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不戦、平和主義

過去の戦争を理解し反省するために、私達がすべきことはたくさんある。現在の戦争を終結させるために、私達にできることはたくさんある。未来の戦争を避けるために、私達にできることは必ずある。真実を求めよう。そして立ち上がろう。

全世界から軍隊などの戦闘集団がなくなれば戦争は発生しない。平和を得るために価値観の違う人達を力で抑えるようなことをするなら、結果平和になったとしてもそれは平和主義とは言えない。力で抑えられた方は平和ではない。管理、束縛された「平和」は平和とは呼べない。飼いならすになる。「中ソいずれかの国が過去50年間に日本を侵略しようとするなどという可能性があったであろうか。私は、微塵もなかったと思う」(都留重人・日米安保解消への道(岩波書店1996)65)。

日本のような先進国が平和主義を実践するのは世界の軍拡の抑止力として大きな意味がある。無意味な衝突を極力避けてきたので争いになりにくい。世界が平和になるキッカケになりうる。自国が軍拡をしなかったことは、他国の軍拡へのインセンティブを失わせる。結果、無駄な戦争が起こりにくくなる。平和憲法と非戦争の循環は、日本にとっても他国にとってもお互いに好都合である。文化、生活、経済に専念できる。「一国の資源のより多くの部分を軍備増強など安全確保の用途に振り分けることは、他方で資本財の生産などパイの拡大につながる用途への資源振り分けをますます減らすことを意味する」(遠藤崇浩「地域経済統合の政治学的分析」法学政治学論究49(2001)228)。


戦争 戦争に行きたくないから反戦、死にたくないから反戦、殺したくないから反戦、当然のことである。当然の感覚を失わないようしたい。「戦争はいけない、平和が人類の望みだ」ということは自明の理のように思われるが、日本の侵略戦争を聖戦と正当化し現憲法においてさえ軍隊を持とうとする人々、ネオナチや右翼等もいるということを忘れてはならない。又、金儲けのために戦争を支援する人も存在する。しかも怖いのは容易に戦争の加害者に簡単になりうるということだ。国の風潮が特定の国を「敵視」し、それが声高に叫ばれ出したら、果たして自分は敵視しないでいられるだろうか。日本人は神の民族で、例えば中国人は三国人だ、等と政治家やマスメディアが唱え始めたら、その通りと思ってしまいかねない。

実際、北朝鮮のミサイル(人工衛星打ち上げ)事件に対して北朝鮮に対して敵対感情を抱いた人は多いだろうし、マスメディアの誤った報道のままに、松本サリン事件のときに無実の人を糾弾した覚えがあるからだ。誰かの煽動によって、周りの流れによって、人間は自分を「正義」だと思い、残虐な行為に鈍感になるのだろう。大事なのはどんな状況においても変わらない人間としての価値観、良心を確立することだと思う。そのためには悲惨な過去を深く学んでおくべきだ。そうすればそのような悲惨なことは繰り返すまいとして、流れに逆らえる人間になれるのではないか。


立法過程 「日本国憲法には第2章第9条『戦争の放棄』規定がおかれることになり、現在のみならず将来にわたって一切の軍備が禁止されたものと理解された」(長谷川正安「自衛権と『防衛力』および『戦力』との関係」法教2期2号(1973)18)。「この規定が、日本の一切の軍備を否定していること、したがって自衛・侵略をとわず一切の戦争が不可能になること、しかも、国際法上みとめられている、交戦者としての権利まで念を入れて否定していることは、立法過程をみればほぼ疑いなかった」(長谷川正安・日本の憲法(岩波1957)90)。

日本国憲法の「原案となったマッカーサー・ノートには、『自らの安全保持のためでさえ』軍事力を保持できないと書かれ、自衛戦争すらできないような表現になっていた」(李明贊「冷戦後日本の安全保障政策における4つの路線」法学政治学論究51(2001)77)。「近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於て行われたることは顕著な事実であります。故に正当防衛健を認むることが偶々戦争を誘発する所以であると思うのであります」(野坂参三に対する吉田茂答弁、衆院本会議1946.6.28)。「『自存自衛』のための軍事力の大量投入の結果が国土の破滅であり、国民の窮乏化であった」(田中明彦・安全保障(読売新聞社1997)16)。


学説 「政府のいう『自衛行動』も実力的な戦闘行動として戦争ないし武力行使にほかならず、憲法9条が自衛目的のいかんを問わずそれを一切禁止し、交戦権を無条件的に否認することは、学説上一般に認められている」(隅野隆徳「日米安保体制」ジュリスト638(1977)134)。「共同軍事行動による戦争ないし武力行使が、駐留軍についても、憲法の平和主義に反するものとして第9条によって一切否定されていることは明らかである」(隅野隆徳「安保条約と憲法9条」法教2期5号(1974)111)。

「第3章に規定する自由や人権は、戦争と軍事協力義務との関係で制限された歴史的事実を見れば、戦争放棄と軍備禁止の第9条は、国民を戦争協力、国防協力義務から解放し、国土の富と税金や人的の力全てを、戦争と軍備のない、自由で豊かで平和な社会と国家の建設にだけ用いうる権利を保障したことを意味する」(星野安三郎「前文の効力と平和的生存権」法教2期7号(1975)107)。

「日本国憲法が想定する安全保障は、特定の仮想敵国を前提としない、『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し』たものであり、手段のレベルで軍事的選択肢を放棄したところに特徴がある。軍事を前提とした同盟関係を予定しておらず、特定国家との軍事同盟は、憲法の容認するところではない」(水島朝穂「『力の政策』が公然化してゆく−危険な日米軍事同盟への道」世界641(1997)22)。「現行憲法は『戦争放棄の憲法』だから、その憲法の範囲内で"戦争のための法律・制度"など、作れるはずがない」(前田寿夫「解説−ガイドラインとは」世界641(1997)78)。

「日本国憲法は国家が必ずしも国民を守るものではあり得ないという考え方を、世界で初めて平時だけではなく戦時にも徹底して持つに至りました」「日本国憲法の考え方では、戦争や軍隊によっては国家は国民を守ることはできない」(浦部法穂=常岡(乗本)せつ子「平和主義」法セミ555(2001)38(常岡))。

「自衛隊や日米安保条約の存在は、『力によらない平和の維持』の9条の直接の要請から否定される。同時にあらゆる戦争が個人の尊重や人権保障や立憲民主主義と対立するという点が明らかにされるべきであろう」(植野妙実子「永久平和主義と国際協調主義」法セミ561(2001)95)。「集団的自衛権の行使を禁じた憲法との関係からテロ特措法自体に大きな疑問が残る」(「自衛艦出港*実績づくりをなぜ急ぐ」北海道新聞2001.11.10)。


日米安保条約 「日本国政府の安保条約・地位協定に対する姿勢を省みると、米国政府によって仕掛けられる交渉ゲームに乗せられて、結局、その力関係にひれ伏せられ続けてきた」(本間浩「平時から『有事』に転換する仕組み」世界700(2002)224)。「日米地位協定と安保特例法によって継続的に押し付けられる基地活動という名の治外法権こそ、周辺住民にとりわけひどく、しかし全国民にひとしくのしかかってくる"日米同盟"の現実なのである。それをおぎなうにたる安心感を、わたしたちは受けているのだろうか」(前田哲男「何のための『有事法制』か」世界700(2002)225)。「自衛隊は日本のシビリアン・コントロールではなく、米国のコントロール下にある『小さなアメリカ軍』を体現させ、『米国の米国による米国のための『自衛隊』』を完成させた」(川邊克朗「忘れられたシビリアン・コントロール」世界700(2002)238)。

シーレーン防衛 米ソ冷戦下の80年代に、日本と米国が合意した「シーレーン防衛」の共同訓練で、海上自衛隊の護衛艦や対潜哨戒機P3Cが米空母機動部隊の一部を構成し、直接米空母を護衛する役割を担っていたことが、米軍の機密解除文書などで明らかになった。米空母機動部隊は攻撃の主要部隊で、日本は憲法で禁じた集団的自衛権の行使に事実上踏み込む形で、米戦略を補完していた(「84年共同訓練、海自艦が米空母護衛 集団自衛権に抵触」朝日新聞2001.9.4)。日本はアメリカの要請したシ―レ―ン防衛を憲法を盾にあくまで拒否すべきだった。これをアメリカに対してやれば日本はそれが建前上の平和主義にしても一本筋の通った国となる。中国韓国からも好印象を持たれるし世界もその平和主義を認めるだろう。外交的なスタンスも対米追随とは一味違ったものに成ったはずである。

