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いつもそばには本と映画があった~映画の中の日本文学(特別企画展) [映画イベント]
今日では、小説のみならずコミックのベストセラーもが、日本映画の重要な原作供給源になっているが(オリジナル脚本の映画はかなり少ない感じがする…)、1930年代後半あたりからの文芸映画ブームがその源流であることを再確認させてくれる特別企画展「映画の中の日本文学~昭和編」の会期が6月19日までなので、その前日になって慌てて北九州市立文学館へ向かった。最初に感想を述べると、東京国立近代美術フィルムセンターなどの協力も得て、いい内容の展示になっていた。
先日の朝日新聞に、同じく山梨県立文学館で開催されている「文芸映画の楽しみ」という展示の紹介記事が載っていたけれども、さて内容は同様のものだったのだろうか?
北九州のそれは、昭和編として、日本映画黄金時代である昭和30年代までと区切っているので、郷土が誇る松本清張ものはカバーされていない。もっとも清張作品は生誕100年の2009年に映画化作品が上映会という形で相当振り返られたので、まあ、いいだろう。
今回は例えば、川端康成、谷崎潤一郎などといった文学作品の映画化について、当時のスチール写真やポスター、シナリオや原作本、自筆原稿などが展示され、時代順に、映画と原作の係わりを紹介する企画となっている。川端作品や谷崎作品も、石坂洋次郎にしても、いま顧みると、原作もその映画化のどちらも古典として評価が定まっているものだが、製作当時は、この時代にベストセラーの「告白」や「悪人」がプロデューサーの目にとまって映画化されるように、話題と興行の成功を狙っての企画だったことがわかる。
第一部の「昭和の幕開け」では、昭和初期の文芸映画ブームに焦点を当てている。五所平之助監督の「伊豆の踊子」(1933)が、文芸ものの先駆けといわれている。なかにはわざわざ“文芸映画”と入れた当時のポスターも!
第二部「戦争は終わった」、第三部「もはや戦後ではない」のパートで、純文学のみならず中間小説や大衆小説が、原作として持て囃されていく流れが語られる。戦後に移り、新聞や週刊誌の連載小説など活字メディアの活況も背景となり、1951年の獅子文六の「自由学校」にいたっては、映画化権の争奪の果て、日活と大映それぞれが製作し、競作となったそうだ。日本映画の黄金期ともなると、あれも!これも!といった感じで食指を伸ばし、当時の、興行界が持つ食欲というか、“映画化力”のパワフルさを垣間見た感じだ。
最後の第四部「北九州の文学と映画」で林芙美子、火野葦平、森鴎外を取り上げて展示は終わるが、この手の企画がもしも平成編として続くのであれば、きっとコミックが主軸になっていくのだろうなあと思った。そうなるとそれはここの文学館の守備範囲ではなくなるが、北九州では、来年、旧ラフォーレ小倉のなかに「漫画ミュージアム」がオープンするそうなので、そちらで引き継いで、コミック編をやってほしいものである。
映画上映じたいもいくつも企画されても良さそうだったが、6月18日に小倉井筒屋パステルホールで壺井栄原作、木下恵介監督の「二十四の瞳」(1954)が上映されたのみ。わたくしじしん、高峰秀子版をスクリーンで観た経験がないので、デジタル・リマスター版でもあるので、併せて足を運んだ(パステルホールでは、4年前に三船俊郎・高峰秀子版の岩下俊作原作「無法松の一生」(1958)を観て以来だ)。
ちょっと大袈裟になるが、わたくしが最年少ではないかと思えるような客層、すなわちお年寄りばかりであった。そして上映中は何の遠慮もなく、びっくりするぐらいの私語が延々とあちこちで飛び交っていたが、これがまた貴重な内容のおしゃべりだったのである。
昭和初期から終戦後を描くこの作品で、スクリーンに登場する当時の風俗文化をみては、いちいち隣同士で、声をあげて確認し合っている。村から兵隊を送り出すシーンでは、「俺もあんな風に兵隊さんを送ったなあ」と、一緒に歌い出すお爺さんが後方にいるではないか! 専門家の言葉よりも、庶民のリアクションの方が、わたくしにとっては、迷惑なノイズではなくて意味のある解説となった。これでこそ、まさに国民映画だ!
「マンマ・ミーア」でABBAの曲に合わせてペンライトを振っていたお客さんにもびっくりしたが、このときの高齢者パワーには足下にも及ばないだろう。
この高峰秀子版は原作の発表から1、2年後だが、過去にそれから30年後製作の田中裕子版を観たときには名作の映画化という印象しかなかった。さて、これからの時代、発表されて何十年もたってから映画化される、または繰り返し映画化される文学作品が果たして出てくるのだろうか。
北九州市立文学館のこの企画展が成功例だとすると、昨年秋にちょっと寄った熊本市現代美術館の「アジアン・アート・コレクション展」は残念な例。別件で熊本に行き、展示と映像合わせてもたった5作品の小さな企画(無料)なので、時間つぶしもあって入った。
ビデオアートは3作品なので、10分ずつで30分程度ぐらいかなと思って観始めた。台湾の林書民による「Transmigration」は、いろいろな人種の人々が裸でそれぞれ段ボール箱の中に入って、胎児、幼児のようにもぞもぞしている様を俯瞰で延々と撮っている。その動きがエンドレスのようでもあり、じっと観続けて、ついに同じ作品が三巡していることに気づいた。そして、韓国とベトナムからのビデオ作品は、展示替えで別の週に上映していることを示す貼り紙を見つけた。
計算するとやっぱり3本続けても30分足らず。そろえて上映できない事情があったのか、3作品をいっぺんに観たい客を想定しなかったのか…。ここの美術館は月曜ロードショーという無料の名画上映会を続けているという良い面もあるのだが、あの時のがっかり感を、北九州で思い出した。
(2011年6月23日)
先日の朝日新聞に、同じく山梨県立文学館で開催されている「文芸映画の楽しみ」という展示の紹介記事が載っていたけれども、さて内容は同様のものだったのだろうか?
北九州のそれは、昭和編として、日本映画黄金時代である昭和30年代までと区切っているので、郷土が誇る松本清張ものはカバーされていない。もっとも清張作品は生誕100年の2009年に映画化作品が上映会という形で相当振り返られたので、まあ、いいだろう。
今回は例えば、川端康成、谷崎潤一郎などといった文学作品の映画化について、当時のスチール写真やポスター、シナリオや原作本、自筆原稿などが展示され、時代順に、映画と原作の係わりを紹介する企画となっている。川端作品や谷崎作品も、石坂洋次郎にしても、いま顧みると、原作もその映画化のどちらも古典として評価が定まっているものだが、製作当時は、この時代にベストセラーの「告白」や「悪人」がプロデューサーの目にとまって映画化されるように、話題と興行の成功を狙っての企画だったことがわかる。
第一部の「昭和の幕開け」では、昭和初期の文芸映画ブームに焦点を当てている。五所平之助監督の「伊豆の踊子」(1933)が、文芸ものの先駆けといわれている。なかにはわざわざ“文芸映画”と入れた当時のポスターも!
第二部「戦争は終わった」、第三部「もはや戦後ではない」のパートで、純文学のみならず中間小説や大衆小説が、原作として持て囃されていく流れが語られる。戦後に移り、新聞や週刊誌の連載小説など活字メディアの活況も背景となり、1951年の獅子文六の「自由学校」にいたっては、映画化権の争奪の果て、日活と大映それぞれが製作し、競作となったそうだ。日本映画の黄金期ともなると、あれも!これも!といった感じで食指を伸ばし、当時の、興行界が持つ食欲というか、“映画化力”のパワフルさを垣間見た感じだ。
最後の第四部「北九州の文学と映画」で林芙美子、火野葦平、森鴎外を取り上げて展示は終わるが、この手の企画がもしも平成編として続くのであれば、きっとコミックが主軸になっていくのだろうなあと思った。そうなるとそれはここの文学館の守備範囲ではなくなるが、北九州では、来年、旧ラフォーレ小倉のなかに「漫画ミュージアム」がオープンするそうなので、そちらで引き継いで、コミック編をやってほしいものである。
映画上映じたいもいくつも企画されても良さそうだったが、6月18日に小倉井筒屋パステルホールで壺井栄原作、木下恵介監督の「二十四の瞳」(1954)が上映されたのみ。わたくしじしん、高峰秀子版をスクリーンで観た経験がないので、デジタル・リマスター版でもあるので、併せて足を運んだ(パステルホールでは、4年前に三船俊郎・高峰秀子版の岩下俊作原作「無法松の一生」(1958)を観て以来だ)。
ちょっと大袈裟になるが、わたくしが最年少ではないかと思えるような客層、すなわちお年寄りばかりであった。そして上映中は何の遠慮もなく、びっくりするぐらいの私語が延々とあちこちで飛び交っていたが、これがまた貴重な内容のおしゃべりだったのである。
昭和初期から終戦後を描くこの作品で、スクリーンに登場する当時の風俗文化をみては、いちいち隣同士で、声をあげて確認し合っている。村から兵隊を送り出すシーンでは、「俺もあんな風に兵隊さんを送ったなあ」と、一緒に歌い出すお爺さんが後方にいるではないか! 専門家の言葉よりも、庶民のリアクションの方が、わたくしにとっては、迷惑なノイズではなくて意味のある解説となった。これでこそ、まさに国民映画だ!
