吉江前陸幕長の後任には、田中兼五郎(45)が有力であったが、再々度内務官僚閥が起用された。 これは、田中元中佐と梅原治国防会議事務局長との関係を好ましいとは思わなかった 増田甲子七防衛庁長官に睨まれた結果であると噂された。
山田は高等文官試験を優秀な成績で合格したほどの頭脳明晰・記憶力抜群で、 陸軍士官学校・陸軍大学校の権威など歯牙にもかけない勢いで、 旧陸軍の俊英たちの度肝を奪ったという。
退役後、第8代の防衛研究所長に就任したが、本来シビリアンの就く地位であり、 東大卒の文官である山田はそれを可能にした。