東京中日スポーツ 55周年企画
55周年イヤーの記念事業や紙面企画をご紹介します
トップ > 中日スポーツ > プロ野球 > 紙面から一覧 > 記事
【プロ野球】トラ追悼1勝 渡辺チーフスコアラー急死2011年6月29日 紙面から ◆阪神7−4広島
特別な1勝だった。思いもよらぬ悲しみがもたらされた朝、その死を耳にしたのは一部の関係者だけだった。79年に捕手として入団してからおよそ33年間、スコアラーやコーチなど阪神一筋にチームを支えた渡辺チーフスコアラーが突然天に召された。 その若すぎる死の報がチーム全体に伝えられたのは、宿舎を出発する午後3時前。急きょ全員が集められ真弓監督から事情の説明があった。 「特別なことを言うことじゃないけど、こういうときだから勝ってもらいたい」。裏方として懸命に働く姿は誰もが知っている。ナインはそれぞれの思いを胸にグラウンドに立った。 ユニホームの左袖に喪章を着けて臨んだ広島戦。今季初対戦の投手が先発した試合は1勝7敗。苦手な初物をものともせず、福井を4イニング0/3でKOし、勝利で送った。 先制の6号2ランを含め犠飛と7号ソロの4打点を挙げたブラゼルは「渡辺さんも自分もプロ。タイガースが普通にプレーをしてもらいたいと思ったはず。その思いに応えられるよう全力でプレーするつもりだった。タイガースが大好きで常に一生懸命な姿が目に焼きついている」と故人をしのんだ。 真弓監督も「急なことなので本当にショック。本当に温厚で真面目に仕事を一生懸命やってくれた。(選手が)力が入り過ぎるかなとも思ったけど、勝ってよかった」と話した。笑顔はなくとも感慨深い1勝。勝利のために尽くしてくれた渡辺さんの思いに応え、チームは再び3位に浮上した。 (中山隆志) ◇ 阪神の渡辺長助チーフスコアラーが28日、チーム宿舎だった富山市内のホテルで心筋梗塞により急死した。54歳だった。通夜、告別式は未定。 峯本達雄管理部長によると、同チーフスコアラーはこの日、午前10時ごろから取り組み始めるミーティング準備に姿を見せなかった。電話にも応答がなく、チーム関係者によって部屋で倒れているところを発見された。救急車を呼んだが、すでに呼吸はなく、死亡が確認された。持病はなかったが、血圧がやや高めで、薬を服用していたという。それでも、27日に富山入りする際は元気な姿を見せており、同日夜はチーム関係者らと食事したが、異変はなかったという。それだけに誰もが驚きを隠せなかった。 同氏は熊本・八代一高(現秀岳館高)から九州産交を経て1979年にドラフト3位で、捕手として阪神に入団。86年まで現役でプレーし、99年からスコアラー、2003年からチーフスコアラーを務めていた。 PR情報
おすすめサイトads by adingo
|