「マンマ・ミーア」でABBAの曲に合わせてペンライトを振っていたお客さんにもびっくりしたが、このときの高齢者パワーには足下にも及ばないだろう。
この高峰秀子版は原作の発表から1、2年後だが、過去にそれから30年後製作の田中裕子版を観たときには名作の映画化という印象しかなかった。さて、これからの時代、発表されて何十年もたってから映画化される、または繰り返し映画化される文学作品が果たして出てくるのだろうか。
北九州市立文学館のこの企画展が成功例だとすると、昨年秋にちょっと寄った熊本市現代美術館の「アジアン・アート・コレクション展」は残念な例。別件で熊本に行き、展示と映像合わせてもたった5作品の小さな企画(無料)なので、時間つぶしもあって入った。
ビデオアートは3作品なので、10分ずつで30分程度ぐらいかなと思って観始めた。台湾の林書民による「Transmigration」は、いろいろな人種の人々が裸でそれぞれ段ボール箱の中に入って、胎児、幼児のようにもぞもぞしている様を俯瞰で延々と撮っている。その動きがエンドレスのようでもあり、じっと観続けて、ついに同じ作品が三巡していることに気づいた。そして、韓国とベトナムからのビデオ作品は、展示替えで別の週に上映していることを示す貼り紙を見つけた。
計算するとやっぱり3本続けても30分足らず。そろえて上映できない事情があったのか、3作品をいっぺんに観たい客を想定しなかったのか…。ここの美術館は月曜ロードショーという無料の名画上映会を続けているという良い面もあるのだが、あの時のがっかり感を、北九州で思い出した。
(2011年6月23日)
王兵監督の「名前のない男」という実験映画について [中国映画]
イメージフォーラム・フェスティバル2011福岡(福岡市総合図書館映像ホール)で6月5日に観た「名前のない男」(09)は、「鉄西区」で知られる中国のドキュメンタリー作家・王兵が、注目の劇映画「The Ditch」(10)の前に撮っていたドキュメンタリー。
内容を書くと、人を食ったような作品のように聞こえるかもしれないが、撮影だけで少なくとも1年はかかっている不思議な力作である。退屈せずに一気に観てしまう96分である。
原題は「無名者(Man with No Name)」。中国の、一体どこかもわからない土地に棲んでいる男の一年間を、迫ってみたり、傍観したりとカメラがただ追いかける。その土地は廃墟のようであるが、とにかくよくわからない。男は原始人のようにして洞窟で暮らしている。背中が曲がっているが年齢も何もわからない。わからない、わからないと繰り返すのは何故ならば、彼以外には誰もこの土地にはいないので登場せず、したがってこの男は最後まで一言も発しないからである。時折聞こえてくる自然の音の他は、サイレントである。
男がちょっとカメラ目線になったり、カメラマンに向かって何か呟いている風なところもあるが、映し出される映像以外には何の情報もない。だからこそ、観客としては、その情報だけを頼りに、そこに何か哲学があるに違いないと深く考え、とくに人の生活というものを一生懸命考えてみたりする。
耳を澄ますと遥か遠くに車が走る音が聞こえるようでもあるが、それも大して重要なことではない。重要な情報はただひとつ。この男が、独りで自給自足のサバイバル生活を送っているらしいということが示されるということだ。それはとてもすごいことである! ということがひしひしと伝わる。衣服も靴もボロボロで穴だらけ。都会の浮浪者と見た目は変わらないが、決定的に違うところは、都市社会に寄生して生きるのではなく、自分の力だけで生きているということである。荒れ地にうっすらと雪がみえる冬の季節から、雑草が地にへばりつく夏、収穫の秋までの一年間にわたって、この男は生きている。
荒れ地に種をまき、羊か何かの糞を集めてきたりして野菜や穀物を育てている。食事は、ブンブンと蝿が集るなかで、雨水などをすくってきたりし、子どものままごとのようにして作った料理を食べている。正直観ていて気持ちはよくない。
しゃべらないから、この男の人生観、何を考えて生きているのかさえもわかりかねるところだが、ひとつヒントになる場面がある。歩いていて石に躓いて、必要以上に怒って、その石を拾い上げて怒鳴りながら叩きつける場面である。おそらく、自分は何者にも邪魔されたくない、そんな強い信念が、男をこのような生活に向かわせたのだろう、と想像してみる。
この男は自由奔放な生き方をしているのかもしれないが、それは観る限り「生きる」というラベルを貼られた重労働なのでもある。
第67回ベネチア国際映画祭で、政府の許可を得ていない作品であるためにサプライズ上映された、同じ王兵監督の初の劇映画「The Ditch」を、昨年10月の釜山国際映画祭に足を運んだときに観た。これは1950年代に反右翼活動に参加したと見なされて、多くの男たちがゴビ砂漠で強制労働させられたという悲劇の史実を内容としたものだった。乏しい食糧だけで厳しい開墾の仕事に従事させられ、男たちは死んでいく。上海から夫を訪ねてきた妻の「夫の墓に連れて行け」と泣き叫ぶ声が、耳から離れない…
「名前のない男」の男の生き方を観ていて、その「The Ditch」における男たちの姿を、重ねてみないわけにはいかなかった。
イメージフォーラム・フェスティバルでは、上映前の作品紹介で、王兵監督のフィルモグラフィーにおいて、「名前のない男」は「The Ditch」(「溝」として昨年11月の東京フィルメックスでも上映された)と対をなす作品だと説明され、「The Ditch」の方は、劇場公開が予定されていると補足された。ならば、そちらももう一度観ようかと思う。そう思わせる王兵監督の描く世界である。
(2011年6月7日)
内容を書くと、人を食ったような作品のように聞こえるかもしれないが、撮影だけで少なくとも1年はかかっている不思議な力作である。退屈せずに一気に観てしまう96分である。
原題は「無名者(Man with No Name)」。中国の、一体どこかもわからない土地に棲んでいる男の一年間を、迫ってみたり、傍観したりとカメラがただ追いかける。その土地は廃墟のようであるが、とにかくよくわからない。男は原始人のようにして洞窟で暮らしている。背中が曲がっているが年齢も何もわからない。わからない、わからないと繰り返すのは何故ならば、彼以外には誰もこの土地にはいないので登場せず、したがってこの男は最後まで一言も発しないからである。時折聞こえてくる自然の音の他は、サイレントである。
男がちょっとカメラ目線になったり、カメラマンに向かって何か呟いている風なところもあるが、映し出される映像以外には何の情報もない。だからこそ、観客としては、その情報だけを頼りに、そこに何か哲学があるに違いないと深く考え、とくに人の生活というものを一生懸命考えてみたりする。
耳を澄ますと遥か遠くに車が走る音が聞こえるようでもあるが、それも大して重要なことではない。重要な情報はただひとつ。この男が、独りで自給自足のサバイバル生活を送っているらしいということが示されるということだ。それはとてもすごいことである! ということがひしひしと伝わる。衣服も靴もボロボロで穴だらけ。都会の浮浪者と見た目は変わらないが、決定的に違うところは、都市社会に寄生して生きるのではなく、自分の力だけで生きているということである。荒れ地にうっすらと雪がみえる冬の季節から、雑草が地にへばりつく夏、収穫の秋までの一年間にわたって、この男は生きている。
荒れ地に種をまき、羊か何かの糞を集めてきたりして野菜や穀物を育てている。食事は、ブンブンと蝿が集るなかで、雨水などをすくってきたりし、子どものままごとのようにして作った料理を食べている。正直観ていて気持ちはよくない。
しゃべらないから、この男の人生観、何を考えて生きているのかさえもわかりかねるところだが、ひとつヒントになる場面がある。歩いていて石に躓いて、必要以上に怒って、その石を拾い上げて怒鳴りながら叩きつける場面である。おそらく、自分は何者にも邪魔されたくない、そんな強い信念が、男をこのような生活に向かわせたのだろう、と想像してみる。
この男は自由奔放な生き方をしているのかもしれないが、それは観る限り「生きる」というラベルを貼られた重労働なのでもある。
第67回ベネチア国際映画祭で、政府の許可を得ていない作品であるためにサプライズ上映された、同じ王兵監督の初の劇映画「The Ditch」を、昨年10月の釜山国際映画祭に足を運んだときに観た。これは1950年代に反右翼活動に参加したと見なされて、多くの男たちがゴビ砂漠で強制労働させられたという悲劇の史実を内容としたものだった。乏しい食糧だけで厳しい開墾の仕事に従事させられ、男たちは死んでいく。上海から夫を訪ねてきた妻の「夫の墓に連れて行け」と泣き叫ぶ声が、耳から離れない…
「名前のない男」の男の生き方を観ていて、その「The Ditch」における男たちの姿を、重ねてみないわけにはいかなかった。
イメージフォーラム・フェスティバルでは、上映前の作品紹介で、王兵監督のフィルモグラフィーにおいて、「名前のない男」は「The Ditch」(「溝」として昨年11月の東京フィルメックスでも上映された)と対をなす作品だと説明され、「The Ditch」の方は、劇場公開が予定されていると補足された。ならば、そちらももう一度観ようかと思う。そう思わせる王兵監督の描く世界である。
(2011年6月7日)
マレーシア映画「踊れ 五虎!」は、たまには許される平和で安心な作品 [マレーシア映画]
もう2か月前になるが、3月11日14時46分頃に東日本を襲った大地震は、大阪アジアン映画祭2011の真っ最中のできごとで、その瞬間には、ABCホールでフィリピン映画「リベラシオン」(11)を観ていた。わたくしが座っていたのは、ロールバックシートの最後列だったが、近くの女性が「あっ、地震!」と小声で呟くなどのざわめきもあって、突然の揺れにちょっと吃驚した。ABCホールは免震構造だそうだが、その揺れはまるで余韻を残すように長く長く感じられた。(その後の報道によると、大阪は震度3を記録したとのこと)。
上映じたいは何ら中断されることもなかったが、スクリーン(厳密にはスクリーンをマスクする両端の暗幕)の揺れは、その後も長い間静止せず、なので無視もできずに、映画が終わるまでずっと気になっていた。上映後のQ&Aでは、進行役がそのスクリーンの揺れを“予期せぬ特殊効果だ”などと言っていたくらいなので、事態の深刻さはその時点では全くわからず、その後も、この会場に籠って引き続き2作品を観ていたため(途中に東北で大きな地震があった程度の情報は司会者からあったが)、すべてを知ったのは、深夜にテレビを点けてからとなった。
この瞬間に観ていた「リベラシオン」は、地震で集中できなかったことを抜きにしても、随分と間延びした、巧みなところがどこにも見つけられない作品であった。
