日
26
6月
2011
いやあしかし、この年になるまで、ブログフォームというものを扱った事がなく、別にたいして難しい物でもないのでしょうが、大変難儀しています。前の回「HOT HOUSEへのお誘い」は写真を付け忘れてしまいました(今付けましたので、お暇でしたらご覧アレ)。
よく、知り合いのカタギの方とかが、「これでブログのネタが出来た」などと言ったりする台詞を聞きますが、それがそんなによい事、例えば端的にそれで金が儲かる様な事。だったりした場合(それが「有名ブロガー」なのでしょうか?オトボケではなく、本当にそこらへんがよく解らないのですが)、ワタシの日常は大変な豊作で、スマートフォンひとつもったら大儲け。という事になるのではないかと思っています。
ただワタシはポリシー、というと大袈裟ですが、芸能に携わるもの、として、とにかくお客様からは木戸銭つまりチャージしか頂かない主義で、国際交流基金とか、なんとかかんとか市文化局とか、なんちゃらのファウンデーションとか、どこそこの企業スポンサードといったモノから出たカネを資金に行われるあらゆる営為は総て、それがどんなに面白おかしかろうと芸能ではなく、後ろ盾のあるアートであり、アマチュアの戯れであり、ましてやブログで儲けなどしたら、天罰がたたると思っておりますので、日記も自作のプロモという意味以上を想定する事が出来ない旧世代なのですが、48歳新世代は高城剛さんがいらっしゃるので、ハイパーメディアのクリートは総て高城さんにお任せするとします。
だって例えばこの一週間はですね↓
6/18(土) モーションブルーヨコハマで濱瀬元彦THE ELFアンサンブルのライブ。演奏最高(夕食は店でミュージシャン用に出るディナー。タクシーで高速をドライブして新宿に戻り、晩酌は3丁目のバーでブランデーアレクサンダー3杯とテキーラサンライズ1杯)。
6/19(日)私塾ペンギン音楽大学の授業3コマと溜まっていた原稿やアンケートを済ます(夕食は散歩がてらに「サイゼリヤ靖国通り店」。アルコールやらず)
6/20(月)ナオミ&ゴロー&菊地成孔「カレンデュラ」のパブ3誌インタビュー&撮影と、アテネフランセの美学校初等科の授業(夕食は散歩がてらに「魚心南口店」アルコールやらず)
6/21(火)類家心平4ピースバンドのプロモーション会議にプロデューサーとして出席から小田急線で生田に整体に行き、戻りで「時事ネタ嫌い」書籍化に関する打ち合わせをし、それ終わりで「HOT HOUSE」日本橋の前打ち上げと打ち合わせ兼ねた宴会(歌舞伎町「青葉」)を高見PPVの甲斐田監督、アモーレ&ルル、NADJAさん等と。青葉名物、20年ものの台湾紹興酒を5瓶空ける。
6/22(水)東京ジャズに関するインタビューと撮影3誌から美学校高等科の授業、終えてTBS直行で「粋な夜電波」収録(夕食は「南新宿食堂」アルコールやらず)
6/23(水)久しぶりのオフなので、キネマ旬報に借りたグラウベス・ローシャの4作品(「アントニオ・ダス・モルデス」他3本)を良い環境で一人鑑賞すべく、ペトリュス一本持ち込みで京王プラザホテルの部屋を借り、贅沢三昧、ペトリュス飲み終わり、ローシャ観終わりで、夜は友人達と待ち合わせて六本木にある「ロウリーズ・プライムリブ」で誕生日にかこつけた単なる肉喰いのパーティー。ダイアモンドプレーリーカット600グラムのウエルダン。ドリンクはテタンジェのそこそこのグラスとベリンガーのそこそこの赤を二杯ずつとカルフォルニアの赤いグラッパ(消化促進用)とおとなしめ。
6/24(金)ナオミ&ゴロー&菊地成孔「カレンデュラ」のパブ3誌インタビューからブルーノート東京に行き(with中村ムネユキ)、シャトークースポードの05年を空けディナーコースをひと揃え味見をし(8月のダブセクステット公演までにシェフとスムリエとワタシの三者コラボで、オリジナルディナーコースを特別製作するため)、シェフとブルーノートマガジン用に撮影、中村くんt二人でクスポードを空けたあとにマタドール(テキーラ&パイナップルジュース)2杯(ライブがルーファスだったため。立ち上がって歌い踊り狂った)、そのままグラングランでブリッコラへ行きグラッパ2杯で空中を泳ぎながら帰宅。
25(土)幕張メッセでMTVアワードみたいな奴(ワタシのヘアカットをして下さっている池田さんがMTVジャパンのタレントさん全般のヘアを担当しているので)に、DCPRGの田中ちゃんと行く。ライブの出演はいっぱいあったけれども、目玉はガガとAKBと少女時代と安室ちゃんとエグザイル。終わってエアプレーンレーベルの阿部くんとペン大助手の三輪君と合流、磯丸西新宿店でマッコリ2杯、ハイボール一丁目2杯、それからサイゼリアで聞いた事もない、死ぬほど安いシチリアの赤を1本とハウスワインのデキャンタひとつ&アイスラテ1杯で朝までという地獄の黙示録コース。
