D 語 録

1.放 下(ほうげ)
2.真理はいつもマイノリティー
3.魂 の 借 金
4.宿題わすれていませんか
5.低 級 神 秘 力
6.感謝、笑顔、良かった良かった
7.時は今..........です
8.ヨッパライ天国
9.56億5600万年に1回のチャンス
10.アセンションバスのご案内
11.本物の自分(真我)とニセ物の自分(自我)
12.精 進
13.人間は何のために生まれてきたのか
14.羽化への「ゆらぎ」
15.聖 な る 動 作
16.祈 り
17.2001.7.7 地球さんへ
18.欲 の 高 度 化
19.感 謝
20.良きヒーラーとなるためには
21.廓然無聖(かくねんむしょう)
22.意識の高度化
23.全宇宙で最高の波動をもつことば
24.真 理
25.マタイの福音書24章の解説
26.ヨハネの黙示録 解説 その1
27.愛するということ
28.ヨハネの黙示録 解説 その2
29.裁くということ
30.ヨハネの黙示録 解説 その3
31.チ ェ ン ジ
32.レムリアの魂たちよ
33.○○への手紙
34.みんな、ダイダイダーイ好き・・・・・
35.能動的に愛するということ
36.自己愛と他者愛
37.ガ イ ド
38.心 を 静 め る



1.放 下 (ほうげ)
人は皆、神の造りし遊びやゲームに夢中である。
神は、宇宙一のプロデューサーであり、異色の脚本家であり、天才ゲームメーカーであり、なおかつ巨大アミューズメントパーク、その名は地球のオーナーでもある。
だから無いものが無いし、ありとあらゆる遊びやゲームをそろえて、人を骨抜きにする。
オモチャ、TVゲームに始まって悲劇・喜劇にホラーにサスペンス、家族ゲームに愛人ゲーム、買い物ごっこにお姫様ごっこ、酒にギャンブル・覚醒剤、チャンバラごっこに戦争ごっこ、とどめは核を使った火遊びだ。
空から見ていた天の母、放蕩息子に呼びかける。
“もう充分遊びましたか。そろそろお家に帰る時間ですよ”
って。
どんな人でも、人はいつか必ず全てを放下させられる時がくる。
その時をこの世では“死”といい、反対に、生きているうちに自らすすんで余計なもの一切放下することを
“ 解脱 ” という。
言葉のうえにおいてはどちらも同じ放下だが、両者には天と地ほどの開きがある。
これに気づく人は少ないし、ましてや後者を選ぶ人はなお少ない。
シンデレラよろしく、時刻は只今23時59分、まもなくお家に帰る馬車が出る。
心ゆくまで遊びますか、それとも母のみ胸に帰りますか。
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2.真理はいつもマイノリティー
中国の常識の多くはアメリカでは非常識だし、アメリカの常識の多くはインドでは非常識だ。
またインドの常識の多くは日本では非常識だし、日本の常識の多くはアフリカでは非常識だ。
それぞれ何億人もの人々が、何百年何千年にわたって積み上げてきた民族の価値観の総計というべきものが、国境を越えるだけでいとも簡単に否定されてしまう。
この現実を人はさも当たり前のように錯覚し、単なる地域性・多様性として片づけてしまうが、はたしてそうなのだろうか。
国がかわる毎に常識が違うということは、常識というものはかなり完成度の低いものであり間違いを多く含んだものであるということ、次に正しさはそれを信ずる人の多寡とは全く無関係であるということ、さらには人類は数多くの不完全な概念を作り出
し今なおそれを後生大事に踏襲しているということ、これらにもし気がつく人がいたらたいしたものである。
親や兄弟、恩師や友達が言ってたから、有名な大学教授や評論家が書いてたから、伝統があるから、大企業だから、大教団だから、国会や多数決で決まったことだから・・・・はたしてそれは正しいのか。
お釈迦様はおっしゃった
「多くの人が信じているから、伝統があるから、格式があるから、権威があるから、聖人や賢人が言ったから、教典に書いてあるからといって物事を信じてはならない。
自分の理性と意識によって確認され、心から信ずることができたことだけを、自身の信念とし、これに基づいて行動せよ」 と。 これを自灯明(自法灯)という。
せっかく学んだことも、周りの人には理解してもらえず、孤立無縁で少数派だから、やっぱり間違っているのではないかと、すぐにフラつきコロコロかわる方。
そろそろご自身の自灯明に煌々たるあかりをともし、その光でこの世の真偽をとくと検証されてみてはいかがでしょうか。
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3.魂 の 借 金
“何で私だけが、こんな目にあわなければならないんですか”
“何で私だけが” 相談に見える方の主張の中心は、いつも同じだ。
しょっぱなから、“あなただからそうなったんで、他の人ならそうならなかったんですよ”と言ってしまったら話がそれっきりとなってしまうので、グッとこらえて聞き役に徹するが、気づいて頂きたいのはこの一点につきる。
たとえ心の底からそう思ってなくても、自らの責任について一言でも言及される方はまだかわいい方で、いつも悪いのは社会であり、周囲の人であり、自分は加害者でなく被害者であり、悲劇のヒーロー、ヒロインを演じたがる人の、なんと多いことか。
人間はしなくてもよいようなことばかりし、しなければならないことをなおざりにする。
自らは愛を求める一方で、他に対しては愛のない行いを繰り返す。
時たま募金箱に千円入れては、十万円寄付したぐらいの自己満足を感じ、他人様の無私の行為には、これを十分の一に減額修正したり、時には何か裏があるのではないかと勘ぐってしまったりもする。
はっきり言ってどうしようもないが、これが人間という生き物の実体である。
“何で私だけが、こんな目にあうのか” 答は簡単、しなければならなかったこと、すなわち愛に基づいた行い、引くことの、しなくてもよかったこと、すなわち愛と反対の行いの合計がマイナスとなっている人が「こんな目」によくあうのである。
前世までの勘定(もちろんマイナスだが)と今世での勘定の合計がプラスに転じた人だけが、地球レベルでの輪廻転生を卒業することになる。
ほとんどの人は、自らが多くの魂の借金を抱えていることすら知らないし、百万円の借金を十万円返したぐらいで全部返したと錯覚している。踏み倒そうと思っている人、まさかいないとは思うけど、やめときなさい。それこそ借金地獄に落ちるのがオチですよ。
下をながめては、自分は気づいたのではないかと思ってしまう方、残債がまだ9割も残っているかもしれないことを、どーぞお忘れなく。
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4.宿題わすれていませんか
釈迦は人生は一切皆苦であるとされ、苦というものを生老病死の四苦に、愛別離苦、求不得苦、怨憎会苦、五蘊盛苦の四苦を足した八苦に分類された。
そして苦の原因は生まれてくることそれ自体にあり、生まれることは生やもろもろへの執着によってもたらされ、執着は欲や感情によって、欲や感情は感覚によって、感覚は心によって生ずる、と見極められた。
これを十二縁起(因縁)といい、加えて、苦・集・滅・道の四つの真理(四聖諦)を学ぶことにより無知無明を解消し、八正道を行うことにより、心を清らかに静寂なる状態に保つことが大切だと説かれた。
一方キリストは、肉体の意識というものが、人間にとって最もやっかいなものであり、これがほんとのサタンであり、これに対抗するには、心を愛で満たし、思いやりややさしさ、奉仕や赦しを実践することが大切であると説かれた。
そして悩み苦しみ病み貧する人たちに対して、最も困難な試練に直面しているあなた方こそが、実は天国への最短距離にいるのだと諭された。
釈迦は、どちらかというと苦というものをネガティブな視点から把握され、この根源をつきとめ徹見することによって苦の消滅を、キリストは、苦をどちらかといえばポジティブな視点で愛の力で包み込むことにより、マイナスをプラスに転換しようとなされた。
どちらも見事に神の宿題、人間は何のために生まれてきたか、また、どう生きればよいかに答えを出されたが、皆さんは、ご自分の人生に対してどのような答えを見い出されたのであろうか。
それとも昔の話だからとうに忘れてしまって“そんなの聞いてないよ”と突っ張ってみますか。
お空の上には、おそらく、あなたの証文がキッチリと保管されていると思いますが、何でしたらFAXでもしてもらって下さい。
右を見ても左を見ても、一見ほとんど愛がないようなこの地球という星で、愛とは反対のことを永年十二分に体験された皆さんが、もう間もなく気づきから気づきを促す側にとらばーゆされ、宿題をきっちりとはたされているビジョンは、天上界の方々の親の欲目なんでしょうか。
老子はこう言われた。
上士、道を聞けば、勤めてこれを行う。
中士、道を聞けば、在るがごとし亡きがごとし。
下士、道を聞けば、大いに之を笑う、笑わざれば以て道と為すに足らず。
みなさんはこれまでに何度も道を聞かれたわけですから、努めてこれを行う時が来ているのではないでしょうか。 いかがでしょう。
釈迦が悟られた時、悟ったことを伝えるのがいかに難しいかに気づかれ、“どうか私を天上界にお戻し下さい”と言われたといいます。
この時、大毘廬舎那仏が現れて、あなたの悟られたことを、どうか人々にお拡め下さいと頭を下げられたそうです。
気づくのも難しいが、気づきを拡げるのもこれまた難しい。だが難しければ難しいほど、これを克服した喜びもまた大きいし、あなたの天上界での褒賞は、想像をはるかに超えたものとなる。
“ものはついで” “行きがけの駄賃” とはよく言ったもので、難しいついでに二聖人の足跡をほんの一部だけでも追体験するのも、案外イカした発想だとは思いませんか。決してイカれた発想ではありません。
大したことはないんです、ほんの軽い気持ちでいいんです。仏壇仏具に線香の3点セットや、難解でわけのわからないぶ厚い教義もヘタクレも、ほとんど必要ありません。
もうすでに、外に神を求めた時代から、裡に神を求める時代に入ってます。
だから、軽いノリがこれからの時代には一番あってます。
“面白くて、おかしくて、なおかつチョッピリためになる”
皆さんのこんな話を、多くの人が待っておられます。
天上界宿題管理委員会一同
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5.低 級 神 秘 力
世に宗教ほどニセ物が跋扈する世界はない。背景にあってこの世界を強力にバックアップしているのが低級神秘力である。
透視・遠視・テレパシー・読心・霊聴・霊動といろいろあり、低次アストラル界の住人と結託した場合、それはかなりの力をもつ。
一般大衆の御利益主義、霊能力をむやみに崇拝してしまうイージーな風土、あるいは日本人独特の依存心の強さともあいまって、以外や以外、不思議と社会に深く静かにとけこんでいる。
ガンが治った、難病が治った、会社が助かった、骨肉の争いがおさまった等々、盲信されている人ほど奇跡だ奇跡だと騒ぎ立てるが、神はいつからご用聞きや便利屋になられたのであろうか。
真理に即したことを少しでも理解された方ならすぐわかることだが、そもそも一切皆苦の地獄のようなこの世をおつくりになったのは神その人であり、そこで人間が勉強する必要があるから今も地球が存続していることを考慮すれば、四苦八苦しながらも修行し進化成長しているものたちに対して、安易に答えを教えたり、年中救いの手をさしのべたりすることは、どう考えても理屈に合わない。
高級神ほど、人が泣こうが喚こうが一向におかまいなしのほったらかしである。聖書をみれば明らかだ。 「悩めるものは幸いである」 と。
永いこと神にそっぽを向いていた人が、神の方に向き直ったらアメ玉ひとつくれるぐらいのことはあるだろう。がしかし、それ以外は教祖が低次のチャクラで霊能力を使ったか、低次アストラル界の住人が面白がってやったか、それとも本人が気づいた分だけ自身の真我が神秘力をおこしたか、のいずれかである。
昔から霊感の強かった人、マニプラやアナハタが目覚めると教祖様になるのでご用心。
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6.感謝、笑顔、良かった良かった
世の中には無駄なものも、無駄な事も一切ない。
必要なものが存在し、必要なことだけが起こる。
一滴の水が雲となり雨となり川となり海となり、植物の葉や茎となり、人の血や汗となり、万物に姿を変えるが如く、あなたの髪の毛の炭素は、いつしか曾孫のつぶらな瞳となるかも知れないし、あなたの歯のカルシウムは、ひょっとすると曾祖父の爪の一部であったかも知れない。
地球の万物は、増えることも減ることもなく、汚れることもきれいになることもなく、新たに生じるわけでも無くなるわけでもなく、とうとうと変化し、そこには何らの無駄はなく、必要なものが必要なだけ再生され、一種の完全リサイクルとでもいうべきものが繰り返されてきた。
ところが昨今の状況を見ると、大量消費や使い捨てが蔓延し、地球の循環システムはマヒ寸前、ガタガタと音をたてて崩れる一歩手前にある。
あなたは自分の顔に殺虫剤は塗らないし、お茶に除草剤を入れて飲んだりはしないだろう。
地球は一つの生命体だといわれて久しいが、今なお大地には殺虫剤や除草剤がまかれ、ありとあらゆる有害物質が毎日地球をむしばんでいる。
「原因と結果の法則」についてはこれまで何度か勉強してきたが、これよりは否が応でも繰り返しおさらいすることとなる。
残された日々、この世で生ある限り、何があっても「感謝、笑顔、良かった良かった」を貫く。
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7.時は今..........です
他の星々からのチャネリングをまとめると、地球は26,000年(半分の13,000年も同じこと)と2億3,000万年と56億5,600万年の計3つの主要な周期(サイクル)が重なる時期の真っ直中にあり、驚異的なパラダイムシフトがもう間もなく始まるという。
