足るを知る 森羅万象、自然の摂理とは、満ちれば欠け、欠ければ満ちる。「満ちれば欠け、欠ければ満ちる」のは自然の摂理で、不可避である。このサイクルを引き伸ばすには足るを知るしかない。企業の業績にしろ景気にしろ、はたまた恋人との会話にしろ、度を越して盛り上がったあとは急激に消沈する。人は盛り上がってくると、自己過信から調子に乗り、エスカレートして自滅しがちである。 これを防ぐには調子に乗らないこと、「もっと、もっと」という気持ちを少しでもいいから押さえることである。これが「足るを知る」ということである。
野心、向上心は早く捨てよう 出世してあれこれ命令できる立場がいいというわけでもない。お金のためか。しかし今の収入でもそこそこいいはず。又、自分のやりたいことを犠牲にしてまで高収入がいいだろうか。アカデミックな欲求は、書籍相手に自分の能力向上ではらそう。人との交流は会社内にとどまる方が不自然であり、インターネットでも十分できる。いくらでも勉強できる。むしろ自然の中でそのようなアカデミックな追求に喜びを感じよう。酒池肉林の都会で、競争や野心で競う人生は良いはずがない。解明され教科書になっている事実を学ぶだけではなく、自分の目と経験から創意を求めるのも、クリエイティブな喜びであるはずである。
日本人の偏狭な集団主義 皆がしていることと同じじゃないとのけ者にされる。皆の意見に反対するとのけ者にされる。皆と一緒じゃないとのけ者にされる。快楽、安息を求め味わうことの繰り返しで、大切な何かを忘れている。時々本当に自分が何をしたいのかも分からなくなる時がある。そのような時に振り返る過去に輝かしいことは何もない。
決意 本当にそう思う。疑問符は付けない。少しだけ強くなれたのかな。言い聞かせたいのは自分なのにその自分は波に乗り放し。答は一つ。冷静に言い放つ渇いた気持ち。もしもそれを望むなら楽にしてあげたい。夜は朝に手を振り消える。視界に広がるあの空に向けて靴を飛ばす。
覚悟 相変わらず世の中はせちがらく、主観でしか物事は進まなくなっている。そろそろ覚悟を決める頃である。世相とのズレが如実に顕在化してきた。平和とは一体どんな現象なのだろう。革命を賛美するから、望みを叶え給え。行き着く先を知る。照準を君の心臓めがけ、笑顔で放つ。オルゴールみたいに気付いたらこうだった。虹みたいに素敵なんだ。
幸福 「幸福というものは、健康と同じように、それに気づかないでいるときに、つまり幸福なんです」(ツルゲーネフ)。みんな本当はもっと優しくなれるのである。守るものが多すぎて飛ぶことが出来ない。たった一回の人生、終わる時に後悔しないように自由に生きたい。それなのに飛び出せない自分に腹が立つ。でも飛ぶなら今かな。今なら…。
幸せへの階段 幸せへの階段を踏み外してしまった。気づいた時にはもう全てが遅かった。流れる時間をせきとめる方法はなく、ただただ私は流されるまま。道を踏み外した私にはもはや自分の足で歩くことすらゆるされない。夢にまで見た私の幸せは…遠く、遠く視界の彼方に消えていく。私にはもはや、ただただ力なく自嘲的に笑うことしかできず、無味乾燥な日々を送る。そう、生きているということすら忘れるほどに…。
形のない静かな悲痛が胸の奥でくすぶり続ける。冷めることはなく激しく痛みを放っている。言葉で刻み付けられた傷は見た目以上に鋭利で深い。何気ない一言が繊細な私の心を傷付ける。時間が経てばこの傷は癒されるのだろうか。心に受けた傷は特別。一時的に治ったようにみえることはあるだろう。しかしそれは逃げているだけ、決して傷が癒されたわけではないのだから。ふとした瞬間に心の傷は目を覚まし暴れ狂う。怒りや憎しみに我を忘れ痛みすら感じなくなる。私ももうすぐ手遅れの状態。人を社会を憎み、傷つけ蔑み、永久の闇へと我が身を投じる。
ずるいことに気がついたのは物心ついた頃 季節によりかわる香りもケミカルなんてことに笑っていた。じっとしていても現実は動く景色に贅沢な自分を感じるも、何一つない自分にこれ以上は放棄したくなる。同じ風も気持ち次第だが、もったいなくて感じたくない。
怖いと思うならここで止めておけばいい うざったい義務なんてない。要はやるかやらないかだけで、やらないなら永遠にバイバイ。科学的な夢に乗って夜に飛び込もう。光るガラスの欠片、空から撒き散らして、やめろって言っても聞き分けのない、子どものように自分に正直に。だって今まで自分を騙しつづけてきたんだから、これぐらいのお遊びは許されるだろう。溜息より歌を、歌よりダンスを。サボテンが笑い、目が回る。真っ白な粉が振る街は大騒ぎ。サイレンが鳴り響き、追いかけてくる。そして悟りきったかのように坊主は経を読む。さあ灰色の汚い牢獄を抜けて私だけの世界に戻ろう。
顔 顔を書いていると少し、うきうきとするでしょう。今日は綺麗。明日はあなたに会えるからもっと綺麗になる。なんて不思議な顔だろう。だら〜んとした気持ちまで化粧の魔法はピンとしてくれる。不思議な不思議な魔法なんだ。そう、あなたに見てほしくていつもあれこれ手入れしている。わかってほしい。鈍感な人なのだから…。
君が生まれた時から、私はずっと見てきた。 君がずっとずっと小さな時から、私達は一緒に過ごしてきた。頼りない様子でふらふらと私の周りから離れようとしない君。時に慈しみ、時に苛立ちにまかせ叩いた。君の代わりはいくらでもいるのだと、今も恨んでいるだろうか。寂しさを紛らしてたのは私の方だった。君にどれほど救われただろう。相変わらず一緒に暮らしているけど、成長し大人になった君はもう私の手には届きやしない。触れることを許してくれない。君へと伸ばした手はいつも宙を握り締める。
私があり、あなたがいる 私はあなたを思う度に1番近くに永遠を感じる。私があり、あなたがいる。私はこれに尽きている。私の命とあなたの命とがよりあい、もつれあい、とけあい、混沌とした原始に帰る。全ての偏見は2人の間に価値を失う。2人にとっては全てが絶対である。そこには世にいう男女の戦はない。信仰と敬虔と恋愛と自由がある。そして大変な力と権威とがある。人間の一端と多端との融合である。私は丁度自然を信じ切る心安さで、2人の命を信じている。そして世間というものを蹂躙している、頑固な俗情に打ち勝っている。2人ははるかにそこを乗り越えている。私は自分の痛さがあなたの痛さであることを感じる。私は自分の快さがあなたの快さであることを感じる。
自分をたのむようにあなたをたのむ。自分が伸びていくのは、あなたが育っていくことだと思っている。私はいくら早足に歩いてもあなたを置き去りにすることはないと信じ、安心している。私が活力に満ちている様にあなたは若々しさに輝いている。あなたは火だ。あなたは私に古くなればなるほど新しさを感じさせる。私にとってあなたは新奇の無尽蔵である。あなたが時間を止めた。私は感動した。この世の杜撰さ、醜さから、甘い野イチゴのような希望をこの3分でくれた。融合迫るその小槌でしっかりと昼間を忘れないように、夢だとか言ってしまわないようにしよう。ありがとう。