と、どの日も充分「面白い日記」になるだけのポテンシャルを持った日々が延々と続く暮らし(大体20年ぐらいずっとこんな感じ)で、ましてやツィッターなんかやっていたら「いま、ガガで踊り出した日本人3人を、見えないと言って外人3人が力ずくで座らせた。でもこの3人はエグザイルになったらイスの上に立って踊り出した。<エグザイル>とプリントされている星型のオモチャを振り回しながら」とかなんとか、3分おきにつぶやくことがあるので、親指の過労で死んでしまう訳です。
しかし、本日の日記の目玉は、タイトルの下に書く「タグ」というのですか?これから勉強して行こうと思うのですが、内容としましては「日記」ではなく(上記の、日々の暮らしから採集した面白く為になる話は、追々当ブログかラジオで)、敢えて書くならば「驚くべき事実(マジで世界初かも)」といった所です。
以下、ほとんどの、心に傷を負い、文章は何でもせっかちに斜め読みしては何かひとこと言わないときがすまない、つまり、多くのインターネット利用者の方々には「菊地が女性編集者をディスっている!!(「の件」とか言うんですよね・笑・最近はちょっと知っているのです)と、ちょっとした騒ぎに成る可能性を若干秘めているのですが、最後まで落ち着いてお読み頂ければ(そんな悠長な事をして下さる方がどれだけ少ないかは、ガキの使いではあるまいし、解っているつもりではあるのですが)お解り頂けますが、まったく違います。
第一に今から書く事は当事者である女性編集者からちゃんと執筆&掲載許可を取っておりますし、更には、最後までお読み頂ければ、ワタシが彼女達に対して、どういう対処を取らせて頂いたかも明確に成ります。
もし小説だとしても、けっこう面白い方ではないかと思われますので、お暇な方のみどうぞ。あなたの暮らしのためになる様な有益な情報は何もありません。
「同じ様な、同じレヴェルの事件が、ある日(厳密には6月17日です。この大珍事を二つ同時に喰らったまま、ワタシが上記の一週間を過ごした事を年頭に入れつつお読み進め下さい)。同時に喰らった」という話で、題して、ブログのタイトルにもある通り「女性編集者は、放射能によって全員静かに発狂したのではないか?」です。
ひとつめから行きます。前者はサイト上で、後者はご近所で、行って頂かなくてはならぬ場所がありますので、かなりのお手間を取らせる事に成り、非常に申し訳なく思いますが、手間を取らせるだけの物件である事はワタシが保証します。
まず一件目(驚くべき事に、これでもジャブで、二発目が完全ノックアウトレベルの右ストレートですので)。
ワタシはイーストプレスという出版社が運営しております「マトグロッソ」というウエブマガジンに「小説にサウンドトラックはあり得るのか?」という連載を、1年間ほど連載していました。タイトル通り、小説をピックアップし、それを読んでいる間に聴く音楽を選曲する。といった、選曲家としての遊びの様な事です。
編集者は女性で、連載は毎回インタビューによって行われておりましたので、彼女はほぼ毎月ワタシの部屋に来て、テープを回し、インタビューをしておりました。彼女の名誉の為に書くならば、非常に才気あふれる感じの、おしゃれな女性です。
ある日、次の回の書籍リストが届かなく成りました。厳密には、震災を挟んでいます。
ですので「ああ、何かあったんだな。いろいろ大変なんだろうな。ウエブマガジン界も、出版界も」と、ワタシは、催促や探りを入れる事を全くせず、放置していました。
しかし、何か心の中でモヤモヤするものが残りました。「あれ?なんか、嫌な感じがする。これ、何か嫌な感じだ。何だっけ?」とワタシは考えました。
すると、ファンの方から頂戴するファンメールボックスの中に、ついついきちんと読まずに(震災後、膨大な数のファンメールが届き、ワタシはまだそれをすべて完読しておりません)ストックしてあるある一通を見つけたのです。
そこには、こう書いてありました。
<(前略)菊地サンのテキストの大ファンなのですが、マトグロッソの連載終わってしまっていたんですね。良い連載だったのに、大変残念です>
ワタシがこの方のメールを、なんで斜め読みでストックしたままにしていたかと申せば「あ、早とちりで勘違いした方だな。あの連載は、更新こそ滞っているけど、終わっていないからな。また始まればこの方にも解るだろう。終わっていない事が」と思ったからです。言ってる事、解りますよね?
