その男にとってみれば、生身の体で空を飛ぶというのは奇妙な感覚であった。一度、飛行機から飛び降りたこともあったが、あれは落下であり、もちろんそれとは感覚は全く違う。ふわりと体が宙に浮くさまは、まるで宇宙にいるような感覚もあり、自由に動けるのだが、重力も感じるという、一種のアンバランスな感覚もあった。しかし、適正があったとでもいうのだろうか、数日もすればそれも慣れ、数年たった今なら感覚に惑わされることもなく見事な飛行を披露出来る。
そんな男だからこそ、期待の新人から憧れのベテランへと昇格するのも早かった。彼の経歴がそうさせているのもあるが、組織と言うのはよくも悪くも実力主義だ。頭角を現した男に正当な評価を下すは当たり前の事であった。
「風が強いな」
ふっともらした言葉は誰に聞かれるわけでもなく、風に消えていく。そして、男の右手にある杖『デバイス』を通して通信が入る。
『アムロ一等空尉、そろそろ、デバイスのテストを開始します。準備はよろしいですか?』
「あぁ、いつでもいいぞ」
そう言われて、男、アムロ・レイは意識を集中させた。デバイスを握る手も自然と強くなる。そして、またデバイスを通して、データが送られてくる。今回は新型量産デバイスのテストであり、そのテストパイロットにアムロが選ばれたということだ。
それは杖という表現はあまり正しくない。無機質な鉄の色をした長い警棒にサーブルの柄をとってつけたような非常にシンプルな形で、見ようには剣にようにも見えるが、剣にしては頼りない形で、警棒にしては異様な形で、なんともアンバランスな形状である。
『慣らし運転として、まず飛行型オートスフィアを五機出しますので、撃破をお願いします。それなりに速く設定してあるので、注意してくださいよ?』
通信員はどこか悪戯っぽい笑みを浮かべていた。アムロはそんな彼に苦笑しつつも、余裕を持った態度で答えてやった。
「テストだと言うのに、案外厳しいんだな?」
『テストって本来そういうもんでしょ? アムロ一尉なら出来ますよ』
「ありがとう、こちらも全力を尽くそう」
通信員と冗談を言い合いながら、アムロはテストを開始する。アムロはまず大きく上昇すると、そのあとをスフィアがついてきているかを確認する。まずはデバイスの動作テストを兼ねて、近接モードから射撃モードへと変形させる。変形と言っても、そのまま刃と柄の部分が折れてライフル状になっただけである。スフィアたちはぞろぞろと間隔を開けつつも、アムロの真後ろをとるようについてきていた。アムロはくるりと体を反転させると、スフィアにデバイスを向け、牽制の為、二発の魔力弾を発射する。スフィアたちも牽制に当たるわけにはいかないのか、散開してそれを避けるが、直後、その内の一機が回避コースを読まれて直撃を受ける。
「まずは一機。命中精度は中々のものだ。満足できる作りだ」
そう言いながら、アムロは散開したスフィアを追い、早くも一機のスフィアの後ろをとった。通信員の言うとおり、中々素早い設定がなされているのか、この新型デバイスでは簡単に追いつけることが出来なかったが、それでもアムロは冷静に狙いを定め、魔力弾を発射。まるで吸い込まれるように魔力弾が命中。二機目を撃墜する。ここまで来ると、さすがにスフィアからの反撃を開始される。アムロを取り囲むように三機のスフィアが展開し、次々と攻撃を放つ。アムロは隙間を縫うようにして攻撃を避けつつも、何発かはバリアを展開して、受け止めてやる。評価試験の為、攻撃にも当たってやらなければいけないのだ。バリアは崩れることなくスフィアの攻撃を防いでみせ、アムロはこのデバイスを高く評価した。攻守ともにバランスの取れた出来であり、特別秀でた能力はないが、高次元にまとまったデバイスであると評価を下した。現存の量産デバイスの上位互換に位置するデバイスだが、その性能差はかなり大きい。しかし、それでも低コストである面からみても、開発陣の努力が見られる。
