昨日一日、サイトが見れなくなっていたようです。いらっしゃった方々、ごめんなさい。
このCOOL ONLINEのサイト、金かかる割りに使い勝手が悪い。
使い勝手が悪いなあ、と思いながらも、引越しがメンドクサイ。
そんなことを思ってズルズル使っていたのですが、いよいよサーバーが店じまいしてしまうみたいです。
なんてことだ。
そんなわけで、このサイトも年内のうちに引越し計画を立てます。
・・・・引越しは苦手なのになあ。
「飛べない俺はただの俺」
まあ、それはそうだ。
「飛べない俺はただの豚」
自虐的過ぎるか。
「飛べない豚はただの俺」
なんか意味ありげだが。
*
「人間はそれほど考えない葦である」
なんで「葦」なんだろう。
「漫画家は考えるアシである」
アシスタントって能力あるからなあ。
「考えない人間はアシである」
人類の大半はアシスタントだと思う。
*
あんまり練れてないな。
番組企画ネタ思いついた。
夏の計画停電の割り当て量を争って、ゲーム番組しようぜ。
各業界のメーカーの幹部とか、各県の幹部クラスとか、官公庁とかが、東京フレンドパークみたいな番組に出てきて、KW単位でポイントを奪い合うんだ。そこで敗北すると、7月〜9月は電気使えなくなって、お休み状態を余儀なくされる。
経済界のトップが、ネクタイつけたままで真剣勝負。
音楽は陽気なのに、みんな目が笑っていない。
社員総出で応援。
爆発的な視聴率間違いなし。60%は固い。
なんなら、海外に公開しても、ぜったい視聴率取れる。
とりあえず、費用は東電に負担してもらうことにして。
司会は誰がいいのだろう。やはり関口弘なのか?
というのは、ファウストの前狂言から。
ゲーテは、芝居屋だったので、世の中に言葉を「売る」ということをわきまえている。
この辺の割り切りは、Google先生と仲良くなれそうな雰囲気だ。
結局、物語が再利用性されるかどうかは、小さな細部が輝いているかどうかで決まる。
平野耕太の台詞回し、然り。
デスノートの精密なコマ絵、然り。
誰かが再利用したくなるような《何か》を埋め込む余力があるかどうかで、最後のジャンプは決まるのかもしれない。
だが、そこにたどり着くまでが一苦労だ。
本当の競技は走り幅とびなのに、助走距離がマラソン。
なんか、現代社会のコンテンツは、そんな感じになっているようだ。
・・・いや、私が不器用なだけかも。
*
そんなわけで、最近のWebのコンテンツは、はじめっから細部しかない。
いろんなものが、細かくばらばらに並んでいる。だけど、それも過剰適応っぽい。
まとまったものが喰いたいこともあるし。
誰かが、懐にしまって熟成してやらないと、発酵しない食品もあるし。
うーん。
「原発問題は、人災だ」といろんなところで言われている。
こういうのは、危険な言い方だけど、世の中の大半の人は、事故が起こるたびに
「『理系=強者』が『文系=弱者』を騙してきた」
と感じているのかもしれない・・・などと、最近は思ってしまうのですよ、加害妄想症の理系人間としては。
僕がこんなことを言い出したのは、このサイトを読んだからだ。
2011-04-08(金) [長年日記]
いかにも「理系リテラル強者」の意見、・・・だと世の中では見えるのだろう。
僕自身は、いちおう「理系」の端くれとしては、この意見に賛成したい人情が半分。
でも、斉藤和義氏のナイーブさを一方的に責めるのもきついなあ、と思う。
一方、心理学者で「自称文系」の渡辺先生からは、こんな表現が出ていた。
「正しく怖がるということ、科学/メディアリテラシー」を巡るやり取り
いや、言うことは基本的にそのとおり。科学を支えているのは「科学的でない理系社会」なんだとわたしも思う。
そう思うんですが、ちょっと待ってください。
理系人間らは、『自分たちの「威信」を守るためだけに、虚構を構築してきたのか?』というと、そんなことはない。
たぶん、そんなことはない。
日本中の電機メーカーが、「マイナスイオン」の出る装置とか売ってきた理由は、理系の威信を守るためではない。
「社会の威信」「社会のフィクション」を守るためだ。
「文系」は、理系に嘘をつかれていると思っている。
だが、「理系」は、文系に嘘をつかされていると思っているのだ。
原発は壊れない。そう言わないと、研究費もらえないし、仕事干されるし、空気読めないの刑で地方に島送りにされる。そう思っているから、愛想笑いとゴマすりを覚える。その技術を覚えた人間でないと、社会の「上」には登れないものだろう、と半ばあきらめながら思っている。
オタク的理系というのは往々にして「人間的な圧力」「政治的な駆け引き」において弱者だったりする。
交渉が下手だからこそ、「オトナの嘘」をつかないと、許されないと思っている。
マイナスイオン放出機がついていると、クーラーの売れ行きが良いらしいぜ。
でも、マイナスイオンって何よ?