しかし、試しに
に、行ってみますと、「連載終了企画アーカイヴ」とはっきり書いてる枠内に、「菊地成孔/小説にサウンドトラックはあり得るか?」とあります。
打ち切られた訳ですね。
一言も、挨拶も、何もなく、黙って、打ち切られた訳です。
ワタシは、ビジネス上での無礼等に関してさえ、すぐには怒りが湧かない人間です(一般的な意味で穏やかな性格。という事では全くありません。いきなりキレる側面もあり、そういう意味では、どなたとでも同じように、バランスを欠いた不完全な人間です)。ましてや、担当編集者の女性は、「こいつ、危なっかしいなあ(笑)」度が30%ぐらいの方でしたので(この業界、70%ぐらいで平気で編集している方もおり、とはいえワタシは危なっかしい人物が好物なので、気にしません。ワタシが絶対に一緒に仕事ができないのは、恨みがましい、ネチネチした人物です)まさか。と思った訳です。
あ、そうか、長沼(わたしのマネージャー)が、震災前後にパスコンを買い替えたり、「第三インター」用にいろいろとアドレスを変えたりなんだりしていたから、そのどさくさに紛れたんだな。とワタシは思いました。まあ、連載終了なら終了で良いや。きっと、探せば、その旨連絡メールは届いている筈だと。こっちこそ承諾の返事をちゃんと出してないままで申し訳なかったな。と、思った訳です。
だらだら書いていても仕方ありませんのでいきなり結論を書きますと。筆者であるワタシにも、マネージャーにも、一切の連絡はありませんでした。
無言で無断で連載が打ち切られたのです。
ワタシは惚けてしまい、編集者のPYSDを心配しました。「何かが狂ったのではないか?何かがあったんだ彼女に」と思いました。メンタルを壊し、編集部を辞め、どこかに消えてしまっているかも知れない。
そこで長沼に連絡させた所、何と彼女は、その電話を受けて、謝罪して来たのでした。「黙ってました。すみません」と。
しかしその、だまっていれば解らないと思ったのでしょうか?御存知の通り、ワタシのサイトとマトグロッソは直リンで繋がっています。
長沼がクレームを入れたら、謝って来たのです。既に「終了」のフォルダに入れられてから、三ヶ月が経過してからの話です。
黙ってやって、そのまま働いていたのです。そんで、執筆者のマネージャーからクレームが入って、初めて、すんませんと謝ったのです。
以下、マトグロッソの編集長(担当編集者の女性ではありません)からのメールをそのまま転載します(実名を出す事についても、許可は取っていますし、また、もし取っていなくとも、掲載にクレームはつけられないと思います)。
<菊地様、長沼様
大変お世話になっております。
イースト・プレス編集部、書籍2部におきましてマトグロッソ他を
統括している堅田浩二と申します。
今回は私どもの不手際により、
長沼様、菊地成孔様に多大なるご迷惑をお掛けしてしまったこと、
大変申し訳ありませんでした。ただただ、非礼をお詫び申し上げる次第です。
ご多忙のところを押して菊地様にご執筆をお受けいただきながら、
「一方的に連載を切った」とお取りになられて当然の振る舞いを浅井が
してしまったことに関し、いかなる弁明の余地もありません。
長沼様や菊地様にはもちろんのこと、
連載を楽しみにしていただいていた多くの読者の方々をも裏切り、
深い失望を味あわせてしまったこと、
いくら後悔しても遅く、まこと慙愧の念に堪えません。
そして今回、このような事態を引き起こしてしまったのは、私が部員に対して
しかるべき指導・監督を成し得ていなかったからであり、
その責任を重く受け止めております。
個人的にも菊地様の連載は毎回楽しみで、どの連載よりも真っ先に
拝読致しておりました。また以前菊地様から『失踪日記』の帯にコメントを賜れたことは、とても嬉しく誇りに思っており、いまでも一言一句暗唱できるほどであります。
多くの読者の方々と同様に、私も浅井も、そして高良(注*「ユングのサウンドトラック」の編集者。同社の社員)も、
