4月25日以降、鬼川一彦本人またはその編集者により改ざん、その改ざん前

「北芝健」の参考文献情報


2010年4月25日 (日) 15:13時点における版

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北芝 健(きたしば けん、本名・鬼川一彦(きかわ かずひこ) 1945年10月22日 - )は元警視庁刑事を自称する空手家作家犯罪学者漫画原作者コメンテーター。作家・漫画原作執筆時には更に別のペンネームを用いる。

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経歴

以下は本人著書・自称などに基づく客観的に確認できない情報を含んでいます。

自称・元警視庁刑事(『警察裏物語』では“私服捜査官”なる肩書きを自称)。現職時は主に銀座の交番勤務であった。そして、刑事警察公安警察に所属、多種多様な事件を扱ったという。警視庁の築地OB会。空手六段、警視庁柔道二段、日本拳法三段、アマチュアボクシングなどの武道の達人としても知られる。

東京都葛飾区出身。祖父外科医の鬼川俊蔵、父内科医の鬼川太刀雄、母小児科医の鬼川廣子の家庭に育つ。祖父、父、母は共に医者で著作を多数持つ文人、歌人であった。歌碑も多数存在している。鬼川姓は秋田県の角館町の鬼川家を起源としている。葛飾区の小学校千代田区中学校文京区獨協高等学校早稲田大学二文を卒業。身長178cm、胸囲114cm、握力両手とも68kg。1983年まで続いた「捨て駒いち」の後書きで、本宮ひろ志俺の空刑事編の原作が終わって、バトンタッチのように始まったと書かれている。本宮ひろ志俺の空刑事編は1980年に始まっているので、少なくとも1980年代から、執筆活動や原作などで知られた存在だったと、各種文献からわかっている。また、こちら葛飾区亀有公園前派出所の39巻ほかの原作も行っていると称する。ただ、著書『北芝健のアンチエイジング道場』内で大学病院の専門医による診断では肌年齢は28歳、また、生理年齢は30歳(2007年当時)であると称する。実際年齢は60歳を超える。

早稲田大学二文卒、会社員として勤務後、一念発起して警視庁入庁。数寄屋橋、築地、銀座4丁目などの交番勤務を経験した後、交番勤務成績が良かったため、捜査本部などの私服刑事となり、多種多様な事件を扱ったという。鑑識技能検定にもパスしたと自称。また刑事時代に警視庁の語学課程で優等賞をもらった結果、公安警察に転属する事になったという。本人の著作によれば、警視庁入庁、警察学校、交番(制服)、米国要人警護(私服)、刑事警察捜査員(私服)、選挙違反取締本部(私服)、捜査第一課特殊犯捜査係特別捜査本部一課外捜査員(私服)、警視庁語学研修で一位、結果として公安、公安外事警察捜査員(私服)を経て、大学院進学のため退官であるという。フジテレビ出版が出版した2003年の「勝手に!踊る大捜査線」という、倉田真由美と北芝健の二人が協力しているオフィシャル解説本で、踊る大捜査線の原案協力者であると明かされている。踊る大捜査線の主人公の青島俊作もドラマ内で、青山学院大学を卒業し会社勤め、一念発起してノンキャリ警察官、交番勤務から刑事や防犯・交通・公安まで転用生活が描写されているので、北芝健が青島俊作のモデルであると言われる。だが、ノンキャリ大卒警察官で器用な人物は、このように様々な部署に吸い上げられる事は、さほど珍しい人事ではない。このように様々な部署で現場の犯罪を体験するにつれ、大学院で犯罪学を研究したいと警視庁を退職した。昇進には興味がなく巡査のまま退官したという。捜査官在任中、ロス市警で捜査協力、アジア特別捜査隊と懇意になった事を自称。大学時代の1年間英国で居住した経験を生かし、犯罪捜査を国際レベルの英語で行えると自称する。ただし、警視庁に在籍したのは数十年前のたった数年である。

警視庁を退官後は、早稲田大学大学院で犯罪社会学を研究し中退。現場の捜査を体験した犯罪学の教員が当時一人も居なかったため、学校の教員として採用された。現在は学術社団日本安全保障・危機管理学会」顧問・講師(犯罪学)、同じ早稲田大卒の今村昌平が開校した日本映画学校(2011年より日本映画大学となる)専任講師を十数年やっており、専任講師のため担任クラスを持った事もあった。空手家としては、文京区駒込で空手・護身術道場「修道館」を主宰する。その他に作家やテレビのコメンテーターとしても活動した。また、1990年に得度しており、密教僧侶の資格を獲得。資格のある僧侶として、葬儀を仕切った経験もあり、三郎丸 光明名義での著書もあった。(絶版)原作した映画では警察官役の俳優として映画出演した事もあり、2006年までは多数の方面で活躍した。

出演番組

レギュラー出演

ゲスト出演

映画出演

関連項目

外部リンク

プロフィール