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イタリア:国民投票、福島原発の影響大 「テレビ政治」に限界も

 イタリアの国民投票は今月13日、投票率を下げ不成立を狙ったベルルスコーニ首相のかけ声もむなしく、成立した。これにより「原発建設再開」「水事業の民営化」、さらには首相を訴追から守る「要職者の公判出廷免除」についての法令が国民の手で排除された。福島第1原発事故が盛り上げた形の国民投票からは、「テレビ政治」の限界や大衆が国政を決める制度の意義など、さまざまな教訓が読み取れる。【ローマ藤原章生】

 ◇過去6回は不成立

 今回の国民投票は福島の原発事故を受けたものと誤解されがちだが、今年1月に決まっていた。イタリア憲法75条が規定する「(法令)廃止のための国民投票」に基づき昨年7月18日、非政府組織がベルルスコーニ政権が通した水事業民営化法令の削除を問う国民投票実施を最高裁に申請。同28日には、少数野党「価値あるイタリア」がやはり水事業の民営化と、原発再開、公判免除の3法令について国民投票を求めた。申請には日本の都道府県に当たる20州のうち5州以上の議会の決定か、50万人以上の有権者の署名が必要。今回の3テーマはいずれも約74万~80万人の署名を得たもので、最高裁は今年1月、6月実施を認めた。

 だが、この決定はあまり注目されなかった。というのも「国民投票など何の役にも立たない」と首相が常々語るように、95年の放送法改正をめぐる国民投票を最後に、その後6回の投票全てが不成立に終わっているからだ。関心も低く、03年以降は全て2割台の投票率だった。メディアの大半は今回も「成立しない」とみていた。

 最後に成立した95年は、ベルルスコーニ首相が政界入りした時期でもある。民放テレビ網「メディアセット」を興し、テレビに頻繁に登場する“うるさ型”として名をはせた首相は94年、疑獄事件で長期政権が倒れた隙(すき)をつき、新党を率いて一気に首相に躍り出た。首相は進退を繰り返しながらも、17年にわたり政治の主役を続けている。

 その間、メディアセットは、他人の悪口や醜聞を語り続けるDJ番組や主婦のストリップ、議論の合間に半裸の女性が踊る政治漫談、素人の若者を一軒家に閉じ込めて素行を撮影し、視聴者に携帯電話で人気投票をさせるリアリティー・ショーなどで、視聴率を稼いできた。影響を受けたのか国営放送RAIにも同様の番組がある。首相の戦略は「ビデオクラシー(ビデオ政治)」と呼ばれ、政治から有権者の目をそらす「総白痴化」を狙ったものとの見方が、学者やメディアの間で定着している。

 表面的で明るく、格好が良ければいいという風潮が広まった社会をバックに首相は、国民投票を人々は支持しないとみなし、事故のあとも原発については多くを語らず、沈黙する作戦に出ていた。だが、「フクシマ」のショックは首相の読みをはるかに上回るものだった。メディア学者、クラウス・ダビ氏(44)は「投票率54・8%、原発拒絶94%という数字は私も予想しなかった。今回の国民投票を成立させた最大の要因は、フクシマの事故だ」と語る。

 ◇「日本は従順すぎる」

 3月11日の震災直後、イタリアのメディアは諸外国と同様、被災者の気高さに焦点を当てたが、「水素爆発」を機に放射能の恐怖を伝える報道を繰り返した。中には誇張もあった。

 震災5日後の16日に国営RAIのクルーは大阪に拠点を移し、「人の消えた東京」と、首都の人々が一斉に逃げたという印象を与えるニュースを伝えた。クルーを率いたアレッサンドロ・カッシエリ記者(50)はこう話す。「汚染に関する情報の発表が遅い。政府は原子炉について真実を隠しているとしか思えない。日本の報道も、特にテレビが良くない。感動や希望をうたう話に終始し、世界が知りたい原発事故は後回しの感がある。私はチェルノブイリ事故など世界の原発を取材してきたが、関係者は必ず問題を低く見積もるものだ」