沖縄米軍基地 米軍基地への反対運動は従来からあるが、一方で基地存続派は雇用の場を提供する基地が必要と主張しており、この見解がそれなりに受け入れられているのも現状である。まるで平和、安全か雇用かという二者択一の問題であるかのように論じられる傾向があった。しかし沖縄経済の柱として観光産業があるが、沖縄への観光客は同時多発テロ以来激減している。それは米軍基地の集中する沖縄はテロの標的となりやすく危険と判断されたためである。「沖縄観光の激減によって拍車のかかる県内失業率の悪化。これらは、航空機に対する不安に根ざしているのではなく、沖縄に集中的に存在する米軍基地が原因であることは明らかだ」(吉田悦子「いつの間に『戦争』当事国」法セミ566(2002))。基地の存在は県民の安全を脅かすだけでなく、経済も悪化させている。

日本人の戦争責任

ナショナリストは自分自身に誇りが持てないから、その代償として事実を歪曲してまでも「日本の誇り」に喜んでいる。ラウ・ドイツ大統領は「ドイツ人であることをうれしく思ったり、感謝したりすることはできるが、誇りに思うというのは、自分自身が達成したことに対して言うものであって、ドイツ人であることを誇りに思うことはできない」と発言した(三好範英「『ドイツ人である誇り』論争」読売新聞2001.5.23)。愛国というものはインチキである。世の中そんな奴誰一人としていないと思う。これこそ偽善である。

「慰安所のシステムを作ったのは日本軍であり、日本政府が国家の責任として、真相究明や謝罪、個人への補償、加害者への処罰をするべきである。しかしそうだからといって、個々の兵士が免責されるとは思わない。…慰安所に行くことは個々人が選択し決断した行為である」(池田恵理子、大越愛子、VAWW-NET Japan編『加害の精神構造と戦後責任 (日本軍性奴隷制を裁く―2000年女性国際戦犯法廷の記録) 』緑岡出版、2000年、144)。

南京大虐殺

南京大虐殺は歴史上最も残酷な出来事の一つである。日中戦争の最中の1937年12月、日本軍は当時の中国の国民党政権の首都だった南京を侵略した。その後の一カ月余りに南京市内で中国人の民間人を30万以上も虐殺し、数万人を強姦した。しかし南京大虐殺は日本では政府当局によって隠蔽され、歴史教育からも意図的に外されたため、全く認識していない日本人も少なくない。

日本側は南京の中国人を皆殺しにするという方針を事前に決め、そのことは昭和天皇から直接に任命された朝香宮上海派遣軍司令官が南京攻撃前に署名した命令に明記していたと指摘される(チャン『レイプ・オブ・南京』)。ナチスのホロコーストと並べて、太平洋のホロコーストとも主張される。共に組織的、計画的、かつ政府組織をあげての一民族絶滅を意図する殺人行為とする。

「南京大虐殺という歴史の根深さ―七十年たっても、広い太平洋の対岸で「日本」「軍」が起こした事件を、まるで我が非であるかのように突きつけられるのが、アメリカで生きるということでもある」(デイ多佳子『観光コースでないシカゴ・イリノイ』高文研、2008年、94頁)。

日本軍、フィリピン人多数を生きたまま解剖

第二次大戦末期、フィリピン・ミンダナオ島で日本軍が現地住民を生きたまま解剖したことがあるとの証言がなされた。証言者は負傷兵の治療等に当たっていた元上等衛生兵曹の牧野明さん(84、大阪府枚方市)である。戦時中の生体解剖は旧満州(現中国東北部)の生物戦部隊「関東軍731部隊」が中国人に行った例が知られているが、専門家によるとフィリピンに関する証言は初めてという。

牧野さんは海軍第33警備隊の医務隊に所属。1944年8月から同島西部のサンボアンガ航空基地で負傷兵の治療等に当たった。医務隊は30代の軍医(大尉)を筆頭に、補佐役の牧野さんら三十数人がいた。牧野さんによると、解剖は同年12月から、米軍のスパイと疑われた住民(捕虜)に対し、基地内の病院で行われた。軍医の指示を受けながら二人で執刀。麻酔をかけた上で、10分〜3時間かけて、手足の切断や血管縫合、開腹手術等をした。解剖中は部下が助手や見張りをした。

米軍上陸直前の45年2月まで3日〜2週間毎に行われ、犠牲者は記憶しているだけで50人に上るという。遺体は部下が医務隊以外に知られないように運び出して埋めた。牧野さんの部下だった80代の男性は「かわいそうで解剖には立ち会わなかったが、(何が行われていたかは)仲間に聞いて知っていた。遺体も見た」と話す(久木田照子「<生体解剖>フィリピンでも 大戦末期 元衛生兵が証言」毎日新聞2006年10月19日)。

従軍慰安婦(性的奴隷)

従軍慰安婦(性的奴隷)問題は日本政府が認め、責任を負うべき歴史の事実である。日本軍は1930年代から第二次世界大戦全体を通じて、アジア各地や太平洋諸島で若い女性を性的奉仕の目的のみに獲得することを公式に命じた。第二次世界大戦中、多数の15歳の少女たちが日本軍の数知れない男たちによる拷問と強姦に何週間も、何カ月間も、何年間も、課せられた。20万人以上もの女性がその種の拷問の苦痛を味わわされた。 歴史事実を歪めることによって恥をかくのは日本政府である。慰安婦などの歴史問題は日本側が見解を改めるような強硬な態度をとるからこそ、外国は非難する。日本政府は一刻も早く従軍慰安婦問題を基本的人権と女性の尊厳の問題として捉え直し、歴史を直視して、歴史の過ちを謙虚に反省、謝罪すべきである。

日本政府は日本軍の強制売春システムへの関与に対して、犠牲者全てへの国会での公式かつ誠意ある謝罪の表明を含む全面的な責任をとること、そして影響を受けた関係者への対応を和解の精神に基づいて継続すべきである。日本政府は日本軍のための慰安婦の性的な奴隷化や人身売買は実在しなかったとするような主張は明確かつ公的に否定しなければならない。

日本政府は、自ら証拠隠滅しておいて強制連行の証拠はないと主張する。敗戦時に、証拠隠滅のための大規模な公文書焼却が行われたことからすれば、文書による証拠がないことを理由に元慰安婦の証言を否定する資格はない。

安倍首相の従軍慰安婦(性的奴隷)関連発言に反発

安倍晋三首相の従軍慰安婦(性的奴隷)関連発言が反発されている。安倍晋三首相は旧日本軍による慰安婦の強制連行を裏付ける証拠はないと述べた。これは「拉致問題は解決済み」という北朝鮮の不誠実極まりない態度より、もっと不誠実である。北朝鮮は拉致問題の存在を認めた上で解決済みと主張する。

これ対して安倍首相は被害者の存在すら否定する。焼け野原から経済大国にするような前に進むことしか出来ない愚かな連中の真似をしろと言うのだろうか。安倍晋三に拉致問題解決の当事者能力は皆無である。従軍慰安婦問題で反省ができないならば、北朝鮮の拉致を糾弾する資格がない。

米国を訪れている韓国の宋旻淳外交通商相は2007年3月2日、ワシントン市内で講演し、「未来志向の韓国と日本の関係を構築する上で有益でない」と批判した。韓国の外交通商省は同月3日、「歴史的な真実をごまかそうとするもので強い遺憾を表明する」との論評を発表した。

拉致解決に固執すれば日米歩調に乱れ

米タイム誌(電子版)は8日、北朝鮮による拉致問題に対する日本の対応について、「安倍首相が一切の譲歩を拒否すれば、日朝間の離反が続き、北朝鮮への積極対応に転じた同盟国・米国との歩調にも乱れが生じる」と報じた(「「拉致解決に固執すれば日米歩調に乱れ」…米タイム誌」読売新聞2007年3月10日)。

記事は、安倍政権が拉致問題で進展がない限り、北朝鮮との国交正常化や対北朝鮮支援はないと明言していることについて、「核計画より4半世紀前の拉致(の解決)を優先させるのは健全ではない」と指摘。さらに、いわゆる従軍慰安婦問題に言及し、「首相は一握りの日本人の拉致の清算を北朝鮮に求める一方、何百何千と言われる性的奴隷(慰安婦)に対する自国の責任に疑問を投げかけているように見える」として、慰安婦問題が6か国協議での日本の立場にも影響を与えると警告した。

自民党内からも「米国が(安倍政権は)戦争責任を回避しようとする政権ではないかととらえ始めている」(加藤紘一・自民党元幹事長)と、日米関係の今後を懸念する声が出始めた。

安倍晋三首相発言は謝罪になっていない

訪米した安倍晋三首相が米議会指導者との会談で、従軍慰安婦問題に関し「申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」と表明した。これに対し、韓国の通信社・聯合ニュースは2007年4月27日、安倍首相の用いた表現が謝罪のレベルに至っていないと批判的に報道した。

聯合ニュースは米議会筋の話として、安倍首相が「sense of apology」を表明したと指摘。さらに、ワシントンの外交筋を引用し、この表現は英語には存在しないとした上で、「謝罪にははるかに至らないレベル」の発言だと伝えた(「安倍首相「謝罪せず」と報道=韓国」時事通信2007年4月27日)。

