※山下氏は人物画はあまり得意ではない、貼り絵で細かい表現ができるのか? と言った疑問点がありますが、その点については書いた当時の私の知識不足が原因でした。申し訳ありません。
「お、お腹が空いたんだな……。」
短く刈り込んだ坊主頭にランニングシャツに半ズボン、リュックに赤い傘、スケッチブックを抱えている小太りの男は道路の脇に座り込んでしまった。
しかし、倒れこんだ男にすぐに声はかからなかった。道路には車も人もほとんど通らない。大都会であるこの街でもあり得ない光景ではなかった。
なぜならサードインパクトにより世界の人口の十分の八が失われてしまっていたからである。
さらに使徒戦によって荒廃したこの街に住み続けるのは、ネルフに縁があり特別に思い入れがある人々だけだった。
紙一重で使徒戦の被害から免れた旧ネルフ幹部用マンション、コンフォート17に通じる道路でこの哀れな男の命運が尽きるかと思われたその時。
「痛っ!シンジ、そんなに引っ張らないでもっとゆっくり歩きなさいよ!」
「アスカはまだ怪我が完全に治っていないんだから、待っていればいいのに。」
コンフォート17に住む唯一の世帯である住民の二人が夕食の買い物から帰って来たようだ。一人は少し痩せ気味の端正な顔立ちをした少年。
もう一人は紅茶色の髪をたなびかせた美少女……だったのだろうが、顔の左半分は包帯で覆われていて、ほおもかなり痩せている。
歩くのも隣にいる少年に肩を借りてかろうじて歩けるといった様子だ。アスカとシンジは入り口付近に倒れている男に気がついたみたいだ。
「あの……どうかしたんですか?」
「お、お腹が空いて動けないんだな。」
「ふーん。ただの行き倒れみたいね。さっさと警察に通報して引き取ってもらいましょうよ。」
「ぼ、僕はキヨシと言います。お、お母さんが死ぬ前にキヨシ、お腹が空いたら親切な人におむすびを食べさせてもらいなさいって言ったんだな。」
「うん、わかったよ。」
シンジはキヨシの言葉にうなづくと、アスカの手をとってコンフォート17の中に入っていく。エレベーターの中でアスカはシンジに文句を言っていた。
「あんな薄汚い得体の知れない男を助けるわけ?うちに居付かれたらどうするつもりよ。」
「でも、放ってはおけないよ。」
シンジたちは葛城とネームプレートが書かれたドアの前まで来ると、ただいまと言って中に入る。応える声は二年前から途切れている。
アスカと別れたシンジはセットしてあった炊飯器を開けて、中からご飯を取り出し手頃な大きさに丸めていく。そして塩を軽く振りかけた。
おむすびを三個ほど作ったシンジは部屋を出て、キヨシの元へ向かった。キヨシは彫像のように動かずにその場で固まっていた。
シンジがおむすびを差し出すと、キヨシはあっというまに平らげた。シンジがあまりの食べっぷりに目を丸くしていると、キヨシはシンジを驚かせることを言った。
「もっと、たくさん食べたいんだな。」
シンジは苦笑いを浮かべて、キヨシを伴ってアスカの待つ部屋に戻った。キヨシの姿を見たアスカは立ち上がってキヨシを指差して金切声をあげる。
「なんで、そいつを連れて来るのよ!」
「もっとおむすびを食べたいらしいんだ。」
「アンタ、バカァ!?犬や猫とは違うのよ!」
アスカににらまれたキヨシはちょっと困った様子。
「男の子の方は優しいけど、こっちの女の子はちょっと怖いんだな。鬼さんなんだな。」
「アタシは鬼じゃなくてアスカ!んで、あっちはシンジよ。」
「じゃあさっそくおむすびを作るよ。」
そういって炊飯器に向かったシンジをアスカが手で制す。
「おむすびくらいアタシが作るから、アンタはアタシたちの夕食を作ってよ。いい加減、こっちもお腹すいてるの。」
「うん……わかったよ。」
そういってシンジは台所のまな板の前に立つ。アスカは炊飯器からご飯を取り出していびつな大きさに丸めていく。そして塩をどばっとかけた。
「はい。これを食べたら、アンタは風呂掃除でもしなさい。働かざるもの食うべからずよ。」
「僕はサルじゃないけど、おむすびは好きです。いただきます。」
キヨシがアスカの握ったおむすびを手に取るとボロボロと崩れ落ちてしまった。それでもめげずに口に入れるとキヨシは顔をしかめた。
「こ、これはおむすびじゃないんだな。しかもとっても塩っぱいんだな。」