優しさ はぁ。忘れたいのに、忘れられない。いつも頭の隅にあなたの笑顔がある。今、どんなことを考えているの。君は誰のことが好きなのですか。私はもう、必要ないのでしょうか。私はまだ君のこと想っています。迷惑ですか。君の気持ちが知りたい。想いは言葉にすると安っぽくなってしまい、文章にすると嘘になってしまう。だから私は自分の半身となるべきものを求める。想いを共有してくれるものを求める。そして勘違いであろうとも、一時であろうとも、想いを共有した瞬間、人は本当の意味でやさしくなれる。
誰かに少しでも愛されると気持ちが変わることもある。トラウマは治しようもない程深刻だが、簡単なきっかけで治ることもないわけではない。勿論、安易に治るとか克服できるということを強調することは、現実に苦しんでいる人を更に苦しめるだけであり、有害である。絶対出口のないと思っていた、鬱状態から少しだけ、抜けることができた。 これ以上のどん底はもう来ないと思いたい。人を最悪のトラウマ状態に陥れるのも人だけど、人がそこから引き上げてくれることもある。少しでも同情でない人の愛にふれると、言葉よりも先に涙がいっぱい出てきて、自分が何者かがよく分かる。
自分の大きさ 現在確認されてる中で最大の恒星は、オリオン座アルファ星ベテルギウス。自分と地球が、とても広い空間に並んでる所を想像してもらいたい。大きさの差は漠然としているだろう。次に、その隣に木星を置く。木星は地球の11倍の大きさ。次に、その隣に太陽を置く。太陽は木星の10倍の大きさ。そしてベテルギウスを木星の隣に置く。ベテルギウスは太陽の約500倍。ではベテルギウスと自分が並んでる所を想像してみよう。
この話を聞くと大体の人が鬱になる。「私、小さいね…」と。しかし自分の存在の貴重さを忘れてはいけない。広い宇宙。地球の他にも星は山ほどある。もう数字では数えられないほどに。無理して数えるといくつか。974964646138496049561686821684681648618746816847181878768個あるのか。それともそれよりも多いのか。無限に等しい世界で、今のところたった一つ、命の星として確認されてる地球。そこで何億分の一の確率で生まれてきた自分だ。貴重である。アナタの存在は、小さくない。
孤独 一人では生きてはいけなくて一人では寂しすぎて、それでも孤独を選んだ僕のその悲しみをいつか癒やしてくれる人が現われるだろうか。私はここにいて、ただあるがままに。何処からか来た少年が、時々こちらを見ている。ただ僕を見てる。それは過去の自分自身ではなかろうか。
一人が好き 君は一人が好きだってだけで、学校にも行けなくなってしまった。やがて優しい時間が横たわる場所に着くまでは夜の歌に守ってもらっていればいい。一人が好きな人は正しくありたいということの無意識の中の素直さである。自分をすごいと思うことは生きていこうとする綺麗さ純粋さの全てを込めた攻撃である。私は部屋のなかに居ていつも音楽を聴いている。
友人 聞く耳持たない分からず屋たちに聞かせたくて、それなりに賑わう店内で大きめの声で話している。聞き分けの良い友達に打ち明けたところで、夢はいつでも完璧主義だから居ながらにして全てを理解できるし、他人も羨む理想郷をいつのまにか完成させられる。君の探し出した「自分」なんて所詮そのようなものだ。だけど君が疑問に思うなら認めてあげよう。一緒に笑ってあげたなら、幸せか。羨ましがってあげたなら、心地よいか。きっといつかは嫌な気持ちになって逃げて行くだろう。
傷 明日が待ち遠しくて家の中をなんども回っていた。色々なことを描いてはニヤける顔をおさえていた。今、そんな日々がやけに輝くしく思え、滲む風景はいっそう悲しみを演出している。ちょっと言葉を間違えて、落ち込んだりして、でも美味しい夕飯にありつけば暗い顔なんて吹き飛んだ。ずぶ濡れになって帰宅した後も暖かい体が幸せを運んできた。だが今ではこの傷が明日も癒えることもないと分かっている。君が明日笑ってくれることもないと分かっている。私が明日に向う理由は君だけだった。希望の朝と呼んでいたものは、今ただこの傷を深めるだけ。
がんばらない あきらめないで頑張れば夢は叶う、という言葉は嫌い。頑張っても、叶う場合と叶わない場合がある。努力が足りないわけじゃない。だから「あきらめなければ夢は叶う」という教育をしてはいけない。望んだだけでそうなれるものではない。「がんばる」という言葉は嫌い。「がんばるよ」「がんばってね」と言う人は本当に努力するとはどういうことかわかってないのだろう。
はじめて覗いた世界 なぞる指先の震えが伝わらぬよう抑えた左手もまた震えてるから、だからきっとあなたに逢いたい。鏡を抱いて何も見えなくした。ひたすら真っ直ぐに胸に感じる冷たさを愛した。あなたの居ない暗い箱で今夜も時計を気にしていた。また繰り返す平らな砂漠で、見つかるものはありはしない。1ミリの変化もないカタチなき箱の中にいる。
親 産む産まないは個人の自由である。ただ子供生んで一生懸命育ててくれた人がいたから、 今私達が生きていけている。今子供育ててる人は、未来の社会に貢献している。それはそれなりに価値がある。 親になりたい気持ちは強くあるのに空回りしている。急がなくてもいい、その気持ちを大切にしたい。自分のお腹に命を感じてみたい。お乳を子供の顔を見ながら飲ませてあげたい。投げ出せない責任を背負って生きてみたい。人と生涯を共にしたい。自然に自然に思う。胸の奥がキュっとなる。そんな気持ちを大切にしよう。女性は子を産むべきとは勿論思わない。それぞれの生き方で生きればいいと思う。 たまたまそう思う気持ちが芽生えればそれを大切にすればいい。素直にそれは嬉しく、そして切ない。どれだけのハードルを越えた先に第一ゲートがあるのか、コースを変えるべきなのか、無性に不安になって無性にやりきれなくなる。しかしその気持ちの全てを大切にしよう。そして自分と自分の周りの人を大切にしよう。切実に生きることしか私の目の前にはない。
一日 何もなく平坦に終わる一日。今日となし明日となく過ぎ去る時の足跡。何もないことが幸せと思う自分と限りなく虚しく思う自分がここにいる。四半世紀ずっともう十二分に悲しんだ。ずっと考えていた。色々な優しい人がいて、意識せずとも身に染みてたから、踏み外さないで此処まで来れた。今日は総括の日。じっくりと振り返る日。天気も御機嫌麗しく、特別な感じがしてきた。勿論それは私だけで、他の俗人にはどうでも良い日なのだろう。
朝 風水を信じる朝が萌黄色の服を着て旅色の雲を彼方へ飛ばす。机の上では一日中作ったクッキーが無造作に円をなす。目を閉ざして地球にキスをしたいのに、宇宙はいつも空っぽで雨みたいに溶けていく。窓を空け光を受け入れて、ただただ昨日を思い出に変える。
