昭和16年?
陸軍演習 ご視察の陛下

陛下は御幼少のころから乗馬にご熱心であらせられ、
障害馬術もこなされた程である。

陛下の愛馬はいずれも欧州産の白馬で
『吹雪』 『白雪』 『嶺雪』 と乗り継がれた。

ご閲兵中、不意に動かないようにと
お附調教師が朝の4時頃から御料馬をのりつぶす
苦労があったという。

昭和17年12月
御年満9歳になられた皇太子殿下(今上天皇)

皇族身位令 第17条には
『皇太子ハ満10年ニ達シタルノチ、陸海軍少尉ニ任ス』 とあり
歴代皇太子は、近衛歩兵第1聯隊附・第1艦隊附となられる
慣習であった。
ところが皇太子殿下はなかなか任官されなかった。

昭和20年に入り、杉山、阿南陸相は何回か木戸内大臣に
軍の士気にかかわる といって催促したが
陛下の御許しはでなかった。

結局 皇太子殿下は軍服を御召しにはならなかった。

昭和18年6月

宮城付近に設置された東部軍防空旅団
高射砲陣地を視察された陛下。

防空旅団司令部は要地地上防空兵力の強化に伴い、
昭和18年8月には防空集団司令部に改編された。

同じ頃、三式12糎高射砲が生産されるようになったが
その多くは高々度からのB29による攻撃には効果の少ない
八八式7糎・九九式8糎高射砲であった。
昭和20年5月の空襲では折からの強風もあって
宮城表御殿と大宮御所などは炎上するに至った。

昭和19年4月25日

靖国神社に御参拝

新たに2万1千柱の戦没者を合祀した。

   御写真集 7

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