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[28081] MUV-LUV ALTERNATIVE 不良の背中
Name: あおいぶた◆0a2be469 ID:196a220b
Date: 2011/06/27 01:56
お初にお目にかかる人ははじめまして。お久しぶりの方はまたどうぞよろしくおねがいします。
ここ一年ロクに文章を書いていなかったのでリハビリです。
いろいろ問題点の多い作品ですが、暇潰しにでも読んでくれたら嬉しいです。

1、オリ主モノです。ほかにもオリキャラがどっさりです。

2、国語力低め、文章量少なめでお送りします。

3、更新は不定期です。

4、チラシの裏からやってきました。


以上の注意点で嫌悪感を催す方は、戻る事をオススメします。
それでも読んでくれると言う方はありがとうございます。
楽しんでいただけると嬉しいです。




5/31 勝手ながらチラシの裏からmuv-luv板へと移動。
同日 勝手ながらメインタイトル、サブタイトルも変更。
6/5  改訂。火浦が若干熱血漢に。
6/27 改訂を始めます。



[28081] プロローグ 九月六日のクズ野郎 【改訂済】
Name: あおいぶた◆0a2be469 ID:196a220b
Date: 2011/06/27 01:57



無数の曳光焼夷弾の輝きが荒野を飾っている。
気化した重金属で作られた雲を切り裂いて戦場へ現れる七つの影は、レーダーが使用可能になると同時に無数のロケット砲へと点火した。
影の名はAH64、愛称はアパッチの名で親しまれる戦闘ヘリである。
陸を駆ける無数の鉄人や戦車が自身を確認し、戦域を少し下げるのを確認してから、敵陣の真上から無数の爆弾を投下して爆撃を開始する。
一トンを超える爆弾を大量に投下した後はそのまま戦域をフライパスしながら大きく弧を描いて旋廻。

「もう一度行くぞ。今度は後ろからだ」

「了解」

後部席にて操縦を担当する火浦は、前部席のガナーコックピットに座るアーチャーへと合図をかける。
後ろを取ると同時に地面を這いずる異形の怪物たちに七十ミリのロケット砲と三十ミリチェーンガンを浴びせかける。
砲火の轟音で聞こえないが、陸地ではきっと肉が弾ける気持ちのいい音が聞こえているだろう。
対空戦力を奪われた連中を一方的に叩けるのはヘリの特権だ。もっとも、ある意味では一番危険なところにいるのだが。
丁度そんな時、彼らの耳に取り付けられた無線から聞きなれた同僚の声が聞こえてきた。

『レーザー級の存在を確認、重レーザー級は確認できず。大凡20!』

ぶわっと火浦の額に脂を含んだ汗の珠が浮かぶ。
勘弁してくれ、と呟きながらヘリを前傾姿勢に傾け、高度を下げつつ速度を上げる。なるべく、他の六機のヘリとは別方向に。
無線から聞こえたレーザー級、という存在から、訓練校と実践で叩き込まれた技術をすべて用いて離れようとする。
それだけの存在なのだ。無線から聞こえる指揮車からの連絡を耳にしながら火浦の乗ったアパッチは重金属雲の中に潜り込む。

『撃・・・・・・きるか!?』

『生憎・・・切れだ。出現・・・・・・・・・マー・・・・・・・・・したので確認』

「データリンク・・・・・・駄目だ。雲が厚すぎる」

通信が途切れてきたが、最後の爆音だけは耳にくっきりと聞こえた。
くそ、と火浦は唇をかみ締めながら後方へと急ぐ。しかし、不幸というものは来てほしくないときこそ押し寄せるものだ。
もっとも、他人のではなく、自分の不幸を望む人間など本当にいるのなら見てみたいが。
レーダー回復の為に少しだけ高度を上げようとした瞬間、それは起こった。

「うおッ!?」

突然ヘリが制御を失った。
コンディションを確認する為に視界をコクピットに下げると、メインローターに取り付けられた羽が二枚破損している。
それから一瞬遅れて、じゃっ、と空気中の塵と重金属の雲を蒸発させる音が聞こえた。

「いかん、かすった!」

「立て直せるか?」

「無理だ、不時着させる。舌を噛むなよ!」

不時着時にヘリが横転したりプロペランドを潰したりしないようにと制動をかけようとする。
しかし、羽を半分毟られた鳥が飛んでいられないように、これ以上の飛行は不可能だった。

「来るッ!」

凄まじい衝撃。不時着、というよりも半ば墜落、といった感じだった。
むしろ、メインローターの羽を半分食い千切られてここまで衝撃を緩和できたのは操縦士である火浦の技量の高さ故だろう。
あるいは、自分は何をやっても死なない、というジンクスを信じた故の奇跡だったのかもしれない。
しかし、シートベルトを着けていて尚、墜落時に歪んだフレームに顔をぶつけてしまい、マスクごと左頬の皮膚を大きく削がれてしまった。
あまりの痛みに火浦の食いしばった口から苦悶の声と吐息が漏れる。

「はあッ・・・・・・はあッ・・・・・・アーチャー、無事か?」

紐の切れたマスクを力任せに外して頬を抑えると、ぬるりと手袋越しにぬめりを覚えた。
かなり派手に出血しているらしいが、応急手当をするにも今居る場所は前線だ。急ぎ脱出して撤退せねばなるまい。
頬の出血を意図的に無視しつつ、軽く体を動かしたところ、節々は痛むものの脱臼や骨折は無いようで、火浦は安堵を覚える。
しかし、みしりと音を立てて軋む首を前に向けた瞬間に軽く抱いていた安堵は霧散した。

「腕をやられたか・・・・・・生きてるな?薬は?」

「・・・・・・ああ・・・・・・駄目だ。抜けそうにない・・・・・・薬は、既に飲んだ。VKと、K2だ」

アーチャーの左腕は歪んだフレームと前部操縦席の隙間に挟まれて、ひしゃげているように見えた。
いつも冷静で涼しげな表情を崩さない男が額に汗して唇を噛み締めているのだから、相当に苦痛なのだろう。
直接声をかけて治療してやりたいところだが、墜落時に歪んだブラストシールドのせいで前部操縦席に手が届かない。
火浦は右手側の歪みの少ないドアを思い切り蹴破ると、ヘルメットに取り付けられたインカムの通信域を短距離用に切り替える。
既に後衛の近くまで来ている筈だ。重装備の機械化歩兵や救護班のひとつやふたついるだろう。

『機械化歩兵、救護班、いるか。今墜落したヘリに要救助者が取り残されてる。フレームに左腕を潰されて、重症だ。ポイントわかるやつ、すぐに来てくれ』

『了解。アイランド小隊をポイントB-05へ向かわせる』

後部座席の扉を引っ張っていると、近場に待機していた指揮車からすぐに返事が来た。
救急キットでもあれば治療してやりたいのだが、生憎扉が開かない以上どうしようもない。
自力で扉を開けるのを諦めて、応援に来てくれるらしい機械化歩兵に任せることにする。

『了解。感謝する』

言いながら火浦はヘリのプロペラントの様子を眺める。一番不時着時に気を使ったのは何よりもこいつだった。
ケロシン系統の、ストーブ用の灯油みたいな燃料を積んでいるわけだから、漏れ出したところに火花でも散ったら大変だ。
引火した瞬間に逃げる間もなく爆死してしまうだろう。もっとも、自分が死ぬ場面を想像したところで現実味が無い。
そんな益体もないことを考えながら視線を辺りに巡らせると、前線の方向から二匹の怪物が駆け足で近づいてくるのが見えた。
人よりでかくて二足歩行する翼と羽根のない鶏に、赤い目玉のいっぱいついた象の頭をすげかえたような、異形。闘士級とここでは呼称される化け物だ。
戦車が射ち漏らしたヤツだろうな、と思いながら、火浦はホルスターから拳銃を引き抜き、両手で構える。
距離は約百五十メートルあるかどうか、といったところ。安全装置を外して狙いをつけ、引き金を引いた。

「・・・・・・鼓膜・・・・・・?」

墜落した時から耳が少しおかしいせいか、銃声がよく聞こえなかった。遠雷のように響く砲火の音は聞こえるのだが。
どうやら特定の音域が聞き取りにくくなっているだけらしい。
しかし、十回引き金を引いて、七回当たったように見えた。一匹は既に動いていない。仕留めたように見える。
まだ一匹いるが、負傷したのか、先ほどよりスピードを落として近づいてくる。
しかし、じきに、五、六秒でこちらを射程圏に捉えるだろう。
火浦は予備の弾倉をジャケットから引っ張り出し、弾倉をつめ直そうと構えを解く。

「・・・・・・フウっ・・・・・・フウっ・・・・・・」

しかし、さっき切れた頬を触った時に指先が血で濡れたせいか、上手く銃から弾倉を引っ張り出せない。
少しだけ焦りながら手袋を脱ぎ、ようやく引き金に指をかける頃には闘士級はもう目の前に居た。
硫黄臭交じりの、独特の金属臭が鼻を刺す。
この臭いのもとの、彼らの体液は一体どういう味がするのだろう、と益体もない事を考えた。食ったら美味いのか、と。
そんなどうでもいいことを考えながら引き金を引いた瞬間、破れた鼓膜でも捉えられるほどの爆音が鳴り響き、闘士級の頭が吹き飛んだ。

『援護する・・・・・・って、遅いか。まあいい』

「助かった、感謝する。救援を頼んだ火浦曹長だ」

振り返ると、先ほど応援を要請した機械化歩兵がすぐ後ろに立っていた。
重機関銃を二門構え、腰に跳躍ユニットさえ着いたごつい姿はさながら小型の鉄人のようだ。
顔は見えないが、かなりいかつい低い声がインカムから聞こえる。

「アーチャー曹長はそこのヘリの後部座席だ。頼む」

『もう処置を始めている・・・・・・っと、曹長さんか。アイランド小隊隊長、戸川十郎軍曹であります』

「いや、緊急時だ。敬語とか、自己紹介はいい。とりあえず認識票だけ確認しておいてくれ」

『了解した』

ヘリの方へと目を向けると、既に扉を破ったヘリから運び出されたアーチャーが機械化歩兵に抱えられていた。
左腕を切断するようなことにはなっていないようだが、どうやら薬物で意識を失っているようだった。
もっとも、早いところ基地できちんとした手当てをせねば、後遺症が残るかもしれない。

『顔、結構派手にやったみたいだな・・・・・・あんたも乗れよ。傷の手当てをしてもらうんだな』

「ありがたい」

言いながら、アイランド小隊の後からついてきた救命車両に乗り込む。
ヘルメットを外すと、はがれ掛けた顔の皮と共に耳がぼろりと零れ落ちて、皮膚の切れ目でぶら下がった。
出血が尋常ではないと思ったが、こういうことだったか、と妙に冷静な思考を保っていた火浦だったが、無意識のうちに一言こぼした。

「耳が」

別に何か意味や意思がこめられた言葉ではなかったが、どうにも視界の隅でぶらぶらしている顔の皮と耳を見ていると、妙な気分になってくる。
触ってみるが、もうすでに神経が通っていないのか、痛みとか感触とかそういうのはなかった。
そんな火浦の様子をみた衛生兵は傷口に軽くゲル状の薬液を塗ると、とガーゼ、テープを手に、千切れた耳を傷口に当てるようにして押さえ付けた。

「うっ・・・・・・」

「我慢してください。まだくっつきますので」

酷い痛みだが、一応痛み止めの薬も飲まされたので、我慢できないほどではなかったが、どうにも気持ちが悪い。
痛み止めに含まれた睡眠薬の影響で眠くなってきた火浦はそのまま壁にもたれかかって寝息を立て始めた。
今にでも彼らの、人類の〝天敵〟が現れて彼らは殺されても不思議ではない。〝敵〟はそんな連中だ。
しかし、たった数十分のものに過ぎずとも、五時間以上の間戦闘と補給を繰り返していた彼には、沈み込むような、泥のような眠りだった。



五十分ほどの仮眠を取った火浦は最寄の司令部に帰還してすぐに、搬送されるアーチャーとともに仮設テントにいる軍医を尋ねた。
アーチャーは右半身に単純骨折を六ヶ所もやっているらしく、復帰には一ヶ月以上かかるそうだ。
それに比して火浦は、顔の傷とはいえ、命に直接かかわるではないらしい。感染症予防のものと耳と皮膚をくっつける薬だけ渡して火浦を追い出した。
べったりとしたゲル情の、というよりももっと粘度の高いピンク色のものを傷口に沿って塗布する。
祖母が使っていた入れ歯安定剤のようだ、と火浦は思いながら耳と皮膚をしっかり固定する。
大陸支援に来てからここ一年、大きな負傷もなかったからあまり野戦病院には縁が無かったが、自分以上の重傷者が大勢いることをようやく思い出した。
アーチャーどころではない、五体不満足にされてしまったものたちもグロス単位でいる。
少々気が緩んでいたようだ。唇をかみ締めて眠気を吹き飛ばすと装備を整え、直接の上官に指示を受けようと司令部へ向かった。

「駄目だ!後退せざるを得ない!」

「輸送ヘリは・・・・・・」

「物資は置いていく。それしかないだろう」

どうやら取り込み中のようだった。先ほどから通信が帰ってこないことを不審に思っていたが、余程やばい状況のようだ。
話の内容を聞く限り、物量に圧されて長く持ちそうにないらしい。いますぐ尻尾を巻いて逃げるべきだ、とのことだ。
ここの日本帝国支援部隊第二大隊司令部に死に体で帰ってきた衛士が正確な戦域データを持ってきた結果、地中から旅団規模の増援が現れたらしい。
あと三十分もしないうちに突撃級、人類の〝天敵〟の中でも最も足が速いヤツが到達するらしい。
火浦は再び出撃できないかと、少しでも敵の進撃を遅らせる為に予備機期待してハンガーへと駆け足で向かう。
すると、途中で忙しそうな様子の整備兵を見つける。

「アパッチ、予備機はあるか?」

「ねえよ!あんたがぶっこわしたので最後だ!他のは一機も戻ってきてねえ!・・・・・・撃震だけあっても、衛士が全滅だ・・・・・・」

七機居た航空支援部隊は全滅したらしい。しかも、生存者は火浦とアーチャーだけらしい。
同じ釜の飯を食った連中がもういないことを思い、一秒だけ火浦は目をつぶって黙祷をささげた。
しかし、今危機的の状況下に陥っているのは自分たちだけではない。中韓連合軍とともに陸地で戦っているはずの鉄人や戦車も同様だ。
彼らの多くはつい先日補充された新兵、ひよっこどもだった。

「ひよっこどもは」

「・・・・・・通信が取れない。CPがやられてるかもしれん」

整備兵は俯きながら首を横に振った。
要するに、救援どころか支援も満足に期待できないということだ。
敵はほぼ素通り。先ほど聞いたように甘く見積もって三十分で到達する。そうなれば虐殺の開始だ。

「・・・・・・」

火浦は口をへの字に結ぶと、毅然とした歩調である場所へと向かっていった。



「こいつは予備機か?」

ハンガーにて、整備兵たちが忙しく撤退準備を行っている中、火浦は顔見知りの整備兵に声をかける。
彼が見上げるは灰色の鉄人。昨日搬入された予備機であり、部隊章すら付けられていない代物。
前方投影面積は同サイズのものに比べて最大。装甲は戦車と同程度から劣る程度。最高速度や加速性能は戦闘機に及びもつかない。
人類の戦術に対しては最弱。しかし、人類の〝天敵〟に対する性能は最高を誇る、極めて異色の存在。
その人間が生身で行う戦術を、機械のより優れた挙動で、より高い馬力で行おうという狂気の産物。
F-4、日本帝国において〝撃震〟と呼称される戦術歩行戦闘機、略称、戦術機である。
人類の持てる技術の粋を尽くして製造された、最強の兵器である。

「あ?ああ。そうだよ・・・・・・って、強化装備なんて着てなにしてんだ」

強化装備、火浦が今身に着けている、身体にピッタリとフィットした対Gスーツのことだ。衛士強化装備。それが正式名称である。
火浦が見上げる戦術機に騎乗して〝天敵〟と戦う、人類の兵器の〝担い手〟を呼ぶ者は、彼らを衛士と呼ぶ。
人類の守り手。最高の兵器を扱う、最強の殺し屋。他の兵科の数倍以上の教育費を用いて育成される。
訓練兵ひとりひとりの適正を調べ、ふるいをかけられた中から選ばれた、英才教育の申し子。
火浦もかつてはその一人だった。
しかし、搬入される実機の数の問題から、戦術機以上の適正を持っていたヘリのパイロットとして転科したのだ。
かつては選ばれた者の中からさらにふるいにかけられたエリートしか乗れなかった兵器が、今では余剰している。
このような皮肉な状況は実戦経験を持つ前線指揮官の少なさ故の、日本帝国のひよっこ衛士の死亡率の高さ故だった。
もともと搬入される予定の機体数よりも多い数の衛士が居たというのに、余っている。これがどういうことか、その理由を火浦は一年間前線で見続けてきた。
ゆえに、火浦は告げる。


「おれが乗る。出させろ」

これは、不良たちの物語である。







[28081] 序章第一話 世間様とクズ野郎 【改訂済】
Name: あおいぶた◆0a2be469 ID:196a220b
Date: 2011/06/27 01:58



街灯が点り始めた夕方の町並みを二人の少年が歩いていた。
吐息がけむるような寒い冬の夕方の道には人があまりおらず、ぽつりぽつりと道行く人も足早に家路をたどっている。
のんびりと歩くものは、少年二人だけだった。
彼らの着ている服は黒い学生服、かたやきっちり整えられたもの、かたや短ランを乱雑に羽織っているだけのもの。
それを身にまとう二人は、どちとも百八十センチ以上の大柄な体格を持っていた。
整った服装の、長めの髪をオールバックにまとめた少年は電気屋のウインドウに飾られたブラウン管テレビに目をやると、眉をひそめて口を尖らせた。

「お、またやってるよ。大陸派兵がどうこう。やだねー」

彼の視線の先のブラウン管の中では国会中継が行われていた。
彼らの祖国、日本帝国の重鎮たち、帝国議会の議員たちが怒鳴り声を散らしている。
今年決定された日本帝国軍の、アジア大陸への派兵について、大激論を交わしている。
その中に、会議場の片隅で腕を組んで居眠りをしている議員を目ざとく見つけたもう一人の少年が言った。

「まずは政府や武家が行けよ。あいつらその為にいるんだろが」

「武家はともかく政府が行ったらまずいだろ・・・・・・」

西暦1991年、人類を含む多くの生命の故郷、地球は未曾有の危機に瀕している。
宇宙からの侵略者、BETAと地球人が呼称する生命によって。
1967年に月面にて人類と邂逅した彼らは18年前に地球、中国はカシュガルに落着し、今も侵略を続けている。
比喩ではなく、彼らが通った後にはペンペン草一本生えんのだ。
樹林の喪失などが原因の気候変動により、もう花見月だと言うのにまだ梅の花は咲かない。