強制性否定逆効果で従軍慰安婦決議案採択濃厚

米下院外交委員会が2007年6月26日に採決する従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議案は、賛成多数での可決と、本会議での採択が濃厚となっている。組織的な慰安婦狩りが行われ、慰安婦はセックス・スレイブ(性奴隷)として扱われた。従軍慰安婦問題は20世紀最大の人身売買事件とする。

ここまで支持が拡大した要因の1つに、安倍晋三首相が「狭義の強制性」を否定する論陣を張り、米議員の反感を買ったことが挙げられる。日本の国会議員らによる最近の強制性否定の意見広告が駄目押しとなったとの見方も広がっている(「「強制性否定」が逆効果=採択濃厚の慰安婦決議案−米下院」時事通信2007年6月19日)。

日本兵に足を切られ電気拷問された 慰安婦が証言

「強姦しようとする日本兵に抵抗すると、足をメッタ切りにしました。血まみれになっても痛さにも気づかず“助けて”としがみつきました。しかし容赦のない日本兵は電気による拷問までしました。恐ろしさのあまり叫んだ“お母さん”という声は、今も耳に残っています」

米ハーバード大学ケネディー・スクール(行政大学院)の講義室。さまざまな人種の聴衆約100人がじっと見守る中、時には感情を抑えきれず絶叫に近い声を上げる高齢の韓国人女性の話に耳を傾けた。16歳の時に強制連行され2年間、日本兵の「慰安婦」をさせられたイ・ヨンスさん(79)は、ハーバード大の学生の前で同日、「地獄の日々」を証言した。1944年に強制連行された後、繰り返された無差別な暴行・強姦・拷問の悪夢を60年以上経った今も忘れることができないイさんの叫びに、聴衆は嘆き、目頭を熱くした。

台湾で元従軍慰安婦らが抗議集会

旧日本軍の慰安婦として働かされたとする台湾人女性や支援者ら約70人が終戦記念日(敗戦記念日)の2007年8月15日、台北市内の日本の対台湾窓口、交流協会台北事務所周辺で抗議集会を開いた。

集会には元慰安婦8人が参加。若者を中心とする支援者らとともに、日本政府による公式謝罪と補償を求めた。支援団体によると、台湾の元慰安婦の生存者は25人、平均年齢は86歳になるという。

欧州議会が従軍慰安婦決議採択

欧州連合(EU)欧州議会が採択した従軍慰安婦決議の要旨は次の通り。
 ▽事実認定など
 一、第2次大戦終戦まで日本政府は軍に対する性的労働のため、慰安婦徴用に関与。
 一、20世紀最大の人身売買の1つ。
 一、数十件の訴訟が日本の法廷で棄却。
 一、1993年の河野洋平官房長官、94年の村山富市首相の談話を歓迎。
 一、日本の一部政治家が談話を希薄化、無効化する意見を表明。
 一、日本の一部学校教科書が慰安婦問題を矮小(わいしょう)化。
 ▽対日要求
 一、公式な被害認定、謝罪を行い、明確な形で歴史的、法的な責任を負うことを日本政府に要求。すべての元慰安婦、遺族らへの賠償を要求。
 一、慰安婦問題が存在しないとする主張に対する公式な否定を要求。
 一、日本の国会に賠償請求の障害を除去する立法措置を要求。
 一、日本国民と政府に、自国の歴史を十分に認識することを奨励し、将来にわたる教育を要求。

フィリピン国会、従軍慰安婦で対日非難決議

フィリピン下院の外交委員会は2008年3月11日、日本政府に対して、「従軍慰安婦」と呼ばれる太平洋戦争時の性暴力被害者への公式な謝罪と補償を求める決議案を全会一致で可決した。近く開かれる本会議でも可決される可能性が高く、日本に謝罪を求める同国初の決議となる。同様の決議は2007年に米、カナダ、オランダの各下院と欧州議会で可決され、今回、フィリピンでの審議が本格化するきっかけとなった。

決議案は「日本で最近、93年に河野洋平官房長官(当時)が発表した元慰安婦に対するおわびと反省の談話を薄め、無効にしようとする動きがある」と指摘。日本政府が従軍慰安婦問題に対する責任を公式に認め、謝罪し、被害者に補償することを促すよう比政府に求めた。

日本軍慰安婦と天皇制

日本軍慰安婦は日本の天皇制と深いつながりがあり、連合軍の公娼制およびナチスの強制売春と大別される特殊性があるという論文が発表された。 イ・ヘミさんは、西江(ソガン)大学政治外交学部修士論文『日本軍慰安婦制度の普遍性と特殊性』で第2次大戦で慰安婦として動員された朝鮮人女性たちは“絶対価値”を持った天皇と最も距離が遠い存在と認識され、性奴隷としては当然視されたと主張した。

北朝鮮と戦前日本の類似性
天皇家=金正日親子 
世襲制=世襲制 
全体主義=全体主義 
軍国主義=軍国主義 
欲しがりません勝つまでは=耐久生活 
鬼畜米英=反米 
大本営発表=金日成将軍不敗神話 
万歳!=マンセー! 
治安維持法=国家反逆罪 
菊の紋章タバコ=金日成バッチ 
御真影=巨大な銅像 
近隣諸国に大迷惑=近隣諸国に大迷惑 

暗黒の植民地支配

江華島条約や乙巳条約で国力を奪い侵略を開始した日本は、ハーグ密使事件を口実に、韓国政府各部の次官に日本人を置き、また軍隊の武器を回収して軍隊を解散させた。武断政治を開始した日本は憲兵警察制度を導入し、一般官史はもちろん教員にまで制服を着せて剣を装備させるなど、脅して屈服させた。

植民地とした韓国に日本は本土で生活に窮している日本人を移住させ、韓国民から土地を収奪した。土地所有権を近代的に整理するという名目でわざと複雑な手続きの登録を命じ、農民が登録できないでいるとそのすべての土地を没収した。そのようにして韓国の40パーセント以上もの土地を支配し、日本人を移住させ、土地を無くした農民を彼らの小作人とした。更に貨幣を日本銀行券へと替え、金融も支配した。植民地支配の費用は現地で調達する、という考えから、不当な税金を課したり、略奪を効果的にするために鉄道や道路をつくりその作業を無理やり彼らに課した。そうして産業と資本を崩壊させ、韓国経済を日本の商品を買うための商品市場とした。

3.1運動を前後に日本の食糧事情が悪化して、日本軍は強制的に米を奪った。1920年に総生産量が1270万石で収奪量が185万石であったのが、1926年には収奪量が544万石になり、1933年には870万石にまでなった。韓国民もまた、数々の植民地と同じように豊作でも飢えに苦しむ状態に陥った。更に日本人は韓民族を永久的に奴隷化するために民族性をも抹殺しようとした。学校教育で韓国語の使用を禁止し、日本語の使用を強要した。歴史教育も廃止させ、姓も日本姓に切り替えた。少年、女性までもが危険な前戦や苛酷な労働の工場に動員され、数百万人の人間が苦しめられ死んでいった。

「日本の韓国併合は、歴代総督が天皇直隷の軍人であったことに象徴されるように、軍事的支配を基本とするきわめて暴力的な植民地支配であり、特に1931年以降、中国そしてアジアへの全面的な侵略路線を歩むなかで、徹底した皇民化政策をはかり、創氏改名や強制連行などの、他に例をみない植民地化とアジア侵略の兵站基地化をはかった」(大久保史郎「朝鮮半島の統一と日本の役割」立命館法学261(1998)4)。

青島を植民地化した日本は「青島都市部および工業用地として開発予定の区域に住む中国籍民の土地を半ば強制的に安い価格で売却させていった」(浅田進史「植民地支配期における青島の工業化と貿易構造」三田学会雑誌101巻1号(2008年)93頁)。

強制連行

「第2次世界大戦中には、徴兵によって失われた労働力を補うため、朝鮮半島から約250万人が強制連行され、炭坑、農場、工場で奴隷のように働かされた」(ジョージ・ウエアフリッツ=高山秀子「天皇が結ぶ日韓の縁」News Week(2002.3.20)20)。

「国家と企業の関与という意味では、ドイツと日本の差異はない。強制連行・強制労働は企業や産業界からの要請にはじまり、外国人労働者の強制連行・強制労働は警察と行政の力なしには不可能であった。同時に、残虐な処遇、差別的待遇や暴力支配の関与は警察・行政と配置企業の双方の協力なしには不可能であった」(矢野久「日本の植民地労働者の強制労働」三田学会雑誌100巻4号、2008年、129頁)。

