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菅直人は解散できない - 政治の劣化を政党の責任にする佐々木毅
昨日(6/28)の民主党の両院議員総会は、途中で主役の菅直人が退場するという異例の展開で幕となった。何人かの議員が怒号を飛ばして逃亡する菅直人を非難していたが、誰も引き留める者はなく、肩透かしのハプニングで後味の悪い結末となった。昔の自民党の両院議員総会なら、例えば、三木武夫と挙党協の抗争がそうだったが、どれほど激越な糾弾と面罵があっても、その場から標的たる当人が逃げるということはなかったし、政治家の矜持としてそれはできず、最後まで針の筵の上で責めに耐え抜くしかなかったものだ。仮に会場から脱出しようとしても、浜田幸一のような強面の体育会系が阻止して、物理的に身柄を押さえたはずで、だからこそ、吊し上げの私刑にも屈せず粘り強く抗弁し、世間の同情を買う作戦に出たりしていた。日本の政治は変わった。この変化を、私は政治家が礼儀正しくなったとか、ソフィスケイトされたとか、そのようには断じて思わない。本来、権力闘争は命懸けでやる真剣勝負で、一撃で仕留めるものだ。子どもの遊びじゃない。座席に居並ぶ無表情な民主党議員たちが、まるで就職説明会に来た子羊のような学生の風情に見える。一体、彼らは何をしに両院議員総会に出席したのか。何のために総会の開催を要求したのか。吊し上げどころか、逆に解散の脅しを受けて縮み上がり、菅直人を料亭の会合に逃がす体たらくだった。
これまで、被災地を無視した永田町のドタバタ劇、いわゆる政局騒動についての国民のアパシーは、菅降ろしに精を出す面々に対して向けられていた。復興対策と原発問題のために一刻の猶予もない時期に、無意味な足の引っ張り合いや権力闘争にうつつを抜かすなというのが国民の正論で、時間を無駄にせず、与野党が一致協力して被災者のために仕事せよという主張が大義名分だった。この大義は現在も不動だが、その大義に照らしたとき、自然エネルギーの政策に前向きに取り組んでいる菅直人の方に世間一般の支持が傾き、逆に、菅降ろしの浮薄な政局工作ばかりに熱中している徒輩、自民党や民主党執行部や小沢派が批判を受ける対象になっていた。しかし、ここに来て、浜田和幸の引き抜きの一件も含め、あまりに粗暴で非常識で挑発的な菅直人の延命遊泳が際立ち、再生エネルギー法案についても、政策そのものが動機ではなく、自身の政権延命の道具だという事実が露呈し始め、マスコミ報道の風向きも徐々に変化を見せつつある。実際のところは、両者が政局(権力闘争)にうつつを抜かしているのであり、菅直人だけが国民の方を向いて政策オリエンテッドな位置に立っていたわけではないのだ。国民を騙す演技にすぎない。政局アパシーの国民世論を味方につけて、巧妙に菅降ろしを封殺するという菅直人の戦略に破綻が生じつつある。
結論から言えば、「脱原発」で解散総選挙など、菅直人は最初からやる意思もないし、できる条件も持っていない。単なるブラフだ。政権延命の武器を駆使しているだけである。脅しにもかかわらず、そこに信憑性が生じ、愚かな民主党議員が信じ込んで萎縮してしまうのは、マスコミを始めとする政局屋が騒ぐからである。この世界には、政局のネタを商売にして生きている人間が無数にいる。マスコミだけでなくネットの中にも、政局趣味や政局中毒の者が腐るほど蠢いている。政局ネタを売り続けていないと飯の食い上げになる者、政局ネタを追いかけていないと禁断症状になる者、その需要と供給がバランスする市場があってインダストリーが回っている。政局ゴロの代表的面々、星浩や田崎史郎や後藤謙次や上杉隆などにとって、この3月11日以降、基本的に自分の出番が少なくなり、商売が暇になって退屈を託っているのだ。面白くないのである。代わって、現在の論壇で脚光を浴びているのは、原発の危険性について長く警告してきた者たちであり、広瀬隆、小出裕章、飯田哲也、鎌仲ひとみ、鎌田慧らが主役になっている。インタビューも執筆依頼もその方面に殺到する。論壇に大きなパラダイムのチェンジとシフトが起きている。政局屋たちにとって、「解散総選挙」は恰好のメシのタネであり、商品であり、それを煽り立て、関心を強引に醸成することで「政局」の市場拡大を図っているのだ。
菅直人は、そうしたマスコミの政局屋の事情を熟知し、自分が解散をちらつかせれば、政治記者が喜んで騒ぎ立て、噂に信憑性を注入し、解散風の情報効果が相乗し増幅することを知っている。解散が一人歩きし、政治を動かす磁力となり、政敵を封じる抑止力になるから、それを政権延命の工作手段として操縦するのである。解散風は、商売に飢えた政治記者たちを小躍りさせ、選挙支度を強いられる与野党の議員たちを怯ませる。だが、冷静に事態を客観視すれば分かるとおり、解散などできるはずはないし、6年前の郵政解散の再現などあり得ないのだ。理由を三つ述べよう。第一に、被災地と避難生活者という現実がある。この与件を無視して政治の選択は決せられない。現在、当為において、この国で政治に最も強い発言力を持っているのは、すなわち尊重されなければならない立場は、国の支援を待ち求める東北3県の被災者である。彼らの要求と心情が国政を動かす中心軸であって、何人もそれを無視することはできない。解散風を一緒に吹かし、菅直人とWinWinで解散政局に昂じている記者たちは、次の瞬間、菅直人を被災地不在の横暴政治家と罵って叩くのだ。瓦礫の撤去や二重ローン問題に直面している人々が、「脱原発」を争点にした解散総選挙など歓迎するはずがない。強行すれば暴挙であり、被災地の住民を敵に回す行為となる。小泉純一郎のときとは環境条件が違う。
