浄土宗 赤塚山 乗蓮寺
あかつかさん じょうれんじ
住所:板橋区赤塚 5-28 最寄り駅:東武東上線下赤塚駅
大仏さんの高さ(座高)比較
奈良東大寺
毘盧遮那如来 15.0m
鎌倉高徳院
阿弥陀如来 11.4m
東京乗蓮寺
阿弥陀如来 8.2m
高岡(富山県)
阿弥陀如来 7.4m
東京大仏
阿弥陀如来座像
乗蓮寺 江戸名所図会
板橋宿の乗蓮寺 江戸切絵図
現在の乗蓮寺
総門 右が閻魔堂
仁王門
本堂
境内庭園にある大仏
天保飢饉の供養塔
福寿観音
閻魔堂
孤雲山乗蓮寺
慶学院と号す。板橋より三町余り此の方、道より左側にあり。浄土宗にして縁山に属す。本尊阿弥陀如来の像は仏工春日の作。開山は英蓮社信誉上人了賢無的和尚と号す。当寺は応永年間(1394-1428)の草創にしてこの地の郷主板橋信濃守忠康という人の菩提寺なり
江戸名所図会
乗蓮寺跡
板橋宿に所在した浄土宗寺院。昭和46年(1971)国道17号線の拡張や高速道路の建設などにより、現在地の赤塚5丁目に移転した。江戸期は孤雲山慶学院と号していたが、現在の山号は赤塚山で、本尊は阿弥陀如来。応永14年(1407)の没した英蓮社信誉生阿了賢無的によって開かれたという(「風土記稿」など)。開創当時は山中村(現在の仲町付近)にあり、江戸期の持庵香林庵(現在は浄土宗専称院に合併)の場所に建っていたとされ、戦国期の段階には中宿(現仲宿)へ移転していたと考えられる。中世においては板橋氏と関連があったことが推定される。豊島系図(百家系図稿)には板橋氏の系譜の中に文明年間(1469-87)以後の人物として「泰忍 乗蓮寺」がみえ、この人物は当寺三世で明応5年(1496)に没した忍阿にあたる可能性がある。文禄2年(1593)には板橋信濃守忠康が死去し、当寺に葬られている。忠康は旗本板橋氏ならびに板橋宿上宿名主板橋氏の先祖にあたり、完成3年(1791)には旗本板橋氏が先祖信濃守忠康の200回忌を計画し、当寺で墓石などの調査を行っている。天正19年(1591)11月には徳川家康より10石の寺領が寄進され、以降朱印地を与えられた(以上乗蓮寺文書)。寛保3年(1743)将軍徳川吉宗が志村筋への鷹狩に際して当寺で小休止し、以降御膳所となった。(「江戸名所図会」など)。天保7,8年(1836,7)の大飢饉では当寺17世撮誉が餓死者を境内に葬り、供養塔が建てられた(供養塔銘文)。境内にある閻魔堂の開帳は江戸近隣の人々の信仰を集めていたという。
赤塚に移転後、昭和52年に通称東京大仏(像高約8m)が建てられている。
日本歴史地名大系
東京都の地名
福寿観音という額が掲げられており、観音像の納められている宝塔のようである。
閻魔堂には閻魔大王像と脱衣婆が納められている。
中山道分間延絵図 板橋宿 乗蓮寺
2004/07