我々が“彼女”を見つけたのは、押し只管に偶然だった。
真実、其処に我々の意思は無く、我々の意図は無い筈である。
少なくとも“彼女”を真っ先に見つけた彼等は、その存在を予期してはいなかったようだった。
為らば、この偶然は正しくこの世界が我々に齎してくれたものと言えるのかもしれない。
だが、この発見が我々にとって幸運だったのか、或いは不運だったのか。
それは我々には、少なくとも私には定める事は出来ないだろう。
“彼女”に魅入られるしかなかった私には、それはとても畏れ多い事だと思えるからだ。
そして、“彼女”が我々に何を齎してくれるのか(或いは既にくれたかも知れないが)。
それを知るには先ず知らねばならぬ事が我々には無数にあるだろうと思う。
また、その過程で得られる事もまた数多いのではないかと、そんな予感めいた事すら私は感じる。
しかし“彼女”が齎してくれたそれが善きものであるのか、悪しきものであるのか。
それは分からない。私に分かるのは、ただただ“彼女”が途轍もない可能性に満ちているのではないか、という程度だ。
ただ確かな事は、それは我々次第でもあるという事である。
“彼女”が我々に齎してくれたものを善き事に用いる事が出来るか否か、悪しき事に用いてしまうか否かはきっと我々の意思一つであると思えるのだ。
世に現れた技術の悉くがそうであるように。
為らば、“彼女”が齎してくれたものを我々はきっと善き事に用いる事が出来ると、私は信ずる処である。
例え、その過程で我々が過ちを犯し困難にぶつかるのだとしても、最後にはきっと正しき事を成せるだろうと信じるものである。
しかし。
ただ………ただ一つ、私には気に掛かる事があった。
それは私が初めて“彼女”へのお目通りが叶った日に出会った一人の男――否、悪魔が残した言葉である。
『ギルステイン』、そして『ギルステイエンヌ・クイーン』――それが指す意味とは一体、何なのだろうか。
ギルステインとは一体、何を指し、どのような意味を持つのか。
少なくとも私はその言葉を初めて聞いた。
念の為、幾つかの言語に当たりを付け調べてもみたが、それに該当する語句は今の所、見付かっていない。
そして、ギルステイエンヌ・クイーンとは“彼女”の何を指しているのか……。
私には、“彼女”は只、可憐な少女にしか見えない。
だというのに、あの悪魔を以ってして畏怖と共に呟かれたその名を持つ“彼女”は何者なのか。
私自身、不謹慎だとは思うが……“彼女”への興味は此処に書き記している今でも増すばかりである。
『カドケウスウィルス第一発見者、宇田島 圭介の最初期の手記より抜粋』
◇ 魔獣星記ギルま! 序ノ章 [Girl=Queen] ◇
――1985年、北極。
其処は凍てつく風が吹き荒ぶ白銀の世界、生命が在る事を容易には許さない極寒の地。
「うわ~、これはすごい………」
しかし、過酷な筈のそんな地でその素っ頓狂な声は聞こえてきたのだった。ただし、大地にも見紛う分厚い氷に空けられた空間の中で、ではあったが。
その声は余韻の如く、氷の中を響いていく。
そんな場違いな声を発したのは宇田島 圭介という名の日本人の青年だった。
アメリカのある大学で準教授として勤めていた所を召喚され、無視する事も出来ず何事かと戦々恐々と出向いたのが運の尽きだったのか、誘拐とも言える様な強引さで此処まで連れて来られたのだ。
乗り込むとは夢にも思わなかった潜水艦という、何とも特別な移動手段で。
此処までの道中、自分は何をしたのかとか何かしてしまったのかとか自分は今後どうなるのかとか等々、妄想にも似た恐怖がグルグルと青年の頭の中を回っていた。
その待遇は潜水艦の中という事を考慮すれば決して悪くは無い扱いではあったのだが、それに気付くだけの余裕は生憎と青年には無かった。
更には、生涯無いだろうと思っていた深海である。
未知への不安がその余裕の無さに更に拍車を掛けていた。思考がネガティブな方向に固定化されたのも致し方ない、かもしれない。