そしてこの偉大なシフトは、地球のみならず太陽系すべてのカルマを消滅させ、果ては遠く離れた銀河にまで影響が及ぶという。
この鍵を握るのがヨハネの黙示録に示されている144,000人の覚醒者で、百匹目の猿よろしく1人の覚醒者は144,000人の目覚めを誘発し、144,000人×144,000人=20,736,000,000人の人格が目覚めるのだそうだ。
もしこれが本当だとしたら、私たちは類稀なる時に、この地球という星、また日本という国において生を同じくし、なおかつ、一般社会通念とはかけ離れた不思議なお勉強を、机を並べてやっているということになる。
この偶然というか確率というか縁というか、これらを皆さんは一体どのように頭の中で整理されるのであろうか。
加えて、144,000人の覚醒者...........まさか...........もしかして.........いやひょっとすると.........と考えるのは私だけなのであろうか。
いずれにせよ、もう間もなく人の目に見える形での変化が始まる。変わりはじめてから変わるのは誰だってできるし、そこには進歩も向上もほとんどない。
世の中が変わる前からこれを見据え、自分を変えていくところに、たとえようもない値打ちがあり、驚異的な魂の進化がある。
よろしかったら、神の立場で考え、神と遊び、神と会話し、神を思慕し、神を趣味とし、神を友とし、神に奉仕し、自分と自分のまわりを神=愛で埋め尽くしてみませんか。
時は今.........です。
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8.ヨッパライ天国
人間は色んなものによく酔う動物である。
酒に酔い、金に酔い、権力に酔い、名誉に酔い、物に酔い、宗教に酔う。
酒はアルコールが抜ければ翌日にも酔いからさめるが、あとの残りはさめるどころか、酔ってることすら当人に自覚がない。
まあ、酒もほどほどなら“百薬の長”だし、他の物も、そこそこならば楽しい酔いとなる。
だがいずれも度が過ぎ○○中毒、○○狂と呼ばれるあたりから、話はコロッとかわってくる。
楽しいはずのひと時は、往々にして苦しみや悩みの日々となり、いつの間にか周囲の親しい人たちとも、争いや喧嘩が絶えなくなる。
何故か・・・・・。
これらの人にはいずれも共通項が見受けられる。それも一番始末に困るもの。それは、あらゆるものに酔っている以上に、自分自身に酔っているということである。
自分に酔うと、実にまわりが早い。すぐ足にくる。フラフラフラフラ、夢心地。まわりの辛言、聞く耳持たず、類は類を呼んで同じヨッパライが集まると、誰もが自分が酔っているなんて爪の先ほども思わなくなる。
たいがい行きつくとこまで突っ走り、己の人生を嘆くことしきり。
- 手当たり次第にチャンポンして前後不覚に悪酔いし、おのが失態ごまかすためにまわり中アタリ散らす人。
- 熱しやすく冷めやすい性格が功を奏してか、千鳥足で上手に落とし穴をかいくぐっては、自分は特別だと舞い上がってる人。
- 自分が酔ってるくせに人の酔ってるのばかりが目について、人に説教したがる酔狂な人。
- 落ちるところまで落ちても、何が何だかわからずに、ひたすらオキツネ様や占いに頼ろうとする人。
- 何度も痛いめにあって、ようやく酔ってることに気づきはじめた人。
あなたがどれかはわかりませんが、13,000年続いた長い宴は、もうまもなくお開きとなる。
あなたが酔って浮かれた間にためたツケは、神のツケウマによってキッチリと管理され、どこに河岸を変えようとも逃れることなどできません。
どうです、そろそろ酔いからさめそうですか。
それとも、ええいヤケ酒とでもいきますか。
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9.56億5600万年に1回のチャンス
ひとりの人間が第6次元の振動数を復活すると、その人はまさに光の柱となって周囲にまばゆいばかりのエネルギーを放射するようになる。
第7次元となれば、それはもうたとえようもなくすごいらしい。
まあ生きているうちに是非ともこの目で見てみたいものである。
そしてこのエネルギーを準備の整った人が受けとると、そう時を置かずして自らも第5次元第6次元の光を放射するようになる。
たったひとつの光の柱が、いつしか10になり100になり1000になり万を超えるあたりから、地球は明るくなって次から次へと連鎖反応が起き、大きな光りの輪が出来あがる。
もしあなたが第5次元から第6次元の振動数を復活し、光り輝く菩薩レベルとなったなら、それはそれは他の星のマスター達からも羨望の眼差しで見られるばかりか、銀河レベルでの偉業を達成したことになる。
地球が56億年ぶりにアセンションするというこのとてつもない類稀なるこの時期、地球で生き、かつまた恵まれた日本で生きているという幸運は、宝くじに当たったどころの騒ぎでないことをどうか理解していただきたい。
そして、残された日々すべてをこの一点に集約し、ただひたすらに第5、第6次元を目指すのがよい。
過去にいかに多くの過ちを犯していようが、あるいは山ほどの悪いカルマを抱えていようが、あなたが己の思い違いや考え違いに気づきさえすればすべては帳消しとなるばかりか、大きく飛躍することができるこの56億5600万年に一度しかないチャンスを、あなたは生かすのですか、それとも・・・・・・。
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10.アセンションバスのご案内
もうすぐ、光の本源に戻るノンストップ高速バスが発車する。人類が待ちに待っていたバスである。できるなら全ての人に乗って欲しい。なぜなら今度のバスをのがすと、次は再度数万年の歳月を待たなければいけないことになるからである。
予定ではバスの便数は3便ある。ひょっとしたら臨時便が出るかもしれないが、あまり期待しない方がいい。
第1便は発車時刻が迫っているので急ぐこと。料金はお金ではなく愛でお支払い下さい。後払いではなく先払いです。いささかでも不安な人は、胸のポケットの中の愛を確かめておいて下さい。
第2便は、混雑が予想されますのでお早めに乗り場にお集まり下さい。なお車内にゴミは持ち込み禁止です。特に執着という名のゴミを始末し忘れがちですので、ご注意下さい。
第3便は、乗り場が遠くなり、山あり谷ありの険しい道のりになります。背中と両手に山ほどのガラクタを後生大事に抱えている人、乗り場に着くまでにクタクタになって、後生が一大事になるでしょう。
あなたのバスがどれなのかはわかりませんが、バスに乗るには何も難しいことはないし、誰でも乗れるようになっている。ただ小綺麗にさっぱりとして、あとは自分の足で乗り場まで歩くことが必要なだけ。
そして皆さんが歩んだ道が、後から続く人の道しるべとなり、多くの人を佑けることになる。
皆さんの一挙手一挙動が、これから起こる地球と人類のアセンションに少なからず影響を与えるといったら、「まさかそんなことある訳がない」という返事が返ってくるかもしれないが、事実は小説よりも“奇”であり、56億年に一度のこの“機”を、自らの発する良い“気”で、自分は誰かを極めた人の中には、みんなが憩うやすらぎの大きな“木”となる人もいるでしょう。
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11.本物の自分(真我)とニセ物の自分(自我)
人は誰しも、自分が思っている程、強くもないし、賢くもないし、誠実でも、優しくもなく、偉くもなく、正しくもない。
また、自分が思っている以上に、欲張りで、うそつきで、うぬぼれ屋で、不親切で、ずるくて、臆病である。
人は自分以外のことや他人様のことには大いなる関心を持ち、よく分析し、かなり理解している反面、自分自身のこととなると正しく認識したり評価したりすることが出来ない。
自我はいとも簡単に、ずぼらを誠実に、横着を気まじめ、うそつきを正直者にすり替えてしまう。
また多くの人は、見た目と目先に惑わされてはスカを選択し、スカで永遠の幸福を得ようと悪戦苦闘する。
アタリはいつも自分の足元に転がっているのに、アタリがスカに見え、スカがアタリに見えてしまう。自我がわざとスカを選択させていることに、いつまでたっても気がつかない。
本物の自分(真我)とニセ物の自分(自我)、皆さんはこのことを考えたことがあるだろうか。
この点日本の神道は偉いもので、神殿の前には必ず鏡(カガミ)が置いてあるのには深い意味がある。
このカガミは2つの意味を持っていて、鏡に写ったその人、そうあなたが神ですよと教えていて、これを自拝礼といい、あなたの真ん中に巣くうニセ物の自分すなわち我(ガ)を取り除けば、あなたはカミに戻りますよ、という意味も併せ持っている。
ウーンと考えさせられるが、あなたが自分だ自分だと思ってる存在は、親や兄弟、先生や友人、本で読んだTVでみたことやその他もろもろの誰かが言っていたことの中から、自分が気に入ったものを寄せ集めただけの記憶の集大成以外のなにものでもなく、ほんとうのあなたはハートの奥で、ニセ物のあなたの一挙手一挙動を、ただ静かに見守っているだけなのである。
古今東西、聖者・聖人といわれる人が気づいたことはこの一点であり、これに気づきほんとうの自分に戻ることができた人のことを、悟った人という。
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12.精 進
長い人類の歴史の中で、まともな努力もせずチャランポランなまま、悟れた人はひとりもいないが、まじめに努力して精進して、悟りに至らなかった人もひとりもいない。
ここでいう精進とは、神=愛の大切さについて、たまたまでも良いから気づいたり知り得たことを、毎日の生活の中で少しづつでも実践し、かつまた20分、30分のコマ切れの時間を利用しては、神と直接ふれあうことをいっているのであって、1日中山にこもって、座禅を組んだり、読経したり、瞑想したりすることをいっているのではない。
大切なことは宗教、伝統、因習、形式に囚われることなく、コツコツと愛を行い、暇を見つけては神のエネルギーと同調することであり、小さな、ほんの小さな事の積み上げこそが、人の心を根底から変え、廻りをも変えてゆく偉大な力を持っているということを、自らが実践して実証することにある。
神は在りて在るものすべてであるから、あなたのローソクや線香、花や饅頭、お酒にお金、祝詞に読経など、ほんとはどれひとつとして求めていらっしゃらない。
求めていらっしゃるものはただひとつ、あなたの愛のお布施(愛の想い、愛の行い、愛の言葉)、ただそれだけである。
これらのことをよく理解されたら、早速今日からでも急がず休まずコツコツと、愛を行い、神と直接ふれあうことが出来る意識づくり、肉体づくりのトレーニングを真剣に始めまショ。
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13.人間は何のために生まれてきたのか
私たちは全知に近い神の分霊として、また代理人として、この地球上で苦というものを通して、より深く愛を体験・検証する為に生まれてきた。
何故神が直接体験できないかというと、ひとつには苦というものの体験が、愛一元の絶対的な神の次元では実現不可能で、地球のような相対的かつ物理的な次元でしか体験できないからであり、ふたつめには無限の一者である神がこの地球のような有限な世界に介入したとたん、そこが無限の世界になってしまうからである。
また神が全知に近い存在なら、何故わざわざ体験する必要があるかと言えば、“百聞は一見にしかず”のことわざのとおり、百聞=全智と、一見=体験とは、根本的な質的相違があるからである。
例えれば、インドについて本やビデオで山ほど知識を詰めこんだ多くの人が、実際にインドに行ったらカルチャーショックの連続で、世の中に対する考え方が、根底から変わってしまうのとよく似ているし、ご馳走の写真をいくらながめても、腹は満たされないし美味かどうかもわからないのと一緒である。
地球という「苦の海」のような星は、神によって人工的、もとい神工的に造られたバーチャルリアリティーなのだが、神の幻術は人間の知恵をはるかに超えているから、ほとんどの人は幻術であることを見抜けないまま、人生を終えてしまう。
神が用意された巧妙なワナ、すなわち欲や執着は、口には甘く強い習慣性があり、腹にはにがいとは重々わかっていても、ついつい手が出て、そのたびに溺れかけたり沈みかけたり、もがき苦しむことになる。 それこそ植木等の“わかっちゃいるけど、やめられない”
のだ。
“良薬、口に苦し”のことわざの如く、苦悩が大きければ大きいほど、魂にとっては何ものにもかえがたい貴重な体験で、その本質たるや最高の良薬なのだが、本人が苦悩を良薬だと認識しない限り、苦悩は良薬(気づきの妙薬)に転換しないから、苦悩のままで幕切れをむかえてしまうのが大半なのである。
何とも残念なことだが、それだけ地球での体験が難しい(チャネリングによると、天の銀河の中でもトップクラスの難しさだという)ということがいえるし、神の用意された巧妙なワナは、微に入り細を穿って相当手の込んだものとなっており、小憎らしいことこの上ない。
加えて、人を済度しなければならないような立場の人が、他人はおろか自分自身でさえ済度できず、右を見ても左を見ても暗澹たるニュースばかりが飛びかう末法の時代、気づくのはなおさらのこと容易ではない。
がしかし、そうであればあるほど、この時代に気づく価値は大きく、夜明け前が一番暗く、一寸先は闇ではなく、一寸先は光であることを信じて不断の精進を続けるべきである。
ここに集いともに研鑽されている方々を含め、この困難な体験を選択された地球の魂全員が、こうした道理をよく理解され、1人でも多くの方が苦を超越されたのち、一日も早く、光り輝く
“ 光の子 ” に戻られんことを・・・・・・!