バリアで攻撃を防ぎながら、アムロはデバイスを近接戦モードに切り替え、目の前のスフィアの下腹部を切り裂くと、素早くその場から離脱し、再度射撃モードに切り替えると、右側を飛行していたもう一機のスフィアめがけて、三発の魔力弾を発射する。弾はスフィアの左翼に命中し、態勢が崩れたところを二発の弾が直撃し、撃墜される。最後のスフィアはアムロの背後をとるように急接近をかけたが、アムロは体をひねりながら、スフィアを狙撃、撃墜した。
『さすがですね。たったの二分で撃墜ですか』
「数が少ないからな。それに、はしっこいとは言っても単純な思考回路しかないオートスフィアだ。大型のスフィア相手か魔導師ならこうもいかないだろう」
『あなたなら十二人の魔導師を三分で撃墜しそうですけどね』
「ン……くくっ……やけに具体的に言うんだな」
どこか身に覚えのある数値を例に出されて、軽く困惑してしまったが、それでもアムロは軽く笑ってみせて、適当に返した。通信員もすぐにまじめに業務へと取り掛かる。
『それだけあなたを評価してるんですよ。それで、デバイスの方はどうでしたか?』
「良いデバイスだ。基本性能も高いし、モード切り替えも早い、処理速度も中々だ。各々の調整を加えれば、新米から熟練まで幅広い層で使い勝手の言いデバイスになるだろうな。大型スフィアのような相手に個人戦は若干力不足だが、数で補えば大丈夫だろう」
『そこは各々バリアブレイクなり組み込むでしょうから、心配はいらないでしょう。続いて、陸戦の試験も開始しますが、大丈夫ですね?』
「了解だ。すぐに降りるよ」
ゆっくりと下降していくと、じょじょに重力が体に押しかかってくる。足が地面につくと完全に重力を感じる。かすかに感じる浮遊感がなくなるのは少し残念であった。アムロはあの感覚が嫌いではなかった。
そしてまたデータが送られてくると、アムロは陸戦のテストを開始した。
「お疲れ様です」
「ン、ありがとう」
テストが終了して、若い女性局員がアムロにドリンクを手渡す。特に意識もしていないのか、顔を赤らめることもなく、淡々とした感じで手渡されると、自分の男としての魅力がないのかと少し残念にもなるが、アムロも深く気にすることはなく、礼を言って通信員の下へと移動する。
「チャメル、データの方はどうだった?」
「十分だったらしいですよ。さすがはアムロ一尉ですね。技術部の連中も喜んでましたよ」
「そうか。正式採用はされそうなのか?」
「でなきゃ、ここまでテスト運用しませんよ。多少時間はかかるでしょうけど、次入る新人たちには配備できるようにはするみたいですね」
「あとは一部の熟練にってところか?」
「でしょうね、後はゆっくりと浸透させていけばいいわけです。まぁ僕たちはデバイスの試験さえしてればいいですし、後は上の決めることですよ」
チャメルと呼ばれた青年は眼鏡をくいっとあげながら、どこか気取ったように言って見せた。伊達眼鏡なのだが、もてるからという理由でかけ始めた眼鏡は彼には大きすぎて少々不格好な姿であった。アムロとチャメルはそのまま部屋を出ようとすると、ちょうど、アムロがテストを行っていた区画の反対側から、別の団体がやってきていた。すれ違いながら、アムロはチャメルに耳打ちするように訪ねた。
「他にデバイスの試験をしてる部署があるのか?」
「あれは『アインヘリヤル』のテストチームですよ」
「地上本部の新型兵器か……」
「過ぎた力ですよ。権力の象徴も兼ねてるんですよ」
チャメルは露骨に嫌がって見せた。組織というものは厄介で、大き過ぎれば派閥もできるもので、この『時空管理局』も例外ではなく、本局と地上本部とで大きな確執が出来上がっている。チャメルは本局からの出向であり、地上本部に良い印象は抱いていないようだった。しかし、チャメルの感情は大衆に動かされた個人であり、恐らくチャメル自身は地上本部の詳しい内容も対立理由の深い意味もよくわかっていないのだと思う。つまり、若いのだ。血気盛んになると言っても良い。