菊地様の楽曲、書かれる文章に深く心酔致しております。
謝罪のなかでこのようなことを申し上げるのは筋違いとは存じますが、
いずれ再びお仕事をご一緒できますことを、我々一同、
心より望んでいるというのが偽らざる気持ちです。
今後は二度とこのようなご迷惑をお掛けすることがないよう、
報告の義務を徹底化し、社内・社外ともに円滑な業務を遂行すべく、
根本のところから見直すことから始めたいと考えています。
社会人の常識として基本中の基本の事項なのですが、
現実問題としてそれすら出来ていなかったということであります。
本当にお恥ずかしい限りです。
まずは略儀ながら書中にてお詫び申し上げます。
もしもご迷惑でなければ、
長沼様にはいちどお目にかからせていただいた上で、
改めて謝罪をさせていただければ幸甚に存じます。
今回は本当に申し訳ありませんでした。>
実際にはこれを受け手のやり取りもあるのですが、そちらは割愛します。何れにせよ、ワタシは、怒るも悲しむも、また、爆笑するもなく、ボケーっとしてしまいました。文字通り、マンションの窓から空を見て、何も考えずにボケーっとしたのです。
筆者がまずファンからのメールで連載打ち切りを知り、次に彼のマネジャーがタレントからの申告で知る。それからクレームを入れたら、「すみませんでした。今まで黙っていました」という解答が来る。というのは、ちょっともの凄い事です。我々は良く「もの凄い」と発言したり「これはマジでヤバい」と発言したりしますし、ワタシもします。しかし、この件のもの凄さは、文字通りマジでヤバい。
文中にもある通り、つきあいのない会社ではありません。「ユングのサウンドトラック」の出版社です。
空を見ながらワタシは「なんかしたっけ俺?悪いこと、したかな?」と長沼に訪ねました。「いえ」と長沼は言いました。「だったら、おかしいよね。浅井さんは、く、狂ったね。放射能が体内に蓄積するのが怖いのかな。俺たちには理解出来ない範疇で。一時的に極度の幼児退行を起こしたとしか診断出来ない」とワタシは言いました。
女性担当者である浅井さんの言い分は
「新連載が始まったので、ウエブマガジンの画面上のスペースが足りなく成った。菊地サンの連載のモチベーションも低そうに見えたし(低くないです。これは彼女の独創です)、そういうこともあって、一時的に連載終了のスペースに移動させてもらい、様子を見ようと思っていた」
というもので、ダメ押しにこう来ました
「これじゃあ、菊地サンに連載が打ち切られたと思われても、仕方はないと思います。すみませんでした」
でも、それにしても、一切何も聞いてないし(笑)。見えるも見えないも、連載終了以外に見えるとしたら、それはキチガイの幻視以外に無いとしか思えないし(写真を貼付しますので、ご覧下さい)。
小学生の中でも、かなり甘えた子の行動です。前述の通り、キャリアガールとしてぎんぎんに気を張っていたオトナの彼女が、震災のショックで、爆発的に幼児退行をおこし、小娘を通り越し、幼女化したという診断以外、カルテに書けません。
長沼とワタシが出した結論はこういうものです。イーストプレスにもクレームは出さないし、訴訟もしない(相手が相手だったら、高額が動く訴訟に成っても一向におかしくありません)。浅井さんを呼び出して頭を下げさせるとか、そういう荒っぽい事は一切しない(ワタシの診断である、一時的な幼児退行だったら、叱りつける事で大いに喜び、悪化する可能性がありますし。という理由に寄る物ではありませんが・笑)。イーストプレス社とは、「ユング〜」でのつきあいもあるし、これからも何事もなかったようにおつきあいさせて頂く、勿論、菓子折りだの(笑)図書券だの(笑)の貢ぎ物も請求しない。そのかわり「マトグロッソ」というウエブマガジンとのおつきあいは終了させて頂きます(向こうは「これに懲りずにネクストがあったら是非」と言っているので・笑)。そのほいがお互いに健康的だと判断させて頂きました。と、とにかく一切、ワタシは、声を荒げる様な言葉もメールも発していません。それよりも、後述しますが、直感が大いに働きました。「この国の女性達は、巨大で構造的な、つまり病的な幼児退行の準備段階にいる」という、言ってしまえば当たり前な事に対する、炭坑カナリアの鳴き声と言えるでしょう。