光 いつまでも沈みきった部屋で、私は闇の瞳を閉じ、いつまでも沈んでいた。飛び出した、まだ朝も昇らぬ内に、行くあてもないのに、走り出した。いつだって、いつだってそうだ。いつだって、なんだよ。光は世界を包んだ。私はその中を駆けた。アイツはそこにいた。きっと私もそこにいた。今日もまた同じ道。光と私の通り道。いつまでも青く白の道。私はカメラをとりだした。焦点をズラして、ソイツをとった。ただ、光だけを、残したかった。そこでフィルムは終わった。寒さのあまり寄り添う釣り人と鳥と焼け畑の中で自らを焼こうとする犬は私の瞳に残すことにした。
凍った空気 朝の凍った空気に遮られるよう望んだ。限りない絶望と粉雪のような愛をあなたに。曖昧な幸せな絶望的な笑顔をあなたに。水色のつま先、赤く染まった。もうすぐ朝が来るよ。信じたくないものは信じない、そう決めた。今も胸が割れそう。ブルーベリージャムが深い赤と青の混合体で、私はその色と甘酸っぱさに気絶する。哀しみにも似た色。幸せな甘さ。この足は青空とくちびるの温かさに救われる。
雨 きれいなもの降りておいで。私の肩でおやすみなさい。終わらない歌を歌ってあげるから。きっと暖かな夜になるから。明日は雨になるから。水瓶の水は枯れてしまったけど。雨、降れ。破れた傘よ、この髪濡らせ。とことん濡れるとどうでもいいや。銀の雨、秋の雨。水の星に水の降る。涙雨、光る雨。水の星が水びたし。氷のようだ。まるで体温をもたない。ただ毛布を36度に保てるだけのさばる氷でしかない。
10月の風 からからと音たてはしる10月の風は、足元に吹き、すぐ枯れ葉。秋祭り、明日はいつもと違う田舎道。太鼓と唄の音、遠く響く。翔ぶ鳥の白き翼に想い馳せ、共に越えたし厳しき冬も。
黙ったままの赤い空 腕を組んで首を斜めにして、ひとりよがりで考えた。誰にも言わない、約束もない、晴れることのないあの日のこと。黙ったままの赤い空。途方に暮れて、道に迷って、暗い暗い闇の中でも、遠くに香るあなたの匂いを手探りで探した。すれ違う人も、立ち止まる人も教えてはくれないだろう。慰めてはくれないんだろう。不安を拭うことを一生出来ないなら、私は大きな声であなたに言おう。
夜 夜は眠る時間、そう言っている。月が出ていた。星もいくつか。青地の昏い空、ビロードの上辺に白い月が浮かぶ。月と星と夜空と落ち着きのない心を持て余し、小さく鼻を鳴らして烏龍茶を飲む。風が出てきた。這い出した虫も後ずさりする夜の底。触覚を月に伸ばし、膨らんだ胴を震わせ、冷えた汗を舐める。目を閉じてもただ闇が広がるだけ。鮮やかに彩られたものが年老いたまぶたと共に枯れてゆく。
夜空の紫に舞う虹色。 上弦を仄かに霞ませる。海を浮かび上がらせる月、その周りを囲う輪舞。やはり虹色の葬祭。厳かに舞え、命が果てるその闇色の雲の隙間。馬車の形をした一条の星の道程に、そっと伏せた身を預け、風下に一つ炎を泳がせる。
悲しい夜 あの日の夜はとてもとても悲しい夜だった。悲しみは天に昇り、雲を従えて雪になった。寒い夜が終わり、青空の朝、街は一面の銀世界になった。悲しみが積もって、電車もバスも動けなくて、街はとても静かな朝を迎えた。子供のように街を彷徨って悲しみの量を踏みしめたり、握ったり、玉にしたり、溶かしたり、川に投げたり、いろいろした。
森の夜 蒼い森の月の明かりを嫌うようなそんな単純さで、言葉の奇跡という奇跡に失望しながら向き合う。崩壊性の神話をショーケースに閉じ込めて二人で選ぶ不毛な記憶が続いている。木々の葉脈の触れ合う音が続いている。夜は削り、生み、溶かす。いくつもの時計が朝を待ちきれず騒ぎ出す。
鏡 心に鏡があってあなたの心を写すことができたら、悲しみは少なかったかもしれない。私の心も誰かの鏡に写らないだろうか。大陸に落とした涙を求めさまよう。心の明鏡響かすように。
夢 夢を見ていた。真っ白な世界の氷に閉ざされた町で、私は一人行く先も分からず、ただただ歩き続けていた。誰もおらず、色も見られず、音すらも聞こえない。氷に囲まれた空間、全てが止まった世界で流れる涙は凍ることなく、歩き続ける私の唯一の温もりで、現にある何よりも暖かかった。故に愚かにも私はこれが夢だと知覚してしまった。
甘い夢の夢のどこかの一瞬で目覚めた。現実を見るのはもういいや。現実に誘惑されることもなく、このまま空気をかき消したい。夢また夢の世界を消し去りたい。歴史を書きかえてしまうような、欲望を塗りかえてしまうような、歳月を一度だけ送ってみたい。記憶から消されてもいいからそんな時間を表現したい。目が覚めた夢の中で、私の全ては泡になる。
暗闇に閉ざされてもあなたと二人で夢を見ていたい。星屑にくるまれながら、あなたと幸せになれる。他のことはどうだっていい。何も考えず何も感じなくなっても、笑って泣いて遊んでいたい。思い切り騒いだその後に、残るものがあればいいなと思う。壊れそうな音、狂いそうな声から少し目をそらす。モノクロのTVショーではピエロがひきっって笑っている。オレンジ色の空に何も感じない。メロンは転がるどこまでも、丸い瞳の犬が追う。多くの想い出封印し、議論なき夜緑の瓶。感情が止まる時、時間も心臓も止めて、痛みだけが自分を現実を知らせてくれた。全ての感情を受け入れ、解放すると本当の幸せに出会った。人間は自分を解き放たないと生きてる意味はきっとない。
夢の中でみた情景 荒れ果てた大地で私は幸せにひたる。ここでまた眠る。君の足音が私をおかしくする。変にする。荒れる中で一人。私の存在価値。踊る君をもっとずっと見たい。浮遊する欲望。真っ黒な月の影。映し出す夢は心の闇と重なる。湧き上がるほどの、溢れ出すほどの熱に埋もれてみたい。熱で埋めてほしい。いつ見ても美しい。澄んだ心なのだろう。羨ましいぐらい美しい。まだまだこれから長いトンネルだが、いつか光が放つまで後戻りしてもまた進めばいい。
夢と現実 夢と現実の区別ができないわけではない。現実の世界が、夢なのだ。夢の世界または架空の世界。そう、ここが本来の自分の姿である。現実の世界の自分は仕事をするために、または、生きていくために、あらゆる偽装をして生きている。現実の自分は、理想の人間を演じているのである。つまり夢の世界の人間なんだ。だから、現実の世界が、夢の世界。架空の世界が、現実の世界。
予知夢 会話をしていて途中から、この会話は夢で見たなと思い出して夢と同じ相づち打つか迷う。結局同じ間で、同じ返しになってしまう。意識していても同じになってしまう。夢で見たと言って、気持ち悪がられたことがあるので、夢で見た通りに進んでいても、黙って夢と同じように過ごしてる。何故この人と一緒に居るんだろう、という夢を見ると数ヶ月後に、夢と同じに再現されることもある。
空 大の字に寝て、ずっと空を見ていると、果てしない大海原に見えてきて、落ちて沈んでいきたくなる。パンドラの箱のように、悩みや不安や悲しみのいっぱいつまったこの胸の重さをこの海に沈めて深く深く沈めて人知れず葬ろう。ちっぽけな魂の阿鼻叫喚はどこにも届かない広大な静寂。すべてを限りなく受け入れるから空。この空の青が瞳に宿って、私を底知れぬ深海へと誘う。
雲 空にある雲は私には届かない。遠すぎて軽すぎる夢のような世界。真白な飛行機雲はきっと心の道しるべ。モヤモヤやシクシクやドロドロやクサクサの出口をしるした道しるべ。嫌なものを全部だせば新しい幸せの入るスペースができるから、飛行機に乗せて空まで飛ばそう。