アドルフォ・アリックス・ジュニア監督からの出品は、当初85分バージョンだったそうだが、会期中2回目の上映となるこの日は、その後に届いたという109分のディレクターズカット版で観せられた。終戦から29年経ってフィリピン・ルバング島から帰還した小野田元少尉を下敷きにしているのは明らか(本作も上官の小林将軍が最後に20年間にわたる任務を解く)だが、過度な日本的テイストを、ヘンに取り違えながら織り込んで、だらだらと時間だけが長くて、「この戦争は正しかったのか」という、言われなくとも当然に伝わる価値観をセリフにして終わる。真面目なテーマであるのに、残念な限りである。
むしろ大阪アジアン映画祭2011では、何の毒の粉もまぶされていない、マレーシア映画「踊れ 五虎!(大日子WooHoo!)」に好感が持てた。2010年のマレーのお正月映画だそうなので、いい人ばかりで悪人の出てこない、平和なハッピーエンドものというのは、お約束として許される範囲である。これまた人の良さそうな、新人のチウ・ケングアン(青元)監督がゲストで参加。中国語のマレーシア映画であることが強調されるが、ニューウエーブではなく、こてこての商業映画である。
中華風の、かわいらしい虎のアニメーションから映画は始まる。この作品の中心となるのは“舞虎”という、獅子舞のような芸。この踊りじたいは映画上の架空のものだが、ベセラ村で60年に一度の虎年に、奉納の舞として行われている伝統文化という設定である。村の娘リエンの一族だけが踊れるということになっているが、60年ぶりの現代では、父が亡くなり、老いたツエン爺さんと孫娘たちだけでは伝統も途絶えてしまうと、ベン、レイン、ファら都会の青年たちが踊り手として雇われ、これに“舞虎”を卒論にしている大学生ボビーも加わって、踊りの復活が試みられることになった。
最初から最後までベタなギャグ一辺倒の人情ドラマで、肝心の虎の頭が壊れたり、チーム解散などの危機を乗り越えて、当然のように幸せなエンディングを迎える。いくつもの恋話も並行して描かれ、舞虎の踊りも、登場人物それぞれの私生活も、大成功で言うことなし。大団円のラストの後には爆笑NG集がおまけにつく。
いわゆる「元気を発信」などというフレーズは、まさにこういう作品に当てはまるのではなかろうか。
大阪アジアン映画祭2011では、ラトビアのマリス・マルティンソンス監督作「雨夜~香港コンフィデンシャル」や、マレーシア出身リム・カーワイ監督の「マジック&ロス」、韓国映画「遭遇」のような、観ていて脳味噌を刺激するものがある一方で、このようなお気楽なものが混ざっていると、それだけでうっかり、目元口元が弛緩してしまう。
(2011年5月11日)
上映じたいは何ら中断されることもなかったが、スクリーン(厳密にはスクリーンをマスクする両端の暗幕)の揺れは、その後も長い間静止せず、なので無視もできずに、映画が終わるまでずっと気になっていた。上映後のQ&Aでは、進行役がそのスクリーンの揺れを“予期せぬ特殊効果だ”などと言っていたくらいなので、事態の深刻さはその時点では全くわからず、その後も、この会場に籠って引き続き2作品を観ていたため(途中に東北で大きな地震があった程度の情報は司会者からあったが)、すべてを知ったのは、深夜にテレビを点けてからとなった。
この瞬間に観ていた「リベラシオン」は、地震で集中できなかったことを抜きにしても、随分と間延びした、巧みなところがどこにも見つけられない作品であった。
アドルフォ・アリックス・ジュニア監督からの出品は、当初85分バージョンだったそうだが、会期中2回目の上映となるこの日は、その後に届いたという109分のディレクターズカット版で観せられた。終戦から29年経ってフィリピン・ルバング島から帰還した小野田元少尉を下敷きにしているのは明らか(本作も上官の小林将軍が最後に20年間にわたる任務を解く)だが、過度な日本的テイストを、ヘンに取り違えながら織り込んで、だらだらと時間だけが長くて、「この戦争は正しかったのか」という、言われなくとも当然に伝わる価値観をセリフにして終わる。真面目なテーマであるのに、残念な限りである。
むしろ大阪アジアン映画祭2011では、何の毒の粉もまぶされていない、マレーシア映画「踊れ 五虎!(大日子WooHoo!)」に好感が持てた。2010年のマレーのお正月映画だそうなので、いい人ばかりで悪人の出てこない、平和なハッピーエンドものというのは、お約束として許される範囲である。これまた人の良さそうな、新人のチウ・ケングアン(青元)監督がゲストで参加。中国語のマレーシア映画であることが強調されるが、ニューウエーブではなく、こてこての商業映画である。
中華風の、かわいらしい虎のアニメーションから映画は始まる。この作品の中心となるのは“舞虎”という、獅子舞のような芸。この踊りじたいは映画上の架空のものだが、ベセラ村で60年に一度の虎年に、奉納の舞として行われている伝統文化という設定である。村の娘リエンの一族だけが踊れるということになっているが、60年ぶりの現代では、父が亡くなり、老いたツエン爺さんと孫娘たちだけでは伝統も途絶えてしまうと、ベン、レイン、ファら都会の青年たちが踊り手として雇われ、これに“舞虎”を卒論にしている大学生ボビーも加わって、踊りの復活が試みられることになった。
最初から最後までベタなギャグ一辺倒の人情ドラマで、肝心の虎の頭が壊れたり、チーム解散などの危機を乗り越えて、当然のように幸せなエンディングを迎える。いくつもの恋話も並行して描かれ、舞虎の踊りも、登場人物それぞれの私生活も、大成功で言うことなし。大団円のラストの後には爆笑NG集がおまけにつく。
いわゆる「元気を発信」などというフレーズは、まさにこういう作品に当てはまるのではなかろうか。
大阪アジアン映画祭2011では、ラトビアのマリス・マルティンソンス監督作「雨夜~香港コンフィデンシャル」や、マレーシア出身リム・カーワイ監督の「マジック&ロス」、韓国映画「遭遇」のような、観ていて脳味噌を刺激するものがある一方で、このようなお気楽なものが混ざっていると、それだけでうっかり、目元口元が弛緩してしまう。
(2011年5月11日)
大阪アジアン映画祭2011の私的掘り出し物は「彼が23歳だった時」 [インド映画]
今年の大阪アジアン映画祭2011(3 月5日~13日)での掘り出し物は、インドの新鋭アタヌ・ゴーシュ監督の「彼が23歳だった時」(10)だったと断言したい。
冒頭からいきなり、インドの水着美女がプールサイドに登場したり、露出度がかなり高い服装の女性のダンスシーンが出てきたりして驚いてしまうが、これはじつは、本作の主人公で、まもなく23歳を迎える青年トモディプが観ているインド国産のポルノ映画のワンシーン。彼は、“セックスの女王”の異名をとる女優モヒニに、ゾッコンなのである。
この手の映画は主に労働者階級に支持されているようだが、トモディプは裕福で成績優秀な家系に生まれ育った好青年である。大学を出て、研修を経て医者としてLL病院に勤務するようになった。そんな彼が、家では息子を一人占めしたい母親に溺愛されながらも、陰ではスクリーン上のモヒニを愛好し、そしてまた一方で、ネットで知り合った若い女性スリポルナと待ち合わせを約束し、初めて顔を合わせてみる。
このスリポルナはもう、15人以上のチャット相手の男と実際に会ったりして、ちょっと危険な目にも遭ったりする娘だ。そんな彼女と同世代的な会話を楽しむ一方で、また、高校時代から憧れていた女性教師でバツいちの年上女性メグナがFMラジオで担当している番組を聴くことも、トモディプには欠かせない。と、交通事故に遭った女優モヒニが、何と自分の勤める病院に入院することになった! 病室から逃げ出そうと試みるモヒニには、何か事情があるようだ。
こう書いていくと、トモディプは、好き放題に、周囲の女性たちとの関係を保ちながら青春を謳歌しているやんちゃな若者のようにとられるかもしれないが、この青年はとても誠実純粋であって、本作は相当に繊細なドラマとしてまとまっている。そのへんの感性がまた国境を越えて共鳴する部分でもある。アタヌ・ゴーシュ監督は、大人へと成長するトモディプにとっての、それぞれに大切な女性との関係の機微をうまく描き出しており、それでいて、ベンガル語映画らしい、観る者の知的好奇心をくすぐる演出でもある。
母親を含めた4人の女性同士が、それぞれ交錯していく模様もちょっと刺激的で、彼が選ぶのは、憧れの女優、同世代の女性、年上の初恋の女性、まさかの母親、のうちの、さていずれなのだろう…。
その答えとして、エンディングでトモディプは、この中のひとりと一緒に、父親に買ってもらった赤い車を走らせる。それが誰かは、この映画の観客だけにわかった方がいいので、ここではちょっと書けない。
(2011年4月26日)

冒頭からいきなり、インドの水着美女がプールサイドに登場したり、露出度がかなり高い服装の女性のダンスシーンが出てきたりして驚いてしまうが、これはじつは、本作の主人公で、まもなく23歳を迎える青年トモディプが観ているインド国産のポルノ映画のワンシーン。彼は、“セックスの女王”の異名をとる女優モヒニに、ゾッコンなのである。
この手の映画は主に労働者階級に支持されているようだが、トモディプは裕福で成績優秀な家系に生まれ育った好青年である。大学を出て、研修を経て医者としてLL病院に勤務するようになった。そんな彼が、家では息子を一人占めしたい母親に溺愛されながらも、陰ではスクリーン上のモヒニを愛好し、そしてまた一方で、ネットで知り合った若い女性スリポルナと待ち合わせを約束し、初めて顔を合わせてみる。
このスリポルナはもう、15人以上のチャット相手の男と実際に会ったりして、ちょっと危険な目にも遭ったりする娘だ。そんな彼女と同世代的な会話を楽しむ一方で、また、高校時代から憧れていた女性教師でバツいちの年上女性メグナがFMラジオで担当している番組を聴くことも、トモディプには欠かせない。と、交通事故に遭った女優モヒニが、何と自分の勤める病院に入院することになった! 病室から逃げ出そうと試みるモヒニには、何か事情があるようだ。
こう書いていくと、トモディプは、好き放題に、周囲の女性たちとの関係を保ちながら青春を謳歌しているやんちゃな若者のようにとられるかもしれないが、この青年はとても誠実純粋であって、本作は相当に繊細なドラマとしてまとまっている。そのへんの感性がまた国境を越えて共鳴する部分でもある。アタヌ・ゴーシュ監督は、大人へと成長するトモディプにとっての、それぞれに大切な女性との関係の機微をうまく描き出しており、それでいて、ベンガル語映画らしい、観る者の知的好奇心をくすぐる演出でもある。
母親を含めた4人の女性同士が、それぞれ交錯していく模様もちょっと刺激的で、彼が選ぶのは、憧れの女優、同世代の女性、年上の初恋の女性、まさかの母親、のうちの、さていずれなのだろう…。
その答えとして、エンディングでトモディプは、この中のひとりと一緒に、父親に買ってもらった赤い車を走らせる。それが誰かは、この映画の観客だけにわかった方がいいので、ここではちょっと書けない。
(2011年4月26日)
大阪アジアン映画祭2011のタイ映画「アンニョン! 君の名は」は良かった [タイ映画]