と、はい、一件目終了。
さて、ニ件目は顔面にガツーンと入りますので、デリケートな方、義憤に駆られやすい方は、読まないで下さい。韓国人だったら、憤死される方が出ても、まったくおかしくないです。
以後、読み進められる方は、本当に、大変ご面倒なのですが、恐らく日本出版史に残る珍事の記念になりますので(大袈裟。今までも、例えば80年代等にはいくつかあった筈)、コンビニに購入に走ってください。マガジンハウスが出しており、震災直後からリニューアルとなった
「GINZA」
という雑誌です。
現在売っている号は(以後、写真も貼付しますが、迫力が違いますから、是非ご購入を)、「夏子のサマー大作戦」という特集で、表紙はかわいらしい外人モデルさんが、来るべき夏に向けて、元気いっぱいなポーズを取っています(写真貼付)。
さて、こうした雑誌のバックページには、だいたい次号(来月号)の予告が掲載されていますよね。
ここはまだ、ここは読まないで下さい。ぐっと我慢して下さい(笑)。読まないで下さいよ。数分後に読んで、頭がクラクラしますんで(笑)。それを楽しみましょう。
ワタシにとってGINZAという雑誌は、「気になった特集があったら買う、あとはコンビニで立ち読み。あるいは読まない月も」ろ、大体そのぐらいの位置、つまり、なかなか悪くない位置にいます。なので、現在発売号も、がっちり来月号予告までは読んでおりませんでしたが、表紙と、「水着のページあるかな。ぱらぱら」という立ち読みレベルでは読んでいました。
このことを、よく刷り込んでから、以下のメールをお読みください。挿入されるカッコ内は、ワタシの心の声です。
初めまして、GINZA編集部の○○と申します。
菊地さんにエッセイを書いていただきたいというお願いで
メールさせていただきました。
突然のメール、失礼します。
(うれしいですねえ!GINZAは好きな雑誌ですから)
先に以下に企画書をお送りします。
お目通しいただけますと嬉しいです。
(いやあ、ぜひぜひ、お目通しさせて頂きます!!)
弊誌8月号で「フェティッシュ」をテーマに特集を組んでおります。
ギイ・ブルダンの写真にインスパイアされたフェティッシュなピンヒールや、鞄や毛皮やレザーのボディコンなど靴...
女性のフェチ心をくすぐるファッションを紹介する大特集です。
ある女優さんが黒いレースで目隠しされて、
果物をなぶるといったちょっと面白い撮影もしています。
(おおおおお。良いじゃないですか。良いじゃないですか!)
その特集の巻頭で、菊地さんに
「女とフェティッシュ、男とフェティッシュ、服とフェティッシュ」
をテーマに800字程度の文章を書いていただけないでしょうか?
編集長が菊地さんの大ファンで、
この「フェティッシュ ファッション特集」の巻頭で
湿度のある文章を書けるのは菊地さん以外にいない!
と熱い思いを持っています。
(いやあ嬉しいなあ。そんなにワタシ、最近はハードコアなフェティッシュではありませんが、物書きの一人として、この特集にお役に立てる方ではないかと思いますよ〜。実に光栄です!!)
(じつはその前にいま発売中の最新号で
「菊地成孔さん登場」と銘打ってしまいました。
思い切り突っ走ってフライングしています...
恥ずかしながら...そして申し訳ありません)
(え?)
800字程度の文章を
来週木曜日23日〆切でお願いしたく存じます。
本誌で撮影しているファッション写真など、
資料になりそうなものを持って、事務所にうかがわせていたきます。
メールで送る事も、もちろん可能です。
(え?)
(あの)
(ん?)