あなたは夢の空 追憶の彼方に、今や星の影。はかない夢よ。散りゆく梅の花。時の流れと共に風に乗り彼方へ、黄昏の空。我身の思いが変わることはなく、花が咲く思いを胸に見上げた空。蒼き心の儚さは時として突風の如く吹き荒れる。魂を癒すは風か、それとも月光か。囁きは今に穏やかな風となって心を突き抜ける。それはシャワーの様であり、柔らかく優しい。微風にも感じさせてくれる。紅き血潮は波にもまれ消える。それを見せるは幻か、明日の我が身に身を寄せる。月光の元輝く月見草を愛でる。
月 月が何度も満ち欠けする程、孤独な夜が過ぎ去った。止まらない涙は少しずつ冷たい悲しみを消してゆくのに、傷ついた心は癒えることなくいつまでも疼いている。心なんてなければいい。苦しみを押し殺して泣くことも、飾り続けた心の中で本当の自分を見失うこともないのに。自由になれない心と身体は辛い。手を繋ぎあなたと私、温もり感じたら心が落ち着き温かくなるはず。根っこが強いと倒れない。大樹に育て若き月、紅の月。
名月 「名月を 山の露天で 愛でてみる 君の背隠す 湯煙蒼く」。中秋の名月拝み心もすっきり、あの街の あの灯を想い星にも願う。月旅行に行こう。あなただけが知っている、あなただけのお月様。時おり寂しい風が吹くあなたの中のお月様。さぎが餅をついている。甘くておいしいつきたてお餅。真珠の地べたに腰おろし一緒にご馳走になりましょう。十五夜は宵闇と友に溶けてしまった。月は溶けてオレンジ色の光の動きになる。
月光 月の明かりに涙するのは哀しみ故か、それとも月光故か。太陽の色を恐れるのは憎しみ故か、それとも陽光故か。涙するな、恐れるな。本当はもっと楽しくて、穏やかな物だから。人生は魚。恋は実らず、文化包丁で調理開始。奇骨な性格は招き猫を呼ぶ。死を恐れず明日は彼の地へ行こう。真夜中の運動場が感染する。過去に空いた肺の穴から、それは通り過ぎるつもりで入ってくる様なのだが、その度にいつでも私は感染してしまう。
星 星の煌きは命の儚さ。あの星は今も存在するのだろうか。その光が届く間に私の目にとまる間に消えてしまっていないだろうか。星は瞬き存在を訴える。明日も同じく有るように、星に願う私が存在する。剥がれ落ちてく感情は、流星の欠片。月の雫は金星に飲みこまれた。追憶の夜に願う。いつだって同じ日差しを浴びながら揺れていた。あの日の海に帰りたい。
街灯にかき消されそうな星空 見上げて目を閉じる。時々行き交う鈍い音や人々の声が、遠くに聞こえ 小さくなり、そして消える。髪をなでる冷たい風も徐々にやみ体を包み込む暖かさだけがのこる。まぶたの裏の無数の残像を通り越して、体が月を包み込み、やがていくつかの星をも包み込む。星空が鮮明になってゆく、輝いてゆく。無限を感じて、無限を抱いて、すこし力が宿る。そしてゆっくりと重いまぶたをあけ、急につんざく物音に胸を切り裂かれそうになるのを押さえ、急に冷え込む風にぎゅっと唇を噛む。
ヒーロー 多くの人々から支持を得て、多くの賛同者を得て、ヒーローが生まれる。そしてそのヒーローを称えるために、悪役がつくられる。出来上がったヒーロー像は事実を離れ、その時代が求めているヒーロー像として一人歩きする。事実などは、どうでもいい、一度信じたことが、偽りのはずはない。「だって、皆がそう言うよ」。ヒーローは、時代の主役だ。他の人々は、その引き立て役か、観客でしかない。追っかけだっている。訳知り顔で、評論をする者だっている。いや、違う。どんな人間も、たった一度の人生の、皆主役である。たとえどんな悲惨な筋書きでも、主役を生きる。決して脇役はない。逃げずに生きよう。たった一度の人生の主役を、最期まで生ききったら、今の筋書きも書き換えられるかもしれない。
世界はマトリックス 人間の歴史は、あり得ないと思われる事柄を成し遂げて今日まできた。全て管理され支配されている。地球を守るため大の虫のために小の虫を殺す。それは道理だが、悲しい。歴史の潮流はいま正に、変わりつつ有ると信じている。このきしみが、この時代を生きる誰しもに、重圧となっている感じだと認識せざるを得ない状況なのだろう。
東西南北 北へ向かった。南でもよかった。むしろ南がよかった。西も東も嫌いではない。ただ北に来たかった。まっすぐ続く道で、まわりには乾いた土地しかなく、たまにあるものといえば、大きな石がごろついてるくらい。前へ進んでもかなりの時間がかかり、後ろへ戻っても、同じくらいの時間がかかる。そのような道の真ん中にいる気分である。
歩く 精一杯走る。でも疲れたら止まる。どこまで歩き続ければいいの。鍵だらけの箱に閉じ込められた心を持ってどこへ行けば解放されるの。自分の居場所を探してさまよっていたら、心が音をたてて崩れていった。こんな暗い絶望の闇の中では何も見えない。粉々になった心が指の隙間からこぼれ落ちていく。もう独りでは歩けない。歩いていく道すら途切れて何も見えない。時間よ、この胸の鼓動を止めて。苦しみだけの道はもう歩きたくない。
ハードル 一つ一つのハードルを越して、人は成長する。事の善悪はその障害と向き合わなければ気付かない。どの年代でも、ハードルは存在しそのハードルは死ぬまであり続ける。しかしハードルを越さずに迂回してしまったら、隣りのコースに入ってしまい、失格となる。又、そのハードル自体があるのかないのかはっきりしなかったり、壊れていたりすると、競技にすらなり得ない。しっかりと周りを見つめ、時には一歩下がって冷静に見つめ、そして自分の意志をしっかりもって、この先どのくらい続くかわからないレースに立ち向かう。自らの意思でレースを終えるようなことはしない。ゴールした時の喜びを味わいたい。
後ろへ 見えるから惑わされる。だから私は瞳を隠す。聞こえるから迷わされる。だから私は耳を隠す。話せるから拒まれる。だから私は口を隠す。しかし前を向く限り、進む道を一つしか感じることができない。だから私は瞳を隠し、耳を隠し、口を隠し、そして後ろを向いて一足と一足と、後ろへと向かって歩き続ける。
場所 楽しい時も嬉しかった時も、悲しかった時も辛い時もここに来た。私はずっとblueな日々を過ごしていた。誰かに聞いてほしくてしかたがなくって。でも話せない。話すと崩れそうだった。どうしたらいいのか正直分からない。この先を考えるとどうなるのか不安が多い。でもあなたが一番最初に教えてくれた。「自分に負けずに一番になれ」と声をかけてくれた。涙が溢れて止まらなかった。私の姉としてずっと一緒ににいてほしかった。これからも好きなことを止めないで自分のペースで走り続けよう。
気象衛星が踊り始める頃、見飽きたこの場所には逃れようのない虚しさが刻印されたビンが浮いていて、遠回りを重ねた後悔の嗚咽が響くだけ。もう何も欲しくない。いつも近くに感じられた分、打ちつける哀しみは痛い。舵から離れてみよう。別に行き先がある訳でもないし、手をポケットに突っ込み、今は眠ろう。留守にしよう。
