。サウスゴータのおじさんの一人娘だよ。そしてマチルダ、この子が僕の愛娘のティファニアだ。妹だと思って可愛がってやってくれ」
「こんにちは、ティファニア。マチルダ・オブ・サウスゴータです。よろしくね」
「は、はい、ティファニア・オブ・モードです。こちらこそよろしくお願いします」

しゃがみ込み、視線を合わせて挨拶をするマチルダに、ティファニアは慌ててぴょこんとお辞儀をした。
その愛らしい様子にマチルダは思わず微笑む。そしてその背後から大公がティファニアに声をかけた。

「テファ、フードを取りなさい」
「え・・・は、はい」

何故かティファニアは視線を落とすと両手でフードの端をぎゅっと握った。
マチルダがどう対応して良いのか迷っていると、執事が何も言わずに部屋のカーテンを閉め、ランプに灯りをともした。

「・・・・・」

それを確認したティファニアはギュッと目を瞑り、ゆっくりとフードを下ろしていく。
やがて完全にフードが下ろされるとティファニアの胸の辺りまで掛かる輝くような美しい金髪が姿を現した。
しかし、マチルダの目はそれとは別の場所に釘付けになっていた。

エルフ・・・・・

ティファニアの耳は人間では有り得ない程長く、その先は尖っていた。その特徴は遙か東方、サハラに住むという亜人・エルフに他ならなかった。
エルフとは人間と数々の戦を経てその全てに勝利し、今なおブリミル教の聖地を不法に占拠し続ける悪魔。凶暴で獰猛だというその知識はしかし目の前の少女とは一致しなかった。
ギュッと目を瞑り下を向いて僅かに震えている少女はマチルダにとって庇護の対象としか思えなかった。

 何と声をかけたらいいものかと迷い、手を伸ばそうとして、ふと背後からの視線を感じた。
観察されている・・・マチルダがこの娘に対しどのような態度を取るのか測っているのだろう。しかしその背後の気配から大公も緊張している事を感じ取り、逆にマチルダの心は落ち着く。
思わず自然に笑みがこぼれた。
ウォルフがエルフとも通商したいと言い出した時には何を恐ろしい事をと思ったものだが、実際に会って見ればこんなに可愛らしいではないか。
そっと手を伸ばして震える手を握り、その小さな頭を撫でる。

「あたしもテファって呼んでも良いかい?あたしの事は本当のお姉さんだと思ってくれると嬉しいよ」
「え、は、はい」

マチルダが優しくいつもの調子で声をかけると同時に背後の緊張も解けた。
ふわっと嬉しそうに笑うティファニアはまるで妖精のようで、思わず見とれてしまう。ティファニアはそんなマチルダの手を恥ずかしそうに、でも嬉しそうにキュッと握り返してきた。
その後大公がまだ話があるからと下がるように言ったのだが、ティファニアは絶対に後で会いに来てね、とマチルダに頼み込み中々ドアから出て行こうとしなかった。

「やれやれ、君が普通にあの子に接してくれて嬉しいよ」
「母親がエルフ、なのですか?」
「そうだ。シャジャル・・・あの子の母親だが、私の愛した女性がたまたまエルフだった。ただ、それだけだ」
「その方は今どこに」
「この屋敷にいるよ。君が怖がるかと思ってテファだけを呼んだんだ」

大公は気楽に言うが、マチルダとしてはとんでもない事を知らされてしまった気分だ。王弟が全ハルケギニアの敵と目されているエルフを愛妾にしているなんてアルビオンの王権が揺らぎかねないスキャンダルである。
頭を抱え込んで呻りたいが、大公の前でそんな事をするわけにも行かず、微妙な表情をするしかない。

「ははっ、心配しなくても君にそんな大変な事をさせるつもりじゃないんだ。さっきも言った通り、ここから出られないあの子の為に時々ここに寄って外の世界の話をしてあげて欲しいんだ」
「はい。結構仕事でアルビオン中に出かける事が多くなりそうですので、ロンディニウムを通る事も多くなると思います。その時は必ず寄るようにします」
「うん、よろしく頼む。それにしても君はエルフに会うのは初めてだろう?随分と普通の対応をするものだね。こちらが拍子抜けしたよ」
「実はですね、我々の商会には目標がありまして。それは世界周航・世界通商というものです」
「世界周航に世界通商?それはどういう事だね」
「世界周航というのは遙か東方サハラからロバ・アル・カリイエさらにその先まで行ってみるというものです。世界通商はそのハルケギニアの外の世界と貿易をしようというものですね。通商相手にはエルフも含まれるでしょう」
「そんな事を考えていたのか・・・世界通商か、そんな日が来れば・・・なる程、テファ位じゃ驚かないって訳だな」
「驚きましたけど。エルフだからと言って忌避する理由にはならないだけです」
「あの子にとってはそれだけで十分だよ」

優しそうに笑うその顔は一人の父親の顔だった。

 マチルダはその後約束通りティファニアの所に顔を出し、お互いに色々と話をした。外の世界の人間との交流が極めて少ないティファニアはどんな話をしても興味深そうに聞き、マチルダも楽しい時間を過ごした。
ティファニアの母親であるシャジャルとも顔を合わせ、やはりその穏やかな人柄が世間のエルフのイメージとはかけ離れている事を確認した。

 サウスゴータへと帰る道中悩んだが、ウォルフ達にはティファニアの事を秘密にしようと決めた。
万が一にも秘密が漏れたら大変な事になるのが分かっている。そんな事にウォルフ達を巻き込みたくはなかった。

「はあ、大丈夫なのかね」

一人で考えているとやはり不安は湧いてくる。まだ十三歳の少女にはあまりにも大きな秘密だ。
しかし「マチルダ姉さん」と自分を呼んだティファニアの事を思い出すと気合いが入る。
あの子を守らなくてはならない。
モード大公も商会の事業を支持すると約束してくれた。将来商会がエルフと交易を行うようになればティファニアも普通に過ごせる日が来るかも知れない。
そんな日を目指してもっと頑張ろうと決意するのであった。












[18851] 1-31    商会設立-5 ツェルプストー
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2010/09/25 17:59
 タニアがリンブルーに来たのはマチルダがもうサウスゴータに帰った後だった。
船籍をアルビオンに変更するのに手間取りロサイスで足踏みしていたのだ。しかしその間もタニアは忙しく働き、アルビオン北部で売れそうな品を買ってはロサイスの倉庫に積み上げたり求人の面接を行ったりしていた。
ダータルネスに着くとまずロサイスから積んできた小麦やガリア産品を売り捌き、それからリンブルーに移動しジャコモの炭坑でコークスを積み込む。これでようやくゲルマニアへ行ける。

 ゲルマニア南西部の町ボルクリンゲン。トリステインと国境を接するツェルプストー辺境伯領にあるこの町は最近好況に沸いていた。
ツェルプストー辺境伯の肝入りで最新式の製鉄所が建設され、新規雇用された従業員や輸送を担う船員などが新たに住み着き、更にそれ目当ての商人が集まり街は膨張する一方だった。
川から少し離れた一角には鉄製品を作る工房が並び、朝から晩まで鎚音が響いていて、更にその横では新たな工房の建築が進む。
川に面した製鉄所は専用の港を有し、ひっきりなしに鉄鉱石やコークス、石灰などを運ぶ船が出入りしていた。
そんな中ガンダーラ商会のフネがタニアと船倉一杯のコークスを乗せて商人用の港に着いた。リンブルーから時間がかかったのは風石を節約するために途中で海へ降り、川を逆上ってきたためだ。
川に入ってからは途中何度か臨検をされたが、特に止められることもなく無事ここまで来ることが出来た。
港に接岸し手続きを取る。積み荷をコークスと申告すると直ぐに製鉄所の責任者が飛んできた。

 ギルドの応接室に来たのは製鉄所の所長と仕入担当、それにボルクリンゲンのギルド長の三人で、対するのはタニアとベルナルドの二人だ。
お互い挨拶をすませると早速本題にはいる。

「それでエインズワース殿はアルビオンからわざわざコークスを売りに来たという事ですな?」
「はい、ですがコークスを売りに来ただけでは有りません。コークスを売り、鉄を買う。ガリアの商品を売り、ゲルマニアの商品を買う。貿易をしに来たのです」

ゆっくりと言ってタニアはニッコリと微笑む。
相手は少し呑まれている様でここら辺の呼吸は真似出来ないとベルナルドは隣で見ていて思った。

「ふむ、アルビオンの方がガリアのものを売るという。ずいぶんと長い空の旅をしてきた荷になりそうですが、真っ当な値段になりますかな」
「もちろんガリアの品は直接こちらに運びますのでその様なご心配は無用です。我が商会には海上輸送用の船も多数ありますので」
「アルビオンの方がガリア・ゲルマニア間の貿易を行うのですか?」
「我々は名義上アルビオンの企業になっていますが、アルビオンのみでは無くてハルケギニアの企業なのです」

タニアはまたガンダーラ商会の狙いを説明する。
現在のトリステインを介して行われている貿易の無駄の多さ。貿易を盛んにすることによる経済の発展について、。
商会がアルビオン・ガリア・ゲルマニアそれぞれに拠点を持つということ、既にアルビオンとガリアは整備が終わりこちらからの入荷を待っていること。
さらに三国がそれぞれ出資することによりお互いの利益になる様に活動することが出来ると言うこと。ここボルクリンゲンをゲルマニアでの拠点として考えていると。

「えーと、大体は理解しましたが、それは我々にも出資をしろと言うことかな?」
「はい、それだけではなくゲルマニアの利益のために働く人を紹介していただき経営に参加していただきたいと思います」
「うーむ、私は雇われているだけなので出資については約束出来ん。ギルド長、あなたの所ではどうだ?」
「いや、我々も最近ようやく加盟者が増えてきた所でそんな余裕はありません」
「それでしたら領主のツェルプストー様にお話しを通して頂けますでしょうか。こちらが事業計画書になります」

そう言って紙の束を手渡す。それには事業計画から株式の説明まで詳しく説明してあった。事業計画はアルビオンからの輸出品にコークスを加えた新バージョンだ。

「ふむ、確認しても?」
「どうぞ」
「ふむふむ、良く纏めてありますなあ。なっ!十万エキューですと?」

パラパラと目を通していた所長が大きな声を上げる。彼は精々ボルクリンゲンでの商館にかかる代金をねだってきていると思っていたのだ。それだけでもずいぶんと都合の良いことを言ってくると思っていたのだが・・・
横で見ているギルド長も絶句している。小さな街のギルド長には想像もしていなかった額らしい。

「既にガリアでのハブとなる町、ヤカのギルドが同額を出資しています。ガリアとゲルマニアが対等に貿易するためにこの額をお願いしたいと思っています」
「ううむ、ガリアがもうそんなに出しているのですか・・・この筆頭株主のウォルフ・ライエ・ド・モルガンとは何者ですかな、聞いたことはありませんが」
「サウスゴータの男爵のご子息です。ハルケギニアの平和と繁栄のため今回ご自身の財産を投じこの商会を立ち上げました。実際の経営に関しましては私に一任されています」
「男爵の子息がこれだけの額を用意出来るのですか・・・よほど目端の利く人物と見える。確かにこの株式という仕組みならば出資を募りやすいか」
「ご理解いただけましたでしょうか?我々としてはボルクリンゲンを第一の候補地と考えていますので、出資をしていただけるならば直ぐに商館を構えたいと思うのですが」
「あ、ああ、なるほど貿易は対等な立場で行うべきですな」
 
暗に出資しないのならば他所へ行くと匂わせると相手は少し狼狽えた。どうやら利益のある話だと理解はしている様だ。製鉄所というのは鉄を作れば作るだけコストが下がる。ガリアという大きな販売先は魅力だった。

「わかりました、ツェルプストー様に話をしてみましょう。ちなみにコークスの在庫や生産力はどれくらいあるのか分かりますかな?」
「現在商会の在庫で八百万リーブルほどあります。生産力はⅣ型炉が二基あるそうですが、採掘量はまだ増やすことが出来るそうです。ゲルマニアの方が移住してきて生産しております」
「おお!そんなにありますか。Ⅳ型炉ならば安定した生産が出来ますな。なるほど、これだけの品質のコークスが出来るわけだ」
「今回持ってきた分はこちらで売りたいと思っています。フネを移動した方が良いのでしょうか?」
「ああ、そうですな移動して下さい。次回からは直接製鉄所の港にお願いします。あちらは作業用のゴーレムを完備してありますので」
「分かりました、では今日はこれで」


 タニアはギルドの建物から出て来ると直ぐにフネに戻り、移動を指示。
ツェルプストー辺境伯に会えるのはおそらく明後日以降というので、それまでに商館用地の選定と帰りの荷の仕入れを考えておくことにする。
商館を構えることを前提にギルド長に話を聞いてみるが、売りに出ている商館などはなく、港の近くには既に建物が建ってしまっているので商館を構えるなら少し不便な土地に自分で建てるしかないと言われた。
そんな状態なら慌てて建てる事もないので仕方なく商館の方は保留にする。後は仕入れなのだが、荷下ろし作業中チラッと街を回ってみた所ではまだまだ発展途中であまり面白いものはない様だ。
悩んでいると川下からこの辺りではあまり見かけない大きさの帆船が三隻上がってくるのが見えた。艀の様な船が多い中その姿は目立ち、その内の二隻はガンダーラ商会の旗を揚げていてガリアからの第一便が着いたことが分かった。

「あら、ナイスタイミング」
「うん?あの船もガンダーラ商会のものですかな?」
「はい、あの内の二隻はウチのです。ガリアからの荷が届いたようですね、荷が揃い次第出港する様に指示しておいたので間違いないでしょう」
「あんな大きな船の荷を製鉄所以外は何もない、この小さな街に卸すのですか」
「この町で消費する分だけではないですから。我々がここまでガリアやアルビオンの荷を運び、貴方達ゲルマニア商人にここから先ゲルマニア各地へと運んでいただきたいのです」
「うーん、大きな話ですな。私などは生来の田舎ものでして、驚いてばかりです」

タニアを案内していたギルド長はため息を吐く。
製鉄所が出来るまでは街道は多く通るものの川に面した港と川渡しがあるだけの小さな町だったのだ。
ツェルプストー領とゲルマニア内部を結ぶ交通の要衝となり得る立地に領主が目を付け製鉄所を建設してから全てが変わった。
人が多くなりこれまで通過するだけだった商人達が荷を解く様になり、ついにはこんなのまで現れた。
あまりにめまぐるしく変わる現実に田舎の商人に過ぎない彼はついて行けそうもなかった。



「やあ、タニア殿ちょっと私も様子を見に来てみましたよ」

 ガリアからの船が着岸し、商人達でごった返す岸壁でタニアに話してきたのはヤカ商人ギルドの幹部、モンテーロ商会の商会長トーマスだった。

「こんにちは、ミスタ・トーマス。もう一隻の船はあなたのでしたか」
「まあ、船は私のだがね、荷の殆どはおたくのだよ。スハイツが荷が集まりすぎたんで貸してくれって言ってきたんだ」
「それはそれは、ありがとうございます。どうです、中々の人気でしょう」

タニアの言う通り、荷のサンプルを下ろし始めるととたんに多くの商人達に囲まれることとなった。
我先にと取り囲み商品の品質をチェックし、船員を捕まえては勝手に値段交渉に入る。まだ役人も来ていないので応じるわけにはいかないのだが、それでも次々に値段を告げてくる人が多く、更にはそのまま持って帰ろうとする者まで現れ収拾が付かなくなった。
慌ててやってきたギルドの職員と役人に協力してもらい何とか商人達を引き下がらせサンプルは船に戻した。凄い人気である。
タニアが代表してガンダーラ商会として挨拶し、ツェルプストー辺境伯が認めればこちらに商館を開く事、そうなれば定期的にガリア・アルビオンからの荷が届く事、今回の荷については明日の朝準備をして商談会を開く事、対象はボルクリンゲンのギルド加盟者に限る事、こちらで仕入れをしてガリアやアルビオンに輸出したい商品についての話も明日する事を説明した。
今日は取引はしないので引き取ってもらう様に告げると皆不承不承帰って行った。一部はそのままギルドの建物に入っていき加盟の手続きを取った様である。
あまりのガリア産商品の人気にはタニアも驚いた。特にこの地方は内陸でガリアから遠い上に隣のラ・ヴァリエールとの交易も無いらしく、ガリアのそれも西部の商品というのがとても珍しいみたいだった。
ちょっといきなり手広くやり過ぎたかしらと不安になっていたが、この人気を目にすると自信が出てくる。

「ふうむ、確かに凄い人気でしたな。もう商館の場所は決めたのですか?」
「いいえ、フォン・ツェルプストーにお会いしてからここに商館を構えるかどうか決めようと思っています」
「中々慎重ですな。まあ、いいことです」

そう言うトーマスの目がキラリと光った。

 翌日、港に十分な量のサンプルを広げ商人達に十分吟味して貰い、その後競り方式で次々に売り捌くと自信は確信に変わった。
最初加熱しすぎていた相場はやがて落ち着いたものの予想以上の利益を商会にもたらした。
しかも高値で買っていった商人達も皆笑顔で利益を上げる気満々である。競りが終わると荷が下ろされ計百五十万リーブルほどもあった荷が瞬く間に引き取られていった。

 最初の荷と言う事もあるが、ガリアから持ってくれば持ってきただけ売れそうな勢いである。
ウォルフがどうせ直ぐに誰かが真似をする、と言っていたのも分かる。今は最初に目をつけたアドバンテージがあるが、きっと直ぐに競合する相手が出てくるのだろう。隣で手伝ってくれているトーマスなどはその筆頭になりそうだ。
その競争に勝つためには立地が大事だとタニアは考えた。相手に先んじて行動出来るのだから常に有利な位置を確保すべし、だ。
そう考えるとこのボルクリンゲンでの商館についても慎重にならざるを得ない。今回はギルドの協力でそのまま港で荷を捌いてしまったが、毎回こんな事をするわけにはいかないだろう。
ギルドの加盟者数がいきなり増えてホクホク顔のギルド長が商館用地を紹介してくれるのだが、どれも船着き場から遠く利便性に劣る。
細々とした商館が立ち並ぶ船着き場近くの通りをため息を吐きながら歩いているとギルドから人が呼びに来た。ツェルプストー辺境伯が今日会うとのことである。

「ええ!今日ですか?ずいぶんと早いですね」
「ツェルプストー様はあなたの事業計画書というのを読んでいたく感銘を受けた様でして、直ぐにでも会ってみたいと仰り竜籠をご用意して下さいました」
「私平民なんですが、竜籠に乗っても良いのですか?」
「ああ、ゲルマニアではそんな細かいこと気にする人はいませんよ。とっとと行きましょう」

タニアは戸惑ったが直ぐに竜籠に押し込められツェルプストー辺境伯の居城へと行くことになった。
ゲルマニア有数の有力貴族であるツェルプストー辺境伯の城は遠くトリステインをのぞむ森の中に造られ、その偉容を見ればこの城が最前線の要塞であるということは直ぐに分かった。
そんな城の中庭にタニア達を乗せた竜籠はすべる様に降り立った。

「ふう、さすがに竜籠は早いわね。あっという間だったわ」
「私も始めて乗りましたが、この早さは驚異的ですね」
「あら、ベルナルド奇遇ね。私も初めてだわ。貴族だった頃だってこんなの乗ったことはないわよ」
「貧乏貴族だったんですね、分かります」
「そんなに貧乏じゃなかったわよ。こんなの持ってる方が少ないって」
「まあ、維持費がかなりかかる物らしいですからな」

主従でおしゃべりをしながら様々な様式が混ざった廊下を進み、ギルド長と三人でツェルプストー辺境伯の執務室に通される。
案内してきた執事にソファーに座っている様に言われ待っていると奥から壮年の男性が出てきた。がっしりとした体躯に真っ赤な髪と浅黒い肌、ツェルプストー辺境伯である。
慌てて立ち上がり紹介を受ける。

「ツェルプストー様、こちらがアルビオンから来たガンダーラ商会のタニアとベルナルドです。エインズワース殿、ツェルプストー辺境伯様でございます」
「お目通りいただきありがとうございます。紹介にあずかりましたガンダーラ商会会長タニア・エインズワースです」「ベルナルドです」
「うむ、私がフォン・ツェルプストーだ。早速だがお前達の事業計画書を読んだ。中々面白い話だな」

挨拶もそこそこに商売の話に入る。ここら辺は話が長いガリアやトリステインとは違う所だろう。
こちらの主張も理解している様で次々にいくつかの事項を確認していく。特に鉄の購入量とコークスの輸出量に興味がある様で詳しく質問された。

「それでこちらにお前達が進出する条件というのが十万エキューの出資だという訳か」
「はい。その額でツェルプストー様は我が商館に対し22.5%の権利を有する株主となります。出資していただければ直ぐにでも商館を建てたいと思います」
「いいだろう、出してやる。しかし直ぐにではない。部下をお前達の船に同乗させるからガリアとアルビオンの施設もチェックさせろ。話はそれからだ」

ツェルプストー辺境伯はそう言ってさっさと席を立つ。恐ろしく話が早い。

「あ、ありがとうございます。では早速明日午後出港しようと思いますので、部下の方を港まで来させて下さい」

 挨拶もそこそこに竜籠でボルクリンゲンまで帰り、ガリア向けに鉄や鉄加工品を購入した。
次回タニアが来る時に商館用地の購入と商館員の雇用を行うことにしてギルド長と打ち合わせを済ませ、翌日ゲルマニアの鉄を満載した三隻は艦隊を組み川を下っていった。
トーマスはまだあちこちゲルマニアを見てみたいという事なのでここで分かれる事になった。どうやら自分の商会もゲルマニア進出を考えているらしく、自分の荷として持ってきていたのは取り扱っている商品のサンプルだった。

 行きの航海中は何度も臨検をうけ、随分と時間が掛かったのだがたのだが、ツェルプストーの旗を掲げたので帰りは一回も止められず海まで出ることが出来た。

「この旗があると無いとじゃ全然違うわね。ツェルプストー辺境伯の威光ね」
「全くですな。今回は使者様がいらっしゃいますので掲げていますが、株主になって頂いたら毎回掲げるべきですな」
「そうね。ガリアはラ・クルスが直接株主って訳じゃないけど頼めば許可くれるかなあ?ラ・クルス肝いりの事業って事で」

その国の有力貴族を株主にすることの利益をひしひしと感じながら、今はのんびりと船の旅を楽しむタニアだった。



[18851] 1-32    商会設立-6
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2010/10/24 00:20
 ウォルフはここ二週間ほぼずっと地下の製図室に籠もって図面を引いていた。
減速機関係の設計はほぼ終わり、今は歯車に歯を切るための刃物の刃型に合わせた線を引いているところだ。

「えーと、モジュールがこれだからラックだと・・・」
「もう、ウォルフ様またここに籠もってる!今日は商会の方に顔を出して下さいって言ったじゃないですか!」
「くそー、やっぱり関数表作るべきかー・・・ギブミーエクセル」
「ウォルフ様ッ」
「うおっ・・・なんだサラ、いきなり」
「いきなりじゃないです!さっきから呼んでいるのに」
「あ?ああ、ごめん。何?」
「今日は寺子屋で勉強の進み具合を見てくれるって言ってたじゃないですか。何でまだここにいるんですか」
「あれ?何で?」
「こっちが聞いているんです!もう良いから行きますよ!こんな所に籠もりっきりじゃ腐っちゃいます」

無理矢理ウォルフを製図板から引きはがして地上へと連れ出す。ウォルフはずっと製図のことだけを考えていたので思考をうまく切り替えられず、サラに引っ張られながらもまだ歯車のことを考えていた。

「うわっ眩しっ!」
「もう、日光が苦手なんて不健康すぎます」

 そう言われてみれば昼間に表へ出たのは久しぶりな気がする。季節はまだ残暑の気配を残していて地下の製図室に比べたら大分暑かった。
そんな中をサラはウォルフの手を引っ張ってずんずんと歩いていく。サラの方が体が大きいのでウォルフは小走りになってしまうがサラは気にしてくれない。
バーナード通りのそばにある商館に着いた時にはウォルフは大分汗をかいてしまったが、おかげで思考が現実に戻ってきた。

「ふう、まだ大分暑いな。勉強の進め方なんてサラにまかすって言ってなかったっけ?何でわざわざオレ呼んだの?」
「パオラさんが、ベルナルドさんの奥さんなんですけど、この間から小さい子相手にブリミル教の教えを聞かせているんです。どうなんだろうって思って」
「・・・何でわざわざウチでやるの?」
「何でもロマリアではお坊さんに教えの内容を聞かれた時にちゃんと答えられないと高いお札を買わされちゃうらしいんです。そんなことになったら困るからって」

険しい顔で建物の中に入る。中ではマチルダとカルロが事務を執っていた。

「ああ、ウォルフ久しぶりじゃないか。明日タニアがゲルマニアの人を連れてこっち来るってさ」
「ふーん、まあオレには関係ないかな。それよりマチ姉ちょっと話があるんだけど。カルロ、パオラさんを呼んできて」

カルロは頷くと席を立って呼びに行き、ウォルフはマチルダとサラを連れて応接室に移動する。
直ぐにカルロはパオラを連れてきて自分は事務に戻った。パオラは少し緊張しているようで、ウォルフが促すとぎこちなくソファーに座った。

「えーと、何であなたを呼んだかって言うと・・・子供達にブリミル教を教えているそうですね?」
「え?あ、はい。私は孤児院出身なので結構詳しいんです。他には何も才能がありませんが、皆さんのお役に立ちたいって思って」

少しホッとした様子で笑顔になって答える。少し誇らしげでさえあった。

「何か教えたいというのなら、次回からは子供達が喜びそうな物語などの本を読んであげて下さい」
「え?何で・・・」
「どうしてだい?別に教えてくれるんなら良いじゃないか」

パオラは驚いて絶句してしまったので、代わりにマチルダがウォルフに問いただした。

「子供達がブリミル教を学びたいというのなら、教会に通わせて学ばせようと思っています。あなたは神官の資格は持っていないんでしょう?」
「え・・・確かに持ってはいませんが、間違った事は教えていません!」
「あなたが純粋な厚意で行ってくれたことは理解しています。しかし、ロマリアとアルビオンの教会とでブリミル様の教えについて解釈が違ったりした事が過去にはあったのです。ここはアルビオンですから、ブリミル様の教えを伝えるのはアルビオンの教会であるべきだと思うのです」
「・・・・・」
「もし解釈の違いなどがあった場合、またはあなたが勘違いなどをしていた場合大変な事になる可能性があります。ここではブリミル様については聞かれたら答える程度にして下さい」
「はい・・・」

 パオラは悄然として部屋から出て行った。
ウォルフはこんな事を言ってはいるがこんなのは詭弁でしかない。ブリミル教について教えて欲しくないだけだ。
ブリミル教の教えはブリミル様が伝えてくれた魔法のおかげでハルケギニアの民は安心して暮らせるのだから感謝して祈りましょう、というものだ。
そんなことは時々思えばいい様なことで、教会が求めてくる様にしょっちゅうしなくたって良いだろうとウォルフは思う。
せっかくブリミル教の影響の少ない子供達を教えているのに、こんな小さな頃から教え込まれちゃったら結局大人達と変わらなくなる。

「あーあ、可哀想だね。ウォルフにいじめられて」
「いじめてないから。大体ブリミル教の坊主に騙されてこんな所まで流れてきたって言うのに何でまだあんなに信じてるんだよ」
「あ、それはこんな良い職場に旦那さんが勤めることが出来たのがブリミル様のお導きだったんだって言ってました」
「はぁー・・・いいな、坊主。丸儲けだな」

大きく息を吐きぐったりとソファーにもたれた。
本当に宗教と言うのは良い商売だと思う。良い事があれば御利益で、悪い事があれば試練を与えて下さったと言う。はずれがない。それが必要な人には必要なんだと理解してはいるが、それを利用して商売をしているように見える者達に好感を覚える事はなかった。

「でも、ロマリアとそんなに違うかねえ?最近はそんな事無いと思うんだけど」
「無いだろ、そんなの。オレが教えて欲しくないだけだよ」
「えっ!なんでさ」

マチルダは驚いて大きく目を見開いた。彼女からするとそれなら何故教えて欲しくないのか分からない。

「あんまり小さい時から宗教に触れていると思考を放棄する癖が付く懸念があるから。もう少し大きくなって判断力が付いてから自分で学ばせたい」
「別に宗教の所為で考えることをしなくなるとは思えないんだけど」
「宗教っていうのは合理的には説明出来ないものに対する畏れや敬いといった気持ちが救いを求める心や祈りになったものだから、根本的な所で考えることをやめている。何故メイジだけが魔法を使えるのか、ブリミル様がそれを可能にしたのは何故か、分からないから判断停止して拝んでいるんだ」
「・・・あんたは分かるって言うのかい?」
「分からねーよ。でも分かろうと思ってずっと考えている。それが大事なんだと思う。あの子達にも疑問に対して合理的に答えを導ける様になって欲しいから、世界はこうなっているんです、疑問に思わず覚えなさいっていう教え方はして欲しくない」

ウォルフのその言葉を聞いて、マチルダは師であるカールがウォルフについて「世界を理解しようとしている」と評していた事を思い出した。
世界とはどうなっているのだろうか、などと考えた事はマチルダには無い。その答えは物心が付いた頃には既に教えられていた。

「オレはあの子達に幸福になって欲しいと思っているから。その為には"正しい"事を自分で選べる様になる必要がある。その上でブリミル教の坊主の言う事が正しいと思うならばそれはそれでいいさ」
「ブリミル教を信じてたって幸せにはなれるんじゃないかい?」
「そりゃなれるだろうさ、ブリミル教の教えだって良いこと一杯言ってるんだから。でも自分で考えて選んだなら良いけど、何も考えず教会のいうことのみを信じていれば幸せになれる、なんてのは奴隷の幸福って言うんだ。そんなのをオレは人間の幸福とは認めない」
「・・・・・まあ、あんたは子供達にブリミル教にとらわれない考え方をして欲しいって事を言いたいんだね?」
「ああ、オレはブリミル様の事は本当に凄い人だと思う。でも今のブリミル教がこの世界の全てだとは思えない。そこに囚われていたらハルケギニアから出られない。その枠を超えた思考をして欲しいんだ」
「あんたは最初から枠が無かったからねえ・・・坊主に目を付けられるんじゃないよ?」
「・・・留意します」

 その後小さな子達を相手に道徳の授業を行い、高学年組の数学も少し見てサラに教えるポイントをアドバイスした。
あんまり籠もりっきりになっているのは良くないと反省し、せめて週に一度はこちらに顔を出そうと決めた。




 タニアはツェルプストー辺境伯から出資を受けることに成功した。
それだけではなくボルクリンゲンの商港と製鉄所用の港の間の埠頭とそれに隣接する用地をツェルプストー家から購入した。
コークスなどの資材置き場だったのをツェルプストーが港の拡大を目的に商人に開放する事を決断して資材置き場を移動し、ガンダーラ商会と他の新規参入商会が六軒ここに商館を構えた。商港と鉄港両方の港に専用の船着き場を有する最高の立地を得る事が出来たのだ。
ボルクリンゲンの町は人が増え続け、小さな建物が建ち並ぶ今までのメイン通りでは不便になったので、ツェルプストーが強権を発動し、区画整理を行った。
今まで製鉄所のみに通っていた街道からの大きな道を商港の方にも通し、住宅として使用していた建物は新市街を作りそこに移して港には大型の商館が並ぶ様にした。
この区画整理で更に多くの商人が近くの町から流入し、この地方で一番大きな町になるのも近いと言われている。

 ガリアで修理に出していた船達も戻ってきたので船員も更に増やし、大々的に貿易を行っている。
より効率的な物流の為、ガリアのプローナへと向かうテハダ川河口の街イルンとゲルマニアのボルクリンゲンに向かう国際河川ライヌ川河口の町ドルトレヒトにも拠点を設立した。
ドルトレヒトにはトリステイン東部の商人達も多く集まるようになり、この町も急速に規模を拡大している。各拠点での取扱量が増えるに合わせて商館員も増やし商会の規模は拡大する一方である。
しかし、その為に必要な資本も多くかかり、当分は無配が続きそうである。ウォルフが十六歳までにフアンに対して二十万エキューを払えるかどうかは配当次第なのでどうなるかは全く分からない。

 ハルケギニアの財界ではタニアが新進気鋭の女経営者として有名人になっており、フォーブスでもあれば表紙を飾りそうなほどだ。
ラ・クルス伯爵にヤカのギルド、さらにツェルプストー辺境伯をも手玉にとって金を引き出すその交渉術。ハルケギニアでは珍しい若い女性経営者と言う事や、容赦のない値切り交渉に大胆な事業展開など話題に事欠かないためだ。
アルビオン商人との関係は当初ぎくしゃくしたが、今となってはおおむね良好となった。
これはガリアやゲルマニアにも言えることだが国内での流通にあまり手を出していないのと、小売りは現地の商人に任せていることが大きかった。

 ガリアやゲルマニアとの直接貿易が始まり、定期便が運行するようになるとラ・ロシェールの商人達は取引価格を下げて対抗してきたが、商会を排除する程の影響はなかった。
ラ・ロシェール経由の貿易は風石が節約できる反面狭い岩山の道を通らなくてはならない陸路での輸送に難点があり、それがこれまで貿易の規模を拡大してこなかった原因の一つでもある。しかし、ガンダーラ商会がゲルマニアとの国境も通るライヌ川経由での貿易を始めたのでこちらを利用して取引量を増やそうとするトリステインの商会が出てきた。

 モンテーロ商会など、ガンダーラ商会の後を追いガリア-ゲルマニア間で直接貿易を始める所は直ぐに出てきた。この二国間の貿易はお互いに価格競争力の高い輸出品が有ることもあって今後ますます盛んになっていくと思われる。
同様にアルビオン-ゲルマニア間、アルビオン-ガリア間でも少しずつ競合する商人が現れ始めている。ゲルマニア商人はアルビオン産品について石炭以外には今のところ興味を示していないが、ガリア商人が自国で加工するつもりで羊毛を直接買い付けたため羊毛価格はここの所上昇し続けている。
万事順調に進んでいるように思えるのだが、アルビオン政府が供給を増やしてはいるのに関わらず風石の需要が急増し、価格が上がり続けているのがアルビオンの貿易にとっては懸念材料だ。


 マチルダはアルビオン国内の産業を振興するために奔走した。
羊毛の染色をしている所は見つけたのだが、色が地味だったのでそのままでは使えなかった。トリステイン産の染料は輸入できなかったので同等の技術を持つガリアから染料を輸入し研究させると、何種類かの染料はアルビオンでも生産出来ることが分かった。
やる気のあるその工場と提携して色つきの毛糸の生産を始め、試験的に国内で販売してみたが概ね反応は良かった。
しかしトリステイン製の毛糸と同等以上の品質になるまでは輸出するべきではないと言う判断のため、今は更に品質を上げるため研究を続けている。焦って輸出をしてトリステイン製に劣ると言うレッテルを貼られたくないのだ。

 メリノ村には直営の牧場を作り、メリノ村や周囲の村から農家の次男や三男を雇用しメリノの羊を増やしている。
空調を整えた倉庫に生産した羊毛を貯蔵し、ある程度の数が揃ったら出荷するつもりでいる。

 ウイスキーは蒸留から三年寝かせた樽を商会で購入し、そのままガンダーラ商会のタグを付けて蒸留所の貯蔵庫で寝かせてある。
この年買った分は五年後から販売を開始するつもりでいるのだが、在庫をほぼ全て購入したため蒸留所も経営が安定し生産量を増やした。

 アルビオン中に出かけることが多く、各地で時折襲ってくる野盗や亜人などを返り討ちにしていたら「サウスゴータの剣鬼」と呼ばれる様になった。本人はせめて「剣姫」にしてくれと言っているが。
ロンディニウムを通る時は大抵モード大公の屋敷に寄っていて、ティファニアとは随分と仲良くなった。


 サラは子供達の教育と商会の帳簿の監査を担当している。
自分より大きな子供達に教えることに最初は戸惑ったが、数学に対して理解しているレベルが全く違ったので子供達もサラもお互いに直ぐに慣れた。
寺子屋の子供は大分増え近所の子供も通う様になり、自分より大きな子供達に数学などを教えるサラは近所の平民の間で天才少女と噂になる様になった。

 子供達に勉強を教えた後時間がある時は商会の帳簿をチェックするのだが、その監査はとても厳しいと評判だ。サウスゴータの商館ではフリオがいい加減な書類を出してはサラに怒られている姿が頻繁に見かけられた。
ウォルフの様々な実験の手伝いもしているので少しずつ化学についての知識を蓄積している。有機化学が結構好きになってきたみたいだ。

 ラ・クルスからは最初の養育費の支払いと共に紋章入りのマントが届けられた。そのマントをメイド服の上から纏えば貴族メイドの誕生である。
すぐにマントは仕舞われてしまったのであるが、夏にラ・クルスの祖父母に挨拶した時にはちゃんと身に纏った。
フアンの態度が心配されたが、案外すぐにデレた。曰く、「アンちゃん(妻のマリア・アントニアのこと)の小さい時にそっくり」との事である。確かに垂れ気味の目とダークブラウンの髪はよく似ているが、不測の事態に備え緊張して見守っていたレアンドロは何だか違う意味で切なくなってしまった。


 クリフォードは商会には関わらず、何とかマチルダに追いつこうと熱心に魔法を練習している。
元来はいい加減な男であるが、必死にそれこそ何度も気を失うまで杖を振った成果か、ここ最近魔法の腕はメキメキと上達してきた。


 ジャコモの炭坑は順調にコークスを生産し続け、今はもう一つ炭坑の採掘権を買おうかと画策している。
炭坑の町リンブルーは大きく発展した。周辺の山に他のゲルマニアやアルビオンの商人が炭坑を開いた為人口が急増したのだ。
石炭を運び出すフネが物資を運んでくるので暮らしやすく、典型的な田舎町だったのに今や女の子のいる店もあるほどだ。


 レアンドロはウォルフから水酸化ナトリウムとその製法の提供を受けて製紙法を改善し、大々的に製紙業を振興した。
その製法とはメイジ二人による『練金』で、塩化ナトリウム水溶液から水酸化ナトリウムと塩酸を同時に精製させるというものだ。普通に一人で『練金』させると塩素イオンを水酸化物イオンに変換してしまったりナトリウムイオンを水素イオンに変換してしまったりで、精神力の消費の割にはろくに出来ないのだが、二人でやることによりうまく水を電気分解して効率よく水酸化ナトリウムを精製できている。
耐久性が格段に増した紙は評判を呼びラ・クルス産の紙はガリアにおいてトップシェアを握る程になった。アルビオンやゲルマニアにも多く輸出されたが、ウォルフとの契約で全てガンダーラ商会がそれを担った。
製紙業と三角貿易の効果でラ・クルス領は一年もたたずに大きく発展し、その手腕を買われガリア産業省の副大臣に抜擢された。その経緯にはオルレアン公の推薦が有ったと言われている。
妻セシリータとティティアナ、それと生まれたばかりの息子を連れてリュティスの屋敷ですごすようになったため、同じくリュティス暮らしの多いオルレアン公家とは家族ぐるみで付き合うようになっている。


 ウォルフはずっと旋盤の開発を続けていた。週に一度商館に行くのと魔法を習いに行く以外はほぼずっと地下の工房に籠もっているか方舟で研究してるかで、マチルダにモグラのウォルフとありがたくない二つ名を貰うほどだった。
研究はウォルフにとってちょうど良い息抜きとなっていて、樹脂や薬品、ガラス繊維などの量産化に向けた物をメインに行った。
ただ、樹脂製品を魔法抜きで量産しようとすると原料をどうするかという問題がある。石油を掘ればいいのかも知れないが、地球温暖化を見てきた身としてはなるべくやりたくないというのが本音だ。
その解答の一つとして研究しているのは発酵で樹脂の原料を得ようという物だ。廃糖蜜を原料にして様々な発酵を行い、エチレンやプロピレン、アセトンなどを生産するつもりだ。
既に一応は酪酸発酵によりアセトンとブタノールを生成する事は出来る様になっていて、今はより効率の良い菌株を色んな場所の土壌から探している所だ。

 その他の研究の成果としては魔法具を色々と作れるようになった。
魔法具を制作するには道具に宿らせたい魔法とその魔法を土石や風石もしくはミスリルなどの魔法金属や水晶などの鉱物の結晶に固定する魔法を重ねがけする必要があるのだが、ウォルフは魔法の同時使用が出来るので何とかできるようになった。
旋盤の開発の傍ら土石や風石から効率よく動力を取り出す機械や、コックピットの気圧を維持する魔法装置、更にはガーゴイルなどをこつこつと開発していった。
特にガーゴイルはその中枢部をグライダーに組み込めば自動操縦も実現出来そうなので確実性などを検証しながら研究を続けている。

 水の秘薬を使った魔力素の研究も引き続き行っているが、こちらはあまり進んでいない。ガーゴイルに使われている技術と組み合わせれば人工生命を生み出すことが出来るのではないか、と一時期はかなり頑張ったのであるが最近はずっと停滞している。何かしらのブレイクスルーが必要なようだ。

 魔法具の研究からガンダーラ商会で商品化されて大ヒットになっている物もある。
セグロッドと名付けられたその乗り物はセグ○ェイから車輪を取り去ったような形状で一本の棒に折りたたみ式の足置きと短いハンドルが着いている。足置きに乗ると風石の力で十五サントほど浮き上がり、ハンドルを握って棒を傾けるだけで前進や後進、旋回やその場での転回などが出来、最高速度は時速二十リーグほどだ。乗るのに訓練などを必要とせず直感的に操作でき、十分に馬の代替を務められる速度が出るので一気にサウスゴータ周辺の貴族に広まった。
使っている魔法は『レビテーション』ではあるが、足置きを常に地面と平行に保つための制御、棒の傾きと加速度の制御など単純な見た目からは想像しにくいほど複雑に魔法が付与されている。そのため大量生産には向かないが、本体の制作を外注して魔法付与にメイジを雇い生産している。

 旋盤の制作は一年ほどしてようやく試作一号機を完成させられたので、試作機を使って高精度な螺子などの部品を作ることが可能になり、より高精度で分解整備が可能な物に作り直していった。
旋盤が自分で自分の部品を作り、より高精度高機能な物に生まれ変わっていく様は、生物が進化していくのを見る様で楽しかった。
この少し前から高学年組に製図と機械の扱いについて教え始め、適正を示したリナとトム、それに新しい従業員の子供二人を機械工候補に選んだ。
ラウラは図形に対して全くもって適正がなかったが、リナはあっという間に製図の意味することを理解し、空間を把握する能力に優れていることを示した。

「ウォルフ様、この歯車の歯の形ってみんな決まっているの?」
「ああ、伸開線って言って、円筒に巻きつけた糸をほどくときに糸の先端が描く曲線だ。歯が滑らかに接触するんだ」
「うん?わー本当だ、おもしろいねー。なるほど二つの中心がある訳か・・・」

「ウォルフ様、この刃先をもっと尖らしちゃダメなんですか?魔法を掛ければ欠けたりしないでもっと切れ味が良くなりそうです」
「いや、仕上がりが悪くなるからダメ。丸くしてるのは刃先の熱を逃がす意味もあるし」
「ああ、この間言っていた焼き鈍しってやつになっちゃうのか・・むむむ」

疑問に思ったことはどんどん聞いてきて、答えると即座に理解していく。実に教えがいのある生徒だった。

 商会が発足した頃フアンにガリアまで来る様に呼ばれていたのだが、忙しかったので手紙で済ませた。どうせオルレアン公の話で何か建設的な話が出来るとも思えなかったし、商会の方はタニアに任せていたので行く必要はないと判断した。
ガリアに行ったのはまた次の夏の短期留学の時で、パトリシアに再び会えた。大分教師らしくなっており、何とシャルロットの家庭教師になることが内定しているという。

 フアンはウォルフに会うと直ぐにオルレアン公のことで文句を言ってきた。
彼がフアンに対して妙に親しげに振る舞う様になり、頻繁にリュティスに呼ばれる様になったというのだ。
親しくなって良かったじゃないかと言ったのだが、リュティスにレアンドロが住むようになってからも大した用も無く頻繁に呼ばれ結構迷惑しているとのことだ。絶対にウォルフが何かをした物だと決めつけ、オルレアン公との間に一体何があったのかとしつこく聞かれた。
オルレアン公の様子もちょっと変らしい。やたらと貴族のあるべき姿とか、ガリアは今後どのような道を進むべきなのかとかの話が多く、一貴族であるフアンには中々対応に困ることも多いそうだ。
しかしウォルフとしては手紙で説明したこと以上のことは何も無いので、王様になりたいんじゃないかという予想を伝えることしかできなかった。

 この年のバカンスはラグドリアン湖には行かないで、代わりに火竜山脈に観光に行った。ウォルフの目的は地質研究と火の精霊の発見だったが、精霊を見つけることは出来なかった。
地質研究ではそれなりに成果があり、火竜山脈は堆積岩と火成岩が複雑な地層を形成している山地であることが分かった。溶岩流がある様な所は火成岩からなる火山で、そうでない場所は堆積岩の険しい岩山となっていた。
堆積岩の岩山には以前ラ・ロシェールから来る途中で見た地層も露出している場所があり、やはり風石の痕跡の様な結晶が採れた。

 アルビオンに帰るとまたモグラ生活を送り、夏が過ぎ冬を越え春になろうという頃ようやくウォルフの旋盤が完成した。ウォルフは八歳になっていた。

















[18851] 幕間1   空賊戦(前)
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2010/10/24 00:23
「また襲われた?人的被害は!?」
「幸い、有りません。怪我人が数人です」

 タニアはホッとため息をつき、椅子にもたれた。
商会が発足して暫くは順調にいっていたのだが、ここに来て続けざまに商会のフネが空賊に襲われた。今回ので三隻目である。
人的被害が出ていないのが幸いだが、こうしょっちゅう襲われていたら商売にならない。既に噂になり始めているし、このままでは商会が立ちゆかなくなるだろう。
ロサイスの警備隊に取り締まりの強化を願い出ているのだが、どうにも動きが遅い。
やるしかない・・・タニアは決意を固めこちらを見ているベルナルドに頷いた。

 アルビオンの空賊はアルビオンの船を襲わない。
まことしやかに囁かれる噂ではあるが実はある程度真実でもある。散々トリステインから苦情が入ってはいるのだが、本当にアルビオンの空賊はトリステインの船を狙って襲っていた。
もちろん例外もあるが、今回のようにアルビオン船籍のフネが連続して襲われる事は初めてで、警備隊も対応に迷っているのだ。
かつて大々的な討伐など行ったことは殆ど無いし、いざする気になったとしても彼らは神出鬼没でアルビオンの欠片と呼ばれる雲の中の浮遊島を根城とし、滅多な事ではしっぽを掴ませない。

 このままでは更に被害が拡大する恐れがある。タニアはガンダーラ商会として"アルビオン航空法第二十四条例外二項のA"を申請する事を今決意したのである。
この法律は通常大砲による武装が許されていない商船に自衛の為の大砲を積む為の手続きを定めた条項である。
連続して二回以上商船が襲われた商会が対象で、ガンダーラ商会はその条件を満たしている。大砲と人員は警備隊から貸与されるのでその分経費が掛かるが、背に腹は代えられない。
既にロサイス警備隊本部とは打ち合わせが済んでいて申請すれば良いだけになっている。

 タニアは商会の建物を出ると、ある造船所へと向かった。
そこではガンダーラ商会が格安で購入した廃船寸前のフネを即席の護衛船に改造する作業が行われていた。

「どう?ウォルフ、作業は終わりそう?」
「おお、タニア、もうちょいで終わりそうだな。また襲われたんだって?」

タニアが声をかけると甲板からウォルフが顔を出して答えた。ウォルフはここ三日ほど全ての研究を止め、フネの改修に掛かりきりになっていた。

「ええ、どう考えてもウチを狙って襲っているみたい」
「じゃあいよいよこいつの出番だな」

タニアに向かって軽く頷くとフネを叩いた。アルビオンの空賊にガンダーラ商会を狙うという事がどういう事なのか教えなくてはならない。

「仕方がないわ。サウスゴータにはもう連絡を入れたので、エルビラ様が到着したら打ち合わせをしましょう」
「おお、それまでには仕上げとく」
「じゃあ、頼むわ。私はこのまま警備隊に申請に行ってくる」

そう言うとタニアはささっと出て行った。

 エルビラは日頃サウスゴータの城で女官兼警備員として勤めていて、衛兵の訓練も担当している。
能力を考えたらもったいないと言える仕事ではあったが、本人は子育てと両立できるこののんびりとした仕事を気に入っていた。
今回タニアはそのエルビラを戦力として借り出したのだ。当初エルビラは渋っていたものの、悪辣な空賊の実態を話したらその気になってくれた。
彼女のメイジとしての能力はハルケギニア最強と言って良い。参加して貰えるだけでほぼ負ける事は無くなるというチートな戦力を確保できたので空賊退治も幾分気が楽になった。

 三日後、ロサイスの商館にエルビラを始め今回の作戦に参加する面々が集まった。
タニアを筆頭にする商会の面々、商会の警備責任者、ロサイス警備隊、それにマチルダにエルビラ、ウォルフ、更にはマチルダの護衛のメイジ達と言った所だ。
警備隊の面々はウォルフが参加する事に難色を示したが、軽くファイヤーボールを出して港にあった岩を粉砕してみせると黙った。

 ずらりと揃った面々に今回の作戦を説明していく。その作戦はおとりの船団をガリアから寄越し、襲ってきた空賊を捕獲するという単純極まりないものだ。
空賊は大砲で武装しているので、どうやってそれを無効化するのかと言う所がこの作戦の肝と言えた。
その為に呼ばれたのがエルビラだ。実のところ襲ってくる空賊が一隻ならばウォルフが改修したフネで制圧できそうな目処は立っていたのだが、僚船がいた場合対処しきれない。それをエルビラに頼もうというのだ。
サウスゴータにも許可を得て暫く仕事を休んでのアルバイトである。

「と言うわけで、エルビラ様には敵旗艦以外を殲滅していただきます」
「相手は何隻くらいいるのかしら」
「空賊の規模からすると、多くても全部で三・四隻ほどだと考えられます」
「あら、そんなものですか。中々良いアルバイトですね」
「・・・何隻位までお一人で相手できます?」
「十隻位は問題ないと思うわ。私、火薬を積んだフネとは相性が良いのですよ」
「是非、味方は巻き込まないよう、お願いします・・・」

さらっと言うエルビラに揃った面々は息をのむが、本人は涼しい顔をしたものだった。
それならば最初からエルビラが殲滅すればいいのではと思いそうになるが、空賊を捕獲して本拠地を突き止る事が今回の目標だ。

「じゃあ、今日はこれで終わりにしましょう。明日お昼頃出発して、夕方着く予定の船団を公海上空で待ちつつ哨戒しようと思います」
「「はい!」」

 会議室の外ではクリフォードが待っていて、会議が終わり外に出てくる面々を見つめていた。
そして列の一番最後にエルビラが出てくるのを見つけると声を荒げて詰め寄った。

「母さん!やっぱり俺だけ行っちゃダメなんておかしいよ!俺もみんなと一緒に闘いたいんだ!」
「クリフ、サウスゴータに帰りなさいと言ったはずです。何故まだここにいるのですか?」
「俺も、一緒に、闘いたい・・・」

クリフォードはウォルフ達の手伝いする為にロサイスに来ていたのだが、作戦への参加はエルビラに許可されなかった。

「私がマチルダ様やウォルフの参加を認めたのは十分に戦闘能力があると認めたからです。マチルダ様は剣を覚えてから戦闘に幅が出来ましたし、ウォルフは飛行しながら砲撃できるという特技があります。その上で二人とも十分な防御を張る事が出来ます。しかし、あなたは私の『ファイヤーボール』さえ、受け止め切れなかったではないですか」
「母さんの『ファイヤーボール』なんて受け止められるメイジの方が少ないよ・・・」
「あの程度の攻撃は闘いの場では普通に襲ってくるものです。足手まといにもなりますし最低限の戦闘能力を持たない者を戦場へと連れて行くわけにはいきません」
「・・・もういいよ!」

目の端に涙を浮かべて悔しそうに叫び、クリフォードは走り去った。


「兄さん攻撃は結構強くなったけど、防御がまだ甘いからなあ・・・」
「でも、良くあたし達が参加するのは認めてくれたよね、エルビラ」

走り去っていくクリフォードを見送って、エルビラとは少し離れた所でウォルフとマチルダがこそこそと話す。

「実力さえあれば良いみたい。戦闘に関しては結構スパルタだからね。実戦でしか分からない事がある、ってのが口癖だし。それより、マチ姉は大丈夫なの?太守様」
「護衛が五人に増えちゃったよ。邪魔くさいったら無い」
「あんま無理しないでよ?マチ姉に今商会抜けられちゃったら困るんだから」
「大丈夫さ。商会やめさせるなら家を出るって言ってやったから」
「・・・それを無理って言うんだけど」






 所変わってこちらはラ・ロシェールの酒場、その薄暗い地下の一室で二人の男が古ぼけた小さなテーブルを挟んで向かい合っていた。

「良くやってくれた、こちらが今回の分の金だ」

フードをかぶった男がアタッシュケースをテーブルの上に置いた。髭面の男が開いて確認すると中には眩いばかりのエキュー金貨が詰まっていた。

「いいだろう、ごまかしてはいないようだな。これでもう一回あの商会のフネを襲えば俺達はまた元の関係に戻るって訳だ」
「・・・・・」
「しかし、天敵である俺達にこんな事を頼んでくるとはよっぽどあいつらの事気に入らないみたいだな。分かってるんだろう?これがばれたらあんたも縛り首だぜ」
「気に入る気に入らないの問題ではない。あんな商売を成功させるわけには行かん。あんなものはまだ芽が出ぬ内につぶすに限る」
「へっ、まあオレ達はあいつらが成功しても獲物が増えるだけだから全然構わないがな」
「・・・・・」
「ガハハハ、そうしけた面すんなって。心配しなくてももう一回はお前らの言う通りあいつらを襲ってやるぜ」

仏頂面をして黙り込むフードの男の背中を髭面が楽しそうにバンバンと叩く。

「・・・週末にもまた奴らの船が入港してくるらしい。空賊を警戒して船団を組んで来るという噂だ。向こうも何か手を打ってくるかも知れないから十分注意して当たってくれ」
「ハッ、誰にもの言ってんだ。素人が何隻集まろうと関係ないぜ。むしろ獲物が増えて嬉しいってもんだ」
「もう十分にガンダーラ商会が狙われている事を印象づけた。最後の襲撃は・・・」
「分かってるって。言われなくてもちゃんと皆殺しにしてやるぜ。たんまりと貰ったからな、これが終わったらオレ達はほとぼりが冷めるまで暫くはバカンスだ」

よかったじゃねか、あんたのとこの船も襲われないぞ、などと良いながらまたフードの男の背中を叩く。相当に上機嫌だ。

「ふん、これであいつらは再起不能になるはずだ。誰も船員が乗りたがらないフネなんて何隻あっても飾りでしかない。どこからあんなに大々的に始める金を集めたのか知らんが、全て無駄って訳だ」
「ひゅう、怖いねえ。俺らとしたら交易が盛んになった方が獲物が増えて良いんだがな。まあ、今回はあんたらの為に働いてやるぜ」

髭面はアタッシュケースを手に提げフードの男を一瞥すると部屋から出て行った。
その顔は最後まで上機嫌で、もうバカンス先の南の島に思いを馳せているのかも知れなかった。






 翌日、ガンダーラ商会の面々は整備が終わった護衛船に乗り込んだ。
今回ロサイス警備隊から貸し出された大砲は全部で四門。それを前部甲板に全て設置する。
はっきり言って空賊が本気でこちらを襲うつもりならば戦力にはなりそうもない数だ。
しかし、通常の空賊ならば損害を受ける事を恐れ、相手に大砲が積んである段階でその船団を襲う事は諦める事が多い。損害を受けた場合に補充をしにくいので他にも獲物が居る以上無理をする必要はないのだ。

「ううむ、本当にこんな火力で大丈夫なのでしょうか。作戦がうまくいかなかった場合、こんなボロじゃ逃げ切れませんよ」

不安を口にするのは警備隊の面々だ。命令により派遣されているが、本心では乗りたく無さそうだった。
彼らが心配している通りフネはボロだし、ウォルフが改修により帆を小さくしてしまったのでとても速度が出るとは思えない。彼らにはこのフネが空に浮かぶ棺桶のように感じられた。

「大丈夫です。貴方達には戦力としての期待をしていません。作戦通り空賊に対する牽制をお願いします」
「はあ、わかりました・・・」

彼らは不承不承乗り込んだが、甲板に上がると大砲の設置より先に脱出用ボートへと向かい、風石などを点検をしていた。
そんな不安な様子が伝染したのか、ガンダーラ商会直属の護衛部隊も一緒になって脱出用ボートの点検を手伝っている。


 そんな各人の思惑とは関係無しに準備は進む。やがて万端整うと警備隊に連絡を入れ、哨戒航行に出発した。
空賊が頻繁に出るのはアルビオンからそう遠くない公海上空である。その空域に先回りし、普通フネが飛ばないような高度でガリアからの船団が来るのを待つのだ。






「お頭、来ましたぜ。南南西海上ガンダーラ商会の旗印、二隻の船団でさー」
「なんでえ、しけてんな。四隻くらいになるって話じゃなかったのか」
「狙われてるって分かってますからね。他の商会に嫌がられたんでしょうよ」
「まだ距離があるな、近づくまではこのまま雲の中で行くぞ!気取られるなよ!」
「あいさー」

 ガリア・アルビオン近海上空二千メイルで海賊船団は時折眼下に広がる海を偵察しながら雲の中を航行していた。
ガリア方面から近づいてくるガンダーラ商会の輸送船団に狙いをさだめ、近づいてくるのを三隻の空賊船が今か今かと待っている。三隻とも小型で船足が速い型のフネに大砲を積み込んだ典型的なアルビオンの空賊船だ。
今輸送船は海上を航行している。海上で襲うと襲った後逃げる時に速度が出ないので千メイル以上に浮上した時に狙うつもりでいる。

 雲の中でじっと待っていると、やがて輸送船団は浮上して順調に上昇を続け空賊の潜む雲に近づいてきた。

「おい、そろそろ行くぞ!帆を開け!空賊旗を揚げろ!」
「「あいさー!」」

適当に掲げていた旗が降りるとするすると空賊旗が揚がっていく。帆を大きく広げた空賊船はゆっくりと獲物に向かって動き出した。
これまでじっと待っていた鬱憤を晴らすかのように忙しく船上を動き回る空賊達の中、髭面の船長が輸送船団とは反対側の上空にある雲を睨んだ。

「ヘッ、隠れてるつもりみてえだが、全部お見通しよ。おい、引きつけてあいつも一気につぶすぞ」
「「あいさー!!」」

上空で隠れているウォルフ達はとっくに見つけられてしまっていた。
空賊達は空戦で絶対優位と言われる高い位置を敵に取られていても全く慌てた様子はなかった。それもそのはず空賊達は今回得た金でとある公爵家から横流ししてもらい、最新式の大砲を入手していた。
圧倒的に長い射程距離と高い命中精度を誇るその大砲はロサイスの警備隊風情が商会に貸し出す旧型の大砲などとは比べるのも馬鹿らしいと思うほどに高性能だ。
商会の護衛船程度のフネなどは向こうの射程の外から十発も撃ち込んでやれば空の塵と消えるだろう。

「くっくっく、早く来いよ。大砲の差が戦力の絶対的な差だと言うことを教えてやるぜ」

髭の船長は楽しげに呟く。彼にとってこれから起こるのは戦闘ではなく、あくまで一方的な殺戮のつもりであった。



[18851] 幕間1   空賊戦(後)
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2010/11/20 20:26
 アルビオンとガリアの間、もう少しでアルビオンに着くという公海上空でガンダーラ商会の輸送船団は順調に高度を上げていた。
このまま何事もなく航海は終わるのかとも思い始めた、もう少しで高度が千メイルを越えるかという頃正面上空の雲から突然空賊船団が現れた。堂々と空賊旗を揚げ、そうするのが当然と言わんばかりに停船命令を出してくる。
もちろん空賊に止まれと言われて素直に止まるつもりない。輸送船団を率いるスハイツは慌てず舵を切り、高度を一気に下げ速度を増しながら来た方向へと逃げ始めた。



 ウォルフ達はタニアやエルビラの使い魔を使い、割と早い時期に雲の中に潜む空賊船を発見して監視を続けていた。
その空賊がガンダーラ商会を狙って襲っている犯人だと確信するまでは攻撃しないつもりだったのだ。
様子を窺っていると果たしてその空賊はガンダーラ商会の輸送船に襲いかかった。 タニアは軽く咳払いをすると周りを見回し、作戦の発動を宣言した。