と、このときは、マトグロッソのときと違い(笑・といっても前述の通り、この二件は、同日同時に起こったのdす。「虚人たち」ですよね)、ワタシは、感情そして表情的には、笑っていました(笑)。どんな珍事が起こっているか、うすうす予測がついたからです(笑)。
でもまさかな。そんなことはないよねいくらなんでも。この方、女性だけれども、まあ、ちょっと文章が間違っちゃったかかも知れない。毎日熱くて調子狂うし、我々男性には予想もつかない、放射能蓄積の恐怖立てあるだろうし。
そこで、コンビニに行きました。「GINZA」はリニューアルしたとはいえ、狂ってもいないし、危なっかしくもない、少々若返った、女性向け総合誌として、非常に良い調子でした。
あった、あった、これだ。
買いました。
そしてバックページをめくりました(購入した皆さんも、ここでめくって下さい。写真も貼付されています)。
「特別エッセイ菊地成孔、フェティシズムに溺れた男>」
もう一度読み直しましょう
「特別エッセイ菊地成孔<フェティシズムに溺れた男>」
ワタシ、この震災で、他の日本国民の方々と同様、何らかの大きなショックを受け、どこかに心理的変調を来しているやもしれないと自覚しております。幸い演奏活動も出来ておりますし、お陰さまでなんとか健康に元気にやっておりますが、どこに変調の現れが起こるかは、予想もつきませんし、現れずに消えれば良いと思っています。
しかし、これを読んだときは
「あ、オレ、発狂するかも」
とうっすらした実感を得ざるを得ませんでした。「まあ、狂っているのは、この人たちだ。でも、移っちゃうかも。この文字じーっと見つめていたら」と思いました。
筒井康隆ばかりになりますが「おれに関する噂」のリアル版。といいましょうか。そのうち電車内の中刷りだとかテレビコマーシャルだとか、コンビニにある、あらゆる雑誌の見出しに「菊地成孔」と出るのではないか?という、恐ろしいイメージが一瞬確実に浮かびました。
何れにせよ、生まれて初めての、そして、もう二度とない様な経験を、近所のコンビニでする。というのは、結構喰らいます。「俺、別にフェティッシュに溺れてないけど。もう20年ぐらい」というのが、声が出せる精一杯でした(笑)。
これにはさすがクレームをつけました。というより、これはもう、ワタシにとっても長沼にとっても、とにかく初めての経験ですので(笑)、そうですなあ。二人でかれこれ6時間近く「なんて言えば良いんだろうね。そして、どうするべきだろうね」と話し合いました。言うまでもないのですが、一応念のため。ワタシも、長沼も、事前には一切何も聞いておらず、この号が出てからメールが来たのです。この号は、ワタシもマネージャーも一切預り知らない所で、半月近く、コンビニに並んでいたのです。
長沼が送ったメールは以下の通りです。これは彼の独断とかではなく、ワタシとの熟考に熟考を重ねた結果です。ワタシが薄れ行く正気の中で(笑)直感的に判断したのは、
「ここでキレ方向に行くのはやめよう。オレは、書くよ。面白そうじゃン。書くけど、これと別件のページを貰おう。ちょうど女性誌で宣伝してほしい物もあるしさ。書くからバーターだと言ってみよう。きっと喜んでくれると思う。だって、オレのファンで、オレと近しく成る訳だから(笑)。」
我ながらどうかと思うのですが(笑)。ワタシは直感にしか従わない人間です。ワタシの直感は、またしても幼児退行とは言いませんが(かなりそれも含まれていますが)、やはり「女性」の「編集者」が「知らない間に、壊れて行くような時代にいる」ということです。
長沼は、ワタシの様な、直感で行動するキチガイとちがい、極めて社会的な人物で、ワタシのこの判断には、多大なる抵抗があったでしょうけれども、彼はワタシに従ってくれました。
GINZA編集長さま
はじめまして。
私は、菊地成孔のマネージャーをしております、イーストワークスエンタティンメントの長沼裕之と申します。
さて、ご依頼の件ですが、留守電にも残させていただきましたように、お引き受けさせていただこうと思いますが、お引き受けさせていただくにあたり、以下のことをご確認いただきたいと思います。ご一読の上、お返事いただければと思います。
そもそも、現在、菊地は大変多忙な為、書き原稿のお仕事は連載以外は身近な方の追悼文等の本当に例外を除いて一律お引き受けしておりません。
しかしながら、現在発売号を拝見いたしましたところ、既に本人の名前入りで、しかもエッセイのタイトルまで掲載されておりました。
どういったご判断によるものなのか想像もつきませんし、普段、他の方にはこういったオファーのやり方をされていらっしゃるのかもしれませんが、少なくとも私どもは、初めてお付き合いさせていただく媒体で、
原稿料の提示もなく、
締め切りまで一週間で、
すでに告知済みですが、ご検討ください。
というオファーは全く初めての経験でして、相当に乱暴なオファーとういう印象です。
これでは、スケジュールの都合などで執筆ご辞退させていただき、次号に掲載が無かった場合、目ざといファンの方や、出版業界の方などに原稿を落としたと思われてしまいます。
これ、順番が普通に先に執筆のご依頼を頂戴して、それをお引き受けし、告知の後に書かなかったということになったら、よほどの大御所の作家の方でも無い限り相当な責任問題で、一般的にはどの媒体も(場合によってはその出版社の媒体すべてに)二度と書かせてもらえませんよね?ご検討も何も書かないわけにいかないという風に思いますが、いかがでしょうか?