しかし、いざ目的地とやらに着いて潜水艦から表に出てみれば、その視界に入ったのは氷の洞穴、人の手にて刳り貫かれ削られた場所だったのだ。
先程まで胸中を占めていた不安の反動か、青年のその感嘆は一入だった。
――自身が此処で何を見る事になるのかなど、今の彼が知る由も無く。
「まさかパラマウントのセットか何かじゃないでしょうね!?」
「まさか。北極海に張り出した永久氷床をくり貫いて造った秘密基地です。どうぞ、基地司令がお待ちです」
それこそまさか、と思わなくも無かったが青年は防寒具を着込んだ黒人の兵士に促され、潜水艦の上から氷の地面へと続くタラップを降りていく。
「こんな所でしかし、ぼくみたいな生物学者になんの用があるんですか?」
「当然、調べてもらいたいものがあるから来てもらったのだ」
そんな宇田島のぼやきにも似た言葉に答えたのは、低く野太い男の声だった。
黒人の兵士が、声の主へと敬礼を行なう。
青年がそちらへと目を向ければ、くすんだ金髪を軍艦頭に刈り上げ、ムスタッシュを蓄えた壮年の白人が立っていた。
青年はその堂々とした佇まいから、この人物がこの基地の司令だろうかと当たりを付ける。
しかしこんな時、如何すれば良いのか。敬礼でも返せば良いのか、それとも他に何か相応しい応答があるのか。
けれど分からず時間切れ。結局返せたのは返事としても、語句としても半端に過ぎる語一つ。
「は、はあ……」
「論文は読ませてもらった。君は古生物の分子構造解析では第一人者なんだそうだな。ウダジマ博士」
しかし、司令のその賞賛に青年はうろたえてしまう。
それは日本人らしい謙遜か、それとも軍人がそんな事を言い出したが故の虞[おそれ]か。
「いや、あれは半分趣味みたいなものでして、可能性を論じただけの……」
青年はそれを誤魔化すように、身振り手振りを加えた大げさな仕草で話し始めるも、
「早速見てもらおう。この奥だ」
「……………………」
司令にとって、青年のそんな言い訳は聞く意味や価値は無かったらしい。
本人の心構えなどはどうでも良く、使えればそれで良いという事か。最後まで言わせず聞かず、司令は踵を返した。
青年はその横柄な態度に一瞬固まり表情を引き攣らせるも、軍人らしいというべきなのか、てきぱきとした動作で歩いて行く司令の後ろに付いて歩き出した。
相手は軍人、此処は秘密基地、ならば大人しく従っておこうという、半ば諦めの境地で。
「うう~、さむ……」
防寒具に身を包んでも尚、感じる寒さを和らげようと身体を丸ませながら青年は歩いて行く。
今後見る事があるかどうかは分からない、その氷の空間を見渡しながら。
そして辿り着いたのは、視界一面に広がる、空間を仕切るように氷の天井から吊るされたシートの前だった。
「ライトを点けてやれ」
「Yes,Sir!」
司令に続いて青年もシートを潜[くぐ]る。
「わ!?」
瞬間、サーチライトの強烈な発光で視界の全てが覆われた。
青年は腕で顔に影を作りながら、その光の先に一体何があるのかと目を眇め見て。
――そして、出会う。
生物学者として己が抱えていた概念を根本から崩す、その存在と――
「あ………ああ……!」
強烈なライトの光に照らされた物、それは美しい一人の“少女”だった。その“少女”を見て、しかし青年はただただ驚愕した。
思考が追いつかず、声はまともな言葉にならなかった。己が何を言いたかったのか、それすら青年には分からなかった。
――その眼差しの先にあるのは、宙に浮かび、その真白く美しい裸身を晒す唯一人の“少女”。
思春期に入ったばかりなのか、その身体には無駄な肉は付いておらず、けれど余計な筋肉もないようだった。
トウヘッドの髪は空中に舞い上がった形で微動だにせず、閉じられた瞼も胸を覆うように交差された腕も、緩やかに伸ばされた胴も足もまた小揺るぎもしない。
それは何とも幻想的で美しい“少女”だった。
