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[15269] リリカルってなんですか? (オリ主 転生 原作知識:とらハ3のみ 一部微鬱)
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2011/05/06 21:14


 ペタリとまた一つ『くらもとしょうた』と自分の名前が書かれたネームシールを明日から使う自分の鉛筆に張っていく。
 延々と続けられたこの作業もこれで一時間近く経つ。僕の隣では、僕と同じような作業を同じく延々と続ける親父の姿が。

 仮にこの作業が永遠に続く苦行であるならば、あと三十分も続ければ発狂しそうなほどであるが、流石に分量が多い入学前の準備とはいえ、二人で続ければ流石にそろそろ終わる。

「しかし、早いものだな。もうお前も小学生か」

 親父の感心したような言葉にそうだね、と半ばやる気無げに呟き、僕にとっては延々と続けれた作業に終止符を打つべく、残り僅かとなったまだ名前のついていない道具にネームシールをペタペタと貼り付けた。

 ―――そうか、もう六年か……

 僕はまだニコニコ微笑みながら最後の小学校入学セットにネームシールを張る親父に見えないようにこっそりとため息をついた。
 それは、能天気に笑いながらシールを張る親父に呆れたのではない。明日からの―――二度目となる小学校生活を考えると憂鬱になるからである。

 人生二度目の小学校―――我ながら可笑しいフレーズだとは思うが、事実なのだから仕方ない。別に外国に留学していて天才的な頭脳で飛び級した、とかそんな話ではない。日本の小学校に通うのが二度目なのだ。もっとも、最初の小学校はこの身体ではなかったが。

 自分の納得している理論―――この精神論的な考えが理論といえるかどうかは甚だ疑問で仕方ない―――でいうならば、この現象は、輪廻転生というものだろう。家が仏教だったかどうかは知らない。かといって、キリスト教でもなんでもない。極一般的な日本人のようにクリスマスにはケーキを食べたし、新年には初詣にすら行った無宗教ともいうべき一家だった。しかし、たった一晩でもうすぐ卒業間近という身分から赤子の身に落とされた身としてはそれぐらいしかこの状況を説明できないのだ。

 どうしてこうなったのか、僕には分からない。分かろうはずもないし、工学科だった僕に、授業と個人的な趣味で心理学を一応のレベルでしか学んでいない僕に、こんな精神論的なことを言われても分かるはずもない。しかし、考えなければ、この状況に納得できなければ、僕の頭が狂いそうだったし、なによりも赤子の身―――しかも、目もよく見えない、身体が上手く動かせない―――としては時間つぶしというべき行動の一つとしてこんな哲学的なことを考えざるを得なかったのだ。

 そして、出た結論は、昔の人の言葉をあやかったものだった。

 ―――I think, therefore I am(我思う故に我あり)。

 ついでに決めたこれからの行動指針は、―――ケ・セラ・セラ(なるようになるさ)―――である。結局、赤子の身がようやく歩けるような身になるまで延々と同じようなことを考え続けた結果の結論である。人間、不思議なもので一年以上この身に慣れてくると生まれ持った順応性でこの世界に慣れてしまうらしい。

 まあ、せっかく生まれ変わったのだから生前(?)とは少し違ったことを楽しんでもいいかもしれない。

 前世(?)に未練がないのか、といわれれば、多少はあるかもしれないが、家族が両親ぐらいで、友人もあまり深い付き合いもしなかったし、恋人もいなかった身としては、せいぜい、親より先に死んでしまったなぁ、程度である。

 ともかく、僕は現在の今を受け入れており、明日から二度目の小学生になる。
 入学する学校は、僕が住む町『海鳴市』にある『聖祥大学付属小学校』である。



 ◇ ◇ ◇



 小学校の入学式というのは実に微笑ましい、と上から目線で思ってしまうのは二十歳まで生きてきた記憶があるからだろうか。己の体躯を見れば、彼らと身体の大きさはほぼ変わらないし、目線すらも変わらないのに、初めて見る校舎に緊張し、中には親と離れて泣きそうになっている彼らを見ると、どうしても微笑ましくなってくる。

 僕は保育園時代からの友人―――これだけ物の考えが違うのだから対等の友人というには役者不足かもしれないが、まあ、保育園時代から半ばガキ大将のようなことをやっていた僕の仲間の一人だと考えればいいだろう。

 近所の保育園に行っていた僕だが、やはり精神年齢が高いというのは考え物だ。精神年齢が同じであれば、彼らと同じように駆け回って遊べただろうが、如何せん身体は子供、頭脳は大人を地でいく僕だ。彼らと同じように遊んでいながらも心は、公園で子供を見ている母親のような気分だ。

 急に飛び出さないか、転ばないか、転んだとしても怪我をしていないか、仲間はずれになっている子はいないか。挙げればキリがない。放っておいて自分だけで読書なりなんなりで自分だけの時間をつぶせばいい、とも考えたが、どうやら僕は思っていた以上に子供が好きらしい。当然のことながら、ロリコンといわれるような人種ではない。

 生前の大学でそれなりに付き合いがあった友人が言っていた格言を思い出す。

 ―――可愛いは正義、可愛ければ許される。

 昔の僕はいまいち、意味がつかめなかったが、今ならなんとなく理解できるかもしれない。

 ちなみに、その友人もロリコンという人種ではない、と自己申告していたが、園児が集団下校しているのを見ると目線がそちらに向き、目で追っていた事実を鑑みるととても信じられない。もはや会うことは叶わないが、彼がテレビに出ないことを願うことのみである。

 さて、そんなこんなで、僕は彼らの世話を焼き、時には喧嘩し、時には諭すようなことをやっていたら、気がつけば年長組みをも抑えるガキ大将的な身分に収まっていましたとさ。彼らの母親からみれば、よくできた子供であり、自分の子供の面倒を見てくれる出来た―――出来すぎた子供であり、僕が年長組みになるころには、僕にすべて任せておけば大丈夫という空気が生まれていたのは勘弁して欲しかった。買い物に子供が邪魔だからと言って僕に預けてくるのだから。むろん、下心は当然のように隠してはいたが、片方の手にマイバッグを持っていれば、今から買い物だということぐらいはすぐに分かる。

 過ぎたことを言っても仕方ない。そんな保育園時代をすごした僕だが、転機はどこの小学校に行くかという選択肢が生まれたときだろう。僕の経験からいえば、当然のように公立の小学校に行くのが普通だったのだが、どうやら生まれ変わった地区では、私立の小学校というものがあり、公立か、私立かの二択があるらしい。しかも、その小学校は大学付属で上手くいけば、大学までエスカレーター式でいけるらしい。

 小学校時代から青田買いとは、少子化もここに極まれりだと思った。

 僕としては、公立でも十分だったのだが、どうやら両親としては私立に行って欲しいようだった。親に庇護されている身としては、親の要望に従うほかない。無論、小学校の入学テストなどお手の物。考えなくてもすぐに解ける。一時間程度の時間が与えられたが、十分程度で終えてしまった。
 だが、僕が考えなしに試験問題を解いてしまったのはやや問題があったようだ。記述式の回答さえ求められる問題で中学生レベルの漢字を使ってしまったのも過ちの一つである。気づけば入学料、授業料免除の特Aランクの特待生になっていた。これには両親も驚いた表情をしていたが、まあ、喜んでいたので問題はないだろう。

 そんなこんなで、聖祥大学付属小学校に入学した僕だ。前の保育園からは仲間の半分程度が聖祥大学付属小学校に入学している。その中で僕と同じクラスなのは、目の前で緊張した面持ちをしながらも楽しそうに昨日の戦隊物について話している彼と他二名の女の子である。ちなみにその女の子たちは、初めて身を包んだ真っ白な制服についてワイワイ、キャーキャー言っており、男の出る幕ではないようだ。

 やがて、僕らは教師から呼び出され、名前の順番に廊下に並ばせられた。

 さて、今から退屈な入学式だ。



 ◇  ◇  ◇



 新入生の名前が呼ばれ、校長の短い話があり、校歌を歌う、という実に簡素な入学式を終えた後、僕たちは教室に戻ってあいうえお順に自分の名前が書かれた机に座っていた。このクラスの構成人数は三十人。合計クラスが五クラスあることから考えても百五十人前後が今年の新入生ということだ。

 今からは、自己紹介タイムである。中、高校生になれば、クラス替えのときに必ずあるあれである。ここで目立つか目立たないかで今後のクラスの立ち位置が決まるというものだが、小学生の身分ではそれはありえないようだ。言うことも目の前に立つまだ若い教師によって決められている。それは、『自分の名前』『嫌いなこと』『好きなこと』の三つである。

 自己紹介が進む。僕の順番は『くらもと』であるだけに頭から数えたほうが早かった。今は、ジェンダーフリーという時代なのか、男女の出席番号はごっちゃ混ぜになっている。僕の記憶があるころは、男子が最初、女子が後だっただろうか。個人的な考えを言うと、男女の差別はいけないと思うが、区別ぐらいはしなければならないと思うが、これは今は関係ないことである。

 僕の自己紹介は適当に流しておいた。名前は『蔵元翔太』で、嫌いなことは『暇な時間ができること』、好きなことは『身体を動かすこと』である。生前は、だらだらするのが趣味に近かったが、こちらに来て子供と一緒に遊ぶようになって身体を動かすのもいいものだ、と思い始めた。
 どうやら、近所にはサッカークラブもあるらしいから、機を見て親に入れるように頼んでみようと思う。

 さて、そんな感じで軽く流した僕の自己紹介であるが、僕以外の子はというと、こういうことは初めてなのか、緊張し、つっかえながらも一生懸命に三つの質問に答えていた。しかしながら、こうして自己紹介のときに顔を見るのだが、このクラスの人間は割とカッコイイ、可愛いと形容されるべき容姿を持つ男女が多いように思える。まるで、入学試験の項目に容姿という欄が備え付けられているのではないだろうか、というべきほどに。髪の色も茶色や少し色素の薄い人間のほうが多いという、生前の真っ黒な人間ばかりがいる中で授業を受けていたみとしては信じられない光景だった。

 その中でも一番目立つのはやはり彼女だろうか。今から、自己紹介を始める女の子。長い金髪を後ろに流し、白人の血を引いているのであろう白い肌を見せながら、意志の強い眼光を見せる女の子。

「アリサ・バニングスです」

 そう、彼女―――アリサ・バニングス……ん?

 その名前がどこか引っかかった。記憶の奥底に微妙な違和感。漫画などであれば、何かしらのフラグで、ここで邪魔されるのだろうが、今は自己紹介の最中。自分の考えに没頭しても邪魔する人間など存在しない。だから、自分の内心にもぐりこみ、記憶の泥を探る。

 アリサ、アリサ・バニングス。この世に生まれてから、彼女と出会ったことはない。あんな目立つ女の子なら、忘れろ、というほうが無理である。ただでさえ、僕は前世の経験をもっており、簡単に物事を忘れないという特性を持っているのだから。だが、その特性を持ってしても彼女の名前にかすりなどしない。僕が知っている名前はすべて日本人的なもので外国人のような響きを持った女の子など知らない。

 ならば、前世……? と考えたところで、不意に脳裏にフラッシュバックする光景。

 ―――廃ビル、裸の幼子、虚ろな瞳、白濁に汚された身体。

 その刹那に浮かび上がってきたあまりの嫌悪感を催す光景に吐き気を覚え、口を押さえた。幸いにしてその光景が見えたのは一瞬だったため、すぐにその吐き気はおさまったが、あの光景を見てしまった嫌悪感だけは拭い去れなかった。だが、その光景を見たことで思い出せたこともある。

 ああ、そうだ。あれは……あの光景は―――

 『とあいあんぐるハート3』と題されたゲーム中のCGじゃないか。もっとも、あれはCGというだけに二次元だったが、今、その原型ともいえる彼女を目の前で見てしまったせいか、かなり三次元近い状態で復元された光景を想像してしまった。

 とらいあんぐるハート3―――前世でいわゆる18歳未満お断りのゲームである。僕に『可愛いは正義』という格言を教えてくれた友人の勧めに従ってプレイしたゲームだ。そんな感じで勧められるがままにプレイしたゲームだったが、音楽のある小説という部分が合致したのか、あるいは、剣術という物語の中でしか語れないような背景が気に入ったのか、意外とのめりこんでしまった。三日ほど集中してプレイした結果、すべてのヒロインのエンディングを見ることに成功していた。もっとも物語の内容の細部までははっきりと覚えていない。ヒロインの名前なんかも忘れている。だがアリサ・バニングスの件は、記憶の関連付けでもされたのか思い出した。それは、おまけのシナリオを残すのみといったところで起きた悲劇だ。

 そう、今しがた思い浮かんだCGである。もう既に自己紹介が終わって椅子に座っているが、その彼女がメインのおまけシナリオだ。それが、喜劇ならどれほどすっきりとした感情でゲームを終えられただろうか。残念なことにそのシナリオは喜劇ではなく悲劇。今までの世界観を壊してしまいそうなほどに残酷な陵辱劇だったのだ。

 確か、彼女が陵辱され、殺され、自縛霊となって云々だったように記憶している。細部は覚えていない。何より強烈だったCGのせいで。はて、しかしながら、これだけでは整合性が合わない。アリサ・バニングスという少女だけでは僕がプレイしたゲーム『とらいあんぐるハート3』に絡んでこないからだ。自縛霊というだけにあの巫女さんヒロインだっただろうか。いや、違う。確か最後は、泣いてくれる友人を得て成仏という流れだったような気がするから………

 もう後一歩で思い出せそう、喉までは出ているという状態で考えが止まる。そんな僕の耳に次々と続けられる自己紹介の声が聞こえる。だが、その声も耳に入っているだけだ。頭にはまったく入ってこない。右から入って左に抜けるとはまさしくこのこと。
 バニングスさんより後に自己紹介しているクラスメイトには申し訳なく思うが、この喉に小骨が引っかかったような不快感を拭うためには、考えに没頭しなければならない。こういうとき、知っている誰かに尋ねることが出来ればいいのだが、如何せん、僕のような体験をしている奴なんているはずがない。だからこそ、こうやって一人で頭を悩ませているのだが。

 やがて、クラスメイトたちの自己紹介も終わり、今年一年担任を受け持つことになる女性教師の自己紹介も終わった頃に丁度いいタイミングでチャイムが授業の終わりを知らせていた。
 そのチャイムと同時に担任教師は、十分間の休み時間を告げる。どうやら、次は授業の説明があるらしい。普通なら、さすが私立と驚嘆するところだが、生憎、今の僕は自分の記憶を探っているところだ。

 しかしながら、探り続けて十分以上経つのだが、上手いこと思い出せない。そもそも、プレイしたのはたった一度だけであり、バニングスさんのことを思い出せたのは特徴的な髪の色とあのCGを見たときの衝撃とアリサという名前が上手く合致したからだ。つまり、何かきっかけがない限りこれ以上思い出すことは不可能だろう。だが、そう簡単に切欠なんて―――。

 そう考えている僕の目の前にすぅ、とピンクのリボンでラッピングされた百円ショップで売ってそうな袋を目の前に差し出した。中身はたぶん、プレーンとチョコのたった二枚のクッキー。

 突然、目の前に出された袋に驚いて差し出された方向に顔を向けると、その方向には満面の笑みで袋を差し出す女の子姿が。

「えっと……確か……」

 少し色素の薄い茶色の髪の色にツインテールというには若干短い髪型をした女の子。確か、名前は―――

「高町なのは、なのはだよ」

 名前に引っかかっている僕に女の子―――高町さんは、笑みを浮かべたまま自分の名前を告げる。
 その瞬間、僕の脳裏にどこぞの名探偵のように雷撃が走った。

 ――――っ!!

「あ、ありがとう」

 あまりの衝撃に僕はとりあえず、そんな簡単なお礼を言うことしかできなかったが、高町さんはそれで納得したのか、再度、ニコッと子供が浮かべる特有の笑みを浮かべると「これからよろしくね」と告げて、次の席にクッキーを渡しに行った。

 僕は、とりあえず、受け取ったクッキーを机の中に入れて、先ほど思い至った事実に思考を集中させる。

 ああ、そうだ。そうだ、思い出した。そう、彼女―――アリサ・バニングスという少女の最初で最後の友達は高町なのはだ。彼女がアリサ・バニングスのために泣いたがために彼女は成仏したはずだ。
 ……アリサ・バニングス……だよな? なんだか微妙に違和感を感じているような気がするが、何にせよ彼女があのときの少女と瓜二つであることは間違いない。

 ふぅ、思い出せなかったものが思い出せて、これですっきりした、と思うのもつかの間、今度は別の問題が出てきた。

 ゲームと同じ登場人物。そして、今気づいたが、ゲームと同じ街『海鳴市』。偶然というには出来すぎている現実。不意にたどり着きたくない結論。だが、どうしてもたどり着いてしまう結論。

 つまり―――この世界は『とらいあんぐるハート3』の世界なのか?



 ◇  ◇  ◇



 あの後の授業というか学校の説明がまったく身に入らなかった。放課後、同じクラスになった友人に声をかけられるまで放課後になったことに気づかなかったほどだ。その割りに帰りの挨拶をきちんとしていたり、帰る準備をしていたり、無意識のうちに行動はしていたみたいだが。

 結局、この世界と『とらいあんぐるハート3』のゲームの世界が一緒かどうかについては結論が出なかった。当たり前だ。僕が持っている情報があまりに少なすぎる。こちらが手に入れたカードは『アリサ・バニングス』、『高町なのは』、『海鳴市』だけ。後、僕が覚えている限りのゲーム内の情報としては『世界の歌姫』、『お菓子屋さん』、『高町恭也』、『巫女さん』、『吸血鬼』、『人形メイド』、『剣術』、『空手』、『男の子みたいな女の子』、『関西弁』、『狐』ぐらいである。
 正確な名前が出てこないは、はっきりとした記憶がないからだ。おそらく、アリサ・バニングスのように姿をみたり、高町なのはのように聞き覚えがあるような言葉が耳に入れば連鎖的に思い出せると思うが、今はキーワードのみだ。

 何にせよ、あの物語の舞台は、ここ『海鳴市』だ。もしこの世界があのゲームの世界と酷似しているならば、少し調べればすぐに分かるだろう。

 そう結論付けて、僕は放課後と気づかせてくれた友人とともに帰宅した。



  ◇  ◇  ◇



 ―――結論から言えば、この世界は限りなく黒に近いグレーだった。

 友人に手を振り、帰宅した後、父親からパソコンを借り、僕が思い出したゲーム内の情報に照らし合わせて少し調べた結果、僕が思い出している情報に合致した結果が出てきてしまった。

 世界の歌姫―――フィアッセ・クリステラ。
 お菓子屋さん―――翠屋。
 高町恭也―――高町桃子というパティシエがいたことからいると判断。
 巫女さん―――八束神社。

 流石に『吸血鬼』や『人形メイド』のようなオカルト性が強い情報は正確なものが出てこなかった。インターネットというものなら尚のことである。
 二つ目までは偶然という可能性があるが、三つ目以降は必然といえる。つまり、この世界は限りなくとらいあんぐるハート3の世界にかなり酷似しているということが結論付けられる。おそらく、残りのキーワードもこの街について調べれば分かっていくことが多いだろう。

 しかしながら、この事実が分かったところで、僕の心の中であまり衝撃はなかった。ふぅ~ん、そうだったんだ、という程度だ。なぜなら、僕は既に開き直っているからだ。この世界に生まれて数年悩み出した結論が僕の土台になっている以上、この事実で僕という存在は揺らがない。

 ―――我思う、故に我あり。
 ―――ケ・セラ・セラ。

 この世界が『とらいあんぐるハート3』の世界? だから、どうだというのだろう。少なくとも六年という新しい人生だが、僕の両親が、保育園で過ごした仲間が、今日出会ったばかりのクラスメートが、パソコンの中で動くプログラムのように決められた行動をとっているとは到底考えられない。

 この世界は、僕にとって間違いなく前世の世界と同じく現実で、ゲームのキャラクターと同じ名前の人物がいる程度にしか思えない。たとえ、この世界がとらいあんぐるハート3と同じシナリオを辿るとしても、あのゲームの主人公は『高町恭也』であり、僕ではない。ならば、僕にとってこの世界がとらいあんぐるハート3であるかどうかなんて微塵も関係ないわけである。

 ならば、なぜこの世界がとらいあんぐるハート3の世界かどうか調べたか、というと、単なる好奇心である。それ以上でも、それ以下でもない。

 しかしながら、仮にこの世界がとらいあんぐるハート3の世界だとして、そのゲームのシナリオどおりに世界が動くとすれば、アリサ・バニングスは、あの陵辱劇の被害者になってしまうわけだが。だが、この世界はゲームではない。そうなるとは限らない、ともいえるわけで……つまり、現実の交通事故と同じだ。巻き込まれるかどうかは分からない。だが、人より幾分その可能性が高いという風に考えられるわけで。

 明日から彼女のことを少しだけ頭の片隅においておくことにしよう。

 そう結論付けて僕は、パソコンの電源を切り、そろそろ睡眠を求めている身体に従ってベットの中にもぐりこむのだった。



 続く

 あとがき

 主人公は『とらいあんぐるハート3』しか知りません。『リリカルなのは』? なんですか? それ。という感じです。



[15269] 第二話
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2010/01/03 12:17



 この世界が『とらいあんぐるハート3』の世界じゃないか、という疑惑を持って、つまり、入学式から一週間が過ぎた。この辺りになってくると、小学生といえども大小入り混じりながらもコミュニティーというものが出来てくる。つまり、いつも一緒に遊ぶメンバーだったり、いつも一緒に登下校するメンバーである。中学生とかにでもなれば、同じ部活の面々だったりするのだろうが、この身は小学生。必然的に家が近所だったりするメンバーが多い。しかも、まだ低学年のせいか、男女入り混じっているパターンが多々である。

 そんな中で僕は変則的にいくつかのコミュニティーに所属している。どこにでも所属しているが、どこにも所属していないというべきか。なぜ、そんなに変則的かというと、簡単に言えば話が合わないのだ。
 この身は小学生なれど、頭脳は大人。小学生相手に昨日の株価が~、などと話をしてもまったく理解されないわけだ。彼らに通じる話といえば、カードゲームだったり、戦隊物の特撮だったり、アニメだったり、と僕にはあまり肌の合わない内容だったりすることが多々だ。まあ、クラスの中でまったく交流がないというのも日本人の気質からか、不安になるため、彼らに話を合わせるために嗜みながら交流しているわけだ。
 割と所属する時間が多いのは、サッカーや野球など人数がいるスポーツが好きなメンバーが所属するところだろう。後は、まあ、保育園時代にガキ大将のようなものをやっていたときの癖なのか、クラス内の状況を探るために色々なコミュニティーに顔を出すようにはしている。

 その過程で、何人か内気な性格の人間が初見の相手に何も言えずに孤立してしまうなんて事態が発生しかけていたので、気が合いそうなコミュニティーに無理矢理つっこんでやったりもした。大きなお世話かもしれないが、ここで孤立してしまうと辛い小学校時代を過ごしてしまうかもしれない、ということを考えるとやはり世話を焼きたくなるものである。なにより、孤立で弱いというは、最悪の場合、いじめを呼んでしまう場合があるのでやっかいだ。特に僕が世話を焼いた人間は、強くて孤立しているわけではなく、話しかけられなくて孤立しているという消極的な孤立だったわけだから、その可能性が高いと論じざるを得ない。何とかできないなら、放っておくしかないが、僕は割と顔が広いため何とか出来た。

 そして、一週間も経てば、大体、コミュニティーというのも安定してくる。僕が世話を焼いたため、コミュニティーに取り残されたという人間はいないように思える。ただし、二人の例外を除いて。

 一人は、月村すずかという女の子。しかしながら、彼女の場合は、消極的な孤立というわけではなく、望んでそうなったという感じだ。いつも小学一年生が読むとは思えない本を広げていることから考えるに、精神年齢がここのクラスメイトよりも高いのだろう。だからといって、バカにしているわけではなく、他の女の子に話しかければきちんと返答することから考えても孤立しているとは言いがたいのだが。まあ、言えば、一人が好きという人間なのだろう。これで、人の目に怯えているとかだったら、考えるが、どう見ても彼女はそんなタイプには見えないので僕としては心配はしていない。

 そして、もう一人が問題だった。

 もう一人の名前は、アリサ・バニングス。そう、僕がプレイしたゲームの中では、陵辱劇の被害者である。彼女の場合は、月村さんとはまた異なった背景を持って、孤立している。そう、月村さんのように孤立しているなら何も心配はしていないのだが。この世界に気づいた次の日、僕は彼女が心配になって同じ保育園だった女の子たちにバニングスさんを誘うように頼んだのだが、それは失敗した。バニングスさんは、どうやら僕や月村さんと同じく小学校一年生を相手にするには精神年齢が高いようだ。保育園仲間によると『バニングスさんは面白くない』だそうだ。しかし、クラスメイトは彼女たちだけではない。バニングスさんも月村さんのようにどこかで距離を保つか、気の合うコミュニティーを見つけるさ、と楽観視していた。

 しかし、その思いはあっさりと崩されてしまった。彼女はどうやら向こう気が強いようだ。入学式三日目にして女の子のコミュニティーの中でも最大規模のコミュニティーのリーダー格とやりあってしまったそうな。喧嘩というには可愛らしいものであるが、最大コミュのリーダーが彼女を嫌ってしまったという事実は実に痛い。僕は生前も男だったからよくわからないが、どうやら女の世界とは酷く醜いものらしい。特に学校などの閉鎖された空間の中では。僅か小学校一年生にしてその欠片を見ることになろうとは………。それだけでも痛手なのに、彼女の容姿もまた問題を引き起こしていた。つまり、子供特有の排他的思考である。彼女の流れるような金髪と日本人というには白すぎる肌から判断したのだろう。

 ―――自分たちはどこか違うと。

 子供は、素直であるが故に残酷である。どこか違うと判断されたバニングスさんは、皆から敬遠されていた。もしも、彼女の向こう気が強いだけならば、どこかの男の子が多いコミュニティーに入ることも可能だっただろうに。事実、そんな女の子は少ないながらもいる。

 しかし、参ったな。

 僕は一週間経ってからの現状にこっそりとため息をはいた。あれから思い出してきたのだが、彼女が襲われた理由はバニングスさんが一人だったからだ。常に一人。高すぎる精神年齢とその金髪という自分たちは違うという排他的心理により彼女は常に一人だった。だからこそ、狙われた。狙われたしまった。

 それを思い出したのは、つい昨日のこと。事態は既に最悪の事態まできていた。ここで、僕が仲介したとしても彼女がおとなしく従うとは到底思えず、逆もまた然りである。つまり、バニングスさんに限って言えばお手上げということである。しかし、このまま彼女が孤立していくのを見ているだけというのは実に拙い。彼女を取り巻く空気は今のところ、平穏になっているが、彼女の向こう気と徐々に上がっていく年齢を鑑みると実に危険だ。一触即発の空気になるのも近いはずだ。そうなれば、待っているのは、数の暴力という名の現実。ここが私立なだけに退学という事実がありうる事実を考えれば、公立よりも可能性は低いとは思うが………いやいや、そんなことを考慮しないが子供であり、それが一番恐ろしいところである。

 さて、このまま放っておくのはかなり拙い。最悪と言っていい事態だ。しかしながら、介入という手段は封じられた。ならば、その条件下で導かれる解はたった一つしかなかった。

 僕自身が近づいて彼女とコミュニティーを作ることである。
 いくら精神年齢が高くても二十歳までの精神年齢を持つ僕には適わないだろう。彼女の向こう気も僕なら受け流せる。ただ、一点気になるところがあるとすれば、せいぜい性差ぐらいだ。今はいい、だが、これが高学年になるまで続くと、今度は僕とコミュニティーを組んでいること自体が標的になり始める。しかしながら、ゲームとほぼ同じ状況下になりつつある現状ではこれがベターであると考えられる。

 もし、僕が僕だけのことを考えて、ほかを簡単に切り捨てられる人間であれば、アリサ・バニングスとすれ違うだけの人間であれば、彼女のことなど放っておいただろう。彼女がゲームの中で起きた出来事に巻き込まれたとして新聞の片隅に載ったとしても、その記事を読んだ一瞬だけ同情を覚え、一日もすれば忘れてしまえただろう。だが、出会ってしまった。クラスメイトになってしまった。交差してしまった。陳腐な言葉でこの出来事を飾るとすれば、『運命』とでも飾ればいいのだろうか?

 さすがに、なるかもしれない、と知っておきながら放っておくのは良心が咎める。もしも、まあ、大丈夫だろう、で放っておいて、ある日突然ゲームの内容のようなニュースが知らせられれば、きっと罪悪感で一杯になるだろう。後悔するだろう。

 だから、今からの行動はアリサ・バニングスがあの悲劇にあわないようにするためではない。彼女を救おうだなんて大それたことを考えてのことではない。ただ自分が後悔したくないから、胸を押しつぶされるような罪悪感を感じたくないからという自己満足であり、偽善である。

 行動するなら善は急げである。早速、今日の昼休みにでも声をかけてみることにしよう。



  ◇  ◇  ◇



 さて、バニングスさんは何所に行ったのだろうか。

 昼休み、弁当を食べ終わった僕は、バニングスさんを探して、校舎内をうろついていた。本当は始まってすぐに話しかければよかったのだが、その前に元保育園組みの女の子二人に捕まってしまったのだ。

 なにやら、自分でお弁当を作ってきたから味見をしてくれ、とのことらしい。もっとも、作ったのは数あるおかずの中で卵焼きだけだったが。しかも、ところどころ失敗したのか、黒く、砂糖の分量が多かったせいか、砂糖が塊となって残っており、食べれるといえば食べれるが、判定としては『もっと頑張りましょう』だ。もちろん、僕は素直にそんなことは言わなかったが。代わりにもう一人の同じ保育園仲間の連れが、素直に「まずい」と口を出して、作ってきた張本人を半泣きにさせ、もう一人から拳を貰っていた。

 そんなこんなで食べ終わってみれば、昼休みの残り時間は三十分程度。今日のところは、弁当をきっかけに話す機会を作れればいいか、という程度の考えだったので、とりあえず、見つけて適当に話をしよう、とバニングスさんを探していた。

 しかし、あれだけ目立つ容姿をしておきながら、中々見つからない。一体どこにいるのだろう? と思っていたら、あまり人気のない中庭に彼女は―――いや、彼女たちはいた。

 彼女たち、と複数形なのはそこにいたのはバニングスさんだけではなかったからだ。もう一人、追加でいたのは、もう一人の孤高の人である月村さんだった。
 これで、彼女たちがニコニコと穏やかに話しているなら、僕の出番はないな、と立ち去るのみであるが、困ったことにそんな雰囲気ではない。むしろベクトル的には真逆といっていいだろう。剣呑な雰囲気だ。
 具体的な状況としては、バニングスさんが、月村さんの髪の毛を引っ張っている、というどうしてこうなったのか、僕にはまったく理解できない状況だった。良心的な意味で、この状況をこのまま見過ごすことは出来ない。

 僕は、走って現場へと直行した。幸いなことに僕が彼女たちを見たところから現場までは、中庭を突っ切ればすぐに着く距離だ。もしも、規則を守って回り道していたらかなり遠くなるが。もちろん、この状況にそんな規則を守るなんて悠長なことをしている暇はなく、僕は、中庭を突っ切って走りながら彼女たちに近づいた。

 近づいてみて分かったが、状況は遠めで見ているよりも悪いことが分かる。髪の毛を引っ張られていたいのだろう。月村さんは半分涙目になりながら、頭の上のカチューシャを押さえている。一方のバニングスさんは、髪の毛を引っ張りながら、月村さんが逃げられないようにして、執拗に真っ白なカチューシャを取ろうと、いや、奪おうとしている。

「貸しなさいよっ!」
「嫌っ!」

 バニングスさんと月村さんの声からも僕の考えが正解であることは明白だ。

 何が原因でこの状況が始まったか、直感的に理解したが、今はそんなことはどうでもいい。とりあえず、バニングスさんをとめないと。

 髪の毛というのは、筋肉と違って鍛えられず、また、頭皮に直接埋まっているため引っ張られると非常に痛い。どれだけ屈強な男であっても髪の毛を引っ張られて怯まないという人はいないぐらいだ。それは、子供の力であっても同様で。今、月村さんは相当痛いに違いない。

 幸いにしてバニングスさんは白いカチューシャを奪うことに夢中で僕には気づかなかったようだ。月村さんをその痛みから解放するために僕は、月村さんの髪の毛を引っ張っている方のバニングスさんの手首を掴んで、強く握った。
 いたっ! という痛みを訴える声とともに月村さんの髪の毛は解放される。人は手首に何かしらの衝撃が走った際に反射的に手を広げてしまうものなのだ。カチューシャを追っていたほうの手は間髪なく動き回るので捕らえようと思っても不可能だったが、髪の毛を掴んでいるほうの手は、さほど動いていなかったので捕まえるのは非常に楽だった。掴んだ手首は細く、子供特有というか、女の子特有というか、その両方の特性とも言うべく、暖かく、柔らかかった。

 半ば名残惜しいと思いながらも僕は、その手首を離し、髪の毛を離したときに開いた月村さんとバニングスさんの間に滑り込むように身体を割り込ませた。そして、急に髪の毛を離されたことで思わずかがみこみ頭を押さえている月村さんに話しかける。

「月村さん、大丈夫?」

 返事はなかったが、コクリ、と頷いているような動作を見せてくれたことから考えてもおそらく大丈夫だろう。
 だが、問題は背後にいるバニングスさんだ。

「ちょっと! あんたっ!! なにするのよっ!」

 背後から鋭い声。僕は、月村さんの様子を見るためにかがんだ姿勢から、両膝を伸ばして立ち上がり、振り返って僕とあまり伸張の変わらない女の子―――バニングスさんを見た。

 彼女の目は雄弁に怒っています、と語っており、僕に向ける敵愾心で燃えていた。

「なにするのよ、というのは僕のほうだと思うけど。どうして月村さんの髪の毛を引っ張ってたの?」
「あたしがそのカチューシャ見せて、って言ったら嫌だって言ったからよっ!」

 なんとも予想通りな展開なんだろう。ここで、カチューシャぐらい見せてやれよ、というのは完全な部外者。だったら、諦めろよというのは、子供心を分かっていない。

 子供にだって譲れないものがある。それが、月村さんにとってはカチューシャだったというだけだろう。そして、子供というのは往々にしてダメといわれるとどうしても欲しくなるものである。別にどうでもいいものでも、後から捨てるということが分かっているものであっても。その刹那に欲しいと思ったものは、どうしても欲しくなるのだ。それが、他人が持っているものであれば、尚のこと。特にバニングスさんのように向こう気が強い少女であればさらにドンである。

 おそらく、バニングスさんは今まで手に入らなかったものはないのではないだろうか。だからこそ、欲しいと思ったものは何が何でも欲しくなる。たとえ、他人のものであっても。

 やれやれ、そういう躾は、是非とも家族でやって欲しいものである。

「あのね、人のものを力づくで奪ったら泥棒だよ? 月村さんは嫌って言ったんだから、だったら諦めないと」

 僕は、彼女に諭すように比較的柔らかい口調で言った。これがもしも、自分の娘だったら頭を軽く叩きながら怒るのだろうが、生憎ながらバニングスさんと僕の関係はクラスメイトだ。叩いて怒鳴ろうものなら、彼女の親が飛んできてもおかしくない。僕の生前の記憶から鑑みるにいつの時代にもモンスターペアレンツなんてのはいるのだから。せっかく取った特Aの特待生だ。こんなことで棒に振りたくない。授業等々の金額を知っている身としては。

 しかも、彼女は、そこら辺の悪ガキのように頭が悪いわけではない。むしろいいほうに入るだろう。つまり、言い聞かせることも可能であろう、と僕は考えたのだが―――

「別にカチューシャぐらいいいじゃないっ!!」

 返ってきた答えは、実に我侭なお嬢様そのものとも言うべき言葉だった。
 その言葉に僕は、はぁ、とため息を吐かざるを得ない。

 これは、相当甘やかされたのかな?

「それは、バニングスさんから見たら月村さんのカチューシャなんて、そこら辺で売ってるただのカチューシャかもしれないけど、月村さんからしてみれば、バニングスさんの価値は当てはまらないよ。もしかしたら、大切な人から貰った贈り物で、月村さんからしてみれば、とっても大切なものかもしれない。それこそ、バニングスさんに渡したくないほどにね。想像してみよ。もしも、バニングスさんが、お父さんから貰ったものを、例えば僕から無理矢理奪われたどんな気持ち?」

 バニングスさんは、僕が言った状況を想像しているのだろうか、少しだけ思案したような顔になって、すぐに先ほどと寸分違わない憤怒の感情を載せた表情を僕に向けた。

「とってもむかつくわっ!」

 とりあえず、その行動はバニングスさんの中だけの想像だから僕に怒っても仕方ないからね、と思いながら僕は言葉を続ける。

「そういうことだよ。バニングスさんはそのとってもむかつくことを月村さんにしたんだ。止めて当然だよね?」

 僕の問いに彼女は無言。だが、彼女は聡明だ。すぐに僕の意味を理解してくれるだろう。

 ちなみに、僕の諭しだが、残念なことに僕の同級生に同等のことを説いても無駄だろう。まず、価値観という言葉自体が伝わらないのだから。幸いなことにバニングスさんには伝わったみたいだけど。

 やがて、彼女はやや不満げな顔をしながらも、僕に向けていた憤怒の感情は成りを潜めていた。おそらく、頭では納得したが、心では納得できないというものだろう。今はそれでいいのではないか、と思う。こんなものはこれから十年以上続く学生時代の中では何度もあることなのだから。とりあえず、彼女にとらせる行動は一つだ。

「バニングスさん、自分が悪いことしたって分かった? 大体、髪の毛は女の命って格言があるぐらいなんだから、髪の毛を引っ張っちゃダメだよ」

 ついでにもう一つの暴力への自覚を促しながら、僕は振り返り、未だうずくまったままの月村さんに声をかけながら手を差し出した。

「大丈夫?」

「うん、ありがとう。蔵元くん」

 どうやら、僕がバニングスさんと話している間に泣き止んでくれたようだ。目を僅かに赤くしながら、月村さんは、僕の伸ばした手を掴んで立ち上がった。
 立ち上がった月村さんは、バニングスさんと目があうが、どうやら彼女も気恥ずかしいのだろう。月村さんと目が合うと、すぐさま視線を逸らした。

 次もお膳立てしなくちゃいけないのか? まあ、意地っ張りな女の子はそんなもんなのだろう。

 そんな風に納得しながら、僕は、バニングスさんに「ほらっ」と言って先を促した。次に何をすればいいか、彼女は理解しているはずだ。

「……うっ……カチューシャ無理矢理取ろうとしたり、髪の毛引っ張っちゃって悪かったわよ。ごめんなさい」

 途中までは視線を逸らしていたが、最後のごめんなさいは、目を合わせて頭を下げていた。

「うん、もういいよ」

 そんなバニングスさんの謝罪を月村さんは笑って受け入れていた。

「はい、喧嘩はおしまい。これで仲直り、二人は友達だね」

 僕は、両者の右手を取って、強制的に握手させた。もっとも、二人とも、え? と困惑気味だったが、気にしない。こういうことは、適当に強制させたほうが上手く行く場合もあるのだ。特に二人ともクラスメイトから明らかに浮いているから、上手くいくだろう。単なる勘でしかないけど。

「ほら、もう話せるよね? だったら、友達だよ。それに、バニングスさんは最初からそのつもりだったんでしょう?」

 たぶん、そうだ。そうでもなければ、バニングスさんがカチューシャなんかに興味を持つはずがない。単にあれは、話の種にするためのものだったのだろう。たぶん、バニングスさんも一人は寂しくて、でも今更、どこかのコミュニティーに入れてくれ、とはいえなくて、だから、一人だった月村さんに話しかけようと思ったのだろう。もっとも、話しかけたのはよかったが、その先が酷く失敗していたが。

「そ、そんなことはないわよっ!」

 だったら、どうしてこんな中庭に月村さんを追ってきたんだ? とは、聞かない。もう、すでに月村さんはバニングスさんの心情を読み取ってかクスクス笑っているから。

「こら~っ! 笑うなっ!」
「ごめんなさ~い」

 追いかけるバニングスさん、笑いながら逃げる月村さん。

 やれやれ、子供というのは実に簡単に友達になれるんだな。まあ、これで二人は大丈夫だろう。後は明日にでもなれば、友達になっているはずだ。雨降って地固まるじゃないけど、ハッピーエンドと打ってももいいのではないだろうか。
 なにより、僕がバニングスさんのコミュニティーにならなければならないということも避けられて万々歳だ。

 さてと、教室に帰るか、と久しぶりにいいことをした、と思いながらハッピー気分で教室に戻ろうと月村さんが逃げた方向とは逆方向から帰ろうと踵返したとき、その視線に気づいた。
 いつから、視線を向けていたのだろうか? まるで僕たちを隠れてみるように廊下の陰からこちらを見つめる瞳。僕と一度目が合うと、まるでその視線から逃げるように両手を振ってあたふたしながら、階段を登り、その姿を廊下へと消した。

「今のは……高町さん?」

 あの特徴的な変則的ツインテールを忘れられようはずもなく、僕は心当たりのあるクラスメートの名前を呟いた。
 彼女も僕と同じく、彼女たちの喧嘩を見て、それを止めるために顔を出したのだろうか。もっとも、廊下に姿を消した今となっては、確認しようがないが。

 まあ、いいか。と僕は半ば思考を放棄しながら教室へと戻った。


 続く

 あとがき

 彼は気づかない。自分が大きな、大きすぎるフラグを折ってしまったことに。



[15269] 第三話
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2010/01/04 21:50



 光陰矢のごとし、とはよく言ったものである。月日はあっという間に過ぎてしまう。
 それが気が休まる暇もなく日々が過ぎていけば、特に。

 僕が、小学校という気の休まる暇がない日々から、ようやく一息つけたのは入学式からほぼ一ヵ月後のいわゆるゴールデンウィークといわれる長期休暇が訪れたときだった。よほどカレンダー的な運に恵まれない限り、普通であれば祭日となる日付と曜日の都合上、長期休暇の間に一日だけ平日があるなんていうゴールデンウィークになるのだが、そこはさすが私立というべきか、平日であろうと学校自体を強引に休暇にしてしまった。つまり公立に通っている面々には申し訳ないが、事実上丸々一週間が休日となるゴールデンウィークの始まりである。

 小学生になってはじめてのゴールデンウィーク。新たに友人になった面々も、保育園時代からの友人もどこかに遠出するらしい。無論、近場で済ませたり、何所にも行かないという連中もいたりするが、年齢が小学校低学年ともあって小数だ。そして、今回、僕の家はその例外に分類されていた。いや、別に親と不仲だとか、貧乏でお金がないなんてことはない。簡単に言うと、僕に弟か妹が出来たってことだ。もう五ヶ月らしいから、あと、五ヵ月後には生まれるはずである。そんな理由で、人ごみだらけのどこかに行くのは危険であるとの判断から、家でのんびりと、という選択になったわけだ。ちなみに、色々子供が出来る云々に関して知識のある僕としては、弟か妹が出来たと聞かされたときは、非常に微妙な気持ちになった。一応、おめでとうといったが、きちんと笑えていたかどうかは定かではない。ついでに、この選択は僕にとっても渡りに船だった。ようやく、誰にも邪魔されずにゆっくりできるからだ。まるで、日曜日のお父さんのような考えだが、そう考えざるを得ないぐらいにここ一ヶ月は過酷だった。

 入学して一週間ぐらいはよかった。誰も彼もが新しい環境に慣れていないためだろうか。特に走り回るということもなく、穏やかというには若干賑やかな程度で日々を過ごせていたから。しかし、一週間を少し超えると、そこからは子供の本領発揮だった。もう少し大人になってくれればいいだろうが、つい一ヶ月前まではスモックを着ていたような面々だ。それが、制服を着たからといってすぐに大人びた行動を取れるはずもない。

 つまり、保育園時代と同じようなことをしなければならない日々がまた始まったのだ。

 廊下で走る奴がいれば注意し、転べば怪我をしていないか確認し、怪我をしていれば保健室へと連れて行き、スカート捲りなんて悪戯をする奴がいれば頭を叩き、スカートを捲られた女の子に謝罪させ、泣いている女の子を慰める。

 これは日常のほんの一例に過ぎない。これ以上のことが毎日起き、その対処に追われるのだ。無論、それを無視して小学生になったという自覚を持ち、少し大人になった連中と一緒に遊んでもいいのだが、どうやら保育園時代の三年程度の間に世話焼き癖がついてしまったようだ。放っておこう、と決意してもその決意は目の前で何かが起きれば、木で出来た小屋のように脆く吹き飛んでしまう。

 しかも、たちの悪いことに子供は元気の塊という言葉を体現するような連中の多いこと。そんな連中の相手だけで僕はくたくただ。職業を選ぶときに小学校の教師だけは絶対にやめようと心に決めた。と、同時に過去にお世話になった恩師に改めて感謝した。

 あと、変わったことといえば、僕がクラスの学級委員長に任命されたことだろうか。僕としては生き物係とか、植物係とかの楽そうな仕事のほうがよかったのだが、なぜか担任教師からの強制で僕になってしまった。後であまりに横暴すぎる、と文句を言いに行ったところ、

 ―――お前が学級委員長になろうがなるまいが、お前のやることは変わらんよ。

 と笑顔で返され、ぐっと言葉に詰まってしまった。事実、その通りになるからだ。おそらく、学級委員長が別の人だったとしても僕は、おそらく似たようなことをしただろうし、教師も学級委員長にやらせるべき仕事をよほどのことがない限りは僕に回してくるだろうことは容易に想像できるからだ。

 教師というのは、意外と生徒を見ているようである。

 ついでに小学校に入学して最初の懸案事項だったバニングスさんと月村さんについてだが、仲良くやっているようだ。登校時に一緒の時間のスクールバスに乗ってきたり、帰り道に手をつなぎながら帰ったりと、きちんと女の子の親友をやっているようだ。性格的な不一致を心配していたのだが、バニングスさんが暴走、月村さんがブレーキ役と役割が別れたことが成功の要因なのだろうか。もっとも、どちらにしても両者ともクラスメイトとは比べ物にならないぐらいに精神年齢が上であることを考えれば、意気投合するのも問題ないのだろうが。ちなみにこの二人、ゴールデンウィークは遠出をするらしい。所々、海外の名称が聞こえたような気がするが、気のせいということにして軽く流しておいた。

 ………海外なんて縁がないからなぁ。

 そんなこんなでゆっくりするために突入したゴールデンウィーク。最初の日は、二階建てのローン数十年の一軒屋である我が家の一室に与えられた自分の部屋で読書などをしながらゆっくりと過ごしたのだが、二日目以降は、常日頃の休日と同じく外でスポーツをしながら遊んだ。もっとも、ゴールデンウィークなだけに人数を集めるのに苦労したが、一部の例外を男女構わず集めれば、遊べるだけの人数は揃うものだ。ゆっくり出来ると喜んでいた僕が、自ら外に出ようと思った理由は他でもない。

 ―――身体を動かさなければ眠れないのだ。

 元気の塊である子供というのは頭脳が大人である僕であっても代わりはないようだ。恥ずかしながら、元気が有り余って仕方ないという状況に追いやられてしまった。あんなに眠れなかったのは初めてではないだろうか。原因は外で遊ばなかったことだと結論付け、僕は外に遊びに出ることにした。そんな理由からゴールデンウィークをいつもの休日と変わりなく過ごしてしまった僕だった。

 そして、サッカーやら野球やらカードゲームやらテレビゲームやら、遊びに遊んだゴールデンウィークもあっという間に過ぎてしまい、月曜日からまた学校が始まった。



 ◇  ◇  ◇



「今日の放課後?」

「うん。お姉ちゃんが蔵元君のことを話したら一度みたいから連れてきなさいって」

 お嬢様っぽい微笑を浮かべながら、どうかな? と僕を誘う月村さん。
 彼女は今日の放課後に月村さんの家のお茶会に僕を誘っているのだ。しかも、主に誘っているのは月村さんのお姉さんらしい。

「あ、別に何か用事があるならいいんだよ? わたしがちゃんとお姉ちゃんには言っておくから」

 僕が驚いて返事をしないのを今日の放課後に予定があり、どうしようか迷っていると勘違いしたのか、月村さんが慌てた様子で僕に言う。しかし、月村さん自身も僕が来てくれるを楽しみにしていたのだろうか、若干寂しそうな表情をして顔を俯けるというのはかなり反則ではないだろうか。夜の闇を流し込んだような黒く艶やかな髪を持ち、雑誌のモデルになってもなんら不思議ではない整った容姿をしている美少女と言っても過言ではない月村さんであれば特に。

 だから、というわけではないが、今日は特に決まった用事もなかった僕は月村さんからの誘いを承諾することにした。

「分かった、行くよ。それで、僕はどうしたらいい?」

 残念なことに僕は月村さんの家を知らない。彼女の家に行くのであれば、誰かの案内が必要である。

「あ、それならあたしが連れて行ってあげるわよ」

「アリサちゃん」

 僕と話していた月村さんの隣にはいつの間にかバニングスさんも立っていた。僕は基本的に話をするときは相手の顔を見て話すからバニングスさんが隣に来ていることに気づかなかった。

 しかし、彼女の言葉から察するにバニングスさんも今日のお茶会に来るのか。

「バニングスさんが? いいの?」

「いいわよ。どうせあたしもすずかの家に行くもの」

 どうやら、僕が考えたことは正解だったらしい。
 そうか、ついでというのならお言葉に甘えさせてもらおう。

「それじゃ、お願いしようかな」

 第一、誘われたところで、行く当てがないのでは問題だし、もしバニングスさんが用事もないに迎えを用意してもらうならば、さすがに気が引けるものの、バニングスさんも今日のお茶会に参加し、僕もついでに拾っていってもらえるとなれば、有り難いという感情以外に浮かぶものはなかった。

「それじゃ、今日の夕方ぐらいでいいかな? お姉ちゃんが帰ってくるのがそのくらいなんだ」

 そう提案してくる月村さんの了解の意を伝えると丁度休み時間の終了を告げるチャイムが鳴り、月村さんとバニングスさんは自分の席へと戻っていた。

 お茶会ね―――さて、何か持っていくべきだろうか?

 前世とあわせて二十数年の経験を持つ僕だが、お茶会と銘打たれたような上品な会合なんて行った経験はない。これが野郎の飲み会であるなら、酒を持っていけばいいだけなのだが。さすがに、というか未成年飲酒が厳しくなり親父の買い物ですらお酒が変えなくなった今日では到底不可能であり、なによりもお茶会とは全然別物になってしまう。

 う~ん、後でバニングスさんに聞くことにしよう。



 ◇  ◇  ◇



「なにやってるのよ。早く乗りなさいよ」

「え? う、うん」

 時刻は午後四時。場所は聖祥大付属小学校正門前。高学年の小学生が下校している中、好奇の視線を浴びながら僕は、目の前のリムジンと呼ばれる車に身を滑らせた。
 高級車として名前だけは知っているリムジンだが、乗り心地はその有名さにまったく劣っていなかった。僕の家の車とは比べ物にならず、どこかのソファーに座っているような感覚だ。

「鮫島。出して」

 テレビの中でしか聞いたことないようなお嬢様言葉。専属の運転手がいて、その人に命令するなんて、どこの大金持ちのお嬢様? という感じだ。そのバニングスさんの言葉に従ってリムジンはゆっくりと動き出した。さすが、高級車。窓から見る光景は間違いなく車が動いていることを示しいてるのにも関わらず、車内の揺れは殆どないといっても過言ではない。目隠しをされていたら、動いていることにすら気づかなかったかもしれない。

「……ちょっと、何か話しなさいよ」

 初めて乗るリムジンに感激というか、緊張していた僕は呆然と外を見ていたのだが、どうやらそれがバニングスお嬢様には気に入らなかったらしい。不満げな表情を浮かべて僕を見ていた。どうやら、彼女は沈黙が嫌いらしい。

「えっと……バニングスさんの家ってもしかしてお金持ち?」

 彼女のリクエストに答えて沈黙を破った僕の質問は愚問だった。こんな車を持っている以上、金持ちでないわけがないというのに。どうやら、写真や辞典以外で初めて目にしたリムジンというものに舞い上がって頭が働いていないようだ。

「そうね。パパは社長をしてるからお金は持っていると思うわよ」

「そうなんだ」

 ――――話が終わってしまった。どうやら、今の僕の脳みそは絶不調らしい。

「―――あんたは?」

「え?」

「あんたの家のパパはなにしてるの?」

「あ、えっと……僕のお父さんは、○○○って会社の子会社で機器の開発やってる」

「―――その会社、あたしのパパが社長している会社の子会社ね」

 ぶっ、と思わず吹きそうになってしまった。
 なんというシュチュエーションなのだろう。社長―――しかも親会社の―――の娘が目の前に。世の中狭いものだ。しかしながら、考えてみれば、親父の会社はここから二駅ほどで、親会社もその近くにあるのだから、彼女の父親と僕の親父に関係があってもなんら不思議ではないのかもしれない。もっとも、さすがに親会社の社長と子会社の開発部課長の関係とは思わなかったが。
 もしも、これが漫画の世界で言うなら、僕はバニングスさんの機嫌を損ねないようにゴマをすっているところだろう。そして、もし彼女に何かしら気を損ねることをすれば、僕の親父の首が飛ぶのだ。まあ、実際にあったとすればたまったものではないが。

 そんな風に盛り上がるわけでもなく、かといってまったく会話がないというわけでもない。強いていうなれば、お互いが緊張したお見合いのような会話が月村邸に着くまでの約二十分間細々と続くのだった。



 ◇  ◇  ◇



 僕の今の表情を形容するとすればポカーンが正解だろうか。口を開けて目の前の豪邸を見ているに違いない。
 当たり前だ。日本で豪邸と呼べるような洋館を見せられれば誰でも呆然としてしまうだろう。しかも、それが夕日に照らされて、非常に幻想的な雰囲気を醸し出しているなら尚のことである。これで、ツタや植物が壁に走っているなら、魔女の洋館? とも考えられたかもしれないが、洋館そのものは綺麗なものであり、やはり豪邸と呼ぶほかなかった。

 今日は実に驚愕させられる日だ。もしかして、ゴールデンウィーク中に何事もなく遊べたしわ寄せが一気に来ているのだろうか。

「なにやってるのよ? 行くわよ」

 すでにリムジンを帰したバニングスさんが、呆然としている僕の横を通って先行する。
 西洋風の大きな閉ざされた門。一見すれば、誰も彼もを拒んでいるように見えるが、その門柱につけられたインターフォンだけが、来客を許可しているように思える。

 僕だったら緊張して押そうか押すまいか、小一時間悩みそうだが、バニングスさんは、この家に来たことがあるのか実にあっさりと黒い門柱に取り付けられた白いベルボタンをその細い指先で背伸びしながら押した。

 確かに子供が押すには若干高い位置にあるもんな。

『はい、バニングス様と蔵元様ですね。今、そちらに伺います』

 インターフォンから聞こえてきたのは女性の声。抑揚があまりなく、平坦な声から考えると実に落ち着いた感じの女性ではないかと思う。
 彼女は、門にはインターフォントは別に小型のカメラがついているのだろう。誰が来たかをあっさりと見抜き、プツッと何かを切るような音が聞こえて、向こう側との通話は切れてしまった。

 待つこと数十秒、目の前の重い門の向こう側に見える大きな西洋風の左右両方が開く扉の片方をあけて出てきたのは、紺を基調としたワンピース型の洋服の上から白いエプロンドレスに身を包み、頭の上にカチューシャのようなものをのせた――― 一言で言うならまさしくメイドを体現したような姿をした女性だった。

 その女性はカツカツとまるでモデルが歩くかのように素人から見ても綺麗だと思える歩き方で門の近くまで来て、誰しもを拒みそうな門を開ける――――かと思いきや、その大きな門の一部に人が一人だけ通り抜けられそうな別の部分があり、その部分を開いて通り抜けるように促した。

 バニングスさんは、慣れているのか平然と門をくぐり、小市民である僕は、なぜか申し訳ない気持ちになりながら、メイドさんに頭を下げながら―――頭を下げるとニコリと微笑まれた―――門をくぐった。メイドさんは、僕が門をくぐったことを確認すると一部だけ開いていた門を閉じ、歩き方は先ほどと変わらないにも関わらず、僕を追い抜き、バニングスさんをも追い抜いてしまい、最後に豪華な洋館の入り口を開く。先にバニングスさんが躊躇なく入り、次に僕が扉の向こうに見える別世界に頭が朦朧としながらも、何とか玄関に入る。

「ようこそ、月村邸へ」

 メイドさんが玄関に入るときに声をかけ、このときになって、僕はどんな場所に着たのかをようやく把握し、唯一の手荷物である包みを持ってきたことを、それを勧めてくれた母に改めて感謝した。



 ◇  ◇  ◇



 さて、今日は実に驚愕することが多い日だ、と思ったのはついさっきのことだっただろう。今日はもうさすがにこれ以上、驚くことはないだろう、と思っていたのだが、その考えは至極あっさりと覆されてしまった。

 僕とバニングスさんが月村邸にお邪魔し、メイドさんの案内に従って廊下を歩くこと数十秒。案内された先はある一室だった。ここでお茶会が行われるのか、と感慨深く思いながらメイドさんに案内されるままに部屋に入る。そこに広がっていた光景は、僕を今日一番の驚愕に誘ってくれることになる。

 部屋に入った僕らを迎えてくれたのは、リビングと呼ぶには広い部屋。真ん中に置かれた六人は座れそうな大きなテーブル。そして、姉妹だと明白に分かる少女と女性の二人。そのうち、一人は今日のお茶会に誘ってくれた月村さん。そして、もう一人は―――

「あら、あなたが蔵元くん? すずかがお世話になったわね。私が姉の月村忍よ」

 月村さんと同じく夜を流したような艶やかな黒髪を翻し、椅子から立ち上がると僕をまっすぐに見つめて自己紹介してくれる月村のお姉さん。なるほど、姉といわれれば実にしっくりとくる。おそらく、月村さんが成長するとこんな顔の美人になるのだろう。

「本日は、お招きくださりありがとうございました。僕は、月村さんのクラスメイトの蔵元翔太です」

 そういって僕は九十度近くになるまで頭を下げる。ここまで深々と頭を下げる予定ではなかったのだが、周りの空気とあまりの高級感に思わず下げなければならないような気持ちになってしまった。

 これでいいのだろうか? と心臓をバクバク鳴らしながら、こんな洋館でなければ口に出せないようなことを搾り出すようにして言った。これが僕の精一杯だ。もしも保育園時代の友人に聞かせれば、変だといって爆笑してくれるか、まったく意味の通じないか、のどちらかであろう。
 そんな僕の心情を知ってか知らずか、月村さんのお姉さんは、僕の挨拶を聞いてクスッと苦笑していた。
 ちなみに、バニングスさんは一瞬、ポカンと呆けたような表情をした後にお腹を押さえて爆笑している。月村さんは、笑っちゃダメだよ、といいながらも口を押さえているところをみるに、その掌の下では笑っているのだろう。

「あ、これ。手ぶらじゃ申し訳ないので気持ち程度ですが」

 笑っている二人を無視して僕は持っていた包みを取り出し、月村さんのお姉さんに手渡した。

「あら、呼んだのはこっちだからいいのに」

「いえ、本当に気持ち程度ですよ。中身はクッキーなので皆で食べようと思いまして」

 バニングスさんに聞いても「何もいらわないわよ」としか答えてくれないので、母親に聞いてみたところ、とりあえず、家にあったクッキーを持って行きなさいと渡してくれたのだ。
 何でも近くのおいしいお菓子屋さんのクッキーらしい。確か、名前は翠屋だっただろうか。あのゲームにも出てくるお店だが、味は確かだ。特にシュークリームは前世を含めても一番おいしいと断言できるほどである。
 ただし、僕の小遣い程度では月にいくつも食べられないが。

「あら、そう。それじゃ、ノエル、開けて並べてちょうだい」

「はい、お嬢様」

 メイドがお嬢様と呼ぶ。
 前世じゃありえない光景。いや、今の世界でも月村さんと知り合いにならなければ到底触れることのない光景なのだが。
 あまりの出来事についつい月村さんのお姉さんとメイドさんを見てしまった。

「さあ、座って。お茶会にしましょう」

 笑いながら月村さんのお姉さんは僕たちに座ることを勧めてくれる。

 しかし、気のせいだろうか。先ほど感じるこのデジャヴとも言うべきものを感じているような気がするのは。何かを忘れているようなそうでもないような。まるで、天気予報で雨だとつげられながら、傘を忘れてしまったときのような違和感だ。

 はて、本当になんだろうか?

 喉に刺さった小骨ほどではないが、どこか気持ちが悪い違和感を感じながらも僕は勧められるがままに椅子に座るのだった。


 続く

 あとがき

 吸血鬼の本拠地へようこそ。ポカをやらかすかどうかは次回。どっちがいいかな? 物語的には明らかにフラグなのですが。
 A ポカをやらかす  B そんな見え見えのフラグに乗らないぜ!



[15269] 第四話
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2011/05/06 21:14



 紅茶という洒落たものを飲む機会が果たして人生で幾度出会えるだろうか。
 しかも、ティーパックでお手軽簡単な紅茶(笑)ではなく、葉っぱからきちんとした手順を踏んで入れられた紅茶である。
 少なくとも前世とあわせて二十数年生きている僕であるが、そんな機会に恵まれたことは一度もない。
 ただ紅茶をきちんとした手順で入れるだけなら趣味で入れる人は結構いるかもしれない。しかしながら、洋館で、きちんと白い陶磁器のカップとポットで、しかも、メイドさんが入れてくれる―――ただし、一時期有名だったメイド喫茶は除く―――となるとかなり数は限定されるのではないだろうか。

 つまり、僕は今、相当レアなイベントを体験しているわけである。

「どうぞ」

 かちゃりと陶磁器特有の音を立てて僕が座る椅子の前に差し出される高そうな白い陶磁器のカップに注がれた紅茶。その香りは、非常に高級そうで、市販のティーパックの香りしか知らない僕にとってはその匂いだけで緊張させてくれる。本当に紅茶の『こ』の字も知らないような僕が飲んでいいものやら。

「本日のお茶は、ダージリンのファーストフラッシュとなっております」

 ―――アールグレイ、ダージリン。名前だけは知っている。そう名前だけは。
 コーヒーと一緒だ。ブルーマウンテン、キリマンジャロ。名前だけは知っているが、味の違いなどは僕には分からない。コーヒーはコーヒーだし、紅茶は紅茶だ。もっとも、目の前に置かれたカップから湯気を立てている紅茶からは明らかにティーパックとは異なる高級そうな雰囲気を醸し出しているのだが。

「あら、蔵元くん、飲まないの?」

 メイドさんに紅茶を注がれてずっとカップを見ている僕を見て怪訝に思ったのだろう。月村さんのお姉さんが、僕に紅茶を飲むように勧めてきた。
 紅茶を注がれたのはどうやら僕が一番最初らしい。次は、バニングスさん。どうやら、お客さんが先というのは何所も変わらないようだ。さて、参った。このお茶会からホスト(主人)勧められて飲みださないわけにはいかない。しかしながら、僕は今までこんなお茶会なんて参加したことがないわけで―――つまり、何がいいたいのか、というと。

「すいません、飲み方が分からないんですが」

 なにやら高級そうな紅茶が出てくるお茶会である。僕は当然のように何かしらの作法があると思っていた。あの日本式の緑茶が出てくるお茶会のように。僕も詳しくは知らないが、あのお茶会は、茶碗を滑らせる回数なども色々と決まっているらしい。
 だから、僕としては恥ずかしながらもそう言い出すしかなかったのだが、それを聞いて位置的に僕の対面に座っている月村さんのお姉さんは、クスクスと年上の余裕を持って笑っていた。

「そんなの好きに飲んでいいわよ。ただのお茶会なんだから」

「しかし、せっかく丁寧に入れてくださった紅茶なので下手に飲むわけには……」

 笑いながら、適当に飲めと勧めてくれる月村さんのお姉さん。
 しかし、やっぱり適当に飲むことなど出来ない。コーヒーメーカで自動的に作られたコーヒー、ティーパックで適当に蒸らした紅茶ではないのだ。陶磁器のポットにお湯をいれ、最初からカップにお湯をいれ、紅茶を入れたときにカップと紅茶の温度差が出ないようにするなどのきちんとした手順を踏んで入れられた紅茶である。きちんと飲まなければ入れてくれた相手に失礼というものだろう。

「蔵元様、ありがとうございます。しかしながら、蔵元様のお好きのようにお飲みになってください。お客様がお茶会を楽しんでいただくことが我々の仕事ですので」

「そうよそうよ。そんなに堅くならなくていいんだから。それでもって言うなら、ダージリンのファーストフラッシュはそのまま飲むのが一番よ」

 ―――なるほど、そうなのか。

 僕は意を決して、カップを持ち上げ―――陶磁器の熱伝導のせいか若干熱かったが―――ゆっくりとカップを口に運び、紅茶特有の香りに驚きながら、ダージリンのファーストフラッシュという名称の紅茶を口にした。

 ―――苦い、というのが正直な感想だった。だが、飲めないほどではない。一口目をとりあえず口に入れ、そして、もう一口口に入れたところでカップをソーサーの上に戻した。

「あら、飲めたのね。君ぐらいには少し苦いと思ったんだけど」

 半ば悪戯が成功した子供のように笑う月村さんのお姉さん。しかし、客人に悪戯代わりに苦いと分かっている紅茶を出すとは。もっとも、その悪戯も小学生である僕だから通じる悪戯であるが。
 しかし、隣を見てみると月村さんのお姉さんが苦いといいながらも、バニングスさんや月村さんは意外と平気そうにストレートで飲んでいる。

「その割りに二人とも普通に飲んでますけど……」

「あたしは、飲みなれてるからよ。最初は、あんたみたいに飲めなかったわ」

「わたしも最初は飲めなかったかな」

 僕は驚いた。それは、僕が我慢して飲めたことにではない。慣れるほどに彼女たちがこの手の紅茶を飲んでいることにである。庶民と社長令嬢の差はこんなところにも現れるのか。
 僕に出来る唯一の抵抗は、世知辛さを肝心ながら、この紅茶を飲むことだけだった。

「さて、蔵元翔太くん」

「はい、なんでしょうか? 月村さんのお姉さん」

 僕としては普通に答えたつもりだったが、月村さんのお姉さん的には何かしらの不備があったらしい、ガクッと出鼻をくじかれたように、肘を滑らせ、顔には引きつった笑みを浮かべていた。
 はて、僕は何かまずいことをしてしまっただろうか。

「あのね、さっきから思ってたんだけど、蔵元くん少し堅すぎるわね。もうちょっとフレンドリーに行きましょうよ」

「フレンドリーにですか………」

 さて、困った。月村さんのお姉さんは、明らかに大学生、いや、高校生ぐらいである。つまるところ、小学生の僕からしてみれば、雲の上の存在といっていいほどの人だ。そんな人にフレンドリーに、しかも女性。どうすればいいんだろう?

「……すずか、あんたのクラスメイトの男子ってみんなこうなの?」

「ううん、蔵元くんぐらいだよ」

「そうね、こいつぐらいね。後はみんなガキよ」

 僕がどうやってフレンドリーにしようか、と悩んでいるところに三人の会話が聞こえてくる。

 僕が小学生らしくないということぐらいは気づいている。しかし、どうすればいいのだろうか。小学生らしく振舞う? つまり、それは一日中、僕は自分の行動を一つ一つ意識しなければならないということになる。一瞬たりとも気の抜けない日常。とても肩がこりそうだ。その手段を選ぶなら、僕は今やっているように素を出して、ちょっと大人びた小学生と見られたほうがよっぽどマシである。

 閑話休題。

 そんなことよりもどやってフレンドリーにするか、である。

「う~ん、そんなに悩むことないのよ。とりあえず、呼び方を変えてみましょうか」

「呼び方ですか?」

「そう、月村さんのお姉さんなんて長いでしょう? しかも、かなり他人行儀だし。そうねぇ、苗字だとすずかと被っちゃうから、名前の忍でいいわよ」

 ―――忍。

 そういえば、最初にそう名乗ってたな。あの時は、緊張していて殆ど耳に入っていなかったような気がするが。挨拶できただけでも上出来だ。笑われたけど。今は、紅茶のおかげもあってかあのときほど緊張していない。

 そうか、なら月村さんのお姉さんは、月村忍って―――っ!?

 あのバニングスさんのときと同じように不意に脳裏に一瞬だけ映る一枚の絵画。

 ―――洋館の一室。時刻は夜。ベッドの上、半裸で微笑む月村さんのお姉さん。窓から見えるのは満月。ただし、月村さんのお姉さんの瞳は真紅。

 ――――ああ、繋がった。繋がってしまった、というべきか。

 思い出した。記憶の奥底に泥だらけになって埋まっていた記憶が、月村さんのお姉さんの容姿と『月村忍』という名前、そして、物語の舞台となった洋館の雰囲気という要素が重なり合って初めて掘り起こされた。

 ―――月村忍。

 僕がプレイした『とらいあんぐるハート3』のヒロインの一人であり、僕が思い出した記憶が確かなら、月村忍は吸血鬼である。しかし、物語で知られているような吸血鬼ではなかったように思える。にんにくや十字架といったものは出てこなかったはずだし、月村さんのお姉さんは普通に日光の下でも歩いていた。しかし、残念なことに他の細かいことは忘れてしまった。後、せいぜい覚えているのは主人公『高町恭也』と何かしらの契約を結んだということぐらいだ。先ほど、思い出したCGはちょうど、そのシーンのはずで。僕が彼女のルートで一番記憶に残ったところだからだ。その契約がどんな類のものかは細かく覚えていない。

「あれ? どうしたの? 蔵元くん。ずっとこっちを見て。私の顔になにかついている?」

 はっ! どうやら、僕は驚きのあまり月村さんのお姉さんの顔をずっと見ていたらしい。怪訝そうな顔で僕を見ている。それは月村さんもバニングスさんも同じだ。
 変な疑惑をもたれてはまずい、と僕は慌てて否定する。

「いえ、なんでもありませんよ」

 外見は極めて冷静に。しかし、内心は驚きと驚愕にあふれながら、何とか答えた。

 しかしながら、改めて思う。月村さんのお姉さん―――月村忍さんは、吸血鬼であるのか?
 そもそも、僕の記憶が前世の現実ならまだしも、ゲームの中の話だ。だが、ここは現実だ。僕の常識で考えるなら、吸血鬼なんていうのは架空の存在であり、存在しないことになっている。つまり、月村忍さんが、吸血鬼なのはゲームの中だけで、この現実では、普通でもなんら不思議ではないのだ。
 まるで、シュレーディンガーの猫だ。開けてみるまで猫が死んでいるかどうか分からない。つまり、彼女が吸血鬼かどうかなんてことは、彼女自身に僕が尋ねてみるしか方法はないわけだ。
 しかしながら、もしも彼女が本当に吸血鬼であった場合、僕は相当困ることになるだろう。なぜなら、現実に吸血鬼という存在がいたとしても、彼らは頑なに自分の存在を隠そうとするだろうからだ。

 人間は残酷なことに排他的な存在だ。自分と異なるものを許せない傾向にある。
 身体的特徴ですら、簡単にいじめの対象になってしまう。ならば、それが自分たちとよく似た種族であれば? しかも、自分たちの血をすう天敵であるなら?
 答えは簡単。殺戮の始まりである。最後の一人残らず。吸血鬼を殺すエクソシストが唱えるように―――『塵は塵に、灰は灰に』である。
 つまり、吸血鬼が存在していた場合、それを世間に一切知らせることなく生きてきたのだ。しかしながら、世の中生きるうえで自分の秘密が一人にもばれないなんてことは、天文学的確率だ。地球上のどこかでたった一人にはばれてしまうかもしれない。そして、そのばれたときの一番簡単な対処法は? 答えは簡単だ。口封じ。つまり、その人物を殺してしまうことである。『死人にくちなし』とは上手いことを言ったものである。

 そういう理由から、僕は月村忍さんに何も聞かない。第一、聞いて本当のことが分かったところで、僕に何一つとして得はない。むしろ、こんな好奇心から来る疑問で、自分の命を危険に晒したくない。好奇心は猫をも殺すのである。

「紅茶のお代わりはいかがですか?」

「え? はい、いただきます」

 僕が月村さんのお姉さんに対しての対応を考え込んでいる最中に思考に割り込むようにしてメイドさんが、僕の空になったカップに気づいたのか、紅茶のお代わりを勧めてきた。僕に断る理由などどこにもなく、承諾する。

 ああ、そういえば、もしも、あのゲームの通りだと仮定すると、この人は人形なんだよな。

 月村忍というヒロインから連鎖的に思い出した出来事。それは、彼女に仕える『人形メイド』のことである。彼女の名前は確かここに来て一度聞いた記憶がある。『ノエル』といっただろうか。物語で一番印象に残っているのは『ロケットパンチ』だけなのがなんとも物悲しい。

「どうかされましたか?」

「あら~、蔵元くん、ノエルに見惚れちゃったりしたぁ? ダメよ。ノエルは家の大切なメイドなんだから。でも、蔵元くんは、一年生なのにませてるわね~」

 僕が月村さんのお姉さんと同じようにメイドさんに視線を固定したまま、思考にはまってしまったところを二人に見られてしまったらしい。ノエルさんは、ただメイドとしての職務を果たすために。月村さんのお姉さんは、中年親父のようにニマニマと笑いながら尋ねてきた。

「いえ、別になんでもありません」

 そう、極めて冷静に返しながら僕は、ノエルさんが入れてくれた紅茶を一口、口に入れる。

 向こうで「ちぇ~、面白くない」なんて月村さんのお姉さんが言っているが、残念なことにそんなことを言われて、あたふたするような思春期は、向こうの世界では、過ぎてしまったし、こちらの世界ではまだまだ先の話だ。

 そして、そろそろこの苦味にも慣れてきた二口目を口にしながら、続きを思い出す。

 そうそう、確か、ゲームでは、月村さんのお姉さんと人形メイドのノエルさんの二人暮らしで―――

 二人暮らし?