「朝鮮の人たちを軍事目的で強制連行したこと自体が国家的犯罪だったではないか。それは繰り返しアジア各国から指弾され続けてきたことである」(屋嘉比ふみ子『京ガス男女賃金差別裁判 なめたらアカンで! 女の労働』明石書店、2007年、141頁)。


悲惨な日帝支配からの解放 1945(解放)〜1950(朝鮮戦争勃発)まで、米軍政・李承晩政権に対する南での闘争は激烈なものだった。植民地時代の日帝支配機構をそのまま残し、朝鮮人の憎悪の的となっていた植民地時代の親日分子(民族反逆者)の富と権利を保証し、それに不満を持ったり行動を起こす有力人士(左翼・民族主義的右翼)に対しては徹底的な弾圧を加えたからである。戦争中でもないこの5年間の間に農民暴動・労働争議・ゲリラ戦などで犠牲になった人数は10万人にのぼる。

朝鮮戦争勃発当時の李承晩政権は「崩壊寸前」の状態であった(「US News & World Report」1950.7.7)。「国家保安法」により、言論・表現・信教の自由は韓国では認められていなかった。一方北では、解放直後、親日・反民族分子の農地をはじめとする財産を無償で没収し、農民に無償で分配したり国有化するなど、当時朝鮮半島人口の絶対多数である農民による北のやり方への支持は、南北問わずそれこそ絶大だった。


日本軍の戦争犯罪 日本軍の卑劣さ、残虐性は真珠湾攻撃や南京大虐殺で悪名高いが、それは古代にも見られる。「何か珍しくまた楽しそうなことで敵を誘い出し、一気に殺してしまう、というやり方は、たとえば青森県のねぶたの起源伝承にもみられるものだが、神武東征以来、こうした『だまし討ち』の『だます』という側面への罪悪感は、『書紀』においても『風土記』においても、きわめて乏しいようである」(中路正恒・古代東北と王権(講談社2001)99)。

日中戦争 「日本は1931年9月18日、柳条湖事件を起こし中国東北への侵略を開始したが、この満州事変から1945年8月の日本敗戦までの14年間、日本は731部隊を中心に細菌戦の研究を行い、細菌兵器を開発・製造し、その『成果』にもとづいて、実際に中国の十数地域で細菌を空中からあるいは地上で散布した。その過程で、731部隊における人体実験で少なくとも3000人が対象とされただけでなく、細菌配布によって多数の犠牲者が生み出された。中国人はいわば「二重に殺害」されたのである」(松村高夫「731部隊と細菌戦」三田学会雑誌91-2(1998)71)。

中国へ侵略した日本帝国主義は「一般民衆が土法により生産した鉄を略奪するため、北支那土法製鉄会社を設立したばかりか、山西に駐屯する日本軍は、土法製鉄の主要地域である陽泉、路安、澤州などの業者を強制的に合作社や組合に加入させ、鉄を奪い取った。日本軍に徴用され、陽城から路安に鉄を背負って運ぶ民衆は2万を越え、飢えと疲労で亡くなるものもあった」(解学詩=江田いづみ訳「盧溝橋事件と華北石炭・鉄鋼産業」三田学会雑誌91-2(1998)134)。

「日中戦争での二人の中尉の話である。彼らは両手にそれぞれ軍刀を持ち、昔ながらのやり方で二人のうちどちらが先に中国人の百人切りをやるか、賭けをした。…この二人の将校は明らかに、武器を持たない中国難民を殺害したのである。こういう人面鬼は日本軍将校の典型ではないが、それでも、陸軍は彼らを否認しなかった」(H. Byas=内山秀夫他訳「敵国日本1」法学研究74-1(2001)146)。

「日本空襲に先立って日本軍が中国に、とりわけ戦時中国の首都重慶にたいし、無差別爆撃を数年間にわたってしつように加えてきたこと、したがって空襲においても、日本は被害者である前に加害者であった」(石島紀之「戦略爆撃にたいする重慶のたたかい」歴史評論616(2001)53)。「酒の席で日本人が蓑虫踊りだといって、蓑をかぶせた兵士に火を放って蓑虫のように身をよじって苦しむ中国人の話をいまなおする」(上智大学社会正義研究所=国際基督教大学社会科学研究所・国際協力と日本国憲法(現代人文社1998)79(大脇雅子))。

なかにし礼・赤い月上(新潮社2001)63 「日本人はもっと汚い。日本人は私の父を殺した。日本人は私の母と姉を強姦した。私の妹をさらっていった。日本人は私たちの家を焼き払った。私たちの土地を奪った。私たちは牛や馬みたいに働かされ、使い物にならなくなったら順番に殺される。これ、私だけではない。満州でいっぱいあった話。王道楽土、嘘ばっかり。五族共和、嘘ばっかり。日本人は、満州を焼きつくし、奪いつくし、殺しつくした」。


真珠湾攻撃 「バールハーバー攻撃に始まる日本の対米開戦は、開戦条約の条件をみたさない奇襲攻撃によるものであったが、たとえ事前に戦意が表明されていたとしても、日本の行動の違法性は消えるものではなかった」(藤田久一・国際人道法新版(有信堂高文社1993)69)。極東軍事裁判所判決は正当にも「かれら(戦犯たる日本当局者)は攻撃地点のイギリスと合衆国の軍隊が、交渉が決裂したという警告を受けることができないことを確実にするために、敵対行為の開始前に、わずかな間をおいて、交渉を打ち切るという通告をすることに決定したのである。…攻撃が奇襲となることを切望するあまり、かれらは思いがけない事故に備えて余裕をおくことを全然しなかった」(朝日新聞法廷記者団・東京裁判下(東京裁判刊行会1962)91)。

戦争責任 15年戦争と呼ぶのは「太平洋戦争あるいは大東亜戦争をアメリカに対する戦争とみなして、この部分はまずかったというふうにとらえる戦争観では、この戦争の構造をとらえることができないと思うからだ。これでは、日本人にとっての戦争の責任がぼかされてしまう」(鶴見俊輔・戦時期日本の精神史(岩波1982)241)。

「極端な軍国主義者への戦争責任の集中という、いわば軍部悪玉論的議論は、一方で、穏健な政治指導者の戦争責任や戦争責任意識を相対的に弱めるとともに(その象徴が昭和天皇の戦争責任を不問に付したことである)、国民に対しては、国民も実は軍部にだまされていたのであり、一種の被害者であるという意識を植え付け、その戦争責任観を希薄にさせることになったのではないか」(黒沢文貴「戦後日本の近代史意識」法学研究73-1(2000)512)。特にけしからんのは、戦争をしておいて、逃げた当時の帝国軍人である。絞首刑になった者はいざしらず、戦後ノウノウと生き長らえた戦争犯罪人達。

未曾有の惨禍をもたらした日本軍による戦争犯罪・人道に対する罪という「過去清算は、重大人権侵害被害者の救済への道をひらき、将来同様の行為が再発することを防止するであろう」(戸塚悦朗「過去清算による和解・平和への道」法セミ561(2001)72)。「2千万人をこえるアジアの人々の命を奪い、それをはるかに上回る人々にさまざまな被害を与えた日本の侵略戦争とそのなかでおこなわれた数々の戦争犯罪について、もしそれらを裁かなかったとしたならば、そのこと自体が人類の平和への努力を大幅に逆行させることになったであろう」(林博史・裁かれた戦争犯罪(岩波書店1998)300)。

対比賠償「協定で実施された賠償は、被害の十分な調査を踏まえずになされたものであり、また、個人への補償もなされていないとのことであり、これにより個人の賠償請求権が実施されたとは到底いえないであろう」(小畑郁「戦争被害に対する個人の賠償請求権」H12年度重要判例解説281)。


ヒロヒトの戦争責任 ヒロヒトは「率直に和平を申し入れるのではなく、英米が無条件降伏に固執する限り日本としては最後まで戦い抜く外はなく、そうなれば交戦国国民の流血は拡大するが、そうした事態は天皇の望むところではなく、ここに『平和の降伏』を希望する」とのスタンスを採った(波多野澄雄「『無条件降伏』と日本」法学研究73-1(2000)316)。日本が戦争を継続するのは連合国側が無条件降伏を迫るからとの身勝手な論理である。

「陸海軍を統帥し、すべて天皇の名において『皇軍』への命令が下されたことを考えても、やはり天皇の戦争責任を免れない、というほかあるまい」(「歴史に対する責任とは」朝日新聞2001.8.15)。女性国際戦犯法廷は「人道に対する罪(強かんと性奴隷制)についての責任で昭和天皇を『有罪』としたほか、性奴隷被害者に対して日本軍が国際法に違反する犯罪を犯したことおよび現在もこれについての日本の国家責任が存在することを認めた」(戸塚悦朗「日本軍性奴隷を裁く『女性国際戦犯法廷』昭和天皇に有罪判決」法セミ555(2001)74)。