カーニヴァル そうだ、負けられない。カーニヴァルだ、私の祭典が発情する。アスファルトが揺れる。熱狂が町へ降りてくる。これが私の声だ! 胸に携えて歩こう。「カーニヴァルは私のもの」。そのようなことを呟きながら薄れいく意識の中で、僕は必死に腹にタマネギを乗せて腹筋していた。そして気づくと私は裸で街の中で立っていた。生きている自分を感じていた。私は肌で生きている。何も纏わず、自分を覆い隠すものは何もない。ふと頭をよぎるものがあった。「生きている、それだけの自分。 生きている、ここにいる自分…」。 体の中に、いや心の中か、私の内側に何かあたたかいものが目覚めた。「フー、とてもいい気分だ」。風が私の顔をそっとなでていく。
眠らない街 孤独に酔いたい人々が集まる。弱い心は弱いままでリスクを避けて歩いている。苛立つ街で抜きつ抜かれつ歩いている。昨日まではガラスの破片に触れて少なくとも楽になる気がした。空を見ていたらつまずいて、血が出たと思ったら違っていた。
避難所 避難所と呼ばれる場所で、私は皆に暖かく見守られて眠っていた。ここに戻って来てからも、正直辛かった。そこには私を絶望させる、変わらぬ寒々しい光景が広がっていたから。私はやはり強くはなれない。それで、死のうとした。しかし駄目だった。失敗したり躊躇したりして、死ねなかった。だから、甘えてもいいかな。凍えるような冷たい闇の中で、あなたは暖かく微笑んでいた。そして、ずっと私の側にいることを約束してくれた。あなたと一緒なら、どんなに辛くても大丈夫。
ロシア サランラップの貼りつき。夢の中で虹色の風を本当に見た。外国人と涙。パンケーキと牛乳をミックスして傷口に塗ろう。パンクロックベイビー、さわさわした産毛、ミルクティー。パパ、ママ。ロシアのきつねは凍えて死んだ。薄いピンクのバラを重ねた。さよならキス。
海 素っ頓狂な効率の海。変化されよや犠牲とやらで本来この星、人類は遂に本来言わしめた。稽古のように弱々しく吹く木枯らしの晴れ間に、石の下を探して早足な甲虫の五官に、持ちきれぬほどに白菜抱えた婦人の放屁に、厳かに降り始める気配で止んだ異物含まぬ一粒に、それらを驚かせぬようゆっくりと 夢だと言おう。
自転車 幼い頃、大人の自転車の車輪が大きいのを羨ましく思い、速く進むその背中を追いかけていた。今はもう、その背中が目の前にある。しかしどうすれば自転車を乗りかえられるのだろうか。そのすべを知らない私は目の前の背中をじっと見ているのに疲れ、だからと言って遠くの夕日を見ても遠すぎて、ただ素早く流れる地を見ている。後ろからは小さな車輪の子供達が追ってくる。時はどんどん迫っていくが、私は大きな車輪で走れないでいる。
松明 この先に何があるというのだろう。永遠に続く闇には何も存在していない。いくつかの灯がぼやけて見えてくるが、それは形を成さない幻でしかない。全ては己を騙し欲望や感情などという概念を創り上げているだけに過ぎない。あるかどうかも定かでない闇の中の松明を見つけよう。
ハンバーガー やたらと暑かった夏の最後の週末。午後の砂浜を歩きながら、ハンバーガーが俺に話し掛ける。ケチャップとマヨネーズのダービン・ワトソン比や記憶の回復と汚れた靴紐の関係について。海岸はいつの間にか古ぼけたビニール袋や夥しい流木で埋まる。胸元までせり上げたはずの波が一斉に退いている。歩くたびに砂だらけの濡れたスニーカーがパクパクと泣く。ハンバーガーの声はとぎれとぎれに届く。「白いマヨネーズの世界観の手前から、点々と垂れてくるケチャップの悲しみまでかろうじて渡れるバイパスが築けるか。破棄された保証書の端の擬音が与える自己言及性の色彩についてあらゆる季節変動が解明されるべきだ」。
ため息 潮騒の声と惜しみ無く降る陽光に一つため息を洩らす。爽快な程に黒くなった肌。背中からぼやけた様に差す太陽は寂しさと悲しみを忘れさせない。洩らした言葉の意味の重さに、白いシャツは風もなく揺れる。苦笑すら浮かべ、傷の深さに磨きをかけて祈るように立ち上がる。それでもスペインの空は突き抜けて青い。ため息の中を泳ぐ。東の果てのスピードを見たか。嵐は足下の四角に収まるので、私は退屈を小鳥の様にして何処へでも行けてしまう。貴方の腕の中は早すぎる胸であっても、大好きだったあの人にはつい、スロウを与えてしまう。あなたを囃し立てた私は謝る。あなたは当然の様に非情。
姿勢 この間、歩いている女の人を見て「かっこいい」と思った。なんでだろう、と考えると、確かに背が高い、スタイルがいい。しかしそれよりも原因は、姿勢だった。ピンと背筋を伸ばして歩いているその姿がとてもかっこよく見えた。私も見習おう。
髪 髪の毛を切る。我ながら可愛く変身できた、とご満悦。映画の中で登場人物が髪を切る、若しくは色を染めるシーンをよく見かける。何かと決別する時。変革を自らに課す時。髪に対する人の思いは万国共通と、感心する。私はまだ変わらない。しかし変わらないでいる自分にイライラしない。そんな自分とはサヨナラしようと思いながら鏡に向かっていた。髪型がキマった日は気分が良い。元気が出る。泣いたカラスが笑った。笑ったら、後は進むのみである。出口を求めて足掻いているのではない。むしろ囚われるものから自由になりたくて、あがいている。あれもこれもやってみて、気付いたら晴れ晴れしてるといいな。それが美しいとしたら棚ボタ。
指で触れた髪 指で触れた君の光を吸った髪が、柔らかくも硬くもなく私をすり抜ける。嘘でも悟られたくなくて、羽根は飛ぶ度にボロボロとポロポロと、月はまだあんな遠く。ソーダ水に閉じ込められた昼下がりの光を助け出すために戦う小さな泡の勇敢な物語。ぐうらぐうら。地震かしらとこんな時間に目を覚ました。
眉毛 眉毛の位置は、その人の他人との距離の取り方に関係する。目の場所と比較して高い位置にある人は、人と親しくなるためには少し時間が必要で、相手についていろいろ知ることができてはじめて、距離を縮めて仲良くなってみようと心が動きはじめる傾向がある。試しに眉毛の高い人を見つけたら、急に近くに寄っていってみて下さい。きっとその人は、ある一定の距離を超えた瞬間に、びっくりして逃げ腰になってしまうでだろう。但し眉毛の高い人にとって、それはかなり恐ろしいことなので、嫌われて二度と口を聞いてもらえなくなってしまうかもしれない。尤もこれは初めて会う人や、知り合ってまだ間もない人に対して言えることで、親しい人の場合にはこの法則も当てはまらないだろう。
逆に眉毛の高い人の方が、とても親密な良い人間関係を持っていることが多いという。ここで認識すべきことは、どんな特徴にもプラスの面とマイナスに見える面があるということである。眉毛の高い人は、とても親密でいい人間関係をつくるというプラス面があるが、親しくなるまでには少し時間がかかるというマイナス面もある。特徴自体には、いい悪いというものはなくて、その人がどんな時に存分に自分の能力を発揮できるか、一番安心できるのはどんな状況なのかということの傾向を教えてくれているに過ぎない。