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14.羽化への 「ゆらぎ」
霊性の向上を志すものにとって、真理に近づけば近づくほど、現実との間の乖離が問題となってくる。人間は生きてゆく為、仕事をしてお金を稼いで生活を維持していかなければならないが、一方では真理に近づくためには、ある程度の時間を使ってトレーニングや勉強を継続する必要がある。
トレーニングに力を入れすぎると仕事がおろそかになり、仕事に一生懸命になるとトレーニングする時間がなくなる。また、高次元の世界を知れば知るほど現実の生活が何だかアホらしくなり、現実がイヤでイヤでしようがなくなり、現実に戻れば、浮き世離れした高次元の世界のことはどうでもよくなり、心はこれら2極の間を揺れ動く。
特に、クンダリーニが上がり始めて、悪感情や悪想念、悪いカルマの解放が始まっているような人は、マイナスエネルギーが解放されるたび、肝臓・腎臓・脾臓等の主要な臓器が手痛いダメージを受け、加えて脳下垂体・甲状腺・副腎などの内分泌器官が一段と機能低下し、イライラが増幅する悪循環が始まる。夢遊病者みたいに心ここにあらずで、何が何だかわからないまま、一日がアッという間に過ぎ去っていく。
こうしたゆらぎは、羽化への重要な一過程であり、流れに乗っかってさからうことなく、自然体で流されてゆくのが上策である。ゆらげばゆらぐほどアカは落ち、ああ有り難い儲かったと達観して、静かに嵐が過ぎ去るのを待つのがよい。
どうしても不安な人は、誰しもがこの世に生まれる前、自分のハイヤーセルフと綿密に相談したうえ、自分の越えなければならないハードルの高さを決めてきており、一見越えられないような高さに見えても、実際には余裕をもって越えられる高さしかないことを信じることである。
現実の世界と高次元の世界をどう折り合いをつけてゆくかだが、現実の世界で生きてゆくことも大切であり、高次元の世界に近づくことも大切で、どちらに偏ることなくバランスをとりながら、この世であの世の真理を織り交ぜてゆくところに、神の求める答えがあるように思う。
坊さんが寺にこもって悟りを開くより、普通の人が普通の生活をしながら悟る方が、百万倍難しいし百万倍値打ちがあると白隠禅師はのたもうたが、あなたはその百万倍難しいことに挑戦しているのだから、少々のことがあって当然だし、大いに胸を張ってもらってもよいのである。
あなたの心がゆらぐにつれあなたの魂は成長し、ついには羽化してまばゆいばかりの光となって天使の如く天翔るかもしれない。
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15.聖 な る 動 作
ヨガや気功でいくら多くの座法や動作を学んだとしても、本人の意識が自己の外に向けられている限り、それは単なるポーズや筋肉の運動を行っているのと同じであり、健康維持には役立っても霊的な成長はあまり望むべくもない。
逆にヨガや気功に限らず、ヒーリングや座禅、奉仕や日常生活のあらゆるシーンにおいて、意識が裡なる神性に向けられつつ行なわれている行為、あるいは神性=愛に基づいた行為は、全て聖なる動作と言ってよい。
聖なる動作とは、肉体が動いているか静止しているか、あるいは宗教やスピリチュアル的な背景を持っているかどうかとは全く関係がなく、意識が神の方を向いているか、もしくは行為が神性に基づいているかどうかとのみ関係がある。
求道者はえてして、宗教や伝統的な形式を持つ聖なる動作ばかりを重視しこれらにこだわるが、本来重要なのは日常生活の中におけるさりげない聖なる動作であって、特別の儀式めいたものばかりが聖なる動作ではないのである。
裡なる神性とは、直接的には神や神の分霊モナッドのことを指すが、神とは愛であり、光であり、善であり、喜びであり、平安であるから、自己や他人が神の属性を感ずることができるあらゆる行為、それらはすべからく聖なる動作なのである。
人間は神の子であるが、神の子である人間の意識の本質とは善きことをする意志である。他人が喜ぶことをする、他人を佑けるようなことをする、こうした善きことをする意志の発露こそが真の聖なる動作である。
従って朝から晩まで善きことを行い、生活そのものが聖なる動作となってしまっているような人は、四六時中座禅や瞑想をしているのと何らかわりはなく、改めて何かをしなければならないということは何もなく、神から見れば自らの意図に完璧にかなった最愛のめぐし子なのである。
「たとえ、人々の異言や天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私には騒がしいドラやシンバルにしか聞こえない。
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも。
たとえ、山を動かす程の信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとして我が身を死に引き渡そうとも、愛がなければ私に何の利益もない」
コリントの信徒への手紙より
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16.祈 り
物があり余るほどある今の日本、生まれた時からありとあらゆるものに囲まれ、何不自由なく育てられた若い世代に対して、着る物も食べる物も、水も空気も、山も海も、大地もお天道様も、それらはみんなあることが当たり前ではなく、有ることが難しい有り難いことなんだよ、というような話しをしてみたとしても、何をトロクサイことを言っているんだ、と一蹴されてしまうのがオチだろうが、あって当たり前のものが、実は当たり前ではなかった、と全員が強制的に気づかされることになる時代がもう間もなくやってくる。
すなわち、人類をはじめ数多くの魂達に永きにわたって勉学の場を提供してきた母なる地球は、もう間もなく銀河の博物館へと変身を開始する。
地球学校最後の生徒であり、また散々母なる地球に対して親不孝を重ねてきた人類は、こうした時期にあたり本来なら地球をいたわり、地球の変身がスムーズに進行するように率先して佑けていかなければならない立場なのだが、人類のやっていることと言えば、皆さん自身が一番よくご存知のとおり、自分一人が生きていくことに汲々とし、地球を佑けるどころか地球のことなど一顧だにせず、これでもかこれでもかと今もなお傷つけ汚しているのが現状である。
何とも情けなく、地球に対して本当に申し訳ない気持ちで一杯になるが、じゃあ具体的に何をどうするかとなると、全ては時間切れで焼け石に水みたいな段階に来てしまったから、あとは地球のためにただひたすら祈ることが唯一残された手段となってしまった。
祈る祈らないは皆さんの自由だし、祈りの効果を疑う人も中にはいるかも知れないが、皆さんの真剣な祈りは必ずや地球や天上界に届き、少なからず地球の癒しに貢献できるので、是非ともこの機会を活かして祈りを実行に移して頂ければ幸いである。
祈り方には特段のルールがあるわけでなく、各自自由に自分の言葉とスタイルで祈れば良く、自分では仲々思いつかないという方は下記や次頁のフレーズをそのまま使って頂いて結構である。
地球が無事アセンションできますように
一人でも多くの方が気づかれますように
私が少しでもお手伝いできますように
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17.2001.7.7 地球さんへ
【 祈 願 文 】
56億年の永きにわたり、多くの魂に学舎を提供されてきた、地球さん、本当にありがとうございました。
満身創痍でボロボロになりながらも、一言の愚痴も言わず、ただひたすら大いなる愛で耐えてこられたあなたに、深く感謝いたします。
もうすぐ光の次元へ戻られるとのことですが、一日も早く傷を癒され、元気な姿で光に還られますよう心よりお祈りいたします。
天の父よ、天の母よ、どうか私達の祈りを聞き入れ、地球さんにたくさんの癒しの光をお送り下さい。
海よ山よ空よ森よ川よ よみがえれ
生きとし生けるもの全て
よみがえれ
地球よ
よみがえれ
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18.欲 の 高 度 化
神はあらゆるものを創造し、いろんな体験を重ねてゆくことによって未知を既知とし、更なる進化・向上を果たそうと考えこの物質宇宙を創造した。くだけて言うなら、あれもしたいこれもしたい、何でもかんでもやってみたい、と思って宇宙を創った。
だから、神は宇宙一の欲張りであり、その息子である人間も親の血を引き欲張りである。
親子共々欲張りであるからこそ、この宇宙も地球も存在し続けており、宇宙創造の原点である欲が無くなると、宇宙も地球もその存在理由が無くなって、元の光の状態へとお里帰りする。
人類はいつ頃からか、何故か欲を諸悪の根源とみなして罪悪視し、欲を抑えることを美徳と錯覚し、欲を抑えようと頑張る人に対しては一種の尊敬の念まで抱いてきた。そしてこうした流れの極めつけが、 ” 無欲たれ ” などという荒唐無稽でワケのわからない教えであり、古来無欲を唱えて無欲たりえた人はひとりもいない現実を、人類はそろそろ正視する必要がある。
宇宙創造の原点である欲のエネルギーは、全宇宙に充満し、あらゆる意識体に対し今もなお、新たなる創造と更なる進化を強力に促し続けており、強すぎる欲をある程度セーブしようとするならまだしも、真っ向からこれを否定しようなどということほど愚かなことはない。また仮に否定しようとしたとしても、否定しきれるものではないことは、皆さんもダイエットなどで既にご存知であろう。
欲は抑えようと頑張れば頑張るほど、抑えた力の何倍もの反発力が自身に跳ね返ってくる。その典型的な例が無欲を目指した修行者達で、せっかくしんどい思いをして食欲、性欲、物欲を抑えたつもりが、一時的にクサイものにフタをしただけの結果で終わり、よしんば今回の人生で反動がでなくても、次回の人生では、食い意地がはってスケベで欲張りで金勘定が好きな人になったりする。
欲はただ単に抑えたり否定したりするのではなく、神が与えたもうた天恵として素直に肯定し、自分のためだけの欲から、人様のための欲へと徐々に高度化させてゆくことにより、食欲、性欲、物欲等の生きてゆくための基本的な欲から卒業することを可能にし、あわせて神の求めた創造性あふれる人生を歩むことができることをよく理解することである。
人類は、 ” 無欲 ” という無知無明なる教えによって、人間が本来見据えていかなければならない視点をそらされ、人間を卑屈で偏狭にしてしまうトンデモナイ呪縛をかけられてきたが、こうした現状から一日も早く脱却し、高度でスケールの大きな欲を、自らの欲の中心にドカッと据え、人々の喜びや幸せを追求し、万物と調和した平和で平等な時代を築くべき時が来ている。
皆さん、欲こそが創造の原点、欲こそが進化の源、もっと高度でもっとスケールの大きな欲を持ちましょう。
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19.感 謝
何かしらの成功を収めた人に対し、あなたが成功された原因は何ですかと聞くと、決まって数多くの失敗やホロ苦い体験をしたことが支えとなったというようなことを異口同音に話されるが、世間でよく使われる「失敗は成功の元」は、実は極めて奥の深い真理の言葉なのである。
失敗して苦しんだからこそ、また誤りを犯し悩んだからこそ、人はひとつづつ賢くなって成功の段階を上がってゆけるのであって、何も突然空から降って湧いたような既に出来上がった成功などというものは、どこにも存在しないのである。
人類の誰しもが、愛をより深く理解するため、生まれる前に全ての記憶を消され、また持てる能力のほとんどを削がれ、無知無能に近い状態でこの地球に生まれ、故に生まれてから死ぬまで数限りない失敗や誤りを犯し、そのたびごとに悩み苦しむことを繰り返す人生を歩むが、その悩み苦しんだ体験とそれを克服してゆくプロセスこそが、人類にとってこの上もない霊的な成長をもたらしていることを、人類はそろそろ理解する必要がある。
今回の人生でたとえ何が起きようとも、それは生まれる前に自分で選んだことが起きているのであって、それが起きたことによって貴重な体験をしているのだ、ということに一日も早く気付かなければいけない。
人生の主な出来事は、 → 生まれる前に自分で作成したブループリントに基づいていて
→ それを実際に体験し → そして悩み苦しみ
→ 落ち込んであれこれ考え → 何かにハタと気付き
→ ひとつ賢くなる → それで全て良かったのである。
だから、これまでに何があったとしても、またこれから何が起ころうとも、全ては自分で選んだものがただ単に実現しているだけのことであって、それが体験でき、そしてまたひとつ賢くなれる、ということは実はこちらの方から授業料をお支払いしなければならないほど有難いことなのである。
したがって、貴重な体験の場、賢くなるチャンスを与えて下さった神に対して、恨みつらみをブツブツ言うのではなく、素直に感謝できるようにならなければいけない。
「神様いつもありがとうございます。今回もまた失敗をさせて頂いたおかげで、またひとつ賢くなることが出来ました」 と。
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20.良きヒーラーとなるためには
霊性を高めることと、裡なる神性を探求することが
一番二番であり、その他は全部三番以下である。
具体的には
愛するがゆえに愛され、
与えるがゆえに与えられ、
赦すがゆえに赦され、
憎むがゆえに憎まれ、
疑うがゆえに疑われ、
傷つけるがゆえに傷つけられる。
という「原因と結果の法則」を、まずもってよく理解する。
即ち、その人の人生を造るのはその人自身であり、言葉を換えればその人の行為(カルマ)がその人の人生を創造し続けているのである。
幸せも不幸も、すべては自らが創造しているのであって、神のような存在がその人の人生に介入することはなく、また運命や宿命などそのようなものは一切存在せず、あるのはその人が成した行為(カルマ)の蓄積がただあるだけなのである。
聖書には四代前までの前世が、今回のあなたの人生に深く関与していると書いてあるが正にその通りで、あなたの4代前までのカルマが、あなたの今回の人生で攻守ところを変えて再現されている。前世で他人をあやめた人は今世では自らがあやめられ、いじめた人はいじめられ、浮気した人は浮気される。
およそ人生で生起することすべて、カルマに依らざるものはひとつもなく、自らの学びの為にあらゆることは起こるべくして起きており、何ひとつとして偶然はない。あなたが会う人全員に会うべくして会っており、すべての人間関係は霊的な深い意味をもっている。
あなたが信じようが信じまいがそれは真実であり、この世を支配する真理でもある。
「原因と結果の法則」を理解し、自らが成した行為(カルマ)を修正してゆくことにより、人はカルマから解放され、真の自由を獲得する。
そしてカルマから自由になったものは「輪廻転生の法則」から離脱し、地球レベルでの学びを終了する。
全ての苦悩という結果は、「原因と結果の法則」に関する霊的無知と、愛の不足と、過度の執着という原因から生じ、苦悩を解消するには、この「原因と結果の法則」をよく理解し、一日を愛の想いと愛の言葉と愛の行動で満たしながら、執着をはずすことによって可能となる。
人間は本来無一物だが、オギャーとこの世に生まれてからあの世に旅立つ間に何かを残すとして、残したほうが良い一番重要なものは何か。
・・・・・金、家・・・それとも・・・。
愛だけが、他人様の心の中に残せるのであって、あの世に持って還れるものも他人様から頂いた愛だけであることを知る。
多くの人は、自らは愛を求める一方で、他人様に対しては愛のない行いを繰り返す。
他人様の無私の行為を過小評価する一方、自分のわずかな善行を過大評価する。自分は他人様より優しく思いやりがあり、愛あふれる人だと思っている人、果たして本当にそうだろうか。
ヒーリングを学ぶ道のりは、本当の愛を知る道であり、本当の自分を知る道でもあり、解脱への道でもある。
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21.廓 然 無 聖 (かくねんむしょう)