“彼女”を見たその瞬間、視線を釘付けにされた青年は直感した。ネス湖のネッシーやヒマラヤのイエティのような作り物などでは決してないと。
いや、こんなにも美しい“彼女”が作り物であって欲しくなかった、という方が正しいかもしれない。
青年はまるで誘われるかのようにふらふらと近付いていき、それを肩に置かれた司令の手で止められた。
「1,000mもの厚さに達する永久氷床の底の底、直ぐそこにあるように見えるだろうが、これでも30ヤード(約27メートル)は氷を残してある。
マイナス50度の氷だ、素手で触るんじゃないぞ」
しかし、青年はその手を振り払うかのように、勢い良く司令へと振り向いた。
「な……何なんですか司令! これは!?」
「……我々も北極にこんなものが眠っているとは思ってもいなかったよ………」
司令はまるで苦虫を潰したかのような表情で苦々しく零すと、眼前に浮かんでいる少女へと目を向けた。
「まるで宙に浮かんでいるように見えるのは、気泡や不純物のないほとんど完全な単結晶の氷になっていて透明度が高いからだろう。
……これを見つけた海兵どもはもう“サラ”と名付けて喜んでおる。困ったものだ」
それは当然だろうと、青年――宇田島 圭介には思えてならなかった。
逆にこの奇跡のような、否、正[まさ]しく奇跡の少女を見て、冷静さを失わないこの基地司令こそ、青年の目には奇妙に映った。
司令は青年のその思いを知ってか知らずか、こんな極寒の地の底で眠る不気味な少女に心奪われたように見える青年へと視線を向ける。
何よりも己の任務と愛国心に、司令は忠実だった。
眼前の青年が内心で何を思っていようと抱えていようと、兎に角使えれば良いのだと内心で割り切り、言葉を紡いだ。
「そこで君の使命だが、これが“Made in USSR[ソビエト社会主義共和国連邦製]”でないことを証明してみせろ! すべてはまずそれからだ」
その言葉は青年の耳朶に、然も託宣のようにも響いていくのだった――
「止めておき給え、人間[ヒューマン]」
しかしだ。その時、声が響いた。
それは、アメリカ英語とはまた異なるクイーンズ・イングリッシュ──嘗て上流階級に於いて使われていた古い発音の英語である。
その声が冷や水となったのか、青年ははっと我に返った。そして慌てて振り返れば、丁度シートと己の間に一人の男が佇んでいるのが見えた。
その男を見て、青年が先ず思った事は寒くはないのだろうかという、やや間の抜けた事だった。
男が身に着けているのはハードハットに裾の破けたトレンチコート、レザージャケットにニッカーボッカーズ。
足にはロングブーツを履き、そして身に着けているそのどれもが黒い。そして、それだけだった。マイナス30度以下の低温に満たされたこの厚氷の空間の中にいながら、防寒具といった類の装備を男は一切身に付けていなかった。
しかし、寒さに耐えているという素振りがある訳でもなく、彼は余りに自然体で立っていた。
そして帽子の鍔から覗くその顔は少しばかり皺が刻まれていたが思いの外精悍で、二房に分けられた肩口に届くほどの長さの白髪や、顎や髭に蓄えられ丁寧に整えられた髭は彼の品性に華を添えるようだった。
洒落者、とでも言えば良いのか、その佇まいは何処か洗練されているように青年には思えたのだ。
しかしだからこそ──
この極寒の地にあって、銃を携えた兵士が跋扈するこの氷の洞窟の中にあって、その初老の男は酷く不釣合いで、不似合いだった。
そもそも、どの様にして此処に来たというのか。格好からして軍の者ではないだろう。だが青年は男とは共に来た覚えが無い。
潜水艦の中は狭い。仮に男が青年と同じ“招待”された身分であるならば、一緒くたにされて運ばれるだろうという事は容易に想像が付く。
しかし、青年は男を知らず……それは詰まり、男は青年と違い、“ゲスト”ではないという事。
為らば残された可能性は部外者だが、ではどの様にして此処まで辿り着いたのか。