「では、予定通り攻撃を開始します。降下を続けながら射程に入ったらロサイス警備隊は砲撃を始めて下さい」


 古びた護衛船は勢いよく降下し、風を切り速度を上げる。
上部甲板では水夫達が忙しく走り回り、後部甲板では護衛部隊が鉄砲のチェックをしている。
そんな騒がしい船上でウォルフは甲板の隅に忘れ去られたように置いてある大樽をコンコンと小突いて話し掛けた。

「兄さんもそろそろ出てきたら?何時までもこんな中に入ってたら危ないよ」
「・・・おう」

大樽の蓋が開き、ピョコっとクリフォードが顔を出した。

「あっクリフ!来ちゃったんだ・・・」
「や、やあ、マチルダ様」

クリフォードが乗り込んでいた事に驚いたマチルダが声をかけるが、ただ事ならぬ気配を背後に感じてゆっくりと振り向いた。
そこには優しげな微笑みを浮かべたエルビラが立っていた。足元にはチリチリと炎を纏っている。
あまりの威圧感とその微笑みとのギャップに周囲にいた者は息をのみ、皆後ずさって道を空ける。

「クリフ。言いつけを破りましたね?」
「ひう・・・」

クリフォードの十一年あまりの人生でこれほど母が怒っていると感じた事はない。
ハルケギニア最強クラスのメイジの怒りは物理的な圧迫すら感じさせる程の激しさだった。
震え出す足を叱咤し、顔を上げて母を睨む。無言でこちらを見つめる母に向かって勇気を振り絞り口を開いた。

「・・・た、た、たとえ母さんの言いつけだろうとも、マチルダ様が闘いに出るってのに黙って見送るなんて俺には出来ないんだ」

言った。言ってやった。
クリフォードは全身に力を込めてエルビラを見返す。脳裏にはエルビラに燃やされる父の姿が浮かんでいた。

 そんなクリフォードを黙って見ていたエルビラは、ふう、と溜息を漏らすとウォルフに向き直り訊ねた。

「ウォルフ、あなたはいつからクリフに気付いていたのですか?」
「え?港でフネに乗った時から気付いていたよ。まあ、兄さんらしいなって」
「わかりました。クリフォードもウォルフも帰ったらおしおきですね」
「え、ちょっ、何でオレまで!」
「異議は認めません。故意に黙っていたのなら同罪でしょう」

絶句するウォルフを放っておいてクリフォードを見つめる。
まだまだ子供だと思っていた我が子ではあるが、マチルダを守る為に闘いたいというその目はいつの間にか男の目になっていた。
そしてエルビラの圧力に耐えられると言うことは闘う者として最低限の基準はクリアしていると言うことでもある。なにせ普通は大人でも泣き出したり漏らしてしまったりするほどの圧力なのだ。

「クリフ。あなたは今この船上にいるメイジの中で最も実力が低いです。ということはこれから闘いになった場合最も死ぬ可能性が高いと言うことです。それは理解していますか?」
「う、うん」
「ふう・・・帰ったらおしおきなのは変わりませんが、今回に限り参加を認めます。たとえ死んだとしても自分の責任です。絶対に足手まといにだけはならないようにして下さい」
「はい!」

クリフォードは嬉しそうに目を輝かせたがウォルフは隣で頭を抱えて呻っていた。





 空賊は輸送船団の予想通りの行動に慌てることなくそのまま追い立てていた。旗艦は高度を維持したまま、残りの二隻は高度を下げて速度を上げた。
後はもうこのまま追い詰め、接舷して乗り込めばいい。荷を満載した鈍重な輸送船が空賊船から逃れられるはずはないので、髭面の船長はもうどの辺で上空の護衛船を撃ち落とすかを考えていた。

「ん?お頭!輸送船団がぐいぐい高度を上げています!もう下の二隻より大分高い位置にいますし、直ぐに本艦より高い位置に行きそうです!」
「なんだと?・・・チッ!しまった!撃て撃て!撃ち落とせ!」

見ると確かに輸送船団は速度を保持しながらぐいぐいと高度を上げている。どう見ても荷を満載したフネの動きではない。

「罠だ!あいつら撃ち落とさんとボーナスが出ねーぞ!」
「射程外です!下の二隻からも届かない位置にいます!」
「風石をフルに炊け!絶対に逃がすな!それと後方警戒!何か切り札を持ってきてるかも知れん」
「あいさー!」

空船を出してくる事も一応予想はしていたので風石はふんだんに積んでいる。
収穫が少なくなる事は腹立たしいが、全部撃ち落としてしまえば契約通りトリステインの商人からは金が入る。
風石を最大出力で励起させ速度を上げようとしたところに上空から大砲の音が鳴り響いた。

「お頭!右舷後方を大砲の弾が通過。上空後方の護衛船からの砲撃!通常の大砲のようです」
「下の二隻にはそのまま輸送船を追って沈めさせろ!本艦は高度を上げて後ろの馬鹿を撃ち落とす」

怒気のこもる目で後方を睨む。いつの間にかガンダーラ商会の護衛船が後方上空に姿を現していた。
しかし懸念した新型大砲は積んでいないらしかったので気は楽になった。予定通り大した戦闘にはならなそうだ。
風石で増した速度を更に一度高度を落とすことで増やし、
護衛船との距離を取って護衛船の射程から逃れる。そこから大きく旋回しながら大量に積んである風石にものを言わせて高度を上げた。護衛船の後ろに大きく回り込むように飛んでいるので、このままいけば途中で一度すれ違い、砲撃戦になるだろう。
護衛船は一応こちらに近づいてくるように舵を切っているが高度差を維持しようともせずに突進してくるだけで、どうやら機動力もこちらが圧倒的に優っているらしい。これならばある程度近づいた時に少し距離を外して向こうの射程外から砲撃すれば一方的な戦闘にする事が出来るだろう。
やがて勢いよく降下してくる護衛船との距離が詰まった。もう高度差は殆ど無く、このままなら直ぐに攻撃出来るようになりそうだ。

「よし、右舷大砲すれ違いざまにぶっ放してやれ。あんなしょぼい大砲に負けるんじゃねーぞ!」
「あいさー!・・・ん?お頭!敵艦更に舵を切りました!まだこっちに・・・進行方向に入ってきます」
「はあ?もっと近づかなきゃ当てられねえってのか?」
「敵船首下部に衝角!ぶつけるつもりです!」
「なっ!」

衝角による体当たり戦。
それは大砲が発明されるまでは当たり前に行われていた戦術だが、最近ではそんな戦い方をする者はいない。
大砲による砲撃戦に慣れきった空賊達はそんな戦い方がある事を今の今まで忘れていた。
一瞬近づいてくる護衛船を砲撃すれば良いのでは無いかという考えが頭に浮かんだが、こんな作戦を採ってくる以上装甲を強化している可能性があり、それを考えるとリスクが大きかった。

「取り舵一杯、絶対に躱せ!距離を取ってあらためて砲撃する」
「あ、あいさー!」


 船首部分左右に二門ずつ斜め前方に向けて配備された前部大砲の砲手達は、もう大分前から今か今かと目標が射程に入るのを待っていた。
そろそろ敵艦が射角にはいるかと確認しようとした時急にフネが旋回した。
その後も何度もフネは急旋回を繰り返し、その急激な動きに砲手達は発射準備どころではなくなってしまった。一体何事かと壁に掴まりガンポートから外を窺った彼が最後に見たものは、目の前一杯に広がる衝角を備えた船首だった。

 






「うふふふふ、必死に逃げようとしちゃって、可愛いわね。この"ホーク・アイ"のタニアから逃げられるわけはないのに」

 後部甲板の舵輪の前でタニアはこちらの突撃を躱そうと旋回する空賊船を見つめていた。
その動きは全てタニアの予想の範囲内にあり、急速に近づく空賊船は既に捕まえたも同然と思えた。
ホーク・アイとは使い魔の鷹を上空に放ち、そこから俯瞰した視点を利用して戦場全てをコントロールするかに見えるタニアの戦い方に対してつけられた二つ名だ。

 自ら舵を握ると乗員に打ち合わせ通り船室に入るように指示を出した。
このままの速度で体当たりするつもりであり、風の魔法を発現してフネをコントロールすると同時に空賊船に吹く風も読み切り舳先を空賊船に向けた。

 ウォルフ達が集まった船室は後部デッキの下部にあり、ここはウォルフが念入りに装甲を張っているのでたとえ大砲の直撃を受けても大丈夫なように出来ていた。
タニア以外の全員が船室にはいると用意してある手すりに掴まった。そこにいる全員にウォルフがフルパワーで『グラビトンコントロール』をかけ、慣性をゼロにして衝突の衝撃を影響しないようにした。
全員が手すりに掴まり浮き上がりながら不安そうに衝突の瞬間を待っていると、凄まじい音がして空賊船にぶつかった事を知った。

「よし、成功。攻撃隊、外へ」
「「おおう!」」

室内前方に陣取っていた攻撃部隊が外に出てみると、護衛船は空賊船の前部甲板に三十度くらいの角度で突き刺さっていた。
空賊船の船首はめちゃくちゃに壊れ、ウォルフが急ごしらえで作ったチタン合金製の衝角は十分に仕事をしたようであった。

「ゴーレム隊、突撃!」

 タニアの号令と共に前部甲板に設けられた扉から次々に鉄や青銅のゴーレムが飛び出し、隊列を組んで空賊船へ乗り込んだ。
散発的な鉄砲での反撃や、斬りかかってくる者もいたがゴーレムの突撃と後方からの魔法攻撃で瞬く間に掃討し、上部甲板を制圧した。
衝突の衝撃でフネから振り落とされてしまった者や気絶してしまっている者が多かったらしく反撃らしい反撃はなかった。ガンダーラ商会の護衛部隊が気絶したり倒れ込んでうめいている空賊達を次々に縛り上げる中タニアは次の指示を出した。

「打ち合わせ通り部隊を二つに分けましょう。私はこのまま後部船室の制圧に向かいますから、マチルダ様は下部船室をお願いします」
「「了解」」





「ちっくしょう!なんて事しやがるんだ!おい、早く立て直せ!」
「うわああ、弾は、弾はどこだ」
「オレの杖を探してくれえ!」

ガンダーラ商会側が前部甲板から中央部まで制圧する頃、後部甲板上の船長達はまだまだ混乱の中にいた。
衝突の衝撃で全ての物資が散乱しており、おまけに皆パニックになっているので迎撃する準備を整えるのには時間が掛かった。

「早く鉄砲を揃えろ!こっちの方が上にいるんだ、狙い撃ちにしてやれ!」
「ヘイ、ただいま!」

何とか三人ほどが鉄砲を揃えて前方のタニア達に銃口を向けた。
しかし、構えようとしたその瞬間横方向から強力な『エア・ハンマー』がその三人に襲いかかり、三人はその周りにいた四・五人と共に船上から吹き飛ばされて遙か海上へと落ちていった。『フライ』を使用して高速で飛行しているウォルフからの攻撃である。
そのままウォルフは上空を旋回しながら後部甲板の空賊達に向けて『エア・ハンマー』を連発した。上空から放ったので受けた空賊は甲板に叩き付けられ失神する。ウォルフとしてはこちらに鉄砲や杖を向けようとしてくるのを順に叩いているのでモグラ叩きをしている気分だ。
やられる方は無防備な上空から好き放題に叩かれるのでたまった物ではないが。

「くそったれ!何だあのガキは!貸せッオレが撃ち落としてやる」
「あ、お頭・・・」
「《エア・ハンマー》!」
「ぐむっ」

素早く鉄砲を構えた髭の船長だったが、ウォルフの『エア・ハンマー』は彼も甲板に叩き付け気絶させた。
船長を失い、更にタニア率いる部隊が後部甲板まで上がってきたのを見た空賊達は艦最後尾の船長室に逃げ込むとバリケードを作って籠城した。

「ありがとう、ウォルフ。こっちはもう良いからマチルダ様の加勢をお願い」
「了解」

タニアについてきた土メイジは一人だけだったので多少手こずるだろうが、バリケードをゴーレムが破るのは時間の問題だと言えた。





 一方のマチルダ隊は下部船室を制圧中である。
メイジが連れた使い魔を用いて偵察をし、ゴーレムを使って慎重に一つずつブロックを制圧していく。散発的な反撃を制し、やがてフネの最下部まで到達した。

「ここはもう誰もいないみたいだね。一応、ぐるっと見ておくか」
「あ、マチルダ様、ご一緒します」

最下層は倉庫になっていたので人の気配はない。それでもマチルダは掴まえた空賊達を縛り上げている他の隊員達を置いて、確認のため中に入った。クリフォードも後に続く。
『ライト』の魔法具で物陰を照らしながら樽などが散乱している倉庫をぐるりと回る。
最奥まで行って何事もない事を確認し、帰ろうと踵を返した瞬間、物陰から空賊がマチルダに斬りかかった。

「あぶない!!」

虚を突かれはしたがマチルダはその気配に反応し、落ち着いてブレイドを出した・・・しかしマチルダが迎撃するより一瞬早くクリフォードの『風』が空賊を吹き飛ばした。

「あ、ありがと」
「うん、油断は禁物ですね。でも、オレが居る限りマチルダ様は安全ですから」

マチルダを守れたのが嬉しく、クリフォードは上気した顔で告げる。
そんなクリフォードに向かってマチルダも嬉しそうに笑顔を返した。

「はい、そこー。まだ戦闘中なんだから見つめ合ってないで。そこに倒れている空賊を縛り上げてからにしましょう」
「な!見つめ合ってなんかねーよ!」「・・・・・」

様子を見に来たウォルフに突っ込まれ、慌てて顔を逸らす二人であった。





 エルビラは直接戦闘には参加せずに護衛艦の船尾楼の上に立ち戦闘の様子を見ていた。火力がありすぎるので下手に参加するとフネが燃えてしまうのだ。
後部船室もほぼ制圧が終わりそうなのを確認し、ゆっくりと振り返る。さっきまで輸送船を追っていた空賊船が二隻、旗艦を助ける為にこちらへと向かってきているのが見えた。仕事をする時間のようだ。

「《ファイヤー・トルネード》」

『フライ』でマストのてっぺんに移動し、迫り来る空賊船に向かってルーンを唱える。火×火×火×風のスクウェアスペルは杖の先から巨大な炎の竜巻を発生させた。
吹き出した炎の螺旋はまわりの空気を巻き込みながら激しく燃えさかり、巨大に成長していった。
二百メイルを越える程にまで大きくなるとゆっくりと鎌首を持ち上げるように立ち上がり、更に巨大になりながら杖を離れてこちらへ向かってくる空賊船へと近づいていった。

 迫り来る巨大な炎を眺めながら空賊船の船長は夢を見ているのだと思いたかった。
船乗りとして長いこと生きてきて嵐や竜巻は最も嫌いなものだ。そしてフネでの火災も大事になる事が多いのでいつも注意している。
世の船乗りの悪夢が全て詰まったような存在が自分たちを巻き込み燃やし尽くそうとしている。
脳がそんな現実を受け入れるには数瞬の間を要した

「船長・・・」
「と・取り舵!い、いや面舵!何でも良い!早く逃げろ!!」
「か、舵効きません!引き寄せられてます!うわあー!」

一隻、また一隻と炎の竜巻は必死に逃げようとする空賊船を巻き込んだ。二隻の空賊船は最初帆を燃やしながら炎の外周部でぐるぐると旋回していたが、直ぐに積んでいる火薬が誘爆し、四散した。
上空遙か彼方に巻き上げられ、炎を纏いながら落下していくかつてフネだったものの残骸を敵、味方とも呆然と見送った。

「なんであんなメイジがサウスゴータなんかでパートやってるのよ・・・」

タニアの率直な感想であった。





 その後立てこもっていた空賊達も直ぐに拘束し、戦闘は終結した。逮捕した空賊は頭を含め全部で三十名ほど。こちらの被害はゼロで作戦は大成功だった。
タニアは上機嫌で戦闘に参加した皆に労いの言葉をかけ、空賊達が船倉に押し込まれる様を見守った。
最初ウォルフが作戦会議で「ガード固めて突っ込めば良いンじゃね?」と提案した時は何を適当な、と思ったものだが採用して良かった。
結局一発も当たりはしなかったが、大砲の直撃に耐えられる程強度を高めても重量がそれ程嵩まないチタニウム合金があればこその作戦ではあった。

 鹵獲した空賊船はマストが折れたり、前部が大破したりしてはいるが修理すればまだ使えそうなのでロサイスまで持ち帰り、軍に引き渡す事にした。
護衛艦も損傷を受けてはいたがウォルフの補強が的確だったのか、予想よりは痛んでいなかった。
しかし、どちらも艤装が壊れたりしていて自力航行は難しかったので、輸送艦二隻で曳航して帰った。

 ロサイスに帰ると盛大に出迎えられ、多くの人々が見守る前で空賊船と空賊達を警備隊に引き渡した。
空賊は捕まると縛り首と決まっている為、通常は徹底的に抵抗するものなので、これほど大量に捕まる事は珍しいそうだ。
ロサイス警備隊による徹底的な取り調べが行われ、空賊の本拠地が判明した。
直ぐに軍が急襲し、本拠に残っていた空賊とフネを叩きつぶし空賊の財産を接収した。空賊行為や奴隷取引、風石の違法採掘など彼らが長年の不法行為によって蓄えてきた財産は莫大で、公爵領が買えそうな程だったという。

 この事件以降王家主導による空賊討伐が積極的に行われるようになった。討伐に否定的な貴族達の主張を吹き飛ばすほど接収した財産は多大だったのだ。
接収した財産からすれば極一部ではあるが、国からガンダーラ商会にも取り分が支払われこれまでの損害を補填する事が出来た。
 
 ガンダーラ商会の名は空賊を退治した商会としてアルビオン中に響き渡った。
直接的な妨害工作を受けなくなった事も大きいが、取引を開始する時に話をしやすくなったのが何よりありがたかった。




  
 事件から数週間後ラ・ロシェールの酒場、その薄暗い地下の一室で二人の男が向き合っていた。
一人は空賊らしき体格のいい男。一人は頭からすっぽりとフードを被って正体を隠そうとしているが、数週間前に髭の空賊にガンダーラ商会を襲うように依頼した男だ。

「何の話かと思ったらそんな事か。髭のところが壊滅したばっかりだろう。あんな所に手を出すのはゴメンだぜ」
「勇猛と言われるアルビオンの空賊が随分と臆病になったものだな」
「計算高いと言って欲しいね。それにあんたらのせいで最近軍がやたらと張り切っちまってね、今アルビオンで大っぴらに動こうって言う空賊は居ないだろう。俺らも暫くロマリアにでも出稼ぎに行こうと思っているくらいだ」

フードの男が悔しげに呻る。ガンダーラ商会襲撃の依頼はすげなく断られた。
必死に思考を巡らすが、目の前の男を動かす方法は思いつかない。

「実はな、そんなあんたに手紙を預かってきているんだ」
「手紙?」

目の前の男がそう言い、懐から手紙を取り出した。
思わず聞き返し、呆然と手紙を受け取った。初めて会うこの男が何故自分宛の手紙を持っているのか。
訝しみながらもその手紙の封を切る。でてきた紙に目を通し、凍り付いた。

" これは警告です。
 今後再び当商会に対して不法行為を行った場合、全力で報復します事をご承知下さい。
                  ガンダーラ商会商会長 タニア・エインズワース "

ガタガタと膝が震え出す。相手は勇猛と言われるアルビオンの空賊を独力で三隻も壊滅したのだ。

「ラ・ロシェールの酒場の地下で人と会うことになったら渡してくれって頼まれたが、あのお姉ちゃんの読み通りだったみたいだな」
「おおお、お前、ここに来るまでつけられてはいないだろうな!」
「さあ?人間にはつけられてはいないと思うが、ずっと空に鷹がいるのは気になったな。ちなみにあのお姉ちゃんの使い魔は鷹らしいが」

真っ青になって思わず辺りを窺う。ばれたらあんたも縛り首だぜ、という髭の空賊の言葉が思い出された。

「まあ、あのお姉ちゃんも大した物だがな・・・あんた知らないようだから教えてやる。世の中には絶対に敵に回しちゃいけない人間ってのがいるんだ。オレはそんな人間を二人知っている」
「くっ・・・向こうにそんな人間がついてるって言うのか!」
「"業火"・・・罪を犯した者を全て焼き尽くし、食らい尽くす。そんな炎にわざわざ向かっていく事は無い。知らんぷりをしてれば関わらずに生きていけるんだ、あんたも余計な事はもう考えない方が良いぜ」

空賊らしきその男は踵を返し、それ以上何も言わずに出て行く。
後にはフードの男が一人、残されるだけだった。






[18851] 幕間2   とあるメイドの一日
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2010/11/20 20:24
 わたしの一日は夜明けと共に始まります。
メイドをしている母親と一緒に起きて支度を調え、朝食の準備のために水を汲みます。水汲みは子供の仕事です。わたしは水メイジですのでこんなのはちょちょいと魔法でやっちゃいます。
それから食堂の配膳など朝食の準備を手伝い、頃合いを見て二階にあるウォルフ様の部屋へ行って起床を促します。
寝ているウォルフ様を起こすのはとても楽しいのですが、ここの所ウォルフ様は先に起きていて、ブツブツと呟きながらメモに走り書きをしている事が多いです。今日も何かブツブツ言っていますが、ヘキサメチレンジイソシアネートって何なんでしょうか。また何か知らない物質名が増えているみたいです。何でこんな頭の悪い名前をつけるのか分かりません。おかげでいくら覚えても覚えきれ無いです。

「お早うございます、ウォルフ様」
「お早う、サラ。今日も午後に実験しようと思うからこれとこれとこれを用意しといてくれ」
「かしこまりました。朝食の準備が出来ています。支度がお済みでしたら食堂へお越し下さい」
「ん?どうしたの、何かメイドみたいじゃん」
「わたしは元々メイドです。今まではちょっと馴れ合いすぎました。今後はビシビシ行きますからよろしくお願いします」
「お、おう、じゃあこれ洗濯物・・・」

 ウォルフ様から洗濯物を受け取り、使用済みのシーツ等と一緒に洗濯室へと持ち帰ります。階段は気をつけないと転ぶので荷物を持っている時は『レビテーション』を使っちゃいます。
洗濯はお母さん達本職のメイドがしますが、少し前にウォルフ様が洗濯機というのを開発してから凄く楽になったそうです。
洗濯機は穴の開いた大きな鍋を横に倒したような構造をしていてそこに洗濯物と水と洗剤を入れると「せんたくん」がぐるぐると回転させて洗ってくれるという物です。脱水をしている時は凄い速さで洗濯槽が回転していますが、変速機というものの試作品を流用したそうです。

 せんたくんはウォルフ様が作ったガーゴイルで土の魔力を動力としています。
丸い顔に微妙な笑顔、何故か物干し竿を模した角を生やしていてあまりセンスの良いデザインではありません。ウォルフ様曰く、キモ可愛いと言うのだそうですがキモいだけのような気がします。
すすぎや脱水、更には洗濯物干しまで全部せんたくんがやってくれ、とても楽になったのでせんたくんはメイドさん達に人気です。何せ洗濯物を入れて蓋をしてせんたくんに頼めば洗濯が終わっちゃうのですから。何と最近ではあのデザインがいいと言う人まで出てきました。
これだけ人気なのですから、デザインをもう少し可愛くして売り出したらどうですかとウォルフ様に進言したこともあるのですが、売り出す気はないそうです。コスト的にメイドを雇った方が安くなるし、メイドの仕事を直接的に奪うような物は良くないとのことです。あくまで試作品として作ったとのことです。
せんたくんが出来て以来メイドの仕事に余裕が出来たのでお掃除にかける時間が多くなり、お屋敷はいつも隅々までぴかぴかです。

 御一家の朝食中、メイドは給仕していますのでわたしはお母さんが帰ってくるのをキッチンで待ちます。他の使用人達は先に食事を摂りますからその配膳の手伝いや給仕などをしてすごします。
朝食はメイドだけで食べることになりますので御一家や御近所などの噂話に花が咲きます。わたしが思うにニコラス様やクリフォード様はもう少し行動に注意を払った方が良いと思います。メイドは見ていないようでも見ている物です。特にクリフォード様!メイドのスカートの中を覗こうとしているなんて言われてますよ!
朝食を食べ終わるとウォルフ様に言われた実験器具などを準備して、商館に出勤します。以前はお皿洗いの手伝いをしていましたが、寺子屋が出来てからは時間を取れなくなりました。わたしは子供ですが、水メイジですので結構皆さんに頼りにされていたのですが。



「では次の問題。三角形ABCにおいて、a=√7、b=2、c=1のとき、∠Aの大きさを求めよ。これは簡単ですね、余弦定理を用いればすぐに答えが出ます。では、トムさん」
「はい!a^2 = b^2 + c^2-2bccosAより、cosA=-1/2。よって∠A=120°です!」
「はいよく出来ました。皆さんも分からない人は居ませんね?では次の問題です」

 午前中は寺子屋で数学などを教えます。わたしが教えるのは高学年と中学年でクラス分けは年齢だけではなく理解度も勘案して決めています。
高学年は十一歳から十三歳までが在籍していて、リナとラウラもこのクラスです。中学年は九歳から十一歳、低学年はそれ以下となっています。
低学年はカルロさん達が時間の空いた時に教えてくれていますし、読み書きについては専任の教師を雇っています。
授業は全て無償で行っていますので多くの子供達が集まるようになりました。最も中学年以上にはテストがあるので誰でも入れるわけではありませんが。
わたしの授業は最初の頃はぎくしゃくしていたのですが、最近は人に教えることにも慣れてきたのでバンバン進めます。
宿題が多いと文句を言われることが多いですが、ウォルフ様がわたしに出すのはもっと多かったので聞く耳は持ちません。

 昼食はド・モルガン邸に帰ってウォルフ様と一緒に食べます。そうしないとあの人作業に熱中していて食べることを忘れてしまうことがあるので要注意です。

「ほら、ウォルフ様食べるときくらいその紙置いて下さい。お行儀が悪いです」
「もうちょっと、もうちょっとだけだから」

この人本当に貴族なのだろうかと思うことがよくあります。わたししかいない時はブリミル様にお祈りもしないし、今みたいに何かしながら食べるという行儀の悪いことも平気でします。
将来魔法学院に入学した時に苦労したりしないかと心配です。


 午後からは朝に言っていた実験をします。朝の内に用意しておいた実験器具等を使って行いますが、今日はわたしも手伝いをします。
今日の実験の目的はアクロレインとそのアクロレインからアクリル酸を生成する上での効率の良い触媒を開発する事だそうです。
ウォルフ様が反応させながら『練金』で触媒の成分や比率を次々に変えていき、生成物の成分を『ディテクトマジック』で調べながら最も効率の良い触媒を探します。
触媒に試してみる物質も多数ありますし、反応させる温度も変えながら実験を行いますのでもの凄く時間がかかります。ウォルフ様は魔法を使わないでやるよりはもの凄く早いと言っていますが、魔法も使えずにこんな馬鹿なことをする人は居ないと思います。
実験の結果プロピレンからアクロレインを生成するのにはモリブデン、コバルト、ビスマスなどの複合酸化物触媒、アクロレインからアクリル酸を生成するのにはバナジウム、モリブデンなどからなる多成分系触媒が採用されました。口で言うのは簡単ですがなんのこっちゃっていうかんじです。

「ふう、じゃあ今日はここまでだな。サラ、お疲れさん」
「はい、お疲れ様でした。今日の実験は何になるんですか?」
「んー、今は塗料目的でやっているけど、将来的には繊維とか接着剤とか高性能なオムツとか作るのにもつながるかな」
「オムツですか」
「おう、高分子で吸水しておしっこが全然漏れないやつが作れるようになるかも」

随分とまた変な物を作ろうとしますね。・・・ハッ!将来・オムツ→!!

「ウォルフ様・・・」
「んー?」
「あ、赤ちゃんは何人欲しいですか?」
「え゛・・・」

結局答えてはくれませんでしたが、将来生まれてくる赤ちゃんのために今からあんなに頑張って実験するなんてウォルフ様は結構優しいです。
何か違う違うと言っていますが、照れているんですね、分かります。


 夕食が終わるとわたしとウォルフ様との二人の時間になります。大事なことですから、もう一度言います。二人の時間です。
わたしの勉強を見てくれたり、寺子屋の授業の進め方についてアドバイスをくれたり、二人で静かに本を読んだりと過ごし方は色々です。
今日も勉強を見て貰った後はソファーで二人並んで本を読んでいます。ウォルフ様は分厚い魔法道具の専門書を『レビテーション』で浮かせて読んでいます。こんな時くらい杖を手放せばいいのに。
わたしが今読んでいるのは"共産党宣言"です。もう読むのはこれで三度目になります。
この本はウォルフ様が書いた物で、ブルジョア的所有を廃止し、人間が人間らしく生きる社会を創るための道筋を示した本です。
「プロレタリアはこの革命において鉄鎖のほかに失う何ものをも持たない。彼らが獲得するものは世界である。万国の労働者、団結せよ」という最後の言葉には心が激しく震えました。
うっとりと本を眺めていても世界は変わりませんからウォルフ様に相談してみました。

「えっ?共産主義革命するの?今から?」
「そうですよ、今こそ我々プロレタリアは立ち上がらなくてはいけないんです!」
「いや、立ち上がらなくて良いから。座って座って」
「何言ってるんですか、ウォルフ様が書いた本じゃないですか。万国のプロレタリアよ、立ち上がれって」
「いやそれ全然適当に書いたやつだし内容だっていい加減なんだから。ああもう、何でそんなの読んでるんだよ」
「ウォルフ様・・・資本家に懐柔されたんじゃ・・・」
「だからなんでそうなる」
「犬!ウォルフ様は資本家の犬よ!」
「えーと・・・」
「たとえウォルフ様が妨害しようとも、我々は最終的な勝利を掴むまで決して立ち止まりはしない!プロレタリア独裁!!」
「落ち着け!!」

はっ・・・わたしは一体何を口走っていたんでしょう。ウォルフ様に無理矢理椅子に座らされて我に返りました。それにしてもウォルフ様に犬って言うなんて・・・。

 久しぶりにウォルフ様に説教されました。
ウォルフ様によると"共産党宣言"はノリでアジっぽく書いてみた物なのだそうで、本気にしたらダメらしいです。アジって何でしょう。
確かに高い理想を掲げているので魅力的に見えるかも知れないけど、実現するのは無理とのことです。平民全員が指導者になれるくらいの見識を持てるようになれば可能かもと言われましたが、さすがにそれは難しそうだと分かります。ショックです。
いつも全てを疑って正しい答を導けと言っているのに、こんな穴だらけの理論に簡単に扇動されるとは何事だと怒られてしまいました。そうは言ってもわたしはウォルフ様のメイドなんだからウォルフ様のことを疑うのは難しいです。そんな適当な本をそこらに置いておかないで欲しいです。
さっきのわたしの態度は思春期にありがちなアカカブレという症状だそうで、すぐに直る流行病みたいなものだから気にしなくて良いと言って下さいました。

 "共産党宣言"は危険なのでもう読むのをやめにして、ラウラから借りている恋愛小説の続きを読む事にしました。
この本は落ちぶれた伯爵家の元令嬢とその元使用人の息子との恋の話で、ちょっと読んでいるとどきどきするのです。元婚約者とか幼なじみだとか色々出てきて大変なことになっていますが、本当にこの二人は幸せになれるのでしょうか。

「はふぅ・・・ウォルフ様、恋って何なんでしょうね・・・」
「好きと認識した相手に対した時に脳内物質が過剰に分泌されてラリっている状態だな。相手の事を考えただけでも分泌されるみたいだ」

良い所まで読んで本を閉じてうっとりしていると、ムードも何も無い返事が来ます。
ウォルフ様にロマンチックな返事を期待したわけではありませんが、もう少し考えて返事をして欲しいです。

「ラリってるって・・・う、確かにラリってる?」
「好きな相手を思うと胸はどきどき、目は潤んで頬は赤くなる。現象としてはうちの親父が酒飲んでうぃっくってなってる時と一緒だ。あれも酒によって脳内物質が過剰に分泌している状態なわけだから」
「あんなのと一緒にしないで下さい!じゃあ、じゃあ愛はどうなんですか?愛もラリってるだけなんですか?」
「愛ってのは憎しみと一緒で共感する気持ちの事だな。好きな相手が笑っているだけで自分も幸せな気持ちを共有できるっていう事だ。憎しみは逆に嫌いな相手が笑っているだけでむかついてくる」
「それだけで愛してるって言うんですか?そんな単純な話なんですか?小説の中じゃあ、愛と憎しみで大変な事になっているのに」
「実際には愛に恋に独占欲とか性欲とか打算とかの諸々の欲が絡んでくるから大変なんだろう。まあ、恋も愛もそれだけってのは困るけど、大事な事だと思うよ」

何だか夢が、ロマンがありません。正しいのかも知れませんが、ウォルフ様はまだ七歳でこんなに枯れていて将来は大丈夫なのでしょうか。

「ウォルフ様」
「ん?」
「わたしが笑っていたら嬉しいですか?」
「当たり前だろ」
「じゃあ、恋はラリってるってことでも良いです」
「ん、もう少し大人になったら、サラも恋をするようになるよ。その時は盛大にラリれ」
「分かりました。目一杯ラリラリします。ウォルフ様もちゃんとラリって下さいね?」
「おう、まかせとけ」

ウォルフ様は笑って私の頭を撫でてくれました。
子供扱いされているようで少し恥ずかしいですが、撫でられるのは好きです。

 本を読んでいる内に就寝時間になりますので、ウォルフ様に挨拶をして自室に下がります。これでわたしの一日は終わりです。
明日は商会の監査をする日ですから忙しくなります。
八歳にしては結構ハードな日々なんじゃないかと思いますが、普通の八歳の子がどういう生活をしているのかは知らないし、毎日充実しているので気になりません。少なくともウォルフ様よりはゆとりのある生活を送っていますし。

 願わくばこの穏やかな日々がこれからも続きますことを・・・おやすみなさい。








[18851] 幕間3   ガリア
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2010/12/11 18:17



 人口千五百万人を誇るハルケギニア一の大国・ガリア。そのほぼ中心に位置する首都リュティス。その政府官庁が集中する一角にある産業省の前にレアンドロ・フェルナンデス・デ・ラ・クルスは立っていた。

「遂に、ここに、来た。リュティスよ、わたしは帰ってきた」

レアンドロは二十数年前にもここに立っていた。
その年そこそこ優秀な成績で魔法学院を卒業し、大貴族の嫡男として将来政府中枢で活躍することを期待され、また自身も十分にその期待に応えるつもりで産業省の入省試験を受けるつもりだったのだ。
学院での成績、ガリアでも勢力と長い歴史を誇るラ・クルスの嫡男という地位、父フアン・フランシスコ・デ・ラ・クルスのメイジとしての名声などから名前さえ書けば受かる、と言われたその試験をレアンドロは落ちた。
緊張で前夜から激しい下痢と腹痛を起こし、試験会場へ向かう途中気絶して倒れた。
名前を書けば受かる試験で名前を書けなかったのだ。
当時ガリア王国軍両用艦隊総司令としてリュティスの司令部に勤めていたフアンはそんな息子を盛大な溜息で出迎えた。領地の経営を勉強しろとラ・クルス領に戻され、それ以来レアンドロはリュティス来る事は滅多になく、特にこの産業省の前に来たことは一度も無かった。

 傷心を抱いて故郷に帰ったのであるが、レアンドロを廃嫡して五歳も年下の妹であるエルビラを時期領主に据えるのでは、との噂が立ち始めたのはこの頃からだ。
それからの日々は辛いことが多かった。領地の経営で実績を上げようと頑張っても部下からは軽んじられ、領民には舐められ中々思うような成果を得ることは出来なかった。
そんな日々は妻セシリータと結婚してからも変わらず、彼女に中々子供が出来なかったこともあってますます酷くなったようだった。
変わったのは長女のティティアナが生まれてからだ。
フアンの態度が少し柔らかくなり、ウォルフ達が毎年ヤカに来るようになってからは重要な仕事をまかせられることも多くなった。
家臣達もレアンドロのことを軽んじる様なことは無くなり、次期当主として尊重してくれるようになった。
更にフアンから領内の経営をまかされるとウォルフ達と組んで産業を振興し、僅か一年で経済発展させることに成功した。
その成果を評価されて遂に因縁の産業省の副大臣に抜擢されたのだ。
レアンドロにとってまさに今が人生の春と言って良かった。

「お早うございます。ラ・クルス様。本日よりあなた様の秘書となりました、ポーラ・ガルシア・マルティネスです。よろしくお願いします」

 庁舎に入るなり待っていた人物に話し掛けられた。レアンドロの秘書だというその人は、ダークブラウンの髪をびしっと纏め瓜実型の形の良い顔に少しつり上がった目、いかにも才女という風にスーツを着こなして書類の束を小脇に抱えていた。

「ああ、よろしく。レアンドロ・フェルナンデス・デ・ラ・クルスだ。早速庁舎内を案内して貰えるかい?」
「かしこまりました。では、こちらへ」

その切れ長の目と同じようにつり上がった眼鏡をクイっと指で押し上げて答えると、踵を返しそのままレアンドロの前を歩いていく。
簡単に庁舎内を案内し、やがて立派な装飾の施された扉の前に立った。

「こちらがラ・クルス様の執務室になります。お入り下さい」

恭しく扉を開くとレアンドロが入るのを待つ。
そんな秘書の様子に満足して頷くと自身にあてがわれた執務室に入る。そこは十分な広さと格調高い内装を持ち、ガリアの副大臣という地位をレアンドロに実感させた。

「本日のご予定をお伝えします。午前中はこのまま私から業務の内容についてレクチャーを受けていただきます。午後にはシャルル様が登庁なさいまして会議が開かれますのでご参加いただきます。その後は関係業界の重鎮達から面会の希望が多数入ってございますので本日のお帰りは少し遅くなるものと思われます」
「おお、初日から忙しいね。少しってどの位かな、夕食までには帰れるくらい?」
「本日中には、予定を消化できそうですが・・・夕食はこちらで摂っていただく事になると思います」
「・・・成る程、中々ここの仕事はハードそうだね」

各省庁の副大臣は最も激務が要求されると言われているが、どうやらその噂に間違いはないようである。
しかしこれまで不遇を託っていたレアンドロにとって多忙は望む所である。やりたい事があるのに出来る事が無くひたすら本を読んでいた日々とはもうサヨナラだ。
ここならば自分の能力を思うまま発揮できる・・・レアンドロは胸が高鳴るのを自覚した。





 レアンドロがリュティスで働き出して暫く経った頃、同じリュティスのオルレアン公邸の門前で仁王立ちする女が居た。

「遂にここまで来たわ。わたしのサクセス・ストーリーはここから始まるのよ!」

高らかに宣言していたせいで衛兵には不審者を見る目をされてしまったが、直ぐに身分を明かして誤解を解いた。本日からここで住み込みの家庭教師として働くパトリシア・セレスティーナ・ソルデビジャ・ド・バラダである。
王族の子弟の家庭教師などは通常宮廷内の力関係などで決定されるのだが、シャルルが実力主義を言明した為に半分家を飛び出しているようなパトリシアもその試験を受ける事が出来た。
書類審査を難なくパスし、実技審査も主席で通過。一週間に及ぶ実習試験でも担当した教え子の魔法を最も上達させ、文句なしに水系統担当の家庭教師として採用されたのだ。
ウォルフと出会ってから一年。短期の家庭教師を続け、多くの子供に魔法を教えてきたパトリシアの努力が結実したのである。

 王族の家庭教師になると言う事はメイジとしてのキャリアを大きく積み増すと言うことである。実際採用が決まってから久しぶりに帰った実家では全く扱いが変わっていた。
実力はあるくせに気まぐれで勤めが長続きしないパトリシアをさっさと嫁に出そうとしていた父親は「我が家の誉れだ!」などと褒めそやすし、弟妹達も王族にパイプが出来た事を喜んでやたらと愛想が良い。
母親はこれから山のように縁談が持ち込まれるだろうと今リュティスにいる有力貴族の子弟の名を指折り数え、捕らぬ狸の皮算用をしている。
通常パトリシアのような年若いメイジが王族の家庭教師などに選ばれることは無いので、家族が舞い上がってしまうのも無理はないが、本人としては冷静に事態を受け止めている。
まずはきちんとシャルロットに魔法を教え、キャリアを積みゆくゆくは魔法学院の教師に・・・
ここ一年の教師生活で魔法を教える事に喜びを見い出していたパトリシアは、自身の将来の為に今回の応募に応じたのだ。

 シャルロットの教育は四人でチームを組んで行うことになっている。
シャルロットの系統である風のメイジが教師団長を務め、火・土・水のメイジがそれぞれ一人ずつ在籍している。全員がスクウェアメイジだ。
パトリシア以外は皆年配の貴族でリュティスにある自分の屋敷から通って来ており、爵位を持っていないのもパトリシア一人だけだ。
シャルロット本人は一年ほど前から魔法を習い始めていて、最近系統魔法も成功するようになったのでそれぞれの系統の専門家を集め、学ばせるつもりだ。
自分の系統以外は中々出来はしないだろうが、早い内から知っておくことが大事というスタンスである。

 パトリシアがオルレアン公邸に入居して一週間、いよいよシャルロットの初授業の日がやってきた。  
 
「お久しぶりにございます、シャルロット様。本日より水系統魔法を教えさせていただくパトリシア・セレスティーナ・ソルデビジャ・ド・バラダでございます」
「?・・・どこかで会った?」

何となく見覚えのある顔にシャルロットは記憶を探る。

「はい、一年ほど前、ラ・クルス領でウォルフ達に魔法を教えておりました」
「・・・!!父様の愛人候補」
「ぐっ・・・その事はウォルフの冗談でしたのでお忘れ下さいますよう」

ポンと手を叩いて余計な事まで思い出したシャルロットにお願いする。他の人に聞かれたらあらぬ誤解を受けてしまいそうだ。

「冗談よ。そう、ウォルフにも教えていたの」
「はい、まあ、彼には教えていたと言うより魔法を見せていただけですが」
「・・・どう違うの?」
「彼は見ただけで魔法を理解しますので、特に私があれこれと教える必要はありませんでした。教えると言うよりは観察されるというか・・・彼が出来ない魔法は単に必要な精神力が足りないだけでどうしようもないという感じでしたので」
「・・・・・・」

パトリシアの言葉を受けてシャルロットが考え込む。
その様子をパトリシアは注意深く観察していた。事前の情報通り思慮深い性格のようだ。

「どうして、ウォルフはそんな事が出来るの?」
「それは分かりません。ウォルフだから、としか言いようのないことでしょう。ただ、これだけは言えますが、彼は魔法を論理的に理解しようとしていました」

またシャルロットは考え込んだ。パトリシアはちょっとまだシャルロットには難しい話かなと思ったので話を切り上げ、授業を開始することにした。

「さあ、それでは授業を開始しましょう。本日は水魔法の基礎の基礎の基礎、『コンデンセイション』を学びましょう」

 パトリシアは魔法を教えるに先立って物質の三相から教え始めた。
物質には固体・液体・気体の三相があり、水も同様に氷・水・水蒸気の三相をとる。
目に見えている液体の水だけが存在する水の全てではなく、空気の中にもそして土や岩石の中にも水は含まれているのだ。
コンロでお湯を沸かす時に沸騰する事を例にとり、『コンデンセイション』はその逆に空気中の水蒸気から液体の水を取り出す魔法であることを説明する。
上達すれば土の中の水分や岩石の中の結晶水からも水を得ることが出来るようになるのだが、まずは空気中から取り出せるように教える。

「《凝縮》!」

 十分にイメージを作ったシャルロットがルーンを唱えると十サント程の水球が宙に出現した。
まだ六歳に過ぎない風メイジとすれば上出来な結果である。しかし、本人はどうやら不満そうだ。

「良くできましたね、初めてにしては上出来です」
「ウォルフはどうだったの?」
「彼は私と会う前から水魔法を使えていましたし、シャルロット様は初めてですので比べることではないです」

シャルロットの魔法はそのイメージから魔力の流れまで全く問題がないもので、今後イメージが固まるに連れて威力は増すものと思われた。

「パトリシア先生、私はウォルフよりも魔法がうまくなりたい。できる?」
「ウ、ウォルフよりですか?」

唐突に言われて返事に詰まる。シャルロットが才能に恵まれているというのは疑い無いとは思うが、あのウォルフに勝てるようになるかというと全く判断が出来ない。
目の前のポヤッとした少女が、現時点でさえ非常識な魔法を行使するウォルフに追いつくにはどれほど努力すればいいのだろう。

「それは・・・シャルロット様の努力次第でしょう。ただ、これだけは言っておきますが、現時点での差は大きいです。焦らず少しずつ近づくことが大事でしょう」
「うん、がんばる」

むん、とシャルロットが気合いを入れる。一体何がこの少女をその気にさせているのだろうと不思議に思う。

「では、私もお手伝いします。シャルロット様は風の次に水魔法に適正がありますから、まずはこれで彼を上回るよう努力しましょう」
「うん。ウォルフは水魔法にがてなの?」
「そうですね。彼は火メイジですのでやはり水は苦手のようでした。まあ、水もそこらのドットメイジよりは強力な魔法を使っていましたが、少ない水の魔力を効率よく運用して何とかしている感じでしたね」
「効率よく運用・・・」
「はい。全く同じ精神力が込められた魔法でも威力まで同じというわけではありません。如何に少ない魔力で最大の効果を得るか。彼はその事を常に気にかけているようでした」
「先生、私にもそのやり方を教えて?」
「もちろん。ポイントは如何に正しくイメージを創れるか、ということです」

ウォルフのことに拘るのは気になるが、シャルロットはこれまでパトリシアが教えてきた生徒の中で最もやる気がある生徒であることは疑いない事のようだった。
シャルロットにとっても魔法を論理的に解説してくれるパトリシアはとても相性が良く、四人いる教師の中で最もその授業を楽しみにするようになった。




 シャルロットとパトリシアが気の合う師弟としてほぼ毎日魔法の練習に明け暮れるようになった頃、一方の産業省では仕事に慣れたレアンドロが精力的に動き回っていた。
この日はオルレアン公や産業省の幹部の前でガリアにおける産業の振興について今後の方針をプレゼンしていた。

「なるほど、魔法以外からのアプローチも大事だと君は言うんだな」
「はい、我がガリアでは魔法の研究が盛んですが、それ以外の技術と組み合わせることによりその効果をより高めることが出来ます」
「ふうむ、魔法技術をより高める為の非魔法技術の研究か。それならば頭の固い貴族連中にも通せそうではあるな」
「ゲルマニアがあそこまで急激に発展した原因が非魔法技術であることは明らかです。連中は魔法まで技術の一つと考えているようですが、我々が採るべき道はそこまで技術に偏ることなく魔法の効果を最大限に発揮させる為の技術を開発するべきです」
「その非魔法技術を高めた成果がラ・クルスの紙か。確かにあれは随分と品質が向上したみたいだな。今後羊皮紙が不要になるのではないかとまで言う者がおったぞ」
「はい、あれは魔法を使わずに製造していたものに『固定化』の魔法をかけて品質を保持していましたが、製造工程を改善し、最初に魔法を少し使用することにより『固定化』が必要ないほどの品質を得るようになりました」
「確かに、非魔法技術だけで製造しようとしているゲルマニアより遙かに優れた品質を得ているのが痛快だな。いいだろう、非魔法技術研究チームを発足させよう。必要な人員は君が手配してくれ、当然君がリーダーだ」
「ありがとうございます。ご期待に添えるよう、頑張ります」

 プレゼンの反応は上々で、オルレアン公からは予想していたよりも多くの予算が掲示され、幹部達もそれに異議を唱える事は無かった。

 レアンドロが見た所、ガリアの魔法研究はハルケギニアで最も進んでいるが、ここ最近の研究は実用から遠く離れているように見えた。
より優雅な所作をするガーゴイルだとか自動で毎日美しい鎧の装飾が変更されるゴーレムなど、貴族の好みだけを満足させる研究が大手を振っていて実際に役に立つような研究が疎かになっているように感じられるのだ。
国の中枢から外れ、故郷で冷や飯を食っていたおかげでレアンドロは今のガリアの問題点を客観的に分析することが出来た。
貴族の庭でガーゴイルがどんなに優雅にお茶を入れようともガリアの国力が上がることはない。このままではいずれゲルマニアに圧倒されてしまうのではないかという懸念をラ・クルスにいる頃から常に持っていた。
オルレアン公はまだそれ程の懸念を持ってはいないようではあるが貴族の在り方などに対しては深く憂慮していて、ガリアには改革が必要だという見解をレアンドロと共有しているのだ。

 その改革の第一歩として魔法に傾倒しすぎている技術開発を是正するという事をレアンドロは選んだのであった。


「えーと、予算がこれだけ付いたから結構大きい組織を立ち上げても大丈夫そうだな・・・」
「はい、百人くらいでスタート出来るのではないでしょうか」
「うちの省からは十人ほど参加させられるかな。後は他の所から引っ張ってこなければならないんだけど」
「半分ほどは嘱託という形で民間からも募集をしましょう。良い人材が発掘できるかも知れないですし、全部省庁からの出向だと予算を圧迫します」
「うん、各職人ギルドにも声をかけてみてくれ。私も良い人材がいないか、知り合いの貴族に声をかけてみよう」

 その後自分のセクションに戻ってきて部下達と新たに立ち上げる組織について話し合う。
大まかな方針は決まったが非魔法技術を研究すると言っても対象が広すぎるので絞るのが大変だ。布や紙、船や馬車の生産など産業省が従来担当してきたものだけではなく農業や林業など技術が応用できそうなものは全て研究の対象なのだ。
そんな広い対象の詳しいことがトップダウンで決められるわけもないので、各分野について詳しい人材に検討させるという方針で話を進める。

「あとガリアで一番非魔法技術の研究が進んでいると言えば軍ですね。こちらはオルレアン公ルートで協力を要請した方が良いです」
「どんな人材が良いか詳しく纏めて依頼しよう。鉱山省や林野庁、農業庁、水産庁などからも人を出して貰うとして、人選が大変そうだな。明日からも忙しくなるぞー!」

そう、大変そうに言うレアンドロの顔はとても楽しそうなものだった。



 スタッフと一丸になって立ち上げたこれらの研究は最初こそあまり大きな成果を上げることはなかったが、その後ガリアの産業に大きな変化を与えることになる。
彼が導入した手法は、魔法の効率的な導入・メイジが嫌がるような分野での魔法研究・商品の規格化や大量生産などであるが、折しも貿易が盛んになって来たこととも重なって徐々に成果を上げ、空前の好景気をガリアにもたらした。
その変化はそれを推進したオルレアン公の功績とされ、彼の王子としての名声をいよいよ揺るぎない物にしていった。王領に先駆けて最新技術を試験投入しているオルレアン公爵領は発展し、多くの商人や職人が集まり第二の首都とまで言われる程になっている。

 レアンドロも成果を上げる度に人々から賞賛と尊敬を受けることにはもう慣れた。
自身を信頼して権限を与えてくれる上司に信頼に必ず応えてくれる優秀な部下。やりがいのある仕事とそれを実現させるに十分な設備と予算。誰もが羨むような環境でレアンドロはひたすら仕事に打ち込んだ。
非常に忙しく、あまり妻子との時間を取れないことは悩みではあったが、それに優る満足がそこにはあった。
オルレアン公の懐刀と目され、事あるごとに取り入ろうとする手合いとの付き合いは大変だが優越感を感じてもいる。

 彼は自身の未来について、些かも陰りを感じる事は無かった。























[18851] 幕間4   ライバル
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2010/12/11 18:16
「勝負だ!クリフォード・マイケル・ライエ・ド・モルガン!今日こそこのギルバート・キース・ハーディ・オブ・コクウォルズがお前を倒す!」
「また?なんか毎回同じ事してる感じだし、もうこんな事やめない?」
「なめるな!今までの僕とは違うんだ!」

 カール邸の中庭で自習時間になったとたん同級のギルバートから決闘を申し込まれた。実に今月だけでも三回目である。ギルバートは抜けるように白い肌と紅い唇が印象的な美少年で、クリフォードよりも色の薄い金髪を肩まで伸ばしている。
二月程前から何だかんだと言っては挑んでくるが、毎回全力も出さずに返り討ちにしている。最初の頃は楽しかったが今となっては特に得る物もないし、はっきり言って面倒くさい相手だった。

「いくぞ!構えろ!《エア・ハンマー》!」

中々の威力の魔法が飛んでくるが、あまり大きくはないので軽くステップして躱す。クリフォードの前髪がふわりと揺れた。

(それじゃあんまり意味は無いんだよなあ。もっと意識して高圧の空気を作らなきゃ)

『エア・ハンマー』は"風で大きなハンマーを作って相手を吹き飛ばす魔法"だと一般では教えているが、ウォルフの教えは"高圧の空気を作ってその塊を相手にぶつけろ"と言う物だった。
最初の頃は気圧という物が何を意味するのか分からなかったが、繰り返し教えて貰って今はもう理解している。何もない所に風があるのではなく、空気という物が存在し、その圧力の差こそが風なのだと言うことを。
それを理解してからクリフォードは風の魔法を使うのが飛躍的にうまくなり、同級の"風"のクラスでは誰も敵う者がいなくなってしまった。
しかしギルバート認められないようで、チクチクと絡んでくるようになり、先日からはついに決闘を申し込まれる程になってしまったのだ。

「ふう、しょうがねーな、《エア・ハンマー》」
「うわあ!」

 軽く空気の塊を当てて圧力を開放する。それだけでギルバートは吹き飛ばされ、ごろごろと転がっていった。後は『レビテーション』で落ちていた杖を拾って勝負有りである。正直どこが今までと違うんだと説教したくなる。
ギルバートは何度も地面を叩いて悔しがっているが、クリフォードとしては現状では全く勝負にならないというのが感想である。

「ホラ、杖だよ。そんなに痛くはなかっただろ?」
「僕は、僕はいつか必ずお前を倒す・・・」
「よし、じゃあ、こういうのはどう?一年間お互いに修行をして、一年後の今日再び対決するんだ!そこで雌雄を決しよう」
「・・・その申し出、しかと受けた。僕は絶対に負けない!」

 杖を返しながら何とか都合の良い方へ誘導するのに成功した。毎日のように来られても迷惑なのだ。
彼の家も男爵家ではあるがシティオブサウスゴータのすぐそばに領地があり市会議員も務めているので、領地を持たず一介の竜騎士にすぎないド・モルガン家のことは格下と思っていたらしく、クリフォードに魔法で負けていることが我慢ならないらしい。
ギルバートの母は既に亡く、父は出世のことにしか興味がないのでギルバートには早くスクウェアになれとしか言わず(自身はラインメイジのくせに)、そんな殺伐とした雰囲気の家庭で必死に魔法を練習して育った自分が、甘やかされて育っているやつには絶対に負けるはずはないという理屈らしい。
その事をくどくどと聞かされた時に面倒くさくてつい「あー、確かに俺は両親に愛されて育っているよ」と答えてしまったのが良くなかったのかも知れないが、とにかくうざかったのが片付いて良かった。

 その日の帰り道、ちょっと上機嫌でセグロッドを走らせているとちょうどガンダーラ商会の商館から帰ろうとしているマチルダとばったり出会った。こちらもセグロッドに乗っている。

「おや、クリフ何か良いことあったのかい?楽しそうじゃないか」
「マチルダ様、今お帰りですか。城まで送っていきましょう」
「別にそんなの良いのに・・・まあいいか。それで何があったの?」

二人で肩を並べて走り出す。心なしかマチルダの頬が赤くなっているように見えた。

「大したことじゃないですよ、ほら、この間言っていたやたらと決闘ふっかけてくるやつに今後は一年に一度って事で納得して貰ったんです」
「ああ、強くないくせに絶対に負けないとか言ってくるってやつか」
「はい、今日も『エア・ハンマー』で軽く吹き飛ばしました。たまになら相手しても良いんですけど、こっちの都合を全くお構いなしに決闘を押しつけてくるからうざいんですよ」
「ふうん・・・クリフも強くなったんだねえ」

チラッとクリフォードを見る。まだまだ少年っぽいが、そういえば少し逞しくなってきた気もする。

「そんなのとの試合じゃクリフも物足りないだろう、どうだい?まだ時間は良いだろう、あたしと一試合やって行きなよ」
「え゛・・・ママママチルダ様とですか?いや、それは・・・」
「クリフもラインになって結構経つし、そろそろあたしとも良い勝負が出来るんじゃないかい?」
「オレがラインって言うならマチルダ様はもうトライアングルじゃないですか!それに剣の方も凄いし・・・」
「・・・なんだい、あんたも付き合ってくれないのかい。最近なんかみんなに避けられている気がするよ」

いやそれは気のせいじゃなくて皆避けてますから!とクリフォードは心の中で叫ぶ。
マチルダが新しい『ブレイド』を覚えて以来、とっても危険な存在になってしまったので皆手合わせするのを敬遠するようになった。その為マチルダはここの所手合わせしてくれる相手に餓えていた。
クリフォードも例に漏れず尻込みをしていたのだが、口を尖らせて下を向くマチルダの姿を見て一瞬で心変わりをした。

「・・・このクリフォード、身命を賭してお相手を務めさせていただきます」
「大仰だね、軽くで良いんだよ軽くで」

 サウスゴータの城の裏庭でマチルダとクリフォードは距離を取って相対した。
覚悟を決めて相手することにしたが、剣鬼モードのマチルダは本気で怖い。マチルダは寸止めすると言っているが、剣鬼モードに入ってしまったらそんなの全然信用出来ない。
クリフォードは先手必勝とばかりに合図の石が落ちると同時に攻撃を仕掛けた。

「《エア・ハンマー》」
 
ギルバートの時とは違いフルパワーで放たれたそれはマチルダに命中し、吹き飛ばすかに見えた。しかしその空気の塊はマチルダに当たる直前で二つに切り裂かれ、緑の髪を揺らして通り過ぎた。

「クックックッ、いいわ、クリフ。あんた、とっても素敵よ」

マチルダが妖しい笑みを浮かべ一歩ずつ近づいてくる。その杖はいつの間にか茶色の『ブレイド』を纏っていた。





「マチルダ様っ!今の下手したら腕ちょん切れてますよ!どこが寸止めなんですか!!」
「クリフだったらあの程度は避けるだろう?ホラホラ、ぼやぼやしてると今度こそちょん切っちゃうかもよ?ひぃーはー!」

 マチルダは瞬間的に間合いを詰めて斬りかかってくると、そのまま全く休ませてくれる隙も見せずに次々に斬撃を打ち込んでくる。その切先は鋭く、クリフォードは受けるだけで精一杯で徐々に押し込まれてしまう。
魔力にはそれ程の差はないと思う。少なくともウォルフやフアンなどを相手にする時のような圧迫感は感じない。
それなのにここまで圧倒されるのはひとえにマチルダの剣士としての才能であろう。とにかく速く、何とか風を読んで躱してはいるがそれでもぎりぎりであちこちにかすり傷をつけられてしまう。
クリフォードはこんなに速く動く土メイジを他に知らない。

「《フライ》!ったく、遠慮無く削ってくれちゃってぇ!怖ええよおおお!」

何度か目の斬撃を何とか躱し、体が入れ替わった隙に『フライ』で一気に距離を取る。

「《エア・カッター》!」
「ひょおおおー!」

クリフォードが着地しながら放った魔法を次々にはたき落としながらマチルダが間合いを詰める。

「うわあ!《フライ》!」
「ちょろちょろと逃げてるんじゃないよ!《クリエイト・ゴーレム》!」

また『フライ』で距離を取ろうとしたのだが、マチルダの作り出したゴーレムに行く手を阻まれた。
そのままジリジリと間合いを詰められ、前門の剣鬼・後門のゴーレムと言った状態でまさに絶体絶命である。
クリフォードだって戦闘術などをフアンやニコラスに教えて貰っているし、風を読めるので普通の子供等とは比べものにならない程素早く動ける。このところ体力も付いてきて体裁きにはちょっと自信があったのだ。
それなのにマチルダは常にその先手先手を取り、躱しきれないような斬撃を放ってくる。
特に誰かに師事していると言うわけでないマチルダが何故これほど剣を使えるのか不思議に思い、一度尋ねたことがあったが、その答えは「どう剣を振ればいいかなんて・・・剣が全て教えてくれる」だった。
そんな何の役にも立たないことをつい思い出しているとマチルダと目があった。

「終わりに・・・しようか!ひぃやーっ!」
「ぬわわわわわ」

マチルダの怒濤の攻撃が始まった。頸動脈・頭・心臓等人体の急所めがけて次々にマチルダの『ブレイド』が襲いかかる。
クリフォードも『ブレイド』を出して攻撃を受け止め、削られながらも必死で耐える。ボクシングで言えばコーナーに追い詰められてKOも時間の問題という感じだが、クリフォードはまだ勝つことを諦めては居なかった。