 その単語に思わず、僕の視線は今度は月村さんに固定された。

 ―――月村すずか。

 月村忍さんをお姉さんと呼ぶからには姉妹なのだろう。姉と呼ぶ関係なら従姉妹か? とも考えたが、これだけ顔立ちや髪の色が似ていながら姉妹でないとは考えにくい。
 ということは、僕のゲームの知識が間違っているのか、とも考えたが、うっすらと欠片しか残らないゲームの記憶を掘り起こしても月村すずかという名前を見つけられない。

 さて、証明問題を考える際に『何か』の存在することを証明することは簡単だ。一つでもその存在を示せばいいのだから。だが、いないことを示すのは非常に難しいとされる。なぜなら、すべてを調べなければならないから。
 この場合、すべてのゲームのルート、シナリオ、内容を覚えてなければならないのだが、そこまで僕の記憶力はよくないし、かといってこの世界で『とらいあんぐるハート3』をプレイすることも叶わない。
 つまり、『とらいあんぐるハート3』の世界に『月村すずか』が存在しないと証明することは無理な話なのだ。

 しかしながら、僕としては『とらいあんぐるハート3』のゲーム内で『月村すずか』が存在しようが、しまいが、どっちでもいい話である。所詮、今ではプレイすることも叶わないゲームの話。今の僕になんら影響を与えることはない。今の現実では、こうして目の前にいることが証明されている。つまり、月村すずかは存在する。証明終了である。

 ん? でも、ちょっと待てよ。

 仮に、月村忍がこの現実でも吸血鬼と仮定すると僕とクラスメイトの月村すずかも吸血鬼なのか?
 彼女たちが姉妹とするなら、無理のない話である。むしろ、片方が吸血鬼で、もう片方が吸血鬼でないと考えるほうが変な話である。
 といっても、確認する気のない僕にとってはどうでもいい仮定であるが。

「あら~、今度はすずか? 目移りする男は嫌われるわよ」

「だから、違いますって」

 三度目の正直。月村さんのお姉さんがどれだけ誰かをからかうことに飢えているのか分からないが、ちょっとしつこすぎやしないだろうか。ついでにもう一人のからかわれた張本人は月村さんのお姉さんが言っている意味が分からず小首をかしげていた。

「さて、それで、私に対する呼び方は決まったかしら?」

「……え?」

「え? って、今までそれを考えていたんじゃないの?」

 いえ、あなたが吸血鬼かどうかについて悩んでました、なんていえるはずがない。なるほど、さっきから考え込んでいる僕に注目しながらも話を振ってこず、月村さんとバニングスさんとばかり話していたのは、僕が月村さんのお姉さんの呼び名について考えていると思われていたのか。

 ここで、いいえ、と否定するのは簡単だ。だが、その代わり、何を考えていたのか? と問われる可能性が高い。ここでもまた嘘を重ねることは簡単だが、嘘というのは重ねれば重ねるほどに綻びが出てくるものだ。ならば、話をあわせて誤魔化してしまったほうがいい。

「ああ、そうですよ。そうでした。月村さんのお姉さんの呼び方でしたね」

「そうよ。それで、決まった?」

「ええ、お言葉に甘えて、忍さんと呼ばせてもらいます」

 よもや呼び捨てにするわけにはいかず、かといって、子供がするように『忍』という名前から変なあだ名を考えるわけにもいかない。
 子供というのは変なあだ名を考えることについては天才的である。
 しかし、この場合、考えられるとしたら、どんなあだ名だろうか。『しのちゃん』とか? ダメだな。僕にネーミングセンスはまったくない。

「予想通り手堅くきたわね」

「これ以外に呼び方はないような気がしますが」

「ほら、そこは君の独創力で」

「そこには期待しないでください」

「ちぇ~」

 忍さんの期待をすっぱりと斬り捨てて僕は、注がれた紅茶に口をつける。
 先ほど、ちょこっと考えただけで僕は自分のネーミングセンスに見切りをつけたのだ。

 しかし、あれだ。少し考えると、僕だけ忍さんと名前で呼ぶのは不公平ではないだろうか。

「交換とは言ってはなんですが、忍さんも僕のことを『ショウちゃん』か『ショウくん』とでも呼んでください。友人は皆、そのどちらかで呼んでいますので」

 翔太というのは意外といいにくいらしい。それよりも簡単に『ショウちゃん』あるいは『ショウくん』、または『ショウ』というのが僕の一般的な呼ばれ方だ。この呼ばれ方は保育園時代からの呼び名だ。新しくクラスメイトになった友人もみんなこの呼び方で僕を呼ぶ。
 それに、サッカーなどのスポーツのときは『ショウ』と短いほうが呼ばれやすいしね。

「へ~、なら、そうやって呼びましょう。……って、すずかとアリサちゃんは、蔵元くんって呼んでなかった?」

「うん、そうだね」

「そういえば、そうね」

 それもそうだ。二人とは、友達同士のような会話をした記憶がない。僕が話すことが多いのは我クラスのまだ保育園、幼稚園気分が抜けない連中だ。必然的に彼らとは一歩階段を上っているバニングスさんと月村さんと会話する必要がない。僕が手をかけるようなことがないからだ。せいぜい、最初のときぐらいだろう。
 あのこと以来、僕と二人が会話したことなんて実は両手で数えられるぐらいしかないんじゃないだろうか。

「なら、この機会に呼んじゃいなさいよ」

「まあ、僕としては吝かではありませんが」

 お茶会にまで呼ばれているのだ。ここで友人ではないと否定できる要素はどこにもない。
 それに、最近は僕に注意されたり、諭されたりすることで少しずつ彼らにも自覚が出てきたのか、僕が出て行ってなんとかしなければならない回数は気持ち減っているように思える。
 なにより、僕にだって癒しが欲しいときがあるのだ。気苦労せずに会話できる時間のような癒しが。その癒しとして、彼女たちは合格点以上だと思える。

「いいわよ。呼んであげようじゃない。ショウ」

「ん、わたしも。ショウくん」

「では、僕は、すずかちゃんとアリサちゃんで」

 僕は基本的に友人の女の子は『ちゃん』付けで呼んでいる。

 自分から相手への呼び名というのはその人への距離感を示している。
 『様』などの敬称をつけているときは、明らかに目上の人への呼び方。苗字だけや『さん』付けの場合は、同格の他人。さらに名前やあだ名となれば、友人。だが、名前を呼び捨てとなれば、これはもう距離感的には相当近いものとなるだろう。あえて言うなら、家族や親友、恋人のような仲である。
 だから、僕は基本的に女の子は『ちゃん』付けで呼んでいる。男は呼び捨てだが。

 かれこれ、この世界に生まれて女性―――というには幼すぎるが―――を名前で呼ぶのは何度も経験したのだが、やはり、一番最初に名前を呼ぶときは、それなりに緊張するものだ。

 だが、緊張してでも呼んだ甲斐があったのか、名前を呼ばれた二人としては、満足したらしい。満足げに微笑んでいた。

 酷く世間の格差というものを感じさせてくれたが、友人が二人増えた月村邸のお茶会だった。


 続く

 あとがき

 結局Bでした。しかし、『吸血鬼』かも? と認識はした、ということで。



[15269] 第五話
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2011/05/06 21:14



 さて、僕に友達が新しく増えて、さらに一月が経過した。
 季節は初夏。六月に入ったばかりで梅雨になるのが心配だが、まだまだ春の陽気を残したような日もある。
 先週の施行期間を終え、聖祥大付属小学校の制服も夏服に完全に衣替えした。

 しかしながら、季節が春から初夏へと移行しようとも僕が小学生である以上、やるべきことはほとんど変わらない。
 つまり、学校へ行き、授業受けることだ。そして、今日もその一環で、時刻は昼休み。僕は宿題となっていた算数のノートを集めて担任の元へと持ってきていた。

「はい、先生。これ、宿題のノートです」

「あいよ。そこに置いておいてくれ」

 先生は、書類に向かったまま適当にプリントが無造作に散らかっている後ろの棚を指差した。
 少しは、片付けたほうがいいんじゃないだろうか、と思うが、そんなことを言えば僕にお鉢が廻ってくるだけに何も言わず、素直にノートを棚の上においた。

「ああ、なんなら、お前が採点してくれても構わないぞ」

 立ち去ろうとする僕の背後からまるでからかうような声。

「ご冗談を。それは先生のお仕事でしょうに。先生なんだからきちんと仕事しなくちゃいけませんよ」

 この手の仕事をしたときは、ほとんど毎回からかわれるため、軽いジョークだと知っている僕は苦笑いなしながらもそう返した。
 大体、いつものやり取りだ。
 いつもなら、さらに「そんなこと言わずにさ。お前ならできるだろ?」と続くはずなのだが、今日は違った。
 滅多に見せない真面目な顔をして僕を見ていた。

「そうだな。お前には、もう半分ぐらい私の仕事を肩代わりしてもらってるようなもんだし、これくらい頑張るか」

「先生?」

 その滅多に見せない真面目な表情が、声が、僕はなにかやってしまったのだろうか、と不安にさせる。
 だが、さすがに先生をやっている人は違うのだろうか。僕の不安げな表情から、その心情を見抜いたのだろう。
 慌てていつものようにちゃらけた笑みを浮かべると片手を顔の前で左右に振る。

「ああ、そんな不安そうな顔をしなさんな。別に蔵元が何かしたわけじゃないよ。ただ、本当にお前には私の仕事を半分ぐらいやってもらってるな、と不意に思っただけさ」

「どういう意味ですか?」

 僕には本当に意味が分からなくて聞いたのだが、先生は少しだけ思案するような表情をした後に口を開いた。

「まあ、お前になら大丈夫か。なあ、他の一年生の担任が今、どこにいるか、分かるか?」

 そういわれて、僕は先生の周りの机を見渡してみる。しかし、そこはまるで、まったく使っていないように綺麗に片付けられた机があるだけだ。
 先生に言われて初めて気づいたが、職員室の中で一年生の先生たちが固まっている場所の中で机に座って仕事をしているのは僕のクラスの先生だけだった。

 しかし、それが分かったところでどうしようもない。
 先生の業務というものを僕は知らないので、他の先生たちが何をやっているかなんて分かるはずもない。

「いえ、分かりません」

「他の先生は今頃、自分の担任の教室でお仕事中さ」

 はて、おかしな話である。
 一年生の担任は、必ず自分が受け持った教室で仕事をしなければならない、と明文化されているなら目の前の担任も自分の教室で仕事をしなければならないはずだ。
 だが、こうして、今、僕の目の前で先生は自分の仕事をしている。つまり、強制ではないわけだ。いくら僕の担任が他の先生に比べてちゃらけていたとしても、さすがに職場のルールを破るようなことはしないだろうから。

「おやおや、さすがに特Aクラスの特待生でも分からなかったかい?」

「僕はただの児童ですよ。先生の事情が分かるわけありません」

「いやいや、自分の立場を理解しているお前を一介の小学生に分類できるかといわれれば、甚だ疑問だがね」

 まるで詐欺師を見るような目。
 明らかに教師が生徒に向けてはいけないだろう、とは思うが、その視線は僕の特性を考えると的を射ている。詐欺師のようなというか、詐欺師そのものと言っても過言じゃないからだ。

「まあ、いい。さて、他の先生たちが自分たちの教室に行ってるのはだな、はっきり言うと心配だからだ」

 ―――ああ、なるほど。

 僕は先生のその言葉を聞いて大体把握した。なぜなら、それは僕が昼休みに教室にいながらいつも感じていることだからである。

「お前たちの学年は一年生だ。保育園、幼稚園から小学校というまったく別の環境に放り込まれた子供たち。知ってるか? 一年生の担任をする上で一番大変なことは、きちんと授業の間、席に座らせることなんだ。それに、相手は子供だからな。自制心がない。我慢も知らない。小さな喧嘩なんて日常茶飯事だ。それでいながら、少しでも怪我しようものなら、保護者が飛んできて文句を言う。学校が始まったときから放課後まで気の休まるときが一切ないのが担任ってやつさ。特に今の時期なんて目が離せない」

 その苦労は分かる。なぜなら、僕が現在進行形で感じている苦労だからだ。
 しかも、僕なら、彼らの様子だけを見ればいいのだが、先生たちはそれに加えて自分たちの『教師』としての仕事もあるのだ。
 下手をすると、そこらへんのブラック企業よりもブラックかもしれない。彼らには、本当にご愁傷様、としかいえない。

「まあ、その点、私はかなり恵まれているけどな。お前がいるから」

 僕を見て先生が笑う。
 確かに、僕がいれば、先生は職員室で自分の仕事をしていも何も問題はないだろう。
 他の先生たちの心配事はすべて僕が処理しているのだから。

 しかし、そうだとしても、もし、僕が失敗すれば、その責任はすべて先生が取ることになっているのだが。
 それを分かっていながら、僕に一任して職員室にいるのであれば、僕はこの先生からよっぽど信頼されているのだろう。
 嬉しいというべきか、怠慢するなというべきか。はて、判断に困ることである。

「まあ、もっとも、お前さんがこの話を聞いて、嫌気が差して、もう知りませんっていうなら、私はこの紙の束とノートを持って教室の机で仕事をやらなならんだがな」

 さあ、お前はどうする? と先生の目が聞いていた。

 判断に困ると思ったところで、この言葉。正直、僕にはこの人が心を読んでいるんじゃないか、と疑いたくなる。これが、しょせん、大学までの経験しかない僕と社会で生きている先生との絶対的な差なのだろう。

 だが、しかし、よくよく考えてみれば僕の答えは決まっていた。
 何度も、もうやめようと思ってもやめられなかったことがすべてを物語っているじゃないか。

「いえ、先生はここで黙々と自分の仕事をしていてくださいよ」

「おや、せっかく、お前さんの気苦労から解放してやれる最後のチャンスなのに」

「いやいや、意外と僕は今の立場が気に入っているみたいですから」

 大人の対応とは違って疲れることは確かだ。だが、子供というのは実に感情がストレートに表れて面白い。前世で学んだ工学という当然の結果しか返さない分野とはまったく逆ベクトルの分野であることも関係しているだろう。

「それに、昔からよく言うでしょう。『手のかかる子供ほど可愛い』って」

 確かに、彼らの相手は疲れる。疲れるし、やめたいと思ったことも何度もある。
 それでも、やめられなかったのはやはりこれが一番の理由なのだろう。
 なんだかんだ言いながら、僕には彼らが可愛く思えているのだ。手のかかる奴ほど特に。
 もしも、彼らを可愛いとか好きだとか思えていなければ、こんな立場なんてすぐさま放り出しているに違いない。

 僕の返答に一瞬、ポカンとしていた先生だったが、すぐに表情をとりなして、くすっと笑い、「そうかい、私もだ」と一言だけ僕に言った。



  ◇  ◇  ◇



「ショウくん、次は体育だよっ!!」

 僕の隣に座る友人がよっぽど嬉しいのかわざわざ次の時間の教科を教えてくれる。

 その程度は言われなくても分かっているのだが、彼の目に浮かぶ期待感を前にすると、冷たくあしらうという選択肢は消えてなくなってしまい、「今日はなにするんだろう。楽しみだね」とこちらも乗り気になって答えるしかなかった。

 一年生の間の体育というのは、運動というよりも遊びの時間に近い。楽しみになるのも分かる。かくいう僕も楽しみなのだから。

 答えた後はしっかりと体操服に着替えることを促す。そうしなければ、僅か十分しかない休み時間で着替えて、グラウンドまで出ることなんて不可能だ。
 最初の頃はグランドにしろ体育館にしろ遅れて始まることが多かったが、最近は、開始が遅れると体育の時間(遊びの時間)が減ることが分かってきたのか、着替えるのも早く、遅れて始まることはなくなってきたのだが。

 しかしながら―――周りを見渡しながら思う。

 男女一緒なのはいかがなものか。

 いや、無論、やましい気持ちは何もない。ただ、男女が共に着替えているという事実が三ヶ月経った今も僕を困惑させる。
 まあ、一年生ということもあるのだろう。そういう類の羞恥心が芽生えるのは、早い人で大体三年生ぐらいといわれているし。

「ショウ、あんた何やってんの? 早くしないと遅れるわよ」

 気がつけば、教室には僕とアリサちゃんとすずかちゃんしか残っていなかった。
 しかも、彼女たちは体操服に着替えているのに僕はまだ体操服を着ていない。

 どうやら変なことを考えている間に休み時間は刻一刻と減っていたようだ。時間を見てみると後五分ぐらいしかない。
 走ればギリギリ間に合うか、というレベルである。

「早くしなさいよっ!」

 急かしながらも待ってくれるアリサちゃんとすずかちゃんに感謝しながら僕は急いで着替えた。



 ◇  ◇  ◇



「いっくぞっ!!」

 わざわざ宣言しながら、枠の中を剛速球が走る。

 今日の体育は、ドッジボールだった。クラス内を適当に二グループに分け、外野が三人出るという形だ。
 そんな中で僕は最初から外野に立候補していた。

 もう少し学年が上になれば、強い奴を外に出してさっさと外野をゼロにしてしまって、勝負をつけるなんて戦略が生まれるのだろうが、如何せん、まだまだそういうことには疎い一年生だ。
 しかも、外野がいなくなれば、試合終了というルールを理解しているのかしていないのか、内野であろうとボールを持ったら投げたがる思考にある。
 逆にボールを怖がって必死に逃げる子もいたりして両極端に走るのでバランスが取れているといってもいいかもしれないが。
 ともかく、外野なんていうのはとにかく出番がないもので、ひたすらに人気がない。しかし、外野は出さなければならない。

 僕としては外野としての役割も知っているから、立候補したというわけだ。他の二人はじゃんけんに負けていた。

 さて、外野というのは、両サイドでボールを投げ合っている間は、とにかく暇なのだ。
 自分たちの陣営がボールをとったとしても、外野に投げるなんて意識がないし、まだ、始まったばかりだから相手陣営の密度も濃いので、相手陣地を越えて外野までボールが来ることなんてないし。

 だから、僕はついつい、人を目で追ってしまう。

 ああ、そんなに固まったら、ボールの餌食だぞ。

 ドッジボールというのは、適当に散らばったほうが逃げやすくていいのだ。
 人が固まって団子になっていたら、ボールがきても逃げられないし、ボールが一人に当たると連鎖的に当たってアウトになる場合もある。
 もっとも、近くにいる人を盾にするというのなら話は別だが。

 というか、すずかちゃんがいつも流している髪をポニーテイルにして、すごい勢いで相手陣営を崩していっていた。
 小学生ということを除いたとしてもすごい威力だ。男子と比較しても引けを取らない。というか、明らかに男子が投げるボールよりも威力がありそうなんだが。ちなみに、彼女は僕の敵陣営である。

 とかなんとか思っていたら、僕が危惧したことが起きてしまった。

 つまり、団子状態になったままで人の波が引くことだ。
 これは、味方陣営のエースが投げたボールが不意に取られてしまったときに起きやすい。
 速攻の反撃を恐れてか、ハーフラインに近い人間が急に距離を取ろうとする。だが、すぐ背後には、ボールを恐れて固まっている人間がいるのだ。
 その結果、逃げようとした人間、その場にいた人間がぶつかってしまう。

 ボールを恐れていても、運動神経がよければ、体勢を立て直すことが可能な人間もいるだろう。
 事実、何度か同じようなことが起きても転ぶような人間はいなかった。

 しかし、今回は当たった人間が悪かったというべきだろうか。急に引いた人の波に対応しきれず、ぶつかってしまい、その結果、転んでしまった女の子がいた。しかも、不意にぶつかってしまったせいか、両手をつくことさえ出来ずにズザザーとヘッドスライディングのように滑っていった。
 もしも、体操服がジャージなどの長袖長ズボンで肌が隠れていれば大丈夫だったかもしれない。
 しかしながら、このご時勢にあって、我が聖祥大付属小学校はブルマという恐ろしい選択を取っていたので肌がむき出しだ。
 たぶん、何かしら怪我をしているだろう。早く立ち上がれればいいのだが怪我が酷いのか、あるいは痛いのか、その両方か、中々立ち上がらない。

 しかも、悪いことは重なるもので、体育で身体を動かしている興奮感が視野を狭くしているのか誰一人、彼女に気づいていない。
 頼みの綱の先生に至っても他のクラスメイトが壁になって先生からは死角となって気づいていない。

 と、そこまで状況把握していれば、動き出さずにはいられない。
 本来、僕の目の前のラインを超えてしまえば、敵陣営なので文句を言われても仕方なのだが、そんなものは無視してコートの中に入る。

 幸いにして転んだのは、コートラインの近くだったため、すぐに彼女には近づけた。

 彼女の様子が気になるが、早いところ外に出て行かないと。

 怖いのは、また転んだ時のようなことが起きることだ。今は、両者が投げ合ってるからいいものの。
 今度は、かがんでいる分、踏み潰されるに近い形になってしまう。そうなると大惨事に繋がるかも。

 早く起き上がってもらえばいいのだが、まだ彼女は、かがんだままだ。

 ―――仕方ないか。

 僕は「ごめん」と告げると、かがんでいる彼女の膝の下に手を通して一気に持ち上げた。
 いわゆるお姫様抱っこというやつだが、気にしている暇はない。それよりも、この場にそのままいるほうが怖いのだから。

 彼女は「え、えぇぇぇ?」とか言って驚いていたが、気にしない。背に腹は代えられないのだ。

 しかしながら、僕からしてみれば恥ずかしいという感情はなかった。それよりも優先されたのは、重いという感想。
 女性に対しては失礼だとは思っている。だが、小学一年生である。いくら男とはいえ、この頃の体格はほとんどみんな変わらない。これを重いと思わないわけがないのだ。

 もうダメだ、と思うまで三十秒も経たなかったのではないだろうか。だが、何とか意地でコートの外までは運んだ。
 僕の腕の中で呆然としている彼女を地面に降ろして、手を振る。腕が痺れたように震えていた。

 一方、彼女が抜けたドッジボールだが、彼女が抜けたことも気づかず白熱した戦いが続いていた。

 はぁ、小学生なら仕方ないか、と思いながら、僕は彼女の身体を調べる。
 どうやら、右手は砂で汚れているが無事。左肘と両膝をすりむいたのか、血が流れていた。

「血が出てるね。ちょっと、先生に言ってくるから待っててくれる? 高町さん」

 ドッジボールの途中で怪我をしてしまった女の子―――高町さんは呆然とした顔で僕を見ていたが、コクンと頷いてくれた。



 ◇  ◇  ◇



「はい、ちょっと足を出してもらえる」

 高町さんは、僕の指示に従って足を伸ばしてくれる。その膝の皿の部分がすりむけており、若干出血していた。
 そこに僕は躊躇なく保健室の外に設置してある水道から伸びているホースを使って水を出した。

「―――っ!」

 おそらく、水が当たったときにしみたのだろう。顔をしかめるが、傷を水で洗い流さないほうが怖いので止めることはなかった。

 結局、あの後、先生に高町さんの怪我を伝えたところ、一応、先生が高町さんの怪我を見に来たが、擦り傷だけなこと、本人が大丈夫だ、ということを理由に先生が保健室に連れて行くことはなかった。
 しかし、怪我は怪我だ。保健室に行くよう、にいわれ、保健委員に付き添いを頼んだのだが、あからさまに不満げな顔をしていた。それは、男女いる保健委員共にだ。確かに体育の時間の途中に抜けろと言われたら嫌かもしれない。それが自分の仕事だとしても。だからといって、そんな不満げな顔をしなくても、とも思うが。
 結局、この場合、付き添いを頼んでもしっかり手当てしないだろう、という判断から僕が付き添った。

 そして、今現在、こうして肘と膝の擦りむいた箇所を水で流している。

「痛い?」

「ううん、大丈夫だよ」

 水で流すとき、顔をしかめていたにも関わらず笑ってそういう高町さん。

 高町さん。本名は、高町なのは、だっただろうか。
 入学式の日、自己紹介の後にクッキーを貰った記憶しかない。
 彼女のクラス内での立場は、誰にも深く立ち入らず、かといって離れずだ。
 ある意味で、僕やすずかちゃんと似ている。ただ、すずかちゃんがどこのコミュニティーにも所属しない、という立場を取っているのに対して―――何の因果か、アリサちゃんと親友をやっているが―――僕のようにどこのコミュニティーにも顔を出しているというところから考えるに、どちらかというと僕よりのスタンスなのだろう。
 高町さんがどうしてそんなスタンスを取っているか分からない。だが、個人にはそれぞれ事情があるだろう。
 見たところ、孤立している感じもない。それに問題行動だって起こさない。彼女はクラスの中では優等生に分類されるだろう。だから、僕と高町さんはあまり交わらなかった。

「はい、後は中で手当てだね」

 水で傷口を流してしまえば、後は簡単だ。

 僕と高町さんは、傷口の周りを保健室においてある清潔なタオルで拭って、保健室の中に戻る。

「あ、そこに座ってて」

 血は止まっているようだが、怪我をしている高町さんに保健室に備え付けてある丸椅子に座るように指示して、僕は治療道具を探す。
 僕が知っているこの学校の養護教諭はもうすぐ定年じゃないか、というおばあちゃん先生なのだが、時々消える。
 まったく、少なくとも養護教諭は、放課後までずっと保健室にいるべきだと思う。もしかしたら、職員室にいるのかもしれないが、呼びに行くよりも僕が手当てしたほうが早いので、こうして高町さんの手当てをしているのだ。

「蔵元くんは、すごいね」

「え? なにが」

 えっと、確かここら辺に……あ、あった、ラップはここか。後は、テープと……。

「勉強も出来て、運動もできて、なんだって知ってて、誰にだって優しくて、傷の手当もできて、なんでもできるから」

「なんでもは出来ないよ。僕は僕の出来ることしか出来ない」

 あとは、大げさになるかもしれないけど、包帯も必要かな? でも、ラップが見えているだけよりいいか。

 半ば、高町さんの言い分を聞き流しながら、僕は治療道具を探す。

 僕には僕が出来ることしか出来ない。
 高町さんが僕を何でも出来るなんて思えるのは、まだ学年が低いからだろう。きっと、これから大きくなるにつれて僕にだって出来ないことは増えてくる。
 僕の存在というのは、すごく反則的な存在だ。身分的には子供なのに頭脳は大学生。そんな僕が小学生相手になんでも出来るのは当たり前なのだ。

「わたしも蔵元くんみたいになれたらいいのに」

 どこか羨望するような目で僕を見てくる。
 正直、そんな目で見られたことは人生で一度もないので少し恥ずかしくなる。
 僕は、その目から逃げるように出来るだけ高町さんの目を見ないようにかがんで、膝の手当てを始める。

 えっと、ラップを張って……。

「僕みたいなんてやめたほうがいいよ。可愛くなくなるから」

 たぶん、教師たちに一番可愛くないと思われているのは僕だろう。担任の先生も暗にそういっていた。
 手がかからない子供。確かに口にすればいいものかもしれない。しかしながら、手のかからない子供ほど可愛くないものはないのだ。
 なぜ? といわれても仕方ない。それが親の心というものだ。煩わしい、面倒だ、と思いながらも子供には愛情を持っている。それは、世話を焼き、子供を育てているという実感があるからだろう。
 それに対して、僕の場合は、どうか。僕の場合は、最初から育っているようなもんだ。教えられることなくトイレにだって行けたし、着替えも出来た、一人で寝ることも出来た。手がかからない子供だろう。おそらく、両親は、僕を育てたという実感は少ないのではないか、と思う。この年齢になって弟か妹が出来たのがいい例だ。もしかしたら、僕が穿ちすぎなのかもしれないが。

「それに、誰かになりたいなんて思うもんじゃないよ。ほら、昔の人だって言ってるよ。『みんな違って、みんないい』。多分、高町さんは僕が何でも出来るところをいいところと思ってるんだろうけど、僕みたいになると高町さんのいいところが消えちゃうよ。だから、そんなこと思わないほうがいいよ」

 手当ての最後に包帯を一巻きして、膝の治療は終わり。肘のほうも手早く終わらせた。
 治療が終わるのに必要だった時間は約五分。まったく、何度も同じようなことやってたから手馴れちゃったよ。

「さて、これで終わり。僕は道具を片付けてすぐ行くから、高町さんは先に行っててよ。僕は後で追いつくから」

 僕が話してから俯いて何も話さなかった高町さんだったが、僕の言葉は聞こえていたのか、ゆっくりと立ち上がって保健室の出口へと歩いていった。
 僕は、勝手に出してしまったラップ、包帯、テープを片付けて、保健室の利用履歴を書かなくちゃいけない。
 先生が心配するから早く帰ったほうがいいか。そう思いながら少しだけ慌てて僕は片づけを始める。

 だからだろう、高町さんが出て行く間際「それでも、わたしはいい子じゃなくちゃいけない」なんて呟きが僕に届くことはなかった。


 続く

 あとがき
 なのは、闇増殖中。



[15269] 第六話
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2010/01/11 19:36



 年を取ると月日の流れが早くなるという。
 これには、諸説があり、どれが本当か分からない。
 僕が知っている諸説の中の一つには、年を取るを覚えられる時間が少ないから短く感じられるというものだった。これが、もしも正しいとするなら、僕たち小学生は同じ月日だとしても大人と比べて相当長く感じるということになる。
 だが、実際に小学生をやらせてもらっている僕からすれば、この諸説は間違いだと断じられる。
 なぜなら、季節があっという間に過ぎてしまったからだ。

 夏には、プールにキャンプに花火大会、縁日。
 秋には、運動会に写生大会。
 冬には、クリスマスにお正月に雪合戦。

 実に息のつく間がないくらいに目白押しなイベントの数々。
 気を抜けば日常に押しつぶされてしまいそうな勢い。
 もしも、大学生の頃の僕なら確実にどこかでへばっていただろう。
 だが、そこは底なしの元気を持つ小学生というべきか。僕はすべてのイベントをこなし、さらには合間にサッカーや野球などに汗を流すという快挙までやってのけた。

 もっとも、一番大きかったイベントは、僕の弟が生まれたことだろう。秋に生まれた僕の弟は、『秋人(あきひと)』とある意味なんの変哲もない名前を名づけられ―――今、流行のDQNネームとかよりよっぽどよかろうが―――我が家の人気者になっている。
 普通の子供なら、親から愛情が弟に向かってしまったことにすねてしまうこともあるだろうが、生憎、僕は普通ではないのでそんなことはなかった。むしろ、一緒に弟を可愛がっているぐらいだ。ただし、僕に世話を焼けなかった反動か、可愛がりすぎとも思えるが。将来が少しだけ心配である。

 そして、久しぶりにほっ、と息をつけば春。桜が満開の頃、僕は下に新しい一年生を迎えて、二年生へと進級していた。
 去年を懐かしむ間もなく次々にまたイベントが舞い込むのだろうな、と思っていた矢先、早速、舞い込んできた。
 しかも、それはイベントではなく、厄介ごとに分類されることだった。



  ◇  ◇  ◇



 進学してから一月ほど経とうとしたゴールデンウィークに入るちょっと前、ようやくクラス替え―――約半分が入れ替わった―――後のクラスメイトとも慣れてきた頃に僕は、放課後、先生から呼び出された。
 ちなみに、僕のクラスの担任は一年生の頃から変わっていない。

「おっ、来てくれたか、蔵元」

「呼ばれれば来ないわけにはいかないでしょう。さて、何用ですか? 先生」

 また、雑用ですか? と暗に聞いてみる。

 この先生、僕が精神年齢が高いことを知っていながら、奇妙に思うわけでもなく、むしろ、僕が特Aランクの特待生であることを利用して、僕のことを半ば雑用係として使うことが多い。
 小テストの採点なんてざらだ。特に小学生の低学年は、三つ以上の手順を踏む作業は無理だと思っていい。例外は、僕やアリサちゃん、すずかちゃんなどのごく一部だけだ。その中でも、僕は男ということもあって使いやすいのだろう。
 そして、今日もその類だろうと思っていた。しかし、その予想は意外な方向に外れていた。

「蔵元、突然だが、私は昨日、生まれて初めて死を覚悟したぞ」

「……何を言ってるんですか? 突然」

 突然と前置きされていながら、そう聞かざるを得ない状況。
 この平和な、平和ボケしすぎたといっても過言ではないこの日本でいつ死を覚悟するような場面があるというのだろうか。

「まあ、そう言うだろうと思っていたが、とりあえず聞いてくれ」

 そういわれたら聞かざるをない。なにより、僕自身、先生が死ぬ覚悟をするような羽目になった顛末を聞きたいと思っていたから渡りに船だ。

 そして、先生は僕に傍にあった丸椅子に座るように勧めてぽつぽつと昨日の出来事を語り始めた。

「出来事は昨日の放課後になる。
 昨日の放課後は、親御さんとアポが取れててな、会うことになってたんだよ。ほら、覚えてるか? 高町なのはって子。去年はお前と同じクラスだったんだが」

「ええ、覚えてますよ」

 クラスメイトぐらいはいくらなんでも全員覚えている。しかも、まだクラス替えしてからすぐの時期だ。忘れられるはずもない。もっとも、高町さんとはあまり僕と関わることはなかったが。
 その高町さんだが、今年はクラス替えで別々のクラスになった。確か、隣のクラスだっただろうか。

「あれ? でも、隣のクラスなら先生は担任じゃないから会わなくてもいいんじゃ?」

「まあ、そうなんだが。私は一年生の担任の中でリーダーみたいなやつをやらされてるんだよ。お前のせいで」

「なんか、今、ごく自然に僕のせいで責任を押し付けられたみたいな発言があったんですけど」

「ああ、事実だからな。お前がクラスをまとめてくれるから私の仕事が少ない。よって、私がなるべきである。以上」

「僕がまとめている事実はないんですが」

 確かに二年連続で学級委員長だし、色々世話も焼いているけど、まとめているなんて自覚はない。

「はっ、それはお前が他のクラスの状況知らないからいえるんだよ。私のクラスはおそらく、お前が仕切れば、唯々諾々と従うだろうよ。もう、去年の段階で上下関係は出来てるんだ。新しく入った連中も時間の問題だろう。お前がいるだけで、そうそう不都合は起きないだろうさ」

 そういえば、一年生の後半ぐらいから、厄介ごとが起きたら、まず僕に持ってくることが多かったような気がする。裁判長じゃないけど、お互いに事情を話して僕が裁断するなんてことはしょっちゅうだったような。

「というわけで、私も参加しなくちゃいけないわけだ。今となって思えば、担任だけにすればよかった、と後悔してるよ」

 どうやら、これはまだまだ本題ではなかったようだ。とりあえず、僕はコクリと頷いて先を促した。

「で、まあ、高町の親御さんと客室で出会ったわけだが……やけに親御さん両方ともぴりぴりしててな。こりゃ、何かあったのか? と思って隣の担任に聞いてみたら、どうやら高町のやつ不登校になってるらしい」

「不登校ですか……」

 僕は、先生の口から出てきたあまり聞き覚えのない言葉を思わず繰り返してしまった。
 不登校という言葉は僕にとって、あまり馴染みのない言葉だ。幸いなことに僕の周りには、前世も含めてそういう類のことはなかったからだ。

「ああ、もっとも、定義から言うと不登校は30日以上だからまだ10日ぐらいしか休んでいない高町に使うのは適当じゃないんだが……まあ、似たようなもんだ。それで、その親御さんは、高町が不登校になった原因を探りにきたってわけさ」

「風邪とか病気じゃないんですね?」

 小学生というのは抵抗力が低い。だから、特に弱い子は一週間とか普通に休んだりする。僕も小学生の頃は、何度かそういう子のお見舞いに行ったことがある。高町さんは、お見舞いに行ったことないから、去年は一度も休まなかったはずだ。それが、今年になって病気になってたまたま長引いてる、というオチを期待したのだが、先生はあっさりと首を左右に振ることで僕の希望を否定してくれた。

「それなら、何の問題もないだろうよ。だけど、来た以上は問題があったってことさ。なんでも、高町が学校を休む理由は『学校に行きたくない』んだと。その行きたくない原因は分からないらしいが。それで、学校に来たって訳さ」

「いじめがないか? って探りに来たってところですか」

「その通り」

 確かに学校に行きたくない、なんて言葉が娘の口から出たら、親としてはまず第一にそれを疑うだろう。
 しかし、である。僕が学んだ限りでは小学校低学年におけるいじめというのはそうそうない。

 いじめにも標的になる色々なタイプがある。弱いやつ、身体的特徴が目立つやつ、理由を挙げればキリがない。というよりも稀に原因がないいじめというのがあるから厄介だ。『なんとなく』でいじめの標的にされてしまうのだから。
 だが、それらを加味したとしても高町さんはいじめのターゲットにされるようなことはないはずである。彼女は、幅広くどのコミュニティーにだって顔を出していた。逆にどこか一つのコミュニティーと深く付き合うということもなかったけど。

「で、まあ、単刀直入に『いじめとかではありませんよね』と聞かれたわけだが……あのときの父親の目は、怖かったね。私も教師暦二桁になろうかって年で、いろんな親御さんに会ってきたけど、あんな目の人は初めてだ。どっかの社長さんよりも鋭い目をしてたよ。かといって、ヤのつく職業みたいな人にも見えなかったけどな」

「はあ、それはご愁傷様です」

 しかし、父親ともなれば娘は目に入れても痛くないほどに可愛がっているはずだ。しかも、仮にもこういうことに慣れていそうな先生を本気で怖がらせるんだから、溺愛ぶりが目に浮かぶようだ。そんな子が不登校になるなんて先生も本当にご愁傷様としか言いようがない。

「それで、お前に頼みたい用件なんだが」

 ああ、もうそれは言われなくても分かった。ここまで話して、僕が予想した以外の答えだったら、先生はただ愚痴りたかっただけってことになるから。この先生の性格からして、それはない。

「隣のクラスを探って来いって言うんでしょう」

 確かに先生だけでは辛いかもしれない。時々、いじめが起き、最悪の事態になった後、担任の先生のインタビューとかで、教師は事実を知らなかった、ということがある。高校生ぐらいまでのときは、それは嘘だろうと思っていた。だが、意外とそれは事実である場合が多々であることが調べてみて分かる。
 いじめの巧妙化。隠れたいじめというのは実に見つけにくい。しかも、先生も一日中、生徒を監視しているわけではない。つまり、本当に知らなかった可能性が高いのだ。知っているのは、いじめている本人といじめられた被害者、そして、近しい人間だけ。
 そして、事情を聞けるのはおそらく近しい人間だけだろう。いじめた本人もいじめられた被害者も自分からいじめられています、なんて口に出すことはないだろうから。
 だから、僕がやることは近しい人間の口を割ることだ。

「ああ、そうだ。よくわかっているじゃないか。まあ、隣のクラスの半分は元クラスメイトだから探りやすいだろう」

「そうなんですか?」

 確かに半分ぐらいは面子が変わったけど。残りの半分は全部隣のクラスになったのだろうか。まさか、そんな偶然あるはずがない。いや、でもよくよく考えてみれば、クラスの半分も同じクラスになるのがおかしいのか。五クラスあるんだから、同じクラスになる確率は五分の一。つまり、同じクラスの人間は平均で六人ぐらいじゃないとおかしい。
 だけど、僕のクラスはアリサちゃんやすずかちゃんといった十五人ぐらいは前と人間が変わらない。しかも、残り十五人は全員隣のクラスだという。そんな偶然があるはずがない。つまり、このクラス替えは意図的なものなのか?

「おや、お前は知らなかったのか? 月村やバニングスと仲がいいから知っていると思っていたが」

 だが、僕の混乱を余所に先生は知らないことが不思議というような表情を浮かべた。

「この学校のクラスは、成績順なんだ。私のクラスが一番上。次が隣ってな具合にな」

 今、明かされる衝撃の事実。確かに残った面々を思い浮かべてみると学力が高かったような気がする。
 しかし、これって実は生徒に知らせちゃいけないんじゃないかと思う。なにせ、近年、平等、平等と叫ばれる世の中だ。僕には信じられない話だが、小学校の運動会で手を繋いで徒競走とかもあるらしい。
 そんな中でクラスを成績で編成するなんて……

「まあ、秘密といえば秘密だが、公然の秘密ってやつだ。理事とかやってる親を持っている生徒は知ってる奴も多いからな」

 さすが、私立というべきだろうか。公立の生ぬるい小学校とは格が違ったようだ。

「はあ、分かりましたよ。僕は便利屋じゃないんですからね」

「ああ、分かってるさ。頼りになる私のクラスの学級委員長様だろう」

 先生は笑いながら言ってくれたが、改めて、先生にここまで信用される小学生って一体、と思ってしまった。



  ◇  ◇  ◇



 ああ、早くしないと、塾に遅れるな、と思いながら僕は夕焼けの紅に彩られた廊下を歩く。

 実は、去年の夏休みから僕はアリサちゃんやすずかちゃんの勧めで塾に行っている。
 その塾は特殊で、将来偏差値の高い学校を狙うための人の塾らしい。小学一年生にして、文章題が出てくるぐらいのレベルだ。学校の授業やテストでぬるい―――常に満点―――と感じている僕を見て二人が勧めてくれた。
 勉強は楽しいと感じるものではないが、せっかく前世を持っているという利点があるのだ。せいぜい、この頭を錆び付かせないように、と思って僕はその塾に通っている。

 今度から中学生レベルの問題でもやらせてもらうおうか。

 そんなことを考えながら、僕が下足場の入り口へと着くと、その場には見慣れた金髪と黒髪の少女が鞄を持って何かを話していた。僕の友人であるアリサちゃんとすずかちゃんだ。
 一体、どうしたというのだろう。彼女たちもこれから塾である以上は、早く帰るべきだとは思うのだが。

「あっ! 来た来た! ショウっ、遅いわよっ!」

「あ、アリサちゃん、ショウくんは先生に呼ばれてたんだから……」

 僕から声をかけようと思った矢先に僕を見つけて激昂するアリサちゃん。そして、それをなだめるすずかちゃん。いつものやり取りだった。

 さて、アリサちゃんの言葉から考えるに僕のことを待ってるみたいだったけど。

「ほらっ! 早く行かないと遅刻しちゃうわよ」

「え? え?」

 まだ状況把握が出来ないまま、僕はアリサちゃんに手を引かれ、下足場の自分の靴がおいてある場所まで連れてこさせられた。これは、早く履き替えろ、ということだろうか。
 なにがなんなのか、まったく分からない状況で、僕は置いてけぼりにされ、アリサちゃんとすずかちゃんは靴を履き替えている。

 ここは、大人しく靴を履き替えることにしよう。

 理解は出来ないが、自分がやるべきことを把握して、僕は靴を履き替える。僕が、靴を履き替え終わる頃には、既にアリサちゃんもすずかちゃんも履き替えて、出口の近くでやっぱり僕を待っていた。

「あのさ、僕には状況がまったく分からないんだけど」

「ショウのくせに鈍いわね。今日は塾でしょう? だから、あたしの車で一緒に行きましょうってことよ」

 なるほど、それなら、僕を待っていてくれた理由も分かる。だけど、急にどうしたんだろう?

「ふふっ、アリサちゃん、ショウ君が自転車で来てることに今まで気づいていなかったんだって」

「ああ、もしかして心配してくれたの?」

「そうよっ! あたしが勧めたのに帰りに事故にあったんじゃ、申し訳ないじゃない」

 なるほど、確かに塾が終わって帰る時間帯というのは既に日が暮れている。昼間よりも事故にあいやすいのは事実である。
 もっとも、最初は車の予定だったのだが、母さんが妊娠していたのだから仕方ない。親父が帰って来る時間には少し早いし。結果として、僕は自分の手で行くしかなく、となれば、小学生の移動手段なんて歩きか自転車ぐらいしかない。

「だったら、早くあたしたちに言えば、送ってあげたのに」

 そうは言っても、僕も言えば送ってくれるとは思っていなかったのだから仕方ないだろう。
 というよりも、彼女たちが僕のことをここまで親しく思ってくれていることに意外感を感じている。
 確かに、僕たちが友達になったときから話す回数は増えたし、塾では三人で固まって授業を受けているようなもので、他のクラスメイトよりも親密感はあったかもしれないが。

「ほら、早く行くわよっ!」

 だが、ここでぐだぐだ悩んでも仕方ない。せっかく乗せて行ってくれると言っているのだ。しかも、すでに僕が乗ることは決定事項になっているみたいだし。それに断る理由もない。
 贅沢を言うなら、冬休みに入る前には気づいて欲しかったということぐらいだ。冬の自転車は寒くかったな。

 そんなことを考えながら、僕はアリサちゃんとすずかちゃんと共に車に乗り込むのだった。



  ◇  ◇  ◇



 さて、先生に高町さんについて調べてくれ、といわれた次の日の夕方。なぜか僕は『高町家』という表札のついた門の前に一人で立っていた。理由は言わなくても分かるだろう。先生の差し金だ。
 休み時間を精一杯使って隣のクラスを調べた僕だったが、その結果を先生に報告に行くと、その結果を高町家に持っていて欲しいと頼まれたわけだ。表面上は、高町さんを心配してお見舞いに行った同級生として。結果は分かっているのだから先生が直接行けばいい、といったのだが―――

「保護者が教師の調査結果を信じるわけないだろう」

 ―――という言葉と共に一蹴された。

 確かに公式的にアンケートをとったわけでもないので、普通に先生が行っても理解されないことは間違いない。だから、僕に行けというのは何か違うような気がするのだが。

「お前以外に頼む奴がいないんだよ。頼む」

 先生からそうやって拝み倒されては行かないという選択肢はなくなる。僕は仕方なく内申点のアップと引き換えにこうやって高町さんの家へとやってきたわけだ。

 いつぞやの屋敷と違って僕の家と同じような一軒屋だ。僕は、躊躇することなく真っ白いインターフォンのボタンを押した。

 ピンポーンというありふれたチャイム音がなって少し経った後、『はい、どちら様でしょうか?』と聞いてくる女性の声。高町さんの声じゃなさそうだから、おそらくお母さんだろうか。そう思いながら僕は質問に答えた。

「僕、高町さんの同級生の蔵元翔太です。高町さんが休んでると聞いてお見舞いに来ました」

『あら、なのはのお友達?』

 同級生が来たというだけで浮かれすぎではないだろうか、と思わせるほど明るい声で答えてくれる高町さんのお母さん。その声がプツッというインターフォントの通信が切れたと思わせる音がした後、家の中から廊下をスリッパで駆けるような音がして、家のドアが開いた。

「いらっしゃい、えっと、蔵元くんだったかしら?」

 そう言いながら外に出てきたのは、若い女性。おそらく、インターフォンに出たのはこの女性だと思われる。
 もしかして、僕はとんでもない間違いをしてしまったのではないだろうか。どうみても、彼女は高町さんの母親というには若すぎるような気がする。僕が見た限りでは、二十代中盤ぐらいだろうか。
 高町さんのお母さんと口に出さなくてよかった、としみじみ思う。

「わざわざ、ありがとうね。なのはに会っていく? 中に入ってちょうだい」

 なぜか、家の中に招かれた。高町さんの状況からして、友達が来ればもしかして、という希望を持ったのかもしれない。

 はて、なんにしてもこれは好都合だ。ここで玄関先で用件だけを聞かれたとしたら、こんなところでシリアスな話を延々としなければならないのだから。高町さんのお姉さんは何か勘違いしているかもしれないが、ここはこの勘違いに乗っておこう。

「それじゃ、お邪魔します」

 高町さんのお姉さんに導かれるまま、僕は高町家の敷居を跨ぐのだった。


 続く


あとがき
 一年生、二年生編はダイジェストでお送りします。合間のイベントは無印が終わってからになりそう。

 なのはさん、引きこもり中。



[15269] 第七話 前
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2010/01/14 21:23



 高町さんの家は普通の一軒家だった。僕の家と比べてもさほど差はないだろう。
 廊下を歩いて、リビングに案内される。そこにはテーブルがあり、夕食の準備でもしていたのだろう奥の台所からは、おいしそうな匂いが漂ってきていた。

「ここで座って待っててね。なのはに聞いてくるから」

 呼んでくるんじゃないんだ。そんなことを思いながら、僕は案内されるままにテーブルの椅子に座った。
 椅子に座った僕は、ふぅ、ととりあえず息を吐く。先生から高町さんの家の住所と地図を貰ってなんとかここまで来たのはよかったが、バスと徒歩を使った移動はこの身体に結構な疲労を与えたようだ。

 そのまま、待つこと一分程度。僕が入ってきた入り口から少し困った顔をした高町さんのお姉さんが出てきた。

「蔵元くん、だったかしら? ごめんなさい。なのはが会いたくないって」

「そうですか」

 高町さんが会いたくない、といったことに関して、僕は何の感慨も持たなかった。
 仮にこれで僕が高町さんの親友なら、何があったんだろうと心配しただろう。しかし、僕は、高町さんの友人といえるほど関わりを持っているわけではない。去年クラスメイトだった女の子という認識だ。ここにいるのは先生に頼まれたからに過ぎない。
 それに、高町さんのお見舞いという話を使わせてもらったが、これは建前でしかない。本当の目的は高町さんの両親だ。

「あ、でも、せっかく来てくれたんだからケーキでも食べていく?」

 今なら紅茶もつけちゃうわよ、となぜか、紅茶とケーキを勧めてくるお姉さん。僕が表情を崩さなかったのを一体どういう風に思ったのだろうか。

「いえ、結構です。それよりも、高町さんのお父さんとお母さんはいらっしゃいますか?」

 僕の言葉に高町さんのお姉さんは、怪訝な顔をした。

 それもそうだろう。なにせ、妹と同じ学年の男の子が訪ねてきたかと思えば、親がいるか、と聞くのだから。
 もしも、これが先生なら何の問題もなかっただろうが、如何せん、僕はその先生に頼まれてここにいる。

 こんな風になることが予想できたから僕は嫌だったんだ。

 だが、高町さんのお姉さんの口から飛び出した一言から考えれば、彼女が怪訝な顔をしたのは、僕の発言によるものではなかったことが容易に想像できた。

「私がなのはの母親よ」

「え?」

 思わず呆然とした声を出してしまった僕におそらく罪はないはずだ。
 どうやったら、こんな若い母親が出てくるのだろうか。
 いや、だけどよくよく考えてみれば、僕たちは八歳だ。晩婚といわれる今の世の中だが、世の中には早くに結婚した夫婦もいたって不思議でもないわけで、となると二十代半ばの母親がいても不思議な話ではない。うん、そうだ。僕はそう結論付けた。

「どうかした?」

「いえ、ずいぶん、お若いお母さんだな、と」

「小学生なのにお世辞? 上手ねぇ」

 ころころと笑う高町さんのお姉さん、改め高町さんのお母さん。
 今の段階で大学生だ、といわれても僕は信じてしまうだろう。

 しかし、なんだろう? この違和感。若いとは思っているが、なぜか頭の隅で何かが違う、と訴えかけている。何かはまったく分からないが、何かが違う、と。それはまるでアリサちゃんや忍さんのときのような―――

「改めまして。私が高町なのはの母親の高町桃子よ」

 その名前を聞いたとき、今までと同じようにある一場面がフラッシュバックした。

 ―――夕焼けに照らされるお墓と振り返り微笑む高町さんのお母さん。

 ああ、なんで分からなかったんだろう。アリサちゃんのときに思い出したのに。この世界に疑問を持ったときに調べたのに。目の前にいるのは―――。

「翠屋のパティシエさん?」

「あら、嬉しい。うちのこと知ってくれてるのね」

「ええ、まあ」

 まさか、僕が前世でやったゲームとこの世界の類似を調べるために調査した結果です、とはいえず、曖昧に誤魔化すしかなかった。

 しかし、となると、もしかして―――

「あの……高町さんにお兄さんとお姉さんはいますか?」

「なのはから聞いたの? ええ、いるわよ。恭也と美由希って名前の兄と姉がね」

 やっぱりか。

 高町恭也は、『とらいあんぐるハート3』の主人公で、高町美由希というのはヒロインの一人だったはずだ。確か、剣術家の家系で―――流派の名前とかは忘れたけど―――、確か父親は既に仕事の最中で亡くなっていたはずだ。だから、主人公は無茶をして怪我をしていたはずだし。

 もっとも、今、それが分かったところで、僕には今更何の関係もないのだが。
 これは、ただの確認だ。だからどうした、と一笑していい類の。

「それじゃ、高町さんのお母さん。高町さんについてお話があります」

 僕は至って真面目に高町さんのお母さんに告げる。僕の表情から何を感じたかは僕には分からない。ただ、高町さんのお母さんは、ただの子供と思って侮ったような表情はしなかった。むしろ、先ほどまでの緩んだ柔らかい雰囲気から一気に真面目な雰囲気へと引き締められた。
 これが、母親というものなのだろうか。子供のことともなれば、何でも真剣になる。あるいは、高町さんのお母さんが出来た人間なのかもしれない。普通の大人なら、笑って誤魔化していただろうから。

「そう、なのはについての。だったら、士郎さんもいたほうがいいわね」

 ちょっと待っててね、と言い残して高町さんのお母さんは奥に消えていく。
 リビングで一人待たされることとなった僕は、奥に消えていった高町さんのお母さんを見送りながら思う。

 士郎さんって誰だ?

 自問自答するまでもなかった。話の流れから考えれば、高町さんの父親以外にはありえない。名前もどこか聞いたことがあるような気がする。

 ということは、現実では生きているのか。
 すずかちゃんといい、高町さんの父親が生きていることといい、どこか『とらいあんぐるハート3』と類似性はあるものの、まったく同じというわけではないらしい。ゲームの世界とまったく同じというのも、現実に生きているような気がしないので怖いのだけれども。

 そんなことを考えていると、高町さんのお母さんが消えていった奥から入ってくる人影が見えた。
 僕は、座っていた椅子から降りると、テーブルの横に立ち、彼がリビングに入ってくるのを待つ。

 やがて、奥から出てきたのは一人の男性。がっしりとした体格と若い顔立ちだけを見れば、高町さんのお兄さんといわれても納得できそうだ。
 ただ、雰囲気がやっぱりどことなく違う。そこらへんの大学生とはまったく。人生の重み、経験の重みとでもいうのだろうか。それが柔和な雰囲気の中にどっしりと現れていた。

 何はともあれ、自己紹介だ。

「初めまして。高町さんの同級生の蔵元翔太です」

 ペコリと頭を下げる。

「あ、ああ。俺は高町士郎。なのはの父親だ」

 僕の突然の行動に面食らったようだったが、きちんと挨拶を返してくれた。僕の行動に驚くのも無理はない。こんな行動を取る小学生がいたら誰でも驚く。だが、これから話すことは小学生の戯言と取られては困るのだ。

「はい、自己紹介はそこまでにして座ったらどう?」

 そういいながら、高町さんのお母さんは、暖かそうな紅茶が入ったカップをテーブルの上におく。
 僕と高町さんのお父さんは、僕と一瞬目を合わせると、椅子を引いて座り、高町さんのお母さんもその隣に座る。そして、僕は、なんだか緊張したけれども彼らの対面に座った。

 まるで、怒られる子供と大人の構図だな、と全然関係ないことを考えながら、まずは何を話そうと運ばれた紅茶を口にした。
 僕が紅茶を飲む一方で、目の前に座る高町さんのご両親は至極真面目な顔をしていた。やはり、娘に関することだ、と最初に言ったからだろうか。高町さんのお父さんは、高町さんのお母さんから話を聞いたのかな。

 どちらにしても、彼らをこれ以上待たせるのは忍びないと思い、僕は口を開く。

「僕も世間話をしにきたわけではないので単刀直入に聞きます。高町さんの不登校の原因に心当たりはありますか?」

 あまりに単刀直入すぎただろうか。正面に座る二人は、驚いたという表情を子供の僕に隠すことはなかった。いや、あまりに急すぎて隠せなかったというのが正しいのかもしれない。

「……それをどこで?」

「情報源は、先生です。僕が先生から直接聞かされました。お二方が来られて、いじめの心配をされていたので、それを調べるために」

 高町さんのお父さんとお母さんは僕の言葉を聞いてどこか複雑な顔をした。

 娘が不登校というのは、世間体を考えると知られたくない事実ではある。
 それを子供の僕が知っているとなれば、情報源とは大人としか考えられない。彼らが心配したのは、高町さんが不登校ということが周りに知られているのではないか、ということだ。だが、それも杞憂だとわかって安堵したが、一方で、先生がこんな子供に調査を頼んだ、ということでそんな複雑な表情になっているのだろう。

 だが、そんな心情が分かったところで、僕が話すことは何も変わらない。

「はっきりといいます。高町さんはいじめになんてあっていません。これは高町さんが在籍するクラスの全員に聞いたことですので、ほぼ間違いないかと」

 もちろん、正直に高町さんをいじめたか? などと聞くはずがない。そこは、子供なりのコミュニケーションで遠回りに聞いたのだ。まだ小学二年生ということを考えれば、遠回りに聞けば、何の躊躇もなく答えてくれるし、半分は元クラスメイトで結構親しく話せる仲だったことが幸いした。
 そして、話を聞いた僕が出した結論は、先ほど話した通りだ。高町さんは、いじめにあっていない。

 もっとも、それ以外の事実が発覚したのは意外だったが。

「そうか」

 僕の報告を鵜呑みにしたわけではないだろうが、クラス全員というのが利いたのか、あるいは先ほどからの僕の態度が利いたのかわからないが、とりあえずは二人とも安堵してくれたようだった。
 だが、安堵しているところ悪いが、僕は偶然、気づいた事実を彼らに伝えなければならなかった。

「ただ、気になることがあります」

「気になること?」

「ええ。確かにいじめられていない。これは、事実です。ですが、話を聞いているうちに感じたことなんですが、彼女、あまり―――いえ、まったく親しい友達がいないんですよ」

 僕は高町さんを僕と同じタイプだと思っていた。誰とでも仲良くし、等距離を取るタイプの人間だと。
 そう、確かにその通りだった。だが、あまりにその距離が遠すぎるように感じられた。

 僕も確かに高町さんと同じタイプだ。だが、その中でも特別に親しい人間というのはいる。
 元保育園の仲間、サッカー仲間、カードゲーム仲間、勉強仲間。彼らの家に行ったこともあるし、逆に僕の家に来たこともある連中だ。
 だが、一方で高町さんにはそんな人間は一人もいなかった。

 確かに高町さんは誰もが知っていた。誰もが話したことがあった。誰の記憶にも残っていた。
 だが、ただそれだけ。『いる』という事実は彼らの記憶に残ってはいるが、ただそれだけだ。何か記憶に残る会話も行動もなかった。
 まるで、無色透明な人間。つまり、それは『いてもいなくても一緒』という話だ。

 怪訝に思った僕はもっと詳しく聞いてみるとよくわかった。
 高町さんは肯定しかしない。あるいは、常に流される。彼女は彼女の意思を見せない。ただ存在するだけの存在だった。

 確かに自分の意見を言えない人間というのは存在する。だが、それは内気な性格からである。僕が知っている限りでは高町さんは、そんな性格ではなかった。そうでなければ、最初の二週間程度で僕が気がついているはずである。一応、クラス全部に気を配っていたのだから。

 どうしてそうなったのか僕には分からない。
 なにか打算があったのか、もともとの性格だったのか、自分の意見を考えるのが苦手なのか。
 いずれにしても不登校という現状は不可解なものである。なぜなら、それらはすべて高町さん自身が承知の上での行動であり、不登校という結果には決してならない選択だからである。

 どうしてだろう? と僕がこれ以上考えても何も分からないので、僕は高町さんの現状をすべて高町さんのお父さんとお母さんに伝えた。

「―――というわけです」

 僕の話を二人は神妙な面持ちで聞いていた。僕と違って八年間ずっと高町さんを見てきた二人である。何か思うところがあったのかもしれない。

「僕から言えることは以上です」

 少しだけ冷めた紅茶を僕は口に含む。ずっと話していたからだろう。少しだけ冷めた紅茶は乾いた僕の喉を潤してくれた。
 一方で二人はずっと何かを考えるように黙っている。雰囲気は非常に重い。それも納得できる。なぜなら、彼らは今まで高町さんの現状に一切気づいていなかったのだろうから。子供のことに気づかなかった親というのは存外ショックなものだろう。

 しかし、そうなると、高町さんは、友達がいるように家族の中では振舞っていたということだろうか? なぜ? 家族に心配させないために?
 やっぱり分からない。そもそも、彼女に関することは些細なことしか知らない僕が結論を導き出せるわけがないのだ。
 いくら心理学を学んでいたとしても『高町なのは』という少女を知らない僕が彼女の心理を理解するのはこれが限界だった。

 やがて、黙り込んでいた高町さんのお父さんが曇らせていた表情を取り繕ったように笑みを見せてくれた。

「蔵元くん、だったかな。大事なことを教えてくれてありがとう」

「いえ、僕にはこれぐらいのことぐらしか出来ませんから」

 僕にはこれ以上のことは出来ない。

 彼女と友達でも、親友でも、恋人でも、家族でもない赤の他人である僕には彼女と話をするなんて無理な話だし、個人的な興味で心理学に手を出した程度では引きこもりの女の子にカウンセリングなんか到底無理な話だ。

 結局、僕に出来ることなんて、学校で調べたことをこうしてご両親に伝えることぐらいだった。
 後は、彼ら家族の話だ。残念なことに赤の他人である僕にはこれ以上関われることがない。

 伝えることも伝えたので、僕は鞄を手に取り、帰る準備をした。

「それじゃ、お邪魔しました」

「今日は、本当にありがとうね」

 僕が鞄を手にとってリビングから玄関へと移動する時の挨拶、それに応えるように今度は高町さんのお母さんがお礼を言ってくれる。

「あの―――」

 何度もお礼を言ってくれるのが忍びなくて、何か言葉を残そうとした。だが、何を言っていいのか分からない。まさか、こんなところで「ケ・セラ・セラですよ」なんて言えるはずもない。
 僕には引きこもった経験もないし、親になった経験もない。だから、引きこもった子供がいる親にどういう言葉を残していけばいいのか分からない。だから、ありふれた言葉で応援するしかなかった。

「頑張ってください」

 こんな言葉しか出てこない自分が口惜しい。だが、そんな言葉でも嬉しく思ってくれたのだろうか、高町さんのお父さんと母さんは手を振って僕を見送ってくれた。

 高町さんの家の玄関を出て、門戸を出たところで改めて高町さんの家を振り返る。

 ほんの少しの邂逅だったが、それでも高町さんのお父さんとお母さんが人間が出来た人というのは分かった。先生が言っていた死を覚悟したというのは分からなかったが。
 だから、今の僕には祈ることしかできないけれども、彼ら家族が上手くいけばいいな、と思った。



 続く

あとがき
 心理学は統計に基づいて心の動きを推論する学問ですので、ちょっと勉強した程度ではカウンセリングなんて不可能です。

 主人公、結局、何もせずに退出。



[15269] 第七話 後
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2010/01/18 00:06
 高町なのはにとって蔵元翔太とは理想の体現であった。

 幼い頃、彼女の父親が怪我をした。一時は危篤寸前にまでなりかけるほどの大怪我だ。

 だが、彼女の父親はその鍛え抜かれた肉体と精神のおかげか、生き残ることができた。だが、ただそれだけだ。生きているだけ。身体中は怪我だらけで動くこともままならない。
 その結果、家族は看病に忙殺されることになる。しかし、看病ばかりもしていられない。生きるためにはお金が必要で、お金を稼ぐためには働かなければならない。よって、なのはの母親は、パティシエとして翠屋で働き、姉と兄は看病と店の手伝いと家事に忙殺された。
 彼らに余裕がなかったというのは事実だろう。さらに末妹のなのはの相手をしろというのは酷な話だ。

 だが、幼いなのはにその理論が通じるはずもない。幼稚園にも行っていなかったなのはは、寂しくなると母や兄、姉のところへ行ったが、「忙しいから、いい子に一人で遊んでいてね」と相手にされなかった。結局、なのはは必然的に一人で遊ぶことが多くなった。

 そして、一人で遊びながら考える。どうやったら、相手をしてもらえるだろうか、と。

 彼女が出した結論は家族に言われたとおり『いい子であれば、相手をしてくれる』というものだった。

 一人で遊ばなければならない理由が、なのはにない以上、見当違いの結論なのだが、そう思ってしまった幼い彼女を誰が責められるだろうか。

 結局、彼女の父親の治療が完全に回復し、リハビリも終え、復帰するまでの約二年間、なのはは寂しくすごくことが多くなり、彼女が出した『いい子でいなければならない』という結論は心の根底に残ってしまうのだった。

 彼女が定義する『いい子』だが、主に定義は二つであった。すなわち、「誰にも迷惑をかけないこと」と「誰にも嫌われないこと」。
 そのことが根底に残ったまま彼女は幼年期を過ごし、小学校へ入学する。

 彼女が思い描いていた小学校生活とはいかようなものだっただろうか。
 おそらく、どんな想像を描いていたとしても、とても楽しい学校生活を思い描いていたことには間違いはない。

 だが、現実は非情だった。いや、彼女の根底にあるものがそうさせた、というべきだろうか。

 話してくれる子はいた。だが、ただそれだけだ。友達にはなれなかった。
 なぜなら、なのはには今まで友達を作った経験がなかったからだ。それになのが定義した『いい子』が余計に友達を作ることを邪魔する。

 なのはが何か言う前にふと脳裏によぎってしまうのだ。

 ――――自分の意見を言ってしまったら嫌われてしまわないだろうか。

 結局、このことがよぎってしまうため、なのは自分の意見が言えず、流される。誰かの意見に追従すれば、嫌われることはないから。だが、流されるが故に誰の気にも留められず、友達は出来ない。最悪な悪循環だった。

 だが、それでもなのはは、根底の『いい子であれば』を信じていた。いい子であればいつか必ず友達が出来る、と信じていた。彼女自身には自覚はなかったかもしれないが。

 そんな中で、なのはのクラスメイトである蔵元翔太は、まさしく理想の体現であった。

 誰からも嫌われておらず、誰からも好かれ、誰にでも優しくて、誰とでも友達で、頭もよくて、先生からも頼りにされている。

 それは、彼が転生者という二十歳の頭脳と精神を持っていることが大きな要因なのだが、そんなことを知らないなのはにとって、蔵元翔太は彼女が目指すべき姿だった。

 彼をそういう風に見る切欠は、なのはのクラスメイトが喧嘩しているのを止める場面を見てからだ。

 あの時、なのはも動いていた。ただし、翔太とは異なり、土足を嫌って校舎の中を通って中庭を大きく迂回する形でだが。

 そのため、中庭を突っ切った翔太よりも遅れてしまい、結局、なのは喧嘩をとめることはなかった。
 だが、その喧嘩の止め方の一部始終を見ながら思う。自分には無理だと。

 なのはは、止めるにしても、おそらくアリサを叩くことでしか止められなかっただろう。だが、翔太は言葉で止めた。それはなのはにとっては大きな差だった。なぜなら、なのはは、暴力が悪いことだと知っていたから。

 なのはと翔太の絶対的な差を感じてしまった。

 それが切欠となって、なのはは翔太をよく見るようになり、理想の体現者とみなすようになった。

 彼女は、翔太を真似ようとした。しかし、なのはがいかに大人びていようとも、二十歳の精神には追いつかない、追いつけない。

 どうして、あんな風に意見がいえるのだろう。なのはは、嫌われることが怖くて何もいえないのに。
 どうして、あんなに頭がいいのだろうか。なのはは、間違えてはいけないというプレッシャーで、頭が真っ白になってしまうのに。
 どうして、ああも他人に優しくできるのであろうか。なのはは自分のことで手が一杯だというのに。

 結局、なのはは蔵元翔太という影を追うあまり深みにはまってしまった。

 誰にも意見が言えず、ただ流されるまま、存在するだけの存在になってしまい、テストの点数は、前よりも悪い点数は取れないというプレッシャーから、頭が混乱し、さらに点数を下げるという悪循環に陥るという結果に。

 なのはが思い描くいい子とはかけ離れた姿だった。

 しかし、それでも、家族の前ではいい子でいなければならないという強迫観念にも近い根本のせいで、その悩みを口にすることもなく、表面上は平然と学校に通っていた。

 だが、そんな不安と不満を吐き出す場所もなく彼女の心の内に溜まっていく汚濁は、確実に彼女の心のひびを広げていく。
 そして、心の限界が来たのは二年生に進級してすぐのことだった。

 クラスが変わったことは、親しい友人がいないなのはにとってどうでもいいことだった。
 だが、そのクラスで偶然耳にした事実が彼女のひびが入った心にとどめを刺す。

 成績順のクラス替えのことである。

 なのはは、その女の子はクラスが変わったことで母親に怒られたという話を偶然聞き取ったものだ。
 だが、その事実がなのはの心に限界を与えた。

 クラスが下がったということは、成績がそこまで下がってしまったということだ。前は上のクラスだったのに。彼女が理想とする蔵元翔太とは別のクラスになってしまうほどに。

 彼女の理想が手の届かない位置に遠のいてしまったような気がした。

 そして、心の限界がきた次の日、なのは学校を休んでしまう。特に理由なんてないのに、だ。
 心の限界から来た自らの行動。だが、それをもなのはを苦しめる。

 身勝手な理由で学校を休んでしまった自分は、もはやいい子にはなれない。お父さんもお母さんもお兄ちゃんもお姉ちゃんも相手にしてくれない。友達も出来ない。誰にも相手にされない。そう思い込んでしまった。

 もはや家族のいい子を演じる気力も学校に行く気力もなかった。

 一日中、ベットの中で過ごす日々。今日でその生活が何日目かなんて覚えていない。今日が何曜日で、何日で何月かなんて時間の感覚もない。

 何気なく一年生のときに進学祝いと万が一のときのために買って持った携帯を開く。
 そこにはアナログの時計があり、現在時刻と今日の日付が示されていた。

 それらを無視して、なのはは携帯のキーの一つを押してアドレス帳を呼び出す。

 そこに記された名前は実に数少ないものだった。

『お父さん』『お母さん』『お兄ちゃん』『お姉ちゃん』『お家』『翠屋』

 以上六つがなのはの携帯に登録された電話番号だった。
 入学する前は、この携帯のアドレスが増えることを想像しながら眠りについたものだ。だが、もうそれも幻想でしかない。
 なのはは電源ボタンを押したままにすると携帯を電源から切った。鳴らない電話に意味はないからだ。

 何気なく携帯を切ったなのはだったが、何をするわけでもなくごろんとベットの上を転がる。目の焦点はあってなく、虚空を見つめているのと変わらない。

 ―――私、なにしてるんだろう。

 自問自答しても答えは出ない。

 そんななのはの耳にドアを三回ノックする音が聞こえた。なのはの部屋は鍵がついており、ずっと鍵をかけたままだ。

「なのは、蔵元くんがお見舞いに来てくれてるけど……」

 蔵元、蔵元翔太っ!

 ローギアだったなのはの脳が一気に加速した。

 絶対、聞きたくない名前だった。なのはの理想の体現者。絶対に追いつけない人。

 もしも、彼のようになれたら、親は、兄は、姉はもっと構ってくれただろうか、たくさん友達ができただろうか、楽しく学校生活を過ごせただろうか。

 何度、思い描いたか分からない。蔵元翔太のようになる自分。だが、それはもはや届かないものだと思い知った。思い知らされた。
 だからこそ、もはや顔も見たくない。彼に憧れてしまうから。もう追いつけないと分かっているのにそんな思いを抱いてしまう自分が惨めだと思うから。

「嫌っ! 絶対に会いたくないっ!」

 もしかしたら、お母さんはびっくりしたかもしれない。こんな声は出したことがなかったから。
 だが、そこまでして拒否する人間なのだ。今の高町なのはにとって蔵元翔太とは。

 やがて、扉の向こう側の気配がなくなった。たぶん、立ち去ったのだろう。この十日間で気配探知だけは上手くなったなのはだった。

 母親の気配がなくなったことを確認してから、またなのはの頭はまたローギアへと移る。そのまま、母親が来る前と同じくどこか虚空を見つめる。なのはの中ですべてが空っぽだった。

 一体どれだけの時間が経過しただろうか。なのはの中で時間の感覚は曖昧だった。

 またコンコンコンと部屋のドアがノックされる。だが、なのははそれを無視した。以前ならば、すぐに応えただろうが、今の彼女はとことん無気力だった。

「なのは」

 父親の呼びかける声の後、ガチャガチャ、とドアを開けようとする音がする。鍵はかけたままだ。当然開かない。
 気配が濃くなり、何をするつもりだろうか、となのはが思ったその刹那、ドンッ! という激しい音を立てて鍵がかかったままであるはずのドアが開いた。
 これには無気力だったなのはもさすがに身体を起こす。ドアの向こう側の廊下に立っていたのは、彼女の父親である高町士郎だった。

 士郎が一歩、なのはの部屋に踏み入れると同時になのはの身体は恐怖で震えた。

 それは、士郎が怒った表情をしているからではない。確かに、彼の表情は真剣な表情であるが、怒気は醸し出していない。
 なのはが恐れているのは、彼の口から発せられる彼女を拒絶する言葉だ。

 『いい子』であれば、相手をしてもらえる。構ってもらえるという思いが根底にあるなのはにとって、最も忌避すべきことは、両親からの拒絶の言葉だ。引きこもったのは、もしかしたら引きこもることで彼らからその言葉を聞かなくてすむと無意識のうちに考えたからかもしれない。

 士郎が一歩ずつなのはに近づいてくる。なのはは士郎が一歩ずつ近づいてくるに従ってずりずりと士郎から距離をとるようにベットの上を移動するが、ベットの上は狭い。すぐに限界が来てしまった。

 あ、あ、あ、と声にならない声をだし、恐怖からカチカチと歯を鳴らすなのは。だが、士郎はそれに気づいているのか、気づいていないのか、ゆっくりと歩みを止めずに歩み寄り―――

 がばっ、となのはを強く抱きしめた。

「ほえ?」

 なのはが自分でも驚くような声を出してしまった。気の抜けたような声。
 士郎の意外な行動の前にはそのような声しかでなかった。てっきり拒絶の言葉がでると思っていたから。だが、抱きしめられた。
 父親の体温がなのはの身体中から感じられた。頭に回されたごっつい手を感じた。それは、なのはが長らく感じたかった父親の温もりだった。

 そして、父親が耳元で囁く。

「ごめんな、なのは。お父さんたち、気づいてやれなくて」

 その言葉を聞いたとき、なのはの心が決壊した。
 今までいい子でいなければならないと守ってきた寂しさが一気にあふれ出した。

「ふぇ、ふぇぇぇぇぇぇぇんっ!!」

 なのはは、泣いた。まるで小さい子供のように。だが、士郎はそれを笑うわけでもなく、ただ抱きしめて髪の毛を撫で続けた。まるで今までの分を取り戻すように。



  ◇  ◇  ◇



 一体どれだけの時間泣いただろうか。やがて気が済むまで泣いたなのはは、11日ぶりにリビングへと顔を出し、心配していた兄と姉にごめんなさい、と言うと彼らに笑顔を見せていた。兄と姉から抱きしめてもらった。なのはが欲しかった温もりが確かにそこにあった。

 そして、今、なのはは泣いた目を真っ赤にしながら、それでも笑顔でホットミルクを飲んでいた。テーブルに座るのは高町家の面々。彼らの表情は前日までとは違って笑顔だった。

 それから、彼らと話をした。学校での友達の作り方が主だった内容だったが、なのはにしてみれば、今はどうでもいいことだった。なのはが一番望んでいたのは、家族との触れ合い。それが、先ほど抱きしめてもらえたことで叶ったのだから。

 しかし、なのはには分からない。少なくとも引きこもっていたなのはは、『悪い子』だったはずだ。だが、彼らは抱きしめてくれた。いや、『気づいてやれなくて』という言葉から考えれば、今まで『いい子』だったことに気づいてくれたのかもしれない。

 どちらにしても、今までのなのはが欲しかったものは手に入れられたのだ。それが嬉しかった。それだけでよかった。なのはは間違いなく今まで生まれてきた中で一番幸せだった。

 ―――――次の士郎の言葉を聞くまでは。

「蔵元くんが教えてくれなかったら、と思うとぞっとするな」

「くらもとくん?」

 なのはのそのときの声は酷く平坦だったはずだ。

 どうして、その名前が出る? 彼らは、なのはがいい子であることに気づいてくれたのではないだろうか。

「ああ、今日、来てくれて大事なことを俺たちに教えてくれたよ」

 それは友達がいないことで悩んでいると結論付けた士郎と桃子が取った配慮だったのかもしれない。子供とはいえ、いきなり友達がいない、ということを聞くのは憚られたため、取った配慮。
 彼らが言う『大事なこと』とははのはの悩みの根幹を意味するのだが、それはなのはにとって異なる意味に聞こえた。

 つまり、先ほどまでのことがすべて蔵元翔太から教えてもらった大事なことなのではないだろうか、という疑念だ。

 抱きしめられたことも、触れ合えたことも、こうして笑っていることもすべて。

 なのはの望んだ理想は、彼らとの心からの触れ合いだ。先ほどその願いは叶ったように感じられた。だがしかし、それが蔵元翔太によるものだとしたら。
 先ほど触れ合った彼らの温もりが虚像のような気がした。

 なまじ、なのはの中の蔵元翔太への評価が高すぎたことが災いした。
 もしも、ここで出てきたのが別の名前だったなら、担任の先生の名前だったなら、あるいは、なのはの精神が子供のままだったなら、過程を無視して結果だけ甘受できるような人間であったなら、なのはの感情もまた異なるものだっただろう。

 なのはにとって彼は理想の体現者であり、何でもできる人間なのだ。ならば、なのはの悩みを見抜いて、両親が先ほどのような行動に仕向けることも可能かもしれない。
 もちろん、それは過大評価で、神でもない彼にそんなことは不可能なのだが、なのはの中でそれは真実になっていた。

 ―――ああ、そうだよね。なのはみたいな『悪い子』にこんな『良いこと』起きないよね。

 隣で士郎が、翔太のことを「できた子供」と称賛している。

 ―――そうだよね。蔵元くんは、なのはと違っていい子だもんね。

 先ほどの触れ合いが『なのは』がいい子だったからではなく、翔太の扇動によるもと思い込んだなのはの絶望は深い。一度喜んだだけに尚のこと。

 ―――もう、いいや。

 そもそもが間違いだったのだ。自分のような『悪い子』が『いい子』になろうとしたことが。

 一度、立ち上がっただけに、もう一度打ちのめされて、さらに頑張ろうという気力は小学2年生の小さな身体にはなかった。

 だから、高町なのはは、家族と触れ合うことも、友達を作ることも―――

「ん? なのは、どうかしたか?」

「なんでもないよ」

 高町なのはは己が望んだことすべてを諦めた。


 続く

あとがき
 注意:本作品のなのはのレベルまでいくと対人恐怖症のレベルです。妄想型? だったような気がする。特に自分の言葉が相手に嫌悪感を与えるって辺りですね。

 リリカルってなんですか? ってタイトルの本作品が主人公ではなく、なのはを指す様になってしまったような気がする。



[15269] 第八話
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2010/01/20 22:38



 身に覚えのないことで褒められることほど、気味の悪いものはない。
 怒られるならまだ分かる。人間、誰しも都合の悪いことは忘れてしまうからだ。
 だが、他人から褒められることほどの良い事であるならば、自尊心を高めるためにも細かいことまで覚えているはずだ。
 だからこそ、身に覚えのないことで褒められるのは気味が悪く感じられる。

 例えば、今の僕のように。

「いや、よくやってくれた、蔵元。さすが我がクラスの学級委員長様だ」

「……なんの話ですか?」

 先生がここまで褒めるのは珍しい。なぜなら、先生にとって僕とは特異な存在として認識されているからだ。
 僕がテストで満点を取ったとしても当然。授業中に質問の内容を尋ねて答えられて普通。先生の中での僕の存在はそんな存在だ。
 よって、褒められることなんて滅多にない。なにせ、他の面々であれば、褒められるほどのことは僕にとって出来て当然という風に認識されているのだから。
 その先生が、帰りのホームルームで僕を呼び出して開口一番がこれだ。

「高町の話だよ」

「高町さんですか?」

 その名前を聞いたのはつい最近、というか、昨日のことだ。先生に頼まれて彼女の家に行ったのだから。そこで、先生から頼まれた調査結果と僕が気づいたことを伝えに行っただけだ。
 しかし、それしきのことで褒めるだろうか。ただ、伝えに行っただけなのに。普通なら、「ご苦労」で終わってしまいそうだが。

「今日になって学校に復帰した」

「はぁ、そうなんですか」

 高町さんとは去年クラスメイトだった程度の繋がりしかないので、感想としてはこの程度だ。

 しかし、今日から来てたのか。知らなかった。隣のクラスなので僕の耳には届いてこない。僕が気づいたことが真実なら、彼女には親しい人間がいないから、余計に人伝いに情報が入ってこないのだ。
 だから、僕にとって高町さんが学校に来ているというのは初耳だった。

「そうなんですかって、お前が訪問した次の日から学校に来たもんだから、お前さんがなにかしたのかと思ったんだが」

「先生の勘違いです。僕は、昨日は高町さんのご両親としか話していませんし」

 そもそも、拒絶されたのだが、それは言わなくてもいいだろう。

「なんだ、そうか」

 そう呟く先生の顔には、明らかに褒めて、損した、という言葉が読み取れた。この先生、フランクなのはいいのだが、こんな表情を教え子に見せていいのだろうか。教師として若干問題と思うんだが。

「なに、お前だから問題ない。他の生徒にはこんな態度とらないさ」

 そのまま疑問を投げかけてみたら、返ってきた答えがこれだ。

 確かに、この先生、他の生徒だともっと優しいというか、柔和な態度と言葉になる。理想の教師という仮面を被っているというべきだろうか。もしも、これが二十歳の精神を持つ僕じゃなかったら、確実に先生から邪険にされてるって勘違いすると思う。もしも、この年齢で僕と同等のことが出来たとしても、それは知能が高いだけであり、心は子供のままなのだから。

 僕も二十歳とはいえ、学生だったのだから子供に分類されてもおかしくないと思うが。

「まあ、何にせよ、高町が登校してくれて万々歳だな」

「そうですね」

 その部分に関して、僕は同意した。

 僕には何が原因で高町さんが不登校になったのか分からない。だが、何が原因にせよ、この時期から不登校というのは、これからの人生を考えるとかなりマイナスだ。小学校は義務教育だから出席が足りなくても卒業は出来るだろう。

 現に不登校だったとしても家に卒業証書が送られてくるなんてこともあるらしい。
 それは証書がもらえただけだ。何も学んでいない。もしかしたら、家庭学習で学力だけはつくかもしれない。だが、学校で学ぶべきだった集団行動についてはまったく学んでいない。

 この世界を構成するものは社会という大小さまざまな集団がひしめき合う空間だ。ならば、そこで生きていく術を知らない人間は淘汰されていく。支えてくれる誰かがいなければ生きていけなくなってしまう。それは、自立ではない。依存だ。

 この時期からそんな人生が決まってしまうのは不憫すぎる。
 だから、何にせよ高町さんが復帰したことは喜ばしいことだった。

 僕は彼女について何も干渉していない。きっと、僕が帰った後、あの人が出来ていそうな両親が、僕の話から何かを思い、考え、彼女の不登校を何とかしたのだろう。
 話を聞いて一日で何とかしてしまうとは、家族の絆は偉大だと改めて思い知らされた。いや、学校に来ただけで友達関係のことはまだなんだろうけど。今は家族で試行錯誤しているのかもしれない。だったら、それは家族の絆を深めるものだ。だったら、僕はしばらく何もしないほうがいいだろう。

 それにしても、高町さんが家族と上手くいったのは、来たのはもしかしたら、僕の祈りが通じたのだろうか、と考えるのは自惚れだろうか。



  ◇  ◇  ◇



 高町さんが復帰したと聞いてから数日が経過した。
 今日からは、誰もが楽しみにしているゴールデンウィークが始まる。

 一週間という長期休暇。今年も僕の家は、自宅でのんびりと過ごすことになる。原因は言わなくても分かるだろう。六ヶ月ほど前に誕生した弟である秋人である。生まれて一歳に満たない子供をこの時期の外に連れ出すには危険が多すぎる。
 よって、今年も僕の家は何所にも出て行かず、家で過ごすことが決定されたのだ。

「しかし、ショウは何所にも行かなくてもよかったのか?」

 ゴールデンウィークが始まった日の朝、突然、親父がそんなことを言い始めた。
 僕の親父は、アリサちゃんの親が社長をやっている会社の子会社の開発部に所属している。ちなみに、アリサちゃんのことは内緒にしている。黒い髪にスポーツ刈りにした頭。四角い眼鏡をかけた一般的な中年だ。自慢としてはメタボというには程遠いお腹だろうか。

「え? なんで?」

 僕としては、今更、遊園地とか連れて行かれても困惑するだけだ。

 そもそも、何に乗っていいのかも分からない。ジェットコースターとかなら乗ってもいいかな、と思うが、この身体は小学二年生の平均身長より少し低い120センチしかないのだ。身長制限があるジェットコースターには乗れないものが多いだろう。
 だからと言って、誰にでも乗れるメリーゴーランドやゴーカートに乗るのはさすがに恥ずかしい。この身体が小学生だとしても、だ。

 だが、僕の返答に聞いてきた親父は困惑したような顔をした。

「父さんの友達が今年は、家で過ごそう、といったら息子に泣かれたそうだ」

「そういえば、ショウちゃんはそんなことまったくないわね」

 親父と話していると何故か、母親も入ってきた。
 僕の母親は実に温厚な性格をしており、いつも微笑んでいる。ふわふわのショートヘアが柔和なイメージを加速させている。実際、怒られた事はないのではないだろうか。もっとも、この年になって親から怒られるようなことはしない。

「小さな頃からそう。夜泣きはしないし、着替えも自分で出来ちゃうし、歯磨きも、おまけに勉強だって聖祥大付属の特Aランクの特待生だし、たまにはお母さんの手を煩わせてもらえない?」

「いや、自分で出来るのに何でそんなこと……」

 確かに母さんの言いたいことは分かる。要するに僕がよほど子供らしくないのだろう。他の母親が言うような苦労を母親もしてみたいのかもしれない。しかし、子供にとっては自然であっても、精神年齢が二十歳を超える僕が母親に着替えを手伝ってもらったり、歯磨きをしてもらったりするというのは恥ずかしいことこの上ない。

「それに、僕じゃ出来なかったかもしれないけど、秋人には出来るじゃないか」

 僕のすぐ傍で何が楽しいのか、母親のゴムひもをひっぱりながら、キャッキャッと笑う秋人。
 きっと、これから僕に頼まなくても秋人が僕の分まで母親たちの手を煩わせてくれるはずだ。

「でも」

「いいから、僕の分まで秋人の面倒を見てよ。まあ、手に負えなくなったら僕も手伝うからさ」

 僕が秋人の保育をすることは可能だ。だが、僕は殆ど秋人の面倒を見ていない。母親と父親に任せたきりである。僕の時には体験できなかった育児をやって欲しいと思ったからだ。だから、僕は本当に少ししか秋人の面倒を見ていない。本当は世話もしたいけどそこは我慢だ。

「はぁ、親が子離れする前に子供が親離れするって言うのは寂しいものね」

 そういわれても、もともと親離れしているのだから仕方ない。そういっても両親には感謝している。少なくともこの年齢まで生きてこられたのは両親のおかげだし、自分で言うのもなんだが、気味が悪いといっても過言ではない僕を捨てずに育ててくれたのだから。

 そのことを伝えると親父と母親は揃って笑って「それでも、私たちの子供には違いない」と言ってくれるのだった。



 ◇  ◇  ◇



「ショウ~、これどうなってるんだ?」

「ショウ~、この地図記号ってなんだよ?」

「ショウ~、なんか、答えの文字数が合わないんだが」

 三者三様に僕に同時に助けを求める。しかも、全員同じならまだしも、それぞれ助けを求める教科は異なり、算数と社会と国語だ。

 初日の午後、僕の部屋では、勉強会が行われていた。

 テスト前だからという理由ではない。ゴールデンウィーク中に出た宿題を片付けるためだ。
 長期休暇にかけて大量の宿題が出るのは、中、高校生の頃は当たり前だったが、小学校ではなかった。聖祥大付属小で大量の宿題が出るのは、私立の学校ゆえだろうか。

 その宿題を片付けるために四人が僕の家に来た。
 と言っても僕は既に大半を片付けてしまっているから、もっぱら教える側に周っている。

「はいはい、そこは文章問題だからって、右の計算問題と変わらないよ。数字だけでも下線引いて、もう一度考えること。地図記号は、そこに地図帳の見開き三ページ目。文章題で線の後に来る文章が答えと思わない。そこは、前の文章だから」

 僕は聖徳太子じゃないといいたいところだが、何とかすべての質問に答えることができた。我ながら神業だとは思う。にも関わらず、目の前のクラスメイトたちは、そんなことは出来て当然だ、といわんばかりに―――

「そっか、やってみるわ」
「じゃ、借りるな」
「そうなのか? 1、2、3……おっ、本当だ」

 礼も言わずに自分たちの問題に取り掛かった。先生の話が本当なら、彼らも学年上位30人の中に入るはずなので、きっかけさえ教えてやれば、後は自分たちで何とか出来るのがせめてもの救いだ。もしも、これで手取り足取り教えなければならなければ、僕が後五人は必要だろう。

「大変だな、学級委員長は」

 くいっ、と小学二年生にも関わらず眼鏡をかけているこの中で唯一質問してこなかったクラスメイトが、世話をする僕を皮肉るように言ってくる。

「何で君までいるの?」

 彼の成績はトップ5に入るぐらいに高い。この程度の問題なら、僕に頼ることなく自力でも可能だろう。なのに、なぜか今日の勉強会に彼も参加していた。呼んだのは誰だろう。

「将棋でもしようかと……他のやつらは相手にならん」

「ちょっと待った! ショウはこれが終わったら、バトルカードやるんだからなっ!」

 いや、君はそれよりも早く問題終わらせないと、そんなものする暇ないよ。

 眼鏡の彼の将棋は、彼の趣味と言っていい。ただし、その腕前はもはや趣味の段階を超えているんじゃないか、と思わせる。僕にしても全戦全敗してしまう。今では、飛車、角落ちで何とか相手してもらっている。しかしながら、それでも他のクラスメイトよりもマシらしい。よって、僕とよく対戦することが多々だ。もっとも、僕も負けてばかりもいられないので、本などを読んでいるのだが……やはり、将棋は奥が深い。

 そして、バトルカードだが、こちらは前世にも似たようなものがあった。大学生にもなってこれに嵌っている連中もたくさんいたものだ。学食なんかでよくやっていたのを覚えている。前世では、僕はあまり興味がなかったのだが、今はクラスの男子の半分以上が持っている以上、話に入るためには、多少なりとも嗜むことが必要だったため、今では僕もそのカードを持っている。腕前は中級ぐらい。勝ったり負けたりだ。

 結局、眼鏡の彼の宿題が終わり、後三人が必死に宿題をやっているのを尻目に僕らは将棋をやり―――無論、その間も質問には答えていた―――、彼らが終わった後、バトルカード大戦へとなだれ込むのだった。

 なんだかんだいいながら、君も持ってたのか。



  ◇  ◇  ◇



 二日目は前の日から約束していた連中とサッカーもどき(人数不足、ルール無用のため)で汗を流し、三日目は誰からもまったく連絡が入らなかったため、たまに通っている図書館に出かけることにした。

 膨大な量の本が格納されている図書館。そこは月に三千円しかもらえない小学生の身からしてみれば有り難い場所だった。僕が読みたい本は、その殆どがハードカバーだ。一冊三千円を超えることもざらだ。つまり、一冊を買うのに一ヶ月の間まったくお金を使わず溜めなければならない。事実上不可能だ。だから、こうして無料で本が借りれる図書館は僕にとってありがたかかった。

「あれ? ショウくん」

「え? あ、すずかちゃんか」

 僕がカウンターで本を借りて帰ろうとしたとき、出入り口の自動ドアの付近ですれ違いざまに偶然、すずかちゃんの姿が見えた。
 そういえば、図書館にはよく行くって聞いたことがある。僕もよく、とは言わないが、暇が出来ると来るほうなので、今まで出会わなかったほうが不思議で仕方ない。

「ショウくんはなにか本を借りたの?」

「うん」

 僕は、借りたばかりの本が入っている手提げ袋を彼女に示した。中身は、五冊ほどの本が入っているが、すべてハードカバーなのでそれなりに重い。
 一方のすずかちゃんも手提げ袋の中にいくつか本が入っているようだった。

「へ~、どんな本か見てもいい?」

「いいよ」

 はい、と僕は手提げ袋の中身を開いてタイトルが載ってる背表紙を見せた。

「……えっと、これ、ショウくんが読むの?」

「そうだけど……」

 手提げ袋の中を覗いたすずかちゃんは怪訝な顔をして僕を見てくる。しかも、若干、引いているようにさえ感じる。

 あれ? 何か変なものを借りたかな? とりあえず興味を引いたものを手当たり次第借りたのであまりタイトルを覚えていなかった僕は改めて手提げ袋の中を覗き込む。そこに並んでいたタイトルは―――

『児童心理学入門』『小学生の心と身体の成長』『子供からの手紙悩み相談』『エトランジェ戦記1、2』

 なるほど、これなら確かにすずかちゃんが怪訝な顔をするのは分かる。

 僕は前世で、心理学を独学に近い形で勉強していた。ここでもその名残が出ているのだろう。しかし、すずかちゃんからしてみれば、小学生が小学生の心理学を読んでいるわけだ。すずかちゃんからしてみれば、驚愕ものだな。
 後半の二つは最近になって有名になり始めたファンタジー小説だ。今のところ五冊ほど出ているが、殆ど借りられている場合が多い。今回、借りれたのは運がよかったのだろう。

「えっと、その……これは、ちょっと同年代の人たちがどんな悩みを持ってるのか気になってね」

「う~ん、確かにショウくんって相談受けること多いからね」

 どうやら誤魔化すことに成功した模様。
 偶然とはいえ、半ばクラスの相談役になっていることが幸いしたようだ。

 小学生の悩みは大人から見ればくだらない悩みも多い。だから、親に相談しても、あまり真剣に扱ってくれないことが多いのだ。故に友人に相談するのだが、その友人も小学生、悩んで答えが出ないことも多い。よって、最終的に僕に回ってくる、と。そして、悩みに答えていたら、その話を聞いてまた相談にくるという悪循環になっていた。
 僕としては、心理学的な要素も含んでいるから楽しんではいるんだが。しかし、時々、相談した次の日に悩みを忘れていることがあるから困ったものだ。

「あっ、エトランジェは家に全部あるよ」

 後半の二つを見てすずかちゃんが言う。

 さすがあの洋館の持ち主だな。

 エトランジェ戦記はハードカバーで一冊辺り二千円ぐらいする。つまり、全部読もうと思うと一万円だ。到底手が出せない。しかし、話によると相当面白いらしい。もし、この借りた二冊を読んで面白かったら、後三冊はあるわけだが、図書館に期待するのは無謀だろう。一巻と二巻が借りられただけでも僥倖なのだから。つまり、残りは当分お預けになるわけだ。

「エトランジェ戦記って面白かった?」

「うん、文章も読みやすかったし、面白かったよ」

 なるほど、文学少女と呼んでもおかしくないほど本を読んでいるすずかちゃんの評価だ。面白いという前評判は信じてよさそうだった。なら、僕がこれを読んで続きが読みたくなるのもほぼ間違いないだろう。なら―――

「すずかちゃん、もし、よかったらなんだけど、エトランジェの残り貸してくれない?」

「うん、いいよ。私もお姉ちゃんも読んじゃったから大丈夫」

 たまに他人に本を貸すのが嫌だ、という人もいるけど、どうやらすずかちゃんはその部類には入らなかったようだ。快く快諾してくれた。

「でも、いつ貸してもらおう?」

 問題はそこだった。今はゴールデンウィーク中。すずかちゃんも用事がないわけではないだろう。僕はほとんどないけど。今日、出会えたのが偶然だとするなら、ゴールデンウィークの残りは絶望的だと思っていい。だが、この程度の本なら間違いなく一巻と二巻はゴールデンウィーク中には読み終えてしまう。

「ショウくんはこの後、時間があるの?」

「大丈夫だけど」

 今日は、本当に用事がなかったから、帰って秋人の面倒でも見ながら、本を読もうと思っていたぐらいだ。なんだか、小学生のゴールデンウィークにしては寂しいような気もするが、前半に遠出した面々はまだ帰ってきてないし、後半に遊びに行く面々は逆に今日から出発していないのだから、仕方ない。

 僕の返答にすずかちゃんは、ほっと安堵の息を吐き笑って僕に提案してくれた。

「私が本を返して借りるまで待ってくれるなら、この後、私の家に来るといいよ。その時、貸すから」

「え? いいの?」

「うん、今日は私も時間が空いてたから」

 なら、お言葉に甘えることにしよう。

 結局、図書館で本を選ぶのに付き合い、その後、月村邸で本を借りて、お茶を飲みながら本について雑談した後に帰宅するのだった。



  ◇  ◇  ◇



『ほらほら、何とかいったらどうなのよ?』

『ちょ、ちょっと待って』

 僕は、必死に自分の頭にある少ない語彙の中から言葉を作ろうとしたのだが、それは結局致命的な単語が足りなくて挫折することになる。
 こうなってしまうと、目の前でニヤニヤ笑っているアリサちゃんに太刀打ちできるような手はない。
 僕は素直に両手を挙げて降参の意を示しながら、こういうしかなかった。

『辞書を貸してください』

『しょうがないわね』

 僕が頭をたれるとアリサちゃんは、仕方ないと肩をすくめて和英辞書を貸してくれる。
 ぺらぺらとページを捲り、目的の単語を見つけて、アリサちゃんの質問に答えてみるが、どうもニュアンスが違うらしい。少しだけ単語と単語の並びを訂正され、それを答えとして改めて答えた。

『はい、正解。そろそろ、休憩にしましょう。ずっと話していたから喉が渇いたわ』

『そうだね』

 ちょっと待ってなさいよ、と言い残してアリサちゃんが部屋から抜け出した。

「やっぱり単語をもう少し覚えないと話にならないな」

 アリサちゃんが出て行ったのを見送って僕ははぁ、と大きく息を吐いて思わず独り言を日本語でつぶやいてしまう。

 今、僕はアリサちゃんの部屋で英語を教えてもらっている。正確に言うと英語というよりも英会話だろうが。

 始まりは、僕が塾通いを始めたあたりだろうか。僕たちが通っている塾は進学塾であり、学校では余裕で満点の取れるアリサちゃんでも、さすがに分からない問題がある。しかしながら、僕にとっては簡単に解ける問題なので、いつも教えていたら、そのうち、いつも教えてもらってばかりで悪いので何かないか、と聞かれてしまった。

 そこで、アリサちゃんは英語も日本語も出来るバイリンガルというので、英語を教えてもらうことにしたのだ。

 さすがに僕も大学に行って、しかも工学系なので読むほうは大丈夫なのだが、英会話のほうはさっぱりだ。TOEICもライティングはともかくリスニングがひどかった記憶がある。
 よって、こうして週一か二の割合で英会話を教えてもらっている。

 今日はゴールデンウィークでお休みかと思っていたのだが、一応、昨日確認のためにメールしてみたら、どうやら今日も構わないというので、お邪魔しているわけだ。

 そして、先の呟きに繋がる。文法はともかく単語の量が圧倒的に足りない。工学科の最先端の技術は殆ど英語で書かれているため、よく英語の洋書を読んでいたので、それなりに自信はあったのだが、その自信は最初の一回目で崩れ去った。どうやら技術書に書かれている単語はかなり偏っているようである。

『はい、お茶、持ってきたわよ』

 おっと、アリサちゃんも帰って来た様だ。
 最近気づいたのだが、アリサちゃんはこの時間、実に活き活きしている。最初はその理由が分からなかったのだが、最近になってようやく分かってきた。要するに、僕が徹底的にやり込められているのが楽しいのだ。まあ、塾じゃ立場がいつも逆だから分からなくもないんだけど。

 結局、その日のアリサちゃんによる英会話教室は午後から日が暮れるまで続けられたのだった。



  ◇  ◇  ◇



 ゴールデンウィークも終盤になった今日、我が家にすずかちゃんとアリサちゃんが遊びに来た。目的は秋人だ。
 生まれたばかりの頃、秋人を見に来たがっていたのだが、来た以上、抱いたりもしてみたいだろう。最初は見るだけといっても、絶対そうなることが目に見えていた。だから、せめて首が据わってから、と思っていたらこの時期になったわけだ。

 そして、その二人は今、ゆりかごの中で笑う秋人を見て「かわいい~」とか歓声を上げながら、小さな手に自分の手を絡ませたりしている。この時期の赤ちゃんは近くのものを握る習性があるから。
 小学生といっても女の子だ。やはり母性でもあるのだろうか。

「だっこしてみる?」

 僕の突然の言葉に驚いていたものの、彼女たちはすぐさま笑って頷いた。

 まずは、アリサちゃん。立ったままだと万が一の場合があるので、座らせて秋人を抱かせる。抱き方は僕の抱き方を真似してもらった。やはり、見るのと触れるのでは感覚が違うのだろう。笑いながら秋人をあやしていた。それを羨ましそうに見るすずかちゃん。
 赤ちゃんといえども小学生が抱くには若干重い。そして、大事な弟を床に落とすわけにもいかないので三分程度で今度はすずかちゃんに交代した。やはりすずかちゃんもアリサちゃんと同様に笑いながら秋人をあやしていた。
 肝心の秋人は、状況が分かっているのか分かっていないのか、きゃっきゃっ、と笑っている。

 やがてすずかちゃんも三分程度で秋人をベットに戻してもらう。少し残念そうだったのが印象的だった。

「あ~、やっぱり赤ちゃんって可愛いわね」

「そうだね。私にも弟か妹できないかな」

「そういえば、赤ちゃんってどうやって出来るの?」

「う~ん、私は知らないけど……ショウ君は知ってる?」

 なんとも答えにくい質問をしてくるんだろう。大体、話の流れから気づくな、気づくな、と思っていたのに。これは、芸人で言うところの押すな、押すなよ、というギャグに近いのだろうか。
 さて、しかしながら、まさかここで子供に「赤ちゃんってどうやって出来るの?」と聞かれたときの心情が理解できるとは思わなかった。
 僕は真実を知っているが、それをまさか正直に教えるわけにもいかないだろう。もしも、すずかちゃんのお姉さんやアリサちゃんの両親に知られたら僕の身が危険に晒されるような気がする。

 だから、僕は心の中で彼女たちの両親に謝罪しながらも彼らを生贄に捧げた。

「僕も知らないよ。すずかちゃんのお姉さんやアリサちゃんのパパやママに聞いてみたらどうかな?」

 ショウも知らないんだ、お姉ちゃんに聞いてみよう、とか彼女たちの口から聞こえたような気がしたが、気にしない。気にしたら負けだと思った。

 その後は、三人でショッピングモールへと遊びに出た。アリサちゃんとすずかちゃんは洋服を見てきゃっきゃっ言っていたが、僕には何が楽しいのかわからない。仕方なくジュースを片手に二人を待っていたら、何故か怒られ、後半は僕が着せ替え人形になってしまった。結局、何も買わなかったが。彼女たちは何がしたかったんだろう。

 洋服屋の後はゲームセンター。といっても、そこは男性禁止の場所。いわゆるプリクラといわれる箱物だった。
 合計三回取れるプリクラを一回。アリサちゃんが真ん中、すずかちゃんが真ん中、僕が真ん中の三回だ。
 出てきた写真を見て実に微妙に思う。僕の両サイドで、笑ってポーズを決めている彼女たちと若干引きつった笑みを浮かべている僕。初めてなのだから仕方ない、と自分を慰めながらも、こんな表情しか出来ないのが悲しかった。

 さて、その後はもう時間が時間だったのでそれぞれの家に帰った。

 しかし、困った。このプリクラどうしよう?