「また税金上がったし、あいつら役にたたねーよ」

「仕方ないだろーに、いろいろ苦労があんだよきっと。その怒りはBETAに向けてくれ」

中東からヨーロッパを蹂躙しつくしたBETAは今後東進を開始するだろう。
アジア諸国は必死に、文字通り必死に食い止めてはいるが、近いうちに戦線が後退するのは避けられまい。
その為、日本帝国も大規模な大陸への支援を行おうと言うのだ。

「遠くのBETAより今日の晩飯のほうが大事なんだよおれは。米も肉も野菜もたけーよ、最近」

「あ、それホントだよな。また消費税上がるらしいし」

しかし、少年たちが言うように、直接BETAとの戦争に関わっていない後方の地である日本も、景気は低下の一途を辿っている。
大陸派兵などに向けて軍需は増える一方、民需の縮小は止まらない。
結果、当然の話所得税、消費税をはじめとする税金は増えることになるし、国債も増える。
経済で発展した日本だからこそ、経済が傾くと他もすべて傾く。生命線なのだ。

「クソッ、じじいにまた小遣い減らされたんだぜ、おれ」

「それは普段の行いのせいじゃ・・・・・・」

「いーや、政治屋のせいだね、絶対。くそったれ、あいつらきっと今日も高級料亭で美味いモンたらふく食ってんだぜ」

明後日高等学校を卒業する彼らはじきに徴兵される。支援とはいえ、戦地に向かうことには違いない。
自分たちが痛い思いをする裏で、逆に美味しい思いをしている連中もいるわけで、それが彼には気に食わない。
戦争に恐怖しているのか、と問われれば、違うと答えるだろう。

「映画の見すぎだろ・・・・・・」

そうこう話しているうちに彼らは目的地である駄菓子屋についていた。
黄粉棒やタコせんべい、棒つき飴、ガムなどを小銭で購入し、食べ歩きしながら家路を辿る。

「げほッ、げほッ・・・・・・!」

黄粉棒を頬張った際に黄粉を吸い込んでしまい、短ランを羽織った少年は咳き込んでしまう。
チューブ型のコーラ味ジュースの切り口を噛み切ると、慌てて飲み干した。

「落ち着いて食えよ・・・・・・大丈夫か?」

「ふー。助かった。ありがとよ」

短ランを羽織った少年はオールバックの少年に背中をさすってもらって息を整える。
ほっと一息つくと、もう家の前までついていた。短ランの少年は自宅の方向を親指を立てて示し、別れを告げる。

「あ、ウチこっちだから」

「おう」

そして、手を振って友人と別れた短ランの少年は、自宅の鉄の門を開けて自宅を見上げる。
小さな、2DKほどの平屋の家だ。敷居をまたぐと、ただいま、じじい、とあまりにあまりな帰宅の挨拶をした。
しかし、帰ってくる声もまた、あまりにあまりなお出迎えで、おかえり、クソガキ、という乱暴なものだった。

「土産は?」

台所への扉から現れて土産をせびるのは少年とよく似た顔立ちの老人だった。
百九十近い背丈に、衰えてなお百近い体重を維持しているであろう屈強な体躯を持つ偉丈夫。
他でもない、彼は少年の祖父、火浦源次郎だった。
同じ火浦の苗字を持つ少年、火浦京次郎は器用に足だけで靴を脱ぎ、玄関から上がる。
ペッタンコに履きつぶされた革靴は、彼の羽織る短ランや、手に持つ鞄と同様に不良スタイルである。

「ほらじじい、お土産」

「ありがとよ」

口こそ悪いものの、敬老の精神豊かな京次郎は自分だけ買い食いをして帰宅することはない。
毎度祖父の好物のタコせんべいを購入してから帰るのだ。ソース味のあれは美味い。
ぎぃぎぃと軋む床の音には慣れたもの。源次郎の友人の大工が建てたという築五十年の平屋は今でも頑丈にできている。
源次郎が出てきた玄関からすぐのふすまをあければ、仏壇に電気式の掘りごたつ。あと乱雑に本が詰まれた本棚があった。
京次郎は鞄を部屋の隅に投げ捨てると、立ったまま仏壇の前で手を合わせて二秒ほど目をつぶった。

「・・・・・・明後日、卒業式だから」

それだけ素っ気無く言うと、京次郎はすぐに本棚へと手を伸ばし、漫画を二冊つかむと、掘りごたつに足を潜らせた。
そんな彼を源次郎は表情を顰めながら数秒見つめると、自分も孫と同様に掘りごたつへと足を突っ込むことにした。

「今日遅かったな。何してた」

「卒業式の準備だよ。遊んでたわけじゃねえ」

部活動にも入っていない彼が六時を過ぎるまで家に帰らないことはあまりない。
まして、今日は土曜日だ。授業は昼過ぎで終わるはずであった。源次郎の疑問はごく自然なことだ。
しかし、今日は放課後に卒業生含め、在校生が卒業式の練習と椅子や壇上の準備などを行ったのだ。

「ったく、面倒くせえ」

わざわざ卒業生に椅子出しなどをやらせて眺めているだけの教師に腹が立ったが、卒業式を真面目にやる程度の良識は持ち合わせている。
これからは軍人として兵役に就かねばならんのだ。いつまでも一年二年の時のような調子で喧嘩をやらかしていていいわけではない。
既に召集令状は届いているし、卒業後には教育訓練を一年から二年程度受けることになるだろう。
もちろん、その後は戦地、アジア大陸に渡ることになるだろう。

「てめえ、軍隊では大人しくしてろよ。いじめ殺されるぞ」

「冗談じゃねえ。やられる前に殺し返してやるよ」

祖父のせっかくの忠告にも、孫は息巻いて聞きはしない。
不良の京次郎なんて不名誉な名前で呼ばれて粋がっている阿呆なのは事実だが、さすがにここまでくると修正不可能だ。
四十年以上前の第二次世界大戦の折、兵役に就いていた源次郎は当時の苦労を語ろうかと思ったが、既に十回以上聞かせようとして途中で逃げられたことを思い出し、やめることにした。

「お前は、世間の厳しさを知らんから」

「うるせえなあ・・・・・・」

阿呆の京次郎も小うるさい爺さんのたわごとだと思って言っているわけではない。
自分を思って言っているというのは、なんとなくわかる。タコせんべいを齧りながらの言葉でも、一応真面目な話なのだろう。
しかし、人間以外と素直になれないものだ。こだわりや執着というものを捨てきれない。
それが祖父へと心配をかける原因になるとわかっていても、不良という生き方はやめたくない。

「ヤンチャが過ぎるとうちの馬鹿息子みてえに・・・・・・」

「うるせえよ。親父は悪くねえ」

有無を言わせないような口調で言い切ると、京次郎は立ち上がり、そのまま部屋を出ていってしまった。
京次郎は、自身の父親の、源次郎の一人息子の話をするといつもこうなる。
源次郎自身、理由がわかっていても、彼も京次郎とほぼ同じ感情を、怒りを抱いているのだから。
しかし、だからこそ同じようなことにはなってほしくない。そんなあてつけ染みた生き方は寿命を縮めるだけだ。

「ったく・・・・・・だからガキだっつんだよ・・・・・・」

孫相手に上手く諭すことひとつ出来ない自分自身に辟易し、源次郎は指先で眉間を揉んだ。



自分の部屋につくなり、思い切り壁に短ランを投げつけて布団に転がった。
万年床というわけではないのだが、今日は朝面倒でたたみ忘れてしまったのだ。
少しばかりこもった湿気が冷たい布団が、熱くなった頭に心地よかった。

「くそ・・・・・・」

またいつものように喧嘩してしまったことを悔やみつつ、京次郎はぼんやりと天井を眺める。
あの染みはパンダに似ているな、などと思っているうちに、彼の意識は闇の中へ沈んでいった。



――――ほら、土産だよ。京次郎。

自分を呼ぶ懐かしい声が聞こえた。ああ、これは夢だ、とすぐにわかった。
十五のときに警察に連れて行かれて留置所で自殺した父が居た。
真面目で優しい、いい男だった。はやり病の肺病で妻に先立たれて酒を多く飲むようになったが、京次郎にはずっと優しかった。
いつも不平を漏らして鬱憤を晴らしていた彼は、いつものように武家か政治家か、あるいは将軍か、下らない愚痴でもこぼしたのだろう。
反体制派かと疑いをかけられて警察に連れて行かれて数日後、留置所で自殺したと聞かされた。
帰ってきた死体は痣だらけだった。

「親父は右翼のクソに殺された」

彼は三年経った今でもそう思っている。
その為か、お国のためとか、将軍万歳とか、そういうことを言っている連中が大嫌いだ。
不良と呼ばれているのも、周りのやつらと違うことを言っているからで、窃盗やら暴走行為を行っているからではない。
殺すな、盗むな、欺くな。その程度の分別はついている。
もっとも、その、〝己の心を欺かない〟せいで起きたいざこざで喧嘩や乱闘を起こし、数人病院送りにしている為、不良というレッテルは間違ってはいない。

「国のためならなんでも許されるのか。親父を自殺させるのが、お国のためなのか」

素行のことで生徒指導室に呼び出され、学年主任から説教を食らったらそう言い返した。
学年主任の男は顔を青くしてそんな恐ろしいことを言ってはいけない、と京次郎を諭した。

町で一対一で売られた喧嘩を買った結果補導され、警察官から理不尽な暴力を振るう下種、と罵られた。
なるほど、と頷いてから挑発的に理不尽な権力を振るう外道、と言い返してやったら理不尽な暴力を振るわれた。
高校三年の二学期に召集令状が届いてからこそ大人しくしていたが、以前の彼はまさに不良だった。
損で痛い生き方だというのは身をもって知っているが、そうしないわけにはいかない。
尊敬する父親と同じことをやって同じように死ぬのなら、それでいい。そう思っている。そう、あてつけている。世の中に。

「自分の良心のままに生きろよ。いいことはいい、悪いことは悪いとはっきり言ってやれ。誰にも恥じることはない」

そう、父は言っていた。父自身、実行できていたかと問われると首を傾げるところだが、その教訓を今でも京次郎は覚えている。

――――おれの心は、これでいいって言ている。おれは人の道を踏み外しちゃあいない。

言い訳染みて聞こえる言葉だが、それでも京次郎は本気でそう信じている。己の心を欺くことはしない。
軍に入っても、まっすぐ生きてやる。恥を知り、理不尽には真っ向から立ち向かう。

――――正しいことは正しいと言ってやる。間違ったことにはおかしいと言ってやる。それがおれの生きる道だ。

そう父の影に言い返すと同時に京次郎は目を覚ました。日曜日の朝だった。








[28081] 序章第二話 卒業式とクズ野郎 【改訂済】
Name: あおいぶた◆0a2be469 ID:196a220b
Date: 2011/06/28 22:23




「ふァ・・・・・・ぐ・・・・・・」

あくびを噛み殺しながら真面目に卒業式に出席する。
札付きの不良の周りに座っている生徒はいつ暴れだすかと戦々恐々としている。
もっとも、こういった場所で暴れたことは一度も無いのだが。レッテルというものはそういうものだ。
京次郎は自分の一挙一動にびくびくと怯える同級生の連中にちらりと目をやる。反射的にさっと目を逸らされた。

「言いたいことあんなら言えよ」

とでも以前の彼ならば言っていただろうが、流石に卒業式中に揉めるのはよすべきだろう。
彼の祖父、源次郎は今日の式に出席していないが、心配をかけるのは京次郎としても本意ではない。
父の良次郎が留置所内で自殺してから、京次郎の私生活は荒れに荒れた。
腹の中で煮え滾る怒りを発散させる為に、片っ端から不良のような外見の連中に喧嘩を売った。ガンをつけて、中指を立てた。
あてつけのように警察官の目の前で喧嘩をやったこともある。うざったく言い寄ってくる女を張り倒したことさえある。
迷惑をかけまくって、恨みをダース単位どころかグロス単位で買い占めている、北区屈指の札付きの不良。それが火浦京次郎だった。

「ひ、火浦京次郎!」

校長の声が壇上から聞こえる。威張り散らすだけで能無しの、役立たずだ。
というか、この学校自体が底辺らしく、新しくやってきた新任にどいつもこいつもが仕事を押し付けている。
特にあの脂ぎったでかい面の校長は毎日五時に帰宅していた。新任教師が十時まで残って仕事をしていても、だ。
チッ、と舌打ちをして立ち上がると、隣に座っていた小柄な男子生徒が椅子から転げ落ちた。

「おおげさなんだよ。大丈夫か?」

「ごめんなさい!」

そう言って手を貸してやろうとしたが、すぐに男子生徒は手を借りずに立ち上がって座りなおした。
ちょっとした親切心を蹴飛ばされたような、少しだけ不愉快な気持ちになりながら京次郎は頭をかいて壇上へと向かった。

「・・・・・・以下同文」

両手で卒業証書を受け取って、練習でやったとおりの足運びで一歩下がり、そのまま壇上を降りていく。頭は下げなかった。
不良なんて小汚い生き方でも、いやなやつに頭を下げるのだけは嫌だった。
その後は、椅子にじっと座り、寝息を立てることもなく、静かに式に参加していた。
そんな彼の心がけをぶち壊しにきた連中がきたのは、そんな時だった。

「おらァ!火浦いンだろ!」

「卒業式たァ、いい身分だなァ!?いい子ちゃんに鞍替えしたのかよ!」

思い思いの得物を持った不良少年たちが、警備していた教師を蹴散らし式場に乱入した。
一年生や二年生は阿鼻叫喚の様子で逃げ惑っている。やれやれ、と火浦は頭をかいた。また迷惑かけちまったな、とぼやく。
椅子から立ち上がると、右ポケットから拳を出して釘バットを持って暴れる少年に近づく。

「まだ殴られたりねーのか?酔っ払い」

「て、てめえ!いつまでも俺を見下してんじゃねえ!」

近づいてみれば、どこか見覚えのある顔だった。
顔の下半分をギャングよろしくバンダナで隠しているが、たれ目の二重にツンツン頭。
一年ほどまえだろうか、裏路地で中学生の女をマワしていた男たちの一人だ。気に入らなかったので半年ほど入院してもらった。
少年は釘バット、木製バットに釘を打ち付けてしまったIQの低い武器だ、を振り上げて火浦目掛けて振り下ろす。

「うぜえよ」

「がはッ!?」

しかし、それを片手で受け止めた火浦はカウンター、ではないが、空いたもう一方の手で思い切り少年をブン殴る。
前歯の差し歯と鮮血が散る。なぜ差し歯なのかというと、以前火浦が全部前歯をへし折ったからだ。
手に刺さった釘の尻が皮膚を深く裂いていたが、この程度ならばツバでもつけておけば治る。
その後、気絶した少年をほかの仲間の下に片手でぶん投げて、ひるんだ残りの三人を、一人ずつ丁寧に相手をする。
また来られても面倒なので、しばらく物を持つのに苦労してもらうことにした。わかりやすく言うと、親指を折った。
救急車のサイレンが鳴り響く卒業式は、阿鼻叫喚の地獄のような有様の中、終了する。
卒業証書の入った筒とペッタンコの鞄を持つと、他の連中を無視して京次郎は帰ってしまう。
彼に声をかけようとするほどの気合の入った教師などこの学校には一人もおらず、彼はそのまま帰宅した。



「ただーいま」

京次郎は言うなり、ペッタンコの鞄と卒業証書の入った筒を投げ出しながら玄関から上がった。
午前中で卒業式は終わり、この後昼食をとったらすぐに横須賀基地に出向しなければならない。
知らない道で少々気にかかるところもあるが、召集令状という鉄道のタダ券があるのだから間違えたりすることは無いだろう。

「おかえり」

台所の方から祖父の声が聞こえた。京次郎は昼食の用意でもしてくれたのかと思い、そちらに向かう。
木製の引き戸を開けると、いつも使っている洋風のテーブルの上に白米で作られたらしいおにぎりが見えた。皿の上に、三つ。海苔付だ。
京次郎は台所のシンクで手を洗い、いつものようにズボンで手を拭くと、椅子に座るよりも早くおにぎりに手をつける。
むしゃむしゃと何も入っていないおにぎりを頬張ると、塩が少し多くてしょっぱかった。

「・・・・・・どうだ」

「うめえよ」

本心だ。源次郎は料理が下手だ。というか、彼の妻が去年他界するまで包丁など一度も握ったことが無かっただろう。
しかし、おにぎりだけはやけに美味かった。祖母が作ってくれたおにぎりも、美味かった。
母が作ってくれたものは昔のことでよく覚えていないが、きっと美味かったのだろう。
具も何も入っていない、ただしょっぱいだけのおにぎりが、京次郎にとっての家族の味だった。
ここ一年朝晩は京次郎が包丁を持って料理を作っていたのだが、どうにも京次郎自身は味気なく感じていた。何故か、なんとなくはわかる。
家族が作ってくれたものだから、美味いのだ。
じっくり咀嚼した米をごくり、と飲み込むと、腹の底から力が湧いてくるような気がする。

「ほら、飲めよ」

そう言って源次郎がコップに注いで渡したものは、白くにごった、いわゆるどぶろくというものだった。
隠れて酒を飲んだことはあるが、味わい方を知らない京次郎には、どうにもエタノールをそのまま呷っているかのような感触が好きではなかった。
持ったコップは少し暖かく、燗してあるのがわかった。わざわざ京次郎と飲むために燗して待っていたのだろう。
京次郎は一瞬だけ白くにごるそれに目をやると、祖父に視線を返して乾杯するように求めた。

「ありがとよ」

かちん、と源次郎の持ったコップと京次郎の持ったコップが軽くぶつかる。
そしてちびりとどぶろくを口の中に含むと、思ったよりもずっと酸味が柔らかく、美味いものだった。
驚いたような顔をしてコップを見つめる京次郎に、源次郎はけらけらと笑って言う。

「ぬるめに燗にするとよ、甘味が強くなるのよ。まあ、いろいろ試してみろ」

「・・・・・・ああ」

久しぶりに祖父の笑顔を見たような気がする、と京次郎は少しだけ感慨深い思いに耽った。
息子と酒を酌み交わすのは父親の特権だ、と誰かが言ったような気がするが、祖父もそういう楽しみが欲しかったのかもしれない。
だが、今日で自分はこの家を出て行かねばならない。横須賀基地で訓練を受け、アジア大陸で戦うのだ。
生きて帰ってこれないかもしれない。そんな風に、少しだけ弱気になる自分に気付き、京次郎は唇を噛んだ。