以下、達磨大師と中国の梁の皇帝武帝との問答
武 帝 「国教を仏教に改宗して人々にこれを奨励し、多くの寺院を建立し沢山の僧を養っているが、この功徳はいかに」
達磨大師 「無功徳」
武 帝 「しからば仏教の最高境地とは」
達磨大師 「廓然無聖」
無功徳とは、どんなに善いことを重ねても、見返りや報酬を期待しているようでは、それは徳とはいえないし、徳は善行そのものの中にただ存在するだけだ、ということをいっている。
わかりやすくいえば、喜びは喜ぶ心の中にのみ存在し、悲しみは悲しむ心の中にのみ存在する。喜怒哀楽その他全ては、自らの心の中にのみ存在し、自らの心の外には何ら存在しない、ということである。
廓然無聖とは、およそ人間が考え出すことができるような価値観・法律・規則・制度などは、どれをとっても不完全なものばかりであり、そのような中途半端な類は天上界には一切存在しない。
加えて、天上界は光一元・愛一元の世界であり、聖なるもの悪なるものといった二元世界の区別そのものも、もとより存在しない。
これを空に例えれば、雲一点ないどこまでも澄み切った青空のようなものだという意味である。
(この対話は、少林寺の作り話だとする説があるが、実話である)
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22.意 識 の 高 度 化
(1)神の存在に気づき、神を求めるようになる。
思いやりや優しさの大切さを認識し、真の愛に目覚める。
顕教や密教を研究しながら現実の裏に隠された真実を探し始める。
知足を理解し、不平・不満が少なくなる。
他人の悪口を言うことや、怒ることがめっきり減る。
(2)宇宙の二大法則である「原因と結果の法則」と「輪廻転生の法則」あるいは真我と自我、またチャクラや各意識体などについて理解がすすむにつれ、それまでの価値観が一変し始める。
感情の起伏が少なくなり、冷静な判断ができるようになる。
あらゆるものに対する執着が薄らぎ、次第に他に対して無害となる。
神=愛 についてかなり理解し、奉仕から赦し・自己犠牲へと愛が進化する。
(3)“自分は誰なのか” に対する本格的な追求が始まり、感覚統制、一心集中から、瞑想状態へと進む。
自我意識が徐々に希薄となり、“私は”、“私が”が少なくなる。
全人類から全存在へと、愛の対象があらゆるものに及ぶ。
クンダリーニが上昇し、チャクラが本来の機能を復活し、いくつかのシッディ(超能力)が目覚める。
霊眼が開き、アストラル界やメンタル界が見えるようになる。
(4)瞑想状態から有種三昧へと入る。
光明の中で至福を感じ、神との部分的な合一が始まる。
ほとんどの欲を統御し、無所有の域にはいる。神以外何も要らない。
かなりのシッディが示現し、そばにいるだけで人は癒され、苦悩は氷解する。
通常このレベルで、覚者、聖人と呼ばれるようになる。が究極は次。
(5)「原因と結果の法則」と「輪廻転生の法則」から離脱し、解脱する。
自分自身を含め一切合切すべてが溶けてなくなり、光だけがある。
これが無種三昧。何事も、“為さずして、為す”。
自然界は彼を創造主と見なし、すべての扉を開く。
神と完全合一、銀河、宇宙レベルで全知となる。最上の至福の状態。
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23.全宇宙で最高の波動をもつことば
私は神である
私は生命である
私は愛である
私は叡智である
私は光である
神. 生命. 愛. 叡智. 光
神. 生命. 愛. 叡智. 光
我が真我よ 宇宙の果てまで光り輝け
我が真我よ あまねく一切を照らせ
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24.真 理
人は皆、神である。
裡なる神を顕現せよ。
人生とは、人が神に還る道である。
愛こそが、神に還る最高の方法である。
愛とは、思いやりであり、やさしさであり、
奉仕であり、自己犠牲であり、
赦しであり、与え続ける、ということである。
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25.マタイの福音書24章の解説
「この世の終わり」 とは、闇の時代の終焉のことである。それはまた、光の時代の到来と同義である。
「コナゴナになる神殿」 とは、人間が永年にわたり積み上げてきた、一見立派そうに見えるが、その中身は不完全で間違いだらけの知識・常識のことである。これがコナゴナに砕けるまで、数々のイベントが続くのである。
「どんな前兆があるのでしょう」 前兆は、911以来もう始まっている。
「偽キリスト」 とは、ホンモノとニセモノの区別が出来るかどうか、という高度な学びをなさりに地球にやってこられた方々の為に、天上界が特別に派遣された、その道のプロフェッショナルたちのことである。
その道とは、皆さんをまんまと罠に陥れることであり、引っ掛けることである。引っ掛けは、魂のレベルに応じて、人間の浅知恵ではとてもじゃないが思いもつかないような段階まで用意されている。そして、今また新しいタイプの高度な引っ掛けが始まろうとしている。
「数々の恐ろしい出来事」 とは、人類を完全なる意識状態に戻すための、一種のショック療法である。そしてそれはどれをとっても、短期間で人類の意識をクリアーにするための最善の方法である。
「偽預言者」 とは、人類の近未来に横たわる、あらゆる可能性を公開・開示するための役割を担った方々のことである。楽観論から悲観論まで、人類の意識を反映した幅だけ預言は多種多様であり、また玉石混合でもある。偽預言者は、地上に住む人間種族だけとは限らない。
「妊娠している女と、乳飲み子を抱えている母親は、本当に不幸だ」 とは、そのようなハンディキャップを抱えて、人よりも多くの苦労を体験されてこられた方は、その時点で心清ければ、まっ先にピックアップされる可能性が高いということである。
「御国についての素晴らしい知らせ」 とは、この広大なる宇宙が何故存在し、人類はこの地球に何をするために生まれてきたのか、また何を学ばなければならないのか、あらゆる問題と答えの両方が全て解き明かされる時代がやってくる、ということである。
また、キリストが父と呼ばれた存在が、永年の地球における未知なるものの探求を終えられ、もうまもなく本来のポジションである、天界の王座に戻られるであろう、という知らせでもある。
「神に選ばれた人々」 とは、キリストが父と呼ばれた存在が、地球での探求の間、留守中のことを全てお任せになられた方々のことである。すなわち、大天使さんや天使さんのことに他ならない。聖書の中では、父の使用人とか召使いとか、いくつかの名称で呼ばれている。
「期間を短くする」 とは、人類の完全なる意識への復帰が、なるべく短期間でスムーズにことが運ぶよう、大天使さんや天使さんが腐心されていることを指す。
「もし迫害の期間が短くされないなら、人類は一人残らず・・・・」 とは、アセンションが順調に進展すれば、地上には人っ子一人いなくなるということである。またこれは、アセンションを極力短期間に集中して成し遂げたい、という天上界の意向を表わしている。だが、そうなるかどうかは、人類の意識の向上いかんにかかっている。
「ノアの時代」 のたとえは、誰の目にもわかるようなビックイベントが発生してから気づいても、ポイントが極めて低い、ということである。もし、それらが起こる前に気づけなかった方は、それ相応の再試験が続くことになる、ということをいっている。
「メシヤが荒野におられるぞ」 とは、戦乱の続いた土地や、水没を免れた地域に光の子が現われ、人々に宇宙の叡智や、地球の本当の歴史、また愛の大切さなどを説き始めることを指している。また日本の地名で、○○野と、うしろに野の字がつく地域は、他の地域より比較的安全であるということである。
「稲妻が東から西へひらめき渡るように」 とは、この日本から真実の福音書が発せられ、これがあっという間に世界中の方々に知らされる、ということを指している。
「いちじくの葉が出てくれば、夏は間近です」 とは、いつのことでしょう。もしかすると・・・・。
「寝ずの番をしていれば」 「日頃の備えが万全であれば」 とは、毎日コツコツと愛の実践を行っている方は、これから始まるであろうことを何ら危惧する必要はない。また、そのような方はまっ先にアセンションされるであろう、ということをいっている。
「天地は消える」 とは、アセンションして地下へいかれる方は、地上とは別天地の素晴らしい環境が待っている、という意味である。
「御使いばかりか、神の子さえも知らない。ただ父だけがご存知である」 の御使いとは、留守を預かる大天使さんと天使さんのことである。また神の子とは、キリスト意識を有するもの、すなわち光の子のことである。そして、父とは、創造主のことを指す。
「いつ来られてもよいように準備しなさい」 準備とは、日頃の愛の実践と常に心を平静に保っていることが9割であり、その他が1割である。
「忠実な召使い」 とは、光の子のことである。もしかすると、あなた・・・・。
出典:リビングバイブル(新約) いのちのことば社
今から2400年前、お釈迦様は次のような言葉を残されました。
「多くの人が信じているから、伝統があるから、格式があるから、権威があるから、聖人や賢人が言ったから、教典に書いてあるからといって物事を信じてはならない。自分の理性と意識によって確認され、心から信ずることができたことだけを、自身の信念とし、これに基づいて行動せよ」 と。
詳しくは、この “D語録” の “2.真理はいつもマイノリティー” をご覧下さい。
また昔から、こういった言い伝えがあります。「知る者は語らず、語る者は知らず」
そうです、ほんとうに悟った方というのは、この世で繰り広げられている壮大なゲームの内容を公表することを、天上界より厳しく制限されてきたのでした。
そして時代はうつり、今、この制限は・・・・。
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26.ヨハネの黙示録 解説 その1
「7つの教会のたとえ話」 は、自分ではキリストの教えに基づいてちゃんとやっているつもりでも、時間の経過とともに、人間は皆自分の都合に合わせて、どこかしら曲解し、いつの間にか間違った方向に進んでしまうから、常に気をつけなさい、ということを暗示している。
実際、キリストの死後、何回かの公会議において、キリストの教えはかなり修正されたり、改ざんされたりもした。またそれ以後も、組織間の利害を巡って、同じキリストの教えを継承するもの同士が対立したり、時には流血を伴う抗争に及ぶこともしばしばあった。
キリストの教えを標榜するもの同士が、骨肉の争いをするのを見て、天上界におられたキリストは、いかような思いでご覧になっていたのであろうか。そして、それは今も続いている。
「24人の長老」 とは、24人の大天使さんのことである。大天使さんは、地上でのゲームに直接参加される体験組の12人と、天上界で留守番をされながらゲームに参加される後方支援組の12人とに分かれている。
「神の7つの霊」 とは、4つのL、Life・Love・Low・Light、すなわち生命・愛・叡智・光に、3つのP、Power・Pleasure・Peace、すなわち力・喜び・平安(平和)の3つを加えた7つである。
「4つの生物」 とは、人類が構築した4種類の宗教・思想・文化圏をあらわしている。4種類の価値観を共有する集合意識と考えてもらっても同じである。
ライオンとは、獅子のことであり、中国・モンゴル・チベットの仏教系、東アジア文化圏のことである。
鷲とは、白頭鷲を国鳥とするアメリカのことであり、今世界中を席巻しているアメリカンスタンダード、拝金・物質至上主義のことである。
雄牛とは、直接的にはバビロニアの牛の精霊のことであるが、古代エジプト・オリエント全域で永らく崇拝されてきた半獣半人像のことをさす。ヒンズー教・イスラム教系、南西アジアと北アフリカ文化圏のことである。
人間の顔のようなものとは、人の子すなわちキリストのことであり、装飾のない人間が偶像崇拝されていることをさしている。キリスト教・ユダヤ教系、ヨーロッパ文化圏のことである。
「4つの生物が持つ6つの翼」 とは、前出の神の7つの属性から、必ずどれかが一つ欠落したもの、すなわち7ひく1が6であり、これはとりもなおさず4種類の文化圏(4種類の集合意識)が,みな不完全である、ということである。
「王座のまわりは、きらきらとひかる水晶のような海」 とは、四方を海に囲まれた美しい国、日本のことである。王座は、今この日本に存在する。
日本にはなぜか、前出の4つの文化がいつの間にか定着し、それでいて他が他を排斥することもなく、日本の風土にみな穏やかに同化している。
中華もイタメシもカレーもハンバーガーも、みんないつの間にかあるのが当たり前になっている、今の日本の食生活の現状とよく似ている。
「小羊」 とは、イエス・キリストのことである。この地球上で大いなる奇跡を行うことが出来るのは、創造主と、創造主に裁可を戴いた特別の方だけである。イエス・キリストは、そうした方の一人であった。
「巻物」 とは、神の経綸、神の計画書のことである。
「巻物の表と裏に文字があり」 とは、表には現象界で起こる可能性のあるものすべて、裏にはその現象面を通して、人類が何を霊的に学ぶのかが記載されている。
「第1の封印と白い馬」 とは、セルジュークとオスマン・トルコに代表されるイスラム教徒が、イスラミックスタンダードを拡大した時代のことをさす。白は、砂漠の民が太陽光を反射するために常用する白系の衣装や、白馬を吉兆とする彼らの習慣を表象している。
封印とは、ある特徴をもった形態やシステムが、ある期間続いて、一時代を形成していることをいっている。従って、封印はある時期重複し、特に現在はいくつもの封印が重複している。
また、なぜ馬が使われているのかといえば、馬が力や権力あるいは勢力拡大のシンボルであった時代が、長らく続いたからである。
「第2の封印と赤い馬」 とは、中国やモンゴル騎馬民族のチャイニーズスタンダードが拡大した時代のことをさす。赤は、現在の中国の国旗とか、中国人が赤をおめでたい色として尊ぶことを表象している。そして今再び、モデルチェンジしたチャイニーズスタンダードが、拡大の時代を迎えつつある。
「第3の封印と黒い馬」 とは、植民地政策や産業革命で経済活動が活発化し、ヨーロピアンスタンダードが世界中に拡がった時代のことをさす。黒は、魔女狩り・宗教裁判等の宗教の暗黒時代、また黒死病、それと影の世界政府の本部が長らくヨーロッパにあったことを表象している。あったとは、彼らが今、華麗なる変身をとげつつあるからである。
「第4の封印と青ざめた馬」 とは、アメリカの経済力や軍事力が世界中を席巻している現代のことであり、青ざめたとは、ジーンズの青と、アメリカ国家の末期には国民が青ざめるようなことが起こることを暗示している。伝染病の記述は、ある集団と企業が一種の伝染病を人工的に造り出し、それにより巨額の利益を得ていることをさしている。
「第5の封印」 とは、ルネッサンス以降、宗教や政治など、世の中の不正や悪事に敢然と立ち向かい、それにより迫害を受けたり殺されたりした方、また戦争等により、罪のない多くの方々が亡くなられたことをさしている。今も継続中である。
「第6の封印」 とは、第一次・第二次世界大戦の戦禍、そして原爆、この間に幾度となく起こった大地震や異常気象、またフアチマの奇跡、世界各地でのマリアの出現、日食・月食・流星群などの異常現象をさしている。そして、1980年代の急速な人類の意識向上に伴い、いくつかのイベントは先送りされたり、キャンセルされたりした。先送りされた分は、もうすぐ現象化する。
「第7の封印」 とは、今の時代のことであり、1995年に起きた阪神淡路大震災の時点で、封印はすでに解かれている。神戸がグラッときた段階で、文字どうり神に至る最後の扉、すなわち神の戸は開かれたのである。1990年代後半からの人類の意識の向上により、諸々のイベントは順次先送りされ、また一部はキャンセルされたりして、現在に至っている。
「イスラエルの12部族」 とは、12人の大天使さんとそのファミリーのことであり、その当時、かの地には12人の大天使さんが揃って転生していたことがあったのである。