「ああ、固い、固いよクリフ!こんな立派な男になったなんてあたしは嬉しいよ!」
「うおおおお」

マチルダがこの新しい『ブレイド』を覚えて以来ウォルフ達を除いてほぼ全ての物を斬り倒してきた。いつの間にかクリフォードが同じ『ブレイド』を覚え、マチルダの攻撃に耐えられるようになったことはマチルダにとって嬉しいことだった。
その歓喜を全てクリフォードにぶつけるように攻撃を続けていたのだが、さすがに疲労したのかほんの一瞬攻撃が途切れ、マチルダが息を吐いた。クリフォードはその隙をずっと待っていた。

「《発火》!!」
「きゃあっ!」

至近距離だった間合いでいきなりマチルダの顔のすぐ前に炎を発生させた。マチルダが顔を逸らせ、思わずつきだした右手首を掴む。マチルダがハッと気付いて抵抗するが、構わずグイッと腕を脇に抱え込み杖を持つ手で手刀を打ち込むとマチルダの杖をたたき落とした。

「あ・・・」
「俺の勝ちって事で良いですか?」

マチルダの額に杖を突きつけて宣言する。
これはウォルフに教えて貰った「脊髄反射」という物を利用した戦法だ。
人間の体は自身を守る為、火などが急に顔付近に近づいた時思わず目を瞑る。これは脳を経由せずに脊髄で反射的に行われる行動なので人間には制御できない。このことを聞いて以来、やたらと間合いを詰めてくるマチルダには有効なのではないかと狙っていたのだが、バッチリと嵌った。
空になった手を見つめ呆然としていたマチルダだったが、ふとクリフォードが上半身血まみれになっていることに気付いた。

「ク、クリフ、血、血だらけじゃないか!あああどうしてこんな・・・つつ、杖」

どうしてもこうしてもない物だが、マチルダは慌てて杖を拾うと『ヒーリング』の魔法を唱え始めた。





 出血の割には傷は浅い物ばかりだったが、マチルダやサウスゴータ家の家臣達に傷を治して貰ったり血まみれになってしまった服の着替えを用意して貰ったりしていたら結構遅い時間になってしまった。クリフォードは帰ろうとしたのだがマチルダに引き留められサウスゴータ家の夕食に招待された。
顔を合わせたことはあったがマチルダの両親に友人として正式に食事に招待されたのは初めてだったので最初は随分と緊張したが、マチルダが間に入って色々と気を使ってくれたおかげでリラックスして食事と会話を楽しむ事が出来た。
毎日こんなのを食べているマチルダが何故太らないのか不思議になってしまう豪華な食事を済ませ、マチルダの両親に挨拶をして二人でティールームに移動し紅茶を飲む。少し食休みしたら帰るつもりだ。

「ねえ、クリフ。クリフは将来やりたいこととかあるの?」
「え、いや、さあどうだろう」

お茶を飲みながら何だかマチルダがちょっと可愛い聞き方で聞いてきて、クリフォードの心臓は高鳴ってしまう。

「将来かあ・・・あんまり考えたことがなかったなあ。ちょっと前はウォルフに追いつこうと魔法の練習ばっかしてたし、最近は最近でマチルダ様に追いつこうと魔法の練習ばっかやってるからなあ」
「ふふっ・・・魔法の練習ばっかじゃないか」
「毎日目の前のことをやるので精一杯だよ。マチルダ様は何か考えているの?」
「あたしはね、このサウスゴータの街をもっと良い街にしたいって思っているのさ。もっと豊かで暮らしやすく、みんなが笑顔で過ごせるような、ね」
「うん、マチルダ様らしいや・・・あれ?でもそれだと商会は?」
「その為に商会をやっているのさ。ガリアやゲルマニアで買ってきた物を安く物を売って、反対にこっちから輸出するために仕事を作って、どんどん良い感じになっているよ。ウォルフに乗せられて何となく始めた商売だけど今は凄く楽しいよ」
「いつもマチルダ様は自分より周りに気遣っているからなあ・・・よし!それじゃあ俺は父さんみたいに竜騎士になってマチルダ様とこの街をずっと守るよ!」
「ば、馬鹿あんた何言ってんだい・・・」

クリフォードは何か大切な物を見つけた時のような嬉しそうな笑顔でマチルダに宣言した。
突然ナイトのようなことを言われ、マチルダは赤面して下を向く。マチルダ十四歳、まだまだ結構純情である。





「あーああー。でもまさかクリフに負ける日が来るとはなあ・・・」

見送りに前庭まで一緒に歩きながらマチルダが残念そうにこぼした。並んで歩くとこの年代での二歳の差は結構大きくクリフォードは五サント位背が低い。
やはり自分より年下の子に負けるのは悔しい。もっと『ブレイド』だけに頼らないような戦い方も身につけなくちゃと思う。

「ひでえなあ・・・俺だって成長してるんですよ?」
「うん。手を掴まれた時、意外に力が強くて吃驚したよ」
「マチルダ様。今日俺は初めて勝ちましたけど、これからはどんどん強くなっていつか勝率を五分にして見せますよ!」
「あたしより二歳も年下のくせに生意気なんだよ。ふん、今日はたまたま負けたけどそうそうやられるつもりはないよ」

マチルダは口を尖らせ、軽く睨め付けるように向き直ると手の甲でトンとクリフォードの胸を叩いて強がった。
何気ない仕草ではあるが、クリフォードはやっとマチルダに認められたような気がして嬉しくなる。

「こっちだってもう負けるつもりはないからよろしく!」

マチルダがしたように、トンとマチルダの胸を叩こうとして・・・思いっきり殴られた。

「どこ触るつもりだい!」
「ゲハッ」



[18851] 2-1    初飛行
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/02/26 17:29
「か、完成だ!・・・・」

 最後の部品を取り付け、各部のチェックを済ませるとスイッチを入れる。ウォルフ式旋盤一号機は静かな音を立てて回り始めた。
これの一代前の試作四号機でも加工品の必要な精度は出る様になっていたが、今回のものがようやく設計図通りに分解整備・アタッチメント交換が出来る様になり、汎用旋盤と呼ぶ事が出来る様になったので正式な一号機とすることにした。
同時に作っていたウォルフ式フライス盤一号機も既に部品は揃っているので直ぐに完成するだろう。
周りを見回すと薄暗い地下室の中に旋盤の試作機が二台、フライス盤の試作機が二台、バンドソーにグラインダー、ボール盤や形削り盤等、ハンドプレスから鋳造用の砂場まで揃っていてちょっとした工場の様になっている。
全てウォルフと機械工候補達がこの二年間協力して一つずつ作ってきた物だ。

「ふひぃ、ようやく完成しましたね、あたしの旋盤」
「・・・ちょっと待て、これはオレのだ。お前達はお前達でそれぞれ自分のを作れ」
「えー?でもこれってあたしが削り出した部品の方が多いと思いますよ?」

舐めたことを言ってきたのはサラの従姉妹でラウラの妹、リナである。綺麗にして黙っていれば十分に美少女なのだが、今その顔は油で汚れ短く切った髪はろくな手入れもしていないのかボサボサでとても女の子には見えない。
二年前は姉の言ったことを繰り替えすばかりだったのに、随分とふざけたことを言う様になった。

「オレが設計と製図で大変だったからだろうが。とにかくお前達機械工一期訓練生の卒業制作だ。作り方はもう分かったはずだから自分で自分の旋盤を作れ」
「ほーい」「「「はいっ!」」」

元気に返事をした機械工候補は全部で四名。リナにトム、ジム、サムでリナが十三歳でそれ以外は全員一つ上の十四歳、身分上はガンダーラ商会の職業訓練生となっており給金が支給されている。
最初はウォルフが雇用しようと思っていたのだが、渡した手形をタニアが全て使ってしまい懐が寂しくなったので商会に雇わせたのだ。
四人は元気に返事をすると資材倉庫に行って材料を揃えようとしたのだが、ウォルフが慌てて止めた。

「あ、ちょっと待って。今度引っ越しすることになったから、大きい部品を作るのは引っ越し先にして。これから重量物搬送用の馬車を作るから、その部品の製作を頼む」

そう言って設計図の束を渡す。皆早く自分の旋盤を作りたくて不満そうだったが、引っ越しをすれば自分用のブースを持てると聞いてやる気を出した。
これまではド・モルガン家の地下室でずっと作業を行ってきたのだが、さすがに手狭になってきたのと電源の確保が問題になってきたのだ。
工作機械の電源は二百四十ボルトの直流で巨大な電池室を作ってまかなっているが、その発電はほとんどウォルフの魔力に頼っていた。
ボルテージレギュレータも開発したので安定した電圧を得る事は出来るが、電圧が下がってきた時に発電機を『念力』で回しながら旋盤を使っていると手回し旋盤を使っている気になってくる。
当初行う予定だったエルビラの火力を利用した蒸気タービン発電は、住宅地で行うにしては発熱量と騒音が大きすぎる懸念があって製造を見送った。太陽光発電も検討して、太陽電池を試作してみたのだがほぼ全ての工程をウォルフの魔法で行うことになり、量産するのが大変そうなので見送った。
タニアとも相談してサウスゴータ近隣の鍛冶屋などが数軒集まっているチェスターという村の外れにガンダーラ商会の工房を建設し、その傍らに大型の風力発電機を設置することにした。既にサウスゴータの役所から風車設置の許可を得ていて、旋盤が完成次第建築に取りかかる手はずになっている。
そこで馬車の軸受けやグライダーの部品を生産しつつ機械工を段階的に増やしていき、やがて加工貿易の主力工場にするつもりである。

 これまでグライダーの制作を放置して工場の建設を目指してきたのは、オルレアン公との事があった後あまり目立つことはやめようと決めたからである。
ウォルフはこれまで他人から自分がどのように見えているかということに無頓着であった。しかし個人が大きな力を持っていた場合、オルレアン公のようにそれを利用しようとする人間は多いだろうと言うことに気付いたのだ。
ガンダーラ商会開発の商品としてグライダーを売り出し、ウォルフに注目を集めないためである。
グライダーは受注生産にするつもりだが、チェスターの工房では部品だけを生産し、グラスファイバーの本体や組み立てはゲルマニアのボルクリンゲンに工場を造りそこで生産するつもりである。これも新技術への注目を分散させるためだ。
ツェルプストー辺境伯の熱心な勧誘があったことももあり、もうボルクリンゲンでの用地の選定に入っている。辺境伯からは高速で飛行する新型のフネというのを早く見せろとせっつかれているほどだ。

「じゃあ、後はよろしく。オレはカール先生の所に行くから」
「ほい、お任せ下さい」

 今日はウォルフはカールのところで魔法の授業である。もう習うことはあまりないのだが、週に一度の訓練なので顔を出している。
最近ウォルフはずっと気配を察知する訓練を続けていて、その事でカールに助言を貰っている。
気配を察知するとは目を瞑り火のメイジとして周囲の温度を感じ、風のメイジとして空気の流れを感じ、土のメイジとして地面の震動を感じ、水のメイジとして生物に流れる液体を感じるというものだ。
いわば光の代わりに魔力でものを見るという事なのだが、これが中々面白い。
ウォルフは火のメイジなので温度を感じるのはもう大分出来る様になった。目を瞑って歩いても地面や壁、人間の温度差から周囲の状況がわかり問題なく歩ける程だ。
しかしそれ以外の系統はあまり出来ず、今のところ風と土が条件が良ければかろうじて、水は全然といった感じだった。
サラは目を瞑っていても人間が近づいてくればその体内の流れで分かると言っていたのでそれを感じたいと修行中である。
一人輪の外で目を瞑っているとマチルダがやたらと戦闘訓練をしようと誘うのだが、それを断ってひたすらマチルダ達の気配を追っている。

「マチ姉?」
「なんだいウォルフ、また目を瞑って歩いてきたのかい?」

カールの屋敷に入ろうかと言う所で前方から来たマチルダに気付き声を掛けた。
ずっと目は瞑っていたので温度だけでマチルダを見分けられたことになる。

「おお、そうかなと思ったら合ってたよ。結構分かる様になったな」
「ふうん、本当に人の温度で個人が分かるんだ」
「大体の体型とマチ姉はちょっと冷え性だから手と足の温度が少し低い。そう言う特徴に敏感になってくるんだよ」
「うーん、あたしも人が歩いてる振動を感じれば大体の体重が分かるからそんなもんかな?」
「そんなもんだね。オレも土の振動ってやつをもっと感じたいぜ。あ、そうだマチ姉!旋盤が完成したからチェスターの工場建築し始めて欲しいんだけど」
「ああ、やっと出来たのかい。長かったねえ・・・工場ならもう結構出来上がっているけど、完成を急ぐ様に指示を出しておくよ」
「よろしく頼みます。それとタニアは居る?ゲルマニアの工場について話したいことがあるんだけど」
「今週いっぱいはガリアで、来週はゲルマニアだって言っていたよ。アルビオンに来るとしてもその後だね」
「じゃあ、ゲルマニアに会いに行くか、まだ行ったことないし」

タニアはずっと忙しく飛び回っていてサウスゴータまでは中々帰ってこない。各地の拠点に相互通信可能な魔法具を配置し、自身も一台持って常に指示を与えながら各地を回っている。
彼女に会うためにはスケジュールを調べてこちらが合わせる必要があった。

「ああ、そうするといいよ。旋盤が出来たって事はグライダーもすぐに完成するのかい?」
「ああ、そうか、うん、今週中に作っちゃうか。週末試験飛行したいんだけど許可取れるかなあ」
「フネとして登録しちゃえばいいみたいだよ。フネの形に規制や大きさの制限はなかったから。ゲルマニアに行くならグライダーを持って行ってついでに売り込んで来なよ」
「うーん、いきなり飛んでいくと吃驚されそうだから・・・商会のフネに積んでいくか」
「じゃあ、積み荷を調整しておくよ。それまでにグライダーを完成させてロサイスまで持ってきておくれ」

 もう既にグライダーは全て設計が終わっている。リナ達に指示を出すだけで全ての部品が揃い、後は組み立てるだけで完成するだろう。
随分と長いことかかってしまった。これまでの事を思い出し感慨に耽るが、これはまだ世界周航への第一歩でしかないのだ。
マチルダと商会のことについて色々話しているとサラとクリフォードもやってきたので授業を受け、そのまま帰りにド・モルガン邸に移動し完成した旋盤をお披露目することになった。

「へぇー、本当に鉄を削っているねぇ。初めて見たよ」
「鉄ってあんなに簡単に削れる物なんだ」

マチルダ達を引き連れて帰ってきた地下室ではまだウォルフに作る様に言われた部品を製作中だった。
旋盤に取り付けた材料が回転し、リナが刃物台に付いた取っ手をくるくる回すと刃物が移動してシュルシュルと音を立てて削れていく。
大根の皮を剥くかの様に削れていくので鉄は固い物という固定観念を持って見ると衝撃的な光景だった。

「簡単に削れる様にするために今まで苦労してきた訳なんだけど・・・まあ、こんな感じで正確な寸法で削れるからこれからは色んな物が作れるよ」
「正確なって、どれくらいの精度で作れるんだい?」
「オレが削って百分の一ミリメイル位。リナだともう少しいくみたいだな」
「ウォルフさまー、この子調子良いですよー。千分の一ミリメイル位まで分かりそうですー」
「・・・だそうだ」
「・・・・・・」

千分の一ミリメイル。マチルダにとって聞いたことがない位の小ささだ。
そんな精度が本当に必要なのかは分からないが、ウォルフがハルケギニアには存在しない様な物を作れるらしいと言うことは分かった。

「それで一体何が出来るんだい?そんな精度が必要な物なんて思いつかないんだけど」
「取り敢えずはグライダーの部品と、馬無しの馬車を作ろうかなって思ってる」
「馬無しの馬車かい?ガリアじゃ土石で走るやつがあったけどねぇ」
「まだ動力を何にするかは決めてないけど、一番改善したいのは乗り心地だよ。それと燃料を何とか出来れば売れると思うし、乗り心地の悪い馬車に乗らなくて済んでオレが幸せになれる」
「ふうん、まあ試作機が出来たら売れるかどうか考えてみようかね。じゃあ取り敢えず今週中にはグライダーを完成させておくれ。それでウォルフがゲルマニアから帰ってきたらチェスターの工場に引っ越して何が作れるかのプレゼンを頼むよ」
「しばらくは旋盤を増やすんで色んな試作はその後になるな。グライダーは先に完成させるから、マチ姉の方でフネの登録を頼むよ。船名は"スピリットオブサウスゴータ"でよろしく」
「な、なんだい、あたしの名前を入れるなんて、照れるじゃないか」
「・・・ごめん、マチ姉の名前だって忘れてた。町の名前として入れただけなんだ」
「・・・ふん、そんな事だろうって思ってたよ。まあいいや、こっちはそれで登録しておくから」

 マチルダはそう言い残すと帰って行った。彼女もなんだかんだで結構忙しい。
もともと抱えている仕事も多いし、この春からロンディニウムの魔法学院に入学することが決まっているのでその準備もあった。
ガンダーラ商会が発足してからアルビオンの景気は目に見えて良くなったが、その二つを結びつける人は多くは居ない。
サウスゴータ太守である彼女の父も商会が成功していることは認めながらもマチルダが商売をしていることにはあまりいい顔をしてしない。
マチルダはそんな父に商売が社会を良くすることが出来ると言うことを示したいと考え、これまで頑張ってきている。

マチルダに続きサラも家の手伝いのため母屋へ帰っていったが、クリフォードはマチルダ達が帰ったことに気付かないほどじっと旋盤が部品を削り出していく所を見ていた。
そう言えばクリフォードがここに入るのは随分と久しぶりかも知れない。

「兄さん、気に入ったの?」
「お、おお、ウォルフか。凄いな!これ!こんな凄いなんて思わなかったよ。良くこんなの考えつくな、お前」
「うーん、考えついたって言うか、中の人が教えてくれたから」
「なんだよ、また中の人かよ!便利だなお前の中の人って。俺の中の人はこんな事教えてくれねーよ」

ウォルフは昔から親しい人間には折に触れ前世などの発言をしてきたが信じて貰ったことはなかった。
軽く流される事が多かったが、最近ではただのネタになってしまっている。
どうも知り合いには転生を経験している人は居なそうで、ウォルフの研究テーマの中で輪廻転生は最も解明が難しそうなものだった。

 そうこうしている内にリナは全ての部品を削り終わった様で旋盤の後片付けを始めた。クリフォードはそれを見て残念そうにしていたが、自分も母屋に帰っていった。
ウォルフはリナが削った部品を置いてある机に近づき、その中のオイルダンパーの部品をチェックする。
ハルケギニアを旅行して一番の不満が馬車の乗り心地の悪さだった。全ての行程をフネで行ければいいのだが、そういうわけにもいかないので馬車の改良はかねてからやりたいことだった。
オイルダンパーとはサスペンションに取り付けて車体の揺動を抑える部品である。乗り心地改善の肝になるし、オイルが小さな穴を通る抵抗でサスペンションの動きを抑制するというそんなに複雑な構造でもないので是非開発したかった。
グライダーの舵にもダンパーは付けるつもりだが、そちらはエラストマーの摺動抵抗を利用した簡易な物にするつもりである。
リナが削った部品は心配しなくても全て図面通りに仕上がっている様で、チェックを終えると隣の部屋で脱脂してからアルミ合金の部品には陽極酸化処理を、鉄の物にはクロムメッキをかけた。
それぞれ槽にセットして元の部屋に戻るとリナ達は新しい材料とグライダーの部品の図面を引っ張り出してけがき始めていた。ハルケギニアの平民は本当によく働く。

「よく仕舞ってある場所が分かったな。明日中にそれ出来る?」
「分かります。明日の・・・午前中には出来そうですね」

リナが顔も上げずに返事をする。その間も手は正確に動いていた。
二年間も中断した割にはいざ作るとなると一日で出来てしまう。心強い仲間がいることは嬉しいが、ちょっと簡単に出来過ぎじゃないかとも思う。
しかし、ろくな道具もなく『練金』の魔法で形を整えた材料を万力で固定してヤスリでゴリゴリ削って微調整していた当時を思い出し仕方のないことかと苦笑する。

 翌日午後全ての部品が揃い、いよいよグライダーの最終組み立てに入る。
午前中にウォルフはワイヤなどの予め用意してあった資材から必要な部材を取り出し、長いこと布をかぶったままだったグライダー本体を磨き上げた。
舵の可動部分計十箇所には全てシールドベアリングを入れ、その他の可動部分にもしっかりブッシュを入れて滑らかな動きを確保。
日が傾く頃には全ての組み込みが終わり、操縦桿とペダルの動きに対応して舵がパタパタとスムースに動く様になった。
その頃にはマチルダからフネとしての登録が終わったと連絡があったので船名と登録番号を側面に記入し、両翼の下面にはガンダーラ商会のマークをでかでかと描いた。
一応軽く試験するため方舟の両扉を開放して扉に支柱を固定し、ここからワイヤでグライダーを繋いだ。魔法で風を送って挙動をチェックしようというのだ。
ウォルフが乗り込み、魔法で前方から風を送っていくと風速二十メイルもいかない内にふわりとグライダーが宙に浮いた。
前後や左右のバランスが問題ないことを確認し、直ぐに風を弱めて着地する。壁に隠れて見ていたリナ達から拍手が起こった。
ここまで終わってウォルフは満を持してサラを呼びにいった。
初めて一緒に空を飛ぶのはサラしかいないと確信していた。

「あれ?ウォルフ様、終わったの?」

アンネの手伝いをしていたサラが振り返って尋ねる。

「お誘いに参りました、ミス。私と空の散歩をご一緒しませんか?」
「あ、あう・・・・」

ふざけてちょっと芝居がかった誘い方をしたのだが、サラにはツボに入った様で真っ赤になって固まってしまった。

「え、えーと、グライダー完成したから試験飛行に行こうって誘いに来たんだけど・・」
「うん・・・」

微妙な雰囲気のまま二人で方舟に戻った。すでにグライダーは台車に乗ったまま大きく開いた格納庫の扉の上に出されていて何時でも飛び立てる様に準備が終わっていた。
少し離れた場所に着地し、感慨を持ってグライダーを眺め、ゆっくりと歩いて近づいていく。ウォルフの頭の中にはトップガンのテーマ曲が鳴り響いていた。

「あ、ウォルフ様準備終わりましたー。風石も積んであるので何時でも飛べると思いますです」
「ん、ありがとう。オレはこのままチェスターの工場にこいつを置いてくるから、ここの片付けもお願いするよ」
「はーい。今度あたし達も乗せて下さいねー」

今回関連法規を調べて判明したのだが、フネとして登録するとグライダーのような小さな機体でもサウスゴータの町中に着陸することが禁止されていることが判明した。
また詰めが甘いとサラになじられたが、今回離陸する分には何とかマチルダ経由で許可を得ることが出来た。今後も禁止されたままだとすると方舟の引っ越しも検討しなくてはならない。

 皆が見守る中、ふわりとレビテーションで浮き上がり後部座席に乗り込む。二年前にウォルフの体に合わせて作った座席は小さくなってしまっていたので今回新たに作り直した。
サラも続けて前部座席に乗り込み、シートベルトを締めた。
アクリル製の風防をしっかりと閉じ、深呼吸を一つする。いよいよ飛び立つ時が来たのだ。

 座席の後部に積んだ風石を励起させると機体は台車から離れ、ふわりと宙に浮かび上がった。
風石を励起させるには激しい振動を与えたり魔力を流したりと様々な方法があるが、今回は小型のバッテリーを積み込み電流を流すことでコントロールしていた。
そのまま最大ボリュームで風石から浮力を得て少々風に流されながらも上昇して行く。

「ふっふっふ、いよいよだ。長かったなあ・・・。テイク・オフ!」

目測で千メイル位上がったことを確認し、風石のスイッチを切った。
スイッチを切って暫くは風石が働いていたのでそのまま宙を漂っていたが、やがて機首を下にして落下を始めた。

「ひゃっほーー!!」
「ウウウウォルフ様!何か落っこっているんですけど!」
「そりゃそうだ!風石止めたんだもの」

サラが文句を言ってくる。風石で上昇していた時は余裕で外の景色を楽しんでいたって言うのに。そうこうしている間にも機体は速度を上げ、ほとんど真っ逆さまに感じる程の姿勢で地面に向かって加速を続けた。

「ウォルフ様の嘘吐きー!全然飛ばないじゃないですかー!あわわ、落ちる、地面が近づいてくる!」
「だから今は加速してるだけだって!わあー、ちょっと待て!」

ウォルフは急降下の無重力状態を楽しんでいたというのにサラは杖を取り出してシートベルトを外し、風防を開けようとしてくる。軽くパニックになっている様だ。

「ああ、もうっ」
「むぎゅっ」

ウォルフが操縦桿を手前に倒すと下方向に強力な加速度がかかり、立ち上がろうとしていたサラはひっくり返ってしまいそのまま座席に押しつけられた。丁度肩と首で座席に座っている様な体勢で、スカートだったのでカボチャパンツが丸見えだ。
そのまま水平飛行に移ったが、機内は気まずい空気に満ちていた。

「・・・・・・」
「・・・あー、サラ。今はほぼ水平に飛んでいるから外を見てみなよ。それからこれからはオレの許可無くシートベルトを外さない様に」

 沈黙を破ってウォルフが目の前のサラの尻に話し掛ける。サラは珍妙なオブジェの様になって固まってしまっていたが、もそもそと動き出し元の体勢に戻るとシートベルトを締め直した。耳まで真っ赤になっている。

「・・・本当ですね、風石は全く働いていないんですか?」
「うん、今は翼の揚力だけで飛んでいるよ」

サラはさっきの事を無かった事にしようとしているみたいなのでウォルフも合わせておいた。それくらいの優しさは持っている。

「速さがよく分からないのですが、どれくらいですか?」
「多分今時速九十リーグ位じゃないかな。馬車の六倍位か?」
「ふうん、凄いですね。最初のあれがなければもっと良いんですが」
「いや、あれだって大人しく座っていればどうって事・・・じゃ、じゃあそろそろ帰るか」
「・・・・・」

慌てて話題を変えて操縦桿を操作し、機体を傾ける。グライダーは大きく弧を描きサウスゴータへと進路を変えた。
長年の付き合いでサラの事は大体分かるが、今のこの物言わぬ後頭部はちょっと危険だ。

 そのまま真っ直ぐ進むとサウスゴータが近づいてくる。今は大分高度が下がって三百メイル位なのでサウスゴータの五芒星をかたどった大通りがよく分かる。
このままサウスゴータの北側を通ってチェスターの村に行こうとしたのだが、竜騎士が三騎サウスゴータから飛び立ってきた。
昨夜グライダー販促用のチラシを印刷して、今朝ニコラスに渡して職場で配ってくれる様に頼んでおいたのでグライダーについては知っているはずだ。ちゃんと正式に登録しているフネであるので問題はないはずだが、一応確認に飛んできたのだろう。
併走して飛びこちらを観察してくる竜騎士達に手を振ると向こうも手を振り替えして地上へと戻っていった。

 やがてチェスターの上空に到達し、主翼の上部にある空気ブレーキを立ててゆるゆると高度を下げると最後は『レビテーション』で機体を保持して工場に着陸し、無事にファーストフライトを終えた。

「ウォルフッ!凄いじゃないか!ちゃんと飛んでいたよ」

機体が静止するなり興奮した顔でマチルダが駆け寄ってきた。ウォルフはそれに自慢げな顔で応じる。

「おお!マチ姉こっちに来てたんだ。だから飛ぶってずっと言ってたじゃないか!」
「そりゃそうだけど、実際に見ないと中々分からないよ。ねえねえ、あたしも乗せておくれよ」
「うん、勿論。じゃあサラ、マチ姉と変わって?」
「はい、マチルダ様、気をつけて下さいね最初結構怖いですよ」

サラは軽く忠告して『フライ』で席から降りるとマチルダと交代した。

「ひとっ飛びしてくるからサラはここで待っててね。一緒に帰ろう」

 そう言い残して風防を閉めるとセカンドフライトに出発した。
上空で急降下して加速した時マチルダもサラと全く同じ反応をし、結果も一緒であった。マチルダはカボチャパンツでは無かった。
人間が逆さになって硬直してしまうこの現象を、ウォルフは密かに犬神家の呪いと呼んで恐れた。(嘘)







[18851] 2-2    量産準備
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/02/26 17:32
「確かに、凄いとは思うけどさ、五千エキューもしたら売れないんじゃないのかい?そんなに原価がかかってないみたいだしもっと安くした方が良いと思うんだけど」
「いや、そんなにたくさん売れても困るし、まだ樹脂とアルミニウムはオレの魔法頼りだから暫くは少量生産でいきたい。あんまり安くして軍とかから大量発注とか来たらやだし」

 初飛行から帰ってきてマチルダもグライダーがどのような物かを理解したが、ウォルフが設定した価格では売れるはずがないと思った。
セグロッドは飛ぶように売れているが、あれよりも魔法が使われていないのが懸念材料なのだ。なにせ風石で浮き上がって落ちてくるだけなのだから。

「取り敢えずはこれで受注を取ってみて全く来なかったらその時考えるよ」
「うーん、最初に高くして後から凄く安くすると、最初の値段は何だったんだって話になっちゃうから好ましくないんだけどねえ」

 サウスゴータの商館に戻ってもグチグチと文句を言われたが、ウォルフに折れる気はなかった。
最後には渋々とマチルダも認めたが、本心ではもっと安くして大量に売りたいらしかった。

「まあ、もうチラシも配っちゃったって言うならしょうがないか・・・」
「そうそう、しょうがないよ。で、ゲルマニアに持って行くのはあれ以外に資材やら試作した機械やらで馬車四台分位になると思うからよろしく」
「はあ、分かったよ。あんたはいつも好きに生きてるねえ」
「えーと、お世話をかけます?」
「はあ・・・」


 家に帰るとニコラスが既に戻ってきていて、サウスゴータ竜騎士隊でウォルフのグライダーが結構話題になっていたと教えてくれた。
買ってくれそうな人はいるのか聞いてみたが、値段が高すぎるので竜騎士の給料じゃ無理だとの事だ。
ウォルフとしては領地持ちの貴族が興味を持ってくれるのを期待してグライダーでアルビオン中を飛び回ってやろうと思っている。

 翌週ウォルフはグライダーでロサイスまで移動し、フネにグライダーを積み込むとそのままゲルマニアのボルクリンゲンに向けて出港した。
サウスゴータからロサイスまでは馬車なら十時間以上もかかる道のりだが、グライダーは二時間程度で移動出来た。風竜には劣るが、使用した燃料が僅かな風石である事を思えば相当優れた移動方法である。
ゲルマニアに向かうフネの中では久々に何もする事がない時間なのでじっくりとサラ達や学校(最近こう呼び始めた)の教材を執筆する時間に充てた。
やがてフネはボルクリンゲンに到着し、ウォルフは生涯で初めてゲルマニアの地に降り立った。
ここ数年で大発展を遂げているというボルクリンゲンは、整然と整備された港周辺と雑然とした雰囲気の新市街という二つの顔を持つ活気溢れた街だった。
布をかぶせて甲板に積んでいたグライダーを下ろしていると早速商館からタニアがやってきた。

「はあい、ウォルフ久しぶりね。やっとグライダー完成したんだって?」
「ああ、タニア久しぶり。まあ旋盤が完成するまで放って置いたって感じなんだけどね」
「じゃあ、旋盤も完成してこれからはバリバリ稼げる、と」
「まだ一台だけだから。今リナ達が自分用の旋盤を作っているんで、何か生産するにしてもその後だな」
「ふうん中々大変なのね。で、これはすぐに飛べるの?」
「うん?翼をつければすぐに飛べるけど」
「じゃあ許可は貰ってあるから、早速私を乗せてフォン・ツェルプストーの居城に行って頂戴。結構せっつかれているのよ」
「いきなりかよ。チラシと・・・・ベアリングのサンプルも持ってくか。そのお城ってどれ位離れているの?」

二十リーグ位と聞いて風石で五百メイルも上昇すればいいだろうと当たりをつける。
さっさと組み立てて荷物を用意するとタニアと一緒に乗り込んだのだが、風石による上昇、そこからの急降下、パニックになるタニア、水平飛行に移る際にひっくり返るタニア、と最早テンプレとも言える展開で犬神家の呪いは健在だった。
城にはそれこそあっという間に着いたが、また微妙な空気になってしまいそのまま執務室に通される事になった。

「君が噂の天才少年か。ツェルプストー辺境伯だ、よろしく」
「ウォルフ・ライエ・ド・モルガンです。初めまして」
「君の作ったグライダーというのが飛んでくる所を見た。中々面白い物だな」
「ありがとうございます。重量が七百リーブル程しかないので、風石の使用量を少なく抑えて人間を高速に移動させる事が出来ます。コストを考えれば風竜の代替になるのではないかと考えています」
「ふむ、一度風石で上がってその後はゆっくりと落ちてくるだけの様に見えるが、どの位の距離を飛べるんだね?」
「風石で一リーグほど上昇すればその後四十リーグ以上は飛行出来ます。通常は飛んでいる間に上昇気流を見つけてそこでまた高度を稼ぎますので、どの程度飛べるかというのはパイロットの腕と天候次第ですね」
「結構飛べる物だな。上昇気流とは何だね?」
「鳥なども利用していますが、風が山に当たる所や大地が太陽に熱せられた所などでは上向きに風が吹いていますので、それを翼で受けて上昇するのです。うまく利用すれば風石を最初に使うだけで千リーグだろうと二千リーグだろうと飛ぶ事が出来ます」

ツェルプストー辺境伯の執務室に入るなりグライダーについての話が始まった。ウォルフは多少面食らったが、好きな話なので落ち着いて説明する事が出来た。

「ふうむ、そんなにも飛べるのか。そう言えば竜がそんな飛び方をする時があるな。風竜の代替と言っておるが速度はどれくらい出る物なんだ?」
「急降下をすれば時速二百リーグ以上も可能ですが、巡航速度としては時速九十から百リーグ程です。速度を上げる程飛行距離は短くなり、頻繁に上昇気流を掴まえる必要が出てきます。勿論風石を使って上昇しても良いのですが」
「機体は何で出来ているんだ?木とかではない様だが」
「琥珀の様な樹脂とガラスの繊維です。翼の内部には途中まで鋼管の桁が入っています」
「なっ!ガラスだと?そんなもので・・・」
「細くしてありますし、組成も普通のとは違いますから。それを樹脂の心材にする事で強度が出ています」
「ふーむ、ますます興味深いな。樹脂というと、アレか、ニスみたいな物か。こちらで購入した場合、色々と研究するが構わないのか?」
「ええ、どうぞ。問い合わせには応えられない事もあるかも知れませんが、販売した物は自由になさって構いません」

ツェルプストー辺境伯の興味は尽きることなく、実際に試乗してみようと言う事になりグライダーが置いてある中庭に移動した。
 中庭ではツェルプストーの家臣達がグライダーに群がってあちこちいじっていた。舵をぐいぐいと動かそうとしている人も居て、壊されていないかと心配になったが無事だった。
家臣達を追い払ってまずはツェルプストー辺境伯が乗り込み、ウォルフも後部座席に乗り込んだ。
そのまま風石で五百メイル程上昇し、滑空を始めた。事前に急降下する事を説明していたのでツェルプストー辺境伯は落ち着いていて、犬神家の呪いを回避することに成功した。

「随分と快適な物だな。竜のように羽ばたく音がしないし、本当に今は風石を使っていないのか?」
「はい、今は最初に上昇した分で飛んでいます」

ちょうど上昇気流に入ったのでウォルフは機体を旋回させて高度を上げていく。

「今、丁度上昇気流に乗っています。一気に高度を上げますよ」
「ほう、なるほど風石を使わず風の力だけで高度を上げようというのか。フネにも横向きの帆はついているが、それだけで上昇するというのは・・・」
「トライアングル以上の魔力があれば持ち上げられる程の重さですし、最初以外はほとんど使用しませんので、航行中ずっと使用しているフネとは比較にならない程少量しか風石を使いません」
「ふうーむ、面白い」

グライダーは風に乗り一気に二千メイル程まで高度を上げた。

「こうやって上昇気流に乗っては高度を上げ、その分で距離を稼ぐのです。どちらへ飛びますか?」
「おお、高い高い。このまま南西方面に飛んでくれ。ラ・ヴァリエールの奴らに見せつけてやろう」
「え・・・国境を越えたりしたらいやなんですけど」
「はっはっは、なんだ肝が小さいな。ほれ、あそこの川を越えなければ問題はない。おお、竜騎士が上がって来おった」

その言葉通り対岸のヴァリエール領から竜騎士が五騎程も飛び立って来ている。やがて国境の川に沿って飛ぶウォルフと平行して飛び、こちらを観察してきた。

「ふん、くそ真面目な奴らよの。もういい、城に帰ってくれ」

その言葉にウォルフはホッとして機体を旋回させ、帰途についた。
日頃竜籠でこんな上空を飛ぶ事はないらしく、ツェルプストー辺境伯は上機嫌で領内を指さしウォルフに色々と説明してくれた。

「このあたりはずっと芋畑だな。もう少し収益性の高い物を作らせたいんだが土が痩せていて中々うまくいかん」
「はあ」
「お、あの村はワシが初めて盗賊団を征伐した所だな。他から来にくい地形をしておるだろう、追い詰めて皆焼き払ってやったわ」
「はあ」

適当に返事をしてはいるがウォルフも十分に楽しんでいた。おっさんとの二人きりでのフライトではあったが、初めて来たゲルマニアであるし上空から見る景色はアルビオンとは違っていて興味を引いた。
基本的には森林が多く、所々で大規模な畑作地帯となっている。森林が多い分亜人や幻獣なども多いのかも知れないが、アルビオンに比べると豊かで暮らしやすそう、と言うのがウォルフから見たゲルマニアの第一印象だった。
城に帰っても辺境伯は上機嫌でグライダーを二機発注してくれた。



「やったじゃない、ウォルフ。いきなり二機も売れるなんて幸先が良いわ」
「まあ、縁故販売って感じで微妙だけどね。これでツェルプストー辺境伯が飛ばしているのを見た貴族から注文が来るといいなあ」

 ボルクリンゲンに戻る機内でタニアが興奮した様子で話し掛けてきた。マチルダからは高すぎて売れないだろうという話があったのだが、いきなり二機も売れて上機嫌だった。

「そういえばあたしの分も作ってくれるの?結構便利そうに思えるんだけど」
「ガリアとゲルマニアとアルビオンに一機ずつ、それにタニアとマチ姉の分を商会用として用意するつもり。宣伝も兼ねるわけだから精々あちこち飛んでくれよ」
「そ、そんなに?一機五千エキューもするんでしょ?ちょっと多すぎるんじゃないかしら」
「それは売値であって、製造コストはあまりかからないから大丈夫。安売りをする気がないからその価格になっているだけだよ」
「って事は儲けが大きいって事よね・・・ふふふ、お金の匂いがするわー」
「・・・それで、ボルクリンゲンでの工場予定地ってどこら辺になるの?上から分かる?」
「ええと・・・もう少し先ね。新市街の向こう側の鍛冶屋が集まってるそば。もう整地してあるから分かるんじゃない?」
「ああ、あそこか。十分な広さはありそうだね。後で行ってみるよ」

一応新工場用地を確認して商館のある埠頭へと着陸する。
ここの工場でやるつもりなのはFRPの成形と機体の組み立て、試験飛行などである。その為に必要な人員として八人ぐらいをこの地の商館員に集めてもらう事にした。
ウォルフは工場が完成するまで滞在するつもりであっので早速工場予定地を視察に行き、設計図を描き始める。ゲルマニアの職人が建てるのでおおざっぱな物で良く、今まで書いていた物とは比べものにならない程楽だ。
翌日に工事に入ったかと思うと一週間程で工場は完成した。元の世界の建築と比べ工期の短さは勝負にならず、土メイジばんざいと言った感がある。
その間ウォルフは工事の監督をしたり、タニアや商館員にグライダーの操縦について教えたり、周辺の街へ出かけたりとのんびりとした日々を過ごしていた。
ボルクリンゲンの工員として雇用したのは結局予定通り八名、この街の発展に合わせて集まってきた新住人の妻や娘達で、全員が女性であった。
募集に応じたのがそもそも女性のほうが圧倒的に多かったのと、FRPを扱った後は風呂に入れてやりたいと思っていたので性別は統一した方が都合が良かった。

「みなさん、こんにちは。皆さんを指導するウォルフ・ライエ・ド・モルガンです。よろしくお願いします」

ずらりと揃った工員達の前でウォルフがペコリと挨拶をする。
今日から見習い工員として働き始める訳だが、いきなりの事態に彼女らは戸惑った。画期的な新型船を製造するための工場で、今日はその開発者様から直接工程を説明されると聞いていたので緊張して待っていたのだが、目の前に出てきているのはどう見ても子供だ。
こんな子供が指導するなど本気なのかとあたりを見回すが、ボルクリンゲンで名高い美人商会長や工員募集の面接の時にあった商館員達を見ても至って真面目な顔をして黙っている。
広場にはなにやらトンボのお化けの様な物が出ているが、あれがその新型船だとでも言うのだろうか。そう言えば最近変なのが空を飛んでいると噂にはなっていた。

「では皆さん、こちらに移動してきて下さい。これが皆さんがこれから作る商品で、グライダー、と言います」

トンボのお化けの前で説明を受ける。やはりこれが新型船らしい。

「非常に軽量に作られており、この大きさにもかかわらず七百リーブル程しかありません。その為特殊な作り方をするので、皆さんにはそのエキスパートになって欲しいと思っています」
「あの、これをあたし達が作るのですか?あたしたち、メイジではないのですが」

 不安そうな工員達を代表して一番若そうな娘が質問する。初めて見るグライダーは白く輝いていて、どんな素材で出来ているのか、どんな作り方をするのか全く分からない代物だった。
その不安を感じ取ったウォルフは一から順に工程を説明していった。作業自体はそれ程難しい物ではない事、魔法は必要ない事、ガラス繊維を扱う時にちょっと痒くなることがあることなどを説明し終わった頃には皆安心した様で熱心に話を来ていた。
彼女たちがFRPの作業になれるまではバケツでも作らせておこうと型を作ってきていたので早速工場内に移動して作って見せることにした。
離型材を塗った型に樹脂を塗り、その上からガラス繊維を積層して更に樹脂を浸透させ、ローラーで空気を抜き、硬化させる。昨日作っておいた硬化済みの物を型から外して形を整え、補修をし表面をならす。また昨日作っておいた物に風の魔法具を使ったスプレーガンで塗装までする。
注意点やこつなどを説明しながら作業を進め、最後に昨日の内に塗装まで済ませておいたやつを取り出し、上部両側に開いた穴に真鍮のはとめをし、真鍮製の取っ手をつけて完成である。

「はい、これで完成です。塗った物が乾くまでは時間がかかりますが、それ以外では今の様にあまり時間をかけずに作ることが出来ます。非常に軽量で強度もあるバケツになります。確認して下さい」

出来上がったバケツを熱心に見ていた工員達に渡すと皆一様にその軽さに驚き、押してみたりして十分な強度があることを確かめていた。
当初の不安そうな様子は消えていた。目にした工程が、慣れは必要そうだがそれ程難しそうな事もなかったので安心したのだろう。

「じゃあ、人数分の型とローラーを用意していますから、今日は繊維を積層する練習をしましょう」
「「「はい!」」」

ボルクリンゲンの工場は順調に操業を開始した。










[18851] 2-3    量産準備2
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/02/26 17:36
 一週間程でバケツの製造は軌道に乗り、ウォルフが居なくても満足出来る品質の物が出来る様になった。三ヶ月程は作り続けられる位の材料を持ってきているので一度サウスゴータに帰っても大丈夫だろうと判断した。
 硬化材に使っている過酸化ベンゾイルは爆発することもあるので取り扱いにはくれぐれも注意する様に言い残して工場を後にする。丁度タニアがアルビオンに行くというので一緒にグライダーで帰ることになった。
 ゲルマニアでの飛行許可も滞りなくおり、初の長距離フライトを楽しむことになった。

「ちょっとウォルフ、風石そんなもんで大丈夫なの?今の時期だと千リーグ近くはあるのよ?」
「大丈夫だろ、こんだけあれば上昇気流を使わなくたって持ちそうだ」
「うーん、ホントでしょうね?海の上で風石が切れて墜落、なんていやよ?」
「海の上ならもう三千メイル以上に上がっているはずだからいつでも陸地まで飛んでこれるよ」

 あまりにも少ない風石の量を心配するタニアを説得してグライダーに乗り込み、二百メイル程風石で上昇して滑空を始める。タニアもすっかり慣れた物で「ヒャッホー!」とか言って楽しんでいた。
すぐに上昇気流を捉えて千五百メイル程まで上昇、その後も何度か上昇と滑空を繰り返し、海上に出る前に高度六千メイルまで上昇、そこから一路洋上に進路を取った。
高度が二千メイルを越えた所で風石を動力とした気圧調整器を作動させている。簡単な風の魔法を応用した物だがこれが有れば高度一万メイルだって大丈夫な優れ物だ。

 タニアはずっと楽しそうに景色を見て色々とウォルフに話し掛けてきていた。

「ふう、良い眺めねえ。フネだと普通ここまで高度を上げないから楽しいわ」
「楽しいだけじゃないぜ、三時間も経たないのにもう海の上に出ている。船とは比べものにならない速さだろう。それにこの運動性を見てくれよ!オレは、自由自在だ!」

 その言葉通り、ウォルフの意志を受けグライダーは右に左にひらひらと宙を舞う。
操縦にも慣れてきてウォルフはグライダーを意のままに操ることを楽しめる様になってきていた。

「ちょ、ちょっと、あんまり揺らさないでよ。・・・確かに随分と速いわね。風竜には負けるかも知れないけど、竜籠よりは大分速そう。これは私も頑張るしか無いわね」
「ん?そういえばアルビオンに何の用なの?」
「・・・アルビオンの役所からグライダーの説明に来いって呼ばれてるのよ。ベルナルドに行かせようかと思っていたけど、彼はグライダーのことをほとんど知らないからね。私が行ったほうが良さそうだなって」
「説明って・・・見たまんまじゃん。何を聞いてくるつもりなんだろ」
「結構な速度で飛んでいる所を見られてるし、軍用に転用出来そうな物をガリアやゲルマニアと繋がりがあると言われているガンダーラ商会が発売したんだから色々と気になるみたいよ?」
「うーん、そう言う話になっちゃうのかー・・・オレも説明に行った方が良いの?」

飛行機を兵器として転用した場合とても優れていると言うことは知っていても、実際にそう言う話になると少し落ち込んでしまう。
大型の機体を作れば兵力を展開するのに速度の面で有利になるし、揚力を犠牲にして速度を上げた機体を作り爆弾を満載してガーゴイルに操作させればかなり嫌な感じの兵器になる。ウォルフならばその爆弾を核兵器にすることも可能だろうから、アルビオンにいながらにしてハルケギニアを火の海にすることも可能と言うことになる。
しかし、ウォルフはそんなグライダーを作りたくはなかった。

「いいえ。あなたのことは伏せておこうと思ってるわ。アルビオンは我々商会にとって唯一後ろ盾になってくれる大貴族がいないから、あまり本当のことは言わない方が良いと思うの」
「確かにマチ姉はこっちにいるけどサウスゴータが後ろ盾になっているって訳でもないし、そもそも太守って言っても金は持っていても権限は市議会のほうにあるって言うしなあ・・・」
「モード大公も旗を貸してくれているけどあんまり頼りにはならなそうだしねえ。今回はツェルプストー様の威光を借りてゲルマニアで開発したって押し通すつもり。実際製造はゲルマニアで行うんだしね」
「うーん、それじゃあ済みませんがよろしくお願いします」
「ええ、まかせておいて」

ゲルマニアに工場を造ったのもツェルプストー辺境伯からのラブコールというのもあったが、新技術の出所をぼかすという狙いがあって決めた事だ。なるべく目立たずに殆どの新技術がウォルフによって生み出されていることについてぼやかしていきたい。
こういう話になるともうウォルフにはどうする事も出来ないので後はタニアに任せるしかない。
ウォルフも出来る事なら自分で何とかしたかったが、未だ幼い我が身では如何ともする事が出来ず、歯がゆい思いをするだけだった。

 暫くそんな事をウォルフが考えて黙っているとタニアが全く別の話を振ってきた。

「あ、そうだ。あと、あなた忙しい所悪いんだけど"タレーズ"を追加で三十本くらい作って欲しいんだけど」
「いいけど・・・前に渡したのはもう全部売れたの?結構な値段で売るって言ってたけど」

 タレーズとはタニアが企画しウォルフが開発した魔法具で、オリハルコン製の細いネックレスに魔法を付与したものである。
その機能は、つけた人間の胸や尻、顔などの表面を重力から開放するというものだ。不自然に若くするのではなく、顔の弛みなどが目立たなくなり胸や尻が持ち上がってちょっと若く見えると言う。
若い人にもずっと着けたままでいれば体形が崩れるのを防げるし、何時までも若々しくいられるという触れ込みで売っているらしい。
付与している魔法がウォルフオリジナルの『グラビトン・コントロール』である為、今のところウォルフにしか作れないのが難点で、タニアは安売りをしない方針だ。

「全部で九本、あっという間に売れたわ、中々の人気よ。スクラーリ伯爵夫人なんて着けてたら伯爵がその気になっちゃって、もう四十過ぎてるってのに妊娠しちゃったそうよ。嬉しそうに話してくれたわ」
「あれ?渡したのって十本じゃなかったっけ・・・」

そう言いかけてタニアをよく見ると首筋にキラリと"タレーズ"が輝いていた。

「ああ、これ?これはその、見本よ、見本。長期的に着けていたらどうなるかっていうのを私が身をもって実験しているのよ」
「別にそんな事構わないけど、いくらで売ってるの?それ」
「一本五千エキューよ。もう少し高くしておけば良かったかしらと思っているわ。胸が軽くなって肩がこらないし凄く良いものよ、これ」
「・・・分かった、作っとく」

 オリハルコン製ではあるが、オリハルコンの地金は『練金』と魔力子操作でウォルフなら割と簡単に作れる。
地金をチェーンに加工する工程は外注に出しているので手間が掛からず、魔法付与に掛かる時間はほんの僅かだ。
片手間で作れてしまうタレーズと、人生の半分近くを費やし情熱と手間を注ぎ込んでやっと作ったグライダーとが同じ値段。
男女の価値観の違いと言ってしまえばそれまでなのかも知れないが、理不尽を感じざるを得ないウォルフであった。

 その他にも道中色々と打ち合わせをしながら飛行し、結局十時間かからずにサウスゴータに着いてチェスターの工場へ着陸した。途中タニアがトイレを希望し、どこかの島まで降りなくてはならないかと思ったが雲の中で駐機して事なきを得た。魔法で飛べると言うことは便利である。
タニアはロンディニウムに行くために急ぎセグロッドでシティオブサウスゴータへと向かい、ウォルフは工場の完成具合をチェックして従業員宿舎などがきちんと作ってあるか確認してからサウスゴータへ帰った。

「あ、やっと帰ってきた。ウォルフ様、引っ越しは何時になるんですか?旋盤を組み立てたいんですが」
「えーと、ちょっと待って、明日・・・は無理だな、明後日にしよう」

 帰って来るなりリナに文句を言われる。確かにちょっと放って置きすぎたかも知れない。
長距離フライトで疲れてはいたが、引っ越しに使う馬車を今夜と明日で組み立てることにして、さっさと引っ越すことに決めた。

 翌日、ウォルフは朝早くから地下の工房で馬車の制作に励んでいた。久しぶりにサラが手伝ってくれている。
 旋盤などは鉄の塊の為、重量がかさむ。通常の木製の馬車ではとてもその重量に耐えられないので鉄製の馬車を二台ほど作り、更に風石を利用して運ぶつもりである。
まずはフレームの治具用に作られた部品を組み、そこにラダー状にフレームの材料をセットして溶接していく。もちろん魔法を使ってである。
出来上がったフレームにサスペンションの部品をアーム、コイルスプリング&ダンパーと順に組み付けていく。取り付けにはゴムを使ったブッシュを入れたし、これで乗り心地は改善されるはずである。
最初はトラックらしく板バネのリジッドアクスルにしようと考えていたのだが、この後に作る乗用車の試作も兼ねて四輪独立懸架のダブルウィッシュボーン式サスペンションとした。
車輪はステンレス製のリムにゴムを巻き七十二本のスポークを組んだ物で、旋盤を作る時に試作したワイヤ式のディスクブレーキを四輪に装備した。上り坂では風石を励起させて登坂し、下り坂ではこのブレーキを使用して安全に走行する予定である。
最後に荷台と御者台を装備しやっと完成したが、試運転も終えたのはもう夜中になってしまい、翌日の作業に備え急いで眠りについた。

 あけて翌日、朝早くから引っ越し作業となった。
 マチルダとクリフォードにも手伝って貰い、ウォルフの作った重量物運搬用馬車、ガンダーラ商会所有の荷馬車を使って次々に地下から荷物を運び出す。
その量は良くこんなに溜め込んでいた物だと言う程で、馬車は何度も往復することになった。
それでも夕方には全て運び終わり、工作機械も全て所定の場所に設置する事が出来た。大量の電池も新しい電池室に収まり、発電機との接続を待っている。
風力発電機はこれから作るので、暫くは手回し発電のみになってしまうが仕方がない。
新しく作った馬車は快調に働いた様で、風石の助けを受け、馬二頭のみとは思えない程の速度で重量物を運んでいた。
トムジムサムの三人は今日からここに住むことにしていて、リナはサウスゴータから通うつもりでいる。

 さらに翌日、ウォルフがサウスゴータの商館で必要な資材の手配をし、新しい工員候補の面接を終えた頃タニアがロンディニウムから帰ってきた。
アルビオンの役所がグライダーを新型の小型船と認定したという。これまでフネとして登録された艦船は港湾設備のない都市には着陸する事が禁止されていたが、竜籠と同等の離発着所を登録すればサウスゴータのような町中に離発着しても良いという許可が出たとの事だ。当然王城や軍事施設の近辺に近づくことは禁止されているがこれで相当便利になる。

「おお!じゃあ今後は方舟から直接出かけられるな。なかなか政府も話が分かるじゃねーか」
「ふう、そのかわり研究用として政府に一機無償で提供するようにとの事よ。最初は問答無用で今あるやつを取り上げようとしてきたけど、何とか交渉して新しく作ったやつで良いと言うことになったわ」
「うわ・・・うんまあ、一機位なら構わないか。ちゃんと文書にして貰ったの?」
「勿論よ。タニア様に抜かりはないわ。ちゃんと各地に通達を出してくれるそうよ」

 ただで一機とられるのは腹が立つが、グライダーの普及には利便性の向上が不可欠だ。そのおかげで各都市間で直接移動できるようになるなら文句はない。
二ヶ月以内に政府にグライダーを提出する様に言われて来たのでウォルフも色々と急がなくてはならない。
風力発電機を完成させて、グライダーの部品を必要数作り、ボルクリンゲンに移動して工員に教えながら組み立てる。結構ぎりぎりだ。

「うーん、今年の夏はガリアに行ってる場合じゃないかなあ」
「そうねえ、でもあなたがグライダーなんて作るからこんな事になったのよ?」
「へえ、分かってます。タニアは頑張ってくれたんだと思ってるよ?」
「役人の相手って、本当にめんどくさいわ。なんで政府に勤めているってだけであんなに傲慢になれるのか不思議だわ」
「お疲れ様です・・・」

 その後ポツポツとグライダーの注文が入ったが、全部商人からの注文であった。本当に使うつもりか真似したのを売り出すつもりなのかは分からないが、ウォルフとしては真似出来る物なら真似してみろと言う気分なのであまり気にしていない。都市から離発着出来る高速交通は魅力的な商品に違いないはずだという信念があるので普及が進めばいずれ真似する所は出てくるだろうとも思っている。

 本気で急いだウォルフは二週間で風力発電機を建てた。三十メイルの高さを持つ塔に長さ十五メイルの羽が三枚、その羽の傾きは可変出来、強風の時は風の向きに平行となって回転を止める。
その制御を行うのはウォルフが作ったガーゴイルで、土石を動力として二十四時間発電の管理を担う。
発電量は三百kWで、当面足りなくなることは無さそうである。
次に取りかかったのは鋼管を圧延する機械である。前回は一機分持てばいいような作りだったが今度はちゃんと作った。メタル軸受けで精度もあり、今はゴーレムの手動だが将来は油圧制御に対応できるようにしてある。
これを使って桁用の鋼管を加工していく。三段階に翼の先に行くにつれ肉厚が薄くなる様に加工し、一号機よりも軽く作れた。

 ウォルフが出かけていて居ない間の宿題として簡単な織機を設計したので、作っておく様にリナ達に言い渡した。それから学校で教えている子供達から十六人を工員候補として採用したのでその教育も任せた。
織機はガラス繊維を織るための物で、今は五サント位に切った繊維を均一に馴らした所にポリエステル樹脂を少量吹きかけ、マット状にしてそれを積層しているのだが、将来的には織った物を使いたいと思っているのでその布石だ。
舵などに使用する細かい部品とアクリル樹脂製の風防も二十機分作り、商会のフネで追加の樹脂・ガラス繊維ともにボルクリンゲンに送った。
外注から戻ってきたオリハルコンのチェーンに魔法を付与し、タレーズを完成させてマチルダに挨拶をする為にサウスゴータの商館に向かった。
マチルダはロンディニウムの魔法学院に入学するため寮に入る。ウォルフが戻ってくる頃にはここには居ない。

「マチ姉、おつかれ」
「ああウォルフ、荷物は送ったのかい?」

 商館に入り、ウォルフが声をかけると書類を見ていたマチルダが顔を上げて応じた。引っ越しの準備があるだろうに未だ仕事をしている。

「うん、全部終わった。じゃあ、オレはゲルマニアに行くね?マチ姉のことは見送れないけど、元気でね?」
「何だい、まだ気にしていたのかい。あたしがさっさとゲルマニアに行けって言ったんだろう、早いとこあたしの分のグライダーも作ってくれってね」
「頑張るよ。・・・でもサウスゴータにマチ姉が居ないのは寂しいなあ」
「ロンディニウムなんて百リーグ位しか離れていないんだよ、目と鼻の先さ。しょっちゅう帰ってくるし魔法具を持って行くから話は何時でも出来るし、今までとそんなに変わらないさ」
「うん、あんまり無理はしないで、商館はカルロが回してくれると思うから」
「ふん、それも寂しいもんだけどね」

 これから三年間マチルダは魔法学院で寮生活である。商会での身分は名誉サウスゴータ商館長となり、新たにカルロが館長を務めることになっていた。
ウォルフはちょっとしんみりした気分でマチルダに暫しの別れを告げた。
ここで入学祝いにとタニアに頼まれたのとは別に自分でチェーンの加工までしたタレーズをプレゼントしたのだが、マチルダは老化防止グッズと思っていたらしく「まだそんな歳じゃない」と怒り出してしまった。しんみりしたムードは台無しである。
結局、歳に関係なく肩が楽になる良いものだということで納得してくれたが、「女心が分かってない」と最後の最後にダメを出されてしまった。

 今回ボルクリンゲンに行くに当たって、ラウラを連れて行くことにしていた。メイジではないし、リナの様に旋盤を扱う才能はなかったし、計算なども出来ないわけではないのだが手が遅い。もったもったと計算しているのを見るととてもそんな仕事に就かせようとは思えない。
基本的に人が良いので商売ごとの交渉などに向いているとも思えないので、親から引きとって連れてきてから二年も経つが、どんな仕事をさせようか未だ決まらず少々持て余していたのだ。
ユーモアがあって、話がうまいので人に教える仕事が向いているのではないかと考え、グライダーの操縦を指導する教官候補として空いた時間に操縦を教えてみようと思ったのだ。
とりあえず数ヶ月ゲルマニアで訓練と教官育成をさせて、教官の数が増えたらアルビオンに戻す心算だ。

「ふわあ・・・本当にあたしがこれ乗ってもいいんですかぁ?」
「おう、この間言っただろう、こいつの操縦を顧客に教える係になってもらうって」
「あたしにそんなの出来る様になるんでしょうか・・・うにょ!」

ウォルフが『レビテーション』を唱えラウラを前席に座らせた。ラウラは前もって言われていたのでズボンをはいている。
続けてウォルフも乗り込むと風防を閉め、上昇を始めた。

「じゃあラウラ、これから飛行するわけだけど、ちゃんと勉強してきただろう?手順を説明して」
「は、はひ。えーと、必要な高度に到達したら風石を止めて、浮力を無くします。そしたら降下を始めるので十分にスピードが出た所で操縦桿を手前に倒し水平飛行に移ります」
「うん、よく勉強してるな。じゃあ今からその通りにやるから感覚を覚えろよ?それから、そっちの席の操縦桿も使える様になっているからやたらと動かさないように」
「はい・・・ひょわー!!落ちるぅーーー」