「ほらよ」

そんな時、祖父から胸先に押し付けられたものは、御守りだった。
見覚えがある。似たデザインのものを小学校に上がる時に父と母から贈られた。
近所の、社務所にいつも人がいるのか怪しいようなボロくさい神社だが、一応由緒正しいところらしい。

「千人針たあいかねえが・・・・・・」

少しだけ照れくさそうに目を逸らしながら、源次郎は頭を掻いた。
源次郎が第二次世界大戦の折に戦地に向かう際、近所に住んでいた奥方や、昨年亡くなった妻が作ってくれた、赤い腹巻。
穴の開いていない五銭を縫い込んだそれを見るたびに、生きて帰らねばと思ったものだ。

「・・・・・・」

いらねーよこんなもの、などと意地を張って言う気にはならなかった。
少しだけ手の中の御守りを眺めると、京次郎ポケットにそれを突っ込む。
心強い。自分には帰ってくる場所がある。いつか戻りたい場所があれば、きっと戦える。自分は死なない。絶対に。
そんな気分になってきた。また戻ってきて一緒におにぎりを食って、どぶろくを飲もう、そんな風に、京次郎は思った。

「それじゃ、行ってくる」

おにぎりを食べ終えた京次郎は、席を立ってそのまま玄関まで向かう。このまま部屋に戻ったりはしない。
このまま出て行って、いつか帰ってくるまでそのままだ。
そんな彼に、源次郎は少しだけ困ったような口調で告げる。

「あのよ、横須賀まで、ついてくか」

「いいよ。ガキじゃあるまいし」

玄関まで見送りに来た源次郎はやはり心配性だった。いつも心配させていたのは他でもない京次郎なのだが。
祖父と同じような顔で孫はけらけらと笑うと、ポケットの中の御守りをきつく握りながら祖父に背を向ける。

「御守り、ありがとよ。そんじゃ・・・・・・行ってくる」

ポケットに入る以上の荷物は男にはいらない。
京次郎にはその身と学ラン、召集令状と財布、それに今さっき貰った御守りぐらいしかなかった。
駅では召集令状を見せると、駅員は敬礼して送り出してくれた。鉄道で相席になった中年の男はがんばれ、とエールを送ってくれた。
自分に寄せられる期待は、そういうことなのだ。おれたちを頼むぞ、と言ってくれている。責任重大だ。

「・・・・・・重てえなあ」

やがて、横須賀基地までたどり着くと、門扉の開かれた基地の中へと京次郎は歩いてゆく。
そして、受付らしい係官がいたので、彼に召集令状を渡し、どこに向かえばいいのか聞いてみた。

「短ランで入営とは、気合入ってるじゃねえか。ほら、向こうに並んでるだろ、行け」

召集令状を渡した係官からの言葉がそれだった。嘲るような小汚いにやけ面が気に入らない。
殴ってやろうか、とも思ったが、この程度でいちいち殴っていたら世界中の半分は殴らなければいけなくなってしまう。
京次郎はこの列に並ぶ、という行為があまり好きではない。自分が何か得体の知れないものの一部になっているような気がしてならないのだ。

「ん、お前も今日卒業か?」

前に並んでいた金髪の男が振り返るなり口を開いた。
日本人というよりもアングロサクソン系の顔立ちのように見えた。

「そうだよ。クズの底辺高校だけどな」

「はッ、おれもさ。真人・アーチャーだ。どちらかといえば、日本人・・・・・・かな」

アーチャーと名乗った男はそう言ってニヒルな笑みを浮かべた。
どこか、日本人、という言葉に軽蔑の念がこもっていたような気がする。
しかし、そんな男の発言の意味を掴みかねて、京次郎は聞き返した。

「なんだそりゃ。混血ってことか?」

「日本人とアメリカ人の、な」

なるほど、と思った。やけに厭世的な雰囲気だと思ったら、そういう出自なら納得できる。
第二次世界大戦でアメリカに敗北してから日本人の反米思想はどうにも強くなっている。
対BETA戦線からもっとも遠い国、などという理由から、他の国々からも嫌われているらしい。
そのせいで、アメリカ人の血を引く者を避けたり、苛めたりするものも多くいた。
酷いものになると、というか、京次郎の通っていた底辺高校では教師までそういった苛めやリンチに関わっていたほどだ。

「気にくわねえよ」

そう宣言した京次郎は、いつものように手荒い手段でリンチを止めさせたが、今度はよりじめじめとした陰湿ないじめの方法に変わっただけだった。
教師を病院送りにした件の停学が明けて学校に戻ると、いじめられていた彼が転校したと聞いてひどく苛立ったものだった。

「そうか。ま、クズ同士よろしくな」

「自分で言うなよ・・・・・・」

京次郎自身はアメリカという国は好きでも嫌いでもない。
生まれた時には戦争は終わっていて、両親や祖父母も悪口を言って聞かせたりしなかった。
第一、アメリカ人とか日本人とかそういう大雑把でいい加減なくくりで人を見てるヤツは反吐が出るのだ。
日本人なら、日本男児なら、不良のクズどもは。うるせえ、おれは火浦京次郎だ。
そんな益体もないことを考えていると、京次郎たちの身体検査の番が回ってきた。
体が弱いなどの理由で徴兵されない者もいるが、京次郎は健康体だ。酒も若干しか入っていない。一切問題はなかった。
性病や痔病の検査までされたのは予想外だったが、止むを得ない。
担当医官が丁寧な人だったこともあり、つつがなくことを終えた京次郎は、散髪の順番を待っていた。

「次。坊主かスポーツ刈りか」

「スポーツ刈り」

どっかりと大股開きでパイプ椅子座った京次郎は、一瞬だけ考えて簡素に受け答えた。
もともとスポーツ刈りよりも若干長めの、いわゆるベリーショートに頭を刈っている京次郎に散髪が必要とは思えないが、必要ならば仕方ない。
散髪の担当官が首にケープがしっかり巻けたことを確認すると、何故かバリカンを手にして、いやみたらしいにやけ顔をつくった。

「坊主だな」

言うなり、バリカンで後頭部から額まで一本道が出来上がった。
ばっさり、と京次郎の短めに刈られた髪が落ちた。例えるならば、落ち武者だ。
鏡などないが、自分の頭がどういうことになっているのかぐらいは京次郎にもわかる。
頭に血が上りそうになるのを堪えながら、頬をひくつかせて京次郎は後ろで髪を刈り続ける担当官に罵声を浴びせる。

「てめえッ、なにしやがる!耳聞こえてんのか?」

「知るかバカ。おれはてめえみたいな不良が大嫌いなんだよ。分際を弁えて喋れ」

京次郎の額に青筋が浮かぶ。ここ数年の荒れた生活で沸点が低くなったこととは関係ない。
ここまで虚仮にされてやられっぱなし、というのは京次郎の青いプライドが許さない。
理不尽に対して怒ってこそ、人間の尊厳というものは保たれる。例えそれが、損失を生むとしても。

「んだと・・・・・・やるつもりかよ、ここで」

射殺すような目つきで担当官を睨み付けるが、流石軍人と言うべきか、怯むこともなくひょうひょうとそれを受け流す。

「上等・・・・・・と言いたいところだが、入営式が終わるまではてめえらはお客様だからな。その後はたっぷりしごいてやるから、覚悟しとけ」

そう言って担当官がケープを外すと、京次郎は禿山となった頭を触る。まだまだ冷たい三月の風には心もとなかった。









[28081] 序章第三話 入営とクズ野郎 【改訂済】
Name: あおいぶた◆0a2be469 ID:196a220b
Date: 2011/06/28 22:22



どっさりと両腕の上に積み上げられたすさまじい量の装備品を、京次郎を含む新入隊員たちは見上げる。
あまりの重さと量に取り落としそうになるものさえいる量だ。
戦闘服、作業服、常装制服、夏用、冬用、コート、その他もろもろ。ヘルメット含む。
おそらく、十キロは軽く超えている。ちなみに、これらは貸与されているだけだ。
お国のもの、ということらしい。なので給料からこの装備品の値段が差し引かれたりはしないらしい。
もっとも、下着やら短パンやら、靴下などは自費で購入することになるらしいが。

「今すぐ階級章と部隊章を縫いつけろ。見本どおりに。名札と、名前の刺繍もだ。キチンと自分のだとわかるようにやれよ」

京次郎は荷物を降ろすと、先ほど渡された携帯用裁縫セットと部隊章を手に取る。
不良、などと言われているが、火浦京次郎という男は手先が器用だ。彼が今来ている短ランも彼が自分で学生服を改造したものである。
当然、名前の刺繍や階級章の取り付け程度なら朝飯前であった。
十分もするとすべての支給品に刺繍を終え、手持ち無沙汰になった彼は周囲に視線をめぐらせる。
すると、禿山となった自分の頭をぺたぺたと触っている眉毛のない男を見つけた。京次郎は親切心から彼に声をかける

「おい、早くやらねえといちゃもんつけられるぞ」

「うっせえな。もう終わったんだよ」

彼はそう言って制服を見せる。
ぱっと見でわかる。間単に外れてしまいそうなぐらい部隊章の縫い方はいい加減だった。
京次郎は見ちゃいられん、とばかりにかぶりを振ると、彼の制服を引っ手繰って裁縫セットから針と糸を取り出した。

「貸せよ。おれがやってやる」

「あん?いいっつの。余計なお世話だろ」

そうは言うものの、彼は裁縫を始めた京次郎から制服を取りかえそうとはしなかった。
このままでは先任の連中に馬鹿にされるという自覚があったのかもしれなかった。

「そう言うなよ。これから仲間やるんだから、自己紹介ぐらいしようや」

器用に針と糸を駆使して綺麗に、ミリ単位でキッチリと部隊章と階級章を縫いつけながらけらけらと京次郎は笑う。
昔から、この手の作業は結構好きなのだ。高校や中学で男は家庭科の実習をすることはなかったが、祖母から裁縫のやり方は教わった。
男所帯なので炊事も掃除も一応だが、できなくもない。

「・・・・・・あー、おめ、おれのこと知らねえのか?おれ御神楽慶介」

「はじめましてだな。だから自己紹介しようってんだろ?おれは火浦京次郎。不良をやってる」

「ンハッ!不良をやってるってなんじゃそら!」

京次郎の一風変わった自己紹介に、御神楽は相好を崩して笑った。周囲で裁縫をしている連中が彼らを目を見開いて見る。
見もせずに器用に部隊章を取り付けている手際を見ているのではなく、御神楽の名乗った名前に驚いているらしい。
確かに御神楽という苗字は珍しいが、驚くようなものだろうか。そんな視線に気づいた京次郎は御神楽に耳打ちする。

「なんだよ、お前有名人なのか?」

「ホントに知らんのか。おれの親父が有名人。御神楽義昭、大蔵大臣」

御神楽義昭という名前は帝国議会でも指折りの有名人だ。
大蔵省は省の中の省とまで言われるだけあり、予算配分だけでなく、金融行政にまで影響力を残している。
BETA大戦で輸出入の経済活動が滞っている日本が、いまだ大きく傾いていないのは彼ら政治家の活躍あってのことである。
しかし、御神楽義昭とか、大蔵大臣とか言われても、高校で殆ど授業を聞いていなかった京次郎にとってはピンとこないものである。
というか、知らない。

「あー、うん。大蔵大臣ね大蔵大臣」

京次郎は適当に同じ言葉を繰り替えすと、誤魔化すように頬を掻いて目をそらした。
目が合った同期の男があざけるような目で彼を見る。そこまで馬鹿にされるほど知らなきゃ恥ずかしいことらしい。

――――知ってんだよ、ホントだよ。大蔵だろ。大蔵大臣っつーからには、アレだろ?

内心でうそ臭い自己弁護を繰り返す彼に御神楽はあきれた風に聞き返してきた。

「大蔵大臣って知ってるか?」

「あれだろ・・・・・・?蔵を、管理するんだろ」

戦争教育の悲しさか、否、生まれつき京次郎は馬鹿だった。

「まあ、広義ではそれでも・・・・・・まあいいか」

はは、と御神楽は乾いた笑いを浮かべながら京次郎から制服を受け取った。
部隊章と階級章は見本そのもののようにしっかり貼り付けてある。流石の手並みに感嘆の声を漏らした。
そんな時、ちょうど担当官たちが戻ってきて空を突くような怒声を上げた。

「流石にもう終わっただろうな!受け取った番号を確認して並べ!案内してやる」

先ほど貸与された衣嚢に制服などを突っ込むとすばやく立ち上がり、貸与品と一緒に渡された番号札のとおりに列に並ぶ。
どいつもこいつも禿げ頭かスポーツ刈りなので顔の見分けがなかなかつかないが、同じ列になったアングロサクソン系の禿は見覚えがある。
真人・アーチャーだ。

「よう、同じ班だな」

「ああ。よろしく」

言うと、アーチャーは右手を差し出した。一瞬だけ京次郎は何かと考えると、握手を求めていることに気づいた。
日本人の習慣では握手というものはあまりしない。焦った京次郎はズボンで手を拭いてからアーチャーの右手を握った。
思った以上に鍛えこまれた手だった。見れば、自分の手と同じところが擦りむけたりして変色している。喧嘩慣れしているらしい。
京次郎がぐっと右手に力をこめると、同様に力を込めて手を握ってきた。

「これから、頼むぜ」

「ああ」



兵舎にまず案内された初年兵たちは一番に二人一組に分けられて部屋へと割り振られた。京次郎はアーチャーと同室である。
荷物を置いて戻って来い、と言われた彼らは急ぎ足で自分に与えられた部屋へと向かう。
しかし、初年兵同士で二人部屋なら気楽なものだと勘違いするものも多かったが、どうやら同室の者全員が初年兵、というか同期のものではないらしい。
扉を開けるなり見えたものは、二段ベッドの下の段に横たわる、汚いささくれ立った坊主頭の男といかついひげ面の男だった。死んだようにへばっている。

「・・・・・・失礼します」

緊張から、ごくり、とつばを飲み込んで、京次郎は一歩踏み出した。
この部屋にあるものは、ちょっとした彼らの私物と、部屋の真ん中に置かれた長机と、四つの丸椅子だけである。殺風景な部屋だ。
しかし、部屋の中から漂う饐えた臭気、生活臭は、そんな印象を消し去って余りある。
ここで生活することになるのかよ、と京次郎は一瞬だけ眉をひそめたものの、すぐに居住まいを直して部屋の住人に挨拶をした。

「本日からお世話になる火浦京次郎です!よろしくおねがいしやす!」

「本日からお世話になります、真人・アーチャーです。よろしくお願いします!」

「・・・・・・おう」

しかし、帰ってきたのはそっけない返事ひとつ。少し会釈をして初年兵二人は部屋へと入る。
リノリウムの床の片隅には古年兵の持ち物であろう衣嚢やら、雑誌などの荷物が置いてあった。
京次郎はそれに倣い、部屋の片隅に衣嚢と一まとめにした荷物を置く。
同様に荷物を置いたアーチャーが部屋を眺めると、壁にかかった常装制服の名札には、藤野、そして男鹿とあった。
階級章を見るに藤野は一等兵、そして男鹿は上等兵らしい。
名前ぐらいは覚えておかなくてはな、と心の中で呟き、京次郎は足早に部屋から退散する。

「では、失礼します!」

「おう」

会釈をした京次郎は、彼らの様子を尻目に音を立てないように扉を閉めた。
どうにも彼らには元気がない。おそらく二年目か三年目なのだろうが、訓練に慣れない訓練兵のように疲れ果てているように見える。
それほどまでに訓練がキツいのだろうか。初年兵ならばなおさらだろう。あるいは、今日だけ特別な事情でもあったのだろうか。
なるべく後者であってほしい、と思いながら京次郎たちは足早に兵舎の玄関へと向かった。



「全員そろったか?確認を取る。さっきと同じ列に並べ」

自室となる部屋から戻ってしばらくすると、初年兵の案内担当官たちが戻り、先ほどと同様の列を作らせる。
京次郎たちの列を確認する真面目そうな男が一から二十まで番号で呼ぶと、数字通りに返事が返ってきた。どうやら全員いるようだ。
担当官はついてこい、と一言だけ言って引率を始める。基地内を案内するらしい。今日明日はオリエンテーリングのようなものらしい。

――――なるほど、お客様、か。

得心が行ったように京次郎は受付の担当官が言っていた言葉を思い返した。本格的なしごきは三日目以降、ということなのだろう。
丸坊主にしてくれたあの担当官のように、嗜虐心を疼かせている者もいるのだろう。
あんなムカつく野郎と顔を合わせ続けることになるなど、考えるだけで胸糞悪くなる。

「ここがPX、一番向かう機会が多くなるだろう場所だ。他にも何箇所かあるが、基地内で金を使えるのはほぼPXだけ、ということになっている」

PXと呼ばれた場所は基地に何箇所か点在する。食事を取るのも日用品を購入するのもここ、PXで行う。
それにしても、なっている、というのがまた、と初年兵たちは思っただろう。
同室の先輩などにゴマをすったりするのにいろいろと入用になるかもしれない。
もっとも、貧乏な京次郎は財布には大した金額は入れておらず、入営した後の給料をアテにしているわけだが。
祖父から貰ったお守りの中に数枚の紙幣と昔の五銭硬貨が入っていることには気づいたが、よほどのことがなければ使うつもりもない。

「地図を」

担当官が基地内の地図を全員に配る。安っぽい白黒のものだが、予備はないらしい。ない、ということになっている。
なくさないように、あるいはなくしてもいいようにコピーを取っておくべきだろうか。
そんなことを考えていると、担当官からは想像だにしない言葉が飛びだした。

「本日はこれで解散。同室の先任から必要な話を聞け。これも仕事のうちだ」

先任から必要な情報を引き出す要領のよさでも学べ、ということなのだろうか。

――――んなわけないだろ。

そんな風に思わざるをえない京次郎は挙手して質問する。

「質問があります」

「・・・・・・許可する」

身構えていた京次郎は少々肩透かしを食らった気分になった。
いきなり怒鳴りつけられるかと思っていたが、短ランを見て少々不愉快そうな顔をしながらも担当官は許可を出した。

「明日以降の予定はどうなるんですか?」

「喝ッ!」

勘違いだった。フェイントを入れて雷を落としてくるとは恐れ入る。
まったくもって下らない、そんな益体もないことを考えながら、軍隊という所が予想通りの場所だということを思い知った。
もっとも、その予想や覚悟を現実が上回るということを本当に思い知ることになるのは明後日以降なのだが。
一瞬だけ身構えそうになった京次郎に、鬼のように形相を歪めた担当官が唾を飛ばす勢いで怒鳴り散らす。

