こんにちは。菊の花は英語で
"chrysanthemum" と書くらしいのですが
字面を見るに、ネイティブスピーカーとの会話どころか
単語としてどう発音したのかすら聞き取れないだろうかのーです。
さて10月も目前に迫り、
京阪開業100周年イヤーも
残り4分の1になってしまいました。
祭りが終わる感覚は年を経てもさびしいものです。
そんな中、今年1月から
少し堅めの文章とインパクトのある写真で
京阪グループの歴史をご紹介してきたシリーズポスター
「京阪マイルストーン」の第10回=最終回が完成しました。
今回取り上げたのは
2005(平成17)年、多くのファンの皆様に
惜しまれつつ閉幕した「ひらかた大菊人形」です。
菊人形の歴史は意外に長く
江戸時代の文化文政年間(1800年代初頭~)、
麻布・狸穴(まみあな)の植木屋さんが菊の花を使って
屋形船や富士山の形を作り始めたのが起源なのだそうです。
京阪電車が菊人形の人気に着目したのは
1910(明治43)年頃で、開業と同じ年に開園した
「香里遊園地」でその第1回が催されました。ちょうど前年に
東京・両国で国技館の完成記念に菊人形興行が催されたところでした。
その後、香里は住宅地として
開発することが決定し、菊人形興行は
枚方に舞台を移し、宇治での開催、戦中の中断と
千里山での開催を経て、1949(昭和24)年に再び
枚方に帰ってきましたが、2005(平成17)年の興行を最後に、
96年の歴史に幕を下ろしたのでした。
ところで、今回のポスター制作で
最も悩んだのがメイン写真の選定です。
こちらは採用しなかった第1回菊人形の一場面
「七福神上陸」です。見覚えのある神様がちらほら
いらっしゃいますね。おそろいでお出かけの風情でしょうか。
こちらも採用に至らなかった一枚、
1982(昭和57)年の「ひらかた大菊人形」で
試験的に投入された「メカトロニクス衣装人形」です。
当時の社内報の解説によれば
お客さまの接近をセンサーが感知し、
マイコンを搭載した衣装人形(菊がついてない人形)の
表情がスピーカーから流れる義太夫節にあわせて動くというもので
私の感覚では、長い菊人形の歴史の中で最も斬新な試みだったのでは?
と思うのですが、さらに工夫を重ねた翌1983(昭和58)年には
京阪電車の技術力が困難を克服、
ついに自律駆動する菊人形が登場しました。
残念ながら「メカトロニクス菊人形」は
翌年から登場しなくなりましたが、新しいことに
挑戦する「進取」の気風が息づく面白いエピソードでした。
「京阪マイルストーン」の掲出は10月初旬から、
駅構内および車内吊で展開する予定です。ぜひご覧ください。