この際だから、反対派の皆さんにも聞いてほしい
当サイトと関係があるブログの記述について、日本ユニセフ協会が訴訟を起こそうとしているようです
止めろ!規制社会・監視国家ブログ版
当管理人が日本ユニセフ協会に訴えられました
訴訟の内容が何なのか不明なので、あまりいろいろはいえませんが、ようするにブログの記事内容を削除しろという仮処分の申し立てらしいです。
手段としては議論や批判を封じ込めたい組織が行うよくある嫌がらせなので、事務的に粛々と進めていけばいいだけの案件といえますが、普段こういうことを気にかけない、経験がない方には精神的にきついだろうとは思います。
当該サイトの管理人さんについて、当サイトでは引き続き応援すると共に、何らかの手助けなどが必要であれば呼びかけなどを支援していきたいと考えています。
さて、それとは、べつに、良い機会なので最近感じている違和感について、反対派の皆さんに言いたいことがありますので、今回はそれを取り上げようと思います。
反対派の皆さん、もっと言葉を選びましょうよ
最近感じている違和感とは、反対派の皆さんの言葉が「乱暴」で「決め付けた物言い」になっているような気がするということです。
特に、言葉選ぶに無頓着で、まるで検閲派と違わないレベルの言葉もあり、その点について非常に危惧しています。
意外に思われるか知れませんが、このブログ「サブカル自由主義」の記事は「全て」、訴訟が起こされる可能性について常に考慮しながら記述しています。
このブログの知名度なんざ、吹けば飛ぶようなないようですが、小さければ見せしめに、大きければその影響力ゆえに訴訟によるリスクがあります。
だから、文章は、原則として「です・ます」調で、どんなに嫌いな相手でも「先生」や「氏」などの敬称をつけるようにしていますし、裏づけの取れない噂レベルの話は記事にしないようにしています。
また、記事を書く際にも、可能な限り真実性を確保するために調べてから記述していますし、真実性が担保されない場合はその旨を書き添えるような方針で記述しています。
必要があれば、図書館や書店にいき、資料を確認していますし、役所などに問い合わせたり、六法全書やWEB六法を引いたりして可能な限り真実性を確保しています。
嘘だと思われるなら、当ブログの過去記事をお読みいただければわかります。(もちろん、完全無欠とはいいませんが)
こういうことを書くのは、何も自慢したいからではなく、最近の反対派サイトやブログに頻繁に「マスゴミ」だとか「ユ偽フ」だとかが普通に使われていることを深刻に考えているし、できればやめてほしいと思っているからです。
そして、噂レベルの憶測や、明らかに間違っている法解釈、独自の解釈を事実としたりしていることが散見されます。これは今年の非実在青少年問題が大きくなったころから特に顕著です。
もちろん、検閲派の行為に怒りを感じるのはよく分かります。
嘘をついたり、反対派を変態呼ばわりしたり、こういう行動は「人の道」に反することで、それを平然と行う検閲派の団体や個人は批判されて当然です。
ですが、「批判」と「悪口」は違います。
検閲派が「オタクは認知障害」といったからといって、そのレベルに身を貶めて同じような悪口を検閲派の「個人」に叩きつければ、それはただの悪口にしかなりません。
検閲に反対する人々は、どこまでも、そうした不条理な発言について、「その考えはおかしいよね、それは人として許されることではないよね?」ということを冷静に指摘する立場でなくてはなりません。
それを忘れて「マスゴミ」「カスゴミ」「創価w」みたいな言葉を無思慮に使い続ければ、私達反対派は検閲派のそれと同じ程度のモラルしかないということになります。
それではあまりに悲しすぎるしい、なにより、反対運動に悪影響を与えかねません。
批判をするなら「理論と行為」に対して行うべき
なにも、批判をしてはいけないとか、そういうことを言いたいのではありません。
これは検閲派のほうが顕著なのですが、反対派についても最近同じような傾向があるものとして、TVやネットの向こう側にいる人物や組織を、まるでマンガの中の悪役や架空の人物とでも思っているかのような言説が非常に非常に非常に目立ちます。
ご存知のように、検閲派は反対派を血の通わない、架空の存在であるように扱い、人間として扱うことを決してしません。その存在や人生を全否定し、マンガの悪役を作中で倒すのと同じような思考をしています。
ですが、ここ数ヶ月間、これと同じことを真逆の方向で行う反対派が増えたことも実感しています。