「どうなるのでありますか!だ!言い直せ!」

――――本当に、下らねえ。雷とは、余剰したエネルギーを放出する現象である。なるほど、無駄だ。

しかし、下らないことに意地を張って余計つまらないことになるのは御免こうむりたい。素直に言い直す。

「明日の予定は、どうなるのでありますか?」

「それを聞くのが仕事、だ。去年と同じことを聞けばわかる」

「はい、ありがとうございます!」

言いながらも、しらけた顔をせずにはいられない。毎年手抜きをしているらしい。
では解散、との号令に返事をしながら京次郎はあの部屋でくたばっていた古年兵たちからどうやって話を聞きだすか考えを巡らせた。
アーチャーも困ったように端正な顔立ちをうんざりしたように歪めている。あの部屋に帰ることさえ嫌そうだ。

「面白い話でもしよう。笑わせてご機嫌とって、話を聞きだそう」

「そうだな。肩でも揉んで話を聞かせて頂こう」

とぼとぼと自室へ向かいながら京次郎とアーチャーはこれからの作戦を立てる。もっとも、作戦と言えない様なお粗末な算段だったが。
やはり謙ってご機嫌を伺うのがよろしいだろう。京次郎としても先輩に対して敬語ぐらいは使えるし、パシリぐらいならやれる。
尊敬できそうにない相手にそれをやるのは勘弁したいところだが。
とはいえ、今は歯を食いしばってでも何とかしなければ、訓練を受けることさえできないかもしれない。
目をつけられれば、しごき殺されることさえあり得るだろう。ただでやられるつもりもないが。
そんな風に殺伐とした思考をしていると、京次郎の目が据わってきた。

「失礼します」

最低限の大きさの声でそっと扉を開けて饐えた臭いの充満した自室に入る。
部屋を見渡すと、先ほどよりはマシな様子の男鹿がベッドで寝転がりながら分厚い本を読んでいた。戦術機用の教本らしい。
藤野はおらず、京次郎とアーチャーは足音を抑えながら男鹿へと挨拶する。

「ただいま戻りました。男鹿先輩」

「おう、お前らか・・・・・・男鹿先輩、じゃない。男鹿上等兵、と呼べ。お前らも、自分の苗字の後に訓練兵、とつけるんだ。まあ、おれはそのうち少尉になるがな」

言いながら身体を起こすと、彼は嬉しそうに相好を崩した。
ジャガイモのようにでこぼこした、いかついヒゲ面がほころぶ様は少々威圧的だ。
京次郎は、占めた、機嫌が良さそうだ、と内心で思うと、興味が湧いたことを聞いてみる。
そして、自分の名前を言うときは火浦訓練兵、と名乗る、と記憶した。これから京次郎のことは火浦と表記しよう。

「少尉になる、でありますか?」

「ああ。今日は衛士の転科試験があったんだよ。藤野は落ちたからあんまりその話題には触るなよ」

「はっ!」

だからぐったりしていたのか、と得心がいった。しかし、おめでとうございますとでも言うべきか。
同室の藤野が落ちている以上、何も言うべきではないかもしれない。そんな風に考えていると、後ろでドアが開く音がした。
振り返れば、そこにいたのは青い顔をしてやつれた藤野だった。

「お前らか・・・・・・おい、初年兵だろ。お前ら」

「はっ!」

びしっと背筋を伸ばして返答する。落ちて自棄になっているのかもしれない。あるいは、転科試験とやらがよほどキツかったのか。
藤野はふらふらと覚束ない足取りで歩き、自分のベッドに倒れこむように、否、倒れこんだ。
そして、首を振り返らせることもせずに初年兵たちに声をかける。

「按摩やれ」

「・・・・・・うす」

ふざけんな、と口に出しかけたところで考え直した火浦は肩や首、背中を揉み解そうとベッドに乗る。
そして、腰から足はアーチャーがマッサージすることになった。
汗臭い、というか、微かに嘔吐物の臭いがすることに気づいた京次郎は顔を顰めた。
どうやらさっきまでトイレかどこかで吐いていたようだ。吐くほどキツいらしい。衛士への転科試験とやらは。
そんなことを考えながらマッサージをしていると、アーチャーが声を上げた。足をマッサージしている最中だった。

「げ、水虫じゃないっすか。勘弁してくださいよ!」

「うるせえ!とっととしろ!」

ため息を隠しながら、多くの初年兵たちはこれからうまくやっていけますように、と祈った。
きっと明日の今頃は、明日はもうちょっとマシでありますように、と祈るのだろう。
火浦もご多分にもれず、明日はいい日でありますように、そんな風に思いながら窓の外の夕日を眺めるのだった。







[28081] 序章第四話 教官とクズ野郎 【改訂済】
Name: あおいぶた◆0a2be469 ID:196a220b
Date: 2011/06/28 22:21




「ハッ・・・・・・ハッ・・・・・・」

春の日差しの中、延々と走り続ける作業服姿の男たちの一個小隊があった。
今のところ、十五キロ走らされただけだが、つい先日まで高校生をやっていた彼らにはきつい運動である。
これのおかげで重度の喘息が発覚して入営を取り消される者も他の隊ではいたらしい。
火浦自身、既に呼吸を一定に整えられなくなっていたが、それでもここでペースを落とすのも落伍するのも気に入らない。

――――速えぞ、おい。

まったくペースを落とさない目の前の眉毛の無い男の坊主頭を睨み付けながら、火浦は足に力を込めて地面を蹴る。
大蔵省、なるものをアーチャーに説明してもらった火浦が御神楽に抱いた印象は、お坊ちゃんじゃねえか、というものだった。
しかも、政治家の息子、それも大臣の御曹司だというのならば、招集を拒否できたかもしれない。
だのに、わざわざ来るあたり、性根がいいのかもしれない、とも。

「ハッ・・・・・・ハッ・・・・・・はッ・・・・・・!」

興味本位で事情を聞いてみようかと思ったが、生憎自由になる時間がここ六日間さっぱり無い。
朝には重い体を引きずりながら着替え、夜にはベッドの二段目に、残った最後の力を使って登り、そして泥のように眠る。
朝に一秒でも長くベッドの中にいるために、靴まで履いて眠っているのだ。この一週間足らずの訓練で火浦の甘い考えは完全に打ち砕かれていた。

――――覚悟していた、と言ったが、ありゃ嘘だった。現実はいつでも覚悟を上回るものらしい。

やれやれだぜ、そんな益体も無いことを考えながらグラウンドを走る。
一周四百メートルのそれは、運動が得意な火浦からすれば一分足らずで回りきれるものだったが、今の疲れた身体ではその五割増しの時間がかかる。

「昨日より遅いぞクソったれ!やる気あるのか!ないならブチ殺してやるからこっちに来い!」

「はっ!教官殿!」

やる気なんてねーよ当たり前だろ、と思いながらも火浦は足を止めない。目の前の眉毛の無い男は自分よりも優秀な成績を残している。
教本の内容をノートに写して片っ端から頭に詰め込んでいる座学では、現時点で差はついていないが、おそらく彼は優秀だ。
何一つ勝てない、というのは火浦としても望むところではない。意地だけでも負けてない、と最後までのたまうのが不良のプライドだ。

「・・・・・・はあッ!・・・・・・はあッ!」

だから、足を出すペースをより早くする。地面を蹴る足の裏はひどく痛む。ふくらはぎも同様だ。体重を支えることさえ辛い。
それでも止まらない。意地がある。教官が言う十把一絡げのクソったれにも価値はあるのだと、自分の価値は自分で決めるのだと。
価値を見せ付けるには勝つしかないのだと、理解しているから前のめりに走る。

「後五周だ糞ガキども!」

教官は小汚いニヤケ面で後五周、とは言っているが、その通りに終わったことは今まで無い。
落伍者が出たとか、周回遅れの者がいたとか、なんだかんだと理由をつけて追加分を申し渡すの様は目に浮かぶようだ。
今回も途中で周回遅れの者たちが出た。若干の休憩の後、また走らされることになるだろう。
初回の訓練のとき、わざわざ訓練兵たちを痛めつける教官のやりかたにえらく噛み付いたものだが、冷静な口調の教官に言いくるめられてしまった。

――――綺麗な面して刃物のようにキレ味のいい正論を吐きやがる。

吾川という名前の教官、先ほどから怒鳴り散らしている男ではなく、冷静沈着な若い男をにらみつける。
誰もが認めたいような正論と、誰もが認めざるをえない正論を織り交ぜて口にするあの男は、火浦の苦手とするタイプだった。
馬鹿の火浦はあまり口が上手くない。頭もよくないが、話術、というものに長けていないのだ。
不良は真っ向から言いたい事を言って、気に入らないことに真正面からぶつかる。
教官たちのなかでは飛び切り若いくせに、磨り減ったようなあの目が気に食わないのだ。

――――貴様らはまだ訓練兵。軍の中ではカス以下の価値しかない。カスの言う事など誰も取り合わない。

詰め寄って投げられた自分のザマと併せて、認めざるをえないと、悔しい思いをした。
焼け付くような、射殺すような火浦のまなざしを、氷のような、意にも介さないようなまなざしで、吾川は軽々受け止めた。
そして、背中の痛みに歯を食いしばる火浦に吾川は続けた。

――――しかし、カスならカスなりに価値を掴んでみろ。勝利して、自分の価値を証明して見せろ。

その言葉は気に入らない。だが、認めざるを得ない正論だった。
勝利することで、何かを守り続けることでこそ己の価値を証明できる。
ねだっても、待ってても、何も手には入らない。粋がるだけでは己を通す事さえ出来ない。
仲間どころか自分の身さえ守れない。無様に横たわり、見下され続ける人生など御免だ。
口の端から血をこぼしながら立ち上がり、再び走り出す火浦を、吾川はいつものように感情の伺えない瞳で見つめていた。



そして、現在に戻る。
火浦と御神楽のトップ争いを制したのは、やはり、いつもどおり御神楽だった。
彼は政治家の御曹司とは思えないほどの体力の持ち主だった。座学の時のハキハキとした受け答えから、おそらく知識も大したものだろう。
そして、落伍しなかった者の中で最後尾の者がようやくゴールすると、教官が落伍した者も含めて整列させた。
既に落伍したことでの体罰は受け終わったようで、頬に青あざが出来ている。
権力をかさに着て好き放題やりやがると、火浦は不愉快な気持ちになったが、今ここで粋がっても誰も幸せになれない。
他人を窮地においやってまで自己満足に浸ろうとは思わないし、火浦自身も肉体的にも精神的にも相当参っていた。
要するに、粋がるだけの元気がなかった。

「よしチンカスども!褒めてやる!今日は昨日より〝一分五十二秒も遅かった!〟おねだりの仕方がわかってきたじゃないか!喜べ!望みどおりたっぷり補習をくれてやる!」

「はッ!ありがとうございます教官殿!」

肩を上下させてぜいぜい言いながらも、初年兵たちは必死に返事をする。これが出来ないと思い切り頬を張られるのだ。
火浦は初めから出来ていたが、連帯責任、ということで口の中を切るほど思い切り頬を張られた。
その上、手が痛くなった、などとのたまって腕立て五十回を追加してきたものだ。もう誰も二度と同じ過ちは繰り返すまい。
十周程度ならいいな、と思いながら初年兵たちは教官の言葉を待つ。

「貴様・・・・・・小野訓練兵?」

「はッ!教官殿!」

「ベルトのバックルが曲がっているぞ?駄目じゃないか」

「はッ!申し訳ありません教官殿!」

小汚いにやけ面を小野と呼ばれた訓練兵の顔に近づけて、手ずから教官は彼のベルトのバックルを直した。
何を考えているかなどここ数日間の所業で嫌というほどわかっている。
火浦が昔見た映画では厳しい訓練の末に教官と訓練兵の間に友情が芽生える、というものがあったが、期待すべくも無い。
というより、頭がイカレてしまった訓練兵に教官が撃ち殺された映画の方が、状況に即していると言える。
そんな益体も無いことを考えていると、教官はいつものように怒鳴り声を上げた。

「全員連帯責任で二十周今すぐ走れ!」

連帯責任、ときた。他にもシャツが出ているやつや靴が汚れているやつもいる。小野と同様にバックルが曲がっているやつもいた。
訓練兵の怒りの矛先を小野に向かわせるためにやっているのだろう。火浦はそう思った。
もっとも、ここまであからさまで下手糞な扇動では、誰も思惑通りにはならないのだが。
しかし、なぜこんな嫌味なことをわざわざするのか、と火浦は考える。やはりこの手の連中の思考回路は理解を絶している。
あるいは、自分自身を憎ませることで発奮を期待しているのか、と思ったが、そんな成果は出ていない。
がくがくと震える足から意識を逸らすために遠くの景色を眺めながら、再び火浦は走り出した。



「ほら、さっさと進め」

楽しみな筈の食事の時間が一番ストレスがたまる、というのは皮肉なものだろう。
階級が上の方から食事を取れるようになるのだが、初年兵となると、丼の底に少量の麦飯と漬物が乗せられるだけだ。
先に並んだ同室の男鹿上等兵などは丼に大盛り。漬物も当然。干物までついている。
時間帯が違うのか、士官の連中はいなかったが、きっとメニュー自体が違うのかもしれない。
火浦はいつものようにあてつけ染みた独り言を零す。

「明らかに少ない」

「はあ?聞こえんな。さっさと行けのろま」

「チッ、ポチが」

ぼそりと、しかし、明らかに聞こえるぐらいの声で言った。残飯を漁る犬が、という意味である。
食事当番の連中は食後に古年兵から残飯が貰っていた。だからあらかじめ大盛りに注ぐ。
ちなみに、藤野一等兵のようにまだ二年目の連中はごく普通に注がれる。そのせいで下っ端の初年兵たちはひもじい思いをする。
金食い虫の軍といえど、食い詰めるほど逼迫してはいない筈だ。わざわざ嫌がらせのためにやっているとしか思えない。
火浦のあてつけが聞こえたのか、後ろに並んでいた同じ班の尾崎が巻き込まれないようにそっと逃げたのが尻目に見えた。

「てめえ、今なんつった?」

予想通り、あてつけに乗ってきた。目の前の二等兵はマスクの上の目と眉を歪めて火浦を睨み付ける。
そんな食事当番の態度に、火浦は待ってましたとばかりに敬礼して大声でのたもうた。

「はッ!私は独り言で、ポチが!と申しました!」

げらげら、とPXにいた周りの連中が笑った。
中には一等兵や上等兵たちが混じっているため、怒るに怒れないのだろう。
ひくひくと眼輪筋をひくつかせて怒りを堪える食事当番の顔は真っ赤になっている。
当分さらにひもじい思いをするかもしれないが、かまわない。こんなにスカッとした気分なんだから、気にしたって仕方ない。

「・・・・・・てめえ・・・・・・覚えてろよ」

そう負け惜しみ染みたことを言いながら食事の配膳に戻る食事当番を背に、彼は爽やかな笑みを浮かべた。
しかし、次の瞬間そんな彼の爽やかな気分は完全にブチ壊されることになる。

「・・・・・・おい、お前のせいだぞ」

火浦はわき腹を肘でつかれて振り向くと、尾崎がいた。
なんのことだ、とばかりに首をかしげると、火浦のそれより中身の少ない丼が見えた。

――――な、なんて陰険な野郎だ!

同じ隊の連中に当たったらしい。頭に血が上った火浦はぎろりと食事当番を睨み付ける。
すると、先ほどの仕返しとばかりに食事当番は爽やかな笑みを浮かべて見せた。ほかのやつらは関係ないだろ、という言葉は通用しない。
軍隊に入って一週間足らずとはいえ、連帯責任という言葉の意味ぐらいは知った。もっとも、これは責任というよりもとばっちりだが。
自分の勝手のせいで迷惑をかけてしまったことを素直に反省し、火浦は尾崎含め、火浦の後に並んだ数名に頭を下げることになるのだった。



午後の座学は先日のように教本の内容を一冊のノートに書き写す、というものだった。
どこぞの国の宗教では聖書を丸写しする過程で内容を覚える、と聞いたが、それと同じことらしい。
これは単純な作業だが、単純ゆえに神経に辛い。丸々三時間休み無く同じ単純作業を続ける、というのはなかなか厳しいものだ。
わかりやすく説明でもすればいいのに、講義室の教壇では教官が高いびきをかいている。

「なあ、この漢字なんて読むんだ?つーかどういう意味?」

「夙に、つとに。ずっと以前から、昔からって意味だな・・・・・・っつーか、なんで日本人のお前よりハーフのおれのほうが漢字に詳しいんだよ」

アーチャーは呆れながら、自分がすでに写し終えたページの文章を必死に写す火浦に目をやる。
身体能力は見た目相応に高いようだが、勉強は少々不得手らしい。
もっとも、思っていたよりもずっと真面目に講義を受けているので、うかうかしていると追いつかれるかもしれない。
そんな風に考えているアーチャーから漢字の意味を聞いて、なるほど、と軽く笑みを見せながらも、火浦はいじけたように皮肉っぽく言う。

「勤勉さは人種とは関係ないからな」

「本当だな」

今までを鑑みるに、火浦が勤勉ではないのは確かにそのとおりだろうが、不真面目というわけではないようだ。
やる気がないわけでもなく、むしろほかの連中よりも気張って訓練を受けているようにさえ見える。
火浦としては、不良だから落ちこぼれなのだ、などと思われたくないだけなのだが。
胸を張るのが不良の生き方だ。中途半端にやって逃げ道作るような生き方はシャバいだけの坊やだ。
中途半端に生きて腐るより、スカッと燃え尽きたい。
そんな粋がった火浦の内心を知ってか知らずか、アーチャーはやれやれ、というようにアメリカ風のリアクションを返す。

「貴様ら黙れ!口からクソ垂れていいといつおれが言った!」

そんな時、講義室の教壇から怒声とともに白墨が飛んできた。
あたりはしなかったが、講義室の後ろの壁に当たって白墨が粉々に砕け散る。間違いなく、床と壁の掃除をさせられるのは火浦たちだ。
火浦とアーチャーは自分が私語をしていたことを怒鳴られていると悟ると同時に、直立していつものように謝罪を述べた。

「はっ!申し訳ありません教官殿!」

――――なんで起きてんだよ。一生寝てろ、墓掘って寝ろ。

心の中で教官のことを思い切り罵りながら、彼らは教官が自分たちのもとに歩いてくるのを直立したまま待つ。
教官の手にはなぜか、合成皮革のスリッパが握られていた。教壇の掃除をしているときに、教壇の中に入っているのを見たことがある。
一体何に使うつもりなのか、と火浦とアーチャーを含む、初年兵たちは戦慄した。