ウォルフは道中ずっとラウラに上昇気流の見つけ方、何故上昇気流が起きるかなどを教え、途中からラウラにも操縦をさせた。

「ウォルフ様、ウォルフ様、これチョー楽しいです!あたし、魔法使えないのに空飛んでますよ!空!」
「ふふん、凄いだろう。ほら左舷前方にサーマル(上昇気流)。つかまえな」
「はい!今までずっと変人だと思っていて済みませんでした!ラウラ、行きまーす!」
「・・・・・」

 二人を乗せたグライダーは前回より大分速く、距離が近くなっていたこともあって六時間でボルクリンゲンに着いた。
ラウラは初めてのフライトに興奮しっぱなしで次に何時操縦出来るのかを聞いてきた。
基本的にまたツェルプストー伯の許可が得られればこの領内では自由に飛べるので、ラウラには練習のためにどんどん飛ばせるつもりで居た。

「暫くはオレの時間が空いた時に一緒に飛んで、オレがもう大丈夫だと判断したら一人で、もしくは誰かと一緒にどんどん飛ぶことになるね」
「ぬあー!楽しみになってきました!あたし絶対になりますよ、鬼教官に!頑張りますからウォルフ様ももっと色々と教えて下さい!」
「いや、別に鬼じゃなくていいから」

上がりっぱなしのテンションにウォルフはちょっとついて行けなかった。

















[18851] 2-4    フロイライン・キュルケ
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/05/07 18:56
 ウォルフが工場の中に入ってみるとバケツがうず高く積み上がっていた。工場の管理は商館に任せてあるのだが、一回も出荷しなかったのだろうか。
不思議に思って作業をしている工員達の所に行ってみる。

「あ、ウォルフ様、いらっしゃいませ」
「ああ、久しぶり。どう?問題はない?」
「はい。みんな作業に慣れたので最初の頃より大分速く出来る様になりました」
「ああ、積んであるのを見たよ。一回も出荷してないの?」
「はい。商館の方がこんな高級なバケツなんて売れないって言ってました」
「高級で売れないって何だよ・・・」

 確かに改めてバケツを見てみると、滑らかで白く輝く本体に真鍮製の金具と取っ手が着いていてなかなか上品な趣である。
しかし、FRP作業の練習用に作らせているだけなのでいくらで売るかなんて考えていなかった。
取り敢えずバケツの方は商館の方で聞いてみることにして、ラウラを皆に紹介し、グライダーに乗る時間以外はここで働かせることを説明する。

「じゃあ、ラウラをよろしく。ラウラ、グライダーの製造方法を顧客に説明することもあるんだからちゃんと教えてもらえよ」
「ふあい。鬼教官への第一歩ですね」

 ラウラを残し、倉庫にグライダーをしまってセグロッドで港にある商館まで急ぐ。
ここの商館長はフークバルトという男で、優秀なのだが融通が利かない。ウォルフのことも子供扱いしてくるので対応に困ることが多い。
前回はタニアが居たので彼女に言えば良かったが今回はそう言うわけにも行かないみたいだ。

「えーと、バケツがある程度溜まったら売って欲しいって頼んだと思うんだけど何で売ってもらえないのか聞きに来たんだけど」
「ボクどこの子?お父さんにそんなこと言って来いって言われたの?それとも親方かしら。ここは商社だから、売れないものは買わないのよ」

直接商館長の部屋に向かおうとしたところ、入り口で新人のお姉さんに捕まってしまった。話が通じないので助けてもらおうと知ってる顔を探して周りを見るが、皆忙しそうにしていて誰もこちらを見ていない。

「ウォルフ・ライエ・ド・モルガンだ。フークバルトに会いたいからここを通してくれ」
「あ、あら、貴族様なの?じゃあ、仕方ないわね、お会い出来るか聞いてみるからここで待っててね」
「いや、一緒に行くよ。その方が早い」
「しょうがないですね。会えないって言われても私に怒ったりしないで下さいよ?」

ブツブツと文句を言うお姉さんについて行った商館長室で待っていたのは輝く金髪にやたらといいがたいを持つ男、フークバルトである。
お姉さんはウォルフが株主だと知って蒼くなっていたが、気にしない様に言って下がらせた。

「さて、何の用ですかな?ウォルフ様。納品するグライダーはもう出来ましたか?」
「いや、今日着いたんでまだだよ。部品もまだ届いてないし。工場にバケツが溜まって困っちゃうから売って欲しいんだけど」
「ああ、その件でしたら確かに私が止めています。良いですか?ウォルフ様、商売というのは適当に作って売れる値段で売ってと言うのでは決して成功しません。私としては一体いくらで売れば採算が取れるのか説明していただかないと売ることは出来ません」
「原材料は全部オレがそこら辺の木屑とか土から『練金』したやつだからただ。平民八人で一日百個以上作ってるみたいだから結構安く出来るんじゃない?」
「え?・・・そんな、じゃあ安く売っても採算は取れるって事ですか?」
「うん。オレが『練金』し続けるわけには行かないし、彼女らもグライダー制作の練習に作っているだけだからこの先ずっとは作らないけど、今ある分位は売れる値段で売っちゃって良いよ。せっかく作ったのに練金し直しちゃうのはもったいないし」
「・・・分かりました。早速明日荷馬車を向かわせます。ゲルマニアよりもガリアで好まれそうなデザインですのであちらにも輸出する様に手配しましょう」
「ありがとう。よろしく頼むよ」

 フークバルトに納得して貰い、工場に戻ってみるとラウラは皆に交ざってバケツを作っていた。全員に活性炭入りの防塵マスクをさせているのですぐにどこにいるのかは分からなかったが、楽しそうにおしゃべりしながら作業をしているのを見て安心し、ウォルフは倉庫から石膏型と木型を取り出してきた。
木型を使って、雌型をもう二台分作るつもりである。一号機がとても快調に飛んでいるので改造はしない。

 翌日全員を集め、今日からグライダー作りに入ることを告げる。ラウラと同じ位の年頃の娘から四十位の女性までずらりと揃っているが、皆気合いの入ったいい顔をしていた。
バケツの型や作りかけの物などを全て片付けさせ、いよいよ作業に入る。
まずは一つの雌型で、大型の物を作る時の注意を教えながら離型処理を丹念にして、ガラス繊維を積層していく。
それが終わったら三人で一つの班を作り、工員だけでやらせる。ウォルフは順次監督して、アドバイスを与えたり手伝ったりした。
簡単な構造のグライダーとはいえ、一機分の雌型は全部で三十個以上もあるので一日仕事となった。

「ふぃー、結構大変でしたねー。ウォルフ様本当に一人で作ったんですか?」
「おお、FRPはサラが手伝ってくれなかったからなあ・・・ずっと一人だったよ」
「・・・やっぱりウォルフ様は変人ですね。みんなでやってるから楽しいけど、あんな作業を一人で全部やったなんて信じられません」
「変人ジャナイヨ?普通ダヨ?」

 ラウラから哀れむような目で見られてしまってウォルフは軽くへこんだ。
 その後一日の仕事を終え、二人で食事をしながら色々と話をする。
子供二人なので外に食べに行く気にもならず、適当に食材を買ってきて調理した物を食べているのだが、話題は自然とグライダーについてになった。

「あれって、いくらで売り出したんですか?」
「聞いてない?五千エキューだよ」
「ごせん・・・う、売れるんですかあ?」

平民であるラウラには想像すら出来ない様な額である。そんなのを自分が飛ばして良いのかとさえ思ってしまう。

「今のところ六機注文が入っているな。それにアルビオン政府に取られる分を一機、ガンダーラ商会用に五機、計十二機作るまではここに滞在しようと思っているから、ラウラもそれまでに操縦を覚えてくれ」
「はひ、頑張ります。でも、ぜ、全部でろくまんエキューですか、ウォルフ様大もうけですね」
「商会に入ってくる金は三万エキュー、これは商会の収入だからオレに配当で入ってくるとしても極僅かになるよ。何か俺にはラ・クルスに二十万エキューの借金があるらしいから頑張って稼がないと」

二十万エキュー。もう訳が分からない額である。ちなみにラウラは今まで学校に通いながら商会の手伝いをして月に十エキューも貰っていたが、それを全額返済に回したとしても千六百年以上かかる額だ。
ラウラは試しに計算してみて愕然とする。確か商会を立ち上げた時はフネを借りて貿易をすると言っていたはずだ。急に商会が大きくなったなとは思っていたが、ウォルフがそんなに無理をしていたとは知らなかった。

「ウォルフ様、頑張りましょう!ウォルフ様は変人だけど凄い人なんだから、きっと借金だって返せますよ!あたしも鬼教官になって手伝いますから!」
「お、おう・・てか、鬼教官ってのは決定なの?普通の教官で良いんだけど」

 翌日ウォルフは朝から前日に着いていたアルビオンからの荷物を商館に取りに行ったのだが、帰ってきて顔を合わせた工員達の目が何故か優しかった。

「いいかい、借金なんかに負けちゃいけないよ」
「あたし達も応援するから、頑張って生きるんだよ!」
「えーと、うん、頑張ります」

 おばちゃん達にやたらと励まされてしまい、戸惑いながらちらりとラウラの方を見ると目を潤ませてうんうんと頷いている。犯人はこいつだ。
後で言い聞かせなくちゃと決意しつつ今日の作業を始める。

 型からFRPを外し、形を整えたらアセトンを使って表面を脱脂し、表面を補修していく。手先が器用そうだった四人を相手に、ガラス粉末と樹脂のパテで補修するコツを教える。この辺はバケツで経験を積んでいるのでよく分かる様だった。
他の四人とラウラはFRPを外した型とウォルフが新しく作った型にワックスを掛けて離型処理をしている。
補修が終わったら硬化するまで放置して、また次の機体の作成に入る。
そして翌日表面をならし、組み立てて各部品を接着し、また翌日接着部の補修をし、翌日表面を研磨してサ-フェーサーをかけ、そのまた翌日塗装をして、翌日いよいよアルビオンから届いた部品を組み込み、各部の動作とバランスを確認して完成である。
部品の組み込みには手先器用組四人とラウラが手伝って構造と組み込みのこつを学んだのだがなかなか難しい様でウォルフ抜きで出来る様になるには時間がかかりそうだった。
作業開始から七日間で一機作ることが出来た。次の機体は明後日に完成しそうで、空いた時間を使ってその次の機体や更にその次のも作り始めているので今後は二~四日に一機位のペースで生産出来そうである。
一機目にかかった時間を考えればあっという間と言って良かった。

「ふおお、今あたし、あたしが作ったグライダーで空飛んでますー・・・」
「ちょっと黙ってて」

 昼食後にウォルフはラウラを乗せて二号機で試験飛行をしていた。フネの登録前でもツェルプストー領の一定地域ならば試験飛行をしても良いという許可を得ている。その分税という形で金を納めはしたが。基本的な性能をチェックした後、今はラウラに好きに操縦させてウォルフは神経を集中させ、機体の軋みや変な振動が無いか感じとろうとしていた。その他に風を切る音にも注意を向け、飛びながら不具合がないかをチェックしているのだ。
全て問題ないことを確認し、ラウラに着陸を指示する。今日は魔法を使わない平民用の着陸操作をするつもりだった。
空気ブレーキを立てて十分に高度を下げ、そこから少し上昇して失速気味になるまで速度を下げ、風石を使用し徐々に降下する。風石を励起させるのには今回から手回し発電機を使っているので発電用のハンドルを回転する速さで揚力を調節しつつ、降下地点まで来たらロープに結んだ碇を投下して停止し、そのままゆっくりと着陸する。電気で風石を励起させるのは魔法で行うよりも微妙なコントロールを可能としているのでグライダーに向いていた。

「にうー、もう終わりですかぁ?もうちょっと飛びましょうよー」
「もう試験飛行は終わったからな。こいつは売り物だから」

 試験飛行を終えた機体を台車に乗せて倉庫にしまいながらもラウラはまだ飛びたそうである。
そこにちょうど商館長のフークバルトが客を連れて現れた。客は赤い髪をした少女とその護衛らしい二十代位の体格の良い男だ。

「ウォルフ様、こちらツェルプストー辺境伯のお嬢様で、工場の見学を希望しています。案内をお願いしたいのですが」
「キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーよ。あなた、なんか面白そうな物を飛ばしているわね?見に来たわ」
「ようこそお越し下さいました、ミス・ツェルプストー。一応この工場で責任者をしているウォルフ・ライエ・ド・モルガンでございます。興味を持っていただき嬉しく思います。早速私が案内いたしましょう」

 大貴族の令嬢らしく優雅に自己紹介をするキュルケ。次の誕生日で十一歳になる浅黒い肌と燃え立つ様な赤い髪を持った少女は悪戯っぽそうな目を輝かせて微笑んだ。
辺境伯令嬢の登場に緊張するラウラを工場へ戻し、ウォルフはキュルケ達の先に立って工場内を案内する。ちょうど工員がばらけて各段階の作業をしているので説明がしやすかった。

「ふうん、何か地味な作業ねえ。変な臭いもするし・・・メイジを雇うお金がないの?」
「ええと、まあメイジじゃなくても出来る作業ですし、臭いは特殊な秘薬を使っているからそのせいです」

キュルケは自分から案内をしろと言ってきたにしてはあまり興味が無さそうで、退屈そうにしていた。その反対に護衛だという男性は土メイジらしく、熱心に色々と質問をしてくる。

「ふむ、それでこの秘薬はアルビオンで作っているというわけですな?」
「はい。製法については・・・未だ研究中ですが、今は木屑から『練金』して作っています。魔法を使わない製法が確立出来ればもっと価格を下げられるのですが」
「なるほど、優秀なメイジは高給取りですからな。それで、こちらのガラス繊維というのは普通のガラスとはちょっと違う様に思うのですが、これも秘薬を使っているので?」
「いや、これは秘薬ではなく成分が違うだけです。こちらの鉱石の成分を溶かして得られる成分を多く加えています」

 そう言って秘薬屋で購入してきたボーキサイトを見せる。秘薬屋には様々な鉱石も販売しているのでアルビオンやガリアで新しい物を見つけると購入することにしていたが、ボーキサイトはアルミの説明にちょうど良いと思ってゲルマニアまで持ってきていた。
キュルケの護衛・デトレフが『ディテクトマジック』で確認しているが、優れた土メイジなら両方にあるアルミナに気づけるだろう。
ガラス繊維の実際の成分としてはシリカにアルミナ、それに酸化マグネシウムとなっていて、それにシランカップリング剤という樹脂との相性を良くする薬剤を塗っているのだが、ハルケギニアのメイジがどこまで分かるのかと言うことには興味がある。薬剤以外は普通に秘薬屋に有る鉱石に含まれる物質だ。

「ふうむ、確かに仰る通りのようです。色々と研究していますなあ」
「まあ、優秀なスタッフが揃っていますから。よろしかったらこちらをお持ち帰り下さい。薬剤は人体に害がありますので取り扱いには注意して下さい」

 多少はったりをかましつつラウラに用意させたガラス繊維と樹脂の主材と硬化剤、離型剤とローラーが揃ったFRP入門セットを手渡す。これは有力貴族が見学に来た時用に考えていた工場見学用のおみやげで、成形方法や薬剤の取り扱いについて説明している冊子が入っているのですぐに使えるものだ。
実は主人から制作方法を偵察して来る様に言われていたデトレフは、どう言って秘薬を分けて貰おうかと悩んでいたがいきなり全部貰えてしまって大いに喜んだ。
 更に色々と聞いてくるデトレフに一々丁寧に答えているウォルフだったが、キュルケは醒めた目でその様子を観察していた。
父が彼のことを天才の子供と評していたことを思い出す。天才かも知れないが自分の好きなおもちゃをいじることに夢中になってるだけの子供に過ぎないから、精々手元に置いて利益を吸い上げるべきだと側近に話していた。
貴重な発明品である秘薬をただで配るなんて全くばかげていて、父の言う通りなんだろうと思う。天才と呼ばれる子供が居ると言うことにも興味を持って来てみたが、今はもうその事にはなんの興味もなくグライダーに乗ってみたいという気持ちが有るだけだった。

「ねえ、まだ次の所には行かないの?」

 木材に比べて強度が・・・とか、鉄だといくら薄くしても重量が・・・などと楽しそうに話し込んでいる二人に声をかける。
ずっと放って置かれたのでちょっと声が不機嫌になってしまったのは仕方がないと思う。

「や、これはお嬢様、申し訳ありません。ささ、ウォルフ殿次に移りましょう」
「ああ、じゃあ次は塗装ブースに行きましょう。その名の通り、色を塗る工程ですね」

デトレフは恐縮していたが、ウォルフは何でもない様にそのまま隣の部屋へ移っていった。それが子供扱いされて軽んじられている様で、キュルケには気に入らない。もっと自分のことをちやほやするべきなのだ。
フンと鼻を鳴らして不機嫌そうについていったキュルケだったが、そんな気持ちは塗装ブースに置いてある機体を見た瞬間に吹き飛んだ。
ツヤツヤと美しい光沢を放つその機体は全体を鮮やかな赤色で塗装されていて、キュルケにはその見たこともないような美しい赤色を纏ったグライダーが自分のために用意された物の様に思えた。

「わたし、これが欲しいわ」
「ええと、これはフォン・ツェルプストーのご注文の品ですので、お父様にご相談下さい」

 赤いグライダーを見つめていたキュルケがこちらを振り向くとニイっと笑った。父親にねだって絶対に自分の物にしようと決めつつウォルフに聞いた。

「これは、今すぐ飛べるの?」
「いえ、まだ組み立てが終わっていないから無理です」
「わたし、今これで飛びたいわ。組み立ててよ」
「組み立ては明日行う予定です。ご覧になりたいのでしたらまた明日お越し下さい」
「組み立てなんて見たくないわよ。わたしは今これで飛びたいの。わたしがこんなに頼んでいるのよ?やってくれても良いでしょう」
「まだ塗装面が落ち着いていないのです。今触ると塗装がダメになってしまうから、明日と申し上げてます」
「塗装がダメに・・・むう・・・じゃあ、他ので良いから飛んでみたいわ。乗せてくれるんでしょう?」
「はい、それでしたら。じゃあ、倉庫にありますので、移動しましょう」

倉庫から一号機を出して組み立てている間、キュルケは少し奥に置いてあった風防を見つけて勝手に持ち出して来た。

「じゃあ、準備が出来たから・・・あの、それは製品に使用する部品ですから、触らないでいただきたいです」
「こんな透明なガラス、見たこと無いわ。全然色がついて無いじゃない。軽いし、綺麗に曲がっているし。ねえ、これ頂戴?」
「いえ、それは数があまりないので・・・」
「わたしの部屋の東の窓にこれをはめ込んで景色を眺められる様にしたら、とてもすてきだと思うの。ねえ、いいでしょう?」
「ええと・・・」

 頭の上に風防をかぶる様にして持ち、にこにこと笑いながらも全く折れる気配もなくねだってくる。
これが我が儘なお嬢様というやつか!と驚きながらもウォルフはだんだん断るのが面倒くさくなってきた。なにせ相手は全く交渉という物をする気配がない。

「わたしのことをキュルケって呼んで良いわ。わたしもあなたのことをウォルフって呼ぶから。友達になりましょうよ。友達だったらこれくらいくれてもいいでしょう」
「はあ・・・分かりました。一つだけなら構いませんので、お持ち下さい」
「ありがとう、ウォルフ。あなたの気持ちはありがたく頂くわ。友情ってホント素敵ね。でもねウォルフ、窓って左右に二つある物なのよ」
「・・・・・」

 結局ウォルフは風防を二つキュルケに提供することになった。ジャイアンに出会ったのび太の気分を味わいつつ、たかりから始まる友情なんて有るのだろうかとぼんやり考えた。








[18851] 2-5    フライング・キュルケ
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/03/16 18:27
「じゃあ、前の席に乗り込んで下さい。『レビテーション』は使えますか?」
「勿論よ、わたしもう系統魔法も使えるのよ?」

 不満そうにウォルフを一睨みしてキュルケがグライダーに乗り込もうとするが、デトレフが待ったをかけた。

「ちょっと待って下さい。これは二人乗りじゃないですか。私はお嬢様のそばを離れるわけには行きません。ウォルフ殿、私が操縦しますからちょっと教えて下さい」
「え・・・・」

 あくまで護衛としての責任感から言っている様だが、ウォルフには見える。最初の急降下に驚いて、グライダーを捨てて外に飛び出す二人の姿が。
操縦する者を失った、愛するグライダーが地面に激突して粉々になる様まで思い浮かべてしまい、あわてて反対する。

「いや、そんなちょっと教えただけで操縦なんて出来ませんし、させられません。どうしてもと言うのなら今日はお嬢様は諦めて下さい」
「キュルケって呼びなさいって言ったでしょう。何でわたしが諦めるのよ?友達と二人でちょっと出かける位良いじゃない。どうしてもって言うなら、あなた『フライ』で付いてきなさいよ」
「いえ、お嬢様私は土メイジして、『フライ』はちょっと・・・」
「何よ、情けないわねえ・・・じゃあグライダーの上に跨って乗るとか」
「それはこっちがご遠慮いただきたいです」

 暫く揉めたが結局デトレフが折れ、ウォルフとキュルケの二人でのフライトとなった。

「ふうん、これで操縦するのね。竜を操るのとは大分勝手が違いそうね」

 滑空するのを待ちきれないのか、キュルケは風石を使って上昇する機内でガチャガチャと操縦桿をいじっている。前席のはワイヤを外しているのでいじっても問題はない。
急降下することは伝えてあるので驚いたりはしないだろう。辺境伯のお嬢さんに犬神家の呪いを起こすわけにはいかない。

「あら、随分高い所まで来たわねえ。竜籠ではこんな高さまでは来ないわ。あ、ウチのお城が見える!」
「じゃあ、そろそろ滑空を開始します。最初は速度を上げるために落っこちますけど驚かないで下さい」
「はいはい、さっき言っていたやつねーーーーきゃあああーー」

 分かっていても驚いたみたいだが、水平飛行に移ったらケラケラと笑っていた。

「あはははは今の凄く楽しいわね、ね、ね、もう一回やってよ、もう一回」
「分かりました。ちょっと上昇しますから待って下さい」

上昇気流を捉え、くるくると旋回しながら高度を上げていく。その間もキュルケはずっと楽しそうだった。

「すごいじゃない、どんどん高く上がっていくわ!本当に風石を使ってないの?」
「ここは上向きに風が吹いている場所だから、その風に乗っているだけなんです。じゃあ、そろそろ降下しまーす」

 そう告げると上昇気流から外れ、操縦桿を倒して一気に機体を下に向ける。その感覚はまさにジェットコースターの落っこちる瞬間と同じものでキュルケはまたけたたましい悲鳴を上げた。

「きゃーーーあ、落ちるぅーーあはははははh」

 キュルケがあまりにも楽しそうなので、ホストであるウォルフとしても嬉しくなりその後も頼まれるまま急降下を繰り返した。
十回程も急降下と上昇を繰り返したのだが、だんだんと日が傾いて上昇気流が弱くなってきた。ふと気付くと結構な時間が経っていたのでもう帰ることをキュルケに告げる。

「じゃあこれで最後にします。デトレフさんも待っているし、工場に帰りましょう」
「えー、まだいいじゃなーい。デトレムなんて待たせとけばいいわよ」
「上昇気流、上向きの風が弱くなったから、もう降りるしかないんです。グライダーは自然の力を利用しているから、いつでもどこでも好きな様に飛べる訳じゃないんです」

風石の力を使えば何時でも飛べるわけだが、それにはコストがかかるしもう十分に遊んだだろう。

「んー、じゃあ、お城まで飛んで連れて行ってよ。お母様に飛んでいる所を見せたいわ」
「うーん、いきなり城に行っても大丈夫かな。これ、一応アルビオンの船籍なんだけど」
「今日はわたしがウォルフの所に行っているって知ってるから大丈夫よ。グライダーで帰ってくるかもって言っておいたし」
「はあ、分かったよ。君には勝てそうにないや」
「そうそう、大分口調がこなれてきたわね。あなたの歳で敬語なんて、似合ってないわよ?」
「・・・・・」
「あら?もしかして気にしてた?でも、きゃあああー」

 悪戯っぽい笑顔で後ろを振り返るキュルケに対し、ウォルフは無言で急降下をさせて黙らせた。深めの降下角度を維持したまま城へと向かう。上空から一気に降りたので城までは十分とかからなかった。
キュルケはずっと席から乗り出して外を見ていて、見慣れた景色が高速で通り過ぎるのを楽しんでいた。

「もうお城だわ、速いわねえ・・・このままぐるっとお城の周りを回って頂戴」
「はいはい、仰せのままに」

城からは竜騎士が二騎飛び立ってきたが、キュルケの姿を認めると横に並んで一緒に城の周りを旋回した。

「お母様見てくれたかしら。じゃあもういいわ、中庭に着陸して。わたし帰るわ」
「えーと、デトレフさん待ってると思うんだけど、あっちに帰らなくても良いの?」
「何でわざわざあんな所まで戻らなくちゃいけないの?わたしの家はここなのよ。デトレムには忘れないであのガラスを二枚持って帰ってくる様に言っておいてね?」
「・・・伝えておきます。それと、あの人の名前はデトレフです」
「あら、間違えちゃった?とにかくちゃんと伝えてね」

 指示通りに中庭に着陸し、キュルケを下ろす。キュルケの母だという女性にお茶に誘われたが、用があるからと断って帰った。デトレフが気の毒すぎる。
帰りの機中でぐったりと疲れを感じながらキュルケのことを思い返す。肌や髪の色以外は父親にはあまり似ず超美人である母親によく似た容姿で将来は相当な美人になるのであろうが、燃えさかる炎の様に自由奔放な少女だった。
ウォルフも生まれてからこっち随分と両親には我が儘を通してきたと思っていたが、初めて会った他人にあそこまで通せる彼女には大分負ける。
オレもまだまだだな、などと呟きながらデトレフの待つ工場へと降下していった。

「ウ、ウォルフ殿、お嬢様はどうなされた?」
「えーと、お城で降りました。風防のアクリルガラスを忘れずに持って帰ってこいとのことです」

 着陸するなり走り寄ってきたデトレフはウォルフの言葉を聞くとがっくりと膝をついた。
暫くすると立ち上がり、黙って膝を払い荷物を取ってラウラに包んで貰った風防を頭の上に持ち、「お嬢様ーーっ!」と叫びながら挨拶もせずに走り去った。

「ウォルフ様、お帰りなさい。大変でしたねぇ」
「ああ、ラウラただいま。大貴族ってのは凄いな」
「全然帰ってこないからあのデトレフって人ずーっとぐるぐる中庭で歩き回りながら文句言ってました」
「まあ色々気苦労も多いんだろう、同情するよ」

 ラウラと一緒にグライダーを倉庫にしまう。結局午後一杯遊んでしまった。

「でも良いんですか?あんなに秘薬とか全部あげちゃって。ウォルフ様グライダー作るのにあんまりお金はかかって無いって言ってたんだから、真似されて安いのを売り出されちゃうんじゃないですか?」
「真似出来るならすればいいんだよ。ハルケギニアのメイジがFRP作れるって言うならそれはそれでオレの勝利だな」
「何でですか!普通そういうのは秘伝、とか門外不出とか言って隠すものですよ?」
「技術ってのは普遍性を持ってこそ意味のある物なんだよ。オレだけにしか使えない技術なんてオレが死んだらそこまでだろう?オレにはハルケギニアのメイジにどうやって教えたらいいのか分からないから、自分で分かる様になるって言うなら頑張ってくれって感じだよ」
「・・・絶対に真似なんて出来ないだろうって事ですか?」
「いや、そう言う事じゃないから。オレはたまたまこれの作り方を思いついたけど、他のメイジがこれを作れる様になる方法を今のところ考えつかない。だったら他の人にも考えて貰ってなんか良い方法が見つけてくれたらいいなって事だよ」
「ええー?ウォルフ様が思いつかないようなこと考えつく人が居るって言うんですか?」
「当たり前だろ、お前、オレのこと何だって思ってるんだ」
「えっと・・・凄い、変人?」
「・・・お前がオレのことをどう思っているのかはよく分かった。まあ、グライダー界のナンバーワンの座を譲るつもりはないけど、オンリーワンじゃなくても良いだろうって事だよ」

 今飛んできた空を見上げ、ウォルフはハルケギニアの空を様々な色・形をしたグライダーが飛び交っている様を想像する。高級機から廉価機まで多様なメーカー製のグライダーが飛んでいて、それはウォルフのグライダーのみが飛んでいる空よりもずっと楽しそうだった。



 その夜、ツェルプストー辺境伯は難しい顔をしながらデトレフの報告を受けていた。
最初はグライダーを作っている秘薬を手に入れたと聞いて喜んでいたが、ウォルフがそれを全く隠そうとする気配を見せず提供したと聞いて驚いた。
デトレフによればウォルフは聞いたことには何でも親切に答えてくれ、おみやげもこちら側が言い出す前に用意していたし、当初くれる予定はなかったらしい風防もキュルケがしつこくねだったらくれたらしい。
グライダーに乗った時にその透明度と曲面に加工されていることは知っていたが、持ってみてその軽さに驚いた。土メイジであるデトレフによればガラスではなく、樹脂だそうだ。
"君にも出来る!FRP入門"という冊子を読みながら思わず舌打ちをする。せっかくの新技術だというのにあの子供は嬉々として他領のスパイにも教えてしまいそうだ。

「で、どうだ。お前はこれを作れそうか?」

今、城にいる中では一番優秀な土メイジであるデトレフに尋ねる。後でボルクリンゲンの製鉄所にいるスクウェアの土メイジにも聞いてみるつもりだ。

「ガラスの心材の方はウォルフ殿に詳しく教えていただいたので秘薬屋か鉱山で鉱石を手に入れられれば出来るかも知れません。樹脂の方は全く見たこともない物質ですので、今すぐには無理です。ただこちらもウォルフ殿に教えていただいたので詳しく研究すれば、あるいは」
「出来るというのか?一体何を教わったと言うんだ」

いらいらしながら尋ねる。情報を手に入れた嬉しさよりもウォルフの無警戒ぶりに腹が立つ。

「コークスを作る時に出るガスがとても近い物質だというのです。今は燃やして捨ててしまっていますが、それが利用出来るのなら僥倖ですな」
「ううむ、そんなものから・・・これはエインズワースにあの子供をちゃんと管理する様に言うべきだな」
「はい。わたしがツェルプストーの者だったからかと思ったんですが、そうでもなく誰にでも隠す気は全くない様でしたからちょっと注意した方が良いかもしれませんね」
「とりあえずあの工場に向かう道を監視する様に警備隊に連絡しろ。関係者以外が行かない様に隠れて封鎖するんだ。確か一本道だったからやりやすいだろう」
「かしこまりました」

 デトレフが下がった執務室でツェルプストー辺境伯は一人考え込んでいた。グライダーの基幹技術と思えるFRPの材料および成型方法についてこんなに簡単に教えてしまうという事はウォルフがこの技術を大したことではないと判断しているのかも知れない。
もしかしたら他に何か重要な技術を隠しているのかも知れない。そんな疑心暗鬼にとらわれかけ、チッと舌を鳴らしてその考えを打ち切った。
ガンダーラ商会からの連絡によれば今週中に発注した二機とも納品される予定なので、どんな技術で作られているのかなどそれを研究すればいいことなのだ。ゲルマニアの技術力を持ってすればあんな子供が開発した物などあっという間に分析出来るだろう。
ウォルフは手元にいるし、ガンダーラ商会も充分にツェルプストーとの関係は深い。たとえウォルフが何を考えていようと心配する様なことはなく、技術が流出しないようにだけ気をつけていればいいのだ。
ツェルプストー辺境伯は持っていた書類を隅に押しやると、一瞬よぎった不安に似た感情を打ち消すかの様に次の案件に取りかかった。



 ウォルフはその週、予定通りフォン・ツェルプストーにグライダーを二機納品し、アルビオン政府に納める分もフネに乗せて出荷した。キュルケがねだった成果か、ツェルプストーからは更に一機追加の注文が入った。今度も同じように真っ赤な機体とのことだ。
ラウラの訓練をしつつ、デトレフともう一人ツェルプストーからのパイロット候補に操縦を教えたりしながらすごした。
工場では順調にグライダーの生産を続け、週に三、四機のペースで完成させていき一月後には最初の受注分を全て納品することが出来た。その後もポツポツと注文が入ってきているのでこのまま生産を続けるつもりだ。
工員も大分作業に慣れ、その中から自然とリーダーになる人間も現れたのでその一番年かさの女性を工場長代理に任命し、ウォルフは一度アルビオンに戻ることにした。大分資材が心許なくなって来たのだ。

「じゃあ、みんなあとはよろしく。グライダーの部品が無くなったらまたバケツでも作っていてくれ。ラウラも頑張って教官をやれよ!」
「「「はい!お任せ下さい!」」」

 一ヶ月程の訓練期間だが毎日、最後の方はそれこそ朝から晩まで飛んでいたため、ラウラは普通にグライダーを飛ばせる様になっていた。
初めて一人で飛んだ時は緊張していた様だが、元々風石があるために本来一番危険な着陸が安全に出来るのし、グライダーの操縦はそんなに難しくはない。
操作は結局慣れるしかない物だし、上昇気流の見つけ方などは自分で学ぶしかないが、ラウラはもうそのコツを掴んだ様なので今回ウォルフが帰国中、顧客の操縦訓練を任せることになった。
以前に操縦を教えた商館員達二人も暇を見ては訓練をし、大分うまくなったのでこの二人とラウラで今後顧客と教官候補の操縦訓練を行っていくのだ。
貴族相手に平民だけで教えていくことになるので不安と言えば不安だが、あくまで顧客サービスの一環であり、五月蠅いことを言う客には教本だけ渡して追い返して良いと言ってあるので何とかなるだろう。

「えーと、本日の訓練予定は・・・おっと、フォン・ツェルプストーのお嬢様ですね。気合いを入れていきましょう!」
「「はい!」」

 ガリア生まれの平民の少女・ラウラは生まれ故郷のヤカから遠く離れたゲルマニアの地で生き生きと働き始めた。





[18851] 2-6    些事が万事
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/03/26 17:23
 アルビオンに着いたらもう夕方だったのでチェスターの工場に行くのは明日にしてシティオブサウスゴータに着陸する。
着陸場所はサウスゴータの城壁の外にガンダーラが商会が設置した空港である。結局ド・モルガン家や商館の場所だと住居が密集しているとのことで設置の許可が下りず、竜駅の隣に新たに作った。この施設はガンダーラ商会専用ではなく、グライダー所有者なら料金を払えば利用できるし駐機しておける格納庫を備えている。
今はまだアルビオンではサウスゴータとロンディニウムにしか設置していないが、いずれはもっと増やすつもりである。
ウォルフは久しぶりにサウスゴータに帰ったのであるが、またもややることが山積していて思わず目が眩みそうだった。

・グライダーの部品と樹脂などの資材を揃えてボルクリンゲンの工場に送る
・各種の樹脂を量産するための研究を本格化させる
・グラスファイバーをより効率的に生産する機械の開発
・外注に出しているセグロッドのパーツの内製化←これは今は後回しにしたい
・新型の速度重視型やより大型のグライダーの開発←これはちょっと後回しにしてもOK
・工場の電源のメンテナンス
・工場の整備・機械工訓練生達が作った旋盤のチェック
・同じく訓練生達が作った自動織機の改良
・機械工達の仕事を作るために馬無しの馬車(自動車)の開発
・飛行機や自動車の動力となる内燃機関の開発
・マチルダがいなくなった商会のチェック
・学校の子供達やサラへの教育←会わないことが多くなり特にサラへの教育が遅れがち
・タレーズの追加生産をまた頼まれている

家に向かいながら飛行中にリストアップしていたメモを見返したのだが、何から手を付けたらいい物やら悩む。

「ウォルフ様!」
「うおっ」

メモを見ながらド・モルガン家の門をくぐろうとして中から飛び出してきたサラとぶつかりそうになった。

「よう、サラ久しぶり!元気にしてた?」
「久しぶりじゃありませんよ!ふらふらといなくなって全然帰ってこないんだから!」
「おお、元気そうだな。暫くはまたこっちにいるからよろしく」
「ここがウォルフ様の家なんだからここにいるのが当たり前なんです!」
「そりゃそうだな」

なんか怒っているサラを宥めながら一緒に母屋へ向かう。ウォルフはいくら怒られてもサラがどこか嬉しそうにしているので全く堪えなかった。

「で、学校とか商会は順調?マチ姉いなくなったけど」
「もう・・・学校は順調です。商会もちょっと活気が無くなった気はしますが問題はありません。フリオさんが遠話の魔法具を持たされちゃったんでどこにいてもマチルダ様から指示が来て大変だと嘆いていました」
「フリオもこれで少しは真面目になるのかなあ・・・政府へのグライダーの納品は問題なかった?」
「はい。カルロさんが行ったんですけどグライダーと取扱説明書だけ渡してさっさと帰ってきたらしいです」
「うわ、説明とかしてないの?」
「説明しようとしたらしいんですけど、役人の方が平民に教わるようなことはないって態度だったらしいんでそのまま放って帰ってきたらしいです」
「ふう、やれやれだな。まあそんなに操縦が難しい訳じゃないから大丈夫かな」

 商会には特に問題がないようなのを確認し母屋へと入る。母・エルビラがいたので挨拶すると、家に帰ってこなかったことをなじられた。
しかしグライダーの工場をゲルマニアに造ってしまったからにはある程度ウォルフが行ってないと話にならないので、なんとかエルビラに納得して貰う。もっと頻繁に連絡を入れる事を約束させられたが。
 他の家族の反応は、兄・クリフォードはマチルダがいなくなってしまったのが寂しいのか少し元気が無くあまり話はしなかったが、父・ニコラスはグライダーに興味を持っているようで、夕食時に色々と質問してきた。「まあ、竜の方が強いし速いな」と結論づけていたが、運用コストや誰でも乗れるということは評価してくれた。
父からの小言はあまりなく、貴族である事を忘れずに行動するようにと言う位だった。
 夜にはサラの勉強をみっちり見てやり、少し遅れていた分を取り戻した。



 翌日まずはチェスターの工場に行ってみると何故か人が多くその中で巨大な機械が稼働していた。

「ウォルフ様お帰りなさい。どうですかあれ。時間があったんでリナが設計してみんなで作ったんですよ」

 入り口近くにいた機械工のトムが声をかけてきた。ウォルフはそれに適当に返事を返しその機械を観察する。
それは巨大な自動織機だった。ウォルフがゲルマニアに行く前に作るように指示したのはガラス繊維を織る為の六十サント幅の物だったが、今稼働しているのは二メイル幅の布を織り上げていた。
しかも染色された糸を使って模様を織っており、ハルケギニアでは画期的な機械になっていた。
確かに結構前に紙型をつかって模様を織る自動織機の話をしたことはあったが、まさかこんな短期間で実現してしまうとは思っても見なかった。魔法も無しに一ヶ月ほどでこんなのを開発するなんてウォルフ的には非常識だ。

「あ、ウォルフ様帰ってきた!見て下さいよ、前に言っていた紙型で模様を織る機械出来ましたよ!」
「おお、見た。すごいな、お前」

 まだ十三歳の分際でこんな機械をこともなげに設計してしまうとは恐れ入る。詳しく聞くと大分前からパーツなどを色々試作したりして構想は練っていたらしいのだがそれにしてもである。
へへっ、と鼻の下を指でこするリナを見るととてもそうとは見えないが、間違いなく天才なんだろうと思う。
 工場内にはリナ達機械工以外にも多く人が居て、その人達はこの機械を導入検討している織物工場の人らしくカルロがついて説明をしている。
リナはそこから抜け出してきたのだがそのままウォルフを引っ張って機械の所まで行き色々と説明する。糸の角度や保持する方法が大事らしい。

「ゴーレムが必要な工程が結構ありそうなんだけど、オレがいないでどうやって作ったの?」
「マチルダ様やクリフォード様が手伝って下さいましたし、あとカルロさんが土メイジの方を雇って下さいました。今日はまだ来ていませんが、準男爵の奥様がパートタイムでこちらに通って下さってます」
「それはいいな。あと、これってモーターじゃないよね、動力は何使っているの?」
「電力だとウォルフ様がいないと大変そうなので水車と補助でウォルフ様の試作した風石の出力盤を使って回しています。これならよその人も導入しやすいかなって思って」
「うーん、確かに。これは売れそうだなあ。そういえばオレが頼んだやつはもう出来た?」
「出来ました・・・けど、こっちで得たノウハウをフィードバックしたいから少し作り直したいです。こっちじゃなくて機械加工室にありますよ」
「ああ、任せるよ。なんかもうオレより詳しそうだ」
「ほい!お任せ下さい」

リナはニパッと笑って嬉しそうに返事をした。ウォルフはそのままカルロに目で挨拶をして旋盤のある機械加工室に移動し、新しく作られた旋盤をチェックした。計四台有るそれらはどれも高い精度を持ち、問題なく使用出来る物だった。

「よし、全部OKだ。お前等四人全員訓練生卒業だ」
「うほーい!で、卒業すると何が変わるんですか?」
「給料だな。一人月二十エキューにアップだ。あの織機が売れたらリナはもっとアップだ」
「いやっほー!」

 リナ達は手を叩いて喜んでいるが、ウォルフも嬉しい気分だった。機械加工に更に習熟させる為にどんどん仕事をさせたかったのだが、織機が何台も売れるようなら暫く工場は忙しくなるだろうから自動車の開発は急がなくても良くなる。そう考えると一気に山積していた問題が片付けやすそうな気がしてきた。
話しながらバッテリー室もチェックするが、こちらはまだ手を入れないでも大丈夫そうだった。

「よし!どんどん片付けていこう!リナ、グライダーのパーツはどの位作った?」
「ほ、ほい、あたし達が作れるのはちょうど五十機分作ってあります。あとはウォルフ様の分です」
「いよっし!まかせとけ、がんがん作るぞー」

やる気が出てきたので頑張って『練金』する。ウォルフの性格上新しい物の研究や開発が大好きなので早くそっちに取りかかれそうになったのは嬉しい事だった。

 一週間後には全ての資材が揃い、ボルクリンゲンに送ることが出来た。
この間のウォルフの生活は朝起きて工場に出勤し、一日働き夕方帰宅、夕食後はサラに勉強を教えながら製図というサイクルで、ジャパニーズビジネスマンのように働きまくっていた。
ガラス繊維を紡糸する機械も改良され、一度の運転で大量のガラス繊維を得ることが出来るようになった。織機も順調に稼働し、今回からガラスマットからガラスクロスに変更となる。工員は勝手が違って大変だろうけどこちらの方が強度が出るので慣れて貰うしかない。
リナの織機は四台注文が入り、工場はその生産で大忙しである。クロムやニッケルなどのメッキ液の消費も増え、これの量産も何とかしなくてはならない問題だ。廃液を処理しないわけにはいかないので、結構ウォルフの負担になっている。
樹脂の量産のためのプラント、エタノールを醸造するための設備や蒸留機などの設計もした。エタノールやアセトンの原料として廃糖蜜をガリアやゲルマニアから輸入するようにカルロに頼んだのでそれが届けばいよいよ魔法を使わない樹脂の量産を始めることになる。
 これまでの研究でアクリル樹脂、ポリエステル樹脂、アクリルウレタン塗料など大体のところは生産出来る目処は立っているので、あとは大きい規模で同じ事が出来るようにする事と、原料であるベンゼンやトルエンを得るためジャコモ商会と交渉し、コークス炉ガスを利用出来るようになる必要がある。

「じゃあ、また行ってくるから。今度は割と早く帰ってくると思うからよろしく」
「もう、帰ってきたと思ったらいなくなっちゃうんだから・・・」
「お任せ下さい。設計図貰った分は急いで作ります」

 今度の出張は一度ボルクリンゲンに行って工員に新しいガラスクロスでの製造を指導してからアルビオンに戻り、ダータルネスからリンブルーのジャコモ商会の炭坑に行くつもりだ。
リンブルーは同じ国内なので自由にグライダーで飛べるし、距離も三百リーグも離れていないのでしょっちゅう帰ってくるつもりでいる。

 ウォルフは三日程ボルクリンゲンに滞在して工員達に指導して新しい部品のチェックもすませ、リナ達飛行訓練官の様子も確認するとすぐにアルビオンに戻り直接リンブルーのジャコモ商会の炭坑へ向かった。

「ド・モルガン様、お久しぶりでございます。あれがグライダーですか!なかなか便利そうですなあ」
「ああ、ジャコモ久しぶり。やっと完成したよ。どう?一機買ってみない?」

炭坑の事務所で出迎えたジャコモに挨拶をする。まだ会うのは三回目位だが、何故か気楽にはなせる相手だ。

「便利そうな物ですが、今は商売の方にお金がかかってなかなか余裕が・・・」
「結構稼いでるくせに。まだまだ儲ける気なんだ」
「いえいえ、滅相もない。私なんてまだまだですよ。・・・ところで本日はどのような御用でしょうか、なんでも実験に協力して欲しいとのことでしたが」
「前来た時も言ったけど、コークス炉ガスを有効利用出来ないかと思ってね。今は全部燃やしてしまっているんだろ?燃料として利用もせずに」
「あのガスは硫黄が強いので難しいのですよ。何せ釜に『固定化』をかけていてもどんどん腐食してしまう程で・・・定期的にメイジに頼んだりするとコストが跳ね上がりますので今はタールを取ったら全て燃やしてしまっています」
「その硫黄を取り除くのが先に送った装置だよ。ちょっと色々実験させてくれ」
「・・・気楽に言いますな。それはゲルマニアの最新技術を持ってしてもまだ実用化はしていない技術ですぞ」
「ふふん、ゲルマニアの技術が常に世界最新だと思うなよ。で、どうなんだ?協力するのかしないのか」
「協力はしますよ。本当にそんなことが出来るのか、お手並み拝見ですな」

挑発的な態度を取るジャコモに対し、にやりと不敵な笑みを見せて作業にかかる。この工程が成功したら一気に樹脂の量産への道が開けるので気合いは十分だ。

 ジャコモに宛がわれたスペースに屋根をかけ倉庫から事前に送っておいた実験用の装置を取り出し組み立てる。この装置はコークスを賦活して活性炭とした活性コークスにガス中の硫黄分や窒素化合物を吸着させて取り除くという物だ。
すでにここから持ち帰ったガスでは成功していたが今回初めて現場での実験となる。ジャコモが助手を一人付けてくれたので一緒に事務所に泊まり込んで作業を続け、水やアンモニア水を加えて効率よく不要物を排除する方法を確立した。
さらに三日目には新たにリナ達から送られてきた分留装置を接続し、硫黄が取り除かれたタール、ベンゼン・トルエン・キシレンなどを含む軽油類、それに水素とメタンを主成分とするガスを得る事に成功した。

「ジャコモ、脱硫装置が完成したぞ!見に来てくれ」
「ええ?本当ですか!まだ五日しか経っていませんよ?」
「嘘ついてどうする。確認のために土メイジも連れてきてくれ」
「は、はいー」

取り敢えず一番欲しいベンゼンの生産が行えそうになったので、ジャコモに確認させたら一度サウスゴータへ帰ることにする。タールを精製したらナフタレンやクレオソート等色々有用な物も生産出来るが、今は興味がないので放っておく。
ジャコモの連れてきた土メイジが分留後燃やしているガスに硫黄が含まれていないことを確認し、呆然とするジャコモ商会の面々に自慢する。

「どうよ!ガンダーラ商会の技術力なめんなってとこだろ。そのガスはもう燃料に使っても釜が傷むことはないから」
「は、はあ、確かに」 
「で、これらの軽油類はうちが買い取るから一定数溜まったらチェスターの方に送ってくれ」
「あ、あの、ド・モルガン様」
「ん?」
「なんでこんな技術をウチに教えちゃうんですか?ガンダーラ商会の財力なら自分で炭坑買って作っちゃった方がコスト的にも機密保持にも良いと思うんですが」
「一から炭坑開発なんて大変じゃないか。やることがいっぱいあって忙しいんだよ。それに・・・買ってくれるんだろ?この脱硫装置」
「はい、それはもちろん!」

ジャコモは恐縮しているが、装置としては活性炭を利用しただけの物でどうと言う程の物ではないし、肝心のコークスを水蒸気賦活して活性コークスにする設備はチェスターにあるので機密にする程の物は持ってきていなかった。
使用済みの活性コークスを再生する装置は持ってきているので暫くは必要ないと思うが、将来消費した分の活性コークスをお買い上げ頂ければガンダーラ商会としても継続して利益をあげることが出来る。

「じゃあ、値段とかはカルロと相談してくれ。詳しい使い方はこのトーマス君に全部教え込んだから聞いてくれ。オレは帰るから」
「オス!まかせて下さい!バッチリ覚えました」
「お疲れ様でした」

来た時とは異なって大分良くなった扱いに満足してグライダーに乗り込み、チェスターに向けて出発した。グライダーには炉ガスから精製したベンゼンとトルエンを積んであり、工場に着いたらこれとエタノールなどを使って不飽和ポリエステル樹脂を魔法抜きで作ってみるつもりだ。


 チェスターの上空まで来ると、工場の中庭にツェルプストーに納品した真っ赤なグライダーが三機駐まっているのが見えた。
もの凄く嫌な予感とともに自分のグライダーも着陸させ、勇気を出して工場の中に入っていった。

「あら、ウォルフちょうど良かったわ。この子、何言っても話が通じなくて困っていた所なの」
「ウォルフ様お帰りなさい!この人何とかして下さいー。ダメだって言っても無理矢理機械加工室に入ろうとするんです!」

予感は当たり、工場の内部では機械加工室の扉の前で無理矢理中に入ろうとするキュルケとそれを押しとどめようとするリナや警備員達とが押し合いをしている所だった。デトレフ達護衛と見られるツェルプストー側の人間は後ろの方で申し訳なさそうにしている。

「やあ、キュルケ様お久しぶりです、アルビオンへようこそ。その部屋はガンダーラ商会の機密事項となっていますので部外者の方にはご遠慮願っております」
「なによ、連れないわねえ。ちょっと見せてくれるくらい良いじゃない、友達なんだから」
「ご遠慮願います、と申しました」

 ウォルフが重ねて言う。
 実際の所は一番見られたくないのは白金イリジウム合金製の定盤や同素材のノギスなどノリで作ってしまった無駄に豪華な測定機器で、それらを隠してしまえば他は別に見られても良いかなとも思っていたが、一応機密と言うことにしていたしその言いつけを守って頑張ったリナや警備員達の手前キュルケを入れるわけにはいかなかった。
それにキュルケにはどこかで線を引かなくちゃならないと思っていたのでちょうど良いと判断した。

「ちょ、ちょっと。ここってウチが出資しているんでしょう?だったらわたしだって部外者って訳じゃないじゃない」
「出資して頂いているのはツェルプストー辺境伯です、あなたではありません。辺境伯ご自身から正式に要望があれば公開することも検討しましょう。それまでは機密保持のためこれまで通り非公開とします」

 はっきりと子供扱いされキュルケは絶句する。フォン・ツェルプストーに出入りする商人や取り入ろうとする貴族に物を強請って断られたのは初めてだ。
しかしすぐに不敵な笑みを浮かべウォルフのことを観察する様に見やる。ダークブラウンの髪に深緑の瞳、年相応の背に子供らしく細い手足。美少年といえるかも知れないがハルケギニアではどこにでもゴロゴロ居そうな、そんな少年である。しかし、どこまでも深い泉のようなエメラルド色の瞳はキュルケにその考えを読ませなかった。
前回何でも言うことを聞いてくれたのでそう言う類の人間かと思っていたが、どうやら少し違うのかも知れない。

「ふうん、面白いじゃない。ちょっとこの中の物に興味が出てきたわ」
「興味が出てきたって・・・興味があるから中を見たかったんじゃないんですか」
「別にー?そこの子がここは入っちゃダメって言うから入りたくなっただけよ」
「・・・・・」

リナは隣であんぐりと口を開けてしまっているし、ウォルフも何だか頭が痛くなってきた。

「とにかく、そこは今のところ公開する気はないので諦めて下さい」
「うーん、でも気になるわー・・・そうだ!ウォルフ、あなたわたしと魔法で試合しなさい。それでわたしが勝ったらその中に入れなさいよ」

良い案でしょ、と笑顔を向けてくるがウォルフにはそれのどこが良い案なのか理解出来ない。

「お断りします。その試合を受けることは私にとって何のメリットもありません」
「え?・・・うーん、ウォルフが勝ったらほっぺにキスしてあげるっていうのは・・」
「必要ないです」
「そ、そうよね・・・うーん」

 キュルケがウォルフについて知っていることはグライダーを開発した天才少年、ということだけだ。彼がどのような物を欲しているのか分からないために適当な対価を考えつかない。
彼女にしては結構悩み、その結果考えることを放棄した。元々気は長くないのだ。

「分かったわ、その部屋に入るのは諦めてあげる・・・その代わりあなたわたしと試合しなさい。諦めてあげるって言ってるんだから、それくらいはしてくれるわよね?」

そう言って杖を構え、ニイと笑う。話している内にデトレフが散々メイジとしても天才だと言っていたウォルフと決闘するのが楽しそうに思えてきたのだ。キュルケは目的を達成するためには手段を選ばない事をモットーとしているが、目的だって選んでいるわけではない。

「その代わりって何の代わりだよ・・・お断りしますよ。もし試合であなたに怪我でもさせたら辺境伯に申し訳が立たないでしょう」
「あら、フォン・ツェルプストーを舐めないでくださる?代々軍人の家系よ、たとえ命を落としたとしても決闘の結果なら誰も文句なんか言わないわ」
「はあ・・・じゃあ、その試合・・・決闘で私が勝ったら今後わたしに権限がある場所で、私がダメと言った時は一度で了承してもらえますか?」
「フフ、あなたが勝てたらね?もちろんいいわよ」
「分かりました、お相手しましょう。デトレフさん、立会人をお願いします」
「は、はい。や、ウォルフ殿何とも、その」
「ああ、気にしないで良いですよ」

 我が儘な小娘に躾をするのも大人の義務だと覚悟し、そのままキュルケ達と中庭へ移動する。ウォルフはまだ八歳ではあるが。
リナ達には心配しないように伝えて仕事に戻らせ、駐まっているグライダーを屋内に片付けるとキュルケと相対した。その二人の間で神妙な顔をしたデトレフが決闘の始まりを宣言する。

「それでは、これよりキュルケ様とウォルフ殿の決闘を始めます。決闘と言っても模擬試合ですからお互いに殺傷するような魔法は控えるようにお願いします」
「うふふ、もちろん殺したりはしないつもりだけど、火傷くらいは我慢してね?わたし火メイジだから」
「気をつけます」
「それでは、お互いに名乗りを上げて始めて下さい」

そう言って自身は二人から離れる。キュルケとウォルフとの距離はおよそ十メイル、ウォルフにとっては何時でも魔法を当てられそうに感じる距離だ。

「キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーよ、二つ名はまだ決めていないわ。ゲルマニアの情熱溢れる火を見せてあげる」
「はあー・・・ウォルフ・ライエ・ド・モルガンだ。二つ名は・・・まだ無い」

 以前マチルダにつけられた"モグラ"という二つ名が頭をよぎるがそんなのは認めていないので名乗らなかった。二つ名というのは自分で考える物なのだろうか、それとも他人がつける物なのだろうか。

「じゃあ、いくわよ?いきなり終わったりしないでね?《フレイム・ボール》!」
「《土の壁》」

『フレイム・ボール』はラインスペルだ。巨大で大量の熱を有した炎の玉が高速でウォルフに襲いかかるがウォルフは全く慌てずに『土の壁』で防ぐ。別に何の壁でもいいし、『炎の壁』の方が効率は良いのだが、最近は火の魔法以外を主に練習しているのでつい『土の壁』で防ぐことになった。

「あら、わたしの『フレイム・ボール』をちゃんと受け止められるのね。年下の子じゃ初めてじゃないかしら」

 どうやら普通の子供相手にもこんな危険な魔法を使っているらしい。
あらためて一度きちんと躾をしてやらなくちゃならないと決意しながら使う魔法を検討する。あまり怪我をさせないで無力化出来る魔法が良い。
マチルダとやるときは『フライ』を使用して距離を取り、上空から『フレイム・バルカン』で砲撃するのが常だが、キュルケ相手にそんな戦い方をするわけには行かないだろう。

「ほらほら、そんな所に隠れても意味なんて無いわよ?《ファイヤー・ボール》!」
「《土の壁》」

正面に張った土の壁を回り込み先程よりは小さい炎の玉が複数飛んで来る。それに対応して『土の壁』を張っていたらウォルフはいつしかぐるりとほとんど壁に囲まれてしまった。

「そんな所にもぐり込んじゃって。まるでモグラね、モグラのウォルフだわ《ファイヤー・ボール》!」
「モグラ言うな。《エア・ハンマー》」
「え、《炎の壁、きゃっ!」

 モグラと言われ、ついカチンときて壁から飛び出すと同時に攻撃する。
キュルケは壁を壊そうと連続して攻撃をしていて無防備だったため、躱すことは出来なかった。キュルケの予想を遙かに超える速度で繰り出された魔法に咄嗟に出しかけた『炎の壁』を吹き飛ばされ、自身も五メイルも吹き飛び杖も落としてしまった。
適度に威力を弱めたつもりだが、それでもまだ体重の軽いキュルケに対しては充分だったようだ。多少自身の炎で髪とかは焦げているみたいだが、地面に激突する前に『レビテーション』で受け止めてあげたので殆ど怪我はしていないはずだ。
 頭を抑えて座り込むキュルケに杖を突きつけてゲームオーバーである。

「はい、おしまい。お疲れ様でした」
「くぅー・・・耳が・・・ちょ、ちょっと、ウォルフ、風って何よ!あなた土メイジじゃないの?それに今の威力、絶対にドットメイジの物じゃないでしょう!黙っているなんて狡いわ!」
「・・・土のドットだとか言った覚えは無いんですけど。軍人の家系なんでしょう?予断を戒められたことはないの?」
「う・・・」
「あー、お嬢様、今のは決闘相手に対する礼を欠いております。謝罪して下さい」

 間に入ってキュルケをたしなめるデトレフだったが、来る途中の機内でさんざんウォルフのことを優秀な土メイジだとキュルケに吹き込んでいた張本人なので気まずそうだ。

「・・・ごめん、なさい」
「どういたしまして。で、あそこの部屋以外だったら見学したいのなら案内するけど、どうする?」
「今日はもう良いわ。帰る」

 俯き気味に答えると、グライダーの方へとっとと歩いて行ってしまう。途中、自分の杖を見つけると悔しげに下唇を噛んでそれを拾った。
 キュルケはそのままグライダーに乗り込もうとするが、、慌てたのはデトレフ達だ。キュルケの我が儘にかこつけて樹脂の製造現場を視察に来ているのだ。立ち入り禁止区域はともかくとして、まだ何も見ていない。

「あああ、ウォルフ殿、申し訳ありませんが、今日はこれで。明日、明日もう一度来ますので案内をお願いしたいです」
「はい、分かりました。準備をしておきます」

 ツェルプストー一行は挨拶もそこそこに今宵の宿があるシティオブサウスゴータへと向かって飛んで行った。
ウォルフはそれを見送り、ようやく仕事に戻れそうだと安堵した。
 


 サウスゴータの中央広場に面した宿の一室で、キュルケはぼんやりと窓の下の広場を行き交う人達を見ていた。その頬を一筋の涙が流れる。
軽くひねられた。あれだけ強力な魔法を食らって無傷でいると言うことはウォルフが手加減していたのだと分かる。相手をなめてかかって、あげく手加減をされて返り討ちにされた。それはキュルケがこれまでに感じたことのない程の屈辱だった。
グイと涙を拭うとバスルームに移動し、ばしゃばしゃと顔を洗う。そして顔を上げると目の前の鏡に映る赤い髪をした少女を睨みつけた。

「いいこと?キュルケ・フォン・ツェルプストー。舐められたままで終わって良いわけはないのよ。あなたにはあの子を見返す義務があるわ」

 キュルケはこれまで自分の才能を疑ったことはなかった。疑うまでもなく自分の才能はハルケギニアトップクラスだと信じていて、その自信は今日ウォルフに負けたにもかかわらず揺らぐことはなかった。
今日負けたのは己の油断と怠慢のせいだ。ウォルフのことを勝手に土メイジだと思いこみ、負けた後で風メイジだった事を非難するなんて話にならない。
今日の決闘が実戦だったとしたら自分は死んでいる。死んだ後で文句を言うつもりなのかとその覚悟の無さに苦笑いを浮かべ、あらためて鏡の中の自分に宣言する。

