2011年5月 6日 (金)

ありがとう。おやすみ〜!

ありがとう。おやすみ〜!

今日5月6日の未明、

ボクが子供の頃、夏休みになると山ん中走り回ったり川で泳いだりして過ごした和歌山の山奥の家で、

大好きなおばあちゃんが旅立ったと連絡がありました。

散歩から帰ってくる途中、大量に血を吐いて、

担ぎ込まれた病院での検査の結果、お医者さんに"余命2週間"ていう診断をくだされました。

昔の人の強靭な体力は現代医学の常識に当てはまらないのか、なんとそっから1年!医者の自信を粉々に打ち砕くかのように(笑)、
2週間だと言われた"賞味期限"を自分で1年間にまで延ばしたんです。

最期の方は病気が全身に転移して、肺にも水が溜まって、点滴だけで3ヶ月、

でも最期の最期まで意識ははっきりしてました。

お医者さんが「2、3日がヤマです。」ておっしゃってから、2週間もヤマを動かしました(笑)

ボクも、"もうさすがに生きてるうちに逢えるの最後やろな"・・・が、結局10回以上になりました(笑)

自分も小さい子供の時から、それ以上に小さな兄弟たちを背中におぶって、農作業をしてたおばあちゃん。

お母ちゃんを産んでくれたおばあちゃん。

ゴキブリを素足で踏み潰したおばあちゃん。

川で泳いでるのを岩場にすわって見てくれてたおばあちゃん、

寝付くまで背中を掻いてくれたおばあちゃん。。。。。。

そら当たり前やけど、思い出をここに書ききれるわけも無いし、書く必要もないし。

ただただ、虚しくてシンドイねん。

生粋の筋金入りのおばあちゃんっ子やったから。

心の準備してたつもりやってんけど、まったく何も準備できてなかったわ。。。

俺が今まで生きてきて1番ツライ出来事やと思う。

悲惨な戦争を経験して、焼け野原になった日本をここまで立て直して、

子供を育てて、孫ができてひ孫までできて、

やっとゆっくり静かに生を終えようかという時に最期の最期まで

「東北は大丈夫か?放射能はみんな大丈夫なんか?」って涙を流しながら、心配しながら、憂いながら、旅立って行きました。

意識が無くても5日の日付が変わるまで頑張ったのは、

自分の子供のお母ちゃんと孫のボクたちと、「おまんに全然似てないわぁ〜(笑)」って言いながら可愛い可愛いって言うてくれた、ちびっしゃん。の こどもの日を見届けてくれたんやろな。

天国で久しぶりに逢うたおじいちゃんと、また、仲良く喧嘩しいな(笑)

俺がちゃんと寿命を終えてそっちへ行ったら、また寝付くまで背中掻いてな〜!(笑)

バイバイ、またな。

2011年4月15日 (金)

「味付けは少々ピリッと辛くなってます。」

「味付けは少々ピリッと辛くなってます。」


ちびっしゃん。が寝ながらボクの指を握ってんけど、

ふと見たら、"パン屋に行ったらみんなとりあえず絶対買うパン"みたいになってるやん!(笑)


ただ、これ、


パンは外はふわふわ、中はしっとり、

オーガニックの小麦を天然酵母で焼き上げた上質なパンですが、


中に入っているソーセージは


酸いやら甘いやら
苦いやら辛いやら、

ごちゃ混ぜのエサを食べ続けてきた、中年の豚のソーセージでございます(笑)


いつまで製造できるかわかりませんので、


皆さんお早めに。


その2つが織り成すハーモニーをぜひご堪能くださいまし。

2011年2月16日 (水)

おめでとう!すぐ行くからな〜!

おめでとう!すぐ行くからな〜!


今日、2月16日はおばあちゃんの誕生日。


89歳、おめでとう!