その手段、そして何よりもその目的が見えてこない。作り掛けの秘密基地を見つけた何処かの国の諜報員なのだとしても、態々姿を晒す理由が分からない。
しかし、この場にいた兵士達の反応は迅速だった。青年が疑問に眉を顰ませた時には、彼等は瞬く間に動いていた。
思考など為す前に彼等は条件反射的に正体不明のその男を囲い、アサルトライフルの銃口を向ける──牽制し、威嚇する。
そして、その中の2人が初老の男を拘束しようと駆け寄った、
「え………?」
その瞬間――
ドンッ! と、まるでサンドバックを思い切り殴りつけたかのような音が青年の耳に聞こえたのだった。
――兵士の尽くが吹き飛ばされる。その一人が青年を掠めていく。
けれど、彼は一歩も動けなかった。
兵士達が吹き飛んだ時も、その一人が此方に吹き飛んできた時も、傍らを掠めていった時も――
彼は一歩も動けなかった。
己の危機に青年が気付けたのは、その兵士がガラスのように透明な氷の壁にぶち当たった音が聞こえたからで。
見れば、初老の男に近寄ろうとした兵士だけでなく、彼を囲っていた兵士も尽く氷壁に叩きつけられていた。
生きているのか死んでいるのか、彼らは微動だにとすらしない。
その余りの光景を前に青年は不様に立ち竦み、ただ呆けるしかなかった。
「未熟」
その言い草から眼前のこの男が何かをしたらしい。けれど、肝心のその男は一体何をしたというのか。
そもそも男は“全く”動いていなかった筈なのに、何故、兵士達の方が吹き飛ばされなければならないのか。
青年は理不尽なその光景に打ちのめされ、ただ只管にそう思う。
「何者だ」
その時男に向け誰何の声を投げ掛けたのは、流れるような動作で拳銃を構えた基地司令だった。
己の部下が刹那の内に倒されるのを見て尚、それでも彼のその声音には芯があった。
しかし、正体不明の男は答えず、ただ嘆息を零しただけだった。
「どうやら、貴公が彼らの将のようだな……。己の部下が尽く、私に打ちのめされたと言うのに、彼らの為に何もしてやらないのかね?
貴公のその眼差しからは私への怒りが感じられない。何とも無情な事だ。それとも、私が恐ろしくて怒る気力さえないのかね?
嘗ての将とは勇敢であり、蛮勇を勇敢足らしめる実力を持った者だった筈なのだが……」
――時代も変わったものだ……。
男は呟きながら落胆の表情を隠すように帽子を押されば、その鍔で目元を隠した。
男からすればそれは、今を憂う純粋な嘆きだった。しかしそれが所詮、懐古でしか無い事は呟いた本人が最も理解していた。
それに昔には昔の、今には今の楽しみが有る。だから然程、男にとってその変化は辛いものではなかった。
しかし、それを聞いた基地司令はその眼を一層鋭くし、眼前の男を睨[ね]め付ける。
そして再度発せられたその声はずっと硬く低く、冷ややかなものへと姿を変えていたのだった。
司令の傍らに居た青年が瞠目する程度には、少なくとも。
「何者か、と聞いている」
「何者か……などとはまた、何とも深遠な問い掛けをするものだ……」
けれど男はその声に臆した様子など微塵も見せず、ただ肩を竦めただけだった。
「貴公はその問い掛けにどのような答えを以って答えとするのだね。
味方、それとも敵と答えれば満足してくれるのかね? だが、納得するまい。
人間であるならばこそ、私の如何なる答えも先ず疑って掛かろうとするのは目に見えている事だ」
男は指で帽子の鍔を持ち上げれば、司令の視線を見返した。
「人間の本質とは、その暴虐性でも知性でも理性でもない………何者にも向けられる不信にこそある。そうは思わないかね?」
瞬間、場の雰囲気が豹変する。張り詰め重苦しい空気に場が満たされる。
青年がそれを殺気と気付くには、彼の今までの人生は余りに修羅場から遠かった。
しかし司令は理解する。理解したからこそ、青年などとは比べ物にならないほど、その殺気を如実に感じ、表情を強張らせ、刹那、身を固くする。
恐怖に強張る指、震える腕。けれど意思でそれを捻じ伏せ、司令は危機感に引き金を引いた。