→しらねえ。なんかだれもちゃんと定義していないし。
効果あんのか?
→多分ないけど、なんか適当に付けとかなきゃいけないんじゃね?売るためには。
そんな話ばっかりで生きてきた俺たち理系が来ましたが何か?
嘘をつかないと、社会は許してくれないし、資本主義は許してくれないし、上司は許してくれない、と思っている。
そう信じているから、取り繕うために、愛想笑いの嘘をつく。みんなと同じように、マイナスイオン放出機を生産する。
僕らは、「科学の予測」への信頼の上に、今の社会を社会を築いてしまっている。だから、社会の前提が崩れたときには、科学の司祭である「理系の人」が糾弾される。
ようするに、19世紀に「キリスト教が世界を騙している」と感じたのと同じことなんだろう。
A: キリスト教の神父が世界を隠蔽していたのか? B: 世界が隠蔽を望んでいたから、キリスト教がその役を引き受けていたのか?
僕は後者だと思う。社会というのは、わかりやすさを必要とするからなあ。
科学は、わかりやすいメッセージを要求される。誰に要求された?金にか?
論文であっても、わかりやすい結論を要求されるだろう。誰に要求されているんだ?
そんな軋轢の中で、多くのオトナは、逃げ道を作ることを覚える。
「嘘、は、言っていない」
この台詞を何回言ったり聞いたりしたんだろうなあ、と思う。ため息が出なくもない。
嘘「では」ない。直接、文字通りには、嘘は言わない。ほらこの文章はこのように解釈できる。明示的には嘘のない、ただし、相手が文意を誤解して理解することを狙った文章。発達した官僚システムは、そういう作文で溢れている。
ナイーブな告発者が、本当に訴えるべきなのは、本当は「嘘を言っている人」ではないのだろう。
「嘘”は”言っていない」と言い張る人の群れが作り出す、歯切れの悪い矛盾なのだろう。
結局、社会というのはそういうもの。社会の地雷は、「嘘でない」ものの、集合体から生まれる。嘘ではないから始末できない。仕掛けた人間が誰かもわからない。でも忘れた人が踏むと爆発する。
真実に近い嘘は、始末しにくい嘘だ。
そして嘘でない嘘は、一番始末しにくい嘘なんだろう。
【結論】
文系にせよ、理系にせよ。
結局、人間はみな、自分が「嘘をついている」とは思っていない、ようだ。
少年ジャンプに続いて、マガジンとサンデーが緊急webに配信したようですね。
マンガ雑誌が、web配信の実験の機会と口実を得た、ということで、いいことだと皆言っている模様。
いいことだと僕も思う。
が、今回の動きを見て、web上でジャンプを読んでみて、その問題点もしみじみと感じた。
これからしばらく、マンガ界は微妙な橋を渡っていかなきゃいけないんだろう。
以下は、そんな雑談:
現状のコンテンツ業界の方向性が決まる分岐点は、広告/購入システム戦略の選択だ。
「フリー」の思想に基づいて、「コンテンツをwebで無料配布、広告で回収」という夢を未だに信じている人間は、多分もうあまりいない。
これだって3年前なら結構信じられた夢だが、現状のマーケットは相当変貌した。
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テレビですら、同じ広告フィルムがポポポポーンと出続けている。こだまでしょうか?いえAC広告です。
あのAC広告が、昔のように一般広告に戻る日がいつになるのか、さっぱりわからない。テレビ業界の人間は、青ざめていることだろう。傍で見ている僕も青ざめるくらいだ。
基本的に、広告モデルは、バブリーな成長神話とギャンブル的な妄想力に支えられたときに成立する。
震災前の当時では、テレビ局のCMもパチンコ業界の集金力にかなり頼りっぱなしだった。だが、節電ムードの今では、パチンコ業界が広告を打ったとしたら、2chで袋叩きにあう光景が目に浮かぶ。
もともと「広告神話」が揺らいでいたこのタイミングで、ひとたび広告経済が止まってしまったら、もとのように再起動できるのだろうか?