第二に、マスコミとの関係の問題がある。6年前の小泉純一郎には、マスコミ全社が援軍として与し、世論情報を小泉純一郎に有利に書いて撒くという条件があった。マスコミが、最初から小泉純一郎の勝利に賭けて選挙報道し、選挙期間を通じて、テレビも新聞も小泉陣営の宣伝カーだった。マスコミを完全に押さえていたから、小泉純一郎は博打の勝算を持っていたのである。現在の菅直人はどうか。常識的に配列すれば、読売(日テレ)と産経(フジ)と時事は自民党を積極支援する。政権奪回のために選挙報道を工作する。朝日(テレ朝)と毎日(TBS)と共同は、仙谷由人と岡田克也、つまり民主党執行部に与した報道をする。菅直人が現時点で解散した場合、民主党は論理的には三派に分かれて対立する構図となる。菅派と執行部派と小沢派である。これまで、菅直人と執行部派は一枚岩で小沢派と対立していたが、菅直人が独断専行で「脱原発」を押し進めると、当然、官僚と一体の執行部派との間で軋轢が生じる。このような不安定な権力バランスで、菅直人が解散に打って出るとは到底思えないが、仮に菅直人と執行部派が(裏で調整して)くっついた場合は、「脱原発」は間違いなく選挙後に反故にされ、鳩山マニフェストの公約と同じ運命になるだろう。選挙はマスコミにとって商売にはなるが、官僚にとっては迷惑な代物で、消費税増税がひっくり返されるリスクを伴う。いずれにしろ、マスコミが菅直人に靡く保証はない。
第三に、小泉純一郎の場合は、郵政民営化は悲願の政策案件で、解散に至る前に長い党内闘争の経過があり、郵政官僚の首も刎ねるという一幕があった。菅直人と比較して言えば、政策本位の解散であり、ピュアに政策実現を目的とした解散である。菅直人の場合は、明らかに動機が不純で、この「脱原発」は単なる人気取りのポーズであり、本気でないことが透けて見える。海江田万里は原発の運転再開に狂奔し、この炎暑の中を九州まで出張しているのである。菅政権がここまで原発再稼働に躍起になり、原発の停止廃炉を求める声を一蹴しているのに、菅直人を「脱原発」派と呼ぶ根拠はどこにあるのか。政権延命の印象操作の政治でしかないものを、「脱原発」の一部が持て囃し、過大評価し、不当に宣伝工作しているのであり、その宣伝に騙されている者がいるのだ。一部とは、具体的には宮台真司である。さらに挙げれば、飯田哲也と金子勝の二人も、騙されているのか、敢えて欺瞞に乗っているのかは別にして、菅直人の「脱原発」の偽装工作に信憑性を与える言説に回っている。特にこの二人の影響が大きい。二人の説明では、海江田万里は経産官僚に操られている人形で、菅直人の本心は「脱原発」だと言うのだが、それを納得するには些か無理があるだろう。菅直人の本心は経産官僚と一体で、「脱原発」は口八丁のフェイクだ。こう説明したとき、全てが矛盾なく解説できる。
先週、6/25の朝日のオピニオン面に、佐々木毅が登場して、現在の政治について論じている。山口二郎と並んで、現在の政治の堕落と熔融に最も責任のある者であり、「政治改革」の体制を主導したイデオローグの一人である。宇野重規との対談で1面を使っていたが、記事の冒頭に、「いったいこんな政治に誰がした(略)政治学者の立場から政治改革に関わり、政権交代を後押ししてきた佐々木毅さんと、なぜここまで劣化したのか、地に落ちた政治をどう立て直すかを考える」とある。対談相手の宇野重規も、佐々木毅も、現在の政治について、地に堕ちて劣化していると認識している点は同じようだ。「政治改革」に問題がなかったのかと尋ねる宇野重規の質問に対して、佐々木毅は、「被告席に立たされているみたいですね」と答えている。が、対談を読み進むと、小選挙区制を導入した自身の過失責任については全く認める言葉はなく、逆に、政党の方が悪いと決めつけるのである。政党(民主党)にマネジメント経験者がいないのが悪いとか、政党が選挙優先で振り回されているのが悪いなどと言っている。問題は、政党が選挙にのみ振り回されるような軽い存在になった原因は何かなのであり、それを解明することこそが政治学の課題で、だからこそ、「政治改革」の失敗が俎上に上がるはずなのだが、そうした方向に佐々木毅の論理は向かわない。政党が悪いと言い、政権交代や二大政党制の意味が分かっていないと言い、学習が足りないと言うのである。この論法は、まさしく山口二郎や後房雄と同じだ。
つまり、戦闘に負けた原因や責任は、作戦を立案した参謀にはなく、現地の兵隊にあると言っているわけだ。試合に負けたのは、監督の采配ミスによるものではなく、選手がヘボだったからと言い訳しているのと同じ言い草だ。佐々木毅と山口二郎に問い返したいが、それでは、あと半年、あと1年、二つの政党が学習を重ねれば、日本の政治は「地に堕ちた」状況から脱出できるのか。劣化の進行は止まるのか。
by
thessalonike5
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2011-06-29 23:30
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