京阪電車開業100周年オフィシャルブログ

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2011年01月06日
京阪電車の社章

こんにちは。「ピントフリーズ」の話題で

30分以上場をもたせることが出来るかのーです。

イベントの終了後はデスクワークに偏りがちで、書類から

目を上げた瞬間のピントの合わなさ加減に人生の無常を覚えます。

 

さて、現在編集中の社史「京阪百年のあゆみ」

の中で私が担当しているのは京阪電車の歴史の序盤、

創業前後からのおよそ20年間を重点的に見ております。

 

古文書や古記録に目を通したり、

ボスや課長と議論するうちに知ったのは、

当時の社章の形が現在のものと微妙に違うことです。

 

 

83-01.JPG 

運転士、車掌が着用する制服の襟章や

車体にも採用されている社章の、現在のデザインです。

 

 

83-02.JPG

そしてこちらが、

京阪電車の第1回(明治39年上半期)営業報告書で確認できる社章です。

 

 

どこが違うか、お分かりになりましたか?

 

 

現在と昔の社章の比較では、中央の円と、6方向に伸びる

澪標(みおつくし)の軸部分が、他の線に比べて太く描かれているのです。

 

これについて、

京阪電車は京都と大阪を結ぶ電車なので、

大阪市章にもなっている澪標を6つ組み合わせて

京都市の「京」の字を描き、これを輪の内に収めて鉄輪を表した、

というのが公式見解(※)なのですが、実は重要な説明がすっぽり抜けています。

 

※社史「京阪七十年のあゆみ」所載の公式見解

  83-03.JPG 

 

※「HANDBOOK KEIHAN 2010」所載の公式見解

83-04.JPG 

 

 

営業報告書の社章をもう一度見ていただくと、

「京」の字の点にあたる部分(頂点と左右下の3か所)が

ふっくらしたアーモンドのような形になっているのが分かります。

 

これには至極もっともな理由があり、

明治24年に制定された京都市の徽章(現在は略章)が

制定当初の当社社章デザインに取り込まれているからです。

 

 

※京都市の徽章(略章)

kyotocity.gif

(提供:京都市) 

 

 

 

営業報告書の社章は

時代を追うにつれて少しづつ変化しており、

 

 

83-05.JPG

第3回(明治40年下半期)では

長方形とアーモンド形の配置が入れ替わり、

(理由は分かりませんが、第4回で元に戻っています)

 

 

83-06.JPG

第5回(明治41年下半期)では線の太さが均一化し、

アーモンド形だった澪標の軸の先が錐状になり、

 

 

 

83-07.JPG

第7回(明治42年下半期)では

中央の円が小さくなり、すべての澪標の軸が長方形に揃えられ、

あわせて太くすることで、「京」の字がはっきり見えるようになりました。

 

 

 

 

43-01.jpg

昨年7月から9月まで運行した

「京阪ミュージアムトレイン」で、7月のご来場記念

スタンプとして復刻した社章のデザインは、これとほぼ同じです。

 

 

83-08.JPG

第9回(明治43年下半期)では

中央の円がさらに小さくなり、以降

しばらくの間はこのデザインで安定していたのですが、

 

 

  83-09.JPG 

第26回(大正8年上半期)に至って

すべての線が細く均一化され、中央に浮かんでいた

「京」の字が、澪標の軸と完全に同化してしまいました。

 

以降、阪神急行電鉄との

合併・分離新発足を経た現在まで、

線の太さが均一になった社章が使われています。

 

社章について冒頭で申し上げたような説明がないのは

ここまでの社章の変遷のなかで、京都市の徽章が入っていたことが

読み取れなくなり、いつの間にか忘れられてしまったからだと思われます。

 

・・・今回は京阪にまつわる豆知識を

お送りしましたが、次回以降は手探り状態です(汗)

投稿: かのー Category: かのーのひとりごと

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