哲学者のアルベール・ジャカールは、情報科学の意義を過不足なく評価した上で、情報科学がもたらすのは「急速冷凍したコミュニケーションでしかありません。沈黙と言葉からなる真の対話においては、創造性のある驚きが自然に生まれます。しかし、情報科学によってそれを引き起こすことは不可能」(吉沢弘之訳『世界を知るためのささやかな哲学』徳間書店)と。「急速冷凍」とは、言い得て妙であります。
 もちろん、情報科学の発達が一面で、人間同士の新しいつながりの輪を広げる可能性を持っていることは事実です。
 しかし、その情報科学を介したつながりが“匿名性”“非人称性”を特徴とするものと化せば、そこには“顔”がなくなってしまう。無機質かつニュートラルで、顔と顔、魂と魂との触発作業からのみ生まれる新鮮な驚き、肉感を伴う手応えや充足感とは縁遠い世界であります。
 こうした時流にあって、特筆しておきたいことは、私どもSGIが世界的に展開している仏法対話、特に座談会運動の有する精神史における意義付けです。
 私どもが日々、何千カ所、何万カ所、否、何十万カ所で行っている“顔”を突き合わせての、双方向の語らい──それは、まさしく「沈黙と言葉からなる真の対話」であります。
 言葉が相手の心に届いた時の喜び、充足感。届かなかった時の戸惑い、もどかしさ、そして沈黙。沈黙の中で、懸命に新たな言葉を探す忍耐と苦闘。探し当てた言葉がようやく相手に届いた時のさらなる充足感──こうした倦むことなき対話の織りなすグラデーション(徐々に変化すること)こそ、心を鍛え魂を磨きあげていく「溶鉱炉」なのであります。「急速冷凍」とは対極に位置する醸成、錬成の場なのであります。


2011.1.26
第36回「SGIの日」記念提言 「轟け!創造的生命の凱歌」


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 昨日(6/27)、親友(仮にA)から電話があった。
 仕事での人間関係etcについて。
 僕のER(緊急救命室)でもあるAとは、2人で話していると、おっきな悩みもなんだか楽しくなってきちゃうから不思議(^∀^)
 ほんとに感謝感謝☆

 Aからはたくさんの笑顔と、たくさんの励ましと、たくさんの勇気をもらった。
 そして、親友Bと共に、僕にとって人生ですごく大きなきっかけを作ってくれた親友でもある。

 大学1年のとき、Bからは通学の大変さんと同期・同学部の友人の少なさで悩んでることについて打ち明けられ、全く悩みを理解できず(同苦できず)、自分の力のなさに愕然とした。
 Aからは病気(現在は完治☆)について打ち明けられ、あまりのショックに絶句してしまい、自分の力のなさに茫然とした。

 その2つの「沈黙」の経験を通して、自分に対して「自分の一番近くにいる友だちのことも満足に励ませなくて、何が世界平和だ。何が池田先生の弟子だ。これっぽちも“力”なんてないじゃないか。」と思いました。
それからでした。

 「力がほしい。人を励ます力が。
  大きくなりたい。
  強くなりたい。
  賢くなりたい。」

 そう、祈るようになりました。

 どうやったら、相手の心に届く言葉を贈り、励ましを、勇気を、希望を、笑顔を贈れるのか。
 それが人生のテーマになりました。


 今、AやBだけでなく、たくさんの親友たちとぶつかり合い、励まし合って、「溶鉱炉」をつくってきました。

 もっともっと、アツいコミュニケーションが図れる人になりたい。
 もっともっと、目の前にいる人を励ませる力をつけたい。

 と同時に、世界中の人を笑顔にする社会システムをつくりあげたい。
 そのために専門分野を磨きたい。


 「言葉が相手の心に届いた時の喜び、充足感。届かなかった時の戸惑い、もどかしさ、そして沈黙。沈黙の中で、懸命に新たな言葉を探す忍耐と苦闘。探し当てた言葉がようやく相手に届いた時のさらなる充足感」

 これは、ネット上では味わえない。
 ただ、そうした喜びやもどかしさ、沈黙の中での忍耐と苦闘を経てきた人か、逃げてきた人か、それはなんとなく伝わってきてしまう。

 ネット上であっても、共に「溶鉱炉」をつくれる人との出会いは格別の嬉しさがある。
 ネットで知り合ったあるヤツとは、まだ知り合って1年も経たないけど、数十年来の親友のような仲になった(まだ25年しか生きてないけどw)。
 それは、少しばかりだけど、「溶鉱炉」を経験してきた2人だったからこそのシンパシーがあったんだと思う。

 これからも、縁する人みんなと「溶鉱炉」をつくって、「急速冷凍」されたコミュニケーションを、「無縁社会」を打ち破っていきたい。

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