そして、ここに列記された部族の末裔が、神によって選ばれた人達である、ということではなく、地球のいたるところに今も彼らが転生していて、人類の意識の向上に貢献している、ということを暗に示している。彼らは、神による“見えざる手”の重要な一翼を担っているのである。
「144000人」 とは、144人のアセンデットマスターと、彼らにつながる者たちを表象している数字であって、実際に神の刻印を受ける者は、これよりもかなり多い数になろう。
「半時間ほどの静けさ」 とは、1996年から2000年までの間、終末論・世紀末論などで人類がアレコレ騒いでいるうちは、何らそれらしき事をワザと起こさないことによって、人類に神の経綸をさとられるのを避け、あわせて人心が落ち着くのを図ったのである。
「7つのラッパ」 とは、第1から第4のラッパが、人類がこれまで地球をさんざん破壊してきたありさまを詳細に述べており、人類が地球に対して行った悪いカルマの一部が、ストレートに現象化していることをいっている。
そして、第5から第7のラッパは、これとは別に、現象化をさし止めていた分が別勘定で存在していて、これがまもなく表面化し、様々な現象となって現われてくる、ということをいっている。人類による地球への永年の仕打ちのうちの未顕現分が、利息がシッカリついて人類にバッチリ返ってくるのである。
ラッパは、誰かが鳴らしているのではなく、実は人類のカルマ(行為)の蓄積が鳴らしているのである。あたかも第3者が鳴らしているかのように表現することによって、人類のカルマが歴史を正確に刻んでいるということをボヤかし、人類にちょっとやそっとでは気づきを与えないような言い廻しがなされている。
「第1〜第4のラッパ」 とは、人類が化学薬品を多用し、木や化石燃料を大量に燃焼させ、また大量のゴミによって川や海、森や大地をことごとく汚染しつくしてしまったことをいっている。また、スモッグによって太陽は薄暗く、夜間の電灯によって星もあまり見えなくなった、ということである。
「第5のラッパ」 とは、風や嵐のことであり、広義では地球の天候モードが大きく変わるということをさす。底なしとは、風はとどまるところを知らないぐらいの猛烈さとなるかも知れない、ということである。
「第6のラッパ」 とは、プレート移動のことであり、世界レベルでの大規模地殻変動といってもよい。もしかすると、大陸移動レベルまで発展する可能性もある。これに伴い、世界中で一斉に地震が発生し、火山活動が本格化するのである。そして、4人の悪霊とは、地震、飢餓、疫病、死の恐怖、の4つである。どれをとっても、人類が地球に対し行ってきたカルマの返しに他ならない。
「神様の特別な計画」 とは、人類の意識の向上が予定どうり進まない場合の特別なオプションのことである。
わかっているものを二三列挙すれば、卒業レベルに到達したものだけをアセンションさせて地上から消滅させ、これに伴って地上の現実の更改を行うオプション、あるいは、UFOによる空中携挙を実施するオプション、フォトンとか重力波等、外部からの巨大なエネルギー波によって人類の意識を向上させるオプション、その他およそ人間の想像のつかないようなものまで、一体全体いくつあるのか不明だが、知らない方が幸せかも。
「神様の神殿と祭壇のある内庭を測る」 とは、神の子である人類ひとりひとりの霊性のデータ、すなわち過去世の分と今世の分とをトータルして、アセンションの可否を決定する判断材料にする、ということである。例えばの話、キャリアが充分でない若い魂は、プラス100ポイントでも可であり、逆に古ーい魂の場合、プラス100万ポイントでも否の場合があるのである。
「聖なる都を踏みにじる外国人」 とは、皆さんを混乱させるために、天上界から派遣されたその道のプロフェッショナル達のことである。
「2人の証人」 とは、この世に、ホンモノの宇宙の真理を語るものを2人派遣する、ということをいっている。
そのうちのおひとりは、南インドの聖者、アマチさんである。もうおひとりは、彼女とは好対照のキャリアと気質をおもちの方で、徹底的に制限された意識状態のもと、いかに最善を模索できるのか、というユニークなゲームを今もなさっているそうである・・・・・。
そしてこの2人の証人とは、彼らのファミリーである12人の大天使さんのことでもある。彼らは世界中で預言を行うのであるが、一部の地域では歓迎され、また一部の地域では預言が当たりすぎるがゆえに忌み嫌われ迫害を受けることになる、ということをいっている。
出典:リビングバイブル(新約) いのちのことば社
難解といわれるヨハネの黙示録だが、そのわからないところに魅了され、ハマってしまった多くの方々のお仲間のひとりに、いつしか自分が加わるようになってしまったのは、まさに運命のイタズラなのであろう。
そして皆さんもまた、運命のイタズラによって、今これをご覧になっておられる。ラッキーなのか、ご愁傷様なのか、どっちになるのだろうか。
「預言」とは、近未来に横たわっている可能性のことである。そして人は皆、その可能性を多少なりとも認識した上で、何かを選択するテストに今取り組んでいる。
言い方を変えれば、13000年の時を越え、皆さんは再び運命の選択をしているのである・・・・・。
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27.愛するということ
「もーあったまきちゃって、ワタシィ、ブチ切れてるんです。あの上司がもう一度同じこと言ったら、今度は絶対ブンなぐってやろうと思ってるんですゥ」
こういった女性が、最近にわかに多くなりつつあるようである。そのうち、女性が男性をブンなぐるのが当たり前になる、のかどうかはわからないが、ついに男女間のインバランスの修正と、並行して女性による男性へのカルマ返しの時代が始まっているのかも知れない。
「あんなオニみたいなヤツ赦すなんて、トーンでもない。あんなスダレハゲのヘンタイオヤジ、愛することなんてトーテイできませんから。まっぴらゴメンよ」
何となく、世界中で抑圧されてきた女性陣の怒りが、爆発しているような気がするのは、私ひとりだけではあるまい。そして、ひととおりグチを聞いてあげると、
「やっぱり、それではダメなんでしょうネ」 と、急にしおらしくなる。まぁ、それがわかってりゃ、大したものである。
「でも、どうしたらいいか、皆目見当がつかないんです、ワタシィ」
ほぉ、とうの昔に見当がついているクセに、近頃は面白いことを言う人が多くなったものだなぁ、ひょっとして、きみまろ現象かなぁ、なんて感心していると、
「どうしたらいいのか、教えて下さい」 、とくる。
私は何度もお知らせしていますけど、とお答えすると、
「何の事でしょう。私はまだ教えてもらってないんですけどぉ」
はぁ・・・・・。この方はよっぽど耳がお悪かったのかな、それとも私の耳が今聞き違えたのかな、と思いつつ、ただ単にすべてを愛すればよいのです、ただそれだけなんですよ、と繰り返す。
「ですから、あんなヤツ、どうしても愛することができないから、ご相談してるんですけどぉ」
ワカランチン女史、失礼、チンではなかったかな・・・・・、は感情を逆なでされたと勘違いして反発してくる。そこで、
もしあなたのお子さんが、キュウリとピーマンとニンジンが大嫌いだとして、あなたはお子さんにキュウリとピーマンとニンジンばかりを毎日食べさせ、キュウリとピーマンとニンジン嫌いを強制的に矯正するのが賢明なことだと思いますか。それとも、キュウリとピーマンとニンジンは放っといて、他の野菜をまんべんなく食べさせるようにした方が賢明だと思いますか、と聞くと、
「うーん、とりあえずは色んな野菜を食べさせた方が、賢明なのではないかと思います」
ヴーではなく、ピンポンである。そりゃそうでしょう。嫌がる子供の口に無理やりキュウリとピーマンとニンジンを押し込んでも、消化不良で栄養にならないばかりか、他の野菜もだんだん嫌いになってくるに決まっているのである。第一、野菜よりもあなたが嫌われ、オニのような母親だとか、悪ければ○○ババァといわれるのがオチである。
愛も、キュウリとピーマンとニンジンの例と同じである。その上司がどうしても嫌いなら、無理して愛する必要など全くないのである。また、無理して愛せるものでもないのである。嫌いのままで結構気だらけ、猫灰だらけだ、おっと、そのあとは言ってはいけない・・・・・。
上司はとりあえず放っておいて、その分、他の方をもっと愛せばよいのである。また対象を広げて、花でも植物でも、ワンコでもニャンコでも、山でも海でも、空でも星でも、花鳥風月、何でもよいから手当たり次第に、もっともっと愛することにトライし続ければ、それでよいのである。
アレコレ頭で考えるヒマがあったら、手近なところで自分の廻りのありとあらゆるものを、努めて愛することから始めればよいのである。愛することの喜び、楽しさをまず思い出すことが、何よりも大切なのである。
毎日、どんどん愛する対象をふやし、家族を見るたびに愛しているからね、友達に会うたびに愛しているからね、花を見るたび愛しているからね、ワンコを見るたび愛しているからね、小鳥を見るたび愛しているからね、植栽を見るたび愛しているからね、を毎回繰り返すうち、あなたの愛は序々に大きくなり、そのうちお返しの愛もじゃんじゃんやってくるようになると、これはもう世の中が全く違って見えてくるようになるから、不思議である。
何故なら、世の中のそこらじゅうに存在する愛と、自分の発する愛とがシンクロし、すざましいバイブレーションを引き起こすようになるからである。
そして、いつしか大きくなったあなたの愛は、おのずと自分の廻りのすべての存在、森羅万象を、さほどの意識のないまま、自然体で、今あるがままを愛せるようになる。
野菜の話に戻れば、あなたのお子さんは、知らないうちにキュウリもピーマンもニンジンも美味しそうに食べるようになるのであり、あなたが大嫌いな上司は、いつしかウソみたいにいとおしくなるのである。まさに、愛がなせるマジックである。
世の中には、ただの 1 のことを、1000×0.01×10÷100
が 1 だとか、1111−777+333−666
が 1 だとか、こねくり廻さないとどうしても気が済まない、摩訶不思議な頭の構造をした方が多い。
もしかしたら、あなたも同じ頭をお持ちかも知れないが、そうだとしたら、ややこしくてわけのわからないような複雑なものこそが正真正銘の 1 なのだ、と自分勝手に思い込んでいることだろう。
ここでの 1 とは、無論、愛のことである。
でも、愛は単純明快、簡単明瞭、ただ単に愛は愛なのである。愛は、七めんどくさい講釈が必要な複雑怪奇なものではなく、シンプルで、いつもそこかしこにある、ほわん、としたものである。
しいて付け加えれば、愛は他に対して与え続けないと、自分のところには戻ってこないし、与え続けないと、大きな愛には育たないのである。
愛あふれる人、また大きな愛を感じられる人というのは、常に愛を周囲にむかって放射し続けている人である。もしあなたが、誰からも愛されたかったら、徹底的に誰かれとなく愛することである。
そしてこの地球では、どのような困難な状況にあろうとも、愛すること、愛し続けることができるかどうかを、あなたも私も今試されている。
愛とは、神の最大かつ最高の属性であり、また創造の意識の中核そのものでもある。そして、すべてが愛という一点に集約されたものが、ワンネス、全一という状態であり、全一の一とは愛のことに他ならない。
もうおわかりになられたら、今すぐからでも実行に移しましょう。あっ、それから、あなた、今日は何回、愛しているからね、と言いましたかぁ・・・・・。
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28.ヨハネの黙示録 解説 その2
「ヨハネの黙示録の中盤」 は、第5〜第7のラッパの間の詳細な説明である。1990年以降、色んな予定が先送りされたため、第5〜第7のラッパは、必ずしも順番に起こるとは限らない。
「はじめは蜜のように甘いが、飲み下すと腹の中で苦くなる巻物」 とは、アセンション出来た方は天国に戻ってハッピーだが、アセンション出来なかった方は、地上でシビアな現実が当分続く、ということである。ただし、古い魂は数次にわたってアセンションを繰り返し、その多くは奉仕のため地上に残る。
そしてこれは、このこととは別に、人の目には一見良さそうに見える大掛かりな新タイプの引っ掛けが始まる、ということも暗示している。この新タイプの引っ掛けのことを、NESARAという。
きっと、頭でっかちで知識偏重の方ほど、上へ下への大騒ぎをすることだろう。がしかし、期待とは裏腹に、数多くの新たなる矛盾がすぐにでも露呈するのである。
そして、枝葉末節や木ばかりに気をとられて右往左往し、またもや森や大地や地球を見据えることが出来なかった方は、多分、まっ先にフルイにかけられることになるだろう。そして、あの世に帰ってから、地団駄踏んで悔しがるそうである。
すべての問題の根幹は、あくまで人間の意識なのである。すなわち、愛なのである。
あらゆる記憶を消され、無知無能に近い状態で生まれてきている人間が考え出すいかなる方法や制度も、どれをとっても不完全で間違いだらけであり、一部を繕っても所詮はすぐに行き詰るのである。こうした道理を人間が理解できるようになるまで、ありとあらゆる引っ掛けが人間の前に提示される。
「第10章と第11章の間の変化」 この間に、バージョンが変わっていることに気づくことが出来るだろうか。42ヶ月間とは3年半、これを日数になおすと1277.5日、文中では1260日となっている。そして、1260日を3年半で割って1年になおすと、1年が360日という計算になる。
大昔、火星と木星の間にあって、現在はアステロイド帯(小惑星帯)となっている惑星マローナ(別名マルデック)、これが破壊された時、地球の太陽に対する軌道とか周回スピードに何らかの影響が出た、との言い伝えがある。
そしてこれは、1年365日がすぐに360日に戻る、ということをいっているのではなく、1日24時間という時間の感じ方が、マローナが復活することにより、その当時の、今よりも少し短い時間の感じ方に戻る、ということを暗示している。
そしてこのことは、マローナばかりか、ニビルもいよいよ我々の前に出現することを意味している。。また、地球の大気圏に存在した、アイスシールドも復活する。マスアセンション時には、かなりのことが同時に起こるのである。
また、残った方は一時的に記憶を消されるので、新たに出現した星々を見て元から存在したものだと錯覚し、最初は何ら驚くことはない。だが、しばらくして記憶が戻り始めると、異変に気づき、蜂の巣をつついたような大騒ぎとなる。
「2本のオリーブの木、または2つの燭台」 2人の証人とは、男性性と女性性を代表するものたちでもある、という意味である。
「大蛇は水を洪水のように吐き出し、大地は口を開けて飲み干す」 とは、海から新大陸が隆起し、同時に現在の大陸の一部も隆起し、大津波の被害が幾分緩和・相殺される、ということである。
「大空を閉じて雨を降らせない」 とは、かなりの期間、大雨を降らせ続ける、ということである。
「その死体は3日半」 とは、キリストの磔、もしくは似たようなことが再現される可能性があるのである。そして死体は、またもや甦ることになる。
「1人の女が太陽を纏い」 女とは、地球の集合意識ガイアである。そして、ガイアの中の一部が人間の集合意識である。そして、ガイアこそが我が太陽系の中心的存在なのである。ガイアこそが、我が太陽系の主役のプリンセスなのである。
「12の星の冠」 とは、天の河銀河では、通常、2つの恒星と12個の惑星がワンセットとなったフォーメーションで、様々な学びを繰り返している。がしかし、我が太陽系は、闇を強調するバージョンのため、恒星がひとつしかない状態が永らく続いていた。
2つめの太陽は、地球がアセンションして、現在の銀河のはずれから、シリウス星系にテレポテーションする頃にやってくる。
そして惑星も、水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星の9つしか存在しないと人類は思い込んでいるが、実はあと3つ存在するのである。
そのうちの2つが、前出の、今はアステロイド帯(小惑星帯)となっている惑星マローナであり、もうひとつが、我が太陽系とプレアデス星系とを3600年の長楕円の軌道を周回してきた、惑星ニビルである。してきたとは、ニビルはもうすぐ別の軌道に落ち着くのである。