従ってそれを知って活かすようにできれば、つまりいつも自分自身であることができれば、どんな顔の人だって本当に楽しくて充実した人生を送ることができる。ところが、悲しいことにそれぞれのマイナスに思えるような傾向が、顔を覗かせる瞬間もある。それはストレスを感じた時である。ストレスとは本能的に恐怖を感じたときに身を守るために必要な反応故、致し方ないことなのだが。眉毛の高い人にとっては、その大きなストレス状態が、初対面の人と出会った時だということも知れば、今までと違った対処もできよう。
背 幽玄を透過し揺れるは己の背。憎悪は決壊と抱きあった。扇を目に当て寄せし声。はらりと舞う葉重なる気。遠目に消ゆる背なれど、別離の恐怖は生まれない。星のない夜に、この空虚なる常の世を憎んで渡る。言葉の種は好きなだけ、放り投げるは嘘の笑み。無理を生じて重みの汗が流れる。地団駄踏む影は優しい。浴びせし白の風景詩。鉛筆の先を見た脳は興奮し、自分の物差しで悦楽を呼ぼうと、瞳に汗かき物を隠す。
手 お前の両の手で掴んだ物はお前の欲しかった物か。お前のその手に掴んだ物は求めていた物か。生まれた赤子の握りこぶしの小さな握りこぶしの中に何を掴んでいるか知っているか。お前が眼をぎらつかせ、伸ばした指は何を掴もうとしているのか。 握ってしまった小さな面積で、掴める物はなんなのだろうか。お前が振り上げた拳の中に、何を掴んで殴りつけようとしているのか。その拳の中に お前は知っているのか。お前が自分を可哀想だと思ってるうちは、誰もお前を救えない。お前が救ってあげようと思ってるうちは、お前は誰も救えない。お前一体何がしたいんだ。生きて幸せだと笑いたくはないのか。お前はお前を見ていない。
彫金師の指 きらきら光る鼠色。少し前まで熱を帯びていた、私が知っているその指はこの左耳の羽根を紡ぎだした 。いつだったか君にイミテーションの指輪を造って単純に喜んでくれたね。Gが交差するあの指輪。輪郭をなぞるこの指は、純銀から空気の振動に浮気して、根っこのところで絡まっている。
うんこ うんこがすごく液状化現象おこしていて、屁をこいたら思い切り下痢が出た。慌ててパンツをコンビニに買いに走った。その日は私一人しかいない日だったので誰にもばれずにすんだ。糞まみれのパンツはすぐに外のゴミ箱に捨てた。私は毎日、何をいくらで買ったかを手帳に付けてるのだが、手帳のこの日のところに「パンツ 607円」と書いてあるの見ると切なくなる。
薔薇 不思議な願望。心から願っていないは確か。心では願わない力、脳では欲している力。言葉が少ない意味のない願望がふつふつとふつふつと湧き出てくる。無意識しかし意図的で今日もパンを持つ片手が空いたから、自転車に乗って薔薇を買いに行こう。骨董めいた花瓶に挿して、美しいものを称賛しよう。
ゆるやかな斜面をなでる振りして転がる夕陽と風。私の恋は隠しても何気ない対話の中で見抜かれる。 いつからが夜なのか。どこまで影は大きく伸びてどこで死ぬのか。冬が扉を叩く東京、音も立てずすすり泣く。私は倒れ、また歩み、やがて向きを変え、夕陽の中で薔薇のとげを抜く。今まさに自由の世界を見つけた。全てに縛られず、解放の鐘が鳴らせられる。
柊 柊の樹がただここに立っていたから、何もないここで君を見守る楓になると私は願った。さよならの季節はただ通り過ぎて待つから、ただここで全てがあった此処で見透かした嘘を笑うように私は笑った。まだ忘れずに濡らす頬は乾いてしまった。ここで私は君を創造から切り離す誠意を奮い誓う。
猫 冷たい秋雨の降った、あの日。私は道端で彼女に出会った。「捨て猫か」。見なかったことにして、足早に通り過ぎようかと思った。「にゃー…」。「………」。その体が、小刻みにふるえているのを見てしまったから。その姿が、記憶の底の何かにちくりと刺さったから。 両腕で抱きかかえるようにして、俺は彼女を連れて帰った。 この日から、猫との生活は始まった。びしょ濡れになった身体を、タオルで拭いてあげる。猫は、目を細めて喜んでいるようだった。
「奇麗だな」。真っ黒な毛皮が、蛍光灯の光を反射してつやつやと輝く。私はいつかどこかで、こんな女の子に会ったような。しかしそんな記憶はない。とりあえず私は猫を持ち上げて、大切なことを確認してみた。「ふにゃっにゃっ」。「ふーん。君は、女の子か。じゃあ、名前は…」。「……」。「かえで…うん、なんだかよく分からないけど、君には『楓』がぴったりだ。そんな気がする」。この猫、結構わがままだ。特売200グラム増量のキャットフードには見向きもしてくれない。「ほら、サンマ買ってきたぞ、かえで」。「にゃー」。
猫は友情など求めない。猫が欲してやまないものは快適さ。うたたねしたり、毛づくろいしたり、あくびをしたり。物凄く侘びている、寂びてもいる、大変な風情もある。一期一会だ。猫と暮らして他力的な世界で遊ぶようになった。人間は頭が発達しすぎて、その発達は自力的な方へ向かうのかな。得がたい不本意で導入された猫によって引っ掻かれて、自分の頭の中の断熱材までのぞくうちに「まっ、いいか〜」という他力の思いに行き着いた。何の因果かまるで働きのない猫のお世話をする。
ちょっとだけ寂しい秋の午後。かえでの大きな青い眼が、どきどきするような光沢をはなって私を見ている。猫の毛のやわらかな手触りと、温もり。それから重さ。まるで毛皮のすぐ内側に、静かに呼吸する内臓をくるんだような量感。ああ神様、私の願いを一つ聞いて下さい。ああ猫の言葉が聞きたい。夜も眠れない。君の青い瞳見つめて、その黒髪をそっと撫でた。しかし君は私につめを立てる憎らしいidol。君はいつも知らんぷり。ああムシ暑い夜はお願いだからベットに来ないでおくれ。ああ私達の摩擦係数は高すぎる。君の青い瞳見つめて、その全てを許してしまう。君は私の部屋に足跡をベタベタ残す。ああ冬が過ぎ、また夏が来る。脱ぎ捨てた君の冬毛に涙する。
牛や豚 牛や豚が人間に食べられるためだけに地上に存在するというのは、生命に対する冒涜である。人間よりもう一段上の生き物がいたら、こんな人間の思い上がりを許すわけがない。他の小鳥を全滅させるほどまで増えすぎた東京のカラスを、人間がカラスは増えすぎだ、何とかしようと考えるように。
両生類 気持ち悪くないっていえば嘘になるが、両生類には爬虫類にも哺乳類にもない特殊な力があるような気がする。俗に言う「癒し系」という奴かなあ。とりあえず、両生類はマークしておいた方がいい。第2次両生類旋風が来るかもしれない。窓に張り付くのはヤモリ。イモリは両生類だから水辺にいる。トカゲに似てて結構カワイイ。
画家 不正直なお前が鼻高々に色を塗る。神に選ばれた画家の振りをして。黒いキャンバスに色を塗る。素晴らしいと言って欲しいのか、美しいといって欲しいのか。黒い、どこまでも黒い。お前の上に鮮やかな色彩をぶちまけて、お前は誇らしげに謙遜する。肯定と否定を弄び、総ての色を司れると胸を張って塗りたくる。お前の後ろに闇が見えるよ。お前の醜い誇りが見えるよ。その艶やかに彩られた美しい色彩の調和は見るに耐えない素晴らしさだ。お前の真実が薄ら寒く微笑んでいる。