「見てなさいよ。次に闘う時は絶対に全力を出させてみせる!」

静かに、しかし激しく誓うのであった。





[18851] 2-7    呪文
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/05/07 18:57



 キュルケが帰ったその日、ウォルフは残った時間を樹脂生産プラントの組み立てに費やした。
リナ達に作らせた部品にウォルフが『練金』で作った大型の部品を組み合わせ、ポリエステルを製造するためのそれぞれの原料物質に合わせた物だ。学校から三人程このプラントの管理をさせようとスカウトしてきたので彼らに説明しながらの作業だった。
方舟で研究してた頃は投入する材料の管理、温度の調整、触媒の組成、生成物の確認と分割思考と魔法を駆使して一人で実験を行っていたものだが、このプラントは魔法を必要としないので平民でも使えるように作られている。

 翌日、完成したプラントで試運転をしている時にデトレフが約束通り訪ねてきた。

「やあ、ウォルフ殿。厚かましいかとも思いましたが、また見学させていただきに参りました」
「いらっしゃい、あれ?お一人ですか?」
「いやその、キュルケ様はロンディニウムを観光するとのことで他の護衛と一緒に朝から出かけてしまいました。私はちょっとグライダーに乗るのが苦手ですし、こちらの方が興味がありますし、昨日約束もしたので別行動となりました」

 デトレフがしどろもどろになりながら説明する。普通、護衛が自分の興味で任務から離れるなど有り得ないのだが、その辺は突っ込まないで欲しいというオ-ラを全身から出していた。
ウォルフもその辺の事情は何となく分かったのでスルーし、ちょうど時間が取れるためデトレフの相手をすることにした。

「ああ、構いませんよ。じゃあ早速ですが案内しましょう」

 先に立ち工場内を案内する。機械加工室を立ち入り禁止にしているのでそう時間はかからなかった。
デトレフは鋼管を圧延加工する機械と自動織機に興味を引かれたようで、むふーと鼻息を荒くしながら色々と詳しく質問をしてくる。

「いやしかし、これは恐ろしく精密に出来ていますな。一体どんな加工をすればこの様に出来る物やら」
「あー、その加工をあの機械加工室で行っているわけでして・・・」
「なるほど、企業秘密だというわけですな」
「まあ、そうなります」
「こちらの自動織機は今動いていますが、魔力を感じません。一体動力は何を使っているのですか?」
「裏の風車の動力を変換して使っています。アルビオンに風吹く限り動き続けられますよ」
「うーむ、すごい。これはガンダーラ商会では販売していないのですか?」
「してますよ。あちらの大型のは動力を風車から水車に交換していますが、確かメンテナンス契約込みで三万エキュー位だったと思います。私はあれの開発に携わっていないので詳しくは分かりませんが」
「さすがに良いお値段ですな。ううむ」

 デトレフはツェルプストー辺境伯から何か面白い物があったら買って帰ってこいと言われていたが、三万エキューはさすがに予算外だった。
後ろ髪を引かれながら移動し、稼働している樹脂生産プラントの前に来た。

「これがグライダーに使われている樹脂を生産する機械です。今回ようやくほぼ魔法なしの生産に目処が立ちました」
「ほほう、これが!おお、何やら稼働していますな。説明していただけますか?」
「ええ、もちろん。では左から説明していきましょう。これは主材の一つであるジカルボン酸を生成するための物で、原料はベンゼンです。あ、ベンゼンとはこの間話したコークス炉ガスから分留した物です。次は・・・」

 一つ一つの工程を簡単に説明していくが、とてもデトレフが理解出来ているとは思えなかった。
それは当然でもあるのだが一から教えるのは大変すぎるし、どのような物から出来ているのかを見るだけでいいと思って説明していた。

「・・・で、過酸化ベンゾイルを得て、硬化剤とします。以上で説明は終わりです。質問はありますか?」
「・・・全体的に何を言っているのか分からないのですが」
「まあ、初めてですからそうでしょう。要は色々な物質を混ぜたり熱したりして目的の物にしたと言うことです」
「はあ・・・」

 呆然としているデトレフを放っておいて机の上に小瓶を出し、主原料とも言えるベンゼンを注ぐ。
今はジャコモの商会で作っているが何せ石炭に対する収量が少ないので将来を考えるとゲルマニアでも生産してくれたら助かる。優れたメイジも多いみたいなので現物を見せればその内作ってくれるだろうと期待している。

「ほらデトレフさん、これがベンゼンです。これは昨日コークス炉ガスから分留したやつですよ」
「むむ、確かにこれはコークス炉ガスの中に入っている物・・・かなり純粋で不純物は少ないですね」

丹念に『ディテクトマジック』をかけながらデトレフが答える。これなら作れるかも知れないとは思うが、どうすればこれがグライダーになるのか今目の前で見ても分からない。

「あのー、ウォルフ殿。申し訳ないんですが、もう一度説明をしていただけませんか?出来ましたらベンゼンからの流れを追って、その、混ぜたり熱したりと言う所をもう少し詳しく」
「うーん、なかなか一度や二度説明した位じゃ分からないと思うので・・・」

 生成する物質とかにはウォルフが適当にハルケギニア語の名前をつけているし、触媒に使っている様々な鉱物などは今までハルケギニアでは存在すら確認されていなかった物ばかりなので説明した所で分かるはずはない。
ウォルフとしてはデトレフが同じ製法で作っても意味はない。ウォルフが話した事をヒントにしてハルケギニアのメイジとして精製して欲しかった。そしてあわよくばハルケギニアなりの化学工業が発展して化学原料を提供してくれるようになったらいいなと言う期待もある。
 色々と作りたい物があっても原料を全てウォルフ一人で調達するのは本当に大変なのだ。そう言う意味で合理的な考え方ができるゲルマニアのメイジには期待していた。

「もう一度、もう一度だけお願いします。もう少し詳しくしてもらえたら分かるような気がするのです」
「うーん・・・」

 しかし、デトレフはやはりウォルフの方法が気になるらしく諦めず粘ってくる。暫くは断ったが、結局根負けして説明することになった。

「じゃあ、一度しか説明しませんのでメモするなりして覚えて下さいよ?」
「おお、ありがとうございます!メモ、メモ・・・はい、どうぞ」

 デトレフがメモの準備をしたのを見届け、一応気を使ってゆっくりと丁寧に説明を始めた。

「えーと、まずはですね、バナジウム・モリブデン・リンなどの酸化物を触媒として高温でベンゼンと空気とを反応させて無水マレイン酸を得ます。無水マレイン酸とはマレイン酸の二個のカルボキシル基が分子内で脱水縮合したカルボン酸無水物です。次にリン酸を酸触媒担体としてベンゼンとエチレンとをアルキル化してエチルベンゼンとして、これに酸化鉄を主成分とし、カリウムやセリウム・モリブデン・タングステン・マグネシウム・クロムを微量添加した触媒を用いスチームにより熱を加えてスチレンを得ます。さらに銀を担持させたアルミナ触媒のもと高温でエチレンと酸素とを作用させてエチレンオキシドを作り、これに酸を触媒として水と反応させジエチレングリコールを得ます。ジエチレングリコールとは二分子のエチレングリコールが脱水縮合した構造を持つジオールです。ジエチレングリコールと無水マレイン酸に希釈剤兼架橋剤の役割をするスチレンを添加し主材とします。次に塩化ナトリウムを電気分解して得た塩素とトルエンとを反応させ、最後に塩化鉄を触媒として塩化ベンゾイルを作り、これに水酸化ナトリウムと過酸化水素とを加えて過酸化ベンゾイルを得てこれを硬化剤とします。過酸化水素は硫酸を電気分解して生じるペルオキソ二硫酸を加水分解して得ました」
「は?」
「後はご存じのように主剤と硬化剤とを混ぜれば重合しますのでグラスファイバーに浸透させるだけです。覚えられますか?」
「覚え・・・られるかー!!何ですか、その長ったらしい呪文は!虚無ですか?虚無の呪文じゃないと作れないって言うんですか!?」

思わずメモを床にたたきつけて叫ぶ。メモには「ばなじう」としか書かれていなかった。

「呪文じゃないですってば。これでも結構略して説明したんですけど、今言ったことがあのプラントで行われています」
「す、済みません。取り乱しました・・・」
「まあお気になさらず。ここでの製法は参考程度に考えて頂きたいです」
「実は・・・こちらでも研究しているのですが、なかなかうまくいかず・・・」
「まだ一ヶ月半位しか経って無いじゃないですか。そんなすぐに出来たらこっちが吃驚しますよ。成功のこつは実験実験また実験、です。これを差し上げますから頑張って下さい」

そう言ってベンゼン、トルエン、無水マレイン酸、ジエチレングリコール、スチレンがそれぞれ入った瓶を渡した。それぞれの瓶には薬剤の説明と取り扱い上の注意について記してあるラベルが貼ってある。

「う・・・いつもいつも済みません」
「ジエチレングリコールは舐めたら甘いですけど、毒ですから舐めないで下さい。材料はこれらの他には水と風とアルコールぐらいです」
「ありがとうございます、頑張ります。ツェルプストー辺境伯にはかなりせっつかれてまして・・・」
「ああ、気が短そうですものねえ・・・」
「ははは、いやまったく・・・」


 そのまま応接室に移動して暫し歓談する。デトレフは樹脂の製造過程を目の当たりにしながらそれを理解出来なかったので少し気落ちしていた。

「はあ、しかしウォレフ殿はあのような知識を一体どのようにして知る事が出来たのですか?」
「先程言ったように実験実験また実験ですよ。例えば・・・これが何か分かりますか?」

そう言ってビーカーに石灰水を『練金』してデトレフに渡す。
デトレフはそれを丹念に『ディテクトマジック』で精査した。

「これは・・・水に・・・石灰ですかな、薄く混ざっていますね」
「はい。では、それに息を吹き込むとどうなるかご存じですか?」
「どう・・・なるんですか?」
「濁ります」

ウォルフはそう答え、デトレフにストローを渡し吹き込んでみろと促す。
デトレフがこわごわとストローで息を吹き込むと果たしてその水は白く濁った。水酸化カルシウムと二酸化炭素が反応し炭酸カルシウムが生成されたのだ。

「確かに。しかしこれが何だというんです?」
「何故水が濁ったのかということを考え、分析して正しい答えを導く。他の様々な事柄についても同様にしてそれらを知識として蓄積していくと先程あなたが呪文と仰った内容が理解出来るようになります」
「な、何故濁るのですか?」
「それはご自身でお考え下さい。幸い我々には魔法があるのですから、それ程難しくはないでしょう」
「うーむ、分かりました。宿題、ですね」

 うーむ、うーむと呻りながら『ディテクトマジック』をビーカーの中の水にかけては悩んでいたが、やがて諦めて杖をしまった。

「こちらも持って帰って悩むことにしましょう。・・・ところで、ボルクリンゲンの商館にも伝えましたがこのたびツェルプストーから皇帝閣下にグライダーを献上することになりましてな、また二機グライダーの注文をしましたよ」
「ありがとうございます。皇帝閣下に献上ですか」
「もし気に入っていただけたら色々と便宜を図って頂けるようになるかも知れません。ますますグライダーは便利になりますな。今回初めて長距離飛行を経験しましたが、本当に少ししか風石を消費しないので驚きました。これは絶対にハルケギニアに根付きますよ」
「楽しみにして待っていますよ。うーん樹脂だけじゃなくてガラスとかの量産も急いだ方が良いかなあ」
「ははは、評判になれば注文が殺到するかも知れませんぞ」
「そうするとボーキサイトが・・・デトレフさん」
「何でしょう」
「ガンダーラ商会がツェルプストー領で鉱山開発をすることは可能ですか?」
「え?ちゃんと申請をしていただければ、勿論可能です。・・・ああ、アルビオンでは王家が鉱山を独占しているんでしたな」
「はい、それに我々は外国人ですし・・・」
「ああ、ゲルマニアでは納める物さえ納めれば関係ありませんよ。何せ土地が広いですからな、人手が足りない」
「でしたら、是非お願いしたいと思います。タニアと相談して近いうちに申請しますよ」
「どうぞどうぞ、辺境伯にも伝えておきましょう」
「よろしくお願いします」



 デトレフが帰った後、ウォルフは出来た樹脂をチェックした。今回の材料は持って帰ってきた分だとプラントを稼働させるには全然足りなかったので、殆どウォルフが『練金』したもので、直接『練金』した物よりは不純物が多かったが十分満足出来る品質の物が出来ていた。
ウォルフがいない間マニュアルに基づいて管理していた工員にねぎらいの言葉をかけてこの日の試験運転を終え、すぐに次のプラントの準備にかかった。

 翌日ウォルフが新しいプラントを組み立てているとキュルケが挨拶に来た。もう帰るらしい。

「ウォルフ、今回はお世話になったわ。わたし、ちょっと目が覚めた気がするの」
「いやいや、とんでもないです、今回キュルケ様には何もおかまい出来ませんで」
「キュルケ、でいいわ。後その下手な敬語もやめて」
「やっぱり下手ですか・・・」
「下手よ。引き籠もって研究ばっかしてるからじゃない?貴族だったらもっとスマートに話せるようにならないと。それが出来るようになるまでわたしには敬語を使わないで」

 からかうように言うのだが、キュルケの目にいつもあったどこか小馬鹿にした感じはなくなっていた。
ウォルフはおや、と思いあらためてキュルケを見つめた。
いつもくるくると忙しげに動いていた瞳はしっとりと落ち着きを見せてこちらを見返してくる。
元々が絶世と言っていい美少女である。強い意志を込めた瞳で真っ正面から見つめられてウォルフは少し気圧されるのを感じた。

「わかったよ。敬語がすぐにうまくなるのは難しそうだから普通に喋るよ」
「それでいいわ。じゃあ、わたしもう帰るから」

キュルケはフンと鼻を鳴らすと踵を返し去っていった。ウォルフがキュルケを追って外に出てみるとグライダーが三機上空で待っていてキュルケがそれに『フライ』で乗り込む所だった。キュルケは最後にこちらを見て風防を閉めるとそのまま編隊を組みゲルマニアへ向けて飛びたった。





[18851] 2-8    東へ
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/04/09 18:37
 唐突にやってきたキュルケ達がやはり唐突に帰ってから一ヶ月あまりが経った。
ウォルフは樹脂生産プラントを調整しながら手を加え、新たに雇い入れた工員への指導も完了し、遂に本格的な樹脂の量産が始まった。
商会もマチルダがいなくなったことにも慣れ、順調に動いている。
 自動車開発はスターリングエンジンの発電機を搭載した電気自動車を第一の候補に考え、試作エンジンをリナ達に掲示して更なる研究をさせている。
最初は風石による発電機にするつもりだったのだが、昨今の風石相場の暴騰と小型化が難しい事から変更した。
ブタノールによるレシプロエンジンも考えたが、燃料の入手性を第一に考えて可燃物なら基本的に何でも良いスターリングエンジンが有利だろうと判断した。

 樹脂の量産が始まると当然のことではあるが色々な問題が発生するようになった。一つ一つそれらに対処して生産を続けているのだが、現状では対処しきれないような問題も出てきた。
エチレンなどを得るための原料として廃糖蜜を輸入しているのだが、ここに来てその輸送コストが高すぎるとタニアに指摘されたのだ。
これを解決するために思い切ってガリアの港町プローナに糖蜜からエタノールを生産するための工場を造ることにした。エタノールに加工してから輸送すればその分コストがカットできるだろうという計算だ。廃糖蜜はガリア南部産のサトウキビの物とゲルマニア産の砂糖大根の物とを使用しているのでプローナならばその双方に都合が良い立地だ。
せっかくだから大々的にと、プローナの町からは少し離れた街道沿いの草原に大型の醸造施設と連続蒸留機を設置。ついでに酪酸菌によるアセトン・ブタノール発酵や麹菌によるクエン酸発酵など様々な研究が出来る施設を隣に併設した。
 近隣のワイン蔵から蔵人をスカウトして醸造にあたらせ、今日はその連続蒸留機の初運転のためウォルフははるばるアルビオンからグライダーを駆って監督しに来ていた。

「いらっしゃいませ、ウォルフ様。お待ちしておりました」
「ああ、スハイツ久しぶり。もう準備は出来てる?」
「はい。ウォルフ様が到着次第、蒸留を開始できるようになっております」

 ウォルフがグライダーをプローナの港に着陸させるとガンダーラ商会のガリアでの責任者であるスハイツが出迎えた。
スハイツは初対面の時から子供であるウォルフにとても丁寧な対応を見せ、まるでウォルフが主人であるかのように接してくる。
他のガリアの職員達もたいがい丁寧で、ウォルフにはどうも居心地が悪く感じてしまうほどだった。

 連続蒸留機は何の問題もなく稼働し、高純度のアルコールを生産し始めた。酪酸発酵の方も今回使用した菌が高濃度アセトン・ブタノール含有発酵液に耐えられる事を確認できたのでいよいよ実用化の目処が立った。
技師達と今後についての打ち合わせや彼らが慣れていない酪酸発酵についての指導を済ませ、ウォルフはヤカに移動した。
祖父母に挨拶と、この夏休みはヤカでの短期留学を断ったのでそのお詫び、更にはゲルマニアでもやるつもりの鉱山開発と、それに先だっての地質調査などを頼むためだ。




「ならん。ガリアの土はガリアの物。お前がいくらワシの孫であろうとアルビオンの人間である限り好きにさせるわけにはいかん」

 久しぶりに会った祖父は相変わらず頑固であった。
ラ・クルスにも利益をもたらすであろう話なので気軽に頼んでみたのだが、フアンは一顧だにせずに拒否した。

「・・・分かりました。鉱山開発は諦めます。しかし、地質調査だけは何としてもしてみたいのです。お願いできませんでしょうか」
「ならんな。ガリアは土の国。土に対する思い入れは深い。お前の言うような深深度の調査などを外国人に許すわけにはいかん」

 今度は少しは考えたようだがやはり明確に拒否された。
ティティアナ達がリュティスに引っ越してしまい、少し寂しい思いをしていたのか上機嫌でウォルフを迎えたフアンであったが、領地のことに関しては私情は挟まないようだった。
どうにもなりそうにないので挨拶をしてフアンの元を辞し、ヤカにあるガンダーラ商会の商館に移動した。
 ちょうどタニアが石鹸工場を造るとのことでこちらに滞在しているので、色々と打ち合わせを済ませておく。
ちなみにタニアはタレーズのヒットで気を良くして化粧品など美容全般の物をガンダーラ商会で扱おうとしているらしい。ウォルフも化粧品の開発などを頼まれたが興味がないので断っている。



「はあー、やっぱり自分の領地がないと色々やりたいこともやれないなあ・・・」

 ハルケギニアの地質はずっと興味を持って研究していたテーマの一つなので、調査がこれ以上できないと分かっても中々諦めきれずグズグズとスハイツに溢していた。
特に興味を持っているのは風石の鉱脈である。ウォルフが調べた所ハルケギニアで一番一般的な堆積岩の地層がアルビオンの地層と一致しており、この地層を深深度まで掘ればアルビオン同様に風石の鉱脈があるのではないかと予測している。それがどうしてアルビオンだけ空に浮かぶ事になったのか、とか興味は尽きない。
もし風石の鉱脈が発見できれば大きな利益を得ることが出来るというのに、フアンは頑固だ。

「まあ、それはそうでしょう。かといって領地を買うにしてもそこからの収入などを考えるとかなり割高ですからなあ」
「あれ?ガリアでは領地って買えるの?」
「ガリアの爵位を持っていることが条件ではありますが、跡継ぎのいない所や収入の良くない所などは取引されているようです」
「そんなんならいいや。ゲルマニアなら買えるって言うけど実際のところはどうなんだろ」
「ゲルマニアもそれなりの所は良い値段よ。安い所はとんでもない辺境か領民が逃げ出して殆どいないとかね。それでも数万エキューはするわ」

 打ち合わせが終わってすぐに書類仕事に取りかかっていたタニアが話に割って入る。彼女はその辺のことを色々と調べたことがあった。

「爵位が欲しいだけならそれでも良いかもしれないけど、買う前に鉱脈調査とか出来ないだろうし値段と価値が見合ってないのはやだなあ」
「そうすると残るのは・・・ふふ、東方開拓団くらいですかね」
「東方開拓団?何それ?」
「うえ、東方開拓団は無いでしょう」

ウォルフは初めて聞く言葉だったので聞き返すが、タニアは嫌そうな顔をして手をひらひらと振った。

「東方開拓団とはゲルマニアが進める領土拡張政策の一つで、ゲルマニアの北方から東方にかけて広がる広大な森林地帯を開発するため、広く一般から開拓する人を募集しているのです」
「うん、そこまでは名前から何となく分かるけど、条件はどんな感じなの?」
「一万エキューだったかの預託金と、ゲルマニア貴族の推薦が有ればメイジ三十人平民二百人からなる開拓団をゲルマニア政府が貸してくれるのよ。それで開拓に成功すればその広さ・収入に応じて爵位をくれるって訳」
「期限は十年で、開発中は開拓団員に給与を支払う必要は無く衣食住だけを保証すればいいそうです。さらに叙爵後支払うべき税金は預託金から支払われる仕組みで、その分領内の開発を進められます」
「開拓が成功して追加で領民を増やしたいって時にもゲルマニア政府が国内の貴族達に領民の移住について斡旋してくれるそうよ。まあ、これは別料金らしいけど」
「結構条件が良さそうなんだが」

開拓団員が何だか奴隷のような扱いなのが気にはなるが、平民はともかくメイジを三十人もというのは凄く魅力的に思える。
興味を持って身を乗り出してくるウォルフに対し、タニアとスハイツは苦笑して答えた。

「東方開拓団という制度が出来て以来これまでに百五十以上の開拓団が出発しましたが、爵位を得たのは十に満たないそうです。それ程あの森は幻獣や亜人などの脅威が多いのですよ」
「そうよ、それにその成功したって言うのもわたしが調べた時にはもう破産して売りに出てたわ。買う人なんて居ないみたいだけど」
「政府が貸してくれる人員というのは全て何らかの犯罪で有罪判決を受けた受刑者だそうです。開拓が成功した場合、その開拓地での自由が約束されているので皆モチベーションは高いらしいですが、それでもあの森を開拓するにはメイジ三十人くらいでは全然足りないみたいですね」
「長くて二年、早ければ半年で撤退するのが普通みたい。ちなみに開拓団員が消耗した場合その数に応じて預託金から引かれるそうよ」
「ゲルマニア政府としては全く損をする心配がない、いいシステムと言えますね」
「・・・・・」

 ゲルマニアは元々森林地帯を開拓して成立した国家である。今は人間が支配している国土もかつては全て黒く深い森に覆われていた。
人間がその国土を広げる度に森から追われた亜人や幻獣等がその国土周辺の森に恐ろしく濃い密度で生息している。
竜やグリフォン、マンティコアなどの空を飛ぶ幻獣も多くいるために上空を飛ぶことさえままならないらしい。
そのためゲルマニアの領土拡張はここ数十年その開発のペースを大幅に落としていた。人間と森の先住民達との勢力が拮抗してしまっているのだ。
辺境の領土は度々森から襲ってくる亜人達の脅威により消耗し、領主は開発した土地を守るのがやっとという状態だそうだ。

「中々うまい話はないでしょ?あなたにはラ・クルスって言う後ろ盾がいるんだから、ゲルマニアで領地を買ったり東方開拓団に応募したりするくらいなら、伯爵に頭を下げて部下になって子爵領を貰った方が良いわよ」
「そうですよ、あなたがガリアに来てくれると聞けばヤカの民は大喜びであなたを迎えますよ」

 黙り込んでしまったウォルフにタニア達は声をかけるがウォルフはもう碌に聞いてはいなかった。
ウォルフは考える。確かにゲルマニア周辺の森を開発するのは難しそうだが、もっと離れた場所だったらどうだ?
ウォルフは考える。幻獣がいて空を飛べないというが、グライダーは高度一万メイル以上を可能とする。そんな所までわざわざ飛んでくる竜がいるか?
ウォルフは考える。この世界と元の世界との類似性からハルケギニアの東部には広大なユーラシア大陸に類似した陸地が続いている可能性が高い。シベリアにはあれだけ広大な森林地帯があった。こちらの大陸にだって人間が入植するのに適した土地が有る可能性は十分にあるはずだ。
ウォルフが今個人で自由に出来る金は三万エキューほど。ラ・クルスに紙質の改善方法を売った分と商会の給与、セグロッド開発のボーナスにタレーズの制作・地金代などで得た金であるが、十分に東方開拓団を結成できそうである。
ウォルフは結論した。東方開拓団に名乗りを上げるかどうか、調査に行くべし、と。

「ちょっと、ウォルフ何本気で考え込んでいるのよ!ダメよ?東方開拓団は割に合わないわ」
「割に合わないかどうか、判断できるほどの材料をオレは持ってないんだけど。だから現状を把握するため森へ調査に行きたい」
「今まで一体何聞いてたのよ!アレでダメじゃないなんてあなたどういう脳みそしてんの」
「若さに見合った柔軟な思考が出来る脳だと思ってます」
「柔軟すぎるわよ・・・ダメ、ガンダーラ商会ではやらないからね」
「まあ、商会でやるような事じゃないだろう。これはオレ個人でやるよ」
「個人でやるにしたって・・・あなた商会での仕事が一杯溜まっているでしょう。そんなに自由になる時間はないわよ?」

 それを言われると中々痛い。今やらなくちゃならないことはグライダーの量産化と自動車と新型グライダーの開発である。
グライダーの量産化はあとアルミニウムの量産に成功すればほぼウォルフの手が掛からなくなる目処が立ちそうなので、今から行くゲルマニアでの鉱山開発次第で何とかなる。
自動車開発についてはウォルフが選んだスターリングエンジンがネックになっていた。エンジンの実働模型はすぐに出来たのだが必要な出力を得ようとすると大きく重くなってしまうのが難点だ。
熱効率自体は悪くないので今高圧ヘリウムを使って小型化の研究を進めさせているのだが、まだ時間が掛かりそうだった。
何としてもこれを手っ取り早く開発してゲルマニアの森へ調査に行きたい。
新型グライダーの開発は、三十人くらい乗れる大型のグライダーを開発すれば開拓団の人員の輸送に大いに活用できそうなのでもうやる気満々になっている。

 ウォルフはおよその見通しを立て、何とかなりそうだと判断するとタニアに向けてニッコリと微笑んだ。

「分かった。今ある問題はとっとと片付けちゃおうと思う。こっちでの用は終わったからさっさとゲルマニアに行ってまずは鉱山の話を聞いてくる」
「・・・はー・・・あなた、全然諦めていないでしょう・・・」
「諦めるわけ無いじゃん、こんな楽しい話」
「・・・話に聞いていた以上に、自由な方ですね」
「そうなのよ。この子がやるって言ったらやるのよ、絶対に・・・」

タニアとスハイツがグチグチと溢しているが、ウォルフはどこ吹く風という様に席を立つ。本当に今からゲルマニアへいくつもりでいる。

「ツェルプストーだと、トリステインの上空を突っ切って行ったら早そうだけど、大丈夫かな」
「全然大丈夫じゃないから。それは領空侵犯になるからやめて」
「思いっきり高度を上げれば大丈夫なんじゃない?」
「グライダーが領空を横切ったとなるとすぐにウチに話が来るでしょう。まだグライダーはそんなに普及していないんだし、すぐにばれちゃいますよ」
「それに、あなたガリアでの飛行許可だってイルンとの往復しか取っていないでしょう」
「高度を上げちゃえば誰も来れないし気付かなそうだから、大丈夫っぽいんだけどなあ・・・まあ、やめとくか。早く自由に飛べる日が来ねーかなあ・・・海まで出るならついでにアルビオンまで戻ってリナ達の尻を叩いていこう」

 誰に聞かせるでもなく呟くとタニアとスハイツに挨拶をして商館を後にし、グライダーに乗り込む。その顔は晴れ晴れとしていて何の迷いもない。
旋盤とグライダーという大きな目標を完成させてしまって以来どうにも上がりにくかったモチベーションが今はガンガンに上がっている。
ゲルマニア北東部の大森林地帯の調査、それはつまりハルケギニアから一歩外へ出ると言うことだ。幻獣などは大変だろうが、ハルケギニア最大の脅威と言われるエルフはいないらしいのでサハラに行くよりは楽だろう。
 まだ誰も見たことのない世界が自分を待っている・・・それはウォルフにとってゾクゾクするような誘惑だ。
遙か彼方にある大森林を思い浮かべ、ウォルフは大空へと旅立った。



[18851] 2-9    東奔西走
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/05/07 18:57
 ウォルフのグライダーはその日の内にサウスゴータに帰ってきた。日帰りガリア出張である。

「あっ、ウォルフ様帰ってきた。おかえりなさい、夕食はお済みですか?」
「ただいま、サラ。飯はまだだよ、何かある?」
「スープとパンくらいなら、何とか・・・ガリアに行ったんじゃないんですか?」
「行ってきたよ。明日はゲルマニアに行く」

 家に帰って両親に顔を見せて来た所でサラとばったり出会った。サラはもう寝間着になっていて風呂上がりなのか髪が濡れている。
誰もいない廊下を二人で厨房に移動し、色々と今回の成果を話して聞かせる。中でも東方開拓団の話は熱が入ってしまった。

「じゃあ、ウォルフ様はその東方開拓団に応募するつもりなんですか?」
「良い条件の土地が見つかれば。とにかく調査してみないことには話が始まらないさ。世界周航前の小冒険って感じだな」
「でもそんな誰も成功しないような危険な所にわざわざ行くなんて・・・心配です」
「危険な所には近寄らないって。オレの勘ではそんなに幻獣が多くない所だってあると思っているんだ」

話しながらサラは冷蔵庫からスープの鍋を出し、コンロで温める。ウォルフは自分でパンを用意してこちらもオーブンで温めた。

「どうぞ」
「ん、ありがとう」

 コトリとウォルフの前に差し出された器を受け取りちょっと遅めの夕食を摂る。
サラはグラスを用意して水を注ぎ、ウォルフと自分の前にグラスを置いて隣の席に座った。

「でもどうしてウォルフ様が領地なんかに拘るんですか?今のままでも良いじゃないですか」
「世界だよ、サラ君。世界が私を待っているんだ・・・」
「・・・何のキャラですか?」
「何だっけ?あ、ごめん、えーと、機密保持に凄く良さそうっていうのがまず一つ。誰も来なそうな土地だからね。二つ目は領地経営に興味がある。鉱山開発とかをもっと自由にやりたいし、社会実験もしたい。三つ目は世界周航の前線基地になりそうだって思って。ガリア側からサハラに出入りするのは色々と大変そうだけど北からだとごまかしやすそうだし。あとは正確な世界地図を作るのに測量技師を養成したかったりするんだけど自分の領地が有れば楽そうだってのも有るな」

 ちょっとふざけたら睨まれたので慌てて真面目に答えた。

「つまり、何かまた新しいことをやりたくなったと・・・社会実験ってなんですか?」
「その名の通り社会の実験だな。グライダーと自動車、それにセグロッドでハルケギニアの社会が変わっていく準備は出来るだろう。その後どんな社会にしていくべきか色々と実験するのに自分の領地があると凄く便利だ」

 ウォルフは将来的には鉄道や旅客機なども作ろうと思っている。鉄道は平民でも気軽に使える程度の料金を想定しているので、通勤コストが下がれば現在の職住が一致している社会から職住分離型社会へと移行する事が予測される。
そうなれば職業選択や取引の自由度は増えるだろうし、現在は分散している商業地区も一箇所に集中し、大都市を形成していく事が予想される。
高度教育や医療に関してもやりやすくなる。現在学校をやっているが、シティオブサウスゴータの、それも一部の地域に住む子供が対象でしかない。もっと広い範囲から子供を集めたくても通えないのだ。しかし、低コストな交通手段が出来ればより多くの子供に教育の機会を与えることが出来る。
 何もない所に交通のインフラを整備すると言うことは、いわば大きな社会変革を起こそうというわけだが、いきなりそれを他人の領地でやってみるのも気が引けた。

「便利だから領地欲しいって・・・お爺様がくれるって言ってる子爵領で良いじゃないですか。そっちなら危なくないし」
「爺様から子爵領を貰うって事はラ・クルスの部下になるって事だから世界周航なんて目指す自由はなくなるだろう。だからそっちの線は無しだ」

ふう、とサラは溜息をつく。確かにレアンドロに仕えているウォルフというのは想像が出来ないが、普通は子爵という好待遇で召し抱えたいと言われれば下級貴族の次男などは飛びつく物だ。

「明日からゲルマニアに行くって言うけど、そのまま調査に行くんですか?」
「いや、明日行くのは鉱山開発の許可を得るためとその開発の為の調査。一週間くらい行ってこようかと思ってる」
「また一週間も居なくなっちゃうんだ・・・」

 ウォルフが食べ終わるとサラはすぐに立ち上がって食器を片付けお茶を入れる。少し表情が陰っていた。
そんなことには気付かずにウォルフは脳天気にゲルマニアで探す予定の鉱石のことなどを話している。

「お茶が入りました」
「おう、ありがとう」

 やっぱり変な人だとサラは思う。メイドの仕事に一々礼を言う貴族なんてサラは他に知らない。
そんなことを思いながら、暫く一緒にお茶を飲みウォルフが話すのを聞いていた。

「ウォルフ様、わたし決めました」
「何を?」

 ウォルフを見つめサラが宣言する。ちょっと唐突だったのでウォルフは怪訝な顔をして問い返した。

「明日、わたしも一緒にゲルマニアに行きます」
「え、だってサラ学校・・・」
「たまにはわたしが休んだって良いでしょう。たっぷり課題を出しますし、一週間くらいなら大丈夫ですよ」
「えっと、何しに行くか聞いていい?」
「ウォルフ様が領地を持つかも知れないっていうゲルマニアを見に行くんです。野蛮な国だって言う人もいるし、どんな所かなって。ウォルフ様ばっかり何回も行ってわたしは一回も行ってないなんて狡いですよ」
「う、そうか。ごめん」
「それにウォルフ様、グライダーの操縦を教えて下さいって言っているのに、いっつも今度なって言うばっかりだから、道中で教えて下さい」
「あー、うー、すみません。うー、わかりました、一緒に行きましょう」

 何時になく強気のサラに押されて了承する。いつもサラに仕事を押しつけている自覚はあるので強く出られたら引くしかない。
今回の出張はサラの慰安旅行になりそうだなあとある程度覚悟する。

「じゃあ、明日の午前中はオレもリナ達の事を見るから、午後一で出発するつもりでチェスターの工場まで来てくれる?」
「ん、わかりました。お弁当持って行きますね、機内で食べましょう」

 サラが満足そうに言う。ちょっとフニャッとした、いつものサラの笑顔だ。
まあ、サラが喜んでくれるんなら良いかとウォルフも思う。まだ九歳なのだ、たまには息抜きも必要だろう。
まだまだ話したいことはあるが、ウォルフは明日は早くに工場に行くつもりだし、サラも準備が色々あるので切り上げて早めに寝ることにした。



 翌日早朝、ウォルフはグライダーでチェスターの工場に来ていた。
まだ出勤していないリナのノートを手に取り昨日の進捗具合を確認する。高圧ヘリウムのシーリングを色々試したみたいだが、×が並んでいて碌に進んでいないことが分かる。
取り敢えずヘリウムのシーリングはまだ難しそうなので、気体を窒素に変えて進めることにする。窒素なら入手性がいいのでウォルフが楽できるし、気圧を上げればそこそこの性能の物が出来るはずである。事情が変わったので最高の性能を追い求めることなく早期完成を目指す。
続いてリナが線を引いた設計図をチェック。ほぼウォルフの指示通りで基本的な設計は良さそうなので、空冷を水冷に変更する指示といくつかの寸法変更及び材質変更の指示を書き込む。
それが終わったらラジエターを制作する為の治具の設計を隣の製図板で行う。ラジエターはアルミニウムを使用する予定なのでいいかげんボーキサイトが欲しい。
 ボーキサイトからアルミニウムを魔法無しで製錬する工程は実はまだ分かっていない。アルミニウムの精錬がアルミナの炭素電極による電気分解だと言うことを知識としては持っていても実際に行ってみると中々難しかった。アルミナの融点が高すぎてうまくいかないのだ。
色々とアルミナに加えて融点を下げようとしてみているが、今のところうまくいっていない。電気炉を全部白金とかで作ってアルミナの融点であるおよそ二千度にまで加熱すればいいのかも知れないが、そんな一般に公開できない技術に意味はないし、電気を食いすぎる。
仕方がないので高コストにはなるが当面はメイジを使用する事を考えている。アルミナの段階まで精錬してやれば一般的なメイジの『練金』でも多少不純物としてアルミナが残るくらいで問題なくアルミの生成が行え、そこからアルミナを除去してやれば純度の高いアルミニウムが得られる。
しかも軽金属なので高級ではない金属というイメージを持つのか、アルミを『練金』してもメイジの精神力はあまり減らず案外効率が良い。ぺらぺらのアルミの弁当箱を触らせたり地殻中にかなり多く含まれる物質である事を散々アピ-ルする作戦には意味があるものと思われる。

「あれ?おはよございます。ウォルフ様ガリアに行ったんじゃないんですかあ?」

ウォルフが分割思考で今後のことを色々考えながら線を引いていると後ろからリナが声をかけた。どうやら出勤時間になったようだ。

「ああ、おはよ。行ったけど、ゲルマニアに行く前にお前達の様子を見に寄った」
「すみません、まだ殆ど出来ていないんですが・・・」
「ノートを見たよ。高圧ヘリウムはまだ早いみたいだからやめにして、当面は高圧窒素で行こう。ヘリウムよりは大分抜けにくいはずだ」
「ええー!昨日凄く苦労したんですけど!」

リナは驚いて声を上げた。それはそうだ、昨日はどんなに精密に加工したつもりでも僅かずつ抜けていくヘリウムに苦労し、遅くまで残ってより高精度なボーリングマシンの設計をしていた程だ。急にやめたと言われても納得しづらい。

「その苦労は無駄になる訳じゃないから気にするな。試行錯誤ってのは、した分だけスキルが上がっていくもんだ。それとこれ新しく作ってみたから試してみてくれ」

そう言って旋盤用のバイト(刃)をいくつか取り出し机の上に広げる。
どうすればより高精度なシーリングが出来るのかと考え、昨夜思いついて作っておいたものだ。

「何ですか?このバイト。刃先がちょっと違いますけど」
「単結晶ダイヤモンドのバイトだ。これで加工すれば鏡面に仕上がると思う。送りは自動で、ほんの少しずつ加工してみてくれ」
「むう、こんなのがあるなら最初から・・・試してみます」
「頼む。とにかく急いで自動車を完成させる必要が出てきたんで、ヘリウムについては継続研究って事にして窒素で早いとこスターリングエンジンを完成させて欲しいんだ」
「ふい、分かりました、頑張ります。でも、本当にこれ高圧にしただけでそんなに効率が良くなるんですか?」

熱力学についてまだ詳しく授業で教えていないこともあり、気体の量を増やせば仕事量が多くなると言うのが理解しづらいらしい。

「おお、オレはたまにしか嘘を言わないから大丈夫だ、信用しろ」
「・・・ウォルフ様のそう言う人間の軽さが部下を時々不安にさせているって知ってました?」
「知らん。余計なことを考えている暇があったら手を動かせ。手を動かしていれば不安なんか感じる暇は無くなる」
「うーい。じゃあ、昨日の続きに取り掛かりまーす」

 その後、二人とも無言のまま製図板に向かって線を引いているとポツポツと他の工員も出勤してきた。
ウォルフは彼らに片っ端から仕事を割り振る。いきなり増えた仕事量に悲鳴やら抗議やらを受けるが、全部無視した。この位はやれば出来るはずだ。
その後午前中一杯掛かってリナを中心に綿密に打ち合わせを重ね、ウォルフが居ない間にも仕事が滞りなく進むように手配を済ませた。

「・・・何で、こんな急に・・・」
「ウォーターポンプって俺一人で作るのかよ、リナ手伝ってくれよ!」
「何言ってるんですか、あたしにそんな暇があるわけ無いでしょ!そっちこそそんなの早く作っちゃってあたしの手伝いしなさいよ」
「じゃあ、オレはゲルマニアに行ってくるから、後はよろしく。遠話の魔法具を置いて行くから何かったら連絡くれ。オレの方も何か思いついたら知らせるようにするから」
「一週間位って言ってましたっけ・・・一月掛かっても終わらない気がしますからどうぞゆっくりしてきて下さい」
「はっはっは、何を言っているんだ。お前達ならこのくらいすぐに出来ると信じてるゼ!」
「いってらっしゃい・・・」

昼になりサラが来たのでウォルフは出かける事にしたのだが、もう全員殺伐とした雰囲気の中各自の仕事に取り掛かっており、それどころではなかった。
リナが投げやりに返事を返しただけで、良い笑顔で親指を立てているウォルフのことを気にかける人間は居なかった。
 何となくいたたまれなくなったウォルフはサラを連れてグライダーへと向かった。



 久しぶりのサラと二人のフライトである。
サラはとても上機嫌だし、ウォルフも一人で飛ぶよりもずっと楽しい。

「じゃあサラ、今からグライダーの操縦を教えるぞ。エルロンとエレベーターの二つの舵を操縦桿で、ラダーを足元のペダルで操作しするんだ。エルロンとは・・・」
「もうお昼すぎてますから、まずはお昼ごはんにしましょうよ。ちゃんと機内で食べられるようにサンドウィッチ作ってきたんです。ウォルフ様の分はちゃんとマスタード多めにしましたよ」

頼まれていた通り操縦を教えようとしたのだがサラに遮られた。すっかりピクニックにでも行く気分になっているみたいだ。

「いや、アルビオンに吹く風を利用して一気に高度を稼ぐつもりだから、ついでにサラに操作を教えたいんだけど・・・」
「うーん、じゃあ、ちゃちゃっと教えちゃって下さい。ご飯を食べ終わってから本格的な授業にしましょう」

 結局ご飯前には碌に授業は出来なかった。
仕方ないので高度を上げた後はグライダーを自動操縦モードで飛行させた。暇を見てちょっと改造し、ガーゴイルの中枢をグライダーに埋め込んであるのだ。
まだ上昇気流などを見つけて利用する事は出来ないが、風石を使用しての上昇や他の飛行物の回避、目的の方位へ外的影響を補正しながら飛行させる事は出来るようになった。食事を摂る間くらいは操縦桿を握っていなくても良いのだ。

「じゃあこれがウォルフ様の分です。残さないで食べて下さいね」
「ああ、ありがと」

サンドウィッチが入った袋を渡される。続けてチタンマグカップにお茶を入れて渡してくれる。
サラは座席が向かい合わないのが不満そうだが、楽しそうだ。

「うーん、海と雲が綺麗ですねえ・・・空も何だか色が濃いみたいです。こんな高い場所で食事をするなんて贅沢ですね」
「確かに今は高度六千メイルくらいだからな、こんなところで食事をしているのはオレ達くらいだろう」
「うふふ、ハルケギニア人初ですか」
「多分な。取り敢えずオレは初めてだ」

 結局サラが操縦桿を握る事は一度も無いままゲルマニアの入口の町ドルトレヒトに着いた。ここにもガンダーラ商会の倉庫兼商館があるが、そこには向かわず真っすぐに港の役所へと向かう。
入国手続きとゲルマニアの飛行許可を得る為だ。ウォルフのグライダーはゲルマニアでの身元引き受けをフォン・ツェルプストーが了承してくれているので毎回直ぐに許可は出る。
今回得た許可はこことボルクリンゲンの往復の飛行許可で、一ヶ月以内に出国しなくてはならないというものだ。
アルビオンではロサイス、ガリアではイルンにとそれぞれ入国する際には毎回着陸して許可を得なくてはならないのが面倒だが、この程度はまあ許容範囲だ。

 結局ボルクリンゲンには日没とほぼ同時に着いた。サラも途中操縦をする事が出来てグライダーの楽しさを少し分かってくれたみたいだ。
工場に着くと出迎えたラウラとサラは抱き合って再会を喜んでいた。そう言えばラウラをこちらに置きっぱなしだった。予定ではアルビオンに戻して指導教官にするつもりだったが忙しくて忘れていた。ここのところアルビオンでもボチボチと注文が入っているのでサウスゴータにも教習所を作らなくてはならない。
 この日は再会を祝してラウラの同僚の教官達と一緒に最近ボルクリンゲンで人気のレストランへ繰り出した。
ゲルマニアはアルビオンと並んで食の貧しい所と言われているが、この日のレストランのオーナーシェフはトリステインから流れてきたと言う事で、見た目も良くおいしい料理を楽しむ事が出来た。
 貴族向けの気取った料理では無いがトリステインの料理をゲルマニア風にアレンジしたり、ゲルマニアの伝統料理をより洗練された料理法で出してきたりとバラエティも豊富で人気の理由がよく分かった。

「おいしかったですねえ。アルビオンじゃ考えられませんよ、あんな料理出すレストラン」
「ああ、また行きたいな。でも、あんなレベルのレストランがまだ一杯出来ているんだろ?そっちにも行ってみたいしなあ」
「ふふふ、ボルクリンゲンは一月で全く違う街になると言われている程急に発展していますからね、新しいお店がどんどん出来ていますよ」

 帰り道、工場へと歩きながらだらだらと話をする。平民にはセグロッドを支給していないので皆歩きだ。
少し街から離れているがこの道は安全なので気楽なものである。実はツェルプストーが隠れて警備しているからなのだが。

「じゃあ、オレは明日から鉱脈探査に出かけるから、ラウラ、サラにグライダーの操縦を教えてくれ」
「まかせて下さい!あたしにかかればどんな嘴の黄色いひよっこも一週間で大空に羽ばたけるようにしてなりますって」
「うーん、わたしもウォルフ様についていきたいんだけどなあ・・・」
「うふふ、サーラちゃん?あたしの訓練を受けたくないって言うのかな?かな?」
「ひう!ラ、ラウラ?」

訓練に興味無さげにしたサラを背後から抱きしめ、ラウラが耳元で囁く。
その顔は笑顔だが、いつもと口調が違いサラが感じた事のないオーラをにじませていた。

「おっとサラ、ラウラは鬼教官らしいからな、言葉には気をつけた方が良いぞ」
「ええーっ、何時の間にそんな事になっちゃったんですか!?」
「明日からはビシビシ行くからね?大丈夫、訓練をやり遂げられればサラも立派なパイロットよ」
「はひー」

 つう、と頬を指でなぞられて思わず変な声を上げてしまう。何とかウォルフに付いていこうとか考えていたのだがどうやら無理そうだ。
訓練以外の時間にウォルフがいないと暇になりそうだが、ボルクリンゲンは楽しそうな街なのでまあいいかと諦めた。
 翌日からラウラの訓練が始まるとそれが甘い考えだったと思い直す事になるのだが。



[18851] 2-10    ウォルフとサラinゲルマニア
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/05/07 19:01
「・・・ウォルフ殿、まだでしょうか。そろそろ他へ移りたいのですが」
「もうちょっと、もうちょっとだけ!・・・おお、これは多分泥岩が熱で変成した物だな。こっちは・・・」
「ウォルフ様、その辺全部ただの岩じゃないですか。もっと他の場所を探しに行きましょうよ」

 翌日早朝からウォルフは鉱脈調査に来ていた。メンバーはツェルプストーからデトレフと土メイジの鉱山技師、それに商会が雇っている土メイジ一人の計四人である。
許可された探査区域はツェルプストー領南部ライヌ川上流の深い森と平原、岩山とが混在する地域である。広さはあるが、トリステインとの国境から近い為無駄なトラブルに巻き込まれる恐れがあるのが注意すべき点だった。
 ウォルフのグライダーと、ツェルプストーのものと二機に分乗して現地に来たのだが、ウォルフが何でもない場所で一々引っかかるので中々調査は進んでいなかった。
ハルケギニアで一般的に価値のある鉱物と言えば、金銀銅に鉄・錫・亜鉛・鉛、それに風石に土石などである。最近では石炭や石灰も価値が上がってきた。それなのにウォルフはそれらの反応が全くない場所で一々駐まるのだ。

「一体何がそんなに興味深いというのですかな、そっちの彼が言う通りここにはめぼしい物はないと思うのですが」
「あ、いやすみません。確かに価値は無い物ですが、色んな種類の岩石があるのでどのようにここが生成されたのかと考えてまして」
「どのようにも何も、神が創ったに決まっているではないですか」
「・・・えーと、だからその神様がどういう風に創ったのかなって。それが分かれば何処に何があるか推測しやすいでしょう」

 確かにウォルフは有用な鉱脈を探しに来ているのだが、元々ハルケギニアの地質もずっと調べているのだ。その事を抜きにしていきなり鉱脈を捜すなど出来る物ではない。
大体、おおよその地質を掴んでからでなくては何処を捜せばいいのか見当がつけられないというのがウォルフの考えだ。
 蛇紋岩帯ならばクロムなどが見つかるかも知れないし、堆積岩帯なら岩塩や石灰岩などが見つかるかも知れない。魔法探査とて万能ではないのだ。捜している物を特定済みならば広範囲にわたり探査を掛けることが出来るが、そうでないならば探査範囲も狭くなるし精度も落ちる。効率的に捜す為に今は概要を把握しようとしているのだが、どうも理解してはもらえないようだ。

「はっはっは、神様に聞いてみるのがよいかも知れませんな」
「ちなみに、なんですが、普通は鉱脈というのはどのようにして捜す物なのでしょう」
「それは決まってますよ、山に入って心を落ち着かせ地の声を聞く。それが唯一の方法です。カンとも言いましてヤマカンという言葉の語源にもなっていますが、優れた土メイジ程これが良く当たるようになります」
「は、はは、私は土メイジじゃないので中々難しそうですね」
「何、悲観することはないですぞ、ウォルフどの程優れたメイジならばきっとその感覚をつかめるようになるに違い有りません」
「・・・頑張ってみます」

 カンの方は土メイジが三人もいるので任せることにして、ウォルフは地質の推測に戻った。
 火成岩であるかんらん岩が水と反応した蛇紋岩や堆積岩である泥岩などが熱によって変成したホルンフェルスなど断片的な情報から推測するに、どうやらここは元海中火山だったようである。最もそれが分かった所でハルケギニア人にどうやって説明すればいいのかは分からないが。
ウォルフとしては有意義な調査をしていて地下の構成が徐々に明らかになってきていても他の三人にとってはやはり退屈なようで、ウォルフの後ろで暇そうにしている事が多かった。



「うーん、中々めぼしい物はありませんなあ・・・翡翠位は見つかるかとも思ったのですが」
「翡翠ですか、宝石の。あんまり工業的には使えなさそうですねえ」
「蛇紋岩帯では時折見つかるのですよ。どうやらここには無さそうですが」
「翡翠ですか、翡翠はいいですねえ、綺麗で」
「綺麗なだけでもしょうがないだろう、さあ、次に行くぞ」

 何度目かの着陸と調査で相変わらず何も成果が無く、ウォルフ以外の一行にはいよいよ倦怠感が強くなってきた。中でも商会の土メイジが一番やる気がなくなっている。彼も彼なりに鉱物を捜してはいるのだが、一向に見つからないのだ。
 それも無理無いことで、実はウォルフに許可された地域は元々価値の高い鉱物がそうそう採れるとは予想されていない地域である。今回の探査に先立って行ったライヌ川の砂の調査でボーキサイトと呼べる程のアルミナを含む砂粒を発見したのでウォルフが強く希望してライヌ川上流域であるここに決定したのだ。
 銅などが採れる山のほうが、色々な鉱物が採れる可能性は高いのだがここはここでウォルフにとっては興味深い。大体ウォルフが捜しているのは通常とは違う金属なのでハルケギニア人が見込みがないと言ってもあまり関係がない。
求めているのはボーキサイトにチタン・クロム・コバルト・ニッケル・バナジウム・モリブデン・タングステン・アンチモン、リンやカリウムなどの鉱石、それに加えてあわよくば風石や土石と考えており、それぞれに発見が予想される場所が全然違う。
 ボーキサイトはもちろんだが、特にクロムとモリブデンは旋盤の軸や車軸などに使うクロムモリブデン鋼に使用したり、潤滑油に配合したりクロムメッキや工具に使用したりと用途が多いので欲しかった。
 調査員のモチベーション維持と多くの場所を調べる為、ウォルフの調査は段々とその速度を上げた。



 この後も転々と調査し、ウォルフはおおよその地質をつかむことができた。
 纏めると調査区域の東南方面にイェナー山があり、この山は堆積岩が隆起して出来ていてその南側には東西に長大な断層がある。この断層は最大三百メイル物高さの崖になっていて結構深い層まで地層が露出している。
イェナー山の北側から西にかけては蛇紋岩の岩盤が続いていて、調査地域南東方面の国境に近い草原と小規模な森が混在する地域は地表の堆積物が多く、現状では判断が出来ない。
 おおよそではあるが、トリステインやガリア北部と地質的に違いは無さそうだ。イェナー山北側の岩盤はラ・ロシェールそっくりだし草原部分はさしずめトリステイン平原の小型版と言った所であろうか。

「大体以前こちらでやった調査の内容と一致しますね。商業ベースに乗りそうなのは大理石くらいでしょうか。石灰はここからじゃ搬出コストが掛かりすぎそうですね」
「私はボーキサイトというのに絞って捜していましたがついぞ分かりませんでした」
「私も捜しましたよ。今まで見向きもしていなかった石ですから案外直ぐに見つかるかとも思いましたが、中々難しいものですな」
「北部の蛇紋岩の辺りでは磁鉄鉱の反応がありましたな、どの程度有るのかは未知数ですが」

 一行はイェナー山の山頂から少し下った所にある拓けた場所に二機のグライダーを駐めて休憩をしていた。ツェルプストー側と商会の土メイジとで適当に情報を交換しているが、ウォルフはその横で地図に地質を書き込み、より大きな地図も参考にしてこの地域の地下構造を推測していた。
 ガリア北部の海岸線ではここの堆積岩層のもっと深部に相当する地層が地表に露出していて、そこで風石の痕跡をウォルフは発見していた。その後の調査でそこは大昔に風石の鉱山があった場所だと分かっている。ここの地層は上部三百メイルが露出しているに過ぎないが、そこから推測できることは深部まで掘れば風石の鉱脈があるかも知れないと言うことだ。
イェナー山の岩盤が他の地域から隆起しているおかげで深く掘るのが楽そうなので、風石探索の為の深深度調査をやるならこの断層だと判断した。

「ウォルフ殿、どうなさいました?あまり見込みのない土地でがっかりなさいましたかな」

黙って考え込んでいるウォルフにデトレフが気を使って話し掛けてきた。ウォルフ達はこの調査をやらせて貰うだけでもツェルプストーに結構な額の調査料を支払っている。ちょっと気の毒に思えたらしい。

「え?いや、見込みは大分ありそうだと思っている所です」
「ほう・・・ガンダーラ商会は我々とは目の付け所が違うらしい」

ツェルプストーの技師が挑発的に言う。プロとしての判断をウォルフが気にもしなかったので少し気に触ったみたいだ。

「ふむ。ボーキサイトでも見つけましたか?我々にはちょっと分かりませんでしたが」
「ボーキサイトは見つかりませんでしたが、蛇紋岩帯でクロムやニッケルの反応がありました。まあ、まだどの位有るかは分かりませんが」
「クロム?ニッケル?・・・ああ、あの織機の部品に使われていた金属ですか。それは良かった」
「ふうむ、そのようなものがあるのですか。それはガンダーラ商会しか分からないですな」

デトレフは僅かでも成果があった事を喜んだが、技官の方は悔しそうにしている。

「ええ、まあ今のところはそうみたいですね。ところで、実際に採掘を行う時の詳しい取り分を教えて貰えますか?鉄で五分五分との事でしたが、クロムとかではどうなるのでしょう」
「五割なのは鉄・銅・錫・風石ですね。金・銀・土石は七割をフォン・ツェルプストーに納めていただきます。それ以外のものは今のところ四割となっています」
「風石や土石も採れるんですか」
「いやあ、土石はもっとガリアに近い所なら採れる所も有るみたいですけどここらでは採れた事はありませんね。風石は過去に採れた事があるという話だけはあります。どっちにしろ設定してあるだけですよ」
「分かりました。分け方は、原石でですか?それとも精製までしたものですか?」
「鉄は鉄鉱石でですね。まあ、製鉄設備をお持ちでないでしょうから、こちらで買い取るという形になります。それ以外は精製した物の価格で納税額を査定しています。精錬にかかるコストは計算式が設定されていますからそれに沿って控除しています」

ウォルフが判断するに妥当な線だった。今後クロムなどの有用性が知れ渡れば税率も上げられるのだろうが、契約期間中はその心配はないので当面は税率四割という低率で採掘できるのは魅力だ。

「じゃあ、帰りましょうか、日も大分傾いてきましたし」
「そうしましょう。明日からは我々は同行できませんが、何か分からない事はありませんか?」
「ありがとうございます。今のところはありませんね。また何か問題が起きたらその都度お伺いします」

 調査初日はウォルフとしてはまずまずの成果で終える事が出来た。ハルケギニアは地質が複雑なので調べるのは中々大変だ。ボーキサイトの調査がまだ進んではいないが、明日以降に調べることにする。

 工場に戻って生産ラインの方に顔を出すと完成品の検査が遅れているとのことなので担当メイジを手伝った。このメイジは仕事が丁寧でその分遅い。慎重な性格は検査に向いているだろうとウォルフは信頼していて仕事の遅さに文句を言ったことはない。
暗くなるまで手伝って、ようやく宿舎へ戻るとサラが大部屋のテーブルにグダッっと突っ伏していた。風呂上がりなのか髪の毛が濡れていてウォルフが部屋に入っても起きる気配がない。

「えーと、ただいま、サラ。どうしたのかな?」
「はっ。あわわ、ウォルフ様、お帰りなさい・・・いたたた」

慌てて飛び起きてワタワタしている。ウォルフにだらしない所を見られたのを気にしているようだ。

「おう、どしたの?」
「・・・鬼です・・・ゲルマニアには鬼がいました」
「どゆこと?」

 詳しく聞いてみると、サラが言うにはラウラは本当に鬼教官になっているとのことで、スパルタ方式の訓練だったらしい。最初の頃ウォルフが教習指導していた時は普通にだったものだが教え方が変わったらしい。
サラが実技でミスをすると工場三周、学科では一問につき腕立て十回とかとにかくミスする度に何らかの罰が与えられ、しかも絶対に拒否できない迫力で迫ってくると言うのだ。
もう何周工場を回ったのか分からないくらいだし、腕立て腹筋背筋スクワットも数えられない位やらされて立つのも辛いほどだという。

「じゃあ、取り敢えず少し『ヒーリング』かけてやるから」
「ありがとうございますー。わたしの杖はラウラに没収されちゃったんです」

メイジが平民に杖没収されるなよと思いながら『ヒーリング』をかける。痛んだ筋繊維の内カルシウム漏れを起こしている箇所を修復し、漏れ出したカルシウムを筋肉の中から除去。カルシウムは筋肉痛の原因だ。更に乳酸が過剰に蓄積しているようなのでその内のいくらかを血液中に流す。その内肝臓がブドウ糖に分解するだろう。

「ふああ・・・楽になりました。ありがとうございます。ウォルフ様は完全には直さないですよね」
「せっかく筋トレしたんだから身にならなかったらもったいないじゃん」

 丁寧に全身の状態をチェックする。大体まあ、この位で良いだろうというレベルまで治療した。

「あ、ウォルフ様勝手に治療しないで下さい。サラの身になりませんよ」
「ひうっ」

背後からラウラが声をかけてきて、ウォルフが診ていたサラの背筋が一瞬で硬直した。

「いや、筋トレの効果は残しつつ酷い痛みや疲労を取っているだけだから大丈夫だ」
「そんな事が出来るんですか、魔法って便利ですねえ」
「こんな細かい事出来るのはウォルフ様くらいですよ。それよりラウラの教え方は厳しすぎます!こんなんじゃ誰も習いに来なくなっちゃいますよ」
「ふーん」

 サラがウォルフの陰に隠れながら抗議する。相当にラウラが怖いらしい。ラウラはそんなサラを全く気にする事もなく冷蔵庫から水を出してグラスに注いでいる。

「ラウラ・・・まさかとは思うが、顧客にもそんな教え方をしているのか?」
「まさかあー。お客様にそんな事しませんよ。商会の子とか無料でレッスンする人限定です」
「ああ、それならまあいい、か?」
「良くないです! ウォルフ様頑張って下さい」
「だってですね、どうも自分でお金を払ってない人って真剣みが足りないって言うか、何かぬるいんですよ。サラだって昨日あたしが覚えておいてって言った事殆ど覚えてこなかったし」
「う・・・」