健康な時は快活でよう笑う人で、


ほんま、おばあちゃん、笑った顔しかようせんのとちゃう?って思ってたくらい(笑)


そんなおばあちゃんが、吐血して病床にふせたのが、去年の春先かな、

それ以来、泣き顔しか見んようになりました。


毎回、
もうほとんど聞き取れないかすれた声で「遠いのに忙しいのに、こんなとこまで逢いにに来てくれてありがとう。」って言うて涙。


毎回、
ひ孫のちびっしゃん。の遊んでる姿を見て、俺のちっちゃい時を思い出す、って涙。


毎回、
「おばあちゃん、また来るからな〜!」って手を握ったら涙。


そやから、「誕生日おめでとう」なんか言うたら、


また泣かせて、余分に水分奪って、


ただでさえカラッカラのおばあちゃんが、よりいっそうカラッカラになって身体に堪えさすんは、


孫として、失格やと思うねん。(笑)


だからここで、コッソリの

おめでとう!


ちびっしゃん。連れて、
休みになったら、すぐ逢いに行くから、絶対待っててな〜!


2011年2月 1日 (火)

生かしたい。

生かしたい。


男手ひとつで苦労しながらも、幸せに暮らしていたのに、


ある日突然、生死にかかわる重い病を患って、


限られた人以外にはそれをひた隠しにしながら


次から次へと降りかかる全ての苦悩と闘ってる友人がいると、以前、ここで書きました。


完治を目指して苦しい治療に耐え、定期的な検査の結果に一喜一憂していた彼ですが、


ひとりで抱え込まなくちゃいけないという、彼の置かれた現状のせいなのか、


最近は、じっと考え込む姿が目につくようになりました。


"生きたい"と患者が想って"生かしたい"と家族が想って"助けたい"って医者が想う。


どれが欠けてもアカンと思う。


彼はもちろん"生きたい"はずだし、医者はもちろん"助けたい"はず。


訳あって何も伝えられてない家族に成り代わって


"生かしたい"て想うコトしか僕にはできません。


2011年1月28日 (金)

変わらない、っていうこと。

変わらない、っていうこと。
変わらない、っていうこと。


人って、そんなヤツや無いと思ってても、いろんな周りの環境に変えられてしまって、今まで積み重ねたいろんなコト・・・・・・平気で軽々と捨ててしまうよな。

海に入ったら、もう陸には上がられへんのに。

陸に上がったら、もう海には戻られへんのに。


なんでもかんでも変化することが、すべて"進歩"だとされている現状、


それに乗っかって動き回って、エリアが拡がっても、
自分の居場所がなくて


"やっぱりわたしの居場所はあそこだ!"って、図々しくも元々いた場所に戻ろうとしても、


そこにはもう居場所なんかないねん。


気付けへんやろうけど、"いつでも戻れる"って自分がいくら思てても、


変わってしまったら二度とそこには戻られへんねん。


河島英五さんが唄ってました。「時代おくれの男になりたい」って。

1月29日(土)OAの、

TBS「飛び出せ科学くん」で、

あの伝説の古代魚、"シーラカンス"が生きて泳いでる姿を撮影するために、


インドネシアの海に行って来ました。


4億年も、何も変わらず、変えず、生き抜いてきた究極の"時代おくれ"。


なぜか、老若男女みんながロマンを感じる生き物、


それは、


変えずに生きたい!
変わらず生きたい!


自分がなりなくてもなれない"時代おくれ"に、


本能で憧れてるからやと思います。


29日(土)、

ぜひ生きて泳いでる素晴らしい姿を、観てやってください!

2011年1月17日 (月)

吉兆の自然現象。

吉兆の自然現象。


正月に飛行機内から見た


"ブロッケン現象"!!!


僕自信、大昔に富士登山で見て以来、


人生で2度目。


良く見ると雲に映ったまんまるの虹の中に、

飛行機の機体の影が見えるでしょ。


縁起のおすそわけ、どうぞ!

