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戒名料ってホントに必要? 88歳で逝った父に自分で戒名つけてみた

週刊朝日 6月29日(水)17時29分配信

戒名料ってホントに必要? 88歳で逝った父に自分で戒名つけてみた
戒名を自作したため、後には檀家とお墓の難題が迫ってくるのだが・・・
父が突然亡くなりました。わたしは喪主として葬儀を取り仕切らなくてはならず、その日から次から次へと降りかかってくる出来事に右往左往することになりました。これはわたしが実際に体験した、戒名を自分でつけて、父を送り出すまでの記録です。 (ライター・朝山実)

「わたしの父です! 言われるまでもない!」

 思わず声を荒らげてしまったのは、長年、檀家をつとめてきた寺の住職の「おまえさん、亡くなったのが誰かわかっているのか」という、まるで恫喝するかのような口調に対してだった。

 訃報の電話がかかってきたのは、3月のある日の朝。いつものように原稿仕事をしていたときのことだ。

 父が入居していた老人介護施設は関西にあり、わたしが暮らす横浜からだと、すぐに家を出ても6時間はかかる。

 いつものクセで、本をカバンに入れようとして迷った。選んだのは『葬式は、要らない』『戒名は、自分で決める』の2冊の新書だった。

 いずれも宗教学者の島田裕巳氏の著書で、高額な葬儀や戒名への懐疑を説き、ベストセラーにもなっていた。とりわけ、後者の本では「戒名」の起こりとともに、故人をよく知るものがつけることができるとも書かれ、「戒名作成チャート」が付いた実践書になっている。

 晩年の父は「葬式なんかいらん」と繰り返していた。「じゃ、ほんとうに何もしないけど、いいの?」と意地悪く聞き返すと、戸惑い気味に「そら、あかん。ヘルパーの○○さんには来てほしい。あとはオマエだけでいい」と言うのだ。

 ようは、村のひとを集めた仰々しい儀式は不要だと言いたかったようだ。

 88歳で逝った父は、兵隊にとられた以外は故郷から出たことがないひとだった。かつて稲穂の匂いがたちこめた田んぼの風景は消え失せ、いまは国道沿いにファミレスが林立する、全国どこにでもある郊外の町になって久しい。

 老いてからも村の葬式には欠かさず出席していたにもかかわらず、晩年、自分の葬式は不要と言い続けていた。20年前に他界した母の戒名料には100万円を払ったという。信心があるのかと問うと「あんなクソ坊主、強欲な」と言う。それでも、盆ともなれば高額な寄付を欠かさなかったひとだった。

 結局、近しい親族にだけ声をかける「家族葬」を行うことにし、電話帳で葬儀社を探した。石原良純さんの出ているテレビCMが脳裏をよぎり、大きな広告ではなく、小さいけれども親身なことばが<綴られているところに電話をかけた。

 自宅での葬儀の段取りはなんなく進んだものの、問題は「戒名」だった。

「そんなに坊さんが気に入らないのなら、戒名はぼくがつけようか。どういう文字を使うとかの決まりごとを守れば、別にお坊さんがつけないといけないわけじゃない。つけ方の本も出てるから」と言うと、いつも怒り顔の父が「そうか、おまえがなぁ」と笑った。

 まだまだ先のことだと思っていたが、それから1年もたたずに新幹線の中で、島田氏の本を読み返すこととなった。

 老いるほどに頑固になり、親族との諍いの絶えなかった父だったが、不思議と戒名を考えている間は、幼いころに川遊びにつれていってもらったことなど穏やかな面影が次々と浮かんできた。書いては消しを繰り返したのは、わずか2文字で、故人のひととなりを表す院号をどうするか。のぞみが名古屋を出たあたりで「喜捨院」と決めた。

 阪神の大震災で被災してからの父は、赤十字や福祉団体に寄付し、感謝状をもらうのを喜びにしていた。ある意味、父にとって唯一の趣味だった。

 戒名は決めたものの、素人がつけたもの。新大阪の駅に降り立ったときには、これをもとにして、お坊さんにつけ直してもらうのがいいだろうくらいに思っていた。

 葬儀社のひとに「決めている戒名があるのですが」と伝えると、「故人のことをいちばん知っている方がつけられるのは、供養になります」と言われたのが後押しになった。「お寺さんに言っても大丈夫ですか?」「そこは慎重にお話ししてみてください、間違ったことではありませんから」。そんなやりとりのあとだった。

「おまえさん、何考えているのか知らんが」とお坊さんの声色が変わったのは、通夜と告別式の日取りを決めたあとだった。

「決めている戒名があるんですが」と切り出したとたん、「何をされているのか知らんけど、仕事をされているひとなら、どんなビジネスにも立ち入ったらいけない領分というのがあるのはおわかりでしょう」と諭す口調で迫ってこられた。

「はあ」。吐息をつきながら「ビジネス」という言葉にひっかかりを覚えて無言になると、「そんな常識外れなことをしたら仏さんは浮かばれない」「墓に入れんよ」とまで畳みかけられたあげく「亡くなられたのは誰だかわかっているのか」とまで叱責され、その後は売り言葉に買い言葉の応酬となった。

 腹立たしくて、お坊さんのお参りを断ったものの、さてどうしたものか。「無宗教葬でもよろしいのでは」と葬儀社さんから助け舟を出されるものの、「できることならお坊さんのお経は」と頼み込んで、戒名を見てもらった上でお引き受けいただけるお寺を紹介してもらった。

 お布施とは別途に「お気持ち」の戒名料をお出しはしたが、戒名についてのいわれを問われて父の人柄などを話すうち、ささくれだった気持ちは消散していた。

「よく考えられたリッパな戒名です。どこで勉強されたんですか?」

 島田さんの本だと言おうかどうか迷いつつ「まあ」とあいまいに過ごすと、「リッパなもんです」と2度3度と褒め上げられ、葬儀社のひとから助言してもらった「お気持ち」相場よりも弾んでしまった。ビジネスというならピンチヒッターのお坊さんのほうが上手だったということになる。

「いまの時代に戒名が必要なのかどうか疑問ですね」

 後日、葬儀社の担当の方に話をうかがうと、こんな答えがかえってきた。

 友人たちに話すたび「戒名はお寺さんの収入源なんだから怒るのは当然」という意見が大半だったから、常識外れなことをしたのかと思っていたが、家族葬を中心にしているその社長さんは、戒名料がもとでお寺ともめて檀家をやめるケースも近ごろはめずらしくもないという。

「お墓に入れないというふうな言い方をされたのも、檀家離れを恐れてのことだと思いますよ」

 先祖代々の骨の入っているくだんのお墓だが、寺の所有ではなく村の共同墓地で、お坊さんには排斥したりする権限がないことも後に判明した。

 高額な戒名料を払わずに安堵したという気持ちもあるが、なにより自分なりの思いをこめて父を弔えたということでは悔いのない葬式だった。

 残念というなら「どのような戒名ですか」と、くだんのお坊さんに訊ねられぬばかりか、お悔やみの一言すらなかったことだ。


あさやま・じつ 1956年、兵庫県生まれ。地質調査員、書店員などを経て、ライターに。共著に『イッセー尾形の人生コーチング』など

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最終更新:6月29日(水)17時29分

週刊朝日

 

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