生きるとはなんでしょうか。
生と死を考えたとき、ひとは何を思うのでしょうか。
それは、もちろん、死ぬことは怖いことです。
そして、死がなければ、生は続いていくことでしょう。
痛いことはなるべくなら避けたいですし、
病気も怪我もしたくないです。
死を考えたとき、ただ漠然とした恐れを抱きます。
しかし、その反面、痛くないのであれば、
あっ、という間に即死するのであれば、
それはそれで死というものを受け入れられるのではないか、と感じる自分もいます。
では、ひとはなぜ生きるのでしょうか。
守らねばならない家族がいることもありましょう。
今の生活をエンジョイするのが楽しいのもありましょう。
10年後の目標、20年後の目標に向かって進んでいるひともおりましょう。
もしくは、ただ漠然と、死が来ないため、生が続いているひともおりましょう。
私の祖母は、正月も迫った一昨年の暮れに亡くなりました。
94でした。
彼女が生まれたころは、大正の初め頃。
まだテレビはおろか、ラジオすら無かった時代です。
新幹線もジャンボジェットも無く、
遠く離れた友達なぞ、いつまた会えるやも知れず、
もしかしたらもう既に亡くなっている可能性すらもあったかもしれません。
今頃どうしてるだろうか、元気でやってるだろうか、などと思いを馳せることが、
現代よりも多かったのかもしれません。
今の世は、思うよりも先に携帯でメールを送ってしまう生活があたりまえとなりました。
世界中のFaceBookで知り合った友達とメッセージを交わしたり、
紙をめくらずに、電車の中でiPadで本を読んだり。
いろんな国の食べ物が、そこら中で売っているし、24時間、いつでも必要なものが手に入るし、
映画館に行かなくても、パソコンでオーダーすれば次の日にはDVDが自宅に届き、
写真なんか、プリントしなくてもデジタルフレームで飾っておけるようになりました。
今、ボクは34です。
祖母の歳まで生きるとしたら、あと60年。。。
2071年です。
その頃には、いったいどのように世の中は変わっているのでしょうか。
炊事や洗濯はロボットがやっているのでしょうか。
地球の裏側のブラジルまで1時間くらいで着いてしまうでしょうか。
もしかしたら、月や土星や、アンドロメダ星雲にも行けるかもしれません。
世界一周ならぬ、銀河一周旅行なんてものも流行っているかもしれません。
宇宙人の友達とパーティーをしているかもしれません。
そんなことを考えると、ワクワクしてきます。
100まで生きたら、どんな風に変わっているだろうか。
この目でそれを見てみたい、どうしても自分で体験したい、
そういう思いが湧き上がります。
ボクにとって、それだけでも生きるに足る十分な理由です。
これから、日本は、世界はどうなっていってしまうのだろう?
原発は、経済はどうなるのだろう?
私と家族の生活はどうなるのだろう?
そういう不安多き今の世だと思います。
なにも、祖母が生きた94年間で変わったのは科学技術だけではありません。
たくさんの種が絶滅し、たくさんの森が消え、海は汚れ、川から魚は消えました。
イワナもサケもニジマスも、人間が放流しなければもう野生の魚はいないのです。
たったひとりの人間の生から死の間だけでも、これほど変化があったのです。
それを、どれほどの人間が心から認識しているのでしょうか。
では、ここからさらに70年先の未来は、どんな地球になっているのでしょうか。
それは全て、私達、今この世界に生きる自分達の手にかかっているのではないでしょうか。
今ならまだ間に合うのではないでしょうか。
自分の生活の心配をし、
家族の生活の心配をし、
明日の死に怯え、
未来への不安に怯え、
このまま何とかじっと耐えて、
今のこの苦難を乗り切ろうとするよりも、
今みんなで気づいて、
自分や家族のことだけではなく、
自然のこと、地球のこと、
未来の孫やひ孫たちのこと、
そして、来るであろうワクワクの未来のこと、
そういったビジョンと生きる理由を持って、
意識の変革を行えば、
まだ間に合うんじゃないでしょうか。
日本ではほとんど報道されませんが、
今、地球は本当にギリギリのところまで来ています。
↓
【食料危機】 の記事一覧
ボクは、死ぬのが怖いから、明日の生活が不安だから原発に反対したり、
くだらないモノに価値を求める今の世の中を変えたいのではないのです。
100歳まで生きて、どこまで行けるのかをこの目で見たいのです!
体験したいのです!
しかし、病気と死と悲しみと苦しみでいっぱいの未来を見たいわけではないのです。
だから!
だから今、みんなで本気で意識を変える必要を訴えるのです。
原発デモに参加したり、節電したり、エコカーに買い替えたり、そんなことをする必要はありません。
今ひとりひとりがやるべき事は、自分はそれについてどう思うのか、どう感じるのかを、真剣に自分自身に問うてみることです。そして、自分の思いに気づいたら、それをひとに話して聞かせるのです、シェアするんです。
それが今やるべき一番大事なことです。
テレビで話しているコメンテーターの意見をひとに聞かせるのではなく、
新聞に載っていた記事の内容を誰かに伝えるのではなく、
あなたの考え、あたなの思い、あなたの感じたことを、
友達や家族、同僚や周りのひとに伝えるのです。
もう待ったナシですよ!
大飢饉も放射能も待ってはくれません。
楽しい、明るい未来だけが待ってくれるのです。
せっかく待ってくれてるんだから、行かない手はないでしょう?
今ならまだ間に合うんです!