 僕の手の中に納まるプリクラ。アリサちゃんとすずかちゃんと僕が真ん中のものがそれぞれある。渡されても僕には貼るようなところがない。まさか、高校の同級生のように携帯に張るわけにもいかないし。仕方なく、僕はそれらを引き出しに入れて後日考えることにした。

 今日でゴールデンウィークは終わってしまうが、なかなか暇じゃないゴールデンウィークだったと思う。去年も似たようなものだったが。さて、明日からは学校だ。休み明けの学校は疲れるものだと相場が決まっている。

 だから、僕は休みにしては少し早めにベットに入って、明日からの学校がどうなるかと思いながら、女の子のパワーに引きずられ疲れた身体を癒すように眠りにつくのだった。


 続く

 あとがき

 ほのぼのな話でも、裏を考えると鬱になる法則。裏を追加しました。

 前回のなのはとの対比が今回の目的でした。やまなしオチなしですが、意図はそんなものです。

 さて、次回からは、無印編へ跳びます。……どうやってなのはを救おう?



[15269] 第八話 裏
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2010/01/24 13:02



 高町なのはの朝は遅い。

 もう短針と長身が12という数字の上で重なろうか、という時間になるまで彼女はベッドの中で過ごす。
 別に寝ているわけではない。起きる時間としては10時ぐらいにはもう起きている。ただ、起きても何もすることがないから、ベッドの中でぼ~っとしているのだ。
 だが、それも12時が限界だった。何もしてないのにお腹の虫がグーグー鳴っている。
 もしも、お腹が減っていなければ、彼女はきっと夕方まで一日中ベッドの中にいただろう。

 ベッドから降りたなのはは、パジャマからオレンジ色の上着とスカートという私服に着替える。
 パジャマのままでは部屋の外を出たときに少し肌寒いからだ。

 着替えたなのはは、ドア―――士郎が鍵の部分しか壊さなかったので簡単に修理できた―――を開けて外に出る。
 家の中は誰もいないかのように静だった。いや、正確にいえば、誰もいないようにではなく誰もいないのだ。

 トントントンと板張りの階段の冷たさを足で感じながらなのはは二階から一階に降りる。
 そして、予想した通り、一階には誰の姿もなかった。

 ―――今日はゴールデンウィークの一日目だというのに。

 だが、なのははそれを気にする様子もなくリビングへと歩みを進める。
 リビングのテーブルの上には一枚の紙とパンと逆さまに置かれたコップが。

『パンは焼いて食べてね。昼食は冷蔵庫に入れてあります。 お母さん』

 簡単な置手紙だった。

 時刻は、すでにお昼。母の桃子は、とっくの昔に翠屋へ行っている時間だ。
 父の士郎も翠屋だろうか、と考えて、今日からはゴールデンウィークだから士郎が監督をしているサッカーチームの練習をすると言っていただろうか。
 兄と姉は、昨日の夜に仲良く山篭りの準備をしていたから、今日からは山で思う存分剣術の練習をしていることだろう。

 もし、自分にお菓子作りの才能があったら、母は仕事場に連れて行ってくれただろうか。
 もし、自分が男の子だったらサッカーチームに入っていただろうか。
 もし、自分に姉のように剣術の才能があったら、兄や姉についていって山篭りをしていただろうか。

 そう考えて、なのはは思考をそれらの放棄した。
 それは未練だ。すべてを諦めておきながら未だに燻る希望。だが、それもすぐに消えてしまうだろう。なぜなら、なのははもう期待しないことにしたのだから。

 まだ焼かれていない食パンを冷蔵庫に入れ、代わりに昼食を取り出し、冷え切ってしまっているおかずと炊飯器の中にあったおかげで暖かいご飯を盛って朝食兼昼食を食べるのだった。



  ◇  ◇  ◇



 午後からの予定は何もないなのはは、家から出た。
 別に家にいてもいい。だが、誰もいない家に一人残っているのは、一人ということを強調させるようで嫌だった。

 だが、それは家の外に出ても一緒だった。
 周りを見れば、ゴールデンウィークということで遊びに出る自分と同年代の少年少女。三人から五人のグループでどこかに遊びに行こうといっている。
 それを思わず目で追ってしまうなのは。その光景は、少し前までなのはが喉から手が出るほど望んだ光景だったから。今も羨ましいとは思う。だが、その光景が欲しいとは思わない。その光景を望まない。望んでも無駄だと諦めているから。あのときに思い知ったから、自分ごときがその光景を望むのは高望みが過ぎることを悟ったからだ。
 目で追ったグループを忘れ去るように目を逸らしたなのはは歩みを続ける。

 ――――どこに行こう?

 なのはの心情は迷う。



  ◇  ◇  ◇



 なのはは一人公園のブランコに乗っていた。
 ブランコの近くにある柵の向こう側に見える広場ではなのはと同年代の男女がサッカーボールで遊んでいた。
 なのはが見たことない人間が全員であることから、聖祥大付属小学校の生徒ではないのだろう。

 その光景を目に入れながら、一緒に遊んだような気分に浸った。
 しかし、それも一時間程度のことだ。なぜなら、気づいてしまったから。その気分から抜け出したときの更なる寂寥感に。
 結局、なのはは、すぐにその場から立ち去った。



  ◇  ◇  ◇



 なのはは、自分がいるべき場所、いてもいい場所を探して町中を歩き回ったが、そんな場所はどこにもなかった。
 どこにだって人がいて、どこにだって遊んでいる人たちがいて、一人である自分はそこにいる権利さえ失ったような気がした。
 街中を彷徨い、彷徨い、彷徨い、気がつけば、日が暮れかけている。夕刻だった。

「帰ろう」

 この日、初めて口にした言葉がそれだったことに後でなのはは気づいた。



  ◇  ◇  ◇



 家に帰ると、まず母親が夕飯の準備をしているのだろう。おいしそうな匂いがなのはの鼻をくすぐった。
 手を洗い、リビングへ入ると桃子がなのはの予想通り、夕飯の準備をしていた。

「あら、なのは、お帰りなさい」

「ただいま」

 そのままリビングにいようか、と思ったが、いても特に母と話すこともない。いや、むしろ話しかけられても困る。何もなのはには話すことがないのだから。だから、なのはは逃げるように自分の部屋へと戻った。



  ◇  ◇  ◇



 父親と母親となのはで晩御飯を食べて、テレビを見てお風呂に入って寝た。
 なのはの帰宅後の生活を記せばただそれだけだ。

 起きていても、特になにもすることがないなのはは、ベットに入って電気を消した真っ暗な部屋の中で半ば襲ってきた睡魔に身をゆだねる直前に思う。

 ―――ゴールデンウィークなんてなくなっちゃえばいいのに。

 全国の子供たちが休みを渇望している中、高町なのはだけは、その休みを否定した。
 なぜなら、彼女にはいくら連休が続いたところ何も意味を持たないからだ。

 ―――明日は、どうしよう?

 たぶん、何もしないんだろうな、と思いながらなのはは睡魔への抵抗をやめて、意識を手放した。

 そして、高町なのは己の予想通り、何もしないゴールデンウィークを過ごしたのだった。



 続く

あとがき
 裏をかいてみた。短くてすいません。



[15269] 第八話 外
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2010/01/20 22:39



 少なくとも上位30位以下60位以上の三十人で構成された第二学級の担任である彼女からしてみれば、高町なのはという少女は扱いやすい存在だった。
 騒いだり、他の子といさかいを起こしたりしない、授業中の問題にもきちんと答えてくれる物静かで人当たりのいい子というのが彼女の高町なのはに対する印象だった。

 だから、彼女が不登校になったと聞いたとき、何かの冗談だ、と一番思ったのは自分だと彼女は自負している。
 結局、彼女の両親まで来る事態になってしまったが、彼女にはなのはが登校拒否をする原因になんの心当たりもなかった。これは自信を持っていえる。

 少なくともこの学校は、私立の学校だ。風評がすべてといっても過言ではない。そのことは勤務暦十五年の彼女が一番分かっている。だから、この十五年生徒に目を光らせ、いじめなどがないように、あったとしても早いうちから芽を潰せるように努力してきたのだ。

 だから、不登校のことで彼女の両親が来たときには、ご自宅の問題じゃないですか? といいかけたほどだ。
 いや、実際、父親からのあの身も凍るような圧力がなければ、彼女は実際にそう口に出していただろう。彼女はその圧力に屈して、彼女の両親たちには、「こちらで調査してみます」としかいえなかったが。

 果たして、その後日、彼女が登校してきたときは、やっぱり家の問題だったのか、と思った。
 だが、その放課後、彼女は、隣の第一学級の担任から、高町なのはに対する奇妙な情報を手に入れた。

 曰く、彼女には親しい友人がいない。

 どうして、隣のクラスの担任、しかも、蔵元翔太という優秀な生徒にクラスを任せて本人は自分の学級に顔を出さないような教師からそんなことを教えられなければならないのか。
 そう思ったが、よくよく話を聴いてみると、どうやらその情報は蔵元翔太からもたらされたものらしい。

 そんなバカな、と彼女は思う。

 彼女が観察した限りでは、彼女と親しそうに話す人間は何人もいた。それを、親しい人間がいないなんてことがあるはずがない、と。
 そもそも、それがどうかしたというのだろうか。

 友人がいない。ならば、大人である教師から彼女と友達になってあげなさい、とクラスメイトたちに言うのだろうか。
 馬鹿馬鹿しい。それは友情でもなんでもない。大人という絶対強者から強要された友情になんの意味があるというのだろうか。
 たとえ、それで共に遊んだとしても普通の友情ではない。

 『遊んでやっているもの』と『遊んでもらっているもの』の上下関係が成り立つにすぎない。
 子供だからそんなことわからない、と軽んじるのは間違いだ。子供だからこそ、そんな小さな差異が分かる。分かるのではない、彼らはそんな小さなことだからこそ感じ取るのだ。

 だからこそ、彼女は高町なのはを傷つけられないように見守りはするが、友情を促したりはしない。
 それに加えて、彼女が出来ることといえば、せいぜい、友達の作り方を教えるだけだ。

 ああ、丁度いい。ゴールデンウィークに入る前に少しだけ教育しよう。ほんの少しの勇気で友人を作る方法を。
 確かに教え、育てることは自分の仕事なのだから。

 ゴールデンウィークに入る直前の平日。その日の第二学級の日誌の所見欄には一行だけ記された。


 高町なのは経過報告:異常なし。



  ◇  ◇  ◇



 パチパチパチと火が爆ぜる音がする。
 三日月というには少し太りすぎた月が浮かぶ夜。
 周りは深い森で囲まれた河の近くのテントが二つ張られた近くで二人の男女が燃える火を見ながら座っていた。

 一見すると恋人同士の語らいのように見えるが、彼らの腰にある二刀の小太刀それを否定していた。
 彼らの目的は恋人同士の語らいではない。互いをぶつけ合う剣術の修行だ。

 だが、その目的も今日は店じまい。後は眠るだけ、となった後に少しの反省会が終わり、今はその余韻を味わっているところだ。

「………なのは、友達できたかな?」

 唐突に女―――高町美由希が男に問う。

「さて、な。俺には分からない」

 パチパチパチと燃える焚き火に木を加えながら男―――高町恭也は答える。

 彼らが心配しているのは末妹の高町なのはのことだ。彼らの末妹である高町なのはは一時期外に出てこなかった。自分の部屋に閉じこもり、朝食や昼食、夕食のときでさえ出てこなかった。
 彼らも心配はしていたのだが、如何せん対処法が分からなかった。話しかけても答えが返ってこない以上、解決方法は何もなかった。
 何度も家族会議が持たれ、原因を探ったが、原因という原因は見つからず、原因が分からないからなんて理由で可愛い末妹を放っておくなんてことは彼らの選択肢にはなく、心労だけが溜まっていく日々だった。

 彼らに光明を与えたのは、なのはの同級生と名乗る蔵元翔太という男の子だったらしい。
 生憎、美由希と恭也は学校に行っていたため、彼と出会っていなかったため、両親から聞いたに過ぎない。

 彼曰く、なのはには友達がいないらしい。

 そのときの驚愕は筆舌しがたい。

 少なくとも彼らから見て、末妹は、友達が出来ないような性格じゃなかった。我侭も言わず、自分のことは出来るだけ自分でする少し大人びた可愛い末妹。自分たちを頼ってくれないのが少しだけ寂しかったが、それでも外に言えば自慢の妹だ。
 そんな妹に友達が一人もいないなんて家族の誰も想像できなかったに違いない。

 事実、父と母も言いづらそうに、信じられないとも言うようにそれを口にしたのだから。
 そして、さらに恐ろしいことにそれらが事実だったのが、また彼らを驚愕させた。

 彼らの父―――士郎が強行突破でなのはの部屋に突入し、抱きしめたら泣いたというのだから。
 彼らは妹の涙をその時、初めて見たといっても過言ではない。それほど、彼女が泣いた姿を見たことなかったのだから。

 なにはともあれ、その時以来、彼女が部屋に引きこもることはなくなった。しかし、彼女に友達が出来ないという問題は解決していないように思える。

「俺も……何かいいアドバイスができればいいんだが」

 恭也は己の口下手さと人生を半ば後悔した。
 剣術にまい進する毎日。剣術に人生を捧げてきたといっても過言ではない。
 それに、よくよく考えてみれば、自分も友人といえば、赤星勇吾と月村忍ぐらいしか思いつかない。
 しかも、勇吾は剣術における強敵と書いて『とも』と読むような仲だし、忍にいたってはなぜ友人なのか分からない。気がついたらという形だった。話によると一年生の頃からクラスメイトだったらしいが、少なくとも恭也の記憶にはない。

「う~ん、私もあんまり友達いないからなぁ」

 美由希も恭也と同じだ。人生の殆どを剣術に費やし、友人という友人はいない。せいぜい、思いつくのは、神咲那美ぐらいだが、これは友人と呼んでいいのやら。ただの類ともと言ってもいいだろう。お互い核心は話していないが、そんな空気をしている。

 彼らは、剣に人生を捧げてきた所為でなのはの友達がいなくて寂しいという気持ちも分からなければ、なのはに対する友達を作る際のアドバイスも出来なかった。

「俺たちは、なのはに降りかかる火の粉は払うことが出来る。どんな強大な敵からも護ると誓える」

「そうだね。御神の剣は護るための剣だもんね」

「だが、心は護れないとは……情けないことだ」

 本当に不甲斐ない。護るとは、身体だけでは構成されないというのに。すべてを護ってこそ、御神の剣士。だが、恭也にはそれが出来そうになかった。家族の心も護れなくて、誰の心が護れるというのだろうか。

「それは、私も同じだよ、恭ちゃん。だから、せめて片方だけは絶対護れるように強くなろう」

 ぐっ、と拳を握る美由希。それを珍しいものを見たように目を丸くして見つめる恭也。しばらく無言だったが、やがて恭也がくすっと笑い、口を開く。

「……まさか、美由希から諭される日が来ようとはな」

「もぉ~、恭ちゃん!」

「冗談だ。それに美由希がいうことももっともだ。明日からも厳しくいくぞ」

「げぇ~」

 嫌そうに美由希が顔をしかめた後、堪えられなくなったのか、美由希が笑い始めた。それにつられた珍しく恭也も笑う。
 それを夜空に浮かぶ三日月よりも少し太った月だけが見ていた。



  ◇  ◇  ◇



「なのははもう寝たの?」

「そうみたいだな」

 お風呂あがりなのだろう。タオルを頭に巻いた状態で桃子がリビングへやってきた。
 時刻は夜の10時。小学生が寝るには十分な時間帯だろう。
 答えた士郎は、テレビでサッカー中継を見ているようだが、意識は明らかにサッカーには向かっていないように思える。
 たぶん、考えていることは桃子と同じことだろう。

「なのはのこと?」

 ぴくん、と士郎が反応した。おそらくそうなのだろう。いつもは真剣に見ているサッカーでさえ上の空になるぐらいなのだから、よほど心配らしい。

「ああ」

 そう桃子の言うことを肯定すると、士郎は、テレビを消した。
 先ほどまではサッカーの実況が響いていたリビングは一瞬にして静寂に包まれた。

「なのはは、友達が出来たんだろうか?」

「分からないわ」

 そう、それは桃子も士郎も把握していなかった。当然、注意は払っている。
 だが、それでも限界がある。日中は誰もなのはに注意を払えない。
 なぜなら、残念なことも桃子も士郎も一般的には社会人だった。社会人には、当然のように責任がある。
 優先されるべきは心情的には家庭だが、立場的には社会なのだ。

 桃子でいうとパティシエという仕事。桃子一人がいなくなれば、当然他のスタッフの負担が大きくなる。何より、桃子のお菓子を食べにきてくれているお客さんに申し訳ない。
 ただでさえ、なのはが不登校になったときには連続で休みを貰ってしまったのだ。これ以上の苦労はかけられない。なにより、なのはは表向きはいつもどおりなのだから、心配だという理由でオーナーの妻が休めるわけがない。

 士郎は士郎で、サッカークラブの監督兼オーナーだ。もしも、これが、趣味の遊びならまだ家庭を優先しただろう。だが、月謝という形でお金を貰っている以上、お金を払っている親御さんたちに士郎は責任がある。だから、サッカークラブのほうを放置するわけにはいかない。

 だが、そんなものは建前だということを桃子も士郎も自覚していた。

「……どうすればいいんだろうな」

 結局、そこに行き着く。

 彼らには三人の子供がいる。恭也、美由希、なのはの三人だ。
 だが、恭也の幼年期は士郎が武者修行で連れていたため、育てたという感覚が薄い。美由希は、養子だ。しかも、なのはのようなことはなかった。
 実質、なのはが彼らにとってはじめての子育てと言っても過言ではない。
 だからこそ、分からない。こういうとき、どうしたらいいか。

 不登校になったときは、学校にいじめがあるんじゃないか、と思い、学校に赴いた。
 結果は、不発だったが。代わりに得られたのは蔵元翔太という男の子からの情報だけ。
 その情報が確かだということはなのはの態度からも察せられたが、だからこそ、事態が余計にややこしくなった。

 いじめが原因なら学校にまた赴けばよかった。その子供に指導してもらうなり、他の方法なりで決着がついたはずだ。
 だが、さすがに友達が出来ないから、なんとかしてください、なんて学校に訴えるなんて恥知らずな真似は出来ない。だからこそ迷う。

 どうしたらいいのか分からない。

 何より、本当になのはに友達がいないのか分からない。
 あのときの表情から、態度から、蔵元翔太の言葉が本当だということは分かったが、それ以降が昔のままの態度なのだから。

 物静かないい子。我侭も言わない、自分のことは自分でする。

 おそらく外に出せば十分自慢できる娘だろう。

 そう言い切れるだけに士郎と桃子としては、分からなかった。
 だからといって、友達は出来た? と藪を突くような真似もしたくない。
 仮にそれが真実だとすれば、それを突きつけることで、なのはの心を傷つけてしまうかもしれないから。

 なのはの心が知りたい。だが、知るためになのはの心に踏み込むことは躊躇してしまう。

 どうすればいいのか、士郎と桃子には分からなかった。

 娘のことだ、気楽には考えられない。だが、考えれば考えるほど思考の渦にはまり込んでしまうような気がする。
 もし、気落ちしているとかなら、こちらから聞くことも出来る。だが、表面上はいつもどおりなのだ。少なくとも士郎たちの前では。尚のこと手が出しにくい。

「今は見守りましょう」

「……情けないが、それしかない、か」

 本当に心の底から悔しいとは思う。だが、それ以外に士郎たちにはよい考えがないのだ。

 願わくば、彼女に心の底から友人と思える人が現れますように。
 見守ることとは他にそう願うことしかない自分がこの上なく口惜しかった。


 続く

 あとがき
 周りの状況が分からないような感想であふれていたので設定上書いてみた。周囲の人たちのなのはのスタンスです。

 担任教師→教師が友達を強要するのは違うでしょう? 自分でなんとかしてください。
 兄、姉→何とかしてやりたいけど、自分たちも友達いないから、どうしていいか分かりません。
 母、父→何とかしてやりたい、けど、なのはが分かりません。どうしたらいいの?

 家族はとにかくなのはが分からないというスタンスです。だから手が出せない。

 ちなみに、書いている途中で

 両親なのはのことで喧嘩→離婚→なのは、自分のせいと思い込む→BAD END

 というのを思いついた。
 士郎さんと桃子さん以外ならこのENDでもおかしくないと思う。



[15269] 第九話 裏
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2010/01/24 13:02



 時刻は、子供の寝静まった真夜中。高町家のリビングでは、末妹のなのはを除いた全員がリビングに揃っていた。

「それでは、第五十回高町家家族会議を始める」

 議長は、父親の高町士郎。書記は桃子だ。桃子の前にはB5のノートが広げられている。
 大体、週に一回開かれている高町家家族会議もこれで五十回目。議題は、もちろん、末妹の高町なのはについてだ。

 ゴールデンウィーク前は見守るという結論で落ち着いていたのだが、如何せんそれからなんの進展も見せない。もしも、なのはが自力で友人を作れればよかったのだが、その影も見られない。平日に帰ってくる時間は早いし、休日も外には出ているものの誰かと遊んできた気配もない。ただ、なのはの部屋の本は増えているような気がする。

 さすがに二週間も過ぎると、このまま座して待っているわけにはいかない、とまず父親の士郎と母親の桃子が立ち上がった。彼らがなのはに手を出せないのは、どうしていいのか分からないから。ならば、分かる人間に聞けばいい。簡単な結論だった。
 桃子の母親ネットワークも考えられたが、一度、母親たちに情報が流れるとそのネットワークを介して際限なく尾びれ背びれついて流れる可能性がある。それがなのはにとってプラスに働くか、マイナスに働くか桃子には判断できないため、そう簡単には聞くことはできなかった

 ならば、専門家に聞くしかないだろう。幸いなことに士郎のかつての仕事の関係上、病院関係にはつてが大量にある。そこから、心理カウンセラーを紹介してもらうことは比較的簡単だった。

 問題はここからだった。心理カウンセラーに相談するだけで問題が解決するようなら、世の中で引きこもりや不登校が問題になるはずがない。士郎や桃子が張本人でない以上、カウンセラーに出来ることは高町家に対するアドバイスだけだ。もっとも、高町夫妻にしてみれば、それだけでも十二分にありがたかったのだが。

 ひとまず、彼らは、カウンセラーのアドバイスどおりに計画を実行した。彼らの子供である恭也と美由希も巻き込んで。彼らもなのはの状況を心配していた様子で、もろ手を挙げて賛成してくれた。

 アドバイスの内容は比較的簡単だ。学校以外に同年代との交流を密にすること。もしかしたら、学校には気の合う、波長の合う人間がいないのかもしれない、という予想からだ。たとえ、自分の意見がいえないような内気な子供だとしても、案外数を当たれば波長の合う子が見つかる可能性がある。

 そのアドバイスをもとに高町家は地域の子供の参加が多そうなイベントごとに参加した。
 しかしながら、彼らは知らない。なのはが内気で自分の意見をいえないのではなく嫌われたくないがゆえに自分の意見が言えないのだ、と。それはたとえ、波長の合う子がいたとしても同じだ。
 そして、知らない子であればあるほどのその特徴は顕著に現れ、友人など出来なくなってしまう。たまになのはに興味をもって近づいてきた子供がいたとしても、なのはが何もいえないのを見るとすぐさま興味を失って去ってしまうのだ。
 それはいくつものイベントをこなした今でもそうだ。

 何度目かの失敗で再びカウンセラーの下を訪れたとき、彼は言う。

「もしかしたら、お子さんは、考えがまとまらず自分の考えを言うのに時間がかかっているのかもしれません。もし、そうなら、じっと彼女が意見を言うまで待ってくれるような子が友達になってくれればいいんでしょうが、小学二年生の子にそれを求めるのは酷でしょう。しかも、臆病な性格なら尚のことです。仮に彼女が何かを言うまで待ってくれたとしても、その考えを否定されれば、彼女はさらに臆病になってしまう」

 何か他に手はないのか、と問う士郎にカウンセラーは答える。

「直接、お子さんと話をしてカウンセリングするのもいいかもしれませんが、病院にお子さんを連れてくることはあまりお勧めしません。子供にとって病院は病気になったときに来るもので、恐怖の対象ですので。心の病気と告げられるとさらにショックを受けてしまう可能性も否定できないのです」

 何も感じず、カウンセリングすることも可能かもしれないが、どちらに転ぶかは連れてきてみないと分からないというのだからが悪い。もちろん、何も告げずに騙してカウンセリングを受けさせるという手も考えられたが、子供である以上、敏感に感じ取ってしまう危険性があるため、却下された。その手に関して、子供は大人よりも敏感だ。しかも、下手をすると両親への信頼度がガクンと減ってしまう。
 結局、一度、不登校という結果を目の当たりにしている二人は、連れてきて再度同じ状況になることを恐れて、病院にカウンセリングのために連れてくるという選択を取ることは出来なかった。

 そして、気がつけば季節はめぐり、また春。彼らが努力を続けてもう少しで一年が経とうとしていた。しかし、成果はゼロ。未だに彼女に友達が出来た気配はない。

「でも、クラスが変わったから、新しい子もいるんじゃない?」

「その可能性は高い」

 なのはのクラスは第二学級から変わることはなかった。なぜか、あの事件以来、理数系の教科は上がり、逆に文系教科は軒並み低下。平均すると前と同じぐらいになって、学級が変わることはなかった。だが、なのはがクラスを変わらなくても、第三学級から入ってきたり、逆に第一学級から入ってきたりして入れ替わり立ち変わりだ。そこにはなのはと関係のなかった新しい面々もいるだろう。美由希はそれに期待しているのだ。

「近々イベントもないし、新しいクラスに期待するしかないのか」

「そう、なる……か」

 恭也が結論を出し、士郎は口惜しそうにそう呟くしかなかった。だが、これは仕方ないことだ。

 年度初めというのはどこも忙しい。学校然り、仕事場然り。だから子供が関わるようなイベントが少ない。すぐ近くにゴールデンウィークが待っているのだ。少なくともそれまで目立ったイベントごとはなかった。ゆえに彼らは、新しいクラスでなのはに興味をもって、友人になってくれるのを期待するしかなかった。

 無力、と思いひしがれながらも彼らは足掻くしかなかった。愛する末妹のために。



  ◇  ◇  ◇



 そろそろ日が沈もうかという時間帯。なのはは一人屋上で佇んでいた。
 彼女の視界には、フェンスの向こう側に今にも沈もうか、という太陽の紅に照らされ真っ赤に染まった広大な海が見えていた。
 なのはがいる反対側のフェンスの向こう側からは、聖祥大付属小のグラウンドが見え、放課後ともなれば、男女混じってサッカーや野球に興じている姿が見えるだろう。一年前のなのはだったら、間違いなくそちらを羨望の目で見ていただろう。
 だが、もはやそんなことはなくなった。今は広大な海を見ているほうが、この胸にしくしくと痛む寂しさを埋められるから。自分という人間がちっぽけに思え、胸の寂しさもちっぽけなものだと思えるから。

 期待しないことと寂しいことは同価値ではない。期待しないからといって、寂しさがなくなるわけではない。むしろ、前よりも増したといっても過言ではない。いつか私もと期待してた頃なら、その想像で寂しさをある程度生めることは可能だっただろう。だが、今はもう期待していない。だからこそ、誰かが笑いながら遊んでいるところを見ると寂しくなる。もう叶わない理想の自分を見ているようで。もう諦めてしまった自分は、あそこに入ることはできないのだと分かるから。

 だから、なのはこの海が好きだった。
 大きすぎるから。小さな小さな自分を飲み込んでくれそうだから。

 諦めたその日から通っていた学校に行き場所がなくて、放課後もすぐに家に帰ったとしても自分の居場所がなくて、偶然屋上に来たとき、目の当たりにした広大な紅い海を見たときそう思った。そのときから、この時間の海はなのはのお気に入りだった。
 転落防止用のフェンスをガリッと握り、海を見つめるなのは。その脳裏に何が浮かんでいるかは分からない。ただ、一年前みたいに自分が誰かと遊んでいる姿ではないだろう。なぜなら、彼女はもうすべてを諦めてしまったのだから。

 やがて、日が暮れる。それは、この場に佇める時間の限界を意味している。もう少ししたら用務員の人が屋上の鍵をかけにやってくるだろう。下手に残っていて教師に見つかると色々と厄介なことになる。すべてを諦めたからといってどうでもいいや、と投げやりになっているわけではない。無気力ならば、学校にさえ来ていない。だが、なのははこうして休むことなく学校に来ている。それは、最後の足掻きなのか、むしろすべて諦めているから言いなりになっているのか、それはなのはにも分からなかった。

 なのははベンチに放り投げていた鞄を回収して屋上から去ろうとした。最後にその目に紅ではなく、すべてを飲み込んでしまいそうな黒になった海を見納めて。



  ◇  ◇  ◇



 帰宅したなのはは、いつものように晩御飯を食べ、お風呂に入り、寝るだけという時間になった。
 パジャマに着替え、後はベットにもぐりこむだけ、という瞬間、唐突に眩暈がなのはを襲う。それは、まるでマイクのハウリングを無理矢理聞かされたときのような感覚。しかも、頭の中に強制的に何かを刷り込まれるような感じだった。

 ―――僕の声が聞こえますか!? ―――

 声が聞こえた。聞こえたというよりも頭の中に直接響いたというほうが正解だろうか。聞いたことのない男の子のような声だった。

 ―――僕の声が聞こえるあなた。お願いです! 僕に力を……僕に少しでいいですから力を貸してください! ―――

 何か勝手なことを言っている。なのはは響いてくる声にそう思った。

 ―――お願いします! 時間……が―――

 ブツンとラジオの電源を急に切ったような感覚で声は途切れた。同時になのはの眩暈も治まる。だが、先ほどまでの眩暈がなのはに負担を与えたのだろうか。ぱたんとベットに倒れこんでしまった。

 ―――今の声はなんだったんだろう。

 なのはは考える。だが、思い当たる節がない。

 だが、もしも、なのはに思い当たる節があったとしても無視していただろう。

 なぜなら、彼女は自分が何も出来ないと知っているから。長年努力してきた。いい子であろうとしてきた。だが、失敗した。そして、一年前のあの日に己が望んだことをすべて諦め、いい子であろうとすることをやめた。
 いくつのもしもを望んだだろうか。いくつのもしもを達成しようと努力しただろうか。

 だが、そのすべてが実らなかった。もしも、そのうちのどれかでも実っていたとするならば、自分は何も諦めてなどいない。
 そして、そこから導ける結論は唯一つ。

 高町なのはは何も出来ない人間だ。

 彼女が憧れた蔵元翔太とはまったく逆の存在だ。
 彼は、何でも出来る人間。そして、自分は何も出来ない人間。

 二人を足して二で割れば、普通の人間になるのではないだろうか、そんなことを考えたこともあった。

 だが、彼を憎む気持ちはなかった。
 羨望はある。嫉妬はある。だが、何も出来ない不甲斐なさはすべてなのは自身へと向けられていた。もしも、彼を憎むことができたらなのはの心はもっと楽になっていただろう。

 もう、どうでもいいことだけどね。

 蔵元翔太は相変わらずなのはの中では憧れだ。そうなれたらよかったのに、とは思う。だが、そうなろうとすることは諦めた。羨望半分、嫉妬半分で彼を見ていた一年前までのなのははそこにはもうなかった。

 もう、寝てしまおう。明日からも学校だ。そう思い、ベットにもぐりこんで睡魔にすべてを任せようとしたとき、再びあのときの眩暈がなのはを襲った。

 ―――助けてくださいっ! お願いしますっ! ―――

 うるさいうるさいうるさい。助けて欲しかったのはこっちだ。

 なのはは、不法侵入のように頭に響く声に心の中で反論した。
 助けてくれ。それは、なのはが長年心の中で叫び続けた言葉だ。その言葉は結局、誰からも気づかれることはなく、もはや助けてもらうことは諦めてしまったが。
 その声は過去の自分を思い出させてしまう。まだ、諦めず、明日にはきっと、と明日を望んでいた自分を髣髴させる言葉だった。聞きたくない。

 だから、なのはは無駄だと分かっていても耳を押さえてその声を無視しようとした。

 はやく寝よう。寝てしまおう。寝てしまえば、この声はなくなるから。

 頭に響く『助けてください』という言葉の連続に耐えられなくなったなのはは、それを無視して眠りに就こうとして、次の瞬間に聞こえてきた声に目を覚まされることになる。

 ―――こちら聖祥大付属小学校三年生、蔵元翔太です。これが聞こえる人がいましたら、お願いします。僕たちを助けてください。―――

 最初はどんな冗談だ、と思った。

 助けを求めている。あの蔵元翔太が。何でもできる、あの彼が。
 なのはには、蔵元翔太が助けを求めている光景がとても想像できなかった。

 さらに言葉は続く。

 ―――信じられないかもしれませんが、僕たちは今、バケモノに追われています。魔法でしか倒すことができないのですが、僕には無理でした。お願いします。この魔法の念話が使えるあなたにしかバケモノを倒すことはできないのです。どうか僕たちを助けてください。―――

 その内容を理解するのになのはに少しの時間が必要だった。そして、繰り返される声の内容を理解したとき、なのはの腹の底からこみ上げてくるものがあった。

「あ、あは、あははははははは」

 なのはは声を上げて笑った。こんな風に声をあげて笑ったのはいつ振りだろうか。
 だが、久しぶりに笑える冗談だったのは確かだ。

 あの、あの蔵元翔太が、友達も、勉強も、日常生活も、全部、全部、なのはにとっての理想を体現したあの彼が、無理だったといった。お願いしますといった。あなたにしかできないといった。助けてくださいといった。

 友達も、勉強も、日常生活も、全部、全部なにもかも不可能だったなのはに向かって。
 なのはは、自分がにぃと笑っているのを自覚しながら、パジャマから私服に着替える。

 あの、あの蔵元翔太ができなかったことなのだ。もし、もしも、自分がそれをなしえたなら―――

 一年前に諦めた希望が少しだけ首をもたげた。同時に興味がわいた。
 あの蔵元翔太が無理だというものがどういうものか。それを見てみるのも一興だと思った。

 むろん、あの蔵元翔太が不可能だったことなのだ。もしかしたら、とても危険なことなのかもしれない。それを理解してなお、なのはは行くことを決めた。

 一年前、すべてを諦め、闇の中を彷徨い、どこをどう歩いていいのか分からないなのはにとって一筋の光になるかもしれないと、そう思えたから。



  ◇  ◇  ◇



 なのはは夜の道を走っていた。蔵元翔太に会うために。
 なんとなく場所は分かる。なぜ? と聞かれても分からない。なんとなくの方角が分かるのだから仕方ない。
 それは理解ではなく感覚。彼女は今、魔法というものを考えるのではなく感じていた。

 そして、その感覚が間違っていなければ、彼らはこの角を曲がった先にいるはずだ。
 その予想は当たり、角を曲がるとそこにいたのは一人の男の子、蔵元翔太と彼の肩に乗る見たことがない動物、そして―――


 ――――GYAAAAAAAAAAAAAAN


 真っ黒い見たこともないようなバケモノだった。


 続く

 あとがき
 今時の小学生ってどんな感じなんだろうと思って『こどものじかん』を読んでみた。
 なるほど、OK、理解した。こんな感じがリリカルなんだろうな。

 ルートを考えた結果:
 主人公魔力なし→ユーノ死亡→リリカルなのは 完
 ユーノのみ呼びかけ→なのは無視→主人公、ユーノ死亡→リリカルってなんですか? 完



[15269] 第九話 前
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2010/01/25 22:15



 春夏秋冬。たった四文字。だが、その四文字で一年が表せるのだ。
 実際は、そんな四文字で表せるほど単純なものではなかったが、それでも、四文字で表せるといっても過言ではないぐらい、僕にとっては一瞬の瞬きに近かった。
 一年生から二年生になったときも時の流れが早いと思い、理由を考えたものだ。一つの諸説について考えてみたが、こうしてまた一年経ってもう一つ諸説を思い出した。
 もう一つの諸説は、忙しすぎて一息をつく暇がないから、というものだったが、なるほど、こうして考えてみると的を射ているように思える。

 夏には、プールにキャンプに花火大会、縁日。
 秋には、運動会に写生大会。
 冬には、クリスマスにお正月に雪合戦。

 行事自体は、まったく一年生の頃と変わらないとはいえ、今度は二年生。二年生にもなれば、育ち盛りであるクラスメイトの体力も昨年よりもパワーアップし、さらに今度はお兄さん、お姉さんとして一年生の面倒も見ながら行事に参加しているのだ。もっとも、今年は幾人か、一年生の相手をしながら、年上ということに対して自覚を持ってくれた同級生もいたから、パワーアップした面々の分と自覚を持った面々の分を足し引きすると大変さは一年生と比べると五十歩百歩というところだ。

 もっとも、僕のクラスメイトに対する心労と行事に参加することへの体力は大変だったが、その行事自体は楽しんだから、文句は言えない。
 子供のような行事に僕のような人間が楽しめるのか、と問われれば、答えはイエスだ。子供と思えるようなことも意外と面白いと思える。
 男はいつまで経っても心に子供の部分を残しているというが、僕にも子供の部分が残っていたと考えるべきだろうか。

 そんなこんなで、気がつけば季節はめぐり春夏秋冬。あっ、という間に一巡りし、季節は再び春。通学路に桜が満開になり、さらに新しい年下を向かえた頃―――

 僕たちは、三年生に進学した。



  ◇  ◇  ◇



「……変な夢だな」

 僕の枕元でジリジリジリと激しく自己主張する目覚ましの頭を叩いて止め、僕は先ほどまで見ていた夢についての感想を呟いた。
 これほどまでにしっかりと覚えている夢というのは珍しい。
 一般的に、夢は記憶の整理といわれている。つまり、その日、あるいは昔に体験したこと、あるいは自分の願望をひっちゃかめっちゃかに映像として再生する。それが夢と呼ばれるものだ。その日見た夢で自分の心理状態さえ探れるらしい。
 だが、先ほどまでの夢は、一般的な夢と呼ばれるものとは異なるように思える。

 森の中で一人の男の子が異形の何かと戦う。

 これだけ言うとまるで御伽噺の一説だ。さらに、男の子がその異形に大勝利なら、本当に御伽噺の一説なのだろうが、夢では男の子は、異形に勝てず、その異形そのものを取り逃していた。

 ―――まあ、夢か。

 僕は先ほどまで見ていた夢をそう結論付けて気にしないことにした。夢など気にするものではない。
 しょせん、頭の中で処理されたイメージの残滓に過ぎないのだから。それよりも、今日もまた大変な日々が始まる。三年生に進級したからといって急に彼らが大人びるわけでもないのだから。さらに昨日のクラス替えじゃ、またクラスの半分ぐらいがごっそり入れ替わったことだし。

 そこまで考えて思った。

 ああ、なるほど、分かった。あの夢が示唆したものが。
 おそらく、男の子は僕で、異形の怪物は、新しくクラスメイトになった面々だろう。

 ―――なんてね。

 そんな下らないことを考えながら、僕はパジャマからまだ新学期が始まったばかりで汚れの目立たない制服へと着替えた。



  ◇  ◇  ◇



 時刻は昼休み。春の陽気と言っても過言ではない気温の中、気持ちいい春の日差しを浴びるために僕はアリサちゃんとすずかちゃんと一緒にお弁当を食べるために屋上に来ていた。ところで、僕が通っていた小学校は屋上に鍵がかけられていて立ち入り禁止だったものだが、聖祥大付属小学校は生徒に解放されているらしい。転落防止用のフェンスも完備されており、普通に弁当を食べたりする分には問題ないようである。

「将来の夢か」

 お弁当に入っていたミートボールを口に運びながら僕は先ほど先生が授業の先生が言っていたことを呟いていた。

 先ほどの授業は、社会だった。その中で先生が様々な職業を紹介し、次の授業までに各々が自分の好きな職業について調べるというものだった。そして、最後に先生が言った一言が僕の心に波紋を広げた。

 ――――将来なにになりたいか、今から考えるのもいいかもしれませんね。

 社会の先生の今日の授業の最後の言葉だ。
 聖祥大付属小学校は私立の小学校というだけあって、公立とは違って、担任の先生がすべての授業を行うわけではなく、一つの教科ごとに先生がついている。人は、おおよそ自分の知識の三割程度しか人には伝えられないそうだ。ならば、この方法は確かに効率がいいのだろう。

 ちなみに、今年も担任は一年生のときから変わっていない。

 さて、将来の夢か。僕は一体何がしたいのだろう?

「アリサちゃんたちは将来の夢って何か考えてる?」

 僕は、今日、一緒にお弁当を食べていたアリサちゃんとすずかちゃんに聞いてみる。

「う~ん、そうねぇ、あたしは、パパもママも会社の経営をやってるからたくさん勉強して後を継がないと」

「私は機械系が好きだから、工学部で勉強したいな」

 なるほど、とても小学生の答えではないが、納得である。

 もしも、これがアリサちゃんたち以外なら僕は絶句していただろう。なぜなら、アリサちゃんとすずかちゃんたち以外から出るとすれば、サッカー選手やプロ野球選手、お菓子屋さん、お嫁さんなどのファンシーのものだと予想するから。
 そんな中、彼女たちは規格外といっても過言ではない。明らかに周囲と比べて精神年齢が上だ。確かに女の子のほうが、男よりも精神年齢は高いといわれているが、それを考慮しても彼女たちはずば抜けているといっても過言ではない。
 そのせいで、周囲から浮いているような気がするが、彼女たちは周囲に合わせるだけのスキルを持っているので特に問題は起きていないようだ。

「そういうあんたはどうなのよ?」

「僕か―――」

 僕は自分の将来に思いを馳せてみる。

 なぜか奇妙なことに僕は二度目の人生を送っている。前世の僕は親に言われるままに、周囲に流されるように大学まで進学した。大学で選択した学部だって理系科目が少し得意で、パソコンに興味があった、程度で選択したようなものだ。きっと、僕は大学を卒業して適当な会社で働いて、家庭を作るんだろうな、という散漫とした光景しか思い浮かべていなかった。今は、どんな因果が働いたのか、こうしてもう一度、小学生をしているわけだが。

 さて、将来なんてものは、今まで考えたこともなかった。また前世のような進路を選ぶのだろうか。

「僕は何になれるんだろうね?」

「あんたなら何でもなれるんじゃない」

「ショウくんは学年一位だもんね」

 アリサちゃんとすずかちゃんは軽く返してくれる。

 学年一位、その言葉からふと考える。そう、僕は確かに今は学年一位だ。だが、その地位も高校生、いや、もしかしたら中学生までだろう。いくら、大学に行ったといっても、僕は天才ではない。

 十を聞いて十を理解すれば秀才。十を聞いて三を理解すれば凡人。一を聞いて十を理解すれば天才だ。

 ならば、今の僕は確かに天才だろう。一を聞いて十を知っているのだから。だが、僕の本質は天才にはほど遠い凡人だ。今は大学生の知識というチートを使っているに過ぎない。ならば、そのメッキが剥がれるのはいつだろうか? もっとも、僕だってもともとの知識に胡坐をかいているわけではない。確かに僕は凡人だ。だが、凡人でも、勉強の質と量さえ考えれば、成績はそれなりに取ることが可能なのだから。

「あ、そうだ。ショウなら、教師とかいいんじゃない?」

「そうだね。ショウくん、みんなをまとめるの上手だし」

「先生かぁ」

 人と機械。前世は今言われた職業。後者は、前世で関わっていたもの。両者はまったくの逆ベクトルである。この二年間の短い小学校生活で、先生という職業はご勘弁願いたいとは思っているが、人と関わる職業というのも面白いかもしれない。

「ぼちぼち考えるよ」

 ―――十年後、僕は一体どんな将来を描いているんだろうか。



  ◇  ◇  ◇



 そろそろ日が暮れようかという時間帯。太陽が水平線の向こう側に消えようという時間帯。俗に言う夕方に僕とアリサちゃん、すずかちゃんは近くの自然公園を抜けて僕たちが通う塾への道のりを歩いていた。
 最近は、アリサちゃんの車を使うことは少なくなった。おそらく、彼女の精神的な成長なのだろう。自立を望むといえばいいのだろうか。思春期の手前に見られることで、どちらかというと小学校の高学年ぐらいから見られる傾向なのだが、アリサちゃんの精神年齢の高さから考えると妥当なのかもしれない。
 そんな理由で僕たちは、徒歩で自然公園を抜けて塾へと向かっていた。

 適当な話題を振りながら僕たちは自然公園を歩く。途中で、犬に吼えられていたが、アリサちゃんが英語で威嚇するとすぐに静かになっていた。犬には英語が通じるのだろうか。

 それは、ともかく、このまままっすぐ行けばあと二十分もあれば、自然公園を抜けられるというところでアリサちゃんが何故かわき道へと進路を変えていた。

「あれ? こっちだよね」

「こっちのほうが近道なのよっ!」

 なにが嬉しいのか、笑いながら言うアリサちゃん。どうやら彼女の中でこの道へ行くことは決まっていることらしい。
 なるほど、確かに子供はこういう隠れた道が好きだ。大人から見れば非効率。ただ疲れるような道も、近いからという理由だけで行こうとする。少し前に精神年齢が高いと思ったのは気のせいだったのだろうか。

 僕は、隣でどうする? と問いかけるように微笑んでいるすずかちゃんにふっ、と力を抜いた笑みを浮かべる笑みで答えた。
 たぶん、僕たち二人の笑みはありありと「仕方ないな」という言葉が浮かんでいたことだろう。おそらく、アリサちゃんに見られたら、怒られるに違いない。

「ちょっと! なにやってるのよっ!! 早く来なさいっ!!」

 どうやら、僕たちは笑みを見られなくても怒られ運命だったようだ。

 さて、アリサちゃんに追いついて僕たちはわき道を歩き始めた。
 歩いてみて分かったが、整備されているにも関わらず、この道が使われない理由がよくわかる。周りは木々で囲まれており、夕方だというのに薄暗い。それが夕日の紅と重なって実に薄気味悪い雰囲気を醸し出している。

 しかし、この道どこかで見たことがあるような気がするんだけど……気のせいだろうか。

 いわゆる既視感というやつである。だが、僕の記憶が確かなら、この道を歩くのは初めてであり、決して過去に歩いた記憶はない。だが、どこかでこの景色を見たことがあるような……?
 なんだか、頭に残る違和感。最近は特に感じたことはなかったのだが、そう、あれは、アリサちゃんや忍さん、高町さんのお父さんやお母さんを見たときに似ている。つまり、僕のうろ覚えである『とらいあんぐるハート3』の断片を覗き込んだときだ。

 まさか、この場所も『とらいあんぐるハート3』に関係あるのか?

「どうかしたの? さっきからぼ~っとして」

 どうやら、思考に没頭してしまったらしい。もはや、『とらいあんぐるハート3』に関しては、霞がかかった記憶しかない故にこうして考えるときは、周りが気にならないほどに思考の奥深くにいかなければならない。それは確かにアリサちゃんからしてみれば、ぼ~っとしているように見えたのだろう。

「あ、いや、なんでもないよ」

「大丈夫? 風邪とかだったら無理しないほうがいいよ」

「そうそう、あんたなら一日ぐらい休んでも問題ないでしょうし」

「いや、本当に大丈夫だから。それよりも、早く―――」

 行こう、と続けようとして、僕の言葉は途中で止まってしまった。なぜなら、唐突に僕の頭に声が響いたからだ。たすけて、というか細い声が。

「どうしたのよ、ショウ? 本当に変よ」

「……今、声が聞こえなかった? 助けてって声が」

 僕の問いにアリサちゃんとすずかちゃんは顔を見合わせるが、何をいってるんだろう? と明らかに疑問に思う表情が浮かんでいるということは彼女たちは聞こえていないだろうか。

「別に……」

「何も聞こえなかったかな」

「そう……」

 この場に三人もいて、たすけて、という声は僕にしか聞こえなかった。ならば、これは僕の気のせいと断じるべきだろうか。もしも、聞こえた声が切実に救助を求める声でなかったら、僕は早々に気のせいということにしてこの場を立ち去っていただろう。だが、もしも、ここで無視して後日、新聞にこの公園で変死体発見、なんて記事が載ったら後味が悪すぎる。

 しかし、僕だけ聞こえるなんて偶然が―――っ!?

 とか、思っていたら今度は二度目。しかも、今度は、一度目よりもはっきり聞こえた。

「ほら、もう一回、助けてって」

「……何も聞こえなかったわよ」

 呆れたような顔をして僕のほうを見てくるアリサちゃん。その表情にはありありとあんた頭大丈夫? と言いたげな表情が浮かんでいる。

「ねえ、ショウくん本当に大丈夫? お家に帰ったほうがいいんじゃ」

 アリサちゃんはともかく、まさかすずかちゃんにまで言われるとは思わなかった。しかし、本当に聞こえていないとなると、一体どういうことだろうか。二度目は一度目の掠れたような声ではなく、はっきりと『助けて』と聞こえた。さすがにこれをアリサちゃんたちが聞き逃したとは思えない。つまり、立てられる仮説は、僕には聞こえたが、アリサちゃんたちには聞こえなかった。

 さて、そんな偶然がありえるだろうか。離れているなら分かる。だが、僕たちは並んで歩いていたのだ。しかも、アリサちゃんとすずかちゃんの間に僕が入るように。ならば、僕だけ聞こえたというのはおかしな話だ。そう、人知を超えた現象でもなければ。

 人知を超えた存在。それで僕はピンときた。

「……なるほど、幽霊か」

「え?」

「は?」

 僕の出した結論に二人とも呆れたような驚いたような声を上げた。

 だが、僕はあながち間違っているとは思えない。なぜなら、幽霊のような超常現象を肯定するような存在が、今、まさしくここに存在しているのだから。輪廻転生と呼ぶしかない僕が存在しているのだ。ならば、幽霊が存在したところでおかしい話ではないだろう。特にここの雰囲気は幽霊が出るにはぴったりの雰囲気で、時刻は現世と幽世が重なる逢魔時だ。これ以上の状況はない。なにより、彼女たちに聞こえず僕には聞こえるという状況から考えても、何らかの超常現象が働いていると見て間違いないだろう。

「あ、あああ、あんたなに言ってるのよっ! 幽霊なんているはずないじゃないっ!」

 アリサちゃんが明らかに震えた声で僕の言葉を必死に否定している。もしかして、こういった話は苦手だったのだろうか。それなら悪いことをしてしまった。
 それじゃ、すずかちゃんはどうだろう? と白い肌をさらに白くしているアリサちゃんからすずかちゃんに視線を移すとどこか浮かない顔をしていた。

「すずかちゃん? もしかして、すずかちゃんも幽霊とか苦手?」

「ちょっと! 『も』ってなによ!? 『も』って! あたしは全然へいきなんだからねっ!!」

 アリサちゃんが横で喚いているような気がするが、とりあえず、今はすずかちゃんを優先する。だが、すずかちゃんはすぐに僕に気づいたようで、はっ、と顔を上げるといつもの笑みを浮かべてくれた。

「ううん、なんでもないよ。急にショウくんが幽霊とかいうからびっくりしただけ」

「なら、いいんだけど」

 しかし、どうしたものだろうか。おそらく、幽霊というのはあながち間違いではない。僕しか声が聞こえず、アリサちゃんたちには聞こえないという超常現象なのだから。
 ここで、僕たちが取れる道は二つだろう。

「どうする? 進む? 戻る?」

 たぶん、声のした方角から考えるにこのまままっすぐ進めば、その現象に出会うことになるだろう。僕としては、好奇心から進んでみたい気持ちもあるのだが、怖いという気持ちも当然ある。
 僕が一人だけなら、おそらく好奇心が勝って進んだだろう。だが、ここにいるのは、僕だけではない。アリサちゃんとすずかちゃんもいるのだ。僕のわがままで彼女たちの恐怖心を無視するわけにもいかない。

 だが、その心遣いが挑発に見えたのだろうか。

「進むわよっ! 幽霊なんて絶対いないんだからっ!!」

 アリサちゃんが、半ばムキになってしまった。これには苦笑せざるをえないが、すずかちゃんはどうだろうか? と顔を見ると、「仕方ないなあ、アリサちゃんは」という顔をしていたが、反対はしていないようだった。おそらく、彼女も興味自体はあるのだろう。これで、意思の統一はできた。

「それじゃ、行こうか」

 僕は歩き出し、アリサちゃんとすずかちゃんが後からついてくる。ちらっ、と後ろを横目で確認すると、アリサちゃんが、すずかちゃんの腕に自分の腕を絡ませて、ぴったりくっついていた。

 怖いなら、大人しく引き返すといえばいいのに。

 もっとも、それがいえないからアリサちゃんなのだろうが。

 さて、しばらく無言で歩き続ける。時折、カサッと風で木々が揺れると後ろのアリサちゃんが「ひっ」と悲鳴を押し殺すような声を上げていた。意地っ張りもここまで来ると立派なものだと関心する。
 しかし、いつまで経っても僕たちはあの声の主に出会うことはなかった。幽霊らしき姿も見えない。いや、そもそも幽霊は姿が見えなくて、声しか聞こえないという可能性もあるのだが、あの声も聞こえなくなった。もしかして、あれは気のせいだったのだろうか。

「……け、結構進んだわよね」

「そうだね」

「なにもないわよね」

「ないね」

 確認するようにアリサちゃんが一言問いかけてくる。すべてが事実だ。もう少し進めば、この森を抜けてしまうだろう。
 もしかしたら、本当に気のせいだったのかもしれない。

「もう少しで抜けるわよ。ほら、やっぱり幽霊なんて――「あっ!」――きゃっ! なに!? なによっ!?」

 いなかった、アリサちゃんがそう告げ終わる前に僕はあるものを発見してしまった。
 もしも、これが幽霊だったら、声を上げることなんてなかったのだろうが、生憎ながら、見つけたのは幽霊ではなかった。
 見つけたのはきちんと実体を持った生き物だった。後ろでアリサちゃんが混乱してすずかちゃんにしがみついているが、その相手はすずかちゃんに任せるとして、僕は、その見つけた生き物に駆け寄った。

「……怪我してる」

 ぱっと見た感じ、薄汚れているようにしか見えないが、所々細かい怪我をしており、血を流している。しかし、見たことのない動物だ。といっても、僕には細かい動物の種類が分かるほど動物に関する知識が豊富ではない。せいぜい分かるのは猫でも、犬でもなくイタチ系の動物であることぐらいだ。

 しかし、ピクリとも動かないが、こいつは生きているのだろうか。そう疑問に思い、持ち上げてみると、まだ温もりを持っていた。微妙にドクンドクンという心臓の鼓動も掌で感じることが出来る。だが、かなり衰弱していることは間違いない。こうして僕が持ち上げても目を開けないのだから。

 ……もしかして、こいつが僕に助けを求めたのだろうか。

「どうしたの?」

「なによ?」

 ようやく、アリサちゃんをなだめたのか、僕に駆け寄ってくる二人。何かを拾ったところまでは分かったのだろう。だが、それが何かは知らない。だから、僕は、抱いているイタチ(?)を二人に見せた。

「えっ!? なに? 生きてるの?」

「怪我してる……」

「早く動物病院に連れて行ったほうが正解かな。ねえ、携帯で近くの動物病院を調べてくれる」

 はたしてイタチ(?)を見てくれるかどうかは分からないが、素人の僕たちよりもよっぽど面倒を見てくれるだろう。
 あたふたと携帯を開いて、カチカチと動物病院を調べている二人を確認して、イタチを調べてみる。

 毛並みはいいようだ。野生だろうか。しかし、こんなところでイタチが生息しているなんて聞いたことがない。まあ、自然公園だから不思議ではないのだろうが。ん? この宝石は……。

 よくよく調べてみると、イタチの首からは赤い宝石がぶら下がっていた。明らかに人の手によるものだ。だとすれば、こいつは、誰かのペットと考えるのが妥当だろう。

「ショウ! 見つかったわよっ!!」

「うん、わかった」

 なにはともあれ、衰弱しているこいつを連れて行くのが先だと判断した僕たちは、森を抜けてイタチを動物病院へと運ぶのだった。

 続く

あとがき
 主人公はオカルトを信じるタイプです。(己が超常現象なので)



[15269] 第九話 後
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2010/01/31 22:24



 幸いにして動物病院は公園のすぐ近くにあったようだ。
 今は、携帯電話に搭載されたGPS機能ですぐに自分の場所と行きたい場所が分かるのだから至極便利になったものだと思う。
 近くの動物病院の名前は槙原動物病院。僕たちは、そこにイタチのような動物を連れ込んだ。

 さらに幸いなことに診察の待ちの患者さんの姿はなく、僕たちが抱えているイタチ(?)を見てすぐに診察してくれた。
 診察の結果、衰弱こそ激しいものの怪我自体は大したものではないらしい。

 その診察結果を聞いて僕たちはほっ、と安堵の息を吐いた。
 これで、もしも、もう手遅れです、なんて言われたら数日は必ずネガティブな状態が続いてしまっていただろう。
 何はともあれ、イタチ君が軽い怪我だったことは喜ぶべき結果だろう。

 診察自体はすでに終わって、これからのことになった。

 そういえば、イタチが倒れて、酷く衰弱していたから、動揺して思わずつれてきてしまって、全然後のことを考えていなかった。
 これが無責任の結果ということだろうか。拾ったところで飼えるかどうか分からないイタチを拾ってしまった。ならば、衰弱しているイタチをその場に放置したほうが正解とでもいうのだろうか。いや、それは違うような気がした。確かに無責任に拾って病院に連れてきたことは拙かったかもしれないが、この行為が間違いだとは思わない。

 さて、連れてきた行為の良し悪しは後で考えるとして現実的なその後だ。
 とりあえず、衰弱が激しいので、この病院で一日預かるような形になるらしい。一日もすれば元気になるらしいが、その際、誰が引き取るか考えて欲しいとのことだ。

 僕たちは一瞬、顔を見合わせて困った顔をしたが、はい、といわざるを得なかった。それが連れてきた僕たちの責任というやつだろう。
 そして、イタチを連れてきた僕たちのもう一つの責任は―――

 僕は、塾の時間を思い出したアリサちゃんたちに急かさせるように動物病院を出たが、その直後、アリサちゃんには先に行くように言って僕は病院の中に引き返した。

「あの」

「あら? さっきの子じゃない。どうしたの? 忘れ物?」

 僕は先生の言葉に首を左右に振ると用件を切り出した。

「お金、お幾らぐらいになりそうですか?」

 そう、お金だ。

 病院は慈善事業ではない。薬にしても包帯にしても診察にしてもお金がかかっているのだ。しかも、動物に対しては保健がきかない。最近は動物に対する保健もあるようだが、当然拾ってきたイタチにそんなものがあるはずがない。つまり、ここで僕が払わなければ、この動物病院に対する収入が一つ減るのだ。子供だからといって、いや、子供だからこそ容赦するべきではないと僕は思うのだが―――

「そんなこと心配しなくてもいいのよ」

 槙原動物病院の先生は膝を曲げ、僕に目線を合わせて優しい声で言ってくれる。誰もが甘えそうな優しい声。この声で動物たちを診ているのだろうか。だとすれば、動物が大人しく診察されるのも、なるほどと納得できる。

「君がしたことはとても尊いことなの。その気持ちを忘れないで。それが私にとって一番の報酬なんだから」

 そういって、僕の頭を撫でてくれる。

 先生の言葉を綺麗ごとだ、と断じるのは簡単なことだろう。確かに僕が動物を拾って病院まで運んで来たことは尊いことかもしれない。だが、それで彼女はご飯が食べられるわけではないのだ。イタチを助けた薬や包帯に使ったお金が降ってくるわけでもないのだ。

 現実的にいうなら、僕はお金を親父か母さんからお金を借りてでも払うべきなのだろう。だが、そんなことは言えなかった。先生の優しい笑みと声に騙されたと言えばそうなのかもしれないが、これ以上何かを言うことは駄々をこねている子供のようで。彼女の優しさを無駄にしているようで。

 だから、僕は、「はい」と素直に頷くことしかできなかった。

 しかしながら、彼女の目的が「生き物を助ける心を持つこと」とすれば、これ以上の教育はないだろう。僕が仮に真っ当な小学生だったなら、いや、その仮定は無駄だろう。今の僕でも立派に思っているのだから。

 次も動物や人を見たら絶対に助けよう、と。

 その後、僕は思い出したようにアリサちゃんの後を追ったのだが、どうやら先生と話していた時間が長かったらしい。塾には遅刻してしまったのだった。


  ◇  ◇  ◇



 塾も終わり、時刻は夜。晩御飯もすでに食べ終わり、後は学校と塾の宿題をやって、少し自分を時間を使って、寝るだけという時間だ。
 僕は、学校の宿題である計算ドリルを殆ど間もなく次々と解いていく傍らで、塾でのノートを使った会話を思い出していた。
 当然、あのイタチ(?)のことである。明日、誰が連れて帰るか、という問題である。

 アリサちゃんの家は、犬が大量にいるので無理。週に最低一回は英会話教室のために通っているので僕も知っている。あの大型犬がいるなかにイタチ君はきついだろう。いつ、彼らの胃袋の中となるか分からない。

 すずかちゃんの家も問題ありだ。アリサちゃんの家が犬なら、すずかちゃんの家は猫だ。しかも、大量の猫。さて、あの大きさなら少し大きなネズミとして追いかけ回されてもおかしくない。

 さて、最後に僕の家。あまり問題がないように思えるが、最大の問題がある。秋人のことである。最近は一歳と半年。最近はどこでもここでも這いずり回っている。少し目を離せば、姿が消えているのだから家族みんなで心配の嵐である。もっとも、僕のように新聞と睨めっこしているわけではないので至って健全な子供である。

 さて、イタチをどうするか、結局、結論が出ることはなかった。
 飼い主を探すか、あるいは誰かが妥協して飼うかは別として、何かしらの対処を考えなければならない。

 いや、待てよ。あのイタチ、小さな宝石を首から下げていたような。そう、それで僕はペットだと思ったんだ。なら、もしかして、本当の飼い主が別に―――っ!?

 いるのか? と思考をめぐらしたところで、突然、頭の中に割り入るように聞こえる声。しかも、聞き覚えがある声だ。そう、忘れもしない塾に行くとき、イタチを見つける前に聞いた声にそっくりだった。その声は塾の帰りと変わらず、助けを求めていた。

 ―――僕の声が聞こえるあなた。お願いです! 僕に力を……僕に少しでいいですから力を貸してください! ―――

 力を貸してください、といわれても困る。この身はただの小学生。多少、普通の小学生よりも知識があるだけの人間に過ぎない。財力があるわけでも、腕力があるわけでもない。助けを求められても何ができるというわけでもない。

 ―――お願いします! 時間……が―――

 ブツンと突然、頭に入ってきた声は、始まりが唐突であれば、終わりも唐突である、といわんばかりに話の途中でバッテリーが切れた電話のようにプツンと切れてしまった。

 さて、最後まで助けを求めていた声であるが、どうしたものか。

 当然、ここで僕が助けに行く義理はない。この声の正体は確かに気になるものの、一晩寝てしまってもう一度声が聞こえることがなければ、数年後に怪談話として思い出せるぐらいだろう。

 そもそも、僕が昼間予想したように幽霊だとすれば、この声はもう助けとと助けを請うものの、もう助けられる状況にない。確か、僕が読んだ限りでは死ぬ間際の無念で地上に縛られる幽霊のことを自縛霊といっただろうか。その類であろう。
 ならば、僕が声の主を見つけたとしても助ける術は既になく、この年になって仮に霊感に目覚めていたとしても、漫画のように突然霊力の使い方に目覚めるはずもないので僕では何の役にも立たない。

 そう、冷静に考えれば、ここで僕が「助けて」と請う声に応える義理は何所にもなく、このまま宿題を終え、昨日読みかけの本を読み、就寝するのが一番であると理性の部分は訴えている。

 だが、だがしかし、夕方の先生の優しい声と笑顔がどこかで再生される。

 ―――君がしたことはとても尊いことなの。その気持ちを忘れないで。それが私にとって一番の報酬なんだから。

 あのときの気持ちを「助けて」という声に誘発されて思い出してしまった。
 どうやら、僕はこのまま布団の中に入ったとしても、この声が気になって眠ることはできなくなってしまったらしい。

 もしかしたら、僕と同じように超常現象の類で、超能力者がテレパシーとか使って助けを求めているかもしれないから。その彼が次の日の朝刊に載っていたら気分が悪いから。動物病院の先生の笑顔を裏切ったような罪悪感に悩まされたくないから。

 一瞬で浮かぶ、かなり無理矢理な理由。だが、そんなこじつけの理由でもなければ、僕は夜の街に繰り出そうとは思わなかっただろう。

 僕は、弟の秋人の世話でてんてこ舞いになっている両親に外出する旨を告げ、薄暗い夜の町に飛び出した。



  ◇  ◇  ◇



 僕は夜の街を走る、走る、走る。
 昼間の人通りが多い時間とは違って、住宅街であるこの近辺は夜になると人通りが殆どなかった。その恐怖を紛らわせるためか、助けてという声に心が急かされているのか、走っていた。

 しかしながら、僕は一体どこに向かって走っているのだろう。
 放課後や休日のサッカーや野球で運動をしているといっても遊びのレベル。そこら辺の小学生よりも体力はあるだろうが、ずっと街中を走れるほどの体力を持っているわけではない。はっはっ、と肩で息をしながら、僕は走っている。声がしたであろう方角に向かって。

 むろん、聞こえてきたのは頭の中であり、声の方角が正確にわかったわけではない。今、僕は確実に勘だけで走っている。女の勘は鋭いと聞いたことはあるが、男の勘も鋭いのだろうか。いやいや、しかしながら、ありえない声が聞こえる僕だ。超能力者やそれに匹敵するだけの勘があっても変な話ではない。

 とにかく、僕は何かに突き動かされるように走っていた。

 そして、たどり着いたのは――――

「槙原動物病院? ―――っ!?」

 なぜここなんだ? と疑問に思っていると、突然不思議な耳鳴りに襲われた。まるで黒板を爪で引っかいたような生理的に嫌悪感を感じさせる音。そして、その音が聞こえた刹那、時が止まった。
 いや、そう形容するのはおかしな話である。時は不可逆で、止まることなど決してありえないのだから。だが、そう形容するしかなかった。
 まず、自然の音が消えた。いくら人通りが少ないといっても車通りがまったくないわけではない。つまり、車の排気音、家庭から聞こえてくる音、庭先の犬が吼える音、野良猫が威嚇しあう音。街中に出るだけで普通は音にあふれている。それらが一斉に止まった。まるで、時間を止めたように。

 ―――どうなってるんだ?

 さすがに自分自身が輪廻転生という不可思議な現象を体験しているとはいえ、この状況に追い込まれれば焦りもする。もしかしたら、僕はとんでもないことに首を突っ込んでしまったのでは? と思っていると、唐突に訪れた静寂を切り裂くようなこれまた突然の爆発音。

「……今度は一体何が起きたんだ?」

 幸いにして僕が超常現象で慌てる時間は短かった。この状況に慣れてくれば、大体のことは許容範囲内だ。
 そして、音がした病院の敷地内を覗いてみると、そこには折れた木と木の上に立っている昼間のイタチと折れた木の下敷きになっている得体の知れない真っ黒い何か。

 ―――なんなんだ? あれは。

 僕は知らず知らずのうちにそれに恐怖を抱いていた。
 蔵元翔太という人間に残っている本能が警告を鳴らしていたのかもしれない。黒い何かが持つ得体の知れない強大な力を。
 僕が得体の知れない何かの持っている力に戦いていると、まるでそれを無視したかのように首から下げた赤い宝石を揺らしながら僕に飛び込んでくるイタチ。突然のことに僕はイタチを反射的に受け取ってしまった。

「ありがとうございます。来てくれたんですね」

 そして、そのイタチは礼を述べた。

「……助けてください、って言われたら来ないわけにはいかないからね」

 もう、この程度では驚かない。今更、イタチがしゃべったところで驚く理由はない。
 それよりも、再起動した思考が問題だった。僕の本能は間違いなくあの黒い何かから逃げることを推奨している。ちなみに、理性も全会一致で逃走案を可決している。

「とりあえず、何か言いたいこともあるだろうが、逃げながらでいいかな?」

 もちろん、返事など聞いていない。なぜなら、下敷きになってもがいていた黒い何かは、僕を十人足しても足りないであろう重量の木を下から持ち上げて立ち上がろうとしていたのだから。
 僕は、イタチの返事を聞くことなく、一目散にその場から逃げ出した。



 ◇  ◇  ◇



 逃げながら聞いた話では、どうやら彼(?)は、何かを探してこの町に来た異世界人らしい。宇宙人とは違うのだろうか、と思ったが尋ねるような余裕はない。しかし、その探し物は、彼自身の力だけでは集めることができず、夕方や今のように助けを求めていたらしい。
 もしかして、集められる目算もなくきたのだろうか。いや、それよりも、誰かの助けを借りないと見つけられない探し物ってなんだろうか。人海戦術なら分かる。だが、あの得体の知れない何かを見た後では、そんなことは言えない。話の流れから明らかに彼があの得体の知れない何かに勝ることができなかったとわかるから。

「つまり、君はあれに勝る力を持つ誰かを探していた、ということかな?」

「そうです」

 いとも簡単に言ってくれる。だとすれば、完全に僕ははずれだ。確かに、輪廻転生という超常現象と体験したという意味では常人とは異なるかもしれないが、あの得体の知れない何かに勝るような力を持っているわけではない。いわゆるサイキッカーやパイロキネシスならまだしも、僕はただの知識が同年代よりも多いただの小学生だ。あるいは、戦国時代の軍師のように知略で勝てとでもいうのだろうか。

「残念ながら、当てが外れたようだね。僕は、何の力も持たない小学生だよ。君の期待に応えることはできない」

「いえ、そんなことはないはずです。僕の声に応えてくれた貴方には力があります。魔法の力が」

 もう驚かないと思っていたが、その考えはいともあっさりと覆された。

 ―――魔法の力。

 魔法。それは、御伽噺の中でしか使われない言葉。もしも、自由にこんなことができたらいいのに、という人々の願望によって生まれた妄想の産物。現代で魔法が使えますと言おうものなら、笑いものになるか、本気で心配されるかのどちらかだろう。
 だが、僕には一笑することができなかった。輪廻転生という超常現象を体験している僕としては。

「でも、残念ながら僕にそんな力があったとしても、今すぐに使いこなせるわけがないよ」

 そう、いくら力があっても使い方が分からなければ宝の持ち腐れだ。
 電気にしても、家電製品の類がなければ、ただのそこに存在するだけのエネルギーに過ぎないのだから。

「ええ、分かっています。だから―――」

 彼が、その次の言葉を紡ぐことはできなかった。
 なぜなら、唐突に気配を感じたから。足音を聞いたとかそんなものではない。なんとなく感じたのだ。ただの男の勘だ。だが、その勘を否定することはできなかった。

 自分の上空に気配を感じて反射的にその場の地面を強く蹴って、道路の真ん中から端っこにイタチの彼を抱きかかえながら、転がるように移動する。我ながら奇跡的な反応に近いと思った。もう一度やれといわれても無理だろう。
 そして、その刹那、先ほどまで僕が立っていた場所にはあの黒い得体の知れない何かが道路のアスファルトを抉って埋まっていた。

 ―――なんて馬鹿げた力。

 一体、アスファルトを抉るなんて芸当がどうやったらできるのだろうか。道路の工事といえば、ドリルのような掘削機をつかってようやく削れる程度。それを一瞬で抉るのだ。そこに秘められた力がいかほどのものか、僕の頭では計算することはできない。ただ、生身の人間が相対すればすぐさまミンチになるような力であることは理解できた。おそらく、あと一瞬、遅ければ、僕はあの抉れたアスファルトの下でミンチになっていただろう。

 それを想像すると今更のように恐怖が腹の底から這い出していた。

「無理だろ。あれに勝る力なんて……」

「そんなことはありません! 貴方の持つ魔法の力とこのレイジングハートがあれば」

 そういって、イタチくんは、首に下げていた宝石を器用にくわえて僕に渡してきた。小さな丸い宝石。だが、不思議と鼓動していて生きているようにも思える。

 今度は鉱物生命体か……?