復旧の可能性は、七分三分くらいではないだろうか。多分、節電・自粛ムードが、本格的に長引いてしまうと、恒久的なダメージになるかもしれない。
広告モデルが蘇らないのなら、コンテンツ業界は「購入モデル」を本格的に再構築しなきゃいけない。だが、それも凄い難しい。
果たして、「webでの有料マンガ配信」は、成立しうるか?
越えるべきハードルは、二つ。
読者体験の問題と、購買行動の問題。
紙でないマンガにお金を払う気がしない、というのは、相変わらず大勢の意見らしい。
たしかに、データで読むと、なんかありがたみがない。
さきほど、紙で読んだジャンプの「バクマン」を、モニタで読み返してみた。だが、印象が違う。
改めて思ったのだが、webの漫画は、モニタの上部、上側のコマに目が行く。モニタの下側にある部分は読み飛ばしやすい。
一方、紙の漫画だと、真ん中から下側に眼が行きやすい。持つ姿勢にもよるんだろうが、紙の下側の方が目に近いからだ。
この差は、書くときにも、ちょっと思っていたんだが、達人レベルのマンガを、あらためて本気でモニタで見なおすと、びっくりするほど明白だ。
もともと、紙の漫画では、左ページの下側に重要なメッセージを置いて、つぎのめくりの引きにするのがセオリーなのだが、この視点の差があるので、このセオリーが機能しないようだ。
その結果、モニタで読むと、マンガを読み飛ばしやすい。
webのブラウジングに慣れてしまっているためか、「内容に集中する」のではなくて「中身を手早く理解する」というモードに頭が向いてしまう。これは小さいようでいて、演出としては結構、致命的なポイントになるかもしれない。
たぶん、現状の紙の漫画の優位は、こういった一見するとどうでもよさそうに見える小さなノウハウに支えられている。神も悪魔も細部に宿るのだ。
A・既存のマンガ読者を逃がさない
B・マンガを読まなかった読者を呼び寄せる
一見似ているが、多分、微妙にとるべき戦略が違うと思う。
この点、マンガ描きとして、もうちょっと僕自身も本格的に検討しないとマズい。
無料配布なら、読者は多く集まりやすいだろう。だが、現状のプラットフォームは、どれもこれも「購入作業」に手間がかかりすぎる。購入作業が長ければ、購入者は一気に減るだろうと思う。
クリックと入力を何回必要とするかで、購買のハードルが決まってくる。僕の直感的には、購入のための1作業=50円相当くらいの体感だ。・・・これは、僕が面倒くさがりや過ぎるのだろうか?