今年の大阪アジアン映画祭2011(3 月5日~13日)では、国境、国籍を越えた作品、恋愛を扱った作品が多かったようだと前回書いたが、その続きで。
シンガポール映画「いつまでもあなたが好き好き好き」(10)はウィー・リーリン監督の新作だが、もうひとつの出来だったと思う。
日本の女性芸人が演じたりしたらハマるかもしれない、妄想狂の女ジョイ。結婚を推進する機関W.E.D.に務める彼女(この設定は出生率の低いシンガポールらしさを意識したか)は、婚姻促進キャンペーンのプロモーションビデオに自ら出演し、そこで共演した、台湾から来たイケメン青年ジンに恋してしまって、相手に婚約者がいることもお構いなしに、ひいちゃいそうなくらい猛烈にアタックしまくる。そのストーカー行為は、ホラー色もあって怖いくらいで、しかし所詮そこまでのラブコメディなのかと思っていたら、物語の着地のところで、映画の後味が変わってしまった、それも良くない方へ。
解釈という点では、観客に委ねられた謎なのかもしれないが、ハッピーエンディング的な場面を迎えて「私、薬を飲み忘れたのかしら」と呟くジョイには、わたくしとしてはもう悲壮感しか観てとれなかった。“ドラえもんの物語は、植物状態ののび太の夢”という悪ふざけのオチと、同じくらいに哀しい…。
一方で、タイ映画「アンニョン! 君の名は」(10)は、GTH社のいつもの、胸キュン・ラブロマンスという定番路線でありながらも、舞台が韓国ということでちょっと新機軸的なところも示していて、十分に満足させてくれた。「こんな映画が観たかった!」賞(勝手に書いてるが)をあげたいと思っていたら、実際にコンペ部門で、来るべき才能賞とABC賞を受賞した。業界的にも、フィルムコミッションの教科書として秀作ではなかろうか。
ホラームービー「心霊写真」「Alone」「4bia」のバンジョン・ピサンタナクーン監督の作品で、脚本は、韓国ツアーに紛れ込んでソウルに渡ってしまった主役の男を演じるチャンタウィット・タナセーウィーによるもの。(二人が映画祭ゲストで参加)
簡単に書くと、旅先のソウルの街で偶然に出会ったタイの男女が、時間を共有していくうちに、お互い気づかないうちに恋に落ちてしまうという話だ。細かくみていけば、ありえないシチュエーションの連続。しかも、掴みどころがなくいい加減なキャラのこの男が、異性から見て魅力的なのかどうかの疑問もある。だが、韓流オタクでカメラ片手に一人旅を続けている女性との組み合わせが、羨まれるような世紀のカップルというわけでもないので、それほど詮索せずに、観客は、笑いの絶えない二人のやりとりを温かに見守ってあげられるのである。
劇中では韓流ドラマのネタも随所に楽しめるが、韓流以上にドラマチックな展開が、この映画の先には、じつはある。まだ終盤ではない、この段階で? というところで二人は口づけを交わすが、ここから物語は急旋回していく。その後の展開を書くような、デリカシーのないことはしないでおくが、とにかく、互いの事情はしだいに紐解かれていきながらも、自分の名前を明かすことはどちらもしない。そのことを邦題「君の名は」は示している。
二人は結局バンコクにそれぞれに戻って、もうひとつエピソードがでてきて終わる。ラジオDJの相談コーナーという、心憎い仕掛けがラストに用意されているが、ここではもう書かない。思い出すと涙が出そうだし…。
いまだに洋便器の洗浄水を顔に浴びるドジを踏むような発展途上的なベタなギャグと、奥底に秘められた心の繊細さを垣間見せる切ない表現が、ひとつの映画のなかに同居するという奇妙さは、じつに何ともタイ映画らしい。日本のあちこちの映画祭は、つまらないものを上映するくらいなら、このプリントを借りたら良い。
(2011年4月20日)
シンガポール映画「いつまでもあなたが好き好き好き」(10)はウィー・リーリン監督の新作だが、もうひとつの出来だったと思う。
日本の女性芸人が演じたりしたらハマるかもしれない、妄想狂の女ジョイ。結婚を推進する機関W.E.D.に務める彼女(この設定は出生率の低いシンガポールらしさを意識したか)は、婚姻促進キャンペーンのプロモーションビデオに自ら出演し、そこで共演した、台湾から来たイケメン青年ジンに恋してしまって、相手に婚約者がいることもお構いなしに、ひいちゃいそうなくらい猛烈にアタックしまくる。そのストーカー行為は、ホラー色もあって怖いくらいで、しかし所詮そこまでのラブコメディなのかと思っていたら、物語の着地のところで、映画の後味が変わってしまった、それも良くない方へ。
解釈という点では、観客に委ねられた謎なのかもしれないが、ハッピーエンディング的な場面を迎えて「私、薬を飲み忘れたのかしら」と呟くジョイには、わたくしとしてはもう悲壮感しか観てとれなかった。“ドラえもんの物語は、植物状態ののび太の夢”という悪ふざけのオチと、同じくらいに哀しい…。
一方で、タイ映画「アンニョン! 君の名は」(10)は、GTH社のいつもの、胸キュン・ラブロマンスという定番路線でありながらも、舞台が韓国ということでちょっと新機軸的なところも示していて、十分に満足させてくれた。「こんな映画が観たかった!」賞(勝手に書いてるが)をあげたいと思っていたら、実際にコンペ部門で、来るべき才能賞とABC賞を受賞した。業界的にも、フィルムコミッションの教科書として秀作ではなかろうか。
ホラームービー「心霊写真」「Alone」「4bia」のバンジョン・ピサンタナクーン監督の作品で、脚本は、韓国ツアーに紛れ込んでソウルに渡ってしまった主役の男を演じるチャンタウィット・タナセーウィーによるもの。(二人が映画祭ゲストで参加)
簡単に書くと、旅先のソウルの街で偶然に出会ったタイの男女が、時間を共有していくうちに、お互い気づかないうちに恋に落ちてしまうという話だ。細かくみていけば、ありえないシチュエーションの連続。しかも、掴みどころがなくいい加減なキャラのこの男が、異性から見て魅力的なのかどうかの疑問もある。だが、韓流オタクでカメラ片手に一人旅を続けている女性との組み合わせが、羨まれるような世紀のカップルというわけでもないので、それほど詮索せずに、観客は、笑いの絶えない二人のやりとりを温かに見守ってあげられるのである。
劇中では韓流ドラマのネタも随所に楽しめるが、韓流以上にドラマチックな展開が、この映画の先には、じつはある。まだ終盤ではない、この段階で? というところで二人は口づけを交わすが、ここから物語は急旋回していく。その後の展開を書くような、デリカシーのないことはしないでおくが、とにかく、互いの事情はしだいに紐解かれていきながらも、自分の名前を明かすことはどちらもしない。そのことを邦題「君の名は」は示している。
二人は結局バンコクにそれぞれに戻って、もうひとつエピソードがでてきて終わる。ラジオDJの相談コーナーという、心憎い仕掛けがラストに用意されているが、ここではもう書かない。思い出すと涙が出そうだし…。
いまだに洋便器の洗浄水を顔に浴びるドジを踏むような発展途上的なベタなギャグと、奥底に秘められた心の繊細さを垣間見せる切ない表現が、ひとつの映画のなかに同居するという奇妙さは、じつに何ともタイ映画らしい。日本のあちこちの映画祭は、つまらないものを上映するくらいなら、このプリントを借りたら良い。
(2011年4月20日)
大阪アジアン映画祭2011の、まずは「一万年愛してる」を中心に [台湾映画]
今年の大阪アジアン映画祭2011(3 月5日~13日)は、コンペティション部門10作品を何とか制覇し、プラスしてジョニー・トー監督のワールドプレミア「単身男女」までチェックできた。今年のポイントとしては国境、国籍を越えた作品がかなりあったということがあげられる。それともうひとつ、全体的に恋愛を扱ったものが多かった気がするので、その視点でまずは振り返ろうかと思う。
台湾映画「一万年愛してる(愛你一萬年)」(10)は、ヴィック・チョウ主演だからか、満席の観客からずいぶんと愛されていた作品で、結果的に観客賞にも輝き、メガホンをとった北村豊晴監督もさぞやご機嫌だったことだろう。就職して3か月の語学研修で台湾に来た桜田みかん。3か月以上は恋愛が持続できないというロックバンド・エレクトロモンキーズを組むチフォン。二人が出会って国籍を越えて互いに惹かれあい、10月31日までという恋愛契約書(延長なし。その場合は百万元の罰金)を交わし、部屋を借りて同棲を始める。
何とも軽い人生観ではないか!とりあえずひと目で惚れてくっついても、時間が立てば互いの欠点が見えてくることは当たり前。だから長くは続かないことは、こんな形で恋愛を始める若者にとってはどうにも明らかなのだが、全編にわたってコメディタッチで、セックスフレンド的なヤラしさは微塵もない。まるでインド映画のようにダンスの場面で、そのあたりを表現するところはなかなか。
タイトルが示すような結末になることは最初からわかっていて、その過程が十分に楽しめた。昨年のこの映画祭の台湾映画「聴説」には、ちょっと障がい者蔑視の感覚があってイヤだったが、今年の「一万年愛してる」は感じの良さがある。特にみかん役をイキイキと演じる加藤侑紀はイイ。彼女がこの作品の魅力を倍増させた。
作品名は、劇中でも歌われる「愛你一萬年」という曲名。これは沢田研二の「時の過ぎゆくままに」のカバーだが、聴くと原曲とはかなりイメージが違う。じつは観る前から、この映画、どうして“永遠”じゃなくて“一万年”なんだろうと疑問に思っていたが、当日の質疑応答で北村監督もそのへんについて同じようなことを言われていた。一万年好きとか罰金百万元なんて言う、子どもの言い草みたいな、馬鹿馬鹿しさがこれまた良い。
かたや香港、ジョニー・トー監督の最新作「単身男女」(11)は、久しぶりに男臭くない、コメディタッチの恋愛ゲームもの。第35回香港国際映画祭のオープニング作品を、それより10日も早く大阪で観られることになる。
中国から来たOLツーシンに、若手企業家シェンランと建築家チーホンの二人の男が、互いに恋敵となって絡む。ユニークなのが、男女が出会ったり再会したりするシチュエーションが、隣り合う香港の高層ビルの窓越しというところ。それぞれの関係性が、直接ではなく、窓ガラスを介したものであるというのはちょっとしたミソである。
そしてこの映画が「一万年愛してる」と大きく違う点は、同居からまずスタートする、軽い男女関係ではなくて、ツーシンがどちらかの男性を選んで、そして愛してると言えるまでに相当の時間を経るというところにある。まあ、ちょっと大人のドラマということでもあるが、この恋愛のゲームオーバーの結末は、中年の小生にとっては当然に納得でき、そして安心できるものだった。
同じく香港の「恋人のディスクール」(10)は中華圏スターが多数出演する、断片的な4つの物語的シチュエーションからなるオムニバス。恋という心理状態を、それぞれのシチュエーションから、印象的に映し出している。カリーナ・ラムが登場する第一話の、他愛ないようでいて裏があるような、男と女のモゾモゾとした関係の描写は出色。しかし、それと対をなす第四話がでてくると、ちょっとリアルすぎるところに着地しちゃったかなと感じた。まあ、モザイクを成すひとつひとつの短編については減点のない出来栄えなのだが、その集合体としてみたときに、コンペティション部門のグランプリ受賞という結果には、参加10作品のなかで比べると、ダントツではない。