 だが、答えは違った。デバイスといわれる魔法を使うための魔力を制御する道具らしい。つまり、これを使えば、お手軽簡単に魔法使いになれるということだ。

 だが――――

「やっぱり、無理だよ」

「どうしてですか!?」

 実に慌てたようにイタチくんが聞いてくる。だが、聞かずとも分かるものだろう。僕は、今まで平凡な小学生をやってきたのだ。前世にしても平凡な学生までしか経験していない。戦うといっても子供の喧嘩程度だ。それは戦いとも呼べないものだ。
 そんな僕に急にあの得体の知れない何かと戦ってくださいといわれても無理な話だ。そう、たとえ魔法という名の武器を与えられたとしても、だ。それは、戦場で有名なデザートイーグルを一丁渡されて、さあ、戦って来いといわれているに等しい。そんなことで戦えるはずがない。

 それを告げると、イタチくんは何かを決意したような顔になった。

「―――分かりました。無理を言ってごめんなさい」

「いや、こちらこそ申し訳ない。何もできなくて」

 そう、申し訳ない気持ちで一杯だ。助けて、という声に反応してきたのに何もできないなんて。
 だが、そんな僕の申し訳ない気持ちを汲んだのか、イタチくんは首を左右に振ってくれる。

「いえ、もともと僕が無理な申し出だったんです。だから、ここから先は僕が何とかします」

「何とかします、ってできるの?」

 だが、答えはなかった。おそらく、彼自身も何とかできるとは思っていないのだろう。

「命は賭けてみるつもりです。でも、それでも……もし、何とかできなくて僕が死んでしまったら、貴方は今すぐこの街から逃げてください。これは魔力を持つものを追っています。僕の念話に反応があったのは二人。貴方ともう一人。おそらく、僕が死ぬと、貴方ともう一人の元をこれが襲撃するでしょう」

 ――――っ!?

「ごめんなさい。僕のせいで」

 心底申し訳なさそうにイタチ君が謝る。
 だが、よくよく考えれば、イタチくんが謝る必要はない。むしろ、僕はお礼を言わなければならないのではないだろうか。

「いや、君のせいじゃないよ。君が言うことが本当なら、どちらにしても、僕はこれに襲われていただろうからね」

 そう、イタチ君が仮に助けを呼ばなかったとしても、これにやられていただろう。あの怪我の具合から見ても間違いない。森にイタチの死体が一つでき、そして、その後、僕も襲撃されるのだ。そして、何も知らない僕は無残な屍を晒していただろう。
 ならば、むしろ、彼が助けを呼んでくれたことは、感謝すべきことだ。こうして何も知らないままやられるよりも対抗手段を示してくれたのだから。

「そもそも、君のせいじゃない。君を助けようとしたのは僕自身が決めたことなんだから」

 そう、これに巻き込まれたからといって僕は彼を責めるつもりはない。彼を助けに行こうと決めたのは僕なのだから。イタチくんが助けを求めたから、と責めるのなら、最初から助けになどいかなければいいのだ。そうすれば、何も巻き込まれることはなかったのだから。もっとも、イタチくんの言うことが本当なら、助けに行かなくても巻き込まれていたみたいだが。

 どちらにしても巻き込まれるのなら、抗うしかないだろう。

 先ほどまでの恐怖感を飲み込んで僕は覚悟を決めた。いや、決めざるを得なかっただけだが。先ほどまでは逃げるという選択肢があったが、もう逃げるという選択肢は取れないのだから。背水の陣にでもなれば、人間肝が据わるものだ、と記憶だけなら三十年近くなる人生の中で初めて知った。

「それで、これはどうやって使うの?」

「まずは、契約が必要です。僕の言葉に続けてください」

 言われたとおりに僕は、イタチ君の後に続けて言葉を紡ぐ。


―――我、使命を受けし者なり。
   契約の下、その力を解き放て。
   風は空に、星は天に。
   そして、不屈の心はこの胸に。
   この手に魔法を。
   レイジングハート、セット・アップ! ――――


 真面目に考えれば恥ずかしい言葉。だが、そんなことは言っていられない。僕とイタチくんの命がかかっているのだから。
 さて、呪文を言い終わったのだが、まるで芸人のギャグがすべった時のようにひゅーという風が吹いた様な気がするだけで何も起きなかった。

 何か嫌な予感がしたが、僕は意を決してイタチくんに尋ねた。

「……これで契約は終わり?」

 だが、答えは返ってこない。しばらくイタチくんは考え込むような仕草をして、申し訳なさそうに再度頭を下げた。

「いえ……ごめんなさい。貴方に魔法の力はあるんですが、レイジングハートとは適正がなかったようです」

「つまり?」

「失敗ということです」

 項垂れるイタチ君。いや、項垂れたいのは僕だ。せっかく覚悟を決めたというのに、決めた直後に契約に失敗して魔法は使えないという。もしかしなくても、大ピンチという奴である。
 しかも、間の悪いことに先ほどまでアスファルトに埋まっていた黒い何かがアスファルトを抉ったときの衝撃でばらばらになっていた自身の再構成を終えようとしていた。

「……とりえあず、逃げようか」

「はい」

 僕とイタチ君は、頷くと同時に駆け出した。



  ◇  ◇  ◇



 どうする? どうする?

 僕は背後から追ってくる恐怖を意図的に無視して考えながら走り続ける。どうやら、黒い何かは移動こそそれなりに早いものの思考能力は低いようである。曲がり角になるとどちらに曲がったか、必ず一度立ち止まって考える。つまり、スピードが一瞬ゼロになるのだ。その瞬間を狙って、僕は減速なしで走り続けている。
 しかし、この方法も永久的に続くわけがない。体力という名の限界があるのだから。

「さて、本当にどうしたものかな?」

 ここまで手詰まり感があると他に手が中々思いつかない。
 だが、このままでは、本当にミンチになって死んでしまう。それだけは避けたいのだけれども……。さて、本当に手がないのだが。

 そう思っていたところで、先ほどまでずっと考え込んだ表情をしていたイタチ君が口を開いた。

「……もう一人の方に助けを求めましょう」

「もう一人?」

「ええ、僕の念話に反応があったのは二人です。貴方ともう一人」

「その人に助けを求めるって?」

 なるほど、手がないなら、他から持ってくるしかないということだろう。
 この場を打開するためには、いい考えだとは思う。さらに他の人を巻き込んでいいのか? いや、放っておいたところで、どうせ襲われるのだか今、巻き込んでも問題ない、という思考が生まれ、躊躇したが、それも本当に一瞬だった。

 なんだかんだと理由を立てているが、正直に言うと、僕は他人を巻き込んでも死にたくないのだ。一度、輪廻転生という超常現象を体験し、死んでいると過言ではないものだが、死というものは抗いがたい恐怖を生み出す。そして、その死という恐怖から逃れられる手があるなら、僕は躊躇なく選択するだろう。それが、たとえ他人を巻き込むものであっても。

 巻き込んだことについては後で謝ろう。幾ばくかの御礼をしよう。

 ああ、なるほど、イタチくんと同じ選択を取るしかない状況でようやく彼の心境が分かったような気がした。確かにこんな状況になれば、誰かに助けを求めてもおかしくない。それが助かる希望の光なら尚のこと。

「それじゃ、今度は僕に言わせてもらえるかな?」

「え? 念話ですか? 起動しなかったとはいえ、認証パスワードで貴方もゲスト権限は持っていると思うので、念話程度ならできるでしょうが……」

 その念話というのがあの頭に直接響いた声の正体というのなら、僕にも可能らしい。イタチくんが慌てていたのは分かるが、あれでは誰も助けに来ないだろう。むしろ、不審者だ。できれば、身元がしっかりしていたほうが助けに来てくれる確率は上がるだろう。

「これを持って、話せば良いの?」

 僕は渡されたままの赤い宝石をイタチくんに示した。

「はい、それで大丈夫です」

 なら、助けを求めるとしよう。

 できることなら、僕よりも年上で、男性で、荒事に慣れていて、度胸がある人が来てくれればいいんだが、それは高望みがすぎるだろうな。
 そんなことを思いながら僕は、赤い宝石を握って助けを求めた。



  ◇  ◇  ◇



 助けを求めて、一体どれだけの時間逃げただろうか。そろそろ体力の限界が近かった。
 曲がり角に曲がっては、電柱の裏に隠れて時間を稼ぐといったことの積み重ねて休み休みで足を誤魔化してきたわけだが、そろそろ本当に限界に近かった。

 しかし、助けが来てくれる様子はない。もしかすると、もう一人の人はやはり魔法というものを信じてもらえず来てくれないのだろうか。

 そんな絶望が一瞬浮かんだからだろうか。しっかりと地面を踏みしめていた足が、一瞬、力を失い、もつれてしまった。体勢を立て直すこともできず、結果、転倒。アスファルトの上をヘッドスライディングのように滑ってしまった。

「いつつ……」

「だ、大丈夫ですか!?」

 転んだ僕を心配してくれるイタチくん。幸いにして転び方がよかったのか、打ったところが痛いものの怪我の類はないようだ。
 大丈夫だよ。と言おうとしたところで街灯に照らされていた僕の顔を遮るように影ができた。

「え?」

 ふと、見上げるとそこには見たことある顔が。

「高町……さん?」

 ようやく獲物を見つけたとでも言うがのごとく叫ぶ黒い得体の知れない何かにまったく怯むことなく、高町さんが冷静な目で僕を見下ろしていた。

続く

あとがき
 現時点におけるこのSSの特徴(これから後の話については保証しません):良いことをしたはずなのに悪い結果に繋がる。
 主人公、喧嘩を止める→なのは友達できず
 愛先生、子供を褒める→主人公危険なことに首を突っ込む





[15269] 第十話
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2010/02/01 22:03



 突然現れた高町さんに気を取られていたのは、どれほどの時間だっただろうか。少なくとも長時間ではないことは確かだ。そんなに長時間もの間、高町さんに気を取られていたとしたら、僕の背後で吼えている得体の知れない何かは、間違いなく僕を襲っていただろうから。

 ところで、ここに来たということは、高町さんが僕とイタチくんにとっての救世主なのだろうか。だとすれば、神様も相当に意地が悪い。僕が望んだのは、荒事に慣れていそうな青年男性だったというのに。どう見ても、高町さんはその条件とは正反対の人間である。

 しかしながら、そんな風に考えている時間はあまりない。

「高町さんっ! こっち!」

 気を取られていたのも一瞬。転倒していた身体を起こし、跳ね上がる力を利用して一気に加速する。その際に高町さんの手を引っ張っていくことを忘れずに。彼女に事情を話すにしても後ろにバケモノがいる状態では話もできない。
 こいつの特徴として、あまり知能が高くないことが分かっている。曲がり角でも曲がった方向を確かめるのではなく、曲がり角で一旦停止をしてから僕のほうへ向かってきたことからも明らかだ。

 今までは逃げることだけで目的にしてきたため、その間も走ってきたが、今は時間稼ぎに使わせてもらうことにしよう。

 幸いにして、この先にあるのは十字路。つまり、僕が逃げる方向は三箇所あるわけで、その選択肢が増える分だけ、時間が稼げる。その稼いだ時間でこの状況を打破する方法を考えなければならない。

「イタチくん、もう一人っていうのは高町さんで間違いない?」

 もしかして、という意味もこめて僕はイタチくんに聞くのだが、その願いは悪い方向へと外れてしまった。

「ええ、間違いありません。僕のなけなしの魔力で封時結界を張ったので。この空間に侵入できるのは魔力を持った人間だけです」

 名前から察するにこの空間を閉鎖する結界なのだろう。それは、現実世界に影響を及ぼさないためか。確かに、逃げてくる間、得体の知れない何かからの触手のようなものから攻撃のせいでコンクリートに穴があいていたからな。もしも、これが見つかれば、明日は大騒ぎだろう。

 そして、魔力を持った人間というのは、僕ともう一人だけだったということか。
 なら、残念なことに高町さんがもう一人の魔力を持った人間だということで間違いないのだろう。

 実に情けないことに僕は精神年齢から言えば年下の女の子に頼らないとこの場を切り抜けることはできないらしい。

 しかし、僕はちらっ、と手を引かれて僕の後ろを走る高町さんを見る。
 彼女は、あの得たいの知れない何かを見て何の感情も抱いているようには見えなかった。今も冷静な目をして僕を見ている。何かを問うような表情もしていないし、困惑している様子もなければ、恐怖に歪んでもいない。
 まるで、感情という器官が停止してしまっているように思える。

 最後に高町さんの姿をきちんと見たのは、一年ほど前だろうか。高町さんが不登校になったときに高町さんの日頃の様子を探りはしたが、探っただけで彼女に直接出会った訳ではない。つまり、クラスメイトだった日々が最後だというわけだ。だが、少なくともそのときはこんな風な表情をするような女の子ではなかったはずだ。一体、彼女に何があったというのだろうか。

 しかしながら、今はそんなことを考えている暇はなかった。僕は、交差点の角を曲がると、高町さんを前に連れてきて、すぐ傍にあった電柱に隠れるようにして、背を預けて、ズルズルとずれてその場に座り込んだ。
 長時間走り続けたせいか、かなり息があがっている。正直、息が整うまで待って欲しかったが、そんな時間も惜しかった。

「高町さん、まずは、来てくれてありがとう」

 正直言うと、もしかすると魔力を持っている僕以外のもう一人は来てくれないんじゃないか、という疑惑を持っていた。なにせ、頭の中に響く声だ。僕は、自分自身が超常現象だから、ある程度信じられたが、普通の人ならまず信じられない。もしも、誰かに言ったとしても、それは都市伝説である黄色い救急車を呼ばれてしまうだけだろう。

 だから、感謝を告げる。まだ、助けてもらったわけではないけれども、来てくれただけで十分嬉しかったから。
 もっとも、ここで下手を打つとこの場にいる全員が死んでしまうわけだが。できるだけ、そんなことは考えないようにした。

「後は、魔法に関してなんだけど……」

 僕は、僕が座り込んでいる隣で大人しくしていたイタチくんに視線を向け、持っていたレイジングハートと呼ばれた赤い宝石を渡す。それだけで僕の意図を汲んでくれたのだろう。僕が未だ持っていた赤い宝石を口にくわえると、高町さんの前に立って魔法に関する説明を始めた。
 さて、これでしばらく僕はお役ごめんだろう。少しの間とはいえ、体力を回復させてもらおう。

 やはり小学生の身体でここまで走るのは無謀だったのだろう。洋服は既に汗でびしょびしょだ。家に帰れたら、もう一回お風呂に入らなきゃな。

 そんな少しの安寧を得た僕は平凡なことを考えながら、高町さんを見ていた。

 まるで、表情の見えない高町さんだったが、イタチくんから赤い宝石を受け取ると、それを真剣な目で見ていた。いや、それは真剣な、と形容するよりも思いつめたという形容のほうが正しいだろうか。何が原因か分からないが、必死という言葉が彼女には似合うように思える。

 一体、初めて出会った魔法というものにここまで必死になれる理由とはなんだろうか。

 僕は、体力を回復させるために休んでいる傍ら、思考をそちらへと飛ばしていた。

 もしかすると、彼女は、魔法を使うことに憧れる女の子だった? だが、そうなると嬉々とした表情を浮かべるならまだしも、イタチくんの言葉を一言一句逃さず聞こうという鬼気迫った表情とまるで赤い宝石が最後の希望のようにぎゅっと握る手を示すものがわからない。

 もっとも、僕が考えたところで正解が分かるわけではない。こうだろうという答えを見つけることはできても、正解を見つけることなどできない。なぜなら、僕は蔵元翔太であり、高町なのはではないから。
 彼女の気持ちを想像はできるが、体感することは不可能だ。その人の感情はその人のもので他人とは共有できないものである。

 さて、そんな下らないことを考えているうちに彼女も赤い宝石との契約ワードの詠唱に入った。
 あのアニメや漫画の中でしか言わないような僕からしてみれば恥ずかしい詠唱を高町さんはつっかえることなく言い切った。
 その詠唱を終えた刹那、変化は始まった。

 ―――Stand by Ready, Set up.

 そんな起動音のようなものが赤い宝石―――レイジングハートから聞こえ、直後、レイジングハートから飛び出した光が大気を振るわせた。
 僕の身体にもビリビリと何かを感じる。まるで、何かの波動を感じているかのように。そして、それがとてつもなく大きなものだということは肌と本能で感じ取ることはたやすかった。

「なんてすごい魔力だ……」

 イタチくんの呟きから、この波動が魔力であることが察せられた。しかも、彼の驚きようから考えるにこの力というのは感じたとおり途方もなく大きなものなのだろう。
 そんな力が渦巻く中、高町さんは困惑しているだろう、と思っていたが、実際は違った。

 ―――彼女は笑っていた。

 まるで念願のおもちゃを手に入れた子供のように笑っていた。

 人が思いもよらない大きな力を手に入れたとき、それが権力だったり、財力だったり、腕力だったりするのだが、そういうものを手に入れたときの主だった反応は二つ。
 一つは、その思わず手に入れてしまった力に困惑し、うろたえてしまうような反応。
 もう一つは、その力に酔ってしまうこと。巨大すぎる力を手に入れてしまったことで、気が大きくなり、その力をむやみやたらと振り回してしまうことだ。

 まさか、とは思うが、高町さんの反応は後者に近いように思われた。

 だが、そんな僕の考えを余所に事態は進んでいく。

「想像してくださいっ! 貴方が魔法を制御するための魔法の杖と身を護る強い衣服の姿をっ!」

 さすがに急に言われても、すぐに想像できるはずがない。現に、高町さんは考え込むように目を瞑った。しかし、それも少しの間だ。高町さんが瞑った目を開くと同時にレイジングハートの光が増し、彼女を覆い包む。

 一体全体中で何が起きているのだろうか。その答えはすぐに出された。

 光が解けると同時に高町さんの姿が見える。ただし、その姿は光に包まれる前とは違っていた。つい先ほどまで着ていた私服とは異なる服装だ。
 聖祥大付属小学校の白を基調とした制服によく似た服を着ている。さらに、彼女の左手には宝石を大きくした宝玉とも言うべきものが先端についた杖が存在していた。

「これが……魔法」

 その呟きは誰のものか。僕のものだったかもしれないし、高町さんのものだったかもしれない。だが、どちらにしても同じことだ。僕が言ったにしても、高町さんが言ったにしても、感じていることはおそらく同じことだろうから。

 呆然とする僕と高町さん。イタチくんは、成功だ、と言って感動しているようにも見える。

 だが、そんなに悠長にしている時間はどうやら僕たちに与えられることはないようだ。

 ――――GYAAAAAAAAAAAAN

 高町さんの魔力解放が引き金になったのかもしれない。上手いこと電柱の影に隠れていた僕たちの姿がどうやら得体の知れないものに知られてしまったようだ。僕の背後から見つけたぞ、といわんばかりの咆哮が聞こえた。

 さて、どうする?

 頭の中で選択肢を租借しながら、僕は電柱の影から離れた。このままでは逃げ道が少ないからだ。道路の向こう側には、確かに僕を追っていた得体の知れない物体が立っていた。

 僕の頭の中には二つの選択肢があった。一つは、今までどおり逃げること。もう一つは、ちょっと情けないけど高町さんに任せて逃げること。だが、対抗手段を持っているのはもはや高町さん以外にありえない。
 しかしながら、対抗手段は持っているものの、その力がすぐに使えるわけではないだろう。僕にはレイジングハートを起動することすらできなかったのだから、その先は分からない。イタチくんにまかせるしかないのだが。

 どうやら、得体の知れない何かは、その選択肢を選択させる暇もイタチくんに説明の暇を与えるつもりはないようだ。

 見つけた、とばかりの咆哮を終えた後に、すぐさま、得たいの知れない黒い部分から伸びた黒い触手をこちらに向かって一直線に伸ばしてくる。そのスピードは目で追えないほどに早いというわけではない。

 だからだろう。高町さんが僕の前に出ることができたのは。

 そうして、僕に背を向けて彼女はかざす。自らが想像した杖を。そして、その杖が告げる。彼女に得体の知れない何かに対抗するための呪文を。

 ―――Protection.

 呪文のように発せられた文言の後に発生したのは、桃色の壁。その壁は高町さんと触手を別つ絶対の障壁のように展開された。
 事実、触手は壁を貫くことはできない。それどころか、触手のほうが力負けして、押し戻されている。さすがにこのままの状況では勝ち目がない、と悟ったのか、得体の知れないものは、自らが伸ばした触手を戻した。

「すごい」

 それは、イタチくんの呟き。
 僕もすごいとは思うが、それが果たして何を基準にしてすごいというのか分からない。魔法なんて見たことないから。

 だが、誰が、教えられて僅か十分で、魔法が使えるというのだろうか。得体の知れない物体と戦うことができるというのだろうか。漫画のヒーローではあるまいに。これが現実だとすれば、答えは唯一つ。

 高町なのはは、魔法に関して言うと、一を学んで十を知る天才だったというだけの話だ。

 高町さんと得たいの知れない物体との睨み続く。得体の知れない物体は、うねうねと触手を動かすことで高町さんを威嚇しているようにも見える。威嚇にしか見えないのは攻めてくる気配がまったくないからだろう。知能が低いとは思っていた分、どうやら高町さんを適わない敵だと認識できるほどには本能的に強いらしい。

 一方の高町さんは、得体の知れない物体に向かって杖を向けているだけ。彼女は、まだ何も使い方を学んでいないはずなのだが。どうやって魔法を使っているのだろうか。本当に謎だった。

 しかしながら、これはチャンスだった。イタチくんが高町さんに状況を説明する絶好の。

「イタチくん、高町さんに魔法の説明を」

「あ、はいっ!」

 僕のその呼び声に反応して、杖を構えたままの高町さんにイタチくんは魔法に関する説明を始めた。僕も初めて聞く話だったが、大まかにまとめると、魔法というのは、術者本人が持つ魔力をエネルギーにし、プログラムを発動させるというものらしい。あのレイジングハートの中には、簡単な魔法が登録されているようだ。簡単な魔法は、思うだけで使えるらしいが、大規模なものになると呪文が必要らしい。そして、その呪文は―――

「心を澄ましてください。そうすれば、貴方の中で貴方だけの呪文が浮かぶはずですっ!!」

 果たして、それだけで使い方が分かるものなのだろうか。実際にレイジングハートを起動できなかった僕には分からない。

 さて、得体の知れない物体―――ジュエルシードとやらの思念体と高町さんの対峙はいったいどれだけの時間がたっただろうか。短かったかもしれない。長かったかもしれない。僕にはいまいち時間の感覚が分からなかった。
 まるで、両者とも動けばやられるという雰囲気を醸し出しており、僕もイタチくんも動くことはできなかった。

 ごくり、と緊張のあまり、つばを飲み込んだ音が周りにも聞こえてそうだ。そして、まるで、その考えを肯定するように直後、状況が動いた。
 思念体が直接、その僕たちよりも大きな身体を生かして突っ込んできた。まるでダンプカーが突っ込んでくるようなものだ。それに対して高町さんの行動は、先ほどと同じだった。

 ―――Protection.

 レイジングハートの声と共に再び現れる桃色の絶対障壁。先ほどは触手で、今度はその巨体が丸々突っ込んできたわけだが、高町さんにはまったく関係のない話らしい。負荷は増えているように思えるが、それでも高町さんは一歩も引くことなくその巨体を受け止めていた。杖をかざし、バチバチと障壁と触手の間で散らしている火花をじっと見ているように思える。

 やがて、高町さんと思念体の力比べは、終わりを告げた。思念体の身体が四方に散らばることによって。しかし、その散らばった欠片でさえ、コンクリートの塀に刺さるほどの硬度と速度を持っているらしい。力は質量と速度で表せることから、欠片でもその力を持っていたのに、それらの塊を一歩も引かずに支えていた高町さんの障壁はいったいどれほどの硬度だというのだろうか。

「……これで終わり?」

「いえっ! まだですっ! ジュエルシードの封印をっ!!」

 塊が散らばった程度では終わりではないらしい。気を抜きかけた僕を叱咤するようにイタチくんの声が響く。確かに、思念体は生きているようだ。高町さんから少し離れたところで、アスファルトを砕くほどの大きな塊から触手が伸びて、欠片を回収している。

 しかし、イタチくんの声に反応した高町さんのほうが行動は早かった。高町さんは、再び杖を構え、抑揚のない声で呪文を紡ぐ。

「リリカル・マジカル―――ジュエルシード封印」

 ―――Sealing Mode.Set up.

 レイジングハートが形を変える。杖の部分から桃色の光による翼が生えている。そして、レイジングハートから伸びる桃色の光の帯が、ようやく回収を終えた思念体の巨体に巻きついていた。それが苦しいのか思念体は、苦しむような声を上げている。

 だが、そんなものはあっさりと無視して高町さんはさらに言葉を紡いでいた。

 ―――Stand by Ready.

「リリカル・マジカル。ジュエルシードシリアル21封印」

 呪文を終えると同時に光の帯は思念体を握りつぶすように思念体を締め上げ、最後には思念体の断末魔と目を開けていられないほどの光を残して思念体は姿を消した。

「これで、本当に終わり……?」

「ええ、封印成功です」

 僕は、ほっ、と胸をなでおろした。なぜなら、これで少なくとも僕にとっての命の危険性はなくなったからだ。もっとも、戦ったのは、高町さんで僕は後ろから見ているだけという情けない結果ではあったが。

 しかしながら、酷い有様だ。アスファルトは陥没しているし、周りのコンクリート塀は、穴だらけ。さらに、思念体の欠片が、飛散したときの余波か、電柱が折れていた。

「さあ、ジュエルシードをレイジングハートに格納してください」

 言われて気づいたが、陥没したところに蒼い宝石が転がっていた。これが、ジュエルシードなのだろう。
 高町さんは言われたとおりに聖祥大付属小の制服に似た服装のまま、蒼い宝石に近づき、レイジングハートをかざすと、蒼い宝石はレイジングハートの中に吸い込まれていった。
 それと同時に今度は、高町さんが光りだす。今度はなにが起きたんだ? と思う間もなく結果は目に見えて分かった。高町さんの服装が元の私服に戻り、レイジングハートは赤い宝石に戻ったからだ。

 高町さんはきょとんとした様子で、赤い宝石に戻ったレイジングハートを見ていた。

「これで、本当に終わりかな?」

「ええ、彼女のおかげで」

 本当に全部、高町さんのおかげだろう。僕は、助けるために飛び出したにも関わらず、情けないことにこの場では、傍観者でしかなかった。結果論からいえば、みんな助かって万々歳なんだろうけど。

「高町さん、本当にありがとう。君のおかげで助かったよ」

 僕は、呆然としている高町さんに肩を叩いてこちらに顔を向けさせると、改めて御礼を言った。彼女がいなければ、僕は間違いなく屍を晒していただろうから。
 その言葉を聞いた直後は、きょとんとしていた彼女だったが、やがて驚いたような表情をしたかと思うと―――

「うんっ!」

 高町さんは、僕が真正面から初めて見る満面の笑みを浮かべたのだった。



  ◇  ◇  ◇



「しかしながら、これはどうしたものかな?」

 僕は周りの惨劇を見ながらぽりぽりと頭の後ろを掻きながらどうにもならない現状を嘆いていた。

 アスファルトが陥没し、コンクリートに穴が開き、電柱が折れている。地震でも起きたのではないか、という状況だった。
 こんな状況が放置されれば、確実に事件になるのは間違いない。

「あ、大丈夫ですよ。この状況はすぐに元に戻ります」

 イタチくんがそういった直後、まるでシャボン玉でも割れたようなパンッという音が鳴り、世界に音が戻った。
 風の音、風が揺らして葉っぱがこすれる音、遠くを走る車の音。世界に生きる様々な音が今更のように蘇っていた。

 そして、先ほどの惨劇は、綺麗さっぱりなくなっており、そこにはジュエルシードの思念体が、暴れる前と同じく綺麗なアスファルトとコンクリート、折れていない電柱が存在していた。

「……すごい、これも魔法なの?」

 高町さんが感心したように呟く。それは、僕も同じ感想だった。明らかに僕が知るエネルギーやら法則を無視した結果のように思えた。

「ある意味では。先ほどのまでの空間は、僕の封時結界の中でしたので。こうして結界さえ解いてしまえば、元通りです」

「そんなこともできるのか」

 素直に感心せざるを得ない。空間だけを切り取るなんて、物理的な概念を超えている。これこそ、まさしく御伽噺やアニメ、漫画の中でしか出てこない魔法そのものではないか。

 高町さんの思念体と戦ったときの魔法といい、今のような魔法といい、実に好奇心を刺激してくれるようなものだ。どうやら、レイジングハートに適正はなかったものの、僕にも魔法自体の才能はあるみたいだから、もし時間があれば、可能な範囲でいいから教えてもらったのに。

 しかし、残念なことにそれは叶わないだろう。

「それで、イタチくんはこれからどうするの? 自分の世界に帰るのかな? あるいは、観光していくつもりなら、この周りでいいなら、僕が案内するよ」

 もう目的のジュエルシードとやらの封印は高町さんが先ほど終了させた。ならば、彼の目的である探し物は、すでに見つかっており、ここにいる理由もないだろう。僕はそう思ったのだが―――

「え?」

「え?」

「……え?」

 三者三様の驚き。上から順番にイタチくん、高町さん、僕だ。

 僕にはなぜイタチくんが驚くのか分からない。もう、彼の目的は終了したはずなのに。それとも、これ以上、ここに留まる理由があるのだろうか。

「イタチくん、君は他に―――「なのはっ!!」

 驚いた理由を問いただそうとした僕の声をかき消すような大声が夜の道路に響いた。
 その声から高町さんの名前を呼んだのは男性のものであることが伺える。あまりの大声に僕たちは、その声の方向を向く。そこにいたのは、肩を揺らしながら全力で走ってくる男性。ぱっと見た感じ、二十歳前後のように思える。

「お兄ちゃん……」

 高町さんの名前を知っていることから、彼女の関係者かな? と思っていたら、案の定だった。高町さんのお兄さんは、僕たちを認識するとすぐさま、全速力でこちらに向かってきていた。

 しかしながら、僕たちが見たときはかなり遠かったのに、その距離を全速力で走って息切れ一つないってどれだけの体力を持っているというのだろうか。そんな彼は、僕たちの元に着くと、すぐさま僕に不審な目を向けてきた。

「……君は?」

「こんばんは、僕は、高町さんの元クラスメイトの蔵元翔太です」

 不審な目を向けられて、動揺してしまえば、不審者ですといっているようなものだ。あえて、堂々と挨拶までつけて自己紹介をおこなう。それが功を奏したのか、高町さんのお兄さんは、僕に不審な目を向けるのをやめてくれた。

「なのは、ダメじゃないか。夜に誰にも言わずに外に出ちゃ」

「……ごめんなさい」

 お兄さんに窘められた高町さんは、素直に謝った。だが、高町さんが外に出たのは、彼女のせいじゃない。むしろ、僕が助けを求めたからだ。高町さんはそれに応えてくれただけ。ならば、僕が何もせず高町さんが怒られているのを見るのは忍びなかった。

「あの、すいません。高町さんのお兄さん。高町さんが外に出たのは、こいつのせいなんです」

 僕は、道路に立っていたイタチくんを持ち上げる。きゅー!? と鳴いたような気がするが、高町さんのためにも我慢してもらうと思う。

「こいつが逃げ出したらしくて、高町さんはそれを追いかけてくれただけなんですよ。街中でイタチなんて珍しいでしょう?」

「それは、君のペットなのかい?」

「いえ、正確には保護しただけです。今日、森の中で倒れていたのを見つけたんです。少し目を離した隙に逃げてしまって」

 正確には動物病院に預けていたのだが、預けていた動物が逃げ出してしまうような動物病院は確実にダメな動物病院だろう。人の口に戸は立てられない。しかも、口コミというのは意外と厄介なもので、一度噂として広まってしまっては手遅れだ。だから、一応、僕が保護していたことにしておいた。
 もっとも、事実の中のちょっとした嘘なので見破られる可能性は殆どないだろう。

「事情はわかった。だが、やはり、夜、勝手に出て行くのは危険だ。今度からは俺たちに一声かけていくんだぞ」

 コクリと頷く高町さん。たぶん帰って怒られてしまうかもしれないが、これで少しは事情が分かってもらえればいいのだが。

「さて、君の家はどこだ? こんな夜だ。ついでに送っていこう」

「……それじゃ、お願いできますか」

 親切心からの言葉なのだろう。しかも、ここで断る理由はどこにもない。むしろ、断ることこそが後ろめたいことを隠しているようで僕には断ることはできなかった。



  ◇  ◇  ◇



 歩いて十五分。それがあの場所から僕の家までの時間だった。

「今日は、ありがとうございました」

「いや、礼には及ばない」

 僕がお礼と同時に頭を下げると、謙遜するように高町さんのお兄さんが言う。ある程度は形式めいたものだが、やらないよりもやったほうがお互いに気持ち良い。

 お互い、形式めいた言葉を交わし終えて、今日はこれで終わりとばかりに背を向けて帰り始めた。

「高町さん」

 僕は高町さんのお兄さんと同様に背中を向けた高町さんに言葉を投げる。

「また明日」

 途中で遮られていた言葉の続きを聞こうという意味も込めて僕は高町さんに別れの言葉を告げた。
 振り返った高町さんは、僕の言葉になぜか少しだけ驚いたような顔をしていたが、すぐに僕がお礼を告げたときのような笑顔になって、うん、と頷いてくれた。

 二人の姿が小さくなり、やがて消える。そうして、ようやく僕は家に入れるようになった。

「さて、君の事はどうやって言い訳しようかな?」

「ごめんなさい。僕のせいで」

「いや、あの場面で助けられなかった分、このぐらいはね」

 僕の家の問題は秋人だけだから、僕の部屋だけしか移動させないと確約すれば大丈夫だろう。

 だが、その考えはどうやら甘かったようだ。いや、イタチくんのことは認めてもらったのだが。僕の頭の中は二十歳に近くても身分も身体も小学生だ。つまり、親としては夜に出歩くなんて言語道断なわけで、この日、僕は生まれて初めて本気で両親に怒られたのだった。



 続く

あとがき
 主人公、ジュエルシードが複数と知らず、勘違いする。
 なのは、魔法依存フラグ ON
 OFFにするため、がんばれ! 主人公!



[15269] 第十話 裏
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2010/02/03 00:15



 高町なのはが、最初に現場に来て最初に目にしたのは、地面にはいつくばった蔵元翔太の姿だった。
 その光景を見て、最初に抱いた感情は、どうしたの? という心配でも、良い気味だ、という見下したものでもなく、よかったという安堵である。
 もちろん、彼がはいつくばっているのを見て安堵したわけではない。まだ、はいつくばるほどに蔵元翔太が危機に陥っていたことに安堵したのだ。

 なのはの中で蔵元翔太は理想だ。

 なのはができなかったことを全てのことをなのはが理想とするようにやってのけていた同級生。彼の噂はクラスが別々になった二年生のときでさえ聞こえてきた。
 成績抜群で、二年連続の学級委員で、クラスの中心で、誰からも嫌われておらず、誰からも気軽に声をかけられ、彼の周りには、常に笑顔があふれていた。

 まさしくなのはが理想とした世界が彼の周りにはあった。

 彼女も一年生の頃はそんな世界を夢見ていた。しかしながら、その世界は、あの日、蔵元翔太との絶対的な差を見せ付けられ、諦めて以来、そんな夢を見ることをやめた。
 そんな世界は、高町なのはを中心としては、決して叶うことがないと悟ったから。高町なのはは何もできない人間だと分かったから。

 それからは灰色の世界を生きてきたなのはにとって、今回の出来事は、確実に最初で最後の希望だ。
 蔵元翔太に勝る何かを手に入れられる最後の希望だった。だからこそ、彼女は安堵した。

 走りながら考えていた。もしかしたら、自分が行った時にはすでに何もかもが終わっているのではないか、と。蔵元翔太が危険に陥ることなどなく、あれはただ自分が生み出した幻聴で、その場にたどり着いたときには蔵元翔太が何の失敗もなく全てを終わらせているのではないか、と。

 だが、たどり着いてみれば、蔵元翔太は、地面にはいつくばっており、背後には翔太のいうバケモノ。

 本来なら、それに恐怖を抱いてもおかしい話ではない。だが、高町なのは限っていえば、彼女はその場に来るまでに想像の中でそれ以上の恐怖を味わってきていたのだ。今更、この程度のことで怯むはずがない。いや、むしろ、彼の言葉が本当だとすれば、蔵元翔太にすら何もできなかったあれに対抗できるのは自分だけ。
 あれを倒すことで蔵元翔太に勝る何かを手に入れられるのだ。ならば、あれは、高町なのはにとっては希望のようにも思えるのだった。

「高町さんっ! こっち!」

 突然、手を引かれた。気がつけば、地面にはいつくばっていた翔太が起き上がり、その反動で駆け出していたではないか。逃げるというのだろうか。まだ、自分は何もしていないというのに。

 本当なら、何のために自分を呼んだんだ、と文句を言うところだったが、それ以上の衝撃がなのはを襲ったため、何も口に出せなかった。

 ―――引っ張られた右手から感じる温もり。人の温もりに。

 右手から感じる翔太の掌の温もりは今までずっと走っていたせいか、なのはよりも温かいように思えた。

 ―――ああ、人の温もりってこんなだったんだ。

 最後に人とを触れ合ったのはいつだっただろうか。もう年単位で誰とも手を繋いでいないような気がする。だからこそ、なのは驚いていた。

 人の手はこんなにも暖かなものだったのか、と。



  ◇  ◇  ◇



 夜の街を二人の小学生が走り、その背後を黒い物体が追いかけていた。奇妙な光景。だが、それに気づくものは誰もいなかった。やがて、少年と少女―――翔太となのはは、曲がり角を曲がり、直後に存在していた電柱に隠れるように身体を滑り込ませた。背後のバケモノがまっすぐ進んでいったのを見るとどうやら、彼らの隠れるという目的は達成したようだった。

「高町さん、まずは、来てくれてありがとう」

 ズルズルと電柱に背中を預けて背中を滑らせ、座り込んだまま翔太は、なのはに礼を告げた。
 ただ、その礼の言葉がなのはに響くことはなかった。なのはにとって、自分はただ呼ばれてきただけで、他に何もやっていないからだ。何も成していないのに礼を言われても嬉しくもなんともなかった。

「後は、魔法に関してなんだけど……」

 きたっ! となのはは思った。なのはが来た目的は蔵元翔太ができなかった何かを成すことだ。それを希望とすることだ。その一部は先ほど聞いていた。すなわち『魔法』という言葉。だから、なのはは先ほどから、いつ魔法という言葉が出るのかを心待ちにしていたのだ。

 翔太が隣で器用に二足歩行しているフェレットに赤い宝石を渡す。フェレットは、赤い宝石を器用にくわえるとそれをなのはに手渡した。

「それじゃ、僕が魔法の説明をさせてもらいます」

 動物が喋った!? という驚きは無論あった。だが、その驚きはもはや今更のようにも思える。このぐらいで驚いているのなら最初に翔太の背後に見たバケモノを見た時点で驚いている。
 さらに、そのフェレットが口にした魔法という言葉が、なのはの驚きを最小限に抑えていた。もはや、なのはの意識の中には魔法という言葉しか興味がなかった。

 フェレットがゆっくりと魔法に関する説明を続ける。それをなのはは一言一句逃さないように神妙に聞いていた。
 なぜなら、それはなのはに残された唯一の希望。今まで闇の中を歩いていたなのはが暗闇の中から抜け出せる最後の希望なのだから。少なくともなのはそう思っている。
 だからこそ、聞き逃すなど間抜けなことで失敗したくない。なのはがフェレットの言葉を聞くのに真剣になるのはある意味必然とも言えた。

「さあ、僕の後に続いて、契約の呪文をっ!!」

 フェレットが紡ぐ言葉をなのはも紡ぐ。


―――我、使命を受けし者なり。
   契約の下、その力を解き放て。
   風は空に、星は天に。
   そして、不屈の心はこの胸に。
   この手に魔法を。
   レイジングハート、セット・アップ! ――――


 その呪文を唱え終えた直後、変化は始まった。

 ―――Stand by Ready, Set up.

 呪文から察するにレイジングハートと名づけられている赤い宝石から機械的な起動音がしたかと思うと、突然の声。それに驚く暇もなく、レイジングハートから桃色の光が発せられる。

「あ、あは、あはははは」

 知らず知らずのうちに口から笑い声を口にしていた。当たり前だ。何も知らないなのはでも分かるレイジングハートから発せられる巨大すぎる力。それは、確実に自分のものだという確信がある。自分の中に秘められた巨大な力。何もできない高町なのはの中に眠っていた力。これを目の当たりにして笑わずにはいられようか。

 ようやく、ようやく、ようやく手に入れたのだ。闇の中をもがいて、彷徨って、溺れて、諦めて、絶望の淵に沈もうとしていたなのが、誰にも、蔵元翔太でさえも追随できないほどの力を。自分だけの、高町なのはだけの力を。

 だからこそ、笑う。笑ってしまう。それは、高町なのが全身で感じていた歓喜を表す唯一の方法だった。

「想像してくださいっ! 貴方が魔法を制御するための魔法の杖と身を護る強い衣服の姿をっ!」

 フェレットが何か言っているのになのは気づいた。どうやら、このままではこの力は使えないらしい。
 ならば、想像する。高町なのはだけの魔法の杖と強い衣服の姿を。

 杖の形は安直なものにした。凝った形を作る時間がもったいなかったから。
 衣服は、聖祥大付属小学校の制服に黒を基調とし、ところどころ赤で装飾されたものが最初になぜか思い浮かんだが、それは即座にやめた。その衣装は、この魔法の力を使うにしてはあまりに無粋。
 この力は、なのはにとって最後の希望だ。願いだ。望みだ。ならば、どこまでも引きずりこまれそうな黒と血のような真紅などは似合わない。願うは、純白。穢れなき純白。それしかありえない。故に、最終的には聖祥大付属小学校と同じような服装になってしまった。だが、後悔はない。これがなのはの望んだ色なのだから。

 やがて、杖と衣装の形が決まると、なのはの周りを光の帯が包み込んだ。その中では、衣服が分解され、彼女の身を護るバリアジャケットが展開されていることだろう。そして、レイジングハートは宝石から形を変え、なのはの想像したとおりの魔法の杖へと変化していた。

「これが……魔法」

 光の帯から解放されたなのはが、自分の変化した衣服とレイジングハートを見て呟く。

 ―――これが、なのはだけの力。

 蔵元翔太でさえ、近づくことができなかった力。それを高町なのはは手に入れたのだった。



  ◇  ◇  ◇



 その後、なのははあの得体の知れないバケモノ―――ジュエルシードの思念体らしが―――と戦った。
 いや、結局は防御しかしていないので戦ったかどうかは非常に謎ではあるが。

 だが、それでも翔太を護ったことには間違いない。触手を防ぎ、思念体の突進を防ぐ。
 恐怖がなかったか、といえば、嘘になるかもしれない。だが、それよりもなのはにとっては、魔法の力を試したいという心のほうが強かった。
 自分の中に感じられる巨大で、力強く鼓動する何かから湧き出る力を。

 それさえ感じてしまえば、思念体など怖くなかった。あれはただの標的。あるいは、なのはが力を手に入れたことを示すための人形のようなものだ。
 現に触手や思念体の突進を防いだときは、笑みがこぼれて仕方なかった。あの蔵元翔太が地面にはいつくばることしかできなかった相手を自分の力でねじ伏せられることが嬉しくて。自分だけの力を確かな形で実感できて。
 翔太に背を向けなければならなかったことが非常に惜しいことをしてしまったと思う。きっとなのはは綺麗に笑えていたと思うから。それを憧れの蔵元翔太に、力を手に入れた最初の自分を見せられないことがとても心残りに感じられた。

 そして、紆余曲折の末、どうにかなのはの魔法の力で思念体を封印できた直後、なのはは誰かに肩を叩かれ、振り返る。
 そこには、ようやく命の危機から解放されて安堵した表情を見せている翔太がいた。そして、彼は口を開く。

「高町さん、本当にありがとう。君のおかげで助かったよ」

 ―――ありがとう。

 最初、なのははこの言葉の意味を理解できなかった。
 久しく言われた感謝の言葉だから。諦めて以来、一年近く言われることのなかった言葉。それを告げられた。あの蔵元翔太から。感謝の言葉を。なのはが持つ、なのはだけの魔法の力のおかげで。

 その意味を理解したとき、なのははあの蔵元翔太からも魔法の力、自分の力を認められたようで、高町なのはという人間を褒められたようで嬉しかった。だから、なのはは胸の内から湧き出てくる歓喜を隠すことなく笑みに変えて頷いた。

「うんっ!」

 この場に鏡を持ってこなかったことが惜しまれた。なぜなら、おそらく、自分は綺麗に笑えているだろうから。



  ◇  ◇  ◇



 後処理は非常に簡単だった。フェレットが、ある一言を呟くとあっという間に壊れていた道路や塀は、元に戻ってしまったから。これも魔法か、と感心して思わず呟いてしまったほどだ。

 なのはとしてはこのまま終わってくれれば文句はなかった。自分だけの力―――魔法の力は手に入れた。後は、この力をどうやって使っていくか、だ。おそらく、同じような相手がいなければ魔法などこの世界では使えないだろう。もしかしたら、もっと他の用途があるかもしれない。それは、目の前のフェレットに聞くしかないのだが。

 ―――魔法を教えてもらおう。

 そう思い、フェレットに声をかけようとしたそれよりも先に翔太が別のことを口にした。それは、高町なのはにとってはとても受け入れられないものだった。

「それで、イタチくんはこれからどうするの? 自分の世界に帰るのかな? あるいは、観光していくつもりなら、この周りでいいなら、僕が案内するよ」

 「え?」と思わず聞き返してしまったのは、決してなのはのせいだけではないだろう。
 せっかく力を手に入れたというのに、振るうのはたったの一回だけ? しかも、フェレットは自分の世界とやらに帰るという。それは、この宝石を返すということ―――つまり、魔法がなのはの手から離れていくということに他ならなかった。

 そんなことは、なのはにとって、とても受け入れられるものでもなければ、許せるものでもない。

 だが、ダメだよ、という否定の言葉を口にする前に、それよりも早くなのはにとって聞き覚えのある声が辺りに響いた。

「なのはっ!」

 声に反応して振り返ってみれば、そこには全力で走ってくるなのはの兄―――恭也の姿があった。

「お兄ちゃん………」

 本当は、自分がようやく手に入れた魔法の力を見て欲しかった。この力でバケモノを倒して、町の平和を護ったと知れば、きっと兄たちは褒めてくれるだろうと思ったから。だが、それは、兄が発しているとある感情の前に遮られた。

 その感情とは―――怒り。

 他人の感情を読むという能力は、なのはが他人から嫌われないために絶対に必要な能力だった。

「なのは、ダメじゃないか。夜に誰にも言わずに外に出ちゃ」

 外に出なかったら、街はきっと破壊されていたのに。蔵元くんは、きっと死んじゃっていたのに。自分は、魔法の力を使って良いことをしたのになぜ、怒られるのだろう。そういう類の不満がなのはの中に芽生える。
 だが、それをなのはは口に出すことができなかった。何か下手なことを言って怒っている兄に嫌われたくないから。だから、なのはは、思っていることとはまったく逆の謝罪の言葉を口にした。

 なのはの中では、どうして? どうして? という言葉が渦巻く。助けたのに。あの蔵元くんを助けたのに、と。疑問と不満。それが溜まる。だが、なのはがそれを口に出せるはずがない。三つ子の魂百までではないが、もはやなのはの人に嫌われたくない、という願望は、魂にまで刷り込まれている。それが兄なら尚のことだ。だから、不評を買うようなことは口に出せない。万が一にでもいい訳と思われたくないから。だから、なのはが言えたのは、やはりごめんなさい、だけなのだ。

 だが、なのはをフォローしてくれたのは、その蔵元翔太だった。

 若干、事実は捻じ曲げられていたが、確かになのはが外に出たのは悪くない、とフォローしてくれていた。
 その翔太が作り上げた事情を聞いて、恭也の怒りが若干和らいだように思える。

 ―――やっぱり、蔵元くんはすごいな。

 なのはは改めて思った。自分には絶対、そんなことはできないから。何もいえないだろうから。だからこそ、兄に物怖じせずにきちんと事情を話せる翔太が羨ましかった。

 その後、なのはと翔太と恭也は、翔太の家に向かって歩く。その間、なのはの間に会話はなかった。翔太と恭也が少し話しているぐらいだ。なのはは時々、翔太の横顔を盗み見ていた。
 翔太の顔はクラスの女子が騒ぐほど格好良いという顔立ちはしていない。ただ、身なりはきちんとしている。寝癖もなければ、服装もよれよれとしていない。身長はなのはよりも少し低いぐらいだろうか。

 極論を言ってしまえば、どこにでもいそうな普通の小学生。特徴らしい特徴もない。それが蔵元翔太だった。

 現場から翔太の家は意外と近かったらしい。十五分ほどで翔太の家に着いた。
 普通の二階建ての一軒屋。なのはの家と比べると若干小さいかもしれない。

「今日は、ありがとうございました」

「いや、礼には及ばない」

 気がつくと、翔太が恭也に礼を述べていた。なのはからしてみれば、その態度を見ていると本当に自分と同い年かと疑いたくなる。それほどまでにできた子供なのだ。蔵元翔太とは。

 そして、なのはたちは帰宅する。だが、背を向けて帰る直前、家の前にまだ立っていた翔太が口を開いた。

「高町さん」

 振り返ると、そこには、笑顔で手を振る翔太の姿が。そして―――

「また明日」

 そう口にした。

 最初、なのははその言葉が理解できなかった。また明日。それは、明日も会おうという約束の言葉。なのはにとって初めての言葉。じゃあね、やさようならなら何度だってある。だが、友達のいなかったなのはにとって明日を約束するような「また明日」という言葉は初めてだった。
 しかも、それは、あのなのはが憧れた蔵元翔太から。

 蔵元翔太からだからなのか、それとも初めての言葉だからなのか、どちらかは分からない。いや、もしかしたら両方かもしれない。
 だが、その言葉は確かになのはを幸せにしていた。なぜなら、なのはにとって憧れだから。こうして別れ際に明日を約束することは。
 それを理解したとき、なのはの心の底から嬉しさがこみ上げてきて―――

「うんっ!」

 自然に笑っていた。



  ◇  ◇  ◇



 なのはは帰って少しだけ両親から怒られた。夜に勝手に外に出るな、と。ただ、翔太のとりなしもあったおかげか、あまり怒られることはなかった。
 怒られた後は、素直にお風呂に入って、ベットに横になる。もう、いつもの寝る時間は過ぎている。
 だが、それでも、なのはの目は冴えていた。当然といえば、当然かもしれない。先ほどまで彼女は魔法という未知の力を手にしてバケモノと戦っていたのだから。

 だが、なのはにとって目が冴えている理由はそれだけではなかった。

 翔太からの「ありがとう」と「また明日」という言葉。なのはが欲しかった言葉。それを思い出すだけでも笑ってしまう。

「え、えへへへ」

 ただの言葉だが、それが嬉しかった。ずっと手に入れたかったから。それを望んでいたから。ずっと手を伸ばし続けていたから。一度、諦めてしまっていたから。だからこそ、嬉しい。

 これも全部、魔法の力のおかげだった。

「今日からよろしくね、レイジングハート」

 ずっと握り締めていたレイジングハートに愛おしそうにちゅっと口付ける。
 もしも、なのはの体力が無限大であれば、頭の中で今日のことをリフレインしていただろうが、あいにく小学生相当の体力しか持たないなのはに体力の限界が訪れていた。だから、今日はお休み。

 一度、それを自覚してしまうと睡魔というのは、急激に襲ってくる。なのはが瞼を閉じる直前、手にしていたレイジングハートが何度か点灯し、赤い宝石の表面に文字を表示させる。


 ――――Good night. My Master.



 続く




[15269] 第十一話 前
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2010/02/08 23:36



 激動の一夜が明けた。
 夜に得体の知れない何かに襲われ、魔法が使えるという動物に出会い、同級生が魔法を使ってそのバケモノを退治するというまるでアニメや漫画の中でしかないような出来事。
 一夜明け、朝日が部屋の中に差し込むような時間になっても、昨夜のことは夢だったんじゃないだろうか、と思ったのだが、僕の机の上で、タオルの敷かれたバスケットに入って未だ眠っているフェレット―――イタチではなかったらしい―――を見ると嫌でも昨夜のことが現実であると思い知らされる。

 もっとも、超常現象を体験している僕だから、こんな具合で済んだのだろうが、一般人だったら、現実逃避すらしているのではないだろうか、と思っている。

 だから、高町さんは一体どうしているだろうか、と心配になった。

 なには、ともあれ、放課後にはフェレットくんと高町さんを交えて話をしなければならないだろう。
 僕たちは、関わってしまったのだから。これから、魔法に関わるにしても関わらないにしても、事情が分からなければ、その判断さえ不可能だ。

 もっとも、僕としては、昨夜のことのようなことは勘弁願いたいのだが。



  ◇  ◇  ◇



 おはよう、おはよう、と朝の挨拶がところかしこで交わされる。本当なら、僕も次々に入り口からやってくる友人たちと挨拶を交わし、お喋りに興じたいところなのだが、昨夜の出来事が影を落としていた。
 つまり、フェレットくんに呼び出される前に終わらせる予定だった宿題がまったく終わっていないのだ。幸いにして、宿題の教科が算数で、計算問題だけだったので、なんとか始業前には終わってくれるだろう。

 入り口から次々に入って来た面々は、僕が朝に宿題をやっているのがよっぽど珍しいのか、一瞬驚いたような顔をして、にやっ、と笑うと「今日は雨かな?」なんてことを言う。そんなに珍しいことか、と疑問に思い、よくよく考えてみれば、確かに僕が宿題を忘れるのはこれが初めてじゃないだろうか。
 そんなことを考えながらも僕はカリカリと鉛筆を動かす。次々と計算式が埋まっていく。あともう少しといったところで、背後から声をかけられた。

「おはよう~、って、ショウ、あんたなにやってるの?」

「宿題だよ」

 後十分ほどで始業の時間になりそうだ、という時間になってアリサちゃんとすずかちゃんが僕の席にやってきた。
 彼女たちの席が僕の隣なんてことはない。二列離れた向こう側だ。もっとも、アリサちゃんとすずかちゃんは隣同士ではあるが。彼女たちは、僕が他の友人と話しているときはやってこないが、朝の時間に本を読んでいるときなどは必ずやってくる。
 今日も僕は、下を向いていたので本を読んでいると勘違いしたのだろう。だが、残念なことにやっていることは宿題だった。

「ショウくんが宿題忘れるなんて初めてじゃない?」

「昨日の夜はちょっと疲れることがあって、宿題をやれなかったんだ」

 疲れ具合はちょっとではなかったが。ちなみに、フェレットくんはまだ僕の部屋で寝ている。まだ起きていないと思う。一応、彼の傍に置手紙と地図を書いていたが、気づいてくれるだろうか。もっとも、フェレットくんが気づかなかったら、一度家に帰ればいいだけの話だ。

「ふ~ん。って、あっ! 昨日の夜といえば、あの動物病院で事故があったらしいわよ」

 ……なんだって?

 僕は、カリカリカリと宿題を進めていた手を止めてアリサちゃんの話に耳を傾ける。

「なんでも、病院にトラックが突っ込んだみたいにグチャグチャになってたんだって」

「昨日のフェレット大丈夫かな?」

 だよね、とアリサちゃんもすずかちゃんも心配そうにしている。
 フェレットくんの魔法で元通りに戻ったはずの動物病院がグチャグチャになっているという部分は気になるが、それよりも、いらぬ心配をしている二人のほうが先決だ。

「ああ、大丈夫だよ。昨日の疲れることっていうのは、そのフェレットを追うことだったから」

「「え?」」

「たぶん、檻が壊れたんじゃないかな? 僕の部屋から道路が見えるから。そこからフェレットが走っていたからね。昨日はそれを追いかけてたんだ」

 僕の部屋から道路が見えるのは本当だ。嘘の部分があるとすれば、僕が追いかけたのではなく、呼ばれたという部分だが、いくらなんでもフェレットから呼ばれたといわれても信じられるはずがないだろう。

「それ本当なの?」

「うん、今は僕の部屋にいるよ。朝、来る前にはまだ寝てたけどね」

 わ~、と歓喜の顔が二人に浮かぶ。おそらく、夜の事故の話を聞いてずっと心配してたのだろう。安心してくれて何よりだ。

「それで、そのフェレットだけど、僕の家で飼えるようになったから」

 ただし、僕の部屋限定だが。それ以外だと秋人がフェレットくんをいじめそうで怖い。

 その朗報に二人が沸いていた。当たり前だ。昨日までは、フェレットが手の届かないところに行くものだと思っていたのだから。昨日はフェレットの処遇について話し合ったが埒が明かなかった。アリサちゃんの家は犬、すずかちゃんの家は猫。僕も秋人がいるから無理だと思っていたから。
 もしも、僕たちが無理だったら、あのフェレットはどうなっていたのか分からない。少なくとも自分たちの手の届く範囲にいるのは嬉しいことだろう。喋れるという部分を除いても珍しいペットであることだし。

「それじゃ、名前つけてあげないとね」

「名前?」

 ああ、そうだ。すっかり忘れていた。
 昨日はもう疲れ果てていたから、とりあえずの寝床を作って、すべてを明日に回してしまったせいで彼の名前すら聞いていない。フェレットくんは、自分のことを異世界からやってきたと言っていた。つまり、ある程度の文明が築かれており、固体を示すであろう名前も持っているのだろう。
 ならば、この場で勝手に名前を決めるのは非常に拙いような気がするが、アリサちゃんとすずかちゃんは既に乗り気だった。

「そうねぇ……可愛い名前がいいわよね」

「だよね。あんなに可愛かったんだから」

 昨日の話を聞いていた限りでは、彼は男のように思えるのだが。可愛い名前ということは、女の子風な名前をつけられるのだろうか。
 僕は話の流れについていけないまま、ただ聞いていたが、エリザベスやら女物の名前が並ぶ。

「ねえ、ショウくんはどれが良いと思う?」

「そうよ、あんた一応飼い主なんだから決めなさいよ」

 さて、困った。先ほどから並んだ名前はすべて女物。男であろう彼に名づけるには見当違いだと思うのだが。
 僕は、期待したような表情で見てくる二対の目に視線を向ける。
 明らかに、先ほどから候補に上がった中から選べとその目が語っていた。だが、それでいいのだろうか。そのそも、彼は交流がもてるのだ。万が一、名前がなかったとしても勝手に名づけるわけにはいかない。
 だが、それをアリサちゃんとすずかちゃんに説明することもできない。もしも、僕はフェレットと会話することができるんです、なんていえば、頭がおかしくなったと思われてもおかしくないのだから。

 さて、本当にどうしたものか、と腕を組んで迷っているところに始業を告げるチャイムが聞こえた。

「あ~、もう、チャイム鳴っちゃったじゃない」

「アリサちゃん、名前はゆっくり決めれば良いじゃない」

「まあ、ずっとショウの家にいるなら、それもそうね」

 どうやら、フェレットくんは学校のチャイムに救われたようだった。
 アリサちゃんとすずかちゃんは、勝手に借りていた僕の前と隣の席の椅子から離れると自分の席へと戻っていた。

 ふぅ、と安堵の息を吐いた僕の目の前には、広げられたノートと計算ドリル。

 ―――ああ、しまった。宿題終わってないな。

 それから、五分の間で必死に脳をフル回転させながら、僕は宿題を終わらせた。



  ◇  ◇  ◇



 さて、学校の授業というのは、一週間ごとのスケジュールが決められている。それらに関して殆ど変更はない。例外があるとすれば、災害のとき、あるいは、先生たちの都合があるときだ。そして、今日はその例外に該当していた。
 三年生にもなれば、高学年と同等とはいかないが、それに準ずるだけのコマ数の授業がある。毎日、五コマの授業はある。だが、今日はどうやら先生たちが新年度の職員会議ということで、午前中で授業が終わった。
 私立のためか給食という概念がない聖祥大付属は、授業が終わって短い清掃時間を終えて、簡単なホームルームで終わりだ。ここまでの時間で十二時にもなっていない。放課後に、学校で適当にお弁当を広げて遊んで帰るか、家に帰って一度集合しなおすかは個人の自由だ。
 ちなみに、僕はお弁当を持ってきている。いつもなら、誰か適当な人間を捕まえて一緒に食べるのだが、今日のところは悩まなくてもよかった。先約が昨日の夜に入っているからだ。

 よっ、と机の端に引っ掛けている鞄を手に取ると僕はすぐに教室から出ようとした。しかし、それを呼び止める声が背後から聞こえ、僕は足を止めて後ろを振り向いた。

「ショウ、あんた、今日のお昼はお弁当なんでしょう? だったら、屋上で食べましょう」

 流れる金髪を靡かせて、ちょこん、と弁当箱をつまんでアリサちゃんが言う。その背後には微笑みながら返事を待っているすずかちゃんの姿もあった。
 よくある光景だ。僕はクラス内のグループをうろうろしているので、アリサちゃんたちとも一緒に食べることはある。いや、塾の関係やアリサちゃんの英会話教室や本を借りる関係で―――お金の関係から貸せないことが心苦しい―――すずかちゃんの家に行くことも考えれば、このクラスで一番仲がよく、一緒にお昼を食べる回数も一番多いのかもしれない。

 いつもどおりの僕だったら二つ返事だっただろう。だが、今日は前述したとおり先約―――高町さんのことがあるので、そういうわけにもいかない。なにより、昨日の夜、「また明日」とは言ったものの具体的な時間を言っていなかった。僕よりも早く帰宅されてしまうと高町さんの家まで出向かわなければならなくなる。それはいささか時間の無駄だ。
 ちなみに、昨日の夜そのことに気づいて携帯電話を広げたのだが、よくよく考えれば、僕は高町さんの携帯の番号を知らなかった。しかも、今は個人情報もかなり厳しいものがあって、一年生のときの連絡網にさえ電話番号は載っていなかった。
 もっとも、載っていたとしても自宅の固定電話だから、夜遅くに電話するのはためらわれただろうが。

 さて、そんなわけで、僕は断りの返事をする。

「ごめん、今日は用事があって帰らなくちゃいけないんだ」

「なによ、あたしたちより優先することなんでしょうね?」

 どうやら、アリサちゃんの負けん気が出てしまったようだ。端から見れば、自分を優先しろという自己中心的な言い方に聞こえなくもないが、かれこれ二年以上の付き合いがある僕だ。彼女がこのような言い方しかできないことはわかっている。

「まあ、そうだよ」

 少なくともアリサちゃんたちのお昼と昨日の出来事を天秤にかけると優先すべきは、やはり昨夜の出来事だろう。

 僕が珍しく―――大体アリサちゃんやすずかちゃんにこんな言い方をされると僕は断れない―――あっさりと返事をしてしまったことにうっ、と怯むアリサちゃんだったが、さすがにここまで言われてしまえば、引き止めるほど彼女は子供ではない。

「ふんっ、いいわよ。あたしたちは二人でお昼を食べるからっ!」

「あ、ショウくん、また明日」

 おそらく屋上に向かうのだろう。アリサちゃんは少し怒ったような態度を見せて僕の横を通り抜けて、ドスドスという擬音が聞こえてきそうな歩き方で教室を出て行く。その後ろを困ったような表情をしてすずかちゃんが着いていき、僕の横を通り抜ける前に手を振って別れの挨拶をしてくれた。僕もそれに答えて手を振り、ごめんと心の中で謝りながら二人を見送った。



  ◇  ◇  ◇



 さて、アリサちゃんたちの相手をしていたので、もしかしたら帰ってるかもしれない、と不安になったのだが、幸いにして隣のクラスはまだホームルームが終わったばかりだった。このときばかりは担任の適当なホームルームに感謝である。
 ぞろぞろと教室から次々と生徒たちが出てくる。仲が良い友人なのだろうか。「今日は何する?」などと仲良さげに話しながら出てくる隣のクラスの生徒たち。彼らを注意深く見ていると、やがて僕が目的にしてた人物が出てきた。

 特徴的なツインテールをぴょこんと跳ねさせた少女―――高町さんだ。彼女は、鞄を背負って、どこか元気なさげに俯いて肩を落としているように見える。
 もしかして、昨日のことで疲れているのだろうか。もしかすると魔法とは非常に疲れるものなのかもしれない。生憎、僕は魔法が使えなかったため、そこらへんのことは分からない。
 だが、疲れているとしても、今日の話はしなければならない。なぜなら、高町さんがまだレイジングハートという魔法の制御機器を持っていて、彼女しかこの事態に対処できないとなれば、むしろ決定権を持っているのは高町さんといえるからだ。彼女が話を聞かなければ、何も始まらない。だから、悪いとは思うけど、少しだけ話を聞いてもらおう。
 もっとも、後でなにか甘いものでもご馳走してあげようと思う。疲れたときには甘いものとよく言うし。

 さて、そうと決まれば、早くしないと高町さんを見失ってしまう。だから、僕は彼女を見失わないように後ろから声をかけた。

「高町さん」

「ひゃいっ!?」

 僕は割りと分かりやすく、気配を殺したつもりはないのだが、どうやら高町さんからしてみれば、突然の衝撃だったらしい。あからさまに驚きと分かるような声を出して、飛び上がった。

「ああ、ごめん。もしかして、驚かしちゃったかな?」

 僕はあまりの驚きように困惑しながら謝る。高町さんは、どこか恐る恐るといった様子で後ろを振り返り、僕の顔を見た瞬間、まるで幽霊でも見たように目を丸くして驚いていた。
 まじまじと僕の顔を見ながら、高町さんは無言。一体、どうしたというのだろう?

「……蔵元くん?」

「そうだよ。蔵元翔太だよ」

 やがて、呟くように僕のことを確認する高町さん。本当にどうしたというのだろうか。
 そんな風に僕が顔を見ていたのが悪かったのだろうか、なぜかじわぁっと目が潤んでいるような気がする。

「た、高町さんっ!?」

 僕はあまりに突然の出来事に慌てた声を上げてしまう。困った、まったく意味が分からない。僕は一体なにをしたというのだろうか。肩を叩いただけで女の子を泣かせるようなことはしていないと天地神明に誓っていえるのだが。
 だが、僕の声で気がついたのだろうか。目をぱちぱちと瞬き、ごしっと袖で涙を拭う。袖が通った後、高町さんの顔には笑顔が浮かんでいた。

「えっと、高町さん、大丈夫? 僕何かした?」

「ううん、何もしてないよ」

「本当に?」

「うん、ちょっと目にゴミが入っちゃっただけだから」

 にゃははは、と笑う高町さん。その表情はとても作り笑いのようには見えない。これは、一安心しても良いのだろうか。少し気になるが、ここまで聞いても何も言ってくれないということは彼女には言う気はないということだろう。なら、これ以上、聞き出したとしても無駄だと思うので、とりあえず、この件は保留にすることにした。

「えっと、それじゃ、高町さん、今日はお弁当?」

「うん、お母さんに作ってもらった」

 僕は彼女の返事にほっと胸をなでおろした。もしも、彼女がお弁当ではなく家で食べるのであれば、一度、高町さんの家に行かなければならないからだ。今の状況とこの先の状況が分からない以上、彼女の家でおおっぴらに魔法の話などできない。だから、高町さんがお弁当を持ってきているのは好都合だった。

「それじゃ、公園で食べようか」

 海鳴市にある公園。サッカーや野球ができるほど広いというわけでもなく、ジャングルジムやブランコなどの遊具があるわけでもない、そんな場所。ゆえに平日の昼間はまったく人気がない。早朝や夕方は、ランニングなどをする人がいるが、お昼には本当に人気がない場所なのだ。

 僕は、それでいいかな? と問いかけるように高町さんに視線を合わせると、高町さんはうん、と頷いてくれた。

 さて、フェレットくんはきちんと来てくれているだろうか。


続く

あとがき
 なのはの映画を見に行きました。
 劇場版のヒロインは間違いなくプレシアだと思います(涙



[15269] 第十一話 中
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2010/02/14 22:03



 結論からいえば、フェレットくんは、きちんと来ることができなかった。
 ただ、手紙は見てくれたようで念話でこちらに話が来た。ただし、僕は聞こえるだけで返事はできない。昨夜、高町さんに話しかけることができたのはレイジングハートの助けがあったからだ。レイジングハートの助けがなければ、僕はただの魔力を持っている一般人に過ぎない。
 フェレットくんは、高町さんに誘導してもらって、僕たちがいる公園へとつれてきてもらい、何とか合流。その後、二人と一匹は公園のベンチの上で隣り合ってお弁当を広げ―――フェレットくんのお昼は僕と高町さんのお弁当のおこぼれ―――お昼を済ませた。
 さて、ご馳走様と手を合わせて、箸をおけば、後はまったりと午後を過ごすというわけにはいかない。

「さて、お昼も終わったところで、詳しく話を聞かせてもらう前に改めて自己紹介しようか」

 今朝気づいたのだが、僕らの自己紹介は後回しにされている。だから、僕は未だにフェレットくんの名前さえ知らない。さて、誰から自己紹介を始めようか、とも思ったが、やはりここは僕が一番だろう。

「僕は、蔵元翔太。友達は僕のことをショウと呼ぶよ。だから、高町さんもフェレットくんもそう呼んでくれると嬉しい」

「分かったよ。ショウ」

「……え?」

 フェレットくんは僕の呼び方をすぐに了承してくれたのだが、なぜか高町さんは驚愕と言う表情を浮かべていた。

「………私が、そうやって呼んで良いの?」

 まるで、触れるのを怖がる子供のように恐る恐る尋ねてくる高町さん。
 僕にはただ名前を呼ぶだけなのにそんなに恐れる理由がよくわからない。だが、恐れていると読み取れる以上は、過去に何かあったのかもしれない。だから、僕はできるだけ安心させるような笑みを浮かべて彼女に言う。

「当然だよ。高町さんが僕なんかと友達になるのは嫌だっていうなら、話は別「そんなことないっ!!」

 実に力強い返事だった。僕は、その返事に気圧されたように「そ、それならショウでいいよ」としかいえなかった。

「う、うん……ショウ……くん」

 やはり、いきなり名前というのは恥ずかしいのだろうか、半分顔を俯け、頬を赤く染めながら、高町さんは僕の名前を呼んでくれた。なぜ、驚いたのか、とか気になるところも多いが、高町さんは嬉しそうに笑っているから良しとしよう。

「それじゃ、次は僕ですね。僕は、ユーノ・スクライア。スクライアは部族名なので、ユーノと呼んでください」

「分かったよ。ユーノくんと呼ばせてもらうよ」

 まるでファンタジーのような名づけ方だ。ファンタジーの中では苗字がなく、ただの村の名前を苗字代わりにしているという話もある。ユーノくんの場合は、それに近いのだろう。

「ああ、それと、もう少し砕けた話し方でいいよ。僕たちと同じぐらいの年齢なんでしょう?」

「あ……うん、分かったよ。これでいい?」

 ユーノくんが伺うように僕に聞いてきたので、頷く。なんだか、同年代から敬語を使われるというのはやはり気まずいものがある。これで少しすっきりした。

「それじゃ、最後は高町さんだよ」

 僕が声をかけると、びくんと肩を震わせていた。何か不安なのだろう。肩を震わせていた。なぜだろう? 単なる自己紹介なのに。だが、やがて決意したような目をして高町さんは口を開く。

「う、うん。高町なのはです。えっと……なのはって呼んでください」

「うん、よろしく。なのはちゃん」

 至って普通の自己紹介だった。一体、彼女はなにを気負っていたのだろうか。僕には分からなかったが、彼女なりの葛藤があったのだろう。結局、ユーノくんはなのはと呼ぶことになった。

「さて、自己紹介も終わったところで、今回のことについて話してもらおうかな」

 僕の言葉にユーノくんは、まるで自分の罪を思い起こす罪人のように目を瞑り、すぐに瞼を開いてつぶらな瞳でこちらを真剣な表情で見てきた。

「うん。今回のことの始まりをすべて話すよ」

 それからユーノくんが語ったことは僕にはにわかには信じられないことだった。

 彼らの一族は、発掘を生業とする一族であるようだ。フェレットが大量に遺跡発掘というのも興味がある。それよりも、一体どうやって発掘しているのだろうか。そのための魔法だろうか。それはともかく、彼らがいつものように遺跡を発掘していると、その中から件の物体を見つけた。そう、問題の根幹であるジュエルシードである。

 このジュエルシードは文献で個数と効果が分かっている。個数は全部で21個。その内、僕たちが持っているのは、ユーノくんがかろうじて回収した一つと昨夜の一つで合計二つ。つまり、後19個残っている。

 効果は、術者の魔力を受けて願いを叶えるというものらしい。ただし、その願いを叶えるという作用は、悪魔の契約にも近いものらしいが。たとえば、運動会で一番になりたいと願うと他の出走者が全員、事故や病気で休み一位になるというひねくれ方だろうか。

 また、その効果のために内包する魔力もとてつもなく巨大であり、彼らの手には負えないということで、この世界の警察にあたる時空管理局とやらに売買というかたちで保存を依頼した。そして、それらに封印を施し、時空管理局に民間の運送屋に運搬を頼んだ。ここまでは順調だった。だが、運んでいる途中で何らかの運搬船が事故にあってしまう。このとき、ジュエルシードは地球にばら撒かれたようだ。

 幸いにして乗組員は全員、救助船で脱出に成功していたらしい。もっとも、成功していなければ、ユーノくんはここにはいなかっただろう。彼らの報告を聞いて、ユーノくんは地球―――彼らの言い方でいうなら第97管理外世界に来たのだから。

「これで、僕の事情は以上だよ」

「なるほどね」

 さて、一気に事情が分かっただけに少しだけ頭を整理する必要がある。

「それじゃ、質問だよ。時空管理局にすべてを任せるってわけにはいかなかったの?」

 聞けば、時空管理局とは警察のようなものらしい。ならば、事故が起きた以上、しかも、運搬の途中ならなおのことユーノくんになんら責任はなく、時空管理局とやらに任せてしまっても良いような気がするが。
 だが、僕の考えとは裏腹にユーノくんはどこか意思が篭った瞳をしていた。

「僕は、発掘の責任者だから。ジュエルシードが地球にばら撒かれたのは、僕のせいなんだ。だから、僕がなんとかしないと」

「いや、でも、運搬の途中で、しかも、事故ならユーノくんに一切責任はないでしょう?」

 事故まで予測しなければならないとなれば、責任者はいくつ首があっても足りなくなる。
 しかし、こうやって声を聞いていると彼は声変わりもしていない子供のような声なのに責任者をやっているのか。ユーノくんは異世界出身で、文化や習慣が違うはずだからそんなものか、と思ってしまうけど、現実的に考えると無謀だと思う。

「そうかもしれない。でも、ジュエルシードは危険なものなんだ。だから、管理局にすべて任せていたら被害が出るかもしれないと思って……」

「どういうこと?」

 管理局とは時空管理局だと分かるが、それでも彼らに任せていると被害が出るというのが意味が分からない。

「管理局はとても大きな組織で、多くの時空を管理しているんだ。だから、とても初動が遅い。さらに言うならジュエルシードの封印がまだ効いていると彼らは思っている。僕も予想外だったけど」

 巨大な組織ゆえの弊害らしい。しかも、どうやら、運搬時にジュエルシードにはきちんと封印がなされていた。だが、それが事故で弱くなってしまっているようだ。封印が効いていれば、危険度は格段に下がってしまう。しかも、魔法がない管理外世界だ。ジュエルシードが魔力に触発されて起動するとすれば、魔法がない管理外世界は、管理内世界よりも発動する可能性が低いと考えるのは妥当だろう。
 これらの理由を考えれば、確かに管理局がいつまで経っても来ないことは理解できる。

 ユーノくんも万が一、と思って地球に来たら、その万が一が起きていたのだから笑えない。なるほど、それならユーノくん一人でこの世界に来たことも納得だ。封印が利いている青い宝石を集めるだけのお使い程度の行動。確かに大人は必要ないだろう。

「なるほどね、了解したよ。なのはちゃんは何か質問ある?」

 さっきからずっと黙って話を聞いているなのはちゃんに話を振るが、彼女は、フルフルと顔を横に振っただけで否定の意を表していた。

「それじゃ、次は今後のことか」

「あの……」

「ん、なに?」

 やや、ユーノくんがその短い手を挙げていた。なにか言いたいことでもあるのだろうか。

「怒らないの? 僕のせいでこんなことに巻き込まれてしまったのに」

 僕は、言いにくそうな声を出すものだから、何を言うかと思えば、こんなことだ。いや、責任感の強いユーノくんからしてみれば、こんなことではないのかもしれないが。
 だが、ユーノくんは少し気負いすぎだと思った。彼がこのままではいずれ責任という見えない重圧に潰されてしまうんじゃないか、とそう思わせるほどに。だから、ここで少しだけでもその荷を降ろすような言葉をかけても決して罰はくだらないだろう。

「怒らないよ。もしも、ユーノくんが来てくれなかったら、僕は死んでいたかもしれないからね」

 僕の言葉にぎょっと驚いたような表情をするユーノくんとなのはちゃん。
 驚くのも分かる。死ぬなんて言葉は簡単に口にして良い言葉ではないから。だが、それでも、おそらくこの結論は間違いではない。

「昨夜のジュエルシードの思念体は、魔力のある人を追ってきたんだろう? だったら、ユーノくんがいなければ、間違いなく僕となのはちゃんが襲われていた」

 はっ、としたような表情をなのはちゃんとユーノくんはした。
 もはや過去のことを仮定しても意味がないものだが、それでも、もしもと仮定すれば、僕となのはちゃんはジュエルシードに襲われており、下手をすると家族をも巻き込んでいたかもしれない。

「だから、ユーノくんが来たことに感謝することはあっても、怒ることはないかな。そもそも、事故なんだし。仕方ないよ」

 死んでしまえば、仕方ないでは済まされないこともあるかもしれないが、こうして、ユーノくんのおかげで僕たちは生きている。ならば、事故は仕方ないで済ませ、これ以上は何も言わない。むしろ、これからを考えたほうが建設的だ。

「だから、もう過去の話はおしまい。これからについて考えよう」

「うん、ありがとう」

 なのはちゃんは、なぜか少し驚いたような表情をしており、ユーノくんは感極まったのか、泣きそうな顔をしていた。
 ユーノくんが背負い込んでいるものが少しでも軽くなればいいけど。さて、このしんみりとした空気はあんまり好みではない。さっさと次の議題に移ることにしよう。

「さて、これからのことを考える前にいくつか質問があるんだけど」

「なに? 僕が答えられることなら何でも答えるよ」

「まず、ジュエルシードって暴走前でも探せるの?」

「大体の場所しか分からないかな。でも、発動すればすぐに分かるよ」

「そうなんだ」

 まあ、全部の場所があっさりと分かるって言うなら、こんなに苦労はしてないよね。暴走前にジュエルシードを全部集めることができるはずだし。

「じゃあ、次にあのジュエルシードの思念体っていうのは、昨夜と同じ連中が出てくるの?」

 もし、すべてが同じ姿形をしているなら、対処法は実に簡単になってくる。ゲームの必勝法と同じだ。同じロジックを使ってくる奴なら、こちらも必勝用の同じロジックを繰り返せば良い。ゲームなら面白みの欠片もないだろうが、これは現実だ。面白い面白くないで対処するのは間違いだ。

 できれば、そうであって欲しいと願ったのだが、無残にもその願いは退けられた。

「たぶん、その可能性は低いよ」

 ユーノくんの話だと、昨夜のあれは、ジュエルシードが大気中の魔力素を吸って励起状態になったものらしい。だが、ジュエルシードの本来の使い方であれば、生物が何かを願った時点で発動するため、その発動させた生物が歪む可能性が高いようだ。
 しかも、生物が発動させた場合、思念体よりも肉体的にも強くなるらしい。あの思念体でもアスファルトを軽く抉る力があったのに。

「ジュエルシードの暴走体に対して物理攻撃は効くの?」

「いや、基本的には効かないと思う。ただ、生物に取り付いて、その生物を強化した形なら効くかも。でも、最終的には魔法で封印する必要がある」

「なるほどね。それじゃ、最後に……魔法について教えていいのはどのレベルまで?」

「……できれば、ショウやなのはぐらいまでにして欲しい」

 なんでも管理外世界に魔法のことを教えるのは法律違反らしい。もっとも、僕たちのような場合は例外当たるらしいが、積極的に教えるのはダメらしい。

「了解。僕からは大体これぐらいだけど……なのはちゃんは?」

 一応、聞いてみるがやはり首を左右に振るだけだった。
 質問がないときというのは、話をまったく理解できなかったか、すべてを理解してしまったかの二通りがあるのだが、僕にはなのはちゃんがどちらに属するのか分からなかった。ただ、後で理解して質問してもまったく問題ないわけだから、今は話を進めようと思う。

「さて、それじゃ、これから僕たちが取れる方針としては三つぐらいかな?」

 僕は右手を上げて三本だけ指を立てる。

「まず一つ目、積極的行動として、まだ封印が効いているジュエルシードを探し当てるっていう方針」

 指を一本折り曲げて、二本にする。

「二つ目、消極的行動として、ジュエルシードが発動したときだけ対処するっていう方針」

 最後にまた指を一本折り曲げて、一本にする。

「三つ目、何もせずに時空管理局が来るまで待つ」

 それぞれにメリット、デメリットがある。
 一つ目の方法は、メリットとして昨夜のような目に会わないかもしれないけど、デメリットとして非常に労力が必要だろう。なにせ場所がきちんと分からないのだから。この海鳴市を歩き回る必要があると思う。

 二つ目の方法は、メリットとして一つ目ほど労力が必要ではないけど、デメリットとして昨夜のような戦いをあと19回繰り返さなくちゃいけない。

 三つ目の方法は、メリットとして労力も戦いもないけど、デメリットとして自分たちの街が壊されちゃうかもしれない。しかも、クラスメイトや家族が巻き込まれる可能性がある。