アグネスチャン氏を「中国の工作員」などといって誹謗するのは、反対派を「ロリコン」だの「変態」というのと、ベクトルがちがうだけで、検閲派とやっていることが同じです。
また、少しでも自分の考えと異なる人物を攻撃する人物も増えています。
アグネス氏が批難されるのは、本来「中国人の工作員」だの「創価の回し者」だのだからではありません。
「マンガやアニメを不当に攻撃し、それらの愛好者や製作者を誹謗中傷し、日本が児童ポルノ大国などと嘘をつき、それらの批判に答えないばかりか、あまつさえ、その歪んだ思想を国民に強制しようとする愚劣な行為を繰り返すから」批判されているのであって、それ以外の理由などありえないはずです。
ユニセフも同様で、こうした愚劣で卑劣な思想とそれを基にした行動について批判しているのであって、「日本ユニセフはニセモノ」だとか「勝手にユニセフを名乗っている」などと事実ではないことを理由に批難をしているのではないはずです。
批判はあくまでもその思想と行為について行われるべきであり、個人攻撃をして良い理由はありません。
もちろん、皮肉を言ったり、それとわかる場所でユーモアを発揮することは良いでしょう。
ジョークとわかる場所で「アグネスは中国人」であることをネタにすることは構わないことです。
でも、表現規制問題でそのことを持ち出し批判することははたして適切なことといえるのか良く考えないといけません。
「悪を倒す正義な自分」に騙されてはいけない
私が表現規制問題などで気をつけていることは、「正義である自分に酔わないこと」です。
検閲に反対すること=正義ではありません。
それは民主主義を擁護し、自由な日本を後世に残すために重要な「事業」ではありますが、正義だから重要だからではありません。自由を大切に思うから検閲に反対し、検閲のない社会を作る「手段」として運動しているに過ぎません。それを正義と思うかどうかは他人や後世の歴史家などが判断すべきことだと、私は考えています。
こうした社会運動を行うと必ず「正義な自分」に酔ってしまう瞬間があります。
わたしだって、条例案が否決されたとき、夜に一人で祝杯を挙げて涙がこぼれたという事実があります。
こうした体験は、反対運動を続ける上で精神的には重要な瞬間ですが、一方で「こういう運動に関わる俺って格好いい」「事実を知っている俺って格好いい」という、「正義な俺って最高!」な思想を生み出しかねない危険もあります。
良く覚えておいていただきたいことですが、こういう
「事実を知っていて、正義である俺様は最高!」という思想こそが、検閲派を動かす歪んだモチベーションの源であるということです。
検閲派は、利権や金銭のためだけに思想検閲を行おうとしているのではありません。
「マンガやアニメの悪を知っている自分は、正義を守るために、悪いオタクと戦わなくてはならない」と心から思っているのです。
皮肉なことに、彼らが歪んだ社会を作ろうと暗い情熱をささげるのは、つまるところ、こうした「正義な俺格好いい」思想による、はた迷惑な義務感によるところが大きいのです。
このことがどれだけ迷惑な存在かは反対派は良くわかっているはずです。
最近の反対派の中に、これと同じような思想の持ち主が増えていることについて、少なくとも私はそれを肌で感じています。
「マンガやアニメを破壊する悪の真実を知っている自分は最高に格好いい」という思想は、検閲派の論拠と髪の毛一本違うだけで、その実、何も違いません。
だからこそ、私は反対派の方にお願いしたいのです。
こうした思想に陥り、自分を検閲派のレベルに貶めることはやめてくださいと。
もし、あなたが「検閲派の真実を知る自分は格好いい」と思っているなら、その考えはこの場で捨ててください。
あるいは、この思想の罠に自分が陥っていないか、もう一度考えてみてください。
こうした歪んだ思想が外部にそのように見えるかは、アグネスチャン氏や後藤大先生を自分がどういう目で見たかを考えればわかります。
それは、反対派の運動の印象を悪くし、検閲派と同じような歪んだ義務感に発展し、最終的に誰かに迷惑をかけることになるかもしれません。そうなれば、反対運動は瓦解するでしょう。
長々と書いてきましたが、最近、こうした点で非常に違和感を感じていましたので、これを機会に思っていることを全て書いてみました。
反対派が増えたこと、反対派の知識人が一気に増えたこと、そして、われわれの運動が以前より広がったことなどは感慨深いものがあり、とてもうれしいことなのですが、ここら辺で、今一度自分達の思想のあり方を考えてみる時期だと感じています。
もちろん自分を含めてです。