対するアムロは、どこか複雑な感情であった。大人だからというものもあるし、第三者の立場からものが見れているという自負もあるからなのか、どちらにも共感が持てるし、理解も出来る。取りあえず、言えるのは派閥争いが今後の火種になってしまうのではないかという不安があるということだけである。
「アムロ一尉はこれから何処へ?」
「支局さ、報告書とか色々あってね。今日はどういうわけか、予定がぎっしり詰まっている」
「アムロ一尉の訓練は人気みたいですね。聞きましたよ、他の教導官とは違って叩きのめすことはないって。だけど、どこよりも実戦的だって。どうです、教導隊じゃなくて、教官職についたら?」
「成り上がりの男の訓練を受けてくれるんだ、その期待には答えてやらないと、失礼だろ?」
「入局五年で一等空尉、誰もが驚くスピード出世ですよ」
「だからさ」
その後も軽く会話を交わした後、アムロはチャメルと別れて、駐車場へ向かう。これから向かう場所は車で数十分のところ、戦技教導隊の支局の一つであり、アムロの所属する部署でもあった。アムロが支局に足を踏み入れると同時に、受付嬢の高い声がアムロを引きとめた。
「アムロ一等空尉、お客様がお見えです」
「客? そんな予定は入ってないはずだが……」
「何でも、急な用事らしく……一応、待たせてはいますが?」
「フム……」
アムロは腕時計で時間を確認する。報告書の提出までには時間があるし、訓練自体は数時間も先だ。本当なら休憩を入れたいところだったが、話を聞く位は別に構わないだろうと、アムロは自室へとその客人を通すように受付嬢に伝えた。数分後、自室にいたアムロの下に客人が訪れる。
「オーリス三佐……」
アムロの下に現れたのは、地上本部防衛長秘書官のオーリス・ゲイズ三佐であった。少なくとも、おいそれと会う事の出来ないような人物の訪問にアムロ自身も少なからず驚いている。
「また例の件ですか?」
「えぇ、そろそろ良い返事がいただけるのではと思いまして」
「待ってくれ、俺はまだ入局5年の男だ。部隊を率いるなんて、時期尚早だと思うが?」
「我々地上本部、そして本局はあなたの実力を高く評価しています。確かに時期は早いでしょうが、正当な評価を下せば、それぐらいは当然です」
「しかしな……」
オーリスの申し出に、アムロは渋る。オーリスが言いたいのは、アムロに地上本部の一部隊を率いてもらいたいという事だ。アムロ自身は教導隊にいること事態、時期尚早と考えている。尊敬されるとは言え、入局5年しかたっていないアムロの昇進をやっかむ連中は少なからずいる。そんな状態でさらに部隊を率いるなど。
「正直なところを申し上げるなら、私どもはアムロ・レイという人材を本局に渡したくはないのです。お家事情を言えば、地上本部の現状は酷い有様です。少ない戦力を補おうとすれば、戦力過多と判断され、優秀な局員の殆どは出世の見込める本局へとひきぬかれる」
「俺を客寄せパンダにするつもりか?」
「本音を言えばそれを兼ねて、地上の戦力の要になってもらいたいのです。本局、海が危険な職場である事はレジアス中将も理解していますが、土台を支える事の出来ない組織が他人の庭のあれこれを言うのは、出過ぎていると考えています」
加えるなら本局に対するけん制もあるのだろう。戦力増強に関してアムロは実力、人気ともに非常に魅力的なのだ。実際、アムロは本局からもこれと似たような話が持ちかけられている。