 どれも一長一短だ。しかしながら、方針を提案していながら実は僕に決定権はない。決定権を持っているのは―――

「どうしようか? なのはちゃん」

「ふぇ? わ、私?」

 突然、話を振られたことに驚いているのか、自分で自分を指差して、授業中に夢うつつのところを教師に当てられたような顔をしている。

「そうだよ。なのはちゃんが決めてくれないと」

 そう、偉そうに何かを提案しているように見えるが、実は僕には決定権がまったくない。現状、僕は、魔力を持っているらしいが、それを魔法という形で使うことはできない。それができるのはレイジングハートを持っているなのはちゃんだけ。つまり、これからの行動を決めることができるのはなのはちゃんだけなのだ。

「え……ショ、ショウくんが決めてよ」

「ダメだよ。これからのことはなのはちゃんが主役なんだ。脇役の僕が決めていいことじゃない」

 他人から決めてもらうことは確かに楽かもしれない。だが、そこには自分の意思がない。ならば、その決定に心血注ぐことができるだろうか。表面上は可能かもしれないが、心底というのはやはり無理だと思う。自分で決断するということが大切なのだ。だからこそ、僕はなのはちゃんが決断するのを待つ。
 もちろん、僕はその決定に従うし、最大限、手伝いはするつもりだ。乗りかかった船というのもあるが、僕から見ればなのはちゃんも小学校三年生の女の子。僕としては心配なのだ。もっとも、現状は僕はむしろ一緒にいるとなのはちゃんから護ってもらう立場になってしまうので、何か手を考えなければ、と思ってはいるが。例えば、レイジングハートなしで魔法が使えないか、とかである。

「えっと……その……」

 さて、なのはちゃんは迷っているのか、僕のほうをちらちらと見ながら唸っていた。
 だが、僕は何も言わない。僕の意見は提示している。ならば、後はなのはちゃんが決めるだけだ。僕はゆっくりと彼女が決断するのを待つしかない。

 やがて、なのはちゃんは意を決したのか、う~、と唸って、閉じていた口を開いた。

「……本当に私が決めるの?」

「なのはちゃん以外には誰にも決められないよ」

 それが契機になったのだろう。気合を入れるようにぐっ、と胸の前に両手を握り、ぐっと身を乗り出して真剣な瞳で、震える声で彼女の意思を告げる。

「わ、私は……ショウくんと、一緒に、ジュエルシードを探したいっ!」

 つっかえつっかえだったが、僕は確かになのはちゃんの意思を聞いた。ならば、僕の返事は唯一つだ。

「分かったよ。僕も手伝うよ」

 できるだけ柔和に言ったつもりだ。そして、僕の言葉を聞いたなのはちゃんは、少し驚いたような表情をした後ににっこりと笑ってくれた。



  ◇  ◇  ◇



「二人とも、ありがとう」

 僕たちがジュエルシードを集めると決めたあと、ユーノくんがご丁寧に頭を下げてくれた。
 だが、僕は何と言っていいか分からない。その決定は僕が決めたわけではなく、なのはちゃんが決めたからだ。僕はその意見に追従しただけ。お礼を言われるべきはなのはちゃんだ。

 だが、そのなのはちゃんは、困ったような顔をして僕の顔を見ていた。どうやら、なのはちゃんも何を言って良いのか分からないらしい。

「お礼を言われるようなことじゃないよ。どちらにしても、ジュエルシードを放っておいたら、僕たちの街に被害が出ていたんだから」

 うんうん、と隣で頷くなのはちゃん。最初から自分で言ってくれるとありがたいのだが。

「さて、しかし、僕たちがジュエルシードを集めるとなると話を通さないといけない人がいるね」

「え?」

 なのはちゃんが、そんな人いるの? といった様子で声をあげ、小首をかしげている。

「ほら、なのはちゃんのお兄さん……ひいてはなのはちゃんの家族に話しておかないと」

 なのはちゃんが選択したのは一つ目の方針。なら、これから放課後は殆どジュエルシード集めに費やされることになるだろう。僕もしばらくは塾を休まなければならないかもしれない。もっとも、塾と街の平和を天秤にかけた場合、街の平和に傾くのは当然の摂理ではあろう。
 もしかしたら、日が暮れる頃までは探す必要があるかもしれない。ジュエルシードは暴走すると非常に危険なものだから。だからこそ、話を通す必要があるだろう。昨夜のこともあることだし。

 それに、もう一つ、なのはちゃんが夜に外出する許可とは別に下心があった。それは、久しぶりに思い出したこと。この世界が『とらいあんぐるハート3』に酷似した事象を持つということ。アリサちゃん然り、忍さん然り、なのはちゃんのお兄さん然りだ。ならば、『とらいあんぐるハート3』の主人公―――高町恭也さんの最大の特徴もあるかもしれない。

 すなわち、彼らが取得している剣術だ。

 ゲームに関するシナリオの殆どを覚えていない僕としては、彼らがどれくらいの強さか覚えていないが、もしかするとジュエルシードに対抗できる―――牽制できる程度でも強ければ、もしも、ジュエルシードの暴走体と戦うときなのはちゃんの負担が減るのではないか、と考えている。

 もっとも、そんなことを考える前に魔法という奇想天外なものを認めてもらうという壁が待っているのだが。

 まあ、ケ・セラ・セラだよね。


続く

あとがき
 ユーノと時空管理局等については細かいところがなかったので勝手に保管です。
 あくまでユーノの話を聞いた翔太の一人称でできているのでご注意ください。
 しかし、長い……後半戦は戦闘です。



[15269] 第十一話 後 修正版
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2010/02/17 22:32



 所変わって、場所は高町家のリビング。そこは、家族の憩いの場であるにも関わらず、奇妙な空気が渦巻いていた。
 僕の正面には、高町さんのお父さんとお母さん、お兄さん、お姉さんが神妙な顔をして座っている。対して、僕の隣にはなのはちゃんとユーノくん。もっとも、ユーノくんはフェレットなので人数には数えられない。
 傍から見れば、子供に説教する家族のようにも見えないこともない。そのぐらい、なぜかぴりぴりした空気だ。

 なぜ、こんなことに? と思う。

 最初は、翠屋へ向かって、なのはちゃんのお母さんに接触を持った。なのはちゃんについて大事な話があります、と切り出して。そうしたら、奥からなのはちゃんのお父さんが出てきて、彼女の家に向かうことになった。さらに、なのはちゃんの家には彼女のお兄さんとお姉さんがいて、これで見事、高町家が全員集合したことになるのだ。

 さて、しかしながら、こうしていつまでも睨めっこしている場合ではない。誰かが切り出さなければ、話が進まない。だから、僕は全員に注目が集まる中、最初の一言を切り出した。

「まずは、お忙しい中、お時間を取っていただきありがとうございました。これから話すことは、きっと信じられないことかもしれません。驚くこともあるかもしれません。それでも、事実なんです」

 そこでいったん区切り、僕は彼らの反応を見た。驚くことに誰一人揺らいでいなかった。普通の家族なら、子供が何を言っているんだ、と胡散臭いと疑うような視線を向けられてもおかしくないのに、彼らは揺らぐことなく僕に続きを促していた。

 そういうことなら、と僕は安心して昨夜からの流れを余すところなく話した。

 ユーノくんのこと。ジュエルシードのこと。ジュエルシードの暴走体のこと。それらに対抗する手段として魔法があること。現段階で、この近くに魔法を使うためのエネルギー源である魔力を持つ人間は、僕となのはちゃんしかいないこと。しかし、僕は魔法を使うためのデバイスであるレイジングハートを使えず、なのはちゃんしか使えないこと。先ほど、話し合い、僕たちは、ジュエルシードを積極的に集める方針を採ったこと。

 本当はこれらを話すと言った際にユーノくんと一悶着あった。しかし、この世界では、僕たちの年齢は子供であり、保護者の親の許可を貰う必要があるとなんとか説き伏せ、了解を貰ったのだ。いくらなんでも僕たちの年齢では、当事者だけでは決められないだろう。

 僕は、それらを一つ一つを丁寧に話していった。彼らは話の間に口を挟まなかったけど、何かを言いたそうにしていた。
 いや、分かる。僕だって、もしも娘と同い年の男の子から魔法だのなんだの告げられれば、それは妄想に近い類にしか思わないだろう。だからこそ、口を挟まずに聞いてくれた彼らには感謝するしかなかった。

「―――僕からは以上です」

 ぺこりと感謝の意も込めて頭を下げる。
 僕が語り終えた後の高町家の反応は微妙なものだった。僕の説明は確かに詳細なものであり、妄想と切って捨てるには具体的過ぎるのだろう。しかも、その内容になのはちゃんも関わっているとなると、さらに判断は難しくなる。
 さて、ここでもう一押しと思い、僕の膝の上に立っていたユーノくんに続きを促した。

「ご紹介に預かりました、ユーノ・スクライアです。お宅の娘さんを巻き込んでしまって申し訳ありません」

 ペコリと頭を下げるユーノくん。だが、高町家の面々は、フェレットが頭を下げるという芸よりももっと度肝を抜かれたようであったようだ。

「……フェレットが喋った」

 呆然とした様子でなのはちゃんのお姉さんが呟くように言う。当たり前だ。この世界では、動物が人語を喋ることはまずない。百聞は一見にしかずというが、これで少しでも魔法を信じてくれればいいのだが。
 そんな僕の思いを汲み取ってか、ユーノくんはさらに説明を続ける。

「ショウが言ったことはすべて事実です。お願いします、なのはさんの力を僕たちに貸してください」

 ぺこりとまた頭を下げるユーノくん。こんな状況でなければ、フェレットという小動物が頭を下げるというのは非常に愛らしい姿ではあるのだが。

 さて、と僕は高町家の面々の様子を探ってみる。
 正面に座ったなのはちゃんのお父さんは腕を組んで考え事をしているようにも思える。おそらく、先ほどまでの状況を整理しているのだろう。周りの家族はまるで家長の判断を待つように沈黙を保っていた。

 やがて、なのはちゃんのお父さんが腕を解き、手を組んで僕を真正面から見てくる。

「君が言いたいことは分かった。魔法があるというのも事実なのだろう」

 おや、思っていた以上にさっさりと認めてくれた。もう少し、説得しなければならないと思っていたのだが。もしかしたら、なのはちゃんに目の前で変身までしてもらわなければならないと思っていたのに。

「正直に言うと、俺は子供が危険なことに首を突っ込むのは反対だ」

「お父さんっ!?」

 なのはちゃんがお父さんの言い方に驚いたような声を上げる。だが、子供に危険なことには首を突っ込んでもらいたくないと思うのは、親としては当然のことだと思う。たとえ、それが他人の子供であっても、だ。ましてや、魔法など得体の知れないものになればなおさら。

「だが、魔法というものはなのはや君でなければならないのだろう?」

「ええ、そう聞いています」

 ユーノくん曰く、近辺に魔力を持った人間というのは僕となのはちゃんだけなのだ。もし、大人の人が魔力を持っているならば、その人に託しただろう。もっとも、その人の人柄にもよるだろうが。

「本当に俺たちにも魔力がないか試してくれないかい?」

 それは、親としての最後の悪あがきなのだろうか。いや、万が一の可能性にかけているのだろう。
 もっとも、先日のユーノくんの呼びかけに答えていない段階で、彼らに魔力がないことは明白なのだが。だが、自分の娘が首を突っ込むともなれば、それでも諦めきれないのが親心なのだろう。

 だから、僕は、ユーノくんにそっと目配せをした。つまり、試してみようということだ。
 彼は、僕の意を汲んだようにコクリと頷くと目を瞑って意識を集中させていた。

 ―――聞こえますか。ユーノ・スクライアです。―――

 僕の頭の中に聞こえるユーノくんの声。相変わらず、鼓膜を震わせることなく声が聞こえるというのは変な感覚がするものだ。

「どうですか? 何か聞こえましたか?」

 高町家の面々が顔を見合わせるが、誰もが首を横に振る。やはり、誰にも聞こえなかったらしい。

「なのはには聞こえたのか?」

 なのはちゃんの顔を覗き込むように彼女のお父さんが、なのはちゃんに尋ね、彼女はそれにコクリと頷いた。
 その反応を見て、ふぅとため息をつくなのはちゃんのお父さん。

「ユーノくんだったかな? そのジュエルシードの暴走体とやらを封印するのは魔法じゃないと無理なのかい?」

「はい、あれは魔法の産物です。最終的に、封印するには魔法が必要となります」

「でも、封印する前の段階だったら物理攻撃は効くはずだよね」

 え? という表情をする高町家の面々とユーノくん。
 公園での質問で僕は既に確認していた。すなわち、ジュエルシードの暴走体について物理攻撃が効くかどうか。あの時は、ここまでのことは考えていなかった。僕たちの手に負えなくなったら警察でも何にでも駆け込んで銃等でなんとかできないか、と考えていた程度だったのだから。
 まさか、こんなところで役に立つとは。

「う、うん。最終的に封印はできないかもしれないけど、効くか効かないかって言われると……」

「つまり、物理攻撃である程度弱らせて、最後に魔法で封印なんてこともできるんだよね?」

 か、可能か不可能かで言えば、可能かもしれない、とユーノくんは自信なさげに呟くように言う。

 もしかしたら、ユーノくんも確信を持てていないのかもしれない。ジュエルシードの暴走体という存在に対峙するのは初めてだろうし。もっとも、僕の考えで言えば、昨夜の暴走体はコンクリートに穴を開けたり、物質に干渉できていた。つまり、実体が存在するということである。
 つまり、幽霊のような存在ではないため、物理攻撃も効くものと考えられる。

「だったら、俺たちも手伝えるかもしれない」

 え? という声を上げるユーノくんとなのはちゃん。僕は、とらいあんぐるハート3の知識から大体そうじゃないかと疑っていたからあまり驚きはなかった。
 そんな彼女たちを余所になのはちゃんのお父さんは言葉を続ける。

「自分で言うのもなんだが、俺たちは中々に強いと思う」

 コクリと頷くなのはちゃんのお兄さんとお姉さん。
 とらいあんぐるハート3の世界と酷似しているならもしかしたら、と思っていたが、そのもしかしたらが良い方向に当たってくれていたようだった。
 彼らから発せられるどこか剣呑した雰囲気。素人である僕が感じられるほどに触れれば切れるという感じの雰囲気だった。

「しかし、危険ですっ!」

 だが、そんな雰囲気の中でもユーノくんは反対していた。
 ユーノくんは彼らの強さを知らないからだろう。もっとも、僕も彼らが強いということは分かるが、果たしてジュエルシードの暴走体に対抗できるほど強いかどうかは分からない。
 なにせ相手はコンクリートに穴を開け、アスファルトを砕くほどの力を持っているのだ。果たして生身の人間がそれに対抗できるのか? 僕には分からない。

「それは、なのはも変わらない。魔法が使えれば無敵というわけではないだろう? 魔法というのは対抗できる力かもしれないが、危険がゼロというわけではない」

 違うかい? という視線を向けられて、ユーノくんは項垂れるしかなかった。
 確かに、昨夜のことを見ていると魔法を使えても危険なこともあるのかもしれない。昨日は幸いなことに知能があまり高くなかったからプロテクションという魔法一つで何とかなった感があったが、ユーノくんの話では生命体に取り付くこともあるらしい。
 その際に知識というのはどうなるのだろうか。少なくとも昨夜の暴走体よりも賢くなることは間違いないだろう。ならば、この先、なのはちゃんの危険性も増す可能性は高い。
 つまり、なのはちゃんのお父さんが言っていることはただしいのだ。

「でもっ!」

 それでも、魔法を使えない人には……という思いがユーノくんにはあるのかもしれない。
 生憎、僕には魔力があっても魔法が使えないから、ユーノくんが思っていることは分からない。魔法というものがどこまでの可能性を持っていているのか想像できないからだ。
 それに対して、なのはちゃんのお兄さんやお姉さんに関しては、強いということは分かるからユーノくんのみたいに彼らを強く否定できない。

「ユーノくん、とりあえず、一度―――」

 着いてきてもらうよ、と続けようとしたところで、突然、脳裏に電流のようなものが走った感覚がした。
 それは、なのはちゃんも同様のようで頭を押さえていたが、同時にある方向を見つめていた。

「これは……ジュエルシードっ!?」

 ユーノくんが叫ぶ。
 しかし、なんという出来すぎたタイミングなのだろう。

 高町家の面々には一度、着いてきてもらったらどうだろう? という提案をしようと思った矢先の出来事だった。都合がいいといえば、都合がいいのかもしれないが。あまりに出来すぎたタイミングは僕に不安を呼び込む。
 だが、そんなことは考えていられない。なぜなら、これがジュエルシードの暴走した証だというのならば、今まさに昨夜のような思念体が街のどこかにいるということなのだから。
 はっきりいって、話し合っている場合ではない。あんなものが、日中に街中で暴れでもしたら、どれだけの被害が出るか分からない。
 だから、僕は先ほど提案しようと思っていたことをその場でぶちまけた。

「ジュエルシードが暴走したようです。正直、時間がありません。だから、とりあえず見に行きませんか?」

 こうして、僕たちは準備をした恭也さんと美由希さん―――名前で呼ぶように言われた―――と共に反応がある場所へ急いだ。



  ◇  ◇  ◇



「すごい……」

 僕の感嘆の呟きがその場のすべてを示していた。

 ジュエルシードの反応を追ってやってきた場所は、海鳴市にある神社の一つだった。
 恭也さんたちに背負われて―――その方が明らかに早い―――やってきた神社の鳥居をくぐると、その先に広がる開けた場所、その奥に神社。その開けた場所には、倒れた女性と四つ目の異形な形をした大きな犬のような怪物が存在していた。
 ユーノくん曰く、あれが、生命体に取り付いたジュエルシードらしい。生命体を取り込んでいるだけに思念体よりも手ごわくなっているらしい。確かに、見た目からしてかなり恐怖感は感じられる。
 ちなみに、僕たちが到着した直後にユーノくんが昨夜と同じ結界を張り、女の人はこの空間からいなくなった。

 この空間にいるのは高町家の面々と僕とユーノくんだけだ。

「いくよ、レイジングハート」

 一歩前に出るなのはちゃん。情けないことだが、僕には何もできない。魔力があろうとその扱い方をまだ知らない僕は足手まといにしかならない。だから、僕はなのはちゃんに頑張って、と後ろから声をかけることしかできなかったのだが、その一歩前に出たなのはちゃんを制する手が恭也さんから出た。

「なのは、下がっていろ。少しの間、ここは俺たちに任せてくれ」

 それはつまり、彼らの強さが、あいつに通用するか確かめるということなのだろう。

「そんなっ……」

 なぜか驚いているなのはちゃんだが、彼らはこのために来たのだ。だから、僕も後ろから肩に手を置いて、なのはちゃんを下がらせて、一言、頑張ってください、と告げた。

 それからは怒涛の展開だ。

 恭也さんと美由希さんが持っていた小太刀を二本構えたと思ったら、暴走体に突撃、近接戦闘を繰り広げ始めた。
 生憎ながら、素人である僕では、一体なにが起きているか分からない。せいぜい、小太刀を振るいながら、暴走体の爪や牙などの攻撃を避けていることぐらいしか分からない。

 そして、冒頭の感嘆の声に繋がる。

「確かにすごい……でも、このままじゃダメだ」

 僕の呟きを聞いていたのか、僕の肩に乗ったままのユーノくんが深刻そうな声で言う。

「え? ダメなの?」

 僕の目には、恭也さんや美由希さんが押しているようにしか見えない。
 現に、暴走体は、円を描くようにある一定の範囲から動いていない。それは、恭也さんや美由希さんが上手いこと死角をとって小太刀を振るい、暴走体はそれを追いかけるからだ。
 時折、消えたとしか思えないほど高速で動いているような気がする。うっすらと覚えている内容だと、彼らの剣術の中には、高速移動に近い技があったはずだから、おそらくそれだろう。
 どちらにしても、ダメージが一方的に蓄積されているのは暴走体で、恭也さんたちは傷一つ負っていない。まさに恭也さんと美由希さんのワンサイドゲームと言っても過言ではないような展開なのだが、ユーノくんからみると拙いらしい。

「うん、あの暴走体、確かに恭也さんたちの攻撃で、傷を受けてるけど……すぐに回復している」

 確かによくよく見てみると暴走体は刀で斬られているにも関わらず、血が流れておらず、傷口というものが存在していないように見える。つまり、斬った直後に回復しているということだろうか。

 暴走体は傷を負わないが、逆に恭也さんたちに傷を与えることはできない。恭也さんたちは、傷を受けないが、傷を与えられない。なるほど、暴走体を手玉にとってはいるが、倒す術がない以上、千日手に近い。

「やっぱり魔力ダメージがないとジュエルシードは封印できない」

 そんなユーノくんの呟きが聞こえたのか、恭也さんが一気に勝負に出た。鞘から抜いていた二本の小太刀を鞘に一度戻し、直後、白銀の光が煌いたかと思うと、小太刀を納めた恭也さんを仕留めるチャンスとでも思って襲い掛かってきていた暴走体を一気に五メートルほど吹っ飛ばした。
 もう、何がなんだか分からなかった。とりあえず、気づいたら暴走体が吹っ飛んでいた。

 よほどの威力だったのだろう。今まで傷が瞬時に回復していた暴走体が血を流しながら地面に伏している。

 これは……チャンスか?

 そう思っていたのだが、それも一瞬だった。伏していた暴走体が、すぐさま起き上がり、瞬時に血を流していた傷を回復。グルルルルと唸った直後、前足に力を入れているのが伺えた。
 まさか、飛び込んでくるため? と恭也さんたちも思ったのだろう。小太刀を構える。だが、それはある意味的外れな対抗だった。暴走体が考えていたのは、飛び掛るなんてことではなかった。

 バサッ、と何かが広がるような音が響く。

 暴走体の背中から蝙蝠のような翼が生えて、翼を広げたときの音だった。

「どういうこと!?」

「恭也さんたちに適わないとみて進化したんだ。取り付いた生命体の願いが強くなりたい、なら、恭也さんという強敵が現れたから、それに対抗したんだ」

 なんてことだろう。恭也さんたちが魔法を使えずとも戦えることが裏目に出てしまった。

「なのはちゃんっ!!」

 このままだと、恭也さんたちが上空から襲われると思い、なのはちゃんの参戦を願ったのだが、僕が声をかけずともなのはちゃんはそのつもりだったらしい。既に昨夜、見た聖祥大付属小の制服によく似た衣服に身を包み、左手に赤い宝石がついた杖を持っていた。

 なのはちゃんが暴走体を見据えて、手をかざす。それだけで、せっかく翼を生やした暴走体は、その進化の成果を見せることはできなくなってしまった。

 ――――GRAAAAAAAAAAAAAAA

 地面から生えてきた桃色の帯に締め付けられてしまった暴走体は、その桃色の帯から抜け出そうと雄たけびを上げながら、身を揺するが、よほど強く縛られているのだろう。その場から動くこともできない。翼もその場でばたばたと動くだけで、その四肢を地面から離す事もできないようだった。

 すぅ、となのはちゃんがスナイパーのように杖を構える。

「レイジングハート」

 静かに赤い宝石の名前を告げ、レイジングハートは静かに呼びかけに応えるようにAll rightと返す。

 変化は直後に訪れた。杖の先端が分解され、変形し、杖の先端部より少し下から桃色の翼が三つでてくる。赤い宝石の先端に桃色の球体が現れ、キューンと魔力をチャージしているような感覚に襲われる。

「これは……まさか砲撃魔法!? 僕も使えないのに」

 呆然としたようなユーノくんの声が僕の耳に響く。

 どうやらなのはちゃんが行おうとしている魔法は、砲撃魔法という類の魔法らしい。確かにレイジングハートは銃のような形になっているような気もする。
 ユーノくんすら使えない魔法を使えるなのはちゃんに驚きだ。つまり、それは魔法機器であるレイジングハートを完全になのはちゃんが使いこなし、魔法というものを使いこなしていることを意味している。しかも、教師もなしに。昨夜と今日の短時間で、ユーノくんが驚くほどに魔法というものを理解しているなのはちゃんは、やはりこの分野では天才なのだろう。

 僕とユーノくんが驚嘆でなのはちゃんの魔法を見ていたが、やがてなのはちゃんが集中するように瞑っていた目を開いた。

「貫いてっ!!」

 その叫びの直後、桃色の一条の光が暴走体を貫く。その光に包まれた暴走体の額に浮かんだのはギリシア数字で十六。

「リリカルマジカル……ジュエルシード封印っ!!」

 なのはちゃんの呪文と共に桃色の光は太くなり、一気に魔力の塊を吐き出した。

 ――――GRUUUUUUUUUU

 犬のような暴走体は、断末魔の叫び声を上げながら、桃色の光に分解され、直後に残ったのは、小さな犬と元凶である蒼い宝石―――ジュエルシードだけだった。
 分解されたジュエルシードはまるで吸い込まれるようにレイジングハートに流れていき、赤い宝石の中に身を沈めた。

「えへへ、やったよ、ショウくんっ!」

 嬉しそうに笑いながらぐっ、とガッツポーズをするなのはちゃん。

「うん、さすがだね。やっぱり、なのはちゃんはすごいな」

 僕はそんな彼女に素直に賞賛の声をかけるしかなかった。
 胸のうちに魔力を持っていながら、何もできなかった自分を情けないという思いを少しだけ抱きながら。



  ◇  ◇  ◇



 その後は、解放された犬と気を失っていた飼い主さんを介抱し、飼い主さんが気づいた後に解散になった。
 恭也さんと美由希さんは、魔法というものを目の当たりにして、その威力に驚いていた。しかし、どこか浮かない顔をしていたような気がするのは気のせいだろうか。

 結局、恭也さんたちにはジュエルシード捜索に加わってもらうことにした。
 確かに魔法という側面から見れば、恭也さんたちの協力は必要ないかもしれない。だが、それでも今日のことからも分かるように足止めや牽制にはなるのだ。その間に後ろでなのはちゃんが魔法を準備する。
 ゲームで言えば、恭也さんたちは壁となる戦士で、後方で大きな魔法を準備する魔法使いがなのはちゃんだ。

 さらに彼らがある程度、大人であることも僕たちにとっては有り難い事実だ。日が暮れた後に小学生だけで歩くのは危険だ。補導などのことも考えれば、小学生が夜に出歩くことは好ましくない。ただし、恭也さんか美由希さんがいれば、それは多少なりとも緩和される。
 美由希さんは高校生だが、そもそも僕たちは小学生だ。日が暮れるまで探すにしても八時が限界だろう。ならば、高校生の美由希さんが保護者でも大丈夫だろう。もちろん、恭也さんのほうが大学生という身分から考えれば、歓迎なのだが。

 さて、帰宅した僕には、本日最後の戦いが待っていた。

 つまり、なのはちゃんの家と同じく、僕の両親の説得だ。

 僕は現状、何もできない。だが、この事件のきっかけを作ったのは僕だ。ならば、力がある人が現れたから後はお任せします、というのはあまりに無責任すぎる。だから、せめてジュエルシードを探すことぐらいは、手伝おうと思う。暴走体との戦闘になれば、なのはちゃんたちに頼るしかないのだが。

 結果からいうと、両親の説得という戦いには何とか勝利した。僕の粘り勝ちだ。
 条件として、危険なときはすぐに逃げる。必ず携帯で定時連絡する。高町家に挨拶に行く。という三つが付け加えられたが。
 最初は酷く反対されたのだから、ここまでに条件を緩和できたのだから大したものだと自負している。

 ちなみに、魔法に関しては割りとあっさり信じてくれた。原因は、僕だ。小学生で高校生レベルの問題も少し習えば解けるなんて鳶が鷹を生むってレベルじゃないほどの異常さを見せる僕がいるから、魔法なんてもものもあっさり信じてくれた。
 なるほど、と納得してしまう自分が憎い。

 そして、夜、僕はベットに横になりながら、机の上のバスケットの中で寝ているユーノくんに語りかけた。

「ユーノくん、僕に魔法を教えてくれない?」

「え? いいけど、デバイスがないから大変だよ」

「それでも、何か一つに絞れば短い期間でも何とかならないかな?」

「まあ、それならなんとかなるかも……」

 そう、僕は魔法を覚えたかった。
 僕は関係者だ。でも、僕だけが何もできない。恭也さんと美由希さんは身体を張って戦う。なのはちゃんは主力だ。ユーノくんは、結界を張っている。僕だけがなにもしてない。ただの傍観者だ。僕が記録者ならいいかもしれない。でも、僕も当事者だ。ただ、見ているだけというのがとても口惜しかった。

 レイジングハートが使えなかった僕が魔法を覚えるのは大変かもしれない。何もしなくても、ジュエルシードは順調に集まるのかもしれない。それでも、僕の中では何もしないという選択肢はなかった。
 簡単な魔法でもいい。それでも、何かに役立つ魔法を一つでも良いから覚えたかった。もしかしたら、覚えられないかもしれないけど、それでも足掻きもしないというのは間違っているような気がした。

「それじゃ、明日の朝から頼んだよ、ユーノくん」

「うん、デバイスがないからきっちりいくよ」

「望むところだよ」

 僕たちは寝床に入りながら、お互いに笑いあった。


続く

あとがき2
*緑茶さん、mujinaさんのご指摘の通り、翔太の両親への根回しを忘れていました。プロットにはあったのに……修正版です。

あとがき
 恭也の強さが分からなくてアニメ(OVA)を見たが……いや、強すぎる。
 特殊部隊を相手にしても一人でなぎ倒すって……まあ、ある程度強い設定でいきます。

 現時点での魔法のレベルは、ドラゴンボールで言うと
 なのは:孫悟天
 翔太:ビーデル
 ぐらいの差があります。ちょっと例えが古いかも……

 以下、とらいあんぐるハートを知らない人へちょっとした補足

 高町恭也:とらいあんぐるハート3の主人公。黒っぽい服装を好み、趣味も盆栽と若者とはいえない趣味を持つ。
      性格的には冷めた一面を持っているが、なんでも受け入れる広い心を持っている。
      本編の魔法に関しても、割と普通に受け入れている。理由はもう一つあるが、別の機会に。
      高町士郎の実子ではあるが、桃子との間に生まれた子供ではなく、内縁の妻との間に生まれた子供である。
      ゲーム内では、士郎が死んだため、家族のために強くなろうと無理な鍛錬をして膝を壊す。
      本編では士郎が生きているため、膝を壊すことなく御神の剣士をやっている。

 高町美由希:とらいあんぐるハートのヒロイン。見た目の上では文学少女風。
       美由希も桃子と士郎の実子ではなく養子であり、彼らが使う剣術、御神流の本家の生き残りである。
       他の家族はテロの影響で全員死んでいる。(母親は生きているが、今は行方不明)
       恭也を師匠として御神流を継承しようとしている。御神流正当後継者である。
       ゲーム本編との差異はほとんどない。

 御神流:正式名称、永全不動八門一派・御神真刀流小太刀二刀術

 以下、御神流の技(本編登場分のみ)

 神速:簡単に言うと火事場の馬鹿力を自分の意思で起こす技。身体的、神経系的に能力が上昇する。
    この状態になると周囲がモノクロに見え、高速で動くことができる。
    本編の「人が消えたように……」の部分はこの技の発動中である。

 小太刀二刀御神流 奥技之六 薙旋
 二つの小太刀を使った連撃である。抜刀術の一つで、高速に敵を切りつける。恭也の得意技の一つ。
 本編で暴走体を吹っ飛ばした奥義の一つである。



[15269] 第十一話 裏
Name: SSA◆ceb5881a ID:0fea2e6b
Date: 2010/02/20 11:30



 ピピピピとカーテンから差し込む朝日を浴びた携帯電話が震えながらアラームを鳴らす。
 その音に反応して、携帯電話が置かれた枕元に布団の中から手が伸びてきて、ピンク色の携帯電話を掴み、布団の中へと持っていってしまった。その直後、布団がばさぁっと舞い上がる。布団の中から出てきたのは、栗色の髪を肩より少し下まで流した小学校中学年程度の女の子。この部屋の主である高町なのはだった。

 彼女は、身体を起こすと急ぐようにベットから飛び降り、ばたばたと着替え始める。掛けてあった制服に袖を通し、下ろしていた髪をリボンで変則的なツインテールにする。それが終わると、顔を洗うためにパタパタパタと駆けながら、部屋のドアを開け、階段をタンタンタンと下りていく。階段を降りきり、リビングに顔を出すとなのはの母親である桃子が朝食を作っており、なのはの鼻をくすぐった。

「あら、なのは、今日は早いわね」

「うん」

 桃子の少し驚いたような声を軽く受け流し、なのはは洗面所へと駆け込んだ。

 桃子が驚くのも無理はない。なのはが起きるのはいつも学校に間に合うぎりぎりの時間。むしろ、自発的に起きてきたことが珍しい。いつもは、美由希か恭也が起こすまで起きないのだから。

 顔を洗ったなのはが洗面所から出てきて、リビングにあるテーブルに座る。彼女が一人で座るのはいつものことだが、目の前に熱々のソーセージと目玉焼きが並ぶのは初めてだ。

「どうしたの? 今日は何かあるの?」

「ちょっと」

 桃子が何かを探るように声を掛けるが空振り。そんなことは知ったことか、といわんばかりになのはは、お皿に盛り付けられた目玉焼きやソーセージをいただきますと手を合わせた後にいつもより明らかにハイペースで口の中に詰め込む。
 はぐはぐはぐという擬音をつけたほうがいいのだろうか。いつものなのははこんなに能動的ではない。のろのろと口に運び、時間ギリギリになって手を合わせるのだが、今日は、一秒も無駄にはできないと言わんばかりに急いでいる。
 桃子が呆然としている間にあっという間になのはの朝食が盛られた皿は空っぽになってしまった。

「ごちそうさま」

 丁寧に手を合わせてお辞儀をしてなのはは、席を離れてパタパタパタと二階に駆け上がると、すぐさま降りてきて玄関に走り、用意していたお弁当を鞄に入れると、いってきます、という言葉と共に外に飛び出した。

「……いったい何があったのかしら?」

 昨日とは違いすぎるなのはに呆然と疑問の声を漏らすしかない桃子だった。



  ◇  ◇  ◇



 朝食を急いで食べたなのはは近くの停留所で聖祥大学付属小学校が動かしているバスに乗り込むと友達と仲良く話している聖祥大付属小の生徒を無視して一人座席に座る。いつもなら、周りの生徒を目に入れたくなくて俯いて、半分夢の中に逃げ込んでいたなのはだったが、今日は、まっすぐ前を見ていた。なぜなら、今日のなのはには希望があるからだ。

 ―――また明日。

 昨夜の去り際の蔵元翔太との単なる口約束。だが、それでも、蔵元翔太が口約束とはいえ、約束を違えるとは到底なのはは思えなかった。だからこその希望。
 ただ、翔太は、時間の指定をしていなかった。朝か、昼か、夕方か。それはなのはには分からない。だが、もしも万が一、翔太が朝のつもりだったら、なのははいつもなら遅刻ギリギリにいくものだから、翔太に会えないかもしれない。
 いや、会えないだけならまだしも、なのはが一番恐れることは、翔太にそれで呆れられることだ。約束も守れない高町なのはだと翔太に認識されることだ。
 だから、今日は今まで一度も使っていなかった携帯電話のアラームも使って起きた。本当なら朝は苦手なのに頑張って起きたのだ。

 やがて、バスはなのはを聖祥大付属小学校へと運ぶ。

 バスから降りたなのはは教室へと一人向かう。まだ、比較的朝が早いためか周りにクラスメイトの姿は見えなかった。それは、なのはがいる教室も同じで、なのはが来るいつも時間なら殆どの人間が来ているはずだが、今日は数人しか来ていなかった。しかも、彼らはよっぽど真面目なのだろう。机の上に教科書とノートを広げてカリカリカリと今日の予習をしていた。もしかしたら、宿題かもしれないが、それはなのはの知る由でもない。
 いつもより、一時間ほど早く教室にたどり着いたなのはは、とりあえず、教室の中に翔太の姿が見えなくてほっとした。どうやら、まだ来ていないようだった。もっとも、なのはよりも早く来た可能性もあるのだが、一生懸命思い出した一年生の頃の記憶を掘り出してみれば、翔太がくる時間帯は、だいたい始まる三十分ぐらい前だったはずだから、可能性は低いだろうと、なのはは考えていた。

 さて、後は翔太が来るまで何をするか、だが、幸いにして自分ひとりだけで時間を潰す方法に関していえば、よく知っていると自負している。鞄からつい最近まで読みかけだった文庫本を取り出して、挟んでいた栞が示すページから読み始める。だが、内容はさほど頭に入ってこない。読んでいたとしても気づけば、一行飛ばして読んでいたりして、いつもよりも明らかにペースが遅くなっていた。

 いや、原因は分かっている。要するになのはは気になって仕方ないのだ。いつ、翔太が来るのか。今までなのはがこのように誰かを待つというのは初体験だ。また、明日といわれて待つ時間。それはまるで友達のようで、なのはにとってはその待つ時間も楽しいものだった。いつ、来るのだろう? と思いながらなのはは、ただ待っていた。

 しかし、なのはの期待を余所にいつまで経っても翔太が表れることはなかった。

 そうこうしている内に朝の始業のチャイムが鳴り響く。どうやら、朝の時間では翔太が来ることはなかったようだ。
 しかし、今日という日は始まったばかりだ。そう、自分を慰めて、なのはは、翔太を待つことにした。

 一時間目の休み時間―――来ない。

 二時間目の休み時間―――来ない。

 三時間目の休み時間―――来ない。

 最初のうちは気丈にきっと次の時間こそは、もう少ししたら、と思っていたなのはだったが、だんだんと不安になってきた。もしかしたら、翔太が来ないんじゃないか、という不安がこみ上げてきたのだ。
 しかし、その思いをすぐになのはは否定する。なぜなら、彼はあの蔵元翔太だ。なのはにとっての理想を体現した人だ。ならば、約束を違えるなんてことは絶対にしない。だから、なのはは次の時間はきっと、と待ち続ける。

 だが、四時間目の休み時間も彼の姿がなのはの教室に現れることはなかった。

 さすがにここまで来ないと、もしかして来ないんじゃないかと不安に駆られる。しかし、ならば、なぜ? という疑問が浮かび上がる。
 一つの可能性としては、翔太が約束を忘れていることだが、それはありえないとなのはは断言する。憧れていたから、理想の体現だったから、一年生の頃、なのはは翔太を観察していたといっても過言ではない。そんな中、彼が約束を破るということはなかった。
 もう一つの可能性としては、昨日の約束を翔太が約束と認識してない可能性だ。

 ―――また、明日。

 なのはが思い描いた妄想の中には友人との別れ際に告げる言葉の一つではあった。なのはにとっては初めて言われた言葉で、約束と思ったのだが、それは翔太からしてみれば、日頃ありふれた言葉で、例えば、友人ではないなのはにも言うほど軽い言葉―――社交辞令に近い言葉だとしたら。

 その考えに至った瞬間、ぞくっ、とした悪寒になのはは襲われた。それは考えてはいけないことだった。
 昨日からなのはは帰り際のその言葉に有頂天になっていたのだ。気分が高揚していつもはかけない目覚ましまでセットして、一時間も早く登校して、昨日の一言を楽しみにしていたのに。それが、実はただの勘違いだとしたら。なのははどれだけ滑稽なのだろう。

 ―――嫌だ、嫌だ、嫌だ。そんなはずない、蔵元くんはきっと来てくれる。

 その考えを頭から消すように左右に振る。
 だが、時間は無常に流れていき、気づけば、帰りのショートホームルームさえ終わりかけていた。
 早く終わって欲しいとなのはは思っていた。早く終われば、隣のクラスに翔太の様子を見に行くことが可能だから。だが、生憎ながら、このクラスの担任は話が長いことで有名だった。だから、第二学級のクラスの帰りのショートホームルームが終わるのはいつも最後だ。

 そして、ショートホームルームの最中、隣からワイワイガヤガヤと何かから開放されたような声が聞こえた。
 隣のクラスのショートホームルームが終わったのだ。隣のクラスが下足場に向かうためには必然的に第二学級の前の廊下を通らなければならない。だから、ばたばたと下足場へと向かう生徒がいる中で、幾人かは足を止め、第二学級が終わるのを待っている。おそらく、第二学級の友人を待っているのだろう。
 こっそりと、廊下を見るなのは。もしも、その中に翔太がいれば、なのはは、安心できただろう。なぜなら、二年生になってから翔太が隣のクラスに顔を出すことなど滅多になかったのだから。つまり、彼が待っているということは、明確な用事があることに他ならない。まだ、昨日の約束を信じているなのはにとってはそれが最後の希望と言っても過言ではなかった。だが、だがしかし、その希望は脆くも無残に砕け散った。

 廊下で待ち合わせているであろう面々の中に翔太の姿はなかったからだ。

 しかも、第一学級の生徒たちは、全員もう教室から出て行ってしまったのだろう。つまり、翔太はなのはのことなど一切気に留めることなく帰宅したということだった。

 その事実がなのはを打ちのめす。ああ、そうだ。信じた自分が滑稽だったのだ。

 ―――また、明日。

 それはありふれた言葉。しかし、初めての言葉。舞い上がり、忘れていた。自分がすべてを諦めてしまっていたことを。しかし、昨夜、魔法という蔵元翔太でさえも適わない力を手に入れてしまったことも起因しているのだろう。彼から繋がれた手が、暖かい言葉がなのはに夢を見せていたにすぎないのだ。
 魔法という力を手に入れようとも、蔵元翔太にとって高町なのははそこら辺の他人と変わらないのだろう。

 結局、期待した自分がバカで滑稽だったのだ。

 そう、そう思っていたからこそ、また、一年前と同じくせっかく手に入れた魔法も忘れて、すべてを諦めて同じように生きる屍のように過ごそうと思っていたからこそ、帰り際に背後から肩に手を置かれ、名前を呼ばれたときは、「ひゃいっ!?」なんて情けない声を出してしまった。もっとも、学校で帰り際で名前を呼ばれることなどなかったので、すっかり気を抜いてしまっていたことも少なからず原因ではあるが。

 そして、振り返って、そこにいたのが、翔太であると確認したとき、思わず泣いてしまいそうになった。
 彼が、社交辞令で「また、明日」と告げたわけではないと分かったから。確かな約束でなのはに告げてくれたことを知ったから。そして、そんな彼を疑ってしまった自分が情けなかったから。

 その後は、泣きそうな顔を見られてしまったが、なんとか持ち前の演技力で誤魔化すことができた。
 すぐ泣いてしまうような情けない女の子と見られたくなかったから。それは、せめて蔵元翔太の前では、良い子でありたいというなのはのせめてもの抵抗だった。



  ◇  ◇  ◇



 初めての経験だった。いや、誰かとお弁当を食べることではない。少なくとも一年生の頃はなのはも誰かとお弁当を食べるようなことはあったのだから。二年生になってからは、あまり記憶がない。教室内にいても、みんなが仲良くお弁当を食べている姿が、目に入るのが嫌で、抜け出していたから。初めてだったのは、こうして会話しながら、お昼を食べるという光景がだ。一年生の頃は、確かに誰かと食べていたが、会話はしていなかった。いくらなんでも、相手が言ったことにただ頷いているだけの行動を会話とは呼ばないだろう。相槌というのだ。
 だが、今日は、違った。翔太はわざわざなのはに話しかけ、答えを待っている。この状況に慣れておらず、舌が回らないなのはは、まごついてしまうが、それでも翔太はなのはが答えるのを待っていた。初めて、なのはは会話らしい会話をしながら昼食を食べたのだった。

 しかしながら、昼食という時間は永続的に続くわけではない。当然ながら、弁当が空になれば、その時間は終わってしまうわけで、終わると、次はお互いに自己紹介に移っていた。その中で、なのはは単純に自分の名前ぐらいを言えばいいか、と気楽に考えていたのだが、途中、翔太がとんでもないことを言い、なのはの度肝を抜いた。

「友達は僕のことをショウと呼ぶよ。だから、高町さんもフェレットくんもそう呼んでくれると嬉しい」

 それは、つまり、蔵元翔太が高町なのはを友達と認めるということだろうか。
 最初、意味が分からなくて、呆然としていたなのはだったが、やがて、気まずそうな顔をして前言を撤回しようとしていた翔太を見て、すぐさま正気に返り、彼の申し出を急いで肯定した。

 嬉しかった。友達と言ってくれたもの、初めてできた友達が蔵元翔太のようないい子だったことも。
 彼と一緒にいれば、自分もいい子になれると思ったから。彼なら、自分に色々なことを教えてくれるような気がしたから。だから、なのはは名前を許可されて、若干緊張しながら初めて名前を呼ぶ。

「う、うん……ショウ……くん」

 呼び捨てはさすがにハードルが高かったのでこれぐらいで勘弁してほしい。しかしながら、なのはは自分で頬が緩んでいるのが分かった。初めての友達だ。かつて、なのはが切望して、熱望して、渇望したものだった。しかも、その相手は、ずっと理想としてきた蔵元翔太だ。文句の言いようがなかった。

 だが、彼女の幸福は今までの不幸をすべて帳消しにするかのように続いた。

 翔太がフェレット―――ユーノというらしい。正直、翔太と友達になれたことで頭が一杯で聞いていなかった。―――と何かを話している。どうやら、今後の方針を決めているようだった。ジュエルシードという危険物を集めるか否か。なのはにとってはどっちでもいい話だった。
 昨夜、助けたのも翔太でさえ適わなかった力を手に入れることで何かが変わるかも、と思ったからだ。現になのはは魔法の力を手に入れて、翔太と友達になれた。それだけで満足だったのだから。これから先は、一年生の頃に友達ができたらやってみたいことを翔太と一緒にやっていければいいな、と思うぐらいだった。

 だが、翔太はなのはに選択を迫った。

「どうしようか? なのはちゃん」

「ふぇ? わ、私?」

 寝耳に水だ。どうして、私が決めなくちゃいけないんだろう、と思った。

「え……ショ、ショウくんが決めてよ」

 そう、翔太が決めればいいのだ。それになのはは、絶対に従うのだから。そもそも、なのはは恐れていた。翔太の意に沿わない意見を言って、嫌われてしまうことが。表面に出さなくても、心の中で僅かに思われるのも嫌だった。せっかくできた友達なのに、こんな下らない選択肢で嫌われるのが嫌だった。だから、選択権を翔太にゆだねるつもりだった。この方法なら少なくとも、翔太に嫌われることはないから。

 だが、翔太は首を横に振る。

「ダメだよ。これからのことはなのはちゃんが主役なんだ。脇役の僕が決めていいことじゃない」

 この言葉になのはは、驚いた。
 今まで、なのはは、主役などになったことはない。主役どころか脇役にすら、いや、下手をすると舞台にすら上がったことがないのかもしれない。何かあれば、他人に流され、自分の意見を言うことなく、ただ隅で目立たないように存在しているだけ。もっとも、誰かに認識されることで存在を定義されるというのなら、認識すらされていなかったのだから、舞台にすら立っていなかったということになるのだろう。
 だが、翔太はなのはに君が主役だ、と告げた。その真意はどこにあるのか分からない。だが、なのはが読み取る限りでは、翔太がなのはを騙してどうこうという話ではなさそうだ。本当に翔太は、なのはが主役と思っているのだ。
 しかし、たとえ、そうだとしても、それはなのはが主役になったのではない。それは、翔太がなのはを主役に引っ張り上げてくれたのだ。もし、赤の他人に君が主役だ、などといわれてもなのはは信じることはなかった。
 友達になろうといってくれた翔太だから。憧れだった蔵元翔太だから、なのはは翔太の言葉を信じられた。

「……本当に私が決めるの?」

 最後の確認。だが、それでも翔太は首を縦に振る。なら、なら、もしかしたら自分が決めてもいいのかもしれない。
 それは、生まれてこの方、ずっと嫌われないように他人の意見に追従してきたなのはが初めて自分の意思を表に出そうとした瞬間だった。

 もしかしたら、嫌われるかも、でも……それでも、なのはの意思が通って欲しいという願望のほうが強くなっていた。

 緊張から身体中に力を入れながら、なのはは緊張から乾いた舌を一生懸命動かしながら、口を動かした。

「わ、私は……ショウくんと、一緒に、ジュエルシードを探したいっ!」

 この意見が受け入れられれば、ジュエルシードを探している時間はずっと翔太と一緒にいられる。初めてできた友達とずっと一緒に。だからこそ、なのははその言葉を口に出したのだ。
 なのはがこれ以上緊張することはないだろうと思いながら口にした一言に翔太は―――

「分かったよ。僕も手伝うよ」

 笑って肯定の意を示してくれた。
 それが、そのことが嬉しくて、なのはは最近になってようやく浮かべるようになった笑みを翔太に真正面から向けることができたのだった。



  ◇  ◇  ◇



 気づいたら、いつの間にか家に行っていて、ジュエルシードが発動して、姉に背負われて、近くの神社まで来ていた。
 本当にいつの間にか、だ。話は翔太と両親が進めるし、なのははいつものように流れに身を任せていたから。もっとも、それは翔太に全幅の信頼を置いていたからだが。
 だが、ジュエルシードの暴走体が目の前にいるならやることは唯一つだ。

「いくよ、レイジングハート」

 そう、自分にしかない力―――魔法の力を使って、暴走体を封印する。ただ、それだけだ。そして、また翔太に―――
 だが、前に出ようとしたなのはは、兄の制止する手によって遮られた。

「なのは、下がっていろ。少しの間、ここは俺たちに任せてくれ」

「そんなっ……」

 驚いた。あれは、あのジュエルシードの暴走体は、なのはが力を示すためのものなのに。あれがいなかったら、なのはは意味がないのに。
 だが、兄にそんなことを言える勇気はまだなのはになかった。ここで何か言って兄に嫌われるのは、嫌だったからだ。
 だからこそ、兄に従い、その場に立ち尽くすなのは。だが、直後、それは後悔に変わる。なのはは兄の制止を無視してでもレイジングハートを起動させ、昨夜のようにさっさと封印するべきだったのだ。

「……うそ……だよ」

 半ば呆然としたような声がなのはの口からこぼれた。
 なのはの目の前で繰り広げられるのは、兄である恭也と姉である美由希が昨夜の思念体とよく似た暴走体と互角に戦っているところだ。ダメージは与えられていないのだが、見ているだけなら確かに互角に見える。
 そして、なのはの耳は隣で同様に見ている翔太の口からこぼれた言葉を拾ってしまった。

「すごい……」

 その声に込められたのは確かな賞賛だった、感嘆だった。それを高町なのは許容できない。
 昨夜と同様に翔太に賞賛と感嘆を与えられるのは自分だけで十分だからだ。いや、それは自分だけの特権であるはずだからだ。魔法の力を持つなのはだけの。
 だが、現実的に翔太は、恭也と美由希に感嘆の声と賞賛の表情をしていた。

 ―――どうして? どうしてこうなった?

 なのはには今の現状が分からなかった。

 翔太と友達になれて、自分がこの件の主役で、魔法の力を使ってジュエルシードを封印して、翔太に温もりをもらえるはずだった。
 だが、今、その温もりの源である賞賛と感嘆を貰っているのは兄と姉だ。

 ―――嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 もし、もしも、このまま恭也と美由希が暴走体を倒してしまったら?
 答えは簡単だ。昨日の翔太の感嘆と賞賛の言葉は二人へと向かい、暴走体が二人でも抑えられることが分かれば、父親である士郎はなのはに危険なことに首を突っ込むなといい自分は決してこの件には関われなくなるだろう。

 ―――取らないで……私がやっと見つけた場所なのに……

 だが、その思いは声にはならない。彼らは戦っているからだ。
 どうする? どうしたらいい? どうしたら、兄たちに自分の居場所を取られない?

 なのはの幼い頭脳が一生懸命に思考する。結果、答えはすぐに見つかった。

 ―――ああ、分かった。私がもっと強くなればいいんだ。

 そう、すべては弱いからだ。強くなればいい。恭也も美由希も歯牙にかけないぐらいに。彼らが足元に及ばないぐらいに。そうすれば、恭也が、美由希が戦う必要もなく、なのはだけでいい。翔太も護りながら戦えるようになれば、彼も安心だろう。
 だから、だから、なのはは強くなろうと強く決意した。

「……レイジングハート、私強くなれるかな?」

 ―――Of course .You desire it.

 レイジングハートから返ってきた答えは《あなたが望むなら》。
 なるほど、ならば高町なのはは望むだろう。誰よりも強くなることを。それが、なのはが望む幸福へと繋がるのだから。

「レイジングハート」

 ―――All right.

 もはや目的を同じくした主従の間には起動ワードなどという無粋なものは必要なかった。名前を呼ぶだけで愛機は起動する。なのはの服が分解され、穢れを知らない純白を基調とした聖祥大付属小学校の制服のようなバリアジャケットが生成される。バリアジャケットの生成が終わった後、なのはの左手には杖の状態へと変化したレイジングハートが確かな重みを持って存在していた。

 昨夜のように暴走体を拘束して封印しようかと思ったが、それには兄と姉が邪魔だ。接近戦な上に高速で動いている彼らの中から暴走体のみを拘束できる自信がなのはにはなかった。せめて止まってくれれば……。そう思っていたなのはに機会が訪れた。
 兄の刀が煌いた瞬間に暴走体が吹き飛んだのだ。しかも、それなりのダメージを負っており、すぐに動けるような状態ではなかった。

 この機会を逃すほどなのはは惚けていない。たとえ、すぐさま傷が癒えようが、背中から翼が生えようが、なのはが拘束することにまったく問題はなかった。

 レイジングハート、となのはが願うだけで、暴走体は地面から生えた桃色の帯に拘束された。魔法の種類で言えば、バインドという魔法の類であることをレイジングハートが教えてくれた。
 そして、すぅとレイジングハートを地面と平行に構える。ここから、あれを封印するためにはそれが正しいとなのはは感覚で分かっていた。レイジングハートがなのはが望むように形を変える。いうなればカノンモード。射撃に適した形だ。
 先端の宝石部になのはから無尽蔵に供給される魔力が集う。その光を見てなのはは笑う。その輝きこそが、なのはの強さを示しているから。兄や姉すら適わなかったあの暴走体を屠る魔法の力が、確かにそこに集っていることを感じ取られるからだ。

「貫いてっ!!」

 なのはの叫びと共に桃色の光が暴走体を貫き、なのはの魔法の言葉と共にジュエルシードは封印された。

「えへへ、やったよ、ショウくんっ!」

 思わずガッツポーズ。あれほど押していた兄や姉さえも適わなかった暴走体を封印したのだから、きっと昨夜のように翔太は賞賛の声を掛けてくれると思ったから。そして、なのはの望みは適う。昔は遠くから見ているしかなかった、皆へ向ける笑みを浮かべて翔太は賞賛の声をなのはにくれた。

「うん、さすがだね。やっぱり、なのはちゃんはすごいな」

 その言葉で、なのはは笑みがこぼれるのを止めることができなかった。



  ◇  ◇  ◇



「あ、ちょっと待って」

 帰り道、別れ際に翔太がなのはを呼び止める。彼は、肩にユーノを乗せてポケットに手を突っ込んで何かを探しているようだった。やがて、取り出したのは、手の平サイズの黒い薄い箱のようなもの。一般的にいうなれば、携帯電話だ。

「なのはちゃん、携帯持ってる?」

 うん、と頷く。

「よかった。昨日、連絡しようと思ったら、僕、なのはちゃんの携帯知らないことに気づいたからね。だから―――」

 ドクン、と心臓が高鳴った。その、後に続きそうな言葉に予想がついたから。それは、携帯という道具を手に入れて以来、なのはが望みながらも、一度も言われたことない言葉。その言葉を言ってくれるような友達を熱望して、切望して、渇望したなのはがようやく手にした友人、蔵元翔太。彼からすぐにそんなが言葉が出てくるなんて、にわかには信じられなくて、だが、翔太は、なんでもないようになのはが望んでも口にされることのなかった言葉を簡単に口にした。

「携帯の番号交換しようか」

 望んでいたはずなのに。そんな風に言われたら、すぐに対応できるように説明書も全部読んだのに。
 翔太からそれを提案されたとき、すぐになのはは動くことができなかった。だが、動きが止まったなのはに小首をかしげた翔太をみて、初めて正気に戻り、いつも制服のポケットに入れっぱなしの携帯を慌てて取り出した。

「あ……ちょっと待って」

 ぱかっ、とピンク色の携帯を開いたなのはは慌てて携帯の電源を入れた。そう、なのははずっと携帯の電源を切っていた。鳴らない電話に意味はない。家族からも番号を登録したものの、かかってきたことは一度もない。なのはもかけたことがない。ならば、携帯が使われることはなく、電源を入れたままにすることは無駄だったからだ。

 電源のボタンを押しっぱなしにして、ようやく時計と日付が表示される。

「あ、できたよ」

「それじゃ、赤外線で」

 すぅ、と翔太が携帯を近づけてくる。しかし、なのはには赤外線の意味が分からない。さすがに説明書を全部読んだといっても二年も前の話だ。すっかり忘れている。

「あれ? もしかして、分からない?」

 コクリと頷く。

 素直に頷くのは戸惑ったが、ここで否定してもっと時間をかけることの方が心苦しかった。だから、なのは素直に頷く。そういうと、翔太は、なるほど、と頷いて、なのはに「ちょっと貸してね」と断わると、携帯をなのはの手から取り、ピコピコと操作し始めた、やがて、はい、と返されると、ディスプレイには「赤外線受信」と書かれていた。

「はい、携帯を近づけて」

「う、うん」

 恐る恐る携帯を近づけると、ぴこんという音と共にディスプレイに「蔵元翔太のアドレスを受け取りました」と表示された。ピコピコと携帯を弄り、アドレス帳を呼び出すと、全部で七件のアドレスが登録されていた。
 『お父さん』『お母さん』『お兄ちゃん』『お姉ちゃん』『お家』『翠屋』そして、つい先ほど登録された名前がそこにあった。

 ―――『蔵元翔太』

 そのディスプレイに新たに表示されたたった一件の名前が、なのはには誇らしく、愛おしく思えた。



  ◇  ◇  ◇



 暴走体を封印して、翔太から褒められ、さらに携帯電話の番号まで交換し、すっかり夢見心地になり舞い上がってしまったなのはだったが、家に帰って晩御飯を食べた後に士郎の部屋になのは一人だけ呼び出されてしまった。
 なんだろう? と疑問に思うものの、かつてないほどに気分が高揚しているなのはは特に気にすることもなく士郎の部屋へと向かう。ドアをノックし、部屋に入るとそこには、真面目な顔をして座っている士郎がいた。しかも、どこか空気が重いような気がした。

「座りなさい」

 士郎に促され、正面の座布団に座る。士郎の部屋は簡素なもので、タンスやらがあるだけで後は畳だ。普通はテーブルがあるのだが、今日はどこかにたたんでいるようだった。

「今日のことは恭也から聞いた。魔法を使ってユーノくんが言っていたジュエルシードとやらを封印したらしいな」

「うん」

「なのは、その魔法の力というのはとても大きな力だ」

 それはなのはも同意だ。なにせ、兄も姉も、あの蔵元翔太も適わなかった力だ。ならば、魔法の力というのは強大なものであることには間違いない。
 なのはがコクリと頷くのを確認して、士郎は言葉を紡ぐ。

「力そのものに善、悪はない。あるとすれば、それは使う人間次第だ。だからこそ、なのはにはその魔法の使い方を考えて欲しい。なのはは何のためにその力を使う?」

 そんなことは、決まっている。ジュエルシードを封印するためだ。そして、翔太に褒めてもらうため、構ってもらうためだ。なのはが魔法を使ってジュエルシードを封印する限り、翔太はなのはの傍にいてくれるだろう。だから、なのはは魔法を使う。ただ、それだけだ。

「それは、なのはの力だ。なのはが決めたことなら自由に使っていいと思う。だが、できれば、父さんは、恭也や美由希が学んでいる剣術―――御神流の理念である人を護るためにその力を使って欲しいと思う」

 何を言っているんだろう? なのはは、一瞬、士郎の言っている意味が理解できなかった。

 ヒトヲマモル、ひとをまもる、人を護る。

 どの口がそれを言っているというのだろう。

 なのはが幼い頃、一人でいることが寂しくて、耐えられなくて、夜に涙で枕を濡らしているときに助けてくれなかった人たちが、構って欲しくて後ろを着いていったり、遊んでと懇願していたのに、「忙しい」の一言でなのはを遠ざけていた兄や姉たちの理念が『人を護る』?
 ならば、幼い頃のなのはは人ではないとでもいうのだろうか。あるいは、護るに値しない子供だったというのだろうか。

 この部屋に入る前まで有頂天だったなのはの気分は今は地の底にまで落ちていた。

 暖かい何かが居座っていた心の中心は、思い出さないようにしていた幼い頃の記憶が思い出され、一気に冷却され、今は寂寥感に支配されていた。しかも、芋づる式にずっと寂しかった頃の記憶が思い出され、なのはの気分は底なし沼のように沈んでいく。

 心が冷たかった。

 今はただ、この部屋にいたくなかった。部屋に駆け込んで枕に頭をうずめて涙を流したかった。だから、なのはは小さく「わかった」と口にして、士郎の部屋を出て、すぐに自分の部屋へと駆け出した。



  ◇  ◇  ◇



 部屋に駆け込み、ドアを閉め、鍵を掛けたなのはは、ボスンとベットにダイブし、枕に顔をうずめて、涙を一滴流した。
 つい、一時間前までは、暖かかったのに、今ではすっかり絶対零度だ。寂しかった。家族以外の誰かの声が聞きたかった。ふと、横を見てみるとそこには久しぶりにポケットから出した携帯が。

 ばっ、と顔を上げるとなのはは急いで携帯を広げ、アドレスを開いて目的の名前を取り出す。

 ―――蔵元翔太。

 なのはは、震えて指を押さえながらも、その番号を選択する。トゥルルルルという呼び出し音が鳴る。

 心臓がかつてないほどに高鳴っていた。携帯電話を使うのが初めてだったからだ。それに、もしかしたら、出てくれないかもしれない。仮に出たとしても何を話せばいいんだろう。様々なことが頭を巡る。だが、三コール目にがちゃっ、という音と共に相手が出た。

『はい、ショウだけど、なのはちゃんどうしたの?』

 ついさっきまで聞いていた翔太の声が携帯から聞こえた。

「え? あ、あの……どうして、私のこと分かるの?」

『いや、ディスプレイに出るよね?』

 何を当たり前のことを、という感じで言われ、くすっ、という苦笑が聞こえた後に『変ななのはちゃん』、と言われた。
 ちょっとした会話。ただ、それだけで先ほどまでなのはの中で絶対零度だった心の中が暖かくなった。それは、翔太の声が昨夜や今日のこととを思い出させるからかもしれないし、初めての友達だからなのかもしれない。
 「へ? そ、そうなんだ」などと差し障りのない言葉を選びながら、なのはは強く思う。

 ―――ああ、この暖かさを絶対に手放したくないな、と。

 彼女の始めての携帯での会話は十分程度で幕を閉じるのだが、それまでなのは笑って会話できたことに満足する。
 それじゃ、お休み。とある種、定型の言葉をお互いに口にして携帯の通話を切る。切る直前まで耳に当てていた携帯をなのはは閉じるとそのまま愛おしそうに胸に抱き、先ほどまでの会話の相手の名前を呟く。

「―――ショウくん」

 今日はなんだかいい夢が見れそうな気がした。


 続く


あとがき
 番号交換のシーンについて
 翔太:何気ない日常であるが故に気にも留めない
 なのは:初めての友人、初めての番号交換



[15269] 第十二話
Name: SSA◆ceb5881a ID:de8c662e
Date: 2010/03/07 22:27



「先生、これ、ここに置きますよ」

 学年が上がると変わることがある。だが、同時に変わることがないこともあるのが事実だ。
 こうして、担任の代わりに小テストや宿題を持ってくることは三年目になった今でも変わらない。

「おお、蔵元。いつもありがとな」

 よほど忙しいのだろう。僕に目を向けることなく、カリカリカリと書類を書き続ける先生。もっとも、新学期が始まったばかりのこの時期に忙しくない先生などいるはずがないのだが。

「そう思っているなら、僕にも何かくださいよ」

「なに、お前の内申書はいつも美辞麗句で埋まってるぞ」

「いや、ダメじゃないですか」

 ははは、と笑う先生。

 いつものようなやり取りだった。定型文的なやり取り。だから、僕ははいはい、と言って職員室をそのまま出て行く予定だった。だが、背中を向ける直前、書類に目を落としていた顔を突然何かを思い出しように上げてた。

「ああ、そうだ、蔵元」

 くるっ、と椅子を回して僕の背中に声を掛ける先生。僕は、また何か雑用があるのか、と半ば呆れ顔でまた振り返り、先生と真正面から向き合う形となる。
 僕の予想はある意味で当たっていた。下らない、という部分に対しては。

「お前に春が来たって噂なんだが、本当か?」

「はぁ、春なら今の季節は確かに春ですが」

 僕は先生の言っている意味が分からなかった。そのニヤニヤとまるで初々しいものでも見るような表情もその言葉の意味もすべてが。
 とりあえず、言葉の意味のままにとってみたが、先生は額を押さえて参った、というような仕草を取って見せた。
 はて、僕は何か間違ったことをやってしまっただろうか。

「おいおい、蔵元。お前なら分かってくれると思っていたんだが、私の期待はずれか? 春といえば、あれだ。これだよ」

 そう言いながら小指を立てる先生。今の世代からしてみれば確かに古い仕草だろう。もしかしたら、今の若い世代には通じないかもしれない。だが、輪廻転生という摩訶不思議な体験をしている僕には通じた。そして、同時に先ほどの意味も理解できた。

「ああ、なるほど。そういう意味ですか」

「私には、この仕草が理解できて、さっきの言葉の意味が理解できないお前が分からないよ」

 そういわれても、今の僕は小学生という意識が強くて春が来たといわれても、彼女ができたという思考に結びつかないのだから仕方ない。もしも、僕が中学生ぐらいになれば、まだいくらか思考の回路は繋がったかもしれないが、この身体は小学三年生だ。勘弁してもらいたいものである。

 しかし、その春の意味が分かったとしてもさらなる疑問が出てくる。

「ん? でも、一体、どこからそんな話が出てきたんですか?」

「最近、お前、隣のクラスの高町と毎日帰ってるだろう」

「そうですね」

 最近、僕の放課後のスケジュールは、ジュエルシード捜索で埋まっている。
 あの神社の事件から早一週間近く経とうとしている。その毎日、僕はなのはちゃんと放課後を共にしている。と言っても、途中から恭也さんか美由希さんと合流するのだが。最終的に僕となのはちゃん、ユーノくん、恭也さんか美由希さんの三人と一匹でジュエルシードを探している。

 先生が言っていることも確かだ。しかしながら、男の子と女の子が一緒に帰るなんて小学生の中学年ならまだ普通だろう。僕の友達にだって家が近所だからという理由で一緒に帰っている男女を知っている。それが、なぜ、僕になるとそんな話に流れてしまうのだろうか。

「そりゃ、珍しいからだよ。お前が、毎日特定の誰かと帰ったことなんてあったか?」

 先生の言葉を聞いて考えてみたが、そういえば、僕は特定の誰かと毎日帰宅を共にしたことはない。
 なぜなら、僕はあちこちに顔を出すようにしているからだ。といっても、塾のときはアリサちゃんたち、サッカーなどのときは、男の子の友人といった風に特定のイベントに対して特定の友人というのは決まっている。しかし、毎日同じイベントが続くことはなく、結果として、毎日特定の誰かと帰宅するということはなくなるのだ。

「まあ、そんな感じで蔵元が、珍しく毎日同じ子と帰ってる。しかも、女の子。おお、蔵元に春が来たのか、と女性教師陣の間では噂になったわけだ」

「教師ってそんなに暇人なんですか?」

 しかも、仮にも教師がそんな噂を作って欲しくない。

「なに、女という生き物はいくつになっても恋バナに目がないものなのさ」

「はあ」

 僕は、呆けながら、そう返すしかなかった。先生の言うように女の子は恋の話が好きだということは聞いたことがある。僕が高校生のときは確かに誰々と誰々が付き合ってるなんて話はよく話題に上ったものだ。

「それに、まあ、憧れみたいなものもあるのかもな」

「憧れですか?」

「ああ、子供の頃って純粋な好意だけで恋愛ができるだろう? だがな、大人の恋愛って奴は面倒なんだ。結婚、子供、仕事、家族とかな。純粋な好意だけじゃできないことが多いんだよ。だからこそ、素直に好意を伝えられる子供の恋愛が羨ましいし、楽しそうに見えるんだろうな」

「先生……」

 実に感慨深い話だった。
 僕は結局のところ、経験と知識は大学生並だ。だが、それ以上、つまり、仕事をしている社会人としての経験も知識もない。だから、先生の言葉の端々から垣間見た大人の社会というものに思わず感心してしまった。

「で、結局のところ、どうなんだ?」

「先生……」

 真面目な顔をしていたのにすぐに好奇心を前面に出した表情に対して、先ほどと同じ言葉にも関わらず、感情的には真逆の感情を込めた呟きを吐き出すことしかできなかった。



  ◇  ◇  ◇



 神社での戦いからそろそろ一週間が経とうとしている。これまでに見つけたジュエルシードは全部で五つ。
 何の因果か、神社での戦い以来に見つけたジュエルシードはすべて聖祥大付属小学校で見つかった。一つはプール、一つは校庭だ。これらのジュエルシードは幸いにして暴走前に見つけることができた。

 ジュエルシードの基本的な探し方だが、ただ闇雲に探しているわけではない。ユーノくんやなのはちゃんクラスになるとジュエルシードの大体の気配が追えるようだ。ユーノくんにいたっては探索魔法というもので魔力を持った物体を探索できるらしい。ただし、その範囲は広範囲になればなるほど曖昧になるという。

 そこで、僕たちはまず僕たちの行動範囲に近いところから探っていくことにした。暴走体が危険であることは分かっている。それが人に危害を加えることも。ならば、最初に僕たちの周りの親しい人達の安全から確保したかったのだ。そういうわけでまず学校から探索してもらったのだが、ここでいきなり2個のジュエルシードを発見してしまったというわけだ。

 もっとも、幸運もそこまでで、後はまったく見つかっていないのだが。残りは16個。短時間で見つかればいいのだが、この調子で行くと一月以上かかるかもしれない。塾のことやら周囲へのことを考えるとそれはいささか憂鬱だったが、放っておくわけにもいかないところが、実に性質が悪い。
 しかも、捜索はユーノくんの探索魔法に頼っているものだから、一日で探索できる範囲の狭いこと狭いこと。もしも、海鳴市のみにジュエルシードが散らばっていると考えても、終わりが見えない。
 しかしながら、こんな状況にありながら僕ができることは少ない。せいぜい延々と見つかるかわからないジュエルシードを探し続けることと時空管理局なる組織が一日でも早く来てくれることを願うことだけだ。

 そんなことを考えていたら、目の前の横開きの木でできたドアがガラガラとローラを転がすような音を立てて開いた。開いたドアから出てきたのは我がクラスの担任とは違ってぴしっとしたスーツ姿の女性。第二学級の担任である。この先生が出てきたということは、僕が待っている彼女ももうすぐ出てくるということだ。

「ショウくんっ! ごめん、待った?」

「いや、ついさっき終わったところだから大丈夫だよ」

 僕が待っていた目的であるなのはちゃんが先生が出てきた後、すぐに飛び出すように出てきた。毎回思うのだが、そんなに急がなくても僕は逃げないのだが。一度、そういってみたが、彼女が急ぐことに変化はなかった。飛び出してくることは、そんなに問題でもないので、それ以上言うことはなかった。

「それじゃ、行こうか」

「うん」

 僕が促すと、なのはちゃんは僕に並んで歩き始める。この後は、いつもどおり恭也さんとユーノくんと合流して街中を散策するだけだ。自宅周辺、なのはちゃんの自宅周辺、商店街、学校などの主要な場所はこの一週間でほぼ探索が終わっている。後は、街中などの大きなところと海鳴市の外側である山の中とかである。
 僕としては、山の奥深くなんて場所に転がっているのは勘弁して欲しいものである。なお、もしもそんな森の奥深くにジュエルシードの暴走体が出現した場合は、士郎さんの車で移動することになっている。

 閑話休題。

「さて、それじゃ、今日はどの辺りを調べよう―――ってなのはちゃん?」

「ふぇ、ふぇっ? ご、ごめんなさい。な、なに? ショウくん?」

 昨日までで大体、僕たちが行動する範囲を全部調べ終わっていた。僕で言えば、学校、塾、家の周辺。なのはちゃんは、学校、翠屋、駅前商店街といった場所だ。だから、今日はどこから調べようか? と聞くつもりだったが、どうもなのはちゃんの様子が変だ。
 頭が左右に揺れており、目がトロンとしている。しかも、よくよく見てみれば、笑みを浮かべている顔も青白く、血行がよくないことがわかる。

「なのはちゃん、大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫」

 胸の前でぐっ、と拳を握り上下に振り、大丈夫だと豪語するなのはちゃんだが、僕にはそうは見えない。
 しかも、顔が青白いだけではなく、どこかまっすぐ歩けていないような気がする。いや、一歩一歩を慎重に歩いているような感じだ。
 もしかしたら疲労が溜まっているのかもしれない。ここ数日は毎日ジュエルシードを探している。しかも、なのはちゃんにはジュエルシードを見つけるたびに封印を頼んでいるのだ。封印魔法には大量の魔力が必要だとユーノくんが言っていたことも鑑みれば、あながち僕の推測が間違いとも思えなかった。

「―――今日はお休みにしようか?」

 僕から至極当然な提案だ。僕は、さほど疲れを感じていないが、なのはちゃんが疲れているのなら話は別だ。
 ジュエルシードに関していえば、なのはちゃんが中心である。彼女がいなければ、僕たちはジュエルシードを封印することができないのだから。
 ならば、もしかしたらジュエルシードが暴走するかもしれない、と心配して無理に探し回るよりも、なのはちゃんの身体を第一に考えて、休んでもらったほうがいいだろう。

 そのつもりで僕はなのはちゃんに提案したのだが、僕の言葉を聞いたなのはちゃんは足を止めて、先ほどまで浮かべていた笑みを凍りつかせていた。

「なのはちゃん?」

「ダ、ダメだよっ!! ショウくん、どうして―――」

 急に足を止めたなのはちゃんを心配して声をかけるが返事はなく、今一歩近づこうとしたところで、急に先ほどまで浮かべていた笑みを消して鬼気迫る表情で叫んだかと思うと、ふらっ、となのはちゃんの身体が崩れ落ちた。

「―――っ!」

 間に合うかっ!? と思ったが、何とか僕の身体をなのはちゃんと床の間に滑り込ませることに成功した。
 なのはちゃんが倒れてきた衝撃が、僕のお腹にそのままぶつかってきてかなり痛かったが、なのはちゃんがそのまま倒れて頭を打つと僕のこの衝撃よりもさらに大事になることを考えれば、大したことではない。

「なのはちゃん?」

 僕のお腹に頭をうずめているなのはちゃんに声をかけるが、反応がまったくない。青白い顔をしたまま、目を瞑っている。
 感覚的にこれは拙い、と感じるのにさほど時間は必要なかった。すぐに僕は、なのはちゃんを背後に回して背負い、立ち上がる。
 漫画などでは、男の子が女の子を背負うと、女の子が「重くない?」と聞き、苦笑しながら軽いよ、と男の子が答えるシーンがありきたりだが、あれは二次性徴を超えた高校生ぐらいになればの話だ。二次性徴などまだ数年先である僕となのはちゃんの場合、ほぼ成長速度は同じ。いや、女の子のなのはちゃんのほうが早いぐらいだ。
 そんなわけで、僕は自分を背負っているのと同じぐらいの重みを感じながら保健室へ向けて慎重に早足で歩いていた。
 途中で奇異の視線を向けられるが、正直構っていられない。何より、ここで囃したてるような子供は、聖祥大付属小にはいないようだ。

「ショウ、どうした?」

「高町さんが倒れたんだ。第二学級の先生に伝えてくれる、と嬉しい」

 偶然、学校に残っていた男の子の友人に話しかけられ、僕は自分がこれからやらなければならない、と考えていた中で、一番一人ではできないことをその友人に頼んだ。割とクラスの中でも気の良い彼は、分かった、と言うと職員室のほうへと走っていってしまった。
 普通なら廊下は走らないように、と言うところだが、今はそんなことは言っていられない。

 他にも話しかけてくる友人が数人いたが、彼らには保健の先生を捕まえること、僕らの担任にこのことを伝えることなどの仕事を任せて、僕は保健室へ一直線に向かった。



  ◇  ◇  ◇



 僕は、目の前ですぅ、すぅと先ほどよりも若干血行のよくなったなのはちゃんの顔を見ていた。

 あの後、職員室では結構な騒ぎになってしまったらしい。学校で生徒が倒れたとなれば、当然といえば当然なのかもしれないが。
 結局、原因は寝不足による貧血ということが、定年退職間近に見えるおばあちゃんの養護教諭によって分かった。どうやら、この教諭、伊達に年を取っていないようで、脈と顔色を見ただけで、原因を探り当ててしまった。これが、養護教諭としての経験なのだろうか。
 しかも、どうやら、この学校の教師たちもこの教諭を信用しているようで、原因が分かった今となってはすっかり落ち着いている。ただ、第二学級の先生によって高町家には連絡がいっている。病院には行かなくてもいいのか? とは思うのだが、寝ている今は、素直に寝かせて、後で念のため病院に行くことをお勧めされていた。

 僕は、簡単に事情を話して、後はお役ごめんだったのだが、この後は、ジュエルシードを探す予定で何も予定がないことと目の前で倒れて、意識が戻る前、あるいは家族に引き渡す前に消えるのは礼儀として拙いだろうと思い、こうしてベットに寝かされたなのはちゃんの隣に丸椅子を持ってきて、座っていた。

 高町家に連絡がついた後、すぐに僕の携帯にも電話がかかってきて状況を詳しく聞かされた。しかも、口調から考えるに、相当焦っている様子がありありと分かり、なのはちゃんが家族に愛されているんだな、と思わず苦笑してしまったぐらいだ。
 そんなに慌てている彼らを僕は、素直に原因と対処法を伝えて、何とか落ち着かせた。その後の話で迎えに来るのは恭也さんになるらしく、そのまま、恭也さんがなのはちゃんを病院に連れて行くようだ。

「う、ううん……」

 恭也さんが来るまで後三十分ぐらいかな? と考えていると不意になのはちゃんの眉がぴくぴくと動いた。
 どうやら、目が覚めたようだ。

「……しょう……くん?」

 どうやら、目覚めたばかりで意識がしっかりしていないのだろうか。あるいは、寝不足による貧血で倒れたらしいから、まだしっかりと覚醒していないのかもしれない。僕の姿を認識したようだが、名前の呼び方が呂律が回っていないように怪しかった。

「なのはちゃん、大丈夫?」

「……えっと……私は」

 自分の状況を思い出しているのだろうか、少しだけ自分の考えに浸った後、急に何かを思いついたようにがばっ! と上体を起こす。だが、先ほどまで貧血で倒れていたのに急に上体を起こしたのが悪かったのだろう。すぐにふらっ、と倒れて、ぼすんと頭を枕の中に沈めた。

「なのはちゃん、ダメだよ。貧血で倒れたんだから、急に起き上がったりしちゃ。もう少しで恭也さんが来るから、ちゃんと病院に行くといいよ」

「そんなことより……ジュエルシードは?」

 呆れたことにどうやらなのはちゃんは自分の身体の心配よりもジュエルシードの心配をしているらしい。

「今日はお休み。というか、そんなことはどうでもいいよ。なのはちゃんこそ、貧血になるほど寝不足って何やってたの?」

「えっと……」

 なのはちゃんが言いよどんでいた。

 寝不足で貧血と原因だけ言えば、なんだ、で終わりそうなことではあるが、寝不足で貧血になるようなことなど、毎日寝ていれば問題ないし、仮に一日殆ど寝ずに頑張ったとしても貧血で倒れることはない。つまり、ここ最近ずっと無理していたということになる。

 その原因を探らなければ、きっと彼女はまた倒れるだろう。

 だが、なのはちゃんは何も答えなかった。答えにくいのか、あるいは答えられないのか。
 本当はとりたくない手段だったが、なのはちゃんが答えてくれないのなら、仕方ないと割り切るしかない。

「レイジングハート、原因に見当は?」

 ―――Maybe magic practice.