戦争中にアメリカ人によって執筆されたものの中にも「われわれは、天皇とその文民顧問が戦争を嫌い恐れていたことは認めてもよかろう。しかし、それは道徳的勇気という点からは尊敬に値するものではない」(H. Byas=内山秀夫他訳「敵国日本1」法学研究74-1(2001)146)と天皇が戦争を望んでいなかったかのような記述が見られる。


新聞の戦争責任 戦前・戦中の「新聞が、政府や軍部による厳しい統制を受けていたことは事実であるが、従来の研究においては、その被害者の側面が強調されすぎてきた側面がある。…その結果、当時の新聞が政府の統制下、戦争に協力する画一的な報道を強いられた受動的側面ばかりが強調され、その積極的能動的側面、時流を先導する役割を果たしていたことが軽視されてきた」(玉井清「日中戦争下の反英論」法学研究73-1(2000)194)。

朝日新聞は「一方で天皇の戦争責任を言い立てながら、戦中に軍部と結託して、戦争を煽った朝日自身の"戦争責任"には一切触れられていない。欺瞞に満ちています」(「『靖国』の次は『天皇戦争責任』に及んだ8月15日『朝日』社説の『不穏』」週刊新潮(2001.8.30)26(稲垣武))。朝日は戦前と同じ看板であるにもかかわらず、まるで自らが平和憲法の申し子のような態度をとっているが、そのような態度は真剣な護憲派に対する侮辱である。テロに対してもテロを誘発する貧富の差と高説を述べているが、それならばまずキャリア記者の高給と、新聞配達員の悲惨さを想起すべきである。


歴史歪曲教科書 検定前の扶桑社の歴史歪曲教科書白本には「歴史は科学ではない」と書き出してあったという。この言葉には歴史からは何も教訓というものなんぞ学ぶ必要がない、という懲りない面々の本音が見えた感じがした。中国の陳健駐日大使は北京時間3日午後3時15分から記者会見を開き、日本の右翼団体「新しい歴史教科書をつくる会」主導の歴史教科書が検定に合格したことについて談話を発表した。 陳大使は、「右翼団体がでっち上げた新しい歴史教科書は、皇国史観を宣揚し、悪辣な下心があり、修正されたとはいえ、侵略の歴史を美化するという考え方は修正されていない」と述べ、同教科書が文部科学省の検定に合格したことについて、「驚いており、非常に残念だ」との見解を示した。

日本の戦争犯罪はなかったことにしたいという無責任な論調が台頭しているのは日本人として誠に恥ずかしい。アジアのみなさんに申し訳ない気持ちで一杯である。対不起。どうしてウソを書くんでしょうか。まだ一部の政治家に軍国主義、右翼思想が根強く残っているに違いない。悲しいことである。自分達の祖父母・親類縁者が強制労働をさせられたり、虐殺されたとして、その加害者側の国が、学校の教科書でそうした一連の行為を誤魔化す記述をしたり、捏造をしたり、美化したりしたら、どういう気分がするだろうか。

日本近代史研究に対するある歴史学者の真摯な反省の言である。「日本では太平洋戦争末期の沖縄戦が、一般住民をもまきこんだ"地上戦"の悲惨な経験として特筆される。しかし日中戦争は、中国にとって、その最初から最後にいたるまで、非戦闘員をまきこむ"地上戦"であったのである。その悲惨な実相―侵略と加害のもっとも具体的で本質的な部分―をわれわれの歴史研究がこれまでどれだけ明らかにしてきているか、明らかにしてきているようで、実は必ずしもそうではないことが、教科書検定の批判を通じて、中国民衆から告発されているのではないか」(江口圭一「15年戦争史研究の課題」歴史学研究511(1982)8)。


靖国神社は侵略戦争美化

明治天皇が戊辰戦争の戦没者を慰霊する目的で建てた東京招魂社が前身でその10年後に靖国神社と改称された。戦前は軍が管轄する国営神社だったのだが、敗戦後、GHQの神道廃止司令により国の手を離れ、その後都知事認可の宗教法人となった。建立以後の戦没者を護国の英霊として合祀し、終戦迄の祭神(英霊)は実に240万柱を数える。実際に遺骨が有るわけではなくあくまでもまつられているだけである。

靖国神社は戦前は「死んで靖国神社へ」と天皇に忠誠を誓わせ、軍国精神を鼓舞する役割を担っていた。更に合祀されている戦没者の中には戦後の東京裁判でA級戦犯とされた14人も昭和殉職者として一緒にまつられている。それ故、首相がこのような靖国神社に参拝することは政教分離原則から問題となるだけではなく、軍国主義や侵略戦争を正当化することになる。中国、韓国等、近隣諸国が強く反発するのも正当である。

靖国神社に国家のために戦った人達を祀ること自体許し難い。国の命令で無理やり死なされた人が、死んで折角自由になれたのに、国が決めた神社なんかに入りたい筈がない。親や妻や子供や、好きな人の所へ帰ってのんびりしたいと思うだろう。でなけば死んだ甲斐がないではないか。死者をも軍神として未曾有の侵略をもたらした日本の軍国主義に協力させるのは、魂に対する侮辱である。「首相の靖国参拝というのは、政教分離原則違反であると同時に、平和的生存権の観点から見れば、いかに市民が精神生活の軍事化から免れ得るかという問題にも深く関わってくる」(水島朝穂「首相の靖国神社参拝問題」法時73-11(2001)3)。

小泉首相は来年の靖国参拝について明言を避けているが、神社参拝により、アジア外交の中核である中国、韓国との関係がどんな深刻な影響を受けたかを首相が実感したのであれば、来年どうすべきかは、おのずと明らかだろう。首相の靖国神社参拝に関する違憲確認訴訟提訴がなされたが、それに対し小泉首相は「おかしい人たちがいる」「話にならんよ」と侮辱的な発言を行った。「これが一国を代表する政治家の言葉かと、あぜんとしたのは私だけではないだろう」(佐藤健「熟慮何のため 首相発言疑う」朝日新聞2001.11.6)。

日本の政治家が靖国神社に参拝することは、ドイツの政治家がナチス幹部の墓に詣でるのと同じ犯罪行為である。遊就館は戦前の日本軍の数々の戦争犯罪行為を全て正当化している。そこには、日本の軍国主義の犠牲者となった人々への言及が全くない。遊就館では、南京大虐殺について批判しないどころか、日本軍の南京攻略によって南京は匪賊が掃討されて住みやすくなったと解説している。日本政府は戦争責任を感じているというが、遊就館を見れば、それがいかに説得性のない主張であるかが分かる。

君が代斉唱で過去最大の国家賠償訴訟

君が代斉唱時に起立しなかったなどとして東京都教育委員会から懲戒処分を受けた都立学校の教職員が2007年1月にも、都教委を相手取り、処分の取り消しと国家賠償を求める訴えを東京地裁に起こす。2006年12月23日には原告団を結成する。これまでに約160人が訴訟に参加する意向を示しており、国旗・国歌を巡る教職員の処分の是非を争う訴訟としては過去最大規模になる(木村健二「<君が代斉唱>都教委から懲戒処分の教職員160人が提訴へ」毎日新聞2006年12月11日)。

アメリカの代表者としてブッシュ大統領の見解

 ある晴れた朝、何千人もの米国人が奇襲で殺され、世界規模の戦争へと駆り立てられた。その敵は自由を嫌い、米国や西欧諸国への怒りを心に抱き、大量殺人を生み出す自爆攻撃に走った。
 アルカイダや9・11テロではない。パールハーバーを攻撃した1940年代の大日本帝国の軍隊の話だ。最終的に米国は勝者となった。極東の戦争とテロとの戦いには多くの差異があるが、核心にはイデオロギーをめぐる争いがある。
 日本の軍国主義者、朝鮮やベトナムの共産主義者は、人類のあり方への無慈悲な考えに突き動かされていた。イデオロギーを他者に強いるのを防ごうと立ちはだかった米国民を殺害した。
 第2次大戦に着手した時、極東の民主主義国は二つしかなかった。オーストラリアとニュージーランドだ。日本の文化は民主主義とは両立しないと言われた。日本人自身も民主化するとは思っていなかった。
 結局、日本の女性は参政権を得た。日本の防衛大臣は女性だ。先月の参院選では女性の当選が過去最高になった。
 国家宗教の神道が狂信的すぎ、天皇に根ざしていることから、民主化は成功しないという批判があった。
だが、日本は宗教、文化的伝統を保ちつつ、世界最高の自由社会の一つとなった。日本は米国の敵から、最も強力な同盟国に変わった。

米国同時テロ2001年9月11日

アメリカで同時多発テロが起き、真珠湾攻撃以上の惨事となった(「米テロ死者数千人」読売新聞夕刊2001.9.12)。一般の方々もそれを救うおうとした勇気ある消防士達も沢山犠牲となってしまわれた。心よりご冥福を。そしてこのようなことがまた起こらないように、平和を祈るばかりである。今回の同時多発テロから太平洋戦争のカミカゼ特攻を想起した。米国でもパールハーバー以来、という表現が用いられている。