「何よ、アタシの作ったものにケチつけるっての?」
アスカがにらみ付けるとキヨシはアタフタしながら崩壊した元おむすびをかき集めて食べ始めた。シンジはその様子を台所から盗み見て必死に笑いをこらえている。
背中が震えていて、後ろ姿からでもアスカには十分解った。
「シンジ、何笑っているのよ!アンタにはアタシを笑う資格なんて無いはずでしょう!」
「ご、ごめん。」
アスカがそう言うとシンジは目に見えて肩を落とした。さっきまでの明るさはなりを潜め、暗い空気をまとっている。
「な、なんで、子供二人だけで暮らしているのかな?お父さんとお母さんはいないのかな?」
「保護者みたいなのはいるけど……アタシたちはもう十六。子供じゃないの。」
「じゃあ、二人は夫婦なんで、それで暮らしてるんだね。」
勝手に納得しようとしたキヨシをアスカが大声をあげて否定した。
「アタシはシンジに復讐をするために一緒に住んでいるの。この包帯。この大怪我はシンジのせいよ。アタシを利用しといて、困っている時に助けに来ないシンジが憎たらしくてたまらないのよ!」
「そ、それは違うんだな。」
「何が違うのよ!」
「僕は口下手なので上手く言えないんだな。」
その後重い空気のままアスカとシンジとキヨシは夕食を食べた。シンジはキヨシに自分の部屋を譲り、リビングで寝ることにした。
夜遅く。シンジはトイレに行きたくなって目を覚ますと、シンジの部屋から明かりが漏れていた。
電気の消し忘れかと思いそっと扉を開けるとキヨシが夕食の時とはまるで違う真剣な表情で絵を描いていた。大きなリュックの中身には画材などが入っていたのだ。
邪魔してはいけないと思い、シンジは声を掛けずにそっと部屋を離れてリビングに戻り眠りについた。
翌朝。シンジが朝食の準備をしていると、キヨシが荷物を持って部屋から出てきた。下向きに伏せられた画版のようなものが気になったが、聞かないことにした。
「シ、シンジ君。おむすびありがとうなんだな。僕はもう大丈夫だから行くんだな。」
「そんな、もっとゆっくりして行ってもかまわないのに。」
「僕は放浪が好きなんだな。一つの所にゆっくりとしては居られないんだな。」
キヨシは画版を裏返しにしてシンジに差し出す。
「これってもしかして、昨日の夜に書いていた絵ですか?」
「シンジ君へのプレゼントだけど、ア、アスカさんに是非見て欲しいんだな。」
シンジにはキヨシの言葉の真意が分からなかったが、とりあえず受け取ってひっくり返して絵を見てみる。シンジは絵の内容にとても驚いて固まってしまった。
「あれ、キヨシさんが居ない……。」
シンジが絵に魅入っている間にキヨシは部屋から姿を消してしまっていたようだ。シンジは照れ臭そうに笑いがこみ上げてくる顔を引き締めようとしながらアスカを起こそうとドアを開ける。
アスカの荒っぽい字で立ち入り禁止と書かれた札のかかったドアを開けてシンジは何回もアスカに痛い目にあわされている。
サードインパクト後には一回もしなかった行動をシンジは起こしていた。アスカはシンジに揺り動かされて目を覚ました。
アスカはこの無礼者を思いっきり蹴飛ばしてやろうと思ったが、サードインパクト後いつも暗い表情を浮かべていたシンジが明るい笑顔をしているのを見て毒を抜かれたようだ。
シンジがゆっくりとアスカの前にキヨシの絵を差し出す。その絵を見たアスカは目を見開いて叫び声をあげた。
「な、何よ!この絵ー!」
キヨシの絵にはアスカを支えるシンジと、シンジに寄り添うアスカの姿が描かれている。アスカの顔や体には包帯が巻かれているが、シンジを見つめるアスカは笑顔だった。
見つめ返すシンジの顔も笑顔を浮かべている。
「こ、これが本当の、アタシたちだって言うの……。」
アスカはいつの間にか目から涙を流して絵を眺めていた。視線を上に戻すと優しそうな眼差しで見つめるシンジの瞳。アスカと目があってもそらすことは無い。
アスカは起き上がってシンジの胸に飛び込んで行った……。
「ぼ、僕には二人が好きで、一緒に居て楽しくて仕方が無いように見えたんだな。」
赤い傘を差したキヨシはそういってゆったりとした足取りで第三新東京市を去って行った……。彼は今日もどこかで放浪をつづけている。
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