 僕は、なのはちゃんがレイジングハートを首から下げていることを知っている。首から下げる紐はユーノくんから譲ってもらったものだ。
 そして、僕はゲスト権限ではあるが、レイジングハートへのアクセス権限を持っている。だから、こんな単純なことには答えてくれる。何よりマスターの健康管理に関する質問だ。おそらく、答えてくれるものだろう、と思っていた。

「―――やっぱりね」

 もしかしたら、と大体見当をつけていたが、どうやら正解のようだった。これまで、なのはちゃんが貧血で倒れたという話は聞いたことないし、養護教諭に確認しても同じ答えが返ってきた。つまり、なのはちゃんはこれまで倒れたことはなかった、ということだ。
 今日―――ひいていえば、最近と前とで違うところといえば、魔法ぐらいしか思いつかない。そして、それは今、確信に変わった。

 僕たちの存在がなのはちゃんに負担を掛けたのかもしれない。
 現状でいば、魔力を持たない恭也さんはともかく魔力を持っている僕もユーノくんもジュエルシードに対しては無力だ。対抗できるのはなのはちゃんしかいない。それが彼女の負担になっているのかもしれない。

 なのはちゃんに顔を向けてみると気まずそうな顔をして僕から顔を逸らした。

 彼女の負担軽減になるかどうか分からないが、もう少ししたら話そうと思ったことをここで話すことにした。

「なのはちゃん」

 僕の呼びかけに少しだけ布団を被り、顔を上半分を出した状態で僕を見てくるなのはちゃん。

「ちょっと見てて」

 僕は、意識を少しだけ集中させて、胸の奥にある何かから水を掬い上げるようにそれを引っ張ってくる。そして、それ―――魔力と呼ばれるそれを掌へと回すようにして、そこから出力させる際に球を描くプログラムを付与して急造の魔法と呼ばれる形にして顕現させた。

 僕の掲げた掌の上には球状になった白い光を淡く放つ魔力の塊がぷかぷかと浮かんでいた。

 ユーノくんに言わせて見れば低学年の子供が簡単にできる魔法のようなものらしい。これができることで第一段階はクリアらしい。
 もっとも、デバイスといわれるレイジングハートのようなものがあれば、2、3時間で感覚がつかめるものらしいが、何もない僕は一週間近くかかってしまった。だが、ここまでできれば後はプログラム部分になるから、早い人は早くもっと複雑な魔法が会得できるらしい。
 僕がその早い人に部類されるかどうかはともかく、なのはちゃんがこうなっているなら、実践的で簡単な魔法の一つでも早く覚えなくてはいけないだろう。

 僕の魔法とも呼べない魔法を見て、なのはちゃんは目を見開いて驚いてた。

「ど、どうして? どうしてショウくんが魔法を使えるの!?」

 そして、またがばっ、と起き上がったかと思うと、僕に詰め寄って問いかけてくる。その表情はとても必死でなんでこんな表情を浮かべているのか僕には分からない。とにかく落ち着かせるために僕は、なのはちゃんの肩を押さえながらベットの上に座らせた。

「どうしてって……ユーノくんに習って練習したからかな? 僕にも魔力はあったから」

 ユーノくん曰く、僕にもなのはちゃんには到底及ばないもののそれなりの魔力はあるらしい。ユーノくんと同等か少し上ぐらいらしいが。

「で、でも、あの時、『僕にはできないから』って」

「うん、僕にはできないよ。ただ、魔法が使えるだけ。ジュエルシードの封印ができるのはなのはちゃんだけだよ。僕ができるのはお手伝いだけ」

 そう、僕がどう足掻いたとしてもジュエルシードを封印できるほどの魔法を使うことはできない。僕ができることは、なのはちゃんがジュエルシードを封印するためのお手伝いだけだ。神社であの暴走体を縛った―――バインドといわれる類の魔法のようなもので補助するしかない。幸いにしてユーノくんはそちらの補助魔法が専門のようで、僕もその方向性で魔法を覚えていこうと思っている。

「だからさ、もう少ししたら僕もなのはちゃんと一緒にジュエルシードの封印ができると思うから」

「ショウくんと一緒に……」

「そう。だから、こんなに倒れるまで頑張らなくてもいいんだよ」

 僕は、なのはちゃんの肩を押して、再び横にならせた。少なくともあと二十分は恭也さんは来ない。今のなのはちゃんに必要なのは休養だろう。だから、もうしばらく寝ていたほうがいいと思った。

「さあ、もう少ししたら恭也さんが来てくれると思うから、それまでお休み。僕もずっと隣にいるから」

 横になったなのはちゃんはやはりまだ疲れていたのだろう。すぐにうつらうつらと眉を閉じそうになっていた。それでも、僕が布団を肩まで被せてやると、その小さな口でうん、と肯定の言葉を言ってすぐにまた眠りに着いた。



  ◇  ◇  ◇



「うん、それじゃ、また、明日」

 ぴっ、と僕は携帯の通話を切る。携帯のディスプレイに通話時間が簡単に示されて、やがて省電力モードになる。ディスプレイが真っ暗になるのを確認して、僕はパカンと携帯を閉じた。

「はぁ」

 同時に吐き出されるため息。この数十分で非常に疲れたような気がする。

「どうしたの? ショウ」

 机の上のバスケットの中で半ば眠るような形になっていたユーノくんが僕のため息を聞いていたのだろう、心配そうな声で聞いてきた。

「いや、ちょっと大変なことが一杯でね」

 先ほどまでの電話の相手は、アリサちゃんだった。

 アリサちゃんとは先週から少し冷めた関係になっている。冷めているというか、アリサちゃんが拗ねているというか。そんな感じだ。もっとも、一緒にお昼を食べたりするのだが。ちなみに、アリサちゃんの親友であるすずかちゃんとは、あまり変わらない。時々、何かを問いたそうな顔をしている。

 そんな折に入ってきた電話が、僕の二つ上の先輩からの電話だった。
 その先輩はサッカーをやっていたときによく一緒になっていた先輩で、今は五年生。四年生からしか入部できない翠屋FCという地元のサッカークラブに入っており、聖祥大付属小の校庭で行われるお遊びサッカーには顔を出さないが、時々、思い出したように顔を出していろんなサッカーの技を教えてくれる。

 そんな先輩からの電話の用件は、というと、明日のサッカーの試合に来て欲しいらしい。もちろん、助っ人とかいうおいしい役回りではない。僕はどうやら餌らしい。本命は、アリサちゃんとすずかちゃんだった。
 試合の際、応援席に可愛い女の子がいると他のメンバーのやる気―――当然、その先輩も―――が全然違うらしい。確かに客観的に見てもアリサちゃんとすずかちゃんは二人とも美少女に分類される類だとは思う。僕に電話を掛けてきたのは、先輩が僕と一緒に歩いているアリサちゃんとすずかちゃんを見たことがあるかららしい。
 断わることも可能だったが、その先輩は五年生のリーダー的ポジションにいる人で、三年生までは、サッカーの時には一緒にチームを組んだり、場所を分けてもらうように他の人を説得してもらったり、お世話になった人で断わることはできなかった。

 そんなわけで、まずはすずかちゃんに電話。理由は僕がサッカーを見たいかつアリサちゃんと仲直りしたいということにして誘うことに成功。次は難関のアリサちゃん。

 明日は、あたしたちより大事な用事にいかなくていいの? とか、色々言われたけど、ごめんなさい、と仲直りしたいということを話し、簡単に事情も話すからということで、翠屋のシュークリームを奢ることで手を打つことに成功した。
 おそらく、今日で一番疲れたことだろう。

 さて、問題がこれだけなら、後は明日にすべて回せばいいのだが、問題はこれだけではなかった。

 どうやら、聖祥大付属の三年生以下で行われているサッカークラブのようなものに異変が起きているらしい。
 通常、三年生が校庭を使っていると一年生、二年生も一緒にサッカーをやる。だが、最近はどうも三年生だけで独り占めしているらしい。しかも、先に使っていた一年生や二年生を追い払ってだ。

 僕がいたころは一緒に遊ぶという感じで、一緒にサッカーに興じていたものだが。
 どうやら、僕がいない一週間の間に前までは一緒にサッカーに興じていた同級生がリーダーシップを取ってそんな事態になっているらしい。先輩が笑って言うには、下克上だな、なんて言っていた。
 しかしながら、それが本当だとすれば、問題だ。三年生の評判が悪くなるし、3年生になれば、校庭を独り占めできるという悪しき習慣が広がってしまうかもしれない。これもまた何とかしなければならないだろう。

「はぁ、まるで内憂外患のようだね」

「え? なんだって?」

 思わずはいてしまった独り言にユーノくんに聞かれてしまった。僕は慌てて手を左右に振ってなんでもないことをアピールしながら、別のことに話題を振った。

「なんでもないよ。それよりも、今日も魔法の特訓、よろしく頼むよ。先生」

「あ、うん。それじゃ、今日は魔法のプログラムの基礎について―――」

 それから、一時間、みっちり魔法についての講義が続き、明日への若干の不安を感じながら、僕は眠りに就くのだった。



続く
 
あとがき
 次回は、アリサVSなのは!! では、ありません。あしからず。



[15269] 第十二話 裏
Name: SSA◆ceb5881a ID:de8c662e
Date: 2010/03/08 22:53



 高町なのはの朝は非常に早い。短針が4を、長身が30示す時間に携帯のアラームが鳴り、それで目が覚める。まだ、太陽も昇っていないような時間。辺りは真っ暗だ。しかしながら、なのはは、眠りたいという欲求を自らの意思で振るい払い、起き上がり、私服に着替える。制服に着替えるには早すぎる時間だからだ。

 ―――Good morning my master.

 机の上においた出会って一週間足らずの愛機が、朝の挨拶をしてくれる。それになのはは眠い目をこすりながらも、おはようと返した。

 私服に着替えたなのはは、机の上のレイジングハートを首からかけると朝の冷気でまだ冷たい板張りの階段を降りていく。一階に降りてきたなのはが外を見てもまだ日の出には程遠い時間帯。夜と言っても差し支えのない暗さの中、なのはは躊躇することなく、靴を履くと中庭へと向かった。

「今日もよろしくね、レイジングハート」

 ―――All right.My master.

 レイジングハートの内部に保存されている魔法練習用カリキュラムに則り、なのはは魔法の練習を行う。
 現状、この早朝の魔法練習で実際に習得した魔法は、四つである。
 プロテクション、バインド、ディバインシューター、ディバインバスターだ。なのはの基本戦略は近づくことなく遠距離攻撃のみで勝つというものだ。

 この戦略は、なのはとレイジングハートが考えたものだ。レイジングハートはなのはに砲撃魔法に関する適正を認めたからだし、なのはは翔太を護りながら暴走体と戦うならば、近接戦闘よりも遠距離からのほうが都合が良いからである。
 両者の思惑は少し違っていたが、それでも方向性は同じだったため、なのははレイジングハートが示すカリキュラムどおりに訓練を進めている。

 中庭での魔法の訓練で二時間ばかり費やした後は、シャワーを浴び、制服に着替えて朝ごはんを家族全員が集まって食べる。最初は、滅多に朝食に現れないなのはが急に朝食の場に姿を現すようになって驚いた士郎、桃子、恭也、美由希だったが、一週間もすれば、慣れるもので、最初は会話が少なかった食卓が今ではそれなりに賑やかな場になっていた。
 もっとも、なのはが饒舌に喋ることはなかったが、今まで朝食になのはの姿はなく、会話すらなかったことを考えれば、進歩したといえるかもしれない。特に学校関係のことは気を遣って聞きづらく、もっぱらなのはとの会話は魔法関係になることが多かった。

 さて、この間、実はなのはにはレイジングハートによって強い魔力的な負荷がかけられている。要するに魔力的な要素を強化する魔導師養成ギプスのようなものだ。レイジングハートの持ち主であるユーノが知っている並の魔導師であれば、ろくに動けないものをなのはは三日程度で「もう慣れた」とばかりに特に気にすることもなくなっている。

 基本的になのはが動くとき―――通学時、体育の時間―――などはこの状態だ。

 朝食を食べ終えたなのはは、母親からその日のお昼のお弁当を受け取る。だが、いつもなら笑顔でお弁当を渡してくれる母親の桃子が少し怪訝な顔をしていた。

「あら? なのは、少し顔色が悪いんじゃない?」

「そうかな?」

 実のところをいえば、なのはは少し無理をしている。頭が回らないような気がするし、足元がおぼつかないのも確かだ。だが、もしも、ここでそれがばれてしまえば、桃子は学校に行くことを許さないだろう。ならば、絶対にばれるわけには行かなかった。
 学校は、なのはが翔太に出会える唯一の場所だ。もしも、学校にいかなければ、ジュエルシード探しもなくなり、暴走体に出会う可能性もなくなり、魔法も使えなくなってしまう。それだけは絶対嫌だった。

 だから、なのはは長年鍛えた演技で桃子や家族を欺く。

「私は、大丈夫だよ」

 笑顔で言い切るなのは。なのはにとって幸いなことに幼年期の殆どをいい子であろうとするがために鍛えられた演技力は、なのはを決して裏切らない。桃子は、そう? と怪訝そうにしながらもなのはの言い分に納得したようになのはにお弁当を渡す。
 桃子からお弁当を受け取り、その足で玄関へと駆け出し、いってきます、という言葉と共に家を出た。

 学校に着いたなのはは、自分の席に着くとすぐにレイジングハートが示すカリキュラムを消化する。
 むろん、学校の教室のど真ん中で魔力を漏らしながら実際に魔法を使うわけではない。魔法で戦闘を行うためには必須項目ともいえるマルチタスクの練習だ。
 マルチタスクとは、言葉の通り、二つのことを同時に脳内で処理することだ。つまり、音楽を聴きながら勉強するといったようなことだ。通常の人間なら効率が悪いことになるだろうが、魔導師ともなれば、攻撃しながら次の攻撃。防御しながら回避などマルチタスクを多用する。

 今、なのはは教師の授業をうけながら、レイジングハートが送信する仮想戦闘で魔法の訓練を続けている。レイジングハートが行う仮想戦闘は、魔法を覚えたてのなのはでもクリアできるように簡単なものからレベルアップしている。

 しかし、翔太が以前感じたようになのはは魔法に関しては天才だ。一を聞いて十を知る天才が、千を知るために千の努力をしたとすれば、万の実力がつくことになる。現状のなのははまさしくそれだ。しかし、いくら人間っぽい返事を返そうが、機械であるレイジングハートにそれを伝える義務もないし、比べる対象もいないなのはにしてみれば、万の実力がついているかどうかもわからない。彼女たちは、己がどれほどの高みに登っているか分からず、強くなる努力を続けていた。

 さて、学校が終われば、ようやくなのはが待ち焦がれた時間だ。つまり、翔太とのジュエルシード探し。もっとも、なのはの兄である恭也や姉である美由希やフェレットのユーノがついてくるが、なのはにはあまり関係ないらしい。自分を友達と言ってくれた翔太と一緒にいられるこの時間がなのはにとって至福のときだった。

 その翔太であるが、彼は一年生のときから変わらず人気者だ。なのはが一緒に歩いていると必ずなのはの知らない誰かが、翔太に声をかけてくる。その内容は、放課後、一緒に遊ぼうという誘いだったり、授業で分からないところを聞いたりすることだったが、それらをすべて断わり、なのはと一緒にジュエルシードを探すことを選択してくれた。
 それがなのはにとって、一年生の頃は、なのはにとって理想だった翔太を独り占めできているようで、なのはは優越感を感じていた。

 ジュエルシード探しは基本的に日が沈んだ後も少し続けられる。大体、七時から八時までだろうか。後は、翔太の家の前まで恭也たちが送って―――高町家へ翔太の両親が来たときに取り決められた約束の一つ―――そこで、また明日、と別れる。やっていることはジュエルシードの捜索というありえないことだが、普通の友達とのやり取りのようで嬉しかった。

 帰宅したなのはは、晩御飯を食べてお風呂に入り、また中庭で魔法の練習だ。しかし、それは、大体10時程度で切り上げ、後は部屋に戻って、魔力を高めるために自らの魔力を纏わりつかせる瞑想を行い、短針と長針が数字の12で重なる時間に眠りにつく。

 これが、神社での戦いで恭也たちより強くなればいい、という結論を出した高町なのはの一日だった。



  ◇  ◇  ◇



 ――――早く終われ、早く終われ。

 なのはは、まるで念仏のように早く終われと教卓の横に立つ担任を半ば睨みつけながら繰り返していた。前までは、ショートホームルームをいかに長時間やっていようが、気にならなかったが、ここ一週間ばかりは、無駄に長いこの時間をなのはは嫌っていた。
 このホームルームのおかげでいつも翔太を待たせてしまう。それがなのはには忍びなかった。だから、終わった直後、それを待っていました、といわんばかりに鞄を背負い、ロケットのように飛び出していく。担任の先生の後に続いて教室を飛び出したなのはは、廊下を挟んだ向こう側に立っていた翔太を目にして息切れしそうなほどに急いで駆け寄った。

「ショウくんっ! ごめん、待った?」

「いや、ついさっき終わったところだから大丈夫だよ」

 なのははそれが嘘だということを知っている。隣の第一学級のホームルームが終わるのは非常に早い。今日も十分ほど前に隣のクラスから駆け出していく生徒を見た。だから、翔太が待っていた時間は少なくとも十分以上であることは明白なのだ。だが、それをあえて指摘したりはしない。それが翔太の優しさだとなのはは理解しているから。

「それじゃ、いこうか」

 いつものように笑いながら言う翔太にうんと答えると二人は並んで歩き出した。

 なのはは、恭也と合流するまでのこのちょっとした時間が好きだった。翔太と二人だから。誰にも邪魔されず、友達と二人だけで話す時間が持てることが素直に嬉しかった。もっとも、なのはがきちんと受け答えするにはまだ翔太が相手といえども時間がかかってしまうことが多かったが、翔太はなのはの答えを嫌な顔一つせず待ってくれるので、最近は前よりも短い時間で答えることができるようになっていた。

 だが、そのなのはが好きな時間を楽しむ余裕は今日のところはなかった。お昼を過ぎた頃からだろうか、なのはの視界が安定しないのだ。グルグル回っているような気がするし、こうして歩いている間にも一歩一歩を確認しながら歩かなければ、左右に揺れていたことだろう。
 これがばれるとこの時間がなくなることを本能的に悟っていたなのはは、翔太にばれないようにいつもどおりを装っていた。だが、装うということは、演じるということだ。マルチタスクを練習しているなのはといえども、体調が最悪なときにいつもの実力を発揮できるわけがない。
 結果として、なのはの努力もむなしく、翔太になのはの演技はばれてしまっていた。

「なのはちゃん、大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫」

 気丈にもなんでもないう風を装って、拳を握って胸の前で上下させるが、翔太の不安そうな顔を拭うまでの効果はなかった。
 そして、翔太は少し考えたような表情をした後、なのはが考えうる上で最悪の提案をしてきた。

「―――今日はお休みにしようか?」

 それは、この時間を失うということだ。このなのはが一番好きなこの時間を。それだけは嫌だった。毎日、なんの楽しみもなく、屍のように生きてきたなのはがようやく手に入れた時間。それを与えてくれた人から、いとも簡単に投げかけられた言葉。それは、まるで翔太がなのはのこの一番好きな時間を軽く扱っているようで、ひどくショックを受けた。だから、そんな翔太の言葉を否定したくて、なのはは思わず声を上げる。

「ダ、ダメだよっ!! ショウくん、どうして―――」

 どうして、そんなことを言うの!? という言葉は最後まで言うことができなかった。ダメだよっ! と大声で叫んだのがまずかったのかもしれない。あるいは、翔太にこの時間を軽く扱われたことがショックが大きかったのかもしれない。溜まりに溜まった疲労がこの場面でピークを迎えたのかもしれない。
 様々な要因が考えられるものの、高町なのはは、翔太に対して最後まで言いきることなく、意識を暗闇の中へと沈めてしまった。



  ◇  ◇  ◇



「う、ううん……」

 なのはが気を取り戻したのは、倒れてから数時間後のことだった。彼女の視界に最初に入ってきたのは、知らない真っ白な天井だった。

「なのはちゃん、大丈夫?」

 声のした方向に少しだけ首を傾けてみると、彼女がよく知る彼女を唯一友人と言ってくれる蔵元翔太の心配そうな顔があった。その顔を見た瞬間、霧のようにもやがかかっていた意識が一瞬でクリアになる。
 翔太が今日は休みにしようか、といったことを思い出し、それを問いただそうと、上体を起こしたが、不意にまた眩暈が訪れ、上体を起こした瞬間にまた重力に身を任せてベットに身を沈める結果となってしまった。

「なのはちゃん、ダメだよ。貧血で倒れたんだから、急に起き上がったりしちゃ。もう少しで恭也さんが来るから、ちゃんと病院に行くといいよ」

「そんなことより……ジュエルシードは?」

 心配そうな顔をして言ってくれる翔太だったが、それよりもなのはが気になっていることがあった。つまり、今日のジュエルシード捜索のことだ。なのはにとって翔太に魔法が使えるところをアピールできる唯一の行動だ。それが休みになることは、すなわち、機会を一度損失することに他ならない。だから、聞いたのだが、翔太はその問いに少し怒ったような表情をした。一年生のときでさえ、滅多に見たことがない翔太の珍しい表情だった。

 その表情を見たが故になのはは何も言えなくなる。

 なのはが何よりも恐れていることは翔太から嫌われることだ。いや、翔太に限らず不特定多数だが、翔太の場合は、特にという枕詞をつけるべきだろう。だから、そんな風に滅多に見せない怒った表情を見せた翔太になのはは何もいえなくなる。いや、頭の中では先ほどの言葉をいかにして弁解しようか魔法で鍛えたマルチタスクでいくつも同時に必死に考えている。

 もし、ここで翔太がなのはに前のような笑みを向ける条件を出したのならば、なのはは一も二もなく飛びついただろう。

 さらに、翔太の問いに答えないのは、直感で、正直に理由を言えば怒られるとわかっていたから。呆れられると分かっていたから。だが、何も言わないのも状況が悪くなると分かっている。だからこそ、なのはの頭の中では同時に十数の思考が流れていた。

 だが、翔太はなのはが答えないのをみて、今度は別のものへと話しかけていた。

「レイジングハート、原因に見当は?」

 ―――レイジングハート言わないでっ!!

 ―――Maybe magic practice.

 なのはが信じていた愛機は、なのはの願いもむなしく、あっさりと主を裏切って、翔太の問いに答えていた。
 その答えを聞いて、翔太がはぁ、とため息を漏らす。

 ―――どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 なのはの頭の中は混乱の極みにあった。なのはの言葉が、翔太の癪にさわり、怒らせ、さらに倒れた原因を知られて呆れられた。その事実がなのはを混乱へと誘っていた。
 このままでは、翔太に、もういいよ、といわれてしまうかもしれない。その不安は、なのはの中で最大の恐怖だ。だからこそ、なのはは必死に考える。この状況を打破するための行動を。だが、そう簡単に脱出できるのなら、苦労などしない。

 ―――でも、それでも考えないと、考えないと、ショウくんに……。

「なのはちゃん」

 そんな風に混乱の極みにあるなのはに翔太が呼びかける。

 ―――もしかして、許してくれるのかな?

 そんな淡い期待を抱いてなのはは被っていた布団から、半分だけ顔を出す。なのはが見たのは翔太がいつも浮かべる優しい笑み。だからこそ、その期待が本当になるんじゃないか、と希望を抱いた。

「ちょっと見てて」

 だが、その希望は、それ以上の絶望で塗りつぶされることになる。

 ぞくっ、と背筋に走る悪寒。それがなのは本来のものだったのか、あるいは魔導師としてのものなのかは分からない。だが、その悪寒を感じた瞬間、なのははとても嫌な予感がした。できれば外れて欲しいと思うほどの大きな嫌な予感。だが、得てしてそういう嫌な予感は当たってしまう。今回も、なのはの嫌な予感は見事的中した。

 翔太が掲げた手に浮かぶ白い光を放つ球体。

 魔法に関して言えば、翔太の数十倍は先に進んでいるなのはは、言われずともその正体に気づいていた。

 それの正体は、魔法だった。

 ―――あ、あ、あ、あ、ああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ。

 あまりの衝撃に声を出すことはできなかったが、胸の内でなのはは叫んでいた。
 目の前の現実が信じられなくて。その現実を作っているのが翔太であることが信じられなくて。

 ―――嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だうそだうそだうそだ。そう、うそだよ。わたしはまだゆめのなかにいるんだ。

 現実が信じられなくて、目の前で起きていることが信じられなくて、信じたくなくて、なのはは現実を否定していた。

 当たり前だ。なのはが翔太と一緒にいられる理由はただ一つ。翔太が使えない魔法をなのはが使えるというただ一点なのだから。そのおかげでなのははあの翔太に賛美の声ももらえるし、あの温かい笑顔も向けられる。もしも、あの蔵元翔太が魔法を使えるようになれば、なのはなど必要なくなり、あの賛美の声も、温かい笑顔もすべてもらえなくなる。一度、あの甘美な感覚を体験をしてしまったからこそ、それを手放すことはなのはにとって考えられないほどの絶望だった。だからこそ、一層目の前の現実を否定したかった。

 だが、なのはの視覚から入ってくる情報が、なのはの魔導師としての資質が、すべてが目の前のリアルを現実だと告げている。

 ―――どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして?

「ど、どうして? どうしてショウくんが魔法を使えるの!?」

 胸の内の疑問は、知らず知らずのうちに声になっていた。いつも、嫌われることを恐れて思ったことを声に出さないなのはにしては珍しい、否、初めてのことだった。そのことに気づかないほどになのはは切羽詰っていた。
 だが、そんななのはの感情を知ってか、知らずか翔太は、身体を乗り出してまで問い詰めるなのはに少し驚きながらも平然と答える。

「どうしてって……ユーノくんに習って練習したからかな? 僕にも魔力はあったから」

 ―――そんなはずない。

 それがなのはの正直な感想だった。

「で、でも、あの時、『僕にはできないから』って」

 そう、あの時確かに翔太は言ったのだ。自分にはできない。なのはにしかできないから助けてくれ、と。もしも、あのフェレットに教えてもらえるだけで魔法が使えるのならば、自分など必要なかったはずだ。
 これは、なのはのくもの糸のような細い希望だった。仮に、これで翔太が、「いや、使えるようになったんだよ」などと答えたなら、なのはは一生、心に残る傷を負うことになっていただろう。せっかく手に入れたと思っていたものも、しょせん、翔太によって簡単に追いつかれるもので、結局自分には何もなかった、と強く認識してしまうものになっていただろから。一度、手に入れてしまったからこそ、その絶望は深い。

 だが、ギリギリのところで、なのはの希望の糸は繋がっていた。

「うん、僕にはできないよ。ただ、魔法が使えるだけ。ジュエルシードの封印ができるのはなのはちゃんだけだよ。僕ができるのはお手伝いだけ」

 よかった、となのはは心の中で安堵の息を吐いた。本当なら翔太の言葉だからと無条件に信じるのは拙い話である。もしも、これが翔太の嘘であれば、なのはの希望はすべて潰えるのだから。だからこそ、なのははしっかり確認するべきなのだ。
 だが、あえて翔太に問いただすことはしなかった。否定されることが怖かったから。ジュエルシードを封印することが、翔太には無理だというこの答えを信じたかったから。だから、あえてなのはは翔太の言葉を確認しなかった。
 だが、今よりももっと強くなるとさらに決意を新たにした。無理だと言いながらも翔太なら、という考えがなのはにあったから。ならば、翔太でさえも追いつかないほどに強くなるしかない。翔太が魔法を覚えようと思わないほどに。

 だが、次の翔太の言葉が、なのはに思いもよらない喜びをもたらす。

「だからさ、もう少ししたら僕もなのはちゃんと一緒にジュエルシードの封印ができると思うから」

「ショウくんと一緒に……」

 それは今まで考えたこともないことだった。ずっと一人だったから。誰かと一緒に何かをした記憶はない。だが、もしも、もしも、翔太と何かを一緒にできたのなら、それはもしかすると喜びを共有することになるのだろうか。翔太と共有する何かを持つことができるというのだろうか。
 翔太と共有する何かという言葉は、なのはにとって賛美の言葉を貰うことと同等程度の甘美な言葉だった。

「そう。だから、こんなに倒れるまで頑張らなくてもいいんだよ」

 翔太は笑顔で、そっとなのはの肩を押して、ベットに寝かせる。横になった瞬間、短時間での驚愕と絶望と希望が入り混じることが多かったせいか、眠気が一気に襲ってきた。

「さあ、もう少ししたら恭也さんが来てくれると思うから、それまでお休み。僕もずっと隣にいるから」

 ―――ずっと隣に。うん、私はもっと魔法頑張るから。だから、ずっとわたしのとなりに……。

 もしも、それが叶うとすれば、どれだけの幸いをなのはに与えてくれるのだろう。

 そんなことを考えながら、またなのはは暗闇の中へと意識を落とした。



  ◇  ◇  ◇



 高町恭也にとって蔵元翔太という少年は実に奇々怪々な存在だった。

 初めて言葉を交わしたのは、ジュエルシードという魔法の存在に彼の妹であるなのはが初めて触れた晩のことだ。小学生しからぬ言葉遣いをする少年に実に面食らったものだ。ジュエルシードという魔法の産物を探す行動に同行する今となっては、さらに翔太の行動を見ることや言葉を交わす言葉を聞いて、時々、小学生ではなく自分と同年代じゃないか、と思うことさえある。

 両親の話によると、あのなのはが不登校だったときに友達がいないという重要なことを教えてくれたのも彼だという。なるほど、普通の小学生なら無理だが、彼なら納得だ、と思ってしまう。

 行動にしても、なのはが歩道をあるいていると必ず翔太が車道側を歩くし、歩道橋を歩くときは一段下にいる。小学生としては考えられない行動だった。もっとも、恭也からしてみれば、なのはに害があるわけではないので、放置している。

 しかしながら、恭也の中で翔太が奇々怪々な存在であることは変わらない。理解できるとも思わないが。
 だが、そんな奇々怪々である翔太であるが、一つだけどうしてもはっきりさせたいことがあった。

「なあ、翔太くん」

「なんですか? 恭也さん」

 なのはが倒れたと聞いて、急いで学校に駆けつけたとき、保健室にいた少年―――翔太と一緒になのはをつれて行き、すっかり日が暮れてしまったので、なのはを背負って、翔太を送っている帰り道、無言だった二人の間の静寂を破るように恭也が口を開いた。

 それは、恭也にとって、いや、高町家にとって一番聞きたいことだった。今までは聞く機会がなかったが、なのはは恭也の背中で寝ているし、自分と翔太の二人しかいない絶好の機会だった。だからこそ、今日は問う。

「君は、なのはの何だ?」

 蔵元翔太という少年の位置づけが高町家には分からなかった。正直言えば、なのはを魔法というファンタジーの世界に誘った張本人でしかないのだが、最近の話の中で翔太に関する会話についてのみなのはが饒舌になるのだ。
 これは、もしかして―――という期待が高町家の中に生まれるのも変な話ではなかった。

「友達ですよ」

 何でそんなこと聞くんですか? といわんばかりに怪訝な顔をして即答する翔太。
 それは、恭也が、高町家の全員が望んだ答えだった。なのはに友人が。それを求めて一年間何かと行動してきたのだ。だから、こうして実際になのはの友人だという少年を前にすると感動もひとしおだった。

 恭也は滅多に浮かべない柔和な笑みを浮かべて、少年とも同年代とも思ってしまう翔太に言う。

「そうか。これからも、なのはをよろしくしてやってくれ」

 ―――父さん、母さん、なのはに友達ができたようだ。

 一刻も早くこの事実を家族に伝えたい恭也だった。



  ◇  ◇  ◇



 アリサ・バニングスにとって蔵元翔太はたった二人しかいない親友の一人だった。

 ぴっ、と携帯の通話を切るボタンを押して、携帯を放り投げるとアリサは、ばふんとベットに向かって仰向けに寝転がった。天井に向けられた顔に浮かんでいるのは、満足げな表情だった。電話がかかってくる前まで、電話をかけてきた翔太に、翔太をつれまわす見知らぬ女の子にむかついていた気分が嘘のようだ。

 先ほどまでの通話の相手は、アリサの親友の一人である蔵元翔太だ。何でも明日、サッカーの試合があるから見に行かないか、という誘いの電話だった。サッカーを見ることは、彼女の父親の影響もあって、好きなのだが、最近の翔太の行動を思うとそう簡単に頷くこともできず、翔太にシュークリームと最近の事情を聞くことを条件に頷いた。

 ―――ショウがいけないんだから。

 アリサにとって翔太は、たった二人しかいない親友の一人だ。だからこそ、最近の自分たちよりも誰か―――聞いた話によると高町なのはという女の子を優先させている最近の行動が許せなかった。聞いても、何をやっているかはぐらかすし、塾に一緒に行こうと思えば、やはり、高町なのはという女の子を優先させる。何より許しがたいのは、週に二回程度の割合で開いているアリサとの英会話も休んだことだ。やはり、高町なのはを優先させて。

 むろん、アリサとて、すべて親友である自分たちを優先させろとは言わない。だが、事情も一切話さずただぽっと出てきた女の子を優先させるのは何かが違うと思う。
 誰かに話せない内容だとしても、自分たちには話してくれればいいのに、と思う。そうすれば、アリサも最大限力になるというのに。翔太は、たった二人しかいない心許せる親友なのだから。

 アリサ・バニングスに友人は少ない。彼女に何か問題があるわけではない。多少、負けん気が強いもののクラスを引っ張っていけるリーダーの気質であるといえるので、むしろ人気者になるだろう。
 だが、ただ彼女の容姿が彼女の友人が少ない原因となっていた。彼女の父親である米国の血を引いた艶やかな金髪。大人であれば、綺麗な髪だと褒め称えるだろう。だが、子供の世界にあって、その金髪はあまりに異質だった。
 足が遅い、頭が悪い、線が細い、なんとなく。そんな理由でいじめに繋がる子供の世界だ。周りが全員、黒髪という日本において、金髪という明らかな異質をして、子供たちは受け入れることなどできなかった。

 アリサも小学校に入る前は、よく金髪ということでからかわれたものだ。そのたび、彼女の母親は、アリサにそんな奴らに負けるな、と教育してきたのだから、アリサの負けん気はそこで形成されたのかもしれない。そんな要因で、アリサには友人が少なかった。また、負けん気も悪いところで顔を出してさらに友人ができなかった。

 しかし、もう一人の親友である月村すずかと親友になれたのは、蔵元翔太のおかげだ。彼があそこで止めなければ、おそらく、自分は一人で寂しい小学校生活を送っていただろう。

 なお、二人ともアリサの金髪については、綺麗だね、の一言で済ませてくれた。同年代の友達から自慢の金髪を褒められることはなかったので、嬉しかったことを覚えている。もっとも、変な事を言ったのならば、アリサと親友などやっていないだろうが。

 アリサとしては、だからこそ自分の異質さを受け入れてくれた親友の二人には、何でも話して欲しいと思っていた。自分が力になれるのだから。翔太に対してその願いは、明日叶いそうである。

「あ、そうだ」

 パタパタとベットから降りたアリサは自分のクローゼットへ駆け寄り、クローゼットを開いて、中身を見る。クローゼットの中は色とりどりの可愛い私服で占められていた。明らかに普段着用ではない。アリサは、この中から明日の洋服を選ぶつもりだ。

 ―――アリサ、その翔太って子ちゃんとキープしておくのよ。

 不意に翔太のことを話していたときの母親の言葉を思い出したからだ。キープというのはよく理解できなかったが、そのキープするという方法の中に翔太と会うときは可愛い洋服を着るように、と言っていたような気がするので、こうしてアリサは明日のための洋服を選んでいるのだ。

「さ~て、どれにしようかしら?」

 久しぶりに親友と遊べる明日を想像して楽しい気分になりながら、アリサは明日の洋服を選ぶのだった。



 続く

あとがき
 高町家、ついになのはに友人ができたことに大喜び。
 アリサにとってなのはは、翔太をつれまわす女の子。



[15269] 第十三話
Name: SSA◆ceb5881a ID:de8c662e
Date: 2010/03/08 22:53



 なのはちゃんが倒れた翌日、僕とユーノくんは川原にあるサッカー場へと来ていた。
 今日は、ジュエルシード探しはさすがに休みだ。そもそも、なのはちゃんには今日一日安静にするようにドクターストップがかかっている。だから、恭也さんにも今日は休みだという伝言を頼んでいる。

 さて、このサッカー場だが、テレビにあるようようなスタジアムではない。人工芝なんてものはない上にそもそも芝生ですらないというサッカー場だ。どうやら、今日の試合というのも今度行われる大会前にやる調整代わりの練習試合に過ぎないらしい。

 僕とユーノくんは川原のサッカー場に備え付けられたベンチに座りながら翠屋JFCの面々と桜台JFCの面々の練習を見ていた。途中、最近になってようやく使えるようになった念話―――ただし、短距離のみ―――でサッカーのルール説明なんかもしている。一方で、川原の土手の坂になっている部分にはちらほらと翠屋か桜台かは分からないが、シートを敷いた親御さんたちがちらほらを集まってきていた。
 もう少しで試合が始まるんじゃないか、というタイミングで現れたのは二人の少女。僕が待ち合わせをしていたアリサちゃんとすずかちゃんだ。

「アリサちゃん、すずかちゃん、おはよう」

 僕を見つけたのか、こちらに向かってくる二人に向かって手を振り、歓迎する。

「おはよう、ショウがどうしてもって言うから来てやったわよ」

「もう、アリサちゃんったら。おはよう、ショウくん」

 アリサちゃんの機嫌はまだ悪いみたいだ。少しだけ拗ねたような表情をしており、すずかちゃんはそれを窘めようとしていた。それでも、挨拶だけはちゃんと交わすのだから、アリサちゃんの育ちのよさが伺える。

「アリサちゃんもすずかちゃんも来てくれてありがとう。一人で見に来るのは心細かったから有り難いよ」

 そう、先輩に頼まれたのがアリサちゃんたちを誘った理由だが、僕がサッカークラブに興味があって試合を見たいが、一人で見に行くには心細いからということにしている。すずかちゃんはすぐに了承してくれたが、アリサちゃんは、クラスメイトの男子と行けばいいじゃないか、といわれ、僕は大人しく見たいからアリサちゃんが良いんだよ、というとシュークリームの件などで了承してくれたのが昨日の話だ。

 やれやれ、このシュークリーム代は後で先輩に請求することにしよう。

 さて、しかしながら、である。僕は、思わず上から下までアリサちゃんをじろじろと見てしまった。それが、失礼だと思ったのは、つま先から頭まで見て、アリサちゃんと視線が合った後だった。

「な、なによっ!?」

「あ、ごめん、ずいぶん可愛らしい服を着てるな、と思って」

 アリサちゃんの洋服は、今まで僕が見たことないものだった。基本的に僕たちが会うのは学校だけだが、アリサちゃんに限って言えば、アリサちゃんの英会話が、土曜日になったりすることもあるし、日曜日になったりすることもあるから、私服はそれなりに見慣れていると思っていたが、その洋服は僕が初めて見るものだった。

「うん、似合っているよ」

「―――っ! な、何言ってるのよっ!!」

 ところどころフリルのついた真紅のワンピース型の洋服は欧米の血が入っているアリサちゃんにはよく似合っていて、僕は素直にそれを告げたつもりなのだが、一瞬、金魚のように口をパクパクと開けたかと思うとなぜか怒るように声を荒げられてしまった。

 そんなアリサちゃんの反応に思わず苦笑してしまう。もう二年も友人という関係を続けていれば、この反応が嬉しいことへの照れ隠しということは簡単に見抜けるからだ。
 女の子に可愛いと言うのは、言葉だけみれば恥ずかしいように思えるが、アリサちゃんは、僕からしてみれば妹のような感覚に近いわけで、つまり、小さい子供の洋服が似合っているときに可愛いね、と褒めるときの感覚に近い。

 アリサちゃんは頬を赤く染めてそっぽ向いており、僕はそれを見て苦笑している最中、「もう少しで始まるみたいだよ」とすずかちゃんが教えてくれた。僕は気づかなかったが、確かに両方の選手が、アップを終えて中央線に並ぼうとしていた。

「ほら、行こう」

「せっかく見に来たのに見なかったらもったいないからだからね」

 まだ、テレが残っているのだろうか、不機嫌そうな顔でアリサちゃんは半ば走りながら近くのベンチに座った。

 それを見て僕はアリサちゃんの言葉に苦笑しながらコートの近くに設置されたベンチに座った。座り方は、すずかちゃん、アリサちゃん、僕だ。

「さて、そろそろ、時間ですし、始めますか」

「そうですな」

 近くでそれぞれのクラブの練習を見守っていた監督たちがお互いに頷く。
 僕たちが座っているベンチは、選手たちの控えの傍だから、偶然聞こえた。そして、ここに来て気づいたのだが、翠屋JFCの監督はなんとなのはちゃんの父親である士郎さんだったのだ。翠屋という名前を冠していることから気づいてもよかったのかもしれないが、僕にはやはり恭也さんの父親=剣術家という考えが根付いていたのだろうか。

 少し先に来て士郎さんと顔を見合わせた際、お互いに驚いたものだ。だが、驚いたのも一瞬で、僕は昨夜のなのはちゃんのことを聞いたりする余裕すらあった。さすがに今日のなのはちゃんは、家で休養するようだ。昨日、病院で点滴をうってもらったとはいえ、倒れたとあっては、一日ベットで寝かせておくのが最善だろう。

 さて、お互いの準備も整い、翠屋JFCと桜台JFCの試合が始まった。先攻は翠屋JFCのようだ。『MIDORIYA』と書かれたユニフォームを着た僕よりも一つか二つほど年上の少年たちが桜台JFCのゴールに向かってボールを蹴っていた。

「ねえ、ショウはどっちを応援するの?」

「翠屋JFCだね。僕の先輩がそのチームに所属しているんだ」

 隣に座っているアリサちゃんが、どちらを応援しようか迷っていたのだろう、僕に聞いてきた。その声色に先ほどまでの不機嫌さはない。あれは、ある意味照れなので、それが引いてしまえば、大丈夫なのだ。

「ふ~ん、なら翠屋JFCのほうをあたしも応援してあげるわ」

 そうしてくれると僕もありがたい。僕がここに来た理由は、アリサちゃんとすずかちゃんの両方に翠屋JFCを応援してもらうことなのだから。

「すずかちゃんも、応援してくれる?」

「うん、もちろん」

 アリサちゃんを挟んだ向こう側で静かに見ていたすずかちゃんに本来の目的である応援を頼むといつものように柔和な笑みを浮かべて、快諾してくれた。

 よかった。これでどうやら義理を果たせたようだ。

 しかしながら、確かにここにきたのはアリサちゃんとすずかちゃんを応援に引っ張り出すためだが、僕がサッカーの試合に興味がないか、と聞かれると答えは否だ。やはり、知り合いが出ている試合というのは、実に興味深い。
 僕は、アリサちゃんとすずかちゃんが、頑張れ、と応援していることを確認して目の前の繰り広げられるサッカーの試合に目を移した。

 サッカーの試合というのは、野球のように止まらない。もちろん、ボールが外に出てしまえば話は別だが、常にボールは右に左に動いている。目で追うのは非常に大変だ。特にゴール前ともなれば、人が固まってボールが何所にあるのか分からない。突然、その人ごみの中からボールが出てくることもあるから驚きだ。

 ―――へ~、これがサッカーか、面白いね―――

 僕の膝の上で大人しくサッカーの試合を見ていたユーノくんが感慨深げに念話で頷いていた。

 ―――そうだよ。ユーノくんの世界には似たようなスポーツはなかったの?―――

 ―――う~ん、似たようなものはあったけど、僕は研究と発掘ばっかりであまりやったことはなかったな―――

 興味半分で聞き返したのだが、思ったよりも面白い答えが返ってきた。フェレットがサッカーに似たようなスポーツをやっているというのだ。一体、どうやってやっているのだろうか。個人的には興味が尽きない。
 だが、ここで聞くには少々場違いのように思えた。なぜなら、僕の念話は、つい昨日ようやく送信もできるようになったばかりで短距離でしか飛ばない上に酷く疲れるのだ。この後、さらに体力を使うことが待っている以上、ここで体力を使うわけにはいかない。

 だけど、後で絶対、詳しく話を聞こうと思った。

 さて、サッカーの試合であるが、中々両者共に得点が決まらない。野球のようにホームランが一発出れば一点というものでも、ヒットでこつこつとつなげていけば確実に点数が入るというものでもない以上仕方ないだろう。入るときには入るが、入らないときには入らないというのがサッカーなのだ。その流れを如何様にしてつかめるかが勝負である。
 そして、その流れは今日に関して言うと、幸いなことに翠屋JFCにあったらしい。前半を半分ぐらい過ぎたところで、センターリングで上がったボールを上手いことヘディングで処理して、次の選手がそのままボレーでシュートとしてつなげて、ボールはゴールネットにつきささった。

「きゃーっ!!」

 隣のアリサちゃんとすずかちゃんが手をつなぎながら歓声を上げていた。その気持ちはよくわかる。僕も今のはすごく綺麗に決まったな、と思ったのだから。しかしながら、よくよく見てみれば上手いことボレーを決めたのは、先輩じゃないか。気づかなかった僕も僕だ。
 その先輩は、笑顔のチームメイトに背中を叩かれたりしている。サッカーではよくある光景だ。
 どこから駆け込んできたのかまったく分からなかったことを考えると、走るスピードで勝負していた先輩のスタイルは変わらないらしい。

 その後は、特に荒れた様子もなく前半戦が終了し、五分の休憩の後、後半戦に突入した。

 後半、最初の十分で、いきなり翠屋JFCがギリギリまで攻め込まれピンチになるが、ディフェンダーとキーパーのナイスセーブでゴールに繋がることはなかった。後半は、その後、翠屋JFCがさらに一点決めて試合終了となった。試合の結果は2対0で翠屋JFCの勝利だ。

「よかったじゃない、ショウが応援していたチームが勝ったじゃない」

「そうみたいだね。これもアリサちゃんとすずかちゃんが応援してくれたおかげかな?」

 僕は茶化していう。だが、その可能性もないと言い切ることもできない。先輩曰く、可愛い女の子がいれば、士気が上がるらしいのだから。少し気障に言うとすれば、彼女たちは勝利の女神というところだろうか。

「それじゃ、次は翠屋に行きましょう」

 その話を忘れてくれれば、と思っていたが、アリサちゃんは僕を逃がすつもりはまったくないようで、目で逃げるなよ、と語りながら僕に視線を送ってきた。それを見て、意味がわからないのがすずかちゃんだ。僕が最初に連絡したのはすずかちゃんで、シュークリームや事情の説明等は、アリサちゃんが勝手につけた条件なのだから当然ともいえる。

「うん、分かってるよ。すずかちゃんもシュークリーム食べに行こうよ」

 こういうときは、逆らわないほうが吉だ。すずかちゃんも誘うが、これはアリサちゃんに条件を出されていたときから考えていたことだ。アリサちゃんだけご馳走して、すずかちゃんにご馳走しないなんてことは考えられない。
 だが、すずかちゃんは、案の定、気が引けるような表情をしていた。きっと奢ってもらうということが気まずいのだろう。すずかちゃんは優しいから。

「すずか、いきましょう。ショウが今日までのお詫びに奢ってくれるって言うんだから」

「え? でも……いいの?」

 心配そうに尋ねてくるすずかちゃん。それが僕の懐の心配をしているわけではないことを願いたい。まあ、昨日の夜、母親に頭を下げたのは事実だが。

「いいよ。アリサちゃんだけご馳走するなんてことはできないよ。だからさ、すずかちゃんも来てくれると嬉しい」

 僕がそういうと、少し戸惑ったような表情をしていたが、すぐに笑顔になって、うんと了承してくれた。



  ◇  ◇  ◇



 僕たちの前に並ぶショートケーキが三つ。本来、頼む予定だったシュークリームよりも二倍程度の値段がするそれは、決してアリサちゃんが無理を言って僕に奢らせたものではない。このお店のオーナーである士郎さんの好意によるものだ。

 サッカーの試合が終了した後、翠屋に場所を移そうとしたときに士郎さんが話しかけてきてくれたのだ。応援に来てくれたお礼にケーキをご馳走してくれるらしい。僕だけではなく、すずかちゃんやアリサちゃんもだ。最初は断わったのだが、子供が遠慮するもんじゃない、とまで言われれば断わるわけにもいかず、僕たちはこうして外にある一つテーブルに三人で座っていた。

「さあ、事情を話してもらうわよ」

 イチゴのショートケーキを食べるためのフォークを振りながらアリサちゃんが僕を問い詰めるように威圧する。それを見て事情が分かっていないすずかちゃんは、ショーケーキを一口食べた状態できょとんとしていた。
 事情というのは、もちろん、この一週間のことである。急に塾にもアリサちゃんの英会話教室にも行かなくなったことを聞きたいらしい。それを話すことが今日の条件だったのだから仕方ない。僕は、昨日から考えていたことをポツポツと話し始めた。

 この一週間、塾にも行かなかったのは、あるものを探していたから。探し物は蒼い宝石で、一緒に探している高町なのはちゃんの大事なものであること。僕も探しているのを見て、手伝うことにしたこと。それら色々なことを魔法という事実を隠蔽して、真実と嘘を織り交ぜながらアリサちゃんに話した。

「そんなのなのはって子が探してるだけでしょう!? ショウが塾を休んでまで探す必要ないじゃない」

「必死に探して、困っている子を放っておくわけにはいかないよ」

 正確にいうと困っているのはユーノくんでなのはちゃんではないのだが、ここはそういうことにしておく。それに、アリサちゃんとの付き合いも長いので、僕が基本的に困っている子を放っておけないことも知っているはずだ。事実、アリサちゃんは僕の答えを聞くと、うっ、と返答に困っている様子だった。
 それをすずかちゃんは見ているだけ。僕の味方もしていないし、アリサちゃんの味方もしない。まだもう少し事情が知りたそうだった。

「で、でも、もう一週間も探してるのに見つからないんじゃ、見つかるわけないじゃない」

「でも、探さなければ見つからないよ。買って換えがきくようなものじゃないんだ。だから、探さなくちゃいけない」

 もっとも、探して見つけたとしても封印するのはなのはちゃんの役目だったりするわけで。僕は本当に捜索要員でしかない。最近は魔法の練習も頑張っているのだが、単純な魔法しか使えないし、念話は昨日ようやく使えるようになっただけだ。

「……だったら、いつまで探すのよ。代わりがないからって、見つからなかったらずっと探すわけじゃないんでしょう?」

 それもそうだ。確かにアリサちゃんの言い分にも一理ある。僕の説明だと見つからなければずっと探すということになってしまう。だが、それはありえない。ずっと探すという選択肢は僕の中にはない。そもそも、僕たちが探しているのは、僕たち以外に探す人がいないからではない。時空管理局という警察のような組織がくるまでの中継ぎなのだ。

 ふむ、だったら、アリサちゃんを納得させるために期限を設けてもいいのかもしれない。

 ―――ねぇ、ユーノくん。時空管理局が来るのってどのくらいになるのかな? ―――

 僕は、念話でテーブルの下で、ケーキのスポンジを食べているユーノくんに話しかけた。

 ―――そうだね、もう一週間経ってるから……あと、二週間後には来ると思うけど―――

 ―――三週間もかかるのか……―――

 時間がかかるとは聞いていたが、そんなにかかるとは思っていなかったので、少し驚いた。だが、魔法世界所属のユーノくんがいうのだから大体間違いないだろう。三週間か、だったら、少し余裕を見ておくべきだろう。

「分かったよ。だったら、一ヶ月。それまで探して見つからなかったらなのはちゃんを説得して、探すのをやめる」

「一ヶ月も探すの?」

「大事なものだったら、いつまでだって探したくなるものだよ。だから、せめて区切りを告げる意味でもそれまで探してあげたい。まあ、それまでに見つかるのが一番だけどね」

 もっともジュエルシードは21個あって、そのうち5個はすでに見つかっている。後二週間もすれば、時空管理局が来てジュエルシード探しも引き継いでくれるだろうし。ならば、一ヶ月を区切りにすることになんの問題もない。

 どう? とばかりに僕の答えを聞いたアリサちゃんだったが、少し腕を組んで考えた後、顔を上げた。

「……仕方ないわね。一ヶ月よっ! それまでなんだからねっ! あと、蒼い宝石だったわね。あたしたちも探してみるから」

「ありがとう。見つけたら、すぐに僕に教えてね」

 ここでしまった、と思った。最初に蒼い宝石であると説明したが故に青い宝石、ジュエルシードが危険物だと説明できない。ジュエルシードが触れれば、即発動といったものだとするとアリサちゃんが触れた瞬間にアウトなのだが……。

 ―――触れるだけなら大丈夫だけど、強く願ったりしたらダメかな―――

 ユーノくんに危険性を聞いたところ、どうやらそんなものらしい。しかし、強く願うって、実に発動条件が曖昧だ。こうなったら、彼女たちがすぐに僕に連絡してくれることを願うしかない。
 ここまで話しておいてなんだが、彼女たちが一緒に探すといわなくてよかった、と胸をなでおろした。しかし、そう思ったが、よくよく考えてみるとアリサちゃんとすずかちゃんが一緒に探すというのは無理だ。
 そもそも週の半分が塾で、それ以外は、お稽古事で埋められている。アリサちゃんがヴァイオリンで、すずかちゃんがピアノだっただろうか。つまり、一緒に探すとなれば、休日が主となってしまう。ちなみに、アリサちゃんの英会話教室は、平日が一日、休日の一日の二日で構成されていることが多かった。

「すずかちゃんも、これで納得してくれた?」

「私はもともと、ショウくんに何も聞いてないよ?」

 そうだった。すずかちゃんの基本的なスタンスはこれだ。他人に強く踏み込まない。もちろん、友人としての付き合いはあるのだが、他人の事情というか、内情に強く踏み込んでくることはない。事実、僕が何も言わずに帰ることには疑問を持っていただろうが、アリサちゃんのように問いただしてこないのがすずかちゃんだ。

「そうだけど……僕が何も言わなかったのも確かに悪かったからね。ごめんね、友達なのに今まで何も言わなくて」

「ううん、誰にだって言いたくないことはあるから、大丈夫だよ」

 そういって、いつもの静かな微笑を浮かべてくれるすずかちゃんだった。正直、彼女のあまり個人のことに踏み込んでこないという性格は今の僕にはありがたいことである。もっとも、そのスタンスが良いか、悪いかは別の話ではあるが。

「さ~て、それじゃ、ケーキを食べましょうっ! それにユーノもいることだし」

「アリサちゃん、ユーノくんに触るなら食べた後だよ。動物なんだから」

「分かってるわよっ!」

「もう、アリサちゃん、そんなに急いで食べなくてもユーノくんは逃げないのに……」

 その後、しばらく僕らは久しぶりに友人同士の会話を楽しむのだった。



   ◇  ◇  ◇



 午後、アリサちゃんとすずかちゃんと別れた―――アリサちゃんはお父さんと、すずかちゃんはお姉さんと買い物らしい―――僕は、なぜか翠屋JFCに所属している先輩と一緒に聖祥大付属小のグラウンドへと向かっていた。
 先輩と一緒になった理由は、アリサちゃんたちと別れた僕を見計らってきたからだ。

「それで、どうして、僕たちが話している間、来なかったんですか?」

 聖祥大付属小へと向かうバスの中で僕は先輩に聞いた。

「なんでって、仲良さそうに話してたし、そもそも、あの子たち呼ぶように言ったの俺じゃねえし」

「え? そうだったんですか? でも、電話じゃ」

「俺の先輩だよ。六年生のな。俺には、女の子なんてよく分からないしな」

 サッカーのほうが楽しいし、と呟く先輩。もっとも、小学生としてのあり方なら先輩のほうが正しいと思う。その先輩の先輩たちというのは、ちょうど異性が気になる年頃なのだろうか。まだそれを理解できないことにつき合わせられる先輩がある意味でかわいそうだった。

「………先輩も苦労してるんですね」

「まあな。それより、なんで休日に学校に行ってるんだよ?」

「昨日、先輩が言ってたことが気になりまして」

 そう、昨日先輩が言ったことだ。2年生や1年生を仲間はずれにして、3年生だけでグラウンドを独り占めしている状況ができているこということ。もし、そのことが本当だとすれば、休日である今日も聖祥大付属小のグラウンドは、サッカーで使われ、3年生が独り占めしているはずだ。

 だから、僕はそれを確認するために学校に行くのだが、その話を聞いた先輩もついてくると言い始めた。曰く、面白そうだから、らしい。ちなみに、ユーノくんは、すでに家に帰している。

 さて、学校に到着した僕らが見たものは、サッカーボールを抱えて、グラウンドを独り占めし、サッカーに興じている3年生を見ている低学年の子供たちだった。
 どうやら、先輩が言っていることは本当らしい。僕が来なくなる前までは一緒にサッカーに興じていたはずのクラスメイトまで、この状況が当然のようにサッカーで遊んでいる。

 やれやれ、とこの場合は、誰一人としてこの状況をおかしいと言い出す人間がいないことを嘆くべきか、あるいは、前までのルールを改革してしまうほどのリーダーシップを発揮したクラスメイトを褒めるべきか、本気で悩んだ。

 しかしながら、そんなことで悩んでいる時間はない。現に今でもどこでサッカーをしようと悩んでいる低学年の子供たちがいるのだから。

「さて、どうする? ショウ」

「そりゃ、もちろん、止めますよ」

 ニヤニヤ笑いながら僕に問いかける先輩。どうやら、今回の件で彼が首を突っ込んでくるつもりはないらしい。まあ、それはそれで有り難い。ここはあくまでも3年生の問題なのだから。5年生の先輩が出てくれば収まるだろうが、それは決して解決にはならないだろう。

 僕は、決意を固めるとグラウンドへと駆け出した。目標は、丁度ボールを持っているゴールキーパである。

「はい、ストップ」

「ショウくんっ!?」

 ボールを蹴り出そうとしていたキーパの子の肩を掴んで、試合を止めた。肩をつかまれた子はどうやら、僕に気づいたようだ。

「まったく、何やってるの? 下級生を仲間はずれにして、自分たちだけやるんなんて、そんな格好悪いことやって」

「いや、それは……」

 口ごもるクラスメイト。たぶん、それなりに罪悪感というものがあったのだろう。あるいは、僕に見つかってばつが悪いといったところだろうか。

「ほら、今からでもいいから、あの子たち誘ってあげなよ」

 僕が指差した先には10人程度の下級生。諦めて帰っていなかったことから考えても、来てからあまり時間が経っていなかったのだろう。
 だが、僕の提案に対して同級生たちの反応は芳しくない。サッカーのプレイ自体は止まっているが、互いに顔を見合わせて、どうする? と視線で語っているようだった。

「おい、なに勝手に来て、勝手なこと言ってるんだよ」

 誰もお互いに顔を見合わせて動けない中、一人だけ僕に近づいてくる大柄な同級生がいた。名前は、確か……ケンジくんと言っただろうか。クラスは第二学級なので、サッカーに興じていた同級生という認識しかないのだが、どうやら、この状況を鑑みるに彼がこの状況の首謀者らしい。

「当たり前のことを言ってるだけだよ」

 少なくとも一週間前までは、下級生が現れてもすぐに仲間に入れてサッカーに興じていたルールが存在していた。だが、今はそんなルールはなかったとばかりに下級生を無視している。
 本来なら、このグラウンドは、誰でも使えるものであり、3年生が独占していいものでもない。

「うるせぇっ! ずっと来なかった奴が勝手言ってんじゃねえよっ!!」

 さて、人の交渉において最後で最悪の手は、当然のことながら暴力だ。それは伝家の宝刀に近い。つまり、絶対に抜いてはいけないのだ。取り返しがつかないから。
 しかしながら、子供時代において暴力を使ったいわゆる喧嘩は多い。なぜなら、交渉ができるほどに口が上手くないからだ。言い返すことができず、結果として、伝家の宝刀である暴力をふるってしまう。

 この場合のケンジくんも同様だったのだろう。肩が大きく動くのが見え、直感的に殴られると分かった。もっとも、分かったところで僕が反応できるはずもなく、できることは歯を食いしばって踏ん張ることだけだ。
 直後、頬に強い衝撃が走った。当然、殴られたのだ。僕よりも頭一つ分大きな相手から力任せに殴られたのだ。当然、かなり痛い。幼稚園の頃は、喧嘩もかなりあったが、最近はあまりなく、殴られるのも久しぶりだから余計に痛みがひどかった。正直、吹き飛ばなかったのが不思議なぐらいだ。

 このときほど、僕は自分が二十歳の精神を持っていることを恨んだことはない。もしも、僕が身体と同等な小学生の精神を持っていれば、きっとケンジくんに殴りかかっていただろうから。だが、僕の二十歳の精神がこんな子供に殴りかかるな、と制止をかける。結果、僕は殴られても、その場に立ったままケンジくんを睨み返すしかなかった。

「んだよっ! お前はなんかむかつくんだよっ!!」

 もう一度、振りかぶるケンジくん。だが、その拳が振り下ろされることはなかった。

「やめろよ。さすがに手を出したら、お前の負けだぞ」

 先輩がケンジくんを羽交い絞めにしているからだ。いくら3年生の中で大柄なケンジくんとはいえ、5年生の先輩に適うはずもない。結果、拳は振り下ろされることなく、ケンジくんは先輩の羽交い絞めから逃れようと身をよじるだけだった。

「はなせよっ! あんたには関係ないだろっ!!」

「関係ないかもしれないが、殴られているのを見てるわけにもいかんだろ」

 体力的な問題もあるのだろう。ケンジくんが先輩を振りほどくことはできなかった。やがて、僕が殴られるのを呆然と見ていた同級生たちが僕の周りに集まって「大丈夫?」と声を掛けてくれた。人を気遣う優しさはあるようだ。僕は、彼らに大丈夫、と返したのだが、頬が相変わらずまだ腫れたように熱い。

「あ、ショウ、血っ!」

「へ?」

 ぐっ、と口元拭うと袖口に付着した赤黒い血のようなもの。おそらく、殴られたときに歯で切ったのかもしれない。もっとも、ダラダラ流れているわけではないので、舐めておけばそのうち止まるだろう。

「おい、ショウ。大丈夫か?」

「ええ、まあ、舐めとけば止まりますよ」

 僕からしてみれば、信じられないことだが、先輩はケンジくんを抑えて尚、余裕があるらしい。血を流している僕のことを心配してくれるのだから。だが、さすがに血を流すところまで本気で殴ったケンジくんが許せなかったのだろう。今まで見たこともないような怒った顔をしていた。

「おい、お前、サッカーのことならサッカーでけりをつけろよな」

 突然の先輩からの提案だった。
 話を聞けば、僕の考えに賛同する面々とケンジくんの考えに賛同する面々での試合らしい。僕の場合は、低学年の子供たちも加えて良いらしい。ここに集まっている3年生は15人なので25人になってしまうが、まあ、やっているゲーム自体も最初からルールどおりじゃないから構わないだろう、とのことだ。

 ケンジくんは自信満々にそれに賛同。僕も殴られるよりもよっぽどいいので賛同した。
 結論から言うと、ゲームをするまでもなく僕の勝利が決まった。なぜなら、ケンジくんのチームに集まったのはケンジくんを合わせて5人。僕のチームは低学年の子をあわせても20人。正直に言おう。試合にならない。

 結局、ケンジくんの暴力が首を絞めたような形だ。もっとも、僕の目から見れば先輩の存在も大きいのではないか、と思う。明らかに先輩は僕の味方をしているし。小学生といえど、長いものに巻かれろとはよく言ったものだ。

 その結果を受けて、ケンジくんとケンジくんに味方した4人は、彼が「勝手にしろっ!」と捨て台詞を残して去ったのを追いかけてグラウンドから消えた。
 僕は追いかけるかどうか迷ったが、今の彼に話しかけても殴られるだけだろうというのは、簡単に予想がついたので、落ち着いた明日ぐらいに声を掛けてみようと思う。

「おい、ショウ、やろうぜ」

「あ、はい」

 久しぶりに遊びでサッカーがしたいといい始めた先輩も加えて20人でサッカーに興じることになってしまった。僕としては構わないのだが。
 その日、日が暮れるまで僕は久しぶりにサッカーで汗を流すことになったのだった。


続く

あとがき
 感想数 翔太サイド:約20 裏サイド:約50
 まるで推理漫画のようだ。(解決編の読者アンケートは順位が上がるらしい:バクマンより)

 アリサVSなのはを期待していた人は、ごめんなさい。裏で分かります。



[15269] 第十三話 裏
Name: SSA◆ceb5881a ID:de8c662e
Date: 2010/03/12 21:48



 高町士郎にとって蔵元翔太とは、大人びた小学生という認識であった。

 高町家を悩ませたなのはの不登校事件の際に解決のための重要な情報を持ってきてくれたのが彼だ。そのときの印象は、ずいぶんと大人びた小学生だな、というもので、一年ぶりに会った彼の印象も変わることはなかった。
 もっとも、二度目の出会いは、一度目の出会いなど比較にならないほどの衝撃的な内容だったが。まさか、御伽噺の中にしか存在しない魔法の存在を語られるとは思わなかった。日の光が当たらない裏の世界のことも知っているつもりだったが、その士郎をして初めて知る事実だ。

 今は、なのはに恭也や美由希という護衛もつけ、魔法の中でも怪我をしないようにしていることで納得している。

 魔法というものを認識して、なのはに特に怪我もなく日々を過ごしている最中、突然の知らせが舞い込んできた。

 なのはが倒れたと聞いたときは、店の中だったにも関わらず、取り乱してしまった。慌てて翔太に電話して逆になだめられたぐらいだ。しっかり者だとその時、認識を新たにした。
 さて、そんな彼だが、なのはが倒れ、病院から帰ってくる途中で恭也が聞いたところによると、どうやら蔵元翔太は、なのはの友達だとはっきり告げたようだ。

 魔法騒動の所為で久しく開かれていなかった家族会議、その中で恭也が確かに発言した。驚きのあまり、「本当か?」と聞いてしまったが、恭也は目を逸らすことなくコクリと頷いた。
 心底、よかったと思った。同時に一年前といい、今回といい、あの子には頼りっぱなしだな、と思ってしまった。だが、それでもなのはに友達ができたことは嬉しかった。
 たった一人かもしれない。だが、そのたった一人を作ることに高町家は一年間、全力で取り組んできたのだ。結局、彼らが授けた機会で友達ができたわけではないが、それでも、友達ができたのだから御の字である。

 さて、これらは人数を増やしていくという工程があるわけだが、一人友人ができれば、そこから輪が広がっていくことを期待した。特に翔太の名前は、学校関係者からは、みんなのまとめ役としてよく聞く名前なのだから。
 下心ありでいえば、彼と友達になれたことは僥倖だった。彼と友人であれば、他の友達とも触れ合う回数が増えるだろうから。そこから、また友人が増えていくことを期待できるかもしれない。

 だからだろう、なのはが倒れた次の日の練習試合のときに翔太が、女の子二人を連れて試合の応援に来たときに思わず翠屋に誘ってしまったのは、そして、翠屋についた後、その旨を家でなのはの様子を見ているはずの恭也に知らせたのは。せめて、これで翔太がつれている女の子たちと仲良くなってくれれば、いや、そこまで贅沢は言わないが、知り合いとしてなのはと話してくれれば幸いだ、と士郎は思った。



  ◇  ◇  ◇



 本日の高町なのはの起床時間はいつもよりも相当遅かった。今日が休日というのもあったのかもしれない。しかしながら、昨夜、恭也から聞いた翔太の伝言が大きな要因であることは間違いないだろう。

 ―――今日はお休みだから、ゆっくり休んでね。

 恭也が翔太の家に送るまで起きることがなかったなのはへの翔太からの伝言らしい。
 なんで翔太の家に着くまでに起きなかったのだ、となのはは自分を責める。昨日は、あまりに嬉しいことがあって、気を緩めて寝てしまった。そのせいで、昨日は翔太に別れの挨拶すらできなかった。不甲斐ないことだ。
 しかも、今日は朝から一緒にジュエルシードの捜索ができると思っていたら、翔太からの伝言だ。つまり、なのはが寝ているのは半ば不貞寝に近い。今日は、魔法を使うことも禁止されているのでいつまで寝ていても問題はない。なんでも、翔太が家族に魔法を使わせないように言ったらしい。

 だが、いくら寝不足だったといっても、昨夜から考えれば軽く20時間以上も寝ているのだ。これ以上、寝ているとまるで目が腐りそうだった。しかしながら、起きたところでなのはにやることはない。倒れる前のなのはの生活は、起床、魔法の練習、学校、ジュエルシードの捜索、魔法の練習、就寝だったのだから、魔法の練習とジュエルシード捜索を禁止されては、学校へ行くか寝るしかない。

 ―――ショウくん、何してるかなぁ。

 特にすることもなかったが、眠たくもなかったのでベットに横になって天井を見上げながら考えるのは、翔太のことだ。そういえば、昨日、看病してもらったのにお礼も言っていない。今度会ったら、言わないと。お礼もいえない子だとは思われたくない。
 そうやって、思い出していくと昨日の翔太の言葉が思い出される。

『ずっと隣にいるから』

 翔太は確かにそういってくれた。

「ショウくんと……ずっと一緒に……」

 それは、実に甘美で、幸福で、素敵な響きだ。翔太の隣にずっといられる。唯一、自分を見てくれる彼がずっと隣にいる。だが、そのためにはもっと、もっと、もっと魔法を強くならなければならない。ジュエルシードの暴走体なんて一捻りにできるぐらいに。そうすれば、きっともっと翔太はなのはを褒めてくれるだろうから。

「えへへ……」

 翔太に褒められる自分を想像したのか、やや緩んだ笑みを浮かべるなのは。

 ―――コンコンコン

 気の緩んだなのはの耳に入るこの部屋のドアをノックする音。続いて聞こえてきたのは、聞きなれた兄の声だった。今日は、なのはを心配して、一日家に残っているらしい。

「なのは、起きてるか?」

「うん」

「そうか。父さんからだが、翔太くんが翠屋に来てるらしいぞ」

 ―――ショウくんがっ!?

 たった今、翔太について考えたなのはが翔太という名前に反応しないはずがない。今まで、寝ていた身体をその名前に反応して上体を起こした。
 しかし、上体を起こして考える。翔太が翠屋にいることが分かったからといって、どうなるというのだろう。今日は、翔太から休むように言われている。ここで、のこのこと翠屋に顔を出して、翔太と鉢合わせしてしまったら、自分は外を出歩いていることになり、翔太からの伝言を破ってしまうことになる。

 もしかしたら、それが原因で嫌われてしまうかもしれない。嫌だ、そんなことは絶対に嫌だ。昨日、せっかく、とても幸せになれう言葉を貰ったのに。

 だが、なのはの心の隅に翔太と会いたい気持ちが生まれていることも確かだった。この一週間、翔太と一緒でなかった日はない。必ず、自分だけに向けてくれる笑みを一日一回は見れていた。だが、今日は見ていない。見られない。それがなのはに確かな寂しさをなのはに与えていた。

 翔太に会いたい。しかし、会うことで嫌われることを考えると、会いにいくことはできない。会いたいが、会いにいけない。なのはにとっては究極の二律背反だった。

 ベットの上でどうするべきか考え込むなのは。会いたい、翔太の顔が見たいと主張するなのはもいれば、翔太に休養日といわれているのに不用意に会って、嫌われたり、呆れられるのはごめんだ、と主張するなのはもいる。

 どちらの言い分も理解できる。簡単に言ってしまえば、快楽を取るか、安寧を取るかである。翔太と会えば、快楽は得られるだろうが、安寧はない。この場に留まれば、安寧は得られるだろうが、快楽は得られない。

 さて、どちらが正しいか。危険性が未知数である以上、ここまでくれば、もはや個人の好みだろう。行動派の人間であれば、多少の危険を承知で前者を選ぶだろうし、慎重派の人間であれば危険を回避して後者を選ぶだろう。

 しかしながら、なのはにはそれを選ぶだけの経験が足りなかった。行動派、慎重派、それらを切り分ける経験がなのはにはない。過去に行動に移して幸いを得られたのなら、行動派を選んだだろう。過去に行動に移して痛い目を見たなら慎重派だっただろう。だが、なのはは行動に移せたことがない。故に、彼女にはどちらを選ぶべきか分からない。

 だから、恭也の一言がなのはの行動を決定付けた。

「父さんが、翔太くんと一緒にケーキをご馳走するらしいぞ」

 この一言でなのはは翠屋に行くことを決めた。

 理由は簡単だ。なのはの父親である士郎が誘っているのだ。つまるところ、士郎の許可が出たことに変わりない。もし、翔太にあって何か言われたとしても士郎の責任にすればいいのだ。そのいわゆる責任転嫁というところまでなのはが計算したかどうかは分からない。なにせ、まだなのはは子供だ。だから、そこまで頭が回ったか分からない。だが、子供であるが故に親という立場からの許可は、なのはが行動する根拠には十分だったのだろう。

 なのはは、恭也からの一言を聞いて、ベットから降りて身支度を始めた。せっかく翔太に会うのだから、身だしなみぐらいはしっかりしたいものである。

 なのはが身支度を終えて、外に出たのは、恭也から声を掛けられて20分後のことだった。



  ◇  ◇  ◇



 胸の鼓動が抑えられない。
 会えないと思っていた休日に不意に出会えるようになった。ただ、それだけでなのはの胸の鼓動は高鳴る。

 ―――会ったら何を話そう。やっぱりケーキの話かな。

 そんなことを考える自分に笑える。つい先週までは、もう何も期待しないと思っていたのに。翔太の前では、なのはも話すことができた。
 それは、今まで話した誰かのように早くと急かすような様子もなく、なのはがきちんと話し終えるまで待ってくれるからである。

 ―――ジュエルシード発動してくれないかなぁ。

 翔太に聞かれれば不謹慎なことをなのはは考える。
 だが、なのはにとっては自然なことだった。そうすれば、翔太に会えた上に、ジュエルシードを封印したなのはは翔太に褒めてもらえるのだから。もし、そうなれば、今日という休日はなんと幸福な日になるのだろう。

 そんなことを考えながら、駅前の商店街を少々早歩きで翠屋を目指すなのは。

 やがて、翠屋が見えて、表のオープンテラスに見慣れた翔太の後姿が見えた。一年生の頃、憧れで見ることしかできなかった翔太の後姿はよく覚えている。彼の姿が見えた瞬間、なのははすぐにでも翔太に会いたくなって、早歩きだったのが、駆け寄るように足を速めて、豆粒程度だった翔太がはっきり見えるようになった頃、「ショウくん」と声を掛けようとして―――なのはは息を呑んだ。

 その場にいたのは翔太だけではなかった。一緒にいるのは、白いカチューシャをした黒髪の女の子と綺麗な金髪の髪を靡かせた女の子。両者ともなのはの目から見ても可愛いと思えるほどの女の子だ。そんな女の子と翔太が、笑いながらテーブルを囲んでいた。そして、テーブルの上に並んでいたのは、ケーキが載っていたであろうお皿が三つ。

 ―――え、あ、あれ……?

 それは、なのはと翔太が一緒に食べるはずのケーキではなかっただろうか。一緒に食べる姿を想像していたのに。翔太はすでにケーキを食べ終えていた。なのはの知らない女の子と一緒に。

 ―――ど、どうして?

 なのはにはこの状況が理解できなかった。翔太に会えると思って翠屋まで来たというのに来てみれば、翔太は他の女の子と一緒になのはと食べるはずだったケーキを既に食べ終えている。

 目の前の状況が受け入れられなくて、どうして、どうして、と疑問が浮かびながら、自分以外と笑いながら話している翔太なんて見たくないのに、なのはの足はその場に縫い付けられたように動くことはできなかった。その結果、なのはの眼は、翔太と翔太と共に笑いあう二人の女の子を見ているしかなかった。
 翔太の様子は、なのはの隣にいるときよりも楽しそうで、なのはに見せている笑みよりも嬉しそうで、なのはが今まで一度も見たことがないような表情だった。

 翔太の初めて見た表情にも愕然とするなのは。

 混乱の極みにあるなのはは目の前の状況が理解できない、理解したくない。

 ―――自分以外の人が隣にいて、翔太が笑っている姿など。

 だが、目の前の状況はリアルであり、なのはがいくら否定しようとも現実だ。

 不意に、不意に翔太と話している金髪の女の子が翔太から視線を外して、なのはの方に顔を向け、彼女となのはの視線が合った。その瞬間、金髪の女の子は何かを理解したように笑った、嗤った、哂った。

 その笑みが、あんたには、翔太を笑わせることなんてできないしょう、あんたなんてお払い箱よ、と言われているようで、翔太の隣になのはがいることを否定されたようだった。結果、それを契機にして、なのははガクガク震える足と手を懸命に動かしながら踵を返して、その場から逃げ出すしかなかった。



  ◇  ◇  ◇



 息を切らして、肩で呼吸をしながら、なのはは当てもなく商店街を走る、走る、走る。途中、足がもつれて、ヘッドスライディングのように地面をすべり、ハイソックスが破れ、翔太に見てもらうために見繕った洋服が汚れてしまうが、それでもすぐに起き上がって、また走り出す。
 とにかく、一秒でもあの場所にいたくなかった。自分が翔太の隣にいることを否定されたあの空間から、少しでも遠くに、一秒でも早く、逃げ出したかった。

「はぁ、はぁ、はぁ―――」

 走りきった先に着いたのは、桜台の登山道だ。ここからは、海鳴の街が一望できた。
 だが、そんなことは、今のなのはには関係なかった。先ほどの情景がなのはの脳裏にフラッシュバックする。

 ―――見たことない表情で笑う翔太。翔太と一緒にいる二人の女の子。そして、なのはを嗤った女の子。

「あ、あはは、嘘。嘘だよね」

 あまりに衝撃的な状況になのはは否定することしかできない。だが、強く否定すればするほどに先ほどの情景は現実としてしか思えなくなってしまった。

 強く否定するということは、その情景を強く意識するということだ。故になのはは、あのときの光景を否定したいにも関わらず、逆に強く意識してしまうほどに刻み込んでしまった。

「なんでっ!? どうしてっ!?」

 否定したいのに、否定できないなのはは、思わず強く叫んでしまう。
 強く先ほどの情景を意識してしまったなのはが縋るべき言葉は、もはや昨日の翔太の言葉しかなかった。

「ずっと一緒にいるって言ってくれたのに……」

 そうだ。翔太は言ってくれた。ずっと一緒にいてくれる、と。あの翔太が嘘をつくはずがない。

 ―――ならば、なぜ? なぜ、翔太はなのは以外の人の隣で笑っていた? しかも、なのはが見たこともないような笑顔で。

 なのはの頭がその答えを見つけるためにフル回転する。そして、しばらくして、なのはは一つの答えにたどり着いた。

 ―――ああ、そうか。そうだったんだ。

 なのはは理解した。ああ、そうだ、実に簡単なことだった。

 昨日と今日の違い。それは、なのはが倒れたか倒れていないか、だ。

 もしも、昨日、なのはが倒れなければ、今日も翔太はなのはと一緒にジュエルシードを捜索していただろう。だから、今日の情景が生まれたのは、なのはが倒れたからだ。
 ならば、翔太と一緒にいるためには、倒れなければいい。そんな不甲斐ない自分にならなければいい。

 そう、実に簡単だった。

「あはっ」

 答えを得たなのはは笑った。

 ―――そうだ、だから、今日はショウくんは休みって言ったんだ。それを破って出てきたなのはが悪いんだよ。

 自分の心を護るために、翔太がなのはの理想であるが故に、なのははそう自己完結した。

 なのはの足は先ほどよりも軽くなって自宅を目指す。当然、帰宅してベッドで横になるためだ。翔太が休めと言ったのだから、休むしかない。

 ―――今日は、休んで、明日からはずっとショウくんとジュエルシードを探して、探して、探して、ジュエルシードを集めて、集めて、集めて、あつめて?

 登山道の入り口付近でなのはは軽やかだった足を止めて、考える。だが、その思考は別の場所から、それ以上考えるな、と警告を送られるが、もはや手遅れだった。その思考は、なのはの中心部分で始まっていたのだから。

 ―――ジュエルシードを集めて、集めて、集めたら……どうなるの?

 なのははあのフェレットの言葉を思い出す。

『ジュエルシードは全部で21個あります』

 つまり、なのはが、ジュエルシードを集めて、集めて、集めて、集め終えたら……

 がしっ、となのはは自分の膝が汚れるの構わず地面に膝をつく。さらに、春だというのにガタガタ身体を震わせ、カチカチと歯を鳴らし、寒さから自分を護るように自分の腕で身体を抱きしめていた。翔太が魔法を使ったときのようだが、今度は絶望の桁が違う。あの時は、翔太が魔法を使おうとも心のどこかで分かっていた。自分には遠く及ばないと。だが、今度は違う。明確な終わりが見えた。見えてしまったのだから。自分の死期を告げられ時の感覚に近い。

 ―――ジュエルシードを集め終えたら……ショウくんは……一緒にいない?

 それは、今日の情景が証明している。ジュエルシードがすべて集まり、魔法が必要なくなれば、翔太がなのはを必要とすることはなくなり、つまり、それは、翔太がなのはの隣にいないことを、今日の状況が日常になることを示唆していた。

 ―――嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、いやだいやだいやだ。

 翔太が魔法を使ったときにも感じた恐怖がぶり返してきた。つまり、翔太の温もりを手放さなければならないかもしれない、ということだ。昔のただ褒められることも、温もりを与えられることもなくなるということだ。それは、すでに翔太の温もりという甘い経験を強いてるなのはからしてみれば、とても受け入れられないことだった。

 ―――そ、そうだ。わざとジュエルシードを見逃せば……

 そうすれば、翔太とずっと一緒にいられる。だが、その考えはすぐに選択肢の中から一蹴された。なぜなら、ジュエルシードを見逃すということは、なのはの不手際であり、それが原因で翔太から見限られては元も子もないからである。

 ―――どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい?

 考える。なのはの魔法が見限られることなく、ジュエルシードがずっと存在するような状況。そうすれば、なのはと翔太はずっと一緒にジュエルシードを探すようになり、なのはと翔太はずっと一緒にいられる。

 ―――ああ、そうか。そうだ。こうすればいいんだ。

 抱きしめていた腕を解いて、なのはは立ち上がり、駆け出す。

 答えを得たなのはは、海鳴の街を目指して一直線に駆け出していた。



  ◇  ◇  ◇



 階段を駆け上がり、屋上に着いた瞬間、なのはの顔を強風が叩く。だが、それを物ともせず、屋上の中心へと足を進める。屋上の中心に立ったなのはは、胸元からレイジングハートを取り出す。

「お願い。レイジングハート」

 ―――All right.