「貴様!アーチャー!何ページまで書き写した!」

「二百十二ページであります!」

「遅いんだよゴミが!」

「はっ!申し訳ありません教官殿!」

頬を素手で張られたアーチャーは体勢を崩すこともなく、いつもの定型文を述べた。
実際、アーチャーは相当早いペースで書き写している。アーチャーが遅いというのならば、火浦は目も当てられない。
聞かれないなんてのは甘い見通しだろうな、と思いながら、火浦は直立姿勢を維持する。

「火浦!貴様は!?」

「百八十二ページであります!」

「のろすぎるぞウジ虫が!見せろ!」

言うなり、教官は長机の上に置いてあった火浦のノートを奪い取る。
そして、しばらくノートをぺらぺらとめくると、信じられないことに彼はノートを破り捨ててしまった。
目の前の光景が信じられない。火浦の脳みそは一瞬フリーズを起こす。

「火浦・・・・・・貴様!なんだこのミミズののたくったような字は!書き直せ!」

ゴミとなったノートを火浦に投げつけながら教官は怒鳴り散らす。目の前で聞くには耳がおかしくなりそうな怒声だ。
確かに火浦の字は汚かったが、本人以外が見てもわからない、というほどではない。むしろ火浦としては神経を使って書いたほどだ。
だのに、今までの成果が一瞬にしてゴミと化した火浦は、信じられないとばかりに目を見開いて抗議した。

「な!?百八十二ページだぞ!?この五日間を無駄にしろってのか!?」

「クソッタレ!」

「ぐッ!」

罵声とともに合成皮革で出来たスリッパが思い切り頬目掛けて飛んできた。
皮で出来た鞭でしばかれたら、きっとこんな痛烈な痛みがくるに違いない。皮膚がめくれているかと錯覚するほどだ。
教壇の下になんでスリッパがおいてあるのかと思ったら、新兵いじめのためのものだったようだ。
この嗜虐趣味の変態たちを頭の中で多種多様な手段を用いて殺害しながら、火浦はひりひりと痛む頬を手で押さえる。

「はいだろうがクソ野郎!何度言わせんだ!脳みそまでクソになったか!」

「・・・・・・はい。教官殿」

あまりの悔しさにぎりぎりと歯軋りをして火浦は答える。その眼差しは教官を射殺さんばかりにぎらついている。
そんな彼の表情を見た教官は愉快そうにひとしきり笑うと、後ろを振り返って講義室にいる全員に宣言した。

「貴様らカスがいっちょうまえの口をきいてんじゃあないぞッ!悔しかったらな、さっさとおれより上に行ってみろ!」

ふう、と一息つくと、教官はそのまま教壇へと戻っていって再び寝入ってしまった。
今の自分たちの価値は彼らにとってはゼロだということを再度思い知らされた初年兵たちは、悔しさに身を震わせる。
特に火浦は、自分のプライドが破り捨てられたノートのように思えて、唇を血が出るほど噛み締めていた。



ところ代わり、ここは火浦とアーチャー、そして藤野と男鹿に与えられた部屋である。
同室の先輩たちの分までの掃除と洗濯を終えたアーチャーは窓を閉める。夕日も沈み、そろそろ寒くなってくるころだ。
一通り今日の日課が終了して、ほっと一息つこうとした彼に、藤野一等兵から声がかけられた。

「おい、お前格闘訓練まだやってねえんだろ?」

「・・・・・・はい」

来た、とアーチャーは思い、身構える。今日は朝から藤野が随分と苛立っていて、事あるごとにつっかかってきた。
話の内容から察するに、格闘訓練をほかの連中より先に体験させてやる、とか口実をつけてしごきをやろうというのだろう。
こういった単細胞の言うことなど大体予想がつくというものだ。人は自分よりレベルの低いものの考えは手にとるようにわかる。同系統の思考回路ならば、だが。

「・・・・・・」

男鹿の靴を磨いていた火浦が、ちらりとアイコンタクトをとる。やれやれだな、とばかりの呆れ顔だ。
男鹿は掃除やら洗濯やら、パシリやらはさせてもいわゆるいじめはやらないタイプだったのだが、藤野はそうではない。
日頃の訓練や、外に遊びに行くことの出来ない鬱憤を初年兵にぶつける、いわゆる小物だった。

「ありがたく思え。格闘訓練をほかの連中より先に体験させてやる」

想像と一字一句違わぬ言葉が投げかけられて、アーチャーは呆れた顔をしそうになった。
そんな様子に藤野は気づくことなく、先ほどまで火浦が磨いていた靴を履いてファイティングポーズをとった。
じめじめと湿気った軍靴は触るのも嫌だが、靴磨きも仕事だ。やむをえない。水虫が伝染らないことを祈るばかりだ。

「おら来い!」

「うっす!」

藤野がそう言うと、アーチャーも同じくファイティングポーズをとった。意外と、とでも言うべきか、藤野の動きは非常に機敏だった。
すばやく放たれたジャブを、アーチャーは受ける手が痛まないように払いのけながら距離を詰めさせないように足を運ぶ。
ジャブをくらいながらもむりやりマウントポジションをとって殴り続ければ、体格に勝るアーチャーにも勝機はあるだろう。
だが、そうなると後々因縁をつけられることは間違いない。
今回専念すべきことは、なるべく手を抜いていると思われることなく相手をして、怪我することなく負けることであった。

「・・・・・・」

そんなアーチャーの戦い方を見て、火浦は少しだけ眉根を顰めた。
一週間足らずの生活でもある程度の分別というか、処世術は身についてしまった。まったくもって嫌なことだ。
いつのまにか自分が飼いならされているなど、考えるだけで反吐が出る。

「よっしゃあ!」

藤野の勝利の雄叫びに、はあ、とひとつだけこっそりとため息をついた。
日に日に溜まる鬱屈した感情、ストレスが、いつか爆発してしまいそうだ。
軍というものは巨大な生き物のようだ。その中では自分というものの存在が削られる。こういったせこい憂さ晴らしも、その発露である。
しかし、この程度で済んでいるのは実際のところ、彼らはかなり運が良かったりする。
ふと、初日に男鹿との会話が火浦の頭の中に蘇る。

――――軍隊って思ったより怖い人ばっかりじゃないんすね。先輩も優しいですし。自殺に追い込まれるようなしごきとか覚悟してましたよ。

――――ハハハ!いつの時代だと思ってんだよ。

初日の、非常に機嫌がよろしかった男鹿は快活に笑ってそう言った。そんな男鹿の返答に、火浦は少しだけ安堵に表情を緩める。
しかし、その次に男鹿の口から出てきた言葉に火浦の背中に冷や汗が流れた。

――――ノイローゼや自殺者が増えすぎたらしくて、わざわざお達しが来てるからな。いじめ過ぎるな、って。

ここは恐ろしい場所だ。きっと運が悪かったものも多くいたのだろう。
既知外染みた教官や先輩に当たってしまった者もいた筈だ。彼らの怨念が渦巻いている気がして仕方ない。
成仏してくれよ、と火浦は壁にこびりついてた手形の染みを見つめてため息をついたのだった。








[28081] 序章第五話 戦う理由とクズ野郎 【改訂済】
Name: あおいぶた◆0a2be469 ID:196a220b
Date: 2011/06/28 22:20



ざっ、ざっ、という砂を蹴る音と、衣擦れの音が、何もない砂地に響く。
その足音らしきものはひときわ大きい、倒れこむような音を一度だけ立て、その一瞬後に、耳を劈くような凄まじい破裂音が響き渡った。
その中心にいるのはやはり、火浦京次郎その人だった。彼は匍匐体制で小銃を構えている。
その銃口の先にあるのは、割れた西瓜のように砕けた、かつて教官だったもの、ではない。
ただの丸い板状の射撃訓練の的だ。

「よくやったぞど真ん中だ!とっとと戻れウスノロ!」

実弾を用いた射撃訓練が始まって数日が経過していた。
既に小銃授与式を終え、一ヶ月もの訓練を耐え切った彼らの中に、ひょろひょろとしていたシャバ僧の面影はもう無い。
土嚢の影からすばやく立ち上がると、火浦は体勢を低く構えたまま地面を蹴って駆け出した。
息も絶え絶え、という様子で、いつものように返事を返す。しかし、疲労のせいで思ったように声が出ない。

「返事が聞こえんぞクソガキ!殺されたいか!」

教官が唾を飛ばすような怒声で喋る理由のひとつがこれだった。
実弾の込められた小銃を発砲する音は凄まじいものであり、撃っている本人の鼓膜がどうにかなってしまいそうだ。
手製の耳栓を詰めているが、それでも脳にまで、きいん、と響く破裂音が響く。
戦場では砲撃音や発砲音が絶え間なく響く。今時チャンバラで戦争やるやつはいないのだから、当然のことだ。
それゆえに、大きな声で、はっきりと喋るのだ。意思疎通がとれない兵は真っ先に死んでしまう。

「はっ!教官殿!」

大声で言い直し、酸素を求めて口を大きく開くと、今度は顎が上がっている、と怒鳴られた。それも素早く直す。
まるで人との殺し合いでもさせるようじゃないか、と火浦は思った。
テレビでアナウンサーが言っていたBETAというものは、人類のように洗練された戦術も持たないらしい。
数頼みの奇襲戦法しかできない下等生物だと聞いた。
そんな連中相手に音もなるべく立てずに、見つからないようにすばやく動きながら、精密な射撃をする必要があるのか。

――――あるのだろうよ。

戦闘機がなくなり戦術機などというものがありがたがられる。制空権が奪われる。その意味がわからないほど火浦は愚かではない。
宇宙進出さえ果たした人類が、すでに十年以上地球で生存戦争を繰り広げているのだ。異常事態である。
今回の大陸派兵にしたって、前線の国家が支援を必要としているからこそ行うのだ。
調子がいいときに恩着せがましく手を差し伸べられたところで喜ぶものなどおりはしない。

「とっとと戻れカス野郎!後がつかえてるんだよ!」

背中越しに、というより相当後ろの方で怒声が聞こえた。土嚢のあたりにいた教官だろうか。
今射撃をしている者、火浦の後ろか、あるいはさらに後ろあたりの初年兵に対してでも怒鳴っているのだろう。
よく喉が枯れないものだ、と、むしろ感心する。よほどいいのど飴を持っているらしい。
皮肉げな思考が頭の中に浮かんだことに気づき、かぶりをふる。こんなに愚痴っぽい性格だったか、と火浦は唇を噛み締めた。

「・・・・・・ぜえッ・・・・・・ぜえッ・・・・・・」

まだ一ヶ月。されど一ヶ月。伸びてきた髪が元通りになった頃。また禿にされた頃。
二ヶ月後の総合戦闘技術評価演習に合格し、前期訓練を修了すれば髪型を自由に選べる。
最近では禿に慣れ、手入れが簡単だ、などと思えるようになってきてしまい、それがまた悲しい。

「おら!キチンと構えろ!ケツの穴に銃口突っ込まれたいか!」

五キロの道のりを走破して五回目の列に並ぶ。小銃を持つ腕は体力消耗のあまりぷるぷると小刻みに震えていた。
完全装備状態で走っているが故に、足も同様である。生まれたての小鹿のように頼りない足取りだ。
こんな有様では今尻を蹴飛ばした教官を誤射してしまうかもしれない。
ああ、それもいいかもな、などと思ってしまうあたり、相当参っているらしい。

「雨だ」

そんな時、曇り空が泣き出した。天気予報は何故だか知らないが、最近あまりアテにならない。
濡れてしまうと分解整備がより面倒なことになるので、火浦は小銃が濡れないように大きな体躯で庇った。

「喜べ金髪豚野郎!雨が降ってきたぞ!」

雨が降ってきたことに気付いた教官は、最前列の一番左側に並んでいたアーチャーを特に意味もなく張り倒す。
そして、ついて来い、とだけ言って駆け出した。行き先はおそらく、というか、間違いなく兵舎だろう。
雨が降ると完全装備で延々と階段を上り下りさせられたりするのだ。
体力の消耗は今のダッシュアンドショットどころではない。完全装備という重石を背負った状態でのそれはほぼ拷問だ。
あまりキツい訓練を受けさせすぎると乳酸がどうこう、とかそういう科学的な思考は嗜虐趣味の変態どもにはないらしい。
日本刀を作るが如く、叩いて叩いて密度を上げる。何の密度が上がるのかはよくわからない。

「いつか殺す」

すれ違う中、特に〝可愛がり〟を受けているアーチャーは据わった目でそう呟いた。
火浦を含む、初年兵の大半もそう思っている。しかし、同意するほどの気力さえない。
軍では階級が全てだ。規律も罰則も、権利も義務も、全て上意下達の指揮系統を守るために存在する。
要するに、最下層の訓練兵であるアーチャーや火浦には、下士官である教官に対等の口を利く権利も、喧嘩を売る権利もない。

――――勝手に軍隊にブチ込んでおいて、勝手なルールを押し付けやがる。

気にいらねえよ、と口の中で呟いて火浦は兵舎へと駆けてゆく。どうにも、最近その声さえ小さくなってきた気がする。
慣れる、ということは飼いならされるということなのだろう。気に入らない。だが、どうにもならない。
半ば諦めかけている思考を否定する気力も無い。
ただ、血が出るほどに拳を握り、自傷に走るしか、苛立ちを抑える術を持たなかった。



午後の座学を終えた火浦たちは部屋に戻って同室の藤野一等兵と男鹿上等兵の銃の整備を行っていた。
古年兵の銃の整備は初年兵にやらせる、というとてもありがたくて涙が出てしまうような慣わしがここにはあるらしい。
三度目の小銃の分解組み立て訓練において、これまでの訓練兵の最速タイムをたたき出した火浦は男鹿上等兵の小銃の手入れをさせられている。
小銃の組み立てはさながらプラモデルのようで、裁縫と同じで楽しいぐらいだ。経験を積めば誰でもできる。
こういったものづくりが自分には向いていたのかもしれない、などと火浦はあり得ない仮定の話を考えた。

「・・・・・・腹ァ減ったな」

「そうだな」

向かいの椅子に座って作業を行うアーチャーに言って、火浦はひとつため息をついた。
がちゃり、と、カートリッジに空撃ち用のダミーカートを突っ込んで引き金を引く。どうやらきちんと整備は完了しているらしい。
精密さに関しては少々自信が持てないが、男鹿上等兵から何も苦情が来ないのだから問題ないのだろう。
というより、きちんとした手順で整備してなお不調ならば、部品に不良品が混じっている可能性が高い。
その程度は分解する際に気を使っているので問題はないだろう。

「おいおまえら!終わったか!」

「はッ!終わりました!」

衛士訓練にも慣れてきたらしい男鹿上等兵が、勢いよく扉を開けて部屋へと入ってきた。当初のように青い顔はしていない。
火浦は小銃を持って行う形式の敬礼を行い、小銃を男鹿上等兵へと返す。既にダミーカートは抜いてある。
それを受け取った男鹿上等兵は相好を崩して、火浦の背中を思い切り叩いた。
彼なりの感謝のカタチらしいが、部屋ではシャツ一枚で作業を行うので非常に痛い。

「衛士になっても小銃ぐらい使えないとならんからな。おまえらも慣れておけよ」

「はッ!」

見事な〝もみじ〟になっているであろう、ひりひりする背中の痛みに耐えながら、火浦は応える。
敬語のようなものも少しずつ使えるようになっている。一応、年長者への敬いの気持ちぐらいならば、馬鹿の火浦にもある。
もっとも、尊敬に値しないような下衆野郎を敬おうとは思わない。
男鹿上等兵はその点、それなりに尊敬できる部類に入る人間だった。乱暴者の藤野を窘めたり、初年兵にアドバイスしたりと面倒見もいい。
時々、というか、機嫌がいいときは自慢話が長いのが難点だが、そんなものは問題のうちに入らない。

「お前ら、調子はどうだ?」

「良好です。〝恙無く〟訓練を修了できそうです」

「そうか・・・・・・」

火浦が答えると、丸椅子に座った男鹿は、PXあたりで買ったらしいソーダの蓋を開ける。しゅわ、と爽やかな音が聞こえた。
しかし、ソーダには口をつけずにちらりと火浦とアーチャーの方を見やる。
言外に、お前も聞き返せ、と言われているような気がした。別に急ぎの用事も無いため、火浦は素直に聞き返す。

「・・・・・・男鹿上等兵は、調子はいかがです」

「ん?興味あるのか?聞きたいのか?そうか。聞きたいのか。よし、座れ」

そんな火浦の言葉に男鹿は口の右端を吊り上げて、にやりと笑みを浮かべる。心底嬉しそうだ。
どうやら、自分が今やっている訓練の内容を話したいらしい。適性試験に落ちた藤野相手には話せないから、他の話し相手を求めていたようだ。
火浦とアーチャーは丸椅子に座って先を促す。

「まだ実機は届いていないがな、衛士強化装備を身につけてシミュレーター訓練をやってる」

「衛士強化装備ってアレですね。ピッタリした・・・・・・レスキューパッチの使い方は教わりましたよ」

火浦は教本を書き写した際に衛士強化装備の説明文と絵を模写した記憶を引っ張り出して口にする。
訓練兵の衛士強化装備の胸から胴体にかけて張られている皮膜部分は半透明らしく、羞恥心を麻痺させる云々、ということも聞いている。
いらねえ努力してんじゃねえよ、と男の裸を想像して思ったものだが、女性用の衛士強化装備は悪くない。
スタイルがもろに出るため、太らないように努力しているものもいるそうだ。

「おう、それよ。それでよ、すげえんだぜ。最初は吐くかと思うくらい揺れを感じたんだがよ、強化装備とシミュレーターの方が合わせるのよ」

「データ蓄積、ですか」

体にぴったりとくっつくようなその衛士強化装備は、データスキン、とも呼ばれている。
顎部に取り付けるヘッドセットとワンセットとなっており、装備しているパイロット、衛士の脳波やら、癖やらを記録するらしい。
その為、何度も同じ衛士強化装備を使っていれば、機体の方が操縦者に負担をかけないように挙動を調整するそうだ。
意外と覚えているものだ、と思いながら火浦は教本の内容が頭の中に思い描ける自分に気がついた。
自分をクズ野郎呼ばわりするクソ野郎の講義もあながち無駄ではないものだ。

「おう。もう一ヶ月だろ。殆ど酔いなんかは感じなくなってきたぜ」

その言葉を聞いて、もう一ヶ月なんだな、と口の中で初年兵の火浦とアーチャーは呟く。
すっかりこの生活にも慣れてきて、自分が軍隊という巨大な生き物の一部になってきたように感じる。
組織というものに身を置くのは酷く窮屈だ。しかし、反面安心感を覚えてしまう自分が気に入らない。

