保安院長の親族殺せで逮捕
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ブログに「保安院長の親族殺せ」男を逮捕
「(経産省の)原子力安全・保安院長の親族を殺せ」などとインターネット上に書き込みをしたとして、警視庁は22日、脅迫の疑いで愛知・一宮市に住む木野村洋世容疑者(33)を逮捕した。
警視庁によると、木野村容疑者は今年4月、自分のブログに「原子力安全・保安院長 寺坂信昭の親族一同を探して殺せ」などと書き込んだ疑いが持たれている。東京都内に住む寺坂院長の家族が書き込みを見て警視庁に被害届を出した。
警視庁の調べに対し、木野村容疑者は「書いたのは私です。冗談半分で書いたけれども、申し訳ありません」と話しているという。警視庁は動機について詳しく調べる方針。
▼YOMIURI ONLINE(読売新聞) [2011年6月22日21時01分]
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110622-OYT1T00957.htm
この逮捕について言論の自由の観点から見ても限度を超えた不穏当な書き込みであったことは間違いない。しかし、これを突破口としてあらゆる文章にまで国家権力が介入してくる恐れもあるので、この問題について言及しておきます。
「殺せ」ではなく「殺すほど憎んでいる」とか「殺されても仕方がないほどの罪を犯した」などと書けば、逮捕されることはなかったのではないか? また、この人物が福島原発の事故によって全ての生活を奪われた当事者であったとしたらどうだったろう?
それでもやはり逮捕は免れなかったかは疑問だ。原発災害被害者の会を郷土の福島で立ち上げてから、保安院とか安全員などを「殺してやりたい」と言う被害者の声をよく耳にするようになりました。
実際、私自身もそう思っています。ただブログでストレートに書くことはありませんが、本当に民主党の菅直人をはじめそれに値する連中はたくさんいると思います。
福島市が最大で26.4マイクロシーベルトの放射能が降り注ぎ、何週間も続いていた時に、これらの政府関係者や行政機関から派遣されてきた専門家だけは、その危険性を知っており完全防護服で警戒体制の中、放射能のスクリーニングをしていました。
なぜ、そのような完全防護の服を着ているのかと尋ねても、「危険な状態だから・・・」とは言わずに、このような服を着ることが決められているからだとしか言いませんでした。つまり、自分たちは危険だと知っていながら、住民にはそれを知らせなかったのです。
また、IAEAの調査隊が「飯舘村は危険だから退避させなさい」と日本政府に促した時に、日本の原子力安全委員会はIAEAの観測方法は間違っており、自分たちの調査では安全だと言い放った。
原子力安全委員会は「我々はIAEAの基準ではなく、日本の基準に従っているのであり、人体に直接的に影響を与える所を評価しているので、より正確である」とIAEAの調査は誤りだと否定した。これはIAEAは土壌調査だけだが、自分たちは空気中や食物も検査しているからとの言い方だった。
そしてIAEAの調査結果について、枝野官房長官は「長期的に蓄積すれば健康に影響を与える可能性は高い」が飯舘村に避難指示を出すことについては、「直ちにそうしなければならない性質ではない」と強調した。
私はこの頃、民主党の連中と原子力関連に携わる連中を「殺したいくらいだ」と書いたと思いますが、これはまさに本気でそう思いました。真実を隠蔽し住民の生命を危険にさらした者達が、何らの罪に問われることもなくのうのうと生きているなら、本当に自分らの手で殺してやりたいと思うのは当然ではないか。
今回のブログの記事はその文章に問題があったと思いますが、それだけの怒りが国民の間に湧いていたことは事実です。今回の逮捕劇が批判や抗議をしたら、権力を使ってもしょっ引くぞという姿勢であるとするならば、このような動きは今後警戒しなければならないと考えます。
「殺せ」でなくても「殺したい」と書いてしまえば、相手がそれを見て恐怖感を覚え、本当に殺されるのではないかと思ったと被害届を出した場合、今後そのことで警察が動くことは十分に考えられます。
いくら逮捕された後で「そんなつもりはなかった」と弁明しても遅いのです。
便所の落書きとか、個人の表現の場でしかないとされてきたネット上の言論空間が、権力の都合で公共の場としてマスメディア並の規制を受ける可能性も十分に考慮して書いていかなくてはならない時代に入ってきたかも知れません。 ←ブログランキング応援クリックお願いします。