 もはや主従の間に契約の言葉などという無粋なものは存在しない。主の言葉に従い、デバイスであるレイジングハートは主の意思に従って、その姿を杖と防護服―――バリアジャケットへと姿を変えた。
 形を変えたレイジングハートを手にしたなのははすぅ、と意識を集中させるために目を瞑る。

 展開する魔法は、いつもの仮想空間で放つ砲撃魔法ではない。むしろ、砲撃魔法のような攻撃とは真逆のベクトルである補助的な魔法である探査魔法をなのはは展開していた。
 むろん、誰からも習っていない。ただ、ユーノが使っている探索魔法をいつもなのはは見ていた。つまり、これは、ユーノが使う探索魔法の見よう見まねである。むろん、普通の魔導師が行えば、失敗してしまうだろう。だが、高町なのはならできる。なぜなら、彼女は魔法という分野に対しては天才なのだから。
 天才が1を学ぼうと思えば、10の実力がついてくる。ならば、今のなのはに不可能はない。彼女がようやく手に入れたものを手放さないためなら、悪魔にだって魂を売っただろうから。

 そこまで求めるなのはに魔法に関して言えば、不可能の文字はない。事実、探査魔法は上手く発動し、なのはを中心にして、北から時計回りに海鳴の街を探査していた。

 北、北東、東、南東、南、南西、西―――

 そこまで探査してようやく引っかかった小さな小さな違和感。普通のなのはなら見逃したであろう違和感。だが、今、その波動を探して小さな信号さえも見失わないようにしていたのだ。故になのはが、それを見逃すことはありえない。

 幸いにして見つけられたジュエルシードの反応になのはは口の端を吊り上げるような笑みを浮かべて、歓喜と共にそれを迎える。

「みぃぃつけたっ!!」

 語尾に音符がつきそうなほどの上機嫌な声を出すなのは。

 なのはが上機嫌なのも無理はない。彼女にとってはこれは賭けだったのだから。見つかれば、翔太が隣にいて笑える日々。見つからなければ、いずれ来る終わりに震える日々。それらを賭けていた。

 そして、彼女は賭けにかった。見つかったジュエルシードはそんなに遠くにあるわけではない。なのはの靴にフライアーフィンを展開して、彼女はビルの屋上から飛び立った。

 なのはがジュエルシードを肉眼で確認できたのは飛び立って5分ほど後の話。白いジャージを着ている男の子と薄紫色のジャージをきている女の子の内、男の子のほうがどうやら持っているようだ。
 なのはは、近くの路地裏に着地すると、物陰から様子を伺った。

 さて、問題はこれからだ。

 地面に落ちていれば、面倒はなかっただろうが、人が拾っているとなると多少問題だ。どうやって手に入れるか。取り出してくれたら、簡単に―――

 今日は、なのはに幸運の女神でもついているのだろうか、いや、きっとこれは翔太の隣にいられなかった不幸の帳消しなのだ。ならば、この幸運の連続も納得できる。

 なのはがそう思うのも無理はない。取り出してくれないかな、と考えていた所に白いジャージを着ていた男の子が、ジュエルシードと思える蒼い宝石をポケットから取り出したのだから。
 それを確認した瞬間、なのはは、物陰から飛び出し、白いジャージの男の子に体当たりを行った。突然、後ろから衝撃を受けた男の子は、当然のことながら受身を取ることもできずにその場に倒れこんでしまう。その瞬間、手にしていたジュエルシードが転がる。
 その隙を見逃すなのはではない。倒れた男の子のことなど知らないといわんばかりにまっすぐジュエルシードに手を伸ばし、手にした瞬間に「リリカルマジカル」と封印魔法をかけた。
 魔法をかけ終わると同時に、即離脱。さすがにそのまま立ち去るのは後味が悪かったので、「ごめんなさ~い」という言葉を残して、その場を風のように去るのだった。



  ◇  ◇  ◇



「あははは、あははははははは」

 なのはは自分の部屋で手にした蒼い宝石を弄びながら笑いが止められなかった。

 ―――これが、これがあればずっとショウくんと一緒にいられる。

 なのはは、このジュエルシードをレイジングハートの中に仕舞うつもりはない。鍵をかけた自分の机の中に隠しておくつもりだ。そうすれば、決して最後の1個は見つからない。見つけられるはずがない。なぜなら、既になのはが手にしているのだから。

「これで、ずっと一緒だよ、ショウくん」

 そう、これでずっと自分と翔太は一緒にジュエルシードを探し続けるのだ。
 だから、もう今日のような情景は絶対に見ることはない。翔太の隣で笑っているのは自分ひとりで十分なのだから。

 ジュエルシードを机に鍵をかけて仕舞ったなのはは、そろそろ寝ようとベットに身を沈めようとして、携帯にメールが来ていることに気づいた。
 すぐに中身を開くなのは。なぜなら、この携帯にメールしてくるような人物は一人しかいない。

『今日は十分休めた? 明日からも頑張ろうね。翔太』

 短い文章。だが、それだけでなのはは満足だった。脳裏に翔太の笑みを浮かべながらなのはは、返事をする。

『うん、頑張ろうね。なのは』



  ◇  ◇  ◇



 月村すずかにとって蔵元翔太は、不思議な人だった。

 最初に出会ったのは、1年生のときの教室。すずかからしてみれば、彼だけが異様に浮いているような気がした。友人となった今なら分かるが、彼が発している雰囲気は小学生のものとは異なるような気がした。
 これは他人を観察しているすずかだから気づけたことで、もう一人の友人であるアリサからしてみれば、少し変わった男の子というぐらいだろうが。
 翔太は、すずかに近寄ってくることはなかった。他の独りになっている子は、きちんと世話をしているのに。もっとも、それはすずかが望んでいたことで、彼はそれを察してくれただけなのかもしれないが。

 そして、アリサを通して友人になった蔵元翔太だったが、やはり不思議な人だった。年齢と身体が釣り合っていないというべきだろうか。子供と子供の会話なのに彼と同級生が話しているとお兄さんと弟という感じがするのだ。だから、すずかにとって蔵元翔太は不思議な人だった。

 今は、友人としてアリサと同様に付き合っている。だが、すずかには彼らに―――いや、他の人にもだが―――決してばれてはいけない秘密がある。
 それが、彼女が実は吸血鬼の血を引いているということである。正確には吸血鬼のような、というほうが正しいだろうか。書物に出てくるように日光を浴びれば灰になるというものでもないし、流れる水に触れられないということもないし、十字架や聖水、にんにくがダメということもない。ただ、唯一の共通点があるとすれば、血が必要ということである。
 すずかも、三日に一度は輸血用の血液パックから血液を摂取している。

 これはすずかにとってコンプレックスだった。人ではない。人とは違う。
 だから、すずかは、一人を好んだし、一人でいるつもりだった。

 今、アリサや翔太と一緒にいるのは、偶然の産物―――いや、そんな言葉で誤魔化すのはやめよう。やはり、なんだかんだと理由をつけながらもすずかは寂しかったのだ。誰かといるのは怖い。だが、一人は寂しい。だから、結局、すずかが取れた選択肢は、付き合いながらも深入りしないという中途半端なものだった。

 だからだろう、すずかがどこか翔太とアリサの間に浅い溝のようなものを感じていたのは。それは、すずかが引いている所為かもしれない。だが、確実にすずかとアリサ、すずかと翔太よりもアリサと翔太の距離が近いように感じる。それは、そんな気がする程度の違和感だった。
 だが、それを感じていたが故に3年生になって翔太が余所余所しくなり、アリサが不機嫌になり、すずかは傍観している中で、翔太が誘ってきたサッカーの試合の後、アリサと翔太だけが事前に話していたかのように翠屋に行くと聞いたとき、動揺した。

 ―――私は誘われていないのにアリサちゃんとショウくんだけ?

 それは、確実に二人から置いていかれたような気がした。だから、その後、翔太が笑って、すずかも誘ってくれたときは、本当に嬉しかった。まだ、自分は二人から置いていかれないのだ、と。

 その後、翔太の知り合いである士郎さんという人からケーキを奢ってもらい、翔太と別れた後は、姉と一緒にショッピングに来ていた。
 姉は、最近好きな人ができたのか、気合を入れて洋服を選んでいた。すずかは今日は、その付き添いだ。
 そういいながらも、すずかも女の子であり、洋服を見たり、選んだりするのは好きだ。姉の忍が選んでいる間、すずかも忍のように自分用の洋服を見ていた。

 不意に目に止まったのは、黒い可愛いフリルのついたワンピース型の洋服。

 それはいつもなら目に留まらないタイプの洋服だった。

 月村すずかは吸血鬼である。そうであるが故に、彼女は白い服装を好む。身体が穢れているならば、せめて洋服だけでも穢れない白にしようと。
 だから、吸血鬼のシンボルカラーでもあるような黒は絶対に目に留まることはなかった。

 だが、今日、初めて目に留まったのは、やはり午前中のサッカーの試合の前に翔太がアリサの洋服を褒めたことに起因しているのだろうか。
 アリサの洋服も確かに初めて見る真紅のワンピースだったが、すずかも下ろしたての洋服だったのだ。もっとも、色はいつもと同じ白いワンピースタイプだったが故に翔太は気づかなかっただろうが。

 ―――もしも、私がこんな洋服を着たら可愛いって言ってくれるかな?

 思わずそんなことを考えてしまったことをすずかは笑った。
 深入りはしないと決めているにも関わらず、翔太に褒めの言葉を貰おうと洋服を選んでいる自分が可笑しかったからだ。
 しかし、すずかにはどこか淡い期待があった。

 翔太ならもし、ばれても大丈夫なんじゃないか、という淡い期待だ。

 彼のどこか不思議な雰囲気。そして、幽霊という超常現象を自ら口にし、アリサは震えていたのに、翔太はまったく震えもせず、それが至極当然のように受け入れていたことも鑑みるとその期待も不思議ではない。
 あの森で幽霊と翔太が口にしたときは、自分のことではないのに驚いたものだ。自分も超常現象の一人なのだから。

「あら、すずか珍しいわね。それ、気に入ったの?」

「お、お姉ちゃんっ!?」

「いいじゃない。買っちゃいなさいよ。いつも白じゃ、面白みがないでしょう」

 姉の面白がるような顔。もしも、これが翔太に褒められるかどうか、で目に留まったといえば、どんな顔をするだろうか。
 だが、それは想像するだけにとどめた。想像だけでも非常に大変だったのだから、きっと実際に口にすればすごいことになるだろうから。

「それじゃ……うん」

 そっ、とすずかは黒いワンピースを買い物籠の中に入れた。

 ―――これを着たら「可愛い」って言ってくるかな?

 別の意味の淡い期待も込めて。



続く

あとがき
 リリカルってなんですか?

 なのはVSアリサ 第一回戦 アリサ不戦勝



[15269] 第十四話
Name: SSA◆ceb5881a ID:de8c662e
Date: 2010/03/25 23:31



 ケンジくんから殴られて、一夜明けた朝、僕は、昨夜の行動を後悔していた。

「……どうしよう? これ」

 鏡で見る自分の顔。そこにははっきりと殴られた箇所が分かるように青黒く痣になって、唇の端が血が固まったようにかさぶたになっており、赤黒くなっていた。
 この怪我で、転んだというような言い訳は効果がないだろう。帰ってきたときは血も止まっていたし、押さえたら痛い、という感覚だったので、放っておいたのだが、まさかここまでになろうとは予想もできなかった。

 このまま学校に行けば目立つこと請け合いだが、休むという選択肢もない。
 はぁ、仕方ない。ガーゼでも張っていくことにしよう。

 目立つことは避けられないだろうが、それでもこの青い頬と赤黒い口の端を晒していくよりも大分マシだろう。そう願いたい。
 とりあえず、学校へはそう対処することにして、口の端がしみるのを我慢しながら、顔を洗い、母さんによって朝食が用意されているリビングへと向かう。

「おはよう」

 おそらく、どこの家でも変わらないであろう朝の挨拶を口にしながら、リビングへと入ると、親父は、新聞を読んでおり、母さんは、毎朝見ているワイドショーを見ながら食パンをかじっていた。
 我が家のルールとして、食パンは自分で焼くことがルールだ。故に親父は新聞を読みながら食パンは食べていない。

「あら、ショウちゃん、やっぱり青くなっちゃったわね」

「ふ~む、やはりすぐに冷やさないと効果がなかったか」

 昨日、帰ってきてすぐに手当てしてくれたのは意外なことに親父だった。どうやら、こういう知識もあるらしい。僕が殴られたときのことを正直に言うと、笑いながら、「災難だったな。まあ、そういう時は吹っ飛ばされたほうが痛くないぞ」と助言まで貰う始末。
 そういわれても、前のときも今回のときも喧嘩に巻き込まれることなんて滅多になかったのだから喧嘩のやり方なんて知らない。踏ん張ってしまったのは、反射的に身体が強張ってしまったからだ。親父の言葉を聞いて素直に飛ばされていたほうがよかったかも、と思ってしまった。

「とりあえず、朝食を食べなさい。手当てはそれからで良いだろう」

 どうやら、親父は僕と同じ結論に達したらしい。自分で手当てするのも大変だと思っていた次第だ。手当てをしてくれるというのなら有り難い限りである。
 とりあえず、言われたとおり、朝食を食べることにしよう。

 ………昨夜の晩御飯と同じく、朝食は口の端がしみて食べにくいことこの上なかった。



  ◇  ◇  ◇



 やはり口元にガーゼという格好は、かなり目立つのだろう。学校に行く最中から教室に着くまで目に付く知り合いにとにかく声を掛けられた。
 僕は、サッカーなどでグラウンドの使用権の折半にいくためか、男の子に限って言えば、上級生にも顔見知りは多い。そのため、同級生からだけではなく先輩に当たる人たちからも「どうしたんだよ?」と聞かれることが多かった。
 しかしながら、ケンジくんのことやここで話して尾びれ背びれがついて学校中を巡ることを考えると簡単に口を開けることではなく、「昨日、ちょっと喧嘩しまして」としか答えられなかった。
 血の気の多い先輩などには「俺が敵をとってやろうか?」と半笑いで言われたが、丁重にお断りすることにした。そんなこんなで、ようやく教室にたどり着いた頃には、後残り5分ほどで始業のチャイムがなろうか、という時間になってしまった。
 もっとも、これは怪我の手当てなどをしていて、遅れたこともあるのだが。

「おはよう」

 がらっ、と挨拶をしながらドアを開くと、いつもより多くの人間が教室にいるようなきがした。それもそうだろう。僕が来る時間はいつもよりも遅いのだから。
 僕が挨拶しながら入ってきたこともあるだろう。一瞬、教室にいる全員の目が僕へと集中した。これはいつものことだ。不意に音がして、自分が知っている音であれば、思わず反射として顔を向けてしまう。普通、それは一瞬だが、今日は違った。全員の顔が僕のほうを向いて固定されてしまっていた。

「え、あれ? どうかした?」

「ショウくん、ガーゼどうしたの?」

 僕の混乱に答えてくれるようにクラスメイトの一人が僕の頬を指しながら怪訝な表情で僕に聞いてきた。

「ああ、これは―――」

 よもや殴られたなどと正直に答えて事を大きくしたくなかった僕は、適当にごまかせるようにちょっとね、と答えて終わらせようとしたのだが、僕が答えるよりも先に口を挟んできたクラスメイトがいた。

「ショウくん、昨日、ケンジのヤツに殴られてたけど、大丈夫っ!?」

 ごまかす前に真実を別の口から語られてしまった。
 もし、僕が誤魔化すことができれば何も問題はなかったはずなのに………。
 子どもゆえの無邪気さがなんとも物悲しかった。

 さて、僕が先に口を出せなかった事実は少し拙い気がしたが、それらはすでに後の祭りだ。それよりも、クラスメイトの子の発言をなんとか誤魔化さないといけない。現に今もクラスメイトの子の発言を聞いて、クラスがざわめいている。

「ちょっと話を―――」

「ショウっ! ケンジってヤツに殴られたの!?」

「アリサちゃんっ!!」

 今日はなんとも話を遮られる日である。
 話を遮ってきたのは、今度は金髪をなびかせて自分の席から駆け出してきたアリサちゃんである。その後ろからは、アリサちゃんが飛び出したのを必死に止めようとするすずかちゃんだった。

「はぁ、そうだよ」

 さすがにここで違うと否定しても無駄だろう。真実はもう他の口から零れてしまっている。一度こぼれた言葉は、拾いなおすことは出来ない。ならば、認めるほかないのである。
 だが、ここで簡単に認めたのは、失敗だったのかもしれない。
 僕が話を肯定した瞬間、アリサちゃんは踵を返して、教室から飛び出そうとしていた。

 拙い、と反射的に悟って手が伸ばせたのは幸いだっただろうか。アリサちゃんの手を掴めなかったら、彼女は隣のクラスに駆け込んでいただろう。

「なによっ!!」

 きっ、と僕をにらんでくるアリサちゃん。彼女が激昂している理由は僕が殴られたからなのだろう。それ自体は大変ありがたいことなのだが、このまま見過ごして、彼女を第二学級に突撃させるわけにはいかない。
 このまま、アリサちゃんを行かせると、僕とケンジくんだけの問題だったはずなのに、彼女まで入ってきてしまう。それは、さらに問題を大きくするだけだ。僕としては、これ以上事を大きくするのは勘弁願いたい。事が大きくなればなるほど、事態を収束させるために払う犠牲は大きくなるのだから。
 今ならば、僕とケンジくんの個人的な喧嘩ということが事が片付くのだから。

 だから、僕はアリサちゃんを引きとめた。

「どこにいくの?」

「決まってるじゃないっ! そのケンジってヤツのところよっ!!」

 どうやら、相当頭に血が上っているようだ。アリサちゃんの中でケンジ君に文句を言いに行くことはすでに決定事項らしい。いや、この気迫から考えれば、四の五の言わずに手が出てしまう可能性もある。

「ダメだよ。これは、僕とケンジくんの問題なんだから」

「あんたの問題なら、あたしの問題よっ! ここで動かなかったら親友として廃るわ」

 なんと男前の返事なのだろうか。もしも、アリサちゃんが男の子なら、実に人情に厚い男の子として、女の子にモテモテだっただろうに。いや、中学生になれば、アリサちゃんたちは女子中学校に行くはずだから、その手の子たちにはモテモテかもしれない。

 さて、そんな数年後のことはどうでもいいのだ。

 確かに、アリサちゃんが僕のことを『親友』だと言いきってくれたことも、僕が殴られたことに激昂してくれたことも確かに嬉しい。だが、今は押さえてもらわないと後々困ることになる。先ほども言ったようにこの手の問題はことが大きくなればなるほどに収束させることが困難なのだ。今は、僕だけが殴られたという一方的な暴力が残っているから、まだ事態は実に簡単だが、これにアリサちゃんが加わると大変だ。僕はケンジくんに暴力を振るわれ、ケンジくんはアリサちゃんに暴力を振るわれ、アリサちゃんと僕は親友という三角関係ができるのだから。
 一般的に社会では、如何様な理由があろうとも暴力は悪という認識である。つまり、ケンジくんとアリサちゃんは悪くなり、僕はアリサちゃんの親友である以上、殴られただけの被害者にはなりえない。
 つまり、落としどころが見つからないのである。だから、できれば、今日にでもケンジくんと話して、この話の落としどころを決めようと思っていただけに、アリサちゃんが介入することだけは避けなければ。

 もっとも、朝の時間に関してだけなら、何とかなりそうだ。

 今も尚、隣のクラスに向けて突撃しようとしているアリサちゃんを引きとめながら、周囲に響く朝礼のチャイムを聞いて僕は安堵の息を吐いた。



  ◇  ◇  ◇



「それで、その怪我の原因を教えてもらうか」

 朝のホームルームの後、僕は担任の先生から呼び出しを受けていた。
 普通の呼び出しなら放課後の場合が多いのだが、今日は、ホームルームが終わった直後だ。1時間目まで5分程度しかない休み時間の間に僕を呼び出した。いや、もしかしたら、1時間目まで食い込んでも構わないと思っているのかもしれない。

「こうやって呼び出すってことは知ってるんじゃないですか?」

 もし、先生が何も知らないとすれば、「ああ、怪我をしたのか」と思われるだけで終わっていたはずだ。だが、こうしてわざわざ呼び出したということは見過ごせない何かを知ってしまったからだろう。
 では、その『見過ごせない何か』とは何か。つまり、僕がこの怪我を負ってしまった原因だ。

「さて、どうだろうな。どちらにしても、本人の口から聞くまで確証は取れないものでね」

 僕の問いに先生は、実に真面目な表情をしていた。怪我の原因を知っているなら納得だ。
 これは、誤魔化せないな、と思った僕は、正直に話すことにした。

「―――というわけで、今朝見たらこの様ですよ」

 僕は、ぴりっ、とガーゼを止めていたテープを外して、青黒くなっているであろう頬を見せた。
 そのときの先生の表情は、眉をピクンを動かす程度のもので、あまり衝撃を受けていないようにも見える。

「なるほどなぁ」

 先生は、厄介なことになった、とばかりにはぁ、とため息を吐く。

「とりあえず、事態は把握した。それで、解決できそうか?」

「ケンジくんのことでしたら、少し話せば分かってくれると思いますよ」

 そう、何も僕は喧嘩したいわけではない。ただ、グラウンドを下級生たちと一緒に使って欲しいと思っているだけだ。それは、僕からしてみれば、極当たり前のことで、昨日は、ケンジくんが頭に血が上っている様子で今、何を言っても通じないと思って追いかけなかっただけなのだ。だから、冷めている今日話せばきっと分かってくれるはずである。

 だが、僕の予想に反して、先生ははぁ、とため息を吐いていた。

「蔵元、お前の言うことは確かに正論だ。私のような教師から見れば優等生みたいな回答だ。百点満点だよ。こうするべきだのべき論で言えばな。大人なら熟考ぐらいはするかもしれないが、相手は小学生だ。べき論では、通じないことも……いや、それ以上にその正しすぎる正論が逆に相手を怒らせることがあることを肝に銘じておくことだな」

 先生からの忠告だった。

 なるほど、そんなことはまったく考えたことがなかった。僕はできるだけ正しいことをやってきたつもりだった。誰かにとっての最善になるように頑張ってきたつもりだった。だが、それが逆に怒らせることになるとは。
 僕も6年程度、彼らと一緒に遊んで、時に叱りながら過ごしてきたわけだが、目の前の先生は、教師として児童と接しているのだ。僕以上に僕らのことを知っているだろう。

 だから、僕は、先生の忠告を心にとどめておこうと思った。



  ◇  ◇  ◇



 昼休み、僕は中庭を歩いて目的の『彼』を探していた。

 今日の昼食は、母親から作ってもらったものをいつもサッカーをやっている面々と共に食べ、その後は、サッカーに興じることにした。昨日の今日だから、やはり僕も加わる必要があると思ったからだ。だが、その心配は無用のようだった。後からやってきた低学年の子供たちも昨日までのように仲間はずれにすることはなかったのだから。

 さらに、昨日ケンジくん側についた4人も気まずそうにやってきた。だが、途中で怖気づいたように足を止め、こちらを見てくるだけだ。おそらく僕たちと同じくサッカーに興じてるクラスメイトたちの中には気づいた子もいるだろう。だが、彼らは彼らを見てみぬ振りをした。
 昨日のことが尾を引いていることは明白だった。おそらく、昨日の最後の試合のメンバー構成のときに敵と味方ではっきりと線を引いてしまったのが拙かったようだ。つまり、クラスメイトたちにとって彼らは敵なのだ。だから、気づいても声をかけない。声を掛ける理由がないと思っているのだろう。

 しかしながら、それでは僕たちもケンジくんたちと変わらない。この場は決して、敵と味方に分けて対立する場所ではない。サッカーで楽しく遊ぶだけの場所なのだから、むしろそういう諍いは排除すべきだ。

 だから、僕は彼らに声を掛けた。

 結局、彼らもサッカーで遊びたいのだが、4人ではどうしようもなくて、途方にくれていたようだ。
 だから、僕は彼らに一緒にサッカーやりたいならどう? と誘った。彼らは僕にそういわれると思っていなかったのか、一瞬きょとんとした表情を浮かべると、どうやって仲間に入れてもらおうと曇らせていた顔を笑みに晴らせていた。

 しかしながら、昨日ケンジくん側に回った彼らが僕を仲介したとしても、僕たち側の仲間に入れてくれ、と言っても無理な話だ。僕はいいだろうが、他の面々が許してくれないだろう。だから、僕は彼らに昨日までの下級生を仲間はずれにしていたことを謝ることで、他の面々を納得させた。
 他の面々も彼らが「ごめんなさい」と謝ると案外、簡単に過去のことは水に流してくれた。子供なだけにごめんなさいの一言で片がついてしまうのかもしれない。これが、高校生や大人になるとそうもいかないのだが。

 さて、ここでようやく僕が中庭にいる理由になる。あと一人、サッカーのためにグラウンドに出てこなかったケンジくんを探しにきたのだ。彼とて、いつまでも僕たちと仲違いするつもりはないだろう。彼が好きなサッカーは一人でできるものではないのだから。
 仮に4年生になって士郎さんの翠屋JFCに入部したとしても、僕側についたクラスメイトたちの何人かも入ることを考えれば、彼らとチームプレイはこのまま放っておけば難しい問題になるだろう。この手の問題は長引けば長引くほど厄介なものである。

 なにより、僕は先生に解決できるといってしまったのだ。もしも、今日の放課後までに解決できなければ、おそらく両方ともの呼び出しだろう。そこでケンジくんが暴力を振るったことを先生から叱られ、僕に謝ることになるだろう。それはおそらく間違いないと思う。
 だが、先生から強要された謝罪に意味はないだろう。その場では取り繕えるかもしれないが、本人が謝る気持ちがなければ意味がない。むしろ、先生という強者による強要では、僕に対する憎悪が増える可能性だって考えられる。そうなると早期解決はきっと不可能になってしまう。
 だから、僕は昼休みという時間に話をするためにケンジくんを探していた。

 彼の姿は、中庭にあった。手に持ったサッカーボールをぽんぽんと校舎の壁に向かって一人で蹴っていた。上手いことに、蹴ったボールは壁に跳ね返りながらもしっかりとケンジくんの足元に戻ってきていた。

 だが、彼のボール捌きを見ているだけで昼休みが終わってしまっては元も子もない。

「ケンジくん」

 僕は一歩踏み出して、ボールを蹴っているケンジくんに声を掛けた。
 ケンジくんは僕に気づいているのか、気づいていないのか、ボールから視線を外さない。だが、僕が声を掛けた後、跳ね返ってきたボールを蹴り上げて、手におさめるとようやく視線をこちらに向けてきた。

「なんだよ」

 不機嫌ということを押さえようともせず憮然とした態度で僕に返答するケンジくん。
 彼の心情も理解できる。昨日殴った人間が、躊躇もなく声をかけてきたのだから。何かあるんじゃないか、と疑ってかかるのは当然だ。

「どうして、仲間外しなんてしたの?」

 いきなり切り込んでみた。僕にはケンジくんがどうして仲間は外しなんて真似をしたのか理解できなかった。
 少なくとも2年生の頃は1年生や3年生の先輩たちと一緒にサッカーで遊んでいたはずだ。つまり、クラスメイト以外ともサッカーで遊ぶことを彼は許容していたはずだ。だが、3年生になってこの様変わり。僕には理解できなかった。だから、問う。

 ケンジくんからしばらく答えがなかった。だが、何かを思ったのか口を開いてくれた。

「お前に関係ないだろ」

「いや、あるよ。僕はそのせいで殴られたんだから」

 僕はことさらにガーゼの部分を強調して見せた。
 それが、彼の反感を買ってしまったのか、ちっと小さく舌打ちをして、ようやく答えてくれた。

「むかついたんだよ。あいつら小さいし、下手だし、遅いし」

 それは下級生の子たちだろうか。だが、それは当たり前だ。つい最近まで幼稚園に通っていた子達と僕たちを比べるにはあまりに無謀。下手なのは当然だ。むしろ、彼らは僕たちと遊んでいく上でだんだん上手になっていくのではないだろうか。ケンジくんだってその中の一人だったはずだ。

「ああ、そうだよ。お前の言うことはいちいちむかつくな」

 僕がその旨を伝えると、なぜかケンジくんは激昂してしまった。今にも僕に掴みかかってきそうだ。

 ああ、これが先生の言っていたことか、とせっかく先生に忠告されたのに無駄にしてしまったな、と思った。

「僕のことは置いといて……楽しくないでしょう? 一人でボール蹴っても」

 ポツンとボールに視線を落とすケンジくん。
 もしも、僕が先輩から話を聞かなければ、僕が介入しなければ、きっと今日もケンジくんはこんなところで一人でボールなんて蹴らずにクラスメイトたちとサッカーに興じていたことだろう。
 それを僕が台無しにした。ケンジくんは、今は一人だ。自分を慰めるようにサッカーボールを蹴っているが、何の解決にもならない。

 ケンジくんからの返答はない。つまり、沈黙が肯定を意味していた。

「きっと、下級生の子たちも同じ思いをしたんだろうね」

 スポーツは基本的に多人数が集まらないと面白くないゲームだ。5人対5人のフットサルといわれるゲームもあるが、面白さは、多人数のそれには及ばない。

「だからさ、こんなところで一人でボールを蹴ってないで、一緒にサッカーしようよ」

 僕の誘いにケンジくんは無言。何かを考えているのかもしれない。だから、僕は何も言わずにケンジくんが何かを言うのを待っていた。
 どれほどの時間を待っただろうか。だが、そんな長い時間ではなかったように思える。ようやく彼は口を開いた。

「でも、どうやって入れてもらうんだよ。昨日の今日だぞ」

 なるほど、確かに昨日は敵対した僕たちだ。いきなり一緒にサッカーをやろうといわれても困惑するだろう。
 だが、解決策がないわけではない。この答えを導き出したケンジくんなら難しい話ではないだろう。

「簡単だよ。一言でいいんだから」

 ―――ごめんなさい。

 謝るときに使う言葉。おそらく、これだけで事態は解決するはずだ。

 結果だけを言うなら、僕たちは昼休み一杯、グラウンドを駆け回り、ボールを追い回したのだった。



  ◇  ◇  ◇



 放課後、先生にケンジくんとの結末を話し、いつものように今は廊下でなのはちゃんを待っていた。

 第二学級の担任先生が出てきた直後に後を追ってきたかのように飛び出してくるなのはちゃん。

「ショウくん、お待たせっ!!」

 昨日はぐっすり休めたのだろう。一昨日見たような青白い顔ではなく、安心できるような笑みを浮かべ、元気一杯に見えた。

「いや、そんなに待っていないよ」

 僕は、なのはちゃんの様子に安堵しながら、いつものように答える。いつもなら、それじゃ、行こうか、と下足場に向かうのだが、なのはちゃんの視線が僕から外れていなかった。いや、正確にいうと僕のある一点を凝視していた。
 その視線の先を追ってみると、僕のガーゼに視線が向けられていることに気づく。

「ショウくん、そのガーゼ、どうしたの?」

 先ほどまで浮かべていた笑みが消えて、心配そうに聞いてくるなのはちゃん。

「ああ、えっと、ちょっとね」

 流石に殴られた跡だとはいえなかった。

「ちょっと?」

 だが、なのはちゃんは僕の曖昧な答えでは見逃してくれないみたいだった。追求するような声で僕に再度問いかけてくる。お茶を濁そうとしても無駄なようだ。はっきりといわなければ、なのはちゃんは納得しないだろう。僕はお手上げだといった感じで、観念して正直に話すことにした。

「昨日、ちょっと喧嘩になっちゃって、殴られたんだよ」

 できるだけ大げさにならないように軽く笑いながら言ったのだが、僕が事実を口に出した直後、なのはちゃんの表情が無表情に変わっていた。

「だれと?」

「え?」

「だれと喧嘩したの?」

 それは、なのはちゃんが僕に見せる初めての感情だっただろう。おそらく、その中身は怒りだと思う。アリサちゃんが烈火のごとく怒り狂うのだとしたら、なのはちゃんは真逆、その怒りを胸のうちに収めて、表面上は穏やかな水面のように無表情になっている。
 どちらが恐ろしいという話ではない。強いて言うなら両者とも危ういというべきだろう。このまま正直にケンジくんの名前を出せば、朝のアリサちゃんのようにケンジくんに喧嘩を売りに行くことは間違いないように思えた。

 僕は慌てて先ほどの発言を取り繕う。

「大丈夫だよ。もう、お互い解決したし、謝ってもらったし、もう大丈夫だから」

 昼休みが終わった後、ケンジくんが僕の隣に立つと、ぼそりと悪かったな、と告げてくれたのだ。僕としては、皆に謝罪した時点で僕の謝罪に関しても終わっていると思っていたので、それで手打ちとなっている。当然、先生にもそれで報告している。
 だから、ここでなのはちゃんに波風を立たせるわけには行かないのだ。

 少しの間、なのはちゃんは無言だった。何かを考え込んでいるようにも見えるが、やがて、顔を上げると彼女の顔は無表情ではなく、最初の笑みを浮かべていた。

「うん、ショウくんがそう言うなら」

 よかった、どうやら彼女は納得してくれたようだった。
 もし、あのままだったら、本当にどうなったか分からない。今回はなのはちゃんの物分りのよさに助けられた形だ。

「よかった。それじゃ、今日も頑張っていこうか」

「うんっ!」

 僕たちは、外へと駆け出す。未だ見つからない残り16個のジュエルシードを捜し求めて。



 続く

あとがき
 正直、今回は、アリサの「親友の廃るわっ!」となのはの「ショウくんがそう言うなら」を言わせたかっただけです。
 今回も裏はあります。次回は、ようやくあの子が登場の回です。



[15269] 第十四話 裏
Name: SSA◆ceb5881a ID:de8c662e
Date: 2010/03/26 23:18



 アリサ・バニングスは、朝から落ち着かなかった。

 朝のスクールバスの中で一緒になっている親友の月村すずかと話しながらも視線は時々、教卓のやや上方に設置されているアナログ時計へと向けられる。時刻は始業のチャイムが鳴る八時半よりも十分前。それを確認した後、視線をまた下方へと戻し、ある一点へと向ける。
 アリサが視線を向けた席は無人だった。その席はアリサのもう一人の親友である蔵元翔太の席だ。彼がこの時間になっても登校してないことは珍しい、いや、初めてではないだろうか。
 アリサが知る翔太は決して時間に遅刻しない。待ち合わせのときも十分前に集合場所に来ていることが常だ。そんな彼は、学校へは、始業の十五分前までに来ていることが常である。それにも関わらず、今日はまだ来ていない。

 少しだけ翔太のことが心配になる。

 もしかして、風邪を引いたのだろうか。もしかしたら、登校の途中に事故にでもあったのだろうか。気が気ではない。後、5分しても来なかったら携帯に電話をかけてみよう。

 すずかと話しながらも頭の隅でそんなことをアリサは考えていた。

 だが、アリサの心配は杞憂に終わったようだ。始業の5分前に教室に姿を現したのは聖祥大付属小学校の男子の制服に身を包まれたよく見慣れた翔太の姿だった。しかし、いつもどおりの制服姿で現れた翔太だったが、ある一点だけがいつもの、いや、最後に彼の姿を見た昨日の姿とは異なっていた。

 まるで、周りからの視線を隠すように張られた口元のガーゼだ。

 ―――怪我でもしたのかしら?

 しかしながら、肘や膝なら分かる。翔太はサッカーが好きで放課後などもクラスメイトたちとボールを追いかけている姿をよく見ていたから。スポーツに擦り傷など常のつき物だ。学年一番の成績を誇る彼とて例外ではない。いや、学力と体力は別物だ。実際、翔太の体力自体は、平均に勝らず劣らずなのだから。

 さて、それはともかく、翔太のガーゼを気にしたのは、アリサだけではなかった。翔太のガーゼを見たクラスメイトたちが、今まで自分が話していた友達たちと原因について話し合う。

「ショウくん、怪我したのかな?」

 親友のすずかもやはり翔太の状態が気になるのか、心配そうな表情でアリサに聞いてくる。アリサに聞いても、翔太が怪我をしたという事実はアリサもつい先ほど知ったのだから分かるはずがないのだが。
 分からないのなら直接聞けばいい。そう思って席を立とうとしたアリサの耳にある情報が入ってきた。

「ショウくん、昨日、賢治のヤツに殴られてたけど、大丈夫っ!?」

 ―――その事実を耳にした瞬間、アリサの心は瞬時に怒りで沸騰した。

 翔太が殴られた。これだけで、アリサは自分の心が自分の支配下から外れたのを自覚した。そして、その支配を無理矢理自分の支配下に戻そうとも思わなかった。

 周囲から孤立していた自分をきちんと見てくれたたった二人しかいない親友が殴られたのだ。それを許せるはずがない。ここで怒らなければ、一体、いつ『怒り』という感情を爆発させればいいのだろうか。だから、アリサは自分の中で爆発した怒りに従い、まずは事実を確認するために翔太に詰め寄った。そのぐらいの理性は残っていたようだ。後ろですずかが何かを言っているがアリサの耳には聞こえていなかった。

「ショウっ! ケンジってヤツに殴られたの!?」

 一体、自分はどんな人相をしているのか、そんなことに気遣う余裕はなかった。ただ、アリサの表情を見て、翔太が怯んだところを見ていると、どうやらアリサの表情は『怒っています』という感情を余すことなく表現しているようだ。
 そして、彼は、何かを諦めたようにはぁ、とため息を吐いて、実に答えたくなさそうに「そうだよ」と答えた。

 ―――よしっ! 言質はとった。

 それだけ聞ければ満足だった。後は賢治ってヤツに制裁を加えれば、終わりだ。翔太の性格から考えるに一方的に殴られただけなのだろう。彼が殴り返す姿なんて想像できない。だから、殴れない翔太に代わって自分がやりかえすのだ。かのハンムラビ法典にも書かれている。『目には目を、歯には歯を』と。ならば、ここで翔太に代わって賢治を殴りに行くのは決して間違いではない。

 ―――あたしの親友に手を出したことを後悔させてやるんだからっ!!

 アリサの怒りは見ているだけの周囲からはとても想像できないほどだった。

 自分の容姿が原因で距離をとられていた幼少時代。それが続くと思っていた小学生時代。だが、その想像はたった二人しかいないが、親友たちによってまったく別物へと変化した。また、一人で過ごすと思っていた小学生時代は、二人しかいないけれども、親友がいる実に充実し、楽しい日々を過ごせるようになったのだ。ならば、そんな日々を与えてくれた親友が傷つけられたのだ。アリサの怒りは計り知れないものだった。

 だが、アリサの意気込みは、その敵を討とうとした本人によって挫かれることになる。

 教室を飛び出そうとしたアリサの手首を翔太が掴んだからだ。

 手首から感じられる人の温もりで少しだけアリサは冷静になる。そうやってようやくアリサは翔太が少しだけ困った表情をしていることに気づいた。だが、気づいたところでアリサの怒りが完全に収まったわけではない。だから、決して翔太に向かって怒っているわけではないのに、つい強い口調で問うてしまった。

「なによっ!!」

「どこにいくの?」

 翔太の口から出てきた疑問。それはアリサに言わせて見れば愚問だった。だが、翔太は本当に分かっていなさそうだった。

 ―――ああ、そうだ。ショウはこんなヤツだった。

 一年生のときからそう。自分が貶められようが、八つ当たりされようが、柳の葉のように受け流してしまう。今も殴られた張本人だというのにきっと殴られたこと自体は何も思っていないのだろう。それは、彼が誰かを憎むということが苦手なのか、暴力が嫌いなのかアリサには分からない。だが、だからこそ、代わりにアリサが立ち上がるのだ。

「決まってるじゃないっ! そのケンジってヤツのところよっ!!」

 啖呵を切るアリサだったが、翔太はそれを呆れたような表情で受け止め、アリサの行動を否定するように首を左右に振った。

「ダメだよ。これは、僕とケンジくんの問題なんだから」

「あんたの問題なら、あたしの問題よっ! ここで動かなかったら親友として廃るわ」

 そう、翔太が言うことは正論だ。確かに、殴ったのが賢治で、殴られたのが翔太ならば、加害者と被害者でアリサは何も関係ないただの第三者だ。
 だが、だがしかし、自分の大切な親友が傷つけられたのだ。それを見て、何もせず二人の問題だからと手を出さなければ、それは本当に親友を名乗る資格がなくなってしまう。少なくとも、アリサ・バニングスはそう考える。

 翔太とアリサ、お互いににらみ合う時間が続く。だが、不意に翔太が安堵するかのようにアリサの手首を掴んだ手の力を緩め、安堵の息を吐いた。アリサがなんで? と思う前に答えはすぐにアリサの耳に入ってきた。

 始業のチャイム。さすがにこれを無視して隣のクラスに行くわけにはいかない。アリサが動かなくて安心している翔太を余所に、アリサは、悔しげに唇をかむしかなかった。



  ◇  ◇  ◇



「まったく、男の子って単純ねっ!!」

「まあまあ、アリサちゃん。仲直りできたんだからよかったじゃない」

 アリサがあまりの状況に頬を膨らませて怒るのに対して、彼女を宥めるすずか。もっとも、アリサの怒りは、朝のものと比べれば格段に些細なもので、もっと意図的に解釈すれば、拗ねていると言い換えてもいいのかもしれない。

 アリサが拗ねる原因は彼女たちがお昼のお弁当を食べていた屋上から見える景色に関係している。彼女たちがいる場所からはグラウンドがよく見えていた。昼休みも半分ほど過ぎた今、グラウンドでは男子と少しの女子がサッカーに興じていた。小さい子も大きな子もみんな入り混じってだ。
 その中にはアリサとすずかの親友である翔太も当然混じっている。それだけなら、アリサはこんな風に拗ねていていない。彼女が拗ねている原因は、翔太がサッカーに興じていることではないのだ。翔太と一緒にサッカーに興じている同級生が問題だった。

 ―――佐倉賢治。

 昨日、跡が残るほど強く翔太を殴った人物だ。翔太たちがサッカーに興じている中に昨日喧嘩したはずの彼も混じってボールを追いかけているのだ。今朝の段階では、まだ仲直りなどしていない風だったのに。昼休みの短時間で彼らは仲直りしてしまったらしい。
 これでは、朝、憤慨したアリサの立つ瀬がない。確かにすずかの言うとおり仲直りできたことは、良いことなのかもしれないが。しかし、これでは、意味がないのだ。

 ―――ようやく、あたしがショウのためにしてやれることができたのに。

 アリサの最近の不満はそこだった。
 蔵元翔太は、基本的になんでも一人でできてしまう。勉強もクラス内での立ち回りも今日のようなことも。アリサにとって親友とはお互いに無条件に助け合える仲のようだと思っている。だが、アリサは翔太に孤独から救ってもらった。ならば、アリサは翔太に何ができている。そう問いかけても答えは返ってこない。せいぜい、一週間に二回程度の英会話だが、それでは、翔太から与えられたものと等価とは思えない。

 要するにアリサは翔太のために何かがしたかったのだ。

 今回はその絶好の機会だと思ったのだが―――

「やっぱり一人で片付けちゃうんだから」

 アリサの呟きは屋上から風に運ばれフェンスの向こう側へと消えていった。



  ◇  ◇  ◇



 高町なのはは、ようやく出会えたというのにそれに水を差すような翔太の顔に困惑していた。

「ショウくん、そのガーゼ、どうしたの?」

 翔太の前では笑っていたいのに、翔太の口元に張られたガーゼがすごく気になった。ガーゼを張っているということは口元に怪我をしたということだ。その理由になぜか、すごく嫌な予感がした。

「ああ、えっと、ちょっとね」

 まるでなのはの嫌な予感を裏付けるように曖昧に誤魔化す翔太。その表情でなのはは自分の嫌な予感が的をいていることを確信した。だから、翔太に嫌われるとか嫌われないとか考える前につい問い詰めるような声でさらに問いかけてしまった。

「ちょっと?」

 しまった、と思ったときには既に遅い。これで、翔太が誤魔化したのだからなのはには聞かれたくないことだったに違いない。それなのに自分は踏み込んでしまった。ああ、しまった。どうしよう、どうしよう、と半ば混乱したような思考がなのはの中に走る。

 だが、なのはの心配は幸いにして杞憂だったようだ。特に翔太はなのはの発言を気にするようなことはなく、やや気まずそうに頬をかいただけで、嫌悪感を示すことなく口を開いた。

「昨日、ちょっと喧嘩になっちゃって、殴られたんだよ」

「え?」

 翔太の発言が信じられなかった。

 ―――ショウくんが喧嘩? 殴られた?

 それは、なのはにとってとても信じられないことだった。
 蔵元翔太はなのはにとって理想である。あの翔太を追っていた一年生の頃も翔太が主体となった喧嘩など一度もなかった。喧嘩を止めるために仲裁に入るところは何度も見たことがあるが。もし、一年生の頃と同じように仲裁に入った際に負った怪我であれば、そのまま言うはずだ。ならば、やはり翔太が言うようにそれは喧嘩で負った怪我なのだろう。

 だが、翔太の言葉といえども簡単に信じることはできなかった。

 蔵元翔太はなのはの理想で友達で、人に責められるようなことは決してしないからだ。ならば、喧嘩になるようなことがあるはずはない。翔太は常に正しいのだから。だが、翔太が嘘を言うとは思わない。

 思考の袋小路に入ろうとしていたなのはだったが、存外すぐに解は得られた。

 ―――ああ、そうか。ショウくんは、間違った相手に一方的に殴られたんだね。

 なのはにとって、その解にたどり着いたとき、心の底から途方もないほどの怒りがこみ上げてきた。じゅくじゅくと黒い何かがタールのようになのはの心の中を支配していくのが分かった。
 なのはにとって理想である翔太が傷つけられたことは自分が傷つけられるよりも痛いことなのだからその怒りは妥当なのものだ。初めてなのはを友人と呼んでくれた大切な人。初めて携帯電話の番号を交換してくれた大切な人。そんな翔太だからこそ、なのはの中で翔太を傷つけた人間を許さないと思う気持ちは、肥大していく。

 許さない、許さない、ゆるさない、と呪詛のように心の中で繰り返しながら、それでも表面上は醜いそれを表に出さないように気をつけながらなのははさらに問いを重ねる。

「だれと?」

「え?」

「だれと喧嘩したの?」

 翔太を傷つけた誰かをなのはは許すつもりはなかった。翔太が傷ついて、受けた痛みの数分の一を与え、翔太に謝罪させ、もう二度と翔太に手を出さないように言い聞かせるつもりだ。暴力は嫌いだが、力を振るってでも。そのための力はなのはの胸にある小さな宝石の中に宿っている。

 ―――うん、お父さんも人を護るために力を使いなさいって言ってたし。

 そう、これは翔太を護るためなのだ。翔太がこれ以上傷つかないようにするためになのはは自分が持てる力を振るうのだ。

 だが、翔太が次に告げたのは、傷つけた人間の名前ではなかった。

「大丈夫だよ。もう、お互い解決したし、謝ってもらったし、もう大丈夫だから」

 なのはは困惑した。もしも、翔太が傷つけた人間の名前を出したのならば、話は簡単だ。なのはが『お話』に行けばいいのだから。だが、翔太はその件については解決済みだという。

 さすが、ショウくん、と彼を見直す思いがある一方で、それでいいのか、と問いかける部分もある。

 翔太を傷つけるような人間だ。もしかしたら、表面上だけで反省していないのかもしれない。もしかしたら、また翔太を傷つけるかもしれない。もしかしたら、今度はもっと酷いことをするかもしれない。

 様々な不安がこみ上げてくる。

 だがしかし、翔太は既に解決しているという。ここで、なのはが翔太を疑い、問いを続けることは、翔太を信じていないということだ。万が一、そう問い返して、翔太になのはが彼を信じていないと思われ、嫌われでもしたら、事だ。
 せっかく、幸いにして昨日、翔太とずっと一緒にいられる策がなったというのに。ここで翔太に嫌われたら、小さな確率で成功した策も水の泡となり、昨日のような絶望を再び味わうことになるのか。そして、また、あの一人孤独に海を眺めるような日々に戻るというのか。
 既に翔太という友人を持つことで得た甘い蜜を吸ってしまったなのはには、その絶望は耐えられそうになかった。その絶望を再び味わうと想像するだけでも心が拒否反応を起こす。

 だから、なのはは翔太を傷つけた誰かに対する『許せない』という思いにきつく蓋をして心の底に沈めた。そして、これからの翔太と一緒にいられる時間だけを思う。それだけで、なのはの顔には笑みが浮かんでくる。

「うん、ショウくんがそう言うなら」

 そう、翔太がいうなら、この大きな思いにだって蓋をしてやる。

 翔太はなのはの答えに満足したのか、安堵の息を吐くとなのはが一番大好きな笑みを浮かべて、先を歩き出す。

「よかった。それじゃ、今日も頑張っていこうか」

「うんっ!」

 翔太の後を追って隣に立ち、歩き出すなのは。

 ――――さあ、今日もなのはの待ち望んだ楽しい楽しい時間の始まりだ。


続く

あとがき
 裏はこんな感じです。短いです。さて、今度こそ15話です。



[15269] 第十五話 裏 前
Name: SSA◆ceb5881a ID:de8c662e
Date: 2010/04/01 20:08



 高町桃子は、突然リビングに現れた娘の姿に驚いていた。
 時刻は八時。この時間は、ジュエルシードとかいう魔法の宝石探しから戻ってきて、ご飯を食べてお風呂に入って部屋に戻っている頃だ。一度、部屋に戻ってなのはが再びリビングに戻ってくることは今までなかった。
 だが、今日に限って、パジャマ姿に着替えたなのはがリビングに下りてきたのだ。

「なのは、どうしたの?」

「テレビ見に来たの」

 端的にそれだけ告げるとなのはは、リビングに設置された薄型のテレビの前に置かれたソファーにぼふんと座り、リモコンのチャンネルを上から順番に動かしていき、目的の番組に出会ったのか、チャンネルを回す手を止めた。

 今までテレビに一切興味を持たなかったなのはが興味を持った番組とは何だろう? とテレビを覗き込んでみると、そこには、司会者と数人の芸能人がクイズに答えるというありふれた番組だった。内容は、雑学一般を答えるクイズ番組だ。桃子の記憶が正しければ、この番組は結構長いこと続いているはずだ。
 しかしながら、桃子は疑問に思う。このクイズ番組は前々からあったはずの番組だ。なぜ、今更興味を持ったのだろうか。

「なのはがテレビなんて珍しいわね。どうしたの?」

「ショウくんが見てるから」

 ショウ君―――蔵元翔太。息子の恭也からの話によるとなのはの初めての友達だったはずだ。どうやら、なのはは翔太が見ているからという理由で、この番組を見に来たらしい。
 その理由を聞いて桃子も納得した。今から十年以上前の話になるが、確かに桃子も友達が見ているドラマなんかを話をあわせるために興味もないのに見ていた。おそらく、なのはの行動もその類なのだろう。

 ああ、ようやく、なのはも友達ができたのだ、と桃子は改めて実感できた。一年間家族で悩んできたことが報われたような気がした。
 だから、桃子はテレビを真剣になって見てるなのはを微笑ましく見守った後、流れてきた涙を見られないようになのはに背を向けて夕飯の洗い物へと戻るのだった。



  ◇  ◇  ◇



 週に一度は訪れる休日、西洋風の館に住む主である月村忍は、朝から不機嫌だった。
 その不機嫌さを隠すことなく、ソファーに座り、日曜日の真昼間からやっている適当なバラエティ番組を見ながらメイドであるノエルが入れた紅茶を飲んでいた。
 当然、テレビの内容など頭に入っていない。ただ、時間を潰すために適当につけたものでしかないのだから。

 彼女がここまで不機嫌になっているのは、一人の男性のせいである。その男性の名前は、高町恭也。月村忍がずっと前から懸想している男性である。彼と恋仲になるべき奔走している月村忍だったが、あの朴念仁には、中々通用しない。
 それでも、こつこつと好感度を築き上げてきた自信はある。放課後に簡単なデートに誘ってみたり、休日に買い物につき合わせてみたり。もっとも、彼の場合は、友人同士で出かける程度にしか思っていないのかもしれない。

 だが、彼を狙うほかの女の影も見えないし、ゆっくり攻略していけばいいか、と思い続けて早一年。忍からのアプローチにまったく気づかず、忍と恭也の仲は相変わらず友人というカテゴリーから外れていなかった。高校を卒業する間近になると進学してから疎遠になるのではないか、と相当焦ったが、どうにかこうにか彼との縁は繋がっている。

 普通の女なら、一年以上もアプローチを続けて気づかない男など諦めるだろう。だが、月村忍は普通の女ではなかった。彼女には高町恭也でなければならない理由があるからだ。
 そう、一年生のとき、彼の瞳を見て直感的に理解した。彼が持っている闇の深さと器量の広さを。

 ―――恭也なら絶対。

 そういう核心があるからこそ、忍は一年間も彼女の名前のごとく耐え忍んできたのだ。
 だが、そろそろ流石に蹴りをつけたい、と思い、今日に決めようと意気込んでお茶会に誘ったというのに……。

「なにが、『すまない、先約がある』よっ!」

 こんな美女の自宅に誘われておきながら、先約があるから、と軽く断わる恭也に激怒する忍だった。もっとも、彼女が知る恭也であれば、先約を反故にするような性格ではないのだが。しかし、断わるときに一瞬も迷わなかった。忍と先約、その両者を天秤に掛けることなく、恭也は、先約を選択したのだ。
 それが、女の魅力として簡単に負けてしまったような気がして、忍は不機嫌なのだ。

「ならば、お嬢様から告白されればいいのではありませんか?」

 空になったカップに新しく紅茶を注ぎながらメイド服姿のノエルが主人に助言をする。だが、メイドからの助言を主人は、「甘いわねぇ~」の一言で切った。

「女はいつだって告白するよりも、告白されるほうが好きなのよ」

 そんなものなのだろうか? とノエルは考えたが、女―――いや、それ以前に人間ですらない自分が考えたところでせん無きところだろう、と思い、考えないようにした。

 メイドであるノエルが傍に控え、主人である月村忍は紅茶を口に含む。周りから聞こえてくる音は適当につけているテレビの音のみだ。周りは殆ど月村家の私有地であり、この家にいる人間も忍とノエルを除けば、妹のすずか、メイドのファリン、そして、すずかの友人であるアリサだけなのだから。
 耳を澄ませば、忍の下の階からは、女の子特有の高い音の話し声が聞こえる。

「そういえば、今日はショウくんは来てないの?」

「はい、どうやらいらっしゃっていないようです」

 珍しいこともあるものだ、と忍は思った。月村の家でお茶会をするとき、呼ばれるのはアリサと翔太であることが殆どであるからだ。小学生だからだろうか、男女のこだわりは殆どないようだ。それが今日に限ってはアリサだけ。翔太はどうしたのだろうか。

 ―――蔵元翔太。

 忍にとっては不可解な子供である。小学生の割りに態度は、とても子供とは思えない。ちょっと生意気な子供とも違う。子供という免罪符をかざして生意気な子供が多い中、目上の人への態度をわきまえたような奇妙な子供。それが忍の翔太への認識だった。

「ねえ、ノエル。ショウくんが私たちの秘密を知ったらどういう態度を取るかしら?」

「蔵元様ですか? あの方ですか。あまり想像がつきませんね」

 不意にそう思った。忍が恭也を見たときは、すぐに彼女の秘密を受け入れてくれると理解した。それは、彼の心の底で持つ闇を直感的に理解したからだ。同族のような匂いを嗅ぎ取ったといっても良いかもしれない。
 一方で、翔太はどうだろうか。残念ながら、忍の嗅覚が翔太の異常を嗅ぎ取ることはできなかった。翔太は、少し大人びた態度を取る奇妙な小学生である一般人だ。
 だが、夜の一族である彼女たちが常に裏の世界に存在するものたちだけを契約の対象にしてきたわけではない。むしろ、一般人が大半だ。もっとも、契約にたどり着けるような一般人は極少数だが。

「さて、すずかは一体どうするのかしらね?」

 姉としては、願わくば妹が彼に秘密を打ち明けたときは、彼が笑顔で受け入れてくれますようにと思うだけである。

 さて、いよいよテレビも飽きてきた。この手のバラエティー番組は、もう少し年を得てから見るものであり、自分のような若者が見るようなものではない。その結論に至ると忍は近くにおいていたリモコンで、テレビの電源を切った。
 テレビの電源を落としてしまうと忍の周囲は本当に静かになってしまった。小さなBGMとして妹たちの笑い声が聞こえる程度だ。

 しかしながら、テレビに飽きて原電を切ってしまったのはいいのだが、これから何をしよう、と忍は思案した。
 今日は恭也に覚悟を決めさせるためのお茶会ぐらいしか本当に用意していなかったのだ。それが叶わなければ、友人が少ない忍のすることなど、大学の教科書を広げるか、最近取った免許を生かして車を走らせるぐらいしかない。

 本当にどうしたものか、と思案する忍。そこへ先ほど席を外したノエルが、少し慌てた様子で部屋に駆け込んできた。普段、冷静な彼女が慌てるなんてよっぽどだ。何かが起きたに違いない、と確信した忍は気を引き締める。

「お嬢様、侵入者です」

 冷静な従者から告げられた一言は数年に一度あるかないかの一大事だった。



  ◇  ◇  ◇



「ねえ、ノエル、あれ、何に見える?」

「私には猫に見えます」

「そうよね」

 茂みに身を隠しながら、主とその従者は呆然としたような、呆れたような顔で目の前に広がる異様な光景に見入っていた。

 彼女たちが、侵入者の知らせを受け、出てきたのは侵入者を発見した月村家が所有する裏の森。分類で言うならそこは月村家の裏庭という括りになる。なお、彼女たちは侵入者の存在を確認していたが、その姿までは分かっていなかった。

 裏の世界に両足どころか、肩ぐらいまでどっぷり浸かっている月村家には味方も多いが敵も多い。故に敷地内に無数に監視カメラが仕掛けてあるのだが、その中の一台が、今回の侵入者を映し出したのだ。しかしながら、そこに映っていたのは黒いマントと靡く金髪のみ。顔まではしっかりと判別できなかった。

 だが、分からないからといって放置するわけにもいかず、こうして忍とノエルが侵入者の対策に乗り出してきたわけだが、侵入者が映ったカメラから侵入者の進路を導き出し、その進路上であるだろうと思われる地点で待ち伏せしようと思ったところ、彼女たちは不可思議な存在に出会うことになる。

 それが先ほどの彼女たちの発言にある猫である。

 そう、猫である。犬とペットとしての人気を二分し、犬にはないクールなところと猫鍋などで知られるようになった愛らしさで人気の猫である。月村家では、ペットとして猫を飼っている。もっとも、一般家庭で飼える猫の数をはるかに凌駕したに24匹という数の猫ではあるが。

 確かに月村家で飼っている猫の数は多い。多種多様な猫がいる。
 だがしかし、今、目の前にいるような猫は見たことがない。いや、存在しているはずがないのだ。

 ―――高さ10メートルを超える木よりも大きな猫の姿など。

「一体、何なのかしら?」

「分かりません。しかし、もしも、この敷地に持ち込まれた実験動物だとしても、あの大きさをここまで運んでこられるとは到底思えません」

 裏の世界は広く深い。確かに探せば、あのような大きさの猫を作るような実験動物も存在するかもしれないが、よりにもよって月村の敷地内に持ってくるとは考えにくい。しかも、あの大きさだ。今の今まで周囲に一切悟られることがないというのは、不可能に近いだろう。ならば、あの猫はどこから現れたのか、という最初の問題になり、結局は堂々巡りになってしまうのだが。

「猫に侵入者。問題は山積みね」

 しかし、確かにあの猫は大きさが問題ではあるが、危険な行動は一切取っていない。本当に猫がそのまま大きくなったという感じで遊んでいるようにも思える。つまり、月村家には害はないと考えて良いだろう。
 ならば、やはり問題は猫よりも侵入者だ。早く見つけなければならない。万が一、家の中に侵入されたのならノエルがすぐに気づくはずだが、未だノエルから何も反応がないことを考えても侵入者は、月村の邸宅までは到達していないのだろう。ならば、この辺りにいるはずだ。

 近くの木にじゃれている猫を尻目に茂みに身を潜ませ手を顎に当てて考えている忍の網膜の端を突然光が走った。

「っ!?」

 一瞬、敵からの攻撃かと思い、さらに身をかがめて潜める忍とノエル。だが、その考えは見当違いだった。忍の目の端を横切った光は、まっすぐ飛んでいき、少しはなれたところにいる木にじゃれつく猫へと命中した。その光景を呆然と見守るしかない忍とノエル。
 一方、光が命中した猫は、「ミャゴォォォン」と悲痛な声を上げてよろめいていた。

 うわ、痛そう、と思いながらも忍は茂みに隠れたまま光が発射されたであろう方角を見る。光の斜線上である電柱の上に立っていたのは一人の金髪をツインテールにし、黒いマントを羽織った少女。忍の中に流れる異形の血は、普通の人間には見えない距離であろうともはっきりと見えるだけの視力を与えていた。忍の目に映った少女は、外見だけなら監視カメラに映った人物に似ている。

「ノエル」

「適合率99%。監視カメラに映った人物はあの少女だと断定できます」

 当たってほしくない、という希望を少しだけ乗せて全幅の信頼を置くノエルに確認を取ってみるが、返答は無情だった。どうやら、侵入者はあの少女で間違いないらしい。

「……あんな少女が」

 少女だといっても情けをかけるわけにはいかない。裏の世界には外道など腐るほどいる。年端もいかぬ少女を兵士にしたりなどまだ常識の範疇と言っていいぐらいだ。あの猫を襲っている理由は分からないが、あの猫を月村家の護衛だと勘違いしてる可能性もある。ならば、あの猫が倒れた後は月村家の邸宅を狙うだろう。

「ノエル……隙をみて一気にいくわよ」

「了解しました」

 彼女たちは少女の隙を探すことにした。

 茂みの中で少女の動向を伺う。どうやら、彼女はこちらに気づいていないようだ。いや、猫に気を取られているだけも知れないが。

 金髪の少女が手に持っている戦斧を前に突き出す。少女が何かを呟いたかと思うと、黒い戦斧の先端にまた光が集い、球となす。その光はバチバチとまるで雷のように音を鳴らしている。そして、次の瞬間、まるでマシンガンのように次々と打ち出される光。その光景は、長らく裏の世界に浸かっている月村家長女をして不可解なものだった。

 忍はあのような光を発する武器を知らない。効果から鑑みるにスタンガンに近いようなものであるのだが、あれならワイヤー式のスタンガンを使ったほうがまだ使い勝手がいい。

 効率もさることながら、あのようにスタンガンの効果を飛ばせるような武器など忍は知らない。まあ、捕まえた後にでも詳しく聞けばいいか、と細かいことを考えるのをやめた。今は、目の前の状況に集中しなければならない。

 マシンガンのような光を連続で浴びた猫はその巨体に似合わない「にゃごぉぉぉぉん」という断末魔のような声を出して、倒れこんだ。倒れこんだときに地面がずしんと揺れ、同時に何本か木が倒れてしまった。もはや、猫に意識はないように思えたが、少女は非情だった。

 電柱の上から飛び立ち、数本の木の枝を渡った後に地面に降り立つと黒い戦斧を掲げる。同時にまた眩しいほどに集う光の球。サッカーボールよりも大きな球体になったところで、少女はそれを地面に振り下ろした。

 地面にめり込んだ戦斧の先から地面を割りながら横たわった猫へと走る地割れ。その地割れが猫に到達すると、巨大な猫はまるで強力なスタンガンで撃たれたようにビリビリとその身を感電させると「みぎゃあぁぁぁぁぁぁ」という本当の断末魔を残して本当に意識を失った。

 ―――これは、死んだわね。

 猫の冥福を祈りながら、忍は少し離れた場所に無表情で立つ少女に戦慄を覚えた。妹とさほど年が変わらないはずは無表情のまま猫の命を刈り取った。さながら、その辺りに生えている雑草を刈るように。果たして教育がよかったのか、あるいは命というものを重要視していないのか。どちらにしても、本当に手加減をするわけにはいかなくなった。たとえ、人には大きすぎる力である自らの血に流れる吸血鬼としての力をすべて解放したとしても。

 忍が覚悟を決めている間にも少女は、行動を続けていた。再び天に掲げた戦斧から、一発の光が飛び出したかと思うとそれは巨大な猫の上で分散すると光の雨のように猫に降り注ぐ。もはや猫から断末魔が上がることはない。

 断末魔の代わりに猫の身体から飛び出したものがあった。蒼い石だ。その表面に何かギリシア数字のようなものが浮かんでいるのが忍の目から確認できた。しかも、驚くべきことに猫の身体も正常な大きさまで戻っていくではないか。

 少女はそれを見ると安心したように安堵の息を吐き、ゆっくりとそれに近づいていく。

 ―――もしかして、最初からこれが目的だったのかしら?

 彼女の様子を見ていると、その考えも正解のような気がしたが、この月村家の敷地内に無断で侵入した時点で少女は忍の敵だ。それに先ほどから見せている攻撃は特に脅威だ。だから、彼女に気づかれる前に手を打ちたかった。特に今は獲物を仕留めた直後だからだろう。特に気を張っている様子はなかった。

「ノエル」

「はい」

 極めて小声で忍は従者に声をかける。その声に応えて、ノエルは、ポケットから拳銃を取り出した。ノエルはそのまま狙いを少女に定めると続けて三回、引き金を引いた。拳銃から火薬を打つ特有の音はなかった。当然、サイレンサーつきだ。もっとも、それでも耳のいい種族―――忍の叔母のような人狼族の血を引いた人には気づかれてしまうだろうが。

 幸いにして彼女には、そのような特徴はなかったようだ。夜の一族としての特性が知性に発現した忍が作った特性の麻酔銃から放たれた3発の弾丸は、1発はわき腹に、1発は腕に、1発は太ももにそれぞれ命中していた。

 しかし、少女からは血は流れない。なぜなら、ノエルが撃ったのは、睡眠薬入りの麻酔銃だったのだから。一発命中すれば、十分だったのだが、念のため放った三発とも当たってしまった。裏の人間なら避けられることを考慮したのだが、彼女にその素振りはまったく見られなかった。本当に裏の人間なのだろうか。少しだけ疑問が残った。

 パタンと蒼い石を前にして倒れる金髪の少女。最後まで石に手が伸びていたのは彼女の最後の意地だろうか。だが、彼女がその意思を手にすることはなく意識は狩られてしまったようだ。

 用心しながら少女に近づくノエルと忍。近づいても気を抜くことはなかったが、完全に少女は昏倒しているようだった。

 ―――少女は本当に何者なのだろうか。

 それももうすぐ分かる。月村の邸宅の地下にはこういった侵入者用の部屋もあるのだから。そこで何日かかろうとも聞き出せばいいだけの話である。

 さて、この子を連れて帰りましょう。そう言い出す前にノエルが、忍を護るように少女と忍の間に割って入った。

「お嬢様、敵です」

 ノエルが短く更なる敵の来訪を告げる。

「フェイトぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 直後、叫びながら風を切り裂くように忍たちの目の前に現れたのは、赤い髪を靡かせ、鋭い八重歯と頭に生えた獣耳が特徴的な豊満な体格を持った女性。忍たちは彼女の容姿を見た瞬間に一瞬硬直してしまった。それが最大の隙を見せることになるにも関わらず、彼女たちは一瞬、意識を止めるしかなかった。目の前の女性が敵かどうか判断できなかったから。

 だが、その一瞬の硬直が最大の隙であり、敵に逃走の時間を与えてしまった。

 赤い髪の女性は、少女を担ぎ上げると標的であろう自分たちも蒼い石もすべてを投げ出して、逃げることを最優先させるかのように一目散に逃げ出してしまった。待ちなさいっ! と様式美のように叫んでみるが、後の祭りだ。すぐに彼女たちの姿は見えなくなってしまった。後に残されたのは、忍とノエル、子猫、そして、蒼い石だけだ。

「逃しちゃったわね」

 忍は、足元に落ちていた蒼い石を回収しながら呟く。少女が最後まで手を伸ばした蒼い石。宝石のようにも見えるが、忍には真贋が分からない。なぜ、こんなものを手にしようとしたのか。一匹の子猫を殺してまで。
 忍はそう思い、もう冷たくなっているであろう子猫に手を伸ばし、子猫の身体がまだ温かいことに驚いた。どうやら、気絶しているだけでまだ生きているようだ。

「ノエルっ! すぐに病院にっ!!」

「分かりました、お嬢様」

 周りを探査してみても、どうやら敵はもういないらしい。ノエルは、大事そうにまだ温かい子猫を大事そうに抱えて邸宅のほうへと駆け出していった。忍も蒼い石をポケットに仕舞いながらノエルの後を追う。
 しかしながら、彼女たちはなぜ、このような石に手を伸ばしたのだろうか。もっとも、彼女たちの目的が月村家の邸宅ではないということも否定されてはいないのだが。
 彼女たちが逃げた以上は、すべてが闇の中だ。唯一の手がかりは、彼女たちの容姿だけである。そして、彼女の―――特に赤い髪の女性のほうには心当たりがあった。

「帰ったらさくらに連絡を取らないとね」

 人狼族と吸血鬼の血を引く一族の中でも頂点に近い叔母の容姿を思い出しながら、忍は厄介なことにならなければいいのだが、と思いながら小さく呟くのだった。



  ◇  ◇  ◇



 月村すずかは、困惑していた。これからどうしよう? と。目の前では、親友といってくれるアリサが物珍しそうにすずかの部屋を見ている。今しばらくは、自分の部屋の物珍しさで誤魔化せるかもしれない。アリサが自分の部屋に来ることは初めてなのだから。しかし、それでも稼げる時間など十分程度のものだ。それでは到底時間は足りないだろう。

 ―――はあ、どうしてこんなときに。

 すずかは数年に一度、忘れたときを見計らってやってくるような侵入者に対して不満を漏らしていた。

 ともかく、すずかはどうにかして姉とメイドのノエルが侵入者を撃退してくれるまでの時間を稼がなくてはならない。この部屋ならば、まだ安全だが、他の部屋では危険かもしれないのだから。

 すずか付きのメイドであるファリンも今は警護に出てくれている。もしかしたら、万が一のときは自分も戦わなければならないかもしれない。そう思うと、恐怖で震えてくる。しかし、姉も戦っている以上、自分だけがこの部屋で震えているわけにはいかないのも事実だ。もっとも、今はアリサの相手が最優先事項だろうが。

「すずかの部屋って初めて入ったけど、彩が少ないわね」

「そうかな? 私が白が好きだからかな」

 すずかの部屋は基本的に白を基調としている。彼女の血筋を嫌悪する心が、彼女に穢れのない白を周りに置くことを望ませるのかもしれない。そのため、すずかの部屋はベットもクローゼットもカーペットもカーテンも小物も基本的に白だった。机は木目だったが、それだけが唯一色の付いたものである感じだ。

 だが、しかし、その部屋の中で唯一異彩を放っているものがあった。クローゼットの取っ手にハンガーで掛けてあったフリル付きの黒いワンピースだ。すずかが先日、姉と買い物に出かけたときに買った洋服だ。白が基調となっている部屋の中で、真っ黒なワンピースは目を引いた。むろん、それはアリサとて例外ではない。

 しまった、と思っても後の祭りだった。先週、一ヶ月は高町なのはの探し物に付き合うといった翔太だったが、もしかしたら、休日ならば空いているかもしれない、という思いからお茶会に誘ったときに翔太が来られるならば、着ようと思って掛けておいたのをそのままにしていたのだ。

「すずか~、この洋服どうしたの?」

 むろん、買ったのだが、それがアリサの求める答えとは思えない。すずかの私服は確かに白を基調にしたものが多い。その中でどうして、黒いワンピースを買ったのか、という問いに対する答えがアリサが求める答えだろう。

 だが、その理由をすずかの口から言えるはずもない。まさか、翔太に洋服を褒められたアリサが羨ましくて、つい買っちゃった、などと。

「えっと~」

 視線を宙に泳がせて、すずかは必死に答えを探す。しかし、そう簡単に答えが見つかるはずもない。結局、すずかの口から出てきたのは、適当にお茶を濁すような言い訳に近いレベルの回答だった。

「な、なんとなく? たまには気分を変えても良いかな、って思って」

 自分で言いながら、苦しい、苦しいと思っていた。だが、アリサは、あまり理由には興味がなかったようで、ふぅ~んと呟いただけで、すずかの苦しい言い分には突っ込んでこなかった。黒いフリル付きのワンピースをまじまじと見ていたアリサだったが、不意にすずかに視線を向けて口を開く。

「あたし、これを着たすずかが見てみたいな」

「え?」

 予想外の展開だった。しかし、拒否して先ほどと似たような質問をされるのも拙い。それならば、この場でその洋服を着ることを選ぶ。なにより、すずかもアリサの意見は貴重なものだった。自分以外だと姉の忍にしか評価してもらっていないのだから。普段、着慣れている洋服以外の洋服を着るのは、それなりの勇気が必要だ。

 だが、第三者の太鼓判さえ、あればそれなりに安心できる。だから、翔太に見せる前の前哨戦だと思い、すずかはアリサの前でその黒いワンピースに着替えることにした。

 女の子同士であるわけで、特にアリサに外に出てもらうこともなく、すずかは黒いワンピースに袖を通した。さすがに恥ずかしいのでアリサには後ろを向いてもらっていたが。もっとも、アリサはそれが気に入らないらしく不満げに頬を膨らませていた。

「い、いいよ」

 すずかの声でアリサが振り返る。すずかの洋服を着た姿を見てアリサが満面の笑みに変わる。

「わぁ~、洋服を見たときから似合うと思ってたけど、想像以上に似合ってるわねっ! 可愛いわよ」

「ありがとう」

 ここまで手放しに褒められては、女の子で親友であるアリサが相手といえども多少気恥ずかしかった。

「う~ん、やっぱり、その洋服だと普段とイメージ変わるわね」

「そうかな?」

 すずかには分からなかった。確かに今までは私服はすべて白が基調となっている。そこに突然、真っ黒のドレスワンピースを着れば確かにイメージは変わるのかもしれない。なにせ、着ている洋服の色は真逆なのだから。しかし、前哨戦と定めたアリサの評価は上々。好感触と言っていいだろう。これなら、本選である翔太に見せても大丈夫そうだ。

 ―――ショウくん、可愛いって言ってくれるかな?

 そんな風に考えながら、そろそろこの洋服を脱いで着替えようと思っていた矢先、突然ドアをノックする音。まさか、と思ったが、ノックの音は聞きなれたファリンのものだ。ドアに近づくと慎重に鍵を開け、ドアを開く。ドアを開いた先にいたのは予想通り、メイド服に身を包まれたファリンだった。その表情はやや困惑に近い。

「すずかお嬢様ぁ」

「どうしたの?」

「あ、あの高町様と蔵元様が参られたんですけど、どうしましょう?」

 ―――本当にどうしてこんな時に?

