ありがとう。おやすみ〜!
今日5月6日の未明、
ボクが子供の頃、夏休みになると山ん中走り回ったり川で泳いだりして過ごした和歌山の山奥の家で、
大好きなおばあちゃんが旅立ったと連絡がありました。
散歩から帰ってくる途中、大量に血を吐いて、
担ぎ込まれた病院での検査の結果、お医者さんに"余命2週間"ていう診断をくだされました。
昔の人の強靭な体力は現代医学の常識に当てはまらないのか、なんとそっから1年!医者の自信を粉々に打ち砕くかのように(笑)、
2週間だと言われた"賞味期限"を自分で1年間にまで延ばしたんです。
最期の方は病気が全身に転移して、肺にも水が溜まって、点滴だけで3ヶ月、
でも最期の最期まで意識ははっきりしてました。
お医者さんが「2、3日がヤマです。」ておっしゃってから、2週間もヤマを動かしました(笑)
ボクも、"もうさすがに生きてるうちに逢えるの最後やろな"・・・が、結局10回以上になりました(笑)
自分も小さい子供の時から、それ以上に小さな兄弟たちを背中におぶって、農作業をしてたおばあちゃん。
お母ちゃんを産んでくれたおばあちゃん。
ゴキブリを素足で踏み潰したおばあちゃん。
川で泳いでるのを岩場にすわって見てくれてたおばあちゃん、
寝付くまで背中を掻いてくれたおばあちゃん。。。。。。
そら当たり前やけど、思い出をここに書ききれるわけも無いし、書く必要もないし。
ただただ、虚しくてシンドイねん。
生粋の筋金入りのおばあちゃんっ子やったから。
心の準備してたつもりやってんけど、まったく何も準備できてなかったわ。。。
俺が今まで生きてきて1番ツライ出来事やと思う。
悲惨な戦争を経験して、焼け野原になった日本をここまで立て直して、
子供を育てて、孫ができてひ孫までできて、
やっとゆっくり静かに生を終えようかという時に最期の最期まで
「東北は大丈夫か?放射能はみんな大丈夫なんか?」って涙を流しながら、心配しながら、憂いながら、旅立って行きました。
意識が無くても5日の日付が変わるまで頑張ったのは、
自分の子供のお母ちゃんと孫のボクたちと、「おまんに全然似てないわぁ〜(笑)」って言いながら可愛い可愛いって言うてくれた、ちびっしゃん。の こどもの日を見届けてくれたんやろな。
天国で久しぶりに逢うたおじいちゃんと、また、仲良く喧嘩しいな(笑)
俺がちゃんと寿命を終えてそっちへ行ったら、また寝付くまで背中掻いてな〜!(笑)
バイバイ、またな。
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