米国は他国の建物は平気で壊すし、色々な国で民間人を虐殺している。ベトナムでの虐殺、枯葉剤の散布、湾岸戦争やコソボ紛争の確信犯的な誤爆、イランの旅客機をミサイルの誤射で落としたこともあった。それに比べればあのテロはかわいいものである。「これは民主主義の危機である」「自由が侵されつつある」と言うアメリカの主張は、ただ単に他国を味方につけようとしてるだけである。「これはアメリカの立場の危機である」「アメリカの立場が侵されつつある」と言いかえるとその主張がわかりやすくなる。

自由などとは無関係に、抑圧され不満のある人達がアメリカに対して攻撃しただけである。なぜ攻撃したのか。なぜ攻撃されたのか。なぜこの事件に狂喜乱舞する人がいるのか。人は自分が大切にしている事や誇りに思ってることを他人に踏みにじられたりすると屈辱を味わって怒ったり悲しんだりする。立場や思想が違えば事件に対する思いも違うのは当然である。歴史家のハワード・ジンは「いま私たちが目の当たりにしている恐ろしい死や苦しみの光景が、しばしば米国の政策の結果として他の国々で長期にわたって続いてきたことを、米国人は想像する必要がある」と語る(坂口明「消えた摩天楼の下に数千の命」赤旗2001.9.16)。

あのテロはCIAが危機管理に対する意識を盛り上げるために、軍事予算増大への世論の支持を取り付けるために、わざとイスラム過激派を泳がせた末の、予想以上の暴走だったような気がする。簡単に車の中から飛行機操縦マニュアルが見つかるのが怪しい。冷戦が終わって存在意義を問われつつある組織だからということもある。もしそうであるとしたら、効果はあった。前代未聞の厳戒態勢がしかれ、タカ派のブッシュ大統領が声高に報復を叫ぶ。

今後、アラブ系人民が、特に公共交通機関への乗車・搭乗において差別されたり、差別的な目で見られたりすることがあるかもしれない。そのような偏見や差別をお互いにもたせて民族・国家間の対立を煽ることも、テロの目的(効果)の一つと思うので、そういった偏見や差別意識をもたないように努めることが、今回のテロの目的をくじくことにつながるだろう。

私はこのような時は好きな音楽聴いてても、事件と関係ない話をしててもどうしても、人について、命について考えてしまって、全ての物事を事件とオーバーラップさせてしまう。焼け野原かに経済大国にするような前に進むことしかできない馬鹿な世代ならばそういうこともないだろうが。日常生活が事件に縛られて、これは加害者の思惑通りと思うと余計腹が立ってしまう。

今回の事件は大勢の人間が驚いただろう。しかし大半の人達は悲しんだりはしない。身内や知人が被害に巻き込まれていないからである。他人事なのである。どこかで飛行機が落ちて、ニュースキャスターは嬉しそうに「乗客に日本人はいませんでした。いませんでした…」と繰り返しているという内容の曲があった(The Yellow Monkey「ジャム」)。心配なのは経済に与える影響、今後の物価や給与の額である。実行犯に対して以上に憤りを覚えるが、正直なところ米国に抑圧されている訳でもないのに今回の事件でワクワクしている人は大勢いるだろう。

米国同時テロ「事件は、民間人に対する無差別攻撃という点では、アメリカの原爆攻撃と二重写しになった、許すべからざる凶悪なテロ事件であったと思います。一方でこのことは、グローバリゼーションとか、国際協調というけれど、この狭い地球上の異なった歴史・文化・宗教をもった民族や国家が強調していくこの難しさを思い知らしめた1つの例となりました。それぞれの異なった国家、民族に対する深い理解を前提とした対応が必要であることを示していると言えます」(財界2001.10(亀井静香))。


米国テロの経済的影響(2001.10.18) 景気の低迷、長引く弱気市場、テロ攻撃、アフガニスタンへの空爆、イスラム諸国における反米感情の高まりなどの影響で、湾岸戦争勃発以来、最も先行き不透明な情勢を迎えている(「先行き不透明で株式の評価が困難に」朝日新聞2001.10.16)。Merrill Lynchが欧・米企業50社のCIOを対象に行った調査によると、同時多発テロ事件以後、IT支出の回復は望み薄という悲観的な見方がさらに広がっている。

テロ直後から業界全体が一気に失速の危機にまで追い込まれた航空、旅行業界だが、米国政府の積極的な資金援助を受けた航空券の割安傾向に市場が敏感に反応し、その結果を受けたウェブ旅行業者の業績は既にテロ前の8割以上にまで回復している。日本においてはデフレ・スパイラルは回避。特殊法人や医療制度の改革に向けた議論の本格化など、参院選で中断した改革の流れが再び加速する動きをみせており、市場にとっては明るい材料。


報復戦争(2001.10.7) とうとう報復戦争がはじまってしまった。しかもアメリカは長期戦の心構えで臨んでいる。平和の21世紀の夢は早くも1年目であっけなく崩れてしまった。武力行使という公共事業を望む業界への利益誘導は今後も絶えることはない。報復の連鎖によって武器市場が確保できるのだ。21世紀はもはや平和の世紀ではなく、何とか生き延びる世紀になりそうである。報復戦争により、無辜の民の殺害、難民の流出、国土の荒廃が予想される。ミサイルに怯えるアフガンの親子(一般市民)の映像を見てとても心が痛む。

米国市民が6000人殺されたからアフガン市民を殺しても構わないとの発想があるのだろう。この点で米国はテロリストと価値観を共有する。アメリカは軍事行動をすべきではなかった。アメリカは何故、テロ攻撃を受けたのかが、重要なポイントであり、この部分を反省して解決しておくべきはずである。そうしなければアフガンのテロを壊滅させても、アメリカに対する怨念はますます深まり、第2、第3のテロリストが生まれてくることは間違いない。イスラムに穏健派や近代主義者がいるのは事実だが、アメリカの凶暴な今の侵略戦争は、こうした人々さえも、反米に追いやってしまっている。

世界一豊かな超大国アメリカが、19世紀に保護領としてアフガニスタンを植民地支配していたイギリスと結んで、世界の最貧国の大部分を実効支配するタリバンをニューヨークのWTC事件の首謀者であると、証拠すら公開しないまま一方的に決め付け、報復の軍事攻撃を開始した。国連は報復のための軍事攻撃を禁止している。又、今回の軍事攻撃は国連安全保障理事会の承認を得たものではない。

このようなアメリカの私怨を晴らすヤクザまがいの攻撃で、一番の犠牲になるのは、ニューヨークの事件に何の関係もない、女性や子供である。最貧国アフガニスタンでは、国連の援助も途絶え500万人の人々が餓死の危機に瀕している。この攻撃は将来のアフガニスタン建設の担い手となるはずの、多くの子供たちの命を奪うことになる。そして、多くの無辜の市民が米英連合軍の攻撃で命を落とすことになる。何の罪もないアフガニスタン人が、このような目にあってよいのだろうか。侵略国日本は東京大空襲、広島や長崎への原爆投下を被ったが、アフガニスタンは日本とは異なり、他国を侵略し植民地支配をしたわけでもない。

アフガニスタンで活動していたキリスト教系NGO等によって、タリバンが女性を抑圧していると告発する映像が、最近多くのテレビで流されるようになった。この映像がアメリカによるアフガニスタン攻撃を正当化する方向に世論を向けているようにも思われる。仮にこの映像が事実であるとしても、アフガニスタン国内における現在の女性問題は、アメリカの武力攻撃によって解決しないし、更に悪化するだけである。

米国は、旧国王を溥儀のように押し立て、かつて戦ったソ連の後継ロシアと提携するような無節操な野合勢力北部同盟を関東軍のような位置につけて、かつての満州国のような傀儡政権をアフガニスタンに作ろうとしている。こうした意図の背景には、旧ソ連中央アジアにおけるアメリカの石油権益確保というどろどろした野望が潜んでいる。傀儡政権が出来た後、アフガニスタンでは、北部同盟勢力同士、そしてパシュトゥン人勢力の三つ巴、四つ巴の血みどろの内戦が繰り広げられることは間違いない。これで、ますます多くの罪もなく貧しいアフガニスタンの女性や子供の命が奪われる。