ちらりと横目でサラを見る。サラは思いっきり顔を逸らした。

「まあ、そう言うのもあるかもな。修了した顧客の評判は凄く良いし、指導方法はラウラにまかせたよ。サラもミスしなければ筋トレしなくても良いわけだから頑張れ」
「ああっそんな・・・ウォルフ様人間はミスをするものだっていつも言ってたくせにいー!」
「それを理由にして努力を放棄して良いって事じゃないから」
「ああ、鬼、鬼が二人に・・・」
「何も泣かなくても良いじゃないか。サラがグライダーの操縦を習いたいって言ったんだぞ」
「うう・・・こんな筈じゃなかったのに・・・」

 暫く落ち込んでいたサラだったが夕食時にはもう復活していた。
気持ちの切り替えを済ませ、真面目に勉強して早く操縦を覚えてしまった方が得だと判断したのだ。やけくそ気味に夕飯をモリモリと食べていた。

 この日はウォルフも一日中グライダーに乗りっぱなしで疲れていたし、サラは言わずもがななので早めに就寝した。



 翌日もウォルフは早朝から鉱脈探査に向かった。今日の供は昨日も来た商会の土メイジ・ジルベール一人だ。
メイジと言ってもドットで、はっきり言って魔法の方はたいしたことない。しかし、鉱物好きというか結構詳しいので雇用してみたのだった。
 早速二人でグライダーを飛ばし昨日鉱物の反応のあった蛇紋岩地帯を入念に調査する。
 その調査方法はひたすら当たりをつけた所の岩を『ブレイド』を使って切り出しその組成を詳しく調べるというものだ。そして調べたデータを元に鉱脈を予測し、更に詳しく調べ『ディテクトマジック』で確認する。アスベストが岩石中に含まれている場合があるので、防塵マスクを着け風の魔法を併用しての作業だ。
中々時間の掛かる作業で、この蛇紋岩の一帯を調べ終わるまで少なくとも三・四日は掛かりそうだった。

 初日から中々有望な鉱脈も見つかってはいるが、クロムやニッケルは今のところ利用方法が限定されているので直ぐに儲けにつながる事はない。クロムやニッケルを使ってステンレススチールを作ったとしても固定化の魔法があるこの世界ではそれ程の価値が認められるとは思えないし、精々ウォルフの負担が減るだけだ。
今後大量の需要が見込まれるアルミニウムに比してまだまだメッキや機械部品の一部にしか需要がないクロムなどはウォルフの負担軽減という観点から見て魅力が少ない。もし今回の調査地域でボーキサイトが発見できなければ契約はせず、他の地域の調査を申請するつもりだ。
 一日働いて、工場へと帰る。結構疲れたが、まだまだ調査は始まったばかりだ。

「あ、ウォルフ様お帰りなさい」
「おお、ただいま。ん?今日は疲れてないの?」

 サラが出迎えたが、昨日と違って元気だ。
話を聞くと今日は午後からラウラが他の顧客に付いたので楽だったらしい。教官によってそんなに指導方法が違うのもどうかと思うが、基本サラは教官の手が空いている時に授業を受けているので仕方がない。
 そんな話をしているとラウラも授業が終わったらしく帰ってきたが、サラが何を見たのかラウラを見るなり非難を浴びせた。昨日はあんなに怖がっていたくせに一日経ったら随分と威勢がいい。

「ラウラ!今日顧客のおじさんを踏ん付けていたでしょう、教官だからってああいうのは良くないと思います!」
「あら?誰にも見られない所でやってたつもりなのに」
「見えなければいいってもんじゃありません!商会の責任問題になります!」
「あの人は良いのよ、その方が喜ぶの」

一体何をしていたのかとウォルフは頭を抱える。ラウラはまだ十四歳の筈なんだけど。

「そんなわけ無いでしょう!とても立派な紳士だったじゃないですか!きっと今頃凄く怒って・・・」
「サラ、サラいいから」
「え?ウォルフ様どういう事ですか?」
「そういう人も世の中にはいるんだよ。サラはまだ知らなくて良いから放っておけ」
「・・・?」

分かってないサラをおいてラウラを引っ張り二人だけで話を聞く。

「ちょっと、ラウラ本当に大丈夫なのか?お前いつからそんなキャラになっちゃったんだ」
「大丈夫ですよ。最初はおしりを触ってきた人が居たんだけど、思わず蹴飛ばしちゃったら何か喜んじゃって。今の人で三人目だけど、もう目を見れば直ぐに分かるようになりました」
「そ、そうか、お互い納得しているなら良い・・・のか?」
「ポイントは思いっきり軽蔑した目で見てあげる事ですね。皆さん良く言う事を聞いてくれますし熱心ですから教える方としては楽です」
「ラウラが何だか遠い所へ行っちまったよ・・・」

ウォルフは遙か彼方ガリアの空の下にいるラウラの両親に心の中で詫びた。

(すまん、ホセ。お前の知っているラウラはもういなくなっちゃったのかも知れない)

「・・・いや、やっぱりダメだ。目つきや口でならまだ良いけど、踏み付けるとかの直接的なプレイはやめてくれ。そういう濃い人が集まってきても困るし」
「プレイって何ですか、プレイって。ちゃんとした指導です」
「手や足が出てる内はちゃんとした指導などとは言わん。とにかく、ウチは直接体罰禁止。いいな?」
「うーん、分かりました、目つきや口でですね?」
「それと、今後は素質のある人の担当になってもわざわざ開花させないでくれ」
「それはちょっと難しいんじゃ・・・花というのは太陽と水が有れば咲くものですよ?」
「・・・一応、気に留めといてくれ。ちなみに、今日の顧客って誰?」
「隣の領のフォン・シリングス様です」
「・・・家臣の人?」
「伯爵様ご本人です。今日の帰り際、家族の方の分って仰ってグライダーを三機追加注文して下さいました」
「・・・」

 人間って分からない。
本当は一番に研究すべき対象なのかも知れないが、ウォルフにとってあまりに複雑すぎて、何から研究を始めればいいのか分からなかった。



[18851] 2-11    開発三昧
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/05/14 19:28
 蛇紋岩帯の調査には結局三日かかった。
結局利用できそうなのはクロム鉄鉱と珪ニッケル鉱だけで、様々な鉱物が産出すると言われる蛇紋岩帯ではあってもツェルプストーが重要な鉱脈と見なしていない事も頷けた。調査地域で一番有望なここでさえこんな有様なのだから他の所も通常の鉱物資源はあまりないのだろう。
しかし、ウォルフにとってはクロムとニッケルは欲しかった物であるのでこの結果で良しとする。これから採掘方法や精錬方法を研究しなくてはならないが、魔法があれば何とかなるだろうとは思っている。

 次にウォルフ達が向かったのは調査地域南東方面の国境に近い草原と小規模な森が混在する平野部地域である。
 ここはボーキサイトの最有力候補地だ。ライヌ川での調査から考えてここで見つからなければもっと上流の地域を調査申請するつもりでいる。一応イェナー山で深深度調査をしてからではあるが。
この平野はトリステインの方まで広がっていて向こう側もこちらと同じ地質と思われ、平野部の中央西寄りを流れるライヌ川が国境となっている。川岸は比較的新しい堆積物が積もっていて地下構造が分からない。仕方ないのでここでも片っ端から掘っていくことにする。

 平野の中で川から離れた地点を選び、ゴーレムを使って穴を掘っていく。工作機械を作って持ってきたかったが時間がなかったからしょうがない、ほぼ魔法頼りだ。
ある程度縦に掘り進んだら穴の上に櫓を組み、滑車を使って掘り出した土を排出する。国境の川から離れた地点で掘り始めたのだが、いきなりボーキサイトの層に当たった。地表から僅か三メイルほどの地点に地面と平行にボーキサイトの層が広がっていた。
 まあ有るだろうとは思っていたがやはり発見できると嬉しい。続いてこの鉱脈がどの程度の規模であるのかを調べる為に他の地点の調査もする事にした。
二十メイルくらいまで掘り進め、地層を観察して次の地点に移る。今度は五メイルくらいまで掘り進め、地層が前の穴と代わらないようだったら次に移動する。
その後二日掛かって何カ所か穴を掘り、鉱床の広がり具合を検証した。残念ながら調査地域の埋蔵量その物はそれ程でもなく、国境を越えたラ・ヴァリエールの方に広がっていると思われた。

「ふう、うまくいかないものだな。他も似たようなものだろうし、ここで良いか」
「そうですね、まあせっかく発見できたんだし良いんじゃないでしょうか」
「ただ、あっちの鉱床の方が大分広そうなんだけどなあ。ラ・ヴァリエールの開発は無理だよねえ」
「絶対に無理です。元々開発とかが嫌いなお国柄でもありますし」

 グライダーや自動車に使う分くらいのボーキサイトならこの区域からの採掘量でも当面は間に合いそうなので、もうここで開発を申請してしまう事にした。何せウォルフは急いでいた。
イェナー山の探査はまた後で採掘機を開発してから行う事にした。魔法だけで深深度探査などは大変すぎる。
この日ボルクリンゲンに帰ってから商館長フークバルトに報告し、正式に開発を始める事を告げた。
鉱山開発を行う為に設立する会社の事や人員、採掘方法などを相談しているとデトレフが様子を聞きに来た。

「おお、ボーキサイトが見つかりましたか。それは重畳」
「はい、ありがとうございます。それで、採掘方法などを技官の方に相談したいと思ったんですが」
「発見場所は深いのですか?」
「いえ、三メイルほどの深さです。上には土が被っているだけですね」
「それなら楽そうですね。では、明日また我々もご一緒しましょう」
「お願いします。見て貰った方が早そうですから」



 翌日、再び二機のグライダーを仕立て発見現場へと向かい、最初の穴の近くにグライダーを駐めて穴の前まで来た。
デトレフはいつものごとく興味津々であったが、技官の方はそれ程熱心ではなかった。ボーキサイトは今のところガンダーラ商会のみが有効利用出来る資源なので熱意を持ちにくいのだ。秘薬屋で売っていたのも変わった石、と言う理由だけだ。

「なるほどこんな風にあるんですなあ。岩山をいくら捜しても無いはずだ」
「まあ生成過程が全く違う物みたいですから」

熱心に穴の横に積み上げられている掘り出されたボーキサイトを魔法で精査するデトレフ。技官の方はもう穴の中に入って直接地層を検分していた。

「本当に地面から直ぐの所にあるのですね。これでしたら、採掘方法も何も無いでしょう。上の土を全部どけてしまってボーキサイトを掘り出すしかないと思います」

直ぐに穴から出てきた技官が告げる。鉱床の厚みは八メイルほど。それが三メイルの深さから始まっているので他に方法など無いように思えた。取り敢えず彼の経験ではこんな鉱床を扱ったことは無い。亜炭の採掘現場も相当浅い地層だったがここよりは深かった。

「やはりそうですか。こういうタイプの採掘用機械とかは開発されているのですか?」
「いや、ありませんよ。鉄鉱石や石灰などはやはり露天掘りですが、その都度採掘現場に合ったゴーレムを使っています。ただ、こんな全くの平地にある鉱床というのは私も初めてですね。亜炭などでこの様な鉱床を見たことはありますが、亜炭をわざわざ掘り出そうという者はいませんし」
「そうですか・・・となると自分で開発するしかないですねえ・・・」

どうやら削岩機にショベルカー、ブルドーザーやダンプカーも開発しなくてはならないみたいだ。ちょっとアルミが欲しいと思って始めた鉱山開発だがまた時間が掛かりそうだ。

「大型のゴーレムが使えそうですから平民を使って掘るよりもその方が効率が良いでしょうね」
「ガンダーラ商会がどんなものを開発するのか興味がありますなあ」
「いやあ、そんなに大した物を作るつもりはありませんよ。ちょっと今忙しくて時間が取れないものですから」

そう言いながらもウォルフは分割思考でどんなものにするかを考えている。将来的には油圧で駆動するアームを装備させたいが、当面はゴーレムの変形仕様で良いだろうと判断する。
そうすると新たに開発する技術としては無限軌道(キャタピラ)くらいかと少し安心した。ゴーレムが"歩く"という動作は結構エネルギー効率が悪く、土石の消費が多くなる要因なのでそこは改善したい。ゴーレムの転倒事故もなくなるし。

 デトレフや技官に来て貰ったが結局分かったことは自力でこれを掘り出してアルミニウムにまで加工しなくてはならないということだけだった。
多少落ち込んでいるウォルフに技官が耳寄りな情報を教えてくれた。

「ボーキサイトの下層にカオリンがありましたね。あれは磁器などの焼き物に使えますから一緒に採掘すると良いでしょう」
「ああ、あれは磁器に使えるのですか。ありがとうございます、知りませんでした」
「おや、珍しい。ド・モルガン殿でも知らないこともあるのですな」
「いやいや。そんな、何でも知っているわけではないです。秘薬屋にも無かったし、初めて見るものですよ」

 技官が教えてくれたのはボーキサイトの直ぐ下の層の白い石の層についてだった。アルミニウムの含水珪酸塩鉱物だというのは分かっていたが、ハルケギニアで既に利用されている鉱物とのことだった。
ハルケギニアでは磁器が既に開発されている。技官の話では最近コークスを利用した大掛かりな窯がボルクリンゲンに建てられたので、磁器の素材であるカオリンは結構需要があるとのことだ。
これまでの所、現金収入に繋がりそうなものが何も発見できていなかったので、売れそうなものが発見できたのは嬉しい事だった。経費のことでぶちぶちとタニアに文句を言われるのは嬉しいことではない。

 これ以上ここにいてもする事はないので、もう切り上げて帰ることにした。
チラッと見に行っただけであまり何もしなかったので、帰りに少し寄り道してツェルプストーが直営で石灰を掘り出している鉱山を見学させて貰った。ゴーレムを駆使して大々的に山を切り崩しており、色々と話も聞けたので今後の参考にするつもりだ。
 この鉱山の端で廃棄されている鉱石の中にマグネシウムを多く含んだ鉱石であるドロマイトを見かけたので研究用にと技師に断って貰って帰った。マグネシウムも今後欲しい金属である。
ボルクリンゲンに帰り商館長のフークバルトと相談し、ボーキサイトの採掘用機械と精錬準備が整った段階でツェルプストーと契約を結ぶ事にした。デトレフにもそのように伝え、内諾を得た。
 予定の一週間には一日早いがアルビオンに帰り、さっさと採掘用機械を作ってくることに決めた。




「じゃあまたね、ラウラ。私は中々ゲルマニアまでは来られないから、次にいつ会えるかは分からないけど」
「ちゃんとウォルフ様に頼んで時々グライダーに乗せて貰うのよ?飛んだら飛んだだけうまくなるんだから」
「うん、がんばる。いろいろありがとう」
「ふふ、随分良い子になったわね、リナによろしくね?」

 翌日早朝いざグライダーで飛び立とうしているだが、ラウラとサラが何だか抱き合って別れを惜しんでいた。二人とも涙ぐんだりして結構盛り上がってる。
サラは結構ラウラに酷い目に遭わされていたと思うのだが、いざ別れとなるとこれである。女の子は不思議だ。

「えーと、感動的に盛り上がっている所済みませんが、ラウラは来月サウスゴータに開く教習所に転勤して貰うからまたすぐ会えるよ?」
「・・・え?」
「あら、それじゃまたサラの操縦を見てあげられるわね。機体をスライドさせちゃう癖を直したかったから丁度良いわ」
「良かったなあ、サラ。悪い癖がしみ付いちゃう前に矯正してもらえるな」
「ほほ本当です・・・ねえ」

笑顔で別れることは出来たが、帰りの機中でサラの背中は少し煤けていた。




 アルビオンに着くとウォルフは真っ直ぐにチェスターの工場へと向かった。始まった頃は人の少なかった工場だが、今は樹脂生産プラントの工員や機械工二期訓練生、警備の傭兵達が大分増えていて、随分と賑やかになっている。
リナ達に出かける時に出しておいた課題は全く何も出来ていなかったが、まあしょうがないと諦めてウォルフは自分も直ぐに製図板に向かう。
作る必要があるのは深深度探索用の掘削機とボーキサイト採掘用機械であり、まずはキャタピラから設計に取り掛かった。

 最初はすぐに出来るかとも思っていたのだが、キャタピラ一つでもゼロから開発するのは大変だった。
履板をピンで繋ぎ、スプロケット付きのホイールに回して直ぐに試作品は出来たのだが、試験走行してみるといくつも問題が発覚した。
泥を噛んで直ぐに動きが悪くなったり、履板を繋ぐピンが折れたり、高速で走行すると焼き付いたりとさんざんな目にあった。ホイールから外れるというのも一度や二度ではない。自転車のチェーンみたいなものだから油を差しておけば大丈夫だろうと思っていたのだが甘かったようだ。
試験結果を受けて原因を精査し、試行錯誤を繰り返しながら改良を加える。まず、ピンに端面から穴を通し、各部をきちんとシールして潤滑油を封入。同時に泥などの侵入を防ぎ、さらに浸炭処理後に焼き入れを行うことにより靭性の確保、耐摩耗性の改善を果たした。
改善が施されたキャタピラはスムースに走行し、泥の中だろうと崖のような坂道だろうともう調子が悪くなるような事は無くなった。

 キャタピラが出来てしまえば後は既存の技術を組み合わせればよいので開発は早く進んだ。
走行の動力には電気モーターを用い、風石による発電機をその電力源とした。走行部は三機種共通とし、それに変形ゴーレムによるショベル、ブレード、傾けられる荷台をそれぞれ装備すればショベルカー、ブルドーザー、ダンプカーの完成である。
本音を言えばショベルカーとブルドーザーは無限軌道で良いのだが、ダンプカーはタイヤで作りたかった。しかしタイヤはまだ自動車用のものを開発中でまだ実用に至っていないので今回は諦める事にした。

 ショベルカーなどが完成したので次に深深度調査用の掘削機を作る。
シールドマシンを参考に茶筒型の本体を作る。試験採掘用なので直径は二メイルと小型にし、穴の中で自力移動できるように小型のキャタピラを四つ装備した。穴は垂直ではなく斜めに掘るつもりで、もしそのまま採掘する事になった場合索道かインクラインを設置しようと思っている。
掘削する刃には風石を使って『ブレイド』の魔法を付与した魔法具を作った。それを掘削面に垂直に突き立ててそれを回転させ円筒型に切り込みを入れるもの、回転させながら放射状に切り込みを入れるもの、掘削面に対し斜め付き入れてそれを回転させ岩盤から切り離すものと三種類に分けて装備し、一回の操作で十五サントほど岩盤を掘り進むことが出来るようにした。
掘削面の下部には掘り出された岩をかき集める機構も付け、その岩はベルトコンベアで掘削機の後方に排出され、全ての動力には他の機械と共通の風石発電機から電源を得ている。
この掘削機はメイジに操作させ、出水や落盤防止に対応させるつもりだ。
試験掘削をチェスターの工場地下で行ったが付与した『ブレイド』がウォルフ方式の為固い岩盤にも負ける事無く、一時間に二メイル以上も掘ることが出来た。どちらかというと岩の排出の方が大変だった。

 岩を地上に排出するのはスキー場のリフトの様な索道を作った。地上に動力となる風石回転盤を置き、リフトの椅子の部分をバケットにした構造だ。一台ずつは排出できる量は少ないが、連続して排出できるのと、構造が簡単でメンテナンスが楽なのが利点だ。
坑道の左右を上り線と下り線が行き交い、下部の滑車はワイヤで掘削機と固定してあるので万が一掘削機が落下しそうになってもそれを防止することが出来る。

 最後に取り掛かったのはアルミニウムを精錬する為の施設の設計だ。
まず現地でボーキサイトからアルミナにまで加工して、ボルクリンゲンでメイジを雇いアルミナからアルミニウムを精錬するつもりである。 
 ボーキサイトからアルミナを得る為に必要な水酸化ナトリウムであるが、既にイオン交換膜を開発済みなので伯父レアンドロに教えた方法ではなく塩化ナトリウム水溶液の電気分解によって得るつもりである。  
ちなみにイオン交換膜の原料であるベンゼン、エチレン、スチレン、硫酸は既に全てガンダーラ商会で生産しているので、製造するのに触媒以外は魔法を使用していない。
電力の確保にはボルクリンゲンにチェスターにあるのと同じ型の風力発電機を設置する事にしているので必要な部品をこちらで作り、送ることにする。羽根についてはFRPで作るので前回作った雌型をボルクリンゲンに送り、工場で作らせるつもりだ。
現地の反応槽の製造や沈殿池の設計、水酸化ナトリウムの電解槽の設計などを済まし、水酸化ナトリウム水溶液や塩酸を輸送する為のポリエチレンタンクも作った。

 全てを揃えボルクリンゲンに送ったのは約三ヶ月後のことで季節は既に秋になっていた。
ラウラはとっくにサウスゴータに転勤してきていて元気に働いている。サラはラウラが来るまで時間を見つけては真面目にグライダーの操縦を練習していたので、もうしごかれずに済んだらしかった。

 リナも姉であるラウラとの再会を喜んでいたのだが、スターリングエンジンの方は全然開発が進んでおらず、リナは随分とスランプに陥っていた。最近ではスターリングエンジンの開発よりも息抜きと称して自分の趣味の編み機を開発していることの方が多い位だ。
機械の構造などでは天才的な所を見せはするが、材料知識が少なすぎる為現状ではこれ以上どうにもなりそうになかった。
 
「もうこれ以上効率なんて良くならないと思います。もうこれは諦めて、あの風石発電機で良いんじゃないですか?」
「うーん、確かに煮詰まっているみたいだな」

 リナは自分の提出したレポートを読んでいるウォルフにこぼし窓の外に目をやる。そこではトム達男子が試作した自動車を楽しそうに試運転していた。
予定していたスターリングエンジンが出来ていないのでそのかわりに風石発電機を搭載し、ここの所ずっとタイヤのテストを繰り返している。
 ウォルフはどこか寂しげなリナにチラリと目をやり、またレポートに目を落とす。
 一番の難問はシリンダとピストンの気密を保ちつつオイル無しで低摩擦を達成しなくてはならないことで、通常の金属を材料にした場合に考えられる大抵のことは既に試していてリナが諦めるのは無理もないと思った。
しかしウォルフとしてはまだ低摩擦セラミックスのシリンダライナやプラズマ溶射機でモリブデンやシリコンなどを配合した低摩擦合金をコーティングしたピストンリングなど試したいことは沢山あるので諦めるという選択肢はなかった。
ただしどれも皆それなりに時間が掛かりそうで、調査をしたきり三ヶ月も放っておいて開発する気はあるのかとツェルプストーにせっつかれている現状では今すぐにというわけにはいかない。

「風石発電機も構造は簡単だし効率は良いけど、小型化が難しいからなあ。風石もどんどん値上がりしているし・・・最近セグロッドの売り上げも伸びが鈍ってきたってさ」
「じゃあ、どうしろって言うんですか」

リナがプーっと膨れる。視線は外を見たままだ。

「今度ゲルマニアから帰ってきたら一緒に開発しよう。ちょっとまだ試してみたいこともあるし」
「じゃあ、あたしはウォルフ様が帰ってくるまでぼやっと待っているんですか?ぶー」
「安心しろ、君にそんな暇はない」

ウォルフはニヤッと笑うと機械の構造が描かれたメモを取り出した。

「これはコンプレッサーと言って空気を圧縮する機械だ。まずはこれを作ってくれ」

 それはレシプロコンプレッサーの概略図であった。
タイヤに空気を入れる為に必要だし、冷蔵庫など様々に応用が出来る機械だ。窒素ガスやアルゴンガスを空気から得るのにも使用する。リナに図を示しながら構造を説明していくと直ぐに理解してくれ、その目もだんだん輝いてきた。

「うん、これなら割と簡単に出来そうですね。スターリングエンジンの経験が役立ちそうだし、これまで持っている技術だけで何とかなりそうです」
「それはよかった。まだ試作だから必要な出力とか考えなくていいよ。今ある材料で出来そうなのを作ってくれればいいから。で、それが終わったら・・・これも頼む」
「にょ?」

引き出しを開けるとそこからバサッと机の上に設計図の束を出した。

「何時までもネジを旋盤で切ってる場合じゃないからな。ヘッダーと転造盤だ。よろしく」
「にょにょお?ヘッダー?転造?」

設計図を手に取り広げて見ているリナに概要を説明する。要は冷間圧造によりネジを量産する機械だ。

「ぬぬ、これも作れそうです、ね。これ凄い力が掛かってそうですけど、動力はゴーレムを使うんですか?」
「そのつもりだったけど・・・別にモーターでも出来そうだな・・・あ、リナ作っといてくれる?」
「にょにょにょ!?]
「あ、あと油圧駆動システムも作りたいと思っていたんだった。歯車ポンプと油圧シリンダも簡単な図面を引いてあるから時間があったら試作してみてくれるかな」
「にょにょにょにょ!?」

さらに新たな設計図を取り出しリナが持っている図面の上に重ねて渡す。リナはもうそれを広げようとはしなかった。

「ちょ、ちょっと待って下さい!ウォルフ様どんだけ長くゲルマニアに行っているつもりですか!」
「えーと、今回はアルミニウム精錬が軌道に乗るまでと深深度の試験採鉱だから・・・一ヶ月位だと思う」
「それっぽっちで、こんなに作らせる気ですか・・・どんだけー」
「暇なのが嫌そうだったじゃないか。まあ、動力がゴーレムでも良いから転造盤までは作ってて欲しいかな」
「うい、頑張ります」

リナはくるりとウォルフに背を向けると材料室の方へ小走りで向かった。どうやら元気が出たみたいだ。

 リナが材料室に消えるのを見送るとウォルフは外に出て自動車を試運転させているトム達に合流し、一緒に各部をチェック。何点かアドバイスを伝えるとそのままグライダーに乗ってゲルマニアへと旅立った。



「おーい、リナ。お前も自動車乗ってみないか?面白いぞ。どうせ行き詰まっているんだろ」

 トムが一人製図室に籠もっているリナを誘いに来た。リナは製図板から顔を上げ、トムを睨みつける。

「あたし、今もの凄く忙しいんだけど。あんた達も何時までも遊んでないでこっちに人数回しなさいよ」
「え、お前最近暇そうにしてずっと織機の部品とか作ってたじゃないか」
「ウォルフ様に新しい仕事割り振られたの!あんた達使っても良いって言われてるから、あんた今暇ならあれ作ってちょうだい。材料は機械加工室に出てるから」

机の上にある図面を指さす。そこにはこの短時間でコンプレッサーの部品がいくつか書き上げられていた。

「うええ、俺今タイヤの試験やってて・・・」
「あれは元々ジムの仕事でしょう。あんたがやんなくたって良いわよ」
「う・・・何でお前元気になってんだよ」

 トムは仕方なく机の上の図面を手に取るとブツブツと文句を言いながら機械加工室へと向かう。リナはトムに目をやることもなく製図板に向かったままだった。



「あれ、リナ、こっちにトム来なかった?」
「ほふん、丁度良かったわ、サム」

 リナが製図板から顔を上げてニコッと笑いかける。サムはリナを呼びに行ったまま帰ってこないトムを探しに来たのだが、その笑顔を見た瞬間ここに来たことを後悔した。

 この日以降サムとトムが自動車の試乗に戻ることはなかった。



[18851] 2-12    技術立国
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/05/27 18:58
 ウォルフがボルクリンゲンの商館に着くと、もう先に送った機械類は全て工場に運び込まれていた。

「ありがとう、フークバルト。何か変わったことはある?」
「昨日機械類を工場に搬入したのですが、夕刻ツェルプストーのデトレフ殿がいらして是非稼働している所を見たいと仰っていました」
「ああ、まあデトレフさんはどのみち見に来るだろう。他には?」
「特にないですね、指示通り鉱山の開発許可は取ってありますし、雇ったメイジや平民も明日工場に集合します」

 いよいよ鉱山の採掘開始である。まずは機械類の操作に習熟して貰う必要があるのが面倒だが、まあ習うより慣れろの精神で行こうと思っている。何せショベルカーの操作など教えられる人間がいないし、ウォルフさえ習熟しているとはとても言えない有様なのだ。

 翌日から輸送の為いくつかのブロックに分解されていた機械類の組み立て、兼整備講習、その運転教習、アルミナ精錬施設の建築、水酸化ナトリウム生産工場建設とこなしていった。計四箇所でほぼ同時に開始したのでそれら全てを監督するウォルフは忙しい毎日を送ることになった。



「いやあ、あのキャタピラというのは素晴らしいですなあ。道無き道も進めるとは。あれがあれば街道などいらないのではないですか?」
「ありがとうございます。確かに進むことは出来ますが、車輪に比べエネルギー効率が良くないので通常の移動には街道を車輪で進む方が良いですね」
「おお、車輪の物も作っているのですか」
「ええ、今アルビオンでウチの技術者達が乗用のものを開発しています。風石が値上がりしているのでなるべく風石を使わないで済むように研究をしている所ですよ」

 教習開始から三日目、この日はデトレフがボーキサイト鉱山に見学に来た。今は丘の上から走行するダンプカーを見学しているが、やたらとキャタピラを褒めそやし、興奮気味だ。
それもそのはず彼はウォルフの機械の価値を正確に理解していた。馬を必要とせず風石だけで走行する強固で重量物を運べる車体にどんな荒れ地でも関係ない無限軌道。最高で時速五十リーグ以上も可能とのことなので、砲亀兵の代替に使用した場合機動力が著しく向上するだろう。
そう、あのダンプカーの背に砲を乗せるだけで地上戦の戦術を変えるほどの兵器となるのだ。

「ちなみに、なんですが・・・あれは販売する予定はおありですか?」
「え、あれですか?いや、あれはそんなに数が売れるものでもないだろうし、量産しないとなるとちょっとコストが掛かりすぎるので今のところ考えていませんね。車輪を使った乗用のものは販売するつもりで開発していますが」
「うーん、そうですか。キャタピラの走行部分だけでも販売すれば買う人間はいくらでもいると思うのですが」

 食いつきの良さからなんとなくウォルフにもデトレフが戦車に使いたがっていると言うことは分かる。確かに戦車用にパッケージして売り出せば売れるのだろうとは思うが、ガンダーラ商会としては多国籍企業という性格上兵器などの取引には参加すべきではないと考えている。
あちこちの国で兵器を売り捌けば儲けは出るかも知れないがそれ以上にトラブルに巻き込まれそうなのは明らかだ。この世界では個人や商会の権利は往々にして国や領主によって制限されるものなのだから。

「風石と仰いましたが、動力として風石を使ってらっしゃるのですか?土石ではなく」
「走行に関してはそうです。アームなどは土石やメイジの魔法を使っていますが」
「ふうむ、ちょっと見せて貰っても・・・」
「ええ、構いませんよ。どうぞこちらへ」

 デトレフを誘ってダンプカーへが一台止めてある所へと向かった。
ダンプカーまで着くと蓋を開き、風石発電機を見せる。スイッチを入れて発電を開始するとデトレフの目の前で風石を取り付けた出力盤が回転を始めた。

「ほうほうなるほど、一部だけで励起させて回転をさせているのですな。それでこのゆっくりとした回転をどうやってキャタピラに伝達しているのですかな」
「あー、それはちょっと、企業秘密と言うことにして下さい」
「おお、そこに秘密があるのですな」

 デトレフは残念そうだがウォルフとしては電気の事を説明するのが面倒くさかっただけである。まあデトレフも車輪を回転させるだけなら土石でも出来るので絶対に知りたいと言う程のことではなく、それ以上訊ねることはなかった。
そのまま運転もさせてあげたのだがデトレフはまたまた絶賛し、興奮したまま帰って行った。




「とにかくですね、素晴らしいのですよ。多少の藪だろうが水たまりだろうが坂道だろうが思うがままにグイグイと走ることが出来るのでこれが何とも楽しくて。馬車よりも大きいくせに馬よりも気軽に御せるのです」

 城に帰ったデトレフはツェルプストー辺境伯に視察の報告を行っていた。まだ興奮しているのか口数が多く、自分の主人がいささか渋い顔をしていることにも気付いていなかった。

「十平方メイル位の広さはありそうな荷台に岩石を満載しても滑らかに走っていましたので、重量的には大砲を積んでも全く問題はないでしょうな」
「・・・・・」
「ウォルフ殿が言う所では量産すればコストは下がると言うことのなので、是非ともフォン・ツェルプストーとして働きかけをして購入できるようにするべきでしょう。あれに大砲を積んで百台も配備出来れば我が領の安全は約束されたようなものです」
「・・・・・」

 デトレフに喋らせておいてツェルプストー辺境伯はその戦術的な価値を検討していた。現代における戦闘ではまずフネと竜騎士にて制空権を得て、しかる後に砲亀兵などの陸上部隊を展開し、地上を制圧するというのが一般的だ。年々兵器の開発が進むと共にメイジや一般歩兵の戦略的な価値は低下し続けているが、今後その流れはますます加速するだろう。
そのキャタピラ車とやらに大砲を搭載した物を考えてみると、やはり一番の利点はその速度であろう。最高速度五十リーグというのは砲亀兵とは比ぶべくもなく、フネよりも速い。
移動するのに地形的な制約をあまり受けないとのことなので、進軍や撤退が自由に、迅速に行える。フネとは違い移動の時にしか風石を消費せず、その量も浮上しない為に圧倒的に少ないというのも利点だ。

 ざっと考えても利点しか思い浮かばないのだが、一番の問題点はそれを開発したのがゲルマニアの技術ではなく、アルビオンの男爵の倅だということだろう。
 
「それで・・・ガンダーラ商会としては市販するつもりはないと言っているようだが、お前はワシにあの子供に頭を下げてお願いをしろとでも言っているのか?」
「え、いやその、お願い、とかじゃなくてですね、株主として意見を・・・」
「やかましい!出来上がっている実物が目の前で動いているんだ。売らんと言う物をわざわざ売ってもらうことはない。お前が作れ」
「うっ・・・いやしかし、グライダーもまだ出来ていませんし・・・」
「ふん、どうせすぐに出来る見込みもないのだろう。取り敢えずこっちを優先しろ。こっちは変な素材は使って無くて鉄で出来ているだけなのだろう?」
「えっとまあ、そう言われればそうなんですが、ウォルフ殿の作る物は鉄と言っても部品によって感触が違いまして、その通り出来るかどうか・・・」
「機能さえ満たしていればその通り作る必要など無い。最高の土メイジと鍛冶が集まっているんだ、すぐに出来るだろう」
「は、はい、おそらくは」

 技術の内製化。ツェルプストー辺境伯が拘っているのはこの点であった。

ゲルマニアは他のハルケギニア諸国に対してメイジの比率が低い。そのことは取りも直さず国力が低いという意味になるが、その不足を補ってきたのがゲルマニアの技術である。
常に新しい技術を求め発展させてきたからこそ、今やハルケギニアでガリアに肩を並べる程の強国に成り上がったのだ。
それが自分も出資しているとはいえアルビオンを出身母体とする一商会に技術で劣ったままという事は許容できなかった。一時的に先行されるのは良い。しかし他人が作れる物を何時までも作れないまま、ということはこの国で有って良いことではなかった。
 だというのにデトレフ達がここずっと取り組んで出た成果というのは、FRPの主材の一つである無水マレイン酸らしきものを『練金』出来ただけだ。
それを聞けばウォルフならば凄い進歩だと思うものだが、ツェルプストー辺境伯には不満だった。何であんな子供が開発したものを一流の土メイジが何人も集まって開発することができないのかと。デトレフは「ウォルフ殿も何年もかかったと言いますし」などと言い訳するが、ゼロから開発するのと現物がそこにあるものを真似するのとでは全然違うはずである。

「いいか、一ヶ月だ。一ヶ月で取り敢えず試作品を見せろ」
「は、はい、分かりました」

いつも以上に強く命じられ、デトレフは胃がきりきりと痛むのを感じて顔をゆがませる。しかしそれを辺境伯に見せるようなことはなく、挨拶をして下がると急いで研究室へと向かった。

 確かに碌に成果は上げていなかった。唯一の成果である無水マレイン酸の『練金』も一流の土メイジが大量の精神力を使ってやっと少しばかりを生成させる事が出来ただけだし、グライダーその物の研究もはかばかしくはなかった。
FRPの実用化に目処が立たなかったので木から削りだして試作してみたらとんでもない重量になった。千メイルの高さから試験飛行してみたが百メイルも進まずに墜落した。
それならばと木で骨組みを作り、帆布を張ることで軽量化した機体を作ってみたがそれでもガンダーラ商会の機体より大分重かった。しかも試験飛行してみたらやはり飛行と言うよりは墜落と言った方が良い有様だ。
形に秘密があるのかと精密にガンダーラ商会製の機体を計測し、時間が掛かったが翼から胴体までほぼ同じ形状で制作したのだが、試験飛行でいきなり翼が折れて墜落した。『強化』の魔法をかけていたというのに。
今は翼を補強して、より念入りに『強化』の魔法をかけた機体を制作しようとしている所だが、これも成功するという保証は無い。

 そんな中での新たな命令ではある。確かに今度のは慣れ親しんだ鉄で作られている。しかし、出来るかも知れないという思いよりは失敗できないというプレッシャーの方が強くなってしまうのはここのところの経験上仕方のないことかも知れない。
しかし命令は命令である。作るしかないと己を奮い立たせるとまずは火メイジの鍛冶職人の元へと相談に向かった。




 デトレフが下がった後の執務室でツェルプストー辺境伯は考え込んでいた。
キャタピラのことはもう良い。直ぐにコピーできるだろうと思っている。ウォルフが思いついたアイデアをいち早く手に入れ、ツェルプストーでも実用化する。これまでと同じ方針だ。
 今、辺境伯の手にはアルミニウムのインゴットがあった。デトレフが参考にとウォルフにねだって貰ってきた物で、ハルケギニア人がかつて見たことがない軽さの金属だ。
これまで辺境伯はウォルフのことを早熟な天才なのだろうと考え、あまり深く考えることは放棄してきた。ツェルプストーが欲しいのはウォルフのアイデアであり、それは現状のままでも十分に得られそうであったからである。
しかし、こうもグライダーの開発が難航し、さらに新たな技術を次々に提示されてしまうとそうも言っていられなくなってきた。ツェルプストーにいる土メイジが誰もこのアルミニウム合金でさえろくに『練金』出来なかったのだ。

「うむ、もっとよく観察する必要があるな」

誰に言うともなく呟くと手元のベルを鳴らし秘書を呼んだ。

「お呼びでしょうか」
「再来週のキュルケの誕生パーティーだが、ガンダーラ商会のウォルフ・ライエに招待状を送ってくれ。アルビオンに行った時に世話になったそうだ」
「は、ウォルフ様ご本人にでしょうか?確かアルビオンの男爵家であったと思いますが」

 通常貴族のパーティーの招待というのは爵位を持つ者に対して行われる。子供同士が友達だからと言って子供だけ招待するなどということはあまりない。
しかし、ウォルフとツェルプストーの関係は親を介していないという特殊な物であったし、ごく内向きなパーティーならそういう前例が無いわけでもないので今回はウォルフだけを呼ぶつもりにした。

「まあ、それ程堅苦しいパーティーではないからかまわんだろう。あれの親のことなど全く知らんしな」
「ではキュルケ様の個人的な招待と言うことにいたしましょう」
「ああ、そうしてくれ。それと、ウォルフについてもっと詳しい資料が欲しい。本人だけではなく親兄弟親戚の好みや性格なども詳しく分析して纏めてくれ」
「は、アルビオンやガリアでの調査になりますので多少時間が掛かると思いますが、よろしいでしょうか」
「かまわん。徹底的に調べろ」
「畏まりました。早速手配いたします」

 ウォルフをもっと良く見極める必要がある。まだ八歳でしかないというのに異常な知識量を持ち、ハルケギニアの常識を次々に変えてくる。メイジとしても二歳年上のキュルケを軽く一蹴する程でその実力はデトレフ達には量れなかったという。
ツェルプストーにとって福音なのか、脅威なのか。制御できるのか、暴走する可能性があるのか。

「将来このまま商会に収まっているつもりなのか、それとももっと大きくなるつもりなのか・・・」

 そう呟くツェルプストー辺境伯の目は、戦闘を前にした時のように鋭く光っていた。



[18851] 2-13    キュルケ生誕祭
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/05/28 19:09
 ツェルプストー辺境伯の思惑など知らず、ウォルフはゲルマニアでずっと忙しく働いていた。

 教習開始から一週間後にはボーキサイトの採掘が本格的に始まった。ショベルカーにはアームが二つ装備してあり片方には削岩ユニットが取り付けてあるので、表土を取り除きむき出しになったボーキサイト鉱床を壊しながら採掘する。表土は一箇所にまとめておいて採掘が終わったら埋め戻すつもりだ。
最初は変形ゴーレムのショベルカーに怯んでいた鉱夫達であったが、すぐにその扱いにも慣れ効率よく作業を送れるようになった。

 同時期にイェナー山の深深度調査も開始している。トリベルグの滝の横、高さ三百メイルの大断層の下に採掘拠点を設置し、断層面から地底奥深くを目指し掘り進めていった。一日十二時間掘削機を稼働して約四十メイル掘り進めるというペースだった。
土・風・水のメイジ三人を含む十人で一チームを作り掘削機の操作と土砂の排出を行う。メイジの三人は事掘削現場での落盤・有毒ガス・出水といった事故に対処するために配置している。これは普通の鉱山でもよく行われていることで、ハルケギニアの鉱山で事故率が低いのはやはりメイジのおかげであると言える。
 風力発電機の設置も終わり水酸化ナトリウム製造工場も完成し、今は大量に購入した塩が入荷するのを待っている状態で入荷次第稼働する予定である。
 クロムやニッケルなどは精錬方法を研究中で、まだ目処は立っていないので採掘はしていない。



 そんなある日ボルクリンゲンに滞在しているウォルフの元にキュルケが訪ねてきた。その時ウォルフは自室でアルビオンから送ってきたリナの図面を添削していたのだが、突然扉を開けて乱入してきたキュルケにその作業は中断された。

「はぁい、ウォルフ久しぶりね、元気?」

 あくまでにこやかにキュルケが挨拶するが、後ろで商会の事務員達が困った顔でこちらを窺っている。この部屋は事務室の奥を透明アクリルのパーテーションで区切っているだけなので事務員達は丸見えだ。まあ、キュルケのすることを気にしてもしょうがないので商館員に手を振って仕事に戻らせる。

「おうキュルケ、久しぶり。相変わらずだな」
「ご挨拶ね。友達が久しぶりに訪ねてきたって言うのに。あら?この絵は何?」
「んー、アルビオンの工場で設計してる機械の設計図。ちょっと添削している所」

 キュルケがウォルフの机の上に広げられた図面に興味を示すが、ウォルフはさして気にもせずに視線を机の上に戻すと作業を続ける。
いくつかの箇所に×を入れ、数値を書き換え、注意事項を記入する。大きく変更する所には横に簡易な図を書き込んだりもした。キュルケは暫く黙ってその作業を眺めていたが直ぐに焦れた。

「だから、それが何の機械か聞いているのよ」
「これは転造盤の一部だな。ネジを量産する機械だ」
「ネジって何よ」
「物と物とを接合する仕組みの一つ。魔法溶接と違って平民にも扱えるし、分解可能な所が利点」

その後もキュルケがあれこれと聞いてくるので簡潔に答えていたが、結局キュルケはその図面に書いてある物がどういう物であるか理解できなかったようだ。三面図も見るのが初めてらしいのでそんなもんだろう。

「ふーん、あなた本当に普通に働いているのねえ。まだ八歳だってのに」
「普通かどうかはよく分からんが、確かにここん所働きづめではある」
「男爵家っていうのも大変なのねえ・・・」
「そう大変・・・ん?」

 何か変なこと言われたような気がしたので顔を上げるとキュルケが憐憫を含んだ目でこちらを見ていた。

「ちょっと待て。ド・モルガン家は別に大変じゃない」
「そうなの?でも、こんな子供の頃から働かせるなんて、農村の方ではそりゃ普通かも知れないけど貴族の間ではあまり聞いたことがないわ」
「商会はオレが好きでやっていることだから、実家とは何の関係もないよ」
「え?でも商会始めるお金は実家が出しているんでしょう?」
「うんにゃ。びた一文出していません。全部オレが稼いだお金です」
「全部?あなたが?」

キュルケとしては貧乏な男爵家が優秀な息子のアイデアに全てを賭けて一発逆転を狙って借金して商会を立ち上げた、というストーリーを頭の中で作っていたので驚いた。ウォルフの親の話を聞いたことがないのは金策で忙しいからだろうと勝手に想像していたのだ。

「あなたみたいな子供が、そんな大金どうやって稼いだっていうのよ」
「色々と物を作って売ったんだよ。物を作るのは得意なんだ」
「はあ・・・物を作って売ったって言ったって、ガンダーラ商会って結構大きな商会じゃないの」
「今はね。最初はそうでもなかったんだ。まあ、借金もあるけど・・・ところで、何か用があって来たの?」

どうやって稼いだかを一々説明してると長くなっちゃいそうなので強引に話を振る。キュルケは興味がポンポン飛ぶから放っておくと相手をするのが大変だ。

「ん?そうそう、来週わたしの誕生パーティーがあるから招待しに来たのよ」

話を振られたキュルケは懐を探り招待状を取り出した。しかしそれは既にウォルフが知っていることだった。

「知ってる。昨日招待状を貰ったから」
「え?お父様がド・モルガンを招待したの?」
「いや、家は関係なくてオレだけを招待したみたいだね。君が」

ウォルフが言いながら机の引き出しから招待状を取り出す。そこにはキュルケの名前が使われていた。

「この封蝋は・・・お父様ね。ふうん、何かあなたに用があるみたいね」
「うーん、やっぱりそうなのか・・・多分キャタピラのことだと思うんだけど」
「あ、それよそれ。何かまた新しい乗り物作ったんだって?それにも乗せて貰おうと思って来たのよ」
「あー、あれは仕事で使っている分しかないから、今日は無理。虚無の曜日になら乗せてあげられるけど」
「えー、また来るなんて面倒くさいじゃないの」

 キュルケは一頻りごねたが仕事している機械を止めてまで遊ばせてやるつもりはない。びしりと説明すると何とか分かってくれたみたいだった。

「ふう、わかったわ、虚無の曜日ね。まったく、融通が利かないんだから。そんなんじゃ出世できないわよ?」
「出世なんて望んでないから関係ないね」
「まーねー、今更ウォルフにおべっか使われても気持ち悪いわね。仕方ないから今日は帰るわね、パーティー、来るんでしょ?」
「おお、貴族のパーティーって出るの久しぶりだから楽しみにしてるよ」

思い出すのは二年前のオルレアン公邸でのパーティーではあるが、まああんな事は滅多にないことだろう。
ウォルフはまだ年齢が年齢なので公式な晩餐会などには出たことがないが、今回のような私的なパーティーはガリアとアルビオンとで経験している。美味しいものも食べられるし色んな人を観察できるのでパーティーは結構好きだ。ゲルマニア有数の貴族であるツェルプストー辺境伯がどんなパーティーを開くかと言うことには少し興味があった。

 この日はキュルケはそのまま帰り、虚無の曜日に再び訪ねてきたので約束通りダンプカーやショベルカーの試乗をさせてあげた。キュルケはダンプカーよりもショベルカーの方が気に入ったようで、ひたすら楽しそうに穴を掘っていた。



 そして翌週、週の初めから忙しく働いているとあっという間にキュルケの誕生日当日となった。パーティーは夕刻からなのでそれに合わせてウォルフはボルクリンゲンを馬車で出発する。グライダーの方が早いので飛んでいきたかったが、パーティーの時は馬車で行くものらしいので慣例に従った。

「いらっしゃい、ウォルフ。良く来てくれたわね」
「誕生日おめでとう、キュルケ。今日は招いてくれてありがとう」
「ふうん、意外ね、結構ちゃんとしてるじゃない。いつもパッとしない格好をしているし、こういう所は苦手なのかと思っていたわ」

 言われてウォルフは自分の格好を見る。正装などはほぼ一年ぶりなので今着ている服は今日の為に新しく仕立てた物である。商会で扱っているアルビオン製の生地を使ってボルクリンゲンで縫製した一張羅だ。
特に華美であるというわけではないが、おかしい所はないはずだった。

「確かにこの服は今日の為に仕立てた物だけど、オレだってちゃんとする時はちゃんとするさ」
「意外と似合ってるわよ?ふふ、今日は楽しんでいって頂戴ね」
「ん、いやしかしすごい人だね。こんなに大きい規模のパーティーは初めてかも」
「私の誕生日は毎年これくらいの人が集まるわよ。ゲルマニア西部の貴族はほとんど来ているんじゃないかしら」
「はー、大したもんだな。あ、そうだ、デトレフさん、いる?珍しい鉱石を色々貰ったんでお礼を言いたいんだけど」
「警備には入っていなかったわね、何か最近忙しいらしいわよ?デトレフなんか良いじゃない、こっちにいらっしゃい、私の友達に紹介するわ」

 キュルケはウォルフの手を掴むと引っ張って子供達が集まっている一角へと連れていった。知り合いがいないウォルフの事を気に掛けてくれているらしい。
連れて行かれた一角にはキュルケの親戚やら近所の貴族の子弟達だという子供達が集まっていた。キュルケがウォルフを連れてくると男の子達は若干の敵意を含んだ目で、女の子達は好奇心を含んだ目で見てきた。
しかし、ウォルフがアルビオンの男爵の次男であると自己紹介すると皆興味を無くしたみたいだった。適当な挨拶を返すだけでキュルケを取り囲んであれこれと話し掛けはじめ、ウォルフはすぐに一人になってしまった。

 一人になったウォルフはキュルケを取り囲む輪からはずれ、パーティー会場をふらふらと歩いて回った。大きな城ではあるが特にこのホールはウォルフの背では端が見渡せない程に広く、来る前に想像していた以上の人数がこのパーティーに参加しているらしい。
これがゲルマニアにおけるツェルプストー辺境伯の権勢かと感心しながら参加している人々を観察する。大体近所の領地持ちの貴族が多いようだが、中にはあきらかに商人上がりらしい者や神官のような者、中央の役人らしき者もいてバラエティーに富んでいる。それらが雑多に混じり合い絶えず変化しながら二人から十人程の規模で会話に花を咲かせていた。
 この様なパーティーに参加する人間の目的はコネクションの獲得と情報交換だ。参加者達は皆楽しそうに会話をしているが、その目はギラギラと輝いている。特に情報については皆餓えているようで、ひっきりなしに話す相手を変えているような手合いも多い。
 ゲルマニアはハルケギニアでは比較的若い国だ。まだ成長期にあるこの国に住む人々はウォルフから見ると驚く程のバイタリティーに溢れていた。

 コネクションはともかくウォルフも当然情報を仕入れようとこの場に来ているので、料理を食べながら周囲の大人達の話に聞き耳を立てた。
都合良く今一番欲しい情報である東方開拓団のことを話題にしている人などは居なかったが、色々と興味深い話題が会場の其処此処で花を咲かせている。子供なのでそうそう会話に参加するわけには行かないが、料理を食べながら会場内を回遊し興味深い話題を探した。
 今聞いているのは左後ろの青年貴族の一団で、グライダーを購入した貴族がその自慢をしているところだった。グライダーに対する貴族達の評価は価格が高すぎるという人もいれば、お抱えの職人に作らせればいいのではないかという人も居てまちまちだ。何人かの貴族は購入を迷っているようだったので(買えー!)っと念を送りながら新しい料理を手にしていると今度は正面の夫人達の間でタレーズが話題に上がっている。
グライダーにしろタレーズにしろユーザーや購入検討者の生の声は色々と興味深かった。

「タレーズは普通にしていても凄く良いのだけれど、何が凄いって言ってその真価は仰向けに寝たときに有るわ」
「そうそう、わたくしも初めて着けて仰向けになったときには驚きましたわ!ちょっと最近だらしがなかったのが、あたかも火竜山脈のように、ツン、と」
「まああ・・・ツン、ですか」
「ツン、ですわ。それも固くなったり無理に引っ張ったりするのでは無くて、あくまでも自然な感じで、ですの」
「まあまあ、それは素晴らしいですわね。それは、あの、伯爵様の反応も違います?」
「それは、もう・・・実はね、今週だけでもう・・・(ゴニョゴニョ)・・・」
「そんなに!わたくしなんて、まだ今年に入ってからでもそんなには・・・」
「あらあら、あなたまだお若いのに。ちなみに私も今週は・・・(ゴニョゴニョ)」
「(ゴクリ)・・・」

 しばらくその場所に留まって話を聞いていたのだが、奥様達の話が声を潜めてやや赤裸々な内容になってきたのでまた移動する。奥様達が週に何回いたしているかなんてことには興味がない。
 新しい料理を手に取り、今度はどちらに行こうかと周囲を見回していると丁度料理を取りに来た少女と目があった。さっきの子供達の一団にはいなかった顔で年の頃は十三、四歳位、キュルケのように真っ赤な髪とキュルケとは違う真っ白な肌、黒曜石を思わせる真っ黒な瞳を持つ美少女だった。
賑やかなパーティー会場で一人でいるウォルフが気になった様子である。

「あら?僕、一人なの?」
「こんばんは。まあ、一人だけど楽しんでいるから気にしないで」
「気にしないでって、友達はいないの?ご両親は?」
「両親は来ていないし、知り合いはキュルケだけなんで」
「キュルケだけって・・・あっ!もしかしてあなたガンダーラ商会のウォルフ?」

 少女の声が結構大きくてウォルフは自分たちに視線が集まるのを感じた。ガンダーラ商会はやはり注目の的らしい。

「うん、そうだけど、お姉さんは?」
「あ、あらごめんなさい。私はマリー・ルイーゼ・フォン・ペルファルよ。隣のペルファル子爵領の長女、キュルケとは従姉妹になるわ」
「ん、オレはウォルフ・ライエ・ド・モルガン。そっちの仰る通り、ガンダーラ商会で技術開発部の主任をしている。よろしく」
「技術開発部の主任って・・・まだ子供なのに」
「子供ならではの自由な発想から商品化しているんだよ。ミス・ペルファルもグライダー一機お買いになりませんか?」
「あっはっは、あれって凄く高いらしいじゃない。私のお小遣いじゃ買えないわ」

 ウォルフが軽く営業してみると子供がそんなことを言うのが可笑しかったのか、からからと笑った。
彼女と挨拶している間に周囲の話はピタリと止んでいて、ウォルフは今度は自分の話を聞かれるのだろうということを覚悟した。アルビオンの男爵の次男と言った時は誰も反応しなかったのに。
 マリー・ルイーゼはそんな周囲の様子には頓着せずに話を続ける。

「ねえねえ、あなた、キュルケに決闘で勝ったって本当?キュルケは詳しく話したがらないんだけど、こんなに小さな男の子だったなんて思わなかったわ」
「決闘って言っても軽く杖を交えただけだよ。キュルケはオレのこと舐めきっていたしね」
「へーえ、本当なんだ。キュルケの相手は私だって苦労するって言うのに・・・ねえ、どうやって勝ったの?」

 声が大きい。気楽に聞いてくるが、周囲の貴族は耳がダンボになっている。ウォルフはシャルルの時に懲りて注目を集めたくないのであまりこの話題を続けたくなかった。

「いや、どうしたもこうしたも無いよ。キュルケが油断していた所にガツンと魔法を当てただけ。『エア・ハンマー』だったかな」
「キュルケったらどんだけ油断してたのよ・・・でも油断していたとはいえキュルケが捌ききれなかったんでしょう?」
「防がれる前に当てた。ただそれだけだよ。詠唱の早さってのは大事だね」
「ああ、まあねえ。でもキュルケも結構早いと思うけどねえ」

 その後何とか話題を逸らし、魔法全般についてとりとめのない話をしていると徐々に周囲の注目度も下がり始め、ウォルフは胸を撫で下ろした。
彼女は火メイジだそうで、ウォルフも火メイジだと知ると色々と悩みを相談してきた。目下の悩みは『ファイヤーボール』の威力向上だそうだ。威力を高めようと魔力を込めると玉が大きくなって速度が遅くなり、かといって炎の大きさをそのままで温度を上げても威力はあまり変わらないのだと言う。
キュルケに勝ったという一点だけでウォルフのような年下の子供に相談してくるなんて随分と気さくな人のようだ。

「火の大きさや温度で威力の大小をイメージするんじゃなくて、熱量という考えを元にすると良いんじゃないかな」
「熱量?温度じゃなくて?」
「そう。温度を上げても希薄な炎になっちゃうなら意味がない。ただ炎の温度を上げるんじゃなくて、対象の温度をどれだけ上げることが出来るかと言うことを意識してみると良いんじゃないかな」

 たとえば発光している蛍光灯の内部温度は一万度にも達する。しかし、希薄なガスである為にそれだけの温度であるにもかかわらず危険はない。
ハルケギニアの火の魔法も温度だけを上げようとしてみても全体の熱量は上がっていない、という事は良くあることだった。
特に『ファイヤーボール』は高温の可燃性ガスを球形に圧縮して保持し燃焼させながら制御して対象に当てるという魔法である為、どんな種類のガスをどれだけ高圧に圧縮できるかと言うことが威力向上に直接響く。ガスの量を増やさずに多少大きさを大きくしたり温度だけを上げても効果は少ない。
 ウォルフは一時期アセチレンガスをファイヤーボールに使用してみた事があったが、アセチレンは高圧を掛けられないので使用を諦めた事があった。
燃焼温度の高いアセチレンよりも多少温度は低くとも大量のガスをファイヤーボールに詰められるプロパンの方が物理的な威力は上なのだ。

「うーん、何となくイメージできるかも。ありがとう、今度試してみるわ」
「いえいえ、どういたしまして」

 そのままあれこれと二人で話してすごした。もう周囲から注目はされていないとウォルフは思っていたが、会場の反対側、ウォルフから大分離れた所からその様子を窺っている人物がいた。このパーティーの主催者、ツェルプストー辺境伯である。
彼はパーティーの最初から来場者の相手をしつつ視界の端でずっとウォルフの様子を観察していたのだ。キュルケに挨拶をし、所在無げに会場を彷徨い、今マリー・ルイーゼと楽しそうに話している、その全てを。




「よお、ウォルフ久しぶり。ガンダーラ商会は調子良さそうだな」
「や、これは辺境伯、本日はご招待いただきましてありがとうございます」

ウォルフの視界から見えるように近づいてきたツェルプストー辺境伯がおもむろに声を掛けた。辺境伯がウォルフのような子供を気に掛けると言うことはまず無いのでその声に振り返ったマリー・ルイーゼは驚いて目を丸くした。

「うむ、楽しんでいるみたいだな。マリー・ルイーゼに目をつけるとは中々・・・若いのに情熱を理解していそうだ」
「一人でいたのでミス・ペルファルが気に掛けて下さったのですよ」
「伯父様、私はまだ十三歳です。私が男の子と話す度に色々言うのはやめて下さい」
「もう、十三歳だろう。駆け落ちの一回や二回はしていてもおかしくない年頃だぞ?ワシの初恋は六歳だった。それは電撃的に激しく恋に落ちた物だ」
「私の歳で、駆け落ち経験者なんて聞いたことがありません!」
「どうだろうウォルフ、マリー・ルイーゼは色恋沙汰より杖を振っているのが好きという一族の変わり者でな。君、情熱を教えてやってはくれないか?」
「伯父様!」
「いや、済みません、私も情熱はまだちょっと早いみたいで・・・」

 情熱も何もウォルフはまだ八歳である。まあ軽い冗談なんだろうが、辺境伯が来てまた注目度が鰻登りになっている。程ほどにして欲しかった。
そんなウォルフに構うことなく辺境伯は更なる燃料を投下した。

「ふむ、君は年の割には随分と優れたメイジだそうだが、アルビオン人であるという欠点を持っていたな。どうだ?見事マリー・ルイーゼを落として見せたらペルファル子爵領を君に継がせてやるぞ」

 おおっ、と周囲の貴族達がどよめく。
 ウォルフは辺境伯の軽口だと思っているので苦笑いをするだけだが、マリー・ルイーゼには冗談では済まない話だ。大体彼女には兄がいるのだし、こんな五歳も年下の男の子を恋愛対象などとはとても考えられない。繰り返すがウォルフはまだ八歳なのだ。

「ちょ、ちょっと、伯父様!うちにはお兄様がいるんですよ?そんな勝手な」
「うん?あいつはキュルケを狙ってるんじゃないのか?それなら最低でも伯爵位には出世して貰わんとならんのだから、かまわんだろう」
「ええ?でも出世できるかなんて分からないんだから・・・」
「ふん。マリー、良く聞いておけ。出世できるか出来無いかなどと考えることに意味は無い。出世すると決めることが大事なのだ。後は決めたことを如何に"成す"か。そこに男子の生涯がある」
「うーん、わかります。志を立てる事が大事ということですね」