だから、アフィリエイトスタイルや、プッシュ型スタイルがどれくらい使えるか、だろう。
例えば、「メールマガジンが発行されてきて、そこから1クリックで漫画の1ページ目にたどり着ける」といったプッシュ形式なら、心理的ハードルは相当低いと思う。
または、Amazonアフィリエイトみたいな形式から、ワンクリック。これでもいい。
問題は、代金購入の承諾手続きを、どこにどうやって混ぜ込むか、だろうなあ。
なんか、驚くほど小さいポイントで改良して、少しだけ快適なうまいプラットフォームを提供した奴が、勝ちを占めると思う。
Kindleと出版社の間に入り込むネタってないかなあ。マジで悩む。
現代の日本の基本コンテンツは、ラノベ、マンガ、アニメ、ゲーム。
この上にグッズを構築するという文化だ。
だが、アニメとゲームは、ひとたび当たると、すぐに超大作に肥大化して、その結果崩れていくことが多い。多分、大きな金が動くだけに、「官僚企画書的な発想」が粉飾されやすいからだ。宮崎御大のような「頑固カリスマ」が中央にいてクオリティを制御しない限り、危険なマーケットだと思う。
ラノベは高速回転する足の速い良いプラットフォームだが、視覚イマジネーションは伴いにくい。ビジュアル体験については、過去のデータベースを組み合わせて、焼きなおすしかない。それに逆らうシャフトみたいな前衛ポジションは凄いと思うが、どんどんマーケットが狭くなりそうだ。
やはり、今の「マンガ」というポジションが失われると、日本のサブカルは衰退するしかなくなると思う。
作者のエゴと読者のエゴと出版社のエゴに挟まれて、マーケットが消滅してしまうと、復旧に数十年かかるだろう。
これを潰さない方法を、考えなきゃいけないんだよなあ。
*
アイザックアシモフの「銀河帝国興亡史(ファウンデーション)」というSFがある。
その話では、天才歴史学者ハリ・セルダンが、銀河帝国の崩壊を予測して、第二銀河帝国を再興するための核になるように、科学技術を収集したファウンデーションという組織を作っていた。
マンガ帝国の興亡にも、だれかファウンデーションを作る必要があるかもしれない。
いや、まじで。
マンガ界のハリ・セルダン、出て来い。
あと、ダニール・オリヴァも、頼む。
今月、「異邦人たち」、また休載ということになりました。
楽しみに待っていてくださった方には、本当に申し訳ございません。
どうも、ここ半年ほど、スケジュールとか心身とか、色々と綻びが出てきて、なんか、いろいろな物が心の中に滞ってました。そこに、震災含めてイレギュラーなことも起こりまくり。停電で、データ壊れたり。
・・・まあ、そんなこんなで、ここしばらく精神的にも参ってました。
でもまあ。
先ほど、皆さんからの感想とか読み返して、感無量でした。
やっぱ、なんとかせな、あかん。
僕は年齢不詳の人間とかいわれていたのですが、その特性は、結局、物書きの特性だったのかもしれません。ここしばらく、「やつれた」とか「老け込んだ」とかいわれることがあったのですが、ここしばらく、マンガ描けてなかったからかもなあ・・・とかちょっと思ったりします。
いろいろと時間無くて、一月、また一月と休載が続いたのですが、そのたびに、ちょっとずつ、心の中の何かにヒビが入っていくような感覚がありました。むやみに気が弱ったりするし。
合理的に考えると、仕事を優先しなけりゃいけないのは明白なんだけど。
やっぱり俺、描いてないと、生きてられない捩れた生き物なのかもしれない。
*
そんなこんなで、何はともあれ、休載状態、申し訳ない。
異邦人たちも、俊一と梢の正面衝突。
ここから急転直下で、一つの節目になる予定です。
でも、いまちょっと色んな創作力が落ちていて、この話の山を乗り切るのに必要なだけのエネルギーが作者の脳から搾り出せない状態なのです。
なんかこう、力の出る呪文とかご存知の方いたら教えてください orz
*
ええと。
頑張ります。
いまはまだ、ちょっと詰まってしまっているのですが、エンジン再起動しようと思います。
なにとぞ、お気を長めにして、おつきあいください。よろしくお願いいたします。