「でよ、実機もそろそろ来るらしいんだよ。練習機だから中古だけどな?まあ、おれの機体だ」

「・・・・・・」

男鹿上等兵はどこか嬉しそうに、それどころか誇りすら感じるように、自分の兵科の話を聞かせる。
戦術機を、戦争の道具をプレゼントされて、ここまで嬉しく思うものなのだろうか。
後五ヶ月もすれば彼は訓練を終え、いつ大陸の戦場へ送られるかわからない身だ。だからこそ、なのかもしれない。

「相棒、ってヤツよ」

噂に過ぎない話だが、死の八分、という言葉がある。
人類の対BETA兵器の最先端である戦術機を駆る、衛士の初陣における平均生存時間のことだ。
対BETA最強の兵器などと言われているものに乗っているにも関わらず、六ヶ月もの専門訓練を積んでいるにも関わらず、八分で死ぬのだ。
他の兵科、機甲部隊や砲兵部隊、あるいはそれに随伴する歩兵などはもっと早く死ぬかも知れない。
ふと、火浦は男鹿上等兵がどんな気持ちで訓練に臨んでいるのか、気になった。

「訓練終わったら、大陸に向かうんでしょうか」

「だろうな。立派に戦って戦死してくるよ」

穏やかに笑って男鹿上等兵は言い切った。自分は戦って死ぬと、彼は言ってのけた。
何故、そんな風に言ってしまえるのか、命は惜しくないのか、やりたいことはないのか。火浦には彼の気持ちが理解できない。
人間、死ねばそこで終わりだ。ゲームブックみたいに最初からやり直すことなどできない。
何のために死ぬのか。それが彼の意地の張り方なのか。
頭がうまく働かず、何を問えばいいのかわからない火浦は、とりあえず一番聞きたいことを聞いてみる。

「・・・・・・怖くないんですか」

「怖くないわけないだろ。常識的に考えて」

「なら、なんで」

「それしかできねえよ。この時代に、この場所に生まれちまったおれたちに、それ以外の命の使い方は許されてない」

「・・・・・・」

火浦はそんな男鹿上等兵の言葉に、何か言葉を返すことができなかった。
結局のところ、男鹿も、既に戦地に向かった者たちも、いつだったか火浦に忠告した教師も、それ以外を許されなかったから、そうしていたのだ。
戦う相手も、戦う理由も、すべてを強制される雁字搦めの、戦うだけの人生。
冗談じゃない、と火浦は口にすることができなかった。
その言葉が無責任だと思ったからではない。言論の自由ぐらいこの国にもある。ある程度、だが。
だから、火浦は少しだけ、自分の思いを口にする。

「・・・・・・おれは、嫌ですよ。命の使い方ぐらい、自分で決める」

無意識のうちに火浦は自分の胸元をまさぐった。しかし、そこにはいつもあったお守りはない。
周囲に視線を巡らせると、壁に掛けられている作業服が目に入る。お守りは作業服の胸ポケットにしまっておいたことを火浦は思い出した。

「まあ、お前もしぶとく生き残れよ。知り合いが死ぬのは気分が悪いからな」

鷹揚に言うと、男鹿上等兵は飲み干したソーダの瓶を持って、部屋の外へと出て行く。
時計を見れば既に六時を回り、食事の時間になっている。
後に残された火浦は暗澹とした思いを抱え、隣にいたアーチャーを見る。居眠りをしていた。
お気楽なヤツだ、と一言呟くと、火浦は彼を起こしてPXへと向かうのだった。





[28081] 序章第六話 適性試験とクズ野郎 【改訂済】
Name: あおいぶた◆0a2be469 ID:196a220b
Date: 2011/06/29 02:02






暑い陽射しが窓から差し込む。無数の水の粒が叩きつけられる音が反響するここはシャワールームである。残念ながら、男性用のものだ。
本格的に夏が始まって湿気も退散し、壁に張りついていたナメクジやカタツムリの姿もすっかり見えなくなった。
そんなシャワールームの中で逞しい肉体を惜しげもなく晒す火浦は、冷たい水を顔に思い切り浴びながらも目を見開いたままに直立している。
目や鼻、果ては口にも水が入るが、そのままに耐える。ひたすら、耐える。
何故こんなことをしているか、簡単だ。こうでもしなければ洗い流せないのだ。

「あ~~ッ!ぐあ~~!」

「うるせえッ・・・・・・ゴホッ、ゴホッ!」

そう、彼らは催涙弾を用いた訓練を終えたばかりなのだ。既に三度目だが、未だに慣れない。
玉ねぎを刻んだ時のような痛みが常に目を襲い、わさびを大量に口に含んだときのような咽る感覚が常に鼻を突く。
それどころか、喉も肌もひりひりと焼け付くように痛い。
下手に殴られたりするより余程効く。これを食らって戦闘を続行できる者は最早生物とは呼べないだろう。

「ふーーーッ。ようやくさっぱりしたぜ」

真っ赤になった目を優しく押さえながら、火浦は蛇口を捻ってシャワーを止める。
日本帝国には水が豊富にある為、シャワーはいつでも使えるようになっている。素直にありがたい。
しかし、もう催涙弾を使ったやつはごめんだな、と思いながら、火浦は掛けてあったタオルで三センチほど伸びてきた髪を拭く。

「なあ、お前ら希望どこにした?」

そんな中、先ほどの訓練で催涙弾を食らわなかった班にいた男が言った。
無駄話している余裕なんてねえよ、と思いつつ、火浦の隣で髪を拭いていた尾崎が返事をする。

「あー・・・・・・ごほごほ・・・・・・うん。輜重隊」

あー、と声を出して喉の具合を確かめる。尾崎は先ほどの訓練で、思い切り煙を吸い込んでしまったらしく、喉を痛めていた。
念入りに目や鼻の中を洗い流し、うがいを繰り返し、その上でシャワーを浴びて、それでもなお違和感がある。
比較的早くに効果範囲から退散できた火浦は、まだ違和感の残る鼻をすんすんと鳴らして答える。

「おれは・・・・・・武器科、かな。砲兵科とどっちにしようか迷ってる。給料がいいのは士官コースの方けどな、多分適性はねえだろ」

三ヶ月間の前期基礎訓練に耐え、総合戦闘技術評価演習を突破した彼らは、おのおの兵科の希望を提出していた。
総合戦闘技術評価演習を数日前に終えてからは、それぞれ適性試験を受けている。
その為、基本教練を終えた後に、時間の空隙がところどころ存在し、休憩時間として使えるのだ。

「太くて長くて逞しい・・・・・・」

「砲兵科」

彼らは場所をわきまえず、全裸で下ネタを飛ばしながら会話する。尾崎は喉の痛みを抑えるために笑いを堪えていた。
二日前の午後から三十人前後の班を十二ほどつくり、初年兵全員の戦術機適性を調べている。
大陸での戦闘データや本土での戦術機の運用データから、戦術機甲部隊の重要性が年を追う毎に増しているのだ。
ましてやここは在日米軍海軍基地と隣接する、関東最大と言っても過言ではない横須賀基地の訓練校である。
より多くの衛士を輩出しようと躍起になっているのかもしれない。

「お前手先器用だからな。武器科が向いてるんじゃねえか?」

「まあ、悪くないよな」

なお、ここから十一行ほどはいらない薀蓄を語るので、読み飛ばしてもかまわない。

彼らの言うところの武器科とは、武器の整備や管理を行っている部隊である。
地雷の敷設やら不発弾の処理やら、そういった危険物処理も兼ねているので後方任務、といった感じでもない。
言うなれば、近代兵器の取り扱いのエキスパートである。
また、火浦の迷っている、もうひとつの部隊、特科とは、機甲部隊と対をなす陸上戦力の要。
対地戦闘において、機甲科と特科の火力は無くてはならないものだ。防衛戦にせよ、攻略戦にせよ、内陸での最高戦力である。
対BETA戦においては重金属による雲を発生させるアンチ・レーザー弾頭というものを使うらしく、それらを陸上で運用するのは彼らである。
沿岸部ならば海上から陸戦兵器とは桁違いの大火力で殲滅をかけることもできるのだろうが、内陸部ではそうもいかないのだ。
戦術機甲科、機甲科と並び、戦場の花形、といってもいい存在であった。
ちなみに、一昔前ならば航空科も花形、と呼ぶに相応しいほどに巨大な部隊があったのだが、今ではそれも縮小傾向にある。
制空権を完全に奪われている空で飛ぶのは自殺行為、という話だ。
基礎訓練の講義で習った、強力な対空レーザーを用いる、特定種のBETAの存在故である。

「だけどよ、航空科からお呼びがかかるんじゃね?」

「そうか?」

そう言うのは眉毛の無い男。御神楽だった。彼もシャワーを浴び終えたようで、タオルを片手に水飲み場で目を洗う。
先ほどの訓練では然程堪えている様子は無かったが、彼も我慢していただけで、どうやら相当大変だったようだ。
気づけば、十数人の団体になっている。全裸の野郎どもに囲まれた火浦は少し気分が悪くなった。

「空ね、だったら高給取りの宇宙軍に行けばよかったな」

軽口を叩いたアーチャーは、航空機適性で高い得点をはじき出している。火浦も同様だ。
最高のAから失格のFまであって、彼らの適性はBだった。
ヘリや航空機は数こそ少ないものの、航空輸送は海上輸送に並び、無くてはならない人類の生命線だ。
輸送機のパイロットは輜重隊ではなく航空隊が行うことがほとんどである。

「シャトルには乗ってみたいな。宇宙って無重力なんだろ?」

「せいぜい陸軍じゃヘリか輸送機だろ」

戦闘ヘリに乗る、ということはBETAのレーザー攻撃によって制空権が奪われている以上、ほぼありえない選択肢だ。
レーザー攻撃がされる心配がないような場所を匍匐飛行しながら戦え、というのは無茶が過ぎる。
BETA唯一の対空攻撃手段を持つ、レーザー属種を陸上の兵たちが取り除いてくれたならば、戦えるだろうが。
しかし、派手さが無くて火浦にはいまいちピンとこない。

「そう言う御神楽、お前は?」

「おれは・・・・・・警務科、だとよ」

少しだけ口ごもってから、彼は忌々しそうに口を開いた。
警務科とは軍内での警察のような役目を果たし、重要人物の護衛などでも活躍する。
高貴、と言われるような人たちと関わることもあるので、エリート中のエリートとも言える。

「へえ」

感心したようにため息をつきながら、火浦は彼に、若干の訝しげな眼差しを向ける。
既に希望を出した者も彼の班を含めて大勢いたが、まだ後期訓練の編入先は決まっていない。
複雑な事情があるのだろう、と思った火浦は、エリートコースじゃないか、などと茶化すのはやめることにした。

「もう決まってるのか?」

「親父が根回ししやがった」

「ああ、お前の親父って今の・・・・・・」

大蔵省の大臣である。日本帝国の財布の紐を握っている、官僚の中の官僚。日本の屋台骨。
眉毛のない、若干地方の訛りの残った言葉を使う男の父親である。
しかし、実際のところ彼の能力は火浦の小隊一優秀だ。警務科に編入しても十分にやっていけるだろう。
もっとも、御神楽自身の表情は浮かない。

「おれは三男さ。跡継ぎには兄貴がいるってのに・・・・・・息子のことは何でも自分で決めなきゃすまねえらしい」

怒りだけでなく、奇妙な喜びのような、家族に対する複雑な感情が御神楽の表情からは見て取れた。
家庭の事情に首を突っ込むのはどうにも気が引けて、彼ら二九期○六班の面子は居心地の悪さに押し黙る。
そんな彼らの様子を見て取ったのか、御神楽は申し訳なさそうに髪が伸び始めてささくれ立った頭を掻いた。

「・・・・・・おっと、すまんな。愚痴っちまって」

「いや、いいって」

少しだけ表情を和らげて○六班の者たちはかぶりをふると、ぽつぽつとシャワールームを出て行く。
火浦やアーチャーもその中の一人で、手早く着替えると、二人冷房の効いたPXへと足を向けた。
そろそろ○六班にも適性試験のお呼びがかかるかもしれない。少し頭を冷やしておきたいところだ。

「何か飲むか?」

「ソーダかな。焼きトウモロコシでも買うか」

悪くないな、と呟くと、火浦は少しだけ歩く速度を上げて最寄のPXへと向かう。
しかし、そんな時こそ邪魔が入るものだ。

『二九○六班、第二シミュレータールームに集合。繰り返す。二九○六班、第二シミュレータールームに集合』

近くのスピーカーからのその連絡は長い廊下に大きく反響する。
いつか見た、朝鮮のニュースキャスターのような、勇ましいというかどこか怒っているような張り上げた声だ。
確か、嫌味な青髭の濃い、ジルドレというあだ名のつけられた教官の声だった。
青髭の濃い嗜虐趣味の男という特徴から、ジル・ド・レエを連想したのだろう。ありきたりだな、と火浦は思った。

「トウモロコシとソーダはお預けだな。ま、腹に物入れとくとキツいって言ってたし、幸いかな」

言いながら、火浦は足早にシミュレータールームに向かう。
戦術機のシミュレーターがどのようなものなのかは男鹿上等兵から嫌と言うほど聞かされているが、実際目にするのは初めてだ。
戦術機や衛士のデータが大量に保管されているシミュレータールーム、そして、そこからつながるオペレータールームは訓練兵が自由に立ち入りできるような場所ではない。
その為、建物を外から見たことしかない彼らは、少しばかり興味があった。

「適性があれば少尉様だな」

「どうだか」

前期訓練を修了し、少しずつだが半年後に戦地に向かうという現実が実感を帯びてきた今日この頃。
兵科が決まれば、これからの人生が固定されるもほぼ同然だ。それがどうにも重苦しく感じられてしょうがない。
先が思いやられるな、とばかりにかぶりをふる。気づけば、シミュレータールームにつながる渡り廊下までついていた。

「扉開いてるな。中で集合か」

「お、お前ら遅かったな。あそこのドレッシングルームで着替えて来いってさ」

シミュレータールームに入ろうとすると、衛士強化装備を身につけた男、同期生の小野に鉢合わせした。
彼も火浦と同じく二九○六班の者であり、先にシミュレータールームまで来ていたらしい。
彼の指差す方向には男女別の更衣室、ドレッシングルームがある。
ああ、とだけ返して火浦たちが通り過ぎようとすると、小野が待ったを掛けて声をかけてきた。

「こんなことをいうのもなんだが、ぼくってちょっとかっこいいとおもいませんか」

「・・・・・・ハハ」

腰に手を当ててナルシスチックにポーズをとる小野に、○六班の者たちはシミュレータールームに乾いた笑い声を響かせた。
衛士強化装備を身につけた彼は、さながらバレエダンサーのように引き締まった身体のラインを惜しげもなく晒す。
惜しむらくは、ギリシャ彫刻のように筋骨隆々の男性のものだ、ということだろうか。
胸から胴体にかけての半透明の皮膜の向こう側には胸毛の黒さが見えた。

『貴様らッ!総戦技通ったからって気ィ抜いてんじゃあないぞッ!』

そんな時、シミュレータールーム全体に怒声が響き渡った。
怒声の主はシミュレータールームを一望する、オペレータールームにいるジルドレだろう。
マイクの調子が悪いのか、怒声のせいか、きぃん、というスピーカーのハウリング音が耳に痛い。
前期基礎訓練を修了した彼らは確かに弛んでいたかもしれない。半日足らずとはいえ、休暇というものは張り詰めた糸を緩める。
常在戦場、とまではいかずとも、訓練十分前ぐらいには気を引き締めておくべきだろう。

「やべ、急がないとな」

素早く火浦たち、まだ着替えていなかった者もドレッシングルームで着替えて戻ってくる。
慣れない衛士強化装備の感覚を確かめながら、硬かったり柔らかかったりする皮膜をつまんだりしているものもいる。
そして、全員が集まったことを確認すると、ジルドレが適性試験の開始を告げた。

『火浦訓練兵!』

『御神楽訓練兵!』

火浦はジルドレに、御神楽は別の教官に呼ばれる。シミュレーターを使う際、それぞれに一人ずつ教官がつくことになっている。
オペレーターなどもおり、シミュレーターひとつ使うにしても他人の助けが必要になる。
彼らにお疲れ、と労いの言葉を心の中でかけつつ、火浦たちはオペレータールームまで響くほどの大声で返事をした。

「はッ!」

しかし、御神楽は既に編入先が決まっているのに、何故受けさせるのだろうか、と火浦は不思議に思った。
カタチだけでも全種類の適性試験を行うのだろうか。そのカタチが重要なのかもしれない。ある意味お役所仕事と言ってもいい。
火浦は恐る恐る、といった様子で、扉の開いた一番機のシミュレーターに入ってゆく。

「お?」

着座すると、ぷしゅう、と音を立ててシミュレーターが閉まった。
真っ暗に、闇で満たされたコックピット内には空気の流れがまったくなく、どこか饐えた臭いがした。

――――吐いたのかよ、前のやつ。

軍隊に入ってから何度も嗅いだ悪臭を嗅ぎ取り、火浦は顔を顰めた。慣れてしまったことにこそ悲しみを覚える。
やがてシミュレーター内部のコンソールなどが発光し、最低限の光量で空間内が満たされた。
ヘッドセットから直接網膜に外部カメラの映像を投影する技術があるからこそ、内部にモニターなどはない。これを網膜投影と呼ぶ。

『では、十五分間耐えろ。無理そうなら非常停止ボタンを押せ。吐くなら左下のゲロ袋にやれよ。ブチ撒けたら貴様を殺すからな』

青髭の教官の姿が網膜に直接映し出される。まるで紙のように薄いモニターが空中に浮いているかのようだった。
驚いた火浦は腕をコックピットの中にぶつけるが、まったく痛くない。強化装備の変幻自在の硬度や強靭さのおかげらしい。
教本に書いてあったことに火浦は半信半疑、といった感じだったが、人類の科学力というものは本当に日進月歩のようだ。
学校でや町の路地裏で喧嘩していた頃には想像だにしなかった技術である。
そして、網膜に本格的に外部カメラからの映像を模したものが映し出されると、火浦は目を見開いた。

「すごいな・・・・・・」

森林や谷の多い地形の中、巨人の視点で自分が立っているかのような錯覚に陥る。
首を回して左右を確認すると、着座シートからのデータ共有によって視界が動く。
狭苦しくて臭いシミュレーターの中だというのに、外の風さえ感じられるような現実感だった。

『では、歩行開始』

景色のリアリティに感心して、ジルドレの声を聞き逃した火浦の視界は突如として揺さぶられた。
否、シミュレーターが揺れたのだ。シミュレーターを支えるいくつもの油圧パイプは、戦術機の挙動による衝撃を模倣している。
巨人の視界はまるで自分が走っているかのようにかき乱され、火浦は思わず歓声を上げた。