米国の攻撃性 タリバンとアメリカは身柄引き渡しに関する条約を結んでいるわけではないので、タリバンが身柄の引き渡しを拒否することは、国際法で認められている国家の主権の一つである。ペルー政府が卑劣な独裁者フジモリを匿っている日本を空爆することも許されてしまうだろう。本来の自衛権というのは、正当防衛とほぼ同じ意味で、自分に攻撃を加えた、または加える国家が存在する時に発動させるもののはずである。自分と敵対する国家が壊滅するまでやるのはどう考えても自衛権を逸脱している。最初、タリバン側は、「アメリカが攻撃を中止するなら、ビンラディンを第三国のイスラム国家に引き渡す」と提案したが、アメリカはそれを黙殺。次にタリバン側は「アメリカが攻撃を中止すれば、証拠を求めないで、ビンラディンを引き渡す用意がある」と告げてきたという。アメリカは、はなから平和的解決などするつもりはなかったのだろう。テロに対する軍事行動と相前後してアメリカ人が襲われる事件が起き、米国の人々が旅先で国籍を悟られないように振る舞うようになった。

米軍ヘリ墜落(2001.10.19) アフガニスタン国境に近いパキスタン南西部のバルチスタン州で夜、米軍ヘリ1機が墜落し米軍兵士2人が死亡、数人が負傷した。墜落したのはダルバンディン基地近く。同当局者は「墜落は事故による」との見方を示したが、タリバン政権はロイター通信に対し「タリバン軍の対空射撃で撃墜された」と語った。

マイヤーズ統合参謀本部議長記者会見(2001.10.20) 米特殊部隊がパラシュートで、カンダハル近郊のタリバンの軍司令部と、同国南部の空港滑走路の2カ所を奇襲攻撃したことを正式に明らかにした。陸軍レンジャー部隊などに所属する100人を超える兵士が参加。降下の際に米兵2人が負傷したが、マイヤーズ議長は作戦は「成功した」と評価した。マイヤーズ議長は、急襲の模様を収めたビデオを公開しながら、作戦の一部を説明した。特殊部隊は、アラビア海にいる空母キティーホークからヘリコプターで出撃。艦載機などの支援を受けた。同議長は、「タリバンからの抵抗は小さかった」との言い方でタリバンと交戦があったことを認めた。タリバン側にも負傷者が出た模様。標的の一カ所、軍司令部はタリバンの最高指導者オマル師がいたことが確認されていた場所で、攻撃の目的は、情報収集が主だった。マイヤーズ議長は「(オマル師ら)タリバン指導者を見つけることを期待していたわけでない」と述べたが、今回の攻撃の目的の一つにオマル師逮捕があったとの指摘があがっている。

米・バークリー市議会(2001.10.16) 「空爆の速やかな集結」を求める決議を採択した。米国会でただ一人、大統領に軍事公道の全権を与えることに反対したバーバラ・リー下院議員(女性)を選出した同市の議員9人のうち8人は女性という。

北部同盟進撃(2001.10.12) 北部同盟は首都カブールに向けた進撃を始めた。同日までに要衝、マザリシャリフ、ヘラートを攻略し、アフガン全土の50%以上を支配したとされる(「首都進撃50%制圧」報知新聞2001.11.13)。北部一帯の支配地や首都カブールを失ったのに続いて、南部の本拠地、カンダハルも放棄すると伝えられた。今後は山岳地帯に立てこもって戦うという。カンダハルは主要民族パシュトゥンの中心都市だ。タリバンの最高指導者オマール師が居を構え、カブール陥落後はタリバンが首都としていた。96年にカブールを制圧し、国土の9割を支配下に収めたタリバーンは、同時多発テロ後の国際包囲網と米英軍や北部同盟の攻撃、パシュトゥン諸部族の離反によって、わずか5年で一武装勢力に戻る。しかしタリバンが戦略的な意味での後退を選択した可能性も大いにある。その辺を見誤ると、後々酷い眼に遭うかもしれない。「勝利か死か」と、前線に打電して後退を認めず敗北したヒトラーの例もある。マスメディアは原理主義者に狂信のレッテルを張りたがるが、無謀な突撃や玉砕を繰り返した日本軍よりははるかに冷静かつ合理的とみるべきだろう。

米英軍は今後、ビンラディン氏らテロ集団の捕そくに全力を挙げる。捕虜となったタリバーンの尋問や、地元住民らの情報次第では早期捕そくもあるだろうが、民間人の犠牲を増やさぬよう、慎重かつ抑制的に作戦を進めなければならない。北部同盟の幹部が「国際平和維持軍はいらない」と述べたことが懸念される。北部同盟が支配の既成事実化を図ろうとしているのなら危険だ。北部同盟は、少なくとも首都の治安を中立的な多国籍軍に委ねるべきである。タリバンがパシュトゥン人を勢力基盤としていたことから、少数民族連合の北部同盟の一部には、将来の暫定政権からパシュトゥン人を排除しようとする動きも見られる。そもそも北部同盟はアフガン人民共通の敵だったソ連=ロシアと提携するような無節操な裏切り者である。加えて北部同盟が第2次世界大戦での日本兵のように強姦や強盗を繰り返すならず者集団というのは悪名高い。占領地住民にとって北部同盟の支配はタリバンの統治以上に過酷なものになるだろう。


ビンラーディンに影武者10人(2001.11.17) 汎アラブ紙アル・ハヤトは、米同時テロ首謀者とされるウサマ・ビンラーディンのテロ組織「アル・カーイダ」幹部の話として、ビンラーディンとそっくりの10人の「影武者」がアフガニスタン国内に散らばっている、と伝えた。 アル・カーイダの欧州メンバーの「束ね役」とされるモロッコ人、アブ・ヌール幹部が、マドリードで同紙に語った。 同幹部によると10人の影武者のうち2人はモロッコ人で、いずれもビンラーディンと瓜ふたつ。本人と判別することができる唯一の材料は、「背中にあるあざや傷などの特徴だけだ」という。

メディアの統制 米国がベトナム戦争の失敗から学んだ一つは、メディアの統制であった。戦争の残酷シーンを世界の目から隠し、批判の余地を少なくするのだ。湾岸戦争での一見スマートな映像も、一部ではあろうが、合成されたものをマスメディアに流した。汚い戦争、あのベトナム戦争とは違うというイメージをこうして、世界に植え付けたのだった。イラクへの嫌悪も、大手広告代理店に筋書きを作らせて増幅させた。在米クウェート大使の娘? の涙ながらの訴えであった。「クウェートの病院では生まれたての赤ちゃんが、保育器から引きずり出され、虐殺されている」。このような蛮行は、確認されていない。しかも、見てきたかのように娘は証言したが、それも事実に反する。

勿論、イラク軍の侵略により、クウェート市民が未曾有の被害を被ったことは容易に推測できるし、クウェート市民が現在及び将来にもイラクの侵略を忘れず、イラクに敵意を抱きつづけることは共感できる。リメンバーパールハーバーという美しい言葉がある通りである。現在でもクウェート市街にはイラクの侵略の傷跡が生々しく残っている。クウェート国民には焼け野原から経済大国にするような前に進むことしかできない馬鹿な民族の真似はしてほしくない。ベトナムで得た教訓のもう一つは、戦闘の泥沼化はさけることである。


マスメディアの偏向報道 ニュースは炭そ菌の報道ばかりを流している。大げさに報道しているが、まだ一人しか死んでいない。全然大したことはない。それよりアメリカがアフガンで行っている空爆によって毎日大勢の一般市民が虐殺されている。意図的な爆撃若しくは誤爆により30人の女性や子供が亡くなり、大勢の市民の生活基盤が崩壊したことの方が大事件である。こちらの方を大きく報道すべきだ。

マスメディアはパレスチナとイスラエルの問題についてはイスラエルの蛮行についてはほとんど報じないのに、パレスチナ人の勇敢な抵抗はテロ行為として大々的に報じる傾向がある。これが小泉首相を含む大半の日本人が中東系反米闘士の感情を読めない理由になってる。イスラエルがシリアのゴラン高原を侵略した時に、イスラエルに対する撤退を求める国連の安保理決議に拒否権を行使した国が唯一アメリカだった。「国を占領されている哀れなパレスチナの子供たちの行為を米国がどう決め付けているか見るだけでいい。彼らがイスラエルの占領に対して石を投げれば、米国は彼らをテロリストと言うが、女性と子供でいっぱいだったレバノンのカナの国連施設をイスラエルのパイロットが爆撃したときは、米国はイスラエルに対する一切の非難を止めた」(イザンベール斉藤真美「イスラムと西洋の『正義』」法セミ566(2002)29)。


テレビ朝日(2001.10.17) 米国のユダヤ人団体サイモン・ウィーゼンタールセンター(本部・ロサンゼルス)は、テレビ朝日の「スーパー・モーニング」の今月15日と17日の放送で、コメンテーターの川村晃司・同テレビ元カイロ支局長が炭そ菌事件に関して「ユダヤ人は米メディアをコントロールしているため事件の標的となった」との趣旨の発言を行ったとして抗議の書簡を送ったことを明らかにした。同センターのエイブラハム・クーパー副館長は毎日新聞の取材に「米国がテロと闘っている時にこのような誤った見方を伝えたことを見過ごすことは出来ない」と述べ、番組の中で謝罪するよう求めたことを明らかにした。