(2011年4月9日)
台湾映画「一万年愛してる(愛你一萬年)」(10)は、ヴィック・チョウ主演だからか、満席の観客からずいぶんと愛されていた作品で、結果的に観客賞にも輝き、メガホンをとった北村豊晴監督もさぞやご機嫌だったことだろう。就職して3か月の語学研修で台湾に来た桜田みかん。3か月以上は恋愛が持続できないというロックバンド・エレクトロモンキーズを組むチフォン。二人が出会って国籍を越えて互いに惹かれあい、10月31日までという恋愛契約書(延長なし。その場合は百万元の罰金)を交わし、部屋を借りて同棲を始める。
何とも軽い人生観ではないか!とりあえずひと目で惚れてくっついても、時間が立てば互いの欠点が見えてくることは当たり前。だから長くは続かないことは、こんな形で恋愛を始める若者にとってはどうにも明らかなのだが、全編にわたってコメディタッチで、セックスフレンド的なヤラしさは微塵もない。まるでインド映画のようにダンスの場面で、そのあたりを表現するところはなかなか。
タイトルが示すような結末になることは最初からわかっていて、その過程が十分に楽しめた。昨年のこの映画祭の台湾映画「聴説」には、ちょっと障がい者蔑視の感覚があってイヤだったが、今年の「一万年愛してる」は感じの良さがある。特にみかん役をイキイキと演じる加藤侑紀はイイ。彼女がこの作品の魅力を倍増させた。
作品名は、劇中でも歌われる「愛你一萬年」という曲名。これは沢田研二の「時の過ぎゆくままに」のカバーだが、聴くと原曲とはかなりイメージが違う。じつは観る前から、この映画、どうして“永遠”じゃなくて“一万年”なんだろうと疑問に思っていたが、当日の質疑応答で北村監督もそのへんについて同じようなことを言われていた。一万年好きとか罰金百万元なんて言う、子どもの言い草みたいな、馬鹿馬鹿しさがこれまた良い。
かたや香港、ジョニー・トー監督の最新作「単身男女」(11)は、久しぶりに男臭くない、コメディタッチの恋愛ゲームもの。第35回香港国際映画祭のオープニング作品を、それより10日も早く大阪で観られることになる。
中国から来たOLツーシンに、若手企業家シェンランと建築家チーホンの二人の男が、互いに恋敵となって絡む。ユニークなのが、男女が出会ったり再会したりするシチュエーションが、隣り合う香港の高層ビルの窓越しというところ。それぞれの関係性が、直接ではなく、窓ガラスを介したものであるというのはちょっとしたミソである。
そしてこの映画が「一万年愛してる」と大きく違う点は、同居からまずスタートする、軽い男女関係ではなくて、ツーシンがどちらかの男性を選んで、そして愛してると言えるまでに相当の時間を経るというところにある。まあ、ちょっと大人のドラマということでもあるが、この恋愛のゲームオーバーの結末は、中年の小生にとっては当然に納得でき、そして安心できるものだった。
同じく香港の「恋人のディスクール」(10)は中華圏スターが多数出演する、断片的な4つの物語的シチュエーションからなるオムニバス。恋という心理状態を、それぞれのシチュエーションから、印象的に映し出している。カリーナ・ラムが登場する第一話の、他愛ないようでいて裏があるような、男と女のモゾモゾとした関係の描写は出色。しかし、それと対をなす第四話がでてくると、ちょっとリアルすぎるところに着地しちゃったかなと感じた。まあ、モザイクを成すひとつひとつの短編については減点のない出来栄えなのだが、その集合体としてみたときに、コンペティション部門のグランプリ受賞という結果には、参加10作品のなかで比べると、ダントツではない。
(2011年4月9日)
文化庁第8回国際文化フォーラム・奈良セッション「映画と東アジア」レボート(三) [映画イベント]
後半のパネルディスカッションの話題は、時間の関係もあっていくつかに絞られたが、パネリスト共通の関心事として、映画表現に係わる問題、すなわち国の検閲が、座長の佐藤忠男氏からまずあがった。
アピチャッポン監督によると、タイでは、宗教や政治などの視点で、国の安定を損なうことを言ってはいけないと法で定められている。だから、観る者が判断する以前に、たとえばホームページでいうと、日に500件が情報通信省によってブロックされている。表現について多くの禁止事項があるために、これまでタイの古い世代の監督たちは幽霊映画に甘んじてきたところがあり、政治的な内容の映画は製作されてこなかった。ではなぜアピチャッポン監督がタイに残って映画を作り続けているかというと、タイの混沌としているところがインスピレーションに繋がっていくからだという。
(2010年のアジアフォーカスで、タイの映画「ありふれた話」が上映された際にも、来福したアノーチャ・スイッチャーゴーンポン監督に対して、観客から、シーンのカットに執着した質問ばかりが辟易するくらいに続いた)
バングラデシュのモカンメル監督も、これまでに自作の3作品がひっかかり、うちひとつは最高裁までいったと述べる。なんだかこの話題になると、ひっかかることが自慢というか、何かまるでひとつの勲章のように聞こえてしまう。モカンメル監督は、委員会側に理解できない高度なレベルで表現すれば検閲は通る、だから自分じしんを締めつけることなく、賢くやれば克服できるのだと強調された。
フィリップ・チア氏は、映画を上映する映画祭側の立場から、当たり前のことだが、シンガポール国際映画祭では上映作品はカットしないという方針で当初から臨んできた。しかし国際関係から、そうもいかなくなって、佐藤忠男氏に仲介をお願いしたこともあるというようなことをオブラートに包みながら語った。
映画祭でのノーカットといえば、ずいぶん前だが、当時日本でも劇場公開時に映倫とトラブルになったミケランジェロ・アントニオーニ監督&ヴィム・ヴェンダース監督の「愛のめぐりあい」(95)が、ニューデリーのインド国際映画祭でそのまんまに上映された際に、ソフィー・マルソーの問題の場面になったとたん、客席中からカメラのフラッシュが放たれた(おそらく写真は撮れていないはず)という光景に、筆者も出くわしたことがある。
ジャ・ジャンクー監督の場合、国家の資金で撮るのであれば縛りも仕方がないと思うが、自分じしんは、検閲に対する反抗心を映画づくりの原動力にしてきた。けれども公開できないことを承知で映画を作ることには強い決意が必要である。ジャ・ジャンクー監督にとって意外に感じる点は、中国の若い世代にも、どうして国の陰部を撮るのだという否定的な意見が少なくないことだそうだ。
軍事政権の時代から映画を撮ってきたイム・グォンテク監督は、振り返ると、自分で自分を検閲してきた、自主規制をしてきた自分がいたという。社会の様々な問題に対して自由に考えを表現することは禁止されており、知らず知らずのうちに迎合してしまっていたのだ。だから、民主化になって突然、検閲がなくなった時に、段階を踏んでいないこともあって、韓国では逆に無責任な映画がうまれてきた。今は映画人が野放図になり過ぎている気もすると警告された。
表現に対する国の干渉というのは、確かに映像作家にとっては共通のテーマで、ディスカッションは大いに盛り上がった。一方で、ハリウッドなどに対抗するために逆に政府からの製作支援は如何かと話題がシフトすると、イム・グォンテク監督は、もちろん、韓国では国産映画の発展に大きく寄与していて、人材の育成につながったと述べられた。
モカンメル監督は、ロッテルダム映画祭のファンドを受けたじしんの経験から、多くの映画祭で、途上国の映画、アジアに土着した映画を支援するシステムが生まれることを熱望された。ジャ・ジャンクー監督も、ハリウッドとは違うモデルでハリウッドと対抗すべきと協調された。
続いての話題、アジア各国の連携を深めることにも絡めて、それぞれの話は共同製作についても広がり、最初、パネリストがあまりにも幅広の顔ぶれで、話がかみ合うのかと興味津々だったのだが、結論めいたもので締め括ることは難しいにしても、意気投合した雰囲気に、アジア映画界の明るい未来が見えた気がした。
締めの場で述べられたわけではないのだが、フィリップ・チア氏の一言が、このまとめの最後に相応しいと思うので、ここに書いておこう。「映画は、何故、西洋で認められたものが秀作と位置づけられるのか」。 (了)
(2011年1月31日)
アピチャッポン監督によると、タイでは、宗教や政治などの視点で、国の安定を損なうことを言ってはいけないと法で定められている。だから、観る者が判断する以前に、たとえばホームページでいうと、日に500件が情報通信省によってブロックされている。表現について多くの禁止事項があるために、これまでタイの古い世代の監督たちは幽霊映画に甘んじてきたところがあり、政治的な内容の映画は製作されてこなかった。ではなぜアピチャッポン監督がタイに残って映画を作り続けているかというと、タイの混沌としているところがインスピレーションに繋がっていくからだという。
(2010年のアジアフォーカスで、タイの映画「ありふれた話」が上映された際にも、来福したアノーチャ・スイッチャーゴーンポン監督に対して、観客から、シーンのカットに執着した質問ばかりが辟易するくらいに続いた)
バングラデシュのモカンメル監督も、これまでに自作の3作品がひっかかり、うちひとつは最高裁までいったと述べる。なんだかこの話題になると、ひっかかることが自慢というか、何かまるでひとつの勲章のように聞こえてしまう。モカンメル監督は、委員会側に理解できない高度なレベルで表現すれば検閲は通る、だから自分じしんを締めつけることなく、賢くやれば克服できるのだと強調された。
フィリップ・チア氏は、映画を上映する映画祭側の立場から、当たり前のことだが、シンガポール国際映画祭では上映作品はカットしないという方針で当初から臨んできた。しかし国際関係から、そうもいかなくなって、佐藤忠男氏に仲介をお願いしたこともあるというようなことをオブラートに包みながら語った。
映画祭でのノーカットといえば、ずいぶん前だが、当時日本でも劇場公開時に映倫とトラブルになったミケランジェロ・アントニオーニ監督&ヴィム・ヴェンダース監督の「愛のめぐりあい」(95)が、ニューデリーのインド国際映画祭でそのまんまに上映された際に、ソフィー・マルソーの問題の場面になったとたん、客席中からカメラのフラッシュが放たれた(おそらく写真は撮れていないはず)という光景に、筆者も出くわしたことがある。
ジャ・ジャンクー監督の場合、国家の資金で撮るのであれば縛りも仕方がないと思うが、自分じしんは、検閲に対する反抗心を映画づくりの原動力にしてきた。けれども公開できないことを承知で映画を作ることには強い決意が必要である。ジャ・ジャンクー監督にとって意外に感じる点は、中国の若い世代にも、どうして国の陰部を撮るのだという否定的な意見が少なくないことだそうだ。