陶芸 陶芸は凄く集中できる。陶芸をしている時間は日常の嫌なことも頭から綺麗になくなっている。そう言う集中の仕方は最近ずっとしていなかったような気がする。初めて作った湯のみは現在も愛用している。今度は盛り皿を作りたい。私はきちんとデザインを予め用意して、ラフスケッチを描き、それに近い作品を作ろうとしている。しかしいつも全然違うものが出来上がってしまう。今は素朴なあまり手のかかってないような皿に少し料理を載せるのが雑誌「ミセス」「家庭画報」に紹介されているせいか、ろくろできちっとした形より、癒し系っぽい、いびつな器が人気がある。因みに私はろくろでやっても、下手なので癒し系ばかり(^^;;;。
歌 手招きされるがままに乗り込んだ日常。干からびた心が潤いを取り戻すラフな関係。乗り換えられないよ。歌うことで救われるのなら永遠を歌おう。黙っていないで、よそ見しないで、大きな声で、例のヤツを一緒に歌おう。
あみぐるみ あみぐるみを作り始めてから、最初はアクリルなんかの並太毛糸を使っていたが、最近は変わり糸で編むのに凝っている。色々な種類の毛糸を見ているだけで幸せになる。
ビーズ 最近TVを見ていても、女性出演の首元にばっかり目が行く。ビーズのアクセサリでもしていようものなら、目を凝らして、編み方をインプットしようとしてる自分が少し怖い。ビーズでピアス作るのは難しい。ブラ〜ンと揺れて垂れ下がるタイプのはピン曲げさえ上手くなれば簡単に作れそうだが、垂れ下がらなくて耳にピッタリ付くタイプのを作りたくて困っている。半ドームモチーフを皿にボンドでくっつけたいのだが上手くできない。ドームの中が空いているからくっつけようがない。やはり空洞の中にビーズ入れて無理矢理ボンドでべったり接着するしかないのだろうか。楽しい瞬間を集め合わせてネックレスが少しずつ出来ていく。
テレカ 磁気カードが使用禁止になってもコレクターや専門店が死蔵している分、トレーディングカード同様、変わらず取引されると思う。ただ、使用禁止になる直前に額割れで扱っている金券屋がどう動くのかが気になる。磁気式テレカの廃止まで、1年半か2年かそのようなものかもしれない。額割れ相場の下落が、磁気式テレカの命運を象徴してると感じている。消費税込みで50度は105円、105度は210円の交換手数料を徴収して、ICテレカに交換。磁気式テレカは没収。NTTの約款には問題なし。NTTの報道発表があれば相場は更に下落しよう。
トレーディングカード Yahoo!オークションで、トレカの未開封のものを売っている人がいた。あれはボックスで買って1つ開けてみたらそれがレアカードだったので、残りはカスだろうと思って開封しないで売りに出しているパターンなのだろう。
石鹸 ひまわり油で石鹸を作ってみた。マリーゴールドインフューズ、オレンジフラワーティで微妙に茶色のオレンジ石鹸に仕上がった。酸化は今のところ大丈夫そうである。ココ、コメ油、ウォルナッツ石鹸の型出しした。蜂蜜を入れるとスポンと型から出る。いつも苦労して出していたから驚いた。肝心の石鹸は保温中に高温になったせいか、見事にジェル化して、色もそのまんまという感じである。オイルのせいか随分柔らかいし、卵の小さいつぶつぶがある。香りつけに使ったベンゾインがほのかに香ってまるで黒糖蒸しパンのようである。
石 昔から川原石とかガラスの破片とか好きで集めてたので、石や水晶にはかなりわくわくする。雑貨屋あたりで200円程度で売ってる塊を集めてほくほくしている程度だが、世の中の価値と自分の中の価値は全然別のものである。石のことを知識として色々知ってしまうと、この程度ではお宝ではないかもと思ってしまいがちだが、キラキラして綺麗で、見てるだけで幸せになることに変わりはない。そもそも希少性で値段がつくのは私にはあまり関係がない。トレジャーストーンは大人でも結構買っている。尤も出始めの頃よりは人気が落ちただろう。ファイルに綴じても見難い。重くて大きくて、頻繁に見る気になれない。ついている石もちゃち過ぎる気もする。
黒真珠 黒真珠というからには、やっぱり色は黒だと思われるかもしれないがそうとは限らない。もちろん黒いものもあるが、ブルー系、レッド系、ブラウン系、イエロー系等、様々な色の黒真珠があり、それらの中間色を入れると限りないバリエーションが存在する。これは黒真珠の母貝である黒蝶貝が持つ色素によるもので、それぞれの貝の個性や環境により真珠の色が変わる。ピーコックカラーとはグリーン系の黒真珠で光を当てるとまさに孔雀の羽のように赤や緑、青、紫等、様々な色の輝きを放つ真珠のことで、黒真珠のなかでも最高級のもの。
主にタヒチで取れる天然の黒真珠の他に、和珠のあこや真珠に着色した、染めと呼ばれる黒真珠もある。和珠で天然の黒というのはほとんどないので、和珠の黒真珠といえば、まず染めと思ってよい。最近ではピーコックカラーを染めで再現する技術も開発されている。この加工は一般的に行われているもので、染めであるから価値が落ちるとか、にせものであるというわけではない。無論、天然色の黒蝶真珠であるのか、和珠の染めなのかを知った上で、お買い求めになった方がよい。
最近私は夢占いにハマっている。しかし本によって同じ夢でも内容が全く違うものがある。実際のところ夢とは何だろう。恋も仕事も好調モード。よく働きよく遊び、とても健康的な毎日になる。ラッキーーフードは赤ピーマン。幸運の波乗りのチャンス。アイディアを積極的に提案すると来週の後半にうれしい結果が得られる暗示があった。早トチリに注意。聞き違い、うっかりが連発してしまう。ジャスミンティーで心を落ち着けるといい。ラッキーカラーはゴールド。早朝の湖はとても神秘的で心が落ち着く空間。そんなのどかな湖畔を、ランニングしよう。運動で頭をすっきりして、大自然の神秘に包まれ、気分爽快に。
陰陽五行説 陰陽説と五行説とから成り立っている。陰陽説は天と地が最初に別れたように、物事にはすべて対になるものがあるとする。宇宙や世界はすべて陰と陽から成り立っている。男女の関係に当てはめると、まず男に女、女に男というように対称の関係にある。これを対峙といい、相手に惹かれ合いつきあい始めてからは、お互いの力関係を探り、調和を図っていく。男(陽)女(陰)、太陽(陽)月(陰)。
五行説は木火土金水いう五行から万物が成り立っており、水が木を育て、木が盛んになって火を生じ、木が火によって燃えて土となり、土は固まって鉱物である金になり、金は冷えて水を生じるといったように順に生じて流れていくと考える。
古来より、龍は厄難を祓い、成功と繁栄をもたらす善神として崇められてきた。風水において「龍」とは、気のエネルギーの流れ(運気)そのものを表す。中でも黄金龍は他の龍より、二本多い”五本爪”で、皇帝を意味し最高位の龍である。東西南北の中心に君臨し、最高の運気の源である”龍脈”を司る。最強のパワーで災いを断ち、守護し、金運、人運、達成運、発展運、家運などあらゆる最高の幸運をもたらし、成功と繁栄へと導くとされている。
シーサー 沖縄での、除災招福を導くとされる魔除けのシンボル。獅子の代名詞としても使われ、形もそれに模したものが多い。屋根の上や門柱の上に置かれる。昔は石だが、今は、陶器、しっくい、木彫りなど多彩な種類がある。そのルーツはエジプトのスフィンクスとも言われる。適切な英語表記は定まっていない模様。