みなさんも、ブログや掲示板で書き込む前に、一瞬でいいのでこのことについて考えていただけたらとてもうれしいです。
止めろ!規制社会・監視国家ブログ版
当管理人が日本ユニセフ協会に訴えられました
訴訟の内容が何なのか不明なので、あまりいろいろはいえませんが、ようするにブログの記事内容を削除しろという仮処分の申し立てらしいです。
手段としては議論や批判を封じ込めたい組織が行うよくある嫌がらせなので、事務的に粛々と進めていけばいいだけの案件といえますが、普段こういうことを気にかけない、経験がない方には精神的にきついだろうとは思います。
当該サイトの管理人さんについて、当サイトでは引き続き応援すると共に、何らかの手助けなどが必要であれば呼びかけなどを支援していきたいと考えています。
さて、それとは、べつに、良い機会なので最近感じている違和感について、反対派の皆さんに言いたいことがありますので、今回はそれを取り上げようと思います。
反対派の皆さん、もっと言葉を選びましょうよ
最近感じている違和感とは、反対派の皆さんの言葉が「乱暴」で「決め付けた物言い」になっているような気がするということです。
特に、言葉選ぶに無頓着で、まるで検閲派と違わないレベルの言葉もあり、その点について非常に危惧しています。
意外に思われるか知れませんが、このブログ「サブカル自由主義」の記事は「全て」、訴訟が起こされる可能性について常に考慮しながら記述しています。
このブログの知名度なんざ、吹けば飛ぶようなないようですが、小さければ見せしめに、大きければその影響力ゆえに訴訟によるリスクがあります。
だから、文章は、原則として「です・ます」調で、どんなに嫌いな相手でも「先生」や「氏」などの敬称をつけるようにしていますし、裏づけの取れない噂レベルの話は記事にしないようにしています。
また、記事を書く際にも、可能な限り真実性を確保するために調べてから記述していますし、真実性が担保されない場合はその旨を書き添えるような方針で記述しています。
必要があれば、図書館や書店にいき、資料を確認していますし、役所などに問い合わせたり、六法全書やWEB六法を引いたりして可能な限り真実性を確保しています。
嘘だと思われるなら、当ブログの過去記事をお読みいただければわかります。(もちろん、完全無欠とはいいませんが)
こういうことを書くのは、何も自慢したいからではなく、最近の反対派サイトやブログに頻繁に「マスゴミ」だとか「ユ偽フ」だとかが普通に使われていることを深刻に考えているし、できればやめてほしいと思っているからです。
そして、噂レベルの憶測や、明らかに間違っている法解釈、独自の解釈を事実としたりしていることが散見されます。これは今年の非実在青少年問題が大きくなったころから特に顕著です。
もちろん、検閲派の行為に怒りを感じるのはよく分かります。
嘘をついたり、反対派を変態呼ばわりしたり、こういう行動は「人の道」に反することで、それを平然と行う検閲派の団体や個人は批判されて当然です。
ですが、「批判」と「悪口」は違います。
検閲派が「オタクは認知障害」といったからといって、そのレベルに身を貶めて同じような悪口を検閲派の「個人」に叩きつければ、それはただの悪口にしかなりません。
検閲に反対する人々は、どこまでも、そうした不条理な発言について、「その考えはおかしいよね、それは人として許されることではないよね?」ということを冷静に指摘する立場でなくてはなりません。
それを忘れて「マスゴミ」「カスゴミ」「創価w」みたいな言葉を無思慮に使い続ければ、私達反対派は検閲派のそれと同じ程度のモラルしかないということになります。
それではあまりに悲しすぎるしい、なにより、反対運動に悪影響を与えかねません。
批判をするなら「理論と行為」に対して行うべき
なにも、批判をしてはいけないとか、そういうことを言いたいのではありません。
これは検閲派のほうが顕著なのですが、反対派についても最近同じような傾向があるものとして、TVやネットの向こう側にいる人物や組織を、まるでマンガの中の悪役や架空の人物とでも思っているかのような言説が非常に非常に非常に目立ちます。
ご存知のように、検閲派は反対派を血の通わない、架空の存在であるように扱い、人間として扱うことを決してしません。その存在や人生を全否定し、マンガの悪役を作中で倒すのと同じような思考をしています。
ですが、ここ数ヶ月間、これと同じことを真逆の方向で行う反対派が増えたことも実感しています。
アグネスチャン氏を「中国の工作員」などといって誹謗するのは、反対派を「ロリコン」だの「変態」というのと、ベクトルがちがうだけで、検閲派とやっていることが同じです。