軍事政権の時代から映画を撮ってきたイム・グォンテク監督は、振り返ると、自分で自分を検閲してきた、自主規制をしてきた自分がいたという。社会の様々な問題に対して自由に考えを表現することは禁止されており、知らず知らずのうちに迎合してしまっていたのだ。だから、民主化になって突然、検閲がなくなった時に、段階を踏んでいないこともあって、韓国では逆に無責任な映画がうまれてきた。今は映画人が野放図になり過ぎている気もすると警告された。
表現に対する国の干渉というのは、確かに映像作家にとっては共通のテーマで、ディスカッションは大いに盛り上がった。一方で、ハリウッドなどに対抗するために逆に政府からの製作支援は如何かと話題がシフトすると、イム・グォンテク監督は、もちろん、韓国では国産映画の発展に大きく寄与していて、人材の育成につながったと述べられた。
モカンメル監督は、ロッテルダム映画祭のファンドを受けたじしんの経験から、多くの映画祭で、途上国の映画、アジアに土着した映画を支援するシステムが生まれることを熱望された。ジャ・ジャンクー監督も、ハリウッドとは違うモデルでハリウッドと対抗すべきと協調された。
続いての話題、アジア各国の連携を深めることにも絡めて、それぞれの話は共同製作についても広がり、最初、パネリストがあまりにも幅広の顔ぶれで、話がかみ合うのかと興味津々だったのだが、結論めいたもので締め括ることは難しいにしても、意気投合した雰囲気に、アジア映画界の明るい未来が見えた気がした。
締めの場で述べられたわけではないのだが、フィリップ・チア氏の一言が、このまとめの最後に相応しいと思うので、ここに書いておこう。「映画は、何故、西洋で認められたものが秀作と位置づけられるのか」。 (了)
(2011年1月31日)
文化庁第8回国際文化フォーラム・奈良セッション「映画と東アジア」レボート(二) [映画イベント]
佐藤忠男氏による基調講演がイントロダクションとなって、それに続いて順々に、パネリストそれぞれが用意された映像を流しながら、“発表”という位置付けで、考えをコメントとして出していくことになった。
まずは、ここ奈良ご出身の河瀨直美監督。「新人時代にカンヌで大きな賞をいただき、日本には逆輸入のような形で知られていった。また多くの国際映画祭を巡ることになり、考えてきたことがある。奈良では映画なんて撮れるものかと言われながら、奈良に住み、奈良で映画づくりを続けてきた自分としては、奈良で国際映画祭をやりたい」と。そして平城遷都1300年にあたる2010年に、自らがエグゼクティブディレクターとなって、第1回なら国際映画祭をスタートさせた。
第1回映画祭の記録映像を流しながらトークが進む。新人コンペ部門の作品選定を国際的にも有力なプログラマーに依頼したことで、絞りに絞った作品は粒ぞろいと胸を張る。
この奈良映画祭には、ナラティブ・プロジェクトという、奈良を世界へ発信する映画製作支援の企画があって、招いた監督に奈良を舞台として映画を製作してもらうもの。第1回プロジェクトの「光男の栗」と「びおん」の2作品は、その後2010年11月の第28回トリノ国際映画祭でも上映されたそうで、世界の眼で奈良の世界を構築して発信していくという狙いがすでに具体化されている。ちなみに「光男の栗」は、「ジャライノール」(08)が劇場公開される中国の趙曄監督の最新作。
毎年新人コンペ部門のグランプリ監督に、次回ナラティブ・プロジェクトの製作権が授与され、10年続ければ10本の作品が生まれていくという夢と期待を力強く表明された。
次は、直前の11月28日に閉幕したばかりの第11回東京フィルメックスで、最新作「海上伝奇」が上映されたばかりの中国のジャ・ジャンクー監督。フィルメックスには都合により不参加で、このフォーラムのために来日されたそうだ。まずは、97年に北京電影学院卒業という自己のプロフィールと、その当時の映画製作は政府が独占していたが、徐々に民間の投資によっても映画が作られるようになってきた状況を話された。ただ、張元や王小帥しかり、自由な考え方の表現は検閲によって縛られる。だから現実は政府の映画からは読み取れない。初の長編「一瞬の夢」は変革という現実の中での焦りを表したもの。ジャ・ジャンクー監督は、許可の得られることのない作品を、毎週大学などを廻ってアンダーグラウンドで上映してきたそうだ。
そのような監督にとって、映画祭は重要な存在だと強く語る。「一瞬の夢」で参加したベルリン国際映画祭でオフィス北野のプロデューサーと出会い、その後の作品「プラットホーム」「青の稲妻」を製作できることになった。また、香港の映画祭で中華圏の映画人と知り合い、その後の仲間となる製作スタッフも得ていった。
それ以降の作品は中国でも上映することができるようになったと、中国の近代を回顧した最新作「海上伝奇」の予告編映像を紹介しながら、じしんのフィルモグラフィーを振り返るジャ・ジャンクー監督であった。
「風の丘を越えて~西便制」の名場面をバックに、アジア各地でそれぞれの地域に根ざした映画が作り続けられることで、それらを集めると一枚の地図になるだろうと説いたイム・グォンテク監督に続いては、タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督。最新作「ブンミおじさんの森」がオープニングで上映された東京フィルメックスに参加し、そのまま日本に滞在されていたそうだ。
自分じしんは恥ずかしがり屋だというアピチャッポン監督にとっては、カメラはもうひとつの眼として、人とコミュニケーションしていく道具だという。自分の撮る映画は個人的な経験や主観的なものであり、過去の記憶を使って映画を作っている。映画とは記憶の閃光だと語りながら流される映像は、監督のインスタレーションである「プリミティブ・プロジェクト」を紹介するもの。最新作の「ブンミおじさんの森」も、このプロジェクトの一部であり最終作だそうだ。
思い返せば、イメージフォーラム・フェスティバル2009で観たアピチャッポン監督の短編2作品「ブンミおじさんへの手紙」「ナブアの亡霊」もこの一部だったのだ、とこの時に気づく。
インスタレーションは、家族のような形で一緒に移動している製作仲間とタイ東北部をまわって、過去の生命を呼び起すことのできる人、ブンミおじさんの情報を探すという活動である。自分のみる夢の一部を人々と共有するために映画を作る、その独自の製作法が一般の商業映画とは一線を画すアピチャッポン監督だが、彼にとっては、映画づくりとアート製作には境界線はない。わたくしも、商業ルートにはのっていないにもかかわらず、国際映画祭などを通してアピチャッポン作品はすべて観ていることになる。
年間60本から70本の映画が製作されているものの、そのほとんどはボリウッドを真似たコピー作品ばかりだというバングラデシュ映画界からは、タンビール・モカンメル監督が参加しての登壇。芸術的、社会的な視点で、劇映画やドキュメンタリーを多数製作している。一方で評論・研究活動もされていて、現在、バングラデシュ映画研究所を務めていらっしゃるそうで、フォーラム後に個人的にお話したところ、二年前には研究者として招聘されて東京にもいらしたそうだ。
モカンメル監督の代表的作品は、まず「ラロン」に尽きると思うが、耳で聴くだけでも魂を揺さぶられるような素晴らしいメロディ、しかし作品の裏に秘められているヒューマニズムを、「ラロン」の音楽場面をみせながらお話しされた。
佐藤忠男氏も、国際理解のためには「ラロン」のような作品が映画祭の場で紹介されてこそと、イントロで説明されている。
最後にシンガポールの映画批評家、フィリップ・チア氏。NETPACなど多方面で活躍されており、筆者も以前に何度かお会いしたことがあり、フォーラム後に頂戴した名刺はドバイ国際映画祭のプログラムコンサルタントの肩書である。
今回のフォーラムは、1987年にスタートしたシンガポール国際映画祭の創始者としての立場からの登壇のようだ。
その頃は、中国、香港などの中華圏は国際的に注目を集めていたが、東南アジアについては知られていない状況だった。当時、佐藤忠男氏からのインスピレーションも受けて、東南アジアの作品を世界に発信するために上映を始めたのが始まり。その後、エリック・クーなどの新しい才能を紹介することにもつながっていった。
意識しなければならないことは、映画は世界を映し出すものだということ。だから、地元の製作者の言わんとするところへと、たえず視点を戻していく必要がある。
一人ひとりの発表が終わって、座長の佐藤忠男氏と6人のパネリストによる座談会「映画と東アジア」へと移行していった。 (続)
(2011年1月15日)
まずは、ここ奈良ご出身の河瀨直美監督。「新人時代にカンヌで大きな賞をいただき、日本には逆輸入のような形で知られていった。また多くの国際映画祭を巡ることになり、考えてきたことがある。奈良では映画なんて撮れるものかと言われながら、奈良に住み、奈良で映画づくりを続けてきた自分としては、奈良で国際映画祭をやりたい」と。そして平城遷都1300年にあたる2010年に、自らがエグゼクティブディレクターとなって、第1回なら国際映画祭をスタートさせた。
第1回映画祭の記録映像を流しながらトークが進む。新人コンペ部門の作品選定を国際的にも有力なプログラマーに依頼したことで、絞りに絞った作品は粒ぞろいと胸を張る。
この奈良映画祭には、ナラティブ・プロジェクトという、奈良を世界へ発信する映画製作支援の企画があって、招いた監督に奈良を舞台として映画を製作してもらうもの。第1回プロジェクトの「光男の栗」と「びおん」の2作品は、その後2010年11月の第28回トリノ国際映画祭でも上映されたそうで、世界の眼で奈良の世界を構築して発信していくという狙いがすでに具体化されている。ちなみに「光男の栗」は、「ジャライノール」(08)が劇場公開される中国の趙曄監督の最新作。
毎年新人コンペ部門のグランプリ監督に、次回ナラティブ・プロジェクトの製作権が授与され、10年続ければ10本の作品が生まれていくという夢と期待を力強く表明された。
次は、直前の11月28日に閉幕したばかりの第11回東京フィルメックスで、最新作「海上伝奇」が上映されたばかりの中国のジャ・ジャンクー監督。フィルメックスには都合により不参加で、このフォーラムのために来日されたそうだ。まずは、97年に北京電影学院卒業という自己のプロフィールと、その当時の映画製作は政府が独占していたが、徐々に民間の投資によっても映画が作られるようになってきた状況を話された。ただ、張元や王小帥しかり、自由な考え方の表現は検閲によって縛られる。だから現実は政府の映画からは読み取れない。初の長編「一瞬の夢」は変革という現実の中での焦りを表したもの。ジャ・ジャンクー監督は、許可の得られることのない作品を、毎週大学などを廻ってアンダーグラウンドで上映してきたそうだ。
そのような監督にとって、映画祭は重要な存在だと強く語る。「一瞬の夢」で参加したベルリン国際映画祭でオフィス北野のプロデューサーと出会い、その後の作品「プラットホーム」「青の稲妻」を製作できることになった。また、香港の映画祭で中華圏の映画人と知り合い、その後の仲間となる製作スタッフも得ていった。