その後もオーリスからの誘いは続いたが、訓練の時間が近づいてきたという事で、ひとまずは解散となる。アムロとしては、元の世界ではやっかまれた能力が、こちらでは頼りにされるという奇妙な待遇の差に戸惑いもあったが、自分を拾ってくれた時空管理局に対する恩も感じている。その恩に答えなければならない時が来ているのだと言う事を実感しながらもアムロはどこか引け目に感じていた。
だからだったのかも知れない。アムロに決断を促す事件が起きたのは。訓練も終了し、報告書を提出し終えた時だった。時刻も夜を迎え、アムロ自身も休息を取ろうとした時であった。突然のアラート、そしてスピーカーから聞こえるオペレーターの声にアムロは椅子から飛び出すように立ちあがって、出動態勢に入った。
「状況は?」
デバイスを機動させ、バリアジャケットに身を包んだアムロはオペレーターに状況を確認させた。
『北部の臨海第8空港にて大規模火災が発生、アムロ一尉は陸士422部隊と合流、消火活動をお願いします』
「了解だ」
アムロはそう答えると、夜空へと飛翔する。デバイスを通して、422部隊の場所を確認すると、その方角へ向けて一気に飛び出す。数分後、422部隊と合流したアムロはデバイスに消火プログラムを組み込むと、燃え盛る空港へと到着する。
「テロでも起きたのか? 旅客機の爆発でもここまで火は広がらないぞ」
他の部隊員と共に消火を続けるが、いかんせん数が少ない。第一、アムロの422部隊を含めると、消火活動に参加している部隊は4つ、各々に10数名の隊員がいても、火災の規模からみれば圧倒的に数が少ない。
「実働できる部隊が少ない……それゆえに展開も遅いか……」
数十分後、本隊が到着して火災は鎮火したが、空港は破棄されるだろう。いまだに火災の余熱が感じられる空の上で、アムロはある決意を固める。その後、アムロが正式に地上本部勤務になるのには時間はかからなかった。
4年という月日が過ぎるのは早いもので、アムロは火災で合流した陸士422部隊にいた。元々軍で隊長をやっていたアムロの手腕は優秀で、陸士422部隊は地上本部屈指のベテラン部隊とも言われるようになった。治安活動を主にしているが、災害救助といった仕事も彼らはになっている。レスキュー部隊からノウハウを学ぶ為に合同訓練を行ったり、多くの次元世界を見てきた本局の部隊の知識も取り入れるなど、ある意味地上と本局のかけ橋ともなる活躍を見せたが、両者の確執は中々埋まらなかった。
「新設部隊、レジアス中将はカッカしてるって話ですよ」
事務作業をしていたアムロに部下の一人が耳打ちする。
「機動六課だろ? 確か、八神はやて二等陸佐が部隊長を務める部隊」
「地上部隊と言っても、そのバックは海の権力者がいるっていうんで、実質、陸の部隊じゃないって話です」
「そりゃまた……」
随分と喧嘩を売るような真似をと思った。多くの陸勤務の局員からしてみれば、海からの干渉と捉えるだろう。地上本部の上層部からの反発は大きかったに違いない。
「中将も何かしら手を打ってるみたいですよ。陸の管轄に海がでしゃばってきちゃ、メンツに関わりますからね。陸海合同の部隊にするって案も出てるくらいですし」
「レジアス中将にしてみれば、それも腹の立つ話しってわけか……」
組織の格差に悩まされるのは、下の人間であるのだが、それ以上に苦しいのはその現場にいる人間なのだろう。横や下からの圧力に耐えてなお、成果を見せなければならないのだから。
そんな時、荒々しい声が響く。まだ若い声で、アムロたちはそれを新人のシュー・ラッツ二等陸士である事を理解した。他の隊員がシューを落ち着かせているが、興奮したシューはその隊員にも当たり散らしていた。若い世代特有の荒々しさを見せるシューの様子が気になったのか、アムロは部下に理由を聞いた。
「シューは一体どうしたんだ?」
「あぁ、何でもAランクの昇進試験に落ちたみたいですよ」
「昇進試験? あいつは一年前にBランクに昇進したはずだが?」
「自信過剰なんですよ」