一緒に進みましょう!
生と死を考えたとき、ひとは何を思うのでしょうか。
それは、もちろん、死ぬことは怖いことです。
そして、死がなければ、生は続いていくことでしょう。
痛いことはなるべくなら避けたいですし、
病気も怪我もしたくないです。
死を考えたとき、ただ漠然とした恐れを抱きます。
しかし、その反面、痛くないのであれば、
あっ、という間に即死するのであれば、
それはそれで死というものを受け入れられるのではないか、と感じる自分もいます。
では、ひとはなぜ生きるのでしょうか。
守らねばならない家族がいることもありましょう。
今の生活をエンジョイするのが楽しいのもありましょう。
10年後の目標、20年後の目標に向かって進んでいるひともおりましょう。
もしくは、ただ漠然と、死が来ないため、生が続いているひともおりましょう。
私の祖母は、正月も迫った一昨年の暮れに亡くなりました。
94でした。
彼女が生まれたころは、大正の初め頃。
まだテレビはおろか、ラジオすら無かった時代です。
新幹線もジャンボジェットも無く、
遠く離れた友達なぞ、いつまた会えるやも知れず、
もしかしたらもう既に亡くなっている可能性すらもあったかもしれません。
今頃どうしてるだろうか、元気でやってるだろうか、などと思いを馳せることが、
現代よりも多かったのかもしれません。
今の世は、思うよりも先に携帯でメールを送ってしまう生活があたりまえとなりました。
世界中のFaceBookで知り合った友達とメッセージを交わしたり、
紙をめくらずに、電車の中でiPadで本を読んだり。
いろんな国の食べ物が、そこら中で売っているし、24時間、いつでも必要なものが手に入るし、
映画館に行かなくても、パソコンでオーダーすれば次の日にはDVDが自宅に届き、
写真なんか、プリントしなくてもデジタルフレームで飾っておけるようになりました。
今、ボクは34です。
祖母の歳まで生きるとしたら、あと60年。。。
2071年です。
その頃には、いったいどのように世の中は変わっているのでしょうか。
炊事や洗濯はロボットがやっているのでしょうか。
地球の裏側のブラジルまで1時間くらいで着いてしまうでしょうか。
もしかしたら、月や土星や、アンドロメダ星雲にも行けるかもしれません。
世界一周ならぬ、銀河一周旅行なんてものも流行っているかもしれません。
宇宙人の友達とパーティーをしているかもしれません。
そんなことを考えると、ワクワクしてきます。
100まで生きたら、どんな風に変わっているだろうか。
この目でそれを見てみたい、どうしても自分で体験したい、
そういう思いが湧き上がります。
ボクにとって、それだけでも生きるに足る十分な理由です。
これから、日本は、世界はどうなっていってしまうのだろう?
原発は、経済はどうなるのだろう?
私と家族の生活はどうなるのだろう?
そういう不安多き今の世だと思います。
なにも、祖母が生きた94年間で変わったのは科学技術だけではありません。
たくさんの種が絶滅し、たくさんの森が消え、海は汚れ、川から魚は消えました。
イワナもサケもニジマスも、人間が放流しなければもう野生の魚はいないのです。
たったひとりの人間の生から死の間だけでも、これほど変化があったのです。
それを、どれほどの人間が心から認識しているのでしょうか。
では、ここからさらに70年先の未来は、どんな地球になっているのでしょうか。
それは全て、私達、今この世界に生きる自分達の手にかかっているのではないでしょうか。
今ならまだ間に合うのではないでしょうか。
自分の生活の心配をし、
家族の生活の心配をし、
明日の死に怯え、
未来への不安に怯え、
このまま何とかじっと耐えて、
今のこの苦難を乗り切ろうとするよりも、
今みんなで気づいて、
自分や家族のことだけではなく、
自然のこと、地球のこと、
未来の孫やひ孫たちのこと、
そして、来るであろうワクワクの未来のこと、
そういったビジョンと生きる理由を持って、
意識の変革を行えば、
まだ間に合うんじゃないでしょうか。
日本ではほとんど報道されませんが、
今、地球は本当にギリギリのところまで来ています。
↓
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ボクは、死ぬのが怖いから、明日の生活が不安だから原発に反対したり、
くだらないモノに価値を求める今の世の中を変えたいのではないのです。
100歳まで生きて、どこまで行けるのかをこの目で見たいのです!
体験したいのです!
しかし、病気と死と悲しみと苦しみでいっぱいの未来を見たいわけではないのです。
だから!
だから今、みんなで本気で意識を変える必要を訴えるのです。
原発デモに参加したり、節電したり、エコカーに買い替えたり、そんなことをする必要はありません。
今ひとりひとりがやるべき事は、自分はそれについてどう思うのか、どう感じるのかを、真剣に自分自身に問うてみることです。そして、自分の思いに気づいたら、それをひとに話して聞かせるのです、シェアするんです。
それが今やるべき一番大事なことです。
テレビで話しているコメンテーターの意見をひとに聞かせるのではなく、
新聞に載っていた記事の内容を誰かに伝えるのではなく、
あなたの考え、あたなの思い、あなたの感じたことを、
友達や家族、同僚や周りのひとに伝えるのです。
もう待ったナシですよ!
大飢饉も放射能も待ってはくれません。
楽しい、明るい未来だけが待ってくれるのです。
せっかく待ってくれてるんだから、行かない手はないでしょう?
今ならまだ間に合うんです!
一緒に進みましょう!