「おおッ・・・・・・」

目が回るとはいかずとも、どうにも慣れない視界の変化と軽く揺さぶられる感覚に、火浦は気分が悪くなる。
五分を回ると、若干吐き気さえ催してきたほどだ。
感動からくる極度の興奮状態にあるからこそ今は耐えられるが、素面では少々厳しいかもしれない。
藤野一等兵や男鹿上等兵がグロッキーになっていたのもわかろうというものだ。

『噴射滑走』

ヘッドセットの骨伝導スピーカーから教官の声が聞こえると同時に、身体が座席に押し付けられるような衝撃が生まれ、火浦は歯を食いしばる。
しかし、それはわずか一瞬のことに過ぎず、滑走が安定し始めると、微弱な揺れが続くだけになる。
ほっと安堵のため息をつく火浦だったが、こんなときこそ教官の大好きな嫌がらせの腕の見せ所だ。

『噴射跳躍』

突如、ぐん、と視界が思い切り高くなった。怖い、と感じる間もなく着地する。
衝撃を膝で緩和するように姿勢制御を行う挙動を模しているのだろう。クッション越しに落ちたような感覚だった。
しかし、それでも慣れない火浦は目を瞑ってしまう。

「ぐあッ・・・・・・!」

それを幾度か繰り返し、そして最後に主脚走行に行った。
巨人が機敏に走る際の微妙な衝撃と、挙動を修正する微弱な揺れが、火浦の三半規管にダメージを与える。
このまま後数分続いたら吐いてしまうな、と思った火浦は内壁の緊急停止ボタンに手を伸ばす。
そんな時、丁度終了のブザーが鳴った。

「・・・・・・はあッ・・・・・・はあッ・・・・・・」

『終了だ。さっさと降りろ』

どうやら、十五分間を吐き気を堪えながら耐え切ったようだ。
火浦は、教官の合図とともに覚束ない足取りで火浦はシミュレーターから這い出てくる。
しかし、足元がどうにもふわふわして踏ん張れない火浦は欄干にもたれ掛かりながらへたり込んでしまう。
これじゃあ落ちるな、と火浦は内心で思った。

『次!アーチャー、一番機!尾崎、二番機!さっさと乗れ!』

「大丈夫だったか?」

「悪い、トイレ行ってくる・・・・・・!」

すれ違いざまのアーチャーとの話もそこそこに、火浦はシミュレータールームから最寄のトイレへと駆け込んだ。
昼飯の量が少なかったためか、胃の内容物はほとんどが胃液であり、口の中に酸っぱさが充満した。
げほげほ、とせきごんでから蛇口からこぼれる水で直接口の中を洗い流す。
水道水が身体に染込んでいく感覚が、やけに鋭く感じられた。









[28081] 序章第七話 正義のクズ野郎 【改定済】
Name: あおいぶた◆0a2be469 ID:196a220b
Date: 2011/06/29 23:05








結果で言うのならば、火浦の戦術機適性はDだった。
約三百六十名のうち、火浦を含め二十五名の衛士適性試験に合格した者がいたが、その内訳は適性Aが二名、適性Bが十名、適性Cが十名。
そして火浦と同様に適性Dのものが火浦含め、三名だった。
実際のところ、これはかなり多い数字である。彼らの多くは大喜びで実家に電話をかけただろう。
戦争の花形である戦術機甲隊に編入されるということは、任官してすぐに少尉待遇を受けられるということだ。
すなわち、エリート。実家のものにも楽をさせてやれるのだから、嬉しいという気持ちが湧くのも無理からぬだった。

「・・・・・・しかし、ゲロ吐いたおれが合格ってんだから、衛士さまっつーのも意外と間口が広いのかね」

だが、自室の二段ベッドの上段に寝そべりながら詩集を読む火浦には、素直に喜べない理由があった。
言うまでも無く、自分と、自分と同じく適性がDのものたち三名のことである。
ここ三週間、少尉待遇となることに素直に喜んだ日もあった。なるほど、男鹿はこんな気持ちだったのか、と思ったことも。
祖父に初任給で何を買ってやろうか、などと考えたこともあった。
そのおかげできついシミュレーター訓練にも耐えたし、戦術機のマニュアルを写すことだってやれたのだ。
今では目を閉じれば浮かんでくるほどである。

「チッ・・・・・・!」

しかし、つい先日の一件の内容でそれらすべてがうそ臭いもの、というか虚構そのものになってしまったように感じられた。
そのせいで思わず皮肉げに自室でつぶやいてしまった独り言に、藤野一等兵が激昂する。
おれに対するあてつけか、と怒鳴り声を散らしながら彼は火浦を二段ベッドから引き摺り下ろし、胸倉をつかんで壁に叩きつけた。

「てめえ、調子こいてんじゃねえぞッ!?」

激昂のままに、力任せに頬を殴られた。口の中が切れて痛い。
陸戦部隊の歩兵である藤野の拳は硬く、重いものだった。だが、怒りの余り大振りのそれは威力を完全に伝えきれるようなものではない。
いつもの火浦ならば、顔を殴られる方向に動かすことで威力の減衰を図ることさえできただろう。

「うるせえな・・・・・・調子こいてるわけじゃねえッ!」

だが、今日の火浦にはそのような冷静な思考は存在しなかった。あるのは、かつての不良時代の尖った感覚だけ。
藤野の拳を真っ向から頬で受けると、火浦はお返しとばかりに頭突きをくれてやった。
相手は陸戦部隊員とはいえ、火浦もまた三ヶ月の前期基礎訓練を修了した、一端の兵だ。
勢いよく放たれた頭突きによって、石頭同士がかち合い、部屋に鮮血が散った。

「ぐあッ・・・・・・!」

「痛ってェ・・・・・・!」

ふらふらする頭を押さえると、見事に額が割れていた。真っ赤な血がべっとりと手を汚す。
血が抜けていくらか冷静さを取り戻しかけたが、自分の血を見て再び興奮した火浦は怒鳴り声を上げた。

「そもそも、おれは受かったわけじゃねえッ!」

「・・・・・・なに、言ってんだ・・・・・・!?」

どうにも苛立って仕方が無い。火浦はなにに怒りをぶつければいいのかさっぱりわからなかった。
だが、藤野と喧嘩をしたところで、きっとこの気持ちは晴れないだろう、と感覚的にわかっていた火浦は藤野に背を向ける。

「くそッ!」

ぺっ、と血の混じった唾を手に取り、自分の割れた額に塗ると、火浦は怒りのままにどすどすと音を立てて部屋を出て行った。
そんな火浦の後姿を見つめる藤野一等兵は、彼の言葉の意味を捉えかねて首を傾げていた。



数日前、配属希望を提出に向かう際、教官の部屋の近くを通った時のことだった。
薄い扉を貫いて、部屋の中から怒声が響いてきたことに驚き、思わず火浦は足を止めてしまう。
よく聞けば、自分たちの班の戦術機教習を担当している、青髭の教官、通称ジルドレの声だった。
盗み聞きするつもりは一切なかったのだが、部屋の中から聞こえてきた言葉に彼の足は釘付けになった。

――――今期は実機が二個中隊分しか搬入されないだと?

――――ああ。

彼と会話している相手の声には聞き覚えはなかったが、ジルドレとタメ口なことからおそらくは同じ軍曹。もしかしたら教官なのかもしれない。
実機とは戦術機のことだろうか。近々新しく今期生の練習機が搬入されると聞いたが、その件だろう。
しかし、二個中隊分となると二十四機である。今期の衛士候補生は二十五人だ。一人、余ることになる。
いやに、いらいらする。さっさと立ち去るのが利口なのかもしれないが、どうにも、気になった。

――――小森中佐はなんと?

――――下から削れ、と。

――――それは、水増し分を差し引いて、か?

水増し分、とは何なのか。話の流れからして適性試験に関連するものなのは理解できるのだが。
もしや、と思い、火浦は自分の成績と、同じ班の者から聞いた適性試験の結果を思い返す。
御神楽も火浦と同じように耐え切ったが、結局判定結果はEで落選した。
脳波などのバイタルデータこそ確認する術は無いが、火浦と御神楽で何が違ったというのか。

――――いや、今更戻せん。釘原の方にもDのものがいただろう?

――――・・・・・・了解したと伝えておけ。

釘原という名前と、D、という言葉を聞いて、火浦はようやく得心がいった。
今期の衛士候補生には適性AからDまでの二十五人が登録されている。そのうち半数以上はジルドレが担当したものだ。
火浦もその一人で、落選ぎりぎりのDだったはずである。

――――貴様・・・・・・火浦訓練兵。今の話を聞いていたのか?

――――はっ!いいえ、何のことでしょうか!

その場ではなんとか誤魔化すことができた。
ひょっとしたら出来なかったかもしれないが、音沙汰無いところを見ると、問題にしていないように思える。
たかだか訓練兵に聞かれたから何なのだ、とでも言うのだろうか。



「くそ、気にいらねえよ・・・・・・!」

兵舎の、火浦の部屋から最寄のトイレで顔を洗った彼は、力任せにコンクリートの壁を殴りつけた。
ぼろい兵舎はそれだけでみしりとゆれて、コンクリートに皹が入る。
物に当たってまずいことをしたな、と思う心もあるが、それ以上に苛立ちが収まらない。

「薄汚え・・・・・・」

皮膚が破けて血が垂れた自分の拳を見て、火浦は壁にもたれかかる。
昨日、彼は自分の訓練時の搭乗データと、前期以前の訓練兵の搭乗データ平均と照らし合わせてみた。
どうしても、水増し分というのが気になったのだ。自分もその一人なのか、と。
その結果、やはりというべきか。火浦の適性は正確にはDではなく、限りなくDに近い〝E〟だった。ぎりぎり落選側のラインである。

「・・・・・・」

どうしようもない苛立ちに、彼は頭をがりがりと掻き毟って自傷を行う。
エリートとして認められたということに、喜びを覚えたこともある。訓練に気合を入れていた自分が誇らしく思えたこともある。
だが、それが全て嘘で塗り固められた、薄汚いものだとわかってしまった。眦から一滴、しずくが零れる。

「このッ、クズ野郎・・・・・・!」

血まみれの手で顔を押さえて、自分自身を罵倒する。
これがバレたら戦術機から降ろされるのでは、と恐怖した自分が気に入らない。
そして、自分よりも適性値が低いものが、不正をしていない釘原という教官のもとにいたことを知り、安堵した自分の薄汚さに気づいてしまった。
すっかり軍隊に飼いならされて、心が折れてしまっていた。

「誰だ・・・・・・?火浦?」

そんな時、あまりの怒号に覗きにきたらしい御神楽がひょっこりと顔を出した。
眉なしにオールバックの男の顔は整っているもののどこかやくざものを思わせる。
火浦は腹の中にはとどめておけぬ苛立ちを御神楽にぶつけてはならないと思い、ひとつため息を吐き出して向き直る。

「どうした?」

「いや・・・・・・」

不思議そうな顔で見る御神楽に火浦は居心地悪そうに頭を掻いた。ショートヘアーを寝癖のように逆立たせてかぶりを振る。
実際のところ、たかだか訓練兵風情にどうすることができるというのか、と火浦は思っていた。
どうしたらこの収まりの悪さは消えてくれるのだろう。親指で鼻の頭をかくと、火浦はもうひとつだけため息をついた。
そんな彼に、御神楽は気を遣って話を聞いてみる。

「なんか悩んでんのか?」

「・・・・・・そうだな」

火浦としては、御神楽に言っても仕方ないかもしれない、と思うところは無かったわけではない。
三男とはいえどちらかといえば彼は、力を持っている側だ。暴力にしろ、権力にしろ、財力にしろ。
決定的にその点で火浦と異なっている。だが、だからこそ別の視点からの考えを聞いてみようかと思ったのだ。

「なあ、軍人にとって、唯一無二の正しいことってなんだと思う?」

「・・・・・・ん?」

「命令に従うのが正義なのか?不正に媚びるのが正義なのか?それとも、悪い命令には逆らうのが正義なのか?」

火浦京次郎は軍人であり、一人の人間だ。
軍人としての自覚や覚悟を、上から叩き込まれてきた己と、不良として、己の心のままに生きてきた己が相反している。
組織人としての心算と、不義を嫌う良心の両方を持つからこそ、正義とは何なのかがわからなくなった。
そんな彼に、御神楽は親から教えられた、たった一つの間違いなく正義だと言える、ひとつの真実を口にした。

「おれたちの、あるいは立法機関や治安維持組織に属する者の正義、それはただ一つのものに尽きる」

「・・・・・・」

「人命と人権を守ること。理不尽な暴力、理不尽な権力、その他の理不尽さから、人命と人権を死守すること」

それだけが我々の正義だ。これ以外には有り得ない。そう締めくくって御神楽は火浦を真っ直ぐに見返した。
国というものは、個人が集まってできたものだ。その個人の一人一人を守ることこそが、国に仕える者の使命だ、と。
好きで軍隊に入った身ではないにせよ、食い扶持は貰っているし、なにより、火浦自身にも郷土愛ぐらいはある。
その郷土というものは、祖父であり、父や母が育った町であり、その町に住む多くの人であり、そして、火浦京次郎本人でもある。

「おれの親父はさ、軍からは嫌われてるし、政治屋だって言われてる。だけどな、それは人命と人権を守る為にやってるんだ」

外見は悪いし、たぶん死ぬまでわかって貰えないだろうけど、とも御神楽は言った。そして、お前はどう思うか、とも。
そんな彼の言葉は、火浦の良心とも、職分とも、どちらともぴたりと合致する、唯一無二の答えだと思った。
人命と人権を守る。それに尽きる。命令には従う、しかし不正には媚びない。真正面から立ち向かう。人権とは、そういうことだ。

「・・・・・・なるほど」

すとんと、火浦の腹に落ちた。自己保身など、もういい。そんなものへの執着など、いらない。
理不尽には、気に入らないものには真正面からぶつかるのが、不良のやり方だ。それが痛くても、胸を張れればそれでいい。
相手がお天道様だろうと、上官様だろうと、将軍様だろうと、関係ない。相手を見て出したり引っ込めたりするようなのは勇気とは呼ばない。
すっかり忘れていた感覚だった。腹の底から血が湧いてくる。
頭に血が上り、額から垂れた血が目に落ちて、血涙のように零れた。



翌日、実機が搬入されたと聞いた二十五名の訓練兵たちはハンガーへと集まるように召集がかけられた。
まだ部隊章も、番号さえふられていない、まっさらな新品の戦術機。
世界でもっとも親しまれている、人類の主力機、アメリカ製の第一世代戦術機、F-4。
日本帝国において撃震と呼称されている戦術機である。練習機であると同時に、戦闘装備さえ整えれば実戦さえ可能なしろものだった。
しかし、ここに搬入されている撃震の数は一機だけ少ない。二十五名の訓練兵に対して、二十四機の撃震だ。

「貴様らにとても悲しいお知らせがある」

「はっ!」

表情を引き締めて教官に向き直る訓練兵たち。その中の一人がいやに表情が浮かない。
隣の、釘原教官の班の者であった。確か、適性はDだと言っていたような気がする。
そこまで考えて、火浦は大体何があったのか、何を言おうとしているのか、その予測がついた。
あらかじめ、何かしらジルドレが伝えておいたのだろう。おまえは、クビだ、とでも。

「杉浦訓練兵」

「は、はっ!」

「教官。ひとつよろしいでしょうか」

顔色の悪い訓練兵が一歩前に出ると、同時に火浦も一言言って前へ出た。
ジルドレは先ほどまでの嘘くさい悲しげな表情を一転させて怒りに紅潮させ、額に青筋を浮かべて犬歯をむき出しにする。
たかが訓練兵に舐められたと思ったのだろう。しかし、火浦はそんな教官の様子をまったく意にも介さず、口を開く。

「自分の衛士強化装備のデータです。適性試験時のデータに改竄された形跡が残っていました」

「なッ!?」

そう言ってターミナルから出力した、書類を見せる。一目瞭然、データに改竄の形跡が見て取れた。
ジルドレは髭だけではなく顔さえ真っ青にしてその書類を引ったくり、びりびりに破り捨てた。
しかし、火浦はそれを見ても表情をまったく変えず、予め言おうと決めていた言葉を告げる。

「釘原教官と吾川教官にも既に提出してあります。おそらく、小渕准将も拝見しているかと」

「な、なん、なんだと、貴様あああッ!」

興奮のせいか、呂律が回っていないジルドレは火浦の顔目掛けて拳を振り上げる。
しかし、そんな怒りに任せた拳が前期の訓練を修了して総合戦闘技術演習を通過した火浦に当たるわけが無い。
軽く首を動かすだけで拳は空を切り、ジルドレは足をもつれさせて欄干まで転がった。
そんな彼を見下ろす火浦の目はどこまでも冷たく、それでいてぎらぎらと輝いている。

「衛士になれば士官になれるんだぞ!?ウイングマークが惜しくないのか!?」

「プライドより大事なものですか?」

欲望のままに生きて、それだけで満足なのか。それで本当に人間と呼べるのか。
ここの、軍隊の押さえつけられる生き方に慣れて久しく忘れていた。
気に入らないものに気に入らないと言い放つ喜びを。お天道様に胸を張る、スカッとする気分を。
カラスを白と言って生きる人生に何の価値があろうか。真実にぶつかっていくのが人間の生き方ではないのか。
そんな火浦の言葉に、ジルドレは顔をさっと赤くした。赤くなったり青くなったり血行のいいやつだな、と益体も無いことを火浦は考える。

「貴様ッ・・・・・・!火浦・・・・・・!不良のクズ野郎の分際で・・・・・・!」

「教官殿がクズ野郎よりマシならば、そんなに焦って転がったりする必要はないでしょう」

少しだけ口の端を吊り上げて火浦は笑って見せた。ジルドレは地面に這い蹲り、意味のわからない言葉を呟き続けている。
汚職の罪がどれだけ重いかは知らないが、彼が再び教官に戻ることはないだろう。
ひょっとしたら、きみはシベリア送りだ、とか言われるかもしれない。無論、冗談だが。

「それで、無職になったクズ野郎はどこの兵科に送られるんだ?」

火浦はけらけらと笑いながらそう言うと、シミュレータールームから去って行く。
その背中を、訓練兵たちは理解できないとでも言うような目で見つめていた。



火浦京次郎訓練兵・・・・・・戦術機甲科への配属取り消し。












[28081] 序章最終話 決別のクズ野郎 【改訂済】
Name: あおいぶた◆0a2be469 ID:196a220b
Date: 2011/06/30 23:32





