昭和16年(1941) / 昭和17年(1942) / 昭和18年(1943) / 昭和19年(1944) / 昭和20年(1945)
昭和16年 | 月 日 | 戦争指導・軍事行政・陸海軍作戦 ほか | 月 日 | 欧米情勢 1941年 |
1月 | 1日 16日 18日 22日 |
全国の映画館でニュース映画上映開始 大本営陸軍部 長期戦不可避を確認 戦陣訓を下達 翼賛選挙法案成立 |
3日 22日 29日 30日 |
英軍 リビアで伊軍撃破 英軍 伊軍からトブルク奪還 ワシントンで米英幕僚会議開催 伊軍 ケニアから撃退される |
2月 | 6日 7日 14日 16日 |
野村駐米大使 米国到着 タイ・仏印国境紛争調停会議開催 野村駐米大使 米大統領に信任状奉呈 大島駐独大使 ベルリン着 |
6日 12日
17日 |
英軍 伊軍からベンガジ奪還 ロンメル将軍指揮下の独軍 トリポリ到着
エチオピア、英と共同し伊軍に攻勢開始 |
3月 |
3日 12日 27日 31日 |
国家総動員法 改正法律公布 松岡外相 欧州訪問のため東京発 松岡外相 独外相及びヒトラー総統と会談 松岡外相 ローマ着 |
1日
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ブルガリア 三国同盟に加入
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4月 |
1日 12日 14日 25日 |
小学校を国民学校と改称 義務教育8年制 日米了解案完成 松岡外相スターリンと会談 野村大使とハル国務長官との日米交渉開始 日ソ中立条約批准 |
6日 18日 25日 30日 |
独軍 ユーゴ、ギリシャ作戦開始 ユーゴ降伏(23日 ギリシャ降伏) 独伊軍 エジプト侵攻 ヒトラー独総統 対ソ作戦実施を決意 |
5月 |
3日 7日 20日 28日 |
日米了解案の修正案を採択 北支方面軍 中原会戦開始(〜6/15) 東京湾開港 日本イラン修交条約成立 海軍 航空科を飛行科と改称 |
10日
20日 |
ヘス独副総統 英国へ脱出
独落下傘部隊 クレタ島挺身攻撃のち占領 |
6月 |
6日 16日 17日 21日 |
大本営陸海軍部 好機南進決定 汪兆銘主席一行来朝 日蘭印会談決裂 米 日米交渉最初の米国案提示 |
3日 8日 22日 30日 |
ヒトラー総統 大島大使に独ソ戦不可避を通告 英軍と自由仏軍 シリア侵攻 独ソ開戦 独外相 松岡外相に対ソ参戦を督促 |
7月 |
2日 7日 10日 28日 30日 |
情勢の推移に伴う帝国国策要綱決定 関特演 第1次動員下令 関門トンネル開通 南部仏印に平和進駐開始 ツツイラ号事件 |
13日 16日 21日 25日 26日 |
英ソ軍事協定締結 独軍 スモレンスク占領 仏 南部仏印進駐要求を受諾 米 在米日本資産凍結令を公布 マッカーサー現役復帰 極東司令官就任 |
8月 |
1日 3日 4日 26日 30日 |
米 対日石油輸出全面禁止 陸軍 対ソ戦決意 海軍は反対 近衛首相 日米巨頭会談を提案 近衛メッセージを米に発送 金属回収令公布 |
10日 14日 21日 25日 29日 |
米大統領と英首相 洋上会談 米英共同宣言「大西洋憲章」発表 独軍 レニングラードまで20km地点に進軍 英ソ軍 イラン進駐 ヒトラー・ムッソリーニ会談 |
9月 |
3日 6日 18日 25日 27日 |
米 日米巨頭会談拒否を通告 御前会議で帝国国策遂行要綱決定 第11軍 長沙作戦開始 統帥部 首相に期限付き和戦決意を要請 近衛首相 心痛のため鎌倉に引き篭る |
15日 |
独軍 レニングラード包囲線開始 |
10月 |
5日 7日 14日 16日 23日 |
陸軍−外交の目途なし 海軍−交渉継続論 首相・統帥部他 其々日米交渉について討議 東條陸相 支那撤兵問題で首相と意見対立 近衛内閣総辞職(18日 東條内閣成立) 9月6日の国策遂行要領を白紙還元・再検討 |
6日
15日 |
独軍 モスクワ総攻撃開始
ソ連政府 クイビシュクへ移転 |
11月 |
1日 6日 7日 18日 20日 26日 |
対米交渉甲・乙案と帝国国策遂行要領決定 栗栖特派大使 空路から渡米 野村大使 甲案での日米交渉開始 衆議院で国策遂行に関する決議案採択 野村大使 乙案での日米交渉開始 ハル・ノート手交 聯合艦隊単冠湾出航 |
23日 |
独伊軍と英軍 トブルクで激闘 |
12月 |
1日 8日 10日 17日 19日 25日 |
御前会議で対米英蘭開戦を決意 大東亜戦争開戦 真珠湾奇襲・マレー上陸 マレー沖開戦 英戦艦2隻撃沈 英領ボルネオ占領 ペナン島占領 香港占領 |
1日 5日 9日 11日
24日 |
独軍 ロストフ撤退 独軍 「バルバロッサ作戦」中止 重慶政府 対日独伊宣戦布告 独伊 対米宣戦布告
アーケディア会談 |