閑院宮戴仁親王附武官の経験があり、性格は温厚で几帳面であった。
防衛庁長官には恵まれず、松野頼三の後の上林山栄吉は、3幕僚長と自衛隊音楽隊を動員して お国入りしたことが公私混同と大問題となり、早々に長官を辞任するといった事件があった。