それ以降の作品は中国でも上映することができるようになったと、中国の近代を回顧した最新作「海上伝奇」の予告編映像を紹介しながら、じしんのフィルモグラフィーを振り返るジャ・ジャンクー監督であった。
「風の丘を越えて~西便制」の名場面をバックに、アジア各地でそれぞれの地域に根ざした映画が作り続けられることで、それらを集めると一枚の地図になるだろうと説いたイム・グォンテク監督に続いては、タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督。最新作「ブンミおじさんの森」がオープニングで上映された東京フィルメックスに参加し、そのまま日本に滞在されていたそうだ。
自分じしんは恥ずかしがり屋だというアピチャッポン監督にとっては、カメラはもうひとつの眼として、人とコミュニケーションしていく道具だという。自分の撮る映画は個人的な経験や主観的なものであり、過去の記憶を使って映画を作っている。映画とは記憶の閃光だと語りながら流される映像は、監督のインスタレーションである「プリミティブ・プロジェクト」を紹介するもの。最新作の「ブンミおじさんの森」も、このプロジェクトの一部であり最終作だそうだ。
思い返せば、イメージフォーラム・フェスティバル2009で観たアピチャッポン監督の短編2作品「ブンミおじさんへの手紙」「ナブアの亡霊」もこの一部だったのだ、とこの時に気づく。
インスタレーションは、家族のような形で一緒に移動している製作仲間とタイ東北部をまわって、過去の生命を呼び起すことのできる人、ブンミおじさんの情報を探すという活動である。自分のみる夢の一部を人々と共有するために映画を作る、その独自の製作法が一般の商業映画とは一線を画すアピチャッポン監督だが、彼にとっては、映画づくりとアート製作には境界線はない。わたくしも、商業ルートにはのっていないにもかかわらず、国際映画祭などを通してアピチャッポン作品はすべて観ていることになる。
年間60本から70本の映画が製作されているものの、そのほとんどはボリウッドを真似たコピー作品ばかりだというバングラデシュ映画界からは、タンビール・モカンメル監督が参加しての登壇。芸術的、社会的な視点で、劇映画やドキュメンタリーを多数製作している。一方で評論・研究活動もされていて、現在、バングラデシュ映画研究所を務めていらっしゃるそうで、フォーラム後に個人的にお話したところ、二年前には研究者として招聘されて東京にもいらしたそうだ。
モカンメル監督の代表的作品は、まず「ラロン」に尽きると思うが、耳で聴くだけでも魂を揺さぶられるような素晴らしいメロディ、しかし作品の裏に秘められているヒューマニズムを、「ラロン」の音楽場面をみせながらお話しされた。
佐藤忠男氏も、国際理解のためには「ラロン」のような作品が映画祭の場で紹介されてこそと、イントロで説明されている。
最後にシンガポールの映画批評家、フィリップ・チア氏。NETPACなど多方面で活躍されており、筆者も以前に何度かお会いしたことがあり、フォーラム後に頂戴した名刺はドバイ国際映画祭のプログラムコンサルタントの肩書である。
今回のフォーラムは、1987年にスタートしたシンガポール国際映画祭の創始者としての立場からの登壇のようだ。
その頃は、中国、香港などの中華圏は国際的に注目を集めていたが、東南アジアについては知られていない状況だった。当時、佐藤忠男氏からのインスピレーションも受けて、東南アジアの作品を世界に発信するために上映を始めたのが始まり。その後、エリック・クーなどの新しい才能を紹介することにもつながっていった。
意識しなければならないことは、映画は世界を映し出すものだということ。だから、地元の製作者の言わんとするところへと、たえず視点を戻していく必要がある。
一人ひとりの発表が終わって、座長の佐藤忠男氏と6人のパネリストによる座談会「映画と東アジア」へと移行していった。 (続)
(2011年1月15日)
イラン映画「ラン アンド ラン」に主演した間寛平さんの凱旋トークと先行上映 [イラン映画]
〈映画の結末に触れています〉
タレントの間寛平さんが、芸能活動を休止して2年前からマラソンとヨットで世界一周に挑戦しているということ程度は芸能ネタとして知っていたが、コースの途中に足を踏み入れたイランで、主演として映画撮影に挑んでいるという新聞記事を一年前の昨年2月に見たときにはちょっと驚いた。それも、監督はカマル・タブリズィだという。
その記事に前後して、完成した作品は、昨年3月に開催された第2回沖縄国際映画祭で特別上映作品としてビーチ上映されることを知った。知人に融通してもらった映画祭カタログによると、題名は「ラン アンド ラン」(10)で、地球一周を目指して走り続けている日本の男カンペイがイランの小さな村を訪れるという話だそうだ。イラン=日本の合作であるし、いずれ日本にゴールされたころにでも劇場公開されるのだろうと、その時は勝手に思っていた…。
そしてそのことじたいも忘れかけていて、間寛平さんが中国からヨットで日本に到着して最終ゴールの大阪までの道のりで、西日本各地でトークと主演映画上映のイベントを繰り返すということを、チケットぴあに置いてあるチラシで知ったのが、昨年末のクリスマス頃。福岡での日程は1月4日で、会場はユナイテッドシネマ・キャナルシティ13。全席指定だというし、もう間もないので、その場で即、チケットを購入した。しかし受け取った券面をみると、「福岡への到着日、間さんの体調などにより、スケジュールや内容が急遽変更になる場合がございます。詳細はHPでご確認ください」という注意書きがある。それでそのアースマラソンの公式HPで、中国・青島からヨットで福岡に到着する予定が1月4日その日だということを、買った後になって知ったわけである。まあ、本人到着が遅れても上映はできるだろうし、本人立ち会いでの凱旋初上映、それも福岡でというのも貴重だろうと思い直してみた。
そして当日。間さんのトークに引き続いての上映。観客は7割程度の入りだろうか。相当数のメディアが入っているので、それを加えると劇場の定員ぐらいには達しているかもしれない。
映画は、カンペイ氏が日本を出発して米国に渡って…という、日本の放送局が提供したと思われる記録映像から始まって、それが続く。イランに入ってからは、砂漠風景の一本道をただ走るカンペイ氏に、通りすがりの車から人々が降りてきては、次々に声をかけていく。警官や家族連れ、イラン=イラク戦争で片足を失った人などが、伴走したり、記念写真を一緒に撮ったり、差し入れを渡したり、彼のために祈ったりと、イランの人懐っこい国民性がここで十分に表現される。
最初の15分近くは、このアースマラソンのほぼドキュメンタリーであるが、ここから、バハールという女性が新任教師として、とある村にバスで向かっているという物語に移行していき、作り物のドラマの色と空気に上手く変わっていく。
映画としてみると、タブリズィ監督作品の「風の絨毯」「ザ・リザード」など日本でも知られているものよりも、以前観た「Sometimes Look at the Sky」(02)「A Piece of Bread」(05)といった日本未公開作の作風に近い。
出だしのカンペイ氏が活躍するドキュメンタリー部分では客席からは笑い声も随分と上がっていたものの、ドラマに入ってからは、後半まではカンペイ氏がスクリーンに登場しないものだから、いわゆる“イラン映画の世界”に水が合わず、しびれを切らしたのか、席を立ってしまう客も目立った。
さて、バハールが赴任してきた小学校はまるで廃墟のようになっていて、教室にかけられた鍵もどこにいったのか見つからない。村人たちは生気がなく、魂を抜かれたかのようにじっとぼんやりしている。若い男女でさえ、交際する気力もなく、学校に通うべき子どもたちも勉強する気もなく退屈そうに遊んでばかりである。
やる気を持ってやってきたバハールはただただ驚き呆れるが、村がこんな風になってしまったその理由は描かれない。この不条理ともいえる世界は、タブリズィ監督にしては残念なことに、ちょっと作り込みが過ぎていて、それでいて表層的である。
そのようなこの村に突然、ヨットとマラソンで世界一周をしているらしい日本人が現れる。そのカンペイ氏は、イランでも有名な存在になっているようで、彼を診察する隣村の医師(ホセイン・アベディニが演じる!)が「彼はミスター・カンペイだ」と驚く。
バハール先生はじめ村の人たちとカンペイ氏は、言葉こそ通じないものの、彼の「ノーミソ・バーン」「イターイ」「ワーォ・ワーォ」といったギャグや行動に心が動かされ、無表情だった子どもたちは笑顔を取り戻して勉強を始め、死んだようにしていた村人たちは急に反応し、壊れた家を修理するなど活き活きとし始める。青年は若い女性に求婚をするし、動かなかった亀までが歩み出す。まるで季節が変わったかのような、あまりにも急激な村の変化は、それまで青みがかっていたスクリーンに少しずつ暖色が付いていくというようなことで、視覚的にもわかりやすくてストレート。カンペイ氏が来たことで花が咲くみたいな、童話のような展開である。
話の軸としても、ドラマの冒頭から登場して永遠に探し物をしていると言われてきたナネ・モラードというお婆さんが、失くしていた学校や牛小屋の鍵などを最後になって見つけ出し、最後に“笑いは重要な鍵である”と出てくる格言のような言葉で、念押しのようにして締め括られる。
ところで、コメディアンという仮面をかぶったカンペイ氏が、素顔らしきものをみせるところもある。教室の黒板を使って、自分がイランに入るまでの世界一周の道のりを絵で説明する。そして「トルコで病気が見つかったので、じつはイランから先が心配なのです」と告白する。
バハールは、悩みはハーフェズに相談すると良いと答える。そしてハーフェズの詩集から「私に美酒を飲ませたのは何人か」「私に美酒を」「美酒を得て砂漠に向かえ」と、カンペイのために祈るように唱える。
カンペイ氏はギャグで人々を煙に巻くが、ペルシャ古典詩の世界をよく知らないわたくしは、同じようにして詩の世界に煙に巻かれた感じだ。このあたりが、合作で顔を合わせた間寛平ワールドとイラン文化の、それぞれの不思議世界の面目躍如か。
映画は最後になって、バハール先生が赴任先の村に向かうバスの場面に引き戻されるので、それまでのカンペイ氏に影響を受ける村の童話物語そのものが幻だったかのようになり、物語そのものの実在が惑わせられるのである。ここに至って、タブリズィ監督も面目躍如である。
さて順序が逆になるが、映画の上映前に30分程度の、間寛平さんのトークがあった。世界一周を振り返って、カザフスタンで3人の兵士に囲まれたエピソードなどが披露されたが、ギャグを織り込んでの話なので、冗談なのか真実なのかはよくわからず、苦笑しながら聞くしかない。
映画出演についてのコメントは、上映直前になって「言葉もわからずに出演したので、アヘアヘとしか言ってません」と一言だけでこれまた、芸人というベールを頭から被り、本音を包み隠して一切みせず、誤魔化されたような感じだったが、観終わってみて、確かにそのとおりだったではないか!

