「感情を抑えられない。どうしても息子をたたいてしまうんです」
カウンセリングを通じて児童虐待防止に取り組む民間団体「STOP!ABUSE」の代表、広渡麗子(34)=北九州市=の元には、虐待に悩む親たちから電話やメールによる相談が連日届く。多い日で200件。
「みんな過去の傷が癒えないまま親になっているんです」。「負の連鎖」の理由を、麗子はそう分析する。ほとんどが、かつては虐待の「被害者」だった。
娘が4歳になる30代の母親もその一人。おむつを替え、ごはんを食べさせる。かわいがるほどに、えたいの知れない感情が込み上げてきた。「私はこんなに愛されることはなかったのに…」。家事も手がつかなくなり、悩みを深めていた。
心療内科や精神科に行っても、感情を抑える薬を処方されて終わる例も少なくない。ある女性は渡される薬に依存するばかりで「つらさが解消されない」と訴えてきた。
「年を重ねても傷は癒えない。根っこにあるものを解決しないと」
そう語る麗子も虐待被害者の一人だった。
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母は父と離婚後、祖父母の元で乳飲み子の麗子を育てた。情緒不安定な母は、思うようにならないと麗子の顔を殴り、鼻の骨を折ったこともある。祖母も一緒になって手を上げた。2人をいさめてくれた祖父が亡くなると、虐待はエスカレートした。
中学生のころ、祖母が重ねた借金返済に風俗店で半年間、働かされた。初日、拒んだ客に鼻血が出るまで殴られた。5千円を渡された帰り道。気がつくと祖父の墓前で泣いていた。
「私なんか、どうにでもなればいいんだ」。20歳を過ぎても水商売と風俗の世界を行き来する生活。精神のバランスは崩壊寸前だった。
25歳の時、10歳年上の大輔=仮名=との出会いが転機になった。「私は生きる価値のない人間」とうつむく麗子に、「そんなことあるか」と本気で怒ってくれた。大輔も幼少期、アルコール依存症の父に虐待を受けたと打ち明けた。父の暴力から姉をかばって、包丁で切られたという腹の傷痕が「重い過去」を物語っていた。
大輔がしみじみ話してくれたことがある。「親に愛されなかったのはおまえのせいじゃない。でも自分を取り戻すには、背負ったもんに向き合うしかない」
父を憎み、父のようにならないと誓って生きてきた大輔。しかし、父が死んだ時は葬儀を行ったと聞いた。彼なりの区切りの付け方だった。
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20歳のころ、麗子は母から一度だけ、父と別れた理由を聞いたことがある。暴力が原因だった。結婚後、浮気を疑われ部屋に監禁された。ノイローゼから麗子を手にかける寸前で、祖父に救い出されたという。だが、その時は母の話を受け入れられなかった。
母親による虐待の要因には、夫の暴力からくるストレスがあるといわれる。「私も過去に向き合ってみようか」。信頼する大輔との出会いが麗子の気持ちを動かした。母は許せない。でも、それでいいのか-。麗子が達した結論はこうだ。
「母が私にした行為は許せない。だけど、母の苦しみは分かる」。あの時の母に、寄り添ってくれる人がいれば…。
加害者も被害者もつくらない。そんな思いで昨春、立ち上げたのが「STOP!」だった。
「娘と積み木をして遊べました」。4歳の子を持つあの母親から先日、少し明るいメールが届いた。
(文中敬称略)
◆親の心理ケア◆
児童虐待の対策として近年、被害児だけでなく親の心理ケアも重視され、各地で取り組みが始まっている。東京都児童相談センターでは、虐待する親のグループカウンセリングを導入。大阪府や大阪市の児童相談所では民間団体に委託し、虐待に悩む親が?人1組で体験を語る「MY TREE ペアレンツ・プログラム」を実施、一定の効果を挙げているという。
=2011/06/20付 西日本新聞朝刊=