シュー・ラッツの実力は新人にしては非常に優秀である。新しい世代を担うには十分な才能もあるが、いかんせん彼の性格は直情的すぎる。自分の力に自信を持つのは良いが、それを過信しすぎるし、今のように激昂する事も多い。アムロは、もう少し落ち着けば良い局員になると判断している。
「ほっといて良いんですか?」
「ぶつかるのも必要さ。それに下手に慰めれば、かみつかれる」
あぁいった手合いの扱いは心得ているつもりだった。後で話しでも聞いてやろうとアムロは思った。その後422部隊の部隊長がシューを殴り飛ばして騒動は終了した。
書類の提出の為にアムロは部隊長室に足を運んだ。シューを殴り飛ばした部隊長は決して筋骨隆々の男ではなく、むしろインテリ系の人間に見える。だが、手を出す場所をというものを心得ている人間だ。
「ン、御苦労。あぁ、アムロ一尉、君に話しがある」
「はっ……?」
部隊長は眼鏡を拭きながら、言葉を続けた。
「君も機動六課の話は聞いてるな?」
「えぇ」
「先ほど報告があってね、機動六課の交替部隊として、我々422部隊から何名か出向してくれと言われたよ」
「交替部隊?」
「地上のプライドだよ。海の部隊ではなくて、陸海合同部隊として運用させようとしている。その為に地上の部隊が出向するのさ。一部反発もあったようだが、交替部隊と言う事で手を打ったらしい。だが、実質は海の部隊と陸の部隊と二つの部隊が存在することになる。随分と急な話だが、アムロ一尉、人選は君に任せる」
アムロはそのまま機動六課の書類を手渡されると、そのまま報告へと向かわされた。アムロ自身も驚きだが、その後、部隊の動揺は考えるまでもないだろう。恐らく、無理やりねじ込んだのだろうと推測できる。
六課への出向メンバーを考えながら、アムロは六課の異様性に気がついていた。本局でも影響力の強いハラオウン提督をはじめとして、聖王教会、伝説の三提督と言われる実力者らが後継人にいる。同時にそのメンバーもそうそうたるものであった。若手ながらもエースと呼ばれるメンバーがそろい踏みである。
「ロンド・ベルも無茶をしたが、これはそれ以上に無茶だな……」
翌日、アムロはメンバーと共に機動六課へと出向した。メンバーの中にはシュー・ラッツの姿もあった。輸送機に揺られる事数時間、六課隊舎へと到着したアムロらは人数の関係上、格納庫で部隊長八神はやてと面会する。
「ようこそ! 機動六課へ。私が部隊長の八神はやて二等陸佐や」
「陸士422部隊、アムロ・レイ一等空尉以下5名、着任します」
「ウム。許可する。まぁ、堅苦しい挨拶はここまでにして……六課の運営期間は一年間、それまでよろしくお願いします」
八神はやての声は明るい感じがしたが、どこかよそよそしい部分も感じられる。警戒とは違うようだが、もろ手をあげて歓迎というわけでもないようだった。
アムロは他の隊員を先に宿舎へと向かわせると、自身は交替部隊の隊長としての仕事を行うため、八神はやてと共に六課部隊長室へと向かった。
個室に案内されたシュー・ラッツは暇を持て余していた。出向したとはいえ、今日から部隊が活動するわけでもないらしく、第一自分たちは交替部隊。勤務時間ですらない。緊急ともなれば話は別だが、とにかく今は何もすることはない。シューはそのまま部屋を出ると、目的もなくぶらぶらと宿舎を歩き回った。格納庫では移動用のヘリの搬入が行われており、他にも事務員たちがせわしなく書類を持って歩きまわっていた。ふと、シューの視線の先に荷物を運ぶ女性が映った。ショートカットの紫の髪をした女性だった。シューは暇だったと言う事もあってか、その女性を手伝ってやろうと思い、声をかけた。
「手伝おう。どこまで運べばいい?」
「あら、ありがとう。すぐそこの部屋まででいいわ」