 言葉がないマリー・ルイーゼに代わってウォルフが返事をする。
子爵領に恋々とする位ならキュルケのことは諦めろと言うことだろう。貴族にとって領地の事はその程度の事とは言い切れない位には大事ではあるが、この一族にとって優先順位の最上位ではないと言うことだ。
キュルケからも聞いてはいたが、そんな全てに優先して恋に生きるというこの一族の思いきりの良さをウォルフは嫌いではなかった。まあ、真似しようとは思わないが。

「彼女に相応しい身分を手に入れて迎えに来ればいいわけだから、分かりやすいと言えば分かり易いですね」
「まあ、キュルケを愛するというのならその程度の"情熱"は当然見せて貰わんとな」
「うう・・・あ、兄には伝えておきます」
「ん?心配せんでもあいつもツェルプストーの血を引いておる。元々そのつもりに違いないわ」
「ホ、ホホホ・・・」

 キュルケは今日やっと十一才になったばかりである。今年十九才になる兄が本気でそんな幼女を愛しているとでも思っているのだろうか。
兄が聞いていたら泡を吹いて倒れるかも知れない。わははと豪快に笑う辺境伯に乾いた笑いを返しつつ、マリー・ルイーゼは兄がキュルケのことを諦めるであろう事を確信していた。




 その後も色々と話をしたが、会話が途切れたときにふと、辺境伯が尋ねた。

「ウォルフ、君はその若さで色々と才を発揮しているようだが今後アルビオンで出世したいとか考えているのか?」
「貴族としてですか?それはないです。でも・・・」

辺境伯の様子はさりげなく、しかしそう尋ねるその顔はどこか鋭さを持っていたが、それに対してウォルフは珍しく言い淀んだ。

「でも?」
「ああ、すみません。今、興味があるのは東方開拓団についてなのです。それだと出世するって事になるのかな?」
「東方開拓団?応募したいって事か?」
「取り敢えず調査してその結果次第ですけど」

 近い内に行ってみたいんです、とはっきりと答えるウォルフに辺境伯は意表を突かれ黙り込んだ。周囲の貴族達もざわざわと囁き合っている。
ガンダーラ商会で金を稼ぐことが目的なのか、その稼いだ金が可能とする更なる野望を持っているのか、見極めようと意気込んでいたが、辺境伯は目の前の少年がまだ八歳でしかないことを思い出した。
確かに人跡未踏の地を開拓すると言うことにロマンを感じて東方開拓団に応募するという者もいるとは聞く。しかし恋愛以外では徹底的なリアリストである辺境伯にとって成果の見込めない冒険など何の価値もない事であり、そんなものにかまけている者も利用しやすい相手でしかなかった。
 大人びた少年の意外な稚気に思わず笑みがこぼれる。これならコントロールすることは容易かも知れない。

「ふむ、開拓の達成率は当然知っていてそんなことを言っているのだな?」
「ええと、とても低いとは聞いています。正式な数字は知りませんが」
「それを知りながらなお応募するというのは何か成算があるのか?」
「今はまだ何もないです。ただ、そこがどんな場所なのか知らなければ判断が出来ないことだとは思っています。まあ、一番の理由は私が行ってみたいって事なのですが」
「それで調査か・・・それは当然ガンダーラ商会としてやると言うことだな?」
「いえ、これは私個人でやるつもりです」

タニアには先に断られました、と何気なく言ってくるウォルフの顔をまじまじと見つめた。八歳の子供があの森の開拓を自分個人の力でやると言う。正気なのかと疑ってしまうが至って真面目なようだった。

「個人で、か。亜人や幻獣の駆除経験はあるのか?」
「あまりないですね。トロル鬼を駆除したことがある位です」
「トロル鬼・・・その年で。ふうむ、面白い。かつてあの森に挑んでは跳ね返されてきた男達と君とでなにが違うのか見てみたくはあるな」

 ガンダーラ商会でやるというのならば株主の一人として反対せざるを得ないが、ウォルフが個人でやるというのならばツェルプストー辺境伯にとっては何も言うことはない。
ウォルフが成功するのならそれはそれでゲルマニアにとって良いことだし、失敗したってツェルプストーは何も痛まない。ガンダーラ商会の株保有率を上げる好機になるかも、という位だ。

「来週我が領で大規模な山賊討伐を行うのだが、君も参加しないか?」
「最近東の方で出没するという山賊ですか」
「そうだ。景気が良くなるのは良いが、ダニも増えてきたからな。東方開拓団の申請にはゲルマニア貴族の推薦が必要だろう。君の実力が問題ないと判断できたらワシが推薦してやっても良い」
「そう言うことであれば是非参加させて下さい。メイジとして山賊の討伐程度には問題ない力量があることを証明しましょう」
「ふふふ、戦闘が出来ずにあの森の開拓など出来るわけもない。それがどの程度なのか見せてくれ」

ツェルプストー辺境伯は満足げに笑みを浮かべ、ウォルフの肩を叩いた。



[18851] 2-14    蠢動
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/06/03 19:17
 キュルケの誕生パーティーの少し前、とある秋の一日、ライヌ川を一隻の船が下っていた。ブリミル教の教会旗を掲げたその船はゆっくりと川の流れに乗り下流にあるボルクリンゲンへと向かっていた。
その船の中にはこの度新たにボルクリンゲンに設けられることになった司教区を統べる司教とその司祭、助祭達が任地に着くのを待っていた。

「司教様、甲板に出てみませんか?対岸はもうツェルプストー領らしいのですが、なにやら面白い物が走ってますよ」
「面白い物とは何だ。ジャイアントワームがスキップでもしているって言うのか?」
「まあまあ、そう仰らずに。ずっと船室に籠もりきりだと気分が滅入ってしまいます。さあさあ、どうぞこちらへ。良い天気ですよ」
「ええい、引っ張るでない。面白い物など知らん。あ、こら、引っ張るなと言うに」
「ほらあれですよ、ご覧下さい。さすがは技術大国ゲルマニアです、珍しい機械ですな」

 ブルキエッラーロ司教は興味がないので断ったつもりだったのだが、司祭に強引に連れ出され、甲板から対岸を眺めた。
 司教は相当機嫌が悪い。それもそのはずつい先日までクルデンホルフ大公国の司教であったのであるがゲルマニアなんぞへと転属させられたのである。ブリミル教では同じ司教でもロマリアに近いほど地位が高く発言権を持つ。ゲルマニアはハルケギニアで最も野蛮であるなどと言われ、この移動は事実上の左遷である。
 大体こうしている間にもこの船がロマリアから離れているという事実が司教を滅入らせる。それなのに部下になったゲルマニア生まれの司祭達が故郷に戻れることで何となく浮きだっているのも気にくわないし、あれこれとこちらに気を遣ってくるのも気に入らない。
 つまり、機嫌が悪いのである。

「うん?何だ、あれは」
「うーん、何でしょうなあ。土石で走らせているとは思うのですが、高価な土石をあんな勢いで消費する理由が分かりませんな」

 そこには確かに奇妙な物が走っていた。一見すると荷馬車のようではあるが馬は無く、車体の側面に複数付いてある車輪には何やら金属製と思しきベルトが巻いてある。上部の荷台には何やら赤っぽい岩を大量に積んでいて、それが結構な速度で砂煙を上げながら走っていた。
訊かれた司祭は首をひねって近くにいる助祭達にも聞いてみるが誰もあんな物は知らないそうである。しかし、誰も見た事がない中で司教だけはどこかで見たことがあるような気がして記憶の中を探った。
 走っているのはガンダーラ商会のダンプカーで、この日初めてゲルマニアを走行しているという物である。見たことがあるはずはないのだが、司教は一つの記憶に思い当たった。
それは現在の教皇が選出される以前、まだブルキエッラーロ司教が教会権力の中枢に近い位置にいた頃ロマリアで見た・・・ガンダールヴの槍と呼ばれる物の一つだった。

「何であんな物がこんな所にあるんだ・・・」
「え?司教様あれをご存知だったのですか?」
「う・・・いや、昔見た物にちょっと似ているだけだ。それよりあそこはもうツェルプストー領なんだな?では司祭、君はボルクリンゲンに着き次第あの荷馬車のことについて調べてみてくれ。誰が、何時、どこで作ったのということをだ」
「は、はあ、分かりましたが・・・司教様随分と気に入ったみたいですねえ」
「まあ、ちょっと気になるという程度だ。私はちょっと手紙を書くので船室に戻る」
「あ、でももうじきボルクリンゲンに着きますよ!」

 司祭が注意するが司教は気にせずその太った体を船室に戻した。慌ててレターセットを用意し、誰に手紙を送るべきか一瞬躊躇した。
ここで普通ならば直接の上司である枢機卿に送るべきであるのだが、ブルキエッラーロ司教は前回の教皇選出の際その枢機卿を推薦していた為にその後辛酸をなめている。それに彼の枢機卿はもう年を取りすぎていて今後権力に返り咲くことがない事は明らかだ。
 彼は頭の中の候補からその老人の顔を押し出すと一人の野心家の枢機卿を思い出した。まだ四十をいくつか超えたばかりでいながらその能力と人柄で次期教皇にも近いのではと言われる人物・・・エウスタキオ枢機卿である。
もしあの荷馬車の秘密を解明し、ガンダールヴの槍の運用法を見つける事が出来ればエウスタキオ枢機卿が教皇に選ばれるのに十分な実績を付加するし、ブルキエッラーロ司教も新教皇の覚えめでたく中央に復帰すると言うことも夢ではなくなるかも知れない。エウスタキオ枢機卿は野心家ではあるが自身に対して功があった者に報いる事で有名である。
 考えを纏めるとすぐにペンを走らせた。現教皇は最近健康に不安があると言われている。何があるのかは分からないのだから工作するのならばなるべく早い方が良い。
 



 ボルクリンゲンに着き、新築された教会に入り自室に落ち着くと直ぐに手紙を出した。何時返事が来るかと心待ちにしていたのだが、何と三日後に使者が来た。恐るべき早さである。何故かトリステイン経由でトリステイン商人のフネに乗ってきたらしい。
この三日のうちに司祭に頼んだ調査もある程度進んでいて、例の荷馬車がガンダーラ商会というゲルマニア・ガリア・アルビオンで売り出し中の商会が開発したもので、最近アルビオンで製造されたということまで分かっていた。
ガンダーラ商会についてブルキエッラーロ司教は知らなかったが、ゲルマニアの人間には既に有名らしく、地元出身の助祭には知らないというと驚かれた。グライダーというものが飛んでいるのを見て新しい乗り物を開発する商会なんだなと認識した。
 そのような商会の人間にガンダールヴの槍を見せればもしかしたら何か分かるかも知れないと期待は高まっている。

「初めまして、ブルキエッラーロ司教様。エウスタキオ枢機卿の元で神に仕えていますヴァレンティーニと申します。一応助祭の地位を賜っています」
「これはこれは、わざわざこんな地の果てまでようこそ、歓迎します」
「この様な格好で失礼いたします。エウスタキオ枢機卿からとにかく急ぐように言われ、取る物も取り敢えず参上いたしました」

 ブルキエッラーロ司教の前に姿を現した使者は陰鬱な雰囲気の中年男だった。一応助祭とのことだが、教会で正規の教育を受けているとはとても感じさせない、どちらかと言えば傭兵であると言われた方がしっくりと来るような男だ。後ろに控えている供の者達も同じでどう見ても荒事を仕事としている人間にしか見えない。
ロマリアの人間の筈だが服装は上から下までトリステイン辺りの傭兵がよくしているような装備で、聖職者たる助祭が司教の前に出るときにするようなものではない。トリステイン商人のフネに乗ってきたこともあり、何かしらトリステインで任務に当たっていた人間を急遽こちらに寄越したのだろうと判断した。

「ああ、お気になさらず。これだけ速く対応していただけたのです、無理もありません。そうですか、エウスタキオ枢機卿にはそんなに関心を持っていただけましたか」
「ええ、停滞している始祖の研究に一石を投じられるかも、と期待を寄せておりまして、私に詳しく調査するように命ぜられました。司教様にも協力していただけますよう、要請いたしております」
「おお、確かに。もったいないお言葉、痛み入ります」

 エウスタキオ枢機卿のサインの入った手紙を受け取り、ブルキエッラーロ司教は笑みを堪えるのに多大な努力を要した。
手紙には司教の心遣いに感謝するとともに今後ともよろしくという内容のことが記されていた。具体的なことは何も書いていないが、これは始祖のことを扱う時には普通のことである。この手紙こそ司教が欲しかったものだった。

「何でも仰って下さい、何せ始祖の謎が一つ解明できるかも知れないのですから」
「ありがとうございます。私は早速調査に入りたいと思いますので、司教様にはこちらの特命調査依頼書にサインをお願いします」
「うん?これは私の調査権をあなたに委譲するというものですか?」
「ええ、私の身分はただのロマリアの助祭でしか有りませんですので、この地で大っぴらには調査が出来ません。この書類が有ればガンダーラ商会であろうとツェルプストー辺境伯であろうと私が直接調べることが出来ます」
「ふむ、調査権限は新型の馬車に関するもの限定ですか。問題は無さそうですな、良いでしょう」

 さらさらとサインをされた命令書をヴァレンティーニは恭しく戴いてから懐にしまった。
 教会の調査と言っても公式に強制力のあるものではない。しかしブリミル教徒には教会に奉仕する義務があるとされているので、ブリミル教徒を名乗っている者ならば教会の要請を無碍には出来ない。
始祖の謎が関わっているので教会側もあまり情報を開示できないが、この教区を管轄する司教直々の調査命令書であり、たとえ領主といえども蔑ろには出来ないはずである。

「では、確かに」
「調査するとの事ですが人員は足りていますか?何人か融通する必要はありますか?」
「いえいえ、ロマリアから部下を連れてきておりますのでお気遣い無く。それではこれで。私は早速調査へ向かうとします」
「もうですか。さすがに出来る人の元にいる方は仕事ぶりが違いますな」
「性格でしてね、目の前の仕事はさっさと片付けたい質なのですよ」

 長旅の疲れも見せず任務に就こうとするヴァレンティーニに驚くが、もちろん司教に異存があるはずはなかった。



 その後ヴァレンティーニはツェルプストー領内で色々と調査をしていたが、ブルキエッラーロ司教がその調査に一切関わることは無かった。司教がその調査結果を知ることになるのはおよそ十日後の夜、ヴァレンティーニが報告に来たときだった。
調査はガンダーラ商会の商館から工場、ダンプカーその物、ツェルプストーの城から領内の噂まで広範にわたり、現時点で調査できる事は全て調べ尽くしていた。

 教会の奥まった一室で司教と二人きりになったヴァレンティーニが重々しい口調で切り出した。

「これまで徹底的に調査してきて解りましたが、中々巧妙に情報を偽装しているようで、このままここで調査を続けていても真実には到達できないとの結論に達しました」
「なんと。私の所の司祭がここの商館で尋ねた所では、あれはガンダーラ商会のアルビオンにある工場で生産されたと聞きましたが、それも嘘の情報であるというのですか?」
「おそらくは。部下の土メイジの話では、あれに使われている鉄は見たこともないほど高品質で、とてもアルビオンで製造できるような物ではないとのことです。ゲルマニアで製造していると考えるのが自然ですし、更に言えば私は使い魔を使いツェルプストーの工房であれらしき物を製造している現場を確認しました。私が尋ねたときにはツェルプストーはまったく関わっていないと証言していたものですが」
「ああ・・・敬虔なブリミル教徒であるはずのツェルプストー辺境伯が、そんな偽証をするとは・・・嘆かわしいことです」
「ガンダールヴの槍、ということは兵器であるということです。辺境伯がその事に気付いているのならば仕方のない事かも知れません」
「なるほど、新型兵器ならばたとえ教会といえども領主としては全てを話すわけにはいきませんか」
「ええ、そしてツェルプストーが本気で情報を秘匿しようとしているのならば、通常の手段では打つ手は無いということです」

 何だか随分と真実からは離れてしまっているが、当然二人は気付かない。しかしそれも無理はなかった。真実が一番嘘っぽいのだから。
ヴァレンティーニがツェルプストーの説明を信じず、使い魔のコウモリを使って城内を探った時にデトレフがウォルフの真似をしてキャタピラを作ろうとしている現場を見た事もあり、すっかりツェルプストーで作っていると信じてしまっている。
ボルクリンゲンにいる貴族の子供(=ウォルフ)がダンプカーやグライダーを開発した、という噂も耳にしていたが、聞いた時に一笑に付しただけで真実であるとは思わなかったのだ。

「そして真実が分かったとしても司教様の仰るようにガンダールヴの槍が運用できるようになるのは難しいかも知れません」
「それは・・・なぜですか?あれほどそっくりな物を作れるのならば、当然その謎を解明し、構造にも詳しい人間がいるのでは?」
「私はあの荷馬車もガンダールヴの槍も直接調査しました。外側の構造には驚くほど類似点が多いのですが、内部構造はまったく別物でした。内部の動力などは仕組みを解明できなかったのでしょう」
「そう・・・ですか。・・・それは残念です」
「まあ、そう気を落とさずに。あの荷馬車を作った人間が、それが何者であるにしろガンダールヴの槍を見た事がある、ということは間違いないと思います。継続調査の必要はあるでしょう」
「確かに。辺境伯が見たのはロマリアにある本物か、もしかしたら別に同じ物を持っている、と言う可能性もありますな。もしそんなことがあるならばこれは大変なことです」

 落ち込む様子を隠せずにいた司教だったが、慰められて少し気を取り直した。
全く無駄骨だったというわけでは無いし、エウスタキオ枢機卿と繋がりを持てたのは喜ぶべき事だ。もし今後この地でガンダールヴの槍と同型の兵器を発見する事が出来たらまた中央復帰の可能性は高まるだろう。大事なのは今後この繋がりを切らないことだ。

「ええ、色々と可能性はありますが今回はここで調査を打ち切り、私は一度ロマリアに戻ろうかと思います。また何か新しい情報がありましたら知らせていただくよう、お願いします」
「残念ですが、仕様がありませんな。色々と気をつけてみることにします。エウスタキオ枢機卿にはよろしくお伝え下さい」
「あなた様の信仰心を枢機卿に伝えますことをお約束します・・・ブリミル様に感謝を」
「ブリミル様に感謝を・・・」

 丁寧に挨拶を済ませるとヴァレンティーニは従者二人を従えて教会を辞した。このまま馬で街道へ出てロマリアへと向かうと言う。
そろそろ夕刻にさしかかろうという時間なので、司教が心配し、出発を明日にしたらどうかと言ったのだが、早く報告をしたいからとヴァレンティーニは馬上の人となった。
 司教はそんなヴァレンティーニの事をとても仕事熱心な、信者の鏡であると評価した。



 ブルキエッラーロ司教は知らなかった。

 そのまま街道へ出てロマリアへと向かったはずのヴァレンティーニが何故か途中で道を変え、国境を越えたラ・ヴァリエール公爵領の街・ティオンの傭兵ギルドへと入っていった事を。
これまでの調査期間中、彼が何度もティオンへと足を運び、とある傭兵団を雇い入れていた事を。
その傭兵団が金さえ払えば非合法活動でも躊躇無く行う悪逆非道な集団である事を。
ヴァレンティーニとその傭兵団が夕闇に紛れるようにティオンの街から姿を消した事を。

 ブルキエッラーロ司教は、知らなかった。



[18851] 2-15    覚悟
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/06/06 23:33
 ハルケギニアの中央、大国ガリアとゲルマニアの間に挟まれた小国トリステイン、その東部にあるラ・ヴァリエール領にて領主であるヴァリエール公爵が部下達から調査の報告を受けていた。
この調査は数日前に公爵自らが指示した物で、ここ数日領内に流れる不穏な噂について、噂の出所と真偽を確認させる為の物だった。

「ふむ、では噂の出所はティオンの商人達という事なのだな?」
「はっ、おそらくは。しかし、噂は既に東部国境地帯に広く流れていまして、中には家財道具を持って西部に避難する者も出始めています」
「馬鹿馬鹿しい。今この時期にツェルプストーが攻めてくるなどと・・・」

 公爵が苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てる。
その不穏な噂とは、ここの所好景気に沸く隣国のツェルプストー辺境伯が不足する資源を得る為にラ・ヴァリエールに侵攻する準備を進めている、と言うものだった。
 有り得ない、と公爵は思う。ここ数世紀ツェルプストーとの国境はずっと変わらず、国境について争った事はない。大抵は領主間の感情の縺れによる小競り合いである。
トリステインは始祖の血を継ぐ歴史と伝統のある国家である。一時的な感情の暴発以外で戦争を仕掛け、その土地を己のものとしようというならばそれ相応の大義名分が必要だ。さもなくば、他の始祖の血を継ぐ三国、ガリア・アルビオン・ロマリアをも敵に回す事になる。
 卑しい商人のような真似をする国だとは思っているが、その程度の計算は出来るはずである。現在のツェルプストーとの関係ももちろん良好ではないが、お互いに戦争を仕掛ける程関わり合っていない。有り体に言えば無関心、と言っていい状態なのだ。

「一応、念のため調査を続けろ。使い魔を使って見張らせ、向こうの城に何か動きがあったら知らせるように。あと各地の騎士団も何時でも参集出来るようにしておけ」
「は、了解しました。鳥の使い魔を持つ者に交替で見張らせましょう」
「ああ、あと念のため各地の傭兵ギルドにどの程度兵を用意できるか聞いておけ」
「あ、その事でまだ報告していないことが・・・ティオンの傭兵ギルドで耳にしたのですが、数日前に大口の契約があったそうです」
「何?・・・契約したのは誰だ?」
「分かりません。ギルドは雇用主の情報は漏らしませんので。ただ・・・酒場で聞き込みをした所によると、複数の傭兵が近々ゲルマニアで大きい仕事があると話していたそうです」
 
 この世界の傭兵とは金で雇われる戦闘を生業とする者で、ギルドを組んではいるがいずれの国家にも属していない存在である。
日頃は商人の護衛をしたり、各地の領主が行う討伐などに雇われたりしているが、いざ戦争となるとより多くの金を出す領主とそれぞれ契約して戦争に参加する。
ラ・ヴァリエールを拠点にしている傭兵が全て戦争時にヴァリエール軍に属するわけでは無い。
 何者かがこのラ・ヴァリエールでまで傭兵を集めているという事実は公爵の緊張感を一気に高めた。
部下達を一睨みすると、腹に力を入れて声を張る。

「他に何か情報はあるか?」
「いえ、今のところは、以上です」
「指示は概ね先程出した通りだ。ただ、西側にいる騎士団はこちらに詰めさせろ。見張りは二十四時間態勢、気を抜くなよ。ゲルマニアの田舎者どもめ、もし攻めてくるつもりならば国境を越えた瞬間に皆殺しにしてくれようぞ!行け!」
「「はっ!!」」

 公爵の激しい檄にその場にいた者達が応え一斉に持ち場へと散っていった。これよりラ・ヴァリエール領は防衛体制に入る事になる。
まだツェルプストーが攻めてくるという事には懐疑的な思いもあるが、もし戦う事になれば公爵には負けるつもりなど微塵もなかった。

「・・・さて、カリンはどこにいるかな・・・」

ラ・ヴァリエール公爵は愛する妻を捜し、城の奥へと姿を消した。



「じゃあ、行ってくるから今日はよろしく」
「はい、お任せ下さい。ウォルフ様もくれぐれもお気をつけて」

 ツェルプストー辺境伯軍の山賊討伐当日のまだ早朝、ボルクリンゲンの工場でウォルフは作業の指示を細かく出した後、自分のグライダーに乗り込んだ。
 ウォルフにとっても本気の戦闘は久しぶりであり多少緊張していたが、それ程激しい戦闘になることはないと聞いていたので幾分気は楽だ。
と言うのも今回はキュルケの初陣であり、確実な勝利が求められている為にそれなりの相手を選んでいるとのことだ。ウォルフは魔法の実力を示す事が参加目的なので遠目から火の魔法で砲撃すればいいのかなと気楽に考えていた。
 しかしそんな気楽な気分は集合場所であるツェルプストーの居城まで来て、中庭に勢揃いした兵士達を見た瞬間に霧散した。
皆一様に気合いの入った表情で武器の手入れや装備の確認をしていて、この討伐隊が紛れもなく命のやりとりをするんだと言うことをウォルフに思い出させた。

「ああ、ウォルフお早う。今から今日の作戦のブリーフィングを始めるらしいからあなたも参加して」
「お、キュルケおはよ。ミス・ペルファルもお早うございます。今いくよ」
「お早う。今日はよろしくね」

 暫く中庭をうろうろしているとキュルケとマリー・ルイーゼに出会い、そのままこの討伐隊の本部に連れて行かれた。
 本部と言っても建物に入ってすぐのロビーに大きな机を出して地図を広げただけの物だが、既に大勢の人が集まり地図を前にあれこれと確認していた。
そこにウォルフ達も到着し、暫く経つと全員が揃ったらしく説明が始まった。
 今回の賊はツェルプストー辺境伯領東部二つの街道の間の山中の洞窟を根城とし、その入口に簡易な砦を築いているとのことだ。洞窟が崖に囲まれている上に巨木が立ち並んでいる為に発見しにくく、砦への攻撃経路は崖の正面からの一方向のみとなる。洞窟の上部の崖がオーバーハングしているので上方からの攻撃も無理なのだ。
賊の人数はおよそ五十、その内メイジは約五人と典型的な中小規模の山賊で、今はそれ程の脅威はないが今後放置すると規模を拡大しそうではある。

 洞窟から二つの街道へ出るルートがそれぞれあるので攻撃部隊を二つに分け、それぞれから進軍させる事になった。
一つ目の部隊は当然ツェルプストー辺境伯が指揮を執るが、もう一つの部隊長はキュルケである。もちろんキュルケには経験豊かなメイジが複数指導に付くのであくまで名目上ではあるが。
 ウォルフはツェルプストー辺境伯の部隊に配属さた。辺境伯直々に闘いぶりを見てくれるらしい。ちなみにマリー・ルイーゼも一緒の部隊だ。 
この二つの部隊とは別にもう一つメイジだけで編成された三十人ほどの部隊を崖の上部に配置している。賊が砦から出て来るようなら上部から攻撃、砦に籠もるようなら上部から穴を掘り直接洞窟内へ侵入する予定であり、この部隊はもう夜の内に配備済みとの事だ。
 三つの部隊を合わせると総数三百名を超え、メイジだけでも八十人以上いる。装備も最新であるし確かに戦闘と言うよりは討伐と言うのがしっくり来る戦力差だ。



「じゃあウォルフ、砦の前で会いましょう。あんまり来るのが遅いようなら私の部隊だけで攻撃しちゃうから」
「スタンドプレーには走るなよ?少ない人数で攻めて討ち漏らしても詰まらないんだからな」
「ふふふ、ウォルフったら自信がないのかしら?私は討ち漏らしたりしないわよ。うふふ、フルパワーで撃っていいのよね・・・最近の私の魔法、凄いのよ?」
「だから落ち着けって。道中にも罠とかあるかも知れないし、亜人や幻獣だって襲ってくる可能性はあるんだから」

 部隊長に任命されてキュルケの気合いが入りまくっている。ちょっと入れ込みすぎの感じがする牝馬を何とか宥めようとするが、効果はあまりないようだった。先発隊の情報では山賊達に気付いた様子は全く無いらしいが、戦闘なのだ、いくら警戒しても足りないという事はないだろう。
今回の作戦で一番の懸念はキュルケとキュルケの部隊に配属された子供メイジ達だ。昨日のパーティーに出ていた子供達の内、十二、三歳の子供達三人が参加している。それぞれに護衛が付いているとはいえ不安である事は間違いない。
 ウォルフにとってあんなに小さな子供達が戦闘の場に立つと言う事自体不安が一杯だ。優秀と言われているキュルケの魔法でさえ、空賊討伐時のクリフォードに劣っている。エルビラなら参加を許さないだろうし、他の子供達は言うまでもない。出来れば子供達のそばにいて守ってあげたいところだ。

「何か心配になってきたよ。オレ、今からキュルケの部隊に変えて貰えないかな」
「あら寂しいの?でも無理じゃないかしら。お父様道中の退屈しのぎにウォルフがいると丁度良いって言ってたし」
「うわ、それはそれで大変そうな・・・」
「せいぜいしっかり相手してらっしゃい。あなた一人がこっち来たからって何が変わるって訳じゃないんだから」
「へーい・・・本当に気をつけろよ?」

 配置転換の願いはかないそうもないので諦めて、キュルケにくれぐれも気をつけるように言い含めてそれぞれ出発した。
 
 討伐隊は列を成して街道を進み、やがて山中へと分け入った。街道からの入口は偽装されていたが、山中をずっと細い山道が続いていたので一列になりながら砦を目指した。
ウォルフはセグロッドなのであまり地形の制約を受けず、ずっとツェルプストー辺境伯の乗騎の隣を高さ一メイル位を維持しながら行進して話し相手になっていた。

「山賊って言うのは日頃からそんな洞窟に住んでいるものなのですか?」
「いや、日頃は奴らも街に住んでいる事の方が多いらしい。洞窟は略奪品や攫ってきた人質なんかを一時留め置く為に使っているみたいだな。日頃は精々見張りが数人いるだけだそうだ」
「それでは今回襲撃してもあまり効果はないのでは・・・」
「いやいや、ここ一月以上前からボルクリンゲンや周辺の街で大々的に取り締まりをしていてな、盗賊のアジトになりそうな所は徹底的に潰していったんだ。それでやつらは嫌気して、ほとぼりが冷めるのを待って山に籠もっている。そこを叩くのだ」
「なるほど、安心しました。下準備はしっかりとしているわけですね」
「あたりまえだ。三百人からの人間を動かして、いませんでした逃げられました、では話にならん。領民に対するアピールもある。ワシが動くからには目に見える形での成果が必要なのだ」

 いつも一人でよく話すのでウォルフの中では辺境伯は話し好きのおっちゃんと言うイメージだが、中々辺境伯の話は蘊蓄も含まれていておもしろい。
出発前は相手をするのは大変かもと思っていたが、今は全く気にならなかった。

「いいか、お主も領主になりたいというのならば心しておけよ。領主というものは特別な存在なのだ」
「はい」
「力を示し、敬意を集め、家中を統率する。親しまれるのは良いが馴れ合うわけにはいかん。判断一つ間違うだけで多くの領民が路頭に迷い、部下が死ぬ。最終的にその判断を下すのはただ一人、領主だけなのだ」
「・・・肝に銘じます」

 ウォルフも領主の責任について考えないわけではないが、実際にツェルプストーという広大な領地を治めている者の言葉には重みがあった。

「敵を破り領地を富ませる。弱みを見せず強さを示す。そんな領主こそ常に孤独だ。そしてその孤独から逃げず、受け止めている」
「・・・」
「敵に接して怯まず、兵の中央にあってこれを鼓舞する。領民に愛され兵を熱狂させるが、時にその領民の犠牲に目を瞑り兵を死地へと赴かせる。それを決めるのは一人だ」
「・・・」
「孤独に慣れる事は無い。何年領主をやっていようともだ」

 辺境伯は前方を歩く兵達に目をやり、次いで遠くの空を見つめ呟くように語る。ウォルフとマリー・ルイーゼはただ黙って頷いた。

「どんなに屈強な男であろうとも、それが永く続けば打ち拉がれてしまう。しかし、そんな孤独を癒せる唯一の存在がある。それが、愛なのだよ」
「・・・結局そこですか。そうですか愛ですか。情熱ですか」
「そうだ、情熱だ。その女の前では領主ではない、ただ一人の男でいられる。ただの男として泣き、笑い、愛を語れる。そんな存在が必要なのだ」

 何だか色々と台無しである。どんな話でも女性の話につなげる傾向のある人であるとは思っていたが今回はウォルフも虚をつかれた。

「ふう・・・辺境伯は随分とあちこちでただの男になっているようですね」
「ん?わはは、ワシはどうも情熱が溢れているらしくてな。しかし、ワシが女を口説く時は常に本気だぞ?」
「本気だろうと、そんなに沢山いたら一人一人に掛ける情熱は減っちゃうでしょうに」
「それはお前が情熱のなんたるかを知らんお子ちゃまだからそんな事を言うのだ。情熱とは割り算できる物ではない。掛け算なのだ!十ある情熱を五と五に分けるのではなく、こっちに十、一人増えたのならそっちにも十だ。いくら人数が増えてもそれは変わらん」

 すぐ後ろでマリー・ルイーゼが呆れた顔をしている。女性としてはそんな理屈で方々で浮気されたらたまった物ではないのだろう。辺境伯は自信満々の顔だがせっかくのいい話が残念なことだ。
まあ、この一族が過剰に愛を求めるのはトリステインとの国境地帯という立地で闘いに明け暮れてきた歴史がそうさせているのかも知れない、と納得する事にした。

 その後マリー・ルイーゼも交えてツェルプストー辺境伯の恋愛講座が始まってしまったのだが、その内容はとても八歳の少年と十三歳の少女にするような物ではなかった。
マリー・ルイーゼは暫く我慢して聞いていたが、怒って部隊の先頭の方へ移動してしまったし、ウォルフも八歳の身で女性をベッドに誘う実践的なテクニックとやらを講義されても対応に困る。
色々と突っ込みたいが、取り敢えず「隣に座った女性の膝が自分の方に倒れていたら最後まで行ってもOKというサイン」というのは絶対に勘違いだと思う。

 ツェルプストー本隊はとても戦闘行動中とは思えない緩い空気に包まれながら行軍していた。




 亜人や幻獣などにも遭遇せず至って平和な雰囲気の中、あと四リーグほどで砦に着くという時、突然遠くで雷がおちたような爆音が鳴り響いた。

「!!っ全軍停止!!偵察!」
「・・・キュルケの部隊がいる方角ですね」

 連続して鳴り響いたあきらかに爆発物のようなその音に、辺境伯は行軍を止めて偵察の報告を待った。
 ジリジリと苛立つ時間が過ぎ、鳥を使い魔にするメイジによってもたされた偵察の結果はかなり悪い物だった。

「報告します!東方五リーグほどの山中にてキュルケ隊が襲撃を受けています!爆発物にて本隊を寸断され、混乱に陥っています!」
「敵の数は、被害はどうなっている!」
「およそ三十から五十、連絡は取れず、被害は不明ですが複数の倒れている人間が確認できます」
「くっ、気付かれたというのか!伝令、砦の様子はどうなっている!」
「はっ、砦の山賊達も驚いているようで、慌てて洞窟から出てきてキュルケ隊の方角を窺ってるとの事です!」

 どうやらこの襲撃は山賊達にとってもイレギュラーだったらしい。崖の上部に潜んでいる部隊からの報告によるとかなり焦っている様子で右往左往しているとの事だ。
第三の勢力が戦闘に介入してきた事により事態は複雑な様相を呈してきた。敵の数も目的も分からないのだ。普通の山賊ならば領主の軍に奇襲を掛ける危険を冒す事はない。
 迂闊な行動は取れない為、辺境伯は慎重に指示を出した。

「城に連絡して竜騎士隊をキュルケの救援に向かわせろ。我々は予定通り行動して砦の山賊を討伐する」
「伯父様そんな!竜騎士隊が城から到着するのは十分以上掛かります。その間にキュルケがもたなかったら・・・」
「ここから『フライ』でメイジを救援に向かわせても五分以上かかる。しかも精神力の多くを使ってしまい、万全な闘いは出来ないだろう」
「そんな・・・だからってキュルケを見捨てるなんて・・・」
「先手を取られたとはいえ相手は少数だ。混乱から立ち直って部隊を纏めればキュルケ隊だけでも十分に戦えるはずだ。向こうは囮でこちらに本命の奇襲があるかも知れないのだ、部隊を割る事など出来ん」
「・・・」

 マリー・ルイーゼの意見は多くの家臣達も思っている事だ。誰もがキュルケを、あの小さな領主の娘を助けに行きたいと思っている。だから辺境伯も明確に理由を示して答えた。
皆が納得はしていなくとも理解はしたようなので辺境伯が進軍を伝えようとした時、更に最悪な報告が届いた。城と連絡を取り竜騎士隊の救援を要請したメイジからだった。

「報告します!」
「今度は何だ」
「ヴァリエール軍が軍事行動を開始!竜騎士が多数国境付近で威嚇行動を取っているという事です。我が方の竜騎士は既に殆どが国境の防備に向かっていて城には二騎しか残っていません!指示を待つとの事ですが、いかがなさいましょうか!」
「っ・・・ヴァリエール!!」

 ギリッと音が出るほど歯を噛みしめ、西の空を睨む。このタイミングは偶然とは思えなかった。

「・・・竜騎士はそのまま領地の防衛に当たれ。国境の部隊は守りに徹し、先に攻撃しないよう徹底しろ。我が隊は予定通り砦の攻撃に向かう」
「・・・今すぐ城へ帰還した方が良いのでは?」
「奇襲を受けるとすれば、ここで引き返した所を狙われる可能性が一番高い。このまま砦の山賊を殲滅し、キュルケと合流し、まだ賊がいるようならばそれも殲滅して城に帰る。全てを薙ぎ払え!進軍!」
「「はっ!!」」

 ヴァリエール軍の行動によりキュルケに救援を送ることは不可能となった。誰が絵を描いたのかは知らないが、必ずこの報いは受けさせる。厳然たる決意を胸に、まずは目先の敵である山賊をどのように皆殺しにしてやろうかと考えた。



「フォン・ツェルプストー!!」

 部隊の先頭が動き出し、辺境伯も馬を動かそうとしたその時、ウォルフが辺境伯に声を掛けた。ツェルプストー辺境伯は返事をせずにじろりとウォルフの方を向いた。

「本日はお誘い下さいましてありがとうございました。ただいまより私、ウォルフ・ライエ・ド・モルガン、指揮下から抜ける事をお許し下さい。森を抜けてキュルケ隊の救援に向かいたいと思います」

 キュルケ隊までは直線でおよそ五リーグ。『フライ』で行くには魔力を消費しすぎるし、馬で行くには森が深すぎる。しかしウォルフのセグロッドならば問題なく抜けられる。風魔法を併用すればそれ程魔力を消費しなくても五分以内にたどり着くはずである。
辺境伯はじろりと冷たい目でウォルフを眺めたが、一言「好きにしろ」とだけ返して馬を進ませた。

 ウォルフは辺境伯に軽く頭を下げると、その場からセグロッドで森へと分け入った。風の魔法を併用して加速し、あっという間に部隊から離れる。 

 無事でいて欲しい。

 キュルケや子供達、部隊の人々の顔を思い浮かべながら、ウォルフは滑るように森の中を進んだ。



[18851] 2-16    火
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/06/18 20:42
 ウォルフが抜けた後、ツェルプストーの本隊は警戒を強めながらも少しペースを上げて進軍する。
その隊の中央付近でツェルプストー辺境伯にマリー・ルイーゼがウォルフを一人で行かせた事を詰っていた。

「伯父様、何でウォルフを一人で行かせたの?危ないし、ウォルフ一人が行ってもしょうがないでしょう」
「あれはツェルプストーの人間ではないからな。部隊を抜けたいというのなら抜けさせてやるわ」
「でも!・・・あんな小さな子供を一人でそんな危ない目に遭わせるなんて」
「ふん・・・危ない目になど遭わんかもしれんぞ?」
「え?どうして?」

 辺境伯は冷笑を浮かべながら吐き捨てるように言うが、マリー・ルイーゼは理由が分からず困惑する。ウォルフはキュルケの所に行ったのだから戦闘に巻き込まれるはずである。危なくないはずはない。

「あれはどうも年の割に"賢い"からな。"賢い"人間というものはどうしても損得というものが見えてしまう。この部隊がこの先勝ち目の薄い戦闘をする事になるのなら、今の内に抜けた方が得という物だろう」
「!!ウォルフが逃げたというのですか!」
「可能性の話だ。まあ、まだ子供だ。怖くなったという事もあるかも知れん」
「そんな・・・私は、ウォルフを信じます・・・」
「お前はウォルフの何を知っている?ろくに知りもせん人間の事を信じているなどと、そんなことは自分の希望を口にしてるに過ぎん。繰り返して言うが、あの子は"賢い"。五十人からの敵がいる所に一人で乗り込んでいって、どうにか出来るなどと考えるほど子供だとは思えん」
「・・・それでも、です。だってあの子はキュルケの所へ行くって言いました!」

 怖い。辺境伯に向かって叫んだ後馬を進め、辺境伯から離れるとマリー・ルイーゼは両腕で我が身を抱いて呟いた。
 彼女の心を今占めている感情は、まさしく恐怖である。今キュルケが直面しているだろう戦闘が怖いし、ウォルフが裏切ってたらと思うと怖い。
さっきまで二人で仲良さそうに話していたくせに、ウォルフの事など全く信じてないと言い切る辺境伯も怖かった。
 今日もし無事に帰れたら、昨日までの自分とは全く違う人間になってしまっているかも知れない。そんな事を考えるとマリー・ルイーゼは言いようのない恐怖に体を震わせるのであった。


 


 当然ながらツェルプストー辺境伯の懸念など杞憂に過ぎない。ウォルフはキュルケ救援の為一直線に現場に向かっていた。

 あと五百メイル足らずで煙が上がっている場所に着くという時、ウォルフの火メイジとしての感覚が前方の森に違和感を感じた。

「《フライ》!」

 咄嗟に魔法を使い、セグロッドを掴んだまま上空へと飛び上がった。その瞬間、間一髪でウォルフの進路上だった空間を複数の『エア・カッター』が切り裂いた。

「ほう、今の攻撃を躱しますか。随分と良い勘をしていますね」
「ヴァレンティーニ様、こいつ、ガンダーラ商会の所のガキですよ。つかまえますか?」
「そうですね、この子も交渉材料になるかも知れません。お願いします」

 嫌らしい相談をしている男達をウォルフは上空で静止して見つめた。人数は三人、内二人が風メイジの様で三人とも手練れだ。ウォルフの行く手を阻むように上空に上がってきた三人は、まず間違いなくキュルケ隊を襲っている連中の一味と考えて良いだろう。
そしてウォルフにはヴァレンティーニという名前に聞き覚えがあった。

「ロマリアの人間がこんなところで何をしている」
「いやあ、キノコ狩りをしていたんだ。まだちょっと季節が早いみたいだね」

 くつくつと笑いながらあっちのキノコは随分とじゃじゃ馬みたいだが、などととぼけた答を返す。ふざけて見せながらもその構えに隙はなく、三人とも慣れた様子で杖剣を構えている。十メイル位の距離で正面に一人、そこから五メイル位間隔を開けて左右に一人ずつ、その姿には一分の隙も無い。

「・・・」
「ちょっと君らの身柄を確保する必要があってね、良い子だから大人しく捕まってくれ。今なら手足の腱を切るだけでそんなに酷い事をしないつもりだよ」
「そうそう、下手に抵抗すると死んだ方がマシだと思うような目に遭っちゃうかも知れないぞーw」
「おいおい、あんまり脅すなよ、可哀想に怯えているじゃないか」

 ウォルフが黙っているのを怯えていると受け取ったのか、にやにやと嫌らしい笑みを浮かべながら降伏勧告をしてくる。
どうにも話す内容や表情が真っ当な人間には思えない。ウォルフが黙っていたのは周囲の森にまだ伏兵がいないかを探っていただけだ。丹念に調べたが風の動きも人が発する熱も感じない。どうやらこの三人以外にはここらにはいないようなので、ウォルフの事を舐めきって油断している彼らを排除する事にした。

「《フレイム・バルカン》」
「なっ!!」

 ウォルフが放った魔法は連発式の『フレイム・ボール』である『フレイム・バルカン』だ。単発の火の玉ではなく連なる火の玉をイメージする事によって連射を可能にし、燃焼剤であるプロパンを高圧で圧縮して空気抵抗を減らして、さらに後方に向かって燃焼ガスを噴出する事によって飛行中も加速するようにした。その結果、速度は時速三百リーグ以上、連射速度は秒間五発以上を可能としている。こんな距離で躱しきれる人間はそういるものではない。
最初に撃ち込んだメイジはそのまま『フライ』で躱そうとしたが躱しきれず、一発目が当たり炎に包まれた瞬間消えていなくなった。風の『遍在』だったらしい。残る二人は『フライ』を解除して地面に落下しながらも防御魔法で防いだが、いずれも五発以上持ちこたえる事は出来なかった。中央にいたヴァレンティーニも『遍在』であったらしく一人目と同様にかき消えたが、右端のメイジは上半身に火の玉を受け落下した。

 急がなくてはならない。
この位置に伏兵を配しているという事は、敵がこちらの作戦行動を把握して動いているという事だろう。落下していく襲撃者には目もくれずウォルフはまたキュルケの元へと急いだ。



 そこは岩だらけのガレ場の斜面を道が横切るように通っている場所だった。
その細い道を一列になって行軍している所を爆弾らしき物を使って奇襲されたらしく、酷く岩が崩れて道が無くなっていた。岩に押しつぶされた人もいるようだし、周囲には人が転々と倒れていて呻いている。ようやくたどり着いた現場は酷い有様で、ウォルフはグッと唇を噛みしめた。

「救援だ、キュルケはどこだ」

 比較的軽傷そうな者を抱き起こして尋ねる。比較的軽傷と言っても足に酷い火傷を負っていて、苦しそうに呻き声を上げた後山道の奥を指し示してウォルフに答えた。

「ガンダーラ商会の子供か・・・あっちだ。キュルケ様を含む本隊は戦闘しながら街道方面に撤退していった」
「襲撃者の数は?どんな奴らだ?」
「傭兵みたいだが、数は分からない・・・三十人以上はいたと思う。辺境伯はこっちに向かっているのか?」
「ああ、オレはキュルケの方に行く。救援を待っててくれ」
「ちょっと待て、お前みたいな子供が行ってどうなる。ここで一緒に救援を待て」

 残れと言ってくれる男に心配ないと告げて先を急ぐ。何よりもまず襲撃者を撃退しないと被害者が増えるだけなのでこの辺の負傷者の救命活動は後回しにせざるを得ない。
 
 風の魔法を最大限に併用して急ぐウォルフの目が遂に戦闘中の部隊を捉えた。襲撃者達がツェルプストー軍を圧倒しており、随分と一方的な戦いになっていた。
撤退していくツェルプストー軍の中にメイジに抱きかかえられたキュルケの姿を見つけた。キュルケは右半身が酷く焼けただれ、気を失っているようだ。キュルケ隊は半ば包囲され、戦闘と言うよりは何とかキュルケを逃がす為の時間稼ぎをしている最中だった。
 どうやら少し遅かったようだ。ギリッと奥歯を噛みしめ、ウォルフは魔法を唱える。

「うわははは、早く逃げないと全滅だぞ?そおら!燃えろぉ!」
「《フレイム・バルカン》!」
「な!うおおっ」

 キュルケ隊に更なる攻撃を仕掛けようとしていた指揮官らしき男をウォルフは全力で攻撃した。
『フライ』で敵主力を飛び越えながらその指揮官に十発以上を撃ち込み、こちらに対応しようとした周囲を取り囲む敵にも上空から掃射した。
今日の為に魔力はずっと溜め込んでいたし、道中も魔力の消費をセーブしてきたので魔力切れの心配は少ない。思いっきり撃ち込んだ。

「キュルケの様子はどうだ!生きてるか?」
「あ、ウォルフ殿、は、はい。何とか・・・しかし、すぐに治療しないと危ないです」

 キュルケの部隊の前に降り立ち、更に魔法を敵に向かって掃射しながら後方でキュルケを抱えたメイジに尋ねた。他のキュルケ隊の兵達はウォルフの魔法の威力に唖然として声もない。今や敵のいた森は大きく燃え上がっていた。
敵からの反撃がないのでウォルフも一度後方へ下がってキュルケの様子を診たが、右上半身の火傷が酷い。その容態は一刻を争うものだった。
 ちらりと燃えさかる炎の方を見る。炎の向こうからあの高らかな笑い声が聞こえてきて、敵が無事である事が分かる。あれを倒すのには少し時間が掛かってしまうかも知れない。

「水メイジは何人いる?」
「二人です。あとは部隊の前方にいたので連絡が取れません」
「その二人、付いてきてくれ。安全な場所まで撤退してキュルケの治療をしよう。他の人は時間稼ぎをしながら徐々に撤退してきてくれ」
「分かりました。キュルケ様をよろしくお願いします。あと子供達も一緒に連れていって下さい」
「分かった。キュルケが大丈夫そうになったらすぐに戻ってくるから、それまであれを止めといてくれ」

 そのあれ、は「良い炎だあ!」等と言いながら炎の向こうでまだ笑っている。どうやら変態らしい。
変態である事は間違いないのだが、強力なメイジである事も皆先程までの戦闘でよく分かっている。残る者達は断固たる決意をその顔に漲らせてウォルフに頷いた。

「いえ、そのままキュルケ様と一緒に撤退して下さい。やつは我々が刺し違えてでも倒します」
「オレの事は心配ない。すぐ戻ってくるからそれまで無理はしないでいてくれ」
「体勢を立て直す時間をもらえました。無理なんか無いですよ」

 急襲からの連続攻撃で混乱し、防戦一方だった為に良いようにやられていたが、ここにいるメイジ達はほとんどがトライアングル以上である。体勢を立て直した今ならばそうそうやられるつもりはない。
ウォルフは戦闘を彼らに任せてキュルケを治療する事にし、『レビテーション』で浮き上がらせたキュルケを連れて街道の方角へと急いだ。




 子供メイジ達とその護衛、それに治療役の水メイジ二人と共に道をそれて小川のほとりまで逃げ、『練金』でステンレスのバスタブを作りその中にキュルケを下ろす。
護衛には周囲に散って辺りを警戒してもらい、ウォルフと水メイジ二人でキュルケの治療を始める。子供達はそれぞれの護衛について行った。
 火傷の治療は魔法で行う場合も通常と同じようにまずは熱を取る事が大事だ。一人の水メイジが川の水を操ってバスタブに常に新鮮で清潔な水が流れるようにし、火傷の熱を取る。同時にもう一人が慎重に鋏を使って焼け落ち体にまとわり付いている服を全て脱がし、ようやく火傷の全貌が明らかになった。

「これは、酷い・・・急がないと」
「う・・・キュルケ様」

 キュルケの火傷は右半身の肘の辺りを中心に頭から膝あたりまで広がっていて、特に腕の損傷が激しかった。年若い方の水メイジは絶句して涙ぐんでしまったが、年配の方は冷静に携帯している水の秘薬を取り出すとルーンを唱え火傷の治療を始めた。
年若いメイジも慌てて自身の携行している水の秘薬を取り出すと年配のメイジに手渡し、自分は再び水を操り火傷の熱を取るように水を動かす。その間ウォルフはもう一つバスタブを作り、その中に水を満たす作業をしていた。

「《コンセンデイション・ラグドリアンウォーター》」
「・・・ええ?」

 ウォルフが静かにルーンを唱えるとバスタブの水が神秘的な光を放った。ウォルフの魔法により一瞬でただの川の水だったはずのものが、あのラグドリアン湖の湖底の水となった。
以前より改良された魔法によって大量に作り出されたこの水には水の秘薬程の力はないが、その水の中にある対象に術者の意志をよく通すようになる。熱を取る、治癒するなどの魔法の通りが通常の水とは比ぶべくもないレベルに高められるのだ。

「こちらにキュルケを移しましょう。《レビテーション》」
「え、はい、あれ?何だ、これは・・・」
「・・・」

 年配のメイジはウォルフが何をしていたのか見ていなかったので一体何故ラグドリアン湖の水がこんなにここにあるのか理解できていないし、年若い方も目の前で見ていたにも関わらず信じ切れずにいた。
水メイジであるので感覚的にそれが本物である事はすぐに分かるのだが、理性が中々受け入れない。ウォルフはそんな二人を無視してキュルケをラグドリアン水のバスタブに横たえる。

「ほほほ、ホントにこの水ラグドリアン水ですよ!一体君、何したんですかあ!」
「落ち着いて。キュルケの治療を急がなくちゃならないのに変わりはないんだから。あとこれ、オレが携行している水の秘薬です。これだけあれば足りますね?」

 狼狽える年若いメイジを落ち着かせて治療を続ける水メイジにミスリル製のフラスコに入った秘薬を渡す。その量はこのメイジ達が持っていた十倍はある程でキュルケのこの酷い火傷でも治せそうな量だった。

「確かにこれだけあれば綺麗に直せそうだが、いいのか?こんなに」
「はい。辺境伯のつけにしときますので、じゃんじゃん使っていいですよ。少しの傷も残らないように綺麗に直してあげて下さい」
「・・・まかせてくれ。ブリミル様に誓って一筋の傷も残さない事を約束する」
「お願いします。オレは戻ってあの変態を退治してきますから」

 すでに『治癒』の魔法に集中しているメイジに背を向けウォルフは急ぎ戦場へと戻っていった。



 ウォルフが戻ってみると少し開けた場所でまだ戦闘が続いていた。
敵はもう一人しかいないようなのだが、その一人にこちらの部隊は押されていた。開けた草原でこちらは岩陰に隠れて四方八方から攻撃を仕掛けているのだが、敵は落ち着いてその全ての攻撃を捌き、こちらを一人ずつ倒そうとしてくる。
 最後尾で風の魔法を駆使して各部隊と連絡を取りつつ指揮を執るメイジに近づき声を掛ける。

「どんな感じ?苦戦しているようだけど」
「や、ウォルフ殿。なかなか厄介な相手でしてな、ちょっと手こずっています」

そう答えるメイジにはウォルフは見覚えがあった。キュルケやデトレフと一緒にグライダーでチェスターの工場まで来た一人だ。中々ハンサムな青年であったが、今やその顔は煤で汚れあちこちに火傷を負っていた。

「あいつはオレに任せて貴方達は怪我人を連れて撤退してくれ。この先の岩場から川に下がった所にキュルケを置いてある」
「な!あなたのような子供を一人で残すなんて・・・」
「味方がいるとオレも思いっきり魔法を放つ事が出来ない。あいつを倒す為に今は黙って撤退して欲しい」

 一人であの強敵を倒すというウォルフを唖然として見返すが、まだ幼いその顔には些かの気負いも見受けられない。
こんな子供が一人で闘うというのは非常識だが、先程垣間見たウォルフの強力な炎を思い出し、確かに倒せる可能性があるのはウォルフだけかも知れないと思い直した。

「・・・そう言えばあなたはあの"業火"の息子でしたな」
「ん?母さんを知っているの?」
「私はガリア出身でして。昔見たあの炎は今もよく覚えています」
「母さん程じゃないかも知れないけど、あいつ程度ならオレでも倒せると思っているし、あいつもオレとやりたいみたいだから」
「わかりました。申し訳ありませんが、お任せします・・・撤退!」

 ウォルフに背を向け今も闘っている味方に向かうと撤退の指示を出す。岩陰に隠れて魔法や銃を撃っていた味方が一人二人と集まってきた。
岩陰から出てくる時は絶好の好機の筈なのだが敵のメイジは特に気にした様子もなく追撃も掛けてこなかった。広場の中央で仁王立ちしたままニヤニヤとこちらの様子を見ていた。
 集まりつつある部隊と入れ替えにウォルフが前へと出る。その背中に先程のメイジが声を掛けた。

「では我々はこれで撤退します。くれぐれもお気をつけて。やつの特徴はやたらと高い温度の炎です。我々には対処方法が見つけられませんでした」
「ん、任せて」

 ウォルフは短く答えると近づいてくる敵メイジを待ち受ける。ゆっくりと近づいてきた男は筋骨隆々とした偉丈夫で、対峙するとウォルフの小ささが際だった。
その男は涎を垂らさんばかりに喜色満面の笑顔を浮かべ、ウォルフに語りかけた。

「よくぞ戻ってきた、少年よ。あいつらではどうも歯ごたえが無くて退屈していた所だ。お前のあの炎なら、楽しめそうだ」
「はあ、こっちは別に楽しくも無さそうだけどね」
「さっき見た時も小さいとは思ったが、こんなに小さな少年だったとはな。成長すればどれほどのメイジになっていた事か・・・残念な事だ」
「えーと、あんたに残念がられる覚えはないんだけど?」
「いやいや、実に残念な事だよ」

 互いに杖を構えてゆっくりと歩きながら話をする。ウォルフは敵のメイジが視力を持っていないらしい事に気付いて驚いたが、あくまで普通に話し掛けた。
二人はゆっくりと円を描きながら歩いていたが、互いに隙を見せなかった。
 
「さっきあんたの依頼主っぽいやつの『遍在』を倒したんだけど、本体はどこにいるか知ってる?」
「傭兵が依頼主の情報を漏らすわけ無いだろう。まあ、あの耳障りなトリステイン訛りを話す奴らだったらとっくの昔に逃げ出したがな」
「そういう情報も話すものじゃないと思うけどね」
「ははは、お前はここで死ぬのだしこの位は構わないだろう。それはともかく、さっきの娘を返してくれないか?あいつらが逃げたとはいえ、あれを持って行けば成功時報酬が入るんでな」
「キュルケなら今治療中だよ。死体でも持って帰るつもりだったのか?」
「ああ、それはすまないな、ちょっとした手違いだ。あの娘が可愛らしい炎を使っていたので、本物の炎を教えてやろうとしたら燃えてしまったのだ。お前にも教えてやろう、少年よ。さあ、さっきの炎をまた見せてみろ!」

 敵メイジが両手を大きく広げてウォルフに隙を見せる。
ウォルフは全く遠慮せずにフルパワーの『フレイム・バルカン』を二十発ほども撃ち込んだ。 
 ウォルフの魔法は爆発するように激しく燃え上がり、その夥しい熱量はそこに激しい上昇気流を生み出す程で、人間がそこで生存する事は不可能であるかの様に見えた。
 陽炎のように熱気が揺らめく中、しかしその傭兵メイジは何事もなかったようにそこに立っていた。

「確かに速いし、威力も中々だ。連射速度も素晴らしいし、全てがオレの見た事のないレベルにある事は間違いない。だが、ただそれだけだ」

にたりと笑ってその傭兵メイジは一歩ずつウォルフの方へ歩き出した。その杖の先から激しく輝く白い炎を出して尋常ではないその威力を誇示する

「教えてやろう、少年よ。火の魔法というものは、温度こそが全てだ。いくらお前の炎に威力があろうともこのオレの『白炎』に触れれば霧散する」
「《フレイム・ボール》」
「ふん」
 
 試しに今度は単発の『フレイム・ボール』を撃ってみたがその炎で軽く迎撃された。
たしかに『フレイム・ボール』が当たった瞬間に激しく燃え上がるのだが、その炎はほとんど上部へと燃え上がるのみで敵には全く届いていなかった。あの高温の炎に当たった瞬間、ウォルフの魔法はその制御を失ったのだ。

「ふふふ、少年よ、お前の炎の温度はおよそ二千九百度。普通に比べれば飛び抜けて高い温度ではあるが、このオレの炎は六千度を超える。全ての炎を貫き燃やし尽くす最強の炎だ」
「そんなに細かく炎の温度が分かるのか・・・六千度まで測れるなんて放射温度計いらずじゃないか」
「その気の強さもまた良い・・・お前が焼ける臭いはどんなかな?くくく、そろそろレッスンツーといこうか。今度はお前がオレの炎を受けてみろ!《白炎》!!」
「《土の壁》」

 ウォルフはまだそこまで細かく温度を測れないので素直に感心していたのだが、敵は虚勢を張っていると思ったようだ。
杖の先から伸びる白い炎はウォルフが咄嗟に張った『土の壁』に当たって激しく燃え上がった。

「んー、中々良い判断だ!お前の『炎の壁』ではこのオレの『白炎』には全く無力だろうからな。・・・しかし!」

 ウォルフが張った『土の壁』は地面を剥がして縦にしただけのような、質より量といったものだったが、それだけに大きく分厚いものだった。
しかし、傭兵メイジがそのまま炎を当て続け、更に一段炎を大きくすると、たちまちの内に表面が溶けだしその姿を崩していった。

「この様に、『土の壁』などこのオレの炎の前では何の意味もない・・・そろそろレッスン修了で良いかな?」

 念入りにウォルフの『土の壁』を溶かし、遮るものをなくした上でニタニタと笑ってみせる。

 その『土の壁』があった地面は赤く輝く溶岩のプールと化していた。




[18851] 2-17    決着
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/06/25 15:12
 『土の壁』が溶けた溶岩のプ-ルを避けるようにゆっくりと歩きながら傭兵メイジが近づいてくる。その真っ赤な池の周囲では水蒸気が立ち上り、時々周囲の草に火が付いては燃え尽きている。
もしこの場面を他に見ている人間がいるとしたらウォルフの死は確定したもののように見えるだろうが、ウォルフに慌てた様子は全くなかった。
 いつも通りの様子で周囲を観察し、敵との間合いを計りつつ使うべき魔法を考察する。おそらくこのメイジの言う六千度の炎というのは掛け値無しだ。火の魔法に対してはずば抜けて高温の炎で気体である敵の炎を吹き飛ばし、その核にある魔力素も破壊する。それ以外の魔法ならばその圧倒的な熱量で魔法を構成する物質を高温にして土・水・風の魔力素を無効化する。
実に理に適った事で、確かにこのメイジの魔法は無敵であるかのように見える。化学反応としての炎でそれ程の高温を発する事象をウォルフは知らない。おそらく魔力素を直接エネルギーに変換しているのだろうと推測した。
物質のエネルギー変換などという事を感覚で行えてしまうメイジがいる事は凄いと思うが、エルビラも似たようなことをしているときがあるし、それを六千度という高温までやるメイジがいたとしても今更驚くような事ではない。 
 魔法を物理的な事象として見ているウォルフにとってこの敵の炎は対応策が全く無いという程のものではなかった。簡単に言えば、炎で吹き飛ばせない程の質量を持って、なおかつ温度が上がっても問題のない魔法で攻撃すれば良いだけなのだから。