いろんな条件が合わないと見れないレアな現象なのに、機内アナウンスも入らなかったので

僕以外の乗客の皆さんが気付かないのはもったいないと思って、


せめて前後にぐらい、と
お客さんを見たら、


前後とも、ちょっとコワモテの人やったので動けず・・・・・・


人見知りがヒドいほっしゃん。では条件が合いやすくけっこう良く見れる現象、


"動っけん現象"(笑)

2011年1月 3日 (月)

明けまして。

明けまして。
明けまして。
明けまして。


これから昇ってく日の出は誰もが当たり前に見るけど、

これから沈みゆく夕日の
沈んだ後も見続けること、

何かわからんけど、

そんなんが大切なコトやと思うねん。


"誕生と終焉"。


どっちも目の眩むような
輝きがあることをみんな知ってるけど、

"終焉の終焉"。

完全に太陽が沈み切った時、いったい何が訪れるんか、


ちびっしゃん。にはそんなんを自分で見て感じて行って欲しい。


これからの人生、砂浜に足をとられて倒れた時。


押し寄せる波に飲み込まれて溺れそうになった時。


側におれるかわからへんから。


でも、わかったやろ、ちびっしゃん。


太陽が完全に沈んでも、真っ暗闇にはならへんてこと。

月もあるし、星もある。


この世には

完全な闇なんて絶対無いってこと。


2010年12月22日 (水)

天国の真下。

天国の真下。


インドネシアから日本に帰る途中、雲の上の機内から、

撮りました。


太陽が昇ってくるのを想像しましたか?

それとも、

これから訪れる深い夜を想像しましたか?


さぁ、どっち?


そんなんどっちでもいいやんな、


間違いなくこの景色は綺麗やし。

生命はもちろん、どんな事でも


「誕生」 と 「終焉」は美しいねんやろな。


ちなみに、答えは、


・・・野暮やな、

どっちでもええやんな、


綺麗やねんから。


2010年12月12日 (日)

死ぬまでに逢いたくて逢えた!!!

死ぬまでに逢いたくて逢えた!!!


科学くんのロケで行った世界遺産・知床の地で逢えた

国の天然記念物、シマフクロウ。


ず〜っと昔から逢いたくて会いたくて堪らなかった、

アイヌの人々が"村の守り神"コタンコロ・カムイと呼んで拝した


世界最大級のフクロウ、
コタンコロ・カムイ。


凍てつくような風に立つその姿に僕は確かに"神"を見ました。


あまりの壮大さと力強さと神々しさに

言葉が出ず、番組だということを忘れて、


涙が止まりませんでした。


そして、そんな僕に、専門家の方も、"奇跡中の奇跡だ!"とおっしゃるくらいのシーンを見せてくれました。


多分、こういう仕事をさせてもらってる我々に、


"すべてを見せるから、すべてを伝えてくれ"


ていう意味でのことなんやと思います。


環境の変化などで、100羽超ぐらいしか生息していないシマフクロウ。


いろんな方がいろいろ尽力なさってますが、絶滅の危険に瀕してます。


うちのちびっしゃん。とか今のチビッ子、またその子供たちが大人になって、北海道旅行をした時に、


「シマフクロウ見たなう〜」

ってわざわざツイッターで呟かないくらい沢山いる、"当たりまえ"の鳥になるように、


僕ができることは何でも協力したいと思います。

2010年12月 6日 (月)

残したくて。

残したくて。


ボクの大切な大切な友達のコトを書きます。


彼は離婚しているのですが、愛する人の励ましもあって、男手ひとつで小さい子供を一生懸命育てていました。


その彼が突然、重い病気にかかってしまいました。


仕事もあるし、子供を育てなくてはいけないし、何より周りに心配をかけたくないという思いから、


ほんの一部の人と、愛する人だけに告白して


無理を言って、入院せずに大変で苦しい治療をしてたらしいんですが、


このままでは助からない、というお医者さんの判断で、とうとう強制入院の措置が取られることになりました。


泣いたらしいです。
気が狂うほど泣いたらしいです。


死ぬことが怖いというよりも、

我が子、愛する人、親兄弟、仲間ともう二度と会えなくなるかもしれないことがツラくてツラくて


夜も眠れないらしいです。


僕は情けないくらい無力です。

そんな僕が精一杯できることは、


彼が眠られへん夜に話し相手になるぐらいです。


ただそんな彼のコトを残しておきたくて


ここに書きました。


「人志松本の○○な話」
DVD発売!!

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