横須賀基地のヘリ格納庫にて、シミュレーター訓練が行われていた。
一ヶ月遅れで航空科に配属された火浦は、三週間で他の航空兵候補生に追いつき、今ではそこそこの成績を維持している。
もともと適性値が高かったこともあるが、最初の一週間でヘリ用の教本を全て頭に叩き込んだのが効いている。
後期が始まって二ヶ月目には輸送機のパイロットとしてではなく、ヘリの、それも戦闘用のAH64のパイロット候補生として選抜された。

「・・・・・・レーダーに反応なし。高度を取りたい」

アーチャーをガナーコックピット、火浦をメインコックピットに乗せてアパッチが山際を匍匐飛行する。
シミュレーター訓練だが、本気でやらねば身につかない。練習でできないことが本番でできるものか。
事実、山岳地帯において、敵はBETAだけではない。仲間の機動や、地形すらヘリの安全を脅かす。
迂闊な行動を取れば即、死につながることになるだろう。

『許可する。百二十まで高度を上げろ』

「了解」

オペレーションを行う教官の声が、骨伝導スピーカーを通して火浦たちの耳に届く。
レーザー級種、先日、ノートに詳細に書き写した怪物の姿を思い出して火浦は眉を顰める。
悪夢のような姿をした化け物たち。BETA。どこか人を思わせるパーツを持つ彼らは、どうしようもなく認めがたいほどに不気味だ。
火浦自身、スケッチする際に気分が悪くなってきたほどだった。
そんな時、コックピットの動体センサーに反応が見てとれた。
目視できないかと山際から少し回りこんでみれば、五百メートルほど先に紫色の蠍のような姿の化け物が十数匹見えた。

「十一時方向、要撃級発見」

『撃墜しろ』

指示が出るなりガナーコックピットに座ったアーチャーが狙いを定め、トリガーを引き絞る。
機体下部に取り付けられた三十ミリ口径の機関砲が唸りを上げて劣化ウラン弾を吐き出す。衝撃もシミュレーターは再現してくれる。
このシミュレーターは自動車教習所にある運転シミュレーターのような安っぽいものではない。これは実機をまさに〝再現〟している。
これを使って教習プログラムを修了すれば、それでパイロット資格が得られるのだから、当然だ。

「全敵撃破。撃墜数十三」

弾丸の嵐に襲われ、ドブ色の体液を吐き出して地面に崩れる化け物の上空をフライパスしながら、火浦は報告を行う。
アーチャーは優秀だ。弓手という苗字に恥じぬだけの射撃技能を持っている。
一ヶ月遅れの火浦をよくサポートしてくれる彼には、いくら感謝しても足りないだろう。
しかし、いつまでも足を引っ張ってばかりではいられないと、発奮して訓練に望む火浦も、めきめきと力をつけている。

「戦車級、および要塞級発見」

目視で絨毯のように広がった、無数の赤い化け物、戦車級の群れと、山のように巨大な体躯を持つ、要塞級の姿を発見する。
数十匹を超え、数百匹。数え切れないほどに多い戦車級に、アーチャーは劣化ウラン弾をばら撒く。
六本足の首の無い牛に、胸に口をつけ、肩に人間の腕をつけたような、悪夢の如き姿は爆裂して、体液を緑色の大地にぶちまけた。
その間、火浦はヘリの体勢維持と同時にレーダーを確認し、もっとも自分たちにとって警戒するべき相手を探す。

『要塞級に関する注意事項』

「内部にレーザー級が存在するか否か」

教官の問いに、火浦は教本に書いてあった通りの返答を行う。先達が命を代価に得た、BETAの生態、そして対BETA戦術。
朝起きた後の時間の空隙、昼休み、そして寝る前、と教本を手放さずに頭に叩き込んだ成果だ。
この場合、要塞級は十本のとげのような足で支えている、胴体部にレーザー級を飼っている場合がある為、それに警戒せよ、ということだ。
対空兵器を持つBETAはレーザー級種のみであるが故に。

『七十ミリロケットの使用を許可する』

「了解」

言うと同時にヘリの正面に要塞級を捉え、火浦は機体を滞空させる。
そしてその一秒後、アーチャーは狙いを定めてロケットランチャーに火を入れた。
彼らの駆るAH64、通称アパッチの最大の武器、2.75インチ・ロケットランチャー・ポッド。
十九発の装弾数のロケットランチャーが、アパッチには四基積まれている。
七十ミリの徹甲弾は要塞級のブ厚い表皮を突き破り、その全高四十九メートルの巨体にダメージを与える。
力の抜けた足が踏ん張りきれずに崩れ落ちた要塞級を見下ろしながら通信を行う。

「要塞級撃破・・・・・・目視範囲、レーダー探知半径に新たな敵影は確認できず」

『掃討に移れ』

「了解」

命令のままに、アパッチは滞空した状態で機銃掃射を行う。
大地に蔓延る無数の赤い影と薄紫色の怪物の巨体は、次々と蜂の巣になり、動体反応を消してゆく。
三十ミリの砲弾を放ち続ける機銃の反動は大きいが、それをいなして射線を維持し続けるだけの術はすでに教わっている。
実機でも訓練通りの機動を行えるかどうかはやってみなければわからないが、シミュレーターではほぼ完璧だ。
再度レーダーと残弾数、プロペランドの残量を確認し、火浦は報告を行った。

「燃料が三分の一を切った。本隊に帰投する」

『上出来だ。最後まで気を抜くなよ』

「了解」

山岳の稜線から抜けない程度の高さを飛びながら、アパッチは眼下の戦術機の一個中隊を見下ろす。
データリンクを行ってシミュレーターを連動するような機材はここにはない。あれは決められたパターンの通りに動くただのプログラムだ。
自分もひょっとしたらあれに乗っていたのかもしれない、と少しだけ思ってしまった。
未練だな、と口の中で小さくつぶやき、火浦はバイザーの隙間から手を入れて目元に垂れてきた汗を拭う。
ちょうどそんな時、機体のコンディション変調を告げる、警告音がシミュレーター内に鳴り響く。

「・・・・・・こちらドラゴンフライ01。エンジントラブル発生。最寄の国道への着陸許可を求む」

どうやらエンジンが停止したようである。しかし、ヘリはエンジンが停止してもすぐには落ちない。
オートローテーションと呼ばれる、空力を利用した飛行方法で安全に着陸できるのだ。
高度がちと不安だが、今すぐに許可が下りれば十分に着陸できる。

『こちら管制塔。着陸を許可する。マーカーで示したポイントに不時着しろ』

よしきた、とばかりに火浦は操縦桿を力強く握り直した。
ばたばたばた、と音を立てて失速していく機体をブレードを稼動させることで安定させ、メインローターの回転数を調整する。
迎え角よし、と呟きながら後方にバランスを動かした機体は、見事に国道の真上に滞空する。
コンソールや操縦桿の細かい操作が求められるが、この程度できないようではヘリパイロットの資格は与えられない。
目視範囲にBETAはまだいない。火浦はレーダーに注意を払いつつ、テールローターを回転させた。
そして、車道に沿うようにヘリの向きを調整を行い、ゆっくりと着地する。

「着陸よし」

ソフトランディング。百点満点、と内心で自画自賛しつつ着陸を終えると、シミュレーターが終了する。
消えていく画面にコックピット内は真っ暗になるが、火浦もアーチャーも落ち着いた手際でシートベルトを外す。

「上出来だ。褒めてやる。才能あるよ、お前ら」

「はッ!ありがとうございます!」

シミュレーターから降りると、オペレーターを務めていた教官からお褒めの言葉がかけられた。
火浦とアーチャーは素直にヘルメットを取り、直立して敬礼を返した。
教官は小日向白朗という、どこぞの馬賊のような名前の、削げた頬と浮き出た頬骨が特徴的な、長身の男だ。
航空科は近年予算が減少傾向にある。その為、シミュレーター訓練において教官が監督と同時にオペレーターを務めているのだ。

「しかし、衛士落ちがここのトップ、か。舐められているようで気に入らんな」

ターミナルから出力された今回のデータを眺めて、短い顎鬚を撫でながら小日向は聞こえよがしに独り言を呟いた。
相手が目の前にいるなど関係なしに独り言を呟く。デリカシーの無い行為だが、この男の癖だ。悪意は無い。
もっとも、軍隊に入ってからデリカシーがあるやつに会ったこと自体が少ないのだが。
そんなこと言われても困る、とばかりに火浦は視線を逸らした。

「まァ、いいか」

「・・・・・・」

適正値はBの航空科よりも適正値D、正確にはEの、戦術機甲科への配属が優先されることに、複雑な感情もあるのだろう。
舐められている、と感じても仕方の無いことだ。もっとも、衛士適性のある者は数が少ないため適性値がDでも優先されるのも仕方が無いのだが。
ちなみに、衛士落ちとは火浦に付けられたあだ名だったりする。
エリートである衛士の専門課程に進めたというのに、教官に逆らって追い出されたという稀代の馬鹿につけられたあだ名だ。
もっとも、後から諸事情で落選された者は前期以前にもいた為、彼ら全般に付けられたあだ名なのだが。
不名誉なあだ名の筈なのだが、火浦としては気にならない。恥ずべきことなど何も無いのだから当然だ。

「昼飯だな。さて、今日は・・・・・・カレーだったか・・・・・・」

独り言を呟きながら小日向は背中を向けて格納庫から去って行く。時計を見れば、既に十二時を二分過ぎていた。
訓練終了の挨拶のひとつもしないいい加減な態度に呆れないこともないが、火浦たち訓練兵は皆一様に諦めている。
あれでも訓練の最中は真面目にやっているのだ。火浦の頭の中にパートタイム兵士、という言葉が思い浮かんだが、心のうちにしまうことにした。

「・・・・・・昼飯、行くか」

「そうだな」

ヘルメットやらの装備品を所定の位置に戻し、火浦はいつも手にしているノートを手にした。
航空科の基礎教本を写したノートだが、燃料がどうの、高度がどうの、サインがどうのと面倒なことが書かれている。
だが、これを頭に叩き込まなければヘリパイロットとして戦うことなど到底できやしない。
常に肌身離さず持っている。不良だから落ちこぼれなどと見下されるのは、火浦としても望むところではないのだ。
ターミナルから出力された個人データをファイリングして、ページを閉じると火浦はPXへと足を向ける。

「おう、お前ら。聞いたか?」

「何を?」

すると、後ろから声がかかり、火浦はそちらへと振り返る。着替えを終えた同期のものが数名駆け寄ってきた。
にやにやといやに嬉しそうな顔をしている。今日は何か面白い話を聞いたか、と本日あったことを思い返すが、火浦には心当たりがない。
わからん、とばかりに首をかしげると、同期の一人の髪を鶏冠のように尖らせた男が肩に腕を置いてきた。

「ジルドレのことさ」

「・・・・・・あれがどうした?」

少しばかり不機嫌な気持ちになって、刺々しい口調になってしまったかもしれない。
あの青髭の濃い男のにやけ面は、思い出すだけで胸糞悪くなる。正当な手段で弾劾してやったが、虚仮にしてくれたことにかわりは無いのだ。
しかし、あれが今何をしているか、少しばかり興味があった。教官の職を干されただけで済んだのだろうか。
先を話せ、とあごをしゃくって話を促すと、よくぞ聞いてくれたと鶏冠の男は口の端を吊り上げる。

「小森中佐に命令されてやったとかぶちまけて、盛大に自爆したらしいぜ?ホントかどうかは知らねえがよ」

「ほー、佐官がねー」

棒読み丸出しの嘘くさい口調で火浦は返事をする。娯楽の少ない訓練校ではこういったゴシップが好まれる。
自分が渦中になるのは嫌だが、他人の噂話というのは何故こんなにも盛り上がるのだろうか。
他人の噂話を好むのは心が下品な証拠だ、と祖母から教わった火浦は、あまり気乗りしないのだが。
しかし、ジルドレはもう保身とか関係無しに道連れが欲しいのかもしれない。小森も自業自得だ。
もうあれらとは関わりたくない。頭を使うのは嫌だし、あの手の人間に関わるとこっちまで臭くなる。
やれやれとため息をつきつつ格納庫から出ると、ずいぶんと威勢がいい十月の太陽がお出迎えしてくれた。

「日光浴も、たまにはいいな」

そう呟いた彼は、PXまで少し遠回りをすることにした。



そして、午後の訓練、そして夕食を終えた彼らが戻るのは自室、ようやくやってきた自由時間である。
火浦はいつものように掃除、洗濯、銃の整備などを手早く終わらせると、窓を閉めて提灯電灯のスイッチを入れる。
薄暗い部屋で勉強をすると何故かいつもよりも捗るのは何故だろうか。
輸送ヘリに関する基本知識の問題集を、テスト形式で行う。
かりかり、という音が静かな自室に響く。今はアーチャーはいない。PXあたりで緑茶でも飲んでいるのではなかろうか。
フォネティックコードやら、管制塔からの指示に関する問題は簡単だ。最初に習った。
しかし、ひとつ度忘れしてしまった問題があり、鉛筆を指先でいじりながら思い出そうとすると、床に落として鉛筆の芯が折れてしまった。

「おっと」

拾い上げる際に、自分の鞄の中を引っ掻き回し、ナイフを探す。無論、鉛筆を削るためだ。
そんな時、ふと、戦術機教本を書き写したノートを見つけてしまった。
無意識に火浦はそれを拾い上げると、ぱらぱらとノートをめくる。
適性試験に受かったときはなんでもないようなふりをしていたが、内心では結構喜んでいた
給料が上がったというのも、階級が上がったこともそうだが、自分の価値が認められたというのは素直に嬉しかったのだ。
だから気合を入れて訓練に望んだ。そのせいで、今もあのときの記憶が脳裏に焼きついている。

「・・・・・・女々しいだけだな」

やれやれ、とかぶりをふると、ゴミ箱を持ってきて、その上で鉛筆を削る。
どうせだから、とペンケースに入っている残り六本の鉛筆もついでに削ると、その上からノートを叩き込む。
未練がましい男というのはどうにも格好悪い。
今日のところはさっさと勉強を終わらせてしまおうと、ノートを鞄の中にしまって火浦は部屋を出ることにした。

「よう、火浦じゃねえの」

扉を開けると、すぐ目の前には御神楽の姿があった。彼の格好は滅多に訓練兵が切ることのない常装制服である。
礼儀や作法などを叩き込まれていたのであろう、首をぱきぱきと鳴らしながら彼は声をかけてきた。
思えば最近、自分は付き合いが悪かったな、と思った火浦はせっかくなので彼をPXに誘ってみる。

「ポテトでも食いにいかないか?奢るよ」

「お、いいのか?」

「ああ」

久しぶりに御神楽と話すと、いろいろな話が聞けた。
遅れを取り戻す為に訓練漬けの毎日を送っていた火浦は少々情報に疎くなっていたらしい。
今年の始めに帝国議会で派兵が決定したことは知っている。それからはアジア大陸へと多くの日本帝国の軍人が向かっている。次々と、である。
同室だった藤野や男鹿も二週間ほど前に出立し、今頃は前線に到着していることだろう。
かつて、それ以外の生き方が許されていないと笑って話した彼は、今も元気でいるだろうか。
御神楽に聞いた話によると大陸では負け続きで、戦術核兵器を用いて遅滞を繰り返しているらしい。
前線での真実と後方の報道では天と地ほどの差があるのだろう。厭戦ムードを避ける為とはいえ、少々やりすぎな気もする。

「あと二ヶ月半か。思えば早い六ヶ月だったな」

「そうだなァ・・・・・・おれは内地の勤務になるみたいだけどな」

彼らもこのまま順調に進めば、後期の専門訓練を十一週間後に修了することになる。
そうなれば、御神楽のような特殊な兵科の者など、一部の者を除き、訓練兵の大半がアジア大陸、その大半はウイグル自治区はカシュガルへと派兵されることになるだろう。
カシュガルにあるのは、BETAたちの住処の中でも一際大きいものであり、一際日本に近い、オリジナルハイヴと呼ばれるものだ。十八年前にBETAが地球に降り立った場所である。

ここでまたもやいらない薀蓄を語るとしよう。九行ほど語るので、面倒ならば飛ばしてくれてかまわない。

BETAと呼ばれる人類の天敵のことは実際のところあまりよくわかっていない。
七種類の悪夢のごとき姿をした炭素生命体にして、物量を頼みに津波のごとく押し寄せてくる大軍勢。
口を持っているにもかかわらず言葉を話すことも無く、殺して壊して全てを奪いつくして何も残さない、さながら巨大なイナゴの大群。
しかし、長年戦争を繰り返してきて人類にもわかっていることはいくつかある。
そのひとつに、彼らは住処を広げる際には数が増えすぎた時だけ、ということがある。
現在地球にはハイヴ、すなわちBETAの住処が十三箇所作られている。最古のものはウイグル自治区カシュガル、そして最新のものはインドはボパールにある。
古いものほどどんどん深く、大きくなっていき、やがて溢れたBETAたちが新天地を求める、というわけだ。
つまり、新しいものほど浅く、小さく、BETAの数が少ない。そして、古いものほど深く、大きく、おぞましい数のBETAが存在するということだ。
そして、現在BETAたちは西進を終え、ヨーロッパの全てを蹂躙しつくして、次は東、アジア方面へと向かってきているのだ。

そんな事情があり、火浦としても少しばかり不安に思わないこともないのだ。
死ぬことに恐怖を感じないわけではないし、自分が絶対に死なないと言い切ることだってできない。
世の中すべてが思い通りになるのなら誰も苦労などしていないし、未来のすべてがわかるなら、誰も努力などしないだろう。
真剣に訓練に取り組むことで、少しでも自信を身につけ、恐怖を打ち払うことができたのだろうか。
口数が少なくなった彼に、御神楽は背中を思い切り引っぱたいて軽い口調でエールを送る。

「まあ、せいぜいがんばれよ!」

「気軽に言ってくれるぜ」

内地勤務はいくらかマシだろうよ、と軽口を返すうち、火浦も沈んできた気持ちがいくらかマシになった気がした。
この気のいいやつらと今度あった時は、酒を飲み交わすのもいいかもしれない。そんな風に火浦は思った。
PXに向かう途中で同期の連中を誘い、結局十人以上で集まって軽食をとる事になる。
久しぶりに同期の連中と飲むソーダは、やけにのど越しがさわやかだった。







[28081] 現在改訂中
Name: あおいぶた◆0a2be469 ID:196a220b
Date: 2011/06/30 23:33
作品をより良くするために全面改訂を行います。
・・・・・・ということだったのですが、改訂を行っていくうちにかなり別物になってきました。
そのため、ここから先の展開も変わって行くかもしれませんので、一旦削除した次第です。
一言でも感想があるとうれしいです。


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