本文とは関係ないが、“走り続ける”ということで思い浮かんだイラン映画が、
モフセン・マフマルバフ監督の代表作「サイクリスト」(89)。もっともこちらは
一週間休まずに自転車に乗り続けるというものだが。写真はイラン版のVCD。
(2011年1月8日)
タレントの間寛平さんが、芸能活動を休止して2年前からマラソンとヨットで世界一周に挑戦しているということ程度は芸能ネタとして知っていたが、コースの途中に足を踏み入れたイランで、主演として映画撮影に挑んでいるという新聞記事を一年前の昨年2月に見たときにはちょっと驚いた。それも、監督はカマル・タブリズィだという。
その記事に前後して、完成した作品は、昨年3月に開催された第2回沖縄国際映画祭で特別上映作品としてビーチ上映されることを知った。知人に融通してもらった映画祭カタログによると、題名は「ラン アンド ラン」(10)で、地球一周を目指して走り続けている日本の男カンペイがイランの小さな村を訪れるという話だそうだ。イラン=日本の合作であるし、いずれ日本にゴールされたころにでも劇場公開されるのだろうと、その時は勝手に思っていた…。
そしてそのことじたいも忘れかけていて、間寛平さんが中国からヨットで日本に到着して最終ゴールの大阪までの道のりで、西日本各地でトークと主演映画上映のイベントを繰り返すということを、チケットぴあに置いてあるチラシで知ったのが、昨年末のクリスマス頃。福岡での日程は1月4日で、会場はユナイテッドシネマ・キャナルシティ13。全席指定だというし、もう間もないので、その場で即、チケットを購入した。しかし受け取った券面をみると、「福岡への到着日、間さんの体調などにより、スケジュールや内容が急遽変更になる場合がございます。詳細はHPでご確認ください」という注意書きがある。それでそのアースマラソンの公式HPで、中国・青島からヨットで福岡に到着する予定が1月4日その日だということを、買った後になって知ったわけである。まあ、本人到着が遅れても上映はできるだろうし、本人立ち会いでの凱旋初上映、それも福岡でというのも貴重だろうと思い直してみた。
そして当日。間さんのトークに引き続いての上映。観客は7割程度の入りだろうか。相当数のメディアが入っているので、それを加えると劇場の定員ぐらいには達しているかもしれない。
映画は、カンペイ氏が日本を出発して米国に渡って…という、日本の放送局が提供したと思われる記録映像から始まって、それが続く。イランに入ってからは、砂漠風景の一本道をただ走るカンペイ氏に、通りすがりの車から人々が降りてきては、次々に声をかけていく。警官や家族連れ、イラン=イラク戦争で片足を失った人などが、伴走したり、記念写真を一緒に撮ったり、差し入れを渡したり、彼のために祈ったりと、イランの人懐っこい国民性がここで十分に表現される。
最初の15分近くは、このアースマラソンのほぼドキュメンタリーであるが、ここから、バハールという女性が新任教師として、とある村にバスで向かっているという物語に移行していき、作り物のドラマの色と空気に上手く変わっていく。
映画としてみると、タブリズィ監督作品の「風の絨毯」「ザ・リザード」など日本でも知られているものよりも、以前観た「Sometimes Look at the Sky」(02)「A Piece of Bread」(05)といった日本未公開作の作風に近い。
出だしのカンペイ氏が活躍するドキュメンタリー部分では客席からは笑い声も随分と上がっていたものの、ドラマに入ってからは、後半まではカンペイ氏がスクリーンに登場しないものだから、いわゆる“イラン映画の世界”に水が合わず、しびれを切らしたのか、席を立ってしまう客も目立った。
さて、バハールが赴任してきた小学校はまるで廃墟のようになっていて、教室にかけられた鍵もどこにいったのか見つからない。村人たちは生気がなく、魂を抜かれたかのようにじっとぼんやりしている。若い男女でさえ、交際する気力もなく、学校に通うべき子どもたちも勉強する気もなく退屈そうに遊んでばかりである。
やる気を持ってやってきたバハールはただただ驚き呆れるが、村がこんな風になってしまったその理由は描かれない。この不条理ともいえる世界は、タブリズィ監督にしては残念なことに、ちょっと作り込みが過ぎていて、それでいて表層的である。
そのようなこの村に突然、ヨットとマラソンで世界一周をしているらしい日本人が現れる。そのカンペイ氏は、イランでも有名な存在になっているようで、彼を診察する隣村の医師(ホセイン・アベディニが演じる!)が「彼はミスター・カンペイだ」と驚く。
バハール先生はじめ村の人たちとカンペイ氏は、言葉こそ通じないものの、彼の「ノーミソ・バーン」「イターイ」「ワーォ・ワーォ」といったギャグや行動に心が動かされ、無表情だった子どもたちは笑顔を取り戻して勉強を始め、死んだようにしていた村人たちは急に反応し、壊れた家を修理するなど活き活きとし始める。青年は若い女性に求婚をするし、動かなかった亀までが歩み出す。まるで季節が変わったかのような、あまりにも急激な村の変化は、それまで青みがかっていたスクリーンに少しずつ暖色が付いていくというようなことで、視覚的にもわかりやすくてストレート。カンペイ氏が来たことで花が咲くみたいな、童話のような展開である。
話の軸としても、ドラマの冒頭から登場して永遠に探し物をしていると言われてきたナネ・モラードというお婆さんが、失くしていた学校や牛小屋の鍵などを最後になって見つけ出し、最後に“笑いは重要な鍵である”と出てくる格言のような言葉で、念押しのようにして締め括られる。
ところで、コメディアンという仮面をかぶったカンペイ氏が、素顔らしきものをみせるところもある。教室の黒板を使って、自分がイランに入るまでの世界一周の道のりを絵で説明する。そして「トルコで病気が見つかったので、じつはイランから先が心配なのです」と告白する。
バハールは、悩みはハーフェズに相談すると良いと答える。そしてハーフェズの詩集から「私に美酒を飲ませたのは何人か」「私に美酒を」「美酒を得て砂漠に向かえ」と、カンペイのために祈るように唱える。
カンペイ氏はギャグで人々を煙に巻くが、ペルシャ古典詩の世界をよく知らないわたくしは、同じようにして詩の世界に煙に巻かれた感じだ。このあたりが、合作で顔を合わせた間寛平ワールドとイラン文化の、それぞれの不思議世界の面目躍如か。
映画は最後になって、バハール先生が赴任先の村に向かうバスの場面に引き戻されるので、それまでのカンペイ氏に影響を受ける村の童話物語そのものが幻だったかのようになり、物語そのものの実在が惑わせられるのである。ここに至って、タブリズィ監督も面目躍如である。
さて順序が逆になるが、映画の上映前に30分程度の、間寛平さんのトークがあった。世界一周を振り返って、カザフスタンで3人の兵士に囲まれたエピソードなどが披露されたが、ギャグを織り込んでの話なので、冗談なのか真実なのかはよくわからず、苦笑しながら聞くしかない。
映画出演についてのコメントは、上映直前になって「言葉もわからずに出演したので、アヘアヘとしか言ってません」と一言だけでこれまた、芸人というベールを頭から被り、本音を包み隠して一切みせず、誤魔化されたような感じだったが、観終わってみて、確かにそのとおりだったではないか!
本文とは関係ないが、“走り続ける”ということで思い浮かんだイラン映画が、
モフセン・マフマルバフ監督の代表作「サイクリスト」(89)。もっともこちらは
一週間休まずに自転車に乗り続けるというものだが。写真はイラン版のVCD。
(2011年1月8日)
2010年のわたくしのベスト映画 [そのほか]
[日本映画]
花と兵隊(松林要樹監督)
おとうと(山田洋次監督)
春との旅(小林政広監督)
トロッコ(川口浩史監督)
アウトレイジ(北野武監督)
川の底からこんにちは(石井裕也監督)
キャタピラー(若松孝二監督)
酔いがさめたら、うちに帰ろう。(東陽一監督)
ノルウェイの森(トラン・アン・ユン監督)
海炭市叙景(熊切和嘉監督)
(次点)
シーサイドモーテル(守屋健太郎監督)
ちょんまげぷりん(中村義洋監督)
京都太秦物語(山田洋次監督・阿部勉監督)
[外国映画]
フローズン・リバー(コートニー・ハント監督/アメリカ)
息もできない(ヤン・イクチュン監督/韓国)
オーケストラ!(ラデュ・ミヘイレアニュ監督/フランス)
プレシャス(リー・ダニエルズ監督/アメリカ)
闇の列車、光の旅(キャリー・ジョージ・フクナガ監督/アメリカ=メキシコ)
瞳の奥の秘密(ファン・ホセ・カンパネラ監督/スペイン=アルゼンチン)
彼女が消えた浜辺(アスガー・ファルハディ監督/イラン)
ペルシャ猫を誰も知らない(バフマン・ゴバディ監督/イラン)
ブロンド少女は過激に美しく(マノエル・デ・オリヴェイラ監督/ポルトガル=フランス=スペイン)
冬の小鳥(ウニー・ルコント監督/韓国=フランス)
(次点)
マチェーテ(ロバート・ロドリゲス監督/アメリカ)
スプリング・フィーバー(ロウ・イエ監督/中国=フランス)
※ 1月1日から12月31日までに劇場で観た封切の新作137本から選びました(映画祭上映は除く)
※ 順は1月からの鑑賞順です
(2010年12月31日)
花と兵隊(松林要樹監督)
おとうと(山田洋次監督)
春との旅(小林政広監督)
トロッコ(川口浩史監督)
アウトレイジ(北野武監督)
川の底からこんにちは(石井裕也監督)
キャタピラー(若松孝二監督)
酔いがさめたら、うちに帰ろう。(東陽一監督)
ノルウェイの森(トラン・アン・ユン監督)
海炭市叙景(熊切和嘉監督)
(次点)
シーサイドモーテル(守屋健太郎監督)
ちょんまげぷりん(中村義洋監督)
京都太秦物語(山田洋次監督・阿部勉監督)
[外国映画]
フローズン・リバー(コートニー・ハント監督/アメリカ)
息もできない(ヤン・イクチュン監督/韓国)
オーケストラ!(ラデュ・ミヘイレアニュ監督/フランス)
プレシャス(リー・ダニエルズ監督/アメリカ)
闇の列車、光の旅(キャリー・ジョージ・フクナガ監督/アメリカ=メキシコ)
瞳の奥の秘密(ファン・ホセ・カンパネラ監督/スペイン=アルゼンチン)
彼女が消えた浜辺(アスガー・ファルハディ監督/イラン)
ペルシャ猫を誰も知らない(バフマン・ゴバディ監督/イラン)
ブロンド少女は過激に美しく(マノエル・デ・オリヴェイラ監督/ポルトガル=フランス=スペイン)
冬の小鳥(ウニー・ルコント監督/韓国=フランス)
(次点)
マチェーテ(ロバート・ロドリゲス監督/アメリカ)
スプリング・フィーバー(ロウ・イエ監督/中国=フランス)
※ 1月1日から12月31日までに劇場で観た封切の新作137本から選びました(映画祭上映は除く)
※ 順は1月からの鑑賞順です
(2010年12月31日)
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