また、少しでも自分の考えと異なる人物を攻撃する人物も増えています。
アグネス氏が批難されるのは、本来「中国人の工作員」だの「創価の回し者」だのだからではありません。
「マンガやアニメを不当に攻撃し、それらの愛好者や製作者を誹謗中傷し、日本が児童ポルノ大国などと嘘をつき、それらの批判に答えないばかりか、あまつさえ、その歪んだ思想を国民に強制しようとする愚劣な行為を繰り返すから」批判されているのであって、それ以外の理由などありえないはずです。
ユニセフも同様で、こうした愚劣で卑劣な思想とそれを基にした行動について批判しているのであって、「日本ユニセフはニセモノ」だとか「勝手にユニセフを名乗っている」などと事実ではないことを理由に批難をしているのではないはずです。
批判はあくまでもその思想と行為について行われるべきであり、個人攻撃をして良い理由はありません。
もちろん、皮肉を言ったり、それとわかる場所でユーモアを発揮することは良いでしょう。
ジョークとわかる場所で「アグネスは中国人」であることをネタにすることは構わないことです。
でも、表現規制問題でそのことを持ち出し批判することははたして適切なことといえるのか良く考えないといけません。
「悪を倒す正義な自分」に騙されてはいけない
私が表現規制問題などで気をつけていることは、「正義である自分に酔わないこと」です。
検閲に反対すること=正義ではありません。
それは民主主義を擁護し、自由な日本を後世に残すために重要な「事業」ではありますが、正義だから重要だからではありません。自由を大切に思うから検閲に反対し、検閲のない社会を作る「手段」として運動しているに過ぎません。それを正義と思うかどうかは他人や後世の歴史家などが判断すべきことだと、私は考えています。
こうした社会運動を行うと必ず「正義な自分」に酔ってしまう瞬間があります。
わたしだって、条例案が否決されたとき、夜に一人で祝杯を挙げて涙がこぼれたという事実があります。
こうした体験は、反対運動を続ける上で精神的には重要な瞬間ですが、一方で「こういう運動に関わる俺って格好いい」「事実を知っている俺って格好いい」という、「正義な俺って最高!」な思想を生み出しかねない危険もあります。
良く覚えておいていただきたいことですが、こういう
「事実を知っていて、正義である俺様は最高!」という思想こそが、検閲派を動かす歪んだモチベーションの源であるということです。
検閲派は、利権や金銭のためだけに思想検閲を行おうとしているのではありません。
「マンガやアニメの悪を知っている自分は、正義を守るために、悪いオタクと戦わなくてはならない」と心から思っているのです。
皮肉なことに、彼らが歪んだ社会を作ろうと暗い情熱をささげるのは、つまるところ、こうした「正義な俺格好いい」思想による、はた迷惑な義務感によるところが大きいのです。
このことがどれだけ迷惑な存在かは反対派は良くわかっているはずです。
最近の反対派の中に、これと同じような思想の持ち主が増えていることについて、少なくとも私はそれを肌で感じています。
「マンガやアニメを破壊する悪の真実を知っている自分は最高に格好いい」という思想は、検閲派の論拠と髪の毛一本違うだけで、その実、何も違いません。
だからこそ、私は反対派の方にお願いしたいのです。
こうした思想に陥り、自分を検閲派のレベルに貶めることはやめてくださいと。
もし、あなたが「検閲派の真実を知る自分は格好いい」と思っているなら、その考えはこの場で捨ててください。
あるいは、この思想の罠に自分が陥っていないか、もう一度考えてみてください。
こうした歪んだ思想が外部にそのように見えるかは、アグネスチャン氏や後藤大先生を自分がどういう目で見たかを考えればわかります。
それは、反対派の運動の印象を悪くし、検閲派と同じような歪んだ義務感に発展し、最終的に誰かに迷惑をかけることになるかもしれません。そうなれば、反対運動は瓦解するでしょう。
長々と書いてきましたが、最近、こうした点で非常に違和感を感じていましたので、これを機会に思っていることを全て書いてみました。
反対派が増えたこと、反対派の知識人が一気に増えたこと、そして、われわれの運動が以前より広がったことなどは感慨深いものがあり、とてもうれしいことなのですが、ここら辺で、今一度自分達の思想のあり方を考えてみる時期だと感じています。
もちろん自分を含めてです。
みなさんも、ブログや掲示板で書き込む前に、一瞬でいいのでこのことについて考えていただけたらとてもうれしいです。