「ニューヨーカーマガジンの表紙」コレクション
ニューヨーカーマガジンを1980年以来10年ほど購読していた。(会社の資料として購入のを購読)
ニューヨーカーはニューヨークの文藝春秋であり、またアメリカの至誠のジャーナリズムがあった。
広島に原爆が落ちたあと、非常に早期に特派員を送り取材し、それを「ヒロシマ」というタイトルで、2週間にわたって他の定常記事をすべて取りやめ、全記事スペースを使って報道したのもこの雑誌だったそうだが、今回、自国軍の捕虜虐待を真っ先に報道したのもこの雑誌だった。
アーウィン・ショウのしゃれた小作も良く掲載されていた。
アーウィン・ショウ作品を翻訳された常盤新平さんも、あとがきでニューヨーカーのことをよく書いていた。
銀座イエナの洋書コーナーで手に取って見る程度だった。(読みこなす語学力不足)
だから会社の資料室で借りてきて週末に見出しで面白そうなものだけを辞書を片手に読んでいた。
確かこの雑誌には当初は目次がなかったらしい。
面白いものは自分で探しなさい、ということだったのか。
目次ができた時には「ニューヨーカーに目次がついた」と、ニューズウィークが記事にしたらしい。
私が読み始めた時にはすでに目次はあったが、まだ本文には写真が少なく、イラストだけだった。
そのイラストがウイットとユーモアに富んでいて眺めているだけで楽しかった。
また、この雑誌の表紙は毎回イラストで、何人かの画家が持ち回り担当のようにして描いていた。
季節ごとの色合い、画家たちのタッチの違いに味があった。
(今の時期ならセントラルパークの紅葉や冬支度やクリスマス準備のイラスト)
ページの幅1.5cmくらいの「縦線領域」のデザインを含めて全部がイラストレーターの仕事。
表紙面には「The New Yorker」の文字と発行日以外にはタイポグラフィはない。
この表紙イラストに大変きれいなものが多く、私はそれらの一部をコレクションしていた。
何人かの画家によって描かれたイラストはウィットに富んだオシャレなものだった。
豊かなアメリカを感じさせるものだった。
表紙をコレクションをしたものはクリアファイル3冊。
コレクション収集にあたる思い出がある。
コレクションのために、毎年年末の会社の資料室の大掃除を進んで手伝うのである。
クリッピングが終わり、一定期間の保管を過ぎたものは放出、廃棄処分となる。
かなりの種類の雑誌を定期購読しているので会社の資料室の大掃除はや年に1度の大変な作業だ。
この放出物件をいち早く獲得するのが大掃除を進んで手伝う理由だった。
ただ一点、資料室が本を受け入れる際に各雑誌の表紙に押すスタンプ(蔵書印)が決まりになっていた。イラストの世界観を損なうので資料室の担当者に中のページにスタンプしてくれるよう懇願した。
幸い意見を共にする賛同者を得て別な箇所に押されることになった。
(だからコレクションの途中から無傷のイラストコレクションになった)
年末に大量の雑誌を家に持ち帰り、表紙を切り離しクリアファイルに納めた。
そうしてコレクションファイルは増えていった。
家を建て替えた際、リビングに飾る絵がなかったので、コレクションのファイルから季節毎に選び出したものを額に入れて飾った。額は会社近くの画材屋さんに相談して作ってもらった。
とてもオシャレで素敵な空間になった。
そういうイラストを日常的に表紙にしている雑誌がまた、一方ではハードなジャーナリズムを担っている。
最近のニューヨーカーの表紙イラストはテーマの扱い方が以前からの明るくストレートなものから、一種社会性を帯びたようなものになって来て、それに呼応するようにどんどん色調が暗くなって来ていた。
そうなったあとの表紙は集めていないが、以前のものを見るとその差が明瞭に感じられる。
世界の明るさを反映しているのかもしれない。
さて、そろそろイラストの交換をしようか?