で、上記のような判断と、御誌の媒体としての魅力は菊地もよく存知あげておりますので、お引き受けはさせていただきますが、当方としてもこういった順序のオファーでただ気持ちよく「はい、わかりました。」とは申し上げられません。ので、今後は気持ちよくお付き合いさせていただくためにも、今回は、こちらをお約束いただきたいと思います。
1) きちんとした原稿料をご提示下さい。
2)*以下、具体的なビジネス交渉につき、伏せますが、GINZA本誌を追っている限り、ガラス張りで総て解ります。
これを受けて編集長からメールが来ました。
イーストワークスエンタティンメント
長沼裕之さま
いつも大変お世話になっております。
GINZA編集部の中島と申します。
今日の午後に別アドレスからお送りしたメールが
もしかしたら届いていなかったのではないでしょうか?
(もし内容がダブってしまったら申し訳ございません。
こちらは破棄していただけますでしょうか)
お手数おかけして申し訳ありません。
どうぞよろしくお願いいたします。
今回、菊地さんへの原稿執筆のお願いに関しまして
こちらの不手際により、大変ご迷惑をおかけいたしております。
本当に申し訳ございません。
本来の手順をまったく逸脱した進行になっておりまして、
編集部としましてもお詫びの言葉もございません。
そもそも特集の立ち上がりの一番最初の時から、担当者とは
菊地さんのエッセイが入ると素敵だねという話はしていたのですが、
きちんと原稿依頼のご連絡をすることなく、次号予告に勝手にお名前を
掲載してしまった経緯はこちらの不手際に他なりません。
この号は「靴とバッグ」の特集であるのですが、ただ単に物欲の特集
というのではなく、「フェティッシュ&コケティッシュ」という
テーマを作ることでより魅力的に見せられるのでは…という思いで
企画いたしました。
フェティッシュという言葉を用いつつもファッション誌として
現代女性に読めるテキストを…ということで、担当者は菊地さんの
お名前を挙げ、即座に私も了解した次第です。
しかし、私どもの気持ちだけが先走り、
まったく仕事の順序が間違っていたのは弁明の余地もありません。
菊地さんにも関係者の方にも不快なご経験になってしまったことを、
心からお詫び申し上げます。
次号予告の校正の回覧時に、執筆依頼の有無をきちんと確かめなかった
私の責任に他なりません。
(もちろん、その後にでもすみやかに同上の確認をすべきでした)
本当に申し訳ありませんでした。
そして今回、このような失礼なお願いに対してもご執筆承諾くださいまして
本当にありがとうございました。
お忙しい中、お時間さいていただけるとのこと、非常に光栄です。
タイトルに関しては、もちろん仮の案ですので、
内容に応じてどうぞ変更してくださいませ。
通常、次号予告ではご登場いただける方やそのテーマについての変更はあり、
「内容は一部変更になる可能性があります」とは明記しておりますが、
今回はそもそも依頼していない段階で本が出てしまったという
お粗末な状態でございました…。
というわけで、タイトルはご随意に変更してくださって構いません。
また先にメールでいただいたイベントやアルバムの件も了承いたしました。
(売り日やコーナーなど、掲載の詳細についてはまた別途
ご相談させてくださいませ。7月の情報は今回の該当ページに
掲載できればと思います)。
なお、今回このような形で私からご連絡させていただいておりますので、
原稿は私宛てにいただくということでもよろしいでしょうか?