そしてもうひとつが、天王星のそばにある、光を全く反射しないドーナツ状の星、惑星○○である。この星は、執着が強すぎる方を専門に覚醒させる為の特殊な星である。早い話が、モノやカネ、あるいは不完全なる知識や常識の収集、すなわちゴミやガラクタの類に大いなる愛情を注がれた方々のための、専用のリハビリセンターである。
「女が生んだ男の子」 とは、ガイアが次世代を担う男性性の理想像を産んだ、ということである。この地球では、これまで男女間のアセンションする比率が、 2:8 と圧倒的に女性の比率が高く、ことアセンションに関しては、完全なる女性上位が続いていたのである。
これは男性性の持つ、力、の悪い方の面、例えば権力・暴力・武力・支配力・財力ばかりがこれまで強調されすぎたからでもあるが、この力をより良い方向、万人の幸せと平和の方向にフォーカスできる男性が多数出現してきた、ということである。
「巨大な赤い竜と古い大蛇」 と、悪魔、サタンは、皆同じ出自であり、人間の集合意識のネガティブな面のことである。
「豹のような、足は熊、口はライオンの獣」 熊とはパンダ・大熊猫のこと、ライオンとは獅子のことであり、中国のことである。口は、中国が勢力を拡大し、近隣諸国をうかがってスキあらば飲み込もうとする、ということともかけている。
「7つの頭と10本の角」 とは、前出の7つの神の属性、生命・愛・叡智・光・力・喜び・平安、の反対である、死・怖れ・無智・闇・暴力・悲しみ・争い、の7つである。
10本の角とは、貪欲・不寛容・怠惰・心配・不安・憎悪・ねたみ・嫉妬・怒り・偏見・執着心等であり、これが現象面に出てくると、戦争・暴力・支配・差別・貧困・飢餓等、ロクでもないもののオンパレードとなる。
「獣の7つの頭のうちのひとつが致命傷なのに治った」 とは、中国に富や権力が復活した、ということであり、中国以外の他の国がその時点で、かなり手痛いダメージを受けている、ということでもある。中華思想、すなわち中国の文化が世界で最上であり中国こそが世界の中心である、といった思想が復活してくるのである。
「女は荒野に逃げのびた」 ガイアは、人間の集合意識のうちのネガティブな面だけを切り離し、分離した、ということである。
「小羊のようで、2本の小さな角をもったもの」 とは、キリストに似ているが、角が2本生えている、すなわち偽キリストのことである。
「契約の箱」 とは、創造主と人間の契約である。主文は、人間として生きている間に、契約した様々なことに気づけなかった場合、ちょこっと罰ゲームを受ける、という契約である。
それは、デコピンである。ここだけの話、ヨハネの黙示録とは、実はデコピンのことを書いてある。気づいた人には、どうってことはないのであるが、気づけない人には、少々ハードなデコピンである。
「名前が書き込まれていない人」 とは、人類を混乱させる役を演じている黒帽子チームの面々のことである。当初からアセンションの枠外の方々なのである。
「666」 の6とは、前出のとおり、不完全なものを象徴する数字である。それが3つ揃ったということは、ことごとく不完全である、ということである。
すなわち、人類はこれからことごとく不完全な時代に舞い戻り、その時代を追体験することによって、間違い探しをするのである。中国共産党的独裁体制、アメリカのグリーンカードを用いた管理社会、その他いろいろとおよろしくない社会体制が更に強調されたものが、一斉に出揃ってくるのである。
「裁きの時は来た」 神は人間を裁かないし、またその他の何人たりとも裁かないのである。神すら誰も裁かないのであるから、あなたも誰も裁いてはいけないのは当然である。そしてこれは、神の子たる神なる人間が、自分自身の魂の霊的成長を自己評価する時が来た、という意味である。
「酒ぶねの中のぶどうの実、ぶどうの汁」 とは、人間が長く辛い人生の中で、つかみ取った叡智である。それは、進化向上の新たなる種であり、宇宙の至宝でもある。
出典:リビングバイブル(新約) いのちのことば社
もし人間の頭で考えるようなことで、宇宙の叡智に深みが出るなら、神は何もこうした物質宇宙をつくったりはしなかっただろう。なぜなら、徹底的に制限された人間に考えてもらわなくても、神は自分で考えた方が、はるかに良い結論を導き出せるからである。
じゃぁ何故、かくも広大な物質宇宙や自らの分身である人間を多数創ったのかといえば、自分にないもの、すなわち未知なるものへの探求からであろう。
未知なるものを探求するために、自らを徹底的に制限し、制限されたがゆえに数多くの間違いを犯し、その数多くの間違いを克服してゆくプロセスの中に、多くの未知なるものがあるから、今もこの地球や物質宇宙が存続しているのであろう。
もっとわかりやすくいえば、あらゆる困難の渦巻く中、どうやったら愛を実践することが出来るのか、逆のいいかたをすれば、愛を実践することでいかに困難を克服出来るか、ということが未知なるものの探求なのではないだろうか。
そして、あらゆる困難なことの解決法が愛なのである、といったことに人類が気づくまで、デコピンゲームは続くのだろう。
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29.裁くということ
人は皆、不完全である。
不完全ということは、良い面と悪い面、長所と短所、陰と陽、明と暗、光と闇、の両方を兼備しているということである。
もっと詳しく言えば、どんな人でもウソつきであり、かつ正直者である。働き者であり、怠け者である。時には正しくもあり、時には間違っているのである。明るい時もあり、暗い時もある。落ち込んで臆病な時もあれば、勇者のように勇敢な時もある。哲学者のように理路整然と論理的な時もあれば、感情のおもむくまま浪花節を地でゆくような時もある。賢い時もあれば、愚かな時もある。誠実な時もあれば、ズルイ時もある。やさしい時もあれば、ツッケンドンな時もある。謙虚な時もあれば、ワガママな時もある。プッツンする時もあれば、冷静な時もある。ほとけ様のような時もあれば、オニのような時もある。
人間社会とは、皆不完全なる者たちの集合体に他ならない。一見立派そうに見える方が、実はその裏で何をやっているのかわからないのがこの世の常であり、逆に、一見頼りなくみすぼらしそうに見える方が、その実スゴイ方も多いのである。
あなたはその人の何を見て、その人を判断しているのだろうか。そして、そのあなたの判断ははたして正しいのだろうか。たまたま良い面を見た時、その人は善人と写り、時たま悪い面を見た時、その人は悪人と写っているのではないだろうか。
また人は、時の経過とともに変わるのである。悪くなる方もいれば、良くなる方も多いのである。人はなかなか変われないが、時が来れば一気に変わる人も多いのである。
この期に及んでも、まだイッパシの裁判官ぶったり、ロクでもない評論家のまねごとをし続けることが、あなたには必要なのだろうか。
愛するということは、判断しないことである。誰も裁かないことである。神は一見善人そうな方でも、一見悪人そうな方でも、みんな愛しておられる。だから愛とは、良い部分も、悪い部分も、みんなひっくるめてその人を愛するということである。
愛には、垣根もなけりゃ国境もない。民族もなけりゃ主義主張もない。ただ、愛は愛である。あなたがクダらない判断をし、誰かを裁き続ける限り、あなたのポイントは減り続け、ついには予約しておいたバスの座席は多分キャンセルされることになるだろう。
今、あなたがしなければならないことは、意味のない雑学に興じ、他人を裁いては時を無為に過ごすことか、それとも素直にまた謙虚に愛を実践することか、どっちだろう・・・・・。
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30.ヨハネの黙示録 解説 その3
「14万4千人の大合唱」 とは、光の子とインディゴチルドレンが天上界に集結している様子をいっている。
光の子は正規軍、インディゴは予備役、と考えたらわかりやすいかも知れない。そして、光の子とインディゴは、進化の系統は違うが、ほぼ同レベルの進化の段階にある。インディゴは、全宇宙から選抜されたカワイイ助っ人である。
彼らは今のところ、家族や周囲の毒ガスを中和したり、社会の矛盾を鋭く指摘する役割を演じているが、光の子同様、一旦上に戻ってパワーアップし、再度降りてきた時点では、かなりのことをやってのけるであろう。このことに関しキリストは、幼子たちがあなた方を導くであろう、と言い残しておられる。
「神の刻印」 とは、実は刻印が誰かによって押される、ということではなく、自らの内側から、すなわち額の第3の目もしくは第4番目のハートチャクラから、強烈な光を発することである。いかにも第三者が刻印するかのように思わせる、引っ掛けである。
「第1の鉢」 とは、疫病がはやる、ということである。
「第2の鉢」 とは、海底火山が活発化し、火山性ガスとマグマの熱で海の生物が減少するのである。
「第3の鉢」 とは、火山のマグマや、化学物質・放射性物質等で、水が飲めないほどに汚染される地域が多くなる、ということである。
「第4の鉢」 とは、人体に悪影響を及ぼす様々な有害光線が宇宙からやってくるのである。
「第5の鉢」 とは、世界中で大雨が降るのであるが、中国の被害が甚大であるらしい。
「第6の鉢」 とは、中東や戦乱の続いた大地は干ばつになるのである。
「3つの悪霊」 とは、人間の集合意識の怒り・怖れ・憎悪等の三拍子揃った、最も手ごわいネガティブな面が出てくる、ということである。
「ハルマゲドン」 とは、人類の集合意識の光の部分と、闇の部分との戦いのことである。そして、闇の部分が優勢になってくると、現象面で実際の戦争となって表面化してくる。
そして人類の意識から、他人を憎悪したり攻撃したりする部分がなくならない限り、ハルマゲドン、すなわち全面核戦争の脅威は続くのである。そしてその時、今回のように天上界が介入することはもうないかも知れない。人類は、自らの手で何とかそれを止めなければならないだろう。
「バビロン」 とは、狭義ではバチカンのことをさし、広義では世界中の汚染されつくした宗教と、その本拠地のことをさす。
「大淫婦」 とは、その昔、大ペテン師と記述されていたものを、いつの間にか誰かが改ざんし、女人称にスリ替えたのである。大淫婦とは、神の名をかたり、神の教えを説きながら、裏ではその反対の悪行を重ねてきた、世界中のニセ宗教家や聖職者のことである。
「7つの丘」 とは、ローマの7つの丘のことであり、7つの王とは、歴史上、世界中に勢力を拡大してきた国々のことである。第6の王とはヨーロッパ諸国、第7の王とはアメリカ合衆国、第8の王とは中国のことである。
「赤い獣」 とは、中国のことである。中国は、あらゆる宗教を社会悪として徹底的に排斥するようになるのである。中国共産党の共産思想も、実は武装した中央集権的な宗教であるという考え方もあるが、当のご本人たちはそうは思っていない。
そしてパワーアップした秘密の○○が、中国共産党の牙城に挑戦することになる。
「小羊の結婚披露宴」 とは、人類の集合意識が、新たに誕生させた男性性の理想像と女性性の理想像とがひとつになり、バランスのとれた理想的な人間が完成した、ということである。
また、ひとつの魂が2つに分割されていた双子の魂(ツインソウル)という状態が解除され、元のひとつの魂に戻る、ということでもある。アセンションしたものから順に、本来の両性具有、雌雄一体の状態に戻ってゆく。
「すべての鳥・・・・・の宴会」 とは、鳥すなわち黒帽子チームの天使さんは、人類を混乱させるのが役目であり、混乱させるのが上手だった天使さんは、大天使さんからよく頑張ったと、ねぎらわれていることをいっている。
「古い蛇を縛って千年の間」 とは、一旦は人類全員を完全な意識に戻すが、場所や設定を変え、再び未知なるものへの新たなる探求を始める、ということである。そして、新たなる探求を行う前、人類全員が地球での体験を回想する。その期間は、人それぞれで、人によってかなりの長期間になる方もいる、ということである。
「第1の復活」 とは、実は第2回めのマスアセンションのことである。第1回めは大分のびているが、多分もうしばらくすると始まるだろう。
そして、第1回めでアセンションを達成されるような方の多くは、無名であり、無学で、貧しく、日本人からは想像もできないような最低レベルの生活環境の中にあって、それでも他をねたんだり、うらんだり、陰口をタタくことなく、コツコツと善きことを重ねてこられた方たちである。
「王の王、主の主」 とは、王座に座っておられる方のことである。偉大なる大天使カフィエルさんは、あまたの大天使さん達の頂点に立っておられる方であり、この“子の宇宙”、すなわち見渡す限りのこの大宇宙の総支配人でもあられる。とすると、王座に座っておられる方というのは・・・・・。
「わたしはその人の神となり、その人はわたしの息子となる」 とは、地球での高いレベルの学びを終えられた方の中には、飛び級なさる方もおられる、ということである。
「地球という星」 は、実は全宇宙の中で一番覚醒することが難しい、最難関の星なのである。もう一度いうが、見渡す限りの全宇宙の中でのことである。だから、あなたという存在が何であるか、少しはおわかりかな・・・・・。
出典:リビングバイブル(新約) いのちのことば社
聖書には、神をあらわす言葉として、全智全能、といった表現がよく使われるが、これはあくまですでに起こったことに関して全智全能であって、まだ起こっていないことや体験していないことに関しては、神は全智全能ではないのである。
言い方を換えると、未知なるものを既知とするため、今もこの物質宇宙が存在していて、まだまだ未知なるものが存在するのである。
そして、神の子である神たるあなたこそが、未知なるものを既知とするために、この地球に設定された新たなる領域に飛び出した、宇宙の冒険家なのである。
この先いかなる困難が続こうとも、ご自身の独創性あふれる愛の実践によって、あらゆる困難を乗り越え、より多くの未知なるものの体験を持ち帰り、胸高だか、威風堂々とゴールインされんことを願ってやまない。
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31.チ ェ ン ジ
咲きほこる一輪の花にすら、万人の心を和ませる愛の力がひそんでいる。ましてや、あなたの秘めたる愛の力は、想像すらできないほど巨大である。宇宙随一の至宝は、自分の外ではなく、自分の裡にある。これに気づいた人は幸せだが、気づけないと永く辛い人生が続く。
今の今、何をするかが重要である。なぜなら、あるのは常に今のこの瞬間だけだからである。この瞬間が過ぎ去ったものが過去であり、この瞬間の少し先にあるものが未来である。あなたが生きることができるのは、今のこの瞬間だけであり、過去にも未来にもあなたは生きることなどできないのである。今の秘密がわかれば、今の今、あなたは変化することができる。だから今の今、愛を実践することである。祈りは、いくつかある愛の実践の中で、最も手近な方法である。
人間の光の中核・中心をなすものは、愛である。その光は、愛を実践することによって強さを増す。光の子とは、愛の子である、愛を実践する子である。愛は知識ではなく、実践すべきものである。これを数字であらわすと、知識は1割、実践が9割である。また、愛はどれだけ無制限に与え続けても、なくなるということがない。
今回の人生で、いつもより多くの過去の自分と対面している方が多いことだろう。なかには、過去の自分に振り回され、失意のドン底にある方もいらっしゃるかも知れない。そして、過去の自分に正面から向かいあい、その誤りに気づき、これを修正してゆかないと、過去の再現は繰り返されるのである。いい方をかえると、今再現されている過去の誤りに、あなたが気づかない限り、あなたの未来はこうした過去に振り回されるのである。そしてその誤りとは、みな愛が足らなかったことである。
あらゆる困難はひとつ残らず、自らが生まれる前に選択してきたものである。あなたが選択してないものは、あなたの人生で決して起こらない。必要なことが、必要なだけ、必要なタイミングで、あなたの人生で起こる。すべては、あなたが生まれる前に設定した、人生の計画書に基づいている。ただ、それが早く起こるか、遅く起こるか、の違いがあるだけである。あなたが気づけば、新しい明るい展開が始まり、気づけないと暗い展開が気づくまで続く。全部、自分で選んできたのである。