 近づいてくる傭兵メイジを一瞥すると溶岩のプールへと杖を向けた。最強のゴーレムを呼び出す為に。

「今度はオレの番だろ?《クリエイト・ファイヤーゴーレム》!」
「・・・何?」

 煮えたぎる溶岩の温度は千三百度以上。それほどの高温にまで熱せられて溶けた地面が立ち上がって人形をとる。土の魔法を行使している時と同じ様な事象が土の魔法では有り得ない温度で顕現する。随分と長い事戦場に身を置く傭兵メイジといえども見た事も聞いた事もない魔法だ。

「ちょっと待て、なんだその魔法は!火のゴーレムなど聞いた事無いぞ!」
「オレだって六千度の炎を操るメイジがいるなんて知らなかったよ。じゃあ、逝ってみようか」
「だから待てと・・・うおお《白炎》!」

 身長二メイルを超えるゴーレムが意外な素早さで傭兵メイジへと襲いかかった。慌てて炎で迎撃するが、灼熱のゴーレムはその輝きを一段と増すだけで制御を失うような事は無かった。気体の炎ではより温度の高い炎に霧散させられても、液体で構成されているゴーレムには通用しない。いくら炎を当ててもその魔法の核を破壊する事は出来ないのだ。
 あっという間に間合いを詰めたゴーレムは、素早い動きで次々に蹴りや突きを繰り出す。傭兵メイジはそのゴーレムが放射する熱にジリジリと焦がされながらも間一髪でそれらの攻撃を躱し、何とか間合いを取ろうとする。余裕の表情は消え失せ、熱せられている事もあり今やその顔は汗でびっしょりと濡れていた。
長い戦闘経験を誇る傭兵メイジから見てもこのゴーレムには対処法が無い。自身の炎が効かない相手など初めてであり、攻撃を躱すのが精一杯だった。

「これは、火の魔法で、ゴーレムを作ったとでもいうのか!貴様、何故そんな事が出来る!」
「さあね。そんなこと気にしてる場合か?まだオレのターンだぞ《ファイヤー・ブレット》!《フレイム・バルカン》!」
「な、ぐおお!《炎の壁》!」

 何とかゴーレムの間合いから脱し、元凶を絶つべくウォルフの方へと回り込もうとしたがウォルフはそれを許さない。ゴーレムの指先から連射した溶岩の弾で牽制しつつ、同時にウォルフからも『フレイム・バルカン』で掃射し、十字砲火を浴びせた。
『炎の壁』では『フレイム・バルカン』を防げるが、『ファイヤー・ブレット』は速度こそ若干遅いもののその質量故に防御を突き抜けてくる。熱せられても制御を失わない溶岩の弾は『炎の壁』では吹き飛ばせない。
傭兵メイジは信じ難い反射神経でそれを躱していたが、ついにその場から一歩も動けなくなった。
 相手に余裕が無くなった事を見て取ってウォルフは、止めを刺す為に自分の側からも『炎の壁』を突き破る事の出来る魔法を用意する。容赦する気は一切無い。表情は変わっていないが、ウォルフは今怒っているのだ。

「ずっと、オレのターン《スーパークリティカル・ウォータースピアー》!」
「がっ!・・・」

 弾幕を張りながら間合いを詰めたウォルフが最後に放った魔法は火の魔法によって高温高圧にされ超臨界状態になった『水の槍』である。
通常の『水の槍』であればここまで強固な『炎の壁』であれば貫く事は出来ない。ただ蒸散してしまうだけだが、この槍は六千度に達する『炎の壁』を易々と貫き、傭兵メイジの腹へと突き刺さった。
 超臨界とは水が約二百二十気圧・三百七十四度を超えて高温高圧状態にされた時に、液体と気体の区別が付かなくなる現象である。既に臨界点を超えている為、それ以上熱せられたからといって気体に戻って蒸散するという事はない。
高温の水蒸気並に高速で飛翔している水分子が、液体の水のような高密度で次々と衝突する。この水の中に溶かし込まれた酸素は強力な酸化剤として働き、人間の細胞を構成する有機質を一瞬のうちに二酸化炭素などへと分解してしまう。水の中でありながら燃焼してしまうのだ。

「馬鹿な・・・このオレが、こんな、小僧に・・・」

 最強であるはずの『炎の壁』ごと貫かれた傭兵メイジは、大きな穴の開いた腹を抱えて前のめりに倒れた。最期に何事かを呟いていたが、ウォルフがそれを聞き取る事は出来なかった。



 敵が倒れたのを確認し、ウォルフは大きく息を吐いた。
強敵を前にしても普段通りに判断し行動できたとは思うが、それなりに緊張していたらしい。

「《発火》」

 周囲にもう敵がいない事を確認すると、最も基本の火の魔法で杖の先から炎を出してみた。
先程の戦闘で最後の魔法を放った時に少し違和感を感じたので、その確認だ。その違和感とは高温・高密度になるようにイメージして放った魔法が、今までよりも遙かに高いレベルで実現したことだ。
 自分の中の箍が一つ外れたような感覚・・・それは今小さな炎を出してみても感じる事が出来た。いつもより格段に消費される魔力が少なく感じられるのだ。
試しに『マジック・アロー』でまだ燃えている木を切り倒してみても、これまでとは速度大きさとも格段に優れたものが出せた。

「どうやらスクウェアになったらしいな・・・最後の壁を破る鍵は心の底からより強い魔法を行使できるように願う事か」
 
 実はここの所ウォルフの魔法は伸び悩んでいた。溜められる魔力の総量は日々の鍛錬もあって順調に伸びてはいたのだが、スクウェアスペルを使おうとしてもどうしても成功しなかったのだ。
既にトライアングルとしては有り得ない程の莫大な量をため込めるようになっていても使える魔法はトライアングルまでという、少々アンバランスな状態になっていた。
まだ八歳なんだしさして気にしてはいなかったが、そろそろスクウェアになる条件というのを研究してみたくなっていた所である。

 止めを刺す時にウォルフの脳裏を占めていたのは激しい怒りである。焼け爛れていたキュルケを思い出し、絶対にこのメイジをここで倒すと決意して『超臨界水槍』がより高温・高気圧になる様に強く願った。
その感情の高ぶりこそがスクウェアになれる鍵だということに納得する。確かに何が何でも強い魔法を使いたいと願ったことは今まで無かった事だ。強敵との戦いがウォルフに成長をもたらしたのである。
確認した結果に満足すると付近一帯を消火してキュルケの元へと戻る。スクウェアスペルはまた今度試してみるつもりである。



 川原へと戻ってみるとそこにはいつの間にか天幕が張られていた。その天幕から少し離れた所に兵達は屯しており、子供メイジ達もその中で所在なげにしていた。
キュルケはどうなっているかと近づいてみると、先程指示を出していたメイジが声を掛けてきた。兵達の視線が集まる。

「おお、ウォルフ殿・・・ここに戻って来たという事は、奴は」
「ああ、倒してきた」
「っ!!・・・オイゲンがきっと倒してくるからテントを張って待っていようと言っていましたが、まさか本当になるとは」

 兵達がどよめき、特に子供メイジ達は驚きで声もないと言った風で目をまん丸にしてウォルフを見つめていた。

「キュルケの様子はどう?気がついた?」
「いえ、まだですがもうほとんど治療は終わったそうです。どうぞお入り下さい」
「あ、そうだ。ざっと火は消してきたけど、まだ燻ってる所もあるみたいだから確認してきて欲しいんだけど」
「お任せ下さい」

 天幕の入口にウォルフを案内し、自身は部隊の人間に指示を出す。情報を集めて死傷者の収容や、離ればなれになっている部隊との連絡も試みるつもりだ。
ウォルフはそんな彼にまだ敵がいるようならばすぐに伝えて欲しいと伝えて一人で天幕の中に入る。内部には先程分かれた二人がそのまま残っていて、丁度キュルケをラグドリアン水のバスタブから上げて簡易な寝台に移そうとしている所だった。
一人が『レビテーション』で浮かせてもう一人が水の魔法で水分を飛ばし、シーツにくるんで寝台に寝かせようとしている。先程より大分キュルケの顔色が良くなっていてウォルフはホッと息を吐いた。

「ただ今戻りました。治療はもう終わりましたか?」
「お帰りなさい。おかげさまで全部直せましたよ。もうすぐ目が覚めると思います」
「うーん、素晴らしい腕前ですね。どこが火傷だったのか、もう全く分かりません」
「はっはっは、跡が分かると言う事は完全には元に戻ってないという事ですからな。あれほどの量の秘薬を提供されたのです。これくらいは出来ますよ」

 年配の水メイジ・オイゲンとウォルフは何事もなかったかのように会話をする。
一言で肌の再生と言っても、今回程激しく損傷したものを全く違和感なく回復する事はかなり難しい。肌のきめ、毛穴の間隔、果ては水着の跡まで再現されている事には驚きを禁じ得ない。
髪が半分程燃えて無くなってしまっているのが気の毒だが、『ディテクトマジック』で見てみるとちゃんと毛根が再生されているのでこれもすぐに生えてくるだろう。
 しかし、そんな事よりも気になる事がある人間もいた。

「ちょ、ちょっと、二人とも何普通に話しているんですか!ウォルフ君、君、戻ってきたのは良いけどあのバケモノはどうしたの?私たち逃げなくても良いの?」
「ん、倒してきた。怪我人の収容を始めるみたいだから君たち忙しくなりそうだよ」
「リア、大声を出すでない。無事に帰ってきたんだ、どうなったかなど明らかだろう」

軽く返され、年若い水メイジ・リアは唖然としてウォルフを見つめるが、オイゲンの方は全く動じずに腰を上げる。

「さて、では私は他の怪我人を見てきます。ウォルフ殿、キュルケ様を見ていてもらえますか?」
「わかりました、目が覚めたらお知らせします」
「お願いします。リア、お前も付いてこい」
「あ、あれ?何か、みんなあんなの倒せないって言ってなかったっけ?あれ?」
「リア!いつまで呆けている!さっさとこんか!」

 オイゲンに続いてリアがあわただしく出て行くのを見送り、ウォルフはキュルケの傍らに椅子を作り出して腰を掛けた。自分も手伝いに行こうかとも思ったが、また戦闘になる可能性が残っているので魔力を温存する事を優先した。
ためられる魔力量が莫大なものになっているとは言っても、さすがに先程の戦闘では結構消費した。ウォルフが苦手な水の魔法は魔力消費量が格段に増加するので他に水メイジがいるのなら自重しておきたい。
 キュルケの寝顔を眺めながらこれまでの経緯を整理する。
あのヴァレンティーニという遍在の伏兵はおそらく商館に来たという教会の人間であろう。ウォルフは会っていないが、商館長のフークバルトが対応してボーキサイト採掘現場まで案内しダンプカーを見学したという人間に風体と名前が一致する。
トリステイン訛りの特徴と言われる話し方をしていたが、元トリステイン貴族を父に持つウォルフからすれば違和感を感じるものであった。フークバルトからの報告によればトリステインの人間のようだとの事だったが、裏があるような気がする
 ダンプカー等が目的なのかとも思えるが、それだとキュルケをターゲットにしていたらしい事の説明が付かない。ウォルフの事も拘束しようとしたが、あくまでもついでという感じだった。
 ロマリアの教会の人間が大々的に傭兵を雇いゲルマニアの辺境伯軍を襲撃し、辺境伯の娘を攫おうとする。普通に考えれてばれればとても大きな政治問題になりそうなものだが、その当人達は隠れる様子も見せず堂々と作戦に参加している。
 言い逃れする気なのか、失敗するとは思っていなかったのか、色々と推測を重ねてみても今は情報が少なすぎる。取り敢えずチェスターやボルクリンゲンの工場は警備を増やすことにして今はそれ以上考えることをやめた。

 それから暫くして少々ウォルフが退屈し始めた頃、ようやくキュルケが目を覚ました。
暫くぼうっとして目蓋をぱちぱちとしていたのでウォルフは立ち上がって顔をのぞき込んだ。

「お早う、キュルケ」
「お早う、ウォルフ。どうして私のベッドにいるのかしら。夜這い?」
「いやまだ昼だし、君は十一歳でオレは八歳だ」
「恋に年齢は関係ないものよ。でも残念ね、あなた友人としてなら良いけれど、わたしのタイプじゃな・・・ここ、どこ?」

 キュルケはまだ状況が分かっていないらしく、ゆっくりと身を起こした。上に掛けていたシーツが滑り落ち、自身が一糸も身に纏っていないことを確認するととシーツを身に巻き付けながらウォルフに微笑んだ。

「ウォルフ、あなたのことは信じていたのに。まさか女の子にこんな事をする人だったなんて・・・でも、その年ならしつければまだ間に合うかしら」
「別に何もしてないし。ここはさっきの山道から少し外れた川原。君を治療する為にテントを張ったんだ。今オイゲンさんを呼んでくるから待ってて」

 左手でシーツを押さえながら右手で杖を捜して枕元を探っているキュルケに呆れて出て行こうとするが、キュルケはその言葉で気絶する前のことを思い出したみたいだった。

「え?・・・あ、あ、あ、いやぁー!!」

 両手で自分の顔を抱えてキュルケが叫ぶ。胸を隠していたシーツは落ちてしまったが、もうそんなことは気にしていない。その両目は真っ直ぐ前方を見つめていて、ウォルフには見えない何かに怯えていた。
キュルケは思い出してしまった。自分の魔法が無造作に叩き落とされ、圧倒的な熱を放つ炎が自身を焼く所を。自分の髪や皮膚が燃え上がる臭いと強烈な痛み、その激痛の中見上げた更なる暴力を振るおうとニタニタと笑いながら近づいてくるメイジの姿を。全て今経験したばかりのように鮮明に思い出してしまっていた。

 ウォルフは素早くベッドの上で泣き喚くキュルケに近づくとその頭を胸に抱きしめた。

「大丈夫だから。もうあいつは倒したから大丈夫。君を攻撃する者はもういないから」
「うううー」

 キュルケは必死に、たぐり寄せるようにウォルフの体に縋り付いた。強い力で背中を掻き毟られて正直かなり痛い。
しかしそれは我慢して何度もキュルケの耳元で大丈夫だと繰り返す。騒ぎを聞きつけてテントに入ってきたオイゲンに代わって貰いたいがキュルケが強く抱きついていて離してくれない。
 オイゲンがリラックスさせる魔法を使ってようやくキュルケは落ち着く事が出来た。

「ほ、本当ね?あいつはもう来ないのね?」
「ええ、大丈夫です。ウォルフ殿が倒してくれました、心配要りません」

 何度も何度も繰り返し大丈夫か訊ねるキュルケはウォルフから見てとても痛々しいものだった。
十一歳になったばかりの少女が殺されかけたのだから当然なのだろうが、いくら魔法が使えるとはいえこんな小さな子を戦場へ送るのはリスクが大きい。
 未だ縋り付いてきて離れないキュルケの頭を撫でながら、ウォルフは無理にでもこっちの部隊に入るのだったと後悔した。



[18851] 2-18    戦後処理
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/06/29 21:33
 ツェルプストー辺境伯領の山賊討伐の日から一週間後、ボルクリンゲンの商館に突然ツェルプストー辺境伯が訪ねてきた。
商館のある埠頭に突然降り立った真っ赤なグライダーに一時商会は騒然となるが、商館長であるフークバルトはこれを鎮めて直接応対した。

「これは辺境伯様、本日はどのような御用でしょうか」
「ウォルフはいるか?会いたい」

辺境伯の返答は簡潔なものであったが、ウォルフは日頃こちらの商館にはいない。工場を拠点として辺境伯領内のガンダーラ商会の各施設をを回っているので、どこにいるのかさえこちらでは把握していなかった。

「申し訳ございません、こちらには居りませんのでただ今確認を致します。少々、お待ちくださいませ」

確認を取るとウォルフはまだ工場にいるとのことなので呼び寄せようとしたのだが、辺境伯はそれを制し自分が移動すると告げた。
 商館員総出で見送る中、辺境伯のグライダーは滑らかに工場へと滑空した。



「こんちは、辺境伯様。グライダー使ってくれてるみたいで嬉しいです」
「ああ、中々便利だな、これは。竜で街に降りると住民が怯えるが、これはそれが無いのがいい。ただ、もう少し速度を上げたい気もするな」
「ご意見ありがとうございます。速度向上タイプも開発検討中なのですが、中々時間が取れなくて」
「もっと速いのが出来たら買ってやるからすぐに持って来いよ」
「はい。一番に納入します」
 
 工場の中庭に降り立った辺境伯を出かける予定を止めて待っていたウォルフが出迎え、連れだって話をしながら工場建屋内にある応接室へと移動した。キュルケの様子を聞いてみたが、もう心配は要らないらしいので安心した。
お茶を出した工員が下がり、ウォルフと護衛のみになるとおもむろに辺境伯は座っていたソファーから立ち上がり姿勢を正した。

「ウォルフ・ライエ・ド・モルガン殿、此度の山賊征伐において、貴殿の働き誠に見事であった。フォン・ツェルプストー当主として、また、キュルケの父として深く感謝する。謝意を伝えるのが遅くなって申し訳ない」
 
 ウォルフを見据えて礼を述べると胸に手を当てて頭を下げた。ウォルフも慌てて立ち上がって礼を受けたが、正直辺境伯にここまでされるとは思っていなかった。

「これは、ご丁寧に・・・恐縮します。今日はわざわざこれを伝えに?」
「まあ、そうだな。あと事後処理についてこっちにも伝えておこうと思ってな・・・ああ、そうだ、何か褒美はいるか?子爵領位なら何時でもくれてやるぞ」
「ありがとうございます。、しかしわたしは一応アルビオンの貴族でありますので、あなたから褒美を頂くわけには参りません、お気遣いは無用に願います」
「フン、ワシなんぞの部下に収まるつもりはないと言うことか。まあいい、いずれ借りは返すからな」
「楽しみにしています。今は賊の正体を教えていただけると嬉しいです。どうやらこっちにも関係のあることらしいので」
「うむ、では始めから話すとするかな」

 辺境伯はソファーに座り直すと語り始めた。あの日一体何があったのかを。

 ツェルプストー辺境伯の部隊がキュルケ隊に合流したのはキュルケ隊が襲撃されてから二時間以上経ってからだった。山道を八リーグ以上移動し山賊を殲滅した上での事なので十分に早かったのではあるが、もう全てが終わった後だった。
二つに分断されていたキュルケ隊も一つに合流し、怪我人の手当や死者の確認を終え部隊を再編成していた。休憩もそこそこに部隊をまとめて城に帰還し、外交ルートを通してトリステインと接触してみるとヴァリエールはこちらが攻めてくるものだと思っていることが分かった。
何のことはない、互いが疑心暗鬼に陥り攻め込まれると思っているだけだったのだ。
 辺境伯は当初ウォルフの所にもっと早く顔を出そうと思っていたのだが、ラ・ヴァリエールと相互不可侵を確認し、事実の確認や調査をしてゲルマニアの首都ウィンドボナまで報告に行っていた為に来るのが遅れた。

 今回の事件の首謀者については未だ調査中で結論は出ていない。
ラ・ヴァリエール領のティオンを拠点に工作活動を行い、傭兵を雇った事はほぼ確実なのだが証拠が無い。
戦場から逃げる敵のメイジ三人を使い魔を使って確認しているがトリステインに入った後気付かれて振り切られてしまっている。ウォルフがヴァレンティーニという名のメイジを目撃しているが、他に彼を見た者はいない。
 ボルクリンゲンの教会に確認を取ったが、ヴァレンティーニという人間はロマリアから来た助祭でもう国に帰っているという。

「どう見てもその助祭か教会が首謀者っぽいのですが、その辺はどうなのですか?」
「昨日ロマリアの本国から問い合わせに対する返答が来た。それによると、そんな助祭はロマリアにはいないとのことで、助祭を派遣したという事実も無いそうだ」
「・・・ボルクリンゲンの教会かロマリアか、どちらかが嘘をついていることになりますね」
「明らかに疑わしいのはここの司教だ。件の助祭を派遣したのがとある枢機卿だと証言しているが、その枢機卿と司教とは本来全く別の派閥の筈なんだ」
「あー、書類とかは残ってなさそうですね」
「もちろん何もない。今分かっている事実はヴァレンティーニという名の人間がワシやお前の所をこそこそと嗅ぎ回っていた事だけだ。ここの司教の調査依頼書を持ち、細かい所まで立ち入って調査をしていた事だな。そしてそのトリステイン訛りを話す男とそっくりの風体を持つ男がヴァリエールの街で噂を広め傭兵を雇っている」
「うーん、教会はうちのダンプカーに興味を持っていたみたいなのですが、何故だかは聞いていますか?」
「詳しくは話さなんだが、始祖研究の一環とのことらしい。何のことだか分かるか?」
「いいえ、全く・・・何でここで始祖が出てくるんだ?」

 思わずウォルフは自問した。
何故ここで唐突にブリミルの名が出てくるのか全く分からない。伝説の虚無魔法の使い手と地球の科学文明の産物と言えるダンプカー。接点はないはずだがそうではないのだろうか。

「あの、わたしは寡聞にして知りませんでしたが、実は始祖はああいった機械を駆使したとかいう話があるのでしょうか?」
「いや、ワシも知らんな。ロマリアではどうなのか知らんが」
 
 もし伝説の虚無魔法が科学を利用したものだとするとウォルフが予測していた理論がいくつか壊れてしまう。それどころか何かとても残念な気持ちになってしまうので、始祖には是非虚無魔法を使っていて欲しかった。

「ま、まあ、ロマリアにはロマリアの理由があるのでしょう。わたしには全く分かりませんが」
「まあそうだな。これまでの流れからは司教がトリステインの何者かと図って不埒者を招き入れたという疑いが最も強い。しかし、司教を取り調べようとしたのだがロマリア本国から召喚状届いたとかでロマリアへ帰ってしまった。悔しいが枢機卿の命令ではワシよりも権限が上だ。今後向こうで取り調べるとのことだが、真相が明らかになることはないだろう」

 吐き捨てるように辺境伯が言う。その顔には憤懣やるかたない思いが浮かんでいた。
自分の娘の命を狙ったかも知れない者が堂々と自分の領地から出て行く。そしてそれを黙って見送るしかないと言うことは辺境伯にとって耐え難い屈辱であった。

「え・・・っと、その司教は何食わぬ顔をしてロマリアで出世するのでしょうか?」
「その司教が調査依頼書を発行した人間にワシの軍隊を襲い娘を誘拐しようとしたいう嫌疑が掛かっているのだ。いくら何でもそんなことは出来んよ。まあ、人知れず始末されるか、精々どっかの孤児院の院長にでもなって一生冷や飯食いってところだろう」

 現役の司教がそんな犯罪に加担していたなどということは、教会にとって絶対にあってはならぬスキャンダルである。
そのため、調査はしてもその結果を公表することはないだろうと辺境伯は言う。教会は暫く辺境伯に対し下手に出てくるだろうがそれでお終いだろうというのが彼の予想である。
何とももどかしいが教会というのは領主にとってもある意味アンタッチャブルな存在である。下手に突いて今後の領地経営に禍根を残すわけにもいかなかった。

「というわけで、色々と情報を上げてもらったが真相が分かる見込みは低くなった。すまん。あとこれはワシのカンだが、この件にはまだ何か裏がある気がしている。今後まだ何か手を出してくるかも知れん。我々も警備を増やすが、やつらがあれに興味を持っているのは確かだろうからそっちも自衛してくれ」
「了解しました。はあ、教会相手だと色々と面倒くさいですね・・・」
「お前の場合自業自得という面もあるからな。同情はせんよ」
「はあ、いや、すみません」

 元々これらのトラブルはウォルフの発明品が呼び寄せたという面があると言えなくもないので辺境伯の言うことももっともだった。
それを言われるとウォルフとしては恐縮するしかない。それでも自重するつもりはないが。

「まあ、気をつけることだ。ヴァリエールとも相互不可侵を確認したとは言え、今後何があるかは分からんし」
「あー、戦争は回避してくれたんですね、ありがとうございます。せっかく色々と事業を始めたとこなんで戦争で頓挫することは避けたかったので」
「ふん、結構苦労したんだぞ?ウィンドボナではこれを機にトリステインを併合してしまえと言う主戦論が大分強くなっていてな」
「そんな乱暴な。今時そんな事言う諸侯がいるんですか?」
「いるとか言うレベルではない。それ程積極的ではないのも入れれば半数を超えていたかも知れん。それもお前のせいだがな」
「ええっ!?そんなのもオレのせいなのですか!?」

 ウォルフは素に戻って驚くが、ウォルフのせいと言うかガンダーラ商会の誕生が関わっていることだった。

「いいか?トリステインという小国が何故永きにわたって存続する事が出来たのか。そのカギはアルビオンにある」
「はい。トリステイン危急の時はハルケギニア最強の軍事力を誇るアルビオン空軍がそれを助けたと歴史書にはありますね」
「うむ。アルビオンは陸地を持たぬ。平時には不足しがちな物資の供給をトリステインが行い、有事にはアルビオンがトリステインを守る。ここのところずっとそのような関係を続けてきた。もしゲルマニアがトリステインを占領することが出来てもあの地はアルビオンの攻撃から守ることに適していない。もしガリアが向こうに付けば戦線を維持することは出来ないだろう。その事はガリアから見ても同じ事が言える」
「トリステインという餌を目の前に三竦みになっているという人も居ましたね」
「そうだ。それが近年はその体制が大分緩んでいたのだ。トリステイン商人が自己の利益を追求するあまりカルテルを組み暴利を貪りだしたのが始まりだな。トリステインの貴族数名が主導したみたいだが、おかげでアルビオンでは徐々に物価が上がり、深刻な不況が国を覆うようになった。人々の不満は高まり貴族達は有効な手を打てぬ王家に不信を抱いた。王家を政治から外し、貴族による共和制を模索し研究するグループもいた程だ」
「そんな状態になっていて、しかもそれがゲルマニアに筒抜けというのは・・・」
「そう、ろくな状態じゃないな。アルビオンは二十年以内に王制が打倒され貴族による共和制に移行するのではないか、という予測が当時ゲルマニア政府内では最も強かった。ああ、一部の貴族が空賊行為に手を染めて力をつけていたこともあるか」
「・・・」
「言うなればアルビオンは水から茹でられた蛙のようになっていたのだ。徐々に変化する事態に気付くことなく緩やかな死を迎えようとしていた」

 蛙を湯に入れればその温度に驚いて飛び出すが、水から茹でると温度が上がってもそれに気付くことなくそのまま茹で上げられてしまうと言う。そこまで自分の国が深刻な状態になっていたことを聞かされウォルフは言葉がない。
王家に特に思い入れがあるわけではないが、貴族による共和制などとてもうまくいくとは思えない。自己の利益を最優先させる貴族が何人集まっても纏まるはずはないのだ。

「それをお前のところが変えた。ガリアやゲルマニアと航路を繋ぎ、カルテルに風穴を開けた。空賊を退治し王家を動かすことによって航路の安全を保証し、普通の商人も貿易に参加できるように主導した。結果アルビオンの経済には活気が出て王権は強化されガリア・ゲルマニアとの繋がりも深まった。その反面、トリステインとの関係は希薄になってきている」
「・・・確かに、ハルケギニアに置けるトリステインの存在価値は随分と低くなったようにも思えます」
「低いんだ。主戦派の主張ではトリステインを三分割するように提案すれば、さしたる反発もなくアルビオン・ガリアと共同作戦をとれると言うんだ。つまりトリステイン北部をアルビオンが、南西部及びラグドリアン湖をガリアが、南東部及びトリスタニアをゲルマニアがそれぞれ領有しようと言うことだな。アルビオンにとってこちらの大陸に領土を持つことは悲願だし、ガリアも王子がラグドリアン湖に随分と執心しているらしいから問題ない。始祖の血統は我がゲルマニア帝室が受け継げば全て丸く収まるという話だな」
「トリステインの国王はアルビオン国王の弟君です。そう簡単にアルビオンがトリステインと敵対するとは思えません」
「ワシもその点が引っかかったから今回は止めておいた。しかし、主戦派は貴族達に利益を示して焚き付ければあの王に抑え続ける力は無いと読んでいる」

 ウォルフもトリステインの国としての価値が落ちてきていることには気付いていた。ゲルマニアとガリアは今では盛んに直接交易をしているので緩衝地帯としての意味はなくなっているし、アルビオンにもトリステインを絶対に守るという理由が無くなっている。
 ガリアとゲルマニアはそれぞれ一国で完結した国家だ。広大な国土と多くの人口を持ち、多彩な産業は国庫を潤し豊富な資源が国力を下支えする。
それに対してトリステインは不足するものが多すぎた。狭い国土に貴族達がひしめき、汚職が横行し民は少なく一様に疲弊している。王家は将来を示せず貴族達は自分のことにしか興味がない。いずれ放っておいても滅びそうな国家だ。
この国が生き延びるにはアルビオンの王子とトリステインの王女との婚姻により連合王国となる他に道はないのではないか、と悠長に考えていたのだが、事態はそれまで待ってはくれないかも知れない。

「話が少しそれたな、今聞いたことは他言無用にしてくれ」
「はい。今後はその事も可能性に入れて行動することにします」
「まあ、今の国王がいるうちは無いかも知れんがな。あれは中々優秀な軍人だし」

 ひらひらと手を振って辺境伯はお茶に口をつけた。時間が経ってしまったそれは少し冷めていた。
 
「それはそうと、先週のことでいくつか聞きたいことがある。ワシと分かれた後のことを詳しく話してくれるか?」
「報告に結構詳しく書きましたよ?何が知りたいのですか?」
「まず、敵のメイジとの戦いについて。途中までは使い魔で見ていたんだが、キュルケの周辺警備や逃げた族の追跡で戦闘そのものを近くで見ていた者がいなかった。部下の話では敵は強力なメイジで、スクウェアやトライアングルのメイジが束になって掛かっても倒すことは適わず、遠巻きにして精神力が切れるのを待つしかなかったと言うことなのだが、お前は無傷で倒したらしいな。詳しく教えてくれ」
「えーと、炎の温度を上げることによって魔法を高威力化し、その威力に依存する戦い方をするメイジでしたので、その炎を突き抜けるような魔法で倒しました」
「・・・随分と簡単そうだな。何の魔法を使ったんだ?部下によるとどの系統も通用しなかったと言う話なのだが」
「『超臨界水槍』というオリジナルスペルです。『水槍』の温度と圧力を上げた物と考えて下さい」

 オリジナルスペルなどという言葉を八歳の子供がさらりと言う。その難しさを知っているだけに辺境伯は言葉を失う。部下からの話通りどうやらこの子供は魔法も尋常ではないらしい。
何かこの子の得意な機械仕掛けの武器でも用意していたのかと思っていたのだ。真っ当に魔法で倒したと考えてはいなかった。

「・・・まあいい、では第二の疑問だ。キュルケの治療に大量の水の秘薬を提供してくれたそうだが、ガンダーラ商会は秘薬の納入ルートを持っているのか?」
「いえ、あれは貰い物なんで、ガンダーラ商会が扱っているというわけではありません」

 水の秘薬の販売はトリステインが独占していてその流通量は少なく価格はおそろしく高い。辺境伯ですら十分な量を用意できない程なのに、一商人がそれ程の量を自分用に持ち歩くというのは異常である。
ガンダーラ商会はトリステインとはほぼ取引をしていないはずなので、不思議に思って聞いたのだがまたさらりと理解不能なことを言われてしまった。

「誰が、それ程の量をくれるというのだ?随分と気前の良い人間がいたものだな」
「あ、人間じゃありません、ラグドリアン湖の精霊様です。前にラグドリアン湖に行った時にくれました。まあ、気前は良いですけどね」
「何・・・だと?精霊と取引しているというのか・・・」
「だから取引じゃないですって。偶々、ちょっと話をしてたらポンとくれたんです。今のところ研究以外にはあまり使ってませんが、近所の子供が熱出した時なんかに重宝しています」
「・・・」

 公式には水の精霊と取引できるのはトリステイン王国のモンモランシ一族だけである。水の精霊がこの子供を彼の一族と同等と見なしているとすればトリステインの存在意義はますます少なくなることになる。

「第三の、疑問。・・・キュルケの治療の時に魔法で大量にラグドリアン水を出したそうだが、それはその、水の精霊に教えて貰ったのか?」
「いえ、あれは自分で考えつきました。精霊様やラグドリアン水を観察して思いついたんです。初めてやった時は精霊様も驚いていましたよ」
「・・・第四、お前は火メイジではないのか?何故そんな水のスクウェアですら出来ないようなことを易々と行える」
「得意な系統は火ですけど、それ以外も出来ないって訳ではないんで」
「ふざけるな!そんなんでラグドリアン水が出来てたまるか!」

 思わず怒鳴ってしまって、すぐに辺境伯はばつが悪そうに黙った。どうして自分がこんなにいらついているのか分からない。
ウォルフは怒鳴られてもさして気にした風でもなく肩をすくめて見せた。

「出来ますよ。ラインスペルになりますね。まあ、ハルケギニアの人にはイメージするのが難しい魔法かも知れませんが」
「・・・部下達はお前の事を始祖の再来ではないかと言った。あの冷静なオイゲンでさえもだ。それを聞いた時ワシは一笑に付したが、今ならその意味が分かる」
「勘弁して欲しいです。大体みんな始祖がどんな人だったかなんて分かっているんですか?」
「誰も見たことのない機械を次々と作り、誰も倒せない敵を倒し、人が作れるなどと考えた者もいないラグドリアン湖の水を作り精霊と交信する。そんな存在が始祖なのではないかと思うのは当然のことだろう」
「貴方達にとってわたしと始祖との共通点なんて「理解できない」って事だけでしょう。理解できないから考えることもやめているだけです。始祖はもっとずっと凄い人ですよ」
「・・・では、最後の疑問だ。始祖の再来でないというのならば、お前は何者だ?その年でその知識その魔法・・・そもそも人間なのか?」

 そう尋ねる辺境伯の眼光は鋭く言葉は力強い。しかし、額にはびっしりと汗が浮かび顔色は悪かった。
ウォルフは軽く嘆息すると辺境伯に聞き返した。

「ふう・・・辺境伯、オレのことが怖いのですか?」

 辺境伯はその瞬間自らの心臓が跳ね上がるのを感じた。隠していたことを言い当てられた時のような感覚・・・それはつまり辺境伯が目の前の少年に怯えていたと言うことで、そしてそれは彼にとって受け入れられる事ではなかった。
全身に力を入れ、グッと両拳を握りしめた。そうして杖に手が伸びようとするのを阻止し、歯を食いしばってウォルフを睨みつける。

「・・・舐めるなよ、小僧。誰に向かって口をきいて居る、ワシは帝政ゲルマニア随一の軍人・ツェルプストー辺境伯であるぞ!」
「これは失礼しました。・・・わたしが何者かということですが、まあ、ただの人間です。アルビオン貴族ド・モルガン男爵の次男でガンダーラ商会筆頭株主兼開発部主任のメイジ。それが、現在の私です。それ以上でも以下でもありません」

 見得を切る辺境伯に対し、素直に謝罪する。ウォルフはふつうに生活しているだけのつもりなので、それで辺境伯程の人間に怯えられるのは居心地が悪い。

「確かに他の人から見たら理解しがたい知識を持っていますが、それは独自に正しい知識を積み重ねた結果です。私の持つ「知」が正しいからこそ機械も魔法も正しく動くのです。そもそも私の魔法も技術も理解すれば他の人でも行使できる物ばかりです。今理解できないからと言ってバケモノのように言われるのは心外です」
「では何故その年でそんな正しい知識を積み重ねることが出来るのだ?八歳と言えばまだ魔法のなんたるかさえ知らぬ子の方が多い」 
「何故私がそんな知識を持つことが出来たのかと言うことですか・・・残念ながらそれはまだ分かっていません。研究していますが、目下解明の糸口すらつかめていません」
「クックック、分からない、か」

 正しい知識を持っていると言いながらそんな根本的なことは分からないと言い放つ。それがどうにもアンバランスに思えて辺境伯は思わず笑ってしまった。
どっかりとソファーにもたれかけて上を向くと目を閉じた。この子どもの得体の知れ無さに恐怖を感じたことは確かだ。それは受け入れることは出来た。

「分からないことを分からないと認識することが大事です。分からないことに適当に理由を付けて分かった気になる事、それこそが人間を真実から遠ざけます」
「ふむ、確かに、足の速い人間に何故足が速いのか尋ねてみても理由を答えることが出来る者はおらんか」

 今知らないのならば、今後知ればいい。辺境伯は力の戻った目であらためてウォルフを見つめた。先程までとは違い、ハルケギニアのどこにでも普通にいる少年としか見えなかった。

「その、ただの人間の望みは東方開拓団だったかな」
「あ、はい。正確には開拓団に応募する前に調査させて欲しいと言うことなのですが」
「いいだろう。どうやら能力は過分にあるらしいことが分かったからな。精々ゲルマニアの為にあの森を切り開いてくれば良いわ」
「ありがとうございます!いや、楽しみになってきましたよ!」
「まあ、根回しはしておく。準備が出来たら申請するが良い」
「はい!多分春になると思いますが、よろしくお願いします!」

 ニコニコとしているウォルフを見ていると、さっきまでの考えが何だか馬鹿らしい物に思えてきて辺境伯は一つ大きく溜息をついた。



[18851] 2-19    闘う魂
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:dd30e12d
Date: 2011/06/29 21:34
 ウォルフは相変わらず連日忙しく働いていた。
アルビオンとゲルマニアとを行き来してリナ達と機械の開発をし、ボーキサイト鉱山のトラブルを解決してイェナー山の試験採掘を監督し、水酸化ナトリウム製造工場で工員を指導する。
各地の工場でどんどん人を増やしているのでそれの指導にも加わることもあるし、サラ達子供の教育も手は抜けない。新型グライダーの設計も進めているし、アルミニウム精錬工場ではメイジ達の指導があり、時にはガリアまで足を伸ばして発酵研究所も監督する。
 風のスクウェアスペル『遍在』を使えるようになったのだが、まだ一人しか出せない上に持続時間が短い。しかもツェルプストー領内位しか離れて活動できないので
根本的な解決となる程ではない。通常は魔法に習熟するにつれて出せる人数が増えて離れられる距離も伸び、持続時間も長くなるという話なので積極的に使っていこうと思っているが、早くそれぞれの国に配置できるようになりたいものである。
好きなテルメに行く時間も取れず、多分ハルケギニアの誰よりも忙しく働いているだろうと思われる日々を過ごしているとあっという間に一ヶ月が過ぎた。



 そんなある日ウォルフの元へ再びツェルプストー辺境伯が訪ねてきた。どうも表情が暗く、あまりいい話では無さそうだ。

「いらっしゃい、お久しぶりですね。今日はどうされましたか?」
「またお前に話があって来た。人払いをしてくれるか」

 今回は商館にウォルフがいる時に辺境伯が来たので、そのまま館長室を借りて二人きりになった。
辺境伯は珍しく少し話しづらそうにしていたが、ウォルフが促すと覚悟を決めたように話し始めた。

「あー、実は、キュルケのことなんだが・・・その、どうもこの間のことがショックだったみたいでな、自分の部屋から出ようとしないのだ」
「ああ、引きこもりですか」

 キュルケとはあれ以来会っていない。気にはしていたが、髪の毛とかも燃えてしまっていたので自分から出てくるのを待つつもりでいたのだ。
一度見られているとは言え、女の子だったら髪の毛や眉毛が無い状態で人と会うのはいやだろう。

「うむ、家庭教師が授業をしようとしても部屋から出てこんのだ」
「さらにニート・・・」
「ニートが何かは知らんが、城に帰ってすぐに新しい杖との契約はしたらしいが、まだ一回も魔法を使おうとしない。昼はマリー・ルイーゼやリアを離そうとしないし夜は母のベッドにもぐり込んでくると言うのだ」
「・・・」
「一度、自分のベッドで寝るように言い付けたのだが、泣き喚いて大変なことになった。それ以来ワシは会ってもらえん」

 言われてみてウォルフはキュルケの現在の状態を推測する。あれだけ酷い目にあったのだ、心に傷を負っていたとしてもおかしくない。
人間の心理など詳しくはないし、彼女が今どんな状態になっているのかも分からない。彼女がトラウマを克服する手伝いが出来るのならしてあげたいと思うが、何をしたらいい物やら皆目見当が付かない。
しかし、そんな状態ならば会って話をするだけでも良いのではないかとも思う。外との関係を継続することは彼女の助けになるのではないか、と。

「分かりました。キュルケに会いに行きましょう」
「頼む。オイゲンは時間をかけるしかないと言うのだが・・・何とかなるだろうか」
「わたしには全く分からないです。時間が掛かるというのはその通りなのでしょう。ただ、外の人間であるわたしと会えるようなら、回復に向かってると言えるのではないでしょうか」
「会うだけでか?それなら部屋から引っ張り出してしまえばいいとい言うことか?」
「無理矢理したら良くないでしょう。友人とはいえ彼女にとってわたしは外の人間です。彼女が部屋から出る案内には丁度良い人間かも知れません」

 人間は日頃周囲の社会を信頼して生活している。自分を信じ、肉親など周囲の人間を信じ、社会を信じている。道行く人が皆連続殺人魔で自分を殺そうと狙っている、などと疑っていてはとても生活など出来るものではない。
キュルケは今、信じていた自身の力に裏切られ、助けを求めたであろう肉親にも助けに来てはもらえず、あのような凶悪な人間が存在する社会に恐怖している。
またいつかあの時のような目に遭うのではないかと怯え、それを防ぐ力が自分には無いのではないかと怯え、今度こそ誰も助けに来てはくれないのではないかと怯えているのだ。その恐怖は社会に対する恐怖でありながら、自分自身に対する恐怖であり絶望であると言える。
 丁寧にウォルフが自分の考えを説明するとツェルプストー辺境伯は顔を歪ませた。

「あれがワシには精一杯だったのだ!たとえ娘といえどもそのために全軍を危険にさらす事などは出来ん!」
「多分キュルケも分かってくれますよ。ただ、感情のコントロールが出来なくなっている状態だという事を理解してあげて下さい」
「・・・」
「彼女もきっと信じたいのです。でもそれが出来ないでさらに傷ついている。今は誰かがそばにいて話を聞いてあげる事が大事なのかなと思います」
「ワシは、近づかせてももらえんのだ」

 ここでこれ以上推測を重ねていても意味はないので二人はグライダーに分乗し、キュルケの元へと移動した。



 ツェルプストー城の奥域、手入れされた草木が生い茂る中庭に面した日当たりの良い一角にキュルケの居室はあった。ウォルフはいきなり入っていくことはせずに、まずは様子を窺う為、中にいるマリー・ルイーゼを呼び出して貰った。
彼女と会うのも山賊討伐以来だ。

「ああ、ウォルフあなただったの。いきなり呼び出されるから誰かと思ったわ」
「やあ、ミス・ペルファル久しぶり。元気?」

 久しぶりに会うマリー・ルイーゼは少しやつれて見え、あまり元気そうには見えなかった。ウォルフは努めて明るく接したのだが、嘆息で返されてしまった。

「あまり元気じゃないわね。キュルケに会いに来てくれたの?」
「うん。元気無いんだって?」
「ふう・・・まあ、そうね。元気ないわね」

 話を聞くと思ったより深刻そうだった。キュルケは一日のほとんどをベッドの上に座って過ごし、マリー・ルイーゼかリアが隣にいないとパニックになることもあるという。

「ちょっと思ったより重傷そうだな。ミス・ペルファルはずっと帰らないでここにいるの?」
「うん、わたしはあの時助けてあげることは出来なかったから、せめて今、側にいてあげようと思っているわ」
「ん、それは凄く大事なことだと思う」
「そう?本当はあの時わたしも行けたら良かったんだけど・・・ウォルフには感謝しているわ。キュルケを助けてくれてありがとう」
「それはこの前も散々聞いたからもう良いよ。ミス・ペルファルみたいな美少女にハグされたし、おつりが来る位だ」
「フフッ、あんなもんで良かったの?キッスの嵐とかの方が良かったかしら」
「いやいやハグ位で十分です」

 ウォルフの軽口にマリー・ルイーゼはつい笑ってしまった。思えば笑うのは久しぶりな気がする。

「じゃあ、キュルケのとこに行きましょう!もっと明るくした方がいい気がしてきたわ」
「おう、行こう。元気を出すのが一番だ。元気があれば何でも出来るって東方の偉人・アントニオが言ってたし」
「元気があれば何でも出来る・・・その通りね。まずキュルケに必要なのは元気だわ!」

 二人で気合いを入れるとキュルケの部屋の前に移動する。先にマリー・ルイーゼが部屋に入って暫くした後ウォルフも呼ばれた。

「会うって。入って、ウォルフ」
「おう、失礼しまーす」

 努めて明るく振る舞おうとするマリー・ルイーゼに合わせ、ウォルフも軽い調子で応える。
部屋に入るとキュルケは部屋の中程で立って待っていた。簡易な部屋着にニットの帽子を目深に被り、横にはリアがいてその手を掴んでいる。いつも自信満々に相手を見据えていた瞳は、今は力を失っている。その視線はウォルフの喉の辺りを彷徨うだけで決して目を合わそうとはしなかった。

「キュルケ、久しぶり。元気、じゃなさそうだな」
「久しぶり・・・あの、わたし、ウォルフにお礼、言って無くて・・・」
「お、今言ってくれるの?おk、カモーン」

両手を広げて笑ってみせる。キュルケはほんの少し笑ってくれたような気がした。

「その、助けてに来てくれて、ありがとう。あなたが来てくれなかったら、死、死んでたかも知れないって聞いたわ。あと、水の秘薬やラグドリアン水のことも。傷が残らなかったのはウォルフのおかげだってオイゲンが言ってた」
「お、おお、どういたしまし、て、いやー、キュルケが助かって良かったよ!良かった良かった」
「ホント良かったわよね!ほらキュルケ、ウォルフと一緒にお茶にしましょう」

 キュルケがしんみりとなるのをウォルフとマリー・ルイーゼで何とか明るい雰囲気へともっていく。放っておくとすぐに落ち込むので結構気を使う。
お茶を飲みながらグライダーの風防をはめ込んだ窓を褒めたり、今度ウォルフが行くことになった東の森のことなどを話して過ごした。
 マリー・ルイーゼが東方開拓団に興味を持ったみたいで、色々聞いてきて結構話が盛り上がった。東方開拓団の制度というよりは辺境の森に住む幻獣に興味があるらしい。
そんな中、ポツリポツリと会話に参加していたキュルケが下を向いて何かを考え出した。どうしたのかとウォルフが様子を窺うと、キュルケは顔を上げ久しぶりにウォルフの目を見つめた。

「ウォルフは、怖くないの?そんな、何がいるのか分からないような森に行くのって」
「いやあ、怖いよ。オレってかなりビビりだし」
「そんなの嘘っ!この間もあいつを全然怖がってなかったってリアが言っていたわ!」
「ああいう正面から来てくれるタイプはそんなに怖いと思わないかな。突然認識の外から攻撃されるとかのが嫌だよ」
「あいつのことは怖くないんだ・・・」
「オレは臆病だから、日頃想定できることには対応できるように訓練してきた。あのメイジは確かに強力だったけど、想定を超える程じゃなかったよ」

 ウォルフがハルケギニアに転生してみて日本との一番大きな違いと感じたのは魔法の存在だが、その魔法は人間を殺傷することが出来る武器でもあるのだ。
銃刀法が整備され、銃はおろかナイフでさえも持ち歩くことが制限されている世界から、銃以上の武器を多くの人間が持ち歩いていると言える世界に来てみると、それは結構怖い事だった。
 ちょっとした諍いから決闘に発展したり、闇討ちされたりする。警察力は弱く、ろくな捜査もされないので自重しようとする空気もない。
大好きな物づくりの時間を削ってまでフアンや両親の戦闘訓練を積極的に受けたのも貴族のたしなみと言うよりは護身の為だし、気配察知の訓練に励むのも同じ理由だ。
ウォルフが感じている脅威に対してキュルケ達生粋のハルケギニア人はどうもおおらかというかあまり何も感じていないように思えるので、ウォルフは常日頃自分のことは臆病なんだと感じていた。

「相手をよく観察する事も大事だね。観察する事によって弱点が見えてくる事もあるし、弱点が見えた相手の事は怖くない」
「・・・でも、今回はウォルフが勝ったけど、いつか負けちゃうかも知れない。弱点なんて無い相手もいるかも知れない。それなのに、そんな所に行くの?」
「怖さよりも行きたい気持ちの方が断然強いから。負けるかも知れないけど、負けないように最善の努力はしている。それに勝てそうにない相手だったら逃げちゃうしね。オレは逃げ足は速いんだ」
「逃げるの?貴族なのに、敵の前から逃げるって言うの?」
「逃げる逃げる。この前だって勝てないと思ったらキュルケ連れてとっとと逃げてたよ」
「・・・」

 実際に逃げるとすればウォルフの『フライ』は『グラビトン・コントロール』を利用して質量ゼロにまですれば普通のメイジとは勝負にならない程の速度で上空へ逃げることが出来る。たとえ相手が伝説の風の使い手とかでも逃げ切る自信はある。
キュルケの感性からすれば敵の前から逃げる事は美しい事ではないのだろうが、ウォルフ的には戦略的撤退は余裕で有りだ。
 その後も色々と話をしたがキュルケはあまり話をしなくなったし、長居をするのも何なので今日の所は帰ることにした。あまり焦ってどうこうしようとしない方が良いだろうという思いだ。

「じゃあキュルケ、またな。元気出せよ?」
「ええ。今日は来てくれてありがとう・・・またね」
「近いうちに顔を出すよ、じゃ、これで」

 キュルケは部屋からは出ようとしないので入口のドアで別れる。素直なキュルケというのも何とも違和感がある物だ。
そのまま帰ろうかと思ったのだが、思い出して一応辺境伯の所へ顔を出した。辺境伯はずっとウォルフを待っていたらしく、すぐに執務室へと通された。

「で、どうだ、キュルケは。治ったのか」
「・・・そんなすぐに治るような状態ではないでしょう。何言ってんですか」
「むう、そうか・・・じゃあ、見込みはどうなんだ、何か分かったことはあるのか」

 性急な事を言う辺境伯にウォルフは呆れる。言葉遣いがぞんざいになってしまうのはしょうがないことだろう。 

「だからそんなすぐには分かりませんって。専門家じゃないんだし・・・あ、でも、辺境伯の話題が出た時にキュルケが竦むって言うか、良くない反応をしてた気がします。何か叱ったり余計なことを言ったりしませんでしたか?」
「いや、そんな覚えはないぞ。優しい言葉で多少叱咤激励しただけだ。可愛い娘が傷ついているんだ、こういう時に励ますのは普通だろう?」
「うーん、気のせいなのかな・・・あー、でもあんまり「頑張れ」って言うのも負担になるみたいですよ?今は頑張らなくても良いんだって言ってあげた方が良いらしいです」
「む、そうか。気をつけるとしよう。他に何かあるか?」
「後は、そうですね、キュルケは今、自分のことを否定されたと感じていますので、「心が弱いからダメなんだ」とか否定から入るのはダメです。肯定してあげてください」
「う・・・それはそのまま言ってしまったぞ・・・心が弱いから何時までもくよくよしているんじゃないのか?」

 少し焦って辺境伯が答えた。キュルケの心が強くなればいいと思って言った言葉をそのまま否定されるとは思っていなかった。

「たまたま足を骨折した人間に「骨が弱いから折れるんだ」って言うようなものですね。骨が折れる程の強い力が加わったことを考慮すべきで、「良く耐えた」と褒めるのが当然です。何か不安になってきたよ・・・「もう忘れろ」とか言うのも意味はないですよ?」
「それも・・・言ったな。なぜだめなんだ、忘れてしまえば楽だろう」
「忘れられる物ならとっくに忘れています。人間とはそういう風に出来ているので。今回は気軽に忘れられない程大きく傷ついてると言えます。もしかして、「甘えるな」とかも言っちゃったりしてますか?」
「・・・言った。オイゲンがもうどこも悪い所はないと言っているのに、やれ腹が痛いだの胸が苦しいだのと言うから、少し厳しくした方が良いかと思って・・・ダメか?」
「本当に痛いんです。心の変調が体に表れるのは良くあることなのに・・・傷ついた子供を親が甘えさせてやんなくてどうすんだ、このボケっ!・・・て言いたい位ダメです」
「それは言ってるのと同じだわい・・・そうか、ボケか、そんなにダメか」

 辺境伯は返す言葉もない。がっくりと肩を落とし、項垂れる。ウォルフが随分と失礼なことを口走ってるが、それを気にする余裕がない程打ちのめされている。

「ダメです。他には・・・「いつまでそうしているつもりだ」これは彼女が一番知りたいでしょう。先の事なんて考えられる状態じゃないです」
「ぐっ」
「「もっと酷い目にあった人もいる」彼女には関係ない事だし、立ち直れない自分を責めることになりかねません」
「むぐぐ」
「「ワシに恥をかかせるな」これは最悪ですね。何も言うことはない位ダメです」
「・・・」

 執務机に突っ伏し両手で頭を抱える辺境伯をウォルフは冷ややかな目で見つめた。まさか良く無さそうと思いついたことを辺境伯が全部言ってしまっているとは思わなかった。
本格的な治療方法などは知らないが、まず辺境伯との関係を改善しなくてはどうにもならない事はよく分かった。彼はキュルケの父親なのだから。

「とにかく今は彼女の話を良く聞いてあげることが大事です。彼女の言葉に耳を傾けて、肯いてあげるだけで良いんです・・・まあ、キュルケが会ってくれればの話ですけど」
「ぬうう・・・」
「せめて夫人経由であなたが怒ってないことを伝えて、謝罪しておいて下さい。じゃあ、また来ます」

 なおも落ち込む辺境伯を放置してウォルフはとっとと退出した。彼を甘やかす理由など何もない。



 辺境伯の元を辞した後ウォルフは直ぐに仕事に戻り、間に一日空けた二日後、再びキュルケの元を訪れた。キュルケはやはり同じ様な部屋着にニットの帽子を被っていて、部屋にはマリー・ルイーゼとリアがいた。
辺境伯とはちゃんと話をしたらしく、キュルケが少し嬉しそうに話してくれた。ここ二日毎朝顔を見に来ているらしく、何故あの日辺境伯がキュルケの救援へ行けなかったのか、そもそも何故部隊は襲撃されたのか、など話をしてくれたと言う。
ラ・ヴァリエールと事を構える寸前まで行ったことは驚きだったらしく、興奮した様子でウォルフに話した。
辺境伯との関係が改善したことは良いことで、それで少しは状態が良くなったかとも思ったのだが、まだまだ簡単にはいかないらしかった。

「じゃあ、まだ外には出てないんだ」
「うん、怖くて・・・外に出たら悪い人が居そうな気がしちゃって、こんな事じゃダメだと思うんだけど」
「いやいや、あんな目に遭ったんだからそう感じちゃうのは普通だよ」
「そう?ウォルフもそういう気分になる事ってある?」
「うん、言ったろ、ビビりだって。ボルクリンゲンのオレの部屋ってガラス張りだろ?あれは急に襲われない為だし、実は壁にも細工して外の様子が分かるようにしてある。例えば」

 ウォルフは杖を手に取ると『練金』で三十サント四方のゲルマニウムの板を作った。金属のように見えるその板を他の三人は見つめるが、それが何なのかは誰も分からなかった。。

「あ、これ窓の側にはめ込んであったかな?」
「そう、あちこちにはめ込んであるんだけどね、何だか分かるかな」

 キュルケが気付いたが、やはり何かは分からない。ウォルフはゲルマニウム板を手に取り三人にかざしゆっくりと動かす。
あちこちにかざして見せたり板の反対側で手を上下に動かしてみせると、マリー・ルイーゼがようやく気がついた。

「あ、温度が分かる!後ろに手とか顔とかがあると感じが違う!」
「正解。これはゲルマニウムって言って半金属の結晶なんだけど、可視光は透過しないんだけど赤外線に対しては透明って特徴があるんだ。えっと、つまり、普通の光は通さずに外の温度だけ分かるっていう性質を持っているから、壁の外に誰かが近づいたら直ぐに部屋の中から分かるんだよ」
「わたしはさっぱり分からないわ」
「水メイジに難しいかも・・・キュルケは分かる?」
「分かる・・・こんなのもあるんだ。っていうかウォルフって本当にビビりなんだ」

 リアには分からないらしいが火メイジである二人にはゲルマニウムの赤外線透過という特徴は分かってもらえた。しかし、女の子にただのビビりと思われてしまうのはちょっと辛いので訂正しておく。

「まあ、ただのビビりじゃだめで丁度良い塩梅って言うのがあるんだな。勇敢さは美徳だけど勇敢なだけだとただの無謀になる。慎重なのも良いけど過ぎると臆病になる。慎重さを持った勇敢っていうのが良いんだと思うよ」
「言い訳ヨクナイ。ウォルフがビビりなのは理解した」
「そうねえ、こんな変な窓作って外見張ってるってのはちょっと・・・」
「いや、別にずっと見張ってるわけじゃないから!外を誰かが通った時に分かるって言うか・・・」
「はいはい分かった分かった」

 ウォルフとしてはちょっとゲルマニウムの自慢をしたかっただけなのに、本気でビビり認定されてしまった。他にも魔法具を使って警備しているとはとても言えない雰囲気だ。まあ、キュルケが笑っているからこれ以上は気にしないことにする。

 この日、キュルケはウォルフ達と一緒に怪我の後初めて中庭に出た。



 また数日後ウォルフが訪れると、キュルケ達は庭でお茶を飲んでおり、笑顔でウォルフを迎え入れた。キュルケは帽子を被っておらず、生えてきた髪に合わせてほとんど坊主頭といった感じに短く切りそろえた頭を晒していた。
 この日は何故か聖人・アントニオの話で盛り上がった。いつの間にか偉人から聖人にランクアップしているがそれは気にしない。
マリー・ルイーゼが元気があれば何でも出来るという彼の言葉を言い出したのがきっかけだが、ウォルフは色々とアントニオの話を紹介させられた。

曰く、アントニオは強力なメイジ殺しであり、二つ名は燃える闘魂である。
曰く、彼は武器も杖も持たず、素手だけで闘う。
曰く、彼はビンタによってその闘魂を他人に注入することが出来る。そのため彼が訪れた街ではビンタをしてもらう為にいつも長い行列が出来た。
曰く、アントニオの魂と共に1!2!3! ダァーッ!と叫ぶと魂が燃え上がる。
曰く、座右の銘は「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」というもの。
 
 普通に聞けば眉唾物の話なのだがウォルフが見てきたことのようにペラペラと話すので三人とも信じてしまった。特にキュルケは件の詩をいたく気に入り、自身も座右の銘にすると言っている程だ。

「素手でメイジを倒すなんて素敵。アントニオってまるでイーヴァルディの勇者みたいだわ」
「あら、剣も槍も持っていないんだもの、アントニオの方が凄いわ」
「魂が燃え上がるってどんな感じなのかしら。ねえねえウォルフ、123ダァーッ!ってどうやるの?」
「えーっと、・・・」



 ゲルマニアの黒き森に面したツェルプストーの城の中庭で、ウォルフは一人テーブルに残り、メイドに入れ直してもらったお茶を静かにすすった。太陽は徐々に高さを落とし、庭木の影は長さを増している。少し離れた庭の開けた場所にはキュルケ達がいて、そこに城のメイド達も集まって結構な人数になっていた。
つい調子に乗ってアントニオの話などしてしまったが、あの詩を気に入るということはキュルケが未来に向き合い始めているのだと言えるだろう。
まだまだ大変だろうけど、キュルケが一歩を踏み出す勇気を持てたのなら良かったと振り返る。

「いくぞー!いーち!にーい! さーん!」「「「ダァーッ!」」」

 ただ、今は天に向かって繰り返し拳を突き上げる少女達をどうしたらいいものかとウォルフは悩んでいた。


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