直ぐ傍で轟いた銃声に青年は思わず、耳を塞ぎ。
――その銃口からマズルフラッシュが幾重も瞬いた。
銃声が青年の聴覚を殺す。殺していた筈なのに。
「勇ましいが、愚かな判断だ。無駄だよ………」
青年は何故か、男のそんな呟きを聞いたような気がした。
そして発砲と同時に、男の足元から沸き上がった半透明な粘体が壁のように男と司令の間を隔て。
弾丸の尽くはその液体の壁の半ばで止まってしまう、止められてしまった。
「なッ?!」
それは司令と青年、どちらの驚きだったのか。それとも二人ともの驚きだったのか。
しかしそんな余りに非現実的な光景にか発砲は止まり、男に向ける銃口も動揺に揺れていた。
その隙に粘体が蠢く。見る見る内に形を変え、そして──
「お、女の、子……?」
三人の女の子へと変化したのだった。
粘体から吐き出された銃弾が、氷の床に乾いた音を立てながら落ち、コロコロと転がった。
「な……なぁ?!」
青年はただただ呆然と呟いた。余りの事に声がまともな言葉にならない。それが現実であると理解できなかった。
未だ残る耳鳴りの所為か、それは何処か夢の中の出来事のようだった。
全くの無傷の男はただ何かを諦めるかのように息を吐き、
「ご苦労」
「はいデス」
「ちくちくしたゼ」
「問答無用なんて酷いデス………」
その人知を超えた光景を見て尚、構えを崩さず問い掛けた司令は勇将であると称えられるべきか、愚将で蔑められるべきか。
「何が、目的だ」
ただそれに敬意を表してか、男はその再度の問い掛けに、今度は素直に答えたのだった。
「なに、我が主君、最愛なる皇女殿下より直々に御下命を賜ってね。それを果たしに赴いて来ただけだよ」
男は帽子を取ると、己の顔を露にした。そして司令と青年の緊張を解そうとでも言うかのように、温和な笑みを浮かべた。
その時だけを取れば、男のそれは人好きするかのような好々爺然とした雰囲気だった。
ただ先程の殺気に未だ怯える青年からすれば、その笑みは不気味以外の何物でもなかったが。
「私はヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマン。恐れ多くも伯爵の位を頂いている。
まあ、伯爵とは言っても今となってはしがない没落貴族だがね。しかしだからこそ、こんな私を頼ってくれた殿下の御信頼に応えたいのだよ」
分かってくれるかね、と男は誰へともなく問い掛けた。
「……………」
「……………」
しかしどちらも何も応えなかった事に苦笑を零すと、男は出来の悪い教え子に優しく教え諭す教師のように、ゆっくりと囁くのだった。
「私は……警告をしに来たのだ」
その言葉に思わず、司令は眉を顰め、
「警告……だと?」
男は然りと頷けば、司令と青年の後ろに在る物を指差した。
「……貴公らが見つけた“ソレ”。ソレは『GUILSTEIN』、『GUILSTEIENNE Queen』――君達の手には到底、負えないパンドラの箱だ。
まだ間に合う。手を引き給え。制御しようなどとは努々[ゆめゆめ]思わぬ事だ。貴公らの身には……到底余る。
此処にあったものを見なかったことにするか、出来れば破壊した方が良いだろう」
「………貴様はあれの何を知っている」
しかし、ヘルマンと名乗った男は困ったように微かに笑い、
「その正体を何と答えればよいのか……そうだな……同属殺しの鬼、とでも言っておこう」
「……貴様はこれをどうするつもりだ?」
「なに、私は何もしやしないさ。皇女殿下は君達自身の選択と決断をなによりも尊重される御方でね。
直接、私が貴公らに何かをしてやる事は止められているのだよ、少なくとも今は。
これ以上の事を貴公らにしてやれないのは、突然押しかけた身からすると申し訳なくも思うがね」
「……貴様の言う皇女殿下とやらは何故、我々に警告を寄越した」
「殿下は地球と呼ばれるこの星が、そしてこの星に住まう者達が好きなのだよ。好きな物が蹂躙されるのは君達も嫌だろう?