もしかすると、あなたは今も誰かが何かをしてくれるのを、待ってやしないか。まだオンブにダッコに手をつないで引率してもらわないと、ひとりでは歩けないのだろうか。本当は、あなたがみんなをオンブしてダッコして、率先して引率しているのが、本来の姿ではなかったのか。二宮金次郎におしん、その他日本には見習うべき方が大勢いらっしゃる。
あなたが後生大事に抱いている、知識・常識という名のゴミやガラクタを手放せば手放すほど、もっと素晴らしいものが、あなたのところにやってくる。捨てる、減らす、絞る、を幾度となく繰り返し、最後の最後に残ったものが、あなたが長年捜し求めてきたものである。それは真の幸せであり、喜びであり、平安である。あなたが、永らく忘れていたものである。真の幸せとは、心が平安な状態であり、平安であるためには、あなたの心は、溢れるような愛で満たされていなければならない。
高度に進化した魂が、さらにより高度に進化するための場所が、この地球である。そして、愛を実践させないための設定が、この地球には多数存在している。地球という星は、困難の中にあって、いかに愛を実践することができるかどうかに挑戦するため、特別にデザインされた星なのである。人類はひとり残らず、愛が軽んじられる悪環境の中で、いかに愛が大切かを思い出すことにチャレンジしている。
一見立派そうに見える、この世のいかなる思想や制度も、ほとんどすべてが不完全であり、間違いだらけである。何が足らないかといえば、みな愛が足らないのである。愛という中核・中心から出発したものでなければ、いかなるものもみな不完全である。
あなたに対する引っ掛けは、どこまでも続く。それはあなたの想像をはるかに超えている。有名な教典、あるいは世界的なベストセラーといえども、その記述の中には、数多くの引っ掛けが含まれている。そしてそれは、あなたが名実ともに愛の実践者たりえるまで、それを見抜くことは容易ではない。だから、決して慢心してはならない、また油断してはならない。
究極のゴールに到達したものは、この地球上でたった1人だけである。その方は南インドの聖者、アマチさんである。彼女こそ、愛の塊、そのものである。その他はみんなスカである。スカであることは、他の誰でもない熱心な信者であるあなたが、一番よくご存知のはずである。
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32.レムリアの魂たちよ
その昔、こよなく平和を愛したレムリアの魂たち、その多くが今のこの時期の日本に転生しています。そして、アトランティスの魂たちが引き起こす様々なトラブルを、影からこっそりと、大事に到らぬよう、今も手佑けしています。
何故、日本にかくも多くの地震が起こるのでしょう。どうして日本は、多くのプレートが複雑に入り組んだ構造になっているのでしょう。
前回もお話しましたが、日本には世界各地の紛争地域のガス抜きするための秘密のエネルギーラインが、何本も引き込まれています。そして多くの方がこれを使って、世界各地の紛争が大きくならないよう、魂の奥深いところで日々毒消しを行っています。
そして、今また多くのレムリアの魂たちは、どこかで勃発する戦争が大事に到らぬよう、彼らのカルマの一部を肩代わりすることを選択しました。彼らの選択により、またもや多くの若い魂たちが救われ、再び学びを続けてゆくことができるようになります。
何と偉大な選択でしょう。何と素晴らしい魂たちなのでしょう。心底から頭が下がります。
彼らは、2000年前自らの血で多くの方の罪をあがなったキリストと同様、この世での生命を失い、あの世での永遠の生命をえるのです。
現象面では過去最大級の地震が起こり、多くの犠牲者が出ることでしょう。とってもツライことです。とても悲しいことです。
でも、私は彼らの選択を尊重し、また彼らの選択の偉大さを世界中の人々にお知らせしてゆきたいと思っています
地上に残ることになるレムリアの魂たちよ、この選択がもたらす現象面における被害がいかようになろうとも、8年前の神戸の時と同じように、互いに佑けあってゆこうではありませんか。そして悲しみを乗り越え、偉大なる先人の足跡を見習いましょう。
とってもツライけど、とても悲しいけど、さよならは言いません。レムリアの魂よ、平和の戦士よ、光の子よ、あなた方の遠大なる愛に、深く感謝いたします、本当にありがとう。
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33.○ ○ へ の 手 紙
D所長様、
こんにちは、突然メールをお送りする失礼を どうかお許しください。
○○○と申します。 ○○の ○○地区に住む ○○歳の男です。
一昨日、初めて波動気功研究所のHPを拝見させて戴き、各ページをプリントして、じっくりと読ませて戴きました。
ここまで明確で具体的なアセンションに関する記述は 初めて読ませて戴きました。 有り難うございます。
一人でも多くの人が、スムーズに次元移行出来る為に、毎日の奮闘努力 大変有り難うございます。 また お疲れ様です。
私も 古神道系の霊的修行を始めて11年になります。
さて、D所長様による 大天使の方々からのコンタクト情報に関して、どうしても1点だけ気になるところがあります。
それは、愛に関しての定義なのでありますが、[愛が満ち足りている]ということへの対極的な状態としての[愛が足りない]という概念なのであります。
霊的修行などを実践しておられない方々に 宇宙の真実を伝える為には、どうしてもこのような概念を使わざるを得ないことは重々承知しているのですが、このようなキリスト教的視点というものは 多くの人に、抑圧や自己欺瞞を与えてしまいがちなのではないでしょうか 。。
つまり、アセンションが[裁きの日]とでも申しますか、神様が人間を合格or不合格の篩いにかける かのような印象を強く与えてしまい、『自分は助かりたい』から[愛の行為をする]というような行動心理を植え付けることになってしまいませんでしょうか 。。。。
結局は それはエゴの助長でしかないと思うのであります。
宇宙創造主は愛そのものですよね。
そして この宇宙にとって創造主は 全ての全てであり、太陽も月も地球も、動物も植物も鉱物も、人間も 全てが宇宙創造主自身の1つの顕われたカタチということですよね 。。。。
つまり、愛そのものである宇宙創造主が 無限無数のカタチをとって創造・表現されているのが この宇宙であり、当然人間も 人間の心もまた、創造主自身の顕われた1つのカタチということですよね 。。
この大前提を踏まえれば、愛とは 生命そのものであり、[いのち]が[愛]であり、[生きること]が即そのまま[愛すること]なのではないでしょうか 。。。。。。
ですから、[愛ではないもの]など そもそも初めから存在しておりませんし、[愛が不足した状態]というものも 真実には存在し得ないということになりませんでしょうか 。。。。
多くの宗教化たちの使う方便に『宇宙の法則に外れたものはやがて自壊する』というような表現がありますが、実際には[宇宙の法則に外れたもの]などは、初めから存在し得ないのでありまして、現実に[それが存在する]ということは、それ自体が[宇宙の法則に外れてはいない]という証明なのでありますよね。
問題は人間のエゴ的な価値判断が、この宇宙をして[愛]と[愛ではないもの]という分け隔てをしているに過ぎず、真実は全てが創造主の千変万化である以上、全ては[そういうカタチで表現された愛]ということなのではないでしょうか 。。。。
ただ、人間の個々の存在認識(魂)に於いては、自分が今回の人生ではどういうカタチで愛を表現したかったのか?という観点があってそこから逸脱したものが、自分自身をして反省と後悔の念を抱かせ、それがカルマになるのだ、と私は理解しております。
また、他人の行為に対して[愛が足りない]という価値判断をするとすれば、これはD所長様もおっしゃっておられます『他人を裁くな』ということと矛盾するような結果を招く危惧も感じます。
アセンションに向けての私達の学びや気づきは、全てが愛なのだということであり、あたかも とても愛とは思えないような行為であろうとも、それは[そういうカタチで表現された愛なのである]という心の底からの気づきなのではないでしょうか 。。。。
初めてのメールに 長文で しかも異を唱えるような内容となってしまい、誠に申し訳ありませんでした。
出来ますれば 今後ともよろしくお願い申し上げます 。。。
○○○ 様
Eメール拝見しました。もしかして ○○○とは、○○○・○○○○のファンなのかな・・・・・。
せっかくよいところまできたのに、もったいないなぁ、という感じを受けました。頭が良すぎるのかな・・・・・。
さてこの地球には、例えれば幼稚園の年少組から大学院生まで、実に様々な霊的成長段階の方々が混在しています。
そして、それぞれのレベルに対応したテキストも全て用意されています。あなたにとって100点満点の10点のテキストでも、20点のテキストでも、それらはみなさんにとって全て必要なのです。
大事なのは、各人がご自分のレベルにあったテキストを見つけ、ご自身が設定した勉強を続けることです。その際には、古いテキストを捨て去ることが肝要ですが、人は仲々それができません。そして、他人のテキストにすぐケチをつけます。
元々、神の子であるあなたは、すべてを知っているのです。でも記憶を消され、無知無能になって生まれてきていますから、テキストがないと思い出せないし、またテキストを常により高度化してゆかないと思い出せないのです。そしてある時期がくれば、テキストなど一切必要なくなります。あなたはその段階に近づいているのかも知れませんね。
そして残念なことですが、宇宙の真理は、あなたが今考えられているものの外にあるようです。今はそれしか申し上げられませんが、生きているうちに気づけるとよいですね。
もう一度繰り返しますが、地球上に存在するすべてのテキストが、誰かの為に必要なのです。あなたは、極めて狭い範囲で愛を規定されようとしています。そしてあなたは明らかに、ご自分のレベルで他のレベルを判断なさっているようです。
愛は、あなたの想像もつかないような広さと奥行を持っています。人間の言葉で表現することなど、土台無理なのです。私は、ただ方便で一部の側面を規定しているに過ぎません。愛は実践し体験する以外に、奥深く入ってゆくことはできないのです。
加えて、引っ掛けの代表である霊性修行というお題目に興じている限り、あなたは何回転生を繰り返そうとも、多分自分が目標としたゴールには到達できないでしょう。もったいない、もったいない。
今あなたが持っておられるご自分に合わなくなったテキストを捨て、ただ素直に謙虚に愛の実践の中に身を置くことが唯一の残された道のようですが、まぁ頑張ってみてください。
D
D所長様
早速の御返事 有り難うございます。
>Eメール拝見しました。もしかして○○○とは、○○○・○○○○のファンなのかな・・・・・。
その通りでございます ・・・・
>愛は実践し体験する以外に、奥深く入ってゆくことはできないのです。
(中略)
>今あなたが持っておられるご自分に合わなくなったテキストを捨て、ただ素直に謙虚に愛の実践の中に身を置くことが唯一の残された道のようですが、まぁ頑張ってみてください。
では改めて質問させて戴くことを どうかお許し下さいませ。
[愛の行為][愛の実践]とは、『愛に基づいた行為をしよう』とか、『愛の実践をしよう』と思わなければ出来ないことなのでありましょうか 。。。
人間が ある気づきを得て、今までの自分にはとても愛とは思えないような行為の中にも そこにも間違いなく愛が存在したということに気づいていくことが 人間としての学びであり、進歩であり、意識の拡大であると私は思うのですが 。。。
○○○・○○○○ 様
前略
私は、あなたのおっしゃりたいことはよく理解できます。また、別段反発するような点も特別ありません。あなたみたいな方が、他にも大勢いらっしゃるのだろう、とただ思うだけです。
あなたが、愛をそのようにお考えになられているなら、あなたにとってはそれでよろしいのです。多分、今生のあなたは、上というよりも下から学ぶということが、テーマなのでしょう。
人間は神の一部であり、人は神の中でしか生きられません。また、神の外で生きることなど、できるわけもありません。神は愛ですから、人間は今も昔も将来も、愛の中で生きています。
ですから、そこら中が愛なのですが、その愛に気づける人は、今の地球のバージョンではそう多くはないのです。また人間に気づかせないような設定が山ほど神によりなされていますから、気づくのはなおさらのこと容易ではありません。
でも気づくのも難しいが、気づいた後、愛を実践するのも、それよりもまた数段難しいのです。愛の大切さを深いレベルで思い出すには、自らが愛を実践し、他を愛する意識を強く発動させることが唯一の方法です。他にはありません。他人様にとって、善きことをする、でも良いでしょう。
人間のDNAには、愛の実践によって、急速に霊的な階梯をかけ上ることができるようなプログラムも存在しています。でも、気づきだけでなく、愛を実践しなければそのプログラムは始動しないようになっています。
人間の本質生命体は意識エネルギーです。ただ単に気づくだけでは意識エネルギーの一部しか作動せず、その方の霊的成長はほとんど加速されません、弾みがつかないのです。
数字で表すと、気づくことは1であり、愛の実践は十とか百です。時には千とか万ということもあります。何故なら、あなたの気づきはあなただけのものですが、愛の実践はまわりの周囲に、愛の波動を猛烈に伝染させてゆくからです。
ですから、くだらないことをコネクリまわして無知無能の頭で考える暇があったら、愛のひとつでも実践なさったらどうか、といつも皆さんに申し上げているのです。
もしあなたがこうした単純なプロセスに気づけないのなら、本当にもったいない、で終わるでしょう。
あなたは多分大学生かそれ以上のレベルの出自でしょう。大体誰であるかも見当がつきます。でも今は中学1・2年程度のレベルでストップしています。神秘体験などというものも、あなたを低いレベルにとどめておくための単なる引っ掛けです。そう簡単に引っかからないで下さい。天使や大天使が瞑想したり、マントラを唱えたり、ムドラーを組むなどということをすると、本気で思っているのですか。
またあなたが今回思慕されている方のレベルは中学3年程度です。そういった意味ではあなたは今、自分の出自よりはるか下の方から、いろんなことを復習しています。それがあなたに必要であり、またお気に入りのようだから、私はとやかく申しません。
あなたとは、近い将来あるところでお会いする予定になっていますが、私はその時あなたが今より数段成長されているよう祈っています。でも今のままでは多分招待状がこないでしょう。もったいない、もったいない。
それから、私は現在多忙につきどなた様に限らずeメールのお返事はほとんどお出ししておりません。でも、ある方がもう一度出してくれないか、と懇請されましたので再送信しています。以上です。
D
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34.みんな、ダイダイダーイ好き・・・・・
鏡に映ったご自分がダーイ好きな女性の皆さん、こんにちは。今日もおきれいでしたか。私もあなたの笑顔がダーイ好きですよ。
カネや権利証などあらゆる紙がダーイ好きな皆さん、お久しぶりです。あなたの来世はヤギかも知れません。でもヤギになっても、あなたをダーイ好きですからね。
酒やバクチがダーイ好きな遊び人の皆さん、今晩は。私もお酒がダーイ好きです。今度一緒に飲みにゆきましょう、でもほどほどにね。
キンや宝石などのヒカリモノがダーイ好きな皆さん、はじめまして。同じヒカルなら、自分のオーラをよりヒカらせた方がよいかも知れませんね。でも、あなたのこともダーイ好きですよ。
きっと皆さんは、それぞれ何かをダーイ好きのことと思いますが、皆さんがダイダイダーイ好きなのは、一体何なのでしょうね。私は皆さんに、一番大切なものをダイダイダーイ好きになって頂きたいのですが、皆さんはその一番大切なものに、きちんと焦点が合っていらっしゃるでしょうか。