 カッシエリさんはカルチャーショックを受けたという。「日本人の約半数が政府情報とテレビ報道をそのまま信じ、自分で状況を判断しない。なぜ疑わないのか。日本人には学ぶべき点も多いが、従順さは時に大きな欠点になる」

 特派員の主観は報道に反映される。中には冷静な報道を続けた局もあったが、RAIは4月以降も、震災に関するニュースで、3月の水素爆発の映像を流し続け、「原発の怖さ」を国民に広めたといえる。

 こうした報道を批判するイタリア人も中にはいる。そんな一人、東京在住のアレッチ・シッラ記者は「イタリア人の報道は正確ではない」と言いながらもこんな印象を語った。「普通のイタリア人がわからないのは、原爆を2度落とされた日本人がなぜ核エネルギーを推し進め、それにこだわるのかということ」。つまり、将来のエネルギー供給などを踏まえた上で原発の是非を考えようとする日本人の姿勢や、「核の平和利用」を目指した被爆国の歴史が理解されていないのだ。

 ◇政策を自分たちで

 一方、イタリア人は事の是非について、もっと直観的だ。

 「原発報道が国民投票を底上げした」と言う先のメディア学者、ダビ氏は続ける。「フクシマの事故報道を利用し原発の否定的な面をあおったのは、国民投票を進める左派の一つの政治ゲームだ。そこには温暖化防止のための将来のエネルギー議論も、統計を踏まえた上での原発の安全性の話もない。代替エネルギーがどれだけ高くつくか、それにより(欧州一)高い電気代がどれほど上がるのかといった話もなかった。原発の再開を許すかどうか、人々の感情に訴える面が強かった」

 ミラノに本社を置くイタリアの有力紙「コリエレ・デラ・セラ」は、付録としてグラビア誌を毎週発行する。文字をあまり読まない読者の獲得を狙ったものだが、3月26日号は「私は緑に生きる」と題し、緑を基調とした74ページにわたるもので目を引いた。太陽光や風力、地熱による発電、羊毛断熱材による省エネ、有機野菜などの特集。それを眺めると、実に健康的で明るい理想郷が待ち受けているような印象を抱く。

 しかし、09年の全電力のうち地熱は0・6%、風力と太陽光を合わせて0・85%という現状と、「急速に伸びる可能性はない」(国際原子力機関のステファノ・モンティ研究員)という代替エネルギーの将来見通しを思えば、グラビア誌が描く近未来はかなり極端だ。だが、こうした雑誌が人々が集まるバール(軽飲食店)で回し読みされ、フェイスブックなどネット上のつながりを通して「投票に行こう」という勢いが、6月に入り一気に高まった。

 「イタリア人は全般に科学に弱いが、政治で人々を扇動するのにはたけている。科学を知っていれば『そうはいっても』と常に別の見方を探り、『はい』か『いいえ』の二者択一を好まない。私は国民投票という制度に反対だ。特に科学的なことを決めるのに賢い手段ではない」。ボローニャ大で常温核融合の研究を続けるセルジオ・フォカルディ教授(78)の言葉だ。

 ただ、イタリアは過去に王制廃止や離婚の合法化、そして90年の原発閉鎖につながる「原発建設を国が優先的に決める法令の廃止」など、暮らしに結びつく問題を投票で決めてきた。

 メディア学者のダビ氏はこう指摘する。

 「知識のある者や官僚、政治家だけで事を決めるのは、無知な者は黙れという考えにつながる。今回のイタリア人の選択は他国から見ればエゴと映るかもしれないが、民主主義の表れだ。我々はこの先も安楽死や同性愛婚など倫理的な問題を投票で決めていく。その主体は国民であり、結果を賢明かどうかで判断するのは間違いだ」

毎日新聞 2011年6月25日 東京朝刊

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