金銭感覚チェック 想像してみて下さい。目の前にお金持ちそうな男性がいる。上質なスーツに身を包み、年齢は35〜40歳。もちろん、高級ブランドの時計にピカピカに磨かれた靴…。どこから見てもリッチマンのスーツのポケットは何故かパンパンだった。パンパンに膨らんだポケットに入っているものは一体何だろう。1.分厚い札束。2.クレジットカード etc. 3.業界人、有名人の名刺or連絡先が記されたアドレス帳。4.メモやレシート、ガムの包み紙etc.ゴミの数々。
あなたが想像したリッチマンはサクセスした時のあなたの姿、ポケットお金・財産を表す。パンパンに膨らんだポケットの中身であなたの金銭感覚をチェックする。1は金銭感覚はわりと堅実的。きちんと貯金をして、本当に使いたいところでお金を使う。2はギャンブル好きで浪費家。ギャンブルにせっかく築き上げた財産をも投資してしまうかも…といった危険な側面を持っている。3は虚栄心が強く、見栄っ張り。いつも楽して得をしよう…そんな考えが見え隠れしている。派手好きなので浪費も多く、気づいたら借金だらけ…ということも。4ははっきり言ってしまえばケチ。貧乏性と庶民性が抜けきらず、ギャンブルで大失敗することもなければ、優雅な香りがしないのも特徴。
幽霊 古アパートに入居した。深夜、腰まで髪を伸ばした女が、枕もとに立って私を睨んでいた。よく見たら首に縄の跡があり、目玉と舌が飛び出した。勝手に自殺したのに、敷賃はらって入居した正当な人間を脅そうとする。しかも「ここは私の部屋…」と言っている。部屋借りてそこで死ねば自分のものになるのだろうか。出ていかないならば呪う、とブツブツ言っていた。誰だって死ねば幽霊になるから、全然特別ではない。幽霊はもっと殺気立っているべきである。本当に恨みをはらしたいのかと問いたい。憎き相手の心を病ませて病院いれさせたり、自殺させたりする。発狂させるか自殺させるか、そのような雰囲気がいい。ただ脅かすだけは根性なしである。単に幽霊っぽいことをしたいだけだろう。
怪談 祖母の妹に当たる方がC型肝炎で入院していて、彼女本人は病名も知らず、「今度の(私の曾祖母)の7回忌行くからね」とお見舞いに行った母に言った。しかしその言葉叶わず、彼女は亡くなった。その曾祖母の7回忌、お坊さんが来てお経を読んでいたら、玄関のドアがガタガタ音を立てた。理由が分からないまま私と妹が鍵をかけ、仏壇のある和室に戻ると、今度はその部屋の障子が揺れた。障子の向こう側にはガラス戸が有り、それはキチンと閉まっていたし、そんなに風が強かったわけでもない。異質な雰囲気にお坊さんは読経を中断し、更に隣のリビングのドアが揺れ出した時、霊感の強いそのお坊さんが「…(祖母の妹の名前)さん…来てますね」と涙を流しながら言った。とても恐かった。その直後に電話が鳴りその場に居合わせた全員が固まった。が、それは元気な母側の祖父からだった(^^;)。
なんか突然目が覚めて、暑いなと思い、布団をよけようとしたが、なんと、手が動かない。しかし頑張って動かそうとしたら動いた。そんな自分が恐くて、次の日、親にそのことを話したら、「疲れてて動けなかったんじゃない」とキッパリ言われた。そうだったのだろうか。ははは。
確かに不気味な話には違いないが、しかしそもそもそんなことをしてはいけないのではないだろうか、という気がしてしまう。いくら幽霊といっても、呼ばれてもいないのに勝手に人様の写真に参加していいのか、というところが非常にひっかかる。例えば、恋人と旅行に行ったとして、旅先で取ったスナップに、そこにいないはずの別の友人が映りこんでいたらやはりいい気分はしないだろう。「何のつもりだね」と言いたくなってしまおう。
人様の写真に勝手に写りこむくらいなのだから、彼らはきっと幽霊界でも相当のミーハーとして名の通った人々かもしれないが、やはり無断で人様の大切な記念写真に写りこむなどということは迷惑防止条例違反ではないのだろうか。例え彼らが本当に幽霊だとしても、だからといって、人様の写真に勝手に写ってもいいという理由にはならない。だから、偶然心霊写真が撮れてしまったとしても無闇に怖がる必要など全くない。
花と地雷 長らく私は埋まったままだ 味気のない土といっしょに埋まっている。私が外に出られるのは誰かが私を踏んだ時、しかも一瞬だけ。朝から私の頭が妙にムズムズする。頭の方から声がする。「こんにちは。私は花。風にのって飛んできて、今日やっと咲いたの」。お喋り好きな花はいろいろ私に世間の事を話してくれた。いつしか花と地雷の時間が流れはじめた。
彼方で久しぶりに爆撃の音がする。ずっと続いた。花も震えている。そのうち夕方になり、今度は銃の音に変わった。一人の兵士がこちらに走ってくる。全身血まみれの悪魔のようなヤツが走ってくる。言葉にならない声と共に私を踏もうとする。「死ね。花よサラバ」。兵士は足をあげたままこちらを見ていた。しかも安堵の表情で。足をゆっくり右へそらし十字を切って走りさった。花は歌っている。今日もうれしそうに。私と花は一緒に生きている。本当に僅かな気まぐれと偶然の狭間で。
たった一つの自我を組み立てるために大人達からもらった設計図。その紙が強く雨に打たれ、書き込んだインクはにじみ、今にも破けそうな切ない感触に、闇夜を切り裂いた三日月に似た、ヒンヤリとした痛みを覚えた。赤黒い血の色をしたインクは、光の粒さえも届かないこの夜に同化しているようだった。50年程前に生殺しされた、凡庸なロボット達の視覚機能に映っていた亡霊という幻覚さえまだ私と君の遺伝子が憶えていることを、事実が暗に指摘する。
それをただこうして雨を避け、闇夜に隠れている僅かな隙間さえも神はお許しにならない。深い闇の中では私達の影さえなく雨粒が大地をこすりつける音とお経と、黒だけが真実のように思えた。この20世紀末の6月の戦場で人を殺すだけの紙で出来たナイフの束と、金属製の武器を手にした愚かな戦士達は、その罪に気が付いた時には僕と同じように首をくくって自我を失うことだろう。そして全てを洗い流す雨だけが、彼らの設計図を打ち抜いてくれる。
地獄への階段 球面の上の葉脈。ロビーの片隅。誰か気付くだろうと片目だけ出して見ていた。ほどなく到着する戦闘機。爆音は噴水のノイズ。気になるほど素直ではない。隣の家の洗濯物ほど軽くない。いい日旅立ち、いつもあなたが言っていた。あなたがそうするならば、私はいつでも舌を噛む。ここぞとばかりに茨の道の潤滑油。見つけたばかりの眼鏡橋。いつでもどこでも醤油は持参。床に拭き残しがある。袖で綺麗にしよう。充分に削る。這う、追う、構える、撃つ、ぽん。10数えたら飛び出そう。そしてさあ上がろう。ここはよいとこ、地獄への階段。降りるだけが正解ではない。踊り場では止まらない。
鉄格子 冷たい鉄格子の中で私は生きてきた。毎日聞こえる叫哭に私自身も発狂してしまう。ある日、目の前に男が現れ、こうつぶやいた。「今夜は犬鍋ダ」。