 まさかの本命登場にすずかも絶句するしかなかった。


続く

あとがき
 15話は裏表裏の三本立てです。

 今回、質問が多そうな事項をいくつか。リリカルなのはの設定は曖昧なところがあり、いくつかこの設定で行きますと設定しないと物語が書けないため。

 Q.フェイトは、結界を張らないの?
 A.アニメも映画もフェイト陣営は街中でも結界を張らず堂々と魔法を使っていました。結界を張らないのか、張れないのかは不明ですが、本作でも、結界を張らずに特攻しております。

 Q.バリアジャケットを銃で抜けるの?
 A.バリアジャケットの強度については正確な説明がないため不明。ある程度の衝撃に対する閾値によって衝撃を緩和するものと考えられる。完全に衝撃を遮断するのであれば、歩くことさえ困難、緊急時の治療に支障をきたすと考えられるため。よって本作では、麻酔銃でサイレンサーという衝撃が弱まる要素があったのでバリアジャケットの閾値を下回ったものとする。



[15269] 第十五話
Name: SSA◆ceb5881a ID:de8c662e
Date: 2010/04/02 00:05



 なのはちゃんが倒れて一週間経った。その間、僕となのはちゃん、恭也さん、ユーノくんは放課後にジュエルシードを探すために歩き回っているわけだが、最初の一週間と違って成果が全然上がらない。ジュエルシードの捜索を始めて早二週間が経過しているが、集まったジュエルシードの数は5つ。全部で21個あることを考えると約4分の1が集まっていることになる。

 後ろには時空管理局という警察のような組織があることを考えれば、後二週間無駄足になってもいいから、ジュエルシードに遭遇せずに時空管理局にバトンを渡したほうが、平穏ではないだろうか、と考えてしまう。
 もっとも、ユーノくんの話では、ジュエルシードは封印しない限り、意思のある生き物に触れ、願った瞬間に発動してしまうのらしい。ジュエルシードは、まるで不発弾のようなものだ。だから、そんな危険なものを放置するわけにもいかず、封印できるなのはちゃんが探すのをやめるといわない限り、探すのを諦めるわけにはいかない。

 そんなわけで、休日の今日も朝から僕たちは、書店で買った海鳴市の地図を片手に海鳴市を巡っていた。地図を片手にユーノくんをジュエルシードのアンテナ代わりに歩いていると、まるで海鳴市を観光しているような気分になる。子供の頃から住んでいる町ではあるが、少し足を運ばなければならない場所になると、恭也さんでさえ分からないというような場所もある。よくよく考えてみると自分のテリトリーなんていうのは意外と狭いのかもしれない。

 しかしながら、分からないから、といって探さないということはないので、今日もユーノくんを肩に乗せ、隣になのはちゃん、少し後ろに恭也さんというポジションでなのはちゃんやユーノくんと話しながらジュエルシード捜索を行っている。

 ユーノくんとは主に地球のことについて話すことが多い。文化的な違いとでも言うべきだろう。何にでも興味を持った子供のようにユーノくんは次々にあれはなに? これはなに? と尋ねてくる。ユーノくんが遺跡発掘の責任者ということを考えても、知的好奇心が強いということに異論はないだろう。

 なのはちゃんとは、主に本に関する話題が多い。最近は、少し僕がテレビに関する話などをしたせいか、なのはちゃんも興味を持ってくれたみたいで、その手の番組の話もすることが多い。後は、授業に関することだろうか。なのはちゃんは理数系に関しては、天才的と言っても過言でないほど頭が回る。聞けば、学校のテストも満点を取れることもあるらしい。ただし、その代わりと言ってはなんだが、文系教科は壊滅的らしい。

 そんな感じで、僕たちは休日といえどもジュエルシードを探していた。

 ほのぼのと三人と一匹でジュエルシードを探す今日この頃だが、実は今日、すずかちゃんたちからお茶会をやるけど、来られる? と誘われていた。もっとも、僕は最初から一ヶ月は無理だと伝えていたことから、ダメで元々のつもりだったようだが。
 僕がこうしてお茶会に誘われることは珍しいことではない。すずかちゃんの家に本を借りに行ったときでさえ、簡単なお茶会程度は開いてくれるのだから。紅茶を片手に読んだ本について雑談するなんて、なんて優雅な趣味なんだろう。しかし、残念ながら、紅茶も本も借り物という情けなさ。
 それはともかく、今回は頭を下げる形で、今日もジュエルシードを探しているのだが、ジュエルシード探しが終わった後、もし、お茶会に誘われたら、今度は手土産を持っていく必要があるだろうな、とぼんやり考えていた。

 さて、午前中は何も見つからず、近くの公園―――海鳴は適度に都会と自然の調和がとれており、自然公園が近くに結構ある―――で、なのはちゃんのお母さんと僕の母さんが作ってくれたお弁当を食べて、さて、午後からも頑張ろうか、とベンチから立ち上がろうか、というときに、不意に何かを感じた。

 奇妙な違和感というべきだろうか、どんな風に形容するべきか分からない感覚。何らかの違和感である。それは、なのはちゃんとユーノくんも感じているらしい。そして、両者ともある方向を向いて、ユーノくんが口を開いた。

「ジュエルシードが発動したっ!?」

 どうやら、今日は平穏なジュエルシード探しというわけには行かなくなったようだ。しかし、このなんと形容して言いか分からない感覚がジュエルシードが発動した感覚なのだろうか。前の神社のときは欠片も分からなかったことを考えると進歩なのだろうが、なのはちゃんたちみたいに発動した方向すら分からないような曖昧さでは、なのはちゃんに追いつくのはまだまだ無理そうである。

「どこ?」

 僕はこの近辺の地図を広げながらユーノくんに聞く。僕たちがいる場所と方向と距離を照らし合わせれば、どこで発動しているか、地図上ではっきり分かるはずである。僕が広げた地図をなのはちゃんと恭也さんも覗き込む。

「えっと、僕たちがいる公園がここで」

 僕は持っていた赤い水性ペンで丸をつける。

「ジュエルシードが発動したのは、ここからこの方向に……えっと、距離はちょっと遠いかな。翔太の家から学校ぐらいの距離かも」

 基準が僕の学校なのは、おそらく僕が授業中はユーノくんは家にいて、僕と念話で話していることを基準にしたのだろう。一週間前は、短距離しかできなかった念話だったが、一度できるようになるとコツがつかめたのか、距離だけは伸びていった。ならば、他の魔法はどうか? と聞かれると残念ながら、まだプログラムを構築している段階である。

 さて、それはともかく、ユーノくんが言うように僕の家から学校までの距離を直線で書くと―――

「大体この辺りかな?」

 僕が公園からまっすぐ線を引き、ここら辺にありそうだ、と思った場所に丸をつけると、そこは何もない空間が大きく広がっていた。街から少し離れた場所だ。しかも、そこは僕もよく知っていた。なぜなら、一ヶ月に数回訪ねるような僕の友達が住んでいる家の近くなのだから。

「……忍の家の辺りか?」

 同じく地図を覗き込んでいる恭也さんから、意外な名前が出てきた。

 月村忍さん。すずかちゃんのお姉さんだ。気さくな性格で、少し内気気味なすずかちゃんと血の繋がったお姉さんとは思えない。もっとも、姉妹と思えないのは、性格的な面だけで容姿はとてもよく似ている。

「あれ? 恭也さん、忍さんと知り合いですか?」

「ああ、俺の友達だ。君もどうして忍を?」

「僕の友達のお姉さんですよ」

 恭也さんも「ああ、すずかちゃんか」と納得していた様子だった。縁とは奇妙なところで繋がっているものだ。
 さて、それはともかく、僕も恭也さんも結論は一つに達した。つまり、すずかちゃんの家の近くでジュエルシードが発動したということだ。何が起きたか分からないが、早く行かなければならない、という思いが僕の中で生まれた。
 まだ、結界さえ張っていない状態なのだ。つまり、ジュエルシードに対する被害をすずかちゃんたちがこうむることになる。最悪の場合は、怪我だけではすまないかもしれない。それを考えると一刻も早く向かいたいものである。

 その思いは恭也さんも同じなのかもしれない。忍さんという恭也さんの友人も巻き込まれているのかもしれないのだから。僕と同じような思いを抱いてもおかしな話ではない。

「ショウ、早く行かないとっ!!」

「タクシーが早いな。大通りに出ればすぐに捕まるだろう」

 確かに、神社のときのように走って何とかなる距離ではない。むしろ、大通りならば、走るよりもタクシーのほうが早いはずである。

「行こうっ! なのはちゃんっ!」

「うん」

 どこか、少しだけ意気消沈したようになのはちゃんは頷く。一体、どうしたというのだろうか? さっきまではあんなに元気だったのに。

「なのはちゃん? どうかした?」

「ううん、なんでもないよ。それよりも、ジュエルシードを早く封印しないと」

 先ほどの意気消沈した声が嘘のように明るい声を出して、先ほどの言葉を否定する。本当ならもう少し気に掛けたいところだが、なのはちゃんが元気なら、なのはちゃんの言うとおり、確かにジュエルシードの方を優先すべきだろう。

 僕たちは、大通りでタクシーを拾って一路、月村家の邸宅へを向かった。



  ◇  ◇  ◇



 さすがに目的地を告げると車は早い。車があまり混んでいないこと、信号もあまりないことが幸いした。このまま行くと目的地までは15分程度といったところだろうか。
 早く、早くと心の中で急かすものの、僕が念じたところで車の法廷速度を変えられる変えられるわけでもないのだが、それでも念じてしまうのは人だからだろうか。だが、僕が一秒でも早く目的地に着くことを願っている最中、不意にユーノくんが驚いたように顔を上げた。

 ―――えっ!? ―――

 声に出さなかったのはさすがだろう。ただ、念話で突然送られた驚きの声は、何が起きているか分からない僕でさえも驚いてしまいそうな声だった。念話が聞こえない恭也さんは何かあったのか、といわんばかりに首を捻っている。もっとも、原因は僕のも分からないのだが。だが、その答えは僕の隣に座っているなのはちゃんからもたらされた。

「……ジュエルシードの反応が消えた?」

「え?」

 確かに言われて見ると、先ほど感じた違和感のようなものは感じなくなっている。しかしながら、消えたということはどういうことだろうか。

 ―――どういうこと? ―――

 ―――分からない。反応が消えるなんて、ジュエルシードが封印されたとしか考えられないけど―――

 ―――でも、なのはちゃんは隣にいるよ―――

 おそらく、地球上で唯一ジュエルシードを封印できるはずのなのはちゃんは僕の隣に座って、なぜか酷く焦っているような表情をしていた。突然、ジュエルシードの反応が消えたのだ。焦るのも分かるような気がする。

 ―――そうだけど……。でも、反応が消えたってことは、それぐらいしか考えられないんだ―――

 ―――あるいは、ジュエルシードを封印できる誰かがそこにいたか、ってことかな? ―――

 むろん、その場合は、誰が? という話になってくる。なのはちゃんはここにいる。そして、この街では、僕となのはちゃん以外は魔力を持っていないことを確認している。ならば、外から来たとしか考えられない。そこから導かれる解は一つだ。

 ―――時空管理局の人ってことは考えられない? ―――

 ユーノくんの予想では、三週間後という予測だったが、もしかしたら、早く来ることができて、来た瞬間に偶然発動したジュエルシードを僕たちよりも早く封印したとは考えられないだろうか。今のところ、僕の中で一番しっくり来る説はそれなのだが。

 だが、ユーノくんは首を左右に振って僕の考えを否定した。

 ―――それはないと思う。時空管理局の人なら、ジュエルシードに対して結界を張らないということはないから―――

 ユーノくんの話によると地球は、第九十七管理外世界と呼ばれ、魔法文明がない管理外の世界らしい。そこで、魔法を表ざたにすることは通常禁止されている。つまり、時空管理局の名前を背負っている人が魔法を表ざたにする切欠になるようなジュエルシードをそのまま対処するとは考えられないということらしい。

 しかし、そうなると、結論を出すことはできない。ユーノくんはここに一人で来たと言っていたことを考えると、ユーノくんのお仲間ということも考えられないだろうし。

 ―――ここで考えても仕方ないよね。とりあえず、行ってみよう―――

 仮説ならいくらでも立てられる。しかし、いつだって事実は一つなのだ。後、5分もすれば、目的地に着くのだからタクシーの中で考えても仕方ない。むしろ、ジュエルシードの暴走が止まって幸運だった、ぐらいには考えておこう。

 タクシーは僕たちを乗せて目的へと走るのだった。



  ◇  ◇  ◇



「この辺りで間違いない?」

「うん、この向こう側だ。間違いないよ」

 確認のためになのはちゃんに視線を向けてみるが、なのはちゃんもユーノくんと同じ意見なのだろう、コクリと頷いて肯定の意を示した。

 タクシーで月村家の近くまで送ってもらった僕たちは、そこから歩いて月村家の門の前まで歩いていった。そこで改めてユーノくんに反応の有無を確認してもらったのだが、ジュエルシードの反応はやはりなし、ただ痕跡というか、発生したであろう場所は月村家の邸宅の奥に広がっている森で間違いないようだ。

「さて、どうしたものかな?」

 その場で、僕らは頭を捻った。

 幸いにして、この家は、僕にはすずかちゃん、恭也さんには忍さんという友人と呼べる知り合いがいる。つまり、中に入ることは簡単なのだ。問題は中に入った後だ。当然、訪問するからには理由がいるだろう。しかし、まさか、率直に「魔法の石がお宅の森で発動したので確認させてください」とはいえない。だが、誤魔化すにしても森の中に立ち入るだけの理由が必要だ。ある程度不自然ではなく、森の中を自由に捜索できるような理由。

「う~ん」

 なのはちゃんも、恭也さんも、ユーノくんも必死にどうやって森の捜索許可を貰うか考えてくれている。だが、妙案というものは得てして考えるものではなく、閃くものである。そして、今回ひらめいたのは、なのはちゃんだった。

「ね、ねえ、ショウくん」

「なに? 何かいい案がある?」

「う、うん、あのね、ユーノくんが逃げたことにするのはどうかな?」

 僕と恭也さんの視線がユーノくんに集まる。突然、名前が出てきたことに驚き、僕たちの視線を受けて二度驚いているユーノくん。なるほど、僕はいつもユーノくんと喋っていたから、案として出てこなかったが、ユーノくんは傍目から見ればフェレットである。つまり、動物だ。動物は得てして気ままなもの。偶然、逃げ出して、すずかちゃんの家の庭に行ってしまっても仕方ないということか。

 僕たちは、ユーノくんがコミュニケーションが取れる動物だと知っている。だが、すずかちゃんたちはそれを知らない。ユーノくんも普通の動物だと思っているだろう。ならば、確かになのはちゃんの案は十分通用するだろう。

「うん、いい案だと思うよ。僕には思いつかなかったよ」

「えへへ」

 可愛く照れ笑いを浮かべるなのはちゃん。

 本当に言われて見るとすごい案のように思える。これならば、先にユーノくんが森の中にはいって捜索しても不自然ではないからだ。一人になるよりも当然早いだろう。もっとも、逆に懸念すべきことは、ジュエルシードを封印したであろう魔導師のことだが、もし遭遇したとしてもユーノくんは転送魔法が使えるらしいので先行する人物としては最適だろう。

「よし、それじゃ、ユーノくん。そういうことで頼めるかな?」

「うん、分かったよ。何かあったら念話で連絡するからよろしくね」

 こうして、ユーノくんは上手に壁を駆け上がって月村家の裏庭へと姿を消した。

「さて、僕たちは、表門から行こうか」

 恭也さんとなのはちゃんを促して僕たちは、表門についたインターフォンの前に立つ。僕と恭也さん、どちらがボタンを押すか話し合ったが、この場合は、飼い主である僕だろう、ということで僕がインターフォンを押した。
 インターフォンに出たのは、いつものノエルさんではなく、すずかちゃん付きのメイドであるファリンさんだった。僕は、すずかちゃんにフェレットのユーノくんが逃げたので捜索する許可を貰いに着た旨を告げた。

『今、お嬢様に聞いてきますから、少々お待ちくださいね』

 プツッとインターフォンが切れて、待たされること数分、門の向こう側に見える大きな西洋風の左右両方が開く扉の片方をあけて出てきたのは、ファリンさんだった。少し足早に門の前まで来ると、僕たちがいる反対側から小さな門を開けてくれた。

「ようこそいらっしゃいました、蔵元様、高町様、えっと……」

 僕と恭也さんを見て頭を下げるファリンさん。最後に言い淀んだのはなのはちゃんだ。そういえば、なのはちゃんは、この家に来るのは初めてなんだ。ファリンさんが知らないのも無理はない。

「ああ、こっちは、俺の妹のなのはという」

「そうですか、私は月村家でメイドをやっておりますファリン・K・エーアリヒカイトと申します。ファリンとお呼びください」

 頭を下げるファリンさんになのはちゃんは僕の後ろに隠れて、少しだけ顔を出しながらコクリと頷いた。
 それでファリンさんは満足したのか、「こちらです」と告げて、僕たちを先導し始めた。僕たちはそれに続いて歩いていく。僕や恭也さんにしてみれば、いつものことなので特に興味を引かれるものはなかったが、なのはちゃんはこんな大きな家を見るのは初めてなのか、キョロキョロと辺りを見渡していた。その仕草に最初に来たときの僕を思い出すようで苦笑してしまう。

「珍しい?」

「え、う、うん、大きいなって思うよ」

 確かに大きい。しかし、大きさだけで驚いていたなら中をじっくり見たらもっと驚くだろう。僕だって、曲がった階段やシャンデリアなんて海の向こう側の家にしかないものだと思っていたぐらいなのだから。

 やがて、左右両開きの扉の前までファリンさんに案内される。すると、ファリンさんが扉に手をかける前に自然と扉が開いた。

「えっと、いらっしゃい、ショウくん」

 扉を開けた向こう側から少し恥ずかしそうに出てきたのはすずかちゃんだった。

 だが、僕はいつもなら「こんにちは」と返すはずの返事を忘れてしまった。理由は、すずかちゃんが着ている洋服だ。僕のイメージでは、彼女が着ている服は白が殆どだ。少し色がついていたとしてもクリーム色だとか、比較的明るめの色が多かったように思える。だが、ここに来ていきなりそのイメージとは真逆の真っ黒でところどころ白いフリルがついた可愛らしいワンピースで現れたのだから、言葉を忘れても仕方ないと思う。

 本当に女の子は、服装一つ、髪型一つでイメージががらっ、と変わってしまうものである。いつもの洋服なら清楚な感じのイメージが強かったすずかちゃんだったが、黒い洋服はすずかちゃんの夜を流し込んだような黒髪と相まって小悪魔のようなイメージを髣髴させる。

 どちらにしてもすずかちゃんによく似合っていることには変わりない。だから、僕はそれを素直に口に出す。こういうときは、褒めるものだと相場が決まっているのだから。

「初めて見る洋服だけど、よく似合ってるね。うん、可愛いと思うよ」

「あ、ありがとう」

 恥ずかしそうに頬を染めるすずかちゃん。初々しいな、と思う一方で、すずかちゃんのことばかりに構っていられないのも事実だった。

「それで、話は聞いてるかな?」

「うん。聞いてるよ。ユーノくんが逃げちゃったんでしょ?」

 どうやら、ファリンさんから話は上手いこといっているようだ。

「うん、だから、庭を探させてもらいたいんだけど」

「ごめんなさい。今、森には入れないの」

 すずかちゃんの答えに思わず驚いてしまった。すずかちゃんは理由もなく断わるような女の子じゃない。てっきり快諾してくれるものだと思っていたからだ。

「なんで?」

「えっと―――」

「あら、ショウくんじゃない」

 すずかちゃんが理由に言いよどんでいるときに助け舟のように現れたのは、庭の森のほうから現れた忍さんだった。彼女はいつものようにラフな格好で、シャツにジーパンだった。しかし、すずかちゃんが、森に入れないといった理由は忍さんが森にいたからだろうか。

「忍」

「恭也も? 一体、どうしたの?」

 どうやら、ここからは役者を交代したほうがよさそうだ。僕は恭也さんと目配せすると、説明の要員を交代した。恭也さんが忍さんに事情を説明してくれる。恭也さんから説明を聞いた忍さんは俯いて少し考え込んでいたが、やがて顔を上げて口を開いた。

「分かったわ。私の指示に従うなら、捜索してもいいわよ」

 なるほど、もしかしたら、森には月村家の何かが隠してあるのかもしれない。部外者には見せられないものや蔵のようなものがあるのかもしれない。それらに触れてもらいたくないのかも。ならば、すずかちゃんが拒否したのも分かる理由だ。

 どうする? と目で聞いてくる恭也さんに僕はコクリと頷いて肯定を示した。本来の目的であるジュエルシード捜索は忍さんがいてもできるかもしれないし、本命はユーノくんが向かってくれているはずだ。森の中を歩けるだけでも御の字だろう。

「それじゃ、頼めるか?」

「分かったわ。来るのは、恭也とショウくんと……」

「俺の妹のなのはだ」

 忍さんもなのはちゃんと顔を合わせるのは初めてだからか、なのはちゃんを見て首をかしげたため、恭也さんが忍さんに紹介する。

「そう、なのはちゃんでいいのね?」

「ああ、よろしく頼む」

 こうして、僕たちはすずかちゃんとファリンさんに見送られて森に向かった。



  ◇  ◇  ◇



 ―――ユーノくん、そちらの状況はどうだい? ―――

 森を歩きながら、僕は先に向かっているはずのユーノくんに念話を送った。

 ―――ショウ? やっぱり、管理局の人間じゃない。外部の人間だ―――

 ユーノくん曰く、森の中で戦闘の跡を見つけたそうだ。地面が抉れ、木が何本か倒れているらしい。ジュエルシードが発動した方向とも合っているし、ここでジュエルシードを封印するために戦闘が起きたことは間違いない。だが、ジュエルシード自体は持っていかれたのか、見つからないようだ。

 ―――ジュエルシードの反応はないの? ―――

 ―――ないよ。よほど強固に封印されたのか、微塵も感じないよ―――

 ユーノくん曰く、封印には強度があるらしい。ここに来る前はユーノくんが自分で封印を行った。ただし、ユーノくんの魔力で封印した場合は、個人でもジュエルシードの反応が追えるほどの魔力を感じられるらしい。だが、一方で、なのはちゃんの魔力で封印した場合はどうか。答えは、微塵も魔力を感じないほど強固に封印が可能らしい。こうなると、時空管理局が持っているサーチ専用の機械を使っても無理らしい。だから普通は、探知機などをつけるらしいが、今回のジュエルシードにはついていない。

 しかし、そうなると大変な事実が判明してしまった。

 ―――相手は、なのはちゃんほどの魔力を持った魔導師? ―――

 これもユーノくんに聞いた話だが、どうやらなのはちゃんが持っている魔力というのは、かなり強いものらしい。管理世界を見ても稀有なほどに。そんななのはちゃんと同等の魔力の持ち主が相手。しかも、まったく素性の知れない魔導師だ。
 ジュエルシードだけでも頭が痛い問題なのに、それを手に入れようとする時空管理局以外の第三者登場か。

 ―――どちらにしても、もうジュエルシードがないんじゃ仕方ないね。一度、合流しようか―――

 ―――分かった―――

 案内してもらっている忍さんには申し訳ないが、こちらの都合でフェレットのユーノくんとは合流してもらおう。

 やがて、森を案内してもらっている最中に適当なところで、ユーノくんに顔を出してもらい、僕たちを合流した。忍さんは素直によかったね、と言ってくれたが、忍さんの笑顔が胸に痛い僕だった。



  ◇  ◇  ◇



 僕たちが森から出て、月村家の玄関まで出てくると既に太陽が山の向こう側に沈みかけ、紅色の光を発していた。

「忍さん、ありがとうございました」

「きゅー」

 ぺこりと僕とユーノくんが頭を下げる。このお礼には、許可をくれてありがとうという意味とわざわざ付き合ってくれてありがとうという二つの意味が込められている。本当なら忍さんにこんな面倒をかけなくてもよかったのだが。

「あら、ショウじゃない。ユーノは見つかったの?」

 丁度、タイミングを見計らったように出てきたのはアリサちゃんとすずかちゃんだった。すずかちゃんは先ほどの洋服から着替えて、いつもの服に戻っていた。

「ああ、アリサちゃんも来てたんだ」

 そういえば、今日はお茶会とか言っていたようなきがする。なら、僕が来たことで邪魔しちゃったわけか。申し訳ないことをしたものだ。

「一応、あんたも誘ったお茶会だったからね。それよりも、あんたの後ろにいるのは誰よ?」

 アリサちゃんが僕の後ろ……つまり、先ほどから着いてきているなのはちゃんを指差す。なのはちゃんはアリサちゃんの元気のよさに押されてか、僕の後ろに隠れるようにしていた。

「ああ、彼女は、僕の友達で、話していた一緒に探している高町なのはちゃん」

 なのはちゃんをアリサちゃんたちに紹介する。だが、一方的じゃ、不公平だろう。だから、僕はアリサちゃんたちもなのはちゃんに紹介する。

「そして、彼女たちは僕のとも―――親友のアリサ・バニングスちゃんと月村すずかちゃん」

 僕が途中で友達と言いかけたのだが、アリサちゃんの鋭い視線が飛んできたため、急遽言いなおした。どうやら、僕の言葉は間違っていなかったらしく、アリサちゃんは満足げに笑っていた。

「ここで会ったのも何かの縁だから、仲良くしてくれよ」

 なのはちゃんとアリサちゃん、すずかちゃんは異なるクラスだけど、別のクラスに友達がいてもおかしい話じゃないだろう。友達は多いほうが良いだろうし。もっとも、実はここにいる四人は一年生のときは同じクラスだったんだけどね。

 だが、僕の意に反して、アリサちゃんは何故かなのはちゃんに鋭い視線を向けていたし、なのはちゃんもそれに反抗するかのように敵愾心のようなものをむき出しにアリサちゃんを見ていた。

 え? なんで?

 僕にはよくわからない。ここで仲たがいをするほど、彼女たちはお互いによく知らないはずだ。それが、ここに来て急になぜ?

 だが、僕に答えを導き出せるほどの時間を彼女たちは与えてくれなかった。

「ショウ、今から帰るんでしょう? あたしも、帰るから一緒に帰りましょう」

 アリサちゃんの提案を受けて、考える。確かに時間的には夕方で、日が沈みそうだ。基本的にジュエルシード探しは日が沈むまで続けられる。日が沈むと恭也さんが僕を送ってくれるのだ。だが、今日は月村家まで出てきていることを考えると、今から街まで出ると日が暮れるだろう。つまり、今からジュエルシード探しはできない。

 ふむ、なら送ってもらったほうが、恭也さんたちの負担も軽くなるな。

 僕がそう考え、アリサちゃんの提案に乗せてもらうと思い、口を開こうとしたとき、不意に僕の袖が引かれた。振り返ってみると、なのはちゃんが不安げな顔で、まさかの提案をしてきた。

「ねえ、ショウくん、一緒に帰ろう?」

 え?

 僕の頭は混乱した。アリサちゃんとなのはちゃんに一緒に帰ろうと誘われた状態だ。僕にどうしろというのだろうか。ここでどちらかを選ぶと確実に角が立つ。なのはちゃんが言う前に決断すればよかったのだろうが。
 参った、とばかりに僕の心情を理解してくれているだろうすずかちゃんに視線を向けても、にっこり微笑まれるだけで、僕に救いの手を伸ばしてはくれなかった。

 ………一体どうしたらいいのだろうか?



  ◇  ◇  ◇



 ―――どうしてこうなった?

 僕が途方にくれてから数十分後。僕はアリサちゃんの車の中に乗り込んでいた。もちろん、アリサちゃんと一緒に帰るという選択をしたわけではない。僕に救いの女神が舞い降りたのは、少しはなれたところで見ていた忍さんだった。「なら、一緒にアリサちゃんの車で帰れば良いじゃない」という一言だ。

 アリサちゃんは少し渋っていたが、なんとか承諾してくれた。僕も、どちらを選ぶというわけでもなく、両者に角が立つわけでもなく万々歳だったわけだが、なぜか恭也さんが道案内をする、といって助手席に座り、後部座席が僕とアリサちゃんとなのはちゃんだけになってしまったところから歯車が狂ってしまったようだ。

 恭也さんがいれば、少しは抑止力になっただろうが、肝心の恭也さんは助手席だ。

 座り方の順番は奥からアリサちゃん、僕、なのはちゃんという僕を挟んだ形だ。僕としては、女の子二人が並んで座って雑談に花を咲かせてくれればよかったのだが。その目論見は脆くも無残に砕け散った。全然、そんな雰囲気ではない。
 むしろ、アリサちゃんの話が止まらない。僕に対してのみだ。もっとも、話の内容が、塾だったり、すずかちゃんの家でのことだったり、なのはちゃんを絡められないのが事実だ。僕もなのはちゃんに話を振ろうとするのだが、上手くいかない。

 なのはちゃんはなのはちゃんで、アリサちゃんの元気に押されたのか、俯いたままで話し出す雰囲気でもない。僕もアリサちゃんに話しかけられて、返事をしないわけにもいかないので、なのはちゃんだけに構えない。

 そんな感じの雰囲気が、僕の家にたどり着くまでの数十分間続くのだった。



  ◇  ◇  ◇



 僕は、アリサちゃんにお礼を言って、車を降りるとはぁ、とため息をついた。

「どうしたの?」

「う~ん、どうしてアリサちゃんがあんな行動を取ったのか分からなくて」

 できるだけ僕となのはちゃんを話させないようにしていたというか、距離を取らせようとしていたような感じに思えた。例えば、そういう風に仮定できたとすると、考えられる原因は一つだけ考えられる。

「拗ねちゃったかな」

 女の子とは特有の仲間意識みたいのがあるらしい。つまり、僕の親友と豪語してくれるアリサちゃんからしてみれば、なのはちゃんが原因で僕と遊べないと思えば、なのはちゃんはアリサちゃんにとって僕を取った敵になるわけだ。

 先週、一応、理由を話したから分かってくれると思っていたが、頭で理解しても心では理解できないというわけだろうか。ああ、そうかもしれない。アリサちゃんは同級生と比べて大人びているといっても、まだ子供だ。理性で感情を抑えろといっても無理だろう。

「はあ、月曜日からご機嫌とらないとな」

 そうじゃないと、次になのはちゃんと会った時も険悪な雰囲気になってしまうだろう。

「しかし、そうだとすると、今大丈夫かな?」

 僕は海鳴の夜空に浮かぶ星空を見上げながら、アリサちゃんの車で帰っているなのはちゃんとアリサちゃんの雰囲気を心配するのだった。


続く


あとがき
 表から想像できる裏は、どんな感じでしょうか? 次回のメインは車中のアリサとなのはがメイン……かな? あと夜の一族も。

 あと、夜の一族等とらいあんぐるハート3の設定が垣間見えますが、補足説明は必要ですかね?
 御神流については少し書きましたが。まさかググレとはいえないので。必要なら感想と一言くれると次回書きます。



[15269] 第十五話 裏 中
Name: SSA◆ceb5881a ID:de8c662e
Date: 2010/04/07 00:10




 高町なのはは、朝から機嫌がよかった。
 今日は休日で、朝から友人である翔太と一緒にいられるからだ。ここ最近のジュエルシードの集まりは確かに悪いが、なのはにとっては、この時間が長引く要因にしかならないのだから望むところである。

 今日も朝から、兄の恭也を伴って翔太と海鳴の街を地図を片手に歩いていた。なのはにとっては住んでいる街でも、ジュエルシード探しを始めてから行った場所は初めての場合が多い。気分は、まるで冒険のようで、なのはの心をワクワクさせていた。

 楽しみといえば、翔太と一緒に見知らぬ土地を歩く冒険気分もそうだが、歩いている途中の会話もなのはにとって楽しみになっていた。なのは自身は話すことは苦手だ。苦手と言ってしまうと語弊があるが、話すのがワンテンポ遅れる。それは、なのはがこれまでの十年足らずの人生の中で、人に嫌われるような言動を極端に嫌うからである。受け答え、あるいは発言する前にどうしても人に不快感を与えないか、嫌われないか考えてしまう。それが、ようやくできた友人である翔太であれば尚のこと。
 だが、翔太は一年生のときになのはの受け答えの遅さに逃げていった同級生とは違い、嫌な顔一つせずになのはの答えを待ってくれる。最近は、大体、翔太が何を言っても不快感を与えていないことに気づいたため、前よりも若干受け答えのタイミングは改善されている。
 その内容の中にはなのはが翔太との会話についていけるように翔太が話題にした内容を覚え、まねをするという涙ぐましい努力もあるのだが。

 それらの甲斐もあって、なのはは一人、家か商店街で過ごす休日とは180度異なる休日を過ごしていた。

 先日までは少し自然が多かった場所を捜索していたが、どうやら段々と海鳴の中心街に近づいている。その証拠に高層ビルが段々と増えてきた。このように自然が多い場所を優先して捜索してきたのは、探索魔法の効率の違いだ。探索魔法は基本的に人がいない方が精度もいし、範囲も広い。なぜなら、中心部には人が多すぎて、彼らの思考がノイズとなって精度と範囲を狭めるからだ。

 なお、今現在も探査魔法はユーノが一人で行っている。なのはも先週、一人でジュエルシードを見つけて封印して以来、探査魔法が使えるようになったが、そのことはまだ誰にも話していない。なのはが探査魔法を使えることを知っているのはなのは自身とレイジングハートだけだ。

 なのはが探査魔法を使って捜索に協力しないのは、なのはが探査魔法を使って協力すると、単純に考えても効率は二倍、いや、なのはの魔力等々を加味すると四倍ぐらいまで跳ね上がる。だが、その代償として捜索時間が短縮されることになる。一見すると、メリットのようにも思えるが、なのはがジュエルシードを探している理由が翔太と一緒にいる時間を過ごすということを考えれば、そのメリットはなのはにとってデメリットにしかなりえないのだ。
 だから、なのはが探査魔法を使えることは内緒であり、現在もユーノ一人で遅々として探査魔法を使って探索している。なお、これからの探索は、市街地に入り人が増えることもあって、さらに範囲が狭まり、時間がかかるらしい。
 渋い顔をしていた翔太には悪いが、なのはとしては望むべき状況だった。

 さて、市街地に入り、住宅街や自然が多い公園とは異なり、娯楽施設が増えてきた。例えば、ゲームセンターなど主たる例だ。なのはにとってゲームセンターなどは未知のものだ。一人でゲームセンターに入るような趣味もなかったし、友人がいなければ、一緒にゲームで遊ぶことはない。さらに言うと、興味がなかったため、ゲームセンターがどのような装いをしているかもあまり知らなかった。

 なのはがゲームセンターの装いを知るようになったのは、ユーノが翔太にゲームセンターについて尋ねたからだ。ユーノがやけにUFOキャッチャーが正面においてある建物を見て、あれは何? と尋ね、翔太が答えたからこそ、なのはもゲームセンターの装いを知ることができた。

 ―――ああ、あれがゲームセンターなんだ。

 一年生の頃、なのはがまだいい子であることを演じようとしていた頃、噂に聞いたことがある。だが、まだ幼稚園から卒園したばかり、小学校に入学した頃のなのはたちにとって、ゲームセンターなんていうのは、危険な場所という認識であり、本当に話でしか聞いたことがなかった。

 だから、初めて見るゲームセンターにUFOキャッチャーともう一つ入り口からずらりと並んでいる箱が気になった。そこから出てきた同い年の女の子がきゃっきゃっ、ワイワイ言いながら楽しそうに何かを見ていたからだ。その光景があまりに楽しそうでなのはは思わず足を止めて見てしまった。

「ん? なのはちゃん、どうしたの?」

 そのことに気づいたのか、翔太が足を止めて振り返る。そして、翔太がなのはの視線の先を追い、納得したように頷いた。

「ああ、プリクラだね」

「ぷりくら?」

 その響きは聞いたことがあった。なのはのクラスメイトたちが休み時間にその『ぷりくら』とかいうものを貼った手帳を広げてお喋りに花を咲かせているのを見たことがある。
 もちろん、今まで友達がいなかったなのははプリクラなど撮ったことはない。話には聞いていたが、どうやって撮るかも知らないし、どんなものかも具体的には知らなかった。

 しかし、翔太がそんなことを知る由もない。なのはが視線で追っていたのをどういう風に勘違いしたのか、ポンと手を叩くと奇妙な提案をした。

「プリクラ撮りたいんだね」

 女の子は好きだからね、とか零しながら、手馴れたようにゲームセンターに歩いていく。え? え? と思いながらもなのはは追いかけるしかなかった。護衛として着いてきている恭也もやれやれ、という態度で後ろからついてきていた。
 慣れたようにゲームセンターに入り、プリクラの大きな機械に入る翔太を見て、もしかして、こんな風に何度もプリクラを撮ったことがあるのだろうか。そう思うと、なぜか胸がチクリと痛んだ。相手は、先週の休日に楽しそうにテーブルを囲んでいた彼女たちだろうかと思うと胸が苦しくなる。

 ―――私は、ショウくんだけなのに……。

 翔太が相手というだけで満足していないわけではない。一年生の頃に憧れだった翔太がなのはのことを友達だと認めて、こうして一緒にプリクラまで撮ってくれるような仲にまでなったのだ。それで満足しないわけがない。だが、さらに欲を言うなら、なのはが翔太だけのように翔太もなのはだけになってくれれば、それは誰にも邪魔されず、ずっと二人でいられるということで、きっとそれは今よりもずっとずっと幸せなことに違いない。

 だが、それはしょせんなのはが夢見る幻想だ。翔太はそれを望んでいない。ならば、なのはも望まない。ただ、なのはと翔太だけの二人だけという空間を夢見るぐらいは許して欲しいものである。

 さて、なのはの願望はともかく、翔太は手馴れたようにプリクラの機械の一台に入るとお金を入れ、カチカチカチと操作を始めた。なのははそれを物珍しそうに見ているしかない。翔太の操作で背後の壁紙が変わったときには酷く驚いたものだ。そんな風にいくつか操作を繰り返すとどうやら撮影の段階に入ったらしい。
 もっとも、なのはには状況が理解できない。翔太の言われるままに機械に入り、操作は任せたまま、フレームがなんとかといわれてもなのはにはまったく分からず、翔太にすべてを任せていたからだ。

 やがて、カウントダウンが始まる。だが、目の前の画面では、周りに白い花が散りばめられ、真ん中の開いた空間に翔太と半分だけ白い花に隠れてしまっているなのはがいるだけだ。このままではなのはが半分だけ切れてしまう形になるのだが、無情にもカウントダウンは止まらない。混乱しているなのはでは状況判断ができなかった。このまま、カウントダウンが終わってしまうのか、と思ったが、カウントダウンがイチ、ゼロとカウントする直前で、翔太がなのはの肩を掴み、翔太に近づけた。
 結果として、なのはの肩と翔太の肩がくっついた状態でシャッターが切られてしまったのだが、それはちょうど周囲を花に囲まれた翔太となのはという形で綺麗にフレームに収まっていた。
 翔太は笑っており、なのはは少し驚いた表情をしていた。

「えっと……これでいい?」

 少しだけ気まずそうに翔太がなのはに尋ねた。おそらく、プリクラがこれでは残念と思ったのだろう。幸いにしてこの機種は取り直しができるようだ。だが、なのははそれを拒否した。せっかく翔太と一緒に撮った初めてのプリクラなのだ。なのはの表情がどうであれ、消すなんてもったいなくてとてもできそうにない。だから、なのはは一枚目をそれで承諾した。

 さらに撮影は続く。だが、二枚目は真ん中にユーノを挟んで、三枚目は後ろに恭也も足した状態で撮った。特に恭也は仏頂面というのはどうなのだろう、と慣れてきた三枚目には演じた笑みを浮かべているなのはは思った。

 三枚のプリクラの撮影が終わり、待つこと五分程度、プリクラといわれるように同じような写真が何枚も写ったものとして出てきた。どうやら、全部で6枚が3セット。合計18枚らしい。三種類をそれぞれ3枚ずつではさみで切って翔太がなのはに渡してくれた。

 気づけば、どれにも落書きがしてあった。なのはと翔太の初めてのツーショットである周囲が花で囲まれたプリクラにはなのはと翔太の洋服の部分に今日の日付と『海鳴市探索にて』という落書きがしてあった。

 なのははそれらのプリクラを胸に抱きながら、一生の宝物にしようと心に決めた。



  ◇  ◇  ◇



 タクシーでジュエルシードが発生した場所へ向かう途中、なのはの心の内は期待と不安で揺れていた。

 期待は、ジュエルシードが発動したことによる期待だ。ジュエルシードを封印できるのはなのはだけ。ならば、ジュエルシードを封印すれば、また翔太に認めてもらえるはずだ。それはなのはにとって至上の喜びである。甘いものを食べたときのように甘美なものである。それを得られるのに期待しないはずがない。

 もう一つの不安は、この場所に向かう途中で翔太が話していた内容によるものである。彼が口にした『すずかちゃん』という言葉。親しみ具合から察するに相当親しい友人なのだろう。親しい友人というのは嫌でも先週の嫌な感情を思い出させる。あの足の下から崩れていきそうな絶望感と不安感。翔太の親しい友人がいるというだけでそれを感じてしまう。自分以外と楽しそうに話しているのを見るのが嫌だった。もしかしたら、ジュエルシードを封印するなのはよりも、彼女を優先してしまうのではないかという不安である。

 それらの期待と不安に揺られている最中、それらを一気にかき消す出来事が起きた。

「……ジュエルシードの反応が消えた?」

 無意識のうちに呟いてしまった。

 そう先ほどまでは頭の隅で嫌というほどに存在を主張していたジュエルシードの反応が不意に消えたのだ。綺麗さっぱりと。いくら意識を集中させて細かく探ったとしても欠片も反応を見つけられない。聞いた話によるとジュエルシードは自然に消えることはない。もしも、消えるならなのはは必要であるはずがない。
 だが、こうして反応が消えた。それが意味するものは―――。

 なのは一瞬、答えを見つけることを拒否した。だが、自然となのはの頭は一番なのはが否定したかった解を導いてしまった。

 ―――なのは以外の誰かがジュエルシードを封印した。

 その結論はなのはにとって脅威だった。翔太に唯一上回るなのはがなのはである存在意義とも言うべき魔法を使うことができる。ひいては、ジュエルシードを封印することができるという要素がなのは以外の誰かも持っているということに他ならないのだから。

 それはなのはにとって脅威だ。もし、もしも、その人もジュエルシードを探していて、もしもなのはよりも優秀だったとしたら、きっと翔太はなのはのことなど捨ててその人へ走ってしまうかもしれない。それは、なのはにとって否定しなければならない現実だった。だが、その現実はタクシーに乗っていれば自然と近づいていてしまう。

 ―――また、またあの絶望感を味わうのか。

 なのはは先週のあのすべてを失うかもしれない恐怖を再び感じていた。座っているためあまり目立たないが、足が震えている。もしも、地面に立っていたなら膝をついて崩れていただろう。それほどの恐怖だ。もし、翔太が近くにいなければ、寒気すら感じ、自分の肩を抱きしめて、温もりを逃がさないようにしていたかもしれない。今、それをかろうじて回避できているのは翔太が隣にいるからだ。誰でもない高町なのはの隣に。だから、まだ温かさを感じられる。この現実が嘘ではないと信じられる。

 壊したくない。失いたくない。

 それがなのはにとっての今のすべてだった。あんな暗かった過去なんていらない。未来もいらない。この翔太の隣に立って温かさを感じられる今だけでいい。この今を壊したくない。失いたくない。

 だから、もしもこの『今』を壊すようなことがあれば、そのときは――――。

 なのはの心の内を知らず、翔太とタクシーを乗せたジュエルシードが発生したであろう土地へと二人を運ぶのだった。



  ◇  ◇  ◇



 ―――可愛い。

 大きな門をくぐって西洋風の左右の扉が開く片方の扉から出てきた少女を見て、なのはは素直にそう思った。

 黒い服を身に纏った女の子。なのははあまり好きではない色だ。黒が穢れているような気がして、理想である翔太の隣に立つには、あまりに不釣合いな気がして。しかし、それらを鑑みてもなのはは、黒いワンピースを身に纏った少女を可愛いと思ったのだ。

 女の子であるなのはでさえそう思ったのだから、翔太は言うまでもない。一瞬、呆けたような表情をしたかと思うと、すぐに取り繕って、彼女を褒めるような言葉を言う。彼女は、その言葉を聞いて頬を染めていた。

 そのやり取りを見て、なのはは何とも形容しがたい感情に襲われた。いうなれば、羨ましいという気持ちが半分、悔しいという気持ちが半分といった感じだろうか。一瞬、呆けた―――いや、見惚れたような表情をした翔太に対しては、怒りのようなものを抱いたが、翔太に怒りを抱くはずがないとすぐにその感情は打ち払った。

 なのはは、自分が可愛らしくないことを自覚している。いや、顔の造詣で言えば、あの桃子の子供なのだから、十二分に可愛いのだろうが、問題は一切着飾っていないということである。なのはが着ているのは、少女のような可愛らしいものではない。近くの量販店で買ったようなトレーナーとスカートだ。着飾る要素など何所にもない。

 ―――お母さんに相談してみよう。

 そういえば、桃子は去年は休みのたびに度々、買い物に行こうと誘われていたのだが、どうせ見せる人もいないし、制服だし、買ってきたもので事足りるから、と拒否してきたのだ。その付けが今来ているといっても過言ではない。もしも、桃子に誘われたときに一緒に買い物に行って、可愛らしい洋服を着ていたら、きっと翔太も褒めてくれるに違いない。

 しかし、買い物ぐらいで翔太と一緒にいられる時間を削るのは勿体無いと思ったが、よくよく考えれば、一緒に買い物に行けばいいのだ。そうすれば、翔太が気に入った洋服だって選べるのだから。

 なのはは、翔太が少女が着ている黒い洋服を褒めているのを見て、黒もいいのかもしれない、と思いながら、今度の休日にどうやって翔太に買い物に誘うかを考えていた。

 なお、なのはが今度の休日に思いを馳せている間に翔太と忍の話し合いで森に行くことが決定しており、我に返ったなのはは慌てて翔太の後を追うのだった。



  ◇  ◇  ◇



 結局、封印されたジュエルシードも何も見つからなかった。見つかったのは戦闘を行ったであろう跡地のみだった。なのはにとっては、ジュエルシードが見つからなかった以上、あまり興味はなかった。ただ、ジュエルシードを封印したであろう魔導師には危機感を抱いたが、今は見つからない魔導師を気にしても仕方ない。

 それよりもなのはが気にするべきなのは、月村家の邸宅から出てきた先ほどの可愛い洋服を着ていた女の子とセミロング金髪を靡かせた少女の存在だ。特に金髪の少女はなのはに見覚えがあった。
 そう、先週、なのはを笑い、嗤い、哂った少女である。その少女を見たとき、思わず翔太の後ろに隠れてしまった。怖かったからだ。あのときの感情を思い出してしまったから。まるで自分がいないように翔太と少女が話すのも起因しているのかもしれない。

 やがて、話は後ろに隠れているなのはについてに移った。

「それよりも、あんたの後ろにいるのは誰よ?」

「ああ、彼女は、僕の友達で、話していた一緒に探している高町なのはちゃん」

 翔太が金髪の少女になのはを紹介する。

 翔太のなのはの紹介を聞いてなのはの感情は有頂天になる。翔太はしっかりとなのはのことを友達だと紹介してくれたからだ。ただ、それだけでなのはの気持ちは舞い上がる。口に出さずとも分かることであってもしっかりと言葉にして表に出してくれたほうが嬉しいからだ。

 だが、そのなのはの有頂天ぶりも次の翔太の言葉で一気に奈落へと突き落とされる。

「そして、彼女たちは僕のとも―――親友のアリサ・バニングスちゃんと月村すずかちゃん」

 ―――シンユウ?

 一瞬、なのはは翔太が何を言っているか分からなかった。
 翔太は、なのはのことを友達だといった。ならば、目の前の少女たちは? 友達? 違う。翔太ははっきりと口にした。

 ―――彼女たちは親友だと。

 なのはにとって親友という言葉は、辞書には載っていても使われない言葉だった。なぜなら、親友とは友達とは違う。もっと親しい関係だ。友人さえいなかったなのはにとってはハードルの高い存在だ。特になのはの理想である翔太がなのはを友達と言ってくれるのはある種の誇りでもあった。それが、たとえ、魔法というたった一つの要素で結ばれた細い要素であったとしても。

 だが、目の前の少女たちは、翔太の親友らしい。翔太が言うのだから間違いない。自分より高い位置に立っている存在の出現になのはが彼女に嫉妬しないわけがなかった。

 ずっと魔法を頑張ってきたのに。それでも、まだ友達なのに。まだまだ頑張らないとダメなの。そうしたら、ショウくんは自分も親友と認めてくれるのか。

 ―――羨ましい、悔しい、どうして、どうして、どうして?

 疑問、嫉妬、羨望、様々な感情が入り乱れる。だが、なのはが直接それらの感情を翔太やアリサに口にすることはなかった。

 翔太にはそんな暗い、黒い感情を口にして嫌われたくなかったから。アリサにいえなかったのは、翔太が近くにいることもあったが、元来、なのはは見知らぬ誰かと話すのが苦手だ。他人から嫌われる、嫌悪感を抱かれることを極端に嫌うなのはの性格は、自分を嘲笑い、嫉妬の対象であるアリサに対しても有効だった。

 故に、結局なのはができたのは、金髪を靡かせる少女に対して睨みつけるぐらいしかなかった。

「ここで会ったのも何かの縁だから、仲良くしてくれよ」

 翔太が笑いながら言うが、無理だと思った。彼女と自分は相容れない。お互いがお互いを許容しない。
 それを感じ取ったのはなのはの本能ともいうべき部分だ。親友ともいうべき存在だ。おそらく翔太の隣にも立ちなれているのだろう。だが、違う、違う、違う、違う。そこは、今はなのはの場所であり、ずっと譲らない、譲れない場所なのだ。
 だから、翔太が言うことであろうとも彼女となのははお互いをお互いに許容できない。翔太の隣は一つしかないのだから。

「ショウ、今から帰るんでしょう? あたしも、帰るから一緒に帰りましょう」

 不意にアリサがなのはから視線を外して翔太を誘う。
 それは、なのはの睨みを恐れたわけでもない。彼女はなのはを見ていない。まるでいないかのように振る舞い、翔太のみを誘う。

 なのはは、それを心ので似非笑う。今日はまだ日が沈んでいない。つまりジュエルシード探しは続行しているのだ。だから、翔太はすぐに断わり、ジュエルシード探しを再開するだろう。なのはの隣で。だから、何も言わなかった。言うつもりはなかった。結果は決まっていると思ったから。

 だが、なのはの予想に反して、翔太が考え込み始めた。それはなのはの予想外だった。翔太はいつだって、決まっているとは即断即決だ。ならば、この状況で即断しないのは、両者を天秤にかけているからだ。どちらが、正しいのか。
 つまり、翔太にとっては考える要素があったということだ。何所に天秤に掛ける要素があったか分からない。だが、もしも、万が一にも彼がアリサと一緒に帰るなんて言い出したら……。

 そう思うと、自然と手が伸びて、翔太の袖を引っ張り、口に出していた。

「ねえ、ショウくん、一緒に帰ろう?」

 不意に出た言葉だ。正気なら間違いなく口に出せない。だが、予想外に翔太が考え込んだことで、焦ったあまり口に出してしまった一言だ。口に出した後にしまった、と思うが、後の祭りだ。翔太が考えている途中に邪魔をしてしまった。これで、嫌われたら―――

 だが、なのはの不安に反して翔太の表情は嫌悪感を浮かべてはいなかったので、ほっと安堵した。もっとも、さらに困惑した表情ではあったが。



  ◇  ◇  ◇



 結局、翔太となのは、恭也はアリサの車で帰ることになった。できれば回避したかったのだが、翔太が快諾した以上はなのはも従うだけだ。兄は後部座席と運転席が遮られた向こう側の助手席に座り、なのはたち三人は後部座席に翔太を真ん中において座った。

 アリサの車の中は静かで、座っている椅子もソファーのようで快適だったが、まったく楽しくはなかった。いや、それどころか不快だった。理由は、分かっている。アリサだ。
 彼女は、翔太の隣に座り、翔太を独占している。ずっとなのはを空気のように扱い、翔太とだけ話している。なのはにそれを止められるだけの勇気はない。翔太が嫌な顔の一つでもすれば身体を張ってでも止めるのだが、彼は基本的に笑っている。時々、困惑したようになのはに視線を向けるが、すぐにアリサに話しかけられ、視線をアリサに戻す。

 楽しそうに話している翔太とアリサを見ていると心の底がドロドロとした黒いヘドロのようなものが溜まっていく。自分以外と楽しそうに話す翔太を見たくない。そもそも、今はなのはが、なのはだけが隣にいられるはずなのだ。なのに、なのに、なのに、なぜ翔太の隣にいるのがなのはじゃなくて、アリサという少女なのだろう。

 そこは、魔法という翔太に唯一勝る能力で得た場所なのに。どうして、何も持っていない少女がそこにいる。それがなのはにとっては許せないことだった。

 だが、結局、翔太の家について、降り、手を振って別れても、なのははそのことを翔太にもアリサにもいえなかった。

「あ~あ、でも、ショウも災難ね。あんたみたいなのに付き合わされるんだから」

 翔太が降り、車が走り出した後で、後部座席の背もたれに身体を投げ出しながら、金髪の少女は本当に翔太を哀れむような声色で、嫌味ったらしくなのはに向けて言葉を発した。

 だが、なのはにはその意味が分からなかった。翔太の親友というぐらいだ。もしかしたら、事情も聞いているのかもしれない。だが、それにしては、なのはに付き合っているという意味が分からない。なのはと翔太は、海鳴の街を守るために活動している過ぎない。それが、どうしてなのはに付き合うなどという言葉が出てくるのだろうか。

「どういうこと?」

 実に端的になのはは尋ねる。だが、なのはのその返答が気に入らなかったのだろうか、さらに不機嫌になって言葉を続ける。

「なに呆けているのよっ! あんたがなくした蒼い宝石を捜してショウが毎日、塾まで休んで放課後付き合ってるんでしょっ!?」

 微妙に事実とは異なるアリサの発言になのはは嗤った。嗤ってしまった。いや、これは嗤わずにはいられないだろう。
 翔太の意図を理解したから。そして、先ほどの翔太の発言の嘘を理解したから。目の前の女の子の勘違いを知ってしまったから。

 ―――彼女は、翔太の親友なんかじゃない。

 なのはにとって親友とはある種、神聖なものだ。友達すらいなかったのだから、当然なのかもしれない。何でも話せて、悩みも包み隠さない。それがなのはの想像する親友だ。だが、目の前の翔太に親友と呼ばれた女の子は、翔太に嘘を教えられている。それは、つまり、翔太が彼女を親友と認めていないということだ。
 ならば、先ほどの発言はなんだろう? ということになるが、きっと翔太に無理矢理、親友と言わせているのだろうと思った。

 翔太に無理矢理にでも親友と呼ばせ、その位置を確認している彼女が余りに滑稽でなのはは彼女を嗤うしなかった。クスクス、クスクスと。

 だが、アリサはそんななのはが気に入らなかったらしい。明らかに憤怒とも言うべき表情を表に出していた。

「なによっ! なにがそんなに可笑しいのよっ!!」

「別に」

 わざわざ教えてやる義理はない。しかも、翔太がそんな風に教えているのだ。それをなのはが訂正するようなことはない。せいぜい、真実を知らず、翔太から教えられたことを事実だと思い込んで滑稽に踊ればいいのだ。

 アリサはなのはに何か言いたそうだった。だが、なのはに何を言っても無駄だと、悟ったのだろうか。自分を落ち着けるように深呼吸した後、一度はなのはに何か言うために浮かせた腰を再び戻した。

「ふん、あんたが何を考えているか分からないけど、どうでもいいわよ。どうせ―――」

 そこまで言った後で、慌てて自分の口をふさぐ。どうやら、何か意味ありげに言いたそうだったが、しょせん、事実を知らない彼女が言うことだ。負け惜しみに決まっている。だから、なのはは、アリサがなのはと同じようにニヤニヤと嗤っていることも、すべてを無視した。



  ◇  ◇  ◇



 帰宅したなのはは、いつものようにご飯を食べ、お風呂に入り、翔太に勧められたテレビを見て、部屋に戻り、魔法の練習をした後、あとは寝るだけという段階になって机に向かう。
 なのはは、おもむろに机の引き出しから一冊の本のようなものを取り出す。それは、なのはが密に書いている日記だった。四月、翔太と出会った後にあまりにも嬉しくて、その思い出を何か形に残したくて、なのははそれ以来、ずっと毎日のことを日記に書いている。翔太と話した内容、褒められたこと、嬉しかった翔太の言葉などがメインである。

 今日のことを反芻しながら、日記に今日の出来事を書き綴る。今日のメインは当然、プリクラのことだ。そのプリクラは今は大事に机の上の写真立ての中に収められている。本当は、プリクラを写真立てに飾るのはおかしい話なのだが、それ以上に大事にできる場所がなかったのだから仕方ない。
 今度、プリクラ帳を買ってくるのも良いかもしれない。どこかに出かけたときに翔太と一緒のプリクラが増えれば、それはきっとすごく嬉しいことだから。

 そして、話は月村邸での出来事に変わる。その辺りを書こうとすると、なのはの筆が止まる。いいことはまったくなかったからだ。出てきたのは、翔太の親友だと勘違いしている金髪の女の子だけだ。
 あまり思い出したくない彼女だが、車内で不穏なことを言っていなかっただろうか。

 ――――どうせ。

 その後に続く言葉は? どうせ、という言葉の意味を考えれば、なのはを卑下するような言葉なのだろうが、思いつかない。具体的なことは思いつかないが、大体意味は同じだろう。

 ―――どうせ、なのははずっと翔太の隣にはいられない。

 そんな意味を言いたかったに違いない。だが、それはない。それはありえない。翔太がジュエルシードを追う限り、それはありえないのだ。

「そうだよ。これがある限り、ずっと一緒だもん」

 なのはの机の引き出しの一番上にある唯一鍵がかかる場所に厳重に箱に収められた蒼い宝石―――ジュエルシードを見ながらなのはは笑った。
 その笑みを、電灯に照らされ、その宝石が持つ蒼を反射するジュエルシードだけが見ているのだった。



つづく

あとがき
 最後に出てきた日記の名前は『なのにっき』です。

 プリクラは携帯と同じ理由で翔太のほうは描写されていません。
 翔太は撮るの手馴れています。ただし、プリクラコーナーは女の子限定なのでもちろんアリサたちと一緒です。

 さて、実は後一話だけ続きます。このまま書くと30kbを超えそうだったので。
 後一話、アリサ編とすずか編にお付き合いください。



[15269] 第十五話 裏 後
Name: SSA◆ceb5881a ID:de8c662e
Date: 2010/04/25 17:46



 親友である月村すずかの家から出てきたアリサが目にしたものは裏庭であろう森から出てきた四人の姿だ。
 一人は、もう一人の親友である蔵元翔太。一人は、すずかの姉である忍。後、二人はアリサの知らない人物だった。だが、それでも翔太の横に寄り添うように歩いている同年代の少女が高町なのはであろうことは簡単に推測できた。

 アリサ・バニングスは、翔太の隣に寄り添うように歩く少女が気に入らなかった。

 そこは、そこだけはアリサたちのものなのに、我が物顔で歩いている少女が気に入らない。ただ、それだけだ。
 もちろん、アリサだけが翔太の隣を独占しているわけではない。彼にだって他の友人がいることも付き合いがあることも分かっている。親友だからといって、他の友人との付き合いを否定するほど器量の狭い女ではないことを彼女は自覚している。

 だが、それでも、高町なのはだけは例外だった。なぜなら、彼女は、翔太を一人独占しているから。彼にだって友人との付き合いがあろうとも優先順位は明白だった。学校、塾、アリサたちの英会話やお茶会、その他友人。この順番が翔太の中に確立していた優先順位だったはずだ。だが、何の前触れもなく唐突に現れた高町なのは。今まで確立していた優先順位に割り込み、塾やアリサたちの英会話やお茶会よりも上位に割り込んできた女の子。

 如何にアリサとすずかが翔太の親友とはいえ、学校や塾に割り込むことは不可能だった。塾をずる休みして遊びに行くことなんて提案しなかったが、仮に提案しても翔太ならば、反対することは自明だ。だが、高町なのははどんな手段を使ったか、塾よりも高い位置に自分の優先順位を持っていた。

 つまり、アリサは悔しかったのだ。自分ができなかったことを高町なのはがあっさりと実現して、悠々と翔太の隣にいることが。だから、アリサ・バニングスは高町なのはが気に食わない。

「ここで会ったのも何かの縁だから、仲良くしてくれよ」

 アリサとなのはがにらみ合っている間に翔太が言うが、無理だと思った。目の前の少女と自分は決して相容れることはないだろう。お互いにお互いが許容しない。なぜなら、お互いに欲しい居場所は同じなのだから。そして、その居場所は、高町なのはを許容できるほど余裕はない。

 だから、アリサ・バニングスは高町なのはを認めない。認めないがゆえにまるで翔太の言葉が聞こえなかったかのように高町なのはを故意に無視した。

「ショウ、今から帰るんでしょう? あたしも、帰るから一緒に帰りましょう」

 高町なのははあえて誘わない。そもそも、アリサとなのははこの時点で何の関係もないのだ。お互いを許容しないと分かっている。ゆえの無関心。だから、誘わない。アリサが今誘っているのは、翔太ただ一人である。

 アリサは、翔太がすぐに提案に乗ってくるものだと思っていた。もう日が暮れそうだ。後一時間もすれば、完全に太陽は山の向こう側に姿を消してしまうだろう。

 翔太が探しているものは蒼い宝石という。探し物をする上において、暗闇というのは厄介なものだ。見落とす確率が高くなるのだから。しかも、月村の邸宅は郊外にあり、ここから歩いて帰るならば、一時間は軽くかかる。ここまでどうやって来たのかアリサは知らないが、仮に歩いてきたとしてももう一度、歩いて帰るのは無理だろうし、タクシーにしても、小学生が払える額ではないことは確かだ。
 後ろに見える黒い服に包まれた背の高い男性は誰かは知らないが、仮に彼にはらってもらうにしても翔太の親族ではない以上、気が引けるはずだ。ならば、ここでのアリサの誘いは渡りに船のはずなのだが、翔太は即答しなかった。

 翔太が即答しないということは、アリサと帰る以外にも何かと天秤に掛けているということである。何と天秤にかけるかなんて考えるまでもなかった。目の前の少女と帰る以外の選択肢がありえるのだろうか。
 天秤にかけるということは、それに比べるだけの価値があるということだ。それは、一年生のときから親友であるアリサとほんの数週間前からしか付き合いがない高町なのはが天秤に計られるほど同価値を持つことを意味している。

 その意味を理解したとき、不意にアリサの胸の中に恐怖がよぎった。それは、翔太が万が一にでもなのはの方を選ぶことである。
 それは、アリサが高町なのはに負けたようで、アリサよりもなのはのほうが価値があるといわれたようで、翔太が自分の近くから離れていくようで、せっかく手に入れた親友が手から離れていくようでアリサの恐怖を誘った。

 だから、翔太がアリサの手から離れないように、なのはの方へ寄らないように声をかけようとしたのだが、アリサが口開くよりも先にその高町なのはが動いた。

「ねえ、ショウくん、一緒に帰ろう?」

 小癪にも翔太の近くにいる利点を生かして彼の腕まで引いている。高町なのはの作戦は成功したのか、翔太もやや驚いた顔をしていたが、先ほどよりも困惑したような表情を浮かべていた。その表情が意味するところは、おそらく翔太は、アリサと一緒に帰ることを半ば決めていたのだ。だが、ここにきてなのはの横槍。その横槍が翔太の困惑を強くしているのだろう。

 ―――横槍が入らなければ、あたしと一緒に帰っていたのに。

 下唇を半ば噛みながら、アリサは横槍を入れたなのはを睨みつけるのだった。



  ◇  ◇  ◇



 結局、高町なのはとその兄と一緒に帰ることになってしまった。なんでこんなヤツと、とも思ったが、一緒に帰るという提案はアリサの親友である月村すずかの姉の忍から提案されたもので、簡単に蔑ろにするわけにはいかなかった。それに翔太がこれに賛成したのが、決め手だった。年上と親友に賛成されては、さすがにアリサも反対はできなかった。

 あの時、高町なのはが横槍を入れなければ、後一瞬でもアリサが口を開くのが早ければ、翔太の意思一つで、高町なのは抜きで翔太と一緒に帰られたはずなのに。
 だが、後悔しても時既に遅し。進んでしまった時間は決して戻ることはなく、過去を変えることはできない。だから、せめての意趣返しとばかりにアリサは、車の中で翔太をこれ見よがしに独占した。

 思えば、翔太とこんなにじっくりと話すことは久しぶりで話すネタが尽きることはなかった。もちろん、学校では同じクラスなのだから、話す回数はそんなに少ないとも思えない。だが、一番長く話せる放課後はすべて高町なのはに独占されてしまっているのだ。だから、本当に腰をすえて話すのは先週のお茶会以来ではないかと思う。

 放課後に翔太のいない日々は少しだけ寂しかった。同じく親友のすずかとは一緒にいたのだが、隣に翔太がいない。三人だった塾の行き帰りもすずかとの二人きりだ。三から二。たった一つの減算。だが、その一つはたった二しかないことを考えれば、非常に大きなものだった。
 三人という日々に慣れてしまったアリサからすれば、何か物足りない。すずかが一人いるだけで満足できないわけではないが、三人でいるということに慣れてしまっていたアリサにとって非常に物足りないものになるのは仕方ないことだった。

 ああ、そう。だから、だからこそ、アリサは目の前の少女―――高町なのはが気に食わなかった。満ち足りていた日々を奪った少女だから。たった二人の親友のうちの一人を独占しているから。

 だから、翔太が車を降りた後、思わず悪態をついてしまうのは仕方ないことだった。

「あ~あ、でも、ショウも災難ね。あんたみたいなのに付き合わされるんだから」

 そう、すべては高町なのはに付き合わされるのがすべての始まりだ。もしも、彼女が蒼い宝石など落とさなければ、翔太が彼女を見つけなければ、アリサはきっといつものような放課後を過ごしていたはずなのだから。

 だが、なのはは、アリサの半ば嫌味のような言葉を聞いてもきょとんと呆けた顔をしていた。まるで、アリサが何を言っているのか理解できないかのような表情だった。

「どういうこと?」

 彼女は理解していないのだろうか。翔太が何を犠牲にしてまでなのはに付き合っているのか。そのことが許せなくて、アリサはさらに不機嫌になることを自覚しながら、声を荒げながら、なのはに告げる。

「なに呆けているのよっ! あんたがなくした蒼い宝石を捜してショウが毎日、塾まで休んで放課後付き合ってるんでしょっ!?」

 言った。言ってやった。この勘違いしている彼女に。翔太が何を犠牲にしてまで彼女に付き合っているのか。翔太が好きなサッカーで遊ぶことも、自分たちと塾に行くことも、アリサとの英会話教室も、すずかのお茶会もすべてを犠牲にして彼女に付き合っていることを。

 だが、高町なのははアリサの言葉を聞いて、少し考えた後に、口の端を吊り上げて嗤った。
 まるでアリサをバカにするように。それがどうした、といわんばかりに。翔太がすべてを犠牲にしても自分に付き合うことは当然だといわんばかりに、高町なのははアリサ・バニングスを嗤った。

 その表情が気に入らなかった。不機嫌でしかなかったアリサの表情にさらに怒りが追加された。

「なによっ! なにがそんなに可笑しいのよっ!!」

「別に」

 明らかに何か含むところがあるはずなのに、彼女はそれを否定し、クスクスと嗤う。それがさらにアリサの憤怒に拍車を掛ける。だが、その怒りはある種、怒りを一周させたとでも言うべきだろうか。アリサにある事実を思い出させると同時に冷静になるように促していた。
 そう、アリサは忘れていた。高町なのはが何を嗤っていようとも関係ないことを。翔太と交わしたたった一つの約束を。そう、たった一つの約束。

「ふん、あんたが何を考えているか分からないけど、どうでもいいわよ。どうせ―――」

 ―――どうせ、一ヶ月後には何も関係なくなるんだから。

 危うく口に出すところだった。慌てて口をふさぐ。本当は伝えてやりたい。翔太はなのはにずっと付き合うつもりはなく、後二週間後には、なのはに付き合うことを辞めるつもりだと。だが、今は伝えられない。それは翔太が伝えるべきことだから。彼女を説得するつもりである翔太だろうが、自分が先に情報を与えてしまっては、彼にどんな誤差が生まれるか分からない。

 だから、彼女はなのはに事実を教えたい欲求をぐっと堪えながら、後二週間もすれば終わりを告げることに気づかない高町なのはをニヤニヤと彼女と同じように嗤ってやるのだった。



  ◇  ◇  ◇



 アリサはお風呂から上がり、明日の準備を完璧に終えたところで、ベットにダイブした。枕元に広がるのは温泉の風景が並ぶパンフレットだ。これらは、アリサの父親が経営する会社が持つ保養地である。温泉の旅館を保養地にしていることは珍しいが、アリサの父親の会社の社員であれば、割引がある温泉だ。
 普通、バニングス家のゴールデンウィークは、海外に行くことが多かったが、今年は海外は取りやめて温泉にでもゆっくり行こうという話になっていた。そこは旅館で、多人数の宿泊が可能であり、アリサの友人を連れてきてもいいことになっていた。
 当然、彼女が誘うのは、翔太とすずかの二人だ。彼ら以外にはお泊りで連れて行けるような親しい友人はいないというかなし事実もあるのだが、それらにはアリサは目を瞑って見ないようにした。

 ゴールデンウィークになれば、高町なのはに付き合うこともないだろうし、彼ならきっと二つ返事で頷いてくれるはずである。

 ―――来て、くれるわよね。

 いつもなら、そんなことは微塵も考えないのに、今回ばかりは少しだけ弱気だった。

 ―――大丈夫。どうせ、一ヶ月だけなんだから。

 アリサが弱気になるのは、現状において翔太が何をおいても高町なのはを優先しているからだ。もしかしたら、ゴールデンウィークのときも高町なのはを優先するのかもしれないという一抹の不安がアリサの中にはあった。
 だから、先週の小さなお茶会での翔太との約束を呪文のように唱えるのだ。

 ―――どうせ、一ヶ月だけなのだから、と。

 要するにアリサは不安なのだ。彼女が、親友を持つことも初めてであれば、その親友が一時的とはいえ、離れてしまうことが。確かに翔太とは四六時中一緒にいるわけではない。他の男子の友人たちとの約束を優先させたこともあるが、こんなにたった一人をずっと優先したことはない。だからこそ、アリサは不安だった。

 もう一度、自分の元へと戻ってきてくれるのか、と。

 だが、アリサは、その不安に向き合うことはなかった。いや、彼女の聡明な頭脳はそれに気づいてるのだが、気づかないふりをした。気づいてしまえば、それを見なければならないから。
 今まで、ずっと欲しかった親友が離れていくかもしれない、そんな恐怖に耐え切れる自信がなかったから。

 アリサにとって翔太とすずかは本当に稀有な親友だ。
 靡く金髪、生粋の日本人とは異なる白い肌。本当の意味で、ありのままを受け入れてくれる人間は少ない。幼稚園の頃は、仲間はずれにされていることを同情する人もいて、遊ぼうか? と誘ってくれた子もいるが、違う。違うのだ。アリサが求める友人はそんな同情のような感情の上に成り立つものではない。ありのままのアリサを受け入れてくれる人間だ。
 だが、そんな子は本当に稀有だ。どこかに嫉妬があり、恐怖があり、羨望があり、同情がある。

 違う。違う。ただ、純粋に『友達になろう』と言って欲しかったのだ。それだけがアリサの求めたものだったのだ。

 そして、ようやく見つけた友人は、今では親友となった。

 だからこそ、アリサは手放したくない。孤独から救ってくれた親友を。ありのままに付き合ってくれる親友を。
 そんな彼らを失う恐怖を味わいたくない。だから、アリサは自分の中に生まれている不安を直視しない。目を逸らして、呪文のように、『どうせ、一ヶ月だけだから』と繰り返す。

 今も、ベットの上に寝そべりながら、アリサはゴールデンウィークに行く旅館のパンフレットを見て、きっと楽しいゴールデンウィークになる、とある種確信を抱きながら、笑うのだった。



  ◇  ◇  ◇



 高町恭也は、今日の昼間に撮られたなのはと翔太、ユーノ、そして自分が写ったプリクラを見ながら複雑な感情を抱いていた。

「あれ~、恭ちゃん何を見てるの?」

 リビングのソファーに座ってプリクラを見ていた恭也だったが、お風呂上りの美由希に声を掛けられた。特に隠すつもりもなかった恭也は、プリクラをテーブルの上を滑らせて、美由希の前まで持っていく。
 美由希は、そのテーブルの上を滑ってきたプリクラを手に取ると花を咲かせたように笑った。

「わぁ~、プリクラだよね。なのはとショウくんとユーノと恭ちゃんだね」

 どうしたの? これ、と聞かれたので、恭也は昼間に撮ったと正直に答えた。その表情は、やはり何かを抱え込んだように晴れることはなかった。

「どうしたの?」

 そのことに気づいた美由希が恭也に尋ねるが、恭也はやや口ごもったかと思うと、考えを巡らせるように天井に視線を向ける。その間、美由希は何も言わなかった。恭也がきっと何か複雑な感情を抱いていることを悟っていたから。何を考えているのかは疑問だが。

 やがて、考えがまとまったのか、恭也はふぅ~、と息を吐き出すと、ポツリと口を開いた。

「いや、確かになのはに友人ができたことをは喜ばしいことだ」

「うん、そうだねぇ~」

 一ヶ月前は、家族みんなで暗い顔でなのはに友人ができないことに暗い顔をしていたのが嘘のようだ。今では、こんな風にプリクラを撮れる友人までできた。

「ショウくんは礼儀正しいし、目上の敬意も忘れない。なのはにも優しいようだ」

「うんうん、最近の子にしては珍しいぐらいできた子だよね」

 だが、そこで恭也は一気に暗い顔になった。そう、確かに喜ばしい。翔太は、なのはの友人としては理想的だといっても言い。ここでもしも、最初にできた友人が、いじめっ子のような存在だったら、嫌味な存在だったら。なのははもっと酷いことになっていたかもしれない。もしかしたら、もう一度、引きこもってしまうかもしれない。それを考えれば、翔太は高町家にとって理想的な友人であることは間違いない。
 だから、だからこそ、ただ一点だけが気にかかる。

「これで、彼が女の子だったら言うことはなかったんだが」

「……きょ、恭ちゃん、それってどうなの?」

 半ば呆れたような声を出す美由希。美由希からしてみれば、深刻そうな表情で考え込んでいた恭也の胸のうちがこんなのだったのだから仕方ない。
 だが、恭也は本気だった。確かに翔太はなのはにとって理想的な友人だろう。ただ一点を除いては。その一点は彼が男の子であることだ。
 恭也の手の内にもあるのだが、最初の一枚。翔太となのはが肩を寄せ合って二人で写っているプリクラを見たときは何ともいえない感情に襲われたものだ。そう、いうなれば、娘に彼氏ができたときの感情というか、複雑な想いだ。恭也が特になのはを気に掛けているせいかもしれないが。

「でも、なのはたちはまだ小学生だよ。中学生とかになれば、話は別だろうけど、聖祥大付属は男女別だから、あんまり気にしなくても良いんじゃない?」

「そう……だな」

 確かに小学生の頃はあまり男女の境はないということを聞いたことはある。自分が小学生のときはどうだっただろうか、と思い返そうとしたが、そのころは父親と一緒に修行をしている光景しか思い出せなかった。
 自分のことは考えないようにして、今はなのはのことを考えることにした。そう、そうだ。なのははまだ小学生なのだ。まるで彼氏ができたときのような感情を抱くことは間違っている。恭也たちからしてみれば、男の子と女の子ということで気になるのかもしれないが、なのはたちは気にしていないのだろうから。

 そう、そうだ。だから、気にしないことにしよう。翔太が男の子でもなのはにとって最初の友人なのだから。

 ようやく自分を納得させた恭也だったが、まるでそれを見計らったかのように美由希が思い出したような口調で口を開く。

「あ、でも、『男と女の間に友情はあり得ない。情熱、敵意、崇拝、恋愛はある。しかし友情はない』って言うね」

「―――っ!?」

 俺はどうしたらいいんだ? とばかりに苦悩する恭也を見ながら美由希は意地が悪そうに笑うのだった。



  ◇  ◇  ◇



 月村すずかは、お風呂の中でご機嫌だった。
 理由はいうまでもない。翔太に見せるために買った黒いワンピースを翔太が褒めてくれたからだ。

 今までは、黒は穢れを意味しているようで、自分の身体を揶揄してるようで、あまり気に入らなかったのだが、翔太が褒めてくれたおかげで、これからは暗色系統の洋服も着てみようと思うようになった。すずかとて女の子である。着ようと思える服のバリエーションが増えるのは嬉しいことである。

 しかし、蔵元翔太というすずかの友人は不思議な人である。今までは、姉に勧められようが、ノエル、ファリンのメイドに勧められようが、着ようと思わなかった暗色系の洋服を彼に褒めてもらえたら、という一心で着ようと思ったのだから。

 そういえば、友人になろうと思ったのも彼とアリサが初めてだった。アリサは理由が分かっている。要するに類は友を呼ぶという系列の友人なのだ。彼女はすずかと同じ。違いは、すずかの吸血鬼という特異性は見えないが、アリサは金髪と白い肌という目に見える形で見えるという違いである。だが、アリサと違い、翔太は彼女たちの正反対の人物だといっていい。友人もたくさんいる。だというのに、彼とはこうして友人を続けている。普通の人は、距離をとってきた自分がである。

 確かに彼には他の人とは異なる空気を持っているといい。だが、それだけだ。個性というだけで特異性は持っていない普通の一般人のように思える。だが、それでもすずかは友人を続けている。

 ―――どうしてだろう?

 その問いに対する答えはなかった。だから、翔太のことをもっと知りたいと思った。自分が友人を続けられる理由、あの不思議な雰囲気の理由、幽霊に対して信じている割には恐怖心を抱いていない理由。翔太に対するいろんなことを知りたいと思った。

 そして、すずかは、彼に自分のことを知ってほしいと思った。同時に、その事実を受け入れて欲しいとも。

 過去に抱いた感情。受け入れてくれるかも、という憶測から、受け入れて欲しい、という希望に無意識に変わったことについぞすずかは気づかなかった。

 さて、お風呂を上がったすずかは、廊下を歩きながら、今日一日を反芻していた。姉の話によると襲撃者は撃退できたようだし、洋服は褒めてもらえたし、高町なのはという乱入者がいたが、激動の一日に比べれば些細な一点だ。
 もっとも、アリサとなのはがにらみ合っている間、翔太が助けを求めるように視線を送ってきたが、すずかはそれを微笑で返した。アリサとなのはに挟まれて右往左往している彼に対してなにやらもやもやしたものを抱いたからだ。それが何かなんてすずかは分からない。だが、素直に手を差し出そうとは思わなかった。ショウくんなんて困っていればいいんだ、と思った。

 きっと、それはお茶会を断わって、高町なのはと楽しそうに休日を過ごしていたことに対する意趣返しだ。

 すずかは、そう結論付けて、自分の部屋に戻ろうとしていた。だが、その途中、リビングで天井の電球に対して光を透かすようにして片手に何かを持っている姉を見つける。それは、廊下を歩いていたすずかに鈍い蒼い光を運んでいた。

 その瞬間、すずかの中である記憶が再生される。

 ―――確か、ショウくんが探してるのは……。

「お姉ちゃん、それどうしたの?」



  ◇  ◇  ◇



 月村忍は、八方塞がりになった事態にため息を吐いた。

 襲撃者が人狼族のように獣耳を生やしていたことは、彼女の叔母であるさくらに連絡した。だが、さくらからの情報によると人狼族に心当たりはようだった。

 だが、忍が見た獣耳と尻尾は間違いがないため、さくらは調べてくれることを約束してくれた。そもそも、日本に住む人狼族は数が少ない。もしも、当たりがあれば、すぐに調べがつくはずだ。だが、厄介なのは、その人狼族が『はぐれ』だった場合。その場合、その人狼族は危険人物として群れを追放されたものである。群れで動いていない以上、はぐれである可能性が高いこともさくらは教えてくれた。その場合は、彼女も人狼族として応援に来てくれるようだ。

 もっとも、現段階では何も調べがついていないため、さくらが応援に来てくれることはないようだが。

 彼女の獣耳と尻尾以外で手がかりといえば、忍の前においてある猫の体内から出てきて、少女の目的とも思える蒼い宝石である。

「う~ん、これ何なのかしら?」

 一見するとただの宝石だ。だが、忍の夜の一族としての勘が、これが厄介なものであることを見抜いていた。どこか寒気がするほどに恐ろしいものだということも。だが、見ている分には、本当に蒼い宝石だ。当然、光に透かしてみても。

「お姉ちゃん、それどうしたの?」

 天井の電球に蒼い宝石を透かしていると、お風呂上りなのだろう。髪の毛をしっとりと湿らせた彼女の妹であるすずかが扉の向こうからこちらを覗き、忍の手に握られている蒼い宝石に視線を注いでいた。

「ああ、これ? 拾ったのよ」

 買った、では言い訳にはならないだろう。なにせ一見すると本当に宝石のように見えるのだ。そして、このサイズの宝石を買おうとすると数百万になるはずである。確かに忍の貯金を使えば、買えないこともないが、忍に宝石の趣味がないことはすずかがよく知っている。

 だから、半分、本当のようなことを交えて拾った、といったのだが、忍が答えるとすずかの目の色が変わった。

「もしかしたら、それショウくんが探している宝石かも」

「ショウくんが?」

 忍も翔太のことは知っていた。すずかの友達。どこか不思議な雰囲気を持った少年。からかいがいのない少年。今日、女の子と一緒にペットを探しに来ていた少年。

 ―――そのショウくんがこの宝石を捜してる?

 そこまで考えて、忍は不可思議な違和感に気づいた。

 この宝石を手に入れたのは襲撃者が来て、宝石を狙ってきていたから。そして、翔太たちが着たのはその直後。ペットが庭に逃げたからという理由だった。しかも、すずかの話によると彼らはこの宝石を捜しているようである。もちろん、翔太が探している宝石とは違う可能性もある。

 だが、襲撃者が来た直後に訪ねてきた翔太たち。偶然と片付けるにはあまりに出来すぎた偶然。むしろ、宝石を捜しにきた。ペットはその理由付けという形のほうが納得できる。どうやって、彼らがこの宝石のことを知ったかは別としてだ。

 とりあえず、なにやら興奮気味のすずかにこの宝石のことは翔太に伏せているように言った。もしかしたら、違うかもしれない。こんな宝石なら、捜す以外にも捜索願をだしているから、警察に届ければ彼の元に届くから、と半ば言い聞かせて。言い聞かせた後は、すずかを部屋に戻らせた。

 まさか、妹の友人を疑うところをすずかに見せたくなかったからだ。

「まさかショウくんがね」

 今回、訪ねてきたのは、翔太、恭也、彼の妹の三人である。忍は、恭也が御神流の剣士として裏の世界に関わりを持っていることを知っている。すずかの話とこの宝石を結びつけたときに最初に候補に挙がるのは、裏の世界とも関わりがある恭也だろう。だが、そう考えると問題がいくつか出てくる。
 まず、翔太と彼の妹の存在だ。恭也だけが関わっているだけなら、彼らを連れて行く必要はない。むしろ、忍が見たような人狼族と戦うなら、子どもは足手まといである。
 次に、御神流という剣術のあり方だ。彼らの信念は『人を護る剣』である。爆弾テロより前は、『不破流』という御神流の裏に位置づけられる流派があったらしいが、こちらは恭也が継いでいる御神流とは異なり壊滅している。その御神流の信念である『人を護る剣』が、果たして自ら動くだろうか。
 以上の二つの理由を鑑みるに、むしろ注目すべきは、恭也よりも翔太だ。翔太がこの蒼い宝石をターゲットにしていて、その護衛に恭也を雇ったというほうが筋が通っている。彼の妹が付随しているのは、彼女にも御神流を伝えるためだろうか。

 だが、しかしながら、それでも尚、疑問が残る。月村という名前は裏からこの土地を支配する一族だ。当然、住人もある程度は把握している。それは、月村の危機になる人間という意味だが。だが、その名前の中に『蔵元』なんて名前はなかった。忍の勘からしても翔太は、ただの人間だ。

 だが、襲撃者の直後に恭也を護衛にした翔太の来訪。それがすごく気にかかる。忍の勘が何かがあると告げていた。だから、月村家、夜の一族としての役目を果たすため、忍はノエルを呼び命令する。

「ノエル、蔵元翔太について徹底的に調べて」

 ノエルは忍の命令に頭を下げることで応える。

 さて、と忍は笑った。これで、翔太がもしも裏の人間との何らかの関わりがあれば、面白いことになる、と。



続く

あとがき2
 確かに忍の考察に恭也が入っていないのは不自然なので追加。
 恭也は翔太の護衛と認識。翔太だけがあぶれるので、調査という考察です。

あとがき
 全部で30話になりました。ここまで続けられたのも皆さんの応援のおかげです。ありがとうございます。
 三ヶ月ぐらいだから、大体三日に一話ぐらいですね。よく書けたな、と思います。感想も1000を突破してますし、嬉しい限りです。
 あ、就職活動も無事に終わりました。

 さて、次回は温泉……はなくなって、都心でのVSフェイトです。
 これからもよろしくお願いします。



[15269] 第十六話
Name: SSA◆ceb5881a ID:de8c662e
Date: 2010/04/21 20:57



 月村家でジュエルシードの反応を見つけながら、ジュエルシード自体は見つけられなかった休日から数日後のゴールデンウィーク前にある奇妙な連休。僕の前世の記憶が正しければ、ゴールデンウィーク前にはこんな連休はなかったはずだが、この世界では存在するのだから仕方ない。

 さて、本当なら朝からジュエルシード探しに奔走している僕たち四人なのだが、今日は毛色が違った。今日は四人ではなく、六人だ。追加の二人は美由希さんとなのはちゃんのお母さんである桃子さん。おばさんと呼ぶにはしり込みしてしまうような若さを保っている桃子さんをおばさんと呼ぶことはできず、桃子さんという呼称で納得してもらっている。

 前回からあまりにジュエルシードの発見率が低いための人海戦術の投入か? とも思ったが、真相は異なる。もしも、人海戦術なら僕たちはこんなところでベンチに座ってなどいない。

「長いですね」

「こんなものさ」

 僕と同様にベンチに座る恭也さんは慣れているのか、なんでもない風に答えてくれる。僕だって女の人の買い物が長いことぐらいは知っている。ただし、それは知識で、だ。実際に遭遇するとなると確かに長い。ただ待つだけという時間が無性に長く感じるのかもしれないが。

 そう、なぜか今日、僕たちはショッピングモールへ買い物に来ていた。買い物と言っても日用雑貨品ではない。なのはちゃんの洋服だ。なぜ、こんなことになったのか分からない。気づいたら、僕たちはショッピングモールにつれて来られていた。ちなみにユーノくんは一人でこの周辺を探ってもらっている。僕と恭也さんはそれに着いていくべきかと思ったが、桃子さんと美由希さんがそれを許してくれなかった。

 なぜ? と問いかけても、明確な答えは返ってこなかった。ただ、美由希さんが答えてくれたことが気になる。美由希さん曰く『君のせいだから』ということらしい。

 こうやってなのはちゃんの洋服を買うためにショッピングモールに来た理由はどうやら僕にあるらしい。しかも、待っている間に恭也さんから聞いたのだが、なのはちゃんがこうやって洋服を買いに来ることは今までなかったようだ。

 その二つの要素から考えるに、僕に付随して洋服に関する出来事になのはちゃんが遭遇して今日の予定を決めたということになるだろう。そう考えると、見つかる解は一つしかない。つまり、先週の月村邸のことだ。すずかちゃんが見せたあの黒いワンピースのような洋服。それを見てから? いや、それなら、『僕』に理由があるとは考えられない。ならば、すずかちゃんに対して僕が行った行動が原因ということだろうか。そうだとすると、僕がすずかちゃんの洋服を褒めたことぐらいしかない。

 なるほど、僕の想像でしかないが、確かに筋は通っているだろう。なぜ、僕がすずかちゃんの洋服を褒めるとなのはちゃんも対抗するように洋服を買いに来るのだろう、と疑問を持つほど鈍感ではない。理解はできるが、その言葉を口に出すのは恥ずかしいものだ。もっとも、なのはちゃん自身はその感情に気づいていないだろうし、そもそも、それをきちんとした言葉で定義できるかどうかも疑問である。

 なのはちゃんたちのような小学生、つまるところ思春期前の僕たちが明確に『恋』を自覚できるか、というと甚だ難しい。なぜなら、『恋』の根源にあるものは、恋は下心、愛は真心というように異性に対する感情だからだ。僕たちの年齢は、男女の境はできるはじめるものの、明確に意識するのは難しい。意識したとしても自分の中で完結してしまうものである。なぜなら、思春期のような二次性徴前の僕たちには、異性に触れたい、というような感情が薄いからである。だから、特別な関係―――つまり、恋人関係になろうとしない。よって、自分の中で完結してしまうのだ。

 きっと、なのはちゃんはこのことには気づくことはなく、感情は薄れていくだろう。人の心は移ろい行くものだから。将来、大人になったときに『私の初恋はショウくんだったんだよ』と酒の肴にでもなれば上等だろう。

 僕がこの事態について考え、ある程度結論をだしたところで、洋服売り場からなのはちゃんが、まだ試着段階のシャツとスカートを持ってきて、嬉しそうに笑いながら自分の身体に合わせて僕に見せてくる。

「ショウくん、ショウくん。似合うかな?」

「うん、可愛いと思うよ」

「えへへ」

 なのはちゃんに対して何もすることはないと判断した僕にできることは、桃子さんに選んでもらったのであろう可愛らしい洋服を持ってきたなのはちゃんに褒めの言葉を送ることぐらいだった。



  ◇  ◇  ◇



 連休から数日後。僕たちは海鳴の街の中心に位置するビル郡を走り回っていた。太陽はとっくに水平線の向こう側に消えている。いつもなら、日が暮れれば帰宅する僕たちだが、今日はそういうわけにはいかなかった。久しぶりにユーノくんがジュエルシードの反応を見つけたからだ。

 さすがにジュエルシードの反応を見つけておきながら、また明日、とはいかない。ジュエルシードはいつ、誰の手に渡るか分からないのだ。しかも、万が一、他人に渡ってしまうと甚大な被害が出る可能性が高い。ユーノくん曰く、生物の中でも人というのはジュエルシードに触れたときの発動効果が高いらしい。だから、放置するわけにはいかず、なのはちゃんの家と僕の家に連絡して、今日は日が暮れておきながらも探索を続けているのだ。

 だが、闇雲に探しても仕方ないので、ある程度目星はつけている。もしも、目立った場所に落ちているなら、誰かが拾っているだろう。なにせ、外見上は蒼い宝石なのだ。興味をそそられず誰も拾わないというのは変な話だ。だから、落ちているのは、ビル郡の道路の真ん中ではなく、路地裏に近い場所だろうという推測を立てて捜索している。

 近くにあることが分かっているのにぞろぞろと群れて探す必要はない。ある程度の距離をとりながら、今はユーノくん、僕と恭也さん、なのはちゃんというチームで三手に分かれていた。お互い、あまり離れず、すぐにいけるような距離で探している。

 ユーノくんが反応を見つけてから一時間近く探している。だが、中々見つからない。見つからなければ、誰も拾ってないさ、と高をくくっているものだが、反応があるとすぐに誰かに拾われてしまわないか、と不安になってしまう。だから、僕と恭也さんは黙々とジュエルシードを探していた。

 そして、路地裏に入ること十数本目、なんとなく違和感を感じて覗き込んだポリバケツの裏に僕は目的のものを見つけた。ポリバケツの影に落ちていたそれは路地裏の隙間から入ってくるビルの光を蒼く反射していた。

「恭也さん、見つけました」

 近くで僕と同じようにジュエルシードを探していた恭也さんを呼ぶ。恭也さんは僕の声を聞いてすぐに飛んできた。

「どれだ?」

「これです」

 僕は、近くに落ちているジュエルシードを指差した。すぐ近くにジュエルシードが落ちているのに拾い上げないのは、僕の願いにジュエルシードが反応してしまうことを防ぐためだ。すぐに触れてどうにかなるというわけではないだろうが、万が一僕が思ったことを願いと受け取ってしまうことが怖い。僕の目の前にある宝石は、その淡く輝く蒼とは異なり、触れれば爆発する不発弾のような危険性を孕んでいた。

 ―――なのはちゃん、ユーノくん、ジュエルシードを見つけたよ―――

 恭也さんを呼んだ僕は、すぐに念話でなのはちゃんとユーノくんに知らせる。早くこいつをなのはちゃんに封印してもらわなければならない。なのはちゃんもユーノくんもすぐにこちらに来るようだ。

 ようやくジュエルシードが見つけられて一安心といったところだが、見つけたからといって簡単に気を抜くわけにはいかなかった。先日の月村邸でのことがあるからだ。僕たちが知らない魔導師がどうやら地球にいるからだ。今回は僕たちが早かったが、もしかしたら、次の瞬間にも目の前にあるジュエルシードを狙ってくるかもしれない。

 もっとも、魔導師が本気で僕たちを狙ってきたら勝つことは無理なのだが。

 確かに恭也さんは強いかもしれない。だが、それは地球人相手だ。恭也さんの師匠である士郎さん曰く、銃ぐらいならなんとかなるが―――この時点でなにか色々おかしいような気がする―――魔導師に空を飛ばれたらおしまいらしい。何より魔法とい