数日待っても回答がない場合「新たな手段を取る」と述べ、企業に対し同テレビへの広告差し止めなどを要請する考えを示唆した。同センターは95年、文芸春秋社の雑誌「マルコポーロ」に掲載された「ナチ『ガス室』はなかった」とする日本人医師の論文を激しく非難。国際企業に同社からの広告引き揚げを呼びかけ、同誌が廃刊となった経緯がある。テレビ朝日の広報担当者は「事実関係を確認してから正式にコメントしたい」としている(吉田弘之「テレビ朝日解説者に抗議の書簡」毎日新聞2001.10.18)。


アルジャジーラ 中東のCNNと言われ、米同時テロの首謀者とされるウサマ・ビンラディン氏がプロパガンダに利用するカタールのアラビア語衛星放送アルジャジーラが、さまざまな衛星や地上局を経由することで中東地域だけでなく、米国や日本を含めたほぼ全世界で視聴できることが、明らかになった。米政府は同氏がアルジャジーラを通じて新たなテロの指令を送る可能性があると警戒しているが、通信や言論の自由といった観点から規制は難しく、米国や国内に多数のアラブ系外国人を抱える国の政府、公安当局は対応に苦慮している。ビンラディン氏や同氏が率いるテロ組織アルカイダは、これまでにアルジャジーラを通じて声明を3回発表。同時テロを称賛したり、米国に対するジハード(聖戦)を呼びかけるなどしている。

米政府はこの映像を流したCNNなど米テレビネットワーク5社に対し、「テロリストへの暗号メッセージを含んでいる可能性がある」との理由から、同氏の声明をそのまま放送しないよう要請。各社もこれを受け入れた。ところが、カタールから出ているアルジャジーラの電波は、アラブ世界にはアラブサット衛星、欧州にはユーテルサットで放送を行う他、大西洋上にある衛星を経由して米国に届いていることが判明した。この結果、米企業が提供している衛星放送サービスに加入すれば全米でアルジャジーラを視聴でき、政府がCNNなどに規制をかけても意味はないという結果になった。

更に、別の米企業はこの電波をカリフォルニア州ナパバレーにある中継局から、東経169度の太平洋上にあるパンナムサット二号機を経由させ、オーストラリアのアラブ系住民向けに流している。この放送は、衛星通信の若干の知識とアンテナがあれば、インドネシアやマレーシアなどのイスラム教圏やフィリピン、日本などでも受信が可能だ。実際に、これらの地域では多くのアラブ系住民がすでにアルジャジーラを視聴している。日本では一部の衛星関係者がモニターしているが、本来こうした放送をチェックしなければならない公安関係者や外務省関係者は、ノーマークのようだ。


バイオテロ
炭疽症 炭疽症anthraxの潜伏期間は、1−7日、60日にも及ぶこともある。炭疽菌Bacillis anthracisの芽胞は、皮下組織に感染を起こす。90%以上の病変は、衣服で覆われていない部分、すなわち、顔、頚部、腕、手に起こる。病変は、特徴的であり、痛みのない丘疹ではじまり、その後水泡状になり、2日以内ぐらいに潰瘍形成が起こり、痂皮になる。所属リンパ節腫脹も見られる。水泡の液のグラム染色では、白血球が少ないか、又は、欠如していることが特徴で、グラム陽性の桿菌として観察される。

肺炭疽症 肺炭疽症は、羊毛取り扱い者が羊毛を洗うときに形成される芽胞を吸い込むことにより起こっていた。空気感染する炭疽菌の芽胞は、5mより大きい場合、上気道に付着し、繊毛運動などで排除されるため、肺疾患を起こさない。2−5mの場合、肺胞に付着し、肺内でマクロファージに貪食され、縦隔のリンパ節へと運ばれる。そこで縦隔リンパ節の壊死、出血性縦隔炎、壊死性肺炎などを起こす。この段階では、血液を介しても感染が伝播し、菌血症、髄膜炎なども併発する。

一端、発症すると死亡率はほぼ100%であるため、早期診断が重要であるが、初期症状はインフルエンザ症状(e.g.発熱、筋肉痛)であるため、早期診断が不可能な場合が多い。病気の進行は急激に起こる。インフルエンザ様症状の患者が2−3日以内に、呼吸困難、低酸素血症、血圧低下などを起こし、胸部X-線で、縦隔拡大(縦隔炎を示唆する)が見られるようであれば、ほぼ間違いない。

咽頭、消化器炭疽症 汚染された肉などを摂取することで起こる。咽頭炭疽症の場合、発熱、咽頭痛、頚部腫大が見られる。咽頭に痂皮が見られる。消化器炭疽症の場合は、激しい腹痛、出血性腹水が特徴である。


福島(2001.10.15) 福島県は福島市の福島中央郵便局で白い粉が漏れている不審な郵便物が見つかった、と発表した。米国で炭疽菌が入った郵便物が発見されていることから、福島県警は毒物や細菌類の可能性もあるとみて白い粉を冷凍保存、調査している。15日深夜までに、体の不調を訴えている人はいないという。福島県は同郵便局などを消毒した。福島郵政監察室などによると、不審な郵便物は14日午後8時50分ごろ、同郵便局職員が見つけた。郵便物は縦約10cm、横約16cmの航空便だった。あて先はオーストラリアで、差出人の記載はなかった。封筒のすき間から粒子が粗く、さらさらした小麦粉のような白い粉が漏れていた。

首相官邸(2001.10.17) 炭疽菌騒動がいたずらを含め世界的な広がりをみせる中、国内の主要機関などで粉末の入った不審な郵便物が相次いで発見された。首相官邸、朝日新聞社などマスメディア各社に届けられたもので、極めて悪質ないたずらとみられるが、警視庁では粉の分析を急いでいる。17日午前、東京・永田町の首相官邸から、「粉状のものが入った不審な茶封筒が届いた」と、麹町署に連絡があった。警視庁公安部はNBCテロ捜査隊を官邸に派遣し、粉末の成分などを調べた結果、炭疽菌など有毒な物質が含まれている反応はなく、でんぷん質の粉末と判明した。防衛庁にも同様の不審な郵便物が届き、警視庁が分析を進めている。

朝日新聞東京本社でも同日午前、不審な郵便物が発見された。同社広報部によると、「朝日新聞社御中」で送られてきた封筒で、差出人名はなく、消印は大阪府内だった。郵便係が開封前に振ってみたところ、サラサラという音がしたため、開封しないで築地署に届けたという。読売新聞社にも同日、はがきサイズの封筒が届き、中に粉末状のものが入っていたため、丸の内署に届け出た。「署員が開封したところ、洗剤のようなにおいがしたとのことです」(同社広報室)。毎日新聞社にも、同様の不審な郵便物が届き、未開封のまま麹町署に届け出た。「外からは『石けんのにおいがした』といいます。今は警察の分析結果が出るのを待っています」(広報担当)。警視庁では粉の詳しい分析を急いでいるが、いずれも悪質ないたずらとみて調べを進めている(「炭疽菌テロ?官邸、朝日、読売など直撃」夕刊フジ2001.10.17)。


炭疽菌怖さにEメールが増える 炭疽菌を恐れる全米の企業では、郵便で届く不審な封筒や小包に神経をとがらせているが、それに伴って Eメールの利用は増えるか否かという議論が持ち上がっている。

米原潜ヒューストンで放射能漏れ

米海軍の原子力潜水艦ヒューストンが放射能漏れ事故を起こした。外務省は2008年8月29日、に関して、同艦のバルブの一つから放射能を含んだ水が染み出したことが原因との報告を在京米大使館から受けたと発表した。

染み出しは2006年6月から08年7月まで起きており、米海軍の基準を上回っていた。このような事例は過去50年間なかったという。米国側は同事故についてこれが最終報告で、さらなる情報提供を行う予定はないと主張する。

原子力潜水艦ではロシア太平洋艦隊(司令部・ウラジオストク)所属艦で20人が死亡した事件もある。原子力潜水艦は死亡事故発生当時、日本海を航行試験中で消火装置が誤作動した。事故原因を調べている連邦検察捜査委員会のマルキン報道官は9日、死因は消火装置から出されたフロンガスを吸ったためとみられると述べた。ロシア通信が伝えた。

米原潜、事前通報せず寄港

米原子力潜水艦が2008年11月10日、沖縄県うるま市の米軍基地に事前通報せずに寄港した。この問題を受け、佐世保市では漁業者らから2001年9月の米同時多発テロ以降、続いている対外非公表措置の解除を求める声が高まっている。佐世保市はテロ1年後から外務省に措置解除を要請してきた。今回、改めて朝長則男市長も出席する11月14日の旧軍港市振興協議会で解除要請の決議案を可決し、国への要請体制を強める。

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