もしかしたら、すっかり忘れちゃってる方も、おいでになるかも知れませんね。中には、天才的に忘れることが上手で、何のことやらさっぱりわからない、という方もいらっしゃるかも知れませんね。誰って、これをご覧のあなたのことかも知れませんね、忘れん坊さん。
そして、その一番大切なものを皆さんに思い出してもらうため、どこかの誰かさんは、永年住み慣れたこの地球を離れ、どこかの遠い星にある天国建設(株)本社営業企画部に、転職されることに決められたそうです。皆さんおひとりおひとりを、こよなく愛するがゆえ、そう決められたんだそうです。
でも、アンマという、それはそれはとってもやさしい娘さんを、インド支店に残しておくから、心配しないでいいからね、とも言っておられました。その娘さんが今度日本に出張されるから、その時にでも一度ダッコしてもらったらよいのにね、とも言っておられました。
そしてどこかの誰かさんは、仕事のかたわらなさっていた、「徹底的に制限された意識の下で、最善を模索する」
というナガーイゲームをつい先日終了されたのだそうです。
そのゲームの中身は、伝え聞いたところによると、傷ついたものたちを愛し、みんなに愛することや愛されることの喜びや楽しみを思い出してもらい、また男性性が持つ持てあますほどの強大な創造のエネルギーを、万人の平和と幸せのためにつかい、男性にも女性の献身的で根気強い地道な「母の愛」を表現できるのだ、ということをみなさんの前で実践し、かつ実証することだったそうです。
そして、ただ漫然と流されて生きることなく、あるいは他と争い傷つけあうことなく、常に積極的に独創的に勇気をもって他者を愛し、その愛することの中にのみ存在する至上の喜びを、とことん追求して欲しいなぁ、これこそが、この大宇宙が今も存続している大きな理由なんだけどなぁ、ヒトとヒトがお互いに慈しみ愛しあうことが一番大切なんだけどなぁ、ともおっしゃっていました。
私は、どこかの誰かさんがいなくなると、とっても寂しくなるけれど、遠い星では、長い間お留守番をしていた沢山の良い子たちが、お父さんの帰りを今か今かと待っているんだそうです。しかたがありませんよね。
そのどこかの誰かさんの名は、アルファー化米がどうの、時計のオメガがどうの、とおっしゃってましたが、落語の寿限無のような長い名前なので、頭の悪い私には、何回聞いてもよく覚えられませんでした。
どこかの誰かさんは、皆さんおひとりおひとりを、なぜか一番よく知りぬいておられる方で、また皆さんも一番よくご存知の方なのだそうです。誰なんでしょうね。へんですね。
そして、その どこかの誰かさんには、変わった口グセがおありで、いつも暇さえあれば、ふしぎな言葉を口ずさんでいらっしゃいました。
もしよろしかったら皆さんも一度、口ずさんでみられたらいかがでしょうかね。気分がスカーッとするらしいんです。ハートがグーッと温かくなるらしいんです。それから、何か言葉では言い表せない、懐かしい感じがするんですけど、よかったら試してみて下さいね。
みんな、ダーイ好き
みんな、ダイダイダーイ好き
みんな、ダイダイダイダイダーイ好き
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※ アマチ公式サイト
http://www.ammachi.gr.jp/index.html
35.能動的に愛するということ
人間はえてして、他者から愛されることによって喜びや満足感・安心感を得ようとしますが、これだとその人の心は何かにつけ、もしかしたら自分はもう愛されていないのではないか、といった猜疑心や怖れにさいなまれ、常に揺れ動き、時として悲しみや不満や不安のとりこになったりします。
愛に関して大切なことのひとつは、他者から愛されること以上に、いかに自らが能動的に他者を愛するかであり、他者を愛し続けることによって、誰からも愛されるようになる、というのが理想的な愛のモデルです。
とかく一方通行の愛だと、愛されていないのではないかと考えた時に、何とも言えないほど切なくなりますが、とことん愛し続けることができれば、いつの間にかその切なさが解消することになっているから、愛とは不思議なものです。
なぜそうなるかといえば、他者を愛することは、とどのつまりは神を愛していることに他ならず、他者を愛すれば愛するほど、神からより一段と愛されるようになり、マイナス面が自然と解消されてゆくことになるからです。
人は何かコトがあると、愛する人に対し、「これほど愛しているのに」とよくキマリ文句をのべますが、この場合の“これほど”とは、真の愛に際限などあろうはずもなく、ほとんどのケースがその場限りの方便です。
また、この場合の愛とは、真の愛とはチト違う、エゴから出た自己中心的で限定的な、愛に似た別のシロモノです。
他者を愛し続けるにつれ、人間的な感情や判断が入り込むスキは徐々に減少し、いつしか自分の愛は、大きなスケールで相手をスッポリと包み込むようになり、相手から愛されているのかいないのか、あるいは相手の心がどう揺れ動いたか、などといったことがあまり気にならなくなってゆきます。
そして、これが高じてくると、まるごとスッポリ他者を愛し続けるということに対して違和感や抵抗感も次第になくなり、ただ単に愛するという行為自体が、大きな喜びへと昇華してゆきます。まさに愛のなせるマジックです。
とはいっても、人間である以上、愛されるということももちろん必要ですし、愛されることを徹底的に追求することも、人生の節目節目では大切なことです。
要は、能動的に他者を愛し続ける割合を高めてゆく過程で、いかに自らの愛を高度化してゆくことができるかどうかに挑戦するため、皆さんはこの地球に転生してきたということを、忘れてはなりません。
皆さんの愛が、世界中に拡がりますように・・・・・。
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36.自己愛と他者愛
この地球で、自己愛と他者愛が論議され始めて一体どれだけの時間が経過したのだろう。にもかかわらず、こうした書生論議に人類は今もなお終止符が打てないでいる。
結論から先に言ってしまうと、人間がこの地球で生きて行くためには、自己愛と他者愛の両方が必要であり、要はその比率をいかに後者の方に傾斜させ、かつまた愛全体をいかに大きくするかが、人間に課せられた共通の課題である。
人間は誰しも、自己愛と他者愛の比率が大体70:30でスタートするようプログラムされており、生きている間に、他者愛を実践することによって、いかにこの比率を30:70に近づけることが出来るかどうかに挑戦している。
具体的に数字をあげて説明すると、自己愛と他者愛の比率が50:50になる頃には、みんなからやさしいねと言われるようになるだろうし、40:60になる頃には、周囲から慕われ、30:70になる頃には、多くの方から尊敬されるようになっていることだろう。自己愛と他者愛の比率が30:70、それは大多数の方にとって、人生の通信簿がほぼ100点満点となる比率である。
参考までに、良い方と悪い方の両極を紹介しておくと、どんな極悪非道の悪党といわれる方でも「人みな仏心あり」の如く、1割の他者愛を持っているし、逆にどんな立派な聖人であろうが、例えばアンマの場合でも、1割の自己愛を持っている。
聖人と言われるような方でも、自己愛を持っているとは信じられないかも知れないが、人間として生きている間、自己愛を完全に無くしてしまうことは不可能である。何故なら、自己愛が無くなってしまうと、世の中の色んなものに対して興味や好奇心が失せてしまい、生きる気力を喪失してしまうからである。
それでは、自己愛と他者愛の比率を30:70にするためにどう生きれば良いかだが、自己愛は当面ほったらかしにして、他者愛を拡大させることに一意専念するのが良い。
これにより、自己愛の比率が低下し他者愛の比率が向上してゆくのと並行して、愛全体のキャパが大きくなる。まさに一石二鳥である。多くの方がよくこの逆をやるが、労多くして功少ない結果で終わる。
他者愛を拡大させるには、まず出来ることを徹底して習慣づけ、習慣づけたら次に出来ないことにも挑戦してゆくのがコツである。習慣づけるということがキーポイントであり、習慣はまさしく第二の天性である。
出来ることばかりを繰り返しても、霊的成長という観点からは停滞もしくは後退であり、出来ないことにも積極的に挑戦してゆかなければならない。
出来ないと思うのは、エゴがただ単にそう思い込ませているに過ぎず、やろうと決心さえすればエゴが作り出した幻影は消滅し、大抵のことは成し遂げられる。キリストの、「サタンよ後へ下がれ」とは、まさにこのことを言う。
人間の本質生命体は意識エネルギーである。出来ないと思えばそうなるし、出来ると思い続ければいつかは現実化する。そこには、少々時間がかかる、という単純な引っ掛けがただあるだけである。
アセンションとは簡単に言うと、愛だけの世界に次元上昇することである。であるから、愛を実践しかつまた真剣に愛を追い求めている方は愛だけの世界に次元上昇するが、愛以外の違うものを求めている方は必然的に今の次元に居残る。何のことはない、人類ひとり残らず自分で自分の行き先を選択しているのである。
私がこれまで耳にたこが出来るほど繰り返し愛の実践を申し上げてきたわけは、愛の実践をとおして皆さんに愛の大切さを思い出してもらい、もって愛だけの世界にきちんと帰還して頂きたいがためであった。
もし何か感じるものがおありなら、今からでも行動を起こして頂きたい。それが今も昔も変わらぬ私の願いである。
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37.ガ イ ド
ラムサ、すなわち大天使カフィエルのことだが、彼が口述した「ラムサ.真.聖なる預言」という本に天使のことが少し書かれている。
ずっと以前にサッと読んだだけなのでウロ覚えだが、大体の要旨を紹介すると、人間から見れば「天使はいいな」と思うかも知れないが、天使といっても別に大したことはない、むしろ地球で沢山の経験を積んだ人間の方がよっぽど素晴らしい、といった内容だったと思う。
世の中には、守護神様・守護霊様などといって、自分のハイアーセルフ(その中には天使属も含まれる)を崇拝する奇妙な風習が定着しているが、彼らの実体は単なる旅のガイドであり、彼らを崇拝する必要など本来どこにもない。
天使はもちろんのこと、神すらも自らを崇拝して欲しい、などとはひとつも思っておられない。宗教家が作り上げた崇拝という思想そのものが、神を曲解し、かつまた様々な悪の根本をなしていることを、人々はそろそろ知るべきである。
釈迦を一例にあげれば、守護神・守護霊を崇拝しなさい、などとは一言も言っておらず、ただそういったサポートをしてくれる存在がいるから感謝しなさい、と言っただけである。他の宗教も同様、事後関係者がアレコレと捏造してきたのである。
人間は皆、生まれてくる前に必ずこうしたガイドと打ち合わせをし、人生の急所急所でサポートを受けられるように、綿密な契約を結んでから地上に転生してきている。彼らのサポートがないと、この地球ではなかなか上手には生きてゆけないし、また容易に気づけない。であるから、彼らに頼らざるを得ない側面があることは事実である。
がしかし、自分とハイアーセルフは体験を共有する運命共同体であり、元々はひとつの意識エネルギー体である。だから、両者はいついかなる時も対等であリ不可分である。今はたまたまみなさんが下で彼らが上だが、上と下の位置関係が逆になることもしばしばある。
そして本来なら、今は上にいる彼らこそ、自分の代わりに地球で大変な思いをして体験を続けてくれている人間に対して、感謝し敬意を表すべきである。であるから、自分にとって良いことがあれば素直に「ありがとう」と感謝し、悪いことが続けば「少しは手加減したら」とスゴムぐらいで丁度よい。
聖書の「求めよ、さらば与えられん」 「叩けよ、さらば開かれん」とは、どうしたらよいか迷った時には、自分のガイドに対して何かしらのヒントを求めなさい、積極的に求めないとヒントは来ないし、前向きでないと仮にヒントが来てもそれがそうだとわかりませんよ、という意味である。何事にも消極的な人は損をする、ということである。
そして、魂の成長の糧となる体験のチャンスをこの地球で与えてもらっていることを、神に感謝することが大切である。何故なら、地球で体験したくても出来ない魂がものすごい数いるからである。
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38.心 を 静 め る
よく無になれとか空になれ、などと言う人がいるが、人類が目指すべき世界は何も無とか空の世界などではないし、あの世がそのような世界でもない。釈迦や達磨の教えはいつしか歪んだものになってしまった。
彼らは、およそ人間が考えつくような、法律や制度や習慣やその他の中途半端な類は一切存在しない世界があの世であり、そこには心地よい光とぬくもり、すなわち愛だけがある、と言ったのである。
座禅や瞑想の指導者がよく、無になれ空になれ、などと盛んに言うが、心を静めて明鏡止水のようにせよ、というのが大元の教えである。ハタからみて一見無念無想になったように見える心は、別の次元の有とか色の世界に遊離しているだけで、無にも空にもなってはいない。言い方を変えると、偽我が活動を休止し、神我が台頭している状態である。
そもそも、座禅や瞑想の最終目標であるサマディーは、光と喜びの世界であり、無とか空との世界ではない。無とか空とかの世界は、人間が勝手に空想した世界である。
人間の本質生命体である意識エネルギーは無からは生じないし、逆に意識エネルギーから無を生じさせることも不可能である。聖書に書いてあるとおり、意識エネルギーは「始まりも終わりもない」摩訶不思議な実在である。
この広い宇宙には、無や空に似た通称VOIDと呼ばれる、すべてが生まれいずる万物の母のような領域があることは事実である。だが、VOIDも無論、無や空などではない。
VOIDは、エンソフといわれる、未だすべての事象が形を成す前のエネルギーが充満し、すべての元となるものがギッシリと詰まった領域である。NOTHINGのように見えるが、その実はEVERYTHINGである。
繰り返すが、無とか空とかの世界は、この宇宙のどこを探しても存在しない。人間がどれだけ頑張っても、存在しないものにはなりようがない。
話は戻って、先達たちが真に伝えたかったことは何かと言えば、「心を静めよ」ということである。具体的には、リラックスして純粋観察者の視点で自分の心の動きを淡々と静観しなさい、ということである。
その際、今の自分がそうであるのは、過去にそうなる必然性が発生していて、厳正なる「原因と結果の法則」に基づき、そうなるべくしてそうなっている、わかりやすく言えば過去に傷つけたり騙したり裏切ったから、今は逆に傷つけられ騙され裏切られている、ということを事前に深いレベルで理解しておく必要がある。
何かにつけエゴに振り回されて、自分にとって都合のよい言い訳を考えたり犯人探しをするのではなく、どうして自分はそれを体験する必要があったのかを、起こったことから素直に学びとる姿勢が大事である。
「心を静める」ことに成功したら、次に意識の集中度を上げることにトライする。何でも良いから、何か一点、例えば呼吸とか花とか月とか、自分が気に入っているものに意識を集中させる。すると偽我は考えるのを徐々に休止する一方、逆に神我が台頭してきて、忘我といわれる状態になる。この忘我が長くなったものがサマディーである。
でも、もしこうした手順が難しければ、まずは雑念、すなわちエゴに関する思い一切を、正念、すなわち他者への愛に切り替える方法でも良い。
自分のために何それはこうなって欲しい、というエゴで何かを求めるような思いを断ち、ただひたすら他者に対して愛を与えることだけに意識を集中する。「何か求める」のではなく、「愛を与える」のである。「与えよ、しからば救われん」が正鵠を得ている。
これを繰り返すことによって、偽我は活動を徐々に休止し、いつしか神我が台頭してくるようになる。先ほどの道理と同じである。
「心を静める」、これが出来るようになると、自分の人生の真の支配者となる日は近い。
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