元々数も少ないし、重たくもない荷物だったのでそれほど手間取るようなものではなかった為、荷物運びはすぐに終わった。それでも女性は手伝ってくれたシューに感謝の言葉と笑顔を向けてくれた。
「助かったわ。私はアイナ・トライトン、この寮の寮母です。これからよろしくね」
「あ、あぁ……俺……自分は交替部隊のシュー・ラッツ二等陸士です。それでは、仕事がありますので」
アイナの笑顔にドギマギしながら、シューはその場を立ち去った。なんとなく恥ずかしくなって、その場を離れたが、冷静になれば別にやましい事はしてないわけで、美人の寮母に出会えた事に感謝すべきであったと今頃になって後悔していた。
「良い人だったな……ン?」
アイナの顔を思い出しながら余韻にひかれていると、通路の反対側から二人、どこかで見た顔が現れた。片方はよく知っている。座学で、自分を差し押さえてトップに躍り出た女、スバル・ナカジマだ。もう片方はよく知らない、スバルとよく一緒にいるのを見かけた事があるが。
「あいつら……なんで六課に?」
自分と同じ交替部隊配属だろうか。そんな風に考えていると、彼女たちがシューに気がついたのか、スバルが大きく手を振って挨拶をしてきた。
「あれぇ! シュー・ラッツでしょー!」
『なんだ、こいつ。なれなれしくないか?』
スバルは子どもみたく大声を出して、シューに近づいてきた。相方の方は少し呆れているのか、額を押さえながらスバルの数歩あとからやって来た。シュー自体も特に親しくした覚えもない相手にフルネームで呼ばれ、困惑した。
「久しぶり、シューも六課に?」
「422部隊からの出向、交替部隊だ」
「そうなんだ。私はフォワード、スターズ分隊の配属なんだ」
「フォワード? 主戦隊か……ふぅん」
シューはそう言いながら、スバルとその相方を値踏みするように見る。確かに座学の成績は遅れをとったが、実戦成績は自分が上だったはず。なのに、この二人が主戦隊にいるのはシューには納得がいかなかった。同期の中では真っ先にBランクまで昇進したというのにだ。
「なに? 言いたいことでもあるわけ?」
そんなシューの目が気にいらなかったのか、スバルの相方が目を鋭くして、言った。ツインテールにしたオレンジ色の髪が揺れて、それが怒りを表現しているようだった。対するシューは威圧される事もなく、挑発的に返した。
「別に、主戦隊と言ってもその程度なんだなと思ってな」
「なんですって!」
「座学で優秀だからって、実戦では意味がないって事さ」
「この、言わせておけば!」
「て、ティア、落ち着きなって! シューも挑発しないで!」
言い争いに発展した二人を止めるようにスバルが両者の間に割って入る。シューは言葉こそ発しなかったが、態度は変えず、ティアと呼ばれた少女は鋭い視線を向けていた。
「ふん……!」
バツが悪そうな顔をしながら、シューはその場を立ち去った。見苦しい嫉妬である事は明らかだったが、それを認めたくないというのがシューの無意識からなるプライドのせいだった。
機動六課という部隊は、シューにとってエリート部隊という認識がある。実際、専用の隊舎があり、輸送用のヘリ、部隊長から分隊の隊長だって、雑誌でみた事のあるメンバーだ。交替部隊とは言え、アムロ・レイだって地上本部の要と言われた男だし、なにより自分たちは陸の看板を背負ってここまで来ているわけだから、シューにもそれを全うしてやろうという自負がある。だから、そういう余計なプライドが邪魔をして、同期の連中が自分よりも上にいる事が許せなかった。
「俺はいつか、自分の艦を持つ男だ。たかが交替部隊で甘んじるような男じゃない」
自分に言い聞かせるようにシューは呟く。純粋な向上心は時として無謀な過信へと繋がる。だが、熱意に燃え、若いシューにはその違いなどわかるはずもなかった。いつか自分は部隊を持つにふさわしい男になる。そんな夢だけが、シューをひたすら走らせていた。