どのイラストにしようか?と選びながらコレクションファイルを眺める至福の時間。
ニューヨーカーマガジンを1980年以来10年ほど購読していた。(会社の資料として購入のを購読)
ニューヨーカーはニューヨークの文藝春秋であり、またアメリカの至誠のジャーナリズムがあった。
広島に原爆が落ちたあと、非常に早期に特派員を送り取材し、それを「ヒロシマ」というタイトルで、2週間にわたって他の定常記事をすべて取りやめ、全記事スペースを使って報道したのもこの雑誌だったそうだが、今回、自国軍の捕虜虐待を真っ先に報道したのもこの雑誌だった。
アーウィン・ショウのしゃれた小作も良く掲載されていた。
アーウィン・ショウ作品を翻訳された常盤新平さんも、あとがきでニューヨーカーのことをよく書いていた。
銀座イエナの洋書コーナーで手に取って見る程度だった。(読みこなす語学力不足)
だから会社の資料室で借りてきて週末に見出しで面白そうなものだけを辞書を片手に読んでいた。
確かこの雑誌には当初は目次がなかったらしい。
面白いものは自分で探しなさい、ということだったのか。
目次ができた時には「ニューヨーカーに目次がついた」と、ニューズウィークが記事にしたらしい。
私が読み始めた時にはすでに目次はあったが、まだ本文には写真が少なく、イラストだけだった。
そのイラストがウイットとユーモアに富んでいて眺めているだけで楽しかった。
また、この雑誌の表紙は毎回イラストで、何人かの画家が持ち回り担当のようにして描いていた。
季節ごとの色合い、画家たちのタッチの違いに味があった。
(今の時期ならセントラルパークの紅葉や冬支度やクリスマス準備のイラスト)
ページの幅1.5cmくらいの「縦線領域」のデザインを含めて全部がイラストレーターの仕事。
表紙面には「The New Yorker」の文字と発行日以外にはタイポグラフィはない。
この表紙イラストに大変きれいなものが多く、私はそれらの一部をコレクションしていた。
何人かの画家によって描かれたイラストはウィットに富んだオシャレなものだった。
豊かなアメリカを感じさせるものだった。
表紙をコレクションをしたものはクリアファイル3冊。
コレクション収集にあたる思い出がある。
コレクションのために、毎年年末の会社の資料室の大掃除を進んで手伝うのである。
クリッピングが終わり、一定期間の保管を過ぎたものは放出、廃棄処分となる。
かなりの種類の雑誌を定期購読しているので会社の資料室の大掃除はや年に1度の大変な作業だ。
この放出物件をいち早く獲得するのが大掃除を進んで手伝う理由だった。
ただ一点、資料室が本を受け入れる際に各雑誌の表紙に押すスタンプ(蔵書印)が決まりになっていた。イラストの世界観を損なうので資料室の担当者に中のページにスタンプしてくれるよう懇願した。
幸い意見を共にする賛同者を得て別な箇所に押されることになった。
(だからコレクションの途中から無傷のイラストコレクションになった)
年末に大量の雑誌を家に持ち帰り、表紙を切り離しクリアファイルに納めた。
そうしてコレクションファイルは増えていった。
家を建て替えた際、リビングに飾る絵がなかったので、コレクションのファイルから季節毎に選び出したものを額に入れて飾った。額は会社近くの画材屋さんに相談して作ってもらった。
とてもオシャレで素敵な空間になった。
そういうイラストを日常的に表紙にしている雑誌がまた、一方ではハードなジャーナリズムを担っている。
最近のニューヨーカーの表紙イラストはテーマの扱い方が以前からの明るくストレートなものから、一種社会性を帯びたようなものになって来て、それに呼応するようにどんどん色調が暗くなって来ていた。
そうなったあとの表紙は集めていないが、以前のものを見るとその差が明瞭に感じられる。
世界の明るさを反映しているのかもしれない。
さて、そろそろイラストの交換をしようか?
どのイラストにしようか?と選びながらコレクションファイルを眺める至福の時間。