以前、ライブにもうかがっておりますが、いちファンとして
ぜひ誰よりも先に原稿を読む幸せを享受できれば…と思った次第です。
何かございましたらいつでもご連絡くださいませ。
外出していることが多いのですが、外からメールはチェックしております。
お急ぎの場合は○○○—○○○○—○○○○にご連絡いただければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
ワタシはついさっき、この原稿を書き終え、送信した所です。ワタシが長沼に託したのは、編集長氏と直接あわせて頂き、食事でもしながら話させて頂きたいという事です(*これも、つい数時間前に実現しました)。
ワタシは、女性蔑視や女性軽視をするような人間ではありません。そのことは、特にご贔屓筋の皆様にはご理解頂けていると信じております。馬鹿だったり無礼だったり、考えが足りなかったりする事に、性別や年齢の偏差は、一切存在しません。
しかし、何かその、何でもかんでも震災の性にするのも低能感丸出しなのですが、ワタシは、あれによって、思わぬところ(立派な雑誌の、編集者内。などなど)に、思わぬアンバランスや亀裂が入っているかもしれない。それまでギリギリでやっていた多くの方が、とうとうギリギリでダメになる。という、ドミノセオリーのような事が生じるのかも知れない。と直感しています。
その際、やはり、これは逆説的な女性差別に成ってはいけないと、強くいましめながらですが、自分の体内に、放射能が溜まる。自分の小さな子供の体内に、放射能が溜まる、一人で美しく趣味よく生きて行くんだ一生(あるいは、当分のあいだ)と考えていて問題なかった、盤石のライフスタイル計画に巨大で根本的なひびが入った時、そもそもライフスタイルを変えられれば良し、変えられない場合、何かの興奮(ここでは、好きな執筆者に原稿を書いてもらうんだ。という、至極真っ当なハイアップ)が、何か止めどもない、巨大な崩壊に向かっているのでは?という疑念が払拭出来ません。
勿論、たっった二人の編集者の行動をして、一般化しようというほどの愚者でもせっかちでもワタシはありません。言ってみれば、これは、嗅覚です。単なるワタシの嗅覚なのです。しかし、これも、ワタシの熱心な読者やリスナーの方であればお解りの通り、ワタシの嗅覚が、とんでもなく外れ、後から考えるに笑っちゃったよねあの時の予感。みたいになったことも、勿論絶無ではありません。しかし、ワタシがワタシの嗅覚と直感に従い、それが総てことごとく外れ続けて来たら、現在のワタシは、間違いなくなかったでしょう。
変な、困った編集者が現れちゃったよ〜。まいったぜ〜。すげえんだから〜。聞いてよ〜。
といった話、ではないのではないか?とワタシ、直感しています。
マトグロッソの編集者にも、GINZAの編集長にも、是非、お会いしたい。そして直接伺いたいのは、「音楽が好きかどうか?何かバンドとか楽器とかやっているかどうか?そしてダンスは好きかどうか?」です。
そうです。ワタシはつまり、この二者(音楽とダンス)を欠き、食と服と文章だけを生きる人々のほうが、世界でもし数的に多かった場合。どちらが狂っているかという多数決において、音楽を流して、ハーモニーやメロディーに感動したり、リズムに興奮したり、音色にうっとりしたりする人々が、流れて来た音楽に合わせて感極まって体を動かす。という事を出来る人々が、もし数的に少なかったりしたら、ワタシを含む、そうした人々が狂人であるという社会が来ても、ひとつもおかしくないかもしれない。と思っているのです。ワタシの今後の活動は、場合によっては、総て地下活動に成るかも知れない。麻薬のようにです。
人類史が始まってからこの3/11までの間、人類は、どういうふうに、どのぐらい、どんな感じで音楽が好きなのか、実ははっきりと問われない世紀を生きて来ました。ただライブに通って、相手が客商売で自分をむげに扱わないという理由だけに惑溺し、自分と一体化もしていないライブ会場で、じとっとミュージシャンを見つめ続けるだけで、誰からも殴られないし、追い出しもされなかった。それも立派な音楽の消費だった訳です。
それが、グリグリのゴリゴリに問われ、しかも音楽と自分が一体化していればしているほど被差別的に成らざるを得ない社会が到来したら、ワタシは残された人生半分を、その差別との闘いに費やしてもまったく苦ではないと思っています。ワタシが、ワタシが思っているよりも遥かに、一般的な意味での「音楽の力」が、社会効用的に低い事をワタシは最近知り(特に、MTVアワードの会場でです。ガガに心酔するひと、AKBに心酔する人、少女時代に心酔する人、シャイニーに心酔する人々の間には、明らかな壁がありました。そして、この壁を取り払ってしまう強度を持ったいたのが、何とエクザイルだったのですが、このレポは後日)東京に出て来た童貞の少年の様な気分に成っています。ワタシは、直感的に。ですが、凄まじい恐怖心を抱いています。服と、食事と、車と、文学一般と、あらゆるものを愛でながら、そこに音楽がかけている人々。をです。彼等と闘います。しかし非常に難しい、彼等は音楽雑誌の編集部の中にいたりさえする。それでは。