それは私も同じだ。人間全てが居なくなるのは少々、寂しくも思う。それに私達の存在意義の一つが失われてしまうのも………厄介だ」
茶化すように、けれど真摯に男は言葉を紡いでいく。
ただはっきり言って青年は、その男の言葉を半分も理解出来ていなかった。
言葉の一つ一つは殆どが理解出来る。しかし、それらの言葉が意味を成して繋がらないのだ。
「…………」
そんな青年の心情に男が気付く事などある訳も無く、朗々と男の言葉は続いていく。
「まあ、自ら試練の道を歩むと言うのなら止めはしないがね。
それにパンドラの箱の最後に残っていたのは、希望であったとも言う。私が見た事も無い光が、君達の下へと齎されるかもしれない。
それはそれで楽しみではある。それが君達にとって救いとなるか更なる災厄となるかは……分からないがね」
ヘルマンは帽子を被り直し。
「さて、これで用は済んだ。帰らせてもらうよ」
「此方としては是非、君達を客分として迎えたいのだがな」
「それは勘弁願おう。これから私は皇女殿下に報告をしなければならないのでね。
ああ……だが、私から伝えられた殿下の警告により真実味を持たせたいというのならば……証でも残していこうか」
そう男が言い終えた瞬間。
――変貌。
それはそうとしか言えない変化だった。
瞬[まばた]きにも満たない時の中で、男は全く別の物に変わっていたのだから、青年にはそうとしか言えなかった。
それは正しく――
「あ、悪魔……………」
卵のようなその貌には穴のように真ん丸い二つの目、ギザギザの口。頭にはねじれた角が生え。
そして、固く節くれ立ったその体、その腕、その脚はまるで無骨な鎧の様。
背には蝙蝠のような翼。臀部には見た事の無い、先が鏃のように尖った細長い尻尾。
その全てが、何故か黒ずんだ硬い石のような質感だった。
それは正しく――異形。
生物学者である宇田島 圭介をして、異形としか言えない姿形。
生物の系統樹から余りにも掛け離れた、それは姿だった。
翼が広げられ、けれど全く羽ばたかず、“悪魔”は宙に浮かび上がっている。
三人の半透明な少女達がその足元でゆらゆらと揺れ。
男が、否、“悪魔”が嗤う。
「そう、青年、それは正しい認識だ。私は君達が悪魔と呼ぶ者。慄きたまえ、怖れたまえ。
それこそが本来、君達人間が私達悪魔を見た時、唯一許されたものなのだよ!!」
瞬間、その口腔がカッと煌いた。
「うわっ?!」
青年は思わず腕で顔を覆い。
そして光が収まった時、悪魔の姿も、そして少女達の姿も消えて無くなっていた。
「ゆめ……だった……?」
信じられないとばかりに青年は呟いた。
余りに常軌を逸した出来事に白昼夢でも見ていたのかと、彼は先ず己の正気を疑った。
「な、何だこれは……?」
しかし、司令が呆然と呟いたその声に釣られ、指令の方へと顔を振り向かせれば。
──青年は目を見張った。
その皺の刻まれた手に持っていた銃は、今となっては全くの物になっていたのだ。
――石へと、変わっていた。
「ひ、ぃ………」
それが青年の限界だった。ただ腰を抜かし、へなへなと氷床にへたり込む。
司令は手に持っていた石の拳銃を見てただただ顔を顰め。そして後ろを振り返り、氷の中に浮かぶ少女を見上げ呟いた。
「これが………一体、何だと言うのだ………」
けれど、その問いに答える者は無く、この場に満つるのは唯、静寂のみ。
――それはまるで彼等の行く末を暗示するかのような、余りにも不気味な静寂だった。
◇ 序ノ章 了 ◇
◆後書き◆
まだプロットが固まり切ってないのに、つい書いてしまった……。
考えても思い浮かばないなら、書いていけば固まってくるんではないかと思ったので。
※『宇田島 圭介』
この宇田島 圭介、という名前は作者の捏造です。
彼の名前で分かっているのはただ「ウダジマ」というものだけです。しかも、博士という敬称付き。
本名は無いのかと色々探し、また原作を見直してみたのですが無かった為に、勝手に付けさせて貰ったものです。
……結構、重要な人の筈なんですけど、作中で一度も本名が出てこないのはなんでですか、田巻先生……orz
※『GUILSTEIENNE』
これも作者の捏造です。ご注意を。作中に出てくるのは、ギルステイエンヌという読みのみ。
正しいかどうかは分かりませんが、もともとGUILSTEINが造語でもあるので、確かめようが無し。
一先ずこの作品の中ではこういう表記をしていこうかと思います。