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「優勝請負監督」4人の悲劇 共通したのは

2011/06/28 20:08更新

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【すぽーつサロン】

 優勝請負監督-。何度も日本一に輝いた実績を買われ、優勝するために招聘(しょうへい)された監督を勝手にそう呼んできた。大洋(現横浜)の古葉竹識監督、日本ハムの上田利治監督、横浜の森祇晶監督、阪神の野村克也監督。私の中では、この4人である。

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記事本文の続き 古葉監督は広島を3度日本一に導き、大洋に三顧の礼で迎えられたが、1987年から5、4、6位と振るわず退団した。阪急(現オリックス)でV3を達成し、1995年から日本ハムで5シーズン指揮を執った上田監督もリーグ制覇はならなかった。

 西武を9年間率いて、リーグ優勝8回、日本一6回の森監督は横浜では、1年目こそ3位だったが、2年目の途中で休養、退団している。日本一3度、ヤクルトの黄金時代を築いた野村監督は1999年から阪神で采配を振るったが3年連続最下位に沈み、チームを去った。

 4人の優勝請負監督は見事に失敗した。期待が大きい分、風当たりは強かったように思う。いつも苦い退任劇だった。

 作家の塩野七生さんは、戦略は戦術とは異なり、常にオリジナリティーを持っていなければならないと言う。プロ野球でいえば、戦略はチーム作りであり、戦術は具体的な攻守の戦い方であろう。

 古葉監督は広島時代の厳しいチーム内競争と練習を大洋に持ち込んだ。長い間、ぬるま湯体質に浸っていた大洋の選手は耐えられず、けが人続出、不協和音も聞こえてきて戦う態勢を作れなかった。

 阪急ではアクの強い個性豊かな選手たちをうまく乗せて、チームを束ねた上田監督だったが、おとなしい日本ハムの選手たちとは、持ち前の熱情がもうひとつかみ合わなかった。

 戦術にたけ、できあがったチームを自在に操らせたら比類なき森監督も、“常勝横浜”作りに着手して早々にギブアップしている。

 真面目でおとなしいヤクルトの選手たちをID野球に染め上げた野村監督は、阪神ではスター意識の強い選手たちに“野村の考え”を伝授することはできなかった。

 4人の監督たちに共通するのは、古巣でのチーム作りを踏襲したことだった。「優勝」を課せられての就任である。成功体験から逃れることはできなかっただろう。自らを名将の地位に押し上げた戦略にこだわるのは当然だった。

 戦略は独創的であるべきだとわかっていても、過去の実績をかなぐり捨て、独創的な冒険を試みるのは相当な勇気が必要だろう。人間業ではないかもしれぬ。

 優勝請負は確かに失敗したが、名将4人の栄光の戦績が光を失うとは思わない。名将故の“悲劇”として記憶にとどめたいと思う。いま、球界を見渡し、優勝請負の声をかけられるような名将